ヰタ・セクスアリス  森 鴎外

 金井湛君は哲学が職業である。
 哲学者という概念には、何か書物を書いているということが伴う。
 金井君は哲学が職業である癖に、なんにも書物を書いていない。
 文科大学を卒業するときには、外道哲学とSokrates前の希臘哲学との比較的研究とかいう題で、余程へんなものを書いたそうだ。
 それからというものは、なんにも書かない。
 しかし職業であるから講義はする。
 講座は哲学史を受け持っていて、近世哲学史の講義をしている。
 学生の評判では、本を沢山書いている先生方の講義よりは、金井先生の講義の方が面白いということである。
 講義は直観的で、或物の上に強い光線を投げることがある。
 そういうときに、学生はいつまでも消えない印象を得るのである。
 殊に縁の遠い物、何の関係もないような物を籍りて来て或物を説明して、聴く人がはっと思って会得するというような事が多い。
 Schopenhauerは新聞の雑報のような世間話を材料帳に留めて置いて、自己の哲学の材料にしたそうだが、金井君は何をでも哲学史の材料にする。
 真面目な講義の中で、その頃青年の読んでいる小説なんぞを引いて説明するので、学生がびっくりすることがある。
 小説は沢山読む。
 新聞や雑誌を見るときは、議論なんぞは見ないで、小説を読む。
 しかし若し何と思って読むかということを作者が知ったら、作者は慣慨するだろう。
 芸術品として見るのではない。
 金井君は芸術品には非常に高い要求をしているから、そこいら中にある小説はこの要求を充たすに足りない。
 金井君には、作者がどういう心理的状態で書いているかということが面白いのである。
 それだから金井君の為めには、作者が悲しいとか悲壮なとかいう積で書いているものが、極て滑稽に感ぜられたり、作者が滑稽の積で書いているものが却て悲しかったりする。
 金井君も何か書いて見たいという考はおりおり起る。
 哲学は職業ではあるが、自己の哲学を建設しようなどとは思わないから、哲学を書く気はない。
 それよりは小説か脚本かを書いて見たいと思う。
 しかし例の芸術品に対する要求が高い為めに、容易に取り附けないのである。
 そのうちに夏目金之助君が小説を書き出した。
 金井君は非常な興味を以て読んだ。
 そして技癢を感じた。
 そうすると夏目君の「我輩は猫である」に対して、「我輩も猫である」というようなものが出る。
「我輩は犬である」というようなものが出る。
 金井君はそれを見て、ついつい嫌になってなんにも書かずにしまった。
 そのうち自然主義ということが始まった。
 金井君はこの流義の作品を見たときは、格別技癢をば感じなかった。
 その癖面自がることは非常に面白がった。
 面白がると同時に、金井君は妙な事を考えた。
 金井君は自然派の小説を読む度に、その作中の人物が、行住坐臥造次顛沛、何に就けても性欲的写象を伴うのを見て、そして批評が、それを人生を写し得たものとして認めているのを見て、人生は果してそんなものであろうかと思うと同時に、或は自分が人間一般の心理的状態を外れて性欲に冷澹であるのではないか、特にfrigiditasとでも名づくべき異常な性癖を持って生れたのではあるまいかと思った。
 そういう想像は、Zolaの小説などを読んだ時にも起らぬではなかった。
 しかしそれはGerminalやなんぞで、労働者の部落の人間が、困厄の極度に達した処を書いてあるとき、或る男女の逢引をしているのを覗きに行く段などを見て、そう思ったのであるが、その時の疑は、なんで作者がそういう処を、わざとらしく書いているだろうというのであって、それが有りそうでない事と思ったのではない。
 そんな事もあるだろうが、それを何故作者が書いたのだろうと疑うに遇ぎない。
 即ち作者一人の性欲的写象が異常ではないかと思うに過ぎない。
 小説家とか詩人とかいう人間には、性欲の上には異常があるかも知れない。
 この間題はLombrosoなんぞの説いている天才間題とも関係を有している。
 Mobius一派の人が、名のある詩人や哲学者を片端から掴まえて、精神病者として論じているも、そこに根柢を有している。
 しかし近頃日本で起った自然派というものはそれとは違う。
 大勢の作者が一時に起って同じような事を書く。
 批評がそれを人生だと認めている。
 その人生というものが、精神病学者に言わせると、一々の写象に性欲的色調を帯びているとでも云いそうな風なのだから、金井君の疑惑は前より余程深くなって来たのである。
 そのうちに出歯亀事件というのが現われた。
 出歯亀という職人が不断女湯を覗く癖があって、あるとき湯から帰る女の跡を附けて行って、暴行を加えたのである。
 どこの国にも沢山ある、極て普通な出来事である。
 西洋の新聞ならば、紙面の限の方の二三行の記事になる位の事である。
 それが一時世間の大間題に膨膜する。
 所謂自然主義と聯絡を附けられる。
 出歯亀主義という自然主義の別名が出来る。
 出歯るという動詞が出来て流行する。
 金井君は、世間の人が皆色情狂になったのでない限は、自分だけが人問の仲間はずれをしているかと疑わざることを得ないことになった。
 その頃或日金井君は、教場で学生の一人がJerusalemの哲学入門という小さい本を持っているのを見た。
 講義の済んだとき、それを手に取って見て、どんな本だと問うた。
 学生は、「南江堂に来ていたから、参考書になるかと思って買って来ました、まだ読んで見ませんが、先生が御覧になるならお持下さい」と云った。
 金井君はそれを借りて帰って、その晩丁度暇があったので読んで見た。
 読んで行くうちに、審美論の処になって、金井君は大いに驚いた。
 そこにこういう事が書いてある。
 あらゆる芸術はLiebeswerbungである。
 口説くのである。
 性欲を公衆に向って発揮するのであると論じてある。
 そうして見ると、月経の血が戸惑をして鼻から出ることもあるように、性欲が絵画になったり、彫刻になったり、音楽になったり、小説脚本になったりするということになる。
 金井君は驚くと同峙に、こう思った。
 こいつはなかなか奇警だ。
 しかし奇警ついでに、何故この説をも少し押し広めて、人生のあらゆる出来事は皆性欲の発揮であると立てないのだろうと思った。
 こんな論をする事なら、同じ論法で何もかも性欲の発揮にしてしまうことが出来よう。
 宗教などは性欲として説明することが最も容易である。
 基督を壻だというのは普通である。
 聖者と崇められた尼なんぞには、実際性欲をperverseの方角に発揮したに過ぎないのがいくらもある。
 献身だなんぞという行をした人の中には、SadistもいればMasochistもいる。
 性欲の目金を掛けて見れば、人間のあらゆる出来事の発動機は、一として性欲ならざるはなしである。
 Cherchez la femmeはあらゆる人事世相に応用することが出朱る。
 金井君は、若しこんな立場から見たら、自分は到底人間の仲間はずれたることを免れないかも知れないと思った。
 そこで金井君の何か書いて見ようという、兼ての希望が、妙な方角に向いて動き出した。
 金井君はこんな事を思った。
 一体性欲というものが人の生涯にどんな順序で発現して来て、人の生涯にどれだけ関係しているかということを徴すべき文献は甚だ少いようだ。
 芸術に猥褻な絵などがあるように、Pornographieはどこの国にもある。
 婬書はある。
 しかしそれは真面目なものでない。
 総ての詩の領分に恋愛を書いたものはある。
 しかし恋愛は、よしや性欲と密接な関繁を有しているとしても、性欲と同一ではない。
 裁判の記録や、医者の書いたものに、多少の材料はある。
 しかしそれは多く性欲の変態ばかりである。
 Rousseauの懺悔記は随分思い切って無遠慮に何でも書いたものだ。
 子供の時教えられた事を忘れると、牧師のお嬢さんが掴まえてお尻を打つ。
 それが何とも云えない好い心持がするので、知ったことをわざと知らない振をして、間違った事を言ったり何かして、お嬢さんに打って貰った。
 ところが、いつかお嬢さんが情を知って打たなくなったなどということが書いてある。
 これは性欲の最初の発動であって、決して初恋ではない。
 その外、青年時代の記事には性欲の事もちょいちょい見えている。
 しかし性欲を主にして書いたものではないから飽き足らない。
 Casanovaは生涯を性欲の犠牲に供したと云っても好い男だ。
 あの男の書いた回想記は一の大著述であって、あの大部な書物の内容は、徹頭徹尾性欲で、恋愛などにまぎらわしい処はない。
 しかし拿破崙の名聞心が甚だしく常人に超越している為めに、その自伝が名聞心を研究する材料になりにくいと同じ事で、性欲界の豪傑Casanovaの書いたものも、性欲を研究する材料にはなりにくい。
 譬えばRhodosのkolossosや奈良の大仏が人体の形の研究には適せないようなものである。
 おれは何か書いて見ようと思っているのだが、前人の足跡を踏むような事はしたくない。
 丁度好いから、一つおれの性欲の歴史を書いて見ようかしらん。
 実はおれもまだ自分の性欲が、どう萌芽してどう発展したか、つくづく考えて見たことがない。
 一つ考えて書いて見ようかしらん。
 白い上に黒く、はっきり書いて見たら、自分が自分でわかるだろう。
 そうしたら或は自分の性欲的生活がnormalだかabnormalousだか分かるかも知れない。
 勿論書いて見ない内は、どんなものになるやら分らない。
 随て人に見せられるようなものになるやら、世に公にせられるようなものになるやら分らない。
 とにかく暇なときにぽつぽつ書いて見ようと、こんな風な事を思った。
 そこへ独逸から郵便物が届いた。
 いつも書籍を送ってくれる書肆から届いたのである。
 その中に性欲的教育の間題を或会で研究した報告があった。
 性欲的というのは妥でない。
 Sexialは性的である。
 性欲的ではない。
 しかし性という字があまり多義だから、不本意ながら欲の字を添えて置く。
 さて教育の範囲内で、性欲的教育をせねばならないものだろうか、せねばならないとしたところで、果してそれが出来るだろうかというのが間題である。
 或会で教育家を一人、宗教家を一人、医学者を一人という工合に、おのおのその向のauthorityとすべき人物を選んで、意見を叩いたのが、この報告になって出たのである。
 然るに三人の議論の道筋はそれそれ別であるが、性欲的教育は必要であるか、然り、做し得らるるであろうか、然りという答に帰着している。
 家庭でするが好いという意見もある。
 学校でするが好いという意見もある。
 とにかく為るが好い、出来ると決している。
 教える時期は固より物心が附いてからである。
 婚礼の前に絵を見せるという話は我国にもあるが、それを少し早めるのである。
 早めるのは、婚礼の直前まで待っては、その内に間違があるというのである。
 話は下級生物の繁殖から始めて、次第に人類に及ぶというのである。
 初に下級生物を話すとはいうが、唯植物の雄蕋雌蕋の話をして、動物もまた復是の如し、人類もまた復是の如しでは何の役にも立たない。
 人の性欲的生活をも詳しく説かねばならぬというのである。
 金井君はこれを読んで、暫く腕組をして考えていた。
 金井君の長男は今年高等学校を卒業する。
 仮に自分が息子に教えねばならないとなったら、どう云ったら好かろうと考えた。
 そして非常にむつかしい事だと思った。
 具体的に考えて見れば見る程詞を措くに窮する。
 そこで前に書こうと思っていた、自分の性欲的生活の歴史の事を考えて、金井君は間題の解決を得たように思った。
 あれを書いて見て、どんなものになるか見よう。
 書いたものが人に見せられるか、世に公にせられるかより先に、息子に見せられるかということを検して見よう。
 金井君はこう思って筆を取った。

* * *

 六つの時であった。
 中国の或る小さいお大名の御城下にいた。
 廃藩置県になって、県庁が隣国に置かれることになったので、城下は俄に寂しくなった。
 お父様は殿様と御一しょに東京に出ていらっしやる。
 お母様が、湛ももう大分大きくなったから、学校に遣る前から、少しずつ物を教えて置かねばならないというので、毎朝仮名を教えたり、手習をさせたりして下さる。
 お父様は藩の時徒士であったが、それでも上塀を繞らした門構の家にだけは住んでおられた。
 門の前はお濠で、向うの岸は上のお蔵である。
 或日お稽古が済むと、お母様は機を織っていらっしやる。
 僕は「遊んでまいります」という一声を残して駈け出した。
 この辺は屋敷町で、春になっても、柳も見えねば桜も見えない。
 内の塀の上から真赤な椿の花が見えて、お米蔵の側の臭橘に薄緑の芽の吹いているのが見えるばかりである。
 西隣に空地がある。
 石瓦の散らばっている間に、げんげや菫の花が咲いている。
 僕はげんげを摘みはじめた。
 暫く摘んでいるうちに、前の日に近所の子が、男の癖に花なんぞを摘んで可笑しいと云ったことを思い出して、急に身の周囲を見廻して花を棄てた。
 幸に誰も見ていなかった。
 僕はぼんやりして立っていた。
 晴れた麗かな日であった。
 お母様の機を織ってお出なさる音が、ぎいとん、ぎいとんと聞える。
 空地を隔てて小原という家がある。
 主人は亡くなって四十ばかりの後家さんがいるのである。
 僕はふいとその家へ往く気になって、表口ヘ廻って駈け込んだ。
 草履を脱ぎ散らして、障子をがらりと開けて飛び込んで見ると、おばさんはどこかの知らない娘と一しょに本を開けて見ていた。
 娘は赤いものずくめの着物で、髪を島田に結っている。
 僕は子供ながら、この娘は町の方のものだと思った。
 おばさんも娘も、ひどく驚いたように顔を上げて僕を見た。
 二人の顔は真赤であった。
 僕は子供ながら、二人の様子が当前でないのが分って、異様に感じた。
 見れば開けてある本には、綺麗に彩色がしてある。
「おば様。そりやあ何の絵本かのう」
 僕はつかつかと側へ往った。
 娘は本を伏せて、おばさんの顔を見て笑った。
 表紙にも彩色がしてあって、見れば女の大きい顔が書いてあった。
 おばさんは娘の伏せた本を引ったくって開けて、僕の前に出して、絵の中の何物かを指ざして、こう云った。
「しずさあ。あんたはこれを何と思いんさるかの」
 娘は一層声を高くして笑った。
 僕は覗いて見たが、人物の姿勢が非常に複雑になっているので、どうもよく分らなかった。
「足じやろうがの」
 おばさんも娘も一しょに大声で笑った。
 足ではなかったと見える。
 僕は非道く侮辱せられたような心持がした。
「おば様。又来ます」
 僕はおばさんの待てというのを聴かずに、走って戸口を出た。
 僕は二人の見ていた絵の何物なるかを判断する智識を有せなかった。
 しかし二人の言語挙動を非道く異様に、しかも不愉快に感じた。
 そして何故か知らないが、この出来事をお母様に問うことを憚った。

* * *

 七つになった。
 お父様が東京からお帰になった。
 僕は藩の学問所の址に出来た学校に通うことになった。
 内から学校へ往くには、門の前のお壕の西のはずれにある木戸を通るのである。
 木戸の番所の址がまだ元のままになっていて、五十ばかりのじいさんが住んでいる。
 女房も子供もある。
 子供は僕と同年位の男の子で、襤褸を着て、いつも二本棒を垂らしている。
 その子が僕の通る度に、指を銜えて僕を見る。
 僕は厭悪と多少の異怖とを以てこの子を見て通るのであった。
 或日木戸を通るとき、いつも外に立っている子が見えなかった。
 おれはあの子はどうしたかと思いながら、通り過ぎようとした。
 その時番所址の家の中で、じいさんの声がした。
「こりい。そりょう持ってわやくをしちやあいけんちゆうのに」
 僕はふいと立留って声のする方を見た。
 じいさんは胡坐をかいて草鞋を作っている。
 今叱ったのは、子供が藁を打つ槌を持ち出そうとしたからである。
 子供は槌を措いておれの方を見た。
 じいさんもおれの方を見た。
 濃い褐色の皺の寄った顔で、曲った鼻が高く、頬がこけている。
 目はぎょろっとしていて、白目の裡に赤い処や黄いろい処がある。
 じいさんが僕にこう云つた。
「坊様。あんたあお父さまとおっ母さまと夜何をするか知っておりんさるかあ。あんたあ寝坊じやけえ知りんさるまあ。あははは」
 じいさんの笑う顔は実に恐ろしい顔である。
 子供も一しょになって、顔をくしゃくしゃにして笑うのである。
 僕は返事をせずに、逃げるように通り過ぎた。
 跡にはまだじいさんと子供との笑う声がしていた。
 道々じいさんの云った事を考えた。
 男と女とが夫婦になっていれば、その間に子供が出来るということは知っている。
 しかしどうして出来るか分らない。
 じいさんの言った事はその辺に関しているらしい。
 その辺になんだか秘密が伏在しているらしいと、こんな風に考えた。
 秘密が知りたいと思っても、じいさんの言うように、夜目を醒ましていて、お父様やお母様を監視せようなどは思わない。
 じいさんがそんな事を言ったのは、子供の心にも、profanationである、褻涜であるというように感ずる。
 お社の御簾の中へ土足で踏み込めといわれたと同じように感ずる。
 そしてそんな事を言ったじいさんが非道く憎いのである。
 こんな考はその後木戸を通る度に起った。
 しかし子供の意識は断えず応接に遑あらざる程の新事実に襲われているのであるから、長く続けてそんな事を考えていることは出来ない。
 内に帰っている時なんぞは、大抵そんな事は忘れているのであった。

