江戸川柳で読む日本裏外史 高野 冬彦
第一部 神代から古代ヘ
衣通姫そどほりひめ--美貌というのは常に双刃の剣である
暗闇へ衣通り姫は穴をあけ
允恭天皇の皇后、忍坂大中姫おしさかのおおなかつひめの妹、弟媛おとひめと言うのが本名だが、天成の麗質、日本書記によれば、
「其の麗色 衣より徹りて晃てる…」と言われた絶世の美女である。
ただ、考えてみると、衣を通して光る美女というのは、一体どういう状態をさして言うのであろうか?
まさか透明人間というのでは、美女も美男もあったものではないし、その辺の解釈の仕方について、川柳子の間でも、種々見解の相違を生じでいるようである。
頭書の句では、全身から赫奕たる光明を発して、それが暗闇を照らす、天然の発光体であったちいう解釈であるが、然らばその光度はどの程度であったのか?
十二枚召しても外へ透かすなり
というのは、何物を以ってしても、その光りを遮ることは出来ぬという解釈だし、
緋の袴召さぬと玉が透き徹り
というのが中位、中には、
和歌の神葛饅頭のように透き
などと、半透明の状態を想定しているのである。
ただ、いくら美しいといっても、衣を通して中身が見えてしまうとなると、時には不便なこともあるだろう。川柳子の合理主義は、その辺を好んで突ついているようである。
一と所衣通り姫も御ンこまり
夏はなほ衣通り姫の御うわさ
十二単衣でも透き通るなら、夏になったらどうしよう。
帷巾かたびらなら、縮なら、いっそ透綾すきやの着物を着せて見たいなどと、しきりに妄想を発展させたらしい。
無礼講衣通り姫の給仕なり
なんてのは、陽気で結構だが、
衣通りは生えたをいっそ苦労がり
ここまで下がるとビニ本級である。
透き通るほかに三十二相なり
とに角、非の打ち所の無い美人だけに、天皇の寵愛一方ならず、初めは姉の皇后に対する遠慮もあって、絶えず控えめにしていた姫の心も次第に開かれて行ったらしい。
我が背子が来べき宵なり ささがにの
くもの振舞 かねてしるしも
という彼女の述懐は、恋人の訪れを待つ乙女の心を詠んで、この種の歌の嚆矢であり、かつ絶品としてもてはやされたものである。川柳子も黙っていられない。
美しい目許で蜘蛛の巣に見とれ
ささ蟹の振舞膳を据えて待ち
くもの巣を払う間もなく御幸なり
なども、しきりにお二人の愛情の真実に迫ろうとするのだが、何しろ古い時代のこと、勝手が違って、中々具体的なイメージが浮かび難いのであろう。結局は自分達の身近な生活に引っ掛けた、見たてオチの句になっている。
わが背子が来べき宵なり質を置き
間男の来べき宵なりさけ肴
ついでに言うと、前出の句の中でも“和歌の神”などの表現があった通り、この衣通り姫は、後に紀州、和歌ノ浦の玉津島明神としてまつられる至り、その地名の故か、後には更に発展して、住吉明神、柿本人麻呂と共に、和歌の三神として崇拝されるようになったのだから、美人と言うのは、何時の時代でも得なものである。
三神は嬲なぶるとよみし御ン姿
和歌の守護神としては、柿本人麻呂、日本の文学を試しに来た白楽天を住之江の岸で追返したと伝えられる住吉明神が、あげられるのは当然としても、これに衣通り姫を取合わせたのは、一体誰の思い付きか、今となっては知りようもないが、いざ並べて見れば、絶世の美女とよぼよぼの爺が二人、
「いくら何でも、釣合いがとれねえぜ」と、江戸っ子の美意識が不満の声を上げる。
皺ものびそうな姿を中に置き
左右が提灯真ん中が透いて見え
ビードロの左右に薬缶と薬缶なり
ビードロと言うのは、硝子細工みたいに繊細で砕け易い美しさに対する江戸っ子の誉め言葉であるが、こういう享楽主義者達は、老人には容赦がない。
真ん中に若女わかめ左右に干大根
別に朝の味噌汁の身をよんでいる訳ではない。干大根とは言いも言ったりだが、実はもっとひどいのもある。
立たんこと難くは和歌の両翁おきな
古今集によれば、
「人麻は、赤人の上にたたんことかたく、赤人は、人麻の下に立たんことかたし・・・・」、とあるが、此処に至っては人麻呂も、何が何でも奮起せざるを得なくなったのではあるまいか。
