十三
独・英・米三国に対する敗残の一マターファでは、帰趨は余りに明かであった。
マノノ島へ急航したビックフォード艦長は三時間の期限付で降服を促した。
マターファは投降し、同時に、追撃して来たラウペパ軍のためにマノノは焼かれ掠奪された。
マターファは称号剥奪の上、遥かヤルート島へ流謫され、彼の部下の酋長十三人もそれぞれ他の島々に追放された。
叛乱者側の村々への科料六千六百磅。
ムリヌウ監獄に投ぜられた大小酋長二十七人。之が凡ての結果であった。
躍気になったスティヴンスンの奔走も無駄になった。
流竄者は家族の帯同を許されず、又、何人との文通をも禁ぜられた。
彼等を訪ねることの出来るのは牧師だけである。スティヴンスンはマターファヘの書信と贈物とをカトリックの僧に託そうとしたが、拒絶された。
マターファは凡ての親しい者、親しい土地と切離され、北方の低い珊瑚島で、鹹気のある水を飲んでいる。
(高山渓流に富むサモアの人間は鹹水に一番閉口する。)
彼はどんな罪を犯したのか? サモアの古来の習慣に従って当然要求すべき王位を、遠慮して気永に待ち過ぎたという罪を犯しただけだ。
そのため、敵に乗ぜられ、喧嘩を売付けられ、叛逆者の名を宣せられたのである。
最後迄忠実にアピア政府に税金を納めていたのは彼であった。
首狩禁絶を主張する少数の白人の説を用いて、真先に之を部下に実行させたのは彼であった。彼は、白人をも含めた全サモア居住者の中で(とスティヴンスンは主張する。)最も嘘言を吐かぬ人間だ。
しかも、斯うした男の不幸を救う為に、スティヴンスンは何一つして遣れなかった。
マターファは彼をあんなに信頼していたのに。文通の手段の絶たれたマターファは恐らく、スティヴンスンのことを、親切そうなことを言いながら結局何一つ実際にはして呉れない白人(ありきたりの白人)に過ぎなかったのだと、失望しているのではないか?
戦死者の一族の女が、戦死の場所へ行って花蓆を其処に拡げる。
蝶とか其の他の昆虫が来て、それにとまる。一度追う。逃げる。又追う。逃げる。
それでも三度目に其処へとまりに来たら、それは其処で戦死した者の魂と見做される。
女は其の虫を叮寧に捕え、家に持帰って祀るのである。
こうした傷心の風景が随処に見られた。一方、投獄された酋長達が毎日苔打たれているという噂もあった。
こうした事を見聞するにつけ、スティヴンスンは、自らを、何の役にも立たぬ文士として責めた。久しく止めていたタイムズヘの公開状も再び書始められた。
肉体の衰弱と制作の不活溌とに加えて、自己に対し、世界に対しての、名状し難い憤りが、彼の日々を支配した。
十四
一八九三年十一月×日
いやな雨もよいの朝、巨きな雲。海の上に落ちた其の巨大な藍灰色の影。朝七時だというのに、まだ灯をつけている。
ベルはキニーネを必要とし、ロイドは腹をこわし、私は瀟洒たる小喀血。
何か不快な朝だ。我を取囲む錯雑せる悲惨の意識。
事物そのものに内在せる悲劇が作用いて救い難い暗さに迄私を塗込める。
生は常に麦酒と九柱戯ばかりではない。しかし、私は結局、事物の究極の適正を信ずる。
私が一朝眼覚めた時地獄に堕ちていようとも、私の此の信念は変るまい。
しかも、それにも拘わらず、依然として此の生の歩みは辛い。
私は私の歩み方の誤を認め、結果の前に惨めに厳粛に叩頭せねばならぬ。
…………さもあらばあれ、Il faut cultiver son jardin.だ。
憐れむべき人間共の智慧の最後の表現が之だ。私は再び私の・心進まぬ制作に立返る。
「ウィア・オヴ・ハーミストン」を又取上げ、又もてあましているのだ。
「セント・アイヴス」も遅々として進行しつつある。私は、自分が、今、知的生活を送る人間に通有の、一つの転換期にあるのだという事を知っているが故に、絶望はしない。
しかし、私が、私の文学の行詰りにぶっつかっているのは事実だ。
「セント・アイヴス」にも自信が持てない。安っぽい小説だ。
若い時に、何故、着実平凡な商売を選ばなかったかと、今、ふと、そんな気がする。
そういう商売にはいっていたら、今の様なスランプの時にも、立派に自分を支えて行けたろうに。私の技巧は私を見棄て、インスピレーションも、それから、私が永い間の英雄的な努力によって習得したスタイル迄が失われたように思われる。
