蜀山家集

 去年六十六のとしのはじめに書きぞめし狂歌に、草稿を六々集と名づけて、ことし六十七のとしの夏までに書きはてぬ。
 例の七夕七首のうたよまんとて、いまだ俗をまぬがるゝ事あたはずといひけん七のかしこき人のふる事を思ひいでゝ、たんざく竹のはやしに、臂をとりて入りしこゝ地するまゝに、つゐに七首のうたとはなりぬ。
 さるまゝにこれを又七々集と名づけて、朝な夕なのたはことを書きそへんとなり。
文化乙亥のとしはづきの比 蜀山人

   七々集

 年々の七夕七首ひこぼしのひく牛に汗し、はたおり姫の梭もなりつべし。今年は竹の林のふる事ながら、かの犢鼻褌をさらせし事を思ひ、七のかしこき人々の名によそへて

  稽康
 あまの川ひきて水うつ柳かげ
てんから/\とかぢのはのうた

  阮籍
 短冊の竹の林のあをまなこ
あすしら露のうきめをやみん

  劉伶
 七夕に婦人の言をきくなとは
ちとさしあひな妻むかへ酒

  呂安
 星合の天の戸口にかく文字は
凡鳥ならぬかさゝぎのはし

  山濤
 璞玉のよにあらはれぬ天河
ふかきちぎりやかさねこん金

  阮咸
 天河さらすふどしのさらさらに
むかしの人のふりなわすれそ

  王戎
 折からの桃も林檎もありのみに
苦き李は星に手向じ

  朱楽菅江狂歌草稿序
 むかしわかざれ歌の友がきに朱楽菅江といふ人ありけり。
 姓は山崎名は景基ときこへしが、後に景貫とあらたむ。
 字を遺文といひ卿助と称す。西城へつかへて先鋒騎士たり。
 市谷加賀のみたちのあと二十騎町といふところにすめり。
 和歌をよくし、俳諧をこのみ、前句附といふものをたしむ。その比の俳名を貫立といひしが、人みな心やすくなれて貫公々々とよびて、ついにその名となれり。
 これにあけらといふ文字をかぶらしめしは、安永の比わがやどりにまとゐせし夜、行燈はりたる紙にたはむれて、われのみひとりあけら菅江とかきしをはじめとす。
 中頃菅江二家の姓をはゞかりて、漢江とかきかへしが、あづまの比叡山の宮のきかせ給ひて、もとよりたはれたる名なれば菅江といふとも何かくるしからんとのたまひしより、またもとの名にあらためしとぞ。そののち朱楽館と称し、豆腐をすけるによりて淮南堂と呼び、不忍の池のほとりにうつろひて芬陀利華庵ともいひき。われ六十七のとし明和の比椿軒先生の筵にありて、其の師静山先生遠忌のうたに、古寺秋鐘といふ題にて、古寺の秋のわかれはさらぬだにかなしき秋をかねひゞくなり、と菅江よみしを先生鐘ひゞく声と直させ給ひしとき、はじめて景基ある事をしりき。
 ?明の比万載集えらびし比は、朝夕にちなみて筆と硯をともにせし事いひつゞくれば昌平橋の真木のたばねつくしがたく、御成道の馬車ひきもきらざるべし。ことし神田のほとりにすめる独楽斎真木炭といへるもの、菅江自筆小集を携へ来りてわが序をこふまゝに、老のくりごとくりかへし、小手巻のいとながながしくかいつくるになんありける。
  菅江のよめるうたの中にも人々のもてはやせしは、
 あし原やけさはきりんもまかり出て
おのが角ぐむ春にあへかし

 いつまでもさておわかいと人々に
ほめそやさるゝ年ぞくやしき

 わが命直にはよしやかへずとも
河豚にしかへばさもあらばあれ

  此の外あまたあるべし。
  傾城と樽酒と河豚とを画きたる扇子に
 こがれゆく猪牙の塩さいふぐと汁
ひとたる物をやぶる剣びし

  新川米屋のもとより剣菱の酒を贈りけるに
 入舟はいかゞと案じわづらひし
憂をはらふ剣菱の酒
  此比上方の洪水に酒舟のいりくる夕なければなり。

  萩寺
 みさむらい萩の下露わけゆけば
伏猪の牙と見ゆる大小

  松阪屋の別荘は根岸といふ処にあり。
  はつき六日こゝにはじめて萩の花を見て
 夕日かげ山の根岸の西陣に
錦織り出す萩のはつ花

 大阪米市の商売道具は火縄箱・水手桶・柏子木・小判丁銀・往来六間にて、終日商の手合するゆへに、木火土金水の五行の称にあへば、その道具をゑりきて歌よめとこふにより、さて書きやりぬ。拍子木の木、火縄箱の火、小判丁銀の金、水手桶の水、かけひきあらそふ米相場、上るはのぼりて天気次第、濁るは下りて土間のあきなひ、あはせて木火土金水の五行にかなへるを、ざれ歌によめと人のこふによりて
 米といふ字は八木土金水
これぞ五つの花の堂じま
  堂島の古名を五花堂島といへばなり。

