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       四、宇津木と岡田と

 新塾にゐる学生のうちに、三年前に来て寄宿し、翌年一旦立ち去つて、去年再び来た宇津木矩之允うつぎのりのすけと云ふものがある。
 平八郎の著あらはした大学刮目だいがくくわつもくの訓点くんてんを施ほどこした一人にんで、大塩の門人中学力の優すぐれた方である。
 此宇津木が一昨年九州に遊歴して、連れて来た孫弟子がある。
 これは長崎西築町にしつきまちの医師岡田道玄だうげんの子で、名を良之進りやうのしんと云ふ。
 宇津木に連れられて親元を離れた時が十四歳だから、今年十六歳になつてゐる。

 この岡田と云ふ少年が、けさ六つ半に目を醒ました。
 職人が多く入り込むやうになつてから、随分騒がしい家ではあるが、けさは又格別である。
 がたがた、めりめり、みしみしと、物を打ち毀こはす音がする。
 しかと聴き定めようとして、床とこの上にすわつてゐるうちに、今毀してゐる物が障子しやうじふすまだと云ふことが分かつた。
 それに雑まじつて人声がする。
「役に立たぬものは討ち棄てい」と云ふ詞ことばがはつきり聞えた。
 岡田は怜悧れいりな、思慮のある少年であつたが、余り思ひ掛けぬ事なので、一旦夢ではないかと思つた。
 それから宇津木先生はどうしてゐるかと思つて、頸くびを延ばして見ると、先生はいつもの通とほりに着布団きぶとんの襟えりを頤あごの下に挿はさむやうにして寝てゐる。
 物音は次第に劇はげしくなる。
 岡田は心のはつきりすると共に、尋常でない此屋敷の現状が意識に上つて来た。
 岡田は跳ね起きた。
 宇津木の枕元まくらもとにゐざり寄つて、
「先生」と声を掛けた。
 宇津木は黙つて目を大きく開いた。
 眠つてはゐなかつたのである。
「先生。えらい騒ぎでございますが。」
「うん。知つてをる。己おれは余り人を信じ過ぎて、君をまで危地きちに置いた。こらへてくれ給たまへ。去年の秋からの丁打ちやううちの支度したくが、仰山ぎやうさんだとは己おれも思つた。それに門人中の老輩らうはい数人と、塾生の一半とが、次第に我々と疎遠になつて、何か我々の知らぬ事を知つてをるらしい素振そぶりをする。それを怪あやしいとは己おれも思つた。併しかし己はゆうべまで事の真相を看破することが出来なかつた。所ところが君、ゆうべ塾生一同に申し渡すことがあると云つて呼んだ、あの時の事だね。己は代りに聞いて来て遣ると云つて、君を残して置いて出席した。それから帰つて、格別な事でもないから、あした話すと云つて寝たのだがね、実はあの時例の老輩共と酒宴をしてゐた先生が、独ひとり席を起つて我々の集まつてゐる所へ出て来て、かう云つたのだ。一大事であるが、お前方まへがたはどう身を処置するか承知したいと云つたのだ。己おれは一大事とは何事か問うて見た。先生はざつとこんな事を説かれた。我々は平生良知りやうちの学を攻をさめてゐる。あれは根本の教をしへだ。然しかるに今の天下の形勢は枝葉しえふを病んでゐる。民の疲弊ひへいは窮きはまつてゐる。草妨礙くさばうがいあらば、理またよろしく去るべしである。天下のために残賊ざんぞくを除かんではならぬと云ふのだ。そこで其残賊だがな。」
「はあ」と云つて、岡田は目を見張みはつた。
「先づ町奉行衆まちぶぎやうしゆうくらゐの所らしい。それがなんになる。我々は実に先生を見損みそこなつてをつたのだ。先生の眼中には将軍家もなければ、朝廷もない。先生はそこまでは考へてをられぬらしい。」
「そんなら今事ことを挙げるのですね。」
