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       光と風と夢

       七

 「灯台技師の家」の材料をいじっている中に、何時かスティヴンスンは、一万哩彼方のエディンバラの美しい街を憶い出していた。
 朝夕の霧の中から浮び上る丘々や、その上に屹然として聳える古城郭から、遥か聖ジャイルス教会の鐘楼へかけての崎嶇たるシルウェットが、ありありと眼の前に浮かんで来た。

 幼い頃からひどく気管の弱かった少年スティヴンスンは、冬の暁毎に何時も烈しい咳の発作に襲われて、寐ていられなかった。
 起上り、乳母のカミイに扶けられ、毛布にくるまって窓際の椅子に腰掛ける。
 カミイも少年と並んで掛け、咳の静まる迄、互いに黙って、じっと外を見ている。
 硝子戸越に見るヘリオット通りはまだ夜のままで、所々に街灯がぼうっと滲んで見える。
 やがて車の軋る音がし、窓の前をすれすれに、市場行の野菜車の馬が、白い息を吐き吐き通って行く。
 …………之がスティヴンスンの記憶に残る最初の此の都の印象だった。
 エディンバラのスティヴンスン家は、代々灯台技師として聞えていた。

 小説家の曾祖父に当るトマス・スミス・スティヴンスンは北英灯台局の最初の技師長であり、その子ロバァトも亦其の職を継いで、有名なベル・ロックの灯台を建設した。
 ロバァトの三人の息子、アラン、デイヴィッド、トマス、もそれぞれ次々に此の職を襲った。
 小説家の父、トマスは、廻転灯、総光反射鏡の完成者として、当時、灯台光学の泰斗であった。彼は其の兄弟と協力して、スケリヴォア、チックンスを始め、幾つかの灯台を築き、多くの港湾を修理した。
 彼は、有能な実際的科学者で、忠実な大英国の技術官で、敬虔なスコットランド教会の信徒で、かの基督教のキケロといわれるラクタンティウスの愛読者で、又、骨董と向日葵との愛好者だった。
 彼の息子の記す所によれば、トマス・スティヴンスンは、常に、自己の価値に就いて甚だしく否定的な考を抱き、ケルト的な憂鬱を以て、絶えず死を思い無常を観じていたという。
 高貴な古都と、其処に住む宗教的な人々(彼の家族をも含めて)とを、青年期のロバァト・ルゥイス・スティヴンスンは激しく嫌悪した。
 プレスビテリアンの中心たる此の都が、彼には悉く偽善の府と見えたのである。
 十八世紀の後半、此の都にディーコン・ブロディなる男がいた。
 昼間は指物師をやり市会議員を勤めていたが、夜になると一変して賭博者となり、兇悪な強盗となって活躍した。
 大分久しい後に漸く顕れて処刑されたが、この男こそエディンバラ上流人士の象徴だと、二十歳のスティヴンスンは考えた。
 彼は、通い慣れた教会の代りに、下町の酒場へ通い出した。
 息子の文学者志望宣言(父は初め息子をもエンジニーアに仕立てようと考えていたのだが)は、どうにか之を認め得た父親も、その背教だけは許せなかった。
 父親の絶望と、母親の涙と、息子の憤激の中に、親子の衝突が屡々繰返された。
 自分が破滅の淵に陥っていることを悟れない程、未だ子供であり、しかも父の救の言葉を受付けようとしない程、成人になっている息子を見て、父親は絶望した。
 此の絶望は、余りに内省的な彼の上に奇妙な形となって顕れた。
 幾回かの争の後、彼は最早息子を責めようとせず、ひたすらに我が身を責めた。
 彼は独り跪き、泣いて祈り、己の至らざる故に倅を神の罪人としたことを自ら激しく責め、且つ神に詫びた。
 息子の方では、科学者たる父が何故こんな愚かしい所行を演ずるのか、どうしても理解できなかった。
 それに、彼は、父と争論したあとでは何時も、「どうして親の前に出ると斯んな子供っぽい議論しか出来なくなるのだろうか」と、自分でいやになって了うのである。
 友人と話合っている時ならば、颯爽とした(少くとも成人の)議論の立派に出来る自分なのに、之は一体どうした訳だろう?
 最も原始的なカテキズム、幼稚な奇蹟反駁論、最も子供欺しの拙劣な例を以て証明されねばならない無神論。
 自分の思想は斯んな幼稚なものである筈はないのに、と思うのだが、父親と向い合うと、何時も結局は、こんな事になって了う。
 父親の論法が優れていて此方が負ける、というのでは毛頭ない。
 教義に就いての細緻な思索などをした事のない父親を論破するのは極めて容易だのに、その容易な事をやっている中に、何時の間にか、自分の態度が我ながら厭になる程、子供っぽいヒステリックな拗ねたものとなり、議論の内容そのもの迄が、可嗤なものになっているのだ。
 父に対する甘えが未だ自分に残っており、(ということは、自分が未だ本当に成人でなく)それが、「父が自分をまだ子供と視ていること」と相俟って、こうした結果を齎すのだろうか?
 それとも、自分の思想が元来くだらない未熟な借物であって、それが、父の素朴な信仰と対置されて其の末梢的な装飾部分を剥去られる時、その本当の姿を現すのだろうか?
 其の頃スティヴンスンは、父と衝突したあとで、何時も決って、この不快な疑問を有たねばならなかった。
 スティヴンスンがファニイと結婚する意志を明かにした時、父子の間は再び嶮しいものとなった。トマス・スティヴンスン氏にとっては、ファニィが米国人であり、子持であり、年上であることよりも、実際はどうあろうと兎に角彼女が戸籍の上で現在オスボーン夫人であることが第一の難点だったのである。
 我儘な一人息子は、年歯三十にして初めて自活――それもファニイとその子供迄養う決心をして、英国を飛出した。
 父子の間は音信不通となった。一年の後、何千哩隔てた海と陸の彼方で、息子が五十仙セントの昼食にも事欠きながら病と闘っていることを人伝に聞いたトマス・スティヴンスン氏は、流石に堪えられなくなって、救の手を差しのべた。
 ファニイは米国から未見の舅に自分の写真を送り、書添えて言った。
「実物よりもずっと良く撮れております故、決して此の通りとお思い下さいませぬよう。」
 スティヴンスンは妻と義子とを連れて英国に帰って来た。
 意外なことに、トマス・スティヴンスン氏は倅の妻に大変満足した。
 元来、彼は倅の才能は明らかに認めながらも、何処か倅の中に、通俗的な意味で安心の出来ない所があるのを感じていた。
 此の不安は、倅が幾ら年齢を加えても決して消えなかった。