  ある人のもとより蝦夷の黒百合の苗をおくれるに、
  月草の花さきけるもおかしくて、
 黒百合がさくかと思ひつき草の
うつろひしとはえぞしらぬ事

  庭に朝がほ夕がほあり。
  隣のやねに糸瓜の花さきしもおかしく、
 藍しぼり黄色に白くさきたるは
あさがほへちま夕顔の花
  これをたゞごとうたともいふべくや。

  古河のわたりにすめる人うかれめのもとにことづてゝ、
  桑の木もてつくれる飯櫃をおくりけるに
 これなくは中気やせんとまくらかの
古河のおきやくの思しめし次

  萩寺にて人々まとゐすときゝて、
  竪川より舟にのりゆくとて
 細はぎの力やすめて萩見んと
ふすゐの牙の舟にこそのれ

  寄武具恋〔萩寺席上当座〕
 なぎなたにあひしらはれし我なれば
あふ事もまたなまり庖丁

  花やしきの秋の七草みにまかりけるに、
  歌妓おかつもきたりければ、
 七くさの花はあれどもをみなへし
たゞひともとにかつものはなし

  俄見物をよめる
 見物は江戸町の人さらになし
みんな木篇に京町の鳥

 関宿侯のもとより香の物たたきといふものを賜りけるに、
 香のものたたきいたゞき御礼を
申上ぐべきことのはもなし

  狩野探幽斎かしく梅の画に
 これがかのかの探幽が筆にかく
梅としきけばめでたくかしく

  狩野養川の福禄寿の画に
 寿をやしなふ門のほとりには
頭のこるよ山とこそみれ

  布袋舟にのりたるゑに
 きんざん寺和尚も舟にのりの道
ながむる空に月ひとつなし

  蒲の穂を画がきたるが鎗のごとくにみえければ、
 その時代あるかしらぬがもたせたる
蒲の冠者の鎗二三本

  浅草庵の剃髪を祝して
 あらためて浅草のりの道にいる
東仲町もとの市人

  小松屋といふ飯屋の釜に、春注連をひき置きける。
  その釜鳴りしを祝ひて歌よめと人のいふに
 此釜のうなる子の日の小松屋に
千とせの春のしめやひくらん

  紅葉に鹿のゑに
 秋はてしのちは紅葉の吸物と
なるともしかとしらでなくらん

  秋述懐
 いさほしのならぬ名のみや秋のよの
長き夜すがら何かこつらん

  十六夜の日萩寺にて
 山寺の庭のま萩の下露に
いさよう月をかけてやりみん

  うば玉といふ菓子をしらぬ人をあさみて
 うば玉か何ぞと人のとひし時
求肥といひて胡麻かさんものを

  柑林狗のゑに
 朝夕の手がひのちんがこゝろにも
まかせぬものはあづけたる菓子

  ふきといへるうたひめによみて贈る
 ふきといふ草の名なればことぶきの
ふき自在なる名こそやすけれ

 遠州浜松ひろいやうでせまい、そこでもつて車が二丁たたぬといふうたうたふをきゝて
 さみせんのいとにひかるゝ盃の
そこでもつてや長くなるらん

 市川三升むさし坊弁慶にて大薩摩源太夫安宅の浄るりかたるをきゝて
 河原崎座東西の国おほさへよ武蔵坊
あたかも花の江戸のおや玉

  三升狐忠信
 忠信も江戸の市川七代は
一世一代などと格別

 此比中村座にて中村歌右衛門一世一代の狂言きつね忠信なればなり。

  秋草に鹿ふたつかける画に
 秋の野のにしきの床にふたりねて
何を不足に鹿のなくらん

  狸図
 陰嚢八畳敷、腹皷一挺声、
 文武久茶釜、其名世上鳴

  身仕舞部屋にうかれめのむらがれる画に
 傾城の身仕舞部屋は藻をかつぐ
きつねも干鱈さげてこんこん

  初茸の画に
 秋の田のかりほの庵の歌がるた
手もとにありてしれぬ茸狩

 ことしの春中村芝翫のわざおぎに其九重彩花桜といふ九変化のかたかきたる豊国の絵に、四季の歌よめと芝翫のもとより乞ひけるによみてつかはしける
  春
  文使。老女の花見。酒屋の調市
 けさぞ文つかひは来たり酒かふて
頭の雪の花やながめん

  夏
  雨乞小町。雷さみせんをひく
 雨乞の空にさみせんなる神の
とどろとどろとてんつてんてん

  秋
  やりもち奴。月の辻君
 辻君の背中あはせのやつこらさ
やりもち月の前うしろめん

  冬
  江口の君。石橋
 冬牡丹さくやさくらの花の名の
普賢象かも石橋の獅子

 中村芝翫餞別に硝子もてつくれる手拭かけを贈るとて
 引戻す手拭掛は浪華津の
大手笹瀬の連城のたま

  高砂の尉さかづきをもち、
  姥の徳利をかくせるかたかきたるに
 過ぎますと姥はいへども高砂や
かのかた腕に帆をあげてのむ

  得人雅堂書
 魚麗干鰡鱨鯊、君子有酒旨且多、署名三嶽霞樵印、
 大雅堂奈無名何、日本橋南四日市、買得青銭二十波、
 請看世上文無者、千八万客日経過

  蘇鉄のゑに
 大きなる蘇鉄じやさかひ妙国寺
文珠四郎の多きかな糞

 ながつき朔日森田やのもとより新豆の豆腐贈りけるに
 進物の御礼まうすも山々屋
まことにこれはあたらしんまめ

  芝氏飛弾の任にゆくを送るとて
 一寸たち一寸たちかへる木の鶴は
飛弾のたくみの細工なるべし

  蓬莱亭扇屋の額
 なるは滝の水茶屋なれば蓬莱の
道はいづくぞなじよの翁や

  盆石に品川の景をうつせしときゝて
 盆石の景には芝の浜庇
ひさしく底をながめ入海

  南天に寒菊の絵に
 北面の窓の雪にや動くらん
南の天のともし火のかげ

 土岐城州のみたちに参りけるに、あるじ、暮るゝともかへしはせじな稀人のたづね車の轄かくして、ときこへさせ給ひしかば
 生酔のまはりかねたる口車
うちいでぬべき轄なければ

  和櫟園見寄韻
 誰道東方九千歳、竊桃三度世中遊、功名已共金銭擲、
 日月徒随質物流、桔梗御紋看瓦入、櫟国言葉学狂稠、
 先生寐惚噛臍久、未到毛唐四百州

  原詩 寄 蜀山人 寐惚子。 櫟園狂生
 先生趣似東方朔、玩世年来面白遊、一段機嫌酒疑浴、
 百篇狂詠筆如流、近郷在町聞風起、遠国波濤結社稠、
 打犬児童知寐惚、名高六十有余州

  近江屋といへる商家のみせの中に柱あり。
  そのはしらがくしのうたをこふ
 あふみやのかゞみの山は楽屋にて
おもてにたてし大臣ばしら

  九月六日は母の忌日、九日は父の忌日なれば
 山くづれ海かれにしを忘れめや
そのなが月のむゆかこゝのか

  母の忌日に
 たらちねの乳をたらふくのみしより
六十七の年もへにけり

  大津絵 座頭杖をふり上げて犬褌をひく
 世の中は四方八面めくらうち
ふんどしをひく犬ぞうるさき

  武蔵野
 花すゝきほうき千里のむさし野は
まねかずとても民の止る

  紀乙亥秋日劇場事
 芝翫去之、市鶴為之奴、来芝飛而逃、
 江戸日坂有三津焉、狂言冷色鮮矣人

  芝翫が句に、
 漕戻すあとはやみなり花火船
  といふを、秀佳のもとよりおこして評をこひければ
 年々の花火はたえず川開き

  又内々によみしは
 三津又の花火はたえず川びらき
ぬしでなければ夜は明けいせん
 下の句は此の頃もてはやせる青棲のことばをもて役者を評せしことばを用ひたり。

 うまごのわづらひし時、鬼子母神のかけ物をかしける人のありければ
 親の親いのりきしもの神なれば
子の子の末も守らざらめや

  駿河町のおかつがいもとありときゝて
 するが町ふじの裾野にはらからの
ありとしきけばかつがなつかし

 もろ人とともに舟にのりて、深川といふところに、
 何がしの山里あるをたつねゆく。
 うたひめおかつおきくもともにのれり
 秋もやゝ深川さしてゆく舟は
きをひかゝつてかつ酒をのむ

