巻 第三 雑歌・譬喩歌・挽歌
 巻第三は、拾遺の歌と天平の歌を収め、雑歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌からなる。
*譬喩歌…表現方法による分類で、人の感情、営み等を何かの物にたとえて表現する。

二三五 柿本朝臣人麻呂の歌
 大君おほきみは 神にし座せば 天雲の
いかづちの上に いほらせるかも

 わが大君(持統天皇のこと)はまさしく神でいらっしゃるので、天雲の中の雷の上に仮宮をおつくりになり、そこに籠っておいでになる。
*柿本人麻呂…持統〜文武天皇の時代に活躍した宮廷歌人の第一人者。官人としては下級だった。


二五一 淡路の 野島が崎の 浜風に 妹が結びし (ひも)吹きかへす
 淡路の野島の崎の浜風に、妻が旅立ちのときに結んでくれた上着の紐を吹き返らせている。

二五四
 ともしびの 明石あかし大門おほとに 入らむ日や
ぎ別れなむ 家のあたり見ず

 明石の海門を通過するころには、いよいよ家郷の大和の山々とも別れることとなる。
*ともしびの…「明石」の枕詞。


二五五
 天離あまざかる 夷ひなの長道ながぢゆ 恋ひ来れば
明石の門より 大和島やまとしま見ゆ

 遠く隔たった地方からの長い旅路に、ずっと故郷を恋しく思いつつやって来たら、明石海峡から懐かしい大和の山々が見えてきた。
*天離る…「夷」の枕詞。天まで離れて遠いことから。


二六四
 もののふの 八十氏河やそうじかはの 網代木あじろき
いさよふ波の 行く方知らずも

 宇治川の網代木に遮られてただよう水のように、人の行く末とは分からないものだ。
*網代木…網代をつくるための棒杭。網代は魚を獲るしかけ。


二六五 長忌寸奥麻呂の歌
 苦しくも 降り来る雨か 神みわの崎
狭野さのの渡りに 家もあらなくに

 困ったことに降り出した雨だ。三輪崎の狭野の渡し場に、心安らぐわが家があるというわけではないのに。
*神の崎…和歌山県新宮市三輪崎。
長忌寸奥麻呂(ながのいみきおきまろ)…柿本人麻呂と同時代の歌人。


二六六 柿本朝臣人麻呂の歌
 近江あふみの海 夕波千鳥ゆふなみちどり 汝が鳴けば
心もしのに 古いにしへ思ほゆ

 近江の湖の夕波に鳴く千鳥よ。おまえが鳴くと、心がしおれてしまいそうなほどにせつなく昔のことがしのばれるよ。
*古…琵琶湖畔に都があった天智天皇の時代を指している。


二六七 志貴皇子の歌
 むささびは 木ぬれ求むと あしひきの
山の猟夫さつをに あひにけるかも

 むささびが、林間の梢こずえを飛び渡っているうちに、猟師に見つかって獲られてしまった。
*あしひきの…「山」の枕詞。


二七〇 高市連黒人の歌
 旅にして もの恋こほしきに 山下の 赤のそほ船 沖にこぐ見ゆ

 旅路にあれば何につけ都が恋しいのに、沖のほうを見れば赤く塗った船が通っていく。あれは都へ上るのであろう、羨ましいことだ。
*山下の…「赤」の枕詞?