スタイルを失った作家は惨めだ。今迄無意識に働かしていた不随意筋を、一々意志を以て動かさねばならないのだから。
しかし、一方「難破船引揚業者」の売行が大変良いそうだ。
「カトリオーナ」(デイヴィッド・バルフォアの改題)の方が不評で、あんな作品の方が売れるなどとは、皮肉だが、兎に角余り絶望しないで二番芽生を待つことにしよう。
今後私の健康が回復して、頭の方まで快くなるようなことは、到底あり得まいが。
但し、文学なるものは、考え方によれば、多少病的な分泌に違いないのだ。
エマアソンに言わせれば、人の智慧は其の人の有つ希望の有無多少によって計られるのだそうだから、私も希望を失わぬことにしよう。
だが、私は、どうしても芸術家としての自分を大したものと思うことが出来ぬ。
限界が余りに明かなのだ。私は自分を単に昔風の職人と考えて来た。
さて、今、其の技術が低下したとあっては? 今や私は、何の役にも立たぬ厄介者だ。
原因は唯二つ。二十年間の刻苦と、病気とだ。この二つが、牛乳から乳精をすっかり絞りつくして了ったのだ。…………
音高く、森の向うから、雨が近附いて来る。忽ち、屋根を叩く猛烈な響。湿った大地の匂。
爽かに、何かハイランド的な感じだ。窓から外を見れば、驟雨の水晶棒が万物の上に激しい飛沫を叩きつけている。
風。風が快い涼しさを運んで来る。雨はじきに過ぎたが、まだ近処を襲っている音だけは、ザアーッと盛んに聞えている。
雨垂の一滴が日本簾を通して私の顔にはねた。窓の前を屋根から、まだ雨水が小川のように落ちている。
快し!それは私の心の中にある何かに応えるもののようである。何に? はっきりしない。沼沢地の雨の古い記憶?
私はヴェランダに出て、雨垂の音を聞く。何かおしゃべりがしたくなる。
何を? 何か、こう苛烈なことを。自分の柄にもないことを。
世界は一つの誤謬であることに就いて、など。何故の誤謬? 別に仔細はない。
私が作品を巧く書けないから。それから又、大小様々の、余りに多くの下らないうるさい事が耳に入るから。
だが、其の、うるさい重荷の中でも、絶えず収入を得て行かねばならぬという永遠の重荷に比べられるものはない。
いい気持に寝ころがって、二年間も制作から離れていられる所があったら!
仮令それが癲狂院であっても、私は行かないであろうか?
十一月××日
我が誕生日の祝が、下痢のため一週間遅れて今日行われた。
十五頭の仔豚の蒸焼。百ポンドの牛肉。同量の豚肉。果物。レモネードの匂。コーヒーの香。クラレット・ヌガ。
階上階下共に、花・花・花。六十の馬繋ぎ場を急設する。
客は百五十人も来たろうか。三時頃から来て、七時に帰った。
海嘯の襲来のようだ。大酋長セウマヌが自分の称号の一つを私に贈って呉れた。
十一月××日
アピアヘ下り、街で馬車を雇って、ファニイ、ベル、ロイドと共に堂々と監獄へ乗りつけた。
マターファ部下の囚人達にカヴァと煙草との贈物をする為に。
鍍金鉄格子に囲まれた中で、我々は、わが政治犯達及び刑務所長ウルムブラント氏と共にカヴァを飲んだ。
酋長の一人が、カヴァを飲む時、先ず腕を伸ばして盃の酒を徐々に地に灌ぎ、祈祷の調子で斯う言った。
「神も此の宴に加わり給わんことを。この集りの美しさよ!」
但し、我々の贈ったのは、スピット・アヴァ(カヴァ)と云われる下等品なのだが。
近頃、召使共が少々怠けるので(といっても一般のサモア人と比べれば決して怠惰とは云えまい。「サモア人は一般に走らない。ヴァイリマの使用人だけは別だが。」と言った一白人の言葉に、私は誇を感ずる。)
タロロの通訳で彼等に小言を言った。一番怠けた男の給料を半減する旨言渡した。
其の男は大人しく頷いて、てれた笑い方をした。初めて此処ヘ来た頃、召使の給料を六志シリング減じたら、其の男は直ぐに仕事を止めた。
しかし、今では、彼等は私を酋長と見做しているらしい。
給金を減らされたのは、ティアという老人で、サモア料理(召使達の為の)のコックだが、実に完璧といっていい位見事な風貌の持主だ。
昔、南海に武名を轟かしたサモア戦士の典型と思われる体躯と容貌だ。
しかも、之が、箸にも棒にもかからない山師であろうとは!
