詩人
詩人よ君を譬ふれば
恋に酔ひぬるをとめごか
あらしのうちに楽を聞き
あら野のうちに花を見る。
詩人よ君を譬ふれば
世の罪しらぬをとめごか
口には神の声ひびき
目にはみそらの夢やどる。
詩人よ君を譬ふれば
八重の汐路の海原か
おもてにあるゝあらしあり
底にひそめるまたまり。
詩人よ君を譬ふれば
雲に聳ゆる火の山か
星は額にかがやきて
焔の波ぞ胸に湧く。
詩人よ君を譬ふれば
光すずしき夕月か
身を天上にとめ置きて
影を下界の塵に寄す。
赤壁図に題す
首陽しゅようの蕨わらび手に握り
汨羅べきらの水にいざ釣らむ
やめよ離騒りそうの一悲曲
造化無尽ぞうかむじんの蔵のうち
我に飛仙ひせんの術じゅつはあり。
五湖の烟波えんばの蘭の楫かじ
眺めは広し風清し
きのふの非とは誰かいふ
松菊しょうきく庭にあるゝとも
浮世の酒もよからずや。
月江上こうじょうの風の声
むかしの修羅のをたけびの
かたみと残る秋の夜や
軽きもうれし一葉の
舟蓬莱にいざさらば。
星と花
同じ「自然」のおん母の
御手にそだちし姉と妹いも、
み空の花を星といひ
わが世の星を花といふ。
かれとこれとに隔たれど
にほひは同じ星と花。
笑みと光を宵々に
かはすもやさし花と星。
されば曙あけぼの雲白く
御空の花のしぼむとき、
見よ白露のひとしづく
わが世の星に涙あり。
希望
沖の汐風吹きあれて
白波いたくほゆるとき、
夕月波にしづむとき、
黒暗くらやみよもを襲うとき、
空のあなたにわが舟を
導く星の光あり。
ながき我世の夢さめて
むくろの土に返るとき、
心のなやみ終るとき、
罪のほだしの解くるとき、
墓のあなたに我が魂たまを
導く神の御声あり。
嘆き、わずらひ、くるしみの
海にいのちの舟うけて、
夢にも泣くか塵の子よ、
浮世の波の仇騒ぎ
雨風いかにあらぶとも、
忍べ、とこよの花にほふー
港入江の春告げて
流るゝ川に言葉ことばあり、
燃ゆる焔に思想おもひあり、
空行く雲に啓示さとしあり、
夜半の嵐に諌誡いさめあり、
人の心に希望のぞみあり。
夕の星
ちぎれちぎれに雲迷ふ
夕の空に星ひとつ
光はいまだ浅けれど
思おもい深しや天の海。
嗚呼カルデアに牧まきびとの
なれを見しより四千年しせんねん
光はとはに若うして
世はかくまでに老いしかな。
またたく光露帯びて
今はた泣くか人のため
つかれ、争ひ、わづらひに
我世わがよの幸さちは遠ければ。
白桃花
朝日影そふ浅みどり
谷間を過ぎて声高く
清く流るゝ春の水、
みなもに恋と思おもひとを
春もろ共に浮べさりて
白桃しらもゝの花いづち行く。
消えせぬ雪の色みせて
羊ひとむれ草飼へる
流ながれに添へるみどりの野、
まひるの空に夢みたる
牧の子笛を捨てゝ泣きて
白桃の花去るを見る。
百もゝの柴舟しらほ舟
こむる紅くれなゐ夕霞
広き流れのかた岸に
緑暮れゆく青柳
柳のもとに流れよりて
白桃の花また去らじ。
星
夕をかざる玉鈎の一彎遠く消沈み
暗人間の世に落ちて今は壺中の夜もなかば。
有声無象の窮まりはこゝ穹窿の空の上
数も千万、永遠の姿を擬こらす星の花
わが射る光途みち遠く流るゝ末を見おろせば――
影朦朧もうろうのたゞなかに西崑崙こんろんの雲の嶺
冷煙こほりうづまきて泰山たいざん暗し鬼神の府
羅浮天台のおもかげも今は下界の暗の底。
千里二千里三千里烟波えんば眠れる東海の
うな原遠く眺めやるわれらの光さすところ
渾沌こんとんの世に湧き出でし姿不変の富士の嶺
太古の雪の膚はだ清く暗を照して立てるかな。
あらしも今は収まりて人籟絶えぬさらばいざ
光と共にわが露を露もろともにわが歌を
下くだし送らむ仙嶺の頂遠く裾広く。
おほいなる手のかげ
月しづみ星かくれ
あらしもだし雲眠るまよなか
見あぐる高き空の上へに
おほいなる手の影あり。
百万の人家じんかみなしづまり
煩悩のひびき絶ゆるまよなか
見あぐる高き空の上に
おほいなる手の影あり。
ああ人界の夢に遠き
神秘の暗やみのあなたを指さして
見あぐる高き空の上に
おほいなる手の影あり。