 それが、今、ファニイによって、(初めは反対した結婚ではあったが)息子の為に実務的な確実な支柱を得たような気がした。
 美しく・脆い・花のような精神を支えるべき、生気に充ちた強靱な支柱を。

 長い不和の後、一家――両親、妻、ロイドと揃ってブレイマの山荘に過した一八八一年の夏を、スティヴンスンは今でも快く思い起すことが出来る。
 それは、アバディーン地方特有の東北風が連日、雨と雹とを伴って吹荒む沈鬱な八月であった。スティヴンスンの身体は例によって悪かった。或日エドモンド・ゴスが訪ねて来た。
 スティヴンスンより一つ年上の・この博識温厚な青年は、父のスティヴンスン氏とも良く話が合った。
 毎朝ゴスは朝食を済ますと、二階の病室に上って行く。
 スティヴンスンは寝床の上に起上って待っている。将棋をするのだ。
「病人は午前中は、しゃべってはいけない」と医者に禁じられているので、無言の将棋である。その中に疲れて来ると、スティヴンスンが盤の縁を叩いて合図する。
 すると、ゴスなり、ファニイなりが彼を寐かせ、そして、何時でも書きたい時に寐たなりで書けるように、布団の位置を巧く、しつらえる。
 ディナーの時間迄ステイヴンスンは独りで寐たまま、休んでは書き、書いては休みする。
 ロイド少年の画いていた或る地図から思いついた海賊冒険譚を、彼は書続けていた。
 ディナーの時になると、ステイヴンスンは階下に下りて来る。
 午前中の禁が解かれているので、今度は饒舌である。
 夜になると、彼は其の日書溜めた分を、みんなに読んで聞かせる。
 外では雨風の音が烈しく、隙間風に燭台の灯がちらちらと揺れる。
 一同は思い思いの姿勢で、熱心に聞きとれている。
 読終ると、てんでに色々な註文や批評を持出す。一晩毎に興味を増して来て、父親までが、「ビリィ・ボーンズの箱の中の品目作製を受持とう」と言出した。
 ゴスはゴスで、又、別の事を考えながら、暗然たる気持で此の幸福そうな団欒を眺めていた。
「此の華やかな俊才の蝕まれた肉体は、果して何時迄もつだろうか?今幸福そうに見える此の父親は、一人息子に先立たれる不幸を見ないで済むだろうか。」と。