十二月×日
快晴、恐ろしく暑い。監獄の酋長達に招かれ、午後、灼けるような四哩半を騎乗、獄中の宴に赴く。
先日の返礼の意味か? 彼等は自分達のウラ(深紅の種子を沢山緒に通した頸飾)を外して私の頸に掛けて呉れ、「我等の唯一の友」と私を呼ぶ。
獄中のものとしては頗る自由な盛んな宴であった。花筵十三枚、団扇三十枚、豚五頭、魚類の山、タロ芋の更に大きな山を、土産として貰う。
とても持ちきれないから、と断ると、彼等の曰く、「いや、是非、之等のものを積んでラウペパ王の家の前を通って帰って下さい。
屹度、王が嫉妬をやくから。」と。私の頸に掛けたウラも、元々ラウペパの欲しがっていたものだそうだ。
王へのあてつけが囚人酋長等の目的の一つなのだ。
贈物の山を車に積み、紅い頸飾りを着け、馬に跨がって、サーカスの行列宜しく、私はアピアの街の群集の驚嘆の中を悠々と帰った。
王の家の前をも通ったが、果して、彼が嫉妬を覚えたか、どうか。
十二月×日
難航の「退潮」やっと終る。悪作?
近頃引続いてモンテエニュの第二巻を読んでいる。
曾て二十歳前に、文体習得の目的を以て此の本を読んだことがあるのだから、全く呆れたものだ。あの頃、此の本の何が私に判ったろう?
斯うしたどえらい書物を読んだ後では、どんな作家も子供に見えて、読む気がしなくなる。
それは事実だ。しかし、それでも尚、私は、小説が書物の中で最上(或いは最強)のものであることを疑わない。
読者にのりうつり、其の魂を奪い、其の血となり肉と化して完全に吸収され尽すのは、小説の他にない。
他の書物にあっては、何かしら燃焼しきれずに残るものがある。
私が今スランプに喘いでいるのは一つの事、私が斯の道に限無い誇を感ずるのは他の事である。
土人、白人の両方に於ける不人望と、相続く紛争に対する引責とで、遂に政務長官フォン・ピルザッハが辞職した。
裁判所長も近く辞める筈。目下の所彼の法廷は既に閉じられているが、彼のポケットのみは、まだ俸給を受けるべく開かれている。
彼の後任はイイダ氏と内定の由。とにかく新政務長官来任迄は、昔のように、英米独領事の三頭政治だ。
アアナの方面に暴動の起りそうな形勢がある。
十五
マターファがヤルートヘ流された後も、土民の一揆は絶えなかった。
一八九三年の暮、曾てのサモア王タマセセの遺児が、トゥプア族を率いて兵を挙げた。
小タマセセは、王及び全白人の島外放逐(或いは殲滅)を標榜して起ったのだが、結局ラウペパ王麾下のサヴァイイ勢に攻められ、アアナで潰えた。
叛軍に対する所罰としては、銃五十梃の没収、未納の税金徴収、二十哩の道路工事等が課せられたに過ぎなかった。
前のマターファの場合の厳罰と比べて余りにも不公平である。
父のタマセセが昔、独逸人に擁立された虚器だった関係で、小タマセセには一部独逸人の支持があったからだ。
スティヴンスンは又、無益な抗議を方々に向って試みた。
小タマセセに厳罰を与えよ、というのでは、勿論ない。
マターファの減刑を求めたのだ。人々は最早、スティヴンスンがマターフアの名を口に出すと、笑出すようになった。
それでも彼はむきになって、本国の新聞や雑誌にサモアの事情を繰返し繰返し訴えた。
今度の騒ぎにも矢張首狩が盛んに行われた。首狩反対論者のスティヴンスンは、早速、首を斬取った者に対する所罰を要求した。
此の乱の始まる直前に、新任のチーフ・ジャスティスのイイダ氏が議会を通じて首狩禁止令を出しているのだから、之は当然である。
しかし、此の所罰は実際には行われなかった。スティヴンスンは憤った。
島の宗教家共が案外首狩に就いて無関心なのにも、彼は腹を立てた。