「さうだ。家には火を掛け、与くみせぬものは切棄きりすてゝ起つと云ふのだらう。併しかしあの物音のするのは奥から書斎の辺だ。まだ旧塾もある。講堂もある。こゝまで来るには少し暇ひまがある。まあ、聞き給たまへ。例の先生の流義だから、ゆうべも誰一人抗争するものはなかつた。己おれは明朝御返事をすると云つて一時を糊塗ことした。若し諫いさめる機会があつたら、諫めて陰謀を思ひ止まらせよう。それが出来なかつたら、師となり弟子ていしとなつたのが命めいだ、甘あまんじて死なうと決心した。そこで君だがね。」
 岡田は又「はあ」と云つて耳を欹そばだてた。
「君は中斎先生の弟子ではない。己おれは君に此場を立ち退いて貰もらひたい。挙兵の時期が最も好い。若しどうすると問ふものがあつたら、お供ともをすると云ひ給たまへ。さう云つて置いて逃げるのだ。己おれはゆうべ寝られぬから墓誌銘ぼしめいを自撰じせんした。それを今書いて君に遣る。それから京都東本願寺家ひがしほんぐわんじけの粟津陸奥之助あはづむつのすけと云ふものに、己の心血を灑そゝいだ詩文稿しぶんかうが借してある。君は京都へ往つてそれを受け取つて、彦根にゐる兄下総しもふさの邸やしきへ往つて大林権之進ごんのしんと云ふものに逢つて、詩文稿に墓誌銘を添へてわたしてくれ給へ。」
 かう云ひながら宇津木うつぎはゆつくり起きて、机に靠もたれたが、宿墨しゆくぼくに筆を浸ひたして、有り合せた美濃紙みのがみ二枚に、一字の書損しよそんもなく腹藁ふくかうの文章を書いた。
 書き畢をはつて一読して、「さあ、これだ」と云つて岡田にわたした。
 岡田は草稿を受け取りながら、「併しかし先生」と何やら言ひ出しさうにした。
 宇津木は「ちよいと」と云ひ掛けて、便所へ立つた。
 手に草稿を持つた儘まゝ、ぢつとして考へてゐる岡田の耳に、廊下一つを隔てた講堂の口あたりから人声が聞えた。
「先生の指図通さしづどほり、宇津木を遣つてしまふのだ。君は出口で見張つてゐてくれ給へ。」
 聞き馴れた門人大井おほゐの声である。
 玉造組与力たまつくりぐみよりきの倅せがれで、名は正一郎しやういちらうと云ふ。
 三十五歳になる。
「宜よろしい。しつかり遣り給たまへ。」これは安田図書やすだづしよの声である。
 外宮げぐうの御師おしで、三十三歳になる。
 岡田はそつと立つて便所の戸口へ往つた。
「殺しに来ます。」
「好い。君早く逃げてくれ給へ。」
「併しかし。」
「早くせんと駄目だ。」
 廊下を忍び寄る大井の足音がする。
 岡田は草稿を懐ふところに捩ぢ込んで、机の所へ小鼠こねずみのやうに走り戻つて、鉄の文鎮ぶんちんを手に持つた。
 そして跣足はだしで庭に飛び下りて、植込うゑごみの中を潜くゞつて、塀へいにぴつたり身を寄せた。
 大井は抜刀ばつたうを手にして新塾に這入はひつて来た。
 先づ寝所しんじよの温あたゝかみを探さぐつてあたりを見廻して、便所の口に来て、立ち留まつた。
 暫しばらくして便所の戸に手を掛けて開けた。
 中から無腰むこしの宇津木が、恬然てんぜんたる態度で出て来た。
 大井は戸から手を放して一歩下がつた。
 そして刀を構かまへながら言分いひわけらしく「先生のお指図さしづだ」と云つた。
 宇津木は「うん」と云つた切きり、棒立ぼうだちに立つてゐる。
 大井は酔人すゐじんを虎が食ひ兼ねるやうに、良やゝ久しく立ち竦すくんでゐたが、やうやう思ひ切つて、「やつ」と声を掛けて真甲まつかふを目掛めがけて切り下おろした。
 宇津木が刀を受け取るやうに、俯向加減うつむきかげんになつたので、百会ひやくゑの背後うしろが縦たてに六寸程骨まで切れた。
 宇津木は其儘そのまゝ立つてゐる。
 大井は少し慌あわてながら、二の太刀たちで宇津木の腹を刺した。
 刀は臍ほぞの上から背へ抜けた。
 宇津木は縁側にぺたりとすわつた。
 大井は背後うしろへ押し倒して喉のどを刺した。
