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       光と風と夢

       十七

一八九四年九月×日
 昨日料理番のクロロが「義父が他の酋長達と一緒に、明日、何か御相談に上るそうです。」と言った。
 彼の義父、老ポエは、マターファ側の政治犯、我々を獄中のカヴァの宴に招いて呉れた酋長等の一人だ。
 彼等は先月の末、漸く釈放されたのである。ポエの入獄中は、私も相当面倒を見させられた。
 医者を獄中に向けてやったり、病気のためとて仮出獄の手続をしてやったり、再入獄の後は又保釈金を払ってやったりしたのである。
 今朝、ポエが他の八人の酋長と共にやって来た。彼等は喫煙室に入り、サモア流に車座になって蹲んだ。
 彼等の代表者が話し始めた。
「我々の在獄中ツシタラは一方ならぬ同情を我々に寄せられた。今や自分達も、やっと無条件で釈放された訳だが、何とかしてツシタラの厚情への謝意を表したいと、出獄後直ぐに皆で相談した。所で、我々より先に出獄した他の酋長等の中には、その釈放される時の条件として今尚、政府の道路工事に使われている者が随分いる。それを見て、我々もツシタラの家の為に道路を作って、之を心からの贈物としようと相談が一決したのだが、是非とも此の贈物を受けて貰い度い。」と。
 公道と私の家とを繋ぐ道路を作ろうというのである。
 土人を良く知っている者なら、誰しも斯かる話を余りあてに出来ないと思うのだが、兎に角、私は此の申出に非常に感激した。
 だが、実をいうと、之は、私自身が、道具や食事や給金(之は、先方では要らないというだろうが、結局、老人や病弱者への慰問の形で、やらねばなるまい)のために少からぬ金を使わねばならぬことになるのだ。
 併し、彼等はなお此の計画の説明を進めた。彼等酋長達は、これから自分の部落に立帰り、一族の中から働く者を集めて来る。
 青年の一部はアピア市にボートを持って来て住み、海岸通を通って、働く連中に食糧を供給する役をする。
 道具だけはヴァイリマで都合して貰うが、決して贈物をして貰わないこと…………等。
 之は驚くべき非サモア的勤労だ。もし之が実際に行われるとすれば、恐らく此の島では前代未聞であろう。
 私は彼等に厚く謝辞を述べた。私は彼等の代表者(此の男を私は個人的に良く知らない)と面を合せて腰掛けていた。
 彼の顔は、初めの挨拶の時は極めて他処行きであったが、進んで、ツシタラが彼等の獄中での唯一の友であったことを語る段になると、急に、燃える様な純粋な感情を露したかに思われた。
 自惚ではないつもりだ。ポリネシア人の仮面――全く之は白人には竟に解けない太平洋の謎だが――が斯くも完全に脱棄てられたのを、私は見たことがない。

九月×日
 快晴。朝早く彼等が来た。逞しい、顔立も尋常な青年ばかりが揃っている。
 彼等は直ちに我が新道路の工事に着手した。老ポエは頗る上機嫌。
 この計画で若返ったように見える。頻りに冗談を言い、ヴァイリマの家族の友なることを青年等に誇示するかの如く、方々歩き廻っている。
 彼等の衝動が、道路完成迄永続きするか、どうか、それは私にとって毫も問題でない。
 彼等がそれを企てたということ。そして、サモアでは未だ曾て聞いたこともない様な事を進んで実行し始めたこと。――之だけで充分だ。
 試みに思え。之は道路工事――サモア人の最も忌み嫌うもの。
 此の土地では、税の取立に次いで叛乱の原因となるもの。
 金銭を以てしても刑罰を以てしても容易に彼等を誘うことの出来ない道路工事なのだ。
 この一事で、私は、自分がサモアで少くとも何か或る一つの事を成したのだと、自惚れていいように思う。
 私は嬉しい。実際、子供のように嬉しいのだ。

