今昔物語集 目録
巻第二十 本朝附仏法
第一 天竺の天狗、海の水の音を聞きて此の朝に渡れる語

 今昔、天竺に天狗有けり。天竺より震旦に渡ける道に、海の水一筋に、諸行無常 是製滅法 生滅々已 寂滅為楽と鳴ければ、天狗此れを聞て、大に驚て、
「海の水何なか止事無き甚深の法文をば可唱きぞ」と怪び思て、
「此の水の本体を知て、何でか不防では有らむ」と思て、水の音に付て尋ね来るに、震旦に尋ね来て聞くに、猶同じ様に鳴る。

 然ば、震旦も過て、日本の境の海にして聞くに、猶同じ様に唱ふ。其より筑紫の波方の津を過て、文字の関にして聞に、今少し高く唱ふ。
 天狗弥よ怪て尋ね来る程に、国々を過て、河尻を尋ね来ぬ。
 其より淀河に尋ね入ぬ。今少し増て唱ふ。
 淀より宇治河に尋ね入れば、其に弥よ増て唱ふれば、河上に尋ね行くに、近江の湖に尋ね入たるに、弥よ高く唱ふれば、猶尋ぬるに、比叡山の横河より出たる一の河に尋ね入たるに、此の文をかまびすしく唱ふ。河の水の上を見れば、四天王及び諸の護法此の水を護り給ふ。天狗此に驚き、近くも不寄ずして、此事の不審さに隠れ居て聞に、怖るゝ事無限し。

 暫許有ては***中に劣なる天等の近く御するに、天狗恐々づ寄て、「此の水の此く止事無き甚深の法文を唱ふるは、何なる事ぞ」と問ひければ、天等答て云く、「此の河は比叡の山学問する多の僧の厠の尻也。然れば此く止事無き法文をば、水も唱ふる也。此に依て、此く天等も護り給ふ也」と。
 天狗此れを聞て、「妨げむ」と思つる心忽に失せて思はく、「厠の尻だに猶此く甚深の法文を唱ふ。況や此の山の僧の貴き有様を思ひ遣るに、云はむ方無し。然れば、我れば、我れ此の山の僧と成らむ」と誓を発して失にけり。

 其の後、宇多の法皇の御子に、兵部卿有明の親王と云ふ人の子と成て、其の上の腹に宿てなむ生たる。
 誓の如く法師と成て、此の山の僧と有けり。
 名をば明救と云ふ。
 延昌僧正の弟子として、止事無く成にけり。
 浄土寺の僧正と云ひけり、亦大豆の僧正とも云ひけりとなむ語り伝へたりと也。

第二 震旦の天狗智羅永寿、此の朝に渡れる語

 今昔、震旦に強き天宮有けり。智羅永寿ちらようじゅと云ふ。
 此の国に渡にけり。

 此の国の天狗に尋ね会て、語て云く、「我が国には止事無き悪行の僧共数有れども、我等が進退に不懸らぬ者は無し。
 然れば、此の国に渡て、修験の僧共有りと聞くは、「其等に会て、一度力競せむ」と思ふを、何が可有き」と。
 此の国の天狗此れを聞て、「極て喜」と思て、答て云く、
「此の国の徳行の僧共は、我等が進退に不懸ぬは無し。凌ぜむと思へば、心に任て凌じつ。然れば、近来可凌き者共有り。教へ申さむ。己が後に立て御せ」
 と云て行く後に立て、震旦の天狗も飛び行く。
 比叡の山の大嶽の石卒塔婆の許に飛び登て、震旦の天狗も此天狗も道辺に並居ぬ。

 此の天狗、震旦の天狗に教ふる様、
「我れは人に被見知たる身なれば、現には不有じ。谷の方の薮に隠て居たらむ。其は老法師の形と成て、此に居給て、通らむ人を必ず凌ぜよ」
 と教へ置て、我れは下の方の薮の中に、目を側にして隠居て見れば、震旦の天狗極気なる老法師に成て、石卒塔婆の傍に曲り居り。眼見糸気疎気なれば、「少々の事は必ず為てむ」と見ゆれば、心安く喜し。