  額の上に紙をはりて息にてふく絵に
 つばきにて額の上にしら紙を
はりこの虎の風に嘯く

  唐人あまた巻物をひろげて見る絵に
 晴雨とも来る三月三日には
蘭亭の記の会主王義之

  神田祭の宵祭の日、大島町大阪屋にて
 祭礼を、古くひるみやといふ事は
夜みやに人の大伝馬町

 ことしの御用祭は通旅籠町より出て豊年の稲刈のわざに亀の引物、富本豊前太夫弟子あまたきやりうたひて車を引くをみて
 千早振神田祭に豊年の
いねをかりつる亀の尾の山

 もしさやの昔の通旅籠町
むべも富本一世一代

  宵祭の日大丸のもとにて
 大丸の大丸一座大一座
酒のまん引用心々々

  横大工町巨勝子円うるもとにて、
  あるいらつめによみておくる
 千早振神田祭の申酉の
わたらぬ先にみてし君かも

  神田祭
 九月明神祭礼前、外神田至内神田、
 桟敷両側如花並、蝋燭金屏光照氈。

  本町薬店太中庵のもとめによりて
 正銘のこれが本町一丁目
江戸の太中庵の妙薬

  菊
 酒をのむ陶淵明がものずきに
かなふさかなの御料理菊

 水鳥のすがもの里のたそがれに
羽白のきくの色ぞまがはぬ

  秋野
 むさしのの千草の秋はから錦
やまとにしきも及ぶものかは

 秋の野をわけゆく道は一筋の
原につらぬく露のしら玉

  海辺月
 いかなればくらげといへる文字なれど
あかるくみゆる海の月影

  寄泉祝
 新川の流れを樽の口あけば
くめどもつきぬ泉なるべし

 白水をながすといへる言のはの
文字はすなはち泉なりけり

  鎮西八郎の絵に
 八郎は弓手のながき生れにて
琉球いもをただとりてくふ

  龍田川の画に
 龍田川もみぢ葉流るめりめりと
わたらば錦横ざけやせん

  大津絵の鬼三味線ひくかたかきたるに
 さみせんもね仏も同じ鬼の首
かた/\おれてくだけおれ/\

  同鬼の居風呂にいる。虎の皮の褌雲の上に在り
 虎飛戻天鬼躍淵とは如何々々

  同奴雷におそれ挟箱のふたとみにて、耳をふたぐかた
 奴でも二つの耳をはさみ箱
もつての外につらきなるかみ

  おなじく女のおどるかた
 ちらほらと裾からみゆる甚九もて
甚九おどりか何かしら菊

  同お杉お玉
 田舎にもさてよいこきうさみせんは
お杉お玉の相の山かも

  おなじく弁慶
 弁慶が七つ道具もなぎなたの
たゞ一ふりにしくものぞなき

  遊女花妻が竹の画に
 川竹のふしどをいでゝきぬ/゛\に
袖ひきとめてはなつまじくや

  同大井のかける山水に
 島田よりちゝの金谷へわたるよし
大井の川のとをき水あげ

  清元延寿太夫へよみて贈る。
  ちゝの延寿斎と年頃なじみふかゝりし事を思ひて
 源のきよ元なればそのながれ
二世のゑん寿のちぎり幾千代

  鰹と茄子のゑに
 鎌倉の鰹ににたる三茄子
みな一ふじの高ねとぞきく

  布袋梅の枝をくゞる画に
 松の下いくたびくぐる南極の
ほしの南枝の梅もめづらし

  娘藍錆のかたびらをきて、青傘をすぼめてもつ絵に
 藍錆の藍より出でゝ青傘を
ひらかぬうちを娘なりけり

  紅白の梅の画に
 とくおそく一二りんづゝさきわけし
南枝北枝の紅白の梅

  蝦蟇仙人
 みな人は蛇をつかふに仙人は
ひきがへるのみつかへるはなど

  九月尽の日植木やの荷をみて
 菊紅葉おりしり顔に植木やの
秋を一荷にになひゆくらん

 お玉が池にて見奉りしある女君のもとより、梅が枝に冠と末広扇をそへし加賀紋の絹を賜りければ
 池の名のおたまものとて末広き
うゐ冠の梅がかが紋

  書画会は多く百川楼万八楼にてあれば
 万八の六書六法五七言
落つれば同じ百川の水

 おそろしや書画の地獄の刀番
つるぎの山をふむ草履番

 市川鰕十郎浪花にかへるを送るとて、文一子の画がける鰕に題するうた
 (歌脱落)

 市川市蔵-市鶴ことし鰕十郎-新升と改名して難波にかへるを祝して
 あらたなるかへなをみます市のつる
なにはの葦はいせの大鰕

  荘子に蝶のゑに
 二三年已前に植ゑし郭ちうの
さかした黄菊としら菊の花

  富士
 みづうみの出来たあふみの御届の
二三日すぎて富士の注進

  鎌倉円覚寺什宝仏牙の舎利、
  牛込済松寺にて内拝ありしとき
 おがむならならくにしづむ事あらじ
仏の骨が舎利になるとも

 儒者としてこの宝物を見る事は
これ仏骨の表裏の侍

  同じ日水稲荷毘沙門堂の紅葉をみて
 鎌倉の舎利を見たれば毘沙門の
塔はまだまだ青いもみぢ葉

 朝に鎌倉の舎利を見しが、夕つかた薬研堀の辺よしの屋にて、山谷の墨跡一巻を見たり。うたひめおかつ黒き繻子の帯して来りければ
 鎌倉の舎利と山谷の墨跡と
しめてお勝が黒繻子の帯