二七三 磯の崎 漕ぎ廻み行けば 近江の海
八十やその港に 鶴たづさはに鳴く

 屈曲の多い琵琶湖の岸を漕ぎ廻って行くと、たくさんの港ごとに、鶴がさかんに鳴いている。

二七四 我が舟は 比良ひらの港に 漕ぎ泊てむ
沖へな離さかり さ夜更けにけり

 私の舟は比良の港に今夜は泊まろう。
 沖には離れるな、もうすっかり夜が更けてしまった。
*比良の港…琵琶湖の西岸、比良山のあたり。


二七五 何処いづくにか 我が宿りせむ 高島の
勝野の原に この日暮れなば

 いったいどこに私たちは宿をとることになるのか、高島の勝野の野原で日が暮れてしまったら。
*高島の勝野…滋賀県高島郡高島町勝野。


二七六 妹いもも我れも 一つなれかも 三河なる
二見ふたみの道ゆ 別れかねつる

 おまえも私も一心同体であるからか、三河の国の二見の道で別れることができない。

二九七 田口益人が上野国司となって赴任する途上、
 駿河国浄見崎を通ってきた時の歌

 昼見れど 飽かぬ田児たごの浦 大王おほきみ
みことかしこみ 夜見つるかも

 昼見れば飽きることのない田児浦の美しい景色を、君命によって赴任する途上なので夜に見た。

三一七 山部宿禰赤人の歌
 天地あめつちの 分れし時ゆ 神さびて 高く貴き
 駿河なる 布士ふじの高嶺を 天の原 振りさけ見れば
 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず
 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける
 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 不尽の高嶺は

 天と地が初めて分かれた時から、神のように高く貴い駿河の富士の山を、大空に向かい振り仰いで見ると、空を渡る日の光も隠れ、夜空に照る月の光も見えず、白雲も滞って行けず、いつの時も雪が降っている。語り継ぎ、言い伝えていこう、この富士の高嶺を。
*山部赤人…元正、聖武期の宮廷歌人。


三一八 田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白ましろにぞ
不尽の高嶺に 雪は降りける

 田子の浦を通って、見晴らしのきく所に出てみると、真っ白に富士の高嶺に雪が降り積もっている。
*田子の浦ゆ…静岡県の駿河湾北西部の浜。「ゆ」は通過地点を表す。


三二八 小野老朝臣の歌
 あをによし 寧楽ならの京師みやこは 咲く花の
にほふがごとく 今盛りなり

 桜の花がさきにおっているように、奈良の都は繁栄をきわめていることだ。
*小野老…大宰府の次官。この歌は望郷の想いによるものか。
*あをによし…「寧楽」の枕詞。


三三〇 大伴四綱が大伴旅人に贈った歌
 藤波の 花は盛りに なりにけり 平城ならの京みやこを 思ほすや君

 藤の花がいっぱいに咲きましたね。
 これをご覧になっていると、奈良の都を思ってしまいますでしょう。


三三一 大宰帥、大伴旅人の歌
 わが盛さかり また変若をちめやも ほとほとに
平城ならの京みやこを 見ずかなりけむ

 私の若い盛りが再びめぐってくることがあるだろうか。
 もはやそれはかなわぬこと。こうして年老いて辺土に赴いていれば、奈良の都をも見ずに終わってしまうのだろう。
*大伴旅人…旅人は大宰帥だざいのそち(大宰府の長官)として赴任し、彼を中心に、山上憶良、沙弥満誓、小野老らによって筑紫歌壇とよばれる文学サロンがつくられ、数多くの作品を生み出した。


三三二 わが命も 常にあらぬか 昔見し
きさの小河を 行きて見むため

 わが命もいつも変わらずありたいものだ。
 昔見た吉野の象の小川を見るために。


三三七
 山上憶良が大宰府における宴会の時に作った歌

 憶良おくらは 今は罷まからむ 子くらむ
その彼の母も 吾を待つらむぞ

 この憶良はもう退出しよう。家では子どもも泣いていようし、その子らの母も私を待っていようから。

三三八 大宰帥、大伴旅人の歌
 験しるしなき 物を思はずは 一坏ひとつき
濁れる酒を 飲むべくあるらし

 しようもない物思いなどやめて、一杯の濁り酒でも飲んだほうがよさそうだ。

三四三 なかなかに 人にとあらずは 酒壺さかつぼ
成りにてしかも 酒に染みなむ

 むしろ人間でいるよりいっそのこと酒壺になりたいものだ。そうすればずっと酒に浸っていられる。

三四四 あな醜みにく 賢さかしらをすと 酒飲まぬ
人をよく見れば 猿にかも似る

 ああ醜い、酒も飲まずに利口ぶっている人をよく見ると、猿に似ているではないか。

三四八 今の世に 楽しくあらば 来む世には
虫に鳥にも われはなりなむ

 この世を楽しく過ごせるのであれば、今度生まれてくる世に、虫にも鳥にも私はなろう。

三五一 沙弥満誓の歌
 世間よのなかを 何にたとへむ 朝開き
漕ぎ去にし船の 跡なきごとし

 世の中を何にたとえようか。
 港に泊まっていた船が夜明けに漕ぎ去ってしまったあとには何の痕跡も残らない、人生もそんなものだろうか。
沙弥満誓(さみまんぜい)…筑紫歌壇の一人。沙弥は仏門に入り剃髪していても妻子のいる在家の僧のこと。