目下の所サヴァイイ族は飽く迄首狩を固執しているが、ツアマサンガ族は首の代りに耳を斬取るだけで我慢しているのだ。
かつてのマターファの如きは、部下に殆ど絶対に首を取らせなかった。
努力一つで必ず此の悪習は根絶できるのだと、彼は考えていた。
ツェダルクランツの失政のあとを受け、今度のチーフ・ジャスティスは次第に白人や土人の間に於ける政府の信用を回復しつつあるかに見えた。しかし、小規模の暴動や、土民間の紛争や、白人への脅迫は、一八九四年を通じて、何時も絶えることがなかった。
十六
一八九四年二月×日
昨夜例の如く離れの小舎で独り仕事をしていると、ラファエレが提灯とファニイからの紙片とを持ってやって来た。
うちの森の中に暴民共が多く集まっているらしいから、至急来て欲しい旨、書かれている。
跣足でピストルを携え、ラファエレと共に下りて行く。
途中でファニイの上って来るのに会う。一緒に家に入り、気味の悪い一夜を明かす。
タヌンガマノノの方から終夜、太鼓と喊声とが聞えた。
遥か下の街では月光(月は遅く出た)の下で狂乱を演じていたようだ。
うちの森にも確かに土民共が潜んでいるらしいが、不思議に騒がない。
ひっそりしている方が却って不気味だ。月の出ない前、碇泊中の独艦のサーチライトが蒼白い幅広の光芒を闇空に旋回させて、美しかった。
床に就いたが頸部のリウマチスが起って中々眠れない。
九度目に寝つこうとした時、怪しい呻声が下男部屋の方から聞えた。
頸を抑え、ピストルを持って、下男部屋へ行く。みんな未だ起きていてスウィピ(骨牌賭博)をやっている。
莫迦者のミシフォロが負けて大袈裟な呻声を発したのだ。
今朝八時、太鼓の音と共に巡邏兵風の土民の一隊が、左手の森から現れた。と、ヴァエア山に続く右手の森からも少数の兵が出て来た。
彼等は一緒になって、うちへ、はいって来た。せいぜい五十名位のものだ。
ビスケットとカヴァを馳走してやったら、大人しくアピア街道の方へ行進して行った。
莫迦げた威嚇だ。それでも領事連は昨夜一晩中眠れなかったろう。
先日街へ行った時、見知らぬ土人から青封筒の公式の書状を渡された。
脅迫状だ。白人は、王側の者と関係すべからず。彼等の贈物をも受取るべからず…………私がマターファを裏切ったとでも思っているのだろうか?
三月×日
「セント・アイヴス」進行中の所へ、六ヶ月以前に註文した参考書が漸く到着。
一八一四年当時の囚人が斯くも珍妙な制服を着せられ、一週二回ずつ髭を剃っていたとは!すっかり書きかえねばならなくなった。
メレディス氏より鄭重な手紙を戴く。光栄なり。「ビーチャムの生涯」は今なお南海に於ける我が愛読書の一つだ。
毎日オースティン少年の為に歴史の講義をしているほか、最近、日曜学校の先生をもしている。頼まれて面白半分しているのだが、今から菓子や懸賞などで子供達を釣っている始末だから、何時迄続くか分らぬ。
バクスタアとコルヴィンとの立案で、私の全集を出そうと、チャトオ・アンド・ウィンダス社から言って来る。
スコットの四十八巻のウェイヴァリ・ノヴルズと同じ様な赤色の装釘で、全二十巻、千部限定版とし、私の頭文字を透かし入りにした特別の用紙を使うのだそうだ。
生前に、こんな贅沢なものを出して貰う程の作家であるか、どうかは、些か疑問だが、友人達の好意は全く有難い。
しかし、目次を一見して、若い時分の汗顔もののエッセイだけは、どうしても削って貰わねばならぬと思う。
私の今の人気(?)が何時迄続くものか、私は知らない。
私は未だに大衆を信ずることが出来ない。彼等の批判は賢明なのか、愚かしいのか?