 暫許有れば、山の上の方より、余慶律師と云ふ人、腰輿に乗て、京へ下る。此の人は只今貴思ふに、極て喜し。
 漸く卒塔婆の許過る程に、「事為らむかし」と思て、此の老法師の方を見れば、老法師も無し。
 亦、律師も糸平らかに弟子共数引き具して下ぬ。
 怪く、「何に不見えぬにか有らむ」と思て、震旦の天狗を尋たれば、南の谷に尻を逆様にて隠れ居り。
 此の天狗寄て、「何ど此は隠れ給へるぞ」と問へば、答ふる様、「此の過つる僧は誰そ」と問へば、此の天狗、「此れは只今の止事無き験者余慶律師と云ふ人也。山の千寿院より内の御修法行ひに下るゝ也。貴き僧なれば、「必ず恥見せむ」と思ひつる物を、口惜く過し給ひつるかな」と云へば、震旦の天狗、「其の事に侍りとよ。「者の体の貴気に見えつるは此れにこそ有めれ」と喜しく思えて、「立出む」とて見遣つるに、僧の形は不見ずして、腰輿の上の、高く燃えたる火の焔にて見えつれば、「寄ては火に被焼もこそ為れ。此れ許は見過してむ」と思て、和ら隠ぬる也」と云へば、此の天狗疵咲て云く、「遥に震旦より飛び渡て、此許の者をだに引き不転ずして過つる、糸弊し。此の度だに、渡らむ人必ず引き留て凌ぜよ」と。
 震旦の天狗、「尤宣ふ事理也。吉し、見給へ、此の度は」と云て、初の如く石卒塔婆の許***て居ぬ。

 亦、此天狗も初の如く谷に下て、薮に曲りて見れば、亦罵て人下る。飯室の深禅権僧正の下給ふ也けり。
 腰輿の前に一町許前立て、髪握かみたる童の杖提たるが腰*たる、人を掃ひ行く。「此の老法師、何すらむ」と見遣れば、此の童、老法師を前々に追ひ立て打ち持行く。
 法師、頭を*て逃ぬ。敢て輿の傍に可寄くも不見えず。
 打ち掃て過ぬ。

 其の後、此天狗、震旦の天狗の隠たる所に行て、初の如く恥しめ云へば、震旦の天狗、「糸破無き事をも宣ふかな。此の前に立たる童の可寄くも非ぬ気色なれば、「被捕て頭打ち不被破ぬ前に」と思て、急ぎ逾ぬる也。己が羽の疾さは、遥に震旦よりも片時の間に飛渡るに、此の童の早気なる気色は、己には遥に増たり気也つれば、益無く思ひて立隠ぬる也」と答れば、此の天狗、「尚此の度だに念じて、渡らむ人に取り懸り給へ。此の国に渡り給て、甲斐無て返なむは、震旦の為に面目無かるべし」と、返々す恥しめ云ひ聞かせて、我れは又本の所に隠れて居ぬ。

 暫許有れば、人の音多くして下より登る。
 前に赤袈裟着たる僧の、前を追て人掃て渡る。
 次に若き僧、三衣筥を持て渡る。
 次に輿に乗て渡り給ふ人を見れば、山の座主の登り給ふ也。
 其座主と云は、横川の慈恵大僧正也。
 「此の法師に取懸けぬらむや」と思て見れば、髪結ひたる小童部二三十人許、座主の左右に立て渡ぬ。

 而る間、此老法師も不見へず、初の如く隠れにけり。
 聞ば、此小童部の云く、「此様の所には由無き者有て伺ふ事有を、所々に散て吉く*て行かむ」と云へば、勇たる童部楚を捧て、道の喬平に弘まり立て行と見るに、益無ければ、弥よ谷に下て薮に深く隠れぬ。聞けば、南の谷の方に、此童部の音にて云く、「此に気色怪き者有り。此れ、捕へよ」と。
 他の童部、「何ぞ」と問ば、「此に老法師の隠れ居ぞ。此は只者には非ざめり」と云へば、他の童部、「慥に搦めよ。不逃すな」と云て、走り懸りて行ぬ。
 「穴極じ。震旦の天狗被搦ぬなえい」と聞と云へども、怖しければ、弥よ頭を薮に指入れて、低し臥せり。
 薮の中より恐々見遣たれば、童子十人許して、老法師を石卒塔婆の北の方に張り出て、打ち踏み凌ずる事無限し。
 老法師音を挙て叫ぶと云へども、***者無し。
 童部、「何ぞの老法師ぞ。申せ申せ」と云て打ば、答ふる様、
「震旦より罷渡たる天狗也。渡給はむ人見奉らむとて此に候ひつるに、初め渡給ひつる余慶律師と申人は、火界の呪を満て通給ひつれば、輿の上大に燃ゆる火にて見えつれば、其をば何がはせむと為る。己れ焼けぬべかりつれば、逃て罷去にき。次に渡り給ひつる飯室の僧正は不動の真言を読て御しつれば、制多迦童子の鉄の杖を持て、副て渡り給はむには、誰か可出会きぞ。
 然ば深く罷り隠れにき。今度渡り給ふ座主の御房は、前々の如く、猛く早き真言も不満給ず、只止観と云ふ文を心に案じて、登り給ひつれば、猛く怖しき事も無く、深くも不隠ずして、傍に罷寄て候つる程に、此く被搦れ奉て、悲き目を見給つる也」
 と云へば、童部此の事を聞て、「重き罪有る者にも非ざなり。免して追ひ逃してよ」と云て、童部皆一足づゝ腰を踏て過ぬれば、老法師の腰は踏み被齟ぬ。