三五八 山部宿禰赤人の歌
 武庫の浦を こぎ回む小舟をぶね 粟島あはしま
背向そがひに見つつ ともしき小舟

 武庫の浦を漕ぎめぐっている小舟よ。
 粟島を斜め横に見ながら漕ぎ行く、羨ましい小舟よ。
*武庫…武庫川の河口から西、神戸あたりまでの一帯。
 「粟島」は淡路の北端あたりか?


三七五 湯原王の歌
 吉野なる 夏実なつみの河の 川淀かはよど
鴨ぞ鳴くなる 山陰にして

 吉野にある夏実の川の流れの淀みで、鴨が鳴く声が聞こえる。あの山陰のところで。
*湯原王…天智天皇の孫、志貴皇子の子。


三九〇 紀皇女の歌
 軽かるの池 うらみ行きみる 鴨かもすらに
玉藻たまものうへに 独り寝なくに

 軽の池の、入り込んだ水際を泳ぎ回る鴨でさえ、私が自分の黒髪を敷いて寝るように、藻の上なんかで一人寝たりはしないのに。
*紀皇女きのひめみこ…天武天皇の皇女。


四一六 大津皇子が処刑されるときに詠んだ歌
 ももづたふ 磐余の池に 鳴く鴨を
今日のみ見てや 雲隠りなむ

 磐余の池で鳴いている鴨も、今日をかぎりの見納めとして、私は死んでいくのか。
*ももづたふ…「磐余」の枕詞。


四三八
 大宰帥、大伴旅人が亡き妻を偲んで詠んだ歌

 愛うつくしき 人のまきてし 敷妙しきたへ
わが手枕たまくらを まく人あらめや

 愛しい妻が枕として寝た、私のこの腕を枕とする人など他にいようか。
*敷妙の…「枕」「手本」「床」「袖」などの枕詞。旅人の妻・大伴郎女は、筑紫に赴任して間もない初夏のころ病死した。
 このとき旅人は六十四歳。
 この歌は四十九日をすませたころに詠んだらしい。


四三九 帰るべく 時はなりけり 都にて
が手本たもとをか 我が枕かむ

 いよいよ都に帰る時になった。
 しかしその都で、誰の袖を私は枕にしようか。
 妻はもういないのだ。
*妻が亡くなって二年後、旅人は大納言となり、帰京することになった。以下、その時に詠んだ歌が続く。


四四〇 都なる 荒れたる家に ひとり寝ば
旅にまさりて 苦しかるべし

 都にある荒れ果てた我が家で一人寝をするなら、今の旅寝よりもっと苦しいだろう。

四四六
 吾妹子わぎもこが 見し鞆ともの浦の むろの木は
常世とこよにあれど 見し人ぞなき

 大宰府に赴任する時には、一緒に見た鞆の浦のむろの木は、そのままに変わらずあるけれど、このたび帰京しようとしてここを通る時には妻は今はもうこの世にいない。
*鞆の浦…広島県福山市鞆町の海岸。


