樹木とその葉 空想と願望 若山牧水

 噴火口のあとともいふべき、山の頂きの、
 さまで大きからぬ湖。
 あたり圍む鬱蒼たる森。
 森と湖との間ほぼ一町あまり、
 ゆるやかなる傾斜となり、青篠密生す。
 青篠の盡くるところ、幅三四間、
 白くこまかき砂地となり、渚に及ぶ。
 その砂地に一人寢の天幕を立てて暫く暮し度い。
 

 ペンとノートと、愛好する書籍。
 堅牢なる釣洋燈、精良な飮料、食料。
 (しゃく)()()咲き、郭公、啼く。
 
 誰一人知人に會はないでふところの心配なしに、
 東京中の街から街を歩き、うまいといふものを飮み、
 且つ食つて廻り度い。
 
 遠く望む噴火山のいただきのかすかな煙のやうに、
 腹這つて覗く噴火口の底のうなりの樣に、
 そして、千年も萬年も呼吸を續ける歌が詠み度い。
 
 遠く、遠く突き出た岬のはな、
 右も、左も、まん前もすべて浪、浪、
 僅かに自分のしりへに陸が續く。
 そんなところに、いつまでも、立つてゐたい。
 
 いつでも立ち上つて手を洗へるやう、
 手近なところに清水を引いた、書齋が造り度い。
 
 咲き、散り、咲き、散るとりどりの花のすがたを、
 まばたきもせずに見てゐたい。
 萌えては枯れ、枯れては落つる、
 落葉樹の葉のすがたをも、また。
 
 山と山とが相迫り、
 迫り迫つて其處にかすかな水が生れる。
 岩には苔、苔には花、花から花の下を、傳ひ、滴り、
 やがては相寄つて岩のはなから落つる
 一すぢの絲のやうなまつしろな瀧を、
 ひねもす見て暮し度い。
 
 いつでも、ほほゑみを、眼に、こころに、
 やどしてゐたい。
 
 自分のうしろ姿が、
 いつでも見えてるやうに生き度い。
 
 窓といふ窓をあけ放つても、
 蚊や蟲の入つて來ない、夏はないかなア。
 
 日本國中の港といふ港に、泊まつて歩き度い。
 
 死火山、活火山、火山から火山の、
 裾野から、裾野を天幕をかついで、寢て歩きたい。
 
 日本國中にある樹のすがたと、その名を、知りたい。
 
 おもふ時に、おもふものが、飮みたい。
 
 欲しい時に、燐寸よ、あつて呉れ。
 
 煙草の味が、いつでもうまくて呉れ。
 
 或る時に可愛いいやうに、妻と子が、可愛いいといい。
 
 おもふ時に降りおもふ時に晴れて呉れ。
 
 眼が覺めたら枕もとに、
 かならず新聞が來てるといい。
 
 庭の畑の野菜に、どうか、蟲よ、附かんで呉れ。
 
 麥酒がいつも、冷えてると、いい。
 
 
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