秋草と虫の音 若山牧水
女郎花 咲きみだれたる 野辺のはしに ひとむら白き をとこへしの花

曼珠沙 華いろ深きかも 入江ゆく これの小舟の うへより見れば

ひしひしと 植ゑつめられし 蝦夷菊の 花ところどころ 咲きほころべり

蝦夷菊の 花畑のくろに かいかがみ 美しみ見れば みな揺れてをる

蝦夷菊の 花をいやしと言ふも いはぬも 眼のかぎりなる えぞ菊の花

このあたり 風のつめたき 山かげに 咲きてあざやけ きみぞ萩の花

みぞ萩の 花さく溝の 草むらに 寄せて迎火 たく子等のをり

つづらをり はるけき山路登るとて 路に見てゆく 竜胆の花

散れる葉の もみぢの色は まだ褪せず 埋めてぞをる 竜胆の花を

さびしさよ 落葉がくれに 咲きてをる 深山竜胆の 濃むらさきの花

摘みとりて 見ればいよいよ むらさきの 色の澄みたる りんだうの花

越ゆる人 まれにしあれば 石出でて 荒き山路の りんだうの花

笹原の 笹の葉かげに 咲き出でて 色あはつけき りんだうの花

わが妻が 好めるはなは 秋は竜胆 春は椿の 藪花椿

わが越ゆる 岡の路辺の すすきの穂 まだ若ければ 紅ふふみたり

動かじな 動けば心 散るものを 椅子よダリヤよ 動かずもあれ

灯を強み ダリヤがつくる あざやけき 陰に匂へる われの飲料

眼にも頬にも 酔あらはれぬ 夜なるかな 黒きダリヤの 蔭に飲みつつ

はなやかに 咲けども何か さびしきは 鶏頭の花の 性にかあるらむ

伸び足りて 真赤に咲ける 鶏頭に このごろ咲くは 西づける風

くれなゐの 色深みつつ 鶏頭の 花はかすかに 実をはらみたり

わがねむる 家のそちこち 音に澄みて こほろぎの鳴く 夜となりにけり

こほろぎの しとどに鳴ける 真夜中に 喰ふ梨の実の つゆは垂りつつ

使ひ終へて いまたてかけし まな板の 雫垂りつつ こほろぎの鳴く

やすらかに 足うちのばし わが聞くや 蚊帳に来て鳴く 馬追虫を

めづらしく 蚊帳に来ていま 鳴き出でし 馬追虫の 姿をぞおもふ

家人の ねむりは深し 蚊帳にゐて 鳴くうまおひよ こゑかぎり鳴けz

 
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