十六夜日記

一 道の記

 むかし、かべのなかより、もとめいでたりけむふみの名をば、いまの世の人の子は、夢ばかりも、身のうへの事とはしらざりけりな。
 みづくきのをかの葛原かへすがへすもかきおくあとたしかなれども、かひなきものは、おやのいさめなりけり。
 また賢王の人をすて給はぬまつりごとにももれ、忠臣の世を思ふなさけにもすてらるるものは、かずならぬ身ひとつなりけりと思ひしりなば又さてしもあらで、なほこのうれへこそやるかたなくかなしけれ。

 さらに思ひつゞくれば、やまとうたのみちは、たゞまことすくなく、あだなるすさみばかりとおもふ人もやあらむ。
 日のもとの國に、天の岩戸ひらけし時より、よもの神たちのかぐらの言葉をはじめて、世ををさめ物をやはらぐる中だちとなりにけりとぞ此の道のひじりたちはしるしおかれたりける。
 さても又、集をえらぶ人は、ためしおほかれども、二たび勅をうけて、よゝにきこえあげたる家は、たぐひなほありがたくやありけむ。
 その跡にしもたづさはりて、みたりのをのこ子ども、もゝちの歌のふるほぐどもを、いかなるえにかありけむ、あづかりもたることあれど、みちをたすけよ、子をはぐくめ、後の世をとへ、とて、ふかきちぎりをむすびおかれし細川のながれも、ゆゑなくせきとゞめられしかば、跡とふ法のともし火も、道をまもり、家をたすけむ親子のいのちも、もろともにきえをあらそふ年月をへて、あやふく心ぼそきながら、なにとして、つれなくけふまでながらふらむ。
 をしからぬ身ひとつは、やすくおもひすつれども、子を思ふ心のやみは、なほしのびがたく、道をかへりみるうらみは、やらむかたなくて、さてもなほ、あづまのかめのかゞみにうつせば、くもらぬ影もやあらはるゝと、せめておもひあまりて、よろづのはゞかりをわすれ、身をえうなきものになしはてて、ゆくりもなく、いさよふ月にさそはれいでなむとぞ思ひなりぬる。

 さりとて、文屋の康秀がさそふにもあらず、すむべき國もとむるにもあらず。
 頃はみふゆたつはじめの空なれば、ふりみふらずみ、時雨もたえず、あらしにきほふ木の葉さへ、涙とともにみだれちりつゝ、ことにふれて心細くかなしけれど、人やりならぬみちなれば、いきうしとて、とどまるべきにもあらで、なにとなく、いそぎたちぬ。

 めかれせざりつる程だに、あれまさりつる庭もまがきも、ましてと見まはされて、したはしげなる人々の袖のしづくも、なぐさめかねたる中にも、侍從・大夫などの、あながちに、うち屈じたるさま、いと心苦しければ、さまざまいひこしらへ、ねやのうちを見やれば、昔のまくらの、さながらかはらぬを見るも、いまさらかなしくて、かたはらにかきつく。

 とゞめおく ふるき枕の ちりをだに 我がたちさらば たれかはらはむ

 代々にかきおかれける歌の草子どものおくがきなどして、あだならぬかぎりを、えりしたゝめて、侍從のかたへおくるとて、かきそへたる歌

 和歌の浦に かきとゞめたる もしほ草 これを昔の かたみとはみよ

 あなかしこ よこ浪かくな 濱千鳥 ひとかたならぬ あとをおもはゞ

 これをみて、侍從の返事いととくあり。

 つひによも あだにはならじ もしほ草 かたみを三代の 跡にのこさば

 まよはまし をしへざりせば 濱千鳥 ひとかたならぬ 跡をそれとも

 この返事いとおとなしければ、心やすくあはれなるにも、むかしの人にきかせたてまつりたくて、又うちしほたれぬ。

 大夫の、かたはらさらずなれきつるを、ふりすてられなむ名殘、あながちに思ひしりて、手ならひしたるを見れば、

 はるばると 行くさきとほく したはれて いかにそなたの 空をながめむ

とかきつけたる、物よりことにあはれにて、おなじかみにかきそへつ。

 つくづくと 空なながめそ 戀しくば みちとほくとも はやかへりこむ

とぞなぐさむる。

 山より侍從のあにの、をりしも、いでたちみむとておはしたり。
 それも、いともの心ぼそしと思ひたるを、この手ならひどもを見て又かきそへたり。

 あだにたゞ 涙はかけじ 旅ごろも こゝろの行きて たちかへるほど

とは、こといみしながら、なみだのこぼるゝを、あらゝかにものいひまぎらはすも、さまざま哀なるを、阿闍梨の君は山ぶしにて、この人々よりは兄なる、このたびのみちのしるべにおくらむとて出でたるめるを、この手ならひにまじはらざらむやはとて、かきつく。