 塀際へいぎはにゐた岡田は、宇津木の最期さいごを見届けるや否いなや、塀に沿うて東照宮とうせうぐうの境内けいだいへ抜ける非常口に駆け附けた。
 そして錠前ぢやうまへを文鎮ぶんちんで開けて、こつそり大塩の屋敷を出た。
 岡田は二十日に京都に立ち寄つて二十一日には彦根へ着いた。
五、門出
 瀬田済之助せたせいのすけが東町奉行所の危急を逃のがれて、大塩の屋敷へ駆け込んだのは、明あけ六つを少し過ぎた時であつた。
 書斎の襖ふすまをあけて見ると、ゆうべ泊つた八人の与党よたう、その外ほか中船場町なかせんばまちの医師の倅せがれで僅わづかに十四歳になる松本隣太夫りんたいふ、天満てんま五丁目の商人阿部長助ちやうすけ、摂津せつつ沢上江村さはかみえむらの百姓上田孝太郎うえだかうたらう、河内かはち門真三番村の百姓高橋九右衛門たかはしくゑもん、河内弓削村ゆげむらの百姓西村利三郎にしむらりさぶらう、河内尊延寺村そんえんじむらの百姓深尾才次郎ふかをさいじらう、播磨はりま西村の百姓堀井儀三郎ほりゐぎさぶらう、近江あふみ小川村の医師志村力之助しむらりきのすけ、大井、安田等に取り巻かれて、平八郎は茵しとねの上に端坐たんざしてゐた。
 身の丈たけ五尺五六寸の、面長おもながな、色の白い男で、四十五歳にしては老人らしい所が無い。
 濃い、細い眉まゆは弔つてゐるが、張はりの強い、鋭い目は眉程には弔つてゐない。
 広い額ひたひに青筋あをすぢがある。
 髷まげは短く詰めて結つてゐる。
 月題さかやきは薄い。
 一度喀血かくけつしたことがあつて、口の悪い男には青瓢箪あをべうたんと云はれたと云ふが、現にもと頷うなづかれる。
「先生。御用心をなさい。手入れがあります。」駆け込んで、平八郎が前にすわりながら、瀬田は叫んだ。
「さうだらう。巡見じゆんけんが取止とりやめになつたには、仔細しさいがなうてはならぬ。江戸へ立つた平山の所為しよゐだ。」
「小泉は遣られました。」
「さうか。」
 目を見合せた一座の中には、同情のささやきが起つた。
 平八郎は一座をずつと見わたした。
「兼かねての手筈てはずの通りに打ち立たう。
 棄て置き難がたいのは宇津木一人にんだが、その処置は大井と安田に任せる。」
 大井、安田の二人にんはすぐに起たうとした。
「まあ待て。打ち立つてからの順序は、只たゞ第一段を除いて、すぐに第二段に掛かるまでぢや。」第一段とは朝岡の家を襲おそふことで、第二段とは北船場きたせんばへ進むことである。
 これは方略はうりやくに極めてあつたのである。
「さあ」と瀬田が声を掛けて一座を顧かへりみると、皆席を起つた。
 中で人夫の募集を受け合つてゐた柏岡かしはをか伝七と、檄文げきぶんを配る役になつてゐた上田とは屋敷を出て往つた。
 間もなく家財や、はづした建具たてぐを奥庭おくにはへ運び出す音がし出した。
 平八郎は其儘そのまゝ端坐たんざしてゐる。
 そして熱した心の内を、此陰謀がいかに萌芽はうがし、いかに生長し、いかなる曲折を経て今に至つたと云ふことが夢のやうに往来する。
 平八郎はかう思ひ続けた。
 己おれが自分の材幹さいかんと値遇ちぐうとによつて、吏胥りしよとして成し遂げられるだけの事を成し遂げた上で、身を引いた天保てんぱう元年は泰平であつた。
 民の休戚きうせきが米作べいさくの豊凶ほうきように繋かゝつてゐる国では、豊年は泰平である。
 二年も豊作であつた。
 三年から気候が不順になつて、四年には東北の洪水のために、天明六七年以来の飢饉になつた。
 五年に稍やゝつねに復しさうに見えるかと思ふと、冬から六年の春に掛けて雨がない。
 六年には東北に螟虫めいちゆうが出来る。
 海嘯つなみがある。
 とうとう去年は五月から雨続きで、冬のやうに寒く、秋は大風たいふう大水たいすゐがあり、東北を始はじめとして全国の不作になつた。