十八

 十月に入って、道路はほぼ完成した。サモア人としては驚くべき勤勉と、速度とであった。
 斯うした場合にありがちの、部落間の争いも殆ど起らなかった。
 スティヴンスンは工事完成記念の宴を華やかに張りたいと思った。
 彼は、白人と土人とを問わず、島の主だった人々には残らず招待状を送った。
 所で、驚いたことに、宴の日が近づくにつれ、白人及び白人に親しい土人達の一部から彼が受取った返辞は、悉く断り状だった。
 子供の如く無邪気なスティヴンスンの喜びの宴を以て、彼等は皆、政治的な機会と見做し、つまり、彼が叛徒を糾合し、政府に対する新しい敵意を作上げようとしている、と考えたのである。
 彼と最も親しい数人からも、理由は書かずに、出席できない旨を言って来た。
 宴は殆ど土人ばかりが来ることになった。それでも、列席者は夥しい数に上った。
 当日スティヴンスンはサモア語で感謝の演説をした。
 数日前、英文の原稿を或る牧師の所へやって、土語に翻訳して貰ったものである。
 彼は先ず八人の酋長達に厚く謝辞を述べ、次いで公衆に、此の美しい申出の為された事情と経過とを説明した。
 自分が初め此の申出を断ろうかと思ったこと。それは、此の国が貧しく饑餓に脅されており、又、現在、彼等酋長達の家や部落が、長い間の主人の不在のために、整理を必要としていることを、自分が良く知っているからだ、ということ。
 しかし結局之を受けたのは、此の工事の与える教訓が一千本のパンの木よりも有効だと思ったから、それに、かかる美しい好意を受けることが、何ものにも増して堪らなく嬉しかったからだ、ということ。
「酋長達よ。諸君が働いて下さるのを見ていて、私の心は温かくなる様な気がしました。それは感謝の念からばかりでなく、或る希望からでもあります。私は其処にサモアの為、良きものを齎すであろう約束を読んだのです。即ち、私の申上げたいのは、外敵に対する勇敢な戦士としての諸君の時代は既に終ったということです。今や、サモアを守る途はただ一つ。それは、道路を作り、果樹園を作り、植林し、其等の売捌を自らの手で巧くやること。一口にいえば、自分の国土の富源を自分の手で開発することです。之をもし諸君が行わないならば、皮膚の色の違った他の人間共がやって了うでしょう。自らの有てるものを以て、諸君は何をしているか?サヴァイイで?ウポルで?ツツイラで?諸君は、それを豚共の蹂躪に任せているではないか。豚共は家を焼き、果樹を切り、勝手放題をしているではないか。彼等は蒔かざるに刈り、蒔かざるに収穫れておるのだ。併し、神は君達の為にサモアの地にそれを蒔かれたのだ。豊かな土地と、美しき太陽と、充ち足りた雨とを、君達に授け給うたのだ。繰返して言うけれども、諸君がそれを保ち、それを開発しなければ、やがて他の者に奪われて了うのです。諸君や諸君の子孫は、皆、外の暗闇にほうり出され、唯泣くよりほかはなくなるのです。私はいい加減に言っているのではない。私は、此の眼でそうした実例を見て来たのです。」
 スティヴンスンは、自分の見たアイルランドや、スコットランド高地や、或いはハワイに於ける原住民族の現在の惨めさに就いて語った。
 そして、其等の轍をふまないために、今こそ我々は緊褌一番すべきであると。
「私は、サモアとサモアの人々とを愛しております。私は心から此の島を愛し、生きている限りは住居に、死んだなら墓地にと、固く決めているのです。だから、私の言うことを、口先だけの警戒と思ってはいけないのだ。今や諸君の上に大きな危機が迫って来ている。今私の話した諸民族の様な運命を選ばねばならぬか、或いは之を切抜けて、諸君の子孫が此の父祖伝来の地で、諸君の記憶を讃えることが出来るようになるか、その最後の危機が迫っているのですぞ。条約による土地委員会とチーフ・ジャスティスとは、間もなく任期を完了するでしょう。すると、土地は諸君に戻され、諸君はそれを如何に使おうと自由になるのです。奸悪なる白人共の手の伸びるのは其の時です。土地測量器を手にした者共が、諸君の村へやって来るに違いない。諸君の試錬の火が始まるのです。諸君が果して金であるか?鉛の屑であるか?真のサモア人は之を切抜けねばならない。如何にして?顔を黒く隈取って戦うことによってではない。家に火を放つことによってではない。豚を殺し、傷つける敵の首を刎ねることによってではない。そんな事は、諸君を一層惨めなものにするだけです。真にサモアを救う者とは、道路を開き、果樹を植え、収穫を豊かにし、つまり神の与え給うた豊かな資源を開発する者でなければなりません。こういうのが真の勇者、真の戦士なのです。酋長達よ。貴方方はツシタラの為に働いて下さった。ツシタラは心から御礼を申上げる。そうして、全サモア人が範を貴方方に取れば良いと思うのです。即ち、此の島の酋長という酋長、島民という島民が残らず、道路の開拓に、農場の経営に、子弟の教育に、資源の開発に、全力を注いだら、――それも一ツシタラヘの愛の為でなく、諸君の同胞、子弟、更に未だ生れざる後代の為に、そうした努力を傾けたら、どんなに良かろうと思うのです。」

 謝辞というより警告乃至説諭に近い此の演説は、大成功だった。
 スティヴンスンが案じた程難解ではなく、彼等の大部分によって完全に諒解されたらしいことが、彼を悦ばせた。
 彼は少年の様に嬉しがって、褐色の友人達の間をはしゃぎ廻った。