* * *

 十になった。
 お父様が少しずつ英語を教えて下さることになった。
 内を東京へ引き越すようになるかも知れないという話がおりおりある。
 そんな話のある時、聞耳を立てると、お母様が余所の人に言うなと仰ゃる。
 お父様は、若し東京へでも行くようになると、余計な物は持って行かれないから、物を選り分けねばならないというので、よく蔵にはいって何かしていらっしやる。
 蔵は下の方には米がはいっていて、二階に長持や何かが入れてあった。
 お父様のこのお為事も、客でもあると、すぐに止めておしまいになる。
 何故人に言っては悪いのかと思って、お母様に間うて見た。
 お母様は、東京へは皆行きたがっているから、人に言うのは好くないと仰ゃった。
 或日お父様のお留守に蔵の二階へ上って見た。
 蓋を開けたままにしてある長持がある。
 色々な物が取り散らしてある。
 もっと小さい時に、いつも床の間に飾ってあった鎧櫃が、どうしたわけか、二階の真中に引き出してあった。
 甲冑というものは、何でも五年も前に、長州征伐があった時から、信用が地に墜ちたのであった。
 お父様が古かね屋にでも遣っておしまいなさるお積で、疾うから蔵にしまってあったのを、引き出してお置になったのかも知れない。
 僕は何の気なしに鎧櫃の蓋を開けた。
 そうすると鎧の上に本が一冊載っている。
 開けて見ると、椅麗に彩色のしてある絵である。
 そしてその絵にかいてある男と女とが異様な姿勢をしている。
 僕は、もっと小さい時に、小原のおばさんの内で見た本と同じ種類の本だと思った。
 しかしもう大分それを見せられた時よりは智識が加わっているのだから、その時よりは熟く分った。
 Michelangeloの壁画の人物も、大胆な遠近法を使ってかいてあるとはいうが、こんな絵の人物には、それとは違って、随分無理な姿勢が取らせてあるのだから、小さい子供に、どこに手があるやら足があるやら弁えにくかったのも無理は無い。
 今度は手も足も好く分った。
 そして兼て知りたく思った秘密はこれだと思った。
 僕は面白く思って、幾枚かの絵を繰り返して見た。
 しかしここに注意して置かなければならない事がある。
 それはこういう人間の振舞が、人間の欲望に関係を有しているということは、その時少しも分らなかった。
 Shopenhauerはこういう事を言っている。
 人間は容易に醒めた意識を以て子を得ようと謀るものではない。
 自分の胤の繁殖に手を着けるものではない。
 そこで自然がこれに愉快を伴わせる。
 これを欲望にする。
 この愉快、この欲望は、自然が人間に繁殖を謀らせる詭謀である、餌である。
 こんな餌を与えないでも、繁殖に差丈のないのは、下等な生物である。
 醒めた意識を有せない生物であると云っている。
 僕には、この絵にあるような人問の振舞に、そんな餌が伴わせてあるということだけは、少しも分らなかったのである。
 僕の面白がって、繰り返して絵を見たのは、只まだ知らないものを知るのが面白かったに過ぎない。
 Neugierdeに遇ぎない。
 Wissbegierdeに過ぎない。
 小原のおばさんに見せて貫っていた、島田髷の娘とは、全く別様な限で見たのである。
 さて繰り返して見ているうちに、疑惑を生じた。
 それは或る体の部分が馬鹿に大きくかいてあることである。
 もっと小さい時に、足でないものを足だと思つたのも、無理は無いのである。
 一体こういう画はどこの国にもあるが、或る体の部分をこんなに大きくかくということだけは、世界に類が無い。
 これは日本の浮世絵師の発明なのである。
 昔希臘の芸術家は、神の形を製作するのに、額を大きくして、顔の下の方を小さくした。
 額は霊魂の舎るところだから、それを引き立たせる為めに大きくした。
 顔の下の方、口のところ、咀嚼に使う上下の顎に歯なんぞは、卑しい体の部であるから小さくした。
 若しこっちの方を大きくすると、段々猿に似て来るのである。
 Camperの面倉が段々小さくなって来るのである。
 それから腹の割含に胸を大きくした。
 腹が顎や歯と同じ関係を有しているということは、別段に説明することを要せない。
 飲食よりは呼吸の方が、上等な作用である。
 その上昔の人は胸に、詳しく言えば心の臓に、血の循行ではなくて、精神の作用を持たせていたのである。
 その額や胸を大きくしたと同じ道理で、日本の浮世絵師は、こんな画をかく時に、或る体の部分を大きくしたのである。
 それがどうも僕には分らなかった。
 肉蒲団という、支那人の書いた、けしからん猥褻な本がある。
 お負に支那人の癖で、その物語の組立に善悪の応報をこじつけている。
 実に馬鹿げた本である。
 その本に未央生という主人公が、自分の或る体の部分が小さいようだというので、人の小便するのを覗いて歩くことが書いてある。
 僕もその頃人が往来ばたで小便をしていると、覗いて見た。
 まだ御城下にも辻使所などはないので、誰でも道ばたでしたのである。
 そして誰のも小さいので、画にうそがかいてあると判断して、天晴発見をしたような積りでいたのである。
 これが僕の可笑しな絵を見てから実世界の観察をした一つである。
 今一つの観察は、少し書きにくいが、真実の為めに強いて書く。
 僕は女の体の或る部分を目撃したことが無い。
 その頃御城下には湯屋なんぞはない。
 内で湯を使わせてもらっても、親類の家に泊って、余所の人に湯を使わせてもらっても、自分だけが裸にせられて、使わせてくれる人は着物を着ている。
 女は往来で手水もしない。
 これには甚だ窮した。
 学校では、女の子は別な教場で教えることになっていて、一しょに遊ぶことも絶て無い。
 若し物でも言うと、すぐに友達仲間で嘲弄する。
 そこで女の友達というものはなかった。
 親類には娘の子もあったが、節句だとか法事だとかいうので来ることがあっても、余所行の着物を着て、お化粧をして来て、大人しく何か食べて帰るばかりであった。
 心安いのはない。
 只内の裏に、藩の時に小人と云ったものが住んでいて、その娘に同年位なのがいた。
 名は勝と云った。
 小さい蝶々髷を結っておりおり内へ遊ぴに来る。
 色の白い頬っぺたの膨張らんだごくすなお子で、性質が極素直であった。
 この子が、気の毒にも、僕の試験の対象物にせられた。
 五月雨の晴れた頃であった。
 お母様は相変らず機を織っていらっしやる。
 蒸暑い午過で、内へ針為事に来て、台所の手伝をしている婆あさんは昼寝をしている。
 お母様の梭の音のみが、ひっそりしている家に響き渡っている。
 僕は裏庭の蔵の前で、蜻蜒の尻に糸を附けて飛ばせていた。
 花の一ぱい咲いている百日紅の木に、蝉が来て鳴き出した。
 覗いて見たが、高い処なので取れそうにない。
 そこへ勝が来た。
 勝も内のものが昼寝をしたので、寂しくなって出掛けて来たのである。
「遊びましょうやあ」
 これが挨拶である。
 僕は忽ち一計を案じ出した。
「う一む。あの縁から飛んで遊ぼう」
 こう云って草履を脱いで縁に上った。
 勝も附いて来て、赤い緒の雪踏を脱いで上った。
 僕は先ず跣足で庭の苔の上に飛ぴ降りた。
 勝も飛び降りた。
 僕は又縁に上って、風を捲った。
「こうして飛ばんと、着物が邪魔になっていけん」
 僕は活撥に飛ぴ降りた。
 見ると、勝はぐずぐずしている。
「さあ。あんたも飛びんされえ」
 勝は暫く困ったらしい顔をしていたが、無邪気な素直な子であったので、とうとう尻を捲って飛んだ。
 僕は目を円くして覗いていたが、白い脚が二本白い腹に続いていて、なんにも無かった。
 僕は大いに失望した。
 OperaglassでBalletを踊る女の股の間を覗いて羅に織り込んである金糸の光るのを見て、矢望する紳士の事を思えば、罪のない話である。

* * *

 その歳の秋であった。
 僕の国は盆踊の盛な国であった。
 旧暦の盂蘭盆が近づいて来ると、今年は踊が禁ぜられるそうだという噂があった。
 しかし県庁で他所産の知事さんが、僕の国のものに逆うのは好くないというので、黙許するという事になった。
 内から二三丁ばかり先は町である。
 そこに屋台が掛かっていて、タ方になると、踊の囃子をするのが内へ聞える。
 踊を見に往っても好いかと、お母様に聞くと、早く戻るなら、往っても好いということであった。
 そこで草履を穿いて駈け出した。
 これまでも度々見に往ったことがある。
 もっと小さい時にはお母様が連れて行って見せて下すった。
 踊るものは、表向は町のものばかりというのであるが、皆頭巾で顔を隠して踊るのであるから、侍の子が沢山踊りに行く。
 中には男で女装したのもある。
 女で男装したのもある。
 頭巾を着ないものは百眼というものを掛けている。
 西洋でするCarnevalは一月で、季節は違うが、人間は自然に同じような事を工夫し出すものである。
 西洋にも、収穫の時の踊は別にあるが、その方には仮面を被ることはないようである。
 大勢が輸になって踊る。
 覆面をして踊りに来て、立って見ているものもある。
 見ていて、気に入った踊手のいる処ヘ、いつでも割り込むことが出来るのである。
 僕は踊を見ているうちに、覆面の連中の話をするのがふいと耳に入った。
 識りあいの男二人と見える。
「あんたあゆうべ愛宕の山へ行きんさったろうがの」
「嘘を言いんさんな」
「いいや。何でも行きんさったちゅう事じや」
 こういうような間答をしていると、今一人の男が側から口を出した。
「あそこにやあ、朝行って見ると、いろいろな物が落ちておるげな」
 跡は笑声になった。
 僕は穢い物に障ったような心持がして、踊を見るのを止めて、内へ帰つた。

* * *

 十一になった。
 お父様が東京へ連れて出て下すった。
 お母様は跡に残ってお出なすった。
 いつも手伝に来る婆あさんが越して来て、一しょにいるのである。
 少し立てば、跡から行くということであった。
 多分家屋敷が売れるまで残ってお出なすったのであろう。
 旧藩の殿様のお邸が向島にある。
 お父様はそこのお長屋のあいているのにはいって、婆あさんを一人雇って、御飯を焚かせて暮らしてお出になる。
 お父様は毎日出て、晩になってお帰になる。
 僕の行く学校をも捜して下さるということであった。
 お父様がお出掛になると、二十ばかりの上さんが勝手ロヘ来て、前掛を膨らませて帰って行く。
 これは婆あさんが米を盗んで、娘に持たせて遣るのであった。
 後にお母様がお出になって、この事が知れて、婆あさんは逐い出された。
 僕は余程ぼんやりした小僧であった。
 一しょに遊んでくれる子供もない。
 家職のものの息子で、年が二つばかり下なのがいたが、初めて逢った日に、お邸の池の鯉を釣ろうと云ったので、嫌になって一しょに遊ばない事にした。
 家扶の娘の十二三になるのを頭にして、娘が二三人いたが、僕を見ると遠い処から指ざしなんぞをして、囁きあって笑ったり何かする。
 これも嫌な女どもだと思った。
 御殿のお次に行って見る。
 家従というものが一二ご一人控えている。
 大抵烟草を飲んで雑談をしている。
 おれがいても、別に邪魔にもしない。
 そこで色々な事を間いた。
 最も屡ば話の中に出て来るのは吉原という地名と奥山という地名とである。
 吉原は彼等の常に夢みている天国である。
 そしてその天国の荘厳が、幾分かお邸の力で保たれているということである。
 家令はお邸の金を高い利で吉原のものに貸す。
 その縁故で彼等が行くと、特に優待せられるそうだ。
 そこで手ん手に吉原へ行った話をする。
 聞いていても半分は分らない。
 又半分位分るようであるが、それがちっとも面自くない。
 中にはこんな事をいう男がある。
「こんだあ、あんたを連れて行って上げうかあ。綺麗な女郎が可哀がってくれるぜえ」
 そういう時にはみんなが笑う。
 奥山の話は榛野という男の事に連帯して出るのが常になっている。
 家従どもは大抵菊石であったり、獅子鼻であったり、反歯であったり、満足な顔はしていない。
 それと違って榛野というのは、色の白い、背の高い男で、髪を長くして、油を附けて、項まで分けていた。
 この男は何という役であったか知らぬが、先ず家従どもの上席位の待遇を受けて、文書の立案というような事をしていた。
 家従どもはこんな事を言う。
「榛野さあのように大事にして貫われれば、こっちとらも奥山へ行くけえど、銭う払うて楊弓を引いても、ろくに話もしてくれんけえ、ほんつまらんいのう」
 榛野はこの仲間のAdonisであった。
 そして僕は程なくこの男の為めにAphroditeたり、またPersephoneたる女子どもを見ることを得たのである。
 お庭の蝉の声の段々やかましゅうなる頃であった。
 お父様の留守にぼんやりしていると、涅麻という家従が外から声を掛けた。
「しずさあ。居りんさるかあ。今からお使に行くけえ、一しょに来んされえ。浅草の観音様に連れて行って上げう」
 観音様へはお父様が一度連れて行って下すったことがある。
 僕は喜んで下駄を引っ掛けて出た。
 吾妻橋を渡って、並木へ出て買物をした。
 それから引き返して、中店をぶらぶら歩いた。
 亀の形をしたおもちやの糸で吊したのを、沢山待って、「器械の亀の子、選り取った選り取った」などと云っている男がある。
 亀の首や尾や四足がぶるぶると動いている。
 涅麻は絵草紙屋店の前に立ち留まった。
 おれは西南戦争の錦絵を見ていると、涅麻は店前に出してある、帯封のしてある本を取り上げて、店番の年増にこう云うのである。
「お上さん。これを騙されて買って行く奴がまだありますか。はははは」
「それでもちょいちょい売れよすよ。一向つまらない事が書いてあるのでございますが。おほほほ」
「どうでしょう。本当のを売ってくれませんかね」
「御笑談を仰ゃいます。なかなか当節は警察がやかましゆうございまして」
 帯封の本には、表紙に女の顔が書いてあって、その上に「笑い本」と大字で書いてある。
 これはその頃絵草紙屋にあっただまし物である。
 中には一口噺か何かを書いて、わざと秘密らしく帯封をして、かの可笑しな画を欲しがるものに売るのである。
 僕は子供ではあったが、間答の意味をおおよそ解した。
 しかしその間答の意味よりは、涅麻の自在に東京詞を使うのが、僕の注意を引いた。
 そして涅麻は何故これ程東京詞が使えるのに、お屋敷では国詞を使うだろうかということを考えて見た。
 国もの同志で国詞を使うのは、固臥より当然である。
 しかし涅麻が二枚の舌を便うのは、その為めばかりではないらしい。
 彼は上役の前で淳樸を装う為めに国詞を便うのではあるまいか。
 僕はその頃からもうこんな事を考えた。
 僕はぼんやりしているかと思うと、又余り無邪気でない処のある子であった。
 観音堂に登る。
 僕の物を知りたがる欲は、僕の目を、只真黒な格子の奥の、蝋燭の光の覚束ない辺に注がせる。
 蹲んで、体を鰕のように曲げて、何かぐずぐず云って祈っている爺さん婆あさん達の背後を、堂の東側へ折れて、おりおりかちゃかちゃという賽銭の音を聞き棄てて堂を降りる。
 この辺には乞食が沢山いた。
 その間に、五色の沙で書画をかいて見せる男がある。
 少し広い処に、大勢の見物が輸を作って取り巻いているのは、居含ぬきである。
 涅麻と一しょに暫く立って見ていた。
 刀が段々に掛けてある。
 下の段になるだけ長いのである。
 色々な事を饒舌っているが、なかなか抜かない。
 そのうち涅麻が、つと退くから、何か分からずに附いて退いた。
 振り返って見れば、銭を集める男が、近処へ来ていたのであった。
 楊弓店のある、狭い巷に出た。
 どの店にもお白いを附けた女のいるのを、僕は珍らしく思って見た。
 お父様はここへは連れて来なかったのである。
 僕はこの女達の顔に就いて、不思議な観察をした。
 彼等の顔は当前の人間の顔ではないのである。
 今まで見た、普通の女とは違って、皆一種stereotypeな顔をしている。
 僕の今の詞を以て言えば、この女達の顔は凝結した表情を示しているのである。
 僕はその顔を見てこう思った。
 何故皆揃ってあんな顔をしているのであろう。
 子供に好い子をお為というと、変な顔をする。
 この女達は、皆その子供のように、変な顔をしている。
 眉はなるたけ高く、甚だしきは髪の生際まで吊るし上げてある。
 目をなるたけ大きく見はっている。
 物を言っても笑っても、鼻から上を動かさないようにしている。
 どうして言い合せたように、こんな顔をしているだろうと思った。
 僕にはからなかったが、これは売物の顔であった。
 これはprostitutionの相貌であった。
 女はやかましい声で客を呼ぶ「ちいと、且那」というのが尤多い。
「ちょいと」とはっきり聞えるのもあるが、多くは「ちいと」と聞える。
「紺足袋の旦那」なんぞと云う奴もある。
 涅麻は紺足袋を穿いていた。
「あら、涅麻さん」
 一際鋭い呼声がした。
 涅麻はその店にはいって腰を掛けた。
 僕は呆れて立って見ていると、涅麻が手真似で掛けさせた。
 円顔の女である。
 物を言うと、薄い唇の間から、鉄漿を剥がした歯が見える。
 長い烟管に烟草を吸い附けて、吸口を袖で拭いて、例の鼻から上を動かさずに、涅麻に出す。
「何故拭くのだ」
「だって失礼ですから」
「榛野でなくっては、拭かないのは飲まして貰えないのだね」
「あら、擦野さんにだっていつでも拭いて上げまさあ」
「そうかね。拭いて上げるかね」
 こんな風な会話である。
 詞が二様の意義を有している。
 涅麻は僕がその第二の意義に対して、何等の想像をも画き得るものとは認めていない。
 女も僕をば空気の如くに取り扱っている。
 しかし僕には少しの不平も起らない。
 僕はこの女は嫌であった。
 それだから物なんぞを言って貰いたくはなかった。
 涅麻が楊弓を引いて見ないかと云ったが、僕は嫌だと云った。
 涅麻は間もなく楊弓店を出た。
 それから猿若町を通って、橋場の渡を渡って、向島のお邸に帰った。
 同じ頃の事であった。
 家従達の仲間に、銀林という針医がいて、折々彼等の詰所に来て話していた。
 これはお上のお療治に来るので、お国ものではない。
 江戸児である。
 家従は大抵三十代の男であるのに、この男は四十を越していた。
 僕は家従等に比べると、この男が余程賢いと思っていた。
 或る日銀林は銀座の方へ往くから、連れて行って遣ろうと云った。
 その日には用を済ませてから、銀林が京橋の側の寄席に這入った。
 昼席であるから、余り客が多くはない。
 上品に見えるのは娘を連れた町家のお上さんなどで、その外多くは職人のような男であった。
 高座には話家が出て饒舌っている。
 徳三郎という息子が象棋をさしに出ていた。
 夜が更けて帰って、閉出を食った。
 近所の娘が一人やはり同じように閉出を食っている。
 娘は息子に話し掛ける。
 息子がおじの内へ往って留めて貫うより外はないと云うと、娘が一しょに連れて行ってくれろと頼む。
 息子は聴かずにずんずん行くが、娘は附いて来る。
 おじは通物である。
 通物とは道義心のlaxなる人物ということと見える。
 息子が情人を連れて来たものと速断する。
 息子が弁解するのを、恥かしいので言を左右に托しているのだと思う。
 息子に恋慕している娘は、物怪の幸と思っている。
 そこで二人はおじに二階へ追い上げられる。
 夜具は一人前しか無い。
 解いた帯を、縦に敷布団の真中に置いて、跡から書くので譬喩がanachronismになるが、樺太を両分したようにして、二人は寝る。
 さて一寝入して目が醒めて云々というのである。
 僕の耳には、まだ東京の詞は慣れていないのに、話家はぺらぺらしやべる。
 僕は後に西洋人の講義を間き始めた時と同じように、一しょう懸命に注意して聴いていると、銀林は僕の顔を見て笑っている。
「どうです。分かりますかい」
「うむ。大抵分かる」
「大抵分かりやあ沢山だ」
 今までしやべっていた話家が、起って腰を屈めて、高座の横から降りてしまうと、入り替って第二の話家が出て来る。
「替りあいまして替り栄も致しません」と謙遜する。
「殿方のお道楽は市女郎買でございます」と破題を置く。
 それから職人がうぶな男を連れて吉原へ行くという話をする。
 これは吉原入門ともいうべき講義である。
 僕は、なる程東京という知識を獲得するにも便利な土地だ、と感嘆して聴いている。
 僕はこの時「おかんこを載する」という奇妙な詞を覚えた。
 しかしこの詞には、僕はその後寄席以外では、どこでも遭遇しないから、これは僕の記憶に無用な負担を賦課した詞の一つである。