四四九 妹と来し 敏馬みぬめの崎を 還かへるさに
独りし見れば 涙ぐましも

 妻と通った敏馬の崎を、帰りに一人で見ると、ふと涙がにじんでしまう。
*敏馬…神戸市灘区岩屋のあたり。
 「見ぬ()」と掛けている。


四五二 妹として 二人作りしわが 山斎しま
木高く繁く なりにけるかも

 大宰府から京にたどり着いた。亡くなった妻と二人で作り上げたわが家の庭は、木がずいぶん高くなってしまった。

四五三 我妹子わぎもこが 植ゑし梅の木 見るごとに
心咽せつつ 涙し流る

 我が妻が、庭に植えた梅の木を見るたび、胸が一杯になって涙にむせんでしまう。

四五五 大伴旅人が亡くなる時に、従者の余明軍(よのみようぐん)が詠んだ歌
 かくのみに ありけるものを 萩の花
咲きてありやと 問ひし君はも

 死の床にあってもなお、「萩の花は咲いているか」と、あなた様はお尋ねになるのか。

巻 第四 相聞歌
 巻第四は、天平以前から天平にかけての時代の歌をおさめる。
 相聞歌のみ。

四八六 舒明天皇の御製歌
 山の端に あじむら騒ぎ 行くなれど
われはさぶしゑ 君にしあらねば

 山の端を味鴨(あじがも)が群れ鳴いて、騒ぎ飛び行くように、多くの人が通り行くけれど、私は寂しゅうございます。
 その人々はあなたではないのですから。


四八八 額田王が天智天皇を恋い慕って作った歌
 君待つと 我が恋ひをれば わが屋戸やど
すだれ動かし 秋の風吹く

 あの方がいらっしゃるのを待って恋い慕っていると、私の家の戸口のすだれを動かして、ただ秋風が吹くばかり・・・。

四八九 鏡王女の歌
 風をだに 恋ふるは羨ともし 風をだに
来むとし待たば 何か嘆かむ

 風が吹くだけでいらっしゃったのかと思うほど待ち焦がれるなんてうらやましい。風にさえそう思えるのなら、何を嘆くことがありましょうか。待つ人がいない私はもっと辛いのに・・・。

四九六 柿本朝臣人麻呂の歌
 み熊野の 浦の浜木綿はまゆふ 百重ももへなす
心は思へど 直ただに逢はぬかも

 熊野の浦のはまゆうが幾重にも重なっているように、私の心も幾重にもあなたを思っているが、なかなかじかに逢うことができませんね。

四九九 百重ももへにも 来しかぬかもと 思へかも
君が使つかひの 見れど飽かずあらむ

 百回でも繰り返し来てほしいと思うからか、あなたの使いはいくら見ても飽きない。

五〇二 夏野行く 牡鹿おじかの角の 束の間も
妹が心を 忘れて思へや

 夏野を行く牡鹿の角は短いけれど、そんな短い間でも、私は妻を忘れたりしない。

五一九 大伴郎女の歌
 雨あまつつみ 常つねする君は ひさかたの
昨夜きぞのよの雨に 懲りにけむかも

 雨が降ると出不精になるあの人。
 いつものことだけど、夕べの雨に懲りて、今日もご無沙汰なんでしょうね、今日も来てくださらないんでしょうね。


五二七
 来むといふも 来ぬ時あるを 来じと言ふを
来むとは 待たじと いふものを

 来る来るとおっしゃってもおいでにならない時があるのだから、来ないとおっしゃるのにおいでになるだろうとお待ちするものですか。来ないとおっしゃるのですから・・・。
大伴郎女(おおとものいらつめ)…大伴旅人の異母妹。大伴坂上郎女と同じ。


五八七 笠郎女が大伴宿禰家持に贈った歌
 我が形見 見つつ偲しのはせ あらたまの
年の緒長く 我れも思はむ

 私の思い出の品を見ながら、私を思ってくださいな。
 私もずっと長くあなたを思い続けますから。
笠郎女(かさのいらつめ)…大伴家持が若いころの愛人の一人。
 いくら待っても一向にやって来ない家持に激しい恋情を詠っている。
*あらたまの…「年」の枕詞。


五九三 君に恋ひ 甚いたも術すべなみ 平山ならやま
小松が下に 立ち嘆くかも

 あなたが恋しくてどうしようもなく、私は奈良山の小松の下に立って嘆いています。

五九四 わが屋戸やどの 夕影草ゆふかげくさの 白露の
ぬがにもとな 思ほゆるかも

 私の家の庭の、夕暮れに見る草の白露がやがて消えてしまうように、見も心も消えてしまうほどあなたのことばかり思っています。

五九八 恋にもぞ 人は死にする 水無瀬川
したゆ我れ痩す 月に日に異

 恋によってでも人は死にます。水無瀬川の水のように忍ぶ恋の思いから、私は日に日に痩せていきます。

六〇八 相あひ思はぬ 人を思ふは 大寺おほてら
餓鬼がきの後しりへに 額ぬかづくがごと

 互いに思い合わない人をこちらで思うのは、大きな寺の餓鬼の像を、それも後ろから拝むようなものです。

六〇九 作者未詳
 ひさかたの 雨も降らぬか 雨つつみ
君にたぐひて この日暮らさむ

 だったら雨でも降らないかしら。そうすれば出不精のあの人と、その日は一緒にお楽しみ!

