曙 染  與謝野晶子

 春曙抄に 伊勢をかさねてかさ足らね
枕はやがて くづれけるかな

 あゝ野の路 君とわかれて三十歩
また見ぬ顔に 似る秋の花

 ほととぎす 聴きたまひしか聴かざりき
水のおとする よき寝覚かな

 海恋し 潮の遠鳴りかぞへては
少女となりし 父母の家

 加茂川に 小舟もちゐる五月雨
われと皷を あやぷみましぬ

 鎌倉や 御仏なれど釈迦牟尼は
美男におはす 夏木立かな

 おもはれて 今年えうなき舞ごろも
篋に黄金の 釘うたせけり

 養はるる 寺の庫裏なる雁来紅
輪袈裟は掛けで 鶏おはましを

 ほととぎす 治承寿永のおん国母
三十にして 経よます寺

 わが恋は 虹にもまして美しき
いなづまとこそ 似むと願ひぬ

 聖マリヤ 君にまめなるはした女と
壇に戒えむ 日も夢みみにし

 頬よすれば 香る息はく石の獅子
ふたつ栖むなる 夏木立かな

 髪に挿せば かくやくと射る夏の日や
王者の花の こがねひぐるま

 紅させる 人衆おほき祭街
きやり唄はむ 男と生ひぬ


 紅の緒の金皷よせぬとさまさばや
よく寝る人をにくむ湯の宿


 今日のむかし前髪あげぬ十三を
画にせし人に罪ありや無し


 誰が罪ぞ永劫くらきうづしほの
中にさそひし玉と泣くひと

 里ずみの春雨ふれば傘さして
君とわが植う海棠の

 ほととぎす過ぎぬたまたま王孫の
金の鎧を矢すべるものか

 さくらちる春のゆふべや廃院の
あるじ上臈赤裳ひいて来

 花のあたりほそき滝する谷を見ぬ
長谷の御寺の有明の月

 掛け香のけむりひまなき柱をば
白き錦につつませにけり

 三井寺や葉わか楓の木下みち
石も啼くべき青あらしかな

 棹とりの矢がすり見たる舟ゆゑに
浪も立てかししら蓮の池

 姉なれば黒き御戸帳まづ上げぬ
父まつる日のものの冷たき

 更くる夜をいとまたまはぬ君わびず
隅にしのびて皷緒しめぬ

 きりぎりす葛の葉つづく草どなり
笛ふく家と琴ひく家と

 蓮を斫り菱の実とりし盥舟
その水いかに秋の長雨

 青雲を高吹く風に声ありて
讃じたまひし恋にやはあらぬ

 斯くは生ひてふりわけ髪の世も知らず
古りし磬うつ深院のひと

 春日の宮わか葉のなかのむらさきの
藤のしたなる石の高麗狗

 第一の美女に月ふれ千人の
姫に星ふれ牡丹饗せむ

 このあたり君が肩よりたけあまり
草ばな白く飛ぷ秋の鳥

 家鼬尾たるる相のむかしがほや
瓜ひとめぐり嗅ぎても往ぬる

 才なさけ似ざるあまたの少女見む
われをためしに引くと聞くゆゑ

 わが恋はいさなつく子か鮪釣りか
沖の舟見て見てたそがれぬ

 白きちさき牡丹おちたり憂かる身の
柱はなれし別れの時に

 星よびて地にさすらはす洪量の
人と思ふに批もうちがたき

 花に見ませ王のごとくもただなかに
男は女をつつむうるはしき蕋

 在さぬ二夜名しらぬ虫を籠に飼ひぬ
寝がての歌は彼れに聞きませ

 耳かして身ほろぶ歌と知りたまへ
画ならばただに見てもあるべき

 ややひろく廂だしたる母屋づくり
木の香にまじるたちばなの花

 祭の日葵橋ゆく花がさの
なかにも似たる人を見ざりしz

 精好の紅としら茶の金襴の
はりませ箱に住みし小皷

 杉のうへに茅渟の海見るかつらぎや
高間の山に朝立ちぬ我れ

 八月や水蘆いとうたけのびて
われ喚びかねつ馬あらふひと

 夕かぜの河原へ出づる小棧橋