* * *

 同じ年の十月頃、僕は本郷壱岐坂にあった、独逸語を教える私立学校にはいった。
 これはお父様が僕に鉱山学をさせようと思っていたからである。
 向島からは遠くて通われないというので、その頃神田小川町に住まっておられた、お父様の先輩の東先生という方の内に置いて貫って、そこから通った。
 東先生は洋行がえりで、摂生のやかましい人で、盛に肉食をせられる外には、別に贅沢せられない。
 只酒を随分飲まれた。
 それも役所から帰って、晩の十時か十一時まで翻訳なんぞをせられて、その跡で飲まれる。
 奥さんは女丈夫である。
 今から思えば、当時の大官であの位閨門のおさまっていた家は少かろう。
 お父様は好い内に僕を置いて下すったのである。
 僕は東先生の内にいる間、性慾上の刺戟を受けたことは少しもない。
 強いて記憶の糸を手ぐ繰って見れば、あるときこういう事があった。
 僕の机を置いているのは、応接所と台所との間であった。
 日が暮れて、まだ下女がランプを点けて来てくれない。
 僕はふいと立って台所に出た。
 そこでは書生と下女とが話をしていた。
 書生はこういうことを下女に説明している。
 女の器械は何時でも用に立つ。
 心持に関係せずに用に立つ。
 男の器械は用立つ時と用立たない時とある。
 好だと思えば跳躍する。
 嫌だと思えば萎靡して振わないというのである。
 下女は耳を真赤にして聴いていた。
 僕は不愉快を感じて、自分の部屋に帰った。
 学校の課業はむつかしいとも思わなかった。
 お父様に英語を習っていたので、Adlerとかいう人の字書を使っていた。
 独英と英独との二冊になっている。
 退届した時には、membreという語を引いてZeugungliedという語を出したり、pudendaという語を引いてSchamという語を出したりして、ひとりで可笑しがっていたこともある。
 しかしそれも性欲に支配せられて、そんな語を面白がったのではない。
 人の口に上せない隠微の事として面白がったのである。
 それだから同時にfartという語を引いてFurzという語を出して見て記憶していた。
 あるとき独逸人の教師が化学の初歩を教えていて、硫化水素をこしらえて見せた。
 そしてこの瓦斯を含んでいるものを知っているかと問うた。
 一人の生徒がfaule Eierと答えた。
 いかにも腐った卵には同じ臭がある。
 まだ何かあるかと問うた。
 僕が起立して声高く叫んだ。
 『Furz!』
 『Was? Bitte,noch einmal!』
 『Furz!』
 教師はやっと分かったので顔を真赤にして、そんな詞を使うものではないと、懇切に教えてくれた。
 学校には寄宿舎がある。
 授業が済んでから、寄って見た。
 ここで始て男色ということを聞いた。
 僕なんぞと同級で、毎日馬に乗って通って来る蔭小路という少年が、彼等寄宿生達の及ばぬ恋の対象物である。
 蔭小路は余り課業は好く出来ない。
 薄赤い輝っぺたがふっくりと膨らんでいて、可哀らしい少年であった。
 その少年という詞が、男色の受身という意味に用いられているのも、僕の為めには新智識であった。
 僕に帰り掛に寄って行けと云った男も、僕を少年視していたのである。
 二三度奇るまでは、馳走をしてくれて、親切らしい話をしていた。
 その頃書生の金平糖といった弾豆、書生の羊羹といった焼芋などを食わせられた。
 但ししその親切は初から少し粘があるように感じて、嫌であったが、年長者に礼を欠いではならないと思うので、忍んで交際していたのである。
 そのうちに手を握る。
 頬摩をする。
 うるさくてたまらない。
 僕Urnigたる素質はない。
 もう帰り掛に寄るのが嫌になったが、それまでの交際の惰力で、つい寄らねばならないようにせられる。
 ある日寄って見ると床が取ってあった。
 その男がいつもよりも一層うるさい挙動をする。
 血が頭に上って顔が赤くなっている。
 そしてとうとう僕にこう云った。
「君、一寸だからこの中へ這入って一しょに寝給え」
「僕は嫌だ」
「そんな事を言うものじやない。さあ」
 僕の手を取る。
 彼が熱して来れば来るほど、僕の厭悪と恐怖とは高まって来る。
「嫌だ。僕は帰る」
 こんな押問答をしているうちに、隣の部屋から声を掛ける男がある。
「だめか」
「うむ」
「そんなら応援して遣る」
 隣室から廊下に飛ぴ出。
 僕のいた部屋の破障子をがらりと開けて跳り込む。
 この男は粗暴な奴で、僕は初から交際しなかったのである。
 この男は少くも見かけの通の奴で、僕を釣った男は偽善者であった。
「長者の言うことを聴かなけりやあ、布団蒸にして懲して遣れ」
 手は詞と共に動いた。
 僕は布団を頭から被せられた。
 一しょう懸命になって、跳ね返そうとする。
 上から押える。
 どたばたするので、書生が二三人覗きに来た。
「よせよせ」などという声がする。
 上から押える手が弛む。
 僕はようよう跳ね起きて逃げ出した。
 その時書物の包とインク壺とをさらって来たのは、我ながら敏捷であったと思った。
 僕はそれからは寄宿舎へは往かなかった。
 その頃僕は土曜日ごとに東先生の内から、向島のお父様の処へ泊りに行って、日曜日の夕方に帰るのであった。
 お父様は或る省の判任官になっておられた。
 僕はお父様に寄宿舎の事を話した。
 定めてお父様はびっくりなさるだろうと思うと、少しもびっくりなさらない。
「うむ。そんな奴がおる。これからは気を附けんといかん」
 こう云って平気でおられる。
 そこで僕は、これも嘗めなければならない辛酸の一つであったということを悟った。

* * *

 十三になった。
 去年お母様がお国からお出になった。
 今年の初に、今まで学んでいた独逸語を廃めて、東京英語学校にはいった。
 これは文部省の学制が代ったのと、僕が哲学を遣りたいというので、お父様にねだったとの為めである。
 東京へ出てから少しの間独逸語を遣ったのを無駄骨を析ったように思ったが、後になってから大分役に立った。
 僕は寄宿舎ずまいになった。
 生徒は十六七位なのが極若いので、多くは二十代である。
 服装は殆ど皆小倉の袴に紺足袋である。
 袖は肩の辺までたくし上げていないと、惰弱だといわれる。
 寄宿舎には貸本屋の出入が許してある。
 僕は貸本屋の常得意であった。
 馬琴を読む。
 京伝を読む。
 人が春水を借りて読んでいるので、又借をして読むこともある。
 自分が梅暦の丹治郎のようであって、お蝶のような娘に慕われたら、愉快だろうというような心持が、始めてこの頃萌した。
 それと同峙に、同じ小倉袴紺足袋の仲間にも、色の白い目鼻立の好い生徒があるので、自分の醜男子なることを知って、所詮女には好かれないだろうと思った。
 この頃から後は、この考が永遠に僕の意識の底に潜伏していて、僕に十分の得意ということを感ぜさせない。
 そこへ年齢の不足ということが加勢して、何事をするにも、友達に暴力で圧せられるので、僕は陽に屈服して陰に反抗するという態度になった。
 兵家Clausewizは受動的抗抵を弱国の応に取るべき手段だと云って居る。
 僕は先天的失恋者で、そして境遇上の弱者であった。
 性欲的に観察して見ると、その頃の生徒仲間には軟派と硬派とがあった。
 軟派は例の可笑しな画を看る連中である。
 その頃の貸本屋は本を竪に高く積み上げて、笈のようにして背負って歩いた。
 その荷の土台になって居る処が箱であって抽斗が附いている。
 この抽斗が例の可笑しな画を入れて置く処に極まっていた。
 中には貸本屋に借る外に、蔵書としてそういう絵の本を持っている人もあった。
 硬派は可笑しな画なんぞは見ない。
 平田三五郎という少年の事を書いた写本があって、それを引張り合って読むのである。
 鹿児島の塾なんぞでは、これが毎年元且に第一に読む本になっているということである。
 三五郎という前髪と、その兄分の鉢鬢奴との間の恋の歴史であって、嫉妬がある。
 鞘当がある。
 末段には二人が相踵いで柑腫いで戦死することになっていたかと思う。
 これにも挿画があるが、左程見苦しい処はかいてないのである。
 軟派は数に於いては優勢であった。
 何故というに、硬派は九州人を中心としている。
 その頃の予備門には鹿児鳥の人は少いので、九州人というのは佐賀と熊本との人であった。
 これに山口の人の一部が加わる。
 その外は中国一円から東北まで、悉く軟派である。
 その癖硬派たるが書生の本色で、軟派たるは多少影護い処があるように見えていた。
 紺足袋小倉袴は硬派の服装であるのに、軟派もその真似をしている。
 只軟派は同じ服装をしていても、袖をまくることが少い。
 肩を怒らすることが少い。
 ステッキを待ってもステッキが細い。
 休日に外出する時なんぞは、そっと絹物を着て白足袋を穿いたり何かする。
 そしてその白足袋の足はどこへ向くか。
 芝、浅草の楊弓店、根津、吉原、品川などの悪所である。
 不断紺足袋で外出しても、軟派は好く町湯に行ったものだ。
 湯屋には硬派だって行くことがないではないが、行っても二階へは登らない。
 軟派は二階を当にして行く。
 二階には必ず女がいた。
 その頃の書生には、こういう湯屋の女と夫婦約束をした人もあった。
 下宿屋の娘なんぞよりは、無論一層下った貨物なのである。
 僕は硬派の犠牲であった。
 何故というのに、その頃の寄宿舎の中では、僕と埴生圧之助という生徒とが一番年が若かった。
 埴生は江戸の目医者の子である。
 色が白い。
 目がぱっちりしていて、唇は朱を点じたようである。
 体はしなやかである。
 僕は色が黒くて、体が武骨で、その上田舎育である。
 それであるのに、意外にも硬派は埴生を附け廻さずに、僕を附け廻す。
 僕の想像では、埴生は生れながらの軟派であるので免れるのだと思っていたのである。
 学校に這入ったのは一月である。
 寄宿舎では二階の部屋を割り当てられた。
 同室は鰐口弦という男である。
 この男は晩学の方であって、級中で最年長者の一人であった。
 白菊石の顔が長くて、前にしゃくれた腮が尖っている。
 痩せていて背が高い。
 若しこの男が硬派であったら、僕は到底免れないのであったかと思う。
 幸に鰐口は硬派ではなかった。
 どちらかと云えば軟派で、女色の事は何でも心得ているらしい。
 さればとて普通の軟派でもない。
 軟派の連中は女に好かれようとする。
 鰐口は固より好かれようとしたとて好かれもすまいが、女を土苴の如くに視ている。
 女は彼の為めに、只性欲に満足を与える器械に過ぎない。
 彼は機会のある毎にその欲を遂げる。
 そして彼の飽くまで冷静なる眼光は、蛇の蛙を覗うように女を覗っていて、巧に乗ずべき機会に乗ずるのである。
 だから彼の醜を以てして、決して女に不自由をしない。
 その言うところを間けば、女は金で自由になる物だ。
 女に好かれるには及ばないと云っている。
 鰐口は女を馬漉にしているばかりではない。
 あらゆる物を馬鹿にしている。
 彼の目中には神聖なるものが絶待的に無い。
 折々僕のお父様が寄宿舎に尋ねて来られる。
 お父様が、倅は子供同様であるから頼むと挨拶をなさると、鰐口は只はあはあと云って取り含わない。
 そして黙ってお父様の僕に訓戒をして下さるのを聞いていて、跡で声いろを遣う。
「精出して勉強しんされえ。鰐口君でもどなたでも長者の云いんさることは、聴かにゃあいけんぜや。若し腑に落ちんことがあるなら、どういうわけでそう為にゃならんのか、分りませんちゅうて、教えて貫いんされえ。わしはこれで帰る。土曜には待っとるから、来んされえ。あはははは」
 それからはお父様の事を「来んされえ」と云う。
 今日あたりは又来んされえの来る頃だ。
 又最中にありつけるだろうなんぞと云う。
 人の親を思う情だからって何だからって、いたわってくれるということはない。
「あの来んされえが君のおっかさんと攣尾んで君を拵えたのだ、あはははは」などと云う。
 お国の木戸にいたお爺さんと択ぶことなしである。
 鰐口は講堂での出来は中くらいである。
 独逸人の教師は、答の出来ない生徒を塗板の前ヘ直立させて置く例になっていた。
 或るとき鰐口が答が出来ないので、教師がそこに立っていろと云った。
 鰐口は塗板に背中を持たせて空を嘯いた。
 塗板はがたりと鳴った。
 教師は火のようになって怒って、とうとう幹事に言って鰐口を禁足にした。
 しかしそれからは教師も鰐口を憚っていた。
 教師が憚るくらいであるから、級中鰐口を憚らないものはない。
 鰐口は僕に保護を加えはしないが、鰐口のいる処へ来て、僕に不都含な事をするものは無い。
 鰐口は外出するとき、供にこう云って出て行く。
「おれがおらんと、又穴を覗う馬鹿もの共が来るから、用心しておれ」
 僕は用心している。
 寄宿舎は長屋造であるから出口は両方にある。
 敵が右から来れば左へ逃げる。
 左から来れば右へ逃げる。
 それでも心配なので、あるとき向島の内から、短刀を一本そっと待って来て、懐に隠していた。
 二月頃に久しく天気が統いた。
 毎日学課が済むと、埴生と運動場へ出て遊ぶ。
 外の生徒は一人が盛砂の中で角力を取るのを見て、まるで狗児のようだと云って冷かしていた。
 やあ、黒と白が喧嘩をしている、白、負けるななどと声を掛けて通るものもあった。
 埴生と僕とはこんな風にして遊んでも、別に話はしない。
 僕は貸本をむやみに読んで、子供らしい空想の世界に住している。
 埴生は教場の外ではじっとしていない性なので、本なぞは読まない。
 一しょに遊ぶと云えば、角力を取る位のものであった。
 或る寒さの強い日の事である。
 僕は埴生と運動場へ行って、今日は寒いから駆競にしようどいうので、駈競をして遊んで帰って見ると、鰐口の処ヘ、同級の生徒が二三人寄って相談をしている。
 間食の相談である。
 大抵間食は弾豆か焼芋で、生徒は醵金をして、小使に二銭の使賃を遣って、買って来させるのである。
 今日はいつも違って、大いに奢るというので、盲汁ということをするのだそうだ。
 てんでに出て何か買って来て、それを一しょに鍋に叩き込んで食うのである。
 一人の男が僕の方を見て、金井はどうしようと云った。
 鰐口は僕を横目に見て、こう云った。
「芋を買う時とは違う。小僧なんぞは仲間に這入らなくても好い」
 僕は傍を向いて聞かない振をしていた。
 誰を仲間に入れるとか入れないとか云って、暫く相談していたが、程なく皆出て行った。
 鰐口の性質は平生知っている。
 彼は権威に屈服しない。
 人と苟も合うという事がない。
 そこまでは好い。
 しかし彼が何物をも神聖と認めない為めに、傍のものが苦痛を感ずることがある。
 その頃僕は彼の性質を刻薄だと思っていた。
 それには、彼が漢学の素養があって、いつも机の上に韓非子を置いていたのも、与って力があったのだろう。
 今思えば刻薄という評は頃星に中っていない。
 彼はcynicなのである。
 僕は後にTheodor Vischerの書いたCynismusを読んでいる間、始終鰐口の事を思って読んでいた。
 Cynicという語は希臘のkyon犬という語から出ている。
 犬学などという訳語があるからは、犬的と云っても好いかも知れない。
 犬が穢いものへ鼻を突込みたがる如く、犬的な人は何物をも穢くしなくては気か済まない。
 そこで神聖なるものは認められないのである一人は神聖なるものを多く有しているだけ、弱点が多い。
 苦痛が多い。
 犬的な人に逢っては叶わない。
 鰐口は人に苦痛を覚えさせるのが常になっている。
 そこで人の苦痛を何とも思わない。
 刻薄な処はここから生じて来る。
 強者が弱者を見れば可笑しい。
 可笑しいと面白い。
 犬的な人は人の苦痛を面白がるようになる。
 僕だって人が大勢集って煮食をするのを、ひとりぼんやりして見ているのは苦痛である。
 それを鰐口は知っていて、面白半分に仲間に入れないのである。
 僕は皆が食う間外へ出ていようかと思った。
 しかし出れば逃げるようだ。
 自分の部屋であるのに、人に勝手な事をせられて逃げるのは残念だと思った。
 さればといって、口に唾の湧くのを呑み込んでいたら彼等に笑われるだろう。
 僕は外へ出て最中を十銭買って来た。
 その頃は十銭最中を買うと、大袋に一ぱいあった。
 それを机の下に抛り込んで置いて、ランプを附けて本を見ていた。
 その中盲汁の仲間が段々帰って来る。
 炭に石油を打っ掛けて火をおこす。
 食堂へ鍋を取りに行く。
 醤油を盗みに行く。
 買って来た鰹節を掻く。
 汁が煮え立つ。
 てんでに買って来たものを出して、鍋に入れる。
 一品鍋に這入る毎に笑声が起る。
 もう煮えたという。
 まだ煮えないという。
 鍋の中では箸の白兵戦が始まる。
 酒はその頃唐物店に売っていた gin というのである。
 黒い瓶の肩の怒ったのに這入っている焼酎である。
 値段が安いそうであったから、定めて下等な酒であったろう。
 皆が折々僕の方を見る。
 僕は澄まして、机の下から最中を一つずつ出して食っていた。
 Gin が利いて来る。
 血が頭へ上る。
 話が下へ下って来る。
 盲汁の仲間には硬派もいれば軟派もいる。
 軟派の宮裏が硬派の逸見にこう云った。
「どうだい。逸見なんざあ、雪隠へ遣入って下の方を覗いたら、僕なんぞが、裾の間から緋縮緬のちらつくのを見たときのような心持がするだろうなあ」
 逸見が怒るかと思うと大違で、真面目に返事をする。
「そりやあお情所から出たものじゃと思うて見ることもあるたい」
「あはははは。女なら話を極めるのに、手を握るのだが、少年はどうするのだい」
「やっぱり手じゃが、こぎゃんして」
 と宮裏の手を掴まえて、手の平を指で押して、承諾するときはその指を握るので、嫌なときは握らないのだと説明する。
 誰やら逸見に何か歌えと勧めた。
 逸見は歌い出した。
「雲のあわやから鬼が穴う突ん出して縄で縛るよな庇をたれた」
 甚句を歌うものがある。
 詩を吟ずるものがある。
 覗機関の口上を真似る。
 声色を遣う。
 そのうちに、鍋も瓶も次第に虚になりそうになった。
 軟派の一人が、何か近い処で好い物を発見したというような事を言う。
 そんなら今から往こうというものがある。
 此間門限の五分前に出ようとして留められたが、まだ十五分あるから大丈夫出られる。
 出てさえしまえば、明日証人の証書を持って帰れば好い。
 証書は、印の押してある紙を貫って持っているから、出来るというような話になる。
 盲汁仲間はがやがやわめさながら席を起った。
 鰐口も一しょに出てしまった。
 僕は最中にも食い厭きて、本を見ていると、梯子を忍足で上って来るものがある。
 猟銃の音を聞き慣れた鳥は、狩人を近くは寄せない。
 僕はランプを吹き消して、窓を明けて屋根の上に出て、窓をそっと締めた。
 露か霜か知らぬが、瓦は薄じめりにしめっている。
 戸袋の蔭にしやがんで、懐にしている短刀のツカをしっかり握った。
 寄宿舎の窓は皆雨戸が締まっていて、小使部屋だけ障子に明がさしている。
 足音は僕の部屋に這入った。
 あちこち歩く様子である。
「今までランプが付いておったが、どこへ往ったきゃんの」
 逸見の声である。
 僕は息を屏めていた。
 暫くして足音は部屋を出て、梯子を降りて行った。
 短刀は幸に用立たずに済んだ。