混沌の中からイリアッドやエネイドを選び残した彼等は、賢いといわねばなるまい。
しかも、現実の彼等が義理にも賢明といえるだろうか?
正直な所、私は彼等を信用していないのだ。しかし、それなら私は一体誰の為に書く?
矢張、彼等の為に、彼等に読んで貰う為に書くのだ。
その中の優れた少数者の為に、などというのは、明らかに嘘だ。
少数の批評家にのみ褒められ、その代り大衆に顧みられなくなったとしたら、私は明らかに不幸であろう。
私は彼等を軽蔑し、しかも全身的に彼等に凭りかかっている。
我が儘息子と、無知で寛容な其の父親?
ロバァト・ファーガスン。ロバァト・バアンズ。ロバァト・ルゥイス・スティヴンスン。
ファーガスンは来るべき偉大なものを予告し、バアンズは其の偉大なものを成しとげ、私は唯其の糟粕を嘗めたに過ぎぬ。
スコットランドの三人のロバァトの中、偉大なるバアンズは別として、ファーガスンと私とは余りに良く似ていた。
青年時代の或る時期に私は(ヴィヨンの詩と共に)ファーガスンの詩に惑溺していた。
彼は私と同じ都に生れ、同じ様に病弱で、身を持ち崩し、人に嫌われ、悩み、果は、(之だけは違うが)癲狂院で死んで行った。
そして彼の美しい詩も今では殆ど人に忘れられているのに、彼よりも遥かに才能に乏しいR・L・S・の方は兎も角も今迄生きのび、豪華な全集まで出版されようというのだ。
この対比が心を傷ませてならぬ。
五月×日
朝、胃痛ひどく、阿片丁幾チンキ服用。ために、咽喉が涸き、手足の痺れるような感じが頻りにする。部分的錯乱と、全体的痴呆。
最近アピアの週刊御用新聞が盛んに私を攻撃し出した。
しかも、ひどく口汚く。近頃の私は最早政府の敵ではない筈で、事実、新長官のシュミット氏や今度のチーフ・ジャスティスとも、かなり巧く行っているのだから、新聞を唆しているのは領事連に違いない。
彼等の越権行為を私が屡々攻撃しているからだ。今日の記事など、実に陋劣だ。
初めは腹が立ったが、近頃は寧ろ光栄を覚えるくらいだ。
「見よ。これが俺の位置だ。俺は森の中に住む一平凡人だのに、何と彼等が俺一人を目の敵にやっきとなることか!彼等が毎週繰返して、俺には勢力が無いと吹聴せねばならぬ程、俺は勢力を有っている訳だ。」
攻撃は街からばかりではない。海を越えて遥か彼方からもやって来る。
こんな離れ島にいても尚、批評家共の声は届くのだ。
何と色々な事を言う奴が多いことだ!おまけに、褒める者も貶す者も、共に誤解の上に立っているのだから遣り切れない。
褒貶に拘わらず兎に角私の作品に完全な理解を示して呉れるのは、ヘンリイ・ジェイムズ位のものだ。(しかも、彼は小説家であって、批評家ではない。)
優れた個人が或る雰囲気の中に在ると、個人としては想像も出来ぬような集団的偏見を有つに至るものだ、という事が、斯うして、狂える群より遠く離れた地位にいると、実に良く解るような気がする。
此の地の生活の齎した利益の一つは、ヨーロッパ文明を外部から捉われない眼で観ることを学んだ点だ。
ゴスが言っているそうだ。「チャリング・クロスの周囲三哩以内の地にのみ、文学は在り得る。
サモアは健康地かも知れないが、創作には適さない所らしい。」と。
或る種の文学に就いては、之は本当かも知れぬ。が、何という狭い捉われた文学観であろう!
