六
一八九一年九月×日
近頃島中に怪しい噂が行われている。
「ヴァイシンガノの河水が紅く染まった。」
「アピア湾で捕れた怪魚の腹に不吉な文字が書かれていた。」
「頭の無い蜥蜴が酋長会議の壁を走った。」
「夜毎、アポリマ水道の上空で、雲の中から物凄い喊声が聞える。ウポル島の神々と、サヴァイイ島の神々とが戦っているのだ。」…………
土人達は之を以て、来るべき戦争の前兆と真面目に考えている。
彼等は、マターファが何時かは立上って、ラウペパと、白人達の政府とを倒すであろうと期待しているのだ。
無理もない。全く今の政府はひどい。莫大な(少くともポリネシアにしては)給料を貪りながら、何一つ――全く完全に何一つ――しないでノラクラしている役人共ばかりだ。
裁判所長のツェダルクランツも個人としては厭な男ではないが、役人としては全く無能だ。
政務長官のフォン・ピルザッハに至っては、事毎に島民の感情を害ってばかりいる。
税ばかり取立てて、道路一つ作らぬ。着任以来、土民に官を授けたことが一度もない。
アピアの街に対しても、王に対しても、島に対しても、一文の金も出さぬ。
彼等は、自分等がサモアにいること、又、サモア人というものがあり、やはり目と耳と若干の知能とを有っているのだ、という事を忘れている。
政務長官の為した唯一のこと、それは、自分の為に堂々たる官邸を建てることを提案し、既にそれに着手していることだ。
しかも、ラウペパ王の住居は、その官邸の直ぐ向いの、島でも中流以下の、みすぼらしい建物(小舎?)なのである。
先月の政府の人件費の内訳を見よ。
裁判所長の俸給…………………五〇〇弗
政務長官の俸給…………………四一五弗
警察署長(瑞典人)の俸給………一四〇弗
裁判所長秘書官の俸給…………一〇〇弗
サモア王ラウペパの俸給…………… 九五弗
一斑推して全豹を知るべし。之が新政府下のサモアなのだ。
植民政策に就いて何一つ知りもせぬ文士のくせに、出しゃばって、無智な土人に安っぽい同情を寄せるR・L・S・氏は、宛然ドン・キホーテの観があるそうな。
之は、アピアの一英人の言葉である。あの奇矯な義人の博大な人間愛に比べられた光栄を、先ず、感謝しよう。
実際私は政治に就いて何一つ知らないし、又、知らないことを誇ともしている。
植民地、或いは、半植民地に於て、何が常識になっているか、をも知らぬ。
仮令、知っていたとしても、私は文学者だから、心から納得の行かない限り、そんな常識を以て行為の基準とする訳には行かない。
本当に、直接に、心に沁みて感じられるもの、それのみが私を、(或いは芸術家を)行為にまで動かし得るのだ。
所で、今の私にとって、其の「直接に感じられるもの」とは何か、といえば、それは、「私が最早一旅行者の好奇の眼を以てでなく、一居住者の愛著を以て、此の島と、島の人々とを愛し始めた」ということである。
兎に角、目前に危険の感じられる内乱と、又、それを誘発すべき白人の圧迫とを、何とかして防がねばならぬ。
しかも、斯うした事柄に於ける私の無力さ!私は、まだ選挙権さえ有っていない。
アピアの要人達と会って話して見るのだが、彼等は私を真面目に扱っていないように思われる。辛抱して私の話を聞いて呉れるのも、実は、文学者としての私の名声に対してのことに過ぎない。
私が立去ったあとでは、屹度舌でも出しているに相違ない。
自分の無力感が、いたく私を噛む。この愚劣と不正と貪慾とが日一日と烈しくなって行くのを見ながら、それに対して何事をも為し得ないとは!