* * *

 十四になった。
 日課は相変らず苦にもならない。
 暇さえあれば貸本を読む。
 次第に早く読めるようになるので、馬琴や京伝のものは殆ど読み尽した。
 それからよみ本というものの中で、外の作者のものを読んで見たが、どうも面白くない。
 人の借りている人情本を読む。
 何だか、男と女との関係が、美しい夢のように、心に浮ぶ。
 そして余り深い印象をも与えないで過ぎ去ってしまう。
 しかしその印象を愛ける度毎に、その美しい夢のようなものは、容貌の立派な男女の享ける福で、自分なぞには企て及ばないというような気がする。
 それが僕には苦痛であった。
 埴生とは矢張一しょに遊ぶ。
 暮春の頃であった。
 月曜日の午後埴生と散歩に出ると、埴生が好い処へ連れて行って遣ろうと云う。
 何処だと聞けば、近処の小料理屋なのである。
 僕はそれ迄で蕎麦屋や牛肉屋には行ったことがあるが、お父様に連れられて、飯を食いに王子の扇屋に這入った外、御料理という看板の掛かっている家へ這入ったことがないのだから、非道く驚いた。
「そんな処へ君はひとりで行けるか」
「ひとりじやあない。君と行こうというのだ」
「そりやあ分かっている。僕がひとりというのは、大きい人に連れられずに行けるかというのだ。一体君はもう行ったことがあるのか」
「うむ。ある。此間行って見たのだ」
 埴生は頗る得意である。
 二人は暖簾を潜った。
「いらっしやい」と一人の女中が云って、侠等を見て、今一人の女中と目引ぎ袖引き笑っている。
 僕は間が悪くて引き返したくなったが、埴生がずんずん遣入るので、しかたなしに附いて這入った。
 埴生は料理を誂える。
 酒を誂える。
 君は酒が飲めるかというと、飲まなくても誂えるという。
 女中は物を運んで来る度に、暫く笑いながら立って見ている。
 僕は堅くなって、口取か何かを食っていると、埴生がこんな話をし出した。
「昨日は実に愉快だったよ」
「何だ」
「おじの年賀に呼ばれて行ったのだ。そうすると、芸者やお酌が大勢来ていて、まだ外のお客が集まらないので、遊んでいた。そのうちのお酌が一人、僕に一しょに行って庭を見せてくれろと云うだろう。僕はそいつを連れて庭へ行った。池の縁を廻って築山の処へ行くと、黙って僕の手を握るのだ。それから手を引いて歩いた。愉快だったよ」
「そうか」
 僕は一語を讃することを得ない。
 そして僕の頭には例の夢のような美しい想像が浮んだ。
 なる程埴生なら、綺麗なお酌と手を引いて歩いても、好く似合うだろうと思った。
 埴生は美少年であるばかりではない。
 着物なぞも相応にさっばりしたものを着ているのであった。
 こう思うと共に、僕はその事が、いかにも自分には縁還いように感じた。
 そして不思議にも、人情本なんぞを読んで空想に耽ったときのように、それが苦痛を感じさせなかった。
 僕はこの事実に出くわして、却ってそれを当然の事のように思った。
 埴生は間もなく勘定をして料埋屋を出た。
 察するに、埴生は女の手を握った為めに祝宴を設けて、僕に馳定をしたのであったろう。
 僕はその頃の事を思って見ると不思議だ。
 何故かというに、人情本を見た時や、埴生がお酌と手を引いて歩いた話をした時浮んだ美しい想像は、無論恋愛の萌芽であろうと思うのだが、それがどうも性欲その物と密接に関聯していなかったのだ。
 性欲と云っては、この場合には適切でないかも知れない。
 この恋愛の萌芽とCopulationstriebとは、どうも別々になっていたようなのである。
 人情本を見れば、接吻が、西洋のなんぞとまるで違った性質の接吻が叙してある。
 僕だって、恋愛と性欲とが開係していることを、悟牲の上から解せないことはない。
 しかし恋愛が懐かしく思われる割合には、牲欲の方面は発動しなかったのである。
 或る記憶に残っている事柄が、直援にそれを証明するように思う。
 僕はこの頃悪い事を覚えた。
 これは甚だ書きにくい事だが、これを書かないようでは、こんな物を書く甲斐がないから書く。
 西洋の寄宿舎には、青年の生徒にこれをさせない用心に、両手を被布団の上に出して寝ろという規則があって、舎監が夜見廻るとき、その手に気を附けることになっている。
 どうしてそんな事を覚えたということは、はっさりとは分からない。
 あらゆる穢いことを好んで口にする鰐口が、いつもその話をしていたのは事実である。
 その外、少年の顔を見る度に、それをするかと云い、小娘の顔を見る度に、或る体の部分に毛が生えたかと云うことを決して忘れない人は沢山ある。
 それが教育というものを受けた事のない卑賤な男なら是非がない。
 紳士らしい顔をしている男にそういう男が沢山ある。
 寄宿舎にいる年長者にもそういう男が多かった。
 それが僕のような少年を揶揄う常套語であったのだ。
 僕はそれを試みた。
 しかし人に聞いたように愉快でない。
 そして跡で非道く頭痛がする。
 強いてかの可笑しな画なんぞを想像して、反復して見た。
 今度は頭痛ばかりではなくて、動悸がする。
 僕はそれからはめったにそんな事をしたことはない。
 つまり僕は内から促されてしたのでなくて、入智恵でしたのだ、附焼刃でしたのだから、だめであったと見える。
 或る日曜日に僕は向島の内へ帰った。
 帰って見ると、お父様がいつもと違って姻たい顔をして黙っておられる。
 お母様も心配らしい様子で、僕に優しい詞を掛けたいのを控えてお出なさるようだ。
 元気好く帰って行った僕は拍子抜がして、暫く二親の顔を見競べていた。
 お父様が、烟草を呑んでいた烟管で、常よりひどく灰吹をはたいて、口を切られた。
 お父様は巻烟草は上らない。
 いつも雲井という烟草を上るに極まっていたのである。
 さてお話を聞いて見ると、僕の罪悪とも思わなかった罪悪が、お父様の耳に入ったのである。
 それはかの手に関係する事ではない。
 埴生との交際の事である。
 同じ学校の上の級に沼波というのがあった。
 僕は顔も知らないが、先方では僕と値生との狗児のように遊んでいるのを可笑がって見ていたものと見える。
 この沼波の保証人が向島にいて、お父様の碁の友達であった。
 そこでお父様はこういう事を聞かれたのである。
 金井は寄宿舎じゅうで一番小さい。
 それに学課は好く出来るそうだ。
 その友達に埴生というのがいる。
 これも相応に出来る。
 しかし二人の性質はまるで違う。
 金井は落着いた少年でこれからぐんぐん伸びる人だと思うが、埴生は早熟した才子で、鋭敏過ぎていて、前途が覚束ない。
 二人はひどく仲を好くして一しょに遊んでいるようだが、それは外に相手がないから、小さい同士で遊ぶのであろう。
 ところがこの頃になって、金井の為めには、埴生との交際が頗る危険になったようである。
 埴生は金井より二つ位年上であろう。
 それが江戸の町育ったものだから、都会の悪影響を受けている。
 近頃ひとりで料理屋に行って、女中共におだてられるのを面白がっているのを見たものがある。
 酒も呑み始めたらしい。
 尤も甚しいのは、或る楊弓店の女に帯を買って遣ったということである。
 あれは堕落してしまうかも知れない。
 どうぞ金井が一しょに堕落しないように、引き分けて遣りたいものだということを、沼波が保証人に話したのである。
 お父様はこの話をして、何か埴生と一しょに悪い事をしはしないか。
 したなら、それを打明けて言うが好い。
 打明けて言って、これから先しなければ、それで好い。
 とにかく埴生と交際することは、これからは止めねばいかぬと仰ゃるのである。
 お母様が側から沼波さんもお前が悪い事をしたと云ったのではないそうだ、お前は何もしたのではあるまい、これからその埴生という子と遊ばないようにすれば好いのだと仰ゃる。
 僕は恐れ入った。
 そして正直に埴生に、料理屋へ連れて行かれた事を話した。
 しかしそれが埴生の祝宴であったということだけは、言いにくいので言わなかった。
 埴生と絶交するのは、余程むつかしかろうと思ったが、実際殆ど自然に事が運んだ。
 埴生は間もなく落第する。
 退学する。
 僕はその形迹を失ってしまった。
 僕が洋行して帰って妻を貫ってからであった。
 或日の留守に、埴生庄之助という名刺を置いて行った人があった。
 株式の売買をしているものだと言い置いて帰ったそうだ。

* * *

 同じ歳の夏休に向島に帰っていた。
 その頃好い友達が出来た。
 それは和泉橋の東京医学校の預科に這入っている尾藤裔一とう同年位の少年であった。
 裔一のお父様はお邸の会計で、文案を受け持っている榛野なんぞと同じ待遇を受けている。
 家もお長屋の隣同志である。
 僕のお父様はお邸に近い処に、小さい地面附の家を買って、少しばかりの畠にいろいろな物を作って楽んでおられる。
 田圃を隔てて引舟の通が見える。
 裔一がそこへ遊びに来るか、僕がお長屋へ往くか、大抵離れることはない。
 裔一は平べったい顔の黄いろ味を帯びた、しんねりむっつりした少年で、漢学が好く出来る。
 菊池三渓を贔負にして居る。
 僕は裔一に借りて、晴雪楼詩鈔を読む。
 本朝虞初新誌を読む。
 それから三渓のものが出るからというので、僕も浅草へ行って、花月新誌を買って来て読む。
 二人で詩を作って見る。
 漢文の小品を書いて見る。
 先ずそんな事をして遊ぶのである。
 裔一は小さい道徳家である。
 埴生と話をするには、僕は遣り放しで、少しも自分を拘束するようなことは無かったのだが、裔一と何か話していて、少しでも野卑な詞、猥褻な詞などが出ようものなら、彼はむきになって怒るのである。
 彼の想像では、人は進士及第をして、先生のお嬢様か何かに思われて、それを正妻に迎えるまでは、色事などをしてはならないのである。
 それから天下に名の聞えた名士になれば、東坡なんぞのように、芸者にも大事にせられるだろう。
 その時は絹のハンケチに詩でも書いて遣るのである。
 裔一の処へ行くうちに、裔一が父親に連れられて出て、いない事がある。
 そういう時に好く、長い髪を項まで分けた榛野に出くわす。
 榛野は、僕が外から裔一を呼ぶと、僕が這人らないうちに、内から障子を開けて出て、帰ってしまう。
 裔一の母親があとから送って出て、僕にあいそを言う。
 裔一の母親は継母である。
 ある時裔一と一しょに晴雪楼詩鈔を読んでいると、真間の手古奈の事を詠じた詩があった。
 僕は、ふいと思い出して、「君のお母様は本当のでないそうだが、窘めはしないか」と問うた。
「いいや、窘めはしない」と云ったが、彼は母親の事を話すのを嫌うようであった。
 或日裔一の内へ往った。
 八月の晴れた日の午後二時頃でもあったろうか。
 お長屋には、どれにも竹垣を結い廻らした小庭が附いている。
 尾藤の内の庭には、縁日で買って来たような植木が四五本次第もなく植えてある。
 日が砂地にかっかっと照っている。
 御殿のお庭の植込の茂みでやかましい程鳴く蝉の声が聞える。
 障子をしめた尾藤の内はひっそりしている。
 僕は竹垣の間の小さい柴折戸を開けて、いつものように声を掛けた。
「裔一君」 返事をしない。
「裔一君はいませんか」
 障子が開く。
 例の髪を項まで分けた榛野が出る。
 色の白い、撫肩の、背の高い男で、純然たる東京詞を遣うのである。
「裔一君は留守だ。ちっと僕の処へも遊びに来給え」
 こう云って長屋隣の内へ帰って行く。
 鳴海絞の浴衣の背後には、背中一ぱいある、派手な模様がある。
 尾藤の奥さんが閾際にいざり出る。
 水浅葱の手がらを掛けた丸髷の鬢を両手でいじりながら、僕に声を掛ける。
 奥さんは東京へ出たばかりだそうだが、これも純然たる東京詞である。
「あら。金井さんですか。まあお上んなさいよ」
「はい。しかし裔一君がいませんのなら」
「お父さんが釣に行くというので、附いて行ってしまいましたの、裔一がいなくたって好いではございませんか。まあ、ここへお掛なさいよ」
「はい」
 僕はしぶしぶ縁側に腰を掛けた。
 奥さんは不精らしく又少しいざり出て、片膝立てて、僕の側へ、体がひっ附くようにすわった。
 汗とお白いと髪の油との匂がする。
 僕は少し脇へ退いた。
 奥さんは何故だか笑った。
「好くあなたは裔一のような子と遊んでおやんなさるのね。あんなぶあいそうな子ってありゃしません」
 奥さんは目も鼻も口も馬鹿に大きい人である。
 そして口が四角なように僕は感じた。
「僕は裔一君が大好です」
「わたくしはお嫌」
 奥さんは頬っぺたをおっ附けるようにして、横から僕の顔を覗き込む。
 息が顔に掛かる。
 その息が妙に熱いような気がする。
 それと同時に、僕は急に奥さんが女であるというようなことを思って、何となく恐ろしくなった。
 多分僕は蒼くなったであろう。
「僕は又来ます」
「あら。好いじやありよせんか」
 僕は慌てたように起って、三つ四つお辞儀をして駆け出した。
 御殿のお庭の植込の間から、お池の水が小さい堰塞を踰して流れ出る溝がある。
 その縁の、杉菜の生えている砂地に、植込の高い木が、少し西へいざった影を落している。
 僕はそこまで駆けて行って、仰向に砂の上に寝転んだ。
 すぐ上の処に、凌霄の燃えるような花が簇々と咲いている。
 蝉が盛んに鳴く。
 その外には何の音もしない。
 Panの神はまだ目を醒まさない時刻である。
 僕はいろいろな想像をした。
 それからは、僕は裔一と話をしても、裔一の母親の事は口に出さなかった。