今日の郵船で着いた雑誌類の評論を一わたり見ると、私の作品に対する非難は、大体、二つの立場から為されているようだ。
即ち、性格的な或いは心理的な作品を至上と考えている人達からと、極端な写実を喜ぶ人達からと、である。
性格的乃至心理的小説と誇称する作品がある。何とうるさいことだ、と私は思う。
何の為にこんなに、ごたごたと性格説明や心理説明をやって見せるのだ。
性格や心理は、表面に現れた行動によってのみ描くべきではないのか?
少くとも、嗜みを知る作家なら、そうするだろう。吃水の浅い船はぐらつく。
氷山だって水面下に隠れた部分の方が遥かに大きいのだ。
楽屋裏迄見通しの舞台のような、足場を取払わない建物のような、そんな作品は真平だ。
精巧な機械程、一見して単純に見えるものではないか。
さて、又一方、ゾラ先生の煩瑣なる写実主義、西欧の文壇に横行すと聞く。
目にうつる事物を細大洩らさず列記して、以て、自然の真実を写し得たりとなすとか。
その陋や、哂うべし。文学とは選択だ。作家の眼とは、選択する眼だ。
絶対に現実を描くべしとや? 誰か全き現実を捉え得べき。
現実は革。作品は靴。靴は革より成ると雖も、しかも単なる革ではないのだ。
「筋の無い小説」という不思議なものに就いて考えて見たが、よく解らぬ。
文壇から余りに久しく遠ざかっていたため、私には最早若い人達の言葉が理解できなくなって了ったのだろうか。
私一個にとっては、作品の「筋」乃至「話」は、脊椎動物に於ける脊椎の如きものとしか思われない。
「小説中に於ける事件」への蔑視ということは、子供が無理に成人っぽく見られようとする時に示す一つの擬態ではないのか?
クラリッサ・ハアロウとロビンソン・クルーソーとを比較せよ。
「そりゃ、前者は芸術品で、後者は通俗も通俗、幼稚なお伽話じゃないか」と、誰でも云うに決っている。
宜しい。確かに、それは真実である。私も此の意見を絶対に支持する。
ただ、此の言を為した所の人が、果して、クラリッサ・ハアロウを一度でも通読したことがあるか、どうか。
又、ロビンソン・クルーソーを五回以上読んだことがないか、どうか、それが些か疑わしいだけのことだ。
之は非常にむずかしい問題だ。ただ云えることは、真実性と興味性とを共に完全に備えたものが、真の叙事詩だということだ。之をモツァルトの音楽に聴け。
ロビンソン・クルーソーといえば、当然、私の「宝島」が問題になる。
あの作品の価値に就いては暫く之を措くとするも、あの作品に私が全力を注いだという事を大抵の人が信じて呉れないのは、不思議だ。
後に「誘拐」や「マァスタア・オヴ・バラントレエ」を書いた時と同じ真剣さで、私はあの書物を書いた。
おかしいことに、あれを書いている間ずっと、私に、それが少年の為の読物であることをすっかり忘れていたらしいのだ。
私は今でも、私の最初の長篇たる・あの少年読物が嫌いではない。
世間は解って呉れないのだ、私が子供であることを。
所で、私の中の子供を認める人達は、今度は、私が同時に成人だということを理解して呉れないのだ。
成人、子供、ということで、もう一つ。英国の下手な小説と、仏蘭西の巧い小説に就いて。
(仏蘭西人はどうして、あんなに小説が巧いんだろう?)
マダム・ボヴァリイは疑もなく傑作だ。オリヴァア・トゥイストは、何という子供じみた家庭小説であることか!
しかも、私は思う。成人の小説を書いたフロオベェルよりも、子供の物語を残したディッケンズの方が、成人なのではないか、と。
但し、此の考え方にも危険はある。斯かる意味の成人は、結局何も書かぬことになりはしないか?
ウィリアム・シェイクスピア氏が成長してアール・オヴ・チャタムとなり、チャタム卿が成長して名も無き一市井人となる。(?)