 己は隠居してから心を著述に専もつぱらにして、古本大学刮目こほんだいがくくわつもく、洗心洞剳記せんしんどうさつき、同附録抄ふろくせう、儒門空虚聚語じゆもんくうきよしゆうご、孝経彙註かうきやうゐちゆうの刻本が次第に完成し、剳記さつきを富士山の石室せきしつに蔵ざうし、又足代権太夫弘訓あじろごんたいふひろのりの勧すゝめによつて、宮崎、林崎の両文庫に納をさめて、学者としての志こゝろざしをも遂げたのだが、連年の飢饉、賤民の困窮を、目を塞ふさいで見ずにはをられなかつた。
 そしてそれに対する町奉行以下諸役人の処置に平たひらかなることが出来なかつた。
 賑恤しんじゆつもする。
 造酒ざうしゆに制限も加へる。
 併しかし民の疾苦しつくは増すばかりで減じはせぬ。
 殊ことに去年から与力内山を使つて東町奉行跡部あとべの遣つてゐる為事しごとが気に食はぬ。
 幕命ばくめいによつて江戸へ米を廻漕くわいさうするのは好い。
 併しかし些すこしの米を京都に輸おくることをも拒こばんで、細民さいみんが大阪へ小買こがひに出ると、捕縛ほばくするのは何事だ。
 己おれは王道の大体を学んで、功利の末技を知らぬ。
 上かみの驕奢けうしやと下しもの疲弊ひへいとがこれまでになつたのを見ては、己にも策の施すべきものが無い。
 併し理を以て推せば、これが人世じんせい必然の勢いきほひだとして旁看ばうかんするか、町奉行以下諸役人や市中の富豪に進んで救済の法を講ぜさせるか、諸役人を誅ちゆうし富豪を脅おびやかして其私蓄しちくを散ずるかの三つより外ほかあるまい。
 己おれは此不平に甘んじて旁看ばうかんしてはをられぬ。
 己は諸役人や富豪が大阪のために謀はかつてくれようとも信ぜぬ。
 己はとうとう誅伐ちゆうばつと脅迫けふはくとによつて事を済さうと思ひ立つた。
 鹿台ろくたいの財を発するには、無道むだうの商しやうを滅ほろぼさんではならぬと考へたのだ。
 己が意を此こゝに決し、言げんを彼かれに託たくし、格之助に丁打ちやううちをさせると称して、準備に取り掛つたのは、去年の秋であつた。
 それからは不平の事は日を逐うて加はつても、準備の捗はかどつて行くのを顧みて、慰藉ゐしやを其中そのうちに求めてゐた。
 其間に半年立つた。
 さてけふになつて見れば、心に逡巡しゆんじゆんする怯おくれもないが、又踊躍ようやくする競きほひもない。
 準備をしてゐる久しい間には、折々をりをり成功の時の光景が幻まぼろしのやうに目に浮かんで、地上に血を流す役人、脚下に頭かうべを叩たゝく金持、それから草木さうもくの風に靡なびくやうに来きたり附する諸民が見えた。
 それが近頃はもうそんな幻まぼろしも見えなくなつた。
 己はまだ三十代で役を勤めてゐた頃、高井たかゐ殿に信任せられて、耶蘇やそ教徒を逮捕したり、奸吏かんりを糺弾きうだんしたり、破戒僧を羅致らちしたりしてゐながら、老婆豊田貢とよだみつぎの磔はりつけになる所や、両組与力りやうくみよりき弓削新右衛門ゆげしんゑもんの切腹する所や、大勢おほぜいの坊主が珠数繋じゆずつなぎにせられる所を幻まぼろしに見ることがあつたが、それは皆間もなく事実になつた。
 そして事実になるまで、己おれの胸には一度も疑うたがひが萌きざさなかつた。
 今度はどうもあの時とは違ふ。
 それにあの時は己の意図が先づ恣ほしいまゝに動いて、外界げかいの事柄がそれに附随して来た。
 今度の事になつてからは、己は準備をしてゐる間、何時いつでも用に立てられる左券さけんを握つてゐるやうに思つて、それを慰藉ゐしやにした丈だけで、動やゝもすれば其準備を永く準備の儘まゝで置きたいやうな気がした。
 けふまでに事柄の捗はかどつて来たのは、事柄其物が自然に捗はかどつて来たのだと云つても好い。
