巻 第六 雑歌  目録

 巻第六は、巻第五とともに、おもに天平時代の雑歌を収めた巻。
 巻第五は、筑紫に赴任した旅人・憶良の歌を中心としたが、巻第六は宮廷を舞台に読まれた歌が中心。

九〇七 笠朝臣金村の歌
 滝の上の 御舟みふねの山に 瑞枝みづえさし
 繁しじに生ひたる 栂とがの樹の いやつぎつぎに
 万代よろづよに かくし知らさむ み吉野の
 蜻蛉あきづの宮は 神柄かむからか 貴くあるらむ 国柄か
 見が欲しからむ 山川を 清み清さやけみ
 うべし神代ゆ 定めけらしも

 吉野川の激流のほとりの御船の山に、みずみずしい枝を張り出し、すき間なく生い茂る栂の木、そのように次々と、いつの代までこのようにお治めになっていく。ここ吉野の蜻蛉の離宮は、この地の神のご威光からこんなにも貴いのか。
 国の品格からこんなにも見たいと思うのか。
 山も川も清くすがすがしいので、なるほど神代からここを宮とお定めになったのだ。
*笠朝臣金村…天平期の宮廷歌人。山部赤人の先輩?


九〇八 毎年としのはに かくも見てしか み吉野の
清き河内かふちの 激たぎつ白波

 毎年このように見たいものだ。
 吉野川の清らかな河内に、激しく流れる白波を。
*河内…山に囲まれた、川を中心とした場所。


九一七 聖武天皇が紀伊国に行幸なさった時に、
  山部宿禰赤人が作った歌

 やすみしし わご大君の 常営と 仕へまつれる
 雑賀野さひかのゆ そがひに見ゆる 沖つ島
 清き渚なぎさに 風吹けば 白波騒き 潮しほれば
 玉藻刈りつつ 神代より 然しかぞ貴き 玉津島山

 安らかに天下をお治めになるわが大君の、永遠の宮殿としてお仕えする、雑賀野から背後に、沖の島々が見える清らかな海岸に、風が吹けば白波が立ち騒ぎ、潮が引けば美しい藻を刈りつづけてきた、神代からこのように貴い所だったのだ、ここ玉津島山は。
*山部赤人…元正、聖武期の宮廷歌人。


九一八 奥おきつ島 荒磯ありその玉藻たまも 潮干しほひ満ち
い隠れゆかば 思ほえむかも

 沖の島の荒磯に生えている玉藻刈もしたが、今に潮が満ちてきて荒磯が隠れてしまうなら、心残りがして玉藻を恋しく思うだろう。

九一九 若の浦に 潮満ち来れば 潟かたを無み
葦辺あしへをさして 鶴たづ鳴き渡る

 若の浦に潮が満ちてくると、干潟がなくなり、葦が生えた岸辺をさして、鶴が鳴きながら渡っていく。

九二三 聖武天皇が吉野離宮に行幸なさった時に、
 山部宿禰赤人が作った歌

 やすみしし わご大君の 高知らす 吉野の宮は
 畳たたなづく 青垣あをかきごもり 川波の
 清き河内かふちぞ 春へは 花咲きををり 秋されば
 霧立ち渡る その山の いやますますに この川の
 絶ゆることなく ももしきの 大宮人は 常に通はむ

 安らかに天下をお治めになるわが大君が、高々とお造りになった吉野の離宮は、幾重にも連なる青い垣のような山々に囲まれた、川の流れの清らかな河内だ。
 春になると花が咲き誇り、秋が来れば霧が一面に立ちこめる。その山がずっと重なるように、また、この川がいつまでも絶えないように、大宮人はいつまでも行きかうであろう。
*ももしきの…「大宮人」の枕詞。
*大宮人…宮廷に使える人々。