 めづらしきお勝がしゆすの帯の肌
ちよとさはりても千代はへぬべし

  此日十月三日にして已前も又三絶と云べし。
 必不得已而舎之、於斯三者矣。先曰舎舎利。
 又曰舎山谷。自古皆有帯。帯無心不立。ともいふべし

  市川鰕十郎加藤清正のわざおぎのゑに
 朝鮮で鬼とよばれし神の名を
名のれや鰕の髭に及ばず

  中村芝翫の舞台にてゑがける吃の又平の像に
 上方の役者は性がきらひじやと
いはんとしては吃の又平

  十二月の画賛
  正月若水
 湯の盤の銘にくめる若水は
まことに日々にあらたまのとし

  二月燕
 かりがねの交代なればつばくらも
野羽織きてやきさらぎのころ

  三月鶏合
 もゝ敷の桃の節句ににはとりを
二羽あはせてやみそなはすらん

  五月菖蒲
 長命のいととしきけば薬玉の
あやめの酒の百薬の長

  七月二星に月
 天の河ふたつの星の仲人は
よひのものとや月のいるらん

  八月稲穂に雀
 むらむらと雀のさがすたつなもの
落穂ひろふぞあまの八束穂

  九月菊に琴と酒壼
 淵明がつくらぬ菊に糸のなき
ことたるものは一盃の酒

  十月柿栗
 神無月神の御留守にうみ柿の
いつみの栗とゑみさけてまつ

  十一月(歌欠)
  十二月(同右)
  老子嬰児八十歳、東方桃樹三千年

 よろこびのあまの羽衣たちぬはん
君がみけしを置きそめし日に

  浦島太郎の画に
 乙姫の吸つけざしものまれねば
あけてくやしき玉煙草かな

  弁慶扇を里の子にわかちあたふるかたかきたる
 弁慶が里の子どもにくれてやる
堀河御所の万歳あふぎ

  孟宗の画に
 末の代となりゆきふりの孝行も
孟宗竹もやすくこそなれ

  桔梗
 秋ちかく野べ一画にさきいでゝ
月のかゞみや磨んとすらん

  百合
 くれないのあつき日影に夏の野の
露わきかへるさゆりばの花

  菜花
 春の野の蝶々とまれなの花に
こがねはたれもにくからぬ色

  阪東秀佳〔三津五郎〕、
  中村芝翫〔歌右衛門〕やりもち奴のわざおぎのゑに
 大和やと加賀やと江戸と大阪の
奴は外にまたない/\/\

  かねといへる小女の虫のやまひをやみける時
 心よくいねのしだりほかりいれて
0虫のかぶれる気づかひはなし

 金太郎小僧がもてる熊のゐに
おかねが虫やふみつぶしけん

  兎の画に
 枇杷の葉をもときこしめし玉兎
それでお耳や長くなりけん

  蝦夷細工の飯匙に
 駒の爪つがるの奥のゑぞ人の
髭あげてくふめしやもるらん

  紅葉に秋茄子のゑに(歌脱落)
  なまづ二つ不忍池にはなつとて
 おさへたるなまづはなしの種ふくべ
いけるをさくに不忍の池

  下谷根津氏彦五郎菊見にまかりて
 花よりも葉をやしなふやかたからん
春からわけし根津氏の菊

  同じやどりにいたらんとするに、
  河東節『松の内』をあるじのかたるをきゝて
 南陽の河東のふしをきくの花
みこしの松の内ぞゆかしき

 きくの花もすそに鞠のとくさぐさ
くずのからまる竹垣のもと

  高砂尉と姥との絵に
 高砂の松の落葉をかきよせて
たくや二人の茶のみ友だち

  神無月十三日甲子の夜、堺町泉屋のもとに、
  万秀斎の花を挿むをみて
 甲子にこがねの菊をいけの坊
水ぎはたちてきよきいづみや

  うしろむきの大黒をゑがきて
 世の中にうしろをみせてわがやどに
むかひてゑめる大黒のかほ

  土橋帰帆 深川八景の内
 あらがねの土橋にこがれゆく舟も
ちよとたちかへれひらに平清

  平清は料理茶屋の名也。一号養老亭

  八山紅葉
 もみぢばも七つ八つ山御殿山
にしきのとばりかゝげてぞみる

  霊芝
 ひとふたつ三つ秀たる草
みればよつの翁のとしもつむべく

  東厚子のもとにのろま狂言をみて
 とりがなくあづまなまりの若かいで
これやのろまの玉子なるらん

  猿猴盃をとる絵に
 曲水のゑんこうが手をのばしても
とることかたきさかづきの影

  福禄寿亀図
 南極老人頭似匏、万年亀甲尾如毛、
 人間万事慾無戴、頭与年齢不厭高

  みちのくの風俗かきたる巻物に
 みちのくの十ふのすがごも一巻に
かきつくしたる壼のいし文

  栄之がゑがける柳に白ふの鷹に
 右にすへ左にすゆるひともとの
柳はみどり鷹はましらふ

  白木や夷講 十月二十二日
 西の宮神のみまへにかけ鯛を
ならべてすゆる台のしろ木や

 柳樽桜鯛をもこきまぜて
けふぞ小春の若夷講

 白木屋にて栄之のかける黄金の龍の富士の山をこす絵に
 としどしにこがねの龍ののぼり行
ふじの高根の雪のしろ木や

 同じく高どのに、白隠禅師のかける竹の葉に鮎をつけたる絵に、鰷はせにすむ、鳥は木にとまる、人はね酒の気をやすむ、と書かせ給へるかたへに、一方をこひければ
 惜いかな白隠和尚出家して
さすがさびたる鮎もくはれず
 此夜何がし新宅の祝にゆきけるに、去年伊勢に写せしとて見せられける往昔童謡録といへるものの内に、鰷は瀬にすむ、鳥は木に泊る、人は情の下に住む、といふ歌あり。
 白隠和尚のかき賜へることばも此の頃はやりし歌によりてなるべし。さてさて書物といふものは一日もよまねばならぬものにて、其の日の事が其の夜にしらるゝ重宝なるものなり。

  仙人駕鶴
 遼東の華表の前の立場にて
仙人の乗る鶴の宿かる

  茶屋長意のもとにて時雨ふりければ
 村しぐれふりはへていこふ呉ふくばし
なじみの茶やにきぬるうれしさ

  同じ日歌妓おかつさはる事ありて来らざりければ
 おかつとは馴染といへどかつみへず
茶屋が茶屋でもいかゞなる茶屋

  鎌倉河岸の豊島屋のもとにて夷講の日、
  辰斎夷の鰹つりたる所画きければ
 名にしおふ鎌倉河岸の魚なれば
鯛より先にゑびす三郎

 酒ぐらは鎌倉河岸にたえせじな
とよとしまやの稲の数々

  大津絵の讃
 雲井から落す太皷の鳴神は
天の怒をおろしてやとる

  福寿草の画讃 花生福海波、根固寿山名、
 元日の草としきけば春風の
ふくと寿命の花をこそもて

  弁慶が鐘をかつぐ大津絵に
 叡山のゑい/\/\と弁慶が
力の程を三井寺の鐘

  桔梗おみなへしの画に
 陣中へ女はつれぬはづなるを
桔梗が原にたつ女郎花

  鳥居にたんぽゝの絵に
 初午の鳥居と思ふつぼすみれ
きねがつゞみのたんぽゝの花

  茶事をあさみて
 つくばひていかほど手をばあらふとも
にじり上りにつかむわらぐつ

  大黒ゑびす二俵の米をさしあげたるかたかきたるに
 大黒のふめる俵を曲持に
布袋も腕をまくるなるべし

  尾上梅幸、菊五郎と改名せしを賀して
 千金の春をもまつの下陰に
菊後の梅の花の顔みせ

  松かげに立てるまなづるのゑに
 高砂のまつの謡の一ふしに
さす胡麻塩のまなづるの色

  ひきがへる年始にきたるゑに
 年々に御慶めでたく候と
かいるのつらへかゝる若水

  四日市魚会所にて、歌妓おきをの来りければ
 あたらしき魚の数々品川の
おきをのりこむ押おくり舟

  何がしの宿に雪ふりける日、
  白き鳩の蔵の内に飛入りしを賀して
 ふり来る三枝の礼のしら雪の
みくらの内にはいる銀鳩

  剥六々歌仙色紙、以古役者絵代為一帖因題
 新明六ゝ歌仙店、張此狂言役者図、
 莫道狂言歌舞賤、其猶万葉古今乎

 十月晦日の花柳屋とともに市川三升をとひしに、十三年目にて堺町へかへりしときゝて
 たれもきけ十三年のかへる花
堺町ではしばらくの声

 ことしの顔見世堺町は立形多ければ男湯とよび、木挽町は若女形多ければ女湯といふ。葺屋町は嵐三五郎ふあたりにてしまひし後は顔見世なし。
 故にあさみて薬湯ともよび、又は水きれにて休ともいふ
 女湯も男湯もある世の中に
足の病はいかゞくすり湯

  芳村おますの女子をうめるを賀すしてよめる。
  名は米といふ。長芋問屋何がしの子なり
 米の数ますにはかれどつきせじな
ちぎりも長きいもとせの中

  酔中直江氏によみておくる
 酒のんだ上杉なればはかりごと
あるべき直江山しろの守

  三升の暫のわざおぎを
 暫くといふ一声に大入の
二千余町の花の江戸ツ子

  中村座に沢村田之助下りければ
 男湯も入込の湯となりにけり
衛士のたく火の松に田之助

 関根氏美濃尾張の川々のつゝみを修理すべき仰せ事うけ給はれるに、虎の絵にうたをこひければ
 千里ゆき千里かへれるいきをひは
虎の尾張や美濃の川々

  同じく毘沙門天をゑがきし扇に
 来年は子のとしなれどうしとらの
関根をまもらせたもん天

  ある高どのによべより酒のみて、
  えもいはぬものつらきちらして
 老ぬれば又あたらしく二丁目に
こまもの店を出さんとぞ思ふ

  文化乙亥のとし水無月十三日、
  難波の蕪坊みまかりけるときのうた
 極樂の東門前にすみぬれば
目をふさぐとも道はまよはじ

  思へば享和はじめのとし、なにはにまかりし時、
  折々なれむつみし事きのふの夢の心地して
 われむかし転法輪の車みち
たづねし寺の西門中心

  歌妓おかつの丸髭にゆひしをみて
 さゞれ石のいはほとなれる寿は
よもぎが島田丸くなるまで

 栄之の画に瀬戸物町おのぶと駿河町おかつをかけるをみて
 われものの瀬戸物町もまた過ぎぬ
島田も丸くするが町より

  大のしや富八の額に
 盃も客の一座と大のしの
富八此屋を潤しぬらん

  新橋伊勢島画帖序
 この比世に名だゝる人々の書画のふたつ文字牛の角文字、伊勢島のふるきをたづねてあたらしき橋のたもとに、雨にきる合羽の袖たゝみかさねつゝ、何がしのみたちの紋賜はりし蔦かづらながくつたへんとて、はし鷹の餌かひの雀の千声に鶴の一声をまじへ、鳩に三枝の礼義三百威儀、三千のこがねにもかへがたき一帖あり。之にそのことはりを書てよとあるじのもとめいなみがたく、あたり近き薬品の味をなめて、柳原のいとぐちをとくことしかり。