 しかし、トマス・スティヴンスン氏は其の不幸を見ないで済んだ。
 息子が最後に英国を離れる三月前に、彼はエディンバラで死んだ。

        八

一八九二年四月×日
 思いがけなくラウペパ王が護衛を連れて訪ねて来た。
 うちで昼食。老人、今日は中々愛想がいい。何故自分を訪ねて呉れないんだ?などと云う。
 王との会見には領事連の諒解が必要だから、と私がいうと、そんな事は構わぬ、といい、また昼食を共にしたいから日時を指定せよと言う。この木曜に会食しようと約束する。
 王が帰ると間もなく、巡査の徽章のようなものを佩けた男が訪ねて来た。
 アピア市の巡査ではない。所謂叛乱者側(マターファ側の者をアピア政府の官吏は、そう呼ぶ。)の者だ。
 マリエからずっと歩き通して来たのだという。マターファの手紙を持って来たのだ。
 私も今ではサモア語が読める。(話す方は駄目だが、)彼の自重を望んだ先日の私の書簡に対する返辞のようなもので、会い度いから来週の月曜にマリエヘ来て呉れという。
 土語の聖書を唯一の参考にして(「我誠に汝らに告ぐ」式の手紙だから、先方も驚くだろう。)承知の旨をたどたどしいサモア語でしたためる。
 一週間の中に、王と、其の対立者とに会う訳だ。斡旋の実が挙がれば良いと思う。

四月×日
 身体の工合余り良からず。約束故、ムリヌウの、みすぼらしき王宮へ御馳走になりに行く。
 何時もながら、直ぐ向いの政務長官官邸が眼障りでならぬ。
 今日のラウペパの話は面白かった。五年前悲壮な決意を以て独逸の陣営に身を投じ、軍艦に載せられて見知らぬ土地に連れ行かれた時の話である。素朴な表現が心を打った。
「…………昼はいけないが、夜だけは甲板に上ってもいいと言われた。長い航海の後、一つの港に着いた。上陸すると、恐ろしく暑い土地で、足首を二人ずつ鉄の鎖で繋がれた囚人等が働いていた。其処には浜の真砂のように数多くの黒人がいた。…………それから又大分船に乗り、独逸も近いと言われた頃、不思議な海岸を見た。見渡す限り真白な崖が陽に輝いているのだ。三時間も経つと、それが天に消えて了ったので、更に驚いた。…………独逸に上陸してから、中に汽車というものの沢山はいっている硝子屋根の巨きな建物の中を歩いた。それから、家みたいに窓とデッキとのある馬車に乗り、五百も部屋のある家に泊った。…………独逸を離れて大分航海してから、川の様な狭い海を船がゆっくり進んだ。聖書の中で聞いていた紅海だと教えられ、欣ばしい好奇心で眺めた。それから、海の上を夕陽の色が眩しく赤々と流れる時刻に、別の軍艦に乗移らせられた。…………」
 古い、美しいサモア語の発音で、ゆっくりゆっくり語られる此の話は、大変面白かった。

 王は、私がマターファの名を口に出すことを懼れているらしい。
 話好きな、人の善い老人だ。ただ、現在の自分の位置に就いての自覚が無いのである。
 明後日、又、是非訪ねて呉れという。マターファとの会見も迫っているし、身体の工合も良くないが、兎に角承知して置く。
 以後、通訳は、牧師のホイットミイ氏に頼もうと思う。
 同氏の宅で明後日、王と落合うことに決める。