九二四 み吉野の 象山きさやまの際の 木末こぬれには
ここだもさわく 鳥の声かも

 神聖な吉野の象山のなかの木々の梢こずえには、はなはだしく鳴き騒ぐ鳥の声がする。

九二五 ぬばたまの 夜の更けゆけば 久木ひさきふる
清き川原に 千鳥しば鳴く

 夜が更けて、久木の生い茂る清らかな川原で、千鳥がしきりに鳴いている。
*ぬばたまの…「夜」の枕詞。


九五六 大伴旅人の歌
 やすみしし 我が大君おほきみの 食す国は
大和もここも 同じとぞ思ふ

 わが天皇が治めていらっしゃる国は、大和もここ大宰府も同じだと思います。

九六八 大伴旅人が大納言に兼任して京に上る時、
 児島という遊行女婦(うかれめ)から贈られた歌に答えた歌

 ますらをと 思へる吾われや 水茎みづくき
水城みづきのうへに 涕なみだのごはむ

 丈夫だと自認していたこの俺も、お前との別れが悲しくて、ここの水城の上に涙を落とすのだ。
*水茎…「水城」の枕詞。水城は貯水池の大きな堤。


九七八 重病となった山上臣憶良が詠んだ歌
 士をのこやも 空むなしくあるべき 万代よろづよ
語り継ぐべき 名は立てずして

 男子たるもの、むなしく生涯を終えてよいものか。
 いつの時代まで語り継がれる名を残しもしないで。


九八〇 大伴坂上郎女の歌
 雨隠あまごもり 三笠の山を 高みかも
月の出で来ぬ 夜は更くたちつつ

 三笠の山が高いので、月がまだ出てこないのだろうか、夜は更けていくのに。
*大伴坂上郎女…大伴安麻呂の娘。旅人の異母妹。


九八一 猟高かりたかの 高円山たかまとやまを 高みかも
で来る月の 遅く照るらむ

 猟高にある高円山が高いので、出てくる月が照るのが遅くなってしまうのでしょうか。

九八二 ぬばたまの 夜霧の立ちて おほほしく
照れる月夜つくよの 見れば悲しさ

 夜霧が立ち込めて、ぼんやり照っている月は、見ると何と悲しいことでしょう。
*ぬばたまの…「夜」の枕詞。


九九三 坂上郎女の歌
 月立ちて ただ三日月の 眉根掻き
日長く恋ひし 君に逢へるかも

 月がまた生まれて出てくるときの三日月のように、私の眉を掻いたからでしょうね。
 長くお逢いできなかった恋しいあなたに逢えたのは。


九九四 大伴宿禰家持の歌
 ふりさけて 若月みかづき見れば ひと目見し
眉引まよびき 思ほゆるかも

 はるかに降り仰いで三日月を見れば、ひと目見ただけど、あの人の美しい眉が思い出される。
*大伴家持…大伴旅人の長男。万葉末期の代表的歌人。


九九六 海犬養岡麿の歌
 御民みたみわれ 生ける験しるしあり 天地あめつち
栄ゆる時に 遇へらく念おもへば

 天皇の御民である私らは、この天地と共に栄える盛大の御世に巡り合い、何という生き甲斐のあることであろう。

一〇一八 元興寺の僧の歌
 白珠しらたまは 人に知らえず 知らずとも
 よし知らずとも われし知れらば 知らずともよし

 真珠はその真価を人に知られない。
 しかし世の中の人が知らなくても構わない。
 たとえ世の中の人が知らなくても、自分さえ知っているなら、世の中の人が知らなくても構わない。


一〇四二 市原王の歌
 一つ松 幾代か経ぬる 吹く風の
おとの清きは 年深みかも

 この一本松は幾代を経たのであろう。松を吹く風の音が清らかなのは、久しい年を経ているからなのか。
*市原王…志貴皇子のひ孫。


巻 第七 雑歌・譬喩歌・挽歌
 巻第七は、おおむね持統朝から聖武朝ごろの歌をおさめる。短歌と旋頭歌。作者不明の歌が多い。

一〇六八 柿本朝臣人麻呂の歌集にある歌
 天あまの海に 雲の波立ち 月の船
星の林に 漕ぎ隠る見ゆ

 空の海に雲の波が立ち、月の船が星の林に漕いで隠れていくのが見える。
*柿本朝臣人麻呂の歌集…『万葉集』編纂にあたり引用資料となった家集の一つ。総ての歌を人麻呂の作とする説もあるが、明らかに他人の作も混じり、不明な点が多い。