  戴斗子三体画法序
 書に真行草の三体あり。画も亦しかり。豈たゞ書と画とのみならんや。花のまさにひらくや真なり、かつちりかゝるは行なり。落花狼籍は草なり。月のまさにみつるや真なり。弓張月のかたぶくは行なり。みそかにちかき有様は草なり。
 雪の降りつもるや真なり。わた帽子とふりかゝるは行なり。
 大根おろしととくるは草なり。
 しからば雪ころばしはいかゞといはれ、この返答に行くれて、後へも先へもまゐりがたく、これなん窓の梅の北斎が雪の封きり絵本の版元、十二街中にあまねく円転して、世上に流行する事、猶雪まろげの布袋とよめり、雪仏とよめり、雪の山ともかたちをうつして、気韻生動いきてはたらくいきほいは、北斗をいただくきつねの如き変化自在の筆のあとに、かきつくす稿本数十張、これを三体画法と名づく。
  文化乙亥のとし雪のあした    蜀山人

  ふきや町高木屋にて
 高きやにのぼりて見ればふきや町
民のかまどのにぎやかなみせ

 千住にすめる中田六右衛門六十の寿に、酒のむ人をつどへて酒合戦をなすときゝ、かの慶安二年の水鳥記の事を思ひて
 よろこびの安きためしの年の名を
本卦がへりの酒にこそくめ

  又
 はかりなき大盃のたゝかひは
いくらのみても乱に及ばず

  定家卿月をみる絵に
 十五夜にかたむく月の歌よめば
あかつきのかねごん中納言

  木挽町松川といへるやどの額に、
  伊川法眼の画がける梅に福寿草をみて
 春風のふく寿さうさう咲きいでゝ
梅の立枝の花をまつかは

  竿の先に皿をまはしてたてるに、
  つばくらの竿にとまれるかたちかきたるに
 春の日の長竿なればくるくると
まはれる皿にとまるつばくら

  福禄寿のつぶりをから子のかつぎたる画に
 福禄寿みつをかねたる長つぶり
からこのかたにかけておもたき

  冬至の日浅草司天台にて〔霜月二十六日天気よし〕
 天正の冬至の晴かけふの日は
七観音か御講日和か

  小西氏八十八の賀に
 長生ときく仙人の子にしあれば
八そぢ八とせはいまた童べ

 あづさ弓八そぢ八とせを玉椿
やちよの春のためしにぞひく

  岩井杜若のわざおぎをたゝへて
 杜若もとゆえに紫の朱を
うばへる女しばらく

 みつ扇まねくこがねのやまとやは
日本一の花の顔見世

 見物は日々にあらたに又日々に
はいる女の銭湯の盤

  杜若に玉盃を贈るとて
 硝子をさかさにくめばうつくしき
玉のさかづき大入のさけ

  瀬川多門名を菊の丞と改めしを祝して
 大あたりきくのはま村いく瀬川
きのふの多門卿の君が名

 このたびよしつねのおもひもの卿の君のわざおぎなればなり。中村座にて阪東杢蔵といへる少年、羅生門かし青野といへる小女のわざおぎをみて顔色の奇野がはらのきりみせもいまは千とせの鶴賀新内因州鳥取の大夫のふところ紙いるゝものに、うたかけといはれてとりあへず
 千年の鶴の鳥取たちわかれ
いなばの山の松に巣をくふ

  源氏絵の色紙をみて
 此の色紙土佐にもみえず狩野家にも
あらねばすこし二割源氏絵

  江口遊女象にのる絵
 江口遊君尻自重、普賢大象鼻何長、
 文珠若衆是馴染、不駐西行乞食坊

 現金にかひなばわづか百象の
かりのやどりをおしむ君かな

  同じく西行のゑに
 ふんばりが江口をあいてかりのやどに
心とむなと釈迦に心経

  後水鳥記
 文化十二のとし乙亥霜月廿一日、江戸の北郊千住のほとり、中六といへるものの隠家にて酒合戦の事あり。
 門にひとつの聯をかけて、
 不許悪客〔下戸理窟〕入庵門 南山道人書としるせり。
 玄関ともいふべき処に、袴きたるもの五人、来れるものにおのおのの酒量をとひ、切手をわたして休所にいらしめ、案内して酒戦の席につかしむ。白木の台に大盃をのせて出す。
 其盃は、江島杯五合入。鎌倉杯七合入。宮島杯一升入。
 万寿無彊盃一升五合入。緑毛亀杯二升五合入。
 丹頂鶴盃三升入。をの/\その杯の蒔絵なるべし。
 干肴は台にからすみ、花塩、さゝれ梅等なり。
 又一の台に蟹と鶉の焼鳥をもれり。
 羹の鯉のきりめ正しきに、はたその子をそへたり。これを見る賓客の席は紅氈をしき、青竹を以て界をむすべり。所謂屠龍公、写山、鵬斎の二先生、その外名家の諸君子なり。
 うたひめ四人酌とりて酒を行ふ。
 玄慶といへる翁はよはひ六十二なりとかや。
 酒三升五合あまりをのみほして座より退き、通新町のわたり秋葉の堂にいこひ、一睡して家にかへれり。
 大長ときこえしは四升あまりをつくして、近きわたりに酔ひふしたるが、次の朝辰の時ばかりに起きて、又ひとり一升五合をかたぶけて酲をとき、きのふの人々に一礼して家にかへりしとなん。掃部宿にすめる農夫市兵衛は一升五合もれるといふ万寿無彊の杯を三つばかりかさねてのみしが、肴には焼ける蕃椒みつのみなりき。つとめて、叔母なるもの案じわづらひてたづねゆきしに、人より贈れる牡丹餅といふものを、囲炉裏にくべてめしけるもおかし。
 これも同じほとりに米ひさぐ松勘といへるは、江の島の盃よりのみはじめて、鎌倉宮島の盃をつくし萬寿無彊の杯にいたりしが、いさゝかも酔ひしれたるけしきなし。此の日大長と酒量をたゝかはしめて、けふの角力のほてこうてをあらそひ?かば、明年葉月の再会まであづかりなだめ置きけるとかや。
 その証人は一賀、新甫、鯉隠居の三人なり。
 小山といふ駅路にすめる佐兵衛ときこえしは、二升五合入といふ緑毛亀の盃にて三たびかたぶけしとぞ。
 北のさと中の町にすめる大熊老人は盃のの数つもりて後、つゐに萬寿の杯を傾け、その夜は小塚原といふ所にて傀儡をめしてあそびしときく。
 浅草みくら町の正太といひしは此の会におもむかんとて、森田屋何がしのもとにて一升五合をくみ、雷神の門前まで来りしを、其の妻おひ来て袖ひきてとゞむ。
 其辺にすめる侠客の長とよばるゝ者来りなだめて夫婦のものをかへせしが、あくる日正太千住に来りて、きのふの残り多きよしをかたり、三升の酒を升のみにせしとなん。
 石市ときこえしは万寿の杯をのみほして酔心地に、大尽舞のうたをうたひまひしもいさましかりき。大門長次と名だゝるをのこは、酒一升酢一升醤油一升水一升とを、さみせんのひゞきにあはせ、をの/\かたぶけ尽せしも興あり。
 かの肝を鱠にせしといひしごとく、これは腸を三杯漬とかやいふものにせしにやといぶかし。
 ばくろう町の茂三は緑毛亀をかたぶけ、千住にすめる鮒与といへるも同じ盃をかたぶけ、終日客をもてなして小杯の数かぎりなし?天五といへるものは五人とともに酒のみて、のみがたきはみなたふれふしたるに、おのれひとり恙なし。
 うたひめおいくお文は終日酌とりて江の島鎌倉の盃にて酒のみけり。その外女かたには天満屋の美代女、万寿の盃をくみ酔人を扶け行きて、みづから酔へる色なし。
 菊屋のおすみは緑毛亀にてのみ。おつたといひしは、鎌倉の盃にてのみ、近きわたりに酔ひふしけるとなん。此外酒をのむといへども其量一升にもみたざるははぶきていはず。
 写山、鵬斎の二先生はともに江の島鎌倉の盃を傾け、小杯のめぐる数をしらず。帰るさに会主より竹輿をもて送らんといひおきてしが、今日の賀筵に此わたりの駅夫ども、樽の鏡をうちぬき瓢もてくみしかば、駅夫のわづらひならん事をおそれしが、果してみな酔ひふしてこしかくものなし。
 この日調味のことをつかさどれる太助といへるは、朝より酒のみてつゐに丹頂の鶴の盃を傾けしとなん。
 一筵の酒たけなはにして、盃盤すでに狼籍たり。
 門の外面に案内して来るものあり。
 たぞととへば会津の旅人河田何がし、此の会の事をきゝて、旅のやどりのあるじをともなひ推参せしといふ。
 すなはち席にのぞみて江の島鎌倉よりはじめて、宮島万寿をつくし、緑毛の亀にて五盃をのみほし、な?丹頂の鶴の盃のいたらざるをなげく。
 ありあふ一座の人々汗を流してこれをとゞむ。
 かの人のいふ。さりがたき所用ありてあすは故郷に帰らんとすれば力及ばす。あはれあすの用なくば今一杯つくさんものをと一礼して帰りぬ。人々をして之をきかしむるに、次の日辰の刻に出立せしとなん。この日文台にのぞみて酒量を記せしものは、二世平秩東作なりしとか。
 むかし慶安このとし、大師河原池上太郎左衛門底深がもとに、大塚にすめる地黄坊樽次といへるもの、むねとの上戸を引ぐしおしよせて酒の戦をしき。
 犬居目礼古仏座といふ事水鳥記に見えたり。
 ことし鯉隠居のぬし来てふたゝびこのたゝかひを催すとつぐるまゝに、犬居目礼古仏座、礼失求諸千寿野といふ事を書贈りしかば、其の日の掛物とはせしときこへし。
 かゝる長鯨の百川を吸ふごときはかりなき酒のともがら、終日しづかにして乱に及ばず、礼儀を失はざりしは上代にもありがたく、末代にまれなるべし。これ会主中六が六十の寿賀をいはひて、かゝる希代のたはむれをなせしとなん。かの延喜の御時亭子院に酒たまはりし記を見るに、その筵に応ずるものわづかに八人、満座酩酊して起居静ならず。
 あるは門外に偃臥し、あるは殿上にえもいはぬものつきちらし、わづかにみだれざるものは藤原伊衡一人にして、騎馬をたまはりて賞せられしとなん。
 かれは朝廷の美事にして、これは草野の奇談なり。
 今やすみだ川のながれつきせず、筑波山のしげきみかげをあふぐ武蔵野のひろき御めぐみは、延喜のひじりの御代にたちまさりぬべき事、此一巻をみてしるべきかも。
        六十七翁蜀山人
        緇林楼上にしるす