いそぎたまふにまへざし落ちぬ

 眉つくるちさき盥に水くみて
兎あらふを見にきまさぬか

 今日みちて今日たらひては今日死なむ
明日よ昨日よわれに知らね名

 木曾の朝を馬子も御主も少女笠
鞍に風ふくあけぽの染に

 月あると同車いなみしとが負ひて
歌おほくよむ夜のほととぎす

 むらさきの蓮に似ませる客人や
荷葉の水に船やりまつる

 蚊やりしばし君にゆだねしけぶりゆゑ
おぼろになりし月夜と云ひぬ

 紅しぼり緋むくなでしこ底くれなゐ
我にくらべて名おほき花や

 わが命に百合からす羽の色に
さきぬ指さすところ星は消ぬべし

 夕粧ひて暖簾くぐれは大阪の
風簪ふく街にも生ひぬ

 五月晴の海のやうなる多摩川や
酒屋の旗や黍のかぜ

 高つきの燭は牡丹に近うやれ
われを照すは御冠の珠

 欠くる期なき盈つる期あらぬあめつちに
在りて老いよと汝もつくられぬ (秀を生みし時)

 たなばたをやりつる後の天の川
しろうも見えて風する夜かな

 蓮きると三寸とほき花ゆゑに
みぎはの人のさそはれし舟

 憂ければぞ爪に紅せぬ夕ぐれを
色は問はずて衣もてまゐれ

 舟にのれば瓔珞ゆらぐ蓮のかぜ
掉のひとりは袞龍の袖

 しら蓮や唐木くみたる庭舟に
沈たきすてて伯父の影なき

 われを問ふやみづからおごる名を
誇る二十四時を人をし恋ふる

 ここすぎて夕立はしる川むかひ
柳千株に夏の雲のぼる

 水浴みては渓の星かげ髪ほすと
君に小百合の床をねだりし

 百合がなかの紅百合としものたまふや
をかし二人の君が子の母

 誰れが子かわれにをしへし橋納凉
十九の夏の浪華風流

 露の路畑をまがれば君みえず
黍の穂にこほろぎ啼きぬ

 鳥と云はず白日虹のさす空を飛ばば
翅ある虫の雌雄とも

 夏の日の天日ひとつわが上に
ややまばゆかるものと思ひぬ

 百間の大き弥陀堂ひとしきり
煙みなぎり京の日くれぬz

 夕されば橋なき水の舟よそひ
渡らば秋の花につづく戸

 母屋の方へ紅三丈の鈴の綱
君とひくたび衣もてまゐる

 君やわれや夕雲を見る磯のぴと
四つの素足に海松ぶさ寄せぬ

 里ずみに老いぬと云ふもいつはりの
歌と或る日は笑めりと思せ

 きざはしの玉靴小靴いでまさずば
牡丹ちらむと奏さまほしき

 恋しき日や侍らひなれし東椽の
隅のはしらにおもかげ立たむ

 ほととぎす岩山みちの小笹二町
深山といふにわらひたまひぬ

 あやにくに虫歯病む子とこもりゐぬ
皷きこゆる昼の山の湯

 君によし撫でて見よとて引かせたり
小馬ましろき春の夕庭

 花とりどり野分の朝にもてきたる
十人の姿よしと思ひぬ

 七たりの美なる人あり簾して
船は御料の蓮きりに行く

 かしこうて蚊帳に書よむおん方に
いくつ摘むべき朝顔の花

 ふるさとやわが家君が家草ながし
松も楓もひるがほの花

 ほととぎす山門のぽる兄のかげ
僧服なれば袖しろうして

 よき箱と文箱とどめていもうとは
玉虫飼ひぬうらみ給ふな

 この恋びとをしへられては日記も書きぬ
百合にさめぬと昼蚊厨に寝ぬと

 水にさく花のやうなるうすものに
白き帯する浪華の子かな

 春の池楼ある舶の歩み遅々と
行くに慣れたるみさぷらひ人

 夏花は赤熱病める子がかざし
あらはに歌ひはばからぬ人

 伯母いまだ髪もさかりになでしこを
かざせる夏に汝れは生れぬ
 (弟の子の生れけるに夏子と名をえらみて)