 座主過ぎ給て後、此の天狗、谷の底より這ひ出て、老法師の、腰踏み被折て臥せる所に寄て、「何ぞ。此度は為得たりや」と問へば、「いで、穴かま給へ。痛くなの給ひそ。其を憑み奉てこそ、遥なる所を渡て来りしか。其れに、此く待ち受て後、安くは教へ不給ずして、生仏の様也ける人共に合せて、此く老腰を踏み被折れれぬる事」と云て、泣き居り。此の天狗の云く、「宣ふ事尤も理也。然は有れども、「大国の天狗に在しければ、小国の人をば、心に任て凌じ給ひてん」と思て教へ申しつる也。其に、此く腰を折り給ひぬるが糸惜き事」と云て、北山の鵜の原と云所に将行てなむ、其の腰を茹癒しいぇぞ、震旦には返し遣ける。

 其の湯ける時に、京に有ける下衆、北山に木伐に行て返けるに、鵜の原を通ければ、湯屋に煙の立ければ、「湯桶なめり。寄て浴て行かむ」と思て、木をば湯屋の外に置て、入て見ば、老たる法師二人、湯に下て浴む。
 一人の僧は腰に湯を沃させて臥たり。
 木伐人を見て、「彼れは何人の来るぞ」と問へば、「山より木を伐て罷返る人也」と云けり。
 而るに、此湯屋の極く臭くて、気怖しく思えければ、木伐人頭痛く成て、湯をも不浴ずして返にけり。
 其後、此の天狗の人に託て語けるを此木伐人伝へ聞てぞ。
 其日を思ひ合せて、鵜の原の湯屋にして老法師の湯浴し事を思ひ合せて語りける。

 此天狗の人に詑て語けるを、聞き継て、此く語り伝へたると也。

第三 天狗、仏と現じて木末に坐せる語

 今昔、延喜の天皇の御代に、五条の道祖神の在ます所に、大きなる不成ぬ柿の木の上に、俄に仏現はれ給ふ事有けり。
 微妙き光を放ち、様々の花などを令降めなどして、極て貴かりければ、京中の上中下の人詣集る事無限し。
 車も不立敢ず、歩人はたら云ひ不可尽ず。
 如此き礼みののしる間、既に六七日に成ぬ。

 其時に、光の大臣と云ふ人有り。深草の天皇の御子也。
 身の才賢く、智明か也ける人にて、此の仏の現じ給ふ事を、頗る不心得ず思ひ給けり。
「実の仏の此く俄に木の末に可出給き様無し。此は天狗などの所為にこそ有めれ。外術は七日には不過ず。今日我行て見む」
 と思給て、出立給ふ。日の装束直くして、檳榔毛の車に乗て、前駆など直しく具して、其所に行き給ぬ。
 若干諸集れる人を掃ひ去させて、車を掻下して、楫を立て、車の簾を巻き上て見給へば、実に木の末に仏在ます。
 金色の光を放て、空より様々の花を降す事雨の如し。
 見に、実に貴き事無限し。

 而るに、大臣頗る怪く思え給ひければ、仏に向て、目をも不瞬ずして、一時許守り給ひければ、此仏暫くこそ光を放ち花を降しなど有けれ、強に守る時に、侘て、忽に大きなる屎鵄の翼折たるに成て、木の上より土に落て*めくを、多の人此れを見て、「奇異也」と思けり。
 小童部寄て、彼の屎鵄をば打殺してけり。
 大臣は、「然ればこそ、実の仏は何の故に俄に木の末には現はれ可給きぞ。人の此れを不悟して、日来礼みののしるが愚なる也」と云て返り給ひにけり。

 然れば、其庭の若干の人、大臣をなむ賛め申しけり。
 世の人も此れを聞て、「大臣は賢かりける人かな」と云て、賛め申しけりとなむ語り伝へたると也。

第四 仏眼寺の仁照阿闍梨の房に天狗の託きたる女来たれる語

 今昔、京の東山に仏眼寺と云ふ所有り。
 其に仁照阿闍梨と云ふ人住けり。極て貴かりける僧也。
 年来其寺に行ひて、寺を出る事も無くして有ける程どに、思ひ不懸ず、七条辺に有ける薄打つ者の妻の女の、年三十余四十許也けるが、此の阿闍梨の房に来たり。餌袋に干飯を入れて、堅き塩、和布など具して持来て、阿闍梨に奉て云ふ様、「自然ら承はれば、「貴く御ます」と聞て、仕らむの志有て参たる也。
 御帷などよそわしめて奉らむ事は安く仕てむなむと事吉く云て、返り去ぬ。

