明けて一八九一年の正月になると、旧宅、ボーンマスのスケリヴォア荘から、家財道具一切を纏めて、ロイドがやって来た。
ロイドはファニイの息子で、最早二十五歳になっていた。
十五年前フォンテンブロオの森でスティヴンスンが始めてファニイに会った時、彼女は既に廿歳に近い娘と九歳になる男の児との母親であった。娘はイソベル、男の児はロイドといった。
ファニイは当時、戸籍の上では未だ米国人オスボーンの妻であったけれど、久しく夫から脱れて欧洲に渡り、雑誌記者などをしながら、二人の子をかかえて自活していたのである。
それから三年の後、スティヴンスンは、其の時カリフォルニアに帰っていたファニイの後を追うて、大西洋を渡った。
父親からは勘当同様となり、友人達の切なる勧告(彼等は皆スティヴンスンの身体を気遣っていた。)をも斥けて、最悪の健康状態と、それに劣らず最悪の経済状態とを以て彼は出発した。
果して加州に着いた時は、殆ど瀕死の有様だった。
しかし、兎に角どうにか頑張り通して生延びた彼は、翌年、ファニイの・前夫との離婚成立を待って漸く結婚した。
時にファニイは、スティヴンスンより十一歳年上の四十二。
前年娘のイソベルがストロング夫人となって長男を挙げていたから、彼女は既に祖母となっていた訳である。
斯うして、世の辛酸を嘗めつくした中老の亜米利加女と、坊ちゃん育ちで、我儘で天才的な若いスコットランド人との結婚生活が始まった。
夫の病弱と妻の年齢とは、しかし、二人を、やがて、夫婦というよりも寧ろ、芸術家と其のマネージャアの如きものに変えて了った。
スティヴンスンに欠けている実際家的才能を多分に備えていたファニイは、彼のマネージャアとして確かに優秀であった。が、時に、優秀すぎる憾がないではなかった。
殊に、彼女が、マネージャアの分を超えて批評家の域に入ろうとする時に。
事実、スティヴンスンの原稿は、必ず一度はファニイの校閲を経なければならないのである。
三晩寐ないで書上げた「ジィキルとハイド」の初稿をストーヴの中に叩き込ませたのは、ファニイであった。
結婚以前の恋愛詩を断然差押えて出版させなかったのも、彼女であった。
ボーンマスにいた頃、夫の身体の為とはいえ、古い友達の誰彼を、頑として一切病室に入れなかったのも、彼女であった。
之にはスティヴンスンの友人達も大分気を悪くした。
直情径行のW・E・ヘンレイ(ガルバルジイ将軍を詩人にした様な男だ)が真先に憤慨した。
何の為に、あの色の浅黒い・隼の様な眼をした亜米利加女が、でしゃばらねばならぬのか。
あの女のためにスティヴンスンはすっかり変って了った、と。
此の豪快な赤髯詩人も、自己の作品の中に於てなら、友情が家庭や妻のために蒙らねばならぬ変化を充分冷静に観察できた筈だのに、今、実際眼の前で、最も魅力ある友が一婦人のために奪い去られるのには、我慢がならなかったのである。
スティヴンスンの方でも、確かに、フアニイの才能に就いて幾分誤算をしていた所があった。
一寸利口な婦人ならば誰しもが本能的に備えている男性心理への鋭い洞察や、又、そのジャアナリスティックな才能を、芸術的な批評能力と買いかぶった所が確かにあった。
後になって、彼も其の誤算に気付き、時として心服しかねる妻の批評(というより干渉といっていい位、強いもの)に辟易せねばならなかった。
「鋼鉄の如く真剣に、刃の如く剛直な妻」と、或る戯詩の中で、彼はファニイの前に兜を脱いだ。連子のロイドは、義父と生活を共にしている間に、何時か自分も小説を書くことを覚え出した。此の青年も母親に似て、ジャアナリスト的な才能を多く有っているようである。
息子の書いたものに義父が筆を加え、それを母親が批評するという、妙な一家が出来上った。今迄に父子の合作は一つ出来ていたが、今度ヴァイリマで一緒に暮らすようになってから、「退潮」なる新しい共同作品の計画が建てられた。
四月になると、愈々屋敷が出来上った。芝生とヒビスカスの花とに囲まれた・暗緑色の木造二階建、赤屋根の家は、ひどく土人達の眼を驚かせた。
スティヴロン氏、或いはストレーヴン氏(彼の名を正確に発音できる土人は少かった)或いはツシタラ(物語の語り手を意味する土語)が、富豪であり、大酋長であることは、最早疑いなきものと彼等には思われた。
