蕪翁句集

  巻之上    几菫著

  春之部

ほうらいの山まつりせむ老の春

日の光今朝や鰯のかしらより

三椀の雜煮かゆるや長者ぶり

  離 落

うぐひすのあちこちとするや小家がち

鶯の聲遠き日も暮にけり

うぐひすの鹿相がましき初音哉

鶯を雀歟と見しそれも春

  畫 賛

うぐひすや賢過たる軒の梅

鶯の日枝をうしろに高音哉

うぐひすや家内揃ふて飯時分

鶯や茨くゞりて高う飛ぶ

うぐひすの啼やちいさき口明て

  禁城春色曉蒼々

青柳や我大君の艸か木か

若草に根をわすれたる柳かな

梅ちりてさびしく成しやなぎ哉

捨やらで柳さしけり雨のひま

青柳や芹生の里のせりの中

出る杭をうたうとしたりや柳かな

  草 菴

二もとの梅に遲速を愛す哉

うめ折て皺手にかこつ薫かな

白梅や墨芳しき鴻ウ舘

しら梅や誰むかしより垣の外

舞々の場もふけたり梅がもと

出べくとして出ずなりぬうめの宿

宿の梅折取ほどになりにけり

 摺子木で重箱を洗ふが如くせよとは、政の嚴刻なるを戒め給ふ、賢き御代の春にあふて
隅々に殘る寒さやうめの花

しら梅や北野ゝ茶屋にすまひ取

うめ散や螺鈿こぼるゝ卓の上

梅咲て帶買ふ室の遊女かな

源八をわたりて梅のあるじ哉

燈を置カで人あるさまや梅が宿

 あらむつかしの假名遣ひやな。字儀に害あらずんばア丶まゝよ
梅咲ぬどれがむめやらうめじややら

しら梅の枯木にもどる月夜哉

小豆賣小家の梅のつぼみがち

梅遠近南すべく北すべく

  早 春

なには女や京を寒がる御忌詣

御忌の鐘ひゞくや谷の氷まで

やぶ入の夢や小豆の煮るうち

藪いりやよそ目ながらの愛宕山

やぶいりや守袋をわすれ草

秩父入や鉄漿もらひ來る傘の下

やぶ入は中山寺の男かな

  人 日

七くさや袴の紐の片むすび

これきりに徑盡たり芹の中

古寺やほうろく捨るせりの中

 几菫とわきのはまにあそびし時

筋違にふとん敷たり宵の春

肘白き僧のかり寢や宵の春

春の夜に尊き御所を守身かな

春月や印金堂の木間より

  春夜聞

瀟湘の鴈のなみだやおぼろ月

折釘に烏帽子かけたり春の宿

公達に狐化たり宵の春

 もろこしの詩客は千金の宵をゝしみ、我朝の哥人は紫の曙を賞す
 春の夜や宵あけぼのゝ其中に
女倶して内裏拜まんおぼろ月

藥盗む女やは有おぼろ月

よき人を宿す小家や朧月

さしぬきを足でぬぐ夜や朧月

  野 望

草霞み水に聲なき日ぐれ哉

指南車を胡地に引去ル霞哉

高麗舟のよらで過ゆく霞かな

橋なくて日暮んとする春の水

春水や四條五條の橋の下

足よはのわたりて濁るはるの水

春の水背戸に田作らんとぞ思ふ

春の水うたゝ鵜繩の稽古哉

蛇を追ふ鱒のおもひや春の水

 西の京にばけもの栖て、久しくあれ果たる家有けり。
 今は其さたなくて

春雨や人住ミて煙壁を洩る

物種の袋ぬらしつ春のあめ

春雨や見にふる頭巾着たりけり

春雨や小磯の小貝ぬるゝほど

瀧口に燈を呼聲や春の雨
ぬなは生ふ池の水かさや春の雨

  夢中吟

春雨やもの書ぬ身のあはれなる

はるさめや暮なんとしてけふも有