 其後、阿闍梨、「何くの奴の、此くは来たりつるならむ」と怪て思けるに、二十日許有て、亦前の女来たり。
 亦、餌袋に精たる米を入れて、折櫃に餅、可然き菓子共など入て、下衆女に頂かせて持来たり。
 如此くして来る事、既に度々に成ぬれば、阿闍梨、「実に我を貴ぶ志の有れば、此くは不絶ず来る也けり」と哀に思て有るに、亦七月許に、此の女瓜・桃など持せて来れり。

 其間、此の房の法師原、京に行て皆無し。
 阿闍梨只一人有を見て、此の女房の云く、「此の御房には、人も不候ぬか。人気も不見ぬは」と。女、
「吉き折節にこそ参り会候にけり。実には可申き事の候へば、此く度々参り候つるに、人の不絶ず候つれば、不申ざりつるを。大切に可申き事候ふ也」と云て、人と離たる所に呼び放てば、阿闍梨、「何事にか有らむ」と思て、寄て聞けば、此の女、阿闍梨を捕へて、「年来思給へつる本意有り。助けさせ給へ」と云て、只近付きに近付ば、阿闍梨驚て、「此は何に何に」と云て、去むと為れども、女、「助け給」と云て、只凌ずれば、阿闍梨侘て、
「此なせぞ。吉かなり。云はむ事は聞かむ。安き事也。但し仏に不申ずしてなむ不然まじき。仏に申して後に」と云て、立て行けば、女、「逃げなむと為るなめり」と思て、阿闍梨を捕て、持仏堂の方へ具して行ぬ。

 阿闍梨、仏の御前に行て、申して云く、「不量ざる外に、我れ魔縁に取り籠られたり。不動尊、我を助け給へ」と云て、念珠の砕く許に擬て、額を板敷に宛て、破許に額を突く。
 其時に女、二間許に投げ被去て、打ち被伏れぬ。
 二の肱を捧て、天縛に懸て、転べく事、独楽を廻すが如とし。
 暫許有て、音を雲ゐの如く高くして叫ぶ。
 其の間、阿闍梨念珠をもみ入て、仏の御前に尚低し臥たり。
 女四五度許叫て、頭を柱に宛てゝ、破れぬ許打つ事、四五十度許也。其後、「助け給へ々々」と叫ぶ。

 其の時に、阿闍梨頭を持上て起上て、女に向て云く、
「此れ心不得ぬ事也。此は何なる事ぞ」と。女の云く、
「今は隠し可申き事にも非ず。我は東山の大白河に罷通ふ天狗也。其に、此の御房の上を、常飛て罷り過ぐる間に、御行ひの緩み無くして、鈴の音の極く貴く聞つるは。「此れ、構て落し申さむ」と思て、此の一両年此の女に詑て謀つる事也。其れに、聖人の霊験貴くして、此く被搦れ奉ぬれば、年来は妬く思給つれども、今は懲申しぬ。速に免し給てよ。惣て翼打ち被折て、難堪く術無く候ふ。助け給へ」と、泣々く云ければ、阿闍梨仏に向ひ奉て、泣く々礼拝して、女をば免てけり。
 其時に、女心醒て、本の心に成にければ、髪掻き馴しなどして、云ふ事無くして、腰打ち引て出に去にけり。

 其より後、女永く見え不来ざりけり。
 阿闍梨も其より後は、殊に慎て、弥よ行ひ緩む事無くして有けるとなむ語り伝へたるとや。

第七 染殿の后、天宮の為ににょう(女篇に尭)乱せられたる語

 今昔、染殿の后と申すは、文徳天皇の御母也。
 良房太政大臣と申ける関白の御娘也。
 形ち美麗なる事、殊に微妙かりけり。而るに、此后、常に物の気に煩ひ給ければ、様々の御祈共有けり。其中に世に験し有る僧をば召し集て、験者修法有ども、露の験し無し。