一〇七四 作者未詳
 春日山 おして照らせる この月は
いもが庭にも 清さやけかり

 春日山の一面に照り渡っているこの月は、あの人の庭にもさやかに照っていることだろう。

一〇七八 この月の ここに来たれば 今とかも
妹が出で立ち 待ちつつあるらむ

 この月がここまで出ているから、あの娘は外に出て今か今かと私を待っているだろうな。

一〇八八 あしひきの 山川の瀬の 響なるなへに
弓月ゆつきが嶽たけに 雲立ち渡る

 山中を流れる川の瀬音が高まるにつれて、弓月が岳一面に雲が湧き立ちのぼる。
*あしひきの…「山」の枕詞。
*弓月が岳…奈良県巻向山の最高峰。


一〇八九 大海おほうみに 島もあらなくに 海原うなはら
たゆたふ波に 立てる白雲

 大海原には島一つ見えないのに、ゆらゆら揺れる波の上に、まるで島があるかのように立つ白雲よ。

一〇九〇
 我妹子わぎもこが 赤裳あかもの裾の ひづちなむ
今日の小雨に 我れさへ濡れな

 私の妻の赤い裳のすそを濡らしているだろう今日のこの小雨に、私も濡れよう。

一一〇一 ぬばたまの 夜さり来れば 巻向まきむく
川音高しも 嵐かも疾

 漆黒の夜がやって来ると、巻向川の川音がひときわ高く聞こえる。山おろしの風がはげしく吹いているのだろうか。
*ぬばたまの…「夜」の枕詞。


一一二〇 み吉野の 青根が岳の こけむしろ
れか織りけむ 経緯たてぬきなしに

 吉野の青根が岳の苔こけ絨毯(じゅうたん)は、誰が編んだのだろう。
 縦糸も横糸もきっちりと編んだように美しい。


一一三八 宇治川を 船渡せをと 喚ばへども
聞えざるらし 楫かぢの音もせず

 宇治川の岸に来て、船を渡せと呼ぶものの、その声が聞こえないらしい、漕いでくる櫂の音がしない。

一一七六 夏麻なつそ引く 海上潟うなかみがたの 沖つ洲
鳥はすだけど 君は音もせず

 海上潟の沖の洲に鳥たちが群れ騒いでいるけれど、あなたからは何の音沙汰もありません。
*夏麻引く…「海」の枕詞。


一二五七
 道の辺の 草深百合くさふかゆりの 花笑みに
笑みしがからに 妻と言ふべしや

 道端の草の茂みの微笑むような百合に微笑みかけただけで、妻だというものでしょうか。そうではありませんよね。
 (男性からの求婚を断った歌)