同じ言葉で、めいめい勝手な違った事柄を指したり、同じ事柄を各々違った、しかつめらしい言葉で表現したりして、人々は飽きずに争論を繰返している。
文明から離れていると、この事の莫迦らしさが一層はっきりして来る。
心理学も認識論も未だ押寄せて来ない此の離れ島のツシタラにとっては、リアリズムの、ロマンティシズムのと、所詮は、技巧上の問題としか思えぬ。
読者を引入れる・引入れ方の相違だ。読者を納得させるのがリアリズム。
読者を魅するものがロマンティシズム。
七月×日
先月来の悪性の感冒も漸く癒え、この二三日、続けて、碇泊中のキューラソー号へ遊びに行っている。
今朝は早く街へ下り、ロイドと共に政務長官エミイル・シュミット氏の所で朝食をよばれた。
それから揃ってキューラソー号に行き、昼食も艦上で済ます。
夜はフンク博士の所でビーア・アーベント。ロイドは早く帰り、私一人ホテル泊りの積りで、遅く迄話し込んだ。
さて、その帰途、頗る妙な経験をした。面白いから、書留めて置こう。
ビールの後で飲んだバーガンディが大分利いたと見え、フンク氏の家を辞した時は、かなり酩酊していた。
ホテルヘ行くつもりで四五十歩あるいた頃迄は、「酔っているぞ。気を付けなければ」と自分で警戒する気持も多少はあったのだが、それが何時の間にか緩んで、やがて、あとは何が何やら、まるで解らなくなって了った。
気がつくと、私は黴のにおいのする暗い地面に倒れていた。
土臭い風が生温く顔に吹きつけていた。その時、うっすらと眼覚めかけた私の意識に、遠方から次第に大きくなりつつ近づいて来る火の玉の様に、ピシャリと飛付いたのは、――あとから考えると全く不思議だが、私は、地面に倒れていた間中、ずっと、自分がエディンバラの街にいるものと感じていたらしいのだ――「ここはアピアだぞ。エディンバラではないぞ」という考であった。此の考が閃くと、一時はっと気が付きかけたが、暫くして再び意識が朦朧とし出した。
ぼんやりした意識の中に妙な光景が浮び上って来た。
往来で俄かに腹痛を催した私が、急いで傍にあった大きな建物の門をくぐって不浄場を借りようとすると、庭を掃いていた老人の門番が「何の用です?」と鋭く咎める。
「いや、一寸、手洗場を。」「ああ、そんなら、よござんす。」と言って、うさん臭そうに、もう一度私の方を眺めてから再び箒を動かし始める。
「いやな奴だな。何が、そんならよござんすだ。」…………それは確かに、もうずっと昔、何処かで――これはエディンバラではない。
多分カリフォルニアの或る町で――実際に私の経験したことだが…………ハッと気がつく。
私の倒れている鼻の先には、高い黒い塀が突立っている。
夜更のアピアの街のこととて何処も彼処も真暗だが、此の高い塀は、其処から二十碼ばかり行くと切れていて、その向うには、どうやら薄黄色い光が流れているらしい。
私はよろよろ立上り、それでも傍に落ちていたヘルメット帽を拾って、其の黴臭い・いやなにおいのする塀――過去の、おかしな場面を呼起したのは、此のにおいかも知れぬ――を伝って、光のさす方へ歩いて行った。
塀は間もなく切れて、向うをのぞくと、ずっと遠くに街灯が一つ、ひどく小さく、遠眼鏡で見た位に、ハッキリと見える。
そこは、やや広い往来で、道の片側には、今の塀の続きが連なり、その上に覗き出した木の茂みが、下から薄い光を受けながら、ざわざわ風に鳴っている。
何ということなしに、私は、其の通を少し行って左へ曲れば、ヘリオット・ロウ(自分が少年期を過したエディンバラの)の我が家に帰れるように考えていた。
再びアピアということを忘れ、故郷の街にいる積りになっていたらしい。
暫く光に向って進んで行く中に、ひょいと、しかし今度は確かに眼が覚めた。
そうだ。アピアだぞ、此処は。――すると、鈍い光に照らされた往来の白い埃や、自分の靴の汚れにもハッキリ気が付いた。
ここはアピア市で、自分は今フンク氏の家からホテル迄歩いて行く途中で、…………と、其処で、やっと完全に私は意識を取戻したのだ。
大脳の組織の何処かに間隙でも出来ていたような気がする。
