一握の砂 石川啄木

    煙 二

ふるさとの訛なつかし 停車場の
人ごみの中に そを聴きにゆく

やまひある獣のごとき わがこころ
ふるさとのこと聞けばおとなし

ふと思ふ ふるさとにゐて日毎聴きし
雀の鳴くを 三年聴かざり

亡くなれる師がその昔 たまひたる
地理の本など取りいでて見る

その昔 小学校の柾屋根に
我投げし鞠 いかにかなりけむ

ふるさとの かの路傍のすて石よ
今年も草に埋もれしらむ

わかれをれば妹いとしも 赤き緒の
下駄など欲しとわめく子なりし

二日前に山の絵見しが 今朝になりて
にはかに恋しふるさとの山

飴売のチャルメラ聴けば うしなひし
をさなき心ひろへるごとし

このごろは 母も時時ふるさとの
ことを言ひ出 づ 秋に入れるなり

それとなく 郷里のことなど語り出でて
秋の夜に焼く餅のにほひかな

かにかくに渋民村は恋しかり
おもひでの山 おもひでの川

田も畑も売りて酒のみ ほろびゆく
ふるさと人に 心寄する日

あはれかの我の教へし 子等もまた
やがてふるさとを棄てて出づるらむ

ふるさとを出で来し子等の 相会ひて
よろこぶにまさるかなしみはなし

石をもて追はるるごとく ふるさとを
出でしかなしみ 消ゆる時なし

やはらかに柳あをめる 北上の
岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに

ふるさとの 村医の妻のつつましき
櫛巻なども なつかしきかな

かの村の登記所に来て 肺病みて
間もなく死にし男もありき

小学の首席を我と争ひし
友のいとなむ 木賃宿かな

千代冶等も長じて恋し 子を挙げぬ
わが旅にしてなせしごとくに

ある年の盆の祭に 衣貸さむ
踊れと言ひし 女を思ふ

うすのろの兄と 不具の父もてる
三太はかなし 夜も書読む

我と共に 栗毛の仔馬走らせし
母の無き子の盗癖かな

大形の被布の模様の赤き花
今も目に見ゆ 六歳の日の恋

その名さへ忘られし頃 飄然と
ふるさとに来て 咳せし男

意地悪の大工の子などもかなしかり
戦に出でしが 生きてかへらず

肺を病む 極道地主の総領の
よめとりの日の春の雷かな

宗次郎に おかねが泣きて口説き居り
大根の花白きゆふぐれ

小心の役場の書記の 気の狂れし
噂に立てる ふるさとの秋

わが従兄 野山の猟に飽きし後
酒のみ家売り病みて死にしかな

我ゆきて手をとれば 泣きてしづまりき
酔ひて荒れしそのかみの友

酒のめば 刀をぬきて妻を逐ふ
教師もありき 村を遂はれき

年ごとに肺病やみの殖えてゆく
村に迎へし 若き医者かな

ほたる狩 川にゆかむといふ我を
山路にさそふ人にてありき

馬鈴薯のうす紫の花に降る
雨を思へり 都の雨に

あはれ我がノスタルジヤは 金のごと
心に照れり清くしみらに

友として遊ぶものなき 性悪の
巡査の子等も あはれなりけり

閑古鳥 鳴く日となれば起るてふ
友のやまひのいかになりけむ

わが思ふこと おほかたは正しかり
ふるさとのたより着ける朝は

今日聞けば かの幸うすきやもめ人
きたなき恋に身を入るるてふ

わがために なやめる魂をしづめよと
讃美歌うたふ人ありしかな

あはれかの男のごときたましひよ
今は何処に 何を思ふや

わが庭の白き躑躅を 薄月の夜に
折りゆきしことな忘れそ

わが村に 初めてイエス・クリストの
道を説きたる 若き女かな

霧ふかき好摩の原の 停車場の
朝の虫こそすずろなりけれ

汽車の窓 はるかに北にふるさとの
山見え来れば 襟を正すも

ふるさとの土をわが踏めば 何がなしに
足軽くなり 心重れり

ふるさとに入りて先づ心傷むかな
道広くなり 橋もあたらし

見もしらぬ女教師が そのかみの
わが学舎の窓に立てるかな

かの家のかの窓にこそ 春の夜を
秀子とともに蛙聴きけれ

そのかみの神童の名の かなしさよ
ふるさとに来て泣くはそのこと

ふるさとの停車場路の 川ばたの
胡桃の下に小石拾へり

ふるさとの山に向ひて 言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかなz

石川啄木 [一握の砂 抜粋 我を愛する歌 煙1 2 秋風のこころよさに 忘れ難き人々1 2 手套を脱ぐ時] 悲しき玩具 書架へ