狂歌百人一首 大田南畝
 秋の田のかりほの庵の歌がるた
とりそこなつて雪はふり抛りつつ 天智天皇

 いかほどの洗濯なればかぐ山で 衣ほすてふ持統天皇
持統天皇

 あし引の山鳥のをのしだりがほしたり顔
人丸ばかり歌よみでなし 柿本人丸

 白妙のふじの御詠で赤ひとの 鼻の高ねに雪はふりつつ
山邊赤人

 鳴く鹿の聲聞くたびに涙ぐみ
猿丸大夫いかいえらい愁たん 猿丸大夫

 その儘に置くしもの句をかり橋の
白きをみれば夜ぞ更にける  中納言家持

 仲麿はいかいはぶし歯節の達者もの
三笠の山にいでし月かも噛まん 安部仲麿

 わが菴はみやこの辰巳午ひつじ 申酉戌亥子丑寅う治
喜撰法師

 衣通の歌の流義におのづから
うつりにけりな女どし女同士故 小野小町

 四の緒琵琶のことをばいはずせみ丸の
お歌の中にもの字四ところ 蝉丸

 こゝまでは漕出けれどことづてを 一寸たのみたい海士の釣舟
議篁

 吹きとぢよ少女の姿暫しとは
まだ未練なるむねさだ遍昭の俗名のぬし 僧正遍昭

 みなの川みなうそばかりいふ中に
戀ぞ積りて淵はげうさん  陽成院

 陸奧のしのぶもぢもぢわが事
をわれならなくになどと紛らす  河原左大臣

 光孝孝行を掛けると何かいふらん君がため
若菜を摘むは忠義天皇  光孝天皇

 行平は狐のまねをしられけり
まつとし聞けば今歸りこん 中納言行平

 千早振神代も聞かぬ御趣向を
よくよみえたり在五中將 在原業平朝臣

 とし行といふはもつとも住の江の
岸による波顔による波 藤原敏行朝臣

 難波がたみじかき蘆を伊勢ならば
たゞ濱荻と詠みそうなもの 伊勢 難波の蘆は伊勢の濱荻

 詫ぬれば鯉のかはりによき鮒の
みを造りても飮まんとぞ思ふ 元良親王

 今來んといひし計りに出でこぬは
素性法師の弟子か師匠か 素性法師

 喰ふからに汗のお袖の萎るれば
むべ豆粥をあつしといふらん 文屋康秀

 月みれば千々に芋こそ喰たけれ
我身一人のすきにはあらねど 大江千里

 このたびはぬさも取敢ず手向山 まだその上にさい錢もなし 菅家

 三條の右大臣なら前に居る 河原の左大臣はなじみか 三條右大臣

 小倉山みねのもみぢ葉心あらば 貞信公に御返歌をせん  貞信公

 泉河いづみきとてかかね輔
 がとなりの娘戀しかるらん 中納言兼輔

 山里は冬ぞさびしさまさりける
やはり市中がにぎやかでよい 源宗于朝臣

 心あてに吸はばや吸はん初しもの
昆布こぶまどはせる鹽だしの汁 凡河内躬恒

 在明のつれなくみえしわかれより
曉ばかりおこるしやくかな 壬生忠峯

 是則がまだめのさめぬ朝ぼけに
在明の月とみたるしら雪 坂上是則

 質藏にかけし赤地のむしぼしは
ながれもあへぬ紅葉なりけり 春道列樹

 ひさかたの光のどけき春の日に 紀の友則がひるね一時  紀友則

 誰をかも仲人にして高砂の 尉と姥とのなかよかるらん 藤原興風

 人はいざどこともしらず貫之が
 つらつらつらとよみし故郷は 紀貫之

 夏の夜は未だ宵ながらよく寢れば
げに鱶やぶ野夫と名をやいふらん 清原深養父

 かぜの吹く秋の野のみか瀧壺も
つらぬきとめぬ玉ぞちりける 文屋朝康

 忘らるゝ身をば思はず誓ひてし 人のいのちの世話ばかりする 右近

 徳利とつくりはよこにこけしに豆腐汁
あまりてなどか酒のこひしき 參議等

 留むれどよそに出にけり小息子は
うちに居るかと人の問ふ迄 平兼盛

 召せといふわか菜の聲は立にけり
人知れずして春になりしか 壬生忠見

 清はらの元輔といふ御名にて
お歌は末の松山といふ 清原元輔

 またしてもじゝとばゝとのくりごとに
 昔は物を思はざりけり 中納言敦忠

 すく人の絶えてしなくば眞桑瓜まくはうり
皮をもみをもかぶらざらまし 中納言朝忠

 初松魚くふべき客は不參にて
みのいたづらになりぬべきかな 謙徳公

 由良のとを渡る舟人菓子をたべ
お茶のかはりに鹽水を飮む 曾禰好忠

 八重むぐら茂れる宿のさびしさに
 惠慶法師のあくび百遍 惠慶法師

 花見んともちしさゝえ竹筒、酒器をぶちおとし
碎けてものを思ふ頃かな 源重之

 御かき守衞士のこく屁によし宣が
鼻かゝへつゝ物をこそ思へ 大中臣能宣朝臣

 めいていにすゝる海鼠腸このわた味よくて
長くもがなと思ひけるかな 藤原義孝

 かくとだにえやはいぶきのさしも草 なくば灸治はほくちなるらん
 ほくち=火打ち石の火花を移し取るもの 藤原實方

 明けぬればくるゝものとは御存ごぞんじの
道信どのも朝ね四つ時 藤原道信

 醉ひ潰れ獨ぬるよの明くる間は
ばかに久しきものとかはしる 右大將道綱朝臣(道綱母)