  傘古骨買の声をきゝて
 この頃の天気のよきにからかさの
ふるほねかひて雨やまつらん

  猿子をあはれむ絵に
 子を思ふさるの心は人間に
三筋ばかりや毛もましぬらん

  みやこの崋山のゑがきし女のゑに
 ふり袖のみやこのてぶりわすられず
なにはの帰りあしにみてしが

  同
 いにしへの吉野よくみし人しあらば
かゝるあそびのさまやとはまし

  同
 みどり子をもつべき末はまろが竹
すぎにしいもが袖にしらるゝ

  旅
 なめてしるくるしきものと旅衣
きそ道中の軒の玉味噌

 詠五色狂歌
  青
 藍瓶の藍よりいで紺屋丁
柳つゝみになびく染もの

  黄
 金屏風菜たねの花の御殿山
同じ色なるてふてふつがひx

  赤
 山王の夜宮の桟敷しきつめて
みせの柱もつゝむ毛せん

  白
 八朔の白無垢きたる傾城の
雲のはだへのふりもよし原

  黒
 すみだ川墨すりながす雪ぞらに
今戸の烟たつ瓦竈

  十二月の景物に女の風俗をゑがけるに
  正月羽子板に娘
 ねがはくは手がひの狆となりてみんや
あらよい子や千代のこきの子

  二月摘草に囲者
 籠の鳥かこはれもののつみ草は
いつか広野にすみれたんぽゝ

  三月汐干の浜女
 つまとれる汐干にみえぬ貝と貝
あはせてうつせはまのせゝなぎ

  四月黒木売の女房
 一声を人に忍ぶの黒木うり
やせや小原の山ほとゝぎす

  五月菖蒲湯娘
 湯上りにみしをあやめのねざさしにて
下女のさつきが文の取次

  六月三線芸者
 さみせんの駒がたさして二上りの
舟は夕ベに三下りかも

  七月七夕官女
 黒がみもいつか素麺としどしの
七夕のうたよむとせしまに

  八月白無垢傾城
 北国のしるしの雪のしろむくは
たれをたのみのけふの約束

  九月生花後家
 此花の後にはいける甲斐なしと
たけなる髪をきりかぶろ菊

  十月夷講の下女
 神代より赤女といへる魚の名に
若えびすとてこしをぬかしつ

  十一月酉の市屋敷者
 御屋敷の外面如ぼさつ内心は
慾の熊手にかきとりの市

  十二月市帰り女房
 浅草の市に女のたつ事は
三十年も前にてはなし

  海老のゑに
 いせ海老もかまくらえびも芝海老の
お江戸にこしをかゞめてぞよる

 周信のゑに猩々雪を杯にうけもちたるかたかきたるに
 酔ざめにいざひとさしと盃も
雪をめぐらす猩々の舞

  鍾馗捉鬼図
 笛ぬすむ鬼をとらへて笛ならふ
をにこもれりとしらぬ大臣

  浅草市
 浅草の市にひかれて梓弓
矢大臣門いづるひとむれ

  歳暮
 行くとしをしめゆふうちにくる春を
まつやまつやの声ぞ聞ゆる

 とめたとめた暮れゆく年をおつとめん
草摺引のたぐひなりせば

  低屋丸彦のろま人形つかふかたかきたる画に、
  歌かきてよとその子のこふにまかせて
 今の世にのこるくぐつのたはぶれも
あたゞのろまの露の丸彦

  芋のゑに
 畑中にかぶりふれども皆人の
ほりするものはいもが面影

  破魔弓のゑに
 高砂の尉と姥とは一対の
弓のつるかめ松と竹の矢

  中村松江の来れるに
 たまさかの君の御出を松江とて
三光鳥の初ねをぞきく

  甲子の日に小槌をゑがきて
 智仁勇みつの宝をときどきに
うち出の小槌ゑこそわすれね

 仁と倹あへて天下の者たらず
みつのたからをうち出の小槌

 春の夜のたゞ一時も千金の月や
小判のはし居してみん

  達磨画賛
 南天竺の菩提達磨はるばると西より来りては梁の武帝にまみへし時、民の膏血をしぼりし堂塔伽藍をつくるをみて無上功徳とこゝろえ、つゐに少林のもとにかくれて面壁九年、教外別伝不立文字とはいへど、一切経の板行もこの門流の末になりて、おがみづきのめしくふぼんさんも、この蘗板のおかげによりて大般若の転読も出来、五七言の偈でも作るはまだまだ此輩なるべし。
 いたづらに雪まろげの作りものとなりて、子供の杖に穴をあけられ、疱瘡見舞の不倒翁、おきやがれ小法師とあたまをはらるゝも、また白眼のいたりならずや。