彼の豪壮(?)な邸宅の噂は、やがてカヌーに乗って、遠くフィジー、トンガ諸島あたり迄喧伝された。
やがて、スコットランドからスティヴンスンの老母が来て一緒に暮らすことになった。
それと共に、ロイドの姉イソベル・ストロング夫人が長男のオースティンを連れてヴァイリマに合流した。
スティヴンスンの健康は珍しく上乗で、伐木や乗馬にもさして疲れないようになった。
原稿執筆は、毎朝決って五時間位。建築費に三千磅も使った彼は、いやでも書捲くらざるを得なかったのである。
四
一八九一年五月×日
自分の領土(及び其の地続き)内の探険。ヴァイトゥリンガ流域の方は先日行って見たので、今日はヴァエア河の上流を探る。
叢林の中を大体見当をつけて東へ進む。漸く河の縁へ出る。
最初河床は乾いている。ジャック(馬)を連れて来たのだが、河床の上に樹々が低く密生して馬は通れないので、叢林の中の木に繋いで置く。
乾いた川筋を上って行く中に、谷が狭くなり、所々に洞があったりして、横倒しになった木の下を屈まずにくぐって歩けた。
北へ鋭く曲る。水の音が聞えた。暫くして、峙つ岩壁にぶつかる。
水が其の壁面を簾のように浅く流れ下っている。其の水は直ぐ地下に潜って見えなくなって了う。岩壁は攀登れそうもないので、木を伝って横の堤に上る。
青臭い草の匂がむんむんして、暑い。ミモザの花。羊歯類の触手。
身体中を脈搏が烈しく打つ。途端に何か音がしたように思って耳をすます。
確かに水車の廻るような音がした。それも、巨大な水車が直ぐ足許でゴーッと鳴った様な、或いは、遠雷の様な音が、二三回。
そして、その音が強くなる度に、静かな山全体が揺れるように感じた。地震だ。
又、水路に沿って行く。今度は水が多い。恐ろしく冷たく澄んだ水。
夾竹桃、枸櫞樹シトロン、たこの木、オレンジ。其等の樹々の円天井の下を暫く行くと、また水が無くなる。
地下の熔岩の洞穴の廊下に潜り込むのだ。私は其の廊下の上を歩く。
何時迄行っても、樹々に埋れた井戸の底から仲々抜出られぬ。
余程行ってから、漸く繁みが浅くなり、空が葉の間から透けて見えるようになった。
ふと、牛の鳴声を聞きつける。確かに私の所有する牛には違いないが、先方では所有主を見知るまいから、頗る危険だ。
立停り、様子をうかがって、巧くやり過ごす。暫く進むと、累々たる熔岩の崖に出くわす。
浅い美しい滝がかかっている。下の水溜の中を、指ぐらいの小魚の影がすいすいと走る。
ざりがにもいるらしい。朽ち倒れ、半ば水に浸った巨木の洞。
渓流の底の一枚岩が不思議にルビイの様に紅い。
やがて又も河床は乾き、いよいよヴァエア山の嶮しい面を上って行く。
河床らしいものもなくなり、山頂に近い台地に出る。
彷徨すること暫し、台地が東側の大峡谷に落ちこむ縁の所に、一本の素晴らしい巨樹を見付けた。
榕樹だ。高さは二百呎もあろう。巨幹と数知れぬ其の従者共(気根)とは、地球を担うアトラスの様に、怪鳥の翼を拡げたるが如き大枝の群を支え、一方、枝々の嶺の中には、羊歯・蘭類がそれぞれ又一つの森のように叢がり茂っている。枝々の群は、一つの途方もなく大きな円蓋だ。それは層々累々と盛上って、明るい西空(既に大分夕方に近くなっていた)に高く向い合い、東の方数哩の谿から野にかけて蜿蜒と拡がる其の影の巨きさ! 誠に、何とも豪宕な観ものであった。
もう遅いので慌てて、帰途に就く。馬を繋いで置いた所へ来て見ると、ジャックは半狂乱の態だ。独りぼっちで森の中に半日捨て置かれた恐怖の為らしい。
ヴァエア山にはアイトゥ・ファフィネなる女怪が出ると土人は云うから、ジャックはそれを見たのかも知れぬ。
何度もジャックに蹴られそうになりながら、漸くのことで宥めて、連れ帰った
五月×日
午後、ベル(イソベル)のピアノに合せて 銀 笛 を吹く。
クラックストン師来訪。「壜の魔物 」をサモア語に訳して、オ・レ・サル・オ・サモア誌に載せ度き由。欣んで承諾。
自分の短篇の中でも、ずっと昔の「ねじけジャネット」や、この寓話など、作者の最も好きなものだ。
南海を舞台にした話だから、案外土人達も喜ぶかも知れない。
之で愈々私は彼等のツシタラ(物語の語り手)となるのだ。
夜、寝に就いてから、雨の音。海上遠く微かな稲妻。
五月××日