六三二 湯原王の歌
 目には見て 手には取らえぬ 月の内の
かつらのごとき 妹をいかにせむ

 目にはとらえることができても、手には取れない月にあるという、楓の木のようなあなたを一体どうしたらいいのだろう。
*湯原王…天智天皇の皇子である志貴皇子の子。


六五八 大伴坂上郎女の歌
 思へども 験しるしもなしと 知るものを
なにかここだく 吾が恋ひ渡る

 あの方を思ってもその甲斐がないと分かっているのに、どうしてこんなにも激しく、私は恋い続けるのでしょう。
*大伴坂上郎女…大伴安麻呂の娘。旅人の異母妹。
 大伴郎女と同じ。若い時に穂積皇女に召され、後に結婚した。


六五九
 あらかじめ 人言ひとことしげし かくしあらば
しゑや我が背子 奥もいかにあらめ

 始めっからみんな私たちの噂で持ちきりです。そんなこんなじゃ、あなた、これから先いったいどうすればいいのですか!

六六〇 汝をと我を 人ぞ放くなる いで我が君
人の中言なかごと 聞こすなゆめ

 あなたと私を引き裂こうとしている人がいます。だからお願い、あなた、人の言うことなんか聞かないで、絶対、絶対に。

六六一 恋ひ恋ひて 逢へる時だに うるはしき
ことつくしてよ 長くと思はば

 せめて恋い焦がれてようやく逢えた時だけでも、優しい言葉をありったけ聞かせてください。
 長く二人の仲を続けようと思ってくださるなら。


六八八 青山を 横切る雲の いちしろく
われと咲まして 人に知らゆな

 青い山を横切って流れていく白い雲がはっきり見えるように、私と人目につくような笑みをお交わしになって、知られてはなりませんよ。

七〇九 大宅女の歌
 夕闇は 路みちたづたづし 月待ちて
いませわが背子 その間に見む

 夕闇は、道が暗くて心もとないものです。
 だから、月の出を待ってからお出かけください、あなた。
 そうすれば、その間だけでもあなたを見ていられるから。
*大宅女…伝未詳。


七六四 大伴家持の歌
 百歳ももとせに 老い舌出でて よよむとも
我はいとはじ 恋は増すともxx

 お前が百歳になって年老いて歯がなくなりロを出すようになって腰が曲がっても、私はお前の家に来るのを厭いはしない。気持ちが増すことはあっても。

巻 第五 雑歌
 巻第五は、おもに天平の歌からなる雑歌集。

七九三 筑紫で妻大伴郎女を失くした大伴旅人の歌
 世の中は 空むなしきものと 知る時とき
いよよますます 悲しかりけり

 世の中がむなしく無常だと現実に知り、今までよりもますます悲しい。

七九四
 大君おほきみの 遠とほの朝廷みかどと しらぬひ 筑紫の国に
 泣く子なす 慕ひ来まして 息だにも いまだ休めず
 年月も いまだあらねば 心ゆも 思はぬ間に
 うちなびき 臥こやしぬれ 言はむ術すべ
 為む術知らに 石木いはきをも 問ひ放け知らず
 家ならば 形はあらむを うらめしき 妹の命みこと
 我をばも 如何にせよとか 鳰鳥にほどりの 二人並び居
 語らひし 心背きて 家ざかりいます

 大君の遠い政府(大宰府のこと)だからと、筑紫の国に、泣く子どものようにだだをこねて慕ってついてきてくれて、一息つくほどにも休めず、年月も経っていないのに、心にも少しも思わないうちに、ぐったりと横になってしまった。
 どう言っていいのか、どうしたらいいのか分からずに、庭石や木に尋ねて心を晴らそうとしても、それもできない。
 奈良の家にいたならば元気な姿であっただろうに、私を置いて逝ってしまった恨めしい妻は、私にどうせよというのか。
 鳰鳥のように二人並んで語らった、その心に背いて遠くに行ってしまった。