四月×日
 早朝馬で街へ下り、八時頃ホイットミイ氏の家へ行く。
 王と約束の会見の為なり。十時迄待ったが、王は来らず。
 使が来て、王は今、政務長官と用談中にて来られぬとのこと。
 夜七時頃なら来られるという。一旦家に戻り、夕刻又ホイットミイ氏の家に来て、八時頃迄待ったが、竟に来ない。
 無駄骨折って疲労甚だし。長官の監視を逃れて、こっそりやって来ることさえ、弱気なラウペパには出来ないのだ。

五月×日
 午前五時半出発、ファニイ、ベル、同道。通訳兼漕手として、料理人のタロロを連れて行く。
 七時に礁湖を漕出す。気分未だすぐれず。マリエに着きマターファから大歓迎を受く。
 但し、ファニイ、ベル、共に余が妻と思われたらしい。
 タロロは通訳としては、まるで成っていない。マターファが長々としゃべるのに、此の通訳は、唯、「私は大いに驚いた。」としか訳せない。
 何を言っても「驚いた」一点張。余の言葉を先方に伝えることも同然らしい。
 用談進捗せず。カヴァ酒を飲み、アロウ・ルウトの料理を喰う。
 食後、マターファと散歩。余の貧弱なるサモア語の許す範囲で語合った。
 婦人連の為に、家の前で舞踏が行われた。暮れてから帰途に就く。
 此のあたり、礁湖頗る浅く、ボートの底が方々にぶっつかる。
 繊月光淡し。大分沖へ出た頃、サヴァイイから帰る数隻の捕鯨ボートに追越される。
 灯をつけた・十二丁櫓・四十人乗の大型ボート。どの船でも皆漕ぎながら合唱していた。
 遅いのでうちへは帰れず。アピアのホテルに泊る。

五月××日
 朝、雨中を馬でアピアヘ。今日の通訳サレ・テーラーと待合せ、午後から、又マリエヘ行く。
 今日は陸路。七哩の間ずっと土砂降。泥濘。馬の頸に達する雑草。
 豚小舎の柵も八ヶ所程飛越す。マリエに着いた時は、既に薄暮。

 マリエの村には相当立派な民家がかなり在る。高いドーム型の茅屋根をもち、床に小石を敷いた・四方の壁の明けっぱなしの建物だ。
 マターファの家も流石に立派だ。家の中は既に暗く、椰子殻の灯が中央に灯っていた。
 四人の召使が出て来て、マターファは今、礼拝堂にいるという。其の方角から歌声が洩れて来た。
 やがて、主人がはいって来、我々が濡れた着物を換えてから、正式の挨拶あり。
 カヴァ酒が出る。列座の諸酋長に向って、マターファが余を紹介する。
「アピア政府の反対を冒して、余(マターファ)を助けんが為に雨中を馳せ来りし人物なれば、卿等は以後ツシタラと親しみ、如何なる場合にも之に援助を惜しむべからず。」と。
 ディナー、政談、歓笑、カヴァ、――夜半迄続く。肉体的に堪えられなくなった余のために、家の一隅が囲われ、其処にベットが作られた。
 五十枚の極上のマットを並べた上で独り眠る。武装した護衛兵と、他に幾人かの夜警が、徹宵家の周囲に就いている。日没から日の出まで彼等は無交代である。
 暁方の四時頃、眼が覚めた。細々と、柔らかに、笛の音が外の闇から響いて来る。
 快い音色だ。和やかに、甘く、消入りそうな…………
 あとで聞くと、此の笛は、毎朝きまって此の時刻に吹かれることになっているのだそうだ。