 新道路の傍には、次の様な土語を記した標が立てられた。

 「感謝の道路」

 我等が獄中呻吟の日々に於けるツシタラの温かき心に報いんとて我等今この道を贈る。我等が築けるこの道 常に泥濘まず永久に崩れざらん。

          十九

一八九四年十月×日
 私がまだマターファの名を挙げるのを聞くと、人々(白人)は妙な顔をする。
 丁度、去年の芝居の噂でも聞いた時のように。或る者は又、にやにや笑い出す。
 下劣な笑だ。何は措いてもマターファの事件を可嗤的なものとしてはならぬと思う。
 一作家の奔走だけでは、どうにもならぬ。(小説家は、事実を述べている時でも、物語を語っているのではないかと思われるらしい。)
 誰か実際的な地位を有つ人物が援けて呉れなければ駄目だ。
 全然面識の無い人物だが、英国下院でサモア問題に就いて質問したJ・F・ホーガン氏に宛て、手紙を書いた。
 新聞によれば、彼は再三に亘ってサモアの内紛についての質問をしているから、相当この問題に関心を抱いているものと見られるし、質問の内容を見ても、かなり事情にも通じているらしい。此の議員宛の書面の中で、私は繰返し、マターファの処刑の厳に失する所以を説明した。
 殊に、最近叛乱を起した小タマセセの場合と比較して、その余りに偏頗なことを。
 何等罪状の指摘できないマターファ(彼は、いわば喧嘩を売られたに過ぎぬのだから)が千浬離れた孤島に流謫され、一方、島内白人の殲滅を標榜して立った小タマセセは小銃五十梃の没収で済んだ。
 こんな莫迦な話があるか。今ヤルートにいるマターファの所へはカトリックの牧師以外に誰も行くことが許されない。
 手紙をやることも出来ぬ。最近、彼の一人娘が敢然禁を犯してヤルートヘ渡ったが、発見されれば、又連戻されるのだろう。
 千浬以内にいる彼を救う為に、数万浬彼方の国の輿論を動かさねばならぬなんて、妙な話だ。もしマターファがサモアヘ帰れるようだったら、彼は吃度僧職に入るだろう。
 彼は其の方面の教育を受けてもいるし、又、そうした人柄でもあるのだから。
 サモア迄は望めずとも、せめてフィジイ島位まで来られたら、そうして、故郷のそれと違わぬ食事、飲料を与えられ、慾には時々我々と会うことが出来たら、どんなにか有難いのだが。

十月×日
 「セント・アイヴス」も完成に近くなったが、急に、「ウィア・オヴ・ハーミストン」を続け度くなって、又、取上げた。
 一昨年、筆を起してから、何度取上げては、何度筆を投げたことやら。
 今度こそ何とか纏まりそうだ。自信というよりも、何だか、そんな気がする。

十月××日
 此の世に年を経れば経る程、私は一層、途方に暮れた小児のような感じを深くする。
 私は慣れることが出来ない。この世に――見ることに、聞くことに、斯かる生殖の形式に、斯かる成長の過程に、上品にとりすました生の表面と、下卑て狂気じみた其の底部との対照に――之等は、如何に年をとっても、私には慣れ親しめないものだ。
 私は年をとればとる程、段々裸に、愚かになるような気がする。
「大きくなれば解るよ。」と、子供の時分に、よく言い聞かされたものだが、あれは正しく嘘であった。自分は何事も益々分らなくなるばっかりだ。…………之は確かに、不安である。
 しかし又一方、このために、生に対する自分の好奇心が失われないでいることも事実だ。
 全く、世の中には、「自分にとって此の人生は、もう何度目かの経験だよ。最早自分は人生から学ぶべき何ものも無いよ。」といった顔をした老人が、実に沢山いる。
 一体、どんな老人が此の人生を二度目に生活しているというのだ?
 どんな高齢者だって、彼の今後の生活は、彼にとって初めての経験に違いないではないか。
 悟ったような顔をした老人共を、私は(私自身は所謂年寄ではないが、年齢を、死との距離の短かさで計る計算法によれば、決して若くはあるまい。)軽蔑し、嫌悪する。
 其の好奇心のない眼付を、殊には、「今の若い者は」といった式の、やにさがったものの言い方を(単に此の遊星の上に生れ出ることが、たかだか二三十年早かったからというだけで、自分の意見への尊重を相手に強いようとする・あのものの言い方を)嫌悪する。

 Quod curiositate cognoverunt superbia amiserunt.「彼等驚きによりて認めたるものを、傲りによりて失いたりき」病苦が私に、さほど好奇心の磨滅を齎さなかったことを、私は喜ぶ。