七九五 旅人の妻の死を悼んで山上憶良が詠んだ歌
 家に行きて 如何にか吾がせ む枕づく
妻屋さぶしく 思ほゆべしも

 奈良の家に帰ったら、私はどうしたらいいのか。
 枕を並べた妻屋が寂しく思われて仕方がないだろう。
*妻屋…夫婦のための部屋。


七九六 愛しきよし かくのみからに 慕ひ来し
妹が情こころの 術すべもすべなさ

 ああ、こうなるだけだったのか。追い慕って筑紫までやって来た妻の心が、どうしようもなく痛ましい。

七九七 悔しかも かく知らませば あをによし
国内くぬちことごと 見せましものを

 悔やんでならない。こんなことになると知っていたなら、奈良の国じゅうをすべて見せておくのだった。

七九八 妹が見し 楝あふちの花は 散りぬべし
我が泣く涙 いまだ干なくに

 妻の死を悲しみ、私の涙がまだ乾かぬうちに、妻が生前喜んで見た庭の楝(=栴檀)の花も散ってしまうのだろう。

八〇一 山上憶良が、
 両親妻子を軽んじる男を見てつくった歌

 ひさかたの 天道あまぢは遠し なほなほに
家に帰りて 業なりを為まさに

 お前は青雲の志を抱いて、天へも昇るつもりだろうが、天への道は遥か遠い。それよりも、素直に家に帰って、普通に家業に従事しなさい。

八〇二 山上憶良が離れて暮らす子どもを思い、詠んだ歌
 瓜うりめば 子ども思ほゆ 栗くり食めば
 まして偲しぬはゆ 何処いづくより 来きたりしものぞ
 眼交まなかひに もとな懸りて 安眠やすいし寝さぬ

 瓜を食べると子どもが思い出される。
 栗を食べるとまして偲ばれる。
 いったいどこからわが子として生れてきたのか。
 目の前にしきりに面影がちらついて、ぐっすり眠らせてくれない。


八〇三 銀しろがねも 金くがねも玉も 何せむに
勝れる宝 子に及かめやも

 銀も黄金も玉も、いったい何になるというのか、そんな勝れた宝でさえ、子どもに及ぶものがあろうか。

八一五 大弐紀卿の歌
 正月むつき立ち 春の来きたらば かくしこそ
梅を招きつつ 楽しき終へめ

 正月になって春が来たら、毎年このように梅の花を賓客として招き、楽しみの限りを尽くそうではないか。

八一六 小野老の歌
 梅の花 今咲けるごと 散り過ぎず
我が家の園に ありこせぬかも

 梅の花よ、今咲いているようにいつまでも散らないで、ずっと我が家の庭にあってほしいものだ。

八一八 山上憶良の歌
 
春されば まづ咲くやどの 梅の花
独り見つつや 春日暮らさむzz

 春になるとまず咲く我が家の梅の花を、一人で眺めて春の日を過ごしましょう。

八九二 山上憶良による貧窮問答の歌
 風まじり 雨降る夜の 雨まじり 雪降る夜は
 術すべもなく 寒くしあれば 堅塩かたしほ
 取りつづしろひ 糟湯酒かすゆざけ うちすすろひて
 咳しはぶかひ 鼻びしびしに しかとあらね
 髭ひげかき撫でて 我あれを除きて 人は在らじと
 誇ろへど 寒くしあれば 麻衾あさぶすま 引き被かがふ
 布肩衣ぬのかたぎぬ 有りのことごと 服襲きそへども
 寒き夜すらを 我われよりも 貧しき人の 父母は
 飢ゑ寒ゆらむ 妻子めこどもは 乞ひて泣くらむ
 この時は 如何にしつつか 汝が世は渡る
 天地あめつちは 広しといへど 吾が為は
 狭くやなりぬる 日月ひつきは 明あかしといへど
 吾が為は 照りや給はぬ 人皆か 吾のみや然る
 わくらばに 人とはあるを 人並に 吾あれも作るを
 綿も無き 布肩衣の 海松みるの如ごと わわけさがれる
 襤褄かかふのみ 肩にうち懸け 伏盧ふせいほ
 曲盧まげいほの内に 直土ひたつちに 藁わら解き敷きて
 父母は 枕の方に 妻子どもは 足あとの方に
 囲み居て 憂へさまよひ 竈かまどには
 火気ほけふき立てず 甑こしきには 蜘蛛くもの巣かきて
 飯いひかしく 事も忘れて ぬえ鳥の のど吟ひ居るに
 いとのきて 短き物を 端はしきると 云へるが如く
 楚しもと取る 里長さとをさが声は 寝屋戸ねやどまで
 来立ち呼ばひぬ 斯くばかり 術無きものか
 世間よのなかの道