 家の中に眠れる者に良き夢を送らんが為に。何たる優雅な贅沢!
 マターファの父は、「小鳥の王」といわれた位、小禽共の声を愛していたそうだが、其の血が彼にも伝わっているのだ。
 朝食後テーラーと共に馬を走らせて帰途に就く。乗馬靴が濡れて穿けないので跣足。
 朝は美しく晴れたが、道は依然どろんこ。草のために腰まで濡れる。
 余り駈けさせたので、テーラーは豚柵の所で二度も馬から投出された。
 黒い沼。緑のマングロオヴ。赤い蟹、蟹、蟹。街に入ると、パテ(木の小太鼓)が響き、華やかな服を着けた土人の娘達が教会へはいって行く。今日は日曜だった。街で食事を摂ってから、帰宅。
 十六の柵を跳び越えて二十哩の騎行(しかも其の前半は豪雨の中)。
 六時間の政論。スケリヴォアで、ビスケットの中の穀象虫の様にちぢかんでいた曾ての私とは、何という相違だろう!
 マターファは美しい見事な老人だ。我々は昨夜、完全な感情の一致を見たと思う。

五月××日
 雨、雨、雨、前の雨季の不足を補うかのように降続く。
 ココアの芽も充分水を吸っていよう。雨の屋根を叩く音が止むと、急流の水音が聞えて来る。
「サモア史脚註」完成。勿論、文学ではないが、公正且つ明確なる記録たることを疑わず。

 アピアでは白人達が納税を拒んだ。政府の会計報告がはっきりしないからだ。委員会も彼等を召喚する能わず。
 最近、我が家の巨漢ラファエレが女房のファアウマに逃げられた。
 がっかりして、朋輩の誰彼に一々共謀の疑をかけていたようだが、今はあきらめて新しい妻を見つけに掛かっている。
「サモア史」の完結で、愈々、「デイヴィッド・バルフォア」に専念できる。
「誘拐」の続篇だ。何度か書出しては、途中で放棄していたが、今度こそ最後迄続け得る見込がある。
「難破船引揚業者」は余りに低調だった。(尤も、割に良く読まれているというから不思議だが)「デイヴィッド・バルフォア」こそは「マァスタア・オヴ・バラントレエ」以来の作品となり得よう。
 デイヴィ青年に対する作者の愛情は、一寸他人には解るまい。

五月××日
 C ・ J ・ツェダルクランツが訪ねて来た。どうした風の吹廻しやら。
 うちの者と何気ない世間話をして帰って行った。彼は、最近のタイムズの私の公開状(その中で彼をこっぴどくやっつけた)を読んでいる筈。
 どういう量見で来たのだろう?