九月××日
マノノで又新しい事件が起った。全く、こんなに騒動ばかり起す島はない。
小さな島のくせに、全サモアの紛争の七割は、此処から発生する。
マノノのマターファ側の青年共が、ラウペパ側の者の家を襲って焼払ったのだ。
島は大混乱に陥った。丁度、裁判所長が官費でフィジーへ大名旅行中だったので、長官のピルザッハが自らマノノヘ赴き、独りで上陸して(此の男も感心に勇気だけはあると見える)暴徒に説いた。
そして、犯人等に自らアピア迄出頭するように命じた。
犯人達は男らしく自らアピアヘ出て来た。彼等は六ヶ月禁錮の宣告を受け、直ぐ牢に繋がれることになった。
彼等に附添って一緒に来た、他の剽悍なマノノ人等は、犯人達が街を通って牢へ連れて行かれる途中で、大声に呼びかけた。
「いずれ助け出してやるぞ!」実弾の銃を担った三十人の兵に囲まれて進んで行く囚人等は、「それには及ばぬ。大丈夫だ。」と答えた。
それで話は終った訳だが、一般には、近い中に救助破獄が行われるだろうと固く信じられている。監獄では厳重な警戒が張られた。
日夜の心配に堪えられなくなった守衛長(若い瑞典人)は、遂に、乱暴極まる措置を思いついた。ダイナマイトを牢の下に仕掛け、襲撃を受けた場合、暴徒も囚人も共に爆破して了ったらどうだろうと。
彼は政務長官に之を話して賛成を得た。それで、碇泊中のアメリカ軍艦へ行ってダイナマイトを貰おうとしたが拒絶され、やっと、難破船引揚業者(前々年の大颶風で湾内に沈没したままになっている軍艦二隻をアメリカがサモア政府に寄贈することになったので、其の引揚作業のため目下アピアに来ている。)から、それを手に入れたらしい。
この事が一般に洩れ、この二三週間、流言が頻りに飛んでいる。
余り大騒ぎになりそうなので、怖くなった政府では、最近、突如囚人達をカッターに乗せてトケラウス島へ移して了った。
大人しく服罪している者を爆破しようというのは勿論言語道断だが、勝手に禁錮を流罪に変更するのも随分目茶な話だ。
斯うした卑劣と臆病と破廉恥とが野蛮に臨む文明の典型的な姿態である。
白人は皆こんな事に賛成なのだ、と、土人等に思わせてはならない。
此の件に就いての質問書を、早速、長官宛に出したが、未だに返辞がない。
十月×日
長官よりの返書、漸く来る。子供っぽい傲慢と、狡猾な言抜け。
要領を得ず。直ちに、再質問書を送る。
こんないざこざは大嫌いだが、土人達がダイナマイトで吹飛ばされるのを黙って見ている訳には行かない。
島民はまだ静かにしている。
之が何時迄続くか、私は知らぬ。白人の不人気は日毎に昂まるようだ。
穏和な、我がへンリ・シメレも今日、「浜(アピア)の白人は厭だ。むやみに威張ってるから。」と云った。
一人の威張りくさった白人の酔漢がヘンリに向い山刀を振上げて、「貴様の首をぶった切るぞ」と嚇しつけたのだそうだ。
之が文明人のやることか?サモア人は概して慇懃で、(常に上品とはいえないにしても)穏和で、(盗癖を別として)彼等自身の名誉観を有っており、そして、少くともダイナマイト長官ぐらいには開化している。
スクリブナー誌連載中の「難破船引揚業者」第二十三章書上げ。
十一月××日
東奔西走、すっかり政治屋に成り果てた。喜劇?秘密会、密封書、暗夜の急ぎ路。
この島の森の中を暗夜に通ると、青白い燐光が点々と地上一面に散り敷かれていて美しい。一種の菌類が発光するのだという。
長官への質問書が署名人の一人に拒まる。その家へ出掛けて行って説得、成功。
俺の神経も、何と鈍く、頑強になったものだ!