  松前のうかれめを名づけて我の字といふ
 松前のまつ人の名はえぞしらぬ
我の字といへるわれならなくに

  蜀山人々々々とにせ筆の多ければ
 書きちらす筆は蜀山兀として
阿房の出るにた山師ども

 春の比みやこにゆく人に物をおくるとて蒔絵にせんといふうたをこふに
 (歌脱落)

  瓢箪から駒の出る絵に
 瓢たんを出でたる駒やかひつらん
斉の景公馬は千なり

  香取屋又七四十二の厄に
 四十二の厄もいつしかこゆるぎの
いそいそとしてむかふいそかぜ

 これよりは六七十も八十も
九十も百もいはふ香とりや

  尾関矢之助養子にゆきける祝に門松をゑがきて
 松かざり一かどふえて破魔弓の
ねらひし的にあたる矢之助

  白米吉と改名しければ
 段々に禄もすゝみて取上る
末はかりなき米の数々

  傾城禿にきせるもたせたるかたかきたるに
 けいせいの与力は通ふ神(脱字)
吸付て出すきせる一本

  生姜と蕃椒の画に
 はじかみをすてずにくひし聖人も
とうがらしをばくふやくはずや

  服紗にかきし竹の画に
 千代よろづ幾よをかけて音づるゝ
風のふくさになびく呉竹

  八景
  日の宮の晴嵐
 さしのぼる朝日の宮の朝あらし
はれてまばゆき床の山風

  高橋夕照
 山にいる日も高橋と思ふまに
田づら一面てりわたるかげ

  鹿野山暮雪
 さを鹿の山にはやつの御耳の
ふりたてを見る雪の夕ぐれ

  花下楽秋月
 上々も下々らも秋の月一つ
ながむるこゝろ千差万別

  歓喜晩鐘
 二またの大根を時の撞木にて
入相のかねくわん/\喜天

  阪戸夜雨
 夜もすがらしきりふる木の松の雨
あすの阪戸の道やぬからん

  原田落雁
 ひらふべき人さへみえず目の下の
原田にちかく落る雁金

  畔洲帰帆
 入船は一ばん二ばん洲の上に
浦賀の切手帰る帆のあし

  六十七になりけるとしのくれに
 わがとしもけふの日あしも六十あまり
七つ下りになりにけるかな

  歳暮
 雪ふらず天気もよくて火事もなし
ひまさへあればよい年の暮

  祝歌
 箒たて草履へ灸をすゆるとも
千秋万歳われは長尻

  蛍
 冬がれに朽ちにし草も時をえて
野辺の蛍の光とぞなる

  豆男画巻序
 いせ物がたりのまめ男はまめやかなる男なるべきを、形のちひさき豆にたとへて色事の豌豆まめにかきなせしは、一合八文舎のたはぶれにして、大通豆の世のことわざなる、青豆の青黛、黒豆の黒仕立、枝豆の枝をかはし、羽根をならぶる雁くひ豆も、鬼うち豆の年を重ねて、座禅豆のさとりをひらく豆右衛門のむかしがたりを、鳥文斎の筆まめにゑがゝれし一巻に、わが口まめの序をそへよと、豆のまめがら七あゆみ、七里かへりてくふみそ豆に、そら豆のそらごとをまじへてしるす。

  白藤の説
 主人の号を白藤といへるは熊野鈴木の氏によりて、藤白根といふ事なるべし。
 東上総の夷潜の郡白藤源太の事にてはあるべからず。
 そもそも長き藤かつらくりかへしいへば、藤原の宮のふるごとはさらなり天の児屋根のみこと藤氏の栄は北の藤波さかりにして、藤のしなひの三尺あまりと、いせ物がたりに書きしるし、源氏の藤壺藤のうら葉、南円堂の藤は南都八景にあらはれ、野田の藤は浪花の酔舞にのこれり。亀戸の藤は門字池にたれ、佃の藤は碇綱と長さをあらそふ。
 藤寺は根岸と小日向にして、藤沢寺は遊行の道場なり。
 大津絵の娘は藤花をかつぎ、神明の千木箱は藤をゑがく。
 香櫨の藤灰うづだかくして、香匙火箸をまち、連歌の藤のはながきは一軒の執事につたふ。牛は朝から藤のはなづらを通され、松のふぐりは藤づるにしめらる。
 八ツ藤の御紋、みとせの藤衣、色目に藤色藤ねづみ、紋に上り藤下り藤、八百屋お七の紋は藤巴といひつたへ、藤伊が紙子は富士山をはりぬく。藤屋のあづまは与五郎になじみ、遠藤武者はけさ御前にはまる。
 藤戸のわたしは佐々木が先陣、斎藤太郎左が身がはり番頭、佐藤兄弟が忠義、加藤清正が鬼しやぐはん、後藤又兵衛が生酔、藤堂家の先手のはなしはすり毛なしの馬谷にゆづり、近?助五郎清春がむかし絵は骨董集の後編をまつ。
 呉服後藤今後藤、後藤がほりもの三所ものはみな藤棚の上にあげて、藤間のおどりを一おどり、狂言綺語のたはむれに、紫藤花落て鳥関々たる白氏文集、その白の字をちよとからかつて、藤といふ字の上におき、白藤などはどでごんすともいはまほしけれ。

  十二単衣の装束に十軒店の節句前を思ひ、
  すべりがみのたけ長きに五丁町の髪洗をしのぶ
 ひのはかま一つぬぎても二つ三つ
よついつゝぎぬむつかしき恋

  六十八になりけるとし
 五十から十八年のあまつ風
春狂言の雪のまくあき

  かうがいばしにて
 年礼のかりの一つらかへるなり
後なが先にかうがいのはし

  春のはじめ麻布さくら田町霞山いなりの前にて
 やがてさくさくら田町のさくら麻の
麻布のほとりまづかすみ山

  鳥越の明神にまうでゝ
 六十あまり七曲りをもゆきすぎて
又としひとつとりごえの神
  筋違橋より浅草までの道を俗に七まがりと云。

  むつき四日下谷のほとりの書肆にて、
  年比もとめし芭蕉翁の消息を得て
 年比の思ひの丈の草まくら
ばせをにつゝむしかもまさゆめ
 その消息は翁のもとより丈草に贈れる消息にて、
「卯の花やくらき峠の及びごし」といへる発句あり。

  梅に鷹の画に
 はし鷹の身よりたなさき両袖に
ふれてや梅の軒羽うつらん

  鷹の書に軒翥とかきてノキバウツとよむなり。

 子の日ざうしがやにまうでける帰るさに、水道町のほとりなる松がね茶漬といふをたうべて
 子の日してひくべきものもあらざれば
松がね茶漬よりてこそくへ

  姫路前侍從の君のもとより子日松を贈り給ひけるに
 棹姫の姫路の国の姫小松
子の日ねこじて賜ふ(以下脱落)

  孔明
 孔明の羽根の扇も綸巾も
どこやら似たる菊水の紋

  春月
 春の日の長きよひるのにしききて
花のみやこにゆく人はたぞ

 むつき廿八日上野の松原にむかしわが友麗水子のめでたる野中の梅をゆきてみしにいまださかざりければ
 むかしみし梅は野中の清水門
もとの心を知るやしらずや

  上野の桜をみて
 剃立の月代ひえの山ざくら
花のさくべき面影もなし

  妻恋坂にて
 もののふもさすがに恋のやまと竹
あが妻恋のみこと思へば

  仙人王処一の絵に
 かへすべき所もしれず傘に
王処一とはなどしるしなき

  白川少将五十の御賀に
  〔今年丙子五十九歳にて五十の御賀〕
 いそぢより末ぞたのしき久かたの
天の下なる人におくれて

  火をいましむる詞
 火は五行の一にして民生一日もかくべからざるものなり。
 されどその災をなすにいたりては、むかひちかづくべからす。天火は猶さくべし。人火はつゝしまずばあるべからず。
 禍を転じて福となすは其の徳をおさむるにあり。
 柳々州が王参元の失火を賀する文も小むつかし。
 われに七字の秘文あり。
 毎朝手あらひ口そゝぎて、南にむかひて三遍となふべし。
 その文にいはく
 家内安全火用心。ゆめゆめうたがふ事なかれ