* * *

 十五になった。
 去年の暮の試験に大淘汰があって、どの級からも退学になったものがあった。
 そしてこの犠牲の候補者は過半軟派から出た。
 埴生なんぞのようなちびさえ一しょに退治られたのである。
 逸見も退学した。
 しかしこれはつい昨今急激な軟化をして、着物の袖を長くし、袴の裾を長くし、天を指していた椶櫚のような髪の毛に香油を塗っていたのであった。
 この頃僕に古賀と児島との二人の親友が出来た。
 古賀は顴骨の張った、四角な、赭ら顔の大男である。
 安達という美少年に特別な保護を加えている処から、服装から何から、誰が見ても硬派中の鏘々たるものである。
 それが去年の秋頃から僕に近づくように努める。
 僕は例の短刀のツカを握らざることを得なかった。
 然るに淘汰の跡で、寄宿舎の部屋割が極まって見ると、僕は古賀と同室になっていた。
 鰐口は顔に嘲弄の色を浮べて、こう云った。
「さあ。あんたあ古賀さあの処へ往って可哀がって貫いんされえか。あはははは」
 例のとおりお父様の声色である。
 この男は少しも僕を保護してはくれなんだ。
 しかし僕は構わぬのが難有かった。
 彼のcynicな言語挙動は始終僕に不愉快を感ぜしめるが、とにかく彼も一種の奇峭な性格である。
 同級の詩人が彼に贈った詩の結句は、竹窓夜静にして韓非を読むというのであった。
 人が彼を畏れ憚る。
 それが間接に、僕の為めには保護になっていた
 僕はこの間接の保護を失わねばならない。
 そして頗る危険なる古賀の室へ引き越さねばならない。
 僕は覚えず慄然とした。
 僕は獅子の窟に這入るような積で引き越して行った。
 埴生が、君の目は基線を上にした三角だと云ったが、その倒三角形の目がいよいよ稜立っていたであろう。
 古賀は本も何も載せてない破机の前に、鼠色になった古毛布を敷いて、その上に胡坐をかいて、じっと僕を見ている。
 大きな顔の割に、小さい、真円な目には、喜の色が溢れている。
「僕をこわがって逃げ廻っていた癖に、とうとう僕の処へ来たな。はははは」
 彼は破顔一笑した。
 彼の顔はおどけたような、威厳のあるような、妙な顔である。
 どうも悪い奴らしくはない。
「割り当てられたから為方がない」
 随分無愛想な返事である。
「君は僕を逸見と同じように思っているな。僕はそんな人間じゃあない」
 僕は黙って自分の席を整頓し始めた。
 僕は子供の時から物を散らかして置くということが大嫌である。
 学校にはいってからは、学科用のものと外のものとを選り分けてきちんとして置く。
 この頃になっては、僕のノオトブックの数は大変なもので、丁度外の人の倍はある。
 その訳は一学科毎に二冊あって、しかもそれを皆教場に持って出て、重要な事と、参考になると思う事とを、聴きながら選り分けて、開いて畳ねてある二冊へ、ペンで書く。
 その代り、外の生徒のように、寄宿舎に帰ってから清書をすることはない。
 寄宿舎では、その日の講義のうちにあった術語だけを、希臘ラテンの語原を調べて、赤インキでペエジの縁に注して置く。
 教場の外での為事は殆どそれきりである。
 人が術語が覚えにくくて困るというと、僕は可笑しくてたまらない。
 何故語原を調べずに、器械的に覚えようとするのだと云いたくなる。
 僕はノオトブックと参考書とを同じ順序にシェルフに立てた。
 黒と赤とのインキを瓶のひっくり反らない用心に、菓子箱のあいたのに、並べて入れたのに、ペンを添えて、机の向うの方に置いた。
 大きい吸取紙を広げて、机の前の方に置いた。
 その左に厚い表紙の附いている手帖を二冊累ねて置いた。
 一冊は日記で、寝る一前に日々の記事をきちんと締め切るのである。
 一冊は学科に関係のない事件の備忘録で、表題には生利にも紺珠という二字がペンで篆書に書いてある。
 それから机の下に忍ばせたのは、貞丈雑記が十冊ばかりであった。
 その頃の貸本屋の持っていた最も高尚なものは、こんな風な随筆類で、僕のように馬琴京伝の小説を卒業すると、随筆読になるより外ないのである。
 こんな物の中から何かしら見出しては、例の紺珠に書き留めるのである。
 古賀はにやりにやり笑って僕のする事を見ていたが、貞丈雑記を机の下に忍ばせるのを見て、こう云った。
「それは何の本だ」
「貞丈雑記だ」
「何が書いてある」
「この辺には装束の事が書いてある」
「そんな物を読んで何にする」
「何にもするのではない」
「それではつまらんじやないか」
「そんなら、僕なんぞがこんな学校に這入って学間をするのもつまらんじやないか。官員になる為めとか、教師になる為めとかいうわけでもあるまい」
「君は卒業しても、官員や教師にはならんのかい」
「そりゃあ、なるかも知れない。しかしそれになる為めに学問をするのではない」
「それでは物を知る為めに学問をする、つまり学問をする為めに学問をするというのだな」
「うむ。まあ、そうだ」
「ふむ。君は面白い小僧だ」
 僕は憤然とした。
 人と始て話をしておしまいに面白い小僧だは、結未が余り振るってい過ぎる。
 僕は例の倒三角形の目で相手を睨んだ。
 古賀は平気でにやりにやり笑っている。
 僕は拍子抜けがして、この無邪気な大男を憎むことを得なかった。
 その日の夕かたであった。
 古賀が一しょに散歩に出ろと云う。
 鰐口なんぞは、長い間同じ部屋にいても、一しょに散歩に出ようと云ったことはない。
 とにかく附いて出て見ようと思って、承諾した。
 夏の初の気持の好い夕かたである。
 神田の通りを歩く。
 古本屋の前に来ると、僕は足を留めて覗く。
 古賀は一しょに覗く。
 その頃は、日本人の詩集なんぞは一冊五銭位で買われたものだ。
 柳原の取附に広場がある。
 ここに大きな傘を開いて立てて、その下で十二三位な綺麗は女の子にかっぽれを踊らせている。
 僕はVictor HugoのNotre Dameを読んだとき、Emeraudeとかいう宝石のような名の附いた小娘の事を書いてあるのを見て、この女の子を思出して、あの傘の下でかっぽれを踊ったような奴だろうと思った。
 古賀はこう云った。
「何の子だか知らないが、非道い目に合わせているなあ」
「もっと非道いのは支那人だろう。赤子を四角な箱に入れて四角に太らせて見せ物にしたという話があるが、そんな事もし兼ねない」
「どうしてそんな話を知っている」
「虞初新誌にある」
「妙なものを読んでいるなあ。面白い小僧だ」
 こんな風に古賀は面白い小僧だを連発する。
 柳原を両国の方へ歩いているうちに、古賀は蒲焼の行灯の出ている家の前で足を留めた。
「君は鰻を食うか」
「食う」
 古賀は鰻屋へ這入った。
 大串を誂える。
 酒が出ると、ひとりで面白そうに飲んでいる。
 そのうち咽に痰がひっ掛かる。
 かっと云うと思うと、縁の外の小庭を囲んでいる竹垣を越して、痰が向うの路地に飛ぶ。
 僕はあっけに取られて見ている。
 鰻が出る。
 僕はお父様に連れられ鰻屋へ一度行って、鰻飯を食ったことしか無い。
 古賀がいくらだけ焼けと金で誂えるのに先ず驚いたのであったが、その食いようを見て更に驚いた。
 串を抜く。
 大きな切を箸で折り曲げて一口に頬張る。
 僕は口には出さないが、面白い奴だと思って見ていたのである。
 その日は素直に寄宿舎に帰った。
 寝るとき、明日の朝は起してくれえ、頼むぞと云って、ぐうぐう寝てしまった。
 朝は四時頃から外があかるくなる。
 僕は六時に起きる。
 顔を洗って来て本を見ている。
 七時に賄の拍子木が鳴る。
 古賀を起す。
 古賀は眠むそうに目を開く。
「何時だ」
「七時だ」
「まだ早い」
 古賀はくるりと寝返りをして、ぐうぐう寝る。
 僕は飯を食って来る。
 三十分になる。
 八時には日課が始まるのである。
 古賀を起す。
「何時だ」
「七時三十分だ」
「まだ早い」
 十五分前になる。
 僕は前晩に時間表を見て揃えて置いたノオトブックとインクとを持って出掛けて、古賀を起す。
「何時だ」
「十五分前だ」
 古賀は黙って跳ね起きる。
 紙と手拭とを持って飛び出す。
 これから雪隠に往って、顔を洗って、飯を食って、教場へ駆け附けるのである。
 古賀鵠介の平常の生活はこんな風である。
 折々古賀の友達で、児島十二郎というのが遊びに来る。
 その頃絵草紙屋に吊るしてあった、錦絵の源氏の君のような顔をしている男である。
 体じゅうが青み掛かって白い。
 綽号を青大将というのだが、それを言うと怒る。
 尤もこの名は、児島の体の或る部分を浴場で見て附けた名だそうだから、怒るのも無埋は無い。
 児島は酒量がない。
 言語も挙動も貴公子らしい。
 名高い洋学者で、勅任官になっている人の弟である。
 十二人目の子なので、十二郎というのだそうだ。
 どうして古賀と児島とが親しくしているだろうと、僕は先ず疑問を起した。
 さて段々観察していると、触接点がある。
 古賀は父親をひどく大切にしている。
 その癖父親は鵠介の弟の神童じみたのが夭折したのを惜んで、鵠介を不肖の子として扱っているらしい。
 鵠介は自分が不肖の子として扱われれば扱われるだけ、父親の失った子の穴填をして、父親に安心させねばならないように思うのである。
 児島は父親が亡くなって母親がある。
 母親は十何人という子を一人で生んだのである。
 これも十三人目の十三郎というのが才子で、その方が可哀がられているらしい。
 しか十三郎は才子である代りに、稍や放縦で、或る新間縦覧所の女に思われた為めに騒動が起って新間の続物に出た。
 女は元と縦覧所を出している男の雇女で、年の三十も違う主人に、脅迫せられて身を任せて、妾の様になっていた。
 それが十三郎を慕うので、主人が嫉妬から女を虐遇する。
 女は十三郎に泣き附く。
 その十三郎が勅任官の家の若殿だから、新間の好材料になったのである。
 その為めに、十三郎は或る立派な家に養子に貫われていたのが破談になる。
 母親は十三郎の為めに心痛する。
 十二郎はその母親の心を慰めようと、熱心に努めているのである。
 こんな事をだらだらと書くのは、僕の性欲的生活に何の関係もないようだが、実はそうでない。
 これが重大な関係を有している。
 僕は古賀と次第に心安くなる。
 古賀を通じて児島とも心安くなる。
 そこでご三角同盟が成立した。
 児島は生息子である。
 彼の性欲的生活は零である。
 古賀は不断酒を飲んでぐうぐう寝てしまう。
 しかし月に一度位荒日がある。
 そういう日には、己は今夜は暴れるから、君はおとなしくして寝ろと云い置いて、廊下を踏み鳴らして出て行く。
 誰かの部屋の外から声を掛けるのに、戸を締めて寝ていると、拳骨で戸を打ち破ることもある。
 下の級の安達という美少年の処なぞへ這人り込むのは、そういう晩であろう。
 荒日には外泊することもある。
 翌日帰って、しおしおとして、昨日は獣になったと云って悔んでいる。
 児島の性欲の獣は眠っている。
 古賀の獣は縛ってあるが、おりおり縛を解いて暴れるのである。
 しかし古賀は、あたかも今の紳士の一小部分が自分の家庭だけを清潔に保とうとしている如くに、自分の部屋を神聖にしている。
 僕は偶然この神聖なる部屋を分つことになったのである。
 古賀と児島と僕との三人は、寄宿舎全体を白眼に見ている。
 暇さえあれば三人集まる。
 平生性欲の獣を放し飼にしている生徒は、このtriumviriの前では寸毫も仮借せられない。
 中にも、土曜日の午後に白足袋を穿いて外出するような連中は、人間ではないように言われる。
 僕の性欲的生活が繰延になったのは、全くこの三角同盟のお蔭である。
 後になって考えて見れば、若しこの同盟に古賀がいなかったら、この同盟は陰気な、貧血性な物になったのかも知れない。
 幸い荒日を持っている古賀が加わっていたので、互に制裁を加えている中にも、活気を失わないでいることを得たのであろう。
 或る土曜の事である。
 三人で吉原を見に行こうということになる。
 古賀が案内に立つ。
 三人共小倉袴に紺足袋で、朴歯の下駄をがらつかせて出る。
 上野の山から根岸を抜けて、通新町を右へ折れるる。
 お歯黒溝の側を大門に廻る。
 吉原を縦横に闊歩する。
 軟派の生徒で出くわした奴は災難だ。
 白足袋がこそこそと横町に曲るのを見送って三人一度にどっと笑うのである。
 僕は分れて、今戸の渡を向島へ渡った。

* * *

 同じ歳の夏休は、矢張去年どおりに、向島の親の家で暮らした。
 その頃はまだ、書生が暑中に温泉や海浜へ行くということはなかった。
 親を帰省するのが精々であった。
 僕のような、判任官の子なんぞは、親の処に帰って遊んでいるより上の愉快を想像することは出来なかったのである。
 相変らず尾藤裔一と遊ぶ。
 裔一の母親はもういない。
 悪い噂が支ったので、榛野は免職になって国へ帰る。
 尾藤の母親も国の里方へ返されたのである。
 裔一と漢文の作り競をする。
 それが困じて、是非本当の漢文の先生に就いて遣って見たいということになる。
 その頃向島に文淵先生という方がおられた。
 二町程の田圃を隔てて隅田川の土手を望む処に宅を構えておられる。
 二階建の母屋に、庭の池に臨んだ離座散の書斎がある。
 土蔵には唐本が一ばい這入っていて、書生が一抱ずつ抱えては出人をする。
 先生は年が四十二三でもあろうか。
 三二十位の奥さんにお嬢さんの可愛いのが二三人あって、母屋に住んでおられる。
 先生は渡廊下で続いている書斎におられる。
 お役は編修官。
 月給は百円。
 手車で出勤せられる。
 僕のお父様が羨ましって、あれが清福というものじゃと云うておられた。
 その頃は百円の月給で清福を得られたのである。
 僕はお父様に頼んで貫って、文淵先生の内へ漢文を直して貫いに行くことにした。
 書生が先生の書斎に案内する。
 どんな長い物を書いて持って行っても、先生は「どれ」と云って受け取る。
 朱筆を把る。
 片端から句読を切る。
 句読を切りながら直して行く。
 読んでしまうのと直してしまうのと同時である。
 それでも字眼なぞがあると、標を附けて行かれるから、照応を打ち壊されることなぞはめったに無い。
 度々行くうちに、十六七の島田髷が先生のお給仕をしているのに出くわした。
 帰ってからお母様に、今日は先生の内の一番大きいお嬢さんを見たと話したら、それはお召使だと仰ゃった。
 お召使というには特別な意味があったのである。
 或日先生の机の下から唐本が覗いているのを見ると、金瓶梅であった。
 僕は馬琴の金瓶梅しか読んだことはないが、唐本の金瓶梅が大いに達っているということを知っていた。
 そして先生なかなか油断がならないと思った。

* * *

 同じ歳の秋であった。
 古賀の機嫌が悪い。
 病気かと思えばそうでもない。
 或日一しょに散歩に出て、池の端を歩いていると、古賀がこう云った。
「今日は根津へ探険に行くのだが、一しょに行くかい」
「一しょに帰るなら、行っても好い」
「そりやあ帰る」
 それから古賀が歩きながら探険の目的を話した。
 安達が根津の八幡楼という内のお職と大変な関係になった。
 女が立て引いて呼ぶので、安達は殆ど学課を全廃した。
 女の処には安達の寝巻や何ぞが備え附けてある。
 女の持物には、悉く自分の紋と安達の紋とが比翼にして附けてある。
 二三日安達の顔を見ないと癪を起す。
 古賀がどんなに引き留めても、女の磁石力が強くて、安達はふらふらと八幡楼へ引き寄せられて行く。
 古賀は浅草にいる安達の親にdenunciateした。
 安達と安達の母との間には、悲痛なる対話があった。
 さて安達の寄宿舎に帰るのを待ち受けて、古賀が「どうだ」と問うた。
 安達は途方に暮れたという様子で云った。
「今日は母に泣かれて困った。母が泣きながら死んでしまうというのを聞けば、気の毒ではある。しかし女も泣きながら死んでしまうというから、為方がない」と云ったというのである。
 古賀はこの話をしながら、憤慨して涙を翻した。
 僕は歩きながらこの話を聞いて、「なる程非道い」と云った。
 そうは云ったが、頭の中では憤慨はしない。
 恋愛というものの美しい夢は、断えず意識の奥の方に潜んでいる。
 初て梅暦を読んだ頃から後、漢学者の友達が出来て、剪燈余話を読む。
 燕山外史を読む。
 情史を読む。
 こういう本に書いててある、青年男女のnaivelyな恋愛がひどく羨ましい、妬ましい。
 そして自分が美男に生れて来なかった為めに、この美しいものが手の届かない理想になっているということを感じて、頭の奥には苦痛の絶える隙がない。
 それだから安達はさぞ愉快だろう、縦令苦痛があっても、そ苦痛は甘い苦痛で、自分の頭の奥に潜んでいるような苦い苦痛ではあるまいという思遣をなすことを禁じ得ない。
 それと同時に僕はこんな事を思う。
 古賀の単純極まる性質は愛す可きである。
 しかし彼が安達の為めに煩悶する源を考えて見れぱ、少しも同情に値しない。
 安達は寧ろ不自然の回抱を脱して自然の懐に走ったのである。
 古賀がこの話を児島にしたら、児島は一しょに涙を翻したかも知れない。
 いかにも親孝行はこの上もない善い事である。
 親孝行のお蔭で、牲欲を少しでも抑えて行かれるのは結構である。
 しかしそれを為し得ない人間がいるのに不思議はない。
 児島は性欲を吸込の糞坑にしている。
 古賀は性欲を折々掃除をさせる雪隠の瓶にしている。
 この二人と同盟になっている僕が、同じように性欲の満足を求めずにいるのは、果して僕の手柄であろうか。
 それは頗る疑わしい。
 僕が若し児島のような美男に生れていたら、僕は児島ではないかも知れない。
 僕は神聖なる同盟の祭壇の前で、こんなhereticalな思議を費していたのである。
 僕は古賀の跡に附いて、始て藍染橋を渡った。
 古賀は西側の小さい家に這入って、店の者と話をする。
 僕は閾際に立っている。
 この家は引手茶屋である。
 古賀は安達が何日と何日とに来たかというような事を確めている。
 店のものは不精々々に返辞をしている。
 古賀は暫くしてしおしおとして出て来た。
 僕等は黙って帰途に就いた。
 安達は程なく退学させられた。
 一年ばかり立ってから、浅草区に子守女や後家なぞに騒がれる美男の巡査がいるという評判を間いた。
 又数年の後、古賀が浅草の奥山で、唐桟ずくめの頬のこけた凄い顔の男に逢った。
 奥山に小屋掛けをして興行している女の軽技師があって、その情夫が安達の末路であったそうだ。

* * *

 十六になった。
 僕はその頃大学の予備門になっていた英語学校を卒業して、大学の文学部に這人った。
 夏休から後は、僕は下宿生活をすることになった。
 古賀や児島と毎晩のように寄席に行く。
 一頃悪い癬が附いて寄席に行かないと寝附かれないようになったこともある。
 講釈に厭きて落語を聞く。
 落語に厭きて女義太夫をも聞く。
 寄席の帰りに腹が滅って蕎麦屋に這入ると、妓夫が夜鷹を大勢連れて来ていて、僕等はその百鬼夜行の姿をランプの下に見て、覚えず戦慄したこともある。
 しかし「仲までお安く」という車なぞにはとうとう乗らずにしまった。
 多分生息子で英語学校を出たものは、児島と僕と位なものだろう。
 文学部に這入ってからも、三角同盟の制裁は依然としていて、児島と僕とは旧阿蒙であった。
 この歳は別に書く程の事もなくて暮れた。