六月×日
 マターファの大饗宴に招かれているので、朝早く出発。
 同行者――母、ベル、タウイロ(うちの料理番の母で、近在の部落の酋長夫人。
 母と私とベルと、三人を合せたより、もう一周り大きい・物凄い体躯をもっている。)通訳の混血児サレ・テーラー、外、少年二人。
 カヌーとボートとに分乗。途中でボートの方が、遠浅の礁湖の中で動かなくなって了う。
 仕方がない。跣足になって岸まで歩く。約一哩、干潟の徒渉。
 上からはかんかん照付けるし、下は泥でぬるぬる滑る。
 シドニイから届いたばかりの私の服も、イソベルの・白い・縁とりのドレスも、さんざんの目に逢う。午過、泥だらけになって、やっとマリエに着く。
 母達のカヌー組は既に着いていた。最早、戦闘舞踊は終り、我々は、食物献納式の途中から(といっても、たっぷり二時間はかかったが)見ることが出来ただけだった。
 家の前面の緑地の周囲に、椰子の葉や、荒布で囲われた仮小舎が並び、大きな矩形の三方に土人達が部落別に集まっている。
 実にとりどりな色彩の服装だ。タパを纏った者、パッチ・ワークを纏った者、粉をふった白檀を頭につけた者、紫の花弁を頭一杯に飾った者…………
 中央の空地には、食物の山が次第に大きさを増して行く。
 (白人に立てられた傀儡ではない)彼等の心から推服する真の王者へと贈られた・大小酋長からの献上品だ。
 役人や人夫が列をなして歌を唱いながら贈物を次々に運び入れる。
 其等は一々高く振上げて衆に示され、接収役が鄭重な儀礼的誇張を以て、品名と贈呈者とを呼び上げる。
 この役人は頑丈な体格の男で、全身に良く油が塗り込んであるらしく、てらてら光っている。
 豚の丸焼を頭上に振廻しながら、滝の様な汗を流して叫んでいる有様は、壮観である。
 我々の持参したビスケットの缶と共に、「アリイ・ツシタラ・オ・レ・アリイ・オ・マロ・テテレ」(物語作者酋長・大政府の酋長)と紹介される声を私は聞いた。
 我々の為に特に設けられた席の前に、一人の老いたる男が、緑の葉を頭に載せて坐っている。少し暗い・けんのある其の横顔は、ダンテにそっくりだ。
 彼は、此の島特有の職業的説話者の一人、しかも其の最高権威で、名をポポという。
 彼の傍には、息子や、同僚達が坐っている。我々の右手、かなり離れて、マターファが坐っており、時々彼の脣が動き、手頸の数珠玉の揺れるのが見える。
 一同はカヴァを飲んだ。王が一口飲んだ時、全く驚かされたことに、ポポ父子がとてつもなく奇妙な吠声を立てて、之を祝福した。
 こんな不思議な声は、まだ聞いたことがない。狼の吠声の様だが、「ツイアツア万歳」の意味だそうだ。
 やがて食事になった。マターファが喰終ると、又しても奇怪な吠声が響いた。
 此の非公認の王の面上に、一瞬、若々しい誇と野心の色が生動し、直ぐに又消去るのを、私は見た。
 ラウペパとの分離以来、始めて、ポポ父子がマターファの許に来てツイアツアの名を讃えたからであろう。
 既に食物搬入は済んだ。贈物は順々に注意深く数えられ、記帳された。
 ふざけた説話者が、品名や数量を一々変な節廻しで呼上げては、聴衆を笑わせている。
「タロ芋六千箇」「焼豚三百十九頭」「大海亀三匹」……
 それから、未だ見たこともない不思議な情景が現れた。
 突然、ポポ父子が立上り、長い棒を手に、食物の堆く積まれた庭に飛出して、奇妙な踊を始めた。
 父親は腕を伸ばし棒を廻しながら舞い、息子は地に蹲まり、其の儘何ともいえない恰好で飛び跳ね、此の踊の画く円は次第に大きくなって行った。
 彼等のとび越えただけのものは、彼等の所有になるのだ。
 中世のダンテが忽然として怪しげな情ないものに変った。
 此の古式の(又、地方的な)儀礼は、流石にサモア人の間にさえ笑声を呼起した。
 私の贈ったビスケットも、生きた一頭の犢も、ポポにとび越えられて了った。が、大部分の食物は、一度己のものなることを宣した上で、再びマターファに献上された。
 さて、物語作者酋長の番が来た。彼は踊らなかったが、五羽の生きた鶏、油入瓢箪四箇、筵四枚、タロ芋百箇、焼豚二頭、鱶一尾、及び大海亀一匹を贈られた。
 之は「王より大酋長への贈物」である。之等は、合図の下に、ラヴァラヴァを褌ほども短く着けた数人の若者によって、食物群中から運び出される。
 彼等が食物の山の上に屈み込んだかと思うと、忽ち、あやまり無き速さを以て、命ぜられた品と数量とを拾い上げ、サッと、それを又、別の離れた場所へ綺麗に積上げる。
 その巧みさ!麦畑にあさる鳥の群を見る如し。突然、紫の腰布を着けた壮漢が九十人ばかり現れて、我々の前に立停った。と思うと、彼等の手から、それぞれ空中高く、生きた稚鶏が力一杯投上げられた。
 百羽に近い鶏が羽をばたつかせながら落ちて来ると、それを受取って、又、空へ投げ返す。
 それが、幾度も繰返される。騒音、歓声、鶏の悲鳴。
 振廻し、振上げられる逞しい銅色の腕、腕、腕、…………観ものとしては如何にも面白いが、しかし一体何羽の が死んだことだろう!
 家の中でマターファと用談を済ませてから、水辺へ下りて行くと、既に貰い物の食物は舟に積込まれてあった。
 乗ろうとすると、スコール襲来、再び家に戻り、半時間休んでから、五時出発、またボートとカヌーとに分乗。
 水の上に夜が落ち、岸の灯が美しい。みんな唱い出す。
 小山の如く厖大なタウイロ夫人が素晴らしく良い声なので一驚する。
 その途中、又スコール。母もベルもタウイロも私も海亀も豚もタロ芋も鱶も瓢箪も、みんなびしょ濡れ。
 ボートの底に溜った生ぬるい水に漬りながら、九時近く、やっとアピアに着く。ホテル泊まり。