 行く春にもとより堪へぬうまれぞと
聞かば牡丹に似る身を知らむ

 妻と云ふにむしろふさはぬ髪も落ち
めやすきほどとなりにけるかな

 われに遅れ車よりせしその子ゆゑ
多く歌ひぬ京の湯の山

 夕かぜや羅の袖うすきはらからに
たきものしたる椅子ならべけり

 わが愛づる小鳥うたふに笑み見せぬ
人やとそむき又おもひ出ず

 かへし書くふたりの人に文字いづれ
多きを知るや春の染紙

 われぼめや十方あかき光明の
われより出でむ期しるものゆゑ

 ふりそでの雪輪に雪のけはひすや
橋のかなたにかへりみぬ人

 かけものゝ牛の子かちし競馬のり
梅にいこふをよしと思ひぬ

 酒つくる神と注ある三尺の
鳥居のうへの紅梅の花

 われにまさる熱えて病むと云ひたまへ
あらずとならば君にたがはむ

 菜の花のうへに二階の障子見え
戸見え伯母見えぬるき水ふむ

 あやまちて小櫛ながしゝ水なれば
くぐるは君が花垣なれば

 河こえて皷凍らぬ夜をほめぬ
千鳥なく夜の加茂の里びと

 鹿が谷尼は磬うつ椿ちる
うぐひす啼きて春の日くれぬ

 くれなゐの蒲団かさねし山駕籠に
母と相乗る朝ざくら路

 あゝ胸は君にどよみぬ紀の海を
淡路のかたへ潮わしる時

 まる山のをとめも比叡の大徳も
柳のいろにあさみどりして

 法華経の朝座の講師きんらんの
御袈裟かをりぬ梅さとちりぬ

 いでまして夕むかへむ御鞍に
さざん花ちりぬ里あたたかき

 歌よまでうたたねしたる犯人は
花に立たせて見るべかりけり

 うれひのみ笑みはをしへぬ遠びとよ
死ねやと思ふ夕もありぬ

 御供養の東寺舞楽の日を見せて
桜ふくなり京の山かぜ

 金色のちひさき鳥のかたちして
銀杏ちるなり夕日の岡にz


 紅梅や女あるじの零落に
ともなふ鳥の籠かけにけり

 大木にたえず花さくわが森を
ともに歩むにふさふと云ひぬ

 しろ百合と名まをし君が常夏の
花さく胸を歌嘆しまつる (とみ子の君に)

 審判の日をゆびきずくるとげにくみ
薔薇つまざりし罪とひまさば

 山の湯や懸想びとめく髪ながの
夜姿をわかき師にかしこみぬ

 廊馬道いくつか昨夜の国くれば
うぐひす啼きぬ春のあけぼの

 こゝろ懲りぬ御兄なつかしあざみては
博士得ませと別れし人も

 うへ二枚なか着はだへ着舞扇
はさめる襟の五ついろの襟

 きよき子を唖とつくりぬその日より
瞳なに見るあきじひの人

 人春秋ねたしと見るはただに花
衣に縫はれね牡丹しら菊

 女さそひし歌の悪霊人生みぬ
髪ながければ心しませや

 春の夜の火かげあえかに人見せて
とれよと云へど神に似たれば

 明けむ朝われ愛着す人よ見な
花よ媚ぶなと袋に縫へな

 にくき人に柑子まゐりてぬりごめの
歌問ふものか朝の春雨

 よしと見るもうらやましきもわが昨日
よそのおん世は見ねば願はじ

 酔ひ寝ては鼠がはしる肩と聞き
寒き夜守りぬ歌びとの妻

 手ぢからのよわや十歩に鐘やみて
桜ちるなり山の夜の寺

 兼好を語るあたひに伽羅たかむ
京の法師の麻の御ころも

 かくて世にけものとならで相逢ひぬ
日てろ星てるふたりの額に

 春の夜や歌舞伎を知らぬ鄙ぴとの
添ひてあゆみぬあかき灯の街

 玉まろき桃の枝ふく春のかぜ
海に入りては真珠生むべき

 春いそぐ手毬ぬふ日と寺々に
御詠歌あぐる夜は忘れゐぬ

 春の夜はものぞうつくし怨ずると
尋のあなたにまろ寝の人も

 駿河の山百合がうつむく朝がたち
霧にてる日を野に髪すきぬ

 伽藍すぎ宮をとほりて鹿吹きぬ
伶人めきし奈良の秋かぜ

 霜ばしら冬は神さへのろはれぬ
日ごと折らるるしろがねの櫛

 鬼が栖むひがしの国へ春いなむ
除目に洩れし常陸介と

 髪ゆふべ孔雀の鳥屋に横雨の
そそぐをわぶる乱れと云ひぬ

 廊ちかく皷と寝ねしあだぷしも
をかしかりけり春の夜なれば

 集のぬしは神にをこたるはした女か
花のやうなるおもはれ人か

 さは思へ今かなしみの酔ひごこち
歌あるほどは弔ひますな

曙 染 了

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