 己おれが陰謀を推して進めたのではなくて、陰謀が己を拉らつして走つたのだと云つても好い。
 一体此この終局はどうなり行くだらう。
 平八郎はかう思ひ続けた。
 平八郎が書斎で沈思してゐる間に、事柄は実際自然に捗はかどつて行く。
 屋敷中に立ち別れた与党の人々は、受持々々うけもち/\の為事しごとをする。
 時々書斎の入口まで来て、今宇津木を討ち果はたしたとか、今奥庭おくにはに積み上げた家財に火を掛けたとか、知らせるものがあるが、其度毎そのたびごとに平八郎は只ただ一目ひとめそつちを見る丈だけである。
 さていよいよ勢揃せいぞろひをすることになつた。
 場所は兼かねて東照宮の境内けいだいを使ふことにしてある。
 そこへ出る時人々は始て非常口の錠前ぢやうまへの開いてゐたのを知つた。
 行列の真つ先さきに押し立てたのは救民と書いた四半はんの旗はたである。
 次に中に天照皇大神宮てんせうくわうだいじんぐう、右に湯武両聖王たうぶりやうせいわう、左に八幡大菩薩はちまんだいぼさつと書いた旗、五七の桐きりに二つ引びきの旗を立てゝ行く。
 次に木筒きづゝが二挺ちやう行く。
 次は大井と庄司とで各おのおの小筒こづゝを持つ。
 次に格之助が着込野袴きごみのばかまで、白木綿しろもめんの鉢巻はちまきを締めて行く。
 下辻村しもつじむらの猟師れふし金助きんすけがそれに引き添ふ。
 次に大筒おほづゝが二挺と鑓やりを持つた雑人ざふにんとが行く。
 次に略ほゞ格之助と同じ支度の平八郎が、黒羅紗くろらしやの羽織、野袴のばかまで行く。
 茨田いばらたと杉山とが鑓やりを持つて左右に随ふ。
 若党わかたう曾我そがと中間ちゆうげん木八きはち、吉助きちすけとが背後うしろに附き添ふ。
 次に相図あひづの太鼓が行く。
 平八郎の手には高橋、堀井、安田、松本等の与党がゐる。
 次は渡辺、志村、近藤、深尾、父柏岡等重立おもだつた人々で、特ことに平八郎に親しい白井や橋本も此中にゐる。
 一同着込帯刀きごみたいたうで、多くは手鑓てやりを持つ。
 押おさへは大筒おほづゝ一挺ちやうを挽かせ、小筒持こづゝもちの雑人ざふにん二十人を随へた瀬田で、傍そばに若党植松周次うゑまつしうじ、中間浅佶あさきちが附いてゐる。
 此この総人数そうにんずおよそ百余人が屋敷に火を掛け、表側おもてがはの塀へいを押し倒して繰り出したのが、朝五つ時どきである。
 先づ主人の出勤した跡あとの、向屋敷むかうやしき朝岡の門に大筒の第一発を打ち込んで、天満橋筋てんまばしすぢの長柄町ながらまちに出て、南へ源八町げんぱちまちまで進んで、与力町よりきまちを西へ折れた。
 これは城と東町奉行所とに接してゐる天満橋を避けて、迂回うくわいして船場せんばに向はうとするのである。
六、坂本鉉之助
 東町奉行所で小泉を殺し、瀬田を取り逃がした所へ、堀が部下の与力よりき同心どうしんを随へて来た。
 跡部あとべは堀と相談して、明あけ六つ時どきにやうやう三箇条の手配てくばりをした。
 鈴木町すゞきまちの代官根本善左衛門ねもとぜんざゑもんに近郷きんがうの取締とりしまりを托したのが一つ。
 谷町たにまちの代官池田岩之丞いはのじように天満てんまの東照宮、建国寺けんこくじ方面の防備を托したのが二つ。
 平八郎の母の兄、東組与力大西与五郎おほにしよごらうが病気引びやうきびきをしてゐる所へ使つかひを遣つて、甥をひ平八郎に切腹させるか、刺し違へて死ぬるかのうちを選べと云はせたのが三つである。
 与五郎の養子善之進は父のために偵察しようとして長柄町ながらまち近くへ往くと、もう大塩の同勢どうぜいが繰り出すので、驚いて逃げ帰り、父と一しよに西の宮へ奔はしり、又懼おそれて大阪へ引き返ししなに、両刀を海に投げ込んだ。
 大西へ使つかひを遣つた跡あとで、跡部、堀の両奉行は更に相談して、両組の与力同心を合併した捕手とりてを大塩が屋敷へ出した。
 そのうち朝五つ近くなると、天満てんまに火の手が上がつて、間もなく砲声が聞えた。
 捕手とりては所詮しよせん近寄れぬと云つて帰つた。
 両奉行は鉄砲奉行石渡彦太夫いしわたひこだいふ、御手洗伊右衛門みたらしいゑもんに、鉄砲同心を借りに遣つた。
 同心は二人にんの部下を併あはせて四十人である。
 次にそれでは足らぬと思つて、玉造口定番たまつくりぐちぢやうばん遠藤但馬守胤統たぢまのかみたねをさに加勢を願つた。
 遠藤は公用人畑佐秋之助はたさあきのすけに命じて、玉造組与力で月番つきばん同心支配をしてゐる坂本鉉之助げんのすけを上屋敷かみやしきに呼び出した。
 坂本は荻野流をぎのりうの砲術者で、けさ丁打ちやううちをすると云つて、門人を城の東裏ひがしうらにある役宅の裏庭に集めてゐた。
 そのうち五つ頃になると、天満に火の手が上がつたので、急いで役宅から近い大番所おほばんしよへ出た。
 そこに月番の玉造組平与力ひらよりき本多為助ほんだためすけ、山寺やまでら三二郎、小島鶴之丞つるのじようが出てゐて、本多が天満の火事は大塩平八郎の所為しよゐだと告げた。
 これは大塩の屋敷に出入でいりする猟師清五郎と云ふ者が、火事場に駆け附けて引き返し、同心支配岡翁助をうすけに告げたのを、岡が本多に話したのである。
 坂本はすぐに城の東裏にゐる同じ組の与力同心に総出仕そうしゆつしの用意を命じた。
 間もなく遠藤の総出仕の達しが来て、同時に坂本は上屋敷かみやしきへ呼ばれたのである。
 畑佐はたさの伝へた遠藤の命令はかうである。
 同心支配一人、与力二人、同心三十人鉄砲を持つて東町奉行所へ出て来い。
 又同文の命令を京橋組へも伝達せいと云ふのである。
 坂本は承知の旨むねを答へて、上屋敷から大番所へ廻つて手配てくばりをした。
 同心支配は三人あるが、これは自分が出ることにし、小頭こがしらの与力二人には平与力ひらよりき蒲生熊次郎がまふくまじらう、本多為助ためすけを当て、同心三十人は自分と同役岡との組から十五人宛づゝすことにした。
 集合の場所は土橋どばしと極めた。
 京橋組への伝達には、当番与力脇わき勝太郎に書附を持たせて出して遣つた。
 手配てくばりが済んで、坂本は役宅やくたくに帰つた。
 そして火事装束くわじしやうぞく、草鞋掛わらぢがけで、十文目筒じふもんめづゝを持つて土橋どばしへ出向いた。
 蒲生がまふと同心三十人とは揃つてゐた。
 本多はまだ来てゐない。
 集合を見に来てゐた畑佐はたさは、跡部あとべに二度催促せられて、京橋口へ廻まはつて東町奉行所に往くことにして、先へ帰つたのださうである。
 坂本は本多がために同心一人にんを留めて置いて、集合地を発した。
 堀端ほりばたを西へ、東町奉行所を指して進むうちに、跡部からの三度目の使者に行き合つた。
 本多と残して置いた同心とは途中で追ひ附いた。
 坂本が東町奉行所に来て見ると、畑佐はまだ来てゐない。
 東組与力朝岡助之丞すけのじようと西組与力近藤三右衛門とが応接して、大筒おほづゝを用意して貰もらひたいと云つた。
 坂本はそれまでの事には及ばぬと思ひ、又指図の区々まち/\なのを不平に思つたが、それでも馬一頭を借りて蒲生がまふを乗せて、大筒を取り寄せさせに、玉造口定番所ぢやうばんしよへ遣つた。
 昼四つ時どきに跡部が坂本を引見した。
 そして坂本を書院の庭に連れて出て、防備の相談をした。
 坂本は大川に面した北手きたての展望を害する梅の木を伐ること、島町しままちに面した南手の控柱ひかへばしらと松の木とに丸太を結び附けて、武者走むしやばしりの板をわたすことを建議した。