* * *

 十七になった。
 この歳にお父様が、世話をする人があって、小菅の監獄署の役人になられた。
 某省の属官をしておられたが、頭が支えて進級が出来ない。
 監獄の役人の方は、官宅のようなものが出来ていて、それに住めば、向島の家から家賃があがる。
 月給も少し好い。
 そこで意を決して小菅へ越されたのである。
 僕は土曜日に小菅へ行って、日曜日の晩に下宿に帰ることになった。
 僕は依然として三角同盟の制裁の下に立っているのである。
 休日の前日が来て、小菅の内の帰る度に通新町を通る。
 吉原の方へ曲る角の南側は石の玉垣のある小さい社で、北側は古道具屋である。
 この古道具屋はいつも障子が半分締めてある。
 その障子の片隅に長方形の紙が貼ってあって、看板かきの書くような字で「秋貞」と書いてある。
 小菅へ行く度に、往にも反にも僕はこの障子の前を通るのを楽にしていた。
 そしてこの障子の口に娘が立っていると、僕は一週問の間何となく満足している。
 娘がいないと、僕は一週間の間何となく物足らない感じをしている。
 この娘はそれ程稀な美人というのではないかも知れない。
 只薄紅の顔がつやつやと露が垂るようで、ぱっちりした目に形容の出来ない愛敬がある。
 洗髪を島田に結っていて、赤い物なぞは掛けない。
 夏は派手な浴衣を着ている。
 冬は半衿の掛かった銘撰か何かを着ている。
 いつも新しい前掛をしているのである。
 僕はこの頃から、ずっと後に大学を卒業するまで、いや、そうではない、それから二年目に洋行するまで、この娘を僕の美しい夢の主人公にしていたに相違ない。
 春のなまめかしい目然でも、秋の物寂しい自然でも、僕の情緒を動かすことがあると、ふいと秋貞という名が唇に上る。
 実に烏鹿らしい訣である。
 何故というのに、秋貞というのはその店に折々見える、紺の前掛をした、痩せこけた爺さんの屋号と名前の頭字とに過ぎないのである。
 この娘は何という娘だということをも僕は知らないのである。
 しかし不思議と云えば不思議である。
 僕が顔を覚えてから足掛五年の間、この娘は娘でいる。
 僕の空想の中に娘でいるのは不思議ではないが、この娘が実在の娘でいるのは不思議である。
 僕は例の美しい夢の中で、若しやこの娘は、僕が小菅へ往復する人力車を留めて、話をし掛けるのを待っているのではあるまいかとさえ思ったこともある。
 しかしまさか現の意識でそれを信ずる程の詩人にもなれなかった。
 余程年が立ってから、僕は偶然この娘の正体を聞いた。
 この娘はじきあの近所の寺の住職が為送をしていたのであった。
 つまらない話の序に、も一つ同じようなのを話そう。
 お父様の住まってお出になる、小菅の官舎の隣に十三ばかりの娘がある。
 それが琴の稽古をしている。
 師匠は下谷の杉勢というのであるが、遠方の事だから、いつも代稽吉の娘が来る。
 お母様が聞いていらっしゃるに、隣の娘が弾いても、代稽古に来る来る娘が弾いても、余り好い音がしたことはない。
 それが或日まるで変った音がした。
 言つて見れば、今までのが寝惚けた昔なら、今度のは目の醒めた音である。
 お母様が隣の奥さんにその事を話すと、あれは琴を商売にしている人ではない。
 杉勢の弟子で、五軒町に住んでいる娘である。
 代稽古に来る娘が病気なので、好意で来てくれたということであった。
 そのうちその琴の上手な娘が、お母様に褒められたのを聞いて、それではいつか往って弾いて聞かせようと云った。
 それから折々内に寄るので、僕が休日に帰っていて落ち合うこともある。
 子供の時にHydrocephalusででもあったかというような頭の娘で、髪が程や薄く、色が蒼くて、下瞼が紫色を帯びている。
 性質は極勝気である。
 琴はいかにもくvirtuosoの天賦を備えている。
 これが若し琴を以て身を立てようとする人であったら、師匠に破門せられて、別に一流を起すという質かも知れない。
 この娘が段々お母様と親密になって、話の序に、遠廻しのようで、実は頗る大胆に、僕の妻になりたいということをほのめかすのである。
 お母様が、倅も卒業すれば、是非洋行をさせねばならないが、卒業試騒の点数次第で、官費で遣られるか、どうだか知れないと話すと、わたくしがお金を持っていれば、有るだけ出して学資にして戴きとうございますなどと云う。
 お母様にもこの娘の怜悧なのが気に入る。
 そこで身元などを問い合わせて見られる。
 このお麗さんという娘は可なりの役を勤めていた士族の娘で、父親に先立たれて、五軒町の借屋と一しょに住んでいる。
 しかし妙なことには、その家にお兄いさんというのがいて、余程お人好と見えて、お麗さんに家来のように使われている。
 それが実は壻養子に来たものだということである。
 壻養子に来たのではあるが、お麗さんはその人の妻になりたくないから、家をその人に遣って、自分はどこかへ娵に行きたいと云っている。
 そしてお麗さんの望は、少くも学士位な人を夫に持ちたいというのだそうだ。
 そこで僕がその選に中ったという訣である。
 お母様にはそのお兄いさんというもののいるのが気に人らない。
 僕はこの怜悧で活撥な娘が嫌ではないが、早く妻を持とうという気はないのだから、この話はどうなるともなしに、水が砂地に吸い込まれるように、立消になってしまった。
 これは性欲問題では勿論無い。
 そんならと云って、恋愛問題とも云われまい。
 言わば起り掛かって止んだ縁談に遇ぎないが、思い出したから書いて置く。
 お麗さんは望どおりに或る学士の奥さんになって横浜あたりにいるということである。

* * *

 十八になった。
 夏休の間の出来事である。
 卒業試験が近くなるので、どこかいつもより静かな処にいて勉強したいと思った。
 さいわい向島の家が借手がなくて明いている。
 そこへ書物を持って這入る。
 お母様が二三日来ていて、世話をして下さる。
 しかし材料さえ集めて置いて貫えば、僕が自炊をするというのである。
 お母様は覚束ないと仰ゃる。
 この話を隣の植木屋が聞いた。
 お父様が畠に物を作る相談をせられるので、心安くなっていた植木屋である。
 この植木屋のお上さんが、親切にもこういう提議をした。
 植木屋にお蝶という十四になる娘がある。
 体は十六位かと見えるように大きいが、まるで子供である。
 煮炊もろくな事は出来ない。
 しかし若且那よりは上手であろう。
 これを貸してくれようと云うのである。
 お母様は同意なすった。
 僕も初から女を置くということには反対していたが、鼻を垂らして赤ん坊を背負っていたのを知っている、あのお蝶なら好かろうというので、同意した。
 お蝶は朝来て夜帰る。
 むくむくと太った娘で、大きな顔に小さな目鼻が附いている。
 もう鼻は垂らさない。
 島田に結っている。
 これは僕のお召便になるというので、自ら好んで結って貫ったのだそうだが、大きな顔の上に小さい島田髷が載っている工合は随分可笑しい。
 飯の時にはお蝶がお給仕をする。
 僕はその様子を見て、どうしても蝶ではなくて蛾の方だなどと思っている。
 見るともなしに顔を見る。
 少し竪に向いて附いた眉の下に、水平な目があるので、内眦の処が妙にせせこましくなっている。
 俯向いてその目で僕を見ると、滑稽を帯びた愛敬がある。
 お蝶は好く働く。
 僕は飯の時に給仕をさせるだけで、跡は何をしていようと構わない。
 お菜は何にしましょうと云って来ると、何でも好いから、お前の内で拵えるような物を拵えろと云う。
 そんな風で二週間程立った。
 或日今年は親類の内に往っていると聞いていた尾藤裔一が来た。
 僕は学科の本に読み厭きていたので、喜んで話しかけたが、裔一はひどく萎れている。
 僕は不審に思った。
「君どうかしているようじやないか」
「僕は本科に這入ることは廃めた」
「どうして」
「実は君には逢わずに国へ立ってしまおうと思ったのだ。ところが、親父に暇乞に来て聞けば、君がいるというので、つい逢いたくなって遣って来た」
 お蝶が茶を持って出た。
 裔一は茶を一息に飲んで話を続けた。
 裔一の学資は父親の手から出ていない。
 木挽町に店を出している伯父が出していたのである。
 その伯父の所帯が左前になったので、いよいよ廃学をしなくてはならないようになった。
 そこで国へ帰って小学校の教員でもしようかと思っている。
 しかし教員になるにしても、その傍何か遣りたい。
 西洋の学間をするには、素養が不十分な上に、新しい本を買うのは容易でない。
 そこで一時の凌ぎにと云って、伯父の出してくれた金の大部分は漢籍にしてしまった。
 それを持って国へ引込んで読むというのである。
 僕は気の毒でたまらなかった。
 しかし何とも言いようがない。
 意味のない慰めなんぞを言うと、裔一は怒り兼ない。
 為方なしに黙っていた。
 間もなく裔一は帰ると云った。
 そして立ちそうにして立たずに、頗る唐突にこんな事を言い出した。
「僕の伯父の立ち行かなくなったのは、元はおばの為めだ」
「おぱさんはどんな人なんだ」
「伯父が一人でいたときの女中だ」
「ふむ」
「それがどうしても離れないのだ。女房に内助なんということを要求するのは無埋かも知れないが、訣の分らない奴が附いていて離れないというものは、人生の一大不幸だなあ。左様なら」
 裔一はふいと帰って行った。
 僕はあっ気に取られて跡を見送った。
 戸口に掛けてある簾を透して、冠木門を出て行く友の姿が見える。
 白地の浴衣に麦藁帽を被った裔一は、午過の日のかっかっと照っている、かなめ垣の道に黒い、短い影を落しながら、遠ざかって行く。
 裔一は置土産に僕を諷諌したのである。
 僕は一寸腹が立った。
 何もその位な事を人に聞かなくても好いと思う。
 それも人による。
 万事に掛けて自分よりは鈍いように思っていた裔一には、出過ぎた話だと思う。
 その上お蝶が何だ。
 こっちはまるで女とも何とも思っていないのではないか。
 人を識らないのだ。
 冤もまた甚しいと思ったのである。
 机に向いて読み掛けていた本を開ける。
 どうも裔一の云ったことが気になる。
 僕はお蝶を何とも思ってはいない。
 しかしお蝶はどうだろう。
 僕とお蝶とは殆ど話というものをしないから、お蝶が何と云ったというような記憶は無い。
 何か記憶に留まった事はないかと思うと、ふいと今朝の事を思い出す。
 今朝散歩に出た。
 出るときお蝶は蚊屋を畳み掛けていた。
 三十分も歩いたと思って帰って見ると、お蝶は畳んだ蚊屋を前に置いて、目は空を見てぼんやりしてすわっていた。
 もう疾くに片付けてしまっているだろうと思ったのに、意外であった。
 その時僕は少し懶けて来たなと思った。
 あの時お蝶は三十分が間も何を思っていたのだろう。
 こう思って、僕は何物をか発見したような心持がした。
 この時から僕はお蝶に注意するようになった。
 別な目でお蝶を見る。
 飯の給仕をしてくれる時に、彼の表情に注意する。
 注意して見ると、こういう事がある。
 初の頃は俯向いてはいだが、度々僕の顔を見ることがあった。
 それがこの頃は殆ど全く僕の顔を見ない。
 彼の態度は確に変って来たのである。
 僕は庭なぞを歩くとき、これまでは台所の前を通っても、中でことこと言わせているのを聞きながら、其方を見ずに通ったのが、今度は見て通る。
 物なんぞを洗い掛けて手を休めて空を見て、じっとしているのが目に附く。
 何か考えているようである。
 又飯の給仕に来る。
 僕の観察の目が次第に鋭くなる。
 彼は何も言わず、顔も上げずにいるが、彼の神経の情態が僕に感応して来るような気がする。
 彼の体が電気か何かの蓄積している物体ででもあるように感ぜられる。
 そして僕は次第に不安になって来た。
 僕は本を見ていても、台所の方で音がすれば、お蝶は何をしているのかと思う。
 呼べば直に来る。
 来るのは当りまえではあるが、呼ぶのを待っていたなと恩う。
 夕かたになると暇乞をして勝手の方へ行く。
 そして下駄を穿いて出て、戸を締める音がするまで、僕は耳を欹てている。
 そしてその間の時間が余り長いように思う。
 彼は帰り掛けて、僕の呼び戻すのを待っているのではないかと思う。
 僕の不安はいよいよ加わって来たのである。
 その頃僕はこんな事を思った。
 尾藤裔一は鋭敏な男ではない。
 しかし彼は父親の処にいる時も、伯父の処にいる時も、僕の内とは連う雰囲気の中に栖息していたのである。
 そこで一寸茶を持って出ただけのお蝶の態度を見て、何物かを発見したのではあるまいかと思った。
 或日お母様がお出なすった。
 僕は、もう向島は嫌になったから、小菅に帰ろうと思うと云った。
 お母様は、そんな事なら、何故葉書でもよこさなかったかと仰ゃる。
 僕は、切角手紙を出そうと思っていた処だと云った。
 実はお母様のお出なすったのを見て、急に思い附いたのである。
 僕はお母様に、お蝶と植木屋のものとに跡を片附けさせて帰って下さるように頼んで置いて、本を二三冊待って、ついと出て、小菅へ帰った。
 お蝶の精神か神経かの情態に、何か変ったことがあったかどうだか、恋愛が芽ざしていたか、性欲が動いていたか、それとも僕の想像が跡形もない事を描き出したのであったか、僕はとうとう知らずにしまった。

* * *

 十九になった。
 七月に大学を卒業した。
 表向の年齢を見て、二十になったばかりで学士になるとは珍らしいと人が云った。
 実は二十にもなってはいなかった。
 とうとう女というものを知らずに卒業した。
 これは確に古賀と児島とのお蔭である。
 そして児島だけは、僕より年は上であったが、矢張女を知らなかったらしい。
 その当座宴会がむやみにある。
 上野の松源という料埋屋がその頃盛であった。
 そこへ卒業生一同で教授を請待した。
 数寄屋町、同朋町の芸者やお酌が大勢来た。
 宴会で芸者を見たのはこれが始である。
 今でも学生が卒業する度に謝恩会ということがある。
 しかし今からあの時の事を思って見ると、客も芸者も風が変っている。
 今は学士になると、別に優遇はせられないまでも、ひどく粗末にもせられないようだ。
 あの頃は僕なんぞをぱ、芸者がまるで人間とは思っていなかった。
 あの晩の松源の宴会は、はっきりと僕の記憶に残っている。
 床の間の前に並んでいる教授がたの処へ、卒業生が交る交るお杯を頂戴しに行く。
 教授の中には、わざと卒業生の前へ来て胡坐をかいて話をする人もある。
 席は大分入り乱れて来た。
 僕はぼんやりしてすわっていると、左の方から僕の鼻の先へ杯を出したものがある。
「あなた」
 芸者の声である。
「うむ」
 僕は杯を取ろうとしたた。
 杯を持った芸者の手はひょいと引込んだ。
「あなたじやあ有りませんよ」
 芸著は窘めるように、ちょいと僕を見て、僕の右前の方の人に杯を差した。
 笑談ではない。
 笑談を粧ってもいない。
 右前にいたのは某教授であった。
 芸者の方には殆ど背中を向けて、右隣の人と話をしておられた。
 僕の目には先生の絽の羽織の紋が見えていたのである。
 先生はやっと気が附いて杯を受けられた。
 僕がいくらぼんやりしていても、人の前に出した杯を横から取ろうとはしない。
 僕は羽織の紋に杯を差すものがあろうとは思い掛けなかったのでのる。
 僕はこの時忽ち醒覚したような心持がした。
 譬えば今まで波の渦巻の中にいたものが、岸の上に飛び上がって、波の騒ぐのを眺めるようなものである。
 宴会の一座が純客観的に僕の目に映ずる。
 教場でむつかしい顔ばかりしていた某教授が相好を崩して笑っている。
 僕のすぐ脇の卒業生を掴まえて、一人の芸者が、「あなた私の名はボオルよ、忘れちゃあ嫌よ」と云っている。
 お玉とでも云うのであろう。
 席にいただけのお酌が皆立って、笑談半分に踊っている。
 誰も見るものはない。
 杯を投げさせて受け取っているものがある。
 お酌の間へ飛び込んで踊るものがある。
 置いてある三味線を踏まれそうになって、慌てて退ける芸者がある。
 さっき僕にけんつくを食わせた芸者はねえさん株と見えて、頻りに大声を出して駈け廻って世話を焼いている。
 僕の左二三人目に児島がすわっている。
 彼はぼんやりしている。
 僕の醒覚前の態度と余り変わっていないようだ。
 その前に一人の芸著がいる。
 締った体の権衡が整っていて、顔も美しい。
 若し眼窩の縁を際立たせたら、西洋の絵で見るくVestaのようになるだろう。
 初め膳を持って出て配った時から、僕の注意を惹いた女である。
 傍輩に小幾さんと呼ばれたのまで、僕の耳に留まったのである。
 その小幾が頻りに児島に話し掛けている。
 児島は不精々々に返詞をしている。
 聞くともなしに、対話が僕の耳に這入る。
「あなた何が一番お好」
「橘飩が旨い」
 真面目な返詞である。
 生年二十三歳の堂々たる美丈夫の返詞としては、不思議ではないか。
 今日の謝恩会に出る卒業生の中には、捜してもこんなのがいないだけは慥である。
 頭が異様に冷になっていた僕は、間の悪いような可笑しいような心持がした。
「そう」
 優しい声を残して小幾は座を立った。
 僕は一種の興味を以て、この出来事の成行を見ている。
 暫くして小幾は可なり大きな丼を持って来て、児島の前に置いた。
 それは橘飩であった。
 児島は宴会の終るまで、橘飩を食う。
 小幾はその前にきちんとすわって、橘飩の栗が一つ一つ児島の美しい唇の奥に隠れて行くのを眺めていた。
 僕は小幾が為めに、児島のなるたけ多くの橘飩を、なるたけゆっくり食わんことを祈って、黙って先へ帰った。
 後に聞けば、小幾は下谷第一の美人であったそうだ。
 そして児島は只この美人のフげ来った橘飩を食ったばかりであった。
 小幾は今某政党の名高い政治家の令夫人である。