一二六三 暁あかときと 夜烏よがらす鳴けど この山上をか
木末こぬれの上は いまだ静けし

 もう夜が明けたといって夜烏が鳴くけれど、岡の木立はまだひっそりとしている。

一二八一
 君がため 手力てぢから疲れ 織りたる衣きぬ
春さらばいかなる色に 擢りてば良けむ

 あなたのために手の力も疲れきって織った着物です。
 春になったら、どんな色に擢って染めたらよいでしょうか。


一二八八
 水門みなとの葦あしの 末葉うらはを誰たれか 手折たをりし
わが背子が振る手を見むと われぞ手折りし

 港の葦の葉先を誰が手折ったのか。
 わが夫の振る手を見ようと、私が折ったのです。


一二九七 紅くれないに 衣ころも染めまく 欲しけども
着てにほはばか 人の知るべき

 紅に衣を染めようと思うものの、着て目立ったら、人に知られてしまうでしょう。

一三二四 葦あしの根の ねもころ思ひて 結びてし
玉の緒といはば 人解かめやも

 葦の根が絡み合っているように、私たちの仲も強く結ばれていますと言えば、他の人が割こうなんてしないでしょう。

一三三九 月草つきくさに 衣色どり 摺らめども
うつろふ色と 言ふが苦しさ

 月草で衣を染めようと思うのですが、色あせやすいのが辛くて。あなたのお嫁さんになっていいものでしょうか。

一四一一 福さきはひの いかなる人か 黒髪の
白くなるまで 妹が音こゑを聞く

 自分は恋しい妻をもう亡くしたが、白髪になるまで二人とも健やかで、妻の声を聞くことができる人は何と幸せな人だろう、うらやましいことだ。

一四一二
 吾わが背子を 何処いづく行かめと さき竹の
背向そがひに宿しく 今し悔くやしも

 私の夫が死んでいくとは思いもよらず、生前につれなくして、後ろを向いて寝たりして、今となっては悔やんでならない。

巻 第八 雑歌・相聞歌
 巻第八は、春夏秋冬の雑歌と相聞歌からなる。
 舒明天皇の時代から天平十六年まで。

一四一八 志貴皇子の喜びの歌
 石いはばしる 垂水たるみの上の さ蕨わらび
萌え出づる春に なりにけるかも

 岩の上を勢いよく流れる滝のほとりに、わらびがやわらかに芽吹いている。ああ、春になったのだなあ。

一四一九 鏡王女の歌
 神名火かむなびの 伊波瀬いはせの杜もりの 呼子鳥よぶこどり
いたくな鳴きそ あが恋まさる

 神名火の伊波瀬の森で、人を呼ぶように鳴く呼子鳥よ。
 あまり激しく鳴かないでほしい。私の恋心が一層募ってしまう。
*神名火…神のいる場所、の意味。
*伊波瀬の杜…所在地未詳。