 たちそふぞ うれしかりける 旅衣 かたみにたのむ おやのまもりは

 女子はあまたもなし。
 たゞひとりにて、このちかきほどの女院にさぶらひ給ふ。
 院の姫宮一所むまれたまへりしばかりにて、心づかひもまことしきさまに、おとなおとなしくおはすれば、宮の御方の御戀しさもかねて申しおくついでに、侍從・大夫などのこと、はぐくみおほすべきよしも、こまかにかきつゞけて、おくに、

 君をこそ 朝日とたのめ 故郷に のこるなでしこ 霜にからすな

ときこえたれば、御かへりもこまやかに、いとあはれにかきて、歌の返しには、

 思ひおく 心とゞめば ふるさとの 霜にもかれじ やまとなでしこ

とぞある。

 いつゝの子どものうた、のこるなくかきつゞけぬるも、かつは、いとおこがましけれど、おやのこゝろには、あはれにおぼゆるまゝに、かきあつめたり。

 さのみ心よわくてもいかゞとて、つれなくふりすてつ。
 粟田口といふ所よりぞ車はかへしつる。
 ほどなく逢坂の關こゆる程も、

 さだめなき 命は知らぬ 旅なれど 又あふさかと たのめてぞゆく

 野路といふところ、こしかた行くさき人も見えず、日はくれかゝりていとものがなしと思ふに、時雨さへ打ちそゝぐ。

 うちしぐれ 故郷おもふ 袖ぬれて 行くさきとほき 野路のしの原

 今夜は鏡といふ所につくべしとさだめつれど、暮れはてて、え行きつかず。
 守山といふ所にとゞまりぬ。
 こゝにも時雨なほしたひきにけり。

 いとゞ我 袖ぬらせと ややどりけむ まなく時雨の もる山にしも

 けふは十六日の夜なりけり。
 いとくるしくて、うちふしぬ。
 いまだ月の光かすかにのこりたる明けぼのに、守山をいでて行く。
 野洲川わたるほど、さき立ちてゆく人のこまのあしおとばかりさやかにて霧いとふかし。

 旅人は みなもろともに 朝たちて こまうちわたす やすの川霧

 十七日の夜は小野の宿といふ所にとゞまる。
 月いでて、山のみねに立ちつゞきたる松の木の間、けぢめ見えて、いとおもしろし。
 こゝも夜ふかき霧のまよひにたどりいでつ。

 醒が井といふ水、夏ならばうちすぎましやと見るに、かち人は、なほたちよりてくむめり。

 むすぶ手に にごる心を すゝぎなば うき世の夢や さめが井の水

とぞおぼゆる。

 十八日、美濃の國、關の藤川わたるほどに、まづおもひつゞけらる。

 わが子ども 君につかへん ためならで わたらましやは 關のふぢかは

 不破の關屋のいたびさしは、いまもかはらざりけり。

 ひまおほき 不破の關屋は このほどの しぐれも月も いかにもるらん

 關よりかきくらしつる雨、時雨にすぎてふりくらせば、みちもいとあしくて、心よりほかに笠縫のむまやといふ所にとゞまる。

 たび人は みのうちはらひ 夕ぐれの 雨にやどかる かさぬひのさと

 十九日、又こゝをいでて行く。
 よもすがらふりつる雨に、平野とかやといふほど、みちいとわろくて、人かよふべくもあらねば、水田の面をぞさながらわたり行く。
 あくるまゝに雨はふらずなりぬ。
 ひるつかた過ぎ行くみちに目にたつやしろあり。
 人にとへば、むすぶの神とぞ聞ゆるといへば、

 まもれたゞ 契りむすぶの 神ならば とけぬうらみに われまよはさで

 洲俣とかやいふ河には舟をならべて、正木のつなにやあらむ、かけとゞめたる浮橋あり。
 いとあやふけれどわたる。
 この河、つゝみの方はいとふかくて、かたがたはあさければ、