十一月×日
 午後の日盛りに私は独りでアピア街道を歩いていた。
 道からちらちらと白い炎が立っていた。眩しかった。
 街道の果迄見渡しても人一人見えなかった。道の右側は、甘蔗畑が緑の緩やかな起伏を見せてずっと北迄続き、その果には、燃上る濃藍色の太平洋が雲母末のような小皺を畳みながら、円く大きく膨れ上っていた。
 青焔に揺れる大海原が瑠璃色の空と続くあたりは、金粉を交えた水蒸気にぼかされて白く霞んで見えた。
 道の左側には、巨大な羊歯族の峡谷を距てて、ぎらぎらした豊かな緑の氾濫の上に、タファ山の頂であろうか、突兀たる菫色の稜線が眩しい靄の中から覗いている。
 静かだった。甘蔗の葉摺の外、何も聞えなかった。私は自分の短い影を見ながら歩いていた。
 かなり長いこと、歩いた。ふと、妙なことが起った。私が、私に聞いたのだ。俺は誰だと。
 名前なんか符号に過ぎない。一体、お前は何者だ?
 この熱帯の白い道に痩せ衰えた影を落して、とぼとぼと歩み行くお前は?
 水の如く地上に来り、やがて風の如くに去り行くであろう汝、名無き者は?
 俳優の魂が身体を抜出し、見物席に腰を下して、舞台の自分を眺めているような工合であった。魂が、其の抜けがらに聞いている。
 お前は誰だと。そして執拗にじろじろ睨めまわしている。
 私はぞっとした。私は眩暈を感じて倒れかかり、危く近所の土人の家に辿りつき、休ませて貰った。
 こんな虚脱の瞬間は、私の習慣の中には無い。幼い頃一時私を悩ましたことのある永遠の謎「我の意識」への疑問が、長い潜伏期の後、突然こんな発作となって再び襲って来ようとは。
 生命力の衰退であろうか?しかし近頃は、二三ヶ月前に比べて身体の調子もずっと良いのだ。気分の波の高低はかなりあるにしても、精神の活気も大分取戻しているのだ。
 風景などを眺めても、近頃は、強烈な其の色彩に、始めて南海を見た時のような魅力を(誰でも三四年熱帯に住めば、それを失うものだ)再び感じている位だ。
 生きる力が衰えている筈はない。ただ最近多少昂奮し易くなったことは事実で、そういう時、数年間まるで忘却していた姿の或る情景などが、焙り出しの絵の様に、突然ありありと、其の色や匂や影まで鮮やかに頭の中に蘇って来ることがある。
 何だか少し気味が悪い位に。

十一月×日
 精神の異常な昂揚と、異常な沈鬱とが、交互に訪れる。
 それもひどい時は一日に数回繰返して。昨日の午後、スコールが過ぎたあとの夕方、丘の上を騎乗していた時、突然、或る恍惚たるものが心を掠めたように思った。
 途端に、見はるかす眼下の森、谷、巌から、其等が大きく傾斜して海に続く迄の風景が、雨あがりの落暉の中に、見る見る鮮明さを加えて浮かび上った。
 極く遠方の屋根、窓、樹木までが、銅版画の如き輪廓を以て一つ一つはっきりと見えて来た。視覚ばかりではない。
 あらゆる感覚器官が一時に緊張し、或る超絶的なものが精神に宿ったことを、私は感じた。
 どんな錯雑した論理の委曲も、どんな微妙な心理の陰翳も、今は見遁すことがあるまいと思われた。私は殆ど幸福でさえあった。
 昨夜、私の「ウィア・オヴ・ハーミストン」は大いにはかどった。
 所で、今朝その酷い反動が来た。胃のあたりが鈍く重苦しい感じで、気分が冴えなかった。
 机に向って昨夜の続きを四五枚も書いた頃、私の筆は止った。
 行悩んで頬杖をついていた時、ひょいと、一人の惨めな男の生涯の幻影が頭の中を通り過ぎた。その男は、ひどい肺病やみで、気ばかり強く、鼻持ならない自惚やで、気障な見栄坊で、才能もないくせに一ぱしの芸術家を気取り、弱い身体を酷使しては、スタイルばかりで内容の無

い駄作を書きまくり、実生活に於ては、其の子供っぽい気取のため事毎に人々の嘲笑を買い、家庭の中では年上の妻のために絶えず圧迫を受け、結局は、南海の果で、泣き度い程北方の故郷を思いながら、惨めに死んで行く。
 ちらりと一瞬、閃光のように斯うした男の一生の姿が浮かんだ。
 私ははっとみぞおちを強く衝かれた思いがし、椅子の上にくずおれた。冷汗が出ていた。
 暫くして私は回復した。之は何か身体の工合のせいだ。こんな莫迦な考が浮ぶなんて。
 しかし、自分の一生の評価の上に、ふと、さしたかげは中々拭い去れそうもない。
  Ne suis-je pas un faux accord
  Dans la divine symphonie?
   神のあやつる交響楽の中で
   俺は調子の外れた弦ではないのか?