酔っただけで倒れたのではないような気がする。或いは、こんな変な事を詳しく書留めて置こうとすること自体が、既に幾分病的なのかも知れない。
八月×日
医者に執筆を禁じられた。全然よす訳には行かないが、近頃は毎朝二三時間畑で過すことにしている。
之は大変工合が良いようだ。ココア栽培で一日十磅も稼げれば、文学なんか他人に呉れてやってもいいんだが。
うちの畑でとれるもの――キャベツ、トマト、アスパラガス、豌豆、オレンジ、パイナップル、グースベリィ、コール・ラビ、バーバディン、等。
「セント・アイヴス」も、そう悪い出来とは思わないが、兎角、難航だ。
目下、オルムのヒンドスタン史を読んでいるが、大変面白い。十八世紀風の忠実な非抒情的記述。
二三日前突然、碇泊中の軍艦に出動命令が下り、沿岸を廻航してアトゥア叛民を砲撃することになった由。
一昨日の午前中、ロトゥアヌウからの砲声が我々を脅した。今日も遠く殷々たる砲声が聞える。
八月×日
ヴァイレレ農場にて野外乗馬競技あり。身体の工合が良かったので参加した。
十四哩余り乗廻す。愉快極まりなし。野蛮な本能への訴え。昔日の欣びの再現。
十七歳に還ったようだ。「生きるとは欲望を感ずることだ。」と、草原を疾駆しながら、馬上、昂然と私は思うた。
「青春の頃女体に就いて感じたあの健全な誘惑を、あらゆる事物に感じることだ。」と。
所で、日中の愉快に引きかえて、夜の疲労と肉体的苦痛とは全くひどかった。
久しぶりに有つことのできた楽しい一日の後だけに、此の反動はすっかり私の心を暗くした。
昔、私は、自分のした事に就いて後悔したことはなかった。
しなかった事に就いてのみ、何時も後悔を感じていた。
自分の選ばなかった職業、自分の敢てしなかった(しかし確かに、する機会のあった)冒険。
自分のぶつからなかった種々の経験――其等を考えることが、慾の多い私をいらいらさせたものだ。
所が、近頃は最早、そうした行為への純粋な慾求が次第になくなって来た。
今日の昼間のような曇りのない歓びも、もう二度と訪れることがないのではないかと思う。
夜、寝室に退いてから、疲労のための、しつこい咳が喘息の発作のように激しく起り、又、関節の痛みがずきずきと襲って来るにつけても、いやでも、そう思わない訳に行かない。
私は長く生き過ぎたのではないか? 以前にも一度死を思うたことがある。
ファニイの後を追うてカリフォルニア迄渡って来、極度の貧困と極度の衰弱との中に、友人や肉親との交通も一切断たれたまま・ 桑 港 の貧民窟の下宿に呻吟していた時のことだ。
その時私は屡々死を思うた。しかし、私は其の時迄に、まだ、我が生の記念碑ともいうべき作品を書いていなかった。
それを書かない中は、何としても死なれない。それは、自分を励まし自分を支えて来て呉れた貴い友人達(私は肉親よりも先ず友人達のことを考えた。)への忘恩でもある。
それ故、私は、食事にも事欠くような日々の中で、歯を喰縛りながら、「パヴィリヨン・オン・ザ・リンクス」を書いたのだ。
所が、今は、どうだ。既に私は、自分に出来るだけの仕事を果して了ったのではないか。
それが記念碑として優れたものか、どうかは別として、私は、兎に角書けるだけのものを書きつくしたのではないか。
無理に、――この執拗な咳と喘鳴と、関節の疼痛と、喀血と、疲労との中で――生を引延ばすべき理由が何処にあるのだ。
病気が行為への希求を絶って以来、人生とは、私にとって、文学でしかなくなった。
文学を創ること。それは、歓びでもなく苦しみでもなく、それは、それとより言いようのないものである。
従って、私の生活は幸福でも不幸でもなかった。私は蚕であった。
蚕が、自らの幸、不幸に拘わらず、繭を結ばずにいられないように、私は、言葉の糸を以て物語の繭を結んだだけのことだ。
さて、哀れな病める蚕は、漸くその繭を作り終った。
彼の生存には、最早、何の目的も無いではないか。「いや、ある。」と友人の一人が言った。
「変形するのだ。蛾になって、繭を喰破って、飛出すのだ。」これは大変結構な譬喩だ。
しかし、問題は、私の精神にも肉体にも、繭を喰破るだけの力が残っているか、どうかである。