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       春情花の朧夜

       その九 後家お雛見るとひとしく色好み

 おいきと別れた助十郎は、勢州(三重)桑名の知人を訪ねて奉公したいと頼み込んだ。
 知人は同国・松坂になら町人としてなら働き口があるが、それでよければ世話をしようという。
 もともと腰の軽い助十郎は、金になるならそれもよかろうと、すぐに二本の刀を前垂れと取り替え、店ののれんをかけはずしする商人になった。
 助十郎が奉公を始めた松坂の店は藤枝屋といい、綿や麻、絹の織物を商いしてかなり繁昌している大店であった。
 主人の与兵衛は昨年秋に亡くなり、女房のお雛は二十八になるが、器量がよく、二十一〜二十二に見えると皆が口にする。
 生まれつき利発なので、家事に気をつけて若い者や丁稚を上手に使い、身持ちを堅くして家業に精を出すので、主人亡き後も店はますます繁昌していた。
 ここにやってきた助十郎は、後家のお雛を見るやたちまち色好みの病気が起きた。
 そして、どうにかしてこの女を手に入れようと思案し、まずは心を尽くして勤めていようと考えた。
 その働きぶりに朋輩からはほめられ、後家にも気に入られた。
 そこでいよいよ本腰を入れる気になった助十郎は、名前を助蔵に改めた。
 三百石の知行取りのなれの果てとはいえ、やはり元は武士の旦那である。
 品性が優れているので店では助蔵を番頭代わりに使い、助蔵はますます忠義をたて、身を尽くして働いた。
 後家のお雛は「去る者日々に疎し」の例えに似ず、少しも色めいた言葉を出すことなく家業に精を出し、月に一度の夫の墓参を欠かさない。
 思いやりがあって人には優しいが、数珠を手放さない慎み深さに、助蔵はお雛を庭の花と思い、半年あまり、眺めて暮らしていた。
 店の裏町にやもめの女が住んでいた。
 仕立屋の店の者の洗濯などをしている女で、仕立屋がつくった仕着せの着物を助蔵たちは着ていたので、女のこともよく知っている。
 ふと思い付いたことのあった助蔵は、ある日、そのやもめ女の家を訪れて何やら秘かに相談をし、その日は百疋(金一分)を渡した。
 首尾よく行けば礼はたくさんすると付け加えたのは言うまでもない。
 翌日、藤枝屋を訪れたやもめ女は、裏口から上がってお雛の居間に入ってきた。
「この間は誠にご無沙汰をいたしました」
「おや、おばさん。どうしていらしたの」
「急な仕事を請け負いまして、夜なべやら何やら大忙しをいたしました」
 やめも女は後ろを向いて奇麗に封をした備前徳利を取り出した。
「これはよそより貰ったものですが、備後(広島)の保命酒というお酒です。最近はとくに冷えてきましたから、寝る前に召し上がったらお薬になろうかと存じて持ってあがりました」
「おや、おや。珍しいものをありがとう。旦那がお達者だったときは、毎晩のようにお酒が始まるから私もちっとはやったが、いまでは相手もなく、店の者のしめしにも悪いと思うから辛抱していたのよ」
「しかし、あなたのように表の店から家の奥までお心をお用いなすっては、ちっとは飲んだほうがお薬でございますよ」
「それではお前と酒宴をしようかねえ」
 お雛は二〜三の肴をこしらえ、やもめ女に酒をすすめた。
 杯のやりとりが度重なってほろ酔い加減になったとき、やもめ女が浮き世話にかこつけて切り出した。
「酔って申すのではございませんが、女ほど割の悪いものはないと思います。男は外で好きな真似をいたすけれど、女は人の女房になれば、家の始末にあくせくして日を暮らし、身が自由になってもあたりに気兼ねしてお酒もいただけません。かまってくれる男もいないから、私はこれで終わってしまいましょう。しかし、あなたさまはいままでいろいろと苦労をあそばしたのですから、お歳を召さないうちにちょっと気晴らしをなさいますほうがお薬になります。大事な御身でございますから」