 よみ歌のうへならばこそいふだあろ
今日を限りの命なれとは 儀同三司母

 瀧の音は絶えて久しくなりぬると
いふはいかなる旱魃かんばつのとし 大納言公任

 あらざらん未來みらいのためのくりごとに
今一度の逢ふこともがな 和泉式部

 名ばかりは五十四帖にあらはせる 雲がくれにし夜半の月かな
 源氏物語に雲隱の卷、名のみにて文なし 紫式部

 有あひの棚の酒さゝをば呑むときは
ゆでさや豆をさかなとぞする 大貳三位

 赤染がいねぶりをしておつむりも
かたぶく迄の月をみしかな 赤染衞門

 大江山いく野のみちのとほければ
酒呑童子のいびききこえず 小式部内侍

 いにしへのならのみやこの八重櫻
さくらさくらと謠はれにけり 伊勢大輔

 夜を籠て鳥のまねしてまづよしに
せい少納言よく知つてゐる 清少納言

 今はたゞ思ひ絶えなんとばかりを
人傳ならでどうぞいひたい 左京大夫道雅

 朝ぼらけ宇治の川邊に定頼が
めをこすりつゝ瀬々のあじろ木 權中納言定頼

 うらみ侘びほさぬ袖だにあるものを
此四五日は雨の日ぐらし 相模

 眼と口と耳と眉毛のなかりせば
はなよりほかに知る人もなし 前大僧正行尊

 春の夜の聲ばかりなる轉寢に
ねちがひしたるくびぞいたけれ 周防内侍

 友もなく酒をもなしに眺めなば
いやになるべき夜半の月かな 三條院

 嵐吹く三室の山のもみぢ葉は
たつた今のまにちり失せにけり 能因法師

 淋しさに宿を立出でながめたり
煙草呑んだり茶をせんじたり 良暹法師

 夕されば門田のいなばおとづれて
權兵衞内なら一合やらうか 大納言經信

 赤をいざやくばらん鳥のふん
かなしや袖のゆれもこそすれ 祐子内親王家紀伊

 高砂の尾の上の櫻咲きにけり
こゝからなりとみつゝ飮まばや 前中納言匡房

 とし頼はさむさも強し山おろし
はげしかれとは祈らぬものを 源俊頼朝臣

 ふる懸かけをとりしばかりを命にて
あはれ今年のあきなひもなし 藤原基經(基俊)

 法性寺入道さきの關白を
半分ほどでおきつしら波 法性寺入道前關白太政大臣

 燒つぎにやりなばよしや此徳利
われても末にあわんとぞ思ふ 崇徳院

 淡路島かよふ千鳥の鳴く聲に また寢酒のむ須磨の關もり 源兼昌

 顯輔がうつゝぬかして雲まより
もれいづる月の影に仰むく 左京大夫顯輔

 二宵にすはんと思ふ地玉子の
みだれてけさはものをこそ思へ 待賢門院堀河

 郭公なきつるかたにあきれたる
後徳大寺がありあけのかほ 後徳大寺左大臣

 思ひ侘び偖も命はあるものを
うきにたへぬはなんだべらぼう 道因法師

 鞠の皮筆毛の用にとりつくし
山の奧にも鹿ぞ[無]なる 皇太后宮大夫俊成

 あと戻りする世の中もあれかしな
うしとみしよぞ今は戀しき 藤原清輔

 夜もすがら物思ふ頃は明やらで
あらふものなら世界くらやみ 俊惠法師

 何ゆゑか西行ほどの強勇ごうゆう
月の影にてしほしほとなく 西行法師

 むらさめの道のわるさの下駄のはに
はらたちのぼる秋の夕暮 寂蓮法師

 なには江の蘆のかりねの一夜たび
皇嘉門院辨當御持參 皇嘉門院別當

 玉の緒よ絶えなば絶えねなどといひ
今といつたら先お斷り 式子内親王

 あとさきの紀伊も讚岐も袖濡れて
殷富門院矢張同斷 殷富門院大輔

 きりぎりすなくや霜夜のさむしろに
後京極殿寢たり起きたり 御京極攝政前太政大臣

 わが袖は鹽みづふきし沖の石の
人こそ知らねかはくまもなし 二條院讚岐

 波かぜの常にかはれば渚こぐ
あまの小舟の船人かなしも 鎌倉右大臣

 衣うつ音にびつくり目をさまし
 ところで一首つづる雅經 參議雅經

 この廣い浮世の民をおほふとは
いかい大きなすみぞめの袖 前大僧正慈圓

 花さそふあらしの庭の雪ならで
ふりゆくものは牛のきんたま 入道前太政大臣

 定家ていかどのさても氣ながくこぬ人と
知りてまつほの浦のゆふ暮 權中納言定家

 風そよぐならの小川の夕ぐれに
薄著をしたる家隆かりうくつしやみ 正三位家隆

 後鳥羽どのことばつづきの面白く
世を思ふゆゑに物思ふ身は 後鳥羽院

 百色もゝいろの御歌のとんとおしまひに
もゝしきやとは妙に出あつた 順徳院

狂歌百人一首 了

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