 夜八時、すっかり元気になった。ウィア・オヴ・ハーミストンの今迄書溜めた分を読みかえす。悪くない。悪くないどころか!
 今朝はどうかしていたんだ。俺が下らない文学者だと?
 思想がうすっぺらだの、哲学が無いのと、言い度い奴は勝手に言うがいい。
 要するに、文学は技術だ。概念で以て俺を軽蔑する奴も、実際に俺の作品を読んで見れば、文句なしに魅せられるに決ってるんだ。
 俺は俺の作品の愛読者だ。書いている時は、すっかり、厭な気持になり、こんなものの何処に価値があるか、と思える時でも、翌日読返して見れば、俺は必ず俺の作品の魅力にとらわれて了う。仕立屋が衣服を裁つ技術に自信を有つように、俺は、ものを描く技術に自信を有っていいのだ。お前の書くものに、そんなに詰まらないものが出来る筈はないのだ。
 安心しろ!R・L・S・!

十一月××日
 真の芸術は(仮令、ルソーのそれの如きものではなくとも、何等かの形で)自己告白でなければならぬという議論を、雑誌で読んだ。
 色々な事を言う人があるものだ。自分の恋人ののろけ話と、自分の子供の自慢話と、(もう一つ、昨夜見た夢の話と)――当人には面白かろうが、他人にとって之くらい詰まらぬ莫迦げたものがあるだろうか?

 追記――一旦、床に就いてから、種々考えた末、右の考を稍々訂正せねばならなくなった。
 自己告白が書けぬという事は、人聞としての致命的欠陥であるかも知れぬことに思い到った。
 (それが同時に、作家としての欠陥になるか、どうか、之は私にとって非常にむずかしい問題だ。或る人々にとっては極めて簡単な自明の問題らしいが。)
 早い話が、俺にデイヴィッド・カパァフィールドが書けるか、どうか、考えて見た。
 書けないのだ。何故?俺は、あの偉大にして凡庸なる大作家程、自己の過去の生活に自信が有てないから。
 単純平明な、あの大家よりも、遥かに深刻な苦悩を越えて来ているとは思いながら、俺は俺の過去に(ということは、現在に、ということにもなるぞ。しっかりしろ!R・L・S・)自信が無い。
 幼年少年時代の宗教的な雰囲気。それは大いに書けるし、又書きもした。
 青年時代の乱痴気騒ぎや、父親との衝突。之も書こうと思えば書ける。
 むしろ大いに、批評家諸君を悦ばせる程、深刻に。
 結婚の事情。これも書けないことはないとしよう。(老年に近く、最早女でなくなった妻を前に見ながら、之を書くのは頗る辛いことには違いないが)しかし、ファニイとの結婚を心に決めながら、同時に俺が、他の女達に何を語り何を為していたかを書くことは?
 勿論、書けば、一部の批評家は欣ぶかも知れぬ。深刻無比の傑作現るとか何とか。
 併し、俺には書けぬ。俺には残念ながら当時の生活や行為が肯定できないから。
 肯定できないのは、お前の倫理観が、凡そ芸術家らしくもなく薄っぺらだからだ、という見方もあるのは承知している。
 人間の複雑性を底まで見極めようとする其の見方も、一応は解らぬことはない。(少くとも他人の場合に、なら。)
 だが結局、全身的には解らぬ。(俺は、単純闊達を愛する。ハムレットよりドン・キホーテを。ドン・キホーテよりダルタニアンを。)
 薄っぺらでも何でも、俺の倫理観は(俺の場合、倫理観は審美感と同じだ。)それを肯定できぬ。では、当時何故そんな事をした?
 分らぬ。全く分らぬ。昔は、よく、「弁解は神様だけが御存じだ」と嘯いたものだが、今は、裸になり、両手を突き、満身の汗をかいて、「分りませぬ」と申します。
 一体、俺はファニイを愛していたのか?恐ろしい問だ。
 恐ろしい事だ。之も分らぬ。兎に角分っているのは、私が彼女と結婚して今に到っているということだけだ。
 (抑々愛とは何だ?之からして分っているのか?定義を求めているのではない。自己の経験の中から直ぐに引出せる答を有っているか、というのだ。おお、満天下の読者諸君!諸君は知っておられるか?幾多の小説の中で幾多の愛人達を描いた小説家ロバァト・ルゥイス・スティヴンスン氏は、何と、齢四十にして未だ愛の何ものなるかを解せぬということを。だが、驚くことはない。試みに古来のあらゆる大作家を拉し来って、面と向って此の単純極まる質問を呈して見給え。愛とは何ぞや?と。して、彼等の心情経験の整理箱の中から其の直接の答を求めて見給え。ミルトンもスコットもスウィフトもモリエールもラブレエも、更にはシェイクスピア其の人さえもが、意外にも、驚くべき非常識、乃至、未熟を曝露するに違いないから。)
 所で、問題は要するに、作品と、作者の生活との開きだ。
 作品に比べて、悲しいことに、生活が(人間が)余りに低い。