街へ下りる。殆ど終日為替のことでゴタゴタ。銀の騰落は、此の地に於ては頗る大問題なり。
午後、港内に碇泊中の船々に弔旗揚がる。土人の女を妻とし、サメソニの名を以て島民に親しまれていたキャプテン・ハミルトンが死んだのだ。夕方、米国領事館の方へ歩いて見た。
満月の美しい夜。マタウトゥの角を曲った時、前方から讃美歌の合唱の声が聞えた。
死者の家のバルコニイに女達(土人の)が沢山いて唱っているのだった。
未亡人になったメァリイ(矢張、サモア人だが)が、家の入口の椅子に掛けていた。
私と見知越しの彼女は、私を請じ入れて自分の隣に掛けさせた。
室内の卓子の上に、シーツに包まれて横たわっている故人の遺骸を私は見た。
讃美歌が終ってから、土人の牧師が立上って、話を始めた。
長い話だった。灯明の光が扉や窓から外へ流れ出していた。
褐色の少女達が沢山私の近くに坐っていた。恐ろしく蒸暑かった。
牧師の話が終ると、メァリイは私を中に案内した。故キャプテンの指は胸の上に組まれ、其の死顔は穏かだった。
今にも何か口をききそうであった。之程生々した・美しい蝋細工の面を未だ見たことがない。
一礼して私は表へ出た。月が明るく、オレンジの香が何処からか匂っていた、既に此の世の戦を終え、こんな美しい熱帯の夜、乙女等の唄に囲まれて静かに眠っている故人に対して、一種甘美な羨望の念を私は覚えた。
五月××日
「南洋だより」は、編輯者並びに読者に不満の由。曰く、『南洋研究の資料蒐集、或ひは科学的観察ならば、又、他に人もあるべし。読者のR・L・S・氏に望む所のものは、固よりその麗筆に係る南海の猟奇的冒険詩に有之候』
冗談ではない。私があの原稿を書く時、頭に浮べていた模範は、十八世紀風の紀行文、筆者の主観や情緒を抑えて、即物的な観察に終始した・ああいう行き方なのだ。
「宝島」の作者は何時迄も海賊と埋もれた宝物のことを書いていればいいのであって、南海の殖民事情や、土着民の人口減少現象や、布教状態に就いて考察する資格が無いとでもいうのか?やり切れないことには、ファニイ迄が亜米利加の編輯者と同意見なのだ。
「精確な観察よりも、華やかで面白い話を書かなければ、」と云うのだ。
大体、私は近頃、従来の自分の極彩色描写が段々厭になって来た。
最近の私の文体は、次の二つを目指している積りだ。
一、無用の形容詞の絶滅。二、視覚的描写への宣戦。
ニューヨーク・サン紙の編輯者にもファニイにもロイドにも、未だに此の事が解らないのだ。
「難破船引揚業者」は順調に進捗しつつある。ロイドの他にイソベルという一層叮嚀な筆記者が殖えたのは、大いに助かる。
家畜の宰領をしているラファエレに、現在の頭数を聞いて見たら、乳牛三頭、犢が牝牡各一頭ずつ、馬八頭、(ここ迄は聞かなくても知っている。)豚が三十匹余り。
家鴨と鶏とは随処に出没するので殆ど無数という外はなく、尚、別に夥しい野良猫共が跋扈している由。野良猫は家畜なりや?
五月××日
街に、島巡りのサーカスが来たというので、一家総出で見に行く。
真昼の大天幕の下、土人の男女の喧騒の中で、生温い風に吹かれながら、曲芸を見る。
これが我々にとっての唯一の劇場だ。我々のプロスペロオは球乗の黒熊。
ミランダは馬の背に乱舞しつつ火の輪を潜る。夕方、帰る。
何か心怡しまず。
六月×日
昨夜八時半頃ロイドと自室にいると、ミタイエレ(十一・二歳の少年召使)がやって来て、一緒に寐ているパータリセ(最近、戸外労働から室内給仕に昇格した十五・六歳の少年、ワリス島の者で英語は皆目判らず、サモア語も五つしか知らない。)が、急に変な事を言出して気味が悪い、と言った。
何でも、
「今から森の中にいる家族の者に逢いに行く。」といって聞かないのだそうだ。
「森の中に、あの子の家があるのか?」と聞くと、
「あるもんですか。」とミタイエレが言う。
直ぐにロイドと、彼等の寝室へ行った。パータリセは睡っている者のように見えたが、何かうわ言を言っている。
時々、脅された鼠の様な声を立てる。身体にさわると冷たい。
脈は速くない。呼吸の度に腹が大きく上下する。突然、彼は起上り、頭を低く下げ、前へつんのめるような恰好で、扉に向って走った。(といっても、其の動作は余り速くなく、ぜんまいの弛んだ機械玩具のような奇妙なのろさであった。)