* * *

 二十になった。
 新しい学士仲間は追々口を捜して、多くは地方へ教師になりに行く。
 僕は卒業したときの席順が好いので、官費で洋行させられることになりそうな噂がある。
 しかしそれがなかなか極まらないので、お父様は心配してお出なさる。
 僕は平気で小菅の官舎の四畳半に寝転んで本を見ている。
 遊びに来るものもめったに無い。
 古賀は某省の参事宮になって、女房を持って、女房の里に同居して、そこから役所へ通っている。
 児島はそれより前に、大阪の或会社の事務員になって、東京を立った。
 それを送りに新橋へ行ったとき、古賀が僕に囁語ささやいだ。
「僕のかかあになってくれるというものがあるよ。妙ではないか」これは謙遜したのではない。
 児島に比べては、余程世情に通じている古賀も、さすが三角同盟の一隅だけあって、無邪気なものである。
 僕は妙とも何とも思わなかった。
 僕にも縁談を持って来るものがある。
 お母様の考では、縦い洋行をさせられるにしても、妻は持って置く方が好いというのである。
 お父様には別に議論は無い。
 そこでお母様が僕にお勧なさるが、僕は生返詞をしている。
 お母様には僕の考が分らない。
 僕は又考はあっても言いたくない。
 言うにしても、頗る言いにくいような気がする。
 お母様は根気好くお尋なさる。
 僕は或日ついつい追い詰められて、こんな事を言った。
 妻というものを、どうせいつか持つことになるだろう。
 持つには嫌な奴では困る。
 嫌か好かをこっちで極めるのは容易である。
 しかし女だって嫌な男を持っては困るだろう。
 生んで貰った親に対して、こう云うのは、恩義に背くようではあるが、女が僕の容貌を見て、好だと思うということは、一寸想像しにくい。
 或は自知の明のあるお多福が、僕を見て、あれで我慢をするというようなことは無いにも限るまい。
 しかし我慢をしてくれるには及ばない。
 そんな事はこっちから辞退したい。
 そんなら僕の霊の側はどうだ。
 余り結構な霊を持ち合わせているとも思わないが、これまで色々な人に触れて見たところが、僕の霊がそう気恥かしくて、包み隠してばかりいなければならないようにも思わない。
 霊の試験を受ける事になれほ、僕だって必ず落第するとも思わない。
 さて結婚の風俗を見るに、容貌の見合はあるが、霊の見合は無い。
 その容貌の見合でさえ、媒をするものの云うのを聞けば、いつでも先方では見合を要せないと云っているということだ。
 女は好嫌を言わない。
 只こっちが見て好嫌を言えば好いというのだ。
 娘の親は売手で、こっちが買手ででもあるようだ。
 娘はまるで物品扱を受けている。
 羅馬法にでも書いたら、奴隷と同じように、resとしてしまわねばならない。
 僕ば綺麗なおもちゃを買いに行く気はない。
 ざっとこう云うような事を、なるたけお母様に分るように説明して見た。
 お母様は、僕が霊では落第しないが、容貌では落第しそうだと云うのが、大不服である。
「わたしはお前を片羽に産んだ覚えはない」と、憤慨に堪えないような口気で仰ゃる。
 これには僕もひどく恐縮せざることを得ない。
 それから男が女を択ぶように、女も男を択ぶのが、正当な見合であるということも、お母様は認めて下さらない。
 お母様の仰ゃるには、おお方そんな事を言うのは、男女同権とかいう話と同じ筋の話だろう。
 昔から町家の娘には、見合で壻をことわるということがあった。
 侍の娘は男の魂を見込んで娵に往くのだから、男の顔を見てかれこれ云う筈はない。
 それが日本ばかりの事であっても、好い事なら好いではないか。
 しかしお父様のお話を聞いたうちに、西洋の王様が家来を隣国へ遣って娵を見させるという話があった。
 そうして見れば、西洋でも王様なんぞは日本流に娵を取られると見えると、こう仰ゃる。
 僕は、西洋の事なんぞは、なるたけ言わないようにしているのに、お母様に西洋の例を引いて升じ附けられて、僕は少し狼狽した。
 僕の方にはまだ言いたい事は沢山有ったが、この上反駁を試みるのも悪いと思って、それきりにしてしまった。
 この話をして間もなく、お父様の心安くしていらっしやる安中という医者が来て、或る大名華族の末家の令嬢を貰えと勧めた。
 令嬢は番町の一条という画家の内におられる。
 いつでも見せて遣るということである。
 お母様は例に依ってお勧なさる。
 僕はふと往って見る気になった。
 それが可笑しい。
 そのお嬢さんを見ようと思うのではなくて、見合というものをして見ようと思うのであった。
 少し無貴任な事をしたようではあるが、僕はどんなお嬢さんでも貰わないと極めていた訣ではない。
 貰う気になったら貰おうとだけは思っていたのである。
 三月頃でもあったか、まだ寒かった。
 僕は安中に連れられて、番町の一条の内へ行った。
 黒い冠木門のある陰気なような家であった。
 主人の居間らしい八昼の間に通された。
 安中と火鉢を囲んで雑談をしていると、主人が出て逢われた。
 五十ばかりの男で、磊落な態度である。
 画の話なぞをする。
 暫くして奥さんが令嬢を運れて出られた。
 主人夫婦は色々な話をして座を持っておられる。
 ゆっくり話して行け、酒を飲むなら酒を出そうかと云う。
 僕は酒は飲まないと云う。
 主人がそんなら何を御馳走しようかと云って、首を傾ける。
 その頃僕は齲歯に悩まされていて、内ではよく蕎麦掻を食っていた。
 そこで、御近所に蕎麦の看板があったから、蕎麦掻を御馳走になろうと云った。
 主人がこれは面白い御注文だと云って笑う。
 奥さんが女中を呼んで言い付ける。
 令嬢はこの時まで奥さんの右の方に、大人しくすわって、膝に手を置いておられた。
 ふっくりした丸顔で、目尻が少し吊り上がっている。
 俯向かないで、正面を向いていて、少しもわるびれた様子がない。
 顔にはこれという表情もなかった。
 それが蕎麦掻の注文を聞いて、思わずにっこり笑った。
 僕は蕎麦掻の注文をしてしまって、児島の橘飩にも譲らないと思って、ひとりで可笑がった。
 暫くは蕎麦の話が栄える。
 主人も蕎麦掻は食べる。
 ある時病気で、粒立った物が食えないので、一月も蕎麦掻ばかり食っていたと云う。
 奥さんが、あの時はほんとに呆れたと云って、気が附いて僕にあやまる。
 僕は蕎麦掻を御馳走になって帰った。
 主人夫婦に令嬢も附いて、玄関まで送られた。
 帰道に安中が決答を促したが、僕は何とも云うことが出来ない。
 それは自分でも分らないからである。
 僕はお嬢さんを非常な美人とは思わない。
 しかし随分立派なお嬢さんだとは思っている。
 品格はたしかに好い。
 性質は分らないが、どうもねじくれた処なぞが有りそうにはない。
 素直らしい。
 そんなら貰いたいかと云うと、少しも貰いたくない。
 嫌では決してない。
 若し自分の身の上に関係のない人であって、僕が評をしたら、好な娘だと云うだろう。
 しかしどうも貰う気になられない。
 なる程立派なお嬢さんだが、あんなお嬢さんは外にもあろう。
 何故あれを特に貰わねばならないか分らないなどと思う。
 そんな事を考えては、娵に貰う女はなくなるだろうと、自ら駁しても見る。
 しかしどうも貰う気になられない。
 僕は、こんな時に人はどうして決心をするかと疑った。
 そして、或は人は性欲的刺激を受けて決心するのではあるまいか。
 それが僕には闕けているので、好いとは思っても貰いたくならないのではないかと思った。
 僕が何か案じているのを安中は見て取って、「いずれ改めて伺います」と云って、九段の上で別れた。
 内へ帰ると、お母様が待ち受けて、どうであったかとお問なさる。
 僕は猶予する。
「まあ、どんな御様子な方だい」
「そうですねえ。容貌端正というような嬢さんです。目が少し吊り上がっています。着物は僕には分らないが、黒いような色で、下に白襟を襲ねていました。帯に懐剣を挿していても似合いそうな人です」
 僕のふいと言った形容が、お母様にはひどくお気に入った。
 懐剣を持っていそうなと云うのが、お母様には頼もしげに思われるのである。
 そこで随分熱心に勧められる。
 安中も二三度返詞を聞きに来る。
 しかし僕はついつい決答を与えずにしまった。
 程経てこのお嬢さんは、僕の識っている宮内省の役人の奥さんになられたが、一年ばかり後に病死せられた。

* * *

 同じ年の冬の初であった。
 来年はいよいよ洋行が出来そうだという噂がある。
 相変らず小菅の内にぶらぶらしている。
 千住に詩会があって、会員の宅で順番に月次会を開く。
 或日その会で三輪崎霽波という詩人と近附になった。
 その霽波が云うには、自分は自由新聞の詞藻欄を受け持っているが、何でも好いから書いてくれないかと云う。
 僕はことわった。
 しかし霽波が立って勧める。
 そんなら匿名でも好いかと云うと、好いと云う。
 僕は厳重に秘密を守って貰うという条件で承知した。
 その晩帰って何を書いたら好かろうかと、寝ながら考えたが、これという思付もない。
 翌日は忘れていた。
 その次の朝、内で鈴木田正雄時代から取っている読売新聞を見ると、自分の名が出ている。
 哲学科を優等で卒業した金井湛氏は自由新聞に筆を取られる云々と書いてある。
 僕は驚いて、前々晩の事を思い出した。
 そしてこう思った。
 僕は秘密を守って貰う約束で書こうと云った。
 その秘密を先方が守らない以上は、書かなくても好いと思った。
 そうすると霽波から催促の手紙が来る。
 僕は条件が破れたから書かないと返詞をする。
 とうとう霽波が遣って来た。
「どうも読売の一条は実に済まなかった。どうかあの一条だけは勘弁して、書いてくれ給え。そうでないと、僕が社員に対して言を食むようになるから」
「ふむ。しかし僕があれ程言ったのに、何だって君は読売なんぞに吹聴するのだ」
「僕が何で吹聴なんかをするものかね」
「それではどうして出たのだ」
「そりゃあこうだ。僕は社で話をした。勿論君に何も言わない前から、社で話をしていたのだ。僕が仙珠吟社へ請待せられて行って、君に逢ったというと、社長を始め、是非君に何か書かせてくれろと云う。僕は何とも思わずに受け合った。そこで君に話して見ると、なかなか君がむつかしい事を言う。それを僕が蘇張の舌で口説き落したのだ。それだから社に帰って、僕は得意で復命したのだ。読売へは誰か社のものが知らせたのだろう。それは僕には分らない。僕は荊を負うことを辞せない。平蜘蝶になってあやまる。どうぞ書いてくれ給え」
「好いよ。書くよ。しかし僕には新聞社の人の考が分らない。僕がこれまでにない一番若い学士だとか、優等で卒業したとかいうので、新聞に名が出た。そいつにどんな物を書くか書かせて見ようというような訣だろう。そこで僕の書くものが旨かろうが、まずかろうが、そんな事は構わない。Sansationはsensationだろう。しかしそういうのは、新聞経営者としは実に短見ではあるまいか。僕の利害は言わない。新聞社の利害を言うのだ。それよりは黙って僕の匿名で書いたものを出してくれる。それがまずければそれなりに消滅してしまう。いくらまずくても、何故あんなものを出したかと、社が非難せられる程の事もあるまい。万一僕の書いたものが旨かったら、あれは誰だということになるだろう。その時になって、君の社で僕を紹介してくれたって好いではないか。そこで新聞社に具眼の人があって、僕を発見したとなれば、社の名誉ではないか。僕はそう旨く行こうとは思わない。しかし文学土何の某というような名ばかりを振り廻すのが、社の働でもあるまいと思うから言うのだ」
「いや。君の言うことは一々尤だ。しかしそんな話は、戦国の人君に礼楽を起せというようなものだねえ」
「そうかねえ。新聞社なんというものは存外分らない人が寄っているものと見えるねえ」
「いやはや。これは御挨拶だ。あははははは」
 こんな話をして霽波は帰った。
 僕は霽波が帰るとすぐに机に向って、新聞の二段ばかりり物を書いて、郵便で出した。
 こんな物を書くに、推敲も何もいらないというような高慢も、多少無いことは無かった。
 翌日それを第一面に載せた新聞が届く。
 夜になって届いた原橋であるから、余程の繰合せをしてくれたものだということは、僕は後に聞いた。
 霽波の礼状が添えてある。
 この新開は今でもどこかにしまってある筈だが、今出して見ようと思っても、一寸見附からない。
 何でも余程変なものを書いたように記憶している。
 頭も尻尾もないような物だった。
 その頃は新聞に雑録というものがあった。
 朝野新聞は成島柳北先生の雑録で売れたものだ。
 真面目な考証に洒落が交る。
 論の奇抜を心掛ける。
 句の警束を覗う。
 どうかするとその警句が人口に膾炙したものだ。
 その頃僕は某教授に借りて、Ecksteinの書いたfeuilletonの歴史を読んでいたので、先ず雑録の体裁で、西洋のfeuilletonの趣味を加えたものと思って書いて見たのだ。
 僕の書いたものは、多少の注意を引いた。
 二三の新聞に尻馬に乗ったような投書が出た。
 僕の書いたものは抒情的な処もあれば、小さい物語めいた処もあれば、考証らしい処もあった。
 今ならば人が小説だと云って評したのだろう。
 小説だと勝手に極めて、それから雑報にも劣っていると云ったのだろう。
 情熱という語はまだ無かったが、有ったら情熱が無いとも云ったのだろう。
 衒学なんという語もまだ流行らなかったが、流行っていたらこの場合に使われたのだろう。
 その外、自己弁護だなんぞという罪名もまだ無かった。
 僕はどんな芸術品でも、自己弁護でないものは無いように思う。
 それは人生が自己弁護であるからである。
 あらゆる生物の生活が自己弁護であるからである。
 木の葉に止まっている雨蛙は青くて、壁に止まっているのは土色をしている。
 草むらを出没する蜥蜴は背に緑の筋を持っている。
 砂漠の砂に住んでいるのは砂の色をしている。
 Mimicryは自己弁護である。
 文章の自己弁護であるのも、同じ道理である。
 僕は幸にそんな非難も受けなかった。
 僕は幸に僕の書いた物の存在権をも疑われずに済んだ。
 それは存在権の最も覚束ない、智的にも情的にも、人に何物も与えない批評というものが、その頃はまだ発明せられていなかったからである。
 一週間程立って、或日の午後霽波が又遣って来た。
 社主が先日書いて貰ったお礼に馳走をしたいというのだから、今から一しょに来てくれろと云う。
 相客は原口安斎という詩人だけで、霽波が社主に代って主人役をするというのである。
 僕は車を雇って、霽波の車に附いて行った。
 神田明神の側の料理屋に這入った。
 安斎は先へ来て待っていた。
 酒が出る。
 芸者が来る。
 ところが僕は酒が飲めない。
 安斎も飲めない。
 霽波が一人で飲んで一人で騒ぐ。
 三人の客は、壮士と書生との間の子という風で、最も壮士らしいのが霽波、最も普通の書生らしいのが安斎である。
 二人は紺飛白の綿入に同じ羽織を着ている。
 安斎は大人しいが気の利いた男で、霽波と一しょには騒がないまでも、芸者と話もする。
 杯の取遣もする。
 僕は仲間はずれである。
 その頃僕は、お父様の国で廉のある日にお着なすった紋附の黒羽二重のあったのを、お母様に為立て直して貰って、それが丈夫で好いというので、不断着にしていた。
 それを着たままで、霽波に連れられて出たのである。
 そして二尺ぱかりの鉄の烟管を持っている。
 これは例の短刀を持たなくても好くなった頃、丁度烟草を呑み始めたので、護身用だと云って、拵えさせたのである。
 それで燧袋のような烟草入から雲井を撮み出して呑んでいる。
 酒も飲まない。
 口も利かない。
 しかしその頃の講武所芸者は、随分変な書生を相手にし附けていたのだから、格別驚きもしない。
 むやみに大声を出して、霽波と一しょに騒いでいる。
 十一時半頃になった。
 女中がお車が揃いましたと云って来た。
 揃いましたは変だとは思ったが、左程気にも留めなかった。
 霽波が先に立って門口に出て車に乗る。
 安斎も僕も乗る。
 僕は「大千住の先の小菅だよ」と車夫に言ったが、車夫は返詞をせずに梶棒を上げた。
 霽波の車が真先に駈け出す。
 次が安斎、殿が僕と、三台の車が続いて、飛ぶように駈ける。
 掛声をして、提灯をを振り廻して、御成道を上野へ向けて行く。
 両側の店は大低戸を締めている。
 食物店の行燈や、蝋燭なんぞを売る家の板戸に嵌めた小障子に移る明りが、おりおり見えて、それが道に後へ走るかと思うようだ。
 往来の人は少い。
 偶々出逢う人は、言い合せたように、僕等の車を振り向いて見る。
 車はどこへ行くのだろう。
 僕は自分の経験はないが、車夫がどこへ行くとき、こんな風に走るかということは知っている。
 広小路を過ぎて、仲町へ曲る角の辺に来たとき、安斎が車の上から後に振り向いて、「逃げましょう」と云った。
 安斎の車は仲町へ曲った。
 安斎は遣伝の痼疾を持っている。
 体が人並でない。
 こんな車の行く処へは行かれないのである。
 僕は車夫に、「今の車に附いて行け」と云った。
 小菅に帰るには、仲町へ曲ってはだめであるが、とにかく霽波と別れさえすれば、跡はどうでもなると思ったのである。
 僕の車は猶予しながら、仲町の方へ梶棒を向けた。
 この時霽波の車は一旦ご一橋を北へ渡ったのが、跡へ引き返して来た。
 霽波は車の上から大声にどなった。
「おい。逃げてはいけない」
 僕の車は霽波の車の跡に続いた。
 霽波は振り返り振り返りして、僕の車を監視している。
 僕は再び脱走を試みようとはしなかった。
 僕が強いて争ったなら、霽波もまさか乱暴はしなかったのだろう。
 しかし極力僕を引張って行こうとしたには違ない。
 僕は上野の辻で、霽波と喧嘩をしたくはない。
 その上僕には負けじ魂がある。
 僕は霽波に馬鹿にせられるのが不愉快なのである。
 この負けじ魂は人をいかなる罪悪の深みへも落しかねない、頗る危険なものである。
 僕もこの負けじ魂の為めに、行きたくもない処へ行くことになったのである。
 それから僕を霽波に附いて行かせた今一つのfactorのあるのを忘れてはならない。
 それは例の未知のものに引かれるNeugierdeである。
 二台の車は大門に入った。
 霽波の車夫が、「お茶屋は」と云うと、霽波が叱るように或る家の名をどなった。
 何でもAstacidae族の皮の堅い動物の名である。
 十二時を余程過ぎている。
 両側の家は皆戸を締めている。
 車は或る大きな家の、締まった戸の前に止まった。
 霽波が戸を叩くと、小さい潜戸を開けて、体の恐ろしく敏速に伸届をする男が出て、茶屋がどうのこうのと云って、霽波と小声で話し合った。
 暫く押間答をした末に、二人を戸の内に案内した。
 二階へ上ると、霽波はどこか行ってしまった。
 一人の中年増が出て、僕を一間に連れ込んだ。
 細長い間の狭い両側は障子で、廊下に通じている。
 広い側の一方は、開き戸の附いた黒塗の箪笥に、真鍮の金物を繁く打ったのを、押入れのような処に切り嵌めてある。
 朱塗の行燈の明りで、漆と真鍮とがぴかぴか光っている。
 広い側の他の一方は、四枚の襖である。
 行燈は箱火鉢の傍に置いてあって、箱火鉢には、ヌル火に大きな土瓶が掛かっている。
 中年増は僕をこの間に案内して置いて、どこか行ってしまった。
 僕は例の黒羽二重の羊羹色になったのを着て、鉄の長烟管を持ったままで、箱火鉢の前の座布団の上に胡坐をかいた。
 神田で嫌な酒を五六杯飲ませられたので、喉が乾く。
 土瓶に手を当てて見ると、好い加減に冷えている。
 傍に湯呑のあったのに注いで見れば、濃い番茶である。
 僕は一息にぐっと飲んだ。
 その時僕の後にしていた襖がすうと開いて、女が出て、行燈の傍に立った。
 芝居で見たおいらんのように、大きな髷を結って、大きな櫛笄を挿して、赤い処の沢山ある胴抜の裾を曳いている。
 目鼻立の好い白い顔が小さく見える。
 例の中年増が附いて来て座布団を直すと、そこへすわった。
 そして黙って笑顔をして僕を見ている。
 僕は黙って真面目な顔をして女を見ている。
 中年増は僕の茶を飲んだ茶碗に目を附けた。
「あなたこの土瓶のをあがったのですか」
「うむ。飲んだ」
「まあ」
 中年増は変な顔をして女を見ると、女が今度はあざやかに笑った。
 白い細かい歯が、行灯の明りできらめいた。
 中年増が僕に問うた。
「どんな味がしましたか」
「旨かつた」
 中年増と女とは二たび目を見合せた。
 女が二たびあざやかに笑った。
 歯が二たび光った。
 土瓶の中のはお茶ではなかったと見える。
 僕は何を飲んだのだか、今も知らない。
 何かの煎薬であったのだろう。
 まさか外用薬ではなかったのだろう。
 中年増が女の櫛道具を取って片附けた。
 それから立って、黒塗の箪笥から袿を出して女に被せた。
 派手な竪縞のお召縮緬に紫繻子の襟が掛けてある。
 この中年増が所謂番新というのであろう。
 女は黙って手を通す。
 珍らしく繊い白い手であった。
 番新がこう云った。
「あなたもう遅うございますから、ちとあちらへ」
「寝るのか」
「はい」
「己は寝なくても好い」
 番新と女とは三たび目を見合せた。
 女が三たびあざやかに笑った。
 歯が三たび光った。
 番新がつと僕の傍に寄った。
「あなたお足袋を」
 この奪衣婆が僕の紺足袋を脱がせた手際は実に驚くべきものであった。
 そして僕を柔かに、しかも反抗の出来ないように、襖のあなたへ連れ込んだ。
 八畳の間である。
 正面は床の間で、袋に人れた琴が立て掛けてある。
 黒塗に蒔絵のしてある衣桁が縦に一間を為切って、その一方に床が取ってある。
 婆あさんは柔かに、しかも反抗の出来ないように、僕を横にならせてしまった。
 僕は白状する。
 番新の手腕はいかにも巧妙であった。
 しかしこれに反抗することは、絶待的不可能であったのではない。
 僕の抗抵力を麻痺させたのは、慥に僕の性欲であった。
 僕は霽波に構わずに、車を言い附けて帰った。
 小菅の内に帰って見れば、戸が締まって、内はひっそりしている。
 戸を叩くと、すぐにお母様が出て開けて下すった。
「大そう遅かったね」
「はい。非常に遅くなりました」
 お母様の顔には一種の表情がある。
 しかし何とも仰ゃらない。
 僕にはその時のお母様の顔がいつまでも忘れられなかった。
 僕は只「お休なさい」と云って、自分の部屋に遣入った。
 時計を見れば三時半であった。
 僕はそのまま床にもぐり込んでぐっすり寝た。
 翌日朝飯を食うとき、お父様が、三輪崎とかいう男は放縦な生活をしているので、酒を飲めば、飲み明かさねば面白くないというような風ではないか、若しそうなら、その男とは余り交際しない方が好かろうと仰ゃった。
 お母様は黙ってお出なすった。
 僕は、三輪崎とは気象が合わないから、親しくする積りではないと云った。
 実際そう思っていたのである。
 四畳半の部屋に帰ってから、昨日の事を想って見る。
 あれが性欲の満足であったか。
 恋愛の成就はあんな事に到達するに過ぎないのであるか。
 馬鹿々々しいと思う。
 それと同時に僕は意外にも悔という程のものを感じない。
 良心の呵責という程のものを覚えない。
 勿論あんな処へ行くのは、悪い事だと思う。
 あんな処へ行こうと預期して、自分の家の閾を越えて出掛けることがあろうとは思わない。
 しかしあんな処へ行き当ったのは為方がないと思う。
 譬えて見れば、人と喧曄をするのは悪い事だ。
 喧嘩をしようと志して、外へ出ることは無い。
 しかし外へ出ていて、喧曄をしなければならないようになるかも知れない。
 それと同じ事だと思う。
 それから或る不安のようなものが心の底の方に潜んでいる。
 それは若しや悪い病気になりはすまいかということである。
 喧曄をした跡でも、日が立ってから打身の痛み出すことがある。
 女から病気を受けたら、それどころではない。
 子孫にまで禍を遺すかも知れないなどとも思って見る。
 先ず翌日になって感じた心理上の変動は、こんなものであって、思ったよりは微弱であった。
 そのうえ、丁度空気の受けた波動が、空間の隔たるに従って微かになるように、この心理上の変動も、時間の立つに従って薄らいだ。
 それとは反対で、ここに僕の感情的生活に一つの変化が生じて来て、それが日にましはっきりして来た。
 何だというと、僕はこれまでは、女に対すると、何となく尻籠をして、いく地なく顔が赤くなったり、詞が縺れたりしたものだ。
 それがこの時から直ったのである。
 こんな譬は、誰かが何処かで、とっくに云っているだろうが、僕は騎士としてdubを受けたのである。
 この事があってから、当分の間は、お母様が常に無い注意を僕の上に加えられるようであった。
 察するに、世間で好く云う病附ということがありはすまいかとお思なすったのだろう。
 それは杞憂であった。
 僕が若し事実を書かないのなら、僕は吉原という処へ往ったのがこれきりだと云いたい。
 しかし少しも偽らずに書こうと云うには、ここに書き添えて置かねばならない事がある。
 それはずっと後であった。
 僕は一度妻を迎えて、その妻に亡くなられて、二度目の妻をまだ迎えずにいた時であった。
 或る秋の夕方、古賀が僕の今の内へ遊びに来た。
 帰り掛に上野辺まで一しょに行こうということになった。
 さて門を出掛けると、三枝という男が来合せた。
 僕の縁家もので、古賀をも知っているから、一しょに来ようと云う。
 そこで三人は青石横町の伊予紋で夕飯を食う。
 三枝は下情に通じているのが自慢の男で、これから吉原の面白い処を見せてくれようと云い出す。
 これは僕が鰥だというので、余りお察しの好過ぎたのかも知れない。
 古賀が笑って行こうと云う。
 僕は不精々々に同意した。
 僕等は大門の外で車を下りる。
 三枝が先に立ってぶらぶら歩く。
 何町か知らないが、狭い横町に曲る。
 どの家の格子にも女が出ていて、外に立っている男と話をしている。
 小格子というのであろう。
 男は大低絆纏着である。
 三枝はその一人を見て、「好い男だなあ」と云った。
 いなせとでも云うような男である。
 三枝の理想の好男子は絆纏着のうちにあると見える。
 三枝は、「一寸失敗」と云うかと思えば、小さい四辻に担荷を卸して、豆を煎っている爺さんの処へ行って、弾豆を一袋買って袂に入れる。
 それから少し歩くうちに、古賀と僕とを顧みて、「ここだ」と云って、ついと或店に這入る。
 馴染の家と見える。
 二階へ通る。
 三枝が、例の仲屈の敏捷な男と、弾豆を撮んで食いながら話をする。
 暫くして僕は鼻を衝くような狭い部屋に案内せられる。
 ランプと姻草盆とが置いてある。
 煎餅布団が布いてある。
 僕は坐布団がないから、為方なしにその煎餅布団の真中に胡坐をかく。
 紙巻烟草に火を附けて呑んでいる。
 裏の方の障子が開く。
 女が這入る。
 色の真蒼な、人の好さそうな年増である。
 笑いながら女が云う。
「お休なさらないの」
「己は寝ない積だ」
「まあ」
「お前はひどく血色が悪いではないか。どうかしたのかい」
「ええ。胸膜炎で二三日前まで病院にいましたの」
「そうかい。それでいて、客の処へ出るのはつらかろうなあ」
「いいえ。もう心持は何ともありませんの」
「ふむ」
 暫く顔を見合せている。
 女が矢張笑いながら云う。
「あなた可笑しゅうございますわ」
「何が」
「こうしていては」
「そんなら腕角力をしよう」
「すぐ負けてしまうわ」
「なに。己もあまり強くはない。女の腕というものは馬鹿にならないものだそうだ」
「あら。旨い事を仰ゃるのね」
「さあ来い」
 煎餅布団の上に肘を突いて、右の手を握り合った。
 女は力も何もありはしない。
 いくら力を入れて見ろと云ってもだめである。
 僕は何の力をも費さずに押え附けてしまった。
 障子の外から、古賀と三枝とが声を掛けた。
 僕は二人と一しょに帰った。
 これが僕の二度自の吉原通であった。
 そして最後の吉原通である。
 序だから、ここに書き添えて置く。