「そりゃ私だって木竹じゃなし、保養もしたいけど、世間があるからしかたがないやね」
「花のお姿を谷間の桜にしてしまいこんでお置きなさるとは、もったいないこと。損な身でございます」
 お雛はため息をついた。
 少し憂鬱になっていた。
 そのとき助蔵が襖障子を開けた。
「ええ、先ごろの荷物の掛け合いのことですが、何分ラチが明きませんので、ちょっと明日、私が行ってなるまいかと思います」
 助蔵はやもめ女を見た。
「これはお針さん、よくおいでなせえやした」
「先ほどからお酒をいただきすぎました。せっかくですから一杯いかがですか」
 助蔵は頭をかいた。
「ありがたいが、一向に不得手。それよりか、その白酒のほうを少しばかりいただけませんか」
「これは白酒ではなく、保命酒というお酒。口切りだから一つ、さしあげましょうか」
「白酒だと思ったのにこれは大失敗。しかし、保命酒というものならば、召し上がった後で一つ、いただいてみとうございますが」
「それじゃ私が封切りをしましょう」と言って、徳利の口を覆っている竹の皮をむいたお雛は、お針につがせて一杯飲んだ。
「なるほど。これはうまいお酒。さあ、助蔵どん。飲んでごらん」
 杯をさされた助蔵は、なみなみとつがれた酒を一口飲んで胸をなでる。
「これはけっこう。腹のなかにしみわたります」と、舌打ちして残りを飲み干した。
「はばかりながらご返杯を申します」
「よろしければもっとお飲みな」
「ありがとうございますが、続きでは酔いすぎます」
「それじゃもうひとついただきましょう」
 お雛が取った杯に助蔵はこぼれるほどについだ。
 お雛は半分飲んで杯をおいた。
「このお酒は誠に口当たりがよいねえ。お針さん、お前も一口、おあがりな」
「もう私はどんなお酒も一口も飲めません」
「助蔵はどうだえ」
「私もだいぶ酔いましたからいただけません」
「それでは、そうしようかねえ」
「ごちそうさまでございました。では、荷物のほうはそのお含みで。お針さん、ごゆるりと」
 助蔵は店へ出ていった。
 お雛は酔ったのだろうか、居ずまいがくずれてきた。
 鬢に愛敬のある髪が一すじ、二すじ、たれて、目もとが薄紅色になっている。
 保命酒が効いてきたようだ。
「あの助蔵さんは何だか実のありそうなお人でございますねえ」
「お屋敷を出たというけれど、手抜かりもなく面白そうな男さ」
「あのような人を可愛がってお使いなさると、ご身上はますます繁昌。一生、亭主なしでお気まま暮らしもできましょう。しかし、若いときは二度とございませんよ。おほほほ。こんなに酔っては帰りにころぶかもしれません。どれ、お暇をいただきましょう」
 そう言ってお針は千鳥足で帰っていった。
 お雛は、心の貞操が乱れ始めていた。
 枕ひとつは何とやらで、寝覚めも寂しいように思われる。
 忠義を尽くし実直に勤めている助蔵を見ていると、心が移りそうになるときもあるが、悪事千里を走るの例えもある。
 夫の亡き後は後ろ指を指されないように、また家に傷をつけないようにと、慎んできた女の道である。
 浮気心を出してはならないと自分で自分に言い聞かせた。
 だが、それでも寝覚めの寂しいときは憂いを払う薬酒としてかの保命酒を用いていたが、それからというもの何となく心が淫らになり、男が恋しくなってきた。
 それはもっともなことだった。
 というのは、保命酒と名付けられたその酒は、交尾したヤモリをそのまま漬け込んだもので、男女がおちょこを接して飲むと、女はその男に恋するという妙薬だったのである。
 このことを知っていた助蔵はお雛の心を乱そうと考えて、やもめ女とたくらんだというわけである。