一四二四 山部宿禰赤人の歌
 春の野に すみれ採みにと 来しわれぞ
野をなつかしみ 一夜ひとよ寝にける

 春の野に菫を摘もうとやって来たが、野の美しさに心惹かれ、一晩過ごしてしまったよ。

一四二五
 あしひきの 山桜花やまさくらばな 日並べて
かく咲きたらば いたく恋ひめやも

 山桜が連日咲き続けるなら、こんなに恋うことがあろうか。

一四二六 わが背子せこに 見せむと思ひし 梅の花
それとも見えず 雪の降れれば

 あなたに見せようと思った梅の花なのに、それとも分からない、雪が降っているので・・・。

一四二七
 明日よりは 春菜はるな摘まむと 標めし野に
昨日も今日も 雪は降りつつ

 明日から春菜を摘もうとしめ縄を結っておいた野に、昨日も今日も雪が降り続いている。

一四三一
 百済野くだらのの 萩はぎの古枝ふるえに 春待つと
りし鶯うぐひす 鳴きにけむかも

 百済野の萩の古枝で、じっと春の訪れを待っていた鶯は、もう鳴き始めているだろうか。
*百済野…奈良県北葛城郡広陵町百済あたりの野。


一四三三 大伴坂上女郎の歌
 うち上る 佐保の川原の 青柳は
今は春へと なりにけるかも

 佐保川の川原の柳が、鮮やかに芽吹いて春の訪れを告げています。

一四三五 厚見王の歌
 蝦かはず鳴く 神名火かむなび川に 影見えて
今か咲くらむ 山吹の花

 かじかが鳴く神名火川に姿を映し、今ごろ咲いているだろうか、山吹の花は。
*厚見王…万葉末期の歌人。


一四四一 大伴宿禰家持の歌
 うち霧らし 雪は降りつつ しかすがに
吾家わぎへの園そのに 鶯うぐひす鳴くも

 空一面を曇らせて雪は降り続けていながら、一方では私の家の庭で鶯が鳴いているよ。

一四四四 高田女王の歌
 山吹の 咲きたる野辺の つほすみれ
この春の雨に 盛りなりけり

 山吹が咲いている野のすみれが、この春の雨のなかたくさん咲いています。

一四九八 大伴坂上郎女の歌
 暇いとま無み 来ざりし君に ほととぎす
われかく恋ふと 行きて告げこそ

 暇がなく訪ねてこないあの方に、ほととぎすよ、私がこのように恋い慕っていると、行って告げてきておくれ。

一五〇〇 夏の野の 繁みに咲ける 姫百合ひめゆり
知らえぬ恋は 苦しきものぞ

 夏の野の繁みにひっそりと咲く姫百合が人に知られないように、あの人に知ってもらえない私の恋は苦しいものです。

一五一一 岡本天皇の御製歌
 夕されば 小倉をぐらの山に 鳴く鹿は
今夜こよひは鳴かず い寝にけらしも

 夕暮れになると小倉の山でいつも鳴く鹿が、今宵は鳴かない。もう夫婦して寝てしまったのだろうか。
*岡本天皇…舒明天皇。


一五三八 山上憶良の歌
 萩の花 尾花をばな葛花くずはな なでしこの花
をみなへし また藤袴ふぢはかま 朝顔の花

 秋の野に咲く七草は、萩、薄、葛、撫子、女郎花、そして藤袴、朝顔、この七つ。

一五五二 湯原王の歌
 夕月夜ゆうづくよ 心もしのに 白露の
置くこの庭に 蟋蟀こおろぎ鳴くも

 夕方の月が出て、心も憂えしおれるほどに白露が降りているこの庭で、秋の虫が鳴いている。
*湯原王…天智天皇の孫、志貴皇子の子。


一六三九 大宰帥大伴卿の歌
 沫雪あわゆきの ほどろほどろに 降り敷けば
平城ならの京みやこし 思ほゆるかも

 大宰府に沫雪がうっすらと降り積もっているのを見ると、奈良の都が思い出される。

一六四〇 我が岡に 盛り咲ける 梅の花
残れる雪を まがへつるかも

 私の岡に、今を盛りと咲く白梅の花と、残った雪とを見間違えてしまったよ。

一六四九 今日降りし 雪に競きほひて 我がやどの
冬木ふゆきの梅は 花咲きにけり

 今日降った雪に負けまいと、私の家の、まだ冬枯れの梅の木が花を咲かせたよ。

巻 第九 雑歌・相聞歌・挽歌
 巻第九は、おもに「柿本人麻呂歌集」と「高橋虫麻呂歌集」から採録した、雑歌・相聞歌・挽歌からなる。
 雄略天皇の時代から天平年間まで。

一七〇一 柿本朝臣人麻呂歌集から、
 弓削皇子に献上された歌
 
さ夜中よなかと 夜は深けぬらし 雁かりが音
聞ゆる空に 月渡る見ゆ

 もう夜が更けたと見え、雁が鳴きつつ通る空に、月も低くなりかかっている。

一七四〇 水江の浦の島子を詠む歌
 春の日の 霞める時に 墨吉すみのえの 岸に出でゐて
 釣船の とをらふ見れば 古いにしへの 事ぞ思ほゆる
 水江みづのえの 浦の島子が 堅魚かつを釣り
 鯛たひ釣り矜ほこり 七日まで 家にも来ずて
 海界うなさかを 過ぎて漕ぎ行くに 海若わたつみ
 神の女をとめに たまさかに い漕ぎ向ひ 相とぶらひ
 こと成りしかば かき結び 常世に至り 海若の
 神の宮の 内の重の 妙たへなる殿に 携はり
 二人入り居て 老いもせず 死にもせずして
 永き世に ありけるものを 世の中の 愚人おろかひと
 吾妹子わぎもこに 告りて語らく 須臾しましく
 家に帰りて 父母に 事も告かたらひ 明日のごと
 われは来なむと 言ひければ 妹が言へらく
 常世辺とこよへに また帰り来て 今のごと
 逢はむとならば このくしげ 開くな勤ゆめ
 そこらくに 堅めし言ことを 墨吉に 還り来きたりて
 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて
 あやしみと そこに思はく 家ゆ出でて
 三歳みとせの間に 垣も無く 家滅せめやと この箱を
 開きて見てば もとの如ごと 家はあらむと 玉くしげ
 少し開くに 白雲の 箱より出でて 常世辺に
 たなびきぬれば 立ち走り 叫び袖振り 反側こいまろ
 足ずりしつつ たちまちに情こころ消失けうせぬ
 若かりし 膚はだも皺しわみぬ 黒かりし 髪も白けぬ
 ゆなゆなは 気いきさへ絶えて 後のちつひに 命死にける
 水江の 浦の島子が 家地いへどころ見ゆ