 かたふちの ふかき心は ありながら 人めつゝみの さぞせかるらむ

 かりの世の 行き來とみるも はかなしや 身のうき舟を うき橋にして

とも思ひつゞけける。

 又一の宮といふやしろをすぐとて、

 一のみや名さへなつかしふたつなく 三つなき法をまもるなるべし

 二十日、尾張の國、下戸のむまやを出でて行く。
 よぎぬみちなれば熱田の宮へまゐりて、すゞりとりいでて、かきつけたてまつる歌いつゝ

 いのるぞよ 我がおもふ事 なるみがた かたひくしほも 神のまにまに

 なるみがた 和歌のうらかぜ へだてずば おなじ心に 神もうくらむ

 みつしほの さしてぞきつる なるみがた 神やあはれと みるめたづねて

 雨かぜも 神の心に まかすらむ わが行くさきの さはりあらすな

 契りあれや むかしも夢に みしめなは こゝろにかけて めぐりあひぬる

 しほひのほどなれば、さはりなく、ひがたを行く。
 をりしも濱千鳥おほくさきだちて行くも、しるべがほなる心ちして、

 濱千鳥 なきてぞさそふ 世の中に 跡とめじとは 思はざりしを

 隅田川のわたりにこそありときゝしかど、みやこ鳥といふ鳥の、はしとあしとあかきは、この浦にもありけり。

 こととはむ はしとあしとは あかざりし わがこしかたの みやこ鳥かと

 二村山をこえて行く。
 山も野もいと遠くて、日もくれはてぬ。

 はるばると 二村山を 行きすぎて なほすゑたどる 野べの夕やみ

 八橋にとゞまらむと人々いふ。
 くらさに橋も見えずなりぬ。

 さゝがにの くもであやふき 八橋を ゆふぐれかけて わたりかねつる

 二十一日、八橋をいでて行く。
 日いとよくはれたり。
 山もと遠き原野をわけ行く。
 ひるつかたになりて、もみぢいとおほき山にむかひて行く。
 風につれなきくれなゐ、ところどころ、くちばにそめかへてける常盤木どももたちまじりて、あをぢのにしきを見る心ちして人にとへば、宮路の山とぞいふ。

 しぐれけり そむるちしほの はては又 もみぢのにしき 色かへるまで

 この山までは、むかし見しこゝちする、ころさへかはらねば、

 まちけりな むかしもこえし みやぢ山 おなじしぐれの めぐりあふ世を

 山の裾野に竹ある所に、萱屋たゞひとつ見ゆる、いかにして、なにのたよりに、かくて住むらんと見ゆ。

 ぬしやたれ 山のすそ野に 宿しめて あたりさびしき 竹のひとむら

 日は入りはてて、なほもののあやめわかるゝほど、渡津とかやいふ所にとゞまりぬ。

 二十二日の曉、夜ふかきありあけのかげに出でて行く。
 いつよりも、ものいとかなし。

 すみわびて 月のみやこは いでしかど うき身はなれぬ ありあけのかげ

とぞおもひつゞくる。
 ともなる人、ありあけの月さへかさきたりといふをきゝて、

 旅人の おなじみちにや いでつらん かさうちきたる ありあけの月

 高師の山もこえつ。
 海見ゆるほどいとおもしろし。
 浦風あれて、松のひゞきすごく、浪いとあらし。

 わがためや 風もたかしの はまならむ 袖のみなとの 浪はやすまで

 いとしろきすさきに、くろき鳥のむれゐたるは、鵜といふとりなりけり。

 白はまに すみの色なる しまつとり ふでもおよはゞ 繪にかきてまし

 濱名の橋より見わたせば、かもめといふ鳥、いとおほくとびちがひて、水のそこへもいる、岩のうへにも居たり。

 かもめゐる すさきのいはも よそならず なみのかずこそ 袖に見なれて

 今夜は引馬の宿といふ所にとゞまる。
 この所の大かたの名は濱松とぞいひし。
 したしといひしばかりの人々なども住む所なり。
 住みこし人のおもかげも、さまざま思ひ出でられて、又めぐりあひて見つるいのちのほども、かへすがへすあはれなり。

 濱松の かはらぬかげを たづねきて 見し人なみに むかしをぞとふ

 その世に見し人の子、まごなど、よびいでてあひしらふ。

 二十三日、てんちうのわたりといふ、舟にのるに、西行がむかしも思ひ出でられて心ぼそし。
 くみあはせたる舟たゞひとつにて、おほくの人の往き來に、さしかへるひまもなし。

 水の泡の うき世をわたる ほどを見よ はやせの瀬々に さをもやすめず

 今夜は遠江、見附の國府といふ所にとゞまる。
 里あれてものおそろし。
 かたはらに水の江あり。

 たれかきて 見つけの郷と きくからに いとゞたびねぞ そらおそろしき

 二十四日、ひるになりて、小夜の中山こゆ。
 ことのまゝといふやしろのほど、もみぢいとおもしろし。
 山かげにて、あらしもおよばぬなめり。
 ふかく入るまゝに、をちこちのみねつゞき、こと山に似ず、心ぼそくあはれなり。
 ふもとのさと、菊川といふ所にとゞまる。