 而る間、大和葛木の山の頂に、金剛山と云ふ所有り。
 其山に一人の貴き聖人住けり。
 年来此所に行て、鉢を飛して食を継ぎ、瓶を遣て水を汲む。
 如此く行ひ居たる程に、験無並し。然れば、其聞え高成にければ、天皇并に父の大臣、此由を聞食して、「彼れを召して、此の御病を令祈めむ」と思食して、可召き由被仰下ぬ。
 使、聖人の許に行て、此由を仰するに、聖人度々辞び申すと云へども、宣旨難背きに依て、遂に参ぬ。御前に召て、加持を参*るに、其験し新たにして、后一人の侍女忽に狂て哭き嘲る。
 侍女に神詑て走り叫ぶ。
 聖人弥よ此を加持するに、女被縛て打ち被責る間、女の懐の中より一の老狐出て、転て倒れ臥て、走り行事能からず。
 其時に、聖、人を似て狐を令繋て、此を教ふ。
 父の大臣此れを見て、喜給ふ事無限し。
 后の病、一両日の間に止給ひぬ。

 大臣此れを喜給て、聖人暫く可候き由を仰せ給へば、仰に随て暫く候ふ間、夏の事にて、后御單衣許を着給て御けるに、風、御几帳の帷を吹き返したる迫より、聖人髴に后を見奉けり。見も不習ぬ心地に、此く端正美麗の姿を見て、聖人忽に心迷ひ肝砕て、深く后に愛欲の心を発しつ。

 然れども、可為き方無き事なれば、思ひ煩て有るに、胸に火を焼くが如にして、片時を思ひ遇すべくも不思えざりければ、遂に心澆て狂て、人間を量て、御帳の内に入て、后の臥せ給へる御腰に抱付ぬ。后驚き迷て、汗水に成て恐ぢ給ふと云へども、后の力に辞び難得し。然れば、聖人力を尽して凌じ奉るに、女房達此れを見て騒て罵る時に、侍医当麻の鴨継と云ふ者有り。
 宣旨を奉て、后の御病を療ぜむが為に、宮の内に候けるが、殿上の方に、俄騒ぎ罵る音しければ、鴨継驚て走入たるに、御帳より此聖人出たり。鴨継、聖人を捕へて、天皇に此由を奏す。
 天皇大きに怒給て、聖人を搦て獄に被禁ぬ。

 聖人獄に被禁たりと云へども、更に云ふ事無して、天に仰て、泣々く誓て云く、「我忽に死て鬼と成て、此后の世に在まさむ時に、本意の如く后に陸びむ」と。
 獄の司の者、此を聞て、父の大臣に此事を申す。大臣此を聞驚き給て、天皇に奏して、聖人を免して本の山に返し給ひつ。

 然れば、聖人本の山に返て、此思ひに不堪ずして、后に馴近付き可奉き事を強に願て、憑む所の三宝の祈請すと云へども、現世に其事や難かりけむ、「本の願の如く、鬼に成らむ」と思ひ入て、物を不食ざりければ、十余日を経て、餓へ死にけり。
 其後忽に鬼と成ぬ。其形、身裸にして、頭は禿也。
 長け八尺許にして、膚の黒き事漆を塗れるが如し。
 目はかなまり(金篇に完)を入たるが如くして、口広く開て、剣の如くなる歯生たり。上下に牙を食ひ出したり。
 赤き裕衣を掻て、槌を腰に差したり。
 此鬼俄に后の御ます御几帳の喬に立たり。人現はに此れを見て、皆魂を失ひ心を迷はして、倒れ迷て逃ぬ。
 女房などは此れを見て、或は絶入り、或は衣を被て臥ぬ。
 疎き人は参り不入ぬ所なれば不見ず。

 而る間、此の鬼魂、后をほらし狂はし奉ければ、后糸吉く取り繕ひ給て、打ち咲て、扇を差隠して、御帳の内に入り給て、鬼と二人臥させ給ひにけり。女房など聞ければ、只日来恋く侘かりつる事共をぞ鬼申ける。后も咲嘲らせ給ひけり。
 女房など皆逃去にけり。良久く有て、日暮る程に、鬼御帳より出て去にければ、「后何に成せ給ぬらむ」と思て、女房達忽参たれど、例に違ふ事無して、「然る事や有つらむ」と思食たる気色も無てぞ、居させ給たりける。
 少し御眼見を怖し気なる気付せ給ひにける。

 此由を内に奏してければ、天聞食て、奇異く怖しきよりも、「何成せ給ひなむずらむ」と歎かせ給ふ事無限し。
 其後、此鬼毎日に同じ様にて参るに、后亦心肝も失せ不給ずして、移し心も無く、只此鬼を媚き者思食たりけり。然ば、宮の内の人皆此れを見て、哀れに悲く、歎き思ふ事無限し。

 而る間、此鬼、人に託て云く、「我必ず彼の鴨継が怨を可報し」と。鴨継俄に死にけり。亦、鴨継が男三四人有けり。
 皆狂病有て死けり。然れば、天皇并に父の大臣此を見て、極て恐ぢ怖れ給て、諸の止事無き僧共を以て、此鬼を降伏せむ事を懃に祈せ給けるに、様々の御祈共の有ける験にや、此鬼三月許不参ざりければ、后の御心も少し直りて、本の如く成給にければ、天皇聞食て喜ばせ給ける程に、天皇、「今一度見奉らむ」とて、后の宮に行幸有けり。例より殊に哀なる御行也。
 百官不闕ず皆仕たりけり。