 春の日の、霞がかかっている時に、墨吉の岸に出て腰を下ろし、釣船が波に揺れているのを見ていると、昔のことが思われてくる。水江の浦の島子が、かつお釣りや鯛釣りに夢中になり、何日も家に帰らず、海の境を越えてなお漕ぎ進んでいくと、海の神の姫に偶然出会った。互いに求婚しあい、結婚を決めて約束をし、不老不死の国へ行き、海の神の宮殿の奥にあるすばらしい御殿に、二人で手を取り合って入り、年も取らず、死にもしないで長い間暮らしていた。
 ところが、愚かな浦の島子が、いとしい妻に告げて、しばらくわが家に帰り、父母に事の次第を打ち明けて、すぐ明日にも戻ってこようと言った、妻は、この国にまたお帰りになって、今のように私に逢うとおっしゃるのでしたら、この櫛笥(くしげ)を絶対に開いてはなりませんと、堅く堅く約束して送り出した。
 浦の島子は墨吉に帰ってきて、我が家を捜したが見つからない、里を捜しても見つからない、そこで思ったのは、家を出て三年しか経っていないのに、垣根も家もなくなるなどということがあろうか、この箱を開いてみたなら、元の通りわが家が現れるだろうと、玉櫛笥を少し明けてみた。
 すると、白い雲が箱の中から立ちのぼり、不老不死の国へたなびいて流れた。浦の島子は飛び上がって走り回り、叫んでは袖を振り、転げまわって地団太を踏んで嘆き悲しんでいるうち、急に気を失ってしまった。そして、若かった肌も皺だらけとなり、黒かった髪の毛も真っ白になってしまった。
 その後に息まで絶えて、とうとう死んでしまった。
 その水江の浦の島子の家があった跡が見える。
*作者は高橋虫麻呂とされるが、異説もある。
 虫麻呂には各地の伝説に材をとった作品が多くあり、伝説の歌人として知られる。


一七七五 柿本朝臣人麻呂歌集から、
 舎人皇子に献上された歌

 泊瀬川はつせがは 夕渡り来て 我妹子わぎもこ
家のかな門に 近づきにけり

 泊瀬川を夕方に渡って来て、ようやく愛しい妻の家の門に近づいた。

一七九〇 天平五年に、遣唐使船が難波を出航しようとする時、母親が子に贈った歌
 秋萩あきはぎを 妻問う鹿こそ 独子ひとりご
 子持てりといへ 鹿児かこじもの わが独子の 草枕
 旅にし行けば 竹珠たかだまを しじに貫き垂
 斎瓮いはひべに 木綿ゆふ取り垂でて 斎いはひつつ
 わが思ふ吾が子 真幸まさきくありこそ

 秋萩を妻として訪れる鹿は一人の子を持つと言うが、その鹿のように、私にはたった一人しかいない息子が旅立ってしまうので、竹玉を緒いっぱいに通して垂らし、斎瓮に木綿を垂らして、身を清めて神を祭り、案じているわが子よ、どうか無事でいてほしい。
*竹珠…細い竹を輪切りにして装飾に用いた玉。
 神事に使用したらしい。
*斎瓮…神に献上する酒を盛る器。


一七九一 旅人の 宿りせむ野に 霜降らば
が子ぐくめ 天あめの鶴群たづむら

 旅人が宿る野に、もし霜が降るなら、どうか我が子を羽で包んでおくれ、天を行く鶴の群れよ。

一七九七 柿本朝臣人麻呂歌集から
 潮気しほけたつ 荒磯ありそには あれど行く水の
過ぎにし妹が 形見とぞ来

 潮煙の立つ荒涼たるこの磯に、亡くなった妻の形見と思ってやって来た。


索引 栞 巻1雑歌 2相聞 挽歌 3雑 譬喩 挽歌 4相聞歌 5雑歌 6雑歌 7雑 譬喩 挽歌 8雑 相聞歌 9雑 相聞 挽歌 10雑 相聞歌
11古今相聞往来歌 12同下 13雑 相聞 問答 譬喩 挽歌 14東歌[雑 相聞往来 譬喩 防人 挽歌] 15 16雑歌 17 18 19 20 戻る