 こえくらす ふもとのさとの ゆふやみに 松風おくる さよのなかやま

 あかつき、おきて見れば月もいでにけり。

 雲かゝる さやの中山 こえぬとは みやこにつげよ 有明の月

 河おといとすごし。

 わたらむと おもひやかけし あづまぢに ありとばかりは きく河の水

 二十五日、菊川をいでて、けふは大井河といふ川をわたる。
 水いとあせて、きゝしにはたがひて、わづらひなし。
 河原幾里とかや、いとはるかなり。
 水のいでたらむおもかげ、おしはからる。

 おもひいづる みやこのことは おほ井河 いくせの石の かずもおよばじ

 宇津の山こゆるほどにしも、阿闍梨の見しりたる山伏行きあひたり。
 夢にも人をなど、むかしをわざとまねびたらむ心ちして、いとめづらかに、をかしくも、あはれにも、やさしくもおぼゆ。
 いそぐ道なりといへば、ふみもあまたはえかゝず。
 たゞやむごとなき所ひとつにぞおとづれきこゆる。

 我が心 うつゝともなし 宇津の山 夢路もとほき みやここふとて

 つたかへで しぐれぬひまも うつの山 なみだに袖の 色ぞこがるゝ

 今夜は手越といふ所にとゞまる。
 なにがしの僧正とかやののぼりとて、いと人しげし。
 やどりかねたりつれど、さすがに人のなき宿もありけり。

 二十六日、藁科河とかやわたりて、興津のはまにうちいづ。
 なくなくいでしあとの月影など、まづ思ひいでらる。
 ひるたち入りたる所に、あやしきつげのをまくらあり、いとくるしければうちふしたるに、すゞりも見ゆれば、枕の障子に、ふしながらかきつけつ。

 なほざりに 見る夢ばかり かり枕 むすびおきつと 人にかたるな

 くれかゝるほど清見が關をすぐ。
 岩こす浪のしろききぬをうちきするやうに見ゆるもをかし。

 清見がた 年ふる岩に こととはん なみのぬれぎぬ いくかさねきつ

 ほどなく暮れて、そのわたりの海ちかき里にとゞまりぬ。
 浦人のしわざにや、となりよりくゆりかゝる煙のいとむつかしきにほひなれば、夜の宿なまぐさしといひける人のことばもおもひ出でらる。
 夜もすがら風いとあれて、なみたゞ枕にたちさわぐ。

 ならはずよ よそにきゝこし きよみがた 荒磯波の かゝるねざめは

 富士の山を見ればけぶりたゝず。
 むかし、ちゝの朝臣にさそはれて、いかになるみの浦なればなどよみし頃、とほつあふみの國までは見しかば、富士の煙のすゑも、あさゆふ、たしかに見えしものを、いつのとしよりか、たえしととへば、さだかにこたふる人だになし。

 たがかたに なびきはててか ふじのねの 煙の末の 見えずなるらむ

 古今の序の言葉とておもひ出でられて、

 いつの世の ふもとのちりか ふじのねの 雪さへたかき 山となしけむ

 朽ちはてし ながらの橋を つくらばや ふじの煙も たゝずなりなば

 こよひは波のうへといふ所にやどりて、あれたるおとさらにめもあはず。

 二十七日、あけはなれてのち富士河わたる。
 あさかはいとさむし。
 かぞふれば十五瀬をぞわたりぬる。

 さえわびぬ 雪よりおろす 富士河の かは風こほる 冬の衣手

 けふは、日いとうらゝかにて田子の浦にうちいづ。
 あまどものいさりするを見ても、

 こゝろから おりたつたごの あま衣 ほさぬうらみも 人にかこつな

とぞいはまほしき。

 伊豆の國府といふ所にとゞまる。
 いまだ夕日のこるほど、三島の明神へまゐるとて、よみてたてまつる。

 あはれとや 三島の神の 宮柱 たゝこゝにしも 巡りきにけり

 おのづから つたへしあとも あるものを
 神はしるらむ しきしまの みちたづねきて
 わがこえかゝる はこねぢに やまのかひある しるべをぞとふ

 二十八日、伊豆の國府をいでて箱根路にかゝる。
 いまだ夜ふかかりければ、

 玉くしげ 箱根の山を いそげども なほあけがたき よこぐものそら

 足柄の山は、みちとほしとて箱根路にかゝるなりけり。

 ゆかしさよ そなたの雲を そばだてて よそになしつる あしがらの山

 いとさかしき山をくだる。
 人のあしも、とゞまりがたし。
 湯坂とぞいふなる。
 からうじてこえはてたれば、ふもとに、早河といふ河あり。
 まことにいとはやし。
 木のおほくながるゝを、いかにと問へば、あまのもしほ木を浦へ出さむとてながすなりといふ。

 東路の ゆさかをこえて 見わたせば 鹽木ながるゝ 早川のみづ

 湯坂より浦にいでて、日くれかゝるに、なほとまるべき所とほし。
 伊豆の大島まで見わたさるゝ海づらを、いづことかいふと問へば、しりたる人もなし。
 あまの家のみぞある。