 そのような次第だったのでお雛は日に日にまして寂しさが募っていった。
 とくに今宵は雨が降っていたので、物思いにふけりながらまた例の酒を手酌で飲んでいた。
 そしてそのまま酔っ払って寝てしまった。
 雨足はますます強くなり、遠くの寺の鐘の音もかすかにしか聞こえない。
 ゆっくり起き上がった助蔵は回りの者たちの寝息をうかがうと、サギがドジョウを狙うかのように抜き足、差し足してお雛の部屋に忍び込んだ。
 枕障子を覗いて見れば、お雛はすっかり熱く寝入っている。
 助蔵は早くも腰をこわばらせ、涎を垂らしていた。

その十 奥の院目がけてしぼる総身かな

 やすやすとお雛の寝間に忍び込んだ助蔵は、いまにも乗りかかろうとするほどの勢いだったが、息をのんで、そろり、そろりと枕元から足元のほうに回り込んだ。
 見ればお雛はよくよく酒に酔ったのか、寝間着の裾を蹴りあげて白い太股を危ないところまで現わしかけている。
 すっかり眠り込んでいるようだ。
 助蔵は及び腰に首を伸ばし、お雛の顔を明かりに透かして、頭を曲げたり、上げたりして、しげしげと眺めた。
 目の縁が赤く、眉毛の剃った後が青々としている。
 鼻筋が通って非のうちどころのない美しさに見とれた助蔵は、お雛の頬をなめようとしたが、思い直して耳を寄せ、寝息をうかがうと、恐る恐る女の唇を舌の先で少しこねくり、後ろに下がってそろそろと寝間着の前をまくりあげた。
 むっちりした尻の間から手を差し入れて、もじゃもじゃと生えているところを指でかき分け、そこから秘所の上までを撫で下ろして真ん中をうかがってみた。
 蒸したての饅頭のようなその下のほうがぬらぬらと湿っている。
 人差し指を少し入れてかきまわすと、気を持っているかのようにぐちゃ、ぐちゃとぬかるんでくるのがありがたい。
 思わず指をぐっと奥まではめて、ツメが奥の院に届こうとしたときだった。
「あれさ、旦那」
 突然、お雛が声を出したので助蔵はぎょっとなって手を引っ込めた。
 だが、お雛は寝返りを打って仰向けになると、またすやすやと寝息を立て始めた。
 なんだ、夢か、と気を取り直した助蔵は、頭を上げて再び股の間を覗きこんだ。
 衣類がヘソの下までまくれあがり、膨れた紅穹が天井に向かっているを見てのぼせ上がった助蔵は、夢中になって後先を考えずに乗りかかった。
 割り込みかけたその足で女の股を左右にこじ開け、泰然として誇っている節くれあがったそのものを女の小口に臨ませた。
 女はすっかり寝込んでいて、何が起こっているのかまったく気づいてない。
 同意が得られてない押し込みに、たとえ首がちょん切られることになったとしても、この期におよんでやめられるものか。
 助蔵は女の体にさわらないように、腰をすかして、ちょこ、ちょこっとはめかけてみた。
 すると、二〜三回目にぬるりと頭の先が入って、そこからぞっとするような気持ちよさが沸いてくる。
 助蔵は我を忘れて鉄ごてのようになった大物を、ぬら、ぬら、ぬっと一息に根元まで押し込んだ。
 お雛はびっくりして目を覚ました。
 嘆かわしいことに助蔵が股にきっしり割り込んでいて、一物を寸分のすきもなく奥まではめ込んでいるではないか。
 お雛は言葉もなく助蔵をはねのけて起き上がろうとしたが、逆に抱きしめられて身動きができない。
 腹の上の助蔵が口を開いた。
「無法とも理不尽とも申しようのない致し方に、お腹立ちはごもっともですが、後はあなたのご存分にされても覚悟の上。一度、こうして思いを晴らせば、命はさらさら惜しみません。なにとぞ、お嫌ではございましょうが、少しの間のお情けを」と、涙声で拝むばかりに口説きながら、すら、すらと突き立てる。
「まあ、待ちなよ。あれさ、それほど思ってくれるなら、後でどうともなろうから、この手を放して。緩めて」
 だが、お雛がそう言うのもかまわずに助蔵は推し進めた。
