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○ つくばね詩人「横瀬夜雨」 横瀬夜雨は筑波山を東に望む小貝川の右岸近くに生まれ、幼少時クル病に罹り一生歩行障害と体調不調に悩まされました。学校へも通えなかった夜雨は姉から借りた万葉集を読み耽り独学で詩の世界に入りました。
 夜雨は、「壇上で賞賛される」のを目指す文壇や「唯我独尊」の大新聞社、「強い人」を造る文部省で活躍したことがありませんでした。それで横瀬夜雨の名も、その詩も全国的にはさほど知られていません。
 不自由な身に宿った「珠玉の心のうた」の一部です。
○ 山頭火 自由律の俳人 山頭火は裕福な家の生まれですが、母の水死自殺の影響もあったのか、さして学問にも仕事にも熱中せず、結婚後も家庭をかえりみず放浪と酒に明け暮れました。
 人並みの生活に無い、寂しさ、悲しさ、苦しさの中で自然と一体になった境地が読む人の心にも伝わります。
○ 旅路 信州の詩歌と教科書に一節が載っていたものです。
 山国は三次元の景観と、山人か山門の民族の血を引く人が隠るところから詩歌が多いようです。
 冒頭伊良子清白の詩はこの一編が素晴らしすぎて清白の他の詩は読まれなくなったといわれています。
○ 土井晩翠 星落秋風五丈原 晩翠は学童の頃から三国志を読み耽り心に描いていた情景を詩の形にしたもの。
万里の長城 中国の古典を読みこなし諳んじていた晩翠は万里の長城を訪れ描いていた想いを詩に著したもの。
 これらの二編は軍歌などに歌われたがそれと又違った世の無常を最も良く著しているともいわれます。
 教科書に一節が載った暮鐘もあります。
○ 島崎藤村 「寂寥」、教科書に一節があった「秋風の歌」、曲が付けられた「惜別の歌」です。(藤村は詩風の全く違う晩翠の娘婿)
○ 筑波茨城 ごくありふれた地方の情景を詩人は豊かに表現します。地元の女流 沢 ゆき の詩他数編
○ 常総の古歌 常総は古くから都遠く離れた大いなる田舎の印象でした。
 現地で詠んだ詩歌の他、都で話に聞いて詠んだ詩も多いようです。
 防人は全国から徴兵された兵士ではなく人口、農地の多い地方、常総などの青壮年が一家の租庸調免除のため大陸正面の筑紫で防備に就いたもの。「防人の詩」
古歌・歌集 よく人口に膾炙されているが正確に覚えてない和歌など。
○ 歴代川柳 田辺聖子氏の著作からメモしたもの中心
○ 常陸風土記 歴史事実を記したものでなく、風土に伝わっていた物語を記したもの。読む人がそれから時代を推測するもの。
○ 日本史資料 日本史は年代と項目解説だけ知っていても原資料を直接読むことは少ない。
 資料の内容で時代を理解したい。
倭人伝 東大、京大の学者が最初に唱えた説がますます頑なに補強され、解釈に恣意が入り、学術資料が物語り資料になっている。操縦士で上空から広く地域、地形を観察した森氏の論が見逃せない。
記紀 神話を拠り所と強要された反動から記紀は歴史的価値がゼロとの見解が多い。
 記紀の時代より数百年前から文字が使われており神話からの史実を推測することも可能である。
浜松航空隊 青空遠く の歌詞と曲 紀元26世紀 加藤隼戦闘隊 同期の桜 の曲に紀元二千六百年頃のポスターなど