  ゐのしゝの子をつれてかけゆく絵に
 いきほひをかるもの露にうり坊も
臥猪の床やかけ出ぬらん

  粟穂に雀の絵
 粟坊も稗坊も出よ雀子は
百になりても踊わすれず

  七十の賀に
 七十はをろか七百歳までも
慈童ときくは古来まれなる

  鷹の画に
 あら玉の年のはじめの初夢は
春駒よりもましらふの鷹

  初午
 手ならひの稽古に上るいなり山
いねのいの字やかきはじむらん

 わかゝりし頃は初午の前よりその日まで、太皷のかしましきまできこえし。近頃は稀なり
 はつ午のたいこの音のすくなきは
老たる耳の遠くなりしか

 太田姫いなりはみやこのいもあらひといへる所より、太田道灌の西城にうつして後、今の所にはうつれるなりときゝて
 山城のいもあらひなる稲荷をば
世の一口に思ふべからず

  傾城傘をさゝせて道中の絵に
 八文字ふりだす雨の中の町
ぬれにゆくべき姿なるべし

  竹に菊の画に
 くれ竹のよはひも長き菊慈童
七百歳や千とせへぬらん

  抱一上人月と鼈の画に
 大空の月にむかへるすつぽんの
甲のまろきや地丸なるらん
 大阪にて鼈をまるといふ。
 看板に地丸とかき、又は○とかきしもあり。
 本草細目釈名に丸魚は俗名とあり。

  同じく福禄寿に鶴
 福禄寿みつの重荷に鶴一羽
こづけをそへて一寸千年

  梅と酒とを好む人の酒壼に歌かきつけん事をこふに
 なには津にさくや此花寒づくり
今をはるべと匂ふ一壼

 きさらぎ十一日呉船楼にて歌ひめお勝あすは眉を落し歯黒めすときゝて
 白い歯のけふはみおさめあすよりは
又くろうととなりてさかえん

 千金の眉を落して万金の
歯をもそめなばよはひ十千万

  同十二日よみて遣しける
 青柳の眉うちはらふ春風の
すがたを千々のかねつけてみん

  黒き鷺に葦ある画に
 白鷺の黒きもあれば難波江の
よしとあしとのあらそひもなし

  土岐甲州の馬見所の聯に
 うま酒の壼うま場にてみるときは
心の駒もいさみたて髪

  上野の山に梅をふたゝびとひて
 ふたもとの杉をしるしに二日まで
一木の梅をたづねてぞきつ

  すみ田川五百崎のほとりに百椿ありときゝて
 玉つばき百種のみかは五百崎も
八千代の数もいでんとぞ思ふ

  紅葉のもと二人たてり。一人は若く一人はとしたけたり
 むら紅葉ならびて二人たつた姫
うすきは妹こきはあね君

  庚申
 みずきかずいはざる三つを守りなば
三尸の神も感応の編

  甲子
 甲子にうち出の小槌うち出でゝ
数の宝をまくやこの神

  三巳
 つちのとのみまちに願をかけまくも
かけてぞいのるくちなはの神

  竹
 信濃には竹なしときく王子猷
一日も居る事はあたはじ

 劉器之も一盃くふた蘇東披の
玉版和尚その名たがへな

  布袋笛をふく絵に
 きんざん寺背中に目ある和尚殿
あななき笛やふきすさむらん

 両国橋のほとりにて此頃尾張の海にてとりしといふしやち鯨のみせ物あり
 いさなとりいざや見んとて両国の
はしによりつくわれ一の森

 ふじの山に鶴をゑがきて戯子芝翫のうたよめと人のいひければ
 吾妻なるふじをみすてゝなには
江のあしべをさしてかへりつるかも
  鶴は芝翫のかへ紋なり

  布袋月を指さす画に
 大かたは月を指さす指ばかり
みて袋には一物もなし

  万歳才蔵の肩に鳶凧の落ちかゝりたるゑに
 鳶飛で天から落ちしいかのぼり
いかゞはせんず万歳のかほ

  麹塢のもとにて
 細道は梅にたどられてたれもきく
塢のやどぞしらるゝ

  発句
 江南の花や三百六十本
 春もはや梅の世界となりにけり

 新楽氏母君の八十の賀に、津の国三田にて陶すといふ富士の形したる小皿十枚をおくるとて
 はたち山よつかさねたる八十より
十づゝ十もさらにかさねん

  神田明神肚内人丸大明神像縁起奥書
 右崔下庵菊岡沽凉翁の記する所かくのごとし。
 已に翁の著はす所の江戸砂子にもそのよしをしるし、法楽の発句をさへしるせしに、いかなる故ありてか神田の社地にもおさめずして、今に菊岡氏の家にありしを、ことし藤原県麿此神影を拝して翁の志をつぎ、新に新田のみやしろの端、籬の中に宮づくりして此神影をうつす事とはなりぬ。嗚呼翁なくなりにたれど神のみかげとゞまれるかなともいふべし。
  文化十三年丙子月    杏花園しるす

  梅くゞりの福禄寿のゑに、
 南極のほしのつぶりのきらきらと
梅の南枝の下くゞるらし

  三月三日はわが生れし日なり。朝とく湯あみするとて
 むそ八そをむかしのもゝの節句には
産湯かゝりしはだか人形

  雛
 雛と雛鶏合さんむさしのゝ原
舟月雛に皇都玉山

 はまぐりのあさつき鱠玉山と
舟月雛やいかがみるらん

 三月三日松の屋にてなにはの歌女市松がうたをきゝて
 三千とせになるてふ桃の節句には
よもぎが島の内にこそいれ

  浪花島の内の歌妓なれば也
 三線のねあがり松の髪かたち
見ればそのまゝ玉山の雛

  狂歌堂真顔
 雛棚のそのはちうへの桃よりも
節おもしろきものは市松

  朝顔
 牽牛子の名におふ花は七夕の
のちのあしたとみるべかりける

 豆腐うる声なかりせば朝顔の
花のさかりは白川夜舟

 鶯谷に家居しける頃、あたりちかき乳のなき子をやしなひたてしが、ことし弥生ついたちうみの母のなくなりけるときゝて
 鶯のかひこの中におひいでゝ
死出の田長をしるやしらずや

  やよひ五日上野の花をみて
 山桜去年もけふこそ見に来つれ
又のやよひのいつかわすれん

 しら雲の上野の花はみよしのゝ
ちもとの中のひともとゝきく

  伝通院の糸桜やゝさかりなり。三月六日
 百八の珠をつらぬく糸桜
七分のかねに花やさくらん

  和歌三神
 朝霧に島がくれゆく舟かたを
よくみつけたる人丸のうた

 垂跡は玉津島にて御本地は
衣通姫の流とこそみれ

 和歌の浦のひかたまりたる芦田鶴も
汐みちくればぱつとたつ波

  南隣甲賀氏の庭の桜さかりなり
 南殿の桜の宴やかくやらん
こなた隣の花おぼろ月

  木下川薬師開帳の奉納の聯に、
  なこその関の桜のゑかきたるに
 山桜ちれど鎮守府将軍の
なこその関の名こそ朽せね

  瓢箪に鯰の画に
 高値なうなぎはくへず顔淵の
鯰をさいて一瓢の飲

  弥生十二日舟にