青 年  森 鴎外

 小泉純一は芝日蔭町の宿屋を出て、東京方眼図を片手に人にうるさく問うて、新橋停留場から上野行の電車に乗った。
 目まぐろしい須田町の乗換も無事に済んだ。
 さて本郷三丁目で電車を降りて、追分から高等学校に附いて右に曲がって、根津権現の表坂上にある袖浦館とという下宿屋の前に到着したのは、十月二十何日かの牛前八時であった。
 此処は道が丁字路になっている。
 権現前から登って来る道が、自分の辿って来た道を鉛直に切る処に袖浦館はある。
 木材にペンキを塗った、マッチの箱のような擬西洋造てある。
 入口の鴨居の上に、木礼が沢山並べて嵌めてある。
 それに下宿人の姓名が書いてある。
 純一は立ち留まって名前を読んで見た。
 自分の捜す大石狷太郎という名は上から二三人目に書いてあるので、すぐに見附かった。
 赤い襷を十文字に掛けて、上り口の板縁に雑巾を掛けている十五六の女中が雑巾の手を留めて、「どなたの所へいらっしゃるの」と問うた。
「大石さんにお目に掛りたいのだが」
 田舎から出て来た純一は、小説で読み覚えた東京詞を使うのである。
 丁度千慣な外国語を使うように、一語一語考えて見て口に出すのである。
 そしてこの返事の無難に出来たのが、心中で嬉しかった。
 雑巾を掴んで突立った、ませた、おちゃっぴいな小女の目に映じたのは、色の白い、卵から孵っだばかりの雛のような目をしている青年である。
 薩摩絣の袷に小倉の袴を穿いて、同じ絣の袷羽織を着ている。
 被物は柔かい茶褐の帽子で、足には紺足袋に薩摩下駄を引っ掛けている。
 当前の書生の風俗ではあるが、何から何まで新しい。
 これで昨夕始めて新橋に着いた田舎者とは誰にも見えない。
 小女は親しげに純一を見て、こう云った。
「大石さんの所へいらっしったの。あなた今時分いらっしったって駄目よ。あの方は十時にならなくっちゃあ起きていらっしゃらないのですもの。ですから、いつでも御飯は朝とお午とが一しょになるの。お帰りが二時になったり、三時になったりして、それからお休みになると、一日寐ていらっしってよ」
「それじゃあ、少し散歩をしてから、又来るよ」
「ええ。それが好うございます」
 純一は権現前の坂の方へ向いて歩き出した。
 二三歩すると袂から方眼図の小さく折ったのを出して、見ながら歩くのである。
 自分の来た道では、官員らしい、洋服の男や、角帽の学生や、白い二本筋の帽を被った高等学校の生徒や、小学校へ出る子供や、女学生なんぞが、ぞろぞろと本郷の通の方へ出るのに擦れ違ったが、今坂の方へ曲って見ると、まるで往来がない。
 右は高等学校の外囲、左は角が出来たばかりの会堂で、その傍の小屋のような家から車夫が声を掛けて車を勧めた処を通り過ぎると、土塀や生垣を繞らした屋敷ばかりで、その間に綺麗な道が、ひろびろと附いている。
 広い道を歩くものが自分ひとりになると共に、この頃の朝の空気の、毛髪の根を緊縮させるような渋みを感じた。
 そして今小女に聞いた大石の日常の生活を思った。
 国から態々(わざわざ)逢いに出て来た大石という男を、純一は頭の中で、朧気でない想像図にえがいているが、今聞いた話はこの図の輪郭を少しも傷けはしない。
 傷けないばかりではない、一層明確にしたように感ぜられる。
 大石というものに対する、純一が景仰と畏怖との或る混合の感じが明確になったのである。
 坂の上に出た。
 地図では知れないが、割合に幅の広いこの坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲して附いている。
 純一は坂の上で足を留めて向うを見た。
 灰色の薄曇をしている空の下に、同じ灰色に見えて、しかも透き徹った空気に浸されて、向うの上野の山と自分の立っている向うが岡との間の人家の群が見える。
 ここで目に映ずるだけの人家でも、故郷の町程の大さはあるように思われるのである。
 純一は暫く眺めていて、深い呼吸をした。
 坂を降りて左側の鳥居を遺入る。
 花崗石を敷いてある道を根津神社の方へ行く。
 下駄の磬のように鳴るのが、好い心持である。
 剥げた木像の据えてある随身門から内を、古風な瑞籬で囲んである。
 故郷の家で、お祖母様のお部屋に、綿絵の屏風があった。
 その絵に、どこの神社であったか知らぬが、こんな瑞垣があったと思う。
 社殿の縁には、ねんねこ絆纏の中へ赤ん坊を負って、手拭の鉢巻をした小娘が腰を掛けて、寒そうに体を竦めている。
 純一は拝む気にもなれぬので、小さい門を左の方へ出ると、溝のような池があって、向うの小高い処には常磐木の間に葉の黄ばんだ木の雑った木立がある。
 濁ってきたない池の氷の、所々に泡の浮いているのを見ると、厭になっだので、急いで裏門を出た。
 藪下の狭い道に這入る。
 多くは格子戸の嵌まっている小さい家が、一列に並んでいる前に、売物の荷車が止めであるので、体を横にして通る。
 右側は崩れ掛って住まわれなくなった古長屋に戸が締めてある。
 九尺二間というのがこれだなと思って通り過ぎる。
 その隣に冠木門のあるのを見ると、色川国士別邸と不骨好な木札に書いて釘附にしてある。
 妙な姓名なので、新聞を読むうちに記憶していた、どこかの議員だったなと思って通る。
 それから先きは余り綺麗でない別荘らしい家と植木屋のような家とが続いている。
 左側の丘陵のような処には、大分大きい木が立っているのを、ひどく乱暴に刈り込んである。
 手入の悪い大きい屋敷の裏手だなと思って通り過ぎる。
 爪先上がりの道を、平になる処まで登ると、又右側が崖になっていて、上野の山までの間に人家の屋根が見える。
 ふいと左側の籠塀のある家を見ると、毛利某という門札が目に附く。
 純一は、おや、これが鴎村の家だなと思って、一寸立って駒寄の中を覗いて見た。
 干からびた老人の癖に、みずみずしい青年の中にはいってまごついている人、そして愚痴と厭味とを言っている人、竿と紐尺とを持って測地師が土地を測るような小説や脚本を書いている人の事だから、今時分は苦虫を咬み潰したような顔をして起きて出て、台所で炭薪の小言でも言っているだろうと思って、純一は身顫をして門前を立ち去った。
 四辻を右へ坂を降りると右も左も菊細工の小屋である。
 国の芝居の木戸番のように高い台の上に胡坐をかいた、人買か巾着切りのような男が、どの小屋の前にもいて、手に手に絵番附のようなものを持っているのを、住来の人に押し附けるようにして、うるさく見物を勧める。
 まだ朝早いので、通る人が少い処ヘ、純一が通り掛かったのだから、道の両側から純一一人を的にして勧めるのである。
 外から見えるようにしてある人形を見ようと思っても、純一は足を留めて見ることが出来ない。
 そこで覚えず足を早めて通り抜けて、右手の広い町へ曲つた。
 時計を出して見れば、まだ八時三十分にしかならない。
 まだなかなか大石の目の醒める時刻にはならないので、好い加減な横町を、上野の山の方へ曲った。
 狭い町の両側は穢ない長屋で、塩煎餅を焼いている店や、小さい荒物屋がある。
 物置にしてある小屋の開戸が半分開いている為めに、身を横にして通らねばならない処さえある。
 勾配のない溝に、芥が落ちて水が淀んでいる。
 血色の悪い、痩せこけた子供がうろうろしているのを見ると、いたずらをする元気もないように思われる。
 純一は国なんぞにはこんな衰な所はないと思った。
 曲りくねって行くうちに、小川に掛けた板橋を渡って、田圃が半分町になり掛かって、掛流しの折のような新しい家の疎に立っている辺に出た。
 一軒の家の横側に、ペンキの大字で楽器製造所と書いてある。
 成程、こんな物のあるのも国と違う所だと、純一は驚いて見て通った。
 ふいと墓地の横手を谷中の方から降りる、田舎道のような坂の下に出た。
 灰色の雲のある処から、ない処へ日が廻って、黄いろい、寂しい暖みのある光がさっと差して来た。
 坂を上って上野の一部を見ようか、それでは余り遅くなるかも知れないと、危ぶみながら佇立している。
 さっきから坂を降りて来るのが、純一が視野のはずれの方に映っていた、書生風の男がじき傍まで来たので、覚えず顔を見合せた。
「小泉じゃあないか」
 先方から声を掛けた。
「瀬戸か。出し抜けに逢ったから、僕はびっくりした」
「君より僕の方が余っ程驚かなくちゃあならないのだ。何時出て来たい」
「ゆうべ着いたのだ。やっぱり君は美術学校にいるのかね」
「うむ。今学校から来たのだ。モデルが病気だと云って出て来ないから、駒込の友達の処へでも行こうと思って出掛けた処だ」
「そんな白由な事が出来るのかね」
「中学とは違うよ」
 純一は一本参ったと思った。
 瀬戸速人とはY市の中学で同級にいたのである。
「どこがどんな処だか、分からないから為方がない」
 純一は厭味気なしに折れて出た。
 瀬戸も実は受持教授が展覧会事務所に往っていないのを幸に、腹が痛いとか何とか云って、ごまかして学校を出て来たのだから、今度は自分の方で気の毒なような心持になった。
 そして理想主義の看板のような、純一の黒く澄んだ瞳で、自分の顔の表情を見られるのが頗る不愉快であった。
 この時十七八の、不断着で買物にでも行くというような、廂髪の一寸愛敬のある娘が、袖が障るように二人の傍を通って、純一の顔を、気に入った心持を隠さずに現したような見方で見て行った。
 瀬戸はその娘の肉附の好い体をじっと見て、慌てたように純一の顔に視線を移した。
「君はどこへ行くのだい」
「路花に逢おうと思って行った処が、十時でなけりゃあ起きないということだから、この辺をさっきからぶらぶらしている」
「大石路花か。なんでもひどく無愛想な奴だということだ。やっばり君は小説家志願でいるのだね」
「どうなるか知れはしないよ」
「君は財産家だから、なんでも好きな事を遣るが好いさ。
 紹介でもあるのかい」
「うむ。君が東京へ出てから中学へ来た田中という先生があるのだ。校友会で心易くなって僕の処へ遊びに来たのだ。その先生が大石の同窓だもんだから、紹介状を書いて貰った」
「そんなら好かろう。随分話のしにくい男だというから、ふいと行ったって駄目だろうと思ったのだ。もうそろそろ十時になるだろう。そこいらまで一しょに行こう」
 二人は又狭い横町を抜けて、幅の広い寂しい通を横切って、純一の一度渡った、小川に掛けた生木の橋を渡って、千駅木下の大通に出た。
 菊見に行くらしい車が、大分続いて藍染橋の方から来る。
 瀬戸が先へ立って、ペンキ塗の杙にゐで井病院と仮名違に書いて立ててある、西側の横町へ這入るので、純一は附いて行く。
 瀬戸が思い出したように問うた。
「どこにいるのだい」
「まだ日蔭町の宿屋にいる」
「それじゃあ居所が極まったら知らせてくれ給えよ」
 瀬戸は名刺を出して、動坂の下宿の番地を鉛筆で書いて渡した。
「僕はここにいる。君は路花の処へ入門するのかね。盛んな事を遣って盛んな事を書いているというじゃないか」
「君は読まないか」
「小説はめったに読まないよ」
 二人は藪下へ出た。
 瀬戸が立ち留まった。
「僕はここで失敬するが、道は分かるかね」
「ここはさっき通った処だ」
「それじゃあ、いずれその内」
「左様なら」
 瀬戸は団子坂の方へ、純一は根津権現の方へ、ここで袂を分かった。


 二階の八畳である。
 東に向いている、西洋風の硝子窓二つから、形紙を張った向側の壁まで一ぱいに日が差している。
 この袖浦館という下宿は、支那学生なんぞを目当にして建てたものらしい。
 この部屋は近頃まで印度学生が二人住まって、籐の長椅子の上にごろごろしていたのである。
 その時廉(やす)い羅氈の敷いてあった床に、今は畳が敷いてあるが、南の窓の下には記念の長椅子が置いてある。
 テエブルの足を切ったような大机が、東側の二つの窓の間の処に、少し壁から離して無造作に据えてある。
 何故窓の前に置かないのだと、友達がこの部屋の主人に問うたら、窓掛を引けば日が這入らない、引かなければ目ぶしいと云った。
 窓掛の白木綿で、主人が濡手を拭いたのを、女中が見て亭主に告口をしたことがある。
 亭主が苦情を言いに来た処が、もう洗濯をしても好い頃だと、あべこべに叱って恐れ入らせたそうだ。
 この部屋の主人は大石狷太郎である。
 大石は今顔を洗って帰って来て、更紗の座布団の上に胡坐をかいて、小さい薬鑵の湯気を立てている火鉢を引き寄せて、敷島を吹かしている。
 そこへ女中が膳を持って来る。
 その膳の汁椀の側に、名刺が一枚載せてある。
 大石はちょいと手に取って名前を読んで、黙って女中の顔を見た。
 女中はこう云った。
「御飯を上がるのだと申しましたら、それでは待っていると仰しゃって、下にいらっしゃいます」
 大石は黙って頷いて飯を食い始めた。
 食いながら座布団の傍にある東京新聞を拡げて、一面の小説を読む。
 これは自分が書いているのである。
 社に出ているうちに校正は自分でして置いて、これだけは毎朝一字残さずに読む。
 それが非常に早い。
 それからやはり自分の担当している附録にざっと目を通す。
 附録は文学欄で填めていて、記者は四五人の外に出でない。
 書くことは、第一流と云われる二三人の作の批評だけであって、その他の事には殆ど全く容喙しないことになっている。
 大石自身はその二三人の中の一人なのである。
 飯が済むと、女中は片手に膳、片手に土瓶を持って起ちながら、こう云った。
「お客様をお通し申しましょうか」
「うむ、来ても好い」
 返事はしても、女中の方を見もしない。
 随分そっけなくして、笑談一つ言わないのに、女中は飽くまで丁寧にしている。
 それは大石が外の客の倍も附届をするからである。
 窓掛一件の時亭主が閉口して引っ込んだのも、同じわけで、大石は下宿料をきちんと払う。
 時々は面倒だから来月分も取って置いてくれいなんぞと云うことさえある。
 袖浦館の上から下まで、大石の金力に刃向うものはない。
 それでいて、着物なんぞは随分質素にしている。
 今着ている銘撰の綿入と、締めている白縮緬のへこ帯とは、相応に新しくはあるが、寢る時もこのまま寢て、洋服に着換えない時には、このままでどこへでも出掛けるのである。
 大石が東京新聞を見てしまって、傍に畳ねて置いてある、外の新聞二三枚の文学欄だけを拾読をする処へ、さっきの名刺の客が遣入って来た。
 二十二三の書生風の男である。
 縞の綿入に小倉袴を穿いて、羽織は着ていない。
 名刺には新思潮記者とあったが、実際この頃の真面目な記者には、こういう風なのが多いのである。
「近藤時雄です」
 鋭い目の窪んだ、鼻の尖った顔に、無造作な愛敬を湛えて、記者は名告った。
「僕が大石です」
 目を挙げて客の顔を見ただけで、新聞は手から置かない。
 用があるなら早く言ってしまって帰れとでも云いそうな心持が見える。
 それでも、近藤の顔に初め見えていた徴笑は消えない。
 主人が新聞を手から置くことを予期しないと見える。
 そしてあらゆる新聞雑誌に肖像の載せてある大石が、自分で名を名告ったのは、全く無用な事であって、その無用な事をしたのは、特に恩恵を施してくれたのだ位に思っているのかも知れない。
「先生。何かお話は願われますまいか」
「何の話ですか」
 新聞がやっと手を離れた。
「現代思想というようなお話が伺われると好いのですが」
「別に何も考えてはいません」
「しかし先生のお作に出ている主人公や何ぞの心持ですな。あれをみんなが色々に論じていますが、先生はどう思っていらっしゃるか分らないのです。そういう事をお話なすって下さると我々青年は為合しあわせなのですが。ほんの片端で宣しいのです。手掛りを与えて下されば宣しいのです」
 近藤は頻りに追っている。
 女中が又名刺を持って来た。
 紹介状が添えてある。
 大石は紹介状の田中亮という署名と、小泉純一持参と書いてある処とを見たきりで、封を切らずに下に置いて、女中に言った。
「好いからお通なさいと云っておくれ」
 近藤は肉薄した。
「どうでしょう、先生、願われますまいか」
 梯子の下まで来て待っていた純一は、すぐに上がって来た。
 そして来客のあるのを見て少し隔った処から大石に辞儀をして控えている。
 急いで歩いて来たので、少し赤みを帯びている顔から、曇のない黒い瞳が、珍らしい外の世界を覗いている。
 大石はこの瞳の光を自分の顔に注がれたとき、自分の顔の覚えず霽やかになるのを感じた。
 そして熱心に自分の顔を見詰めている近藤にこう云った。
「僕の書く人物に就いて言われるだけの事は、僕は小説で言っている。その外に何があるもんかね。僕はこの頃長い論文なんかは面倒だから読まないが、一体僕の書く人物がどうだと云つているかね」
 始めて少し内容のあるような事を言った。
 それに批評家が何と云っていると云うことを、向うに話させれば、勢その通だとか、そうではないとか云わなくてはならなくなる。
 今来た少年の、無垢の自然をそのままのような目附を見て、ふいと覊たづなが緩んだなと、大石は気が附いたが、既に遅かった。
「批評家は大体こう云うのです。先生のお書きになるものは真の告白だ。ああ云う告白をなさる厳粛な態度に服する。Aurelius Augustinus だとか、Jean Jaques Rousseau だとか云うような、昔の人の取った態度のようだと云うのです」
「難有いわけだね。僕は今の先生方の論文も面倒だから読まないが、昔の人の書いたものも面倒だから読まない。しかし聖 Augustinus は若い時に乱行を遣って、基督教に這入ってから、態度を一変してしまって、fanatic な坊さんになって懺悔をしたのだそうだ。Rousseau は妻と名の附かない女と一しょにいて、子が出来たところで、育て方に困って、孤児院へ入れたりなんぞしたことを懺悔したが、生れつき馬鹿に堅い男で、伊太利の公使館にいた時、すばらしい別品の処へ連れて行かれたのに、顫え上ってどうもすることが出来なかったというじゃあないか。僕の書いている人物はだらしのない事を遣っている。地獄を買っている。あれがそんなにえらいと云うのかね」
「ええ。それがえらいと云うのです。地獄はみんなが買います。地獄を買っていて、己は地獄を買っていると自省する態度が、厳粛だと云うのです」
「それじゃあ地獄を買わない奴は、厳粛な態度は取れないと云うのかね」
「そりゃあ地獄も買うことの出来ないような偏届な奴もありましょう。買っていても、矯飾して知らない振をしている奴もありましょう。そういう奴は内生活が貧弱です。そんな奴には芸術の趣味なんかは分かりません。小説なんぞは書けません。懺悔の為様がない。告白をする内客がない。厳粛な態度の取りようがないと云うのです」
「ふん。それじゃあ偏屈でもなくって、矯飾もしないで、芸術の趣味の分かる、製作の出来る人間はいないと云うのかね」
「そりゃあ、そんな神のようなものが有るとも無いとも、誰も断言はしていません。しかし批評の対象は神のようなものではありません。人間です」
「人間は皆地獄を買うのかね」
「先生。僕を冷かしては行けません」
「冷かしなんぞはしない」大石は睫毛をも動かさずに、ゆったり胡坐をかいている。
 帳場のぼんぼん時計が、前触に鍋に物の焦げ附くような音をさせて、大業に打ち出した。
 留所もなく打っている。
 十二時である。
 近藤は気の附いたような様子をして云った。
「お邪魔をいたしました。又伺います」
「さようなら。こっちのお客が待たせてあるから、お見送りはしませんよ」
「どう致しまして」近藤は席を立った。
 大石は暫くじっと純一の顔を見て、気色を柔らげて詞を掛けた。
「君ひどく待たせたねえ。飯前じゃないか」
「まだ食べたくありません」
「何時に朝飯を食ったのだい」
「六時半です」
「なんだ。君のような壮んな青年が六時半に朝飯を食って、午が来たのに食べたくないということがあるものか。嘘だろう」
 語気が頗る鋭い。
 純一は一寸不意に出られてまごついたが、主人の顔を仰いでいる目は逸さなかった。
 純一の心の中では、こういう人の前で世間並の空辞儀をしたのは悪かったと思う悔やら、その位な事をしたからと云って、行きなり叱ってくれなくても好さそうなものだと思う不平やらが籠み合って、それでまごついたのである。
「僕が悪うございました。食べたくないと云ったのは嘘です」
「はははは。君は素直で好い。ここの内の飯は旨くはないが、御馳走しよう。その代り一人で食うのだよ。僕はまだ朝飯から二時間立たないのだから」
 誂えた飯は直ぐに来た。
 純一が初に懲りて、遠慮なしに食うのを、大石は面白そうに見て、煙草を呑んでいる。
 純一は食いながらこんな事を思うのである。
 大石という人は変っているだろうとは思ったが、随分勝手の違いようがひどい。
 さっきの客が帰った迹あとで、黙っていてくれれば、こっちから用事を言い出すのであった。
 飯を食わせる程なら、何の用事があって来たかと問うても好さそうなものだに黙っていられるから、言い出す機会がない。
 持って来た紹介状も、さっきから見れば、封が切らずにある。
 紹介状も見ず、用事も問わずに、知らない人に行きなり飯を食わせるというような事は、話にも聞いたことがない。
 ひどい勝手の違いようだと思っているのである。
 ところが、大石の考は頗る単純である。
 純一が自分を崇拝している青年の一人だということは、顔の表情で知れている。
 田中が紹介状を書いたのを見ると、何処から来たということも知れている。
 Y県出身の崇拝者。
 目前で大飯を食っている純一の atribute はこれで尽きている。
 多言を須(もち)いないと思っているのである。
 飯が済んで、女中が膳を持って降りた。
 その時大石はついと立って、戸棚から羽織を出して着ながらこう云った。
「僕は今から新聞社に行くから、又遊びに来給え。夜は行けないよ」
 机の上の書類を取って懐に入れる。
 長押から中折れの帽を取って被る。
 転瞬シュク忽の間に梯子段を降りるのである。
 純一は呆れて帽をツカんで後に続いた。


 初めて大石を尋ねた翌日の事である。
 純一は居所を極めようと思って宿屋を出た。
 袖浦館を見てから、下宿屋というものが厭になっているので、どこか静かな処で小さい家を借りようと思うのである。
 前日には大石に袖浦館の前で別れて、上野へ行って文部省の展覧会を見て帰った。
 その時上野がなんとなく気に入ったので、きようは新橋から真直に上野へ来た。
 博物館の門に突き当って、根岸の方へ行こうか、きのう通った谷中の方へ行こうかと暫く考えたが、大石を尋ねるに便利な処をと思っているので、足が自然に谷中の方へ向いた。
 美術学校の角を曲って、桜木町から天王寺の墓地へ出た。
 今日も風のない好い天気である。
 銀杏の落葉の散らばっている敷石を踏んで、大小種々な敷石に掘ってある、知らぬ人の名を読みながら、ぶらぶらと初音町に出た。
 人通りの少い広々とした町に、生垣を結い繞らした小さい家の並んでいる処がある。
 その中の一軒の、自然木の門柱に取り附けた柴折戸に、貸家の札が張ってあるのが目に附いた。
 純一がその門の前に立ち留まって、垣の内を覗いていると、隣の植木鉢を沢山入口に並べてある家から、白髪の婆あさんが出て来て話をし掛けた。
 聞けば貸家になっている家は、この婆あさんの亭主で、植木屋をしていた爺いさんが、倅に娵を取って家を譲るとき、新しく立てて這入った隠居所なのである。
 爺いさんは四年前に、倅が戦争に行っている留守に、七十幾つとかで亡くなった。
 それから貸家にして、油画をかく人に借していたが、先月その人が京都へ越して行って、明家(あきや)になったというのである。
 画家は一人ものであった。
 食事は植木屋から運んだ。
 総てこの家から上がる銭は婆あさんのものになるので、若し一人もののお客が附いたら、やはり前通りに食事の世話をしても好いと云っている。
 婆あさんの質樸で、身綺麗にしているのが、純一にはひどく気に入った。
 婆あさんの方でも、純一の大人しそうな、品の好いのが、一目見て気に入ったので、「お友達があって、御一しょにお住まいになるなら、それでも宣しゅうございますが、出来ることならあなたのようなお方に、お一人で住まって戴きたいのでございます」と云った。
「まあ、とにかく御覧なすって下さい」と云って、婆あさんは柴折戸を開けた。
 純一は国の祖母あ様の腰が曲って耳の遠いのを思い出して、こんな巌乗がんじょうな年寄もあるものかと思いながら、一しょに這入って見た。
 婆あさんは建ててから十年になると云うが、住み荒したと云うような処は少しもない。
 この家に手入をして綺麗にするのを、婆あさんは為事にしていると云っているが、いかにもそうらしく思われる。
 一番好い部屋は四畳半で、飛石の曲り角に蹲(つくば)いの手水鉢が据えてある。
 茶道口のような西側の戸の外は、鏡のように拭き入れた廊下で六畳の間に続けてある。
 それに勝手が附いている。
 純一は、これまで、茶室というと陰気な、厭な感じが伴うように思っていた。
 国の家には旧藩時代に殿様がお出になったという茶席がある。
 寒くなってからも蚊がいて、気の詰まるような処であった。
 それにこの家は茶掛かった拵えでありながら、いかにも晴晴している。
 蹂口のような戸口が南向になっていて、東の窓の外は狭い庭を隔てて、直ぐに広い往来になっているからであろう。
 話はいつ極まるともなく極まったという工合である。
 一巡して来て、蹂口に据えてある、大きい鞍馬石の上に立ち留まって、純一が「午から越して来ても好いのですか」と云うと、蹲の傍の苔にまじっている、小さい草を撮んで抜いていた婆あさんが、「宣しいどころじゃあございません、この通りいつでもお住まいになるように、毎日掃除をしていますから」と云った。
 隣の植木屋との間は、低い竹垣になっていて、丁度純一の立っている向うの処に、花の散ってしまった萩がまん円に繁っている。
 その傍に二度咲のダアリアの赤に黄の雑った花が十ばかり、高く首を擡げて咲いている。
 その花の上に青み掛かった日の光が一ばいに差しているのを、純一が見るともなしに見ていると、萩の茂みを離れて、ダアリアの花の間へ、幅の広いクリイム色のリポンを掛けた束髪の娘の頭がひょいと出た。
 大きい目で純一をじいっと見ているので、純一もじいっと見ている。
 婆あさんは純一の視線を辿って娘の首を見着けて、「おやおや」と云った。
「お客さま」
 答を待たない問の調子で娘は云って、にっこり笑った。
 そして萩の茂みに隠れてしまった。
 純一は午後越して来る約束をして、忙がしそうにこの家の門を出た。
 植木屋の前を通るとき、ダアリアの咲いているあたりを見たが、四枚並べて敷いてある御蔭石が、萩の植わっている処から右に折れ曲っていて、それより奥は見えなかった。


 初音町に引き越してから、一週間目が天長節であった。
 瀬戸の処へは、越した晩に葉書を出して、近い事だから直ぐにも来るかと思ったが、まだ来ない。
 大石の処へは、二度目に尋ねて行って、詩人になりたい、小説が書いて見たいと云う志願を話して見た。
 詩人は生れるもので、己がなろうと企てたってなられるものではないなどと云って叱られはすまいかと、心中危ぶみながら打ち出して見たが、大石は好いとも悪とも云わない。
 稽古のしようもない。
 修行のしようもない。
 只書いて見るだけの事だ。
 文章なんぞというものは、擬古文でも書こうというには、楕古の必要もあろうが、そんな事は大石自身にも出来ない。
 自身の書いているものにも、仮名違なんぞは沢山あるだろう。
 そんな事には頓着しないで遣っている。
 要するに頭次第だと云った。
 それから、とにかく余り生産的な為事ではないが、その方はどう思っているかと問われたので、純一が資産のある家の一人息子に生れて、パンの為めに働くには及ばない身の上だど話すと、大石は笑って、それでは生活難と闘わないでも済むから、一廉ひとかどの労力の節減は出来るが、その代り刺激を受けることが少いから、うっかりすると成功の道を踏みはずすだろうと云った。
 純一は何の掴まえ処もない話だと思って稍や失望したが、帰ってから考えて見れば、大石の言ったより外に、別に何物かがあろうと思ったのが間違で、そんな物はありようがないのだと悟った。
 そしてなんとなく寂しいような、心細いような心持がした。
 一度は、家主の植長うえちょうがどこからか買い集めて来てくれた家具の一つの唐机に向って、その書いて見るということに著手しようとして見たが、頭次第だと云う頭が、どうも空虚で、何を書いて好いか分らない。
 東京に出てからの感じも、何物かが有るようで無いようで、その有るようなものは雑然としていて、どこを押えて見ようという処がない。
 馬鹿らしくなって、一且持った筆を置いた。
 天長節の朝であった。
 目が醒めて見ると、四畳半の東窓の戸の隙から、オレンジ色の日が枕の処まで差し込んで、細かい塵が活撥に跳っている。
 枕元に置いて寢た時計を取って見れは、六時である。
 純一は国にいるとき、学校へ御真影を拝みに行ったことを思い出しだ。
 そしてふいと青山の練兵場へ行って見ようかと思ったが、すぐに又自分で自分を打ち消した。
 兵隊の沢山並んで歩くのを見たってつまらないと思ったのである。
 そのうち娑あさんが朝飯を運んで来たので、純一が食べていると、「お婆あさん」と、優しい声で呼ぶのが聞えた。
 純一の目は婆あさんの目と一しょに、その声の方角を辿って、南側の戸口の処から外へ、ダアリアの花のあたりまで行くと、この家を借りた日に見た少女の頭が、同じ処に見えている。
 リボンはやはりクリイム色で容赦なく[見開]いた大きい目は、純一か宮島へ詣ったとき見た鹿の目を思い出させた。
 純一は先の日にちらと見たばかりで、その後この娘の事を一度も思い出さずにいたが、今又ふいとその顔を見て、いつの間にか余程親しくなっているような心持がした。
 意識の閾の下を、この娘の影が住来していたのかも知れない。
 婆あさんはこう云った。
「おや、いらっしゃいまし。安は団子坂まで買物に参りましたが、もう直に帰って参りましょう。まあ一寸こちらへいらっしゃいまし」
「往っても好くって」
「ええええ。あちらから廻っていらっしゃいまし」
 少女の頭は萩の茂みの陰に隠れた。
 婆あさんは純一に、少女が中沢とい銀行頭取の娘で、近所の別荘にいるということ、娵の安がもと別荘で小問使をしていて娘と仲好だということを話した。
 その隙に植木屋の勝手の方へ廻ったお雪さんは、飛石伝いに離れの前に来た。
 中沢の娘はお雪さんというのである。
 婆あさんが、「この方が今度越していらっしゃった小泉さんという方でございます」というと、お雪さんは黙ってお辞儀をして、純一の顔をじいっと見て立つている。
 着物も羽織もくすんだ色の銘撰であるが、長い袖の八口から緋縮緬の襦袢の袖が翻れ出ている。
 飲み掛けた茶を下に置いて、これも黙ってお辞儀をした純一の顔は赤くなったが、お雪さんの方は却って平気である。
 そして稍々(やや)身を反らせているかと思われる位に、真直に立っている。
 純一はそれを見て、何だか人に逼るような、戦を桃むような態度だと感じたのである。
 純一は何とか云わなくてはならないと思ったが、どうも詞が見付からなかった。
 そして茶碗を取り上げて、茶を一口に飲んだ。
 婆あさんが詞を挟んだ。
「お嬢様は好く画を見にいらっしゃいましたが、小泉さんは御本をお読みなさるのですから、折々いらっしゃって御本のお話をお聞きなさいますと宣しゅうございます。
 御本のお話はお好きでごさいましよう」
「ええ」
 純一は、「僕は本は余り読みません」と云った。
 言って了うと自分で、まあ、何と云う馬鹿気た事を言ったものだろうと思っだ。
 そしてお雪さんの感情を害しはしなかったかと思って、気色を伺った。
 しかしお雪さんは相変らず口元に微笑を湛えているのである。
 その微笑が又純一には気になった。
 それはどうも自分を見下している微笑のように思われて、その見下されるのが自分の当然受くべき罰のように思われたからである。
 純一はどうにかして名誉を恢復しなくてはならないような感じがした。
 そして余程勇気を振り起して云った。
「どうです。少しお掛なすっては」
「難有う」
 右の草履が碾磑(ひきうす)の飛石を一つ踏んで、左の草履が麻の葉のような皴(しゅん)のある鞍馬の沓脱に上がる。
 お雪さんの体がしなやかに一捩り捩られて、長い書生羽織に包まれた腰が蹂口に卸された。
 諺にもいう天長節日和の冬の日がばっと差して来だので、お雪さんは目映(まぶ)しそうな顔をして、横に純一の方に向いた。
 純一が国にいるとき取り寄せた近代美術史に、ナナという題のマネエの画があって、大きな眉刷毛を持って、鏡の前に立って、一寸横に振り向いた娘がかいてあった。
 その稍や規則正し過ぎるかと思われるような、細面な顔に、お雪さんが好く似ていると思うのは、額を右から左へ斜に掠めている、小指の大きさ程ずつに固まった、柔かい前髪の為めもあろう。
 その前髪の下の大きい目が、日に目映しがっても、少しも純一には目映しがらない。
「あなたお国からいらっしった方のようじゃあないわ」
 純一は笑いながら顔を赤くした。
 そして顔の赤くなるのを意識して、ひどく忌々しがった。
 それに出し抜けに、美中に刺ありともいうべき批評の詞を浴せ掛けるとは、怪しからん事だと思つた。
 婆あさんはお鉢を持って、起(た)って行った。
 二人は暫く無言でいた。
 純一は急に空気が重くろしくなったように感じた。
 垣の外を、毛度の衿の附いた外套を着た客を載せた車が一つ、田端の方へ走って行った。
 とうとう婆あさんが膳を下げに来るまで、純一は何の詞をも見出すことを得なかった。
 婆あさんは膳と土瓶とを両手に持って二人の顔を見競べて、「まあ、大相お静でございますね」と云って、勝手へ行った。
 蹲の向うの山茶花の枝から、雀が一羽飛び下りて、蹲の氷を飲む。
 この不思議な雀が純一の結ぼれた舌を解いた。
「雀が水を飲んでいますね」
「黙つていらっしゃいよ」
 純一は起って閾際まで出た。
 雀はついと飛んで行った。
 お雪さんは純一の顔を仰いで見た。
「あら、とうとう逃がしておしまいなすってね」
「なに、僕が来なくたって逃げたのです」大分遠慮は無くなったが、下手な役者か台詞を言うような心持である。
「そうじゃないわ」詞遣は急劇に親密の度を加えて来る。
 少し間を置いて、「わたし又来てよ」と云うかと思うと、大きい目の閃を跡に残して、千代田革履は飛石の上をばたばたと踏んで去った。


 純一は机の上にある仏蘭西の雑誌を取り上げた。
 中学にいるときの外国語は英語であったが、聖公会の宣教師の所へ毎晩通って、仏語を学んだ。
 当初は暁星学校の教科書を読むのも辛かったが、一年程通っているうちに、ふいと楽に読めるようになった。
 そこで教師のベルタンさんに頼んで、巴里の書店に紹介して貫った。
 それからは書目を送ってくれるので、新刊書を直接に取寄せている。
 雑誌もその書店が取り次いで送ってくれるのである。
 開けた処には、セガンチニの死ぬるところが書いてある。
 氷山を隣に持った小屋のような田舎屋である。
 ろくな煖炉もない。
 そこで画家は死に瀕している。
 体のうちの臓器はもう運転を停めようとしているのに、画家は窓を開けさせて、氷の山の巓(いただき)に棚引く雲を眺めている。
 純一は巻を掩(おお)うて考えた。
 芸術はこうしたものであろう。
 自分の画がくべきアルプの山は現社会である。
 国にいたとき夢みていた大都会の渦巻は今自分を漂わせているのである。
 いや、漂わせているのなら好い。
 漂わせていなくてはならないのに、自分は岸の蔦蘿(つたかづら)にかじり附いているのではあるまいか。
 正しい意味で生活していないのではあるまいか。
 セガンチニが一度も窓を開けず、戸の外へ出なかったら、どうだろう。
 そうしたら、山の上に住まっている甲斐はあるまい。
 今東京で社会の表面に立っている人に、国の人は沢山ある。
 世はY県の世である。
 国を立つとき某元老に紹介して遣ろう、某大臣に紹介して遣ろうと云った人があったのを皆ことわった。
 それはそういう人達がどんなに偉大であろうが、どんなに権勢があろうが、そんな事は自分の目中に置いていなかったからである。
 それから又こんな事を思った。
 人の遭遇というものは、紹介状や何ぞで得られるものではない。
 紹介状や何ぞで得られたような遭遇は、別に或物が土台を造っていたのである。
 紹介状は偶然そこへ出くわしたのである。
 開いている扉があったら足を容れよう。
 扉が閉じられていたら通り過ぎよう。
 こう思って、田中さんの紹介状一本の外は、皆貰わずに置いたのである。
 自分は東京に来ているには違ない。
 しかしこんなにしていて、東京が分かるだろうか。
 こうしていては国の書斎にいるのも同じ事ではあるまいか。
 同じ事なら、まだ好い。
 国で中学を済ませた時、高等学校の試験を受けに東京へ出て、今では大学にはいっているものもある。
 瀬戸のように美術学校にはいっているものもある。
 直ぐに社会に出て、職業を求めたものもある。
 自分が優等の成績を以て卒業しながら、仏蘭西語の研究を続けて、暫く国に停まっていたのは、自信があり、抱負があっての事であった。
 学士や博士になることは余り希望しない。
 世間にこれぞと云って、為て見たい職業もない。
 家には今のように支配人任せにしていても、一族が楽に暮らして行かれるだけの財産がある。
 そこで親類の異議のうるさいのを排して創作家になりたいと決心したのであった。
 そう思い立ってから語学を教えて貰っている教師のベルタンさんに色々な事を問うて見たが、この人は巴里の空気を呼吸していた人の癖に、そんな方面の消息は少しも知らない。
 本業で読んでいる筈の新旧約全書でも、それを偉大な、文学として観察するという事はない。
 何かその中の話を問うて見るのに、啻(ただ)に文学として観ていないばかりではない、楽んで読んでいるという事さえないようである。
 只寺院の側から観た煩瑣な註釈を加えた大冊の書物を、深く究めようともせずに、貯蔵しているばかりである。
 そして日々の為事には、国から来た新聞を読む。
 新聞では列国の均勢とか、どこかで偶々起っている外交問題とかいうような事に気を着けている。
 そんなら何か秘密な政治上のミッションでも持っているかと云うに、そうでもないらしい。
 恐らくは、欧米人の謂う珈琲卓の政治家の一人なのであろう。
 その外には東洋へ立つ前に買って来たという医書を少し持っていて、それを読んで自分の体だけの治療をする。
 殊にこの人の褐色の長い髪に掩われている頭には、持病の頭痛があって、古びたタラアルのような黒い衣で包んでいる腰のあたりにも、厭な病気があるのを、いつも手前療治で繕っているらしい。
 そんな人柄なので少し話を文学や美術の事に向けようとすると、顧みて他を言うのである。
 ようようの思でこの人に為て貰った事は巴里の書肆へ紹介して貰っただけである。
 こんな事を思っている内に、故郷の町はずれの、田圃の中に、じめじめした処へ土を盛って、不恰好に造ったペンキ塗の会堂が目に浮ぶ。
 聖公会と書いた、古ぴた木札の掛けてある、赤く塗った門を這入ると、瓦で築き上げた花壇が二つある。
 その一つには百合が植えてある。
 今一つの方にはコスモスが植えてある。
 どちらも春から芽を出しながら、百合は秋の初、コスモスは秋の季に覚束なげな花が咲くまで、いじけたままに育つのである。
 中にもコスモスは、胡蘿蔔にんじんのような葉がちぢれて、瘠せた幹がひょろひょろして立っているのである。
 その奥の、搏風はふだけゴチック賽まがいに造った、ペンキ塗のがらくた普請が会堂で、仏蘭西語を習いに行く、少数の青年の外には、いつまで立っても、この中へ這入って来る人はない。
 ベルタンさんは老いぼれた料理人兼小使を一人使って、がらんとした、稍大きい家に住んでいるのだから、どこも彼処も埃だらけで、白昼に鼠が駈け廻っている。
 ベルタンさんは長崎から買って来たという大きいデスクに、干八百五十何年などという年号の書いてある、クロオスの色の赤だか黒だか分からなくなった書物を、乱雑に積み上げて置いている。
 その側には食い掛けた腸詰や乾酪を載せた皿が、不精にも勝手へ下げずに、国から来た Figaro の反古を被せて置いてある。
 虎斑の猫が一匹積み上げた書物の上に飛び上がって、そこで香箱を作って、腸詰の奄嗅いでいる。
 その向うに、茶褐色の長い髪を、白い広い額から、背後へ掻き上げて、例のタラアルまがいの黒い服を着て、お祖父さん椅子に、誰やらに貰ったという、北海道の狐の皮を掛けて、ベルタンさんが据わっている。
 夏も冬も同じ事である。
 冬は部屋の隅の鉄砲煖炉に松真木が燻っているだけである。
 或日稽古の時間より三十分ばかり早く行ったので、ベルタンさんといろいろな話をした。
 その時教師がお前は何になる積りかと問うたので、正直に Romancier になると云った。
 ベルタンさんは二三度問い返して、妙な顔をして黙ってしまった。
 この人は小説家というものに就いては、これまで少しも考えで見た事がないので、何と云って好いか分からなかったらしい。
 殆どわたくしは火星へ移住しますとでも云ったのと同じ位に呆れたらしい。
 純一は読み掛けた雑誌も読まずにこんな回想に耽っていたが、ふと今朝婆あさんの起して置いてくれた火鉢の火が、真白い灰を被って小さくなってしまったのに気が附いて、慌てて炭をついで、[頬]を膨らせて頻りに吹き始めた。


 天長節の日の午前はこんな風で立ってしまった。
 婆あさんの運んで来た昼食を食べた。
 そこへぶらりと瀬戸速人が来た。
 婆あさんが倅の長次郎に白げさせて持て来た、小さい木礼に、純一が名を書いて、門の柱に掛けさせて置いたので、瀬戸はすぐに尋ね当てて這入って来たのである。
 日当りの好い小部屋で、向き合って据わって見ると、瀬戸の顔は大分故郷にいた時とは違っている。
 谷中の坂の下で達ったときには、向うから声を掛けたのと顔の形よりは顔の表情を見たのとで、さ程には思わなかったが、瀬戸の昔油ぎっていた顔が、今は干からびて、目尻や口の周囲に、何か言うと皺が出来る。
 家主の婆あさんなんぞは婆あさんでも最(も)少し艶々しているように思われるのである。
 瀬戸はこう云った。
「ひどくしゃれた内を見附けたもんだなあ」
「そうかねえ」
「そうかねえもないもんだ。一体君は人に無邪気な青年だと云われる癖に、食えない人だよ。田舎から飛び出して来て、大抵の人間ならまごついているんだが、誰の所をでも一人で訪問する。家を一人で探して借りる。まるで百年も東京にいる人のようじゃないか」
「君、東京は百年前にはなかったよ」
「それだ。君のそう云う方面は馬鹿な奴には分からないのだ。君はずるいよ」
 瀬戸は頻りにずるいよを振り廻して、純一の知己を以て自ら任じているという風である。
 それからこんな事を言った。
 今日の午後は暇なので、純一がどこか行きたい処でもあるなら一しょに行っても好い。
 上野の展覧会へ行っても好い。
 浅草公園へ散歩に行っても好い。
 今一つは自分の折々行く青年倶楽部のようなものがある。
 会員は多くは未来の文士というような連中で、それに美術家が二三人加わっている。
 極真面目な会で、名家を頼んで話をして貰う事になっている。
 今日は拊石が来る。
 路花なんぞとは流派が違うが、なんにしろ大家の事だから、いつもより盛んだろうと思うというのである。
 純一は画なんぞを見るには、分かっても分からなくても、人と一しょに見るのが嫌である浅草公園の昨今の様子は、ちょいちょい新聞に出る出来事から推し測って見ても、わざわぎ往って見る気にはなられない。
 拊石という人は流行に遅れたようではあるが、とにかく小説家中で一番学問があるそうだ。
 どんな人か顔を見て置こうと思った。
 そこで倶楽部へ連れて行って貰うことにした。
 二人は初音町を出て、上野の山をぶらぶら通り抜けた。
 博物館の前にも、展覧会の前にも馬車が幾つも停めてある。
 精養軒の東照宮の方に近い入口の前には、立派な自動車が一台ある。
 瀬戸が云った。
「汽車はタアナアがかいたので画になったが、まだ自動車の名画というものは聞かないね」
「そうかねえ。文章にはもう大分あるようだが」
「旨く書いた奴があるかね」
「小説にも脚本にも沢山書いてあるのだが、只使ってあるというだけのようだ。旨く書いたのはやっばりマアテルリンクの小品位のものだろう」
「ふん。一体自動車というものは幾ら位するだろう」
「五六干円から、少し好いのは一万円以上だというじゃあないか」
「それじゃあ、僕なんぞは一生画をかいても、自動車は買えそうもない」
 瀬戸は火の消えた朝日を、人のぞろぞろ歩いている足元へ無遠慮に投げて、苦笑をした。
 笑うとひどく醜くなる顔である。
 広小路に出た。
 国旗をぶっちがえにして立てた電車が幾台も来るが、皆満員である。
 瀬戸が無理に人を押し分けて乗るので、純一も為方なしに附いて乗った。
 須田町で乗り換えて、錦町で降りた。
 横町へ曲って、赤煉瓦の神田区役所の向いの処に来ると、瀬戸が立ち留まった。
 この辺には木造のけちな家ばかり並んでいる。
 その一軒の庇に、好く本屋の店先に立ててあるような、木の枠に紙を張り附けた看板が立て掛けてある。
 上の方へ横に羅馬字で DIDASKALIA と書いて、下には竪に十一月例会と書いてある。
「ここだよ。二階へ上がるのだ」
 瀬戸は下駄や半靴の乱雑に脱ぎ散らしてある中へ、薩摩下駄を跳ね飛ばして、正面の梯子を登って行く。
 純一は附いて上がりながら、店を横目で見ると、帳場の格子の背後には、二十ばかりの色の蒼い八分刈頭の男がすわっていて、勝手に続いているらしい三尺の口に立っている赧顔の大女と話をしている。
 女は襷がけで、裾をまくって、膝の少し下まである、鼠色になった褌を出している。
 その女が「いらっしゃい」と大声で云って、一寸こっちを見ただけで、轡虫くつわむしの鳴くような声で、話をし続けているのである。
 二階は広くてきたない。
 一方の壁の前に、車と椅子とが置いてあって、卓の上には花瓶に南天が生けてあるが、いつ生けたものか葉がところどころ泣菫の所謂乾反葉ひそりばになっている。
 その側に水を入れた瓶とコップとがある。
 十四五人ばかりの客が二つ三つの火鉢を中心にして、よごれた座布団の上にすわっている。
 間々にばら蒔いてある座布団は跡から来る客を待っているのである。
 客は大抵紺飛白(こんがすり)の羽織に小倉袴という風で、それに学校の制服を着たのが交っている。
 中には大学や高等学校の服もある。
 会話は大分盛んである。
 丁度純一が上がって来たとさ、上り口に近い一群の中で、誰やらが声高にこう云うのが開えた。
「とにかく、君、ライフとアアトが別々になっている奴は駄目だよ」
 純一は知れ切った事を、仰山らしく云っているものだと思いながら、瀬戸が人にでも引き合わせてくれるのかと、少し躊躇していたが、瀬戸は誰やら心安い間らしい人を見附けて、座敷のずっと奥の方へずんずん行って、その人と小声で忙しそうに話し出したので、純一は上り口に近い群の片端に、座布団を引き寄せて寂しく据わった。
 この群では、識らない純一の来たのを、気にもしない様子で、会話を続けている。
 話題に上っているのは、今夜演説に来る拊石である。
 老成らしい一人が云う。
 あれはとにかく芸術家として成功している。
 成功といっても一時世間を動かしたという側でいうのではない。
 文芸史上の意義でいうのである。
 それに学殖がある。
 短篇集なんぞの中には、西洋の事を書いて、西洋人が書いたとしきゃ思われないようなのがあると云う。
 そうすると、さっき声高に話していた男が、こう云う。
 学問や特別知識は何の価値もない。
 芸術家として成功しているとは、旨く人形を列べて、踊らせているような処を言うのではあるまいか。
 その成功が嫌だ。
 纏まっているのが嫌だ。
 人形を勝手に踊らせていて、エゴイストらしい自己が物蔭に隠れて、見物の面白がるのを冷笑しているように思われる。
 それをライフとアアトが別々になっているというのだと云う。
 こう云っている男は近眼目がねを掛けた痩男で、柄にない大きな声を出すのである。
 傍から遠慮げに喙を容れた男がある。
「それでも教員を罷めたのなんぞは、生活を芸術に一致させようとしたのではなかろうか」
「分かるもんか」
 目金の男は一言で排斥した。
 今まで黙っている一人の怜悧らしい男が、遠慮げな男を顧みて、こう云った。
「しかし教員を罷めただけでも、鴎村なんぞのように、役人をしているのに比べて見ると、余程芸術家らしいかも知れないね」
 話題は拊石から鴎村に移った。
 純一は拊石の物などは、多少興味を持って読んだことがあるが、鴎村の物では、アンデルセンの翻訳だけを見て、こんなつまらない作を、よくも暇潰しに訳したものだと思ったきり、この人に対して何の興味をも持っていないから、会話に耳を傾けないで、独りで勝手な事を思っていた。
 会話はいよいよ栄えて、笑声が雑って来る。
「厭味だと云われるのが気になると見えて、自分で厭味だと書いて、その書いたのを厭味だと云われているなんぞは、随分みじめだね」と、怜悧らしい男が云って、外の人と一しょになって笑ったのだけが、偶然純一の耳に止まった。
 純一はそれが耳に止まったので、それまで独で思っていた事の端緒を失って、ふいとこう思った。
 自分の世間から受けた評に就いてかれこれ云えば、馬鹿にせられるか、厭味と思われるかに極まっている。
 そんな事を敢てする人はおめでたいかも知れない。
 厭味なのかも知れない。
 それとも実際無頓着に自己を客観しているのかも知れない。
 それを心理的に判断することは、性格を知らないでは出来ない筈だと思った。
 瀬戸が座敷の奥の方から、「小泉君」と呼んだ。
 純一がその方を見ると、瀬戸はもう初めの所にはいない。
 隅の方に、子供の手習机を据えて、その上に書類を散らかしている男と、火鉢を隔てて、向き合っているのである。
 席を起ってそこへ行って見れば、机の上には一円札やら小さい銀貨やらが、書類の側に置いてある。
 純一はそこで七十銭の会費を払った。
「席料と弁当代だよ」瀬戸は純一にこう云って聞せながら、机を構えている男に、「今日は菓子は出ないのかい」と云った。
 まだ返辞をしないうちに、例の赭顔の女中が大きい盆に一人前ずつに包んだ餅菓子を山盛にして持って来て銘々に配り始めた。
 配ってしまうと、大きい土瓶に番茶を入れたのを、折々に置いて行く。
 純一が受け取った菓子を手に持ったまま、会計をしている人の机の傍にいると、「おい、瀬戸」と呼び掛けられて、瀬戸は忙がしそうに立って行った。
 呼んだのは、初め這入ったとき瀬戸が話をしていた男である。
 髪を長く伸した、色の蒼い男である。
 又何か小声で熱心に話し出した。
 人が次第に殖えて来て、それが必ずこの机の傍に来るので、純一は元の席に帰った。
 余り上り口に近いので、自分の敷いていた座布団だけはまだ人に占領せられずにあったのである。
 そこで据わろうと思うと半分ばかり飲みさしてあった茶碗をひっくり返した。
 純一は少し慌てて、「これは失敬しました」と云って袂からハンカチイフを出して拭いた。
「畳が驚くでしょう」
 こう云って茶碗の主は、純一が銀座のどこやらの店で、ふいと一番善いのをと云って買った、フランドルのバチストで拵えたハンカチイフに目を注けている。
 この男は最初から柱に倚り掛かって、黙って人の話を聞きながら、折々純一の顔を見ていたのである。
 大学の制服の、襟にMの字の附いたのを着た、体格の立派な男である。
 一寸調子の変った返事なので、畳よりは純一の方が驚いて顔を見ていると、「君も画家ですか」と云った。
「いえ。そうではありません。まだ田舎から出たばかりで、なんにも遣っていないのです」
 純一はこう云って、名刺を学生にわたした。
 学生は、「名刺があったかしらん」とつぶやきながら隠しを探って、小さい名刺を出して純一にくれた。
 大村荘之助としてある。
 大村はこう云つた。
「僕は医者になるのだが、文学好だもんだから、折々出掛けて来ますよ。君は外国語は何を遣っています」
「フランスを少しばかり習いました」
「何を読んでいます」
「フロオベル、モオパッサン、それから、ブウルジェエ、ベルジックのマアテルリンクなんぞを些ばかり読みました」
「らくに読めますか」
「ええ。マアテルリンクなんぞは、脚本は分りますが、論文はむつかしくて困ります」
「どうむつかしいのです」
「なんだか要点が掴まえにくいようで」
「そうでしょう」
 大村の顔を、微かな徴笑が掠めて過ぎた。
 嘲(あざけり)の分子なんぞは少しも含まない、温い微笑である。
 感激し易い青年の心は、何故ともなくこの人を頼もしく思った。
 作品を読んで慕って来た大石に逢ったときは、その人が自分の想像に画いていた人と違ってはいないのに、どうも険しい巌の前に立ったような心持がしてならなかった。
 大村という人は何をしている人だか知らない。
 医科の学生なら、独逸は出来るだろう。
 それにフランスも出来るらしい。
 只これだけの推察が、咄嗟の間に出来たばかりであるのに、なんだか力になって貰われそうな気がする。
 ニイチェという人は、「己は流の岸の欄干だ」と云ったそうだが、どうもこの大村が自分の手で掴えることの出来る欄干ではあるまいかと思われてならない。
 そして純一のこう思う心はその大きい瞳を透して大村の心にも通じた。
 この時梯子の下で、「諸君、平田先生が見えました」と呼ぶ声がした。
 平田というのは拊石の氏なのである。


 幹事らしい男に案内せられて、梯子を登って来る、拊石という人を、どんな人かと思って、純一は見ていた。
 少し古びた黒の羅紗服を着ている。
 背丈は中位である。
 顔の色は蒼いが、アイロニイを帯びた快活な表情である。
 世間では鴎村と同じように、継子根性のねじくれた人物だと云っているが、どうもそうは見えない。
 少し赤み掛かった、たっぶりある八字髭が、油気なしに上向に捩じ上げてある。
 純一は、髭というものは白くなる前に、四十代で赤み掛かって来る、その頃でなくては、日本人では立派にはならないものだと思った。
 拊石は上り口で大村を見て、「何か書けますか」と声を掛けた。
「どうも持って行って見て載くようなものは出来ません」
「ちっと無遠慮に世間へ出して見給え。活字は自由になる世の中だ」
「余り自由になり過ぎて困ります」
「活字は自由でも、思想は自由でないからね」
 緩かな調子で、人に強い印象を与える詞附である。
 強い印象を与えるのは、常に思想が霊活に動いていて、それをぴったり適応した言語で表現するからであるらしい。
 拊石は会計掛の机の側へ案内せられて、座布団の上へ胡坐をかいて、小さい紙巻の煙草を出して呑んでいると、幹事が草の向うへ行って、紹介の挨拶をした。
 拊石は不精らしく体を車の向うへ運んだ。
 方々の話声の鎮まるのを、暫く待っていて、ゆっくり口を開く。
 不断の会話のような調子である。
「諸君からイブセンの話をして貰いたいという事でありました。
 わたくしもイブセンに就いて、別に深く考えたことはない。
 イブセンに就いてのわたくしの智識は、諸君の既に有しておられる智識以上に何物もあるまいと思う。
 しかし知らない事を聞くのは骨が所れる。
 知っていることを聞くの気楽なるに如かずである。
 お葉子が出ているようだから、どうぞお葉子を食べながら気楽に聞いて下さい」
 こんな調子である。
 声色を励ますというような処は少しもない。
 それかと云って、評判に聞いている雪嶺の演説のように訥弁の能弁だというでもない。
 平板極まる中に、どうかすると非常に奇警な詞が、不用意にして出て来るだけは、雪嶺の演説を速記で読んだときと同じようである。
 大分話が進んで来てから、こんな事を言っだ。
「イブセンは初め諾威(ノオルウエイ)の小さいイブセンであって、それが社会劇に手を着けてから、大きな欧羅巴ヨオロッパのイブセンになったというが、それが日本に伝わって来て、又ずっと小さいイブセンになりました。なんでも日本へ持って来ると小さくなる。ニイチェも小さくなる。トルストイも小さくなる。ニイチェの詞を思い出す。地球はその時小さくなった。そしてその上に何物をも小さくする、最後の人類がひょこひよこ跳っているのである。我等は幸福を発見したと、最後の人類は云って、目をしばだたくのである。日本人は色々な主義、色々なイスムを輸入して来て、それを弄んで目をしばだたいている。何もかも日本人の手に入っては小さいおもちゃになるのであるから、元が恐ろしい物であったからと云って、剛こわがるには当らない。何も山鹿素行や、四十七士や、水戸浪士を地下に起して、その小さくなったイブセンやトルストイに対抗させるには及ばないのです」まあ、こんな調子である。
 それから新しい事でもなんでもないが、純一がこれまで蓄えて持っている思想の中心を動かされたのは拊石が諷刺的な語調から忽然真面目になって、イブセンの個人主義に両面があるということを語り出した処であった。
 拊石は先ず、次第にあらゆる習慣へ縛(いましめ)を脱して、個人を個人として生活させようとする思想が、イブセンの生涯の作の上に、所謂赤い糸になって一貫していることを言った。
「種々の別離を己は閲けみした」という様な心持である。
 これを聞いている間は、純一もこれまで自分が舟に棹さして下って行く順流を、演説者も同舟の人になって下って行くように感じていた。
 ところが、拊石は話頭を一転して、「これがイブセンの自己の一面です、Peer Gynt に詩人的に発揮している自己の一面です、世間的自己です」と結んで置いて、別にイブセンには最初から他の一面の自己があるということを言った。
「若しこの一面がなかったら、イブセンは放縦を説くに過ぎない。イブセンはそんな人物ではない。イブセンには別に出世間的自己があって、始終向上して行こうとする。それが Brandブラント に於いて発揮せられでいる。イブセンは何の為めに習慣の朽ちたる索を引きちぎって棄てるか。ここに自由を得て、身を泥土に委ねようとするのではない。強い翼に風を切って、高く遠く飛ぼうとするのである」
 純一はこれを聞いていて、その語気が少しも荘重に聞かせようとする様子でなく、依然として平坦な会話の調子を維持しているにも拘らず、無理に自分の乗っている船の舳先を旋めぐらして逆に急流を遡らせられるような感じがして、それから暫くの間は、独りで深い思量に耽った。
 警えば長い間集めた物を、一々心覚えをして箱に入れて置いたのを、人に上を下へと掻き交ぜられたような物である。
 それを元の通りにするのはむずかしい。
 いや元の通りにしようなんぞとは思わない。
 元の通りでなく、どうにか整頓しようと思う。
 そしてそれが出来ないのである。
 出来ないのは無理もない。
 そんな整頓は固より一朝一夕に出来る筈のないのである。
 純一の耳には拊石の詞が遠い遠い物音のように、意味のない雑音になって聞えている。
 純一はこの雑音を聞いているうちに、ふと聴衆の動揺を感じて、殆ど無意識に耳を欹てると、丁度拊石がこう云っていた。
「ゾラの Claudeクロオドは芸術を求める。イブセンのブラントは理想を求める。その求めるものの為めに、妻をも子をも犠牲にして顧みない。そして自分も滅びる。そこを藪睨に睨んで、ブラントを諷刺だとさえ云ったものがある。実はイブセンは大真面目である。大真面目で向上の一路を示しいいる。悉皆か絶無か。この理想はブラントという主人公の理想であるが、それが自己より出でたるもの、自己の意志より出でたるものだという所に、イブセンの求めるものの内容が限られている。とにかく道は自己の行く為めに、自己の開く道である。倫理は自己の遵奉する為めに、自己の構成する倫理である。宗教は自己の信仰する為めに、自己の建立する宗教である。一言で云えば、Autonomie である。それを公式にして見せることは、ィブセンにも出来なんだであろう。とにかくイブセンは求める人であります。現代人であります。新しい人であります」
 拊石はこう云ってしまって、聴衆が結論だかなんだか分らずにいるうちに、ぶらりとテエブルを離れて前に据わっていだ座布団の上に戻った。
 あちこちに拍手するものがあったが、はたが応ぜないので、すぐに止んでしまった。
 多数は演説が止んでもじっと考えている。
 一座は非常に静かである。
 幹事が閉会を告げた。
 下女が鰻飯の丼を運び出す。
 方々で話声はちらほら聞えて来るが、その話もしめやかである。
 自分自分で考えることを考えているらしい。
 縛がまだ解けないのである。
 幹事が拊石を送り出すを相図に、会員はそろそろ帰り始めた。


 純一が梯子段の処に立っていると、瀬戸が忙しそうに傍へ来て問うのである。
「君、もうすぐに帰るか」
「帰る」
「それじゃあ、僕は寄って行く処があるから、失敬するよ」
 門口で別れて、瀬戸は神田の方へ行く。
 倶楽部へ来たときから、一しょに話していた男が、跡から足を早めて追っ駈けて行った。
 純一が小川町の方ヘ一人で歩き出すと、背後を大股に靴で歩いて来る人のあるのに気が附いた。
 振り返って見れば、さっき大村という名刺をくれた医科の学生であった。
 並ぶともなしに、純一の右側を歩きながら、こう云った。
「君はどっちへ帰るのです」
「谷中にいます」
「瀬戸は君の親友ですか」
「いいえ。親友というわけではないのですが、国で中学を一しょに遣ったものですから」
 なんだか言いわけらしい返事である。
 血色の好い、巌乗な大村は、純一と歩度を合せる為めに、余程加滅をして歩くらしいのである。
 小川町の通を須田町の方へ、二人は暫く無言で歩いている。
 両側の店にはもう明りが附いている。
 少し風が出て、土埃を捲き上げる。
 看板ががたがた鳴る。
 天下堂の前の人道を歩きながら、大村が「電車ですか」と問うた。
「僕は少し歩こうと思います」
「元気だねえ。それじゃあ、僕も不精をしないで歩くとしようか。しかし君は本郷へ廻っては損でしよう」
「いいえ。大した違いはありません」
 又暫く詞が絶えた。
 大村が歩度を加滅しているらしいので、純一はなるたけ大肢に歩こうとしている。
 しかし純一は、大村が無理をして縮める歩度は整っているのに、自分の強いて伸べようとする歩度は乱れ勝になるように感ずるのである。
 そしてそれが歩度ばかりではない。
 只なんとなく大村という男の全体は平衡を保っているのに、自分は動揺しているように感ずるのである。
 この動揺の性質を純一は分析して見ようとしている。
 ところが、それがひどくむずかしい。
 先頃大石に逢った時を顧みれば、彼を大きく思って、自分を小さく思ったに違いない。
 しかし彼が何物をか有しているとは思わない。
 自分も相応に因襲や前極めを破壊している積りでいたのに、大石に逢って見れば、彼の破壊は自分なんぞより周到であるらしい。
 自分も今一洗濯したら、あんな態度になられるだろうと思った。
 然るに今日拊石の演説を聞いているうちに、彼が何物をか有しているのが、髣髴として認められた様である。
 その何物かが気になる。
 自分の動揺は、その何物かに与えられた波動である。
 純一は突然こう云った。
「一体新人というのは、どんな人を指して言うのでしよう」
 大村は純一の顔をちょいと見た。
 そして目と口との周囲に微笑の影が閃いた。
「さっき拊石さんがイブセンを新しい人だと云ったから、そう云うのですね。
 拊石さんは妙な人ですよ。
 新人というのが嫌いで、わざわざ新しい人と云っているのです。
 僕がいつか新人と云うと、新人とは漢語で花娵の事だと云って、僕を冷かしたのです」
 話が横道へ逸れるのを、純一はじれったく思って、又出直して見た。
「なる程旧人と新人ということは、女の事にぱかり云ってあるようですね。そんなら僕も新しい人と云いましよう。新しい人はつまり道徳や宗教の理想なんぞに捕われていない人なんでしようか。それとも何か別の物を有している人なんでしようか」
 微笑が又閃く。
「消極的新人と積極的新人と、どっちが本当の新人かと云うことになりますね」
「ええ。まあ、そうです。その積極的新人というものがあるでしようか」
 微笑が又閃く。
「そうですねえ。有るか無いか知らないが、有る筈には相違ないでしょう。破壊してしまえほ、又建設する。石を崩しては、又積むのでしょうよ。君は哲学を読みましたか」「哲学に就いては、少し読んで見ました。哲学その物はなんにも読みません」正直に、躊躇せずに答えたのである。
「そうでしよう」
 夕の昌平橋は雑踏する。
 内神田の咽喉を扼している、ここの狭隘に、おりおり捲き起される冷たい埃を浴びて、影のような群集が忙しげに摩れ違っている。
 暫くは話も出来ないので、影と一しょに急ぎながら空を見れぱ、仁丹の広告燈が青くなったり、赤くなったりしている。
 純一は暫く考えて見て云った。
「哲学が幾度建設せられても、その度毎に破壊せられるように、新人も積極的になって、何物かを建設したら、又その何物かに捕われるのではないでしょうか」
「捕われるのですとも。縄が新しくなると、当分当りどころが違うから、縛(いましめ)を感ぜないのだろうと、僕は思っているのです」
「そんなら寧ろ消極のままで、懐疑に安住していたらどうでしょう」
「懐疑が安住でしょうか」
 純一は一寸窮した。
「安住と云ったのは、矛盾でした。つまり永遠の懐疑です」
「なんだか詛われたものとでも云いそうだね」
「いいえ。懐疑と云ったのも当っていません。永遠に求めるのです。永遠の希求です」
「まあ、そんなものでしょう」
 大村の詞はひどく冷澹なようである。
 しかしその音調や表情に温みが籠っているので、純一は不快を感ぜない。
 聖堂の裏の塀のあたりを歩きながら、純一は考え考えこんな事を話し出した。
「さっき倶楽部でもお話をしたようですが、僕事マアテルリンクを大抵読んで見ました。それから同じ学校にいた友達だというので、Verhaeren を読み始めたのです。この間 La Multiple Splendeur が来たもんですから、それを国から出て来るとき、汽車で読みました。あれには大分纏まった人世観のようなものがあるのですね。妙にこう敬虔なような態度を取っているのですね。まるで日本なんぞで新人だと云っている人達とは違っているもんですから、へんな心持がしました。あなたの云う積極的新人なのでしょう。日本で消極的な事ばかし書いている新人の作を見ますと、縛られた縄を解いて行く処に、なる程と思う処がありますが、別に深く引き附けられるような感じはありません。あのフェルハアレンの詩なんぞを見ますと、妙な人生観があるので、それが直ぐにこっちの人生観にはならないのですが、その癖あの敬虔なような調子に引き寄せられてしまうのです。ロダンは友達だそうですが、丁度ロダンの彫刻なんぞも、同じ事だろうと思うのです。そうして見ると、西洋で新人と云われている連中は、皆気息の通っている処かあって、それか日本の新人とは大分違っているように思うのです。拊石さんのイブセンの話も同じ事です。どうも日本の新人という人達は、拊石の云ったように、小さいのではありますまいか」
「小さいのですとも。あれは Clique の名なのです」大村は恬然としてこう云った。
 銘々勝手な事を考えて二人は本郷の通を歩いた。
 大村の方では田舎もなかなか馬鹿には仕らない、自分の知っている文科の学生の或るものよりは、この独学の青年の方が、眼識も能力も優れていると思うのである。
 大学前から、道幅のまだ広げられない森川町に掛かるとき、大村が突然こう云った。
「君、瀬戸には気を着けて交際し給えよ」「ええ。分かっています。Boheme ですから」
「うん。それが分かっていれば好いのです」
 近いうちに大村の西片町の下宿を尋ねる約束をして、純一は高等学校の角を曲った。


 十一月二十七日に有楽座でイプセンの John Gabriel Borkmann が興行せられた。
 これは時代思潮の上から観れば、重大なる出来事であると、純一は信じているので、自由劇場の発表があるのを待ち兼ねていたように、早速会員になって置いた。
 これより前に、また純一が国にいた頃、シェエクスピイア興行があったこともある。
 しかしシェエクスピイアやギョオテは、縦いどんなに旨く演ぜられたところで、結構には相違ないが、今の青年に痛切な感じを与えるこどはむずかしかろう。
 痛切でないばかりではない。
 事に依ると、あんなクラッシックな、俳諧の用語で言えば、一時流行でなくて千古不易の方に属する作を味う余裕は、青年の多数には無いと云っても好かろう。
 極端に言えば、若しシェエクスピイアのような作が新しく出たら、これはドラムではない、テアトルだなんぞと云うかも知れない。
 その韻文をも冗漫だと云うかも知れない。
 ギョオテもそうである。
 ファウストが新作として出たら、青年は何と云うだろうか。
 第二部は勿論であるが、第一部でも、これは象徴ではない、アレゴリイだとも云い兼ねまい。
 なぜと云うに、近世の写実の強い刺戦に慣れた舌には、百年前の落ち着いた深い趣味は味いにくいからである。
 そこでその古典的なシェエクスピイアがどう演ぜられたか。
 当時の新聞雑詰で見れば、ヴェネチアの街が駿河台の屋鋪町で、オセロは日清戦争時代の将官の肋骨服に三等勲章を佩びて登場したということである。
 その舞台や衣裳を想像して見たばかりで、今の青年は侮辱せられるような感じをせずにはいられないのである。
 二十七日の晩に、電車で数寄屋橋まで行って、有楽座へ這入ると、パルケットの四列目あたりに案内せられた。
 見物はもうみんな揃って、興行主の演説があった跡で、丁度これから弟一幕が始まるという時であった。
 東京に始めて出来て、珍らしいものに言い囃されている、この西洋風の夜の劇場に這入って見ても、種々の本や画で、劇場の事を見ている純一が為めには、別に目を駭(おどろ)かすこともない。
 純一の席の近処は、女客ばかりであった。
 左に二人並んでいるのは、まだどこかの学校にでも通っていそうな廂髪(ひさしがみ)の令嬢で、一人は縹色の袴、一人は董色の袴を穿いている。
 右の方にはコオトを着たままで、その上に毛の厚い skunks の襟巻をした奥さんがいる。
 この奥さんの左の椅子が明いていたのである。
 純一が座に着くと、何やら首を聚めて話していた令嬢も、右手の奥さんも、一時に顔を振り向けて、純一の方を向いた。
 縹色のお嬢さんは赤い日顔で、童色のは白い角張った顔である。
 その角張った顔が何やらに似ている。
 西洋人が胡桃を噬(か)み割らせる、恐ろしい口をした人形がある。
 あれを優しく女らしくたようである。
 国へ演説に来たとき、一度見た事のある島田三郎という人に、どこやら似ている。
 どちらも美しくはない。
 それと違って、スカンクスの奥さんは凄いような美人で、鼻は高週ぎる程高く、切目の長い黒目勝の目に有り余る媚(こび)がある。
 誰やらの奥さんに、友達を引き合せた跡で、「君、今の目附は誰にでもするのだから、心配し給うな」と云ったという話があるが、まあ、そんな風な目である。
 真黒い髪が多過ぎ長過ぎるのを、持て余しているというように見える。
 お嬢さん達はすぐに東西の桟敷を折々きよろきょろ見廻して、前より少し声を低めたばかり、大そうな用事でもあるらしく話し続けている。
 奥さんは良や久しい間、純一の顔を無遠慮に見ていたのである。
「そら、幕が開いてよ」と縹のお嬢さんが童のお嬢さんをつついた。
「いやあね。あんまりおしやべりに実が入って知らないでいたわ」
 桟敷が闇くなる。
 さすが会員組織で客を集めただけあって、折々の話声がぱったり止む。
 舞台では、これまでの日本の芝居で見物の同情を惹きそうな理窟を言う、エゴイスチックなボルクマン夫人が、倅せがれの来るのを待っている処へ、倅ではなくて、若かった昔の恋の競争者で、情に脆い、じたらくなような事を言う、アルトリュスチックな妹エルラが来て、長い長い対話が始まる。
 それを聞いているうちに、筋の立った理窟を言う夫人の、強そうで弱みのあるのが、次第に同情を失って、いくじのなさそうな事を言う妹の、弱そうで底力のあるのに、自然と同情が集まって来る。
 見物は少し勝手が違うのに気が附く。
 対話には退屈しながら、期待の情に制せられて、息を屏めて聞いているのである。
 ちと大き過ぎた二階の足音が、破産した銀行頭取だと分かる所で、こんな影を画くような手段に馴れない見物が、始めて新しい刺戦を受ける。
 息子の情婦のヴィルトン夫人が出る。
 息子が出る。
 感情が次第に激して来る。
 皆引っ込んだ跡に、ボルクマン夫人が残って、床の上に身を転がして煩間するで幕になった。
 見物の席がぱっと明るくなった。
「ボルクマン夫人の転がるのが、さぞ可笑しかろうと思ったが、存外可笑しかないことね」と童色が云った。
「ええ。可笑しかなくってよ。とにかく、変っていて面白いわね」と縹色が答えた。
 右の奥さんは、幕になるとすぐ立ったが、間もなく襟巻とコオトなしになって戻って来た。
 、空気が暖になって来たからであろう。
 鶉縮緬うずらちりめんの上着に羽織、金春式唐織りの丸帯であるが、純一は只黒ずんだ、立派な羽識を着ていると思って見たのである。
 それから膝の上に組み合せている指に、殆ど一本一本指環が光っているのに気が着いた。
 奥さんの目は又純一の顔に注がれたた。
「あなたは脚本を読んでいらっしゃるのでしよう。次の幕はどんな処でございますの」
 落ち着いた、はっきりした声である。
 そしてなんとなく金石の響を帯びているように感ぜられる。
 しかし純一には、声よりは目の閃きが強い印象を与えた。
 横着らしい笑が目の底に潜んでいて、口で言っている詞とは、まるで別な表情をしているようである。
 そう思うと同時に、左の令嬢二人が一斉に自分の方を見たのが分かった。
「こん度の脚本は読みませんが、フランス訳で読んだことがあります。次の幕はあの足音のした二階を見せることになっています」
「おや、あなたフランス学者」奥さんはこう云って、何か思うことあるらしく、にっこり笑った。
 丁度この時幕が開いたので、答うることを須(もち)いない問のような、奥さんの詞は、どういう感情に根ざして発したものか、純一には分からずにしまった。
 舞台では檻の狼のボルクマンが、自分にピアノを弾いて聞せてくれる小娘の、小さい心の臓をそっと開けて見て、ここにも早く失意の人の、苦痛の萌芽が籠もっているのを見て、強いて自分の抑鬱不平の心を慰めようとしている。
 見物は只娘フリイダの、小鳥の囀るような、可哀らしい声を聞いて、浅草公園の菊細工のある処に遣入って、紅雀の籠の前に足を留めた時のような心持になっている。
「まあ、可衰いことね」と縹色のお嬢さんの囁ささやくのが聞えた。
 小鳥のようなフリイダが帰って、親鳥の失敗詩人が来る。
 それも帰る。
 そこへ昔命に懸けて愛した男を、冷酷なきょうだいに夫にせられて、不治の病に体のしんに食い込まれているエルラが、燭を秉って老いたる恋人の檻に這入って来る。
 妻になったという優勝の地位の象徴ででもあるように、大きい巾きれを頭に巻き附けた夫人グンヒルドが、扉の外で立聞をして、恐ろしい幻のように、現れて又消える。
 爪牙そうがの鈍った狼のたゆたうのを、大ぎい愛の力で励まして、エルラはその幻の洞窟たる階下の室に連れて行こうとすると、幕が下りる。
 又見物の席が明るくなる。
 ざわざわと、風が林をゆするように、人の話声が間えて来る。
 純一は又奥さんの目が自分の方に向いたのを知覚した。
「これからどうなりますの」
「こん度は又二階の下です。もうこん度で、あらかた解決が附いてしまいます」
 奥さんに詞を掛けられてから後は、純一は左手の令嬢二人に、鋭い観察の対象にせられたように感ずる。
 令嬢が自分の視野に映じている間は、その令嬢は余所を見ているが、正面を向くか、又は少しでも右の方へ向くと、令嬢の視線が矢のように飛んで来て、自分の項うなじに中あたるのを感ずる。
 見ていない所の見える、不愉快な感じである。
 Y県にいた時の、中学の理学の教師に、山村というお爺いさんがいて、それが Spiritisme に関する、妙な迷信を持っていた。
 その教師が云うには、人は誰でも体の周囲に特殊な雰囲気を有している。
 それを五官を以てせずして感ずるので、道を背後から歩いて来る友達が誰だということは、見返らないでも分かると云った。
 純一は五官を以てせずして、背後に受ける視線を感ずるのが、不愉快でならなかつた。
 幕が開いた。
 覿面てきめんに死と相見ているものは、姑息に安んずることを好まない。
 老いたる処女エルラは、老いたる夫人の階下の部屋ヘ、檻の獣を連れて来る。
 鷸蚌いつぼうならぬ三人に争われる、獲ものの青年エルハルトは、夫人に呼び戻されて、この場へ帰る。
 母にも従わない。
 父にも従わない。
 情誼じょうぎの縄で縛ろうとするおばにも従わない。
「わたくしは生きようと思います」と云う、猛烈な叫声を、今日の大向うを占めている、夢の学生連に喝采せられながら、萎れる前に、吸い取られる限の日光を吸い取ろうとしている花のようなヴィルトン夫人に連れられて、南国をさして雪中を立とうとする、銀の鈴の附いた橇に乗りに行く。
 この次の幕間であった。
 少し休憩の時間が長いということが、番附にことわってあったので、見物が大抵一旦席を立った。
 純一は丁度自余九が立とうとすると、それより心持早く右手の奥さんが立ったので、前後から人に押されて、奥さんの体に触れては離れ、離れては触れながら、外の廊下の方へ歩いて行く。
 微な parfum の匂がおりおり純一の鼻を襲うのである。
 奥さんは振り向いて、目で笑った。
 純一は何を笑ったとも解せぬながら、行儀好く笑い交した。
 そして人に押されるのが可笑しいのだろうと、跡から解釈した。
 廊下に出た。
 純一は人が疎になったので、遠慮して奥さんの傍を離れようと思って、わざと歩度を緩め掛けた。
 しかしまだ二人の間に幾何(いくばく)の距離も出来ないうちに、奥さんが振り返つてこう云った。
「あなたフランス語をなさるのなら、宅に書物が沢山ございますから、見にいらっしやいまし。新しい物ばかり御覧になるのかも知れませんが、古い本にだって、宣しいものはございますでしよう。御遠慮はない内なのでございますの」
 前から識り合っている人のように、少しの窘追きんぱくの態度もなく、歩きながら云われたのである。
 純一は名刺を出して、奥さんに渡しながら、素直にこう云った。
「わたくしは国から出て参ったばかりで、谷中に家を借りておりますが、本は殆どなんにも持っていないと云っても宣しい位です。もし文学の本がございますのですと、少し古い本で見たいものが沢山ございます」
「そうですか。文学の本がございますの。全集というような物が揃えてございますの。その外は歴史のような物が多いのでしよう。亡くなった主人は法律学者でしたが、その方の本は大学の図書館に納めてしまいましたの」
 奥さんが末亡人だということを、この時純一は知った。
 そして初めて逢った自分に、宅へ本を見に来いなんぞと云われるのは、一家の主権者になっていられるからだなと思った。
 奥さんは姓名だけの小さく書いてある純一の名刺を一寸読んで見て、帯の間から繻珍しゅうちんの紙入を出して、それへしまって、自分の名刺を代りにくれながら、「あなた、お国は」と云った。
「Y県です」
「おや、それでは亡くなった主人と御同国でございますのね。東京へお出になったばかりだというのに、ちっともお国詞が出ませんじゃございませんか」
「いいえ。折々出ます」
 奥さんの名刺には坂井れい子と書いてあっだ。
 純一はそれを見ると、すぐ「坂井恒先生の奥さんでいらっしゃったのですね」と云って、丁寧に辞儀をした。
「宅を御存じでございましたの」
「いいえ。お名前だけ承知していましたのです」
 坂井先生はY県出身の学者として名高い人であった。
 Montesquieu の Esprit des lois を漢文て訳したのなんぞは、評判が高いばかりで、広く世間には行われなかったが、Code Napoleon の典型的な翻訳は、先生が亡くなられても、価値を減ぜすにいて、今も坂井家では、これによって少からぬ収入を得ているのである。
 純一も先生が四十を越すまで独身でいて、どうしたわけか、娘にしても好いような、美しい細君を迎えて、まだ一年と立たないうちに、脊髄病で亡くなられたということは、中学にいた時、噂に聞いていたのである。
 噂はそれのみではない。
 先生は本職の法科大学教授としてよりは、代々の当路者から種々な用事を言い附けられて、随分多方面に働いておられたので、亡くなられた跡には一廉(ひとかど)の遺産があった。
 それを未亡人が一人で管埋していて、旧藩主を始め、同県の人と全く交際を絶って、何を当てにしているとも分からない生活をしていられる。
 子がないのに、養子をせられるでもない。
 誰も夫人と親密な人というもののあることを聞かない。
 先生の亡くなる僅か前に落成した、根岸の villa 風の西洋造に住まっておられるが、静かに夫の跡を弔っていられるらしくはない。
 先生の存生ぞんじょうの時よりも派手な暮らしをしておられる。
 その生活は一の秘密だということであった。
 純一が青年の空想は、国でこの噂話を聞いた時、種々な幻像を描き出していたので、坂井夫人という女は、面白い小説の女主人公のように、純一の記憶に刻み附けられていたのである。
 純一は坂井先生の名を聞いていたという返事をして、奥さんの顔を見ると、その顔には又さっきの無意味な、若くは意味の掩われている微笑が浮んでいる。
 丁度二人は西の階段の下に佇んでいたのである。
「上へ上がって見ましようか」と奥さんが云った。
「ええ」
 二人は階段を登った。
 その時上の廊下から、「小泉君じゃあないか」と声を掛けるものがある。
 上から四五段目の処まで登っていた純一が、仰向いて見ると、声の主は大村であった。
「大村君ですか」
 この返事をすると、奥さんは[アゴ]で知れない程の会釈をして、足を早めて階段を登ってしまって、一人で左へ行った。
 純一は大村と階段の上り口に立っている。
 丁度 Buffet と書いて、その下に登って左を指した矢の、書き添えてある札を打ち附けた柱の処である。
 純一は懐かしげに大村を見て云った。
「好く丁度一しょになったものですね。不思議なようです」
「なに、不思議なもの分ね。興行は二日しかない。我々は是非とも来る。そうして見ると、二分の一の probabilite で出合うわけでしよう。ところが、ジダスカリアの連中なんぞは、皆大低続けて来るから、それが殆ど一分の一になる」
「瀬戸も来ていますかしらん」
「いたようでしたよ」
「これ程立派な劇場ですから、foyer とでも云ったような散歩場も出来ているでしようね」
「出来ていないのですよ。先ずこの廊下あたりがフォアイエエになっている。広い場所があっちにあるが、食堂になっているのです。日本人は歩いたり話したりするよりは、飲食をする方を好くから、食堂を広く取るようになるのでしょう」
 純一の左の方にいた令嬢二人が、手を繋ぎ合って、頻りに話しながら通って行った。
 その外種々な人の通る中で、大村がおりおりあれは誰だと教えてくれるのである。
 それから純一は、大村と話しながら、食堂の入口まで歩いて行って、おもちゃ店のあるあたりに暫く立ち留まって、食堂に出入する人を眺めていると、ベルが鳴った。
 純一が大村に別れて、階段を降りて、自分の席へ行くとき、腰掛の列の間の狭い道で人に押されていると、又 parfum の香がする。
 振り返って見て、坂井の奥さんの謎の目に出合った。
 雪の門口の幕が開く。
 ヴィルトン夫人に娘を連れて行かれた、不遇の楽天詩人たる書記は、銀の鈴を鳴らして行く橇に跳飛ばされて、足に怪我をしながらも、尚娘の前途を祝福して、寂しい家の燈の下に泣いている妻を慰めに帰って行く。
 道具が変って、丘陵の上になる。
 野心ある実業家たる老主人公が、平生心にえがいていた、大工場の幻を見て、雪のベンチの上に瞑目すると、優しい昔の情人と、反目の生活を共にした未亡人とが、屍の上に握手して幕は降りた。
 出口が込み合うからと思って、純一は暫く廊下に立ち留まって、舞台の方を見ていた。
 舞台では、一旦卸した幕を上げて、俳優が大詰の道具の中で、大詰の姿勢を取って、写真を写させている。
「左様なら。御本はいつでもお吐になれば、御覧に入れます」
 純一が見返る暇に、坂井夫人の後姿は、出口の人込みの中にまぎれ入ってしまった。
 返事も出来なかったのである。
 純一は跡を見送りながら、ふいと思った。
「どうも己は女の人に物を言うのは、窮屈でならないが、なぜあの奥さんと話をするのを、少しも窮屈に感じなかったのだろう。それにあの奥さんは、妙な目の人だ。あの目の奥には何があるかしらん」
 帰るときに気を附けていたが、大村にも瀬戸にも逢はなかった。
 左隣にいたお嬢さん二人が頻りに車夫の名を呼んでいるのを見た。


 純一が日記の断片
 十一月三十日。
 晴れ。
 毎日几帳面に書く日記ででもあるように、天気を書くのも可笑しい。
 どうしても己には続いて日記を書くということが出来ない。
 こないだ大村を尋ねて行った時に、その話をしたら、「人間は種々いろいろなものに縛られているから、自分で自分をまで縛らなくても好いじゃないか」と言った。
 なるほど、人間が生きていたと言って、何もアクソクとして日記を付けて置かねばならないと云うものではあるまい。
 しかし日記に縛られずに何をするかが問題である。
 なんの目的の為めに自己を解放するかが問題である。
 作る。
 製作する。
 神が万物を製作したように製作する。
 これが最初の考えであった。
 しかしそれができない。
「下宿の二階に転ろがっていて、何が書けるか」などという批評家の詞ことばを見る度に、そんなら世界を周遊したら、誰にでもえらい作ができるかと反問して遣りたいと思う反抗が一面に起ると同時に、己はその下宿屋の二階もまだ知らないと思う怯懦が他の一面に萌きざす。
 ちょうど Titanos が岩石を砕いて、それを天に擲なげうとうとしているのを、傍そばに尖った帽子を被った一寸坊が見ていて、顔を蹙しかめて笑っているようなものである。
 そんならどうしたら好いか。
 生きる。
 生活する。
 答は簡単である。
 しかしその内容は簡単どころではない。
 一体日本人は生きるということを知っているだろうか。
 小学校の門をく潜くぐってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駆け抜けようとする。
 その先きには生活があると思うのである。
 学校というものを離れて職業にあり付くと、その職業を為し遂げてしまおうとする。
 その先には生活があると思うのである。
 そしてその先には生活はないのである。
 現在は過去と未来の間に劃した一線である。
 この一線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。
 そこで己は何をしている。
 今日はもう半夜を過ぎている。
 もう今日ではなくなっている。
 しかし変に気が澄んでいて、寢ようと思ったって、寢られそうにはない。
 その今日でなくなった今日には閲歴がある。
 それが人生の閲歴、生活の閲歴でなくてはならない筈である。
 それを書こうと思って久しく徒に過ぎ去る記念に、空虚な数字のみを留めた日記の、新しいペエジを開いたのである。
 しかし己の書いている事は、何を書いているのだか分からない。
 実は書くべき事が大いにある筈で、それが殆ほとんどないのである。
 やはり空虚な数字のみにして置くた方が増しかもしれないと思うくらいである。
 朝は平凡な朝であった。
 きまって二三日置きに国から来る、お祖母あ様の手紙が来た。
 食物に気を付けろ、往来で電車や馬車や自動車に障さわって怪我けがをするなというような事が書いてあった。
 食物や車の外には、危険物のあることを知らないのである。
 それから日曜だというので、瀬戸が遣って来た。
 ひどく知己らしい事を言う。
 何か己とあの男と秘密を共有していて、それを同心戮力りくりょくして隠蔽しているはずだというような態度を取って来る。
 そして一日の消遣策しょうけんさくを二つ三つ立てて己の採択に任せる。
 その中に例のごとく une direction dominante がある。
 それは磁石の針のごとくに、かの共有しているはずの秘密を指しているのである。
 己はいつもなるべくそれと方向を殊(こと)にしている策を認容するのであるが、こん度はためしにどれをも廃棄して、「今日は僕が内で本を読むのだ」と云ってみた。
 その結果は己の予期した通りであった。
 瀬戸は暫しばらくもじもじしていたがとうとう金を貸せと云った。
 己にはかれの要求を満足させることは、さほどむずかしくはなかった。
 しかし己は中学時代に早く得ている経験を繰り返したくなかった。
「君はこないだのもまだ返さないで、甚だ済まないが」というのは尤も無邪気なのである。
「長々難有ありがとう」と言って一旦出して置いて、改めてプラス幾らかの要求をするというのは古い手である。
 それから一番振るっているのは、「もうこれだけで丁度になりますからどうぞ」というのであった。
 端たのないようにする物、纏めて置く物に事かいて、借金を纏めて置かないでも好さそうなものである。
 己はそういう経験を繰り返したくなかった。
 そこで断然初めからことわることにした。
 然るにそのことわるということの経験は甚だ乏しい。
 己だって国から送ってもらうだけの金を何々に遣うという予算を立てているから、不用な金はない。
 しかしその予算を狂わせれば、貸されない事はない。
 かれの要求するだけの金は現に持っているのである。
 それを無いと云おうか。
 そんな嘘は衝きたくない。
 また嘘を衝いたって、それが嘘だということは、先方へはっきり知れている。
 それは不愉快である。
 つい国を立つすぐ前である。
 やはりこんなふうに心中でとつ置いつした結果、「君これは返さなくてもいいが、僕はこれきり出さないよ」と云った事があった。
 そしてその友だちとはそれきり絶交の姿になった。
 実につまらない潔癖であったのだ。
 嘘を衝きたくないからと云って、相手の面目を潰すには及ばないのである。
 それよりまだ嘘をついたほうが好いかもしれない。
 己は勇気を出して瀬戸にこう云った。
「僕はこれまで悪い経験をしている。君と僕との間には金銭上の関係を生ぜさせたくない。どうぞその事だけは已(や)めてくれ給え」と云った。
 瀬戸は驚いたような目附をして己の顔を見ていたが、外の話を二つ三つして、そこそこに帰ってしまった。
 あの男は己よりは世慣れている。
 たぶんあの事の為めに交際を廃めはすまい。
 只その態度を変えるだろう。
 もう「君はえらいよ」と言わなくなって、却かえって少しは前より己をえらく思うかも知れない。
 しかし己はこんな事を書く積りで、日記を開けたのではなかった。
 目的の不慥ふたしかな訪問をする人は、故ことさらに迂路を取る。
 己は自分の書こうと思う事が、心にはっきり分かっていないので、強いて余計な事を書いているのではあるまいか。
 午後から坂井夫人を訪ねてみた。
 有楽座で識りあいになってから、今日尋ねて行くまでには、実は多少の思慮を費していた。
 行こうか行くまいかと、理性に問うて見た。
 フランスの本が集めてあるというのだから、往って見たら、利益を得ることもあろうとは思ったが、人の噂に身の上が疑問になっている奥さんの邸に行くのは、好くあるまいかと思った。
 ところが、理性の上で pro の側の理由と contra の側の理由とが争っている中へ、意志が容喙した。
 己は行って見たかった。
 その行って見たかったというのは、書物も見たかったには相違ない。
 しかし容赦なく自己を解剖して見たら、どうもそればかりであったとは云われまい。
 己はあの奥さんの目の奥の秘密が知りたかったのだ。
 有楽座から帰ってから、己はあの目を折々思出した。
 どうかすると半ば意識せずに思い出していて、それを意識してはっと思ったこともある。
 言わばあの目が己を追い掛けていた。
 或いはあの目が己を引き寄せようとしていたと云っても好いかもしれない。
 実は理性の争に、意志が容喙したと云うのは、主客を顛倒した話で、その理性の争というのいうのは、あの目の磁石力に対する、無力なる抗抵こうていに過ぎなかったかもしれない。
 とうとうその抗抵に意志の打ち勝ってしまったのが今日であった。
 己は根岸へ出掛けた。
 家はすぐ知れた。
 平らに刈り込んだ[樫]の木が高く黒板塀の上に聳そびえているのが、何かの秘密を蔵しているかと思われるような、外観の陰気な邸であった。
 石の門柱に鉄格子の扉が取り附けてあって、それが締めて、脇の片扉だけが開いていた。
 門内の左右を低い籠塀かごべいで為切しきって、その奥に西洋風に戸を締めた入り口がある。
 ベルを押すと、美しい十五六の小間使いが出て、名刺を受け取って這入って、間もなく出て来て「どうぞこちらへ」と案内した。
 通されたのは二階の西洋間であった。
 一番先に目に付いたのは Watteau か何かの画を下画に使ったらしい、美しい gobelins であった。
 園の木立の前で、立っている婦人の手に若い男が接吻している図である。
 草木の緑や、男女の衣服の赤や、紫や、黄のかすんだような色が、丁度窓から差し込む夕日を受けて眩(まば)ゆくない、心持の好い調子に見えていた。
 小間使いが茶をもて来て、「奥様が直(す)ぐにいらっしゃいます」と云って、出て行った。
 茶を一口飲んで、書籍の立て並べてある棚の前に行って見た。
 書棚の中にある本はたいてい己のあるだろうと予期していた本であった。
 Corneille と Racine と Moliere とは立派に製本した全集が揃えてある。
 それから Voltaire の物や Hugo の物が大分ある。
 背革の文字をあちこち見ているところへ、奥さんが出て来られた。
 己は謎らしい目を再び見た。
 己は誰も云いそうな、簡単で平凡な詞と矛盾しているような表情を再びこの女子おんなの目の中に見出した。
 そしてそれを見ると同時に、己のここへ来たのは、コルネイユやラシイヌに引き寄せられたのではなくて、この目に引き寄せられたのだと思った。
 己は奥さんとどんな会話をしたかを記憶しない。
 この記憶の消え失せたのはインテレクトの上の余り大きい損耗ではないに違いない。
 しかし奇妙な事には、己の記憶は決して空虚ではない。
 談話を忘れる癖にある単語を覚えている。
 今一層適切に言えば、言語を忘れて音響を忘れないでいる。
 或る単語が幾つか耳の根に附いているようなのは、音響として附いているのである。
 記憶の今一つの内容は奥さんの挙動である。
 体の運動である。
 どうして立っておられたか、どうして腰を掛けられたか、また指の尖の余り細り過ぎているような手が、いかに動かずに、殆ど象徴的にひざの上に繋ぎ合わされていたか、その癖その同じ手が、いかに敏捷に、女中の運んで来た紅茶を取り次いで渡したかというような事である。
 こういう音響や運動の記憶が、その順序の不確な割に、その一々の部分がはっきりとして残っているのである。
 ここに可笑しい事がある。
 己は奥さんの運動を覚えているが、その静止しておられる状態に対しては記憶が頗る朧気なのである。
 その美しい顔だけでも表情で覚えているので、形で覚えているのではない。
 その目だけでもそうである。
 国にいた時、ある爺いが己に、牛の角と耳とは、どちらが上で、どちらが下に付いておりますかと問うた。
 それくらいの事は己も知っていたから、直ぐに答えたら、爺いが云った。
「旦那方でそれが直ぐにお分かりになるかたはめったにござりません」と云った。
 形の記憶は誰も乏しいと見える。
 独り女の顔ばかりではない。
 そんなら奥さんの着物に就いて、どれだけの事を覚えているか。
 これがいよいよ覚束ない。
 記憶は却って奥さんの詞をたどる。
 己が見るともなしに、奥さんの羽織の縞を見ていると、奥さんが云われた。
「可笑しいでしょう。お婆さんがこんな派手な物を着て。わたしは昔の余所行よそゆきを今の不断着ふだんぎにしますの」と云われた。
 己はこの詞を聞いて、始てなる程そうかと思った。
 華美に過ぎるというような感じは己にはなかった。
 己には只着物の美しい色が、奥さんの容姿(すがた)には好く調和しているが、どこやら世間並みでない処があるというように思われたばかりであった。
 己の日記の筆はまだ迂路を取っている。
 己は怯懦である。
 久しく棄てて顧みなかったこの日記を開いて、筆を把ってこれに臨んだのは何の為めであるのか。
 ある閲歴を書こうと思ったからではないか。
 なぜその閲歴を為す勇気があって、それを書く勇気がないのか。
 それとも勇気があって敢て為したのではなくて、人に余儀なくせられて漫りに為したのであるか。
 漫みだりに為して恥じないのであるか。
 己は根岸の家の鉄の扉を走って出たときは血が湧き立っていた。
 そして何か分からない爽快を感じていた。
 一種の力の感じを持っていた。
 あの時の自分は平生の自分とは別であって、平生の自分はあの時の状態に比べると、脈のうちに冷たい魚の血を蓄えていたのではないかとさえ思われるようであった。
 しかしそれは体の感じであって、思想は混沌としていた。
 己は最初は大股に歩いていた。
 薩摩下駄が寒い夜の土を踏んで高い音を立てた。
 そのうちに歩調が段々に緩くなって、鶯坂の上を西へ曲がって、石灯籠の列をなしている、お霊屋たまやの前を通る頃には、それまで膚はだえを燃やしていた血がどこかへ流れて行ってしまって、自分の顔の蒼くなって、膚に粟を生ずるのを感じた。
 それと同時に思想が段々秩序を恢復して来た。
 澄んだ喜びがわいて来た。
 譬えば paroxysme をなして発作する病を持っているものが、その発作の経過し去った後に、安堵の思をするような工合であった。
 己は手に一巻のラシイヌを持っていた。
 そしてそれを返しに行かなくてはならないという義務が、格別愉快な義務でもないように思われた。
 もうあの目が魔力を逞たくましゅうして、自分を引き寄せるとが出来なくなったのではあるまいかと思われた。
 突然妙な事が己の記憶から浮き上がった。
 それは奥さんの或る姿勢である。
 己がラシイヌを借りて帰ろうとすると、寒いからというので、小間使いに言い付けて、燗をした葡萄酒を出させて、己がそれを飲むのをじっと見ていながら、それまで前屈(かが)みになって掛けていられた長椅子に、背を十分に持たせて白足袋を穿いた両足をずっと前へ伸ばされた。
 記憶から浮き上がったのは意味のない様なあの時の姿勢である。
 あれを思い出すと同時に、己は往くときから帰るまでの奥さんとの対話を回顧してみて、一つも愛情にわたる詞のなかったのに驚いた。
 そしてあらゆる小説や脚本が虚構ではあるまいかと疑って見た。
 その時ふいと Aude という名が思い出された。
 ただオオドの目は海のように人を漂わしながら、死せる目であった。
 空虚な目であったというのに、奥さんの謎の目は生きているだけが違う。
 あの目はいろいろな事を語った。
 しかしあの姿勢も何事かを己に語ったのである。
 あんな語りようは珍しい。
 飽くまで行儀正しいところと、一変して飽くまで frivole なところとのあるのも、あれもオオドだと、つくづく思いながら歩いていたら、美術学校と図書館との間を曲がる曲がり角で、巡査が突然角燈を顔のところへ出したので、びっくりした。
 己は今日の日記を書くのに、目的地に向かって迂路を取ると云ったが、これではついに目的地を避けて、その外辺を一周したようなものである。
 しかし己は知らざる人であったのが、今日知る人になったのである。
 そしてその一時湧き立った波が忽ちまた斂(おさ)まって、まだその時から二時間余りしか立たないのに、心は哲人のごとく平静になっている。
 己はこんな物とは予期していなかった。
 予期していなかったのはそればかりではない。
 己が知る人になるのに、こんな機縁で知る人になろうとも予期していなかった。
 己は必ず恋愛を持って、始めて知る人になろうとも思わなかったが、又恋愛というものなしに、自衛心が容易に打ち勝たれてしまおうとも思わなかった。
 そしてあの坂井夫人は決して決して己の恋愛の対象ではないのである。
 己に内面からの衝動、本能の策励のあったのは已(すで)に久しい事である。
 己は心が不安になって、本を読んでいるのに、目が徒らに文字を見て、心がその意義を繹たずねることの出来なくなることがあった。
 己はふいとなんの目的もなく外に出たくなって飛び出して、忙がしげに所々を歩いていて、その途中で自分が何物かを求めているのに気が付いて、あの Gautier の Mademoiselle Maupin にある少年のように女を求めているのに気が付いて、自ら咎めはしなかったが、自ら嘲ったことがある。
 あの時の心持は妙な心持である。
 ある aventure に遭遇してみたい。
 その相手が女なら好い。
 そしてその遭遇に身を委ねてしまうか否かは疑問である。
 その刹那における思慮の選択か、または意志の判断に待つのである。
 自分の体は愛惜すべきものである。
 容易に身を委ねてしまいたくはない。
 事に依ったら、女に遇って、女が己に許すのに、己は従わないで、そして女をなるべく侮辱せずに、なだめて慰藉して別れたら、面白かろう。
 そうしたら、或は珍らしい純潔な交が成り立つまいものでもない。
 いやいや。
 それは不可能であろう。
 西洋の小説を見るのに、そんな場合には女は到底侮辱を感ぜずにはいないもらしい。
 又よしや一時純潔な交のようなものができても、それはきっと似て非なるもので、その純潔は汚涜おとくの繰延に過ぎないだろう。
 所詮そうそう先の先まで分かるものではない。
 とにかくアヴァンチュウルに遭遇して見てからの事である。
 まあ、こんなふうな思量が、半ば意識の閥の下に、半ばその閥を踰えて、心のうちに往来していたことがある。
 そういう時には、己はそれに気が付いて、意識が目をはっきり醒ますと同時に、己はひどく自ら恥じた。
 己はなんという怯懦な人間だろう。
 なぜ真の生活を求めようとしないか。
 なぜ猛烈な恋愛を求めようとしないのか。
 己はいくじなしだと自ら恥じた。
 しかしとにかく内面からの衝動はあった。
 そして外面からの誘惑もないことはなかった。
 己は小さい時から人に可哀(かわゆ)がれた。
 好い子という詞が己の別名のように唱えられた。
 友だちと遊んでいると、年長者、ことに女性の年長者が友だちの侮辱を基礎にして、その上に己の名誉の肖像を立ててくれた。
 好い子たる自覚は知らず識らずの間に、己に影を顧みて自ら喜ぶ情を養成した。
 己の vanite を養成した。
 それから己は単に自分の美貌を意識したばかりではない。
 己は次第にそれを利用するようになった。
 己の目で或る見かたをすると、強情な年長者がもろく譲歩してしまうことがある。
 そこで初めは殆ど意識することなしに、人の意志の抗抵を感ずるとき、その見かたをするようになった。
 己は次第にこれが媚(こび)であるということを自覚せずにはいられなかった。
 それを自覚してからは、大丈夫たるべきものが、こんな宦官かんがんのするような態度をしてはならないと反省することもあったが、好い子から美少年に進化した今日も、この媚が全く無くならずにいる。
 この媚が無形の悪習慣というよりは、寧ろ有形の畸形のように己の体に附いている。
 この媚は己の醒めた意識が滅ぼそうとしたために、却って raffine になって、無邪気らしい仮面を被って、その陰に隠れて、一層威力を逞たくましくしているのではないかとも思われるのである。
 そして外面から来る誘惑、就中なかんずく異性の誘惑は、この自ら喜ぶ情と媚とが内応をするので、己の為めにはずいぶん防遏ぼうあつしがたいものになっているに相違ないのである。
 今日の出来事はこう云う畠に生えた苗に過ぎない。
 己はこの出来事のあったのを後悔してはいない。
 なぜというに、現社会に僅有絶無きんゆうぜつむというようになっているらしい、男の貞操は、縦い尊重すべきものであるとしても、それは身を保つとか自らを重んずるとかいう利己主義だというより外に、なんの意義をも有せざるように思うからである。
 そういう利己主義は己にもある。
 あの時己は理性の光に刹那の間照らされたが、歯牙の相撃とうとするまでになった神経興奮の雲が、それを忽ち蔽(おお)ってしまった。
 その刹那の光明の消えるとき、己は心の中で、「なに、未亡人だ」と叫んだ。
 平賀源内がどこかで云っていたことがある。
「人の女房に流し目で見られたときは、頸くびに墨を打たれたと思うが好い。後家は」何やらというような事であった。
 そんな心持がしたのである。
 とにかく己は利己主義の上から、ある損失を招いたということを自覚する。
 しかし後悔と名づける程の苦い味を感じてはいないのである。
 苦みはない。
 そんなら甘みがあるかというに、それもない。
 あのとき一時発現した力の感じ、発揚の心状は、直ぐに迹あともなく消え失せてしまって、この部屋に帰って、この机の前に据わってからは、なんの積極的な感じもない。
 この体に大いなる生理的変動が生じたものとは思われない。
 尤も幾分かいつもより寂しいようには思う。
 しかしその寂しさはあの根岸の家に引き寄せられる寂しさではない。
 恋愛もなければ、係恋(あこがれ)もない。
 一体こんな閲歴が生活であろうか。
 どうもそうは思われない。
 真の充実した生活では慥かにない。
 己には真の生活は出来ないのであろうか。
 己もデカダンスの沼に生えた、根のない浮き草で、花は咲いても、夢のような蒼白い花に過ぎないのであろうか。
 もう書く程の事もない。
 夜の明けないうちに少し寢ようか。
 しかし寢られれば好いが。
 只この寢られそうにないのだけが、興奮の記念かも知れない。
 それともその余波さえ最早消えてしまっていて、今寢られそうにないのは、長い間物を書いていたせいかも知れない。

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