春雨やものがたりゆく簑と傘

柴漬の沈みもやらで春の雨

春雨やいざよふ月の海半

はるさめや綱が袂に小でうちん

  ある隱士のもとにて

古庭に茶筌花さく椿かな

あぢきなや椿落うづむにはたずみ

玉人の座右にひらくつばき哉

初午やその家々の袖だゝみ

はつむまや鳥羽四塚の鶏の聲

初午や物種うりに日のあたる

莟とはなれもしらずよ蕗のとう

  ある人のもとにて

命婦よりぼた餅たばす彼岸哉

そこそこに京見過しぬ田にし賣

なつかしき津守の里や田螺あへ

靜さに堪へて水澄たにしかな

鴈立て驚破田にしの戸を閉る

鴈行て門田も遠くおもはるゝ

歸る鴈田ごとの月の曇る夜に

きのふ去ニけふいに鴈のなき夜哉

  郊 外

陽炎や名もしらぬ虫の白き飛

かげろふや簀に土をめづる人

  芭蕉菴會

畑うつやうごかぬ雲もなくなりぬ

はた打よこちの在所の鐘が鳴

畑打や木間の寺の鐘供養

  小原にて

春雨の中におぼろの清水哉

日くるゝに雉子うつ春の山邊かな

柴刈に砦を出るや雉の聲

龜山へ通ふ大工やきじの聲

兀山や何にかくれてきじのこゑ

むくと起て雉追ふ犬や寶でら

木瓜の陰に貌類ひ住ムきゞす哉

  琴心挑美人

妹が垣根さみせん草の花咲ぬ

紅梅や此丘より劣る此丘尼寺

紅梅の落花燃らむ馬の糞

垣越にものうちかたる接木哉

裏門の寺に逢着す蓬かな

畑うちや法三章の札のもと

きじ啼や草の武藏の八平氏

きじ鳴や坂を下リの驛舎

  西山遲日

山鳥の尾をふむ春の入日哉

遲キ日や雉子の下りゐる橋の上

  懷 舊

遲き日のつもりて遠きむかしかな

春の海終日のたりのたり哉

畠うつや鳥さへ啼ぬ山かげに

耕や五石の粟のあるじ貌

飛かはすやたけごゞろや親雀

大津繪に糞落しゆく燕かな

大和路の宮もわら屋もつばめ哉

つばくらや水田の風に吹れ貌

燕啼て夜蛇をうつ小家哉

  無爲庵會

曙のむらさきの幕や春の風

野ばかまの法師が旅や春のかぜ

片町にさらさ染るや春の風

のうれんに東風吹いせの出店哉

河内路や東風吹送る巫女が袖

  几菫が蛙会催しけるに

月に聞て蛙ながむる田面かな

閣に座して遠き蛙をきく夜哉

苗代の色紙に遊ぶかはづかな

日は日くれよ夜は夜明ケよと啼蛙

連哥してもどる夜鳥羽の蛙哉

獨鈷鎌首水かけ論のかはづかな

うつゝなきつまみごゝろの胡蝶哉

曉の雨やすぐろの薄はら

よもすがら音なき雨や種俵

古河の流を引つ種おろし

しのゝめに小雨降出す燒野哉

 加久夜長帶刀はさうなき數寄もの也けり。
 古曾部の入道初めてのげざんに、引出物見すべきとて、錦の小袋を探し求めける風流など思ひ出つゝ、すゞろ春色にたへず侍れば

山吹や井手を流るゝ 鉋屑

居りたる舟を上ればすみれ哉

骨拾ふ人にしたしき菫かな

わらび野やいざ物焚ん枯つゝじ

野とゝもに燒る地藏のしきみ哉

つゝじ野やあらぬ所に麥畠

つゝじ咲て石移したる嬉しさよ

近道へ出てうれし野ゝ躑躅哉

つゝじ咲て片山里の飯白し

岩に腰吾頼光のつゝじ哉

  上 巳

古雛やむかしの人の袖几帳

箱を出る貌わすれめや雛二對