 俺は、俺の作品のだしがら?スウプのだしがらの様な。
 今にして思う。俺は、物語を書くことしか今迄考えたことがなかった。
 その一つの目的に向って統一された生活を美しいとさえ自ら感じていた。
 勿論、作品を書くことが、同時に、人間修業にならなかった、とはいうまい。
 確かに、なった。しかし、それ以上に、人間的完成に資する所の多い途は無かったか?
 (他の世界――行為の世界は病弱な自分に対して閉されていたから、などというのは、卑怯な遁辞であろう。一生病床にいても、猶、修業の途はある。勿論、そうした病人の達成する所のものは、余りに偏ったものになりがちだが)
 自分は余りにも物語道(その技巧的方面)にのみ没入し過ぎてはいなかったか?
 漠然とした自己完成のみを目指して生活に一つの実際的焦点を有たぬ者(ソーローを見よ)の危険は、充分考慮に入れた上で、この事を言っているのだ。
 曾て大嫌いだった・之からも好きにはなれまい(というのは、今、南海の我が乏しき書庫に其の作物が一冊も並んでいないからだが)あのワイマアルの宰相のことを、ひょいと思う。
 あの男は、少くともスウプのだしがらではない。いや、逆に、作品が彼のだしがらなのだ。
 ああ!俺の場合は、文学者としての名声が、不当にも、俺の人間的完成(もしくは未熟)を追越し過ぎたのだ。恐るべき危険だ。
 ここ迄考えて来て、妙な不安を覚える。今の考を徹底させれば、俺の従来の作品の凡てを廃棄しなければならなくなるのではないか。
 之は絶望的な不安だ。今迄の俺の生活の絶対専制者「制作」よりも権威あるものが現れるということは。
 しかし一方、習、性となった・あの文字を連ねることの霊妙な欣ばしさ、気に入った場面を描写することの楽しさが、自分を捨去るとは、ゆめゆめ思えない。
 執筆は何時迄も俺の生活の中心であろうし、又、そうあって差支えないのだ。
 けれども――いや、恐れることはない。俺には勇気がある筈だ。
 俺は俺の上に起った変化を懼れずに迎えねばならぬ。
 蛹が蛾となって飛廻るためには、今迄自分の織成した美しい繭を無残に喰破らねばならぬのである。

十一月××日
 郵船日、エディンバラ版全集の第一巻到着。装幀、紙質その他、大体満足。
 書簡、雑誌等を一通り読終った後、欧羅巴にいる人達と私との間の考え方の距離が益々大きくなって来ていることを感じる。
 私が余り通俗(非文学的)になり過ぎたか、或いは本来彼等が余り狭い考え方に捉われているか、どちらかだ。
 曾て私は法律などを勉強する輩を嗤った。

(そのくせ私自身弁護士の資格を有っているのだから、おかしいが)
 法律とは或る縄張の中に於てのみ権威をもつもの。
 その複雑な機構に通暁することを誇って見たところで、それは普遍的な人間的価値をもつものではない、と考えたからだ。
 所で、今、私は、文学圏についても、それを言おうと思う。
 英国の文学、仏蘭西の文学、独逸の文学、せいぜい広い所で、欧米、乃至、白人種の文学。
 彼等はそういう縄張を設け、自己の嗜好を神聖なる規則の如きものに迄祭上げ、他の世界には通用しそうもない其の特殊な狭い約束の下に於てのみ、優越を誇っているように見える。
 之は白人種の世界の外にいる者でなければ判らない。
 勿論、このことは文学にだけ限るのではない。人間や生活やの評価の上にも、西欧文明は、或る特殊な標準を作上げ、それを絶対普遍のものと信じている。
 そういう限られた評価法しか知らない奴に、太平洋の土着民の人格の美点や、その生活の良さなど、てんで解りっこないのだ。

十一月××日
 南海の島から島へと渡り歩く白人行商人の中には、極く稀に(勿論、大部分は我利我利の奸譎な商人ばかりだが)次の二つの型の人間を見出すことがある。
 その一つは、小金を溜めて、故郷へ帰り余生を安楽に暮らそうというような量見(之が普通の南洋行商人の目的だ)を全然持合せず、唯、南海の風光、生活、気候、航海を愛し、南海を離れたくないがためにのみ、今の商売を止めないといった様な人間。
 第二は、南海と放浪とを愛する点では同様だが、之はずっと拗ねた烈しい行き方で、文明社会を故意に白眼視し、いわば、生きながら骨を南海の風雨に曝しているとでもいった虚無的な人間。
 今日、街の酒場で、この第二の型の人間の一人に出遭った。
 四十歳前後の男で、私の隣の卓子で独り飲んでいたのだ。(足を組んだ膝頭の辺をがくがく顫わせながら。)
 服装はひどいが、顔立は鋭く知的である。目の赤く濁っているのは明らかに酒のせいだが、荒れた皮膚に脣だけいやに紅いのは少々気持が悪い。
 僅か一時間足らずの会話だったが、此の男が英国一流の大学を出ていることだけは確かに分った。
 こんな港町には珍しい・完全な英語である。雑貨行商人だといい、トンガから来たが、次の船でトケラウスヘ渡るという。
(彼は勿論、私が誰であるかを知りはしない。)
 商売のことは何もしゃべらない。島々に白人の移入した悪質の病気のことを少し話した。
 それから、自分には何もないこと。妻も、子も、家も、健康も、希望も。

 何が彼をこんな生活へ入らせたか、という私の愚問に就いては、何といって名指せるような、小説めいた原因なんかありませんよ。
 それに、こんな生活とおっしゃるが、今の生活だって、そう特殊なものでもないでしょう?
 人間という形態をとって生れて来たという一層特殊な事情に比べればね、と笑いながら、軽い空咳をした。
 之は抗い難きニヒリズムである。家に帰って寝に就いてからも、此の男の言葉の・極めて叮嚀な・しかし救いの無い調子が耳について仕方がない。Strange are the ways of men.
 此処に定住する前、スクーナーで島々を経廻っていた間にも、私は実に色々な人間に遇った。白人は愚か、土人さえ稀なマルケサスの裏海岸に自分で小舎を作り、唯一人(海と空と椰子樹の間に全く唯一人)一冊のバアンズと一冊のシェイクスピアを友として住んでいる(そして少しの悔もなく其の地に骨を埋めようとしている)亜米利加人もいた。
 彼は船大工だったのだが、若い頃南洋のことを書いた書物を読んで熱帯の海への憧憬に堪えかね、竟に故国を飛出して其の島に来ると、其の儘住みついて了ったのだ。
 私が其の海岸に寄った時、彼は詩を作って贈って呉れた。
 或るスコットランド人は、太平洋の島々の中で最も神秘的なイースター島(其処では、今は絶滅した先住民族の残した怪異巨大な偶像が無数に、全島を蔽うている。)に暫く住んで死体運搬人を勤めた後、再び島から島への放浪を続けた。或る朝、船上で髭を剃っているとき、彼は背後から船長に呼掛けられた。
「おい!どうしたんだ?君は耳を剃落しちゃったじゃないか!」
 気が付くと、彼は自分の耳を剃落しており、しかも、それを知らなかったのだ。
 彼は直ちに意を決して、癲病島モロカイに移り住み、其処で、不平もなく悔もない余生を送った。その呪われた島を私が訪ねた時、此の男は極めて快活な様子で、過去の自分の冒険譚を聞かせて呉れた。
 アペママの独裁者テムビノクは今、どうしているかと思う。
 王冠の代りにヘルメット帽をかぶり、スカアトの様な短袴を着け、欧羅巴式の脚絆を巻いた、この南海のグスターフ・アドルフは大変に珍しいもの好きで、赤道直下の彼の倉庫にはストーヴがしこたま買込まれていた。
 彼は白人を三通りに区別していた。「余を少しく欺した者」「余を相当に欺した者」「余を余りにも酷く欺した者」。
 私の帆船が彼の島を立去る時、豪毅朴直な此の独裁者は、殆ど涙を浮かべて、「彼を少しも欺さなかった」私の為に、訣別の歌をうたった。
 彼は其の島で唯一人の吟遊詩人でもあったのだから。
 ハワイのカラカウア王はどうしているか?聡明で、しかし常に物悲しげなカラカウア。
 太平洋人種の中で私と対等にマックス・ミューラアを論じ得る唯一の人物。
 曾てはポリネシアの大合同を夢見た彼も、今は自国の衰亡を目前に、静かに諦観して、ハアバアト・スペンサーでも読耽っているのであろう。
 半夜、眠れぬままに、遥かの濤声に耳をすましていると、真蒼な潮流と爽やかな貿易風との間で自分の見て来た様々の人間の姿どもが、次から次へと限無く浮かんで来る。
 まことに、人間は、夢がそれから作られるような物質であるに違いない。
 それにしても、其の夢夢の、何と多様に、又何と、もの哀れにもおかしげなことぞ!

十一月××日
 ウィア・オヴ・ハーミストン第八章書上。
 この仕事も漸く軌道に乗って来たことを感ずる。やっと対象がはっきり掴めて来たという訳だ。書きながら自分でも何かどっしりした、分厚なものを感じている。
 「ジィキルとハイド」や「 誘 拐 」の場合も恐ろしく速く書けたが、書いている最中に確かな自信はなかった。
 もしかしたら素晴らしいものになっているかも知れないが、或いは又、てんで独りよがりの・恥ずべき駄作かも知れないという懼があった。
 筆が自分以外のものに導かれ追廻されている恰好だったからだ。
 今度は違う。同じく、楽に、速く進行してはいるが、今度は明かに自分が凡ての作中人物の手綱をしっかり抑えているのだ。