「このような無理なことを致したからには、後で生きてはいないつもり。たったひとつの命にかえて思った恋でございます。ああ、もう、こうなりゃ、死にたくて、死にたくて」
 助蔵は手を緩めるどころか、火よりも熱い持ち物で花芯を突き立てた。
 もとより嫌ではない男であるが、お雛はさすがに大声はたてない。
「あれさ、それでもこのままでは」と身をじらすと、それがかえって玉中を締めることになり、すっぽ、すっぽ、じじ、じじと精水が流れ出す。
 いつともなしに淫らな心がきざし、助蔵の美味を食いだそうと思わず下から腰を持ち上げ、鼻息をはずませた。
 目をつむり、無言になったのを見て、助蔵はしめたと思った。
 お雛の脇から腕を差し込んで下手に組むと、お雛が首にかじりついて腰を回してくるので、助蔵は例のカリ高を総身の力をふりしぼって、ごっくり、ごっくり大腰にこすりあげた。
 二年越しの快感に女はもはやこらえきれなくなっていた。
「どうしよう。恥ずかしい。せっかく慎んでいたものを、無理無体に勝手にしてさ。ええ、情けない。私、もうやるよ。ああ、いい、いくよ、いくよ」
 お雛は足を男の腰に絡めてしがみつき、我を忘れて大よがり。
 口を吸ったり、食い付いたり、身を悶えかいている。
 男もこらえきれなくなり、玉芯めがけて突きつづけた。
「私もいきます。あれ、ご新造さま。ご恩は忘れませぬ。いい、いい、フウ、フウ」
 生唾のかたまりをはじき出し、二人は体を抱きしめて、思う存分に気をやった。
 後始末をしてから、着物の前を合わせて後家のお雛はため息をついた。
「お前は誠に憎い人だよ。とうとう私をこんなにしてさ」
「いまさらになり一言の申し上げようはございません。私は望みが叶わなければ恋煩いで死ぬ体、どの道、逃れられない命ですから、いまのように不法な仕方を致しました。しかし、不埒なその罪は……」
 助蔵が近くの鏡台の上に乗っていたカミソリをすばやくつかみ、南無阿弥陀仏と念仏を唱えながら喉笛を切ろうとしたので、お雛はびっくりしてその手にすがった。
「助蔵、待っておくれ。そんならどうでも私のために捨てる命は露ほどにも厭わない覚悟の身かい」
「一度、汚したからには末までもまかせましょう。ほかの女をあの世まで持たない誓いはご覧のとおり」
 持っていたカミソリで小指の先を切って、流れた血を紙に包んで差し出した。
「濡れぬ先こそ露をも厭え。私はお前の真実ゆえに」と言いながら、助蔵の顔をじっと見つめ、いっぱいに情を含ませて恥ずかしそうににっこり笑った。
「帯までこんなにされて、本当に嬉しいのだよ」
 お雛は自分から助蔵に寄り添っていった。
 身を任せるつもりだ。
 助蔵はしおらしくなったお雛をそのまま引き寄せて口をチュウ、チュウと吸った。
 白縮緬の腰巻をかきわけて内股へ手を差し入れ、前を広げて存分にくじり、さらに指先を女院の奥の口に届かせてぐりぐりとやれば、そこは再び口を少し開けて、中より尾を引いて涎をだらだらと吐き出す。
 さしも行儀のよかった若後家の取り乱した閨の機嫌をとろうと、助蔵はすぐに割り込んで、女を立て膝にしてその尻をすくい上げ、足を開かせた。
 女院が持ち上がって鼻の先へ突き出たところに顔を差し入れて、上唇で押し分けて舌を伸ばし、そこの両縁や中までぺろり、ぺろりとなめまわす。
 その味わいは格別で、まったりとしたヘビの正味のふくら煮をしゃぶっているような気持ちになってくる。
 さらに舌をいっぱいに伸ばして奥の院の口をなめまわしながら、鼻で真ん中をおっぺし、おっぺし、押し付けると、女はたまらずに
「ハア、ハア」と腰をもじらせる。
 そのたびに紅天の奥からぬるり、ぬるりと温かい汗汁が出てくるのを男は嬉しそうに吸った。
「あれ、もうそんなことはよして、どうにかしておくれよ。いきそうになったよ」
 女がじれったそうに身をよじり、額に八の字が寄ったのを見て、男は怒張を白玉の丘にぺったりと乗せ、しきりに乳をこねくった。
 女は十二分にいい気持ちだ。
「あれさ、じらさずに早く入れておくれよ」
 烈火のようになった男のものを握って前に押しあてると、下からぴょこ、ぴょこと持ち上がったはずみでぬるりと入る。
 もうたまらないと助蔵は腰を突き立てた。
 女は尻を回して持ち上げ、持ち上げして男の首にしがみつき、我を忘れて泣き声をあげた。
 男が怒った大物をするり、するりと突き立てつづけると、女の口から湯のような熱い吐息がどろどろと吐き出されて、そこはさながらとろろ汁のすり鉢のようになっている。
 ごぼ、ごぼ、ぐっちゃ、ぐっちゃ、すっぽ、すっぽと音が鳴り渡る。
 言いようのない悦楽に男は眉間をしかめた。
「ああ、いい、いい味だ。くわえては引き込みます。ああ、いきます」
「私はとうに行きつづけ。もう、よくって、よくって。ああ」
「ああ、いく、いく、いく、いく」
「いく、いく。ハア、ハア。スウ、スウ」
 二人は一緒にどきんどきんと気をやった。
 そのとき鶏の鳴き声が聞こえてきた。
 助蔵は驚き、まだ萎えていない濡れ玉豆を抱え、人に気づかれないように、逃げるようにして店のほうへ出ていった。

 さて、半七は思いがけなく訪ねてきたお花をお登世に悟られまい、お登世のことをお花には知らせまいと思い、世話になっているお登世の父の藤兵衛に、お花のことを父親が隠して産ませた腹違いの妹だということにしておいた。
 だが、自分が屋敷へ奉公に出ている間、若い女が一人でいて何か間違いがあってはならないと、願い出て屋敷の長屋へ二人で移った。
 半七はこうして心が落ち着くと、あとはどうかしてでも立身したいと勤めに励み、家老の好山記内方へつてを求めて入り浸り、家来のように立ち回った。
 記内は記内で妻が死去したことからお花を頼りにして娘の琴の稽古をしてもらうなど、たいへんねんごろに目をかけた。
 ある日、記内方より心祝いの知らせがあり、招かれて半七夫婦は出かけていった。
 半七はいつものように気を利かして働き、お花は座敷で酌などをしてまわる。
 お花の立ち振舞いはもとより見目の美しさは、吉原を探してもいないだろうと思われるほどで、二十一〜二十二の年増ざかり。
 誰が見てもほれぼれする愛敬者なので、座敷はいっそう賑わった。
 記内は酔いが回るに従って座興がほしくなり、
「粋野氏の身内の方に琴の一曲、所望、所望。それ、おんなども用意しやれ」と声をかけるのでお花は断りきれず、侍女たちが用意した琴を引き寄せ、袂から琴爪を取り出した。
 そして、初々しく会釈をして調べをひき始めた。
 琴の音がコロリンシャン。
 『誰やこの夜中にさいたる門を叩くは、叩くともよも明し宵の約束なれば……』
「いよ、えらいぞ、えらいぞ」
 つやっぽい美しい声に声援が入った。
 『七尺の屏風も踊らばなどか越えざらん、綺羅の袂も引かばなどか切れざらん……』
 その調べは胸の塵を払うような妙音。
 散りゆく花にうぐいすが春を惜しんで鳴き乱れているような情景を思わせるので、主人の記内をはじめとして一座の客たちは耳を澄まし、感じ入っているように見えた。
 こうして酒宴が終わると記内よりいろいろな引き出物を貰って夜ふけに家に戻った。
 お花は記内方へ琴の稽古に通いつづけた。
 妻もなく、屋敷は奥に娘一人だけなので、記内が留守のときは娘がなじんでお花を放さない。
 そうして泊まってしまうことも月に何度かあったので、お花は昼間のほとんどを屋敷で過ごし、家にいることは少なくなっていた。

つづく

[春情花の朧夜梅柳 恋衣濡色 糸柳寝屋の月 糸瓜桜 色好奥の院 花吹雪桜紙 怒竿裾開 玩言花腎 乱舞朧夜] 長枕褥合戦 書架