 風まじりの雨が降る夜、雨まじりの雪が降る夜は、どうしようもなく寒くてたまらず、粗塩を少しずつかじりながら糟湯酒をすすったりして、絶え間なく咳き込み、鼻汁をびしびしすすり上げ、大してありもしない髪を撫でては、私のように立派な人間はいないと誇ってみるけれども、やはり寒くて仕方がない、それで麻の夜具を引っかぶり、布の肩衣をあるだけ重ね着しているのだが、それでも寒い夜を、私より貧しい人たちの父や母はさぞ飢えて凍えていることだろう。
 妻や子は腹をすかして泣いているだろう。
 こんなとき、あなたたちはどのようにして世を渡っていくのか。
 天地は広いとはいえ、私のためには狭くなったのか。
 太陽や月は明るいというものの、私のためには照ってくださらないのか。人も皆そうなのか、私だけそうなのか。
 幸いに人と生まれたのに、人並みに耕作して働いているのに、綿も入っていない布の肩衣の、まるで海松のように裂けて破れて垂れ下がった襤褸(ぼろ)
のみを肩にかけ、掘っ立て小屋で傾きかけた中に、地面に直接わらを敷き、父や母は上の方に、妻子は下の方に、身を寄せ合って嘆き悲しみ、かまどには火の気を立てることもなく、こしきにはくもの巣がかかり、飯を炊くことなどすっかり忘れて、ぬえ鳥のように弱々しく鳴いているのに、すごく短い物の端をさらに切り取るという言葉のように、(むち)を持った里長の声は、寝床にまでやって来ては呼び立てる。
 これほどにどうしようもないものなのか、世間を渡る道とは。


八九三 世のなかを 憂しとやさしと 思へども
飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば

 この世を辛く身も痩せ細るような所と思うけれども、この世から飛び立つことはできない、鳥ではないから。

八九八 山上憶良の歌
 慰むる 心はなしに 雲隠り 鳴き往く鳥の 哭のみし泣かゆ

 老いと病のために苦しみ、慰める手段もなく、雲隠れに姿も見えず鳴いていく鳥のように、ただ独りで忍び泣きばかりしている。

八九九 術すべもなく 苦しくあれば 出で走り
ななと思へど 児に障さやりぬ

 もう手段も尽き、苦しくて仕方がないので、走り出して自殺でもしてしまおうかと思うが、子らのために妨げられてそれもできない。

九〇五 山上憶良が亡きわが子を思いやって詠んだ歌
 若ければ 道行き知らじ 幣まひはせむ
黄泉したへの使つかひ 負ひて通らせ

 まだ幼いので、黄泉の国への道が分からないだろう。贈り物をするから黄泉の国の使よ、どうかわが子を背負って行ってやってください。

九〇六
 布施ふせ置きて われは乞ひ祈む あざむかず
ただに率きて 天路知らしめ

 お布施を奉って、私はお願いしお祈りします。別の道に誘うことなく、まっすぐ連れて行って、天までの道を教えてやってください。


索引 栞 巻1雑歌 2相聞 挽歌 3雑 譬喩 挽歌 4相聞歌 5雑歌 6雑歌 7雑 譬喩 挽歌 8雑 相聞歌 9雑 相聞 挽歌 10雑 相聞歌
11古今相聞往来歌 12同下 13雑 相聞 問答 譬喩 挽歌 14東歌[雑 相聞往来 譬喩 防人 挽歌] 15 16雑歌 17 18 19 20 戻る