昨日、ラウペパ王を訪問す。低い、惨めな家。地方の寒村にだって此の位の家は幾らでもある。
丁度向い側に、殆ど竣工の成った政務長官官邸が聳え、王は日毎に此の建物を仰いでおらねばならぬ。
彼は白人官吏への気兼から、我々に会うことを余り望まぬようだ。
乏しい会談。しかし、この老人のサモア語の発音――殊に、その重母音の発音は美しい。
非常に。
十一月××日
「難破船引揚業者」漸く完成。「サモア史脚註」も進行中。
現代史を書くことのむずかしさ。殊に、登場人物が悉く自己の知人なる時、その困難は倍加す。先日のラウペパ王訪問は、果然、大騒を惹起す。
新しい布告が出る。何人も領事の許可なくして、又、許されたる通訳者なしには、王と会見すべからず、と。聖なる傀儡。
長官より会談の申込あり。懐柔せんとなるべし。断る。
斯くて余は公然独逸帝国に対する敵となり終れるものの如し。
何時もうちに遊びに来ていた独逸士官達も、出帆に際し挨拶に来られぬ旨を言いよこした。
政府が街の白人達に不人気なのは面白い。徒らに島民の感情を刺戟して、白人の生命財産を危険に曝すからだ。白人は土人よりも税を納めない。
インフルエンザ猖獗。街のダンス場も閉じた。ヴァイレレ農場では七十人の人夫が一時に斃れたと。
十二月××日
一昨日の午前、ココアの種子千五百、続いて午後に七百、届く。
一昨日の正午から昨日の夕刻迄うち中総出で、この植付にかかりっきり。
みんな泥まみれになり、ヴェランダは愛蘭土アイルランド泥炭沼の如し。
ココアは始めココア樹の葉で編んだ籠に蒔く。十人の土人が裏の森の小舎で此の籠を編む。
四人の少年が土を掘って箱に入れヴェランダヘ運ぶ。
ロイドとベル(イソベル)と私とが、石や粘土塊をふるって土を籠に入れる。
オースティン少年と下婢のファアウマとが其の籠をファニイの所へ持って行く。
ファニイが一つの籠に一つの種子を埋め、それをヴェランダに並べる。
一同綿の如くに疲れて了った。今朝もまだ疲れが抜けないが、郵船日も近いので、急いで「サモア史脚註」第五章を書上げる。
之は芸術品ではない。唯、急いで書上げて急いで読んで貰うべきもの。
さもなければ無意味だ。政務長官辞任の噂あり。あてにはならぬ。
領事連との衝突が此の噂を生んだのだろう。
一八九二年一月×日
雨。暴風の気味あり。戸をしめランプを点ける。感冒が中々抜けぬ。
リュウマチも起って来た。或る老人の言葉を思出す。
「あらゆるイズムの中で最悪なのは、リュウマティズムだ。」
此の間から休養をとる意味で、曾祖父の頃からのスティヴンスン家の歴史を書始めた。
大変楽しい。曾祖父と、祖父と、其の三人の息子(私の父をも含めて)とが、相次いで、黙々と、霧深き北スコットランドの海に灯台を築き続けた其の貴い姿を思う時、今更ながら私は誇に充たされる。
題は何としよう?「スティヴンスン家の人々」「スコットランド人の家」「エンジニーアの一家」「北方の灯台」「家族史」「灯台技師の家」?
祖父が、凡そ想像に絶する困難と闘ってベル・ロック暗礁岬の灯台を建てた時の詳しい記録が残っている。
それを読んでいる中に、何だか自分が(或いは未生の我が)本当にそんな経験をしたかのような気がして来る。
自分は自分が思っている程自分ではなく、今から八十五年前北海の風波や海霧に苦しみながら、干潮の時だけ姿を見せる・此の魔の岬と、実際に戦ったことがあるのだ、と、確かにそう思えて来る。
風の激しさ。水の冷たさ。艀の揺れ。海鳥の叫。そういうもの迄がありありと感じられるのだ。
突然胸を灼かれるような気がした。磽かくたるスコットランドの山々、ヒースの茂み。湖。朝夕聞慣れたエディンバラ城の喇叭。ペントランド、バラヘッド、カークウォール、ラス岬、鳴呼!
私の今いる所は、南緯十三度、西経百七十一度。スコットランドとは丁度地球の反対側なのだ。