六月××日
 召使達が、裏山の藪の中で骸骨を見付けたと言って騒ぐので、みんなを連れて行って見る。
 成程、骸骨には違いないが、大分、時の経ったものだ。
 此の島の成人としては、どうも小さ過ぎるようだ。藪の・ずうっと奥の・薄暗く湿った辺なので、今迄人目に付かなかったのだろう。
 そこらを掻廻している中に、又、別の頭蓋骨(今度は頭だけ)が見付かった。
 私の親指二本はいる位の弾丸の穴があいている。
 二つの頭蓋骨を並べた時、召使達は、一寸ロマンティックな説明を見付けた。
 此の気の毒な勇士は戦場で敵の首を取った(サモア戦士の最高の栄誉)のだが、自らも重傷を負うていたので、味方にそれを見せることが出来ず、此処迄這っては来たが、空しく敵の首を抱いたまま死んで了ったのだろうと。(とすれば、十五年前の・ラウペパとタラヴォウとの戦の時のことか?)
 ラファエレ達が直ぐに骨を埋めにかかった。

 夕方六時頃、馬で裏の丘を下りようとした時、前面の森の上に大きな雲を見た。
 それは、甲虫の如き額をした・鼻の長い男の横顔をはっきり現していた。
 顔の肉に当る部分は絶妙の桃色で、帽子(大きなカラマク人の帽子)、髭、眉毛は青がかった灰色。子供じみた此の図柄と、色の鮮明さと、そのスケールの大きさ(全く途方もない大きさ)とが、私を茫然とさせた。
 見ている中に表情が変った。たしかに片眼を閉じ、顎を引く様子である。
 突然、鉛色の肩が前にせり出して、顔を消して了った。
 私は他の雲々を見た。はっと思わず息をのむばかりの・壮大な・明るい・雲の巨柱の林立。
 それ等の脚は水平線から立上り、其の頂きは天頂距離三十度以内にあった。
 何という崇高さだったろう!下の方は氷河の陰翳の如く、上に行くにつれ、暗い藍から曇った乳白に至る迄の微妙な色彩変化のあらゆる段階を見せている。
 背後の空は、既に迫る夜のために豊かにされ又暗くされた青一色。
 その底に動く藍紫色の・なまめかしいばかりに深々とした艶と翳。
 丘は、はや日没の影を漂わせているのに、巨大な雲の頂上は、白日の如き光に映え、火の如く・宝石の如き・最も華やかな柔かい明るさを以て、世界を明るくしている。
 それは、想像される如何なる高さよりも高い所にある。
 下界の夜から眺める・其の清浄無垢の華やかな荘厳さは、驚異以上である。
 雲に近く、細い上弦の月が上っている。月の西の尖りの直ぐ上に、月と殆ど同じ明るさに光る星を見た。
 黒み行く下界の森では、鳥共の疳高い夕べの合唱。

 八時頃見たら、月は先刻より大分明るく、星は今度は月の下に廻っていた。
 明るさは依然同じくらい。

七月××日
 「デイヴィッド・バルフォア」漸く快調。
 キューラソー号入港、艦長ギブソン氏と会食。巷間の噂によれば、R・L・S・は本島より追放さるべしと。
 英国領事がダウニング街に訓令を請いたる由。余の存在は島内の治安に害ありとや?
 余も亦偉大なる政治的人物にあらずや。

八月××日
 昨日又、マターファの招により、マリエに赴く。通訳はヘンリ(シメレ)。
 会談中マターファが私をアフィオガと呼んで、ヘンリを仰天させた。
 今迄私はススガ(閣下に当ろうか?)と呼ばれていたのだが、アフィオガは王族の称呼である。マターファの家に一泊。
 今朝、朝食後、大灌奠式を見る。王位を象徴する古い石塊にカヴァ酒を灌ぐのだ。
 此の島に於てさえ半ば忘れられた楔形文字的典礼。
 老人の白髯を集めて作った兜の飾り毛を風に靡かせ、獣歯の頸掛をつけた・身長六呎五吋の筋骨隆々たる赤銅色の戦士達の正装姿は、全く圧倒的である。