 天皇既に宮に入らせ給て、后を見奉らせ給て、泣々く哀なる事共申させ給へば、后も哀に思食たり。
 形も本の如くにて御す。
 而る程間、例の鬼俄に角踊出て、御帳の内に入にけり。
 天皇此れを、「奇異」と御覧ずる程に、后例有様にて、御帳の内に忽ぎ入給ぬ。暫許有て、鬼南面に踊出ぬ。
 大臣・公卿より始て百官皆現に此の鬼を見て、恐れ迷て、「奇異」と思ふ程に、后又取次きて出させ給て、諸の人の見る前に、鬼と臥させ給て、艶ず見苦き事をぞ、憚る所も無く為せ給て、鬼起にければ、后も起て入らせ給ぬ。
 天皇可為き方無く思食し歎て、返らせ給にけり。

 然ば、止事無なかむ女人は、此事を聞て、専に如然し有らむ法師の不可近付ず。此事極て便無く憚り有り事也と云ども、末の世の人に令見て、法師に近付かむ事を強に誡めむが為に、此くなむ語り伝るとや。

第九 天狗を祭る法師、男に此の術を習はしめむとしたる語

 今昔、京に外術と云ふ事を好て役とする下衆法師有けり。
 履たる足駄・尻切などを急と犬の子などに成して這せ、又懐より狐を鳴せて出し、又馬・牛の立る尻より入て、口より出など為る事をぞしける。

 年来此様にしけるを、隣に有ける若き男を極く*ましく思て、此法師の家に行て、此事習はむと切々に云ければ、法師の云く、「此事は輒く人に伝ふる事にも非ず」と云て、速にも不教ざりけるを、男懃に、「尚習はむ」と云ければ、法師の云く、
「汝ぢ実に此事を習はむと思ふ志有らば、努々人に不令知ずして、堅固に精進を七日して、浄くして、其桶に入て、自ら荷ひ持て、止事無き所に詣で習ふ事也。我れは更に教へむに不能ず。只其を導く許也」と。男こ此れを聞て、法師の云ふに随て、努々人に不令知して、其日より堅固の精進を始て、注連を曳て人にも不会して、籠居て七日有り。
 只極て浄して、交飯を儲て浄き桶に入たり。

 而る間、法師来て云く、「汝ぢ実に此事を習取らむと思ふ志有らば、努々腰に刀を持つ事無れ」と懃に誡め云ければ、男、「刀を不持ざらむ事安き事也。難からむ事をそら、此の事にも懃に習はむと思ふ志有れば、辞び可申きに非ず。況や刀不差ざらむ事は難き事にも非ざりけり」と云て、心の内に思はく、
「刀不差ざらむ事は安き事にては有ども、此の法師の此く云ふ、極て怪し。若し刀を不差して、怪しき事有らば、益無かるべし」と思ひ得き。蜜に小き刀を返々す吉く鐃てけり。

 精進既に明日七日に満なんと為る夕に、法師来て云く、「努々人に不知せで、彼交飯の桶を、汝ぢ自持て、可出立き也。尚々刀持つ事無かれ」と誡め云て去ぬ。
 暁に成ぬれば、只二人出ぬ。男は尚怪ければ、刀を懐に隠し差して、桶を打ち肩持て、法師を前に立てゝ行。
 何くとも不思えぬ山の中を遥々と行に、巳時許に成て行く。
 「遥にも****来ぬるかな」と思ふ程に、山の中に吉く造たる僧坊有り。男をば門に立て、法師は内に入ぬ。
 見れば、法師木柴垣の有る辺に突居て、咳きて音なふめれば、障紙を曳開て出る人有り。
 見れば、年老て睫長なる僧の、極て貴気なる出来て、此法師に云く、「汝ぢ、何ぞ久くは不見えざりけるぞ」と云へば、法師、「暇不候ざるに依て、久く参り不候ず」など云て、「此に宮仕へ仕らむと申す男なむ候」と云へば、僧、「常に此の法師由無し事云ふらむ」と云て、「何こに有るぞ。此方に呼べ」と云へば、法師、「出て参れ」と云へば、男、法師の尻に立て入ぬ。
 持たる桶は、法師取て延の上に置つ。