 出来栄の程度も、自分ではっきり判るように思う。昂奮した自惚によってでなく、落着いた計量によって。
 之は、最低の見積りによっても、「カトリオーナ」より上に位するものとなろう。
 まだ完結はしていないが、これは確かである。島の諺にいう。
「鮫か鰹か、は、尾を見ただけで判る」と。

十二月一日
 夜はまだ明けない。
 私は丘に立っていた。
 夜来の雨は漸くあがったが、風はまだ強い。直ぐ足下から拡がる大傾斜の彼方、鉛色の海を掠めて西へ逃げる雲脚の速さ。
 雲の断目から時折、暁近い鈍い白さが、海と野の上に流れる。
 天地は未だ色彩を有たぬ。北欧の初冬に似た、冷々した感じだ。
 湿気を含んだ烈風が、まともに吹付ける。大王椰子の幹に身を支え、辛うじて私は立っていた。
 何かしら或る不安と期待のようなものが心の隅に湧いて来るのを感じながら。
 昨夜も私は長いことヴェランダに出て、荒い風と、それに交る雨粒とに身をさらしていた。
 今朝も斯うやって強い風に逆らって立っている。何か烈しいもの、兇暴なもの、嵐のようなものに、ぐっとぶっつかって行きたいのだ。
 そうすることによって、自分を一つの制限の中に閉込めている殻を叩きつぶしたいのだ。

 何という快さだろう!四大の峻烈な意志に逆らって、雲と水と丘との間に屹然と独り目覚めてあることは!
 私は次第にヒロイックな気持になって行った。  O! Moments big as years. とか、  I die, I faint, I fail. とか、とりとめない文句を私は喚いた。
 声は風に千切られて飛んで行った。明るさが次第に、野に丘に海に加わって行く。
 何か起るに違いない。生活の残渣や夾雑物を掃出して呉れる何かが起るに違いないという欣ばしい予感に、私の心は膨れていた。
 一時間もそうしていたろうか。
 やがて眼下の世界が一瞬にして相貌を変じた。色無き世界が忽ちにして、溢れるばかりの色彩に輝き出した。
 此処からは見えない、東の巌鼻の向うから陽が出たのだ。
 何という魔術だろう!今迄の灰色の世界は、今や、濡れ光るサフラン色、硫黄色、薔薇色、丁子色、朱色、土耳古玉色、オレンジ色、群青、菫色――凡て、繻子の光沢を帯びた・其等の・目も眩む色彩に染上げられた。
 金の花粉を漂わせた朝の空、森、岩、崖、芝地、椰子樹の下の村、紅いココア殻の山等の美しさ。
 一瞬の奇蹟を眼下に見ながら、私は、今こそ、私の中なる夜が遠く遁逃し去るのを快く感じていた。

 昂然として、私は家に戻った。

二十

 十二月三日の朝、スティヴンスンは何時もの通り三時間ばかり、「ウィア・オヴ・ハーミストン」を口授して、イソベルに筆記させた。
 午後、書信を数通したため、夕方近く台所に出て来て、晩餐の支度をしている妻の傍で冗談口をききながら、サラダを掻きまぜたりした。
 それから、葡萄酒を取出すとて、地階へ下りて行った。
 瓶を持って妻の傍まで戻って来た時、突然、彼は瓶を手から落し、「頭が!頭が!」と言いながら其の場に昏倒した。
 直ぐに寝室に担ぎ込まれ、三人の医者が呼ばれたが、彼は二度と意識を回復しなかった。
 「肺臓麻痺を伴う脳溢血」之が医師の診断であった。

 翌朝、ヴァイリマは、土人の弔問客達から贈られた野生の花・花・花で埋められた。
 ロイドは、自発的に勤労を申出た二百人の土人を指揮して、未明から、ヴァエア山巓への道を斫り拓いていた。
 其の山頂こそ、スティヴンスンが、生前、埋骨の地と指定して置いた所だった。

 風の死んだ午後二時、棺が出た。逞しいサモア青年達のリレーによって、叢林中の新しい道を、山巓に向って運ばれるのである。
 四時、六十人のサモア人と、十九人の欧羅巴人との前で、スティヴンスンの身体は埋められた。
 海抜千三百呎、シトロンやたこの木に取囲まれた山頂の空地である。
 故人が、生前、家族や召使達の為に作った祈祷の一つが、その儘、唱えられた。
 噎せる程強いシトロンの香の立ちこめる熱い空気の中で、会衆は静かに頭を垂れた。
 墓前を埋めつくした真白な百合の花弁の上に、天鵞絨の艶を帯びた大黒揚羽蝶が、翅を休めて、息づいておった。…………

 老酋長の一人が、赤銅色の皺だらけの顔に涙の筋を見せながら、――生の歓びに酔いしれる南国人の・それ故にこそ、死に対して抱く絶望的な哀傷を以て――低く眩いた。
 「トファ(眠れ)!ツシタラ。」

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