 混雑の中で、跡部の指図は少しも行はれない。
 坂本は部下の同心に工事を命じて、自分でそれを見張つてゐた。
 坂本が防備の工事をしてゐるうちに、跡部は大塩の一行が長柄町ながらまちから南へ迂廻うくわいしたことを聞いた。
 そして杣人足そまにんそくの一組に天神橋てんじんばしと難波橋なんばばしとの橋板をこはせと言ひ付けた。
 坂本の使者脇は京橋口へ往つて、同心支配広瀬治左衛門ひろせぢざゑもん、馬場佐十郎ばゝさじふらうに遠藤の命令を伝達した。
 これは京橋口定番ぢやうばん米津丹後守昌寿よねづたんごのかみまさひさが、去年十一月に任命せられて、まだ到着せぬので、京橋口も遠藤が預あづかりになつてゐるからである。
 広瀬は伝達の書附を見て、首を傾けて何やら思案してゐたが、脇へはいづれ当方から出向いて承うけたまはらうと云つた。
 広瀬は雪駄穿せつたばきで東町奉行所に来て、坂本に逢つてかう云つた。
「只今書面を拝見して、これへ出向いて参りましたが、原来ぐわんらいお互たがひに御城警固おんしろけいごの役柄ではありませんか。それをお城の外で使はうと云ふ、遠藤殿の思召おぼしめしが分かり兼ねます。貴殿きでんはどう考へられますか。」
 坂本は目を見張みはつた。
「成程なるほど自分の役柄は拙者せつしやも心得てをります。併しかし頭かしら遠藤殿の申付まをしつけであつて見れば、縦たとひ生駒山いこまやまを越してでも出張せんではなりますまい。御覧の通とほり拙者は打支度うちしたくをいたしてをります。」
「いや。それは頭かしら御自身が御出馬になることなら、拙者もどちらへでも出張しませう。我々ばかりがこんな所へ参つて働いては、町奉行の下知げぢを受うけるやうなわけで、体面にも係かゝはるではありませんか。先年出水しゆつすゐの時、城代松平伊豆守殿へ町奉行が出兵を願つたが、大切の御城警固おんしろけいごの者を貸すことは相成らぬと仰おつしやつたやうに聞いてをります。一応御一しよにことわつて見ようぢやありませんか。」
「それは御同意がなり兼ねます。頭かしらの申付まをしつけなら、拙者は誰の下したにでも附いて働きます。その上叛逆人ほんぎやくにんが起つた場合は出水しゆつすゐなどとは違ひます。貴殿がおことわりになるなら、どうぞお一人で上屋敷かみやしきへお出いでになつて下さい。」
「いや。さう云ふ御所存ですか。何事によらず両組相談の上で取り計らふ慣例でありますから申し出しました。さやうなら以後御相談は申しますまい。」
「已むを得ません。いかやうとも御勝手になさりませい。」
「然しからばお暇いとましませう。」広瀬は町奉行所を出ようとした。
 そこへ京橋口を廻つて来た畑佐はたさが落ち合つて、広瀬を引き止めて利害を説いた。
 広瀬はしぶりながら納得して引き返したが、暫しばらくして同心三十人を連れて来た。
 併しかし自分は矢張雪駄穿せつたばきで、小筒こづゝも何も持たなかつた。
 坂本は庭に出て、今工事を片付けて持口もちくちに附いた同心共を見張つてゐた。
 そこへ跡部あとべは、相役あひやく堀を城代土井大炊頭利位どゐおほひのかみとしつらの所へ報告に遣つて置いて、書院から降りて来た。
 そして天満てんまの火事を見てゐた。
 強くはないが、方角の極まらぬ風が折々吹くので、火は人家の立て込んでゐる西南にしみなみの方へひろがつて行く。
 大塩の進む道筋を聞いた坂本が、「いかがでございませう、御出馬になりましては」と跡部に言つた。
「されば」と云つて、跡部は火事を見てゐる。
 暫くして坂本が、「どうもなかなかこちらへは参りますまいが」と云つた。
 跡部は矢張「されば」と云つて、火事を見てゐる。

続く

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