 男は柴垣の辺に居たれば、房主の僧の云、「此尊は若し刀や差たる」と。男、更に不差ぬ由を答ふ。
 此僧を見るに、実に気疎く怖しき事無限し。
 僧、人を呼べば、若き僧出来ぬ。
 老僧延に立て云く、「其男の懐に刀ば差たると捜れ」と、然れば、若僧寄来て、男の懐を捜むと為るに、男の思はく、
「我が懐に刀有。定て捜出なむとす。其後は我れ吉き事不有じ。然れば、我が身忽に徒に成なむず。同死にを、此老僧に取付て死なむ」と思て、若き僧の既に来る時に、蜜に懐なる刀を抜て儲て、延に立たる老僧に飛び懸る時に、老僧急と失ぬ。

 其の時に見れば、坊も不見ず。奇異く思て見廻せば、何くとも不思ず大きなる堂の内に有り。此導たる法師手を打て云、「永く人徒に成つる主かな」とて、泣き逆ふ事無限し。
 男更に陳ぶる方無し。吉く見廻ば、「遥に来ぬ」と思ひつれども、早う一条と西の洞院とに有る大峰と云寺に来たる也けり。
 ***男我れにも非ぬ心地して家に返ぬ。
 法師は泣々く家に返て、二三日許有て俄に死にけり。
 天狗を祭たるにや有けむ、委く其の故を不知ず。
 男は更不死ずして有けり。
 此様の態為る者、極て罪深き事共をぞすなる。

 然れば、聊にも、「三宝に帰依せむ」と思はむ者は、努々、永く習はむ心無かれとなむ。此様の態する者をば人狗と名付て、人に非ぬ者也と語り伝へたるとや。

第十一 竜王、天狗の為に取られたる語

 今昔、讃岐国、***郡に、万能の池と云ふ極て大きなる池有り。其池は、弘法大師の、其国の衆生を哀つれか為に築給へる池也。池の廻り遥に広して、堤を高築き廻したり。
 池などゝは不見ずして、海とぞ見えけり。
 池の内底ゐ無く深ければ、大小の魚共量無し。
 亦、竜の蘓栖としてぞ有ける。

 而る間、其池に住ける竜、日に当らむと思けるにや、池より出て、人離たる堤の辺に、小蛇の形にて蟠り居たりけり。
 其時に、近江の国、比良の山に住ける天狗、鵄の形として其池の上を飛廻るに、堤に此の小蛇の蟠て有るを見て、*鵄反下て、俄掻き抓て、遥に空に昇ぬ。竜力強き者也と云へども、思不懸ぬ程に俄抓て行くに、天狗、小蛇を抓砕て食せむとすと云へども、竜の用力強きに依て、心に任せて抓み砕き散む事不能ずして、潦て、遥に本の栖の比良の山に持行ぬ。狭き洞の可動くも非ぬ所に打籠置つれば、竜狭く*破無くして居たり。
 一滴の水も無ば、空を翔る事も無し。
 亦、死なむ事を待て、四五日有り。

 而る間、此の天宮、「比叡の山に行て、短を伺て、貴き僧を取らむ」と思て、夜る東唐の北谷に有ける高き木に居て伺ふ程に、其向に造り懸たる房有。
 其坊に有僧、延に出に、小便をして手を洗はむが為、水瓶を持て、手を洗て入るを、此の天狗木より飛来て、僧を掻き抓て、遥に比良の山の栖の洞に将て行て、竜の有る所に打置つ。
 僧水瓶を持ち乍ら、我れにも非で居たり。
 「我今は限ぞ」と思ふ程に、天狗は僧を置くまゝに去ぬ。

 其時に、暗き所に音有て、僧に問て云く、「汝は此れ、誰人ぞ。何より来ぞ」と。
 僧答て云、「我れは比叡の山の僧也。手を洗はむが為に、坊の延に出たりつるを、天狗の俄に抓み取て、将来れる也。然れば、水瓶を持乍来れる也。抑も此く云は又誰ぞ」と。
 竜答て云く、「我は讃岐の国、万能の池に住竜也。堤に這ひ出たりしを、此天狗空より飛来て、俄に抓て此洞に将来れり。狭く*て、為む方無しと云へども、一滴の水も無ければ、空をも不翔ず」と。
 僧の云く、「此の持たる水瓶に若し一滴の水や残たらむ」と。
 竜此を聞て、喜て云く、「我此所にして日来経て、既に命終なむと為るに、幸に来会ひ給て、互に命を助く事を可得し。若し一滴の水有らば、必汝本の栖に可将至し」と。
 僧又喜て、水瓶を傾けて、竜に授くるに、一滴の水を受つ。