ロイドと私とが彼をつかまえてベッドに寐かしつけた。
暫くして又逃出そうとした。今度は猛烈な勢なので、やむを得ず、みんなで彼をベッドに(シーツや縄で)括り付けた。
パータリセは、そうやって抑え付けられた儘時々何か呟き、時に、怒った子供の様に泣いた。
彼の言葉は、「ファアモレモレ(何卒)」が繰返される外、「家の者が呼んでいる」とも言っているらしい。
その中にアリック少年とラファエレとサヴェアとがやって来た。
サヴェアはパータリセと同じ島の生れで、彼と自由に話が出来るのだ。
我々は彼等に後を任せて部屋に戻った。突然、アリックが私を呼んだ。
急いで駈付けると、パータリセは縛をすっかり脱し、巨漢ラファエレにつかまえられている。
必死の抵抗だ。五人がかりで取抑えようとしたが、狂人は物凄い力だ。
ロイドと私とが片脚の上に乗っていたのに、二人とも二呎も高く跳ね飛ばされて了った。
午前一時頃迄かかって、到頭抑えつけ、鉄の寝台脚に手首足首を結びつけた。
厭な気持だが、やむを得ない。其の後も発作は刻一刻と烈しくなるようだ。
何のことはない。まるで、ライダー・ハガードの世界だ。
(ハガードといえば、今、彼の弟が土地管理委員としてアピアの街に住んでいる。)
ラファエレが
「狂人の工合は大変悪いから、自分の家の家伝の秘薬を持って来よう」と言って、出て行った。
やがて、見慣れぬ木の葉を数枚持って来、それを噛んで狂少年の眼に貼付け、耳の中に其の汁を垂らし、(ハムレットの場面?)鼻孔にも詰込んだ。
二時頃、狂人は熟睡に陥った。それから朝迄発作が無かったらしい。
今朝ラファエレに聞くと、
「あの薬は使い方一つで、一家鏖殺位、訳なく出来る劇毒薬で、昨夜は少し利き過ぎなかったかと心配した。自分のほかに、もう一人、比の島で此の秘法を知っている者がある。それは女で、其の女は之を悪い目的の為に使ったことがある。」と。
入港中の軍艦の医者に今朝来て貰ったが、パータリセを診て、異常なしという。
少年は、今日は仕事をするのだと言って聞かず、朝食の時、皆の所へ来て、昨夜の謝罪のつもりだろうか、家中の者に接吻した。
この狂的接吻には、一同少からず辟易。しかし、土人達は皆パータリセの譫言を信じているのだ。
パータリセの家の死んだ一族が多勢、森の中から寝室へ来て、少年を幽冥界へ呼んだのだと。又、最近死んだパータリセの兄が其の日の午後叢林の中で少年に会い、彼の額を打ったに違いないと。
又、我々は死者の霊と、昨夜一晩戦い続け、竟に死霊共は負けて、暗い夜(そこが彼等の住居である)へと逃げて行かねばならなかったのだと。
六月×日
コルヴィンの所から写真を送って来た。ファニイ(感傷的な涙とは凡そ縁の遠い)が思わず涙をこぼした。
友人! 何と今の私に、それが欠けていることか! (色々な意味で)対等に話すことの出来る仲間。
共通の過去を有った仲間。会話の中に頭註や脚註の要らない仲間。
ぞんざいな言葉は使いながらも、心の中では尊敬せずにいられぬ仲間。
この快適な気候と、活動的な日々との中で、足りないものは、それだけだ。
コルヴィン、バクスター、W・E・ヘンレイ、ゴス、少し遅れて、ヘンリィ・ジェイムズ、思えば俺の青春は豊かな友情に恵まれていた。
みんな俺より立派な奴ばかりだ。ヘンレイとの仲違いが、今、最も痛切な悔恨を以て思出される。道理から云って、此方が間違っているとは、さらさら思わない。
しかし、理窟なんか問題じゃない。巨大な・捲鬚の・赭ら顔の・片脚の・あの男と、蒼ざめた痩せっぽちの俺とが、一緒に秋のスコットランドを旅した時の、あの二十代の健かな歓びを思っても見ろ。あの男の笑い声――「顔と横隔膜とのみの笑ではなく、頭から踵に及ぶ全身の笑」が、今も聞えるようだ。
不思議な男だった、あの男は。あの男と話していると、世の中に不可能などというものは無いような気がして来る。
話している中に、何時か此方迄が、富豪で、天才で、王者で、ランプを手に入れたアラディンであるような気がして来たものだ。…………
昔の懐かしい顔の一つ一つが眼の前に浮かんで来て仕方がない。
無用の感傷を避けるため、仕事の中に逃れる。先日から掛かっているサモア紛争史、或いは、サモアに於ける白人横暴史だ。
しかし、英国とスコットランドとを離れてから、もう丁度、四年になるのだ。