たらちねのつまゝずありや雛の鼻

出代や春さめざめと古葛籠

雛見世の灯を引ころや春の雨

雛祭る都はづれや桃の月

喰ふて寢て牛にならばや桃花

商人を吼る犬ありもゝの花

さくらより桃にしたしき小家哉

家中衆にさむしろ振ふもゝの宿

几巾きのふの空のありどころ

やぶいりのまたいで過ぬ几巾絲

  吉 野

花に遠く櫻に近しよしの川

花に暮て我家遠き野道かな

花ちるやおもたき笈のうしろより

花の御能過て夜を泣ク浪花人

阿古久曾のさしぬきふるふ落花哉

  高野を下る日

かくれて住て花に眞田が謠かな

玉川に高野ゝ花や流れ去

なら道や當皈ばたけの花一本

  日暮るゝほど嵐山を出る

嵯峨へ歸る人はいづこの花に暮し

花の香や嵯峨のともし火消る時

  雨日嵐山にあそぶ

筏士の蓑やあらしの花衣

傾城は後の世かけて花見かな

花に舞ハで歸さにくし白拍子

  風入馬蹄輕

木の下が蹄のかぜや散さくら

手まくらの夢はかざしの櫻哉

剛力は徒に見過ぬ山ざくら

 曉臺が伏水嵯峩に遊べるに伴ひて
夜桃林を出てあかつき嵯峨の櫻人

暮んとす春をゝしほの山ざくら

錢買て入るやよしのゝ山ざくら

  糸櫻賛

ゆき暮て雨もる宿やいとざくら

哥屑の松に吹れて山ざくら

まだきとも散りしとも見ゆれ山櫻

嵯峨ひと日閑院樣のさくら哉

みよし野ゝちか道寒し山櫻

旅人の鼻まだ寒し初ざくら

海手より日は照つけて山ざくら

花に來て花にいねぶるいとま哉

なには人の木や町にやどりゐしを訪ひて

花を蹈し草履も見えて朝寐哉

居風呂に後夜きく花のもどりかな

鶯のたまたまたま啼や花の山

ねぶたさの春は御室の花よりぞ

  一片花飛減却春

さくら狩美人の腹や減却す

花の幕兼好を覗く女あり

 やごとなき御かたのかざりおろさせ給ひて、
 かゝるさびしき地にすみ給ひけるにや

小冠者出て花見る人を咎けり

にほひある衣も疊まず春の暮

誰ためのひくき枕ぞはるのくれ

閉帳の錦たれたり春の夕

うたゝ寢のさむれば春の日くれたり

春の夕たえなむとする香をつぐ

花ちりて木間の寺と成にけり

苗代や鞍馬の櫻ちりにけり

甲斐がねに雲こそかゝれ梨の花

梨の花月に書ミよむ女あり

人なき日藤に培ふ法師かな

山もとに米蹈ム音や藤のはな

うつむけに春うちあけて藤の花

  春 景

菜の花や月は東に日は西に

なのはなや笋見ゆる小風呂敷

菜の花や鯨もよらず海暮ぬ

  春夜盧曾

爐塞て南阮の風呂に入身哉

爐ふさぎや床は維摩に掛替る

  暮 春

ゆく春や逡巡として遲ざくら

行春や撰者をうらむ哥の主

洗足の盥も漏りてゆく春や

けふのみの春をあるひて仕舞けり

  召波の別業に遊びて

行春や白き花見ゆ垣のひま

春をしむ座主の聯句に召れけり

行春やむらさきさむる筑羽山

まだ長ふなる日に春の限りかな

ゆく春や横河へのぼるいもの神

  ある人に句を乞はれて

返哥なき青女房よくれの春

春惜しむ宿やあふみの置火燵

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