松浦佐用姫―愛の誓いは堅いことにこしたことはない筈だが
松浦姫まつらひめ涙はみんな砂利になり
最愛の男性と別れる悲しみの余り、生きながら石になったと言う、所謂“望夫石”の伝説は、各地にあるらしいが、有名な点ではやはり、この佐用姫にとどめをさす。
出典は「肥前風土記」と言うから調べて見たが、ここでは単に、領布ひれを振った場所をす褶振ひれふりの嶺という、地名伝説があるばかり、女の名も“弟日姫子おとひめひこ”と変わっている。
今日のような形になったのは「曾我物語」などの時代を 経て、謡曲「佐用姫」にまとめられてから後のことらしい。
男の名は大友狭手彦さでひこ。これは実在の人物らしく、日本書紀の宣化天皇の条に、ちゃんと記録が残っている。
例の大伴の金村による、任那みまな四郡の百済への割譲によって、朝鮮半島の混乱が続き、近江の毛野けぬとか、物部麁鹿火もののべのあらかひなどの努力にも関らず、我が国の植民地的支配は漸く危機を迎えようとしていたのである。
この時、大伴一族の命運を任って、現地の反乱鎮圧のために派遣されたのが狭手彦で、一旦彼の地に渡れば、どのような困難が待ち受けているか、場合によっては、無事な生還を期し難い、重大な旅だった筈である。
肥前の地に、彼が足をとめたのは、出陣に伴う多くの準備も必要だったかもしれないが、その中で母国の思い出を確かなものにしようとして、美しい佐用姫と深い契りを結んだということも、当然あり得たのである。
一度、故国を離れゝば、大君の命みことかしこみ、♪海征ゆかば、水漬みずく屍かばね、山征かば、草むす屍…今時の若者には到底理解出来ないことであろうが、戦時中の出征の味を知る者には、
「あの痛烈な悲しみの中では、女が石になる気持ちもわかる」と、懐旧の念と共に、同情の涙を絞る人も居るかも知れない。但し江戸っ子と言うのは、全て戦争を知らない遊閑人士、「いくら何でも、石にならなくたって―。」と傍観者の冷淡さで、ついからかってみたくなるらしい。
舟は出る、姫は足から固くなる
手で招くうちに足から石になり
彦さまァわが夫つまのうと石になり
など、つき放したリアリズムの手法で観察しているものもあれば、やヽ観念的に
佐用姫は孕まずに身が重くなり
堅い名を末世に残す望夫石
素直に感心しているのも居るが、中には性の悪い奴も居て、
その当座、毛の生えている松浦潟
いささか怪奇趣味の気があるが、石になった女というのに、一度触れてみたいといった句があるかと思えば、
石と木になって別れる松浦潟
余計なお世話で、亭主の生理的情況にまで気を使っている奴もある。しかし悲劇は、これで終わった訳ではない。
やがて夫の狭手彦は、使命を果たして 帰ってくる。
とは知らず狭手彦帰陣さし急ぎ
奥様はこのお姿と石を指し
嘆いても、悲しんでも、過ぎ去った年月は二度と還って来ない。と言うよりも、悲劇的高揚の中で、女は一足早く、永遠の世界へ入ってしまったのである。
狭手彦の帰朝、女房に苔が生え
こんな時、男は何を言ったらいヽのか。
何を言っても、女房の沈黙の深さに敵すべくもないと悟った男は、すごすごとその場を去り、やがて別の、もっと安っぽい気楽な女と、アッケラカンと再婚したかも知れないが、物語はそれについては何も語らない。
「それにしても、そこまで一途に思いこむってなあ立派だよ。美談ですよ。」思いこまれたことのない男達は、かくて一筋の夢を託す。
旅の留守堅い女は石になり
「せめてうちの女房に、佐用姫の半分でも貞操観念があってくれたらな。俺が眼を光らせていたって危ないのに、こうやって旅に出たりしたら・・・。」今更還らぬ繰言の中で、昔の貞女に想いを至すこともあろうし、
貞女と孝女石となり金となり
人間が、石どころか、忽ち金にかわる今の世の不思議さまさに呆れながら、遠い昔の素朴な愛の悲劇を、しみじみ想い出す人もいたに違いない。
そのままで石碑もいらぬ松浦潟