九月×日
 アピア市婦人会主催の舞踏会に出席。ファニイ、ベル、ロイド、及びハガァド(例のライダア・ハガァドの弟。快男児なり、)も同行。
 会半ばにして裁判所長ツェダルクランツ現る。数ヶ月前不得要領な訪問を受けて以来の対面なり。
 小憩後、彼と組になってカドリルを踊る。珍妙にして恐るべきカドリルよ!
 ハガァド曰く、「奔馬の跳躍にさも似たり」と。我等二人の公敵が、それぞれ、厖大にして尊敬すべき二人の婦人に抱きかかえられつつ、手を組み足を蹴上げて跳ね廻る時、大法官も大作家も共に、威厳を失墜すること夥し。
 一週間前、チーフ・ジャスティスは混血児の通訳をそそのかして、私に不利な証拠を掴ませようとあせっていたし、私は私で今朝も、此の男を猛烈に攻撃した第七回目の公開状をタイムズヘ書いていた。
 我々は、今微笑を交しつつ、奔馬の跳躍に余念がない!

九月××日
 「デイヴィッド・バルフォア」漸く仕上。と同時に、作者もぐったりして了った。
 医者に診て貰うと、決って、此の熱帯の気候の「温帯人を傷める」性質に就いての説明を聞かされる。どうも信じられない。
 この一年間、煩わしい政治騒ぎの中で持続的にやって来た労作のようなものは、まさか、ノルウェーでは出来まいに。
 兎に角、身体は疲労の極に達している。「デイヴィッド・バルフォア」に就いては、大体満足。
 昨日の午後街へ使にやったアリック少年が、昨夜遅く繃帯をし眼を輝かして帰って来た。
 マライタ部落の少年等と決闘、三・四人を傷つけて来たと。
 今朝、彼はうち中の英雄になっていた。彼は一本糸の胡弓を作り、自ら勝利の唄を奏で、且つ踊った。
 興奮している時の彼は中々美少年である。ニュウ・ヘブリディスから来た当座は、うちの食事が旨いとて無闇に食過ぎ、腹が凄くふくらんで了って苦しんだことがあったが。

十月×日
 朝来、胃痛劇し。阿片丁幾十五滴服用。この二三日は仕事をせず。
 我が精神は所有者未定の状態にあり。

 曾て私は華やかな青年だったらしい。というのは其の頃、友人の誰もが、私の作品よりも私の性格と談話との絢爛さを買っていたようだったから。しかし、人は何時迄もエァリエルやパックばかりではいられない。
 「ヴァージニバス・ピュエリスク」の思想も文体も、今では最も厭わしいものになって了った。
 実際イエールでの喀血後、凡てのものに底が見えて来たように感じた。
 私は最早何事にも希望を抱かぬ。死蛙の如くに。私は、凡ての事に、落着いた絶望を以て這入って行く。
 宛も、海へ行く場合、私が何時も溺れることを確信して行くのと同様に。
 ということは、何も、自暴自棄になっているのではない。
 それ所か、私は、死ぬ迄快活さを失わぬであろう。
 此の確信ある絶望は、一種の愉悦でさえある。それは、意識せる・勇気ある・楽しさを以て、以後の生を支えて行くに足るもの――信念に幾いものだ。
 快楽も要らぬ。インスピレーションも要らぬ。義務感だけで充分やって行ける自信がある。
 蟻の心構を以て、蝉の唄を歌い続け得る自信が。

    市場に街頭に
    私は太鼓をとどろと鳴らす
    紅い上衣を着て私の行くところ
    頭上にリボンは翩翻と靡く。

    新しい戦士を求めて
    私は太鼓をとどろと鳴らす
    わが伴侶に私は約束する
    生きる希望と、死ぬ勇気とを。

九へ続く

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