 あまのすむ その里の名も しらなみの よするなぎさに 宿やからまし

 鞠子河といふ河を、いとくらくてたどりわたる。
 こよひは酒勾といふ所にとゞまる。
 あすは鎌倉へ入るべしといふなり。

 二十九日、酒勾をいでて、はまぢを、はるばると行く。
 明けはなるゝ海の上を、いとほそき月出でたり。

 浦路ゆく 心ぼそさを なみまより いでてしらする 有明の月

 なぎさによせかへる波のうへに、霧たちて、あまた見えつるつり舟も見えずなりぬ。

 あま小舟 こぎゆくかたを 見せじとや なみにたちそふ うらの朝霧

 みやこの遠くへだたりはてぬるも、なほ夢のこゝちして、

 たちわかれ よもうきなみは かけもせじ むかしの人の おなじ世ならば

【附記】 原本コヽマデヲ第三十枚ノ表四行ニテ終り、其ノ紙ヲ裏白トシ、第三十一枚ノ表中央ニ安嘉門院四條法名阿佛作ト記シテ裏白、第三十二枚ノ表ニ中院大納言 置文和歌日吉百ヶ日參籠之時日歌之内也

 いとはるゝ なかきいのちの つれなくて 猶なからへは 子はいかにせむ

 ふるさとに 千世もとまては おもはすと とみのいのちを とふ人もかな

ト記シテ裏白、第三十三枚ノ表ヨリ、次の東日記ヲ記ス。

二 東日記

 あづまにてすむ所は、月影のやつとぞいふなる。
 浦ちかき山もとにて風いとあらし。
 山寺のかたはらなれば、のどかに、すごくて、浪のおと、松の風たえず。

 みやこのおとづれは、いつしかおぼつかなきほどにしも、宇津の山にて行きあひたりし山伏のたよりにことづて申したりし人の御もとより、たしかなる便につけて、ありし御返事とおぼしくて、

 たびごろも なみだをそへて うつの山 しぐれぬひまも さぞしぐれけむ

 又

 ゆくりなく あくがれいでし いざよひの 月やおくれぬ かたみなるべき

 みやこをいでし事は、神無月十六日なりしかば、いさよふ月を、おぼしわすれざりけるにや、いとやさしく、あはれにて、たゞこの御返事ばかりをぞ又きこゆる。

 めぐりあふ すゑをぞたのむ ゆくりなく 空にうかれし いさよひの月

 前の右兵衞の督爲教君のむすめ、歌よむ人にて、たびたび勅撰にも入り給へりし大宮の院の中納言ときこゆる人、歌の事ゆゑ、あさゆふ申しなれしかばにや、道の程のおぼつかなさなど、おとづれ給へる文に、

 はるばると おもひこそやれ 旅ごろも なみだしぐるゝ 袖やいかにと

 返し

 おもへたゞ 露もしぐれも ひとつにて 山ぢわけこし 袖のしづくを

 この御せうと、中將爲兼の君も、おなじさまに、おぼつかなさなど書きて、

 ふるさとは しぐれにたちし 旅衣 雪にやいとゞ さえまさるらん

 返し

 たびごろも 浦風さえて 神無月 しぐるゝ雲に 雪ぞふりそふ

 式乾門院のみくしげどのときこゆるは、久我の太政大臣の御むすめ、これも續後撰より、うちつゞき、二たび三たびの集にも、家々のうちぎきにも歌あまた入り給へる人なれば、御名もかくれなくこそは。
 いまは安嘉門院に、御方とてさぶらひ給ふ。
 あづまぢ思ひたちし、あすとて、まかり申しのよしに、北白河殿へまゐりたりしかど、みくしげどのは見えさせ給はざりしかば、今夜ばかりのいでたち、物さわがしくて、かくとだにきこえあへず、いそぎ出でにしも、心にかゝり給ひて、たよりにおとづれきこゆ。
 草の枕ながら年さへくれぬる心ぼそさ、雪のひまなさなど、かきあつめて、

 きえかへり ながむる空も かきくれて ほどは雲井ぞ 雪のなりゆく

などきこえたりしを、たちかへり、その御返事あり。

 たよりあらばと、心にかけまゐらせさぶらひつるを、けふしはすの二十二日、御文まちえて、めづらしく、うれしさ、まづなにごとも、こまかに申したく候ふに、こよひの御方たがへの行幸、この御所へとて、世の中まぎるゝほどにて、思ふばかりもいかゞと本意なくこそ。
 御旅あすとて、御參り候ひける日しも、峯殿の紅葉見にとて、わかき人々さそひ候ひしほどに、のちにこそ、かゝる御事どもきこえ候ひしか。
 などや、かくとも御たづね候はざりし。

 ひとかたに 袖やぬれまし たび衣 たつ日をきかぬ うらみなりせば

 さてもそれより、雪になりゆくと候ひし御返事は、

 かきくらし 雪ふる空の ながめにも ほどは雲井に あはれをぞしる

とあれば、このたびは又、たつ日をきかぬとある御返事ばかりをぞきこゆる。

 心から なにうらむらん たびごろも たつ日をだにも しらずがほにて

 曉たよりありときゝて、夜もすがらおきゐて、みやこのふみどもかくなかに、ことにへだてなく、あはれにたのみかはしたる姉君に、をさなき人々の事など、さまざま書きやるほど、例の浪風はげしく聞ゆれば、たゞいまあるまゝの事をぞかきつけつる。

 夜もすがら なみだもふみも かきあへず いそこす風に ひとりおきゐて

 又おなじさまにて、ふるさとに戀ひ忍ぶおとうとの尼上にも、ふみたてまつるとて、磯菜どものはしはしを、いさゝかつゝみて、

 いたづらに めかりしほやく すさみにも 戀ひしやなれし さとのあま人

 ほどへて、このおとゞひ二人の返事あり。
 いとあはれにて、いそぎ見れば姉君、

 玉づさを 見るもなみだの かゝるかな いそこす風は きくこゝちして

 この姉君は中の院の中將といひし人のうへなり。
 今は三位入道とか、おなじ世ながら遠ざかりはてゝ行ひ居たる人なり。
 そのおとうとの君も、めかりしほやくとありし返事、さまざま書きつゞけて、人こふるなみだのうみは、みやこにも枕の下にたゝへてこそなど書きて、

 もろともに めかりしほやく 浦ならば なかなか袖に なみはかけじを

 この人も安嘉門院にさぶらひし人なり。
 つゝましくする事どもを、思ひかねてひきつらねたるも、いとあはれにをかし。

 ほどなく年くれて春にもなりにけり。
 かすみこめたるながめのすゑいとゞしく、谷の戸はとなりなれど、鶯のはつねだにおとづれこず。
 思ひなれにし春の空はしのびがたく、むかし戀しきほどにしも、又みやこのたよりありとつげたる人あれば、例の所々へふみかく中に、いさよふ月とおとづれ給へりし人の御もとへ、

 おぼろなる 月はみやこの 空ながら まだきかざりし なみのよるよる

など、そこはかとなき事どもをきこえたりしを、たしかなる所よりつたはりて、御返事も、いたうほどへず、まち見たてまつる。

 ねられじな みやこの月を 身にそへて なれぬ枕の なみのよるよる

 權中納言の君は、まぎるゝ方なく歌をのみよみ給ふ人なれば、このほど手ならひにしおきたる歌どもも書きあつめてたてまつる。
 海いとちかき所なれば、かひなどひろふをりをりも、名草の濱ならねばかひなき心ちしてなどかきて、

 いかにして しばし都を わすれがひ なみのひまなく われぞくだくる

 しらざりし 浦山風も 梅がかは みやこににたる 春のあけぼの

 はれくもり ながめぞわぶる 浦風に かすみたゞよふ 春の夜の月

 あつまぢの いそ山松の たえまより 浪さへ花の 面影に たつみやこ人
 おもひもいでば あづまぢの はなやいかにと おとづれてまし

などや、たゞふでにまかせて、うち思ふまゝに、いそぎたるつかひとて、かきさすやうなりしを、又ほどもへず返事し給へり。
 ひごろのおぼつかなさも、この御ふみに、かすみはれぬる心ちしてなどあり。

 頼むぞよ しほひに拾う うつせがひ かひあるなみの たちかへるよを

 くらべみよ かすみのうちの 春の月 はれぬ心は おなじながめを

 しらなみの 色もひとつに 散る花を おもひやるさへ おもかげに
 たつあづまぢの 櫻を見ても 思ひいでば みやこの花を 人やとはまし

 やよひのすゑつかた、わかわかしきわらはやみにや、日まぜにおこる事二たびになりぬ。
 あやしうしほれはてたる心ちしながら、三たびになるべき日の曉よりおきて、佛の御前にて、心をひとつにて、法華經八卷をよみつ。
 そのしるしにや、なごりもなくおちたり。
 をりしもみやこのたよりあれば、かゝる事こそなど、ふるさとへもつげやるついでに、例の權中納言の御もとへ、「旅の空にてたまきはるまでやとあやふきほどの心ぼそさも、さすがになほたもつ御法のしるしにや、今日まではかけとどめてこそ」などかきて、

 いたづらに あまのしほやく けぶりとも たれかはみまし 風にきえなば

ときこえたりしを、おどろきて、返事とくたまへり。

 きえもせじ 和歌の浦路に 年をへて 光をそふる あまのもしほ火

 御經のしるしこそいとたふとくとて、

 たのもしな 身にそふともと なりにけり たへなる法の 花のちぎりは

 卯月のはじめつかた、たよりあれば、又おなじ人の御もとへ、こぞの春夏の戀しさなど書きつゞけて、

 見しにこそ かはらざるらめ 暮れはてし 春より夏に うつるこずゑも

 夏ごろも はやたちかへて 都人 いまやまつらむ 山ほととぎす

 その返し又あり、

 うちすてられたてまつりにしのちは

 草も木も こぞ見しまゝに かはらねど ありしにも似ぬ 心ちのみして

 さてもほとゝぎすの御たづねこそ

 人よりも 心つくして ほとゝぎす たゞふたこゑを けふぞきゝつる

 實方の中將の、五月まで、ほとゝぎす聞かで、みちのくにより、みやこにはきゝふりぬらむほとゝぎすせきのこなたの身こそつらけれ、とかや申されたる事の候ふな。
 そのためしも思ひいでられ、この御ふみこそ、ことにやさしく
など書きおこせ給へり。

 さるほどに卯月のすゑになりにければ、ほとゝぎすのはつね、ほのかにも思ひたえたり。
 人づてにきけば、比企のやつといふ所には、あまたこゑなきけるを人きゝたりなどいふをきゝて、

 しのびねは ひきのやつなる 郭公 雲井にたかく いつかなのらむ

など、ひとりごちつれど、そのかひなし。
 もとより、あづまぢは、みちのおくまで、昔より郭公まれなるならひにやありけむ、一すぢに又なかずばよし、まれにも聞く人ありけるこそ、人わきしけるよと思ふも、なかなかいと心づくしにうらめしけれ。

 又、和徳門院の新中納言の君ときこゆるは、京極の中納言定家のむすめ、深草の前の齋宮ときこえしに、父の中納言のまゐらせおき給へりけるまゝにて年へ給ひにける。
 この女院は齋宮の御子にしたてまつり給へりしかば、つたはりてさぶらひ給ふなりけり。
 うきみこがるゝもかり舟などよみ給へりし民部卿典侍のおとうとにぞおはする。
 さる人の子とて、あやしき歌よみて人にはきかれじと、あながちにつゝみ給ひしかど、はるかなる旅の空のおぼつかなさに、あはれなる事どもを書きつゞけて、

 いかばかり 子をおもふ鶴の とびわかれ ならはぬたびの 空になくらむ

と、ふみことばにつゞけて、歌のやうにもあらず書きなし給へるも、人よりはなほざりならぬやうにおぼゆ。
 御返事は、

 それゆゑに とび別れても あしたづの 子をおもふかたは なほぞ恋しき

ときこゆ。
 そのついでに、故入道大納言の、草の枕にも常にたちそひて夢に見え給ふよしなど、この人ばかりや、あはれともおぼさむとて、かきつけて、たてまつるとて、

 みやこまで かたるもとほし 思ひねに しのぶむかしの 夢のなごりを

 はかなしや 旅ねの夢に かよひきて さむれば見えぬ 人のおもかげ

など書きてたてまつりたりしを、またあながちにたよりたづねて返事し給へり。
 さしもしのび給ふ事もをりからなりけり。

 あづまぢの 草の枕は とほけれど かたればちかき いにしへの
 夢いづこより 旅寢のとこに かよふらむ おもひおきける 露をたづねて

などのたまへり。

 夏の程は、あやしきまで、おとづれたえて、おぼつかなさも一かたならず、みやこの方は、志賀の浦浪たちこえて、山・三井寺のさわぎなどきこゆるにも、いとゞおぼつかなし。
 からうじて、八月二日ぞたしかなるつかひまちえて、日ごろとりおきける人々の御ふみども、とりあつめて見つる。

 侍從爲相の君のもとより、五十首の歌、當座によみたりけるとて、きよがきもしあへず、便宜すこしとてくだされたり。
 歌もいとゞおとなしくなりにけり。
 五十首に二十八首點あひつるも、あやしく、心のやみのひがめにこそはあらめ、そのなかに、

 心のみ へだてずとても 旅ごろも 山路かさなる をちのしら雲

とある歌をみるに、この旅の空を思ひおこせて詠まれたるにこそはと、心をやりてあはれなれば、そのうたのかたはらに、もじちひさくて、返しをぞ書きそへてやる。

 戀ひしのぶ こゝろやたぐふ あさゆふに ゆきてはかへる をちのしら雲

 又おなじ旅の題にて、侍從のうたに、

 かりそめの 草のまくらの 夜な夜なを おもひやるにぞ 袖も露けき

とある所にも、また返事を書きそへたり。

 秋ふかき 草の枕に われぞなく ふりすててこし すゞむしのねを

 又この五十首のおくに、ことばをかきそふ。
 おほかたの歌ざまなどを、ほめも、又よむべきやうなど、しるしつけておくに、昔の人のことを、

 これを見ば いかばかりとか 思い出づる 人にかはりて ねこそなかるれ

と書きつく。

 侍從の弟、爲守の君のもとよりも三十首の歌をおくりて、これに點あひて、わろからむこと、こまかにしるしたべと、いはれたり。
 年もことしは十六ぞかし。
 歌の、くちなれ、やさしくおぼゆるも、かへすがへす心のやみと、かたはらいたし。
 これも旅のうたには、こなたを思ひて詠みけりと見ゆ。
 くだりしほどの日なみの日記を、この人々のもとへつかはしたりしを見て詠まれたりけるなめり。

 たちわかれ ふじのけぶりを 見てもげに 心ぼそさの いかにそひけむ

 又これにもかへしをかきつく、

 かりそめに たち別れても 子をおもふ おもひはふじの 煙とぞ見し

 又權中納言の君、いとこまやかにふみかきて、

 くだり給ひにしのちは歌よむ友なくて、秋になりては、いとゞ思ひいできこゆるまゝに、ひとり月をのみながめあかして、
など書きて、

 あづまぢの 空なづかしき かたみだに しのぶなみだに くもる月かげ

 この御返、これよりも、ふるさとの戀しさなど書きて、

 かよふらし みやこの外の 月みても そらなつかしき おなじながめは

 都の歌ども、この後おほくつもりたり。
 又かきつくべし。

【附記】原本第五十三枚ノ表四行マデニテ此ノ鎌倉滞在中ノ記ヲ終リ其ノ紙ノ裏ニ安嘉門院四條法名阿佛作東日記ト記シ第五十四枚ノ表ヨリ「阿佛假名諷誦」ヲ記セリ。

三 長歌

 しき島や
 やまとの國は あめつちの ひらけ初めし むかしより
 岩戸をあけて おもしろき かぐらのことば うたひてし
 さればかしこき ためしとて ひじりの御世の みちしるく
 人のこゝろを たねとして よろづのわざを ことのはに
 おにがみまでも あはれとて 八島の外の よつのうみ
 波もしづかに をさまりて 空ふく風も やはらかに
 枝もならさず ふるあめも 時さだまれば きみぎみの
 みことのまゝに したがひて わかの浦路の もしほぐさ
 かきあつめたる あとおほく それが中にも 名をとめて
 三代までつぎし 人の子の 親のとりわき ゆづりてし
 そのまことさへ ありながら おもへばいやし しなのなる
 そのはゝき木の そのはらに たねをまきたる とがとてや
 世にもつかへよ いける世の 身をたすけよと ちぎりおく
 須磨と明石の つゞきなる 細川山の 山がはの
 わづかにいのち かけひとて つたひし水の みなかみも
 せきとめられて いまはたゞ くがにあがれる いをのごと
 かぢをたえたる ふねのごと よるかたもなく わびはつる
 子を思ふとて よるのつる なくなくみやこ いでしかど
 身はかずならず かまくらの 世のまつりごと しげければ
 きこえあげてし ことのはも 枝にこもりて 梅のはな
 四とせの春に なりにけり 行くへもしらぬ なかぞらの
 風にまかする ふるさとは 軒端もあれて さゝがにの
 いかさまにかは なりぬらん 世々の跡ある 玉づさも
 さて朽ちはてば あしはらの 道もすたれて いかならん
 これをおもへば わたくしの なげきのみかは 世のためも
 つらきためしと なりぬべし 行くさきかけて さまざまに
 かきのこされし 筆のあと かへすがへすも いつはりと
 おもはましかば ことわりを たゞすの森の ゆふしでに
 やよやいさゝか かけてとへ みだりがはしき すゑの世に
 麻はあとなく なりぬとか いさめおきしを わすれずば
 ゆがめることを またたれか ひき直すべき とばかりに
 身をかへりみず たのむぞよ そのよを聞けば さてもさは
 のこるよもぎと かこちてし 人のなさけも かゝりけり
 おなじ播磨の さかひとて 一つながれを くみしかば
 野中の清水 よどむとも もとのこゝろに まかせつゝ
 とゞこほりなき みづくきの あとさへあらば いとゞしく
 鶴が岡べの 朝日かげ 八千代のひかり さしそへて
 あきらけき世の なほもさかえむ

 ながかれと 朝夕いのる 君が代を やまとことばに けふぞのべつる

十六夜日記 終

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