忘れ難き人々 二

いつなりけむ 夢にふと聴きてうれしかりし
その声もあはれ長く聴かざり

頬の寒き 流離の旅の人として
路問ふほどのこと言ひしのみ

さりげなく言ひし言葉は さりげなく
君も聴きつらむ それだけのこと

ひややかに清き大理石に 春の日の
静かに照るは かかる思ひならむ

世の中の明るさのみを吸ふごとき
黒き瞳の 今も目にあり

かの時に言ひそびれたる 大切の
言葉は今も 胸にのこれど

真白なるラムプの笠の 瑕のごと
流離の記憶消しがたきかな

函館のかの焼跡を去りし夜の
こころ残りを 今も残しつ

人がいふ 鬢のほつれのめでたさを
物書く時の君に見たりし

馬鈴薯の花咲く頃と なれりけり
君もこの花を好きたまふらむ

山の子の 山を思ふがごとくにも
かなしき時は君を思へり

忘れをれば ひょっとした事が思ひ出の
種にまたなる 忘れかねつも

病むと聞き 癒えしと聞きて 四百里の
こなたに我はうつつなかりし

君に似し姿を街に見る時の
こころ躍りを あはれと思へ

かの声を最一度聴かば すっきりと
胸や霽れむと今朝も思へる

いそがしき生活のなかの 時折の
この物おもひ 誰のためぞも

しみじみと 物うち語る友もあれ
君のことなど語り出でなむ

死ぬまでに一度会はむと 言ひやらば
君もかすかにうなづくらむか

時として 君を思へば 安かりし
心にはかに騒ぐかなしさ

わかれ来て年を重ねて 年ごとに
恋しくなれる 君にしあるかな

石狩の都の外の 君が家
林檎の花の散りてやあらむ

長き文 三年のうちに三度来ぬ
我の書きしは四度にかあらむ
石川啄木 [一握の砂 抜粋 我を愛する歌 煙1 2 秋風のこころよさに 忘れ難き人々1 2 手套を脱ぐ時] 悲しき玩具 書架へ