 竜喜て、僧に教て云く、「努々怖る事無して、目塞て我れに負れ可給し。此恩更に世々にも難忘し」と云て、竜忽に小童の形と現じて、僧を負て、洞を蹴破て出る間、雷電霹靂して、空陰り雨降る事甚だ怪し。
 僧身振ひ肝迷て、「怖し」と思ふと云へども、竜を睦び思ふが故に、念じて被負て行く程に、須臾に比叡の山の本の坊に至ぬ。
 僧を延に置て、竜は去ぬ。

 彼の房の人、雷電霹靂して房に懸と思程に、俄に坊の辺暗の夜の如く成ぬ。
 暫許有て晴たるに見ば、一夜俄に失にし僧、延に有り。
 坊の人々奇異く思て問に、事有様を委く語る。
 人皆此を聞て驚て奇異がりけり。

 其後、竜彼の天狗の怨を報ぜむが為に、天狗を求むるに、天宮、京に知識を催す荒法師の形と成て行けるを、竜降て蹴殺してけり。然れば、翼折れたる屎鵄にてなむ、大路に被踏ける。
 彼の比叡山の僧は、彼の竜の恩を報ぜむが為に、常に経を誦し、善を修しけり。

 実に此れ、竜は僧の徳に依て命を存し、僧は竜の力に依て山に返る。此も皆前生の機縁なるべし。

 此事は彼の僧の語伝を聞継て、語り伝へたるとや。

第十二 伊吹の山の三修禅師、天宮の迎へを得たる語

 今昔、美濃国に伊吹の山と云ふ山あり。
 其の山に久行ふ聖人有り。心に智り無して、法文を不学ず、只弥陀の念仏を唱より外の事不知。
 名は三修禅師とぞ云けり。
 他念無く念仏を唱て、多の年を経にけり。

 而る間、夜深く念仏を唱へ仏の御前に居たるに、空に音有て、聖人に告て云く、
「汝懇に我を憑めり。念仏の員多く積りにたれば、明日の未時に、我れ来て、汝を可迎し。努々念仏怠る事無かれ」と。
 聖人此音を聞て後、弥よ心を至て、念仏唱て怠る事無。

 既明る日に成ぬれば、聖人沐浴し清浄にして、香を焼き花を散て、弟子共に告て、諸共に念仏を唱へて、西に向て居たり。
 而る間、未時下る程に、西の山の峰の松の木の隙より、漸耀き光る様に見ゆ。聖人此を見て、弥よ念仏を唱て、掌を合て見ば、仏の緑の御頭指出給へり、金色の光を至せり。
 御髪際は金の色を磨けり、眉間は秋の月の空に耀くが如にて、御額に白き光を至せり。二の眉は三日月の如し。
 二の青蓮の御眼見延て、漸月の出が如し。
 又様々の菩薩、微妙音楽を調て、貴事無限し。
 又空より様々の花降る事、雨の如し。
 仏の眉間の光を差して、此聖人の面を照給ふ。
 聖人他念無く礼入て、念珠の緒も絶し。

 而る間、紫雲厚く聳て菴の上に立ち渡る。
 其時に、観音紫金台を捧て、聖人の前に寄り給ふ。
 聖人這寄て其蓮花に乗ぬ。
 仏、聖人を迎取て、遥に西に差て去り給ぬ。
 弟子等此を見て、念仏を唱て貴ぶ事無限し。其後、弟子等其日の夕より、其坊にして念仏を始て、弥よ聖人の後を訪ふ。

 其後、七八日を経て、其坊の下僧等、念仏の僧共に令沐浴むが為に、薪を伐て奥の山に入たるに、遥に谷に差し覆たる高き椙の木有り。其木の末に遥叫ぶ者の音有り。
 吉く見ば、法師を裸にして縛て木の末に結ひ付たり。
 此を見て、木昇する法師、即ち昇て見れば、極楽に被迎れ給し我師を、葛を断て縛付たる也けり。
 法師是を見て、「我が君は何で此る目は御覧ずるぞ」と云て、泣々く寄て解ければ、聖人、「仏の、「今迎に来らむ。
 暫く此て有れ」と宣つるに、何の故に解て下ぞ」と云けれども、寄て解ければ、「阿弥陀仏、我を殺す人有や、をうをう」とぞ、音を挙て叫びける。
 然れども、法師原数た昇て解き下して、坊に将行たりければ、坊の弟子共心踈がりて、泣き合へりけり。聖人移し心も無く、狂心のみ有て、二三日許有ける程に死けり。心を発て貴き聖人也と云へども、智恵無ければ、此ぞ天宮に被謀ける。
 弟子共又云ふ甲斐無し。

 如此の魔縁と三宝の境界とは更に不似ざりける事を、智り無きが故に不知ずして、被謀る也となむ語り伝へたるとや。

 文中の**は欠損部。
(岩波文庫『今昔物語集』本朝部上を底本としました)

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