* * *

 二十一になった。
 洋行がいよいよ極まった。
 しかし辞令は貰わない。
 大学の都合で、夏の事になるだろうということである。
 いろいろな縁談で、お母様が頻に気を揉んでお出なさる。
 古賀が、後々の為に好かろうと云うので、僕を某省の参事官の望月君という人に引き合せた。
 この人は某元老の壻さんである。
 下谷の大茂という待合で遊ばれる。
 心安くなるには、矢張その待合へも行くが好いということになる。
 折々行く。
 芸者を四五人呼んで、馬鹿話をして帰る。
 その頃は物価が安くて、割前が三四円位であった。
 僕は古賀の勤めている役所の翻訳物を受け合ってしていたので、懐中が温であった。
 その頃は法律の翻訳なんぞは、一枚三円位取れたのである。
 五十円位の金はいつも持っていた。
 ところが、僕が一しょに行くと、望月君がきっと酒ばかり飲んで帰られる。
 古賀が云うには、「あれは君に遠慮しておられるのかも知れない。僕が遠慮のないようにして遣ろう」と云った。
 そして或晩古賀がお上に話をした。
 僕がこの時古賀に抗抵しなかったのも、芸者はどんな事をするものかと思うNeugierdeがあったからだろう。
 一月の末でもあったか。
 寒い晩であった。
 いつもの通三人で、下谷芸者の若くて綺麗なのを集めて、下らない事をしやべっている。
 そこへお上が這入って来る。
 望月君が妙な声をする。
 故意とするのである。
「婆あ」
「なんですよ。あなた、嫌に顔がてらてらして来ましたよ。熱いお湯でお拭なさい」
 お上は女中に手拭を絞って来させて、望月君に顔を拭かせる。
 苦味ばしった立派な顔が、綺麗になる。
 僕なんぞの顔は拭いても拭き栄がしないから、お上も構わない。
「金井さん。ちょいと」
 お上が立つ。
 僕は附いて廊下へ出る。
 女中がそこに待っていて、僕を別間に連れて行く。
 見たこともない芸者がいる。
 座敷で呼ばせるのとは種が違うと見える。
 少し書きにくい。
 僕は、衣帯を解かずとは、貞女が看病をする時の事に限らないということを、この時教えられたのである。
 今度は事実を曲げずに書かれる。
 その後も待合には行ったが、待合の待合たることを経験したのは、これを始の終であった。
 数日の間、例の不安が意識の奥の方にあった。
 しかし幸に何事もなかった。
 暖くなってから、或日古賀と吹抜亭へ円朝の話を聞きに行った。
 すぐ傍に五十ばかりの太った爺さんが芸者を連れて来ていた。
 それが貞女の芸者であった。
 彼と僕とはお互に空気を見るが如くに見ていた。

* * *

 同じ年の六月七日に洋行の辞令を貰った。
 行く先は独逸である。
 独逸人の処へ稽古に行く。
 壱岐坂時代の修行が大いに用立つ。
 八月二十四日に横浜で舟に乗った。
 とうとう妻を持たずに出立したのである。

* * *
 金井君は或夜ここまで書いた。
 内じゅうが寝静まっている。
 雨戸の外は五月雨である。
 庭の植込に降る雨の、鈍い柔な音の間々に、亜鉛の樋を走る水のちゃらちゃらという声がする。
 西片町の通は往来が絶えて、傘を打つ点滴も聞えず、ぬかるみに踏み込む足駄も響かない。
 金井君は腕組をして考え込んでいる。
 先ず書き掛けた記録の続きが、次第もなく心に浮ぶ。
 伯林のUnter den Lindenを西へ曲がった処の小さい珈琲店を思い出す。
 Cafe Krebsである。
 日本の留学生の集る処で、蟹屋蟹屋と云ったものだ。
 何週行っても女に手を出さずにいると、或晩一番美しい女で、どうしても日本人と一しょには行かないというのが、是非金井君と一しょに行くと云う。
 聴かない。
 女が癇癪を起して、nelangeのコップを床に打ち附けて壊す。
 それからKarlstrasseの下宿屋を思い出す。
 家主の婆あさんの姪というのが、毎晩肌襦袢一つになって来て、金井君の寝ている寝台の縁に腰を掛けて、三十分ずつ話をする。
「おばさんが起きて待っているから、只お話だけして来るのなら、構わないといいますの。好いでしょう。お嫌ではなくって」肌り温まりが衾を隔てて伝わって来る。
 金井君は貸借法の第何条かに依って三箇月分の宿料を払って逃げると、毎晩夢に見ると書いた手紙がいつまでも来たのである。
 Leipzigの戸口に赤い灯の附いている家を思い出す。
 縮らせた明色の髪に金粉を傳けて、肩と腰とに言訣ばかりの赤い着物を着た女を、客が一人ずつ傍に引き寄せている。
 金井君は、「己は肺病だぞ、傍に来るとうつるぞ」と叫んでいる。
 維也納のホテルを思い出す。
 臨時に金井君を連れて歩いていた大官が手を引張ったのを怒った女中がいる。
 金井君は馬鹿気た敵愾心を起して、出発する前日に、「今夜行くぞ」と云った。
「あの右の廊下の突き当りですよ。沓を穿いていらっしっては嫌」響の物に応ずる如しである。
 咽せる様に香水を部屋に蒔いて、金井君が廊下をつたって行く沓足袋の音を待っていた。
 Munchenの珈琲店を思い出す。
 日本人の群がいつも行っている処である。
 そこの常客に、稍や無頼漢肌の土地の好男子の連れて来る、凄味掛かった別嬪がいる。
 日本人が皆その女を褒めちぎる。
 或晩その二人連がいるとき、金井君が便所に立った。
 跡から早足に便所に這入って来るものがある。
 忽ち痩せた二本の臂が金井の頸に絡み附く。
 金井君の唇は熱い接吻を覚える。
 金井君の手は名刺を一枚握らせられる。
 旋風のように身を回して去るのを見れば、例の凄味の女である。
 番地の附いている名刺に「十一時三十分」という鉛筆書きがある。
 金井君は自分の下等な物に関係しないのを臆病のように云う同国人に、面当をしようという気になる。
 そこで冒険にもこのRendez-Vousに行く。
 腹の皮に妊娘した時の痕のある女であった。
 この女は舞踏に着て行く衣裳の質に入れてあるのを受ける為めに、こんな事をしたということが、跡から知れた。
 同国人は荒肝を抜かれた。
 金井君も随分悪い事の限をしたのである。
 しかし金井君は一度も自分から攻勢を取らねばならない程強く性欲に動かされたことはない。
 いつも陣地を守ってだけはいて、穉いNeugierdeと余計な負けじ魂との為めに、おりおり不必要な衝突をしたに過ぎない。
 金井君は初め筆を取ったとき、結婚するまでの事を書く積りであった。
 金井君の西洋から帰ったのは二十五の年の秋であった。
 すぐに貰った初の細君は長男を生んで亡くなった。
 それから暫く一人でいて、三十二の年に十七になる今の細君を迎えた。
 そこで初は二十五までの事は是非書こうと思っていたのである。
 さて一旦筆を置いて考えて見ると、かの不必要な衝突の偶然に繰り返されるのを書くのが、無意義ではあるまいかと疑うようになった。
 金井君の書いたものは、普通の意味でいう自伝ではない。
 それなら是非小説にしようと思ったかというと、そうでも無い。
 そんな事はどうでも好いとしても、金井君だとて、芸術的価値の無いものに筆を着けたくはない。
 金井君はNietzscheのいうDionysos的なものだけを芸術として視てはいない。
 Apollon的なものをも認めている。
 しかし恋愛を離れた性欲には、情熱のありようがないし、その情熱の無いものが、いかに自叙に適せないかということは、金井君も到底自覚せずにはいられなかったのである。
 金井君は断然筆を絶つことにした。
 そしてつくづく考えた。
 世間の人は今の自分を見て、金井は年を取って情熱がなくなったと云う。
 しかしこれは年を取った為めではない。
 自分は少年の時から、余りに自分を知り抜いていたので、その悟性が情熱を萌芽のうちに枯らしてしまったのである。
 それがふとつまらない動機に誤られて、受けなくても好いdubを受けた。
 これは余計な事であった。
 結婚をするまでdubを受けずにいた方が好かった。
 更に一歩を進めて考えて見れば、果して結婚前にdubを受けたのを余計だとするなら、或は結婚もしない方が好かったのかも知れない。
 どうも自分は人並はずれの冷澹な男であるらしい。
 金井君は一旦こう考えたが、忽ち又考え直した。
 なる程、dubを受けたのは余計であろう。
 しかし自分の悟性が情熱を枯らしたようなのは、表面だけの事である。
 永遠の氷に掩われている地極の底にも、火山を突き上げる猛火は燃えている。
 Michelangeloは青年の時友達と喧嘩をして、拳骨で鼻を叩き潰されて、望を恋愛に絶ったが、却て六十になってからVitoria Colonnaに逢って、珍らしい恋愛をし遂げた。
 自分は無能力では無い。
 Impotentでは無い。
 世間の人は性欲の虎を放し飼にして、どうかすると、その背に騎って、滅亡の谷に墜ちる。
 自分は性欲の虎を馴らして抑えている。
 羅漢に跋陀羅というのがある。
 馴れた虎を傍に寝かして置いている。
 童子がその虎を怖れている。
 Bhadraとは賢者の義である。
 あの虎は性欲の象徴かも知れない。
 只馴らしてあるだけで、虎の怖るべき威は衰えてはいないのである。
 金井君はこう思い直して、静に巻の首から読み返して見た。
 そして結末まで読んだときには、夜はいよいよ更けて、雨はいつの間にか止んでいた。
 樋の口から石に落ちる点滴が、長い間を置いて、磬を打つような響をさせている。
 さて読んでしまった処で、これが世間に出されようかと思った。
 それはむつかしい。
 人の皆行うことで人の皆言わないことがある。
 Pruderyに支配せられている教育界に、自分も籍を置いているからは、それはむつかしい。
 そんなら何気なしに我子に読ませることが出来ようか。
 それは読ませて読ませられないこともあるまい。
 しかしこれを読んだ子の心に現われる効果は、予め測り知ることが出来ない。
 若しこれを読んだ子が父のようになったら、どうであろう。
 それが幸か不幸か。
 それも分らない。
 Dehmelが詩の句に、「彼に服従するな、彼に服従するな」というのがある。
 我子にも読ませたくはない。
 金井君は筆を取って、表紙にラテン語で
 VITA SEXUALIS
 と大書した。
 そして文庫の中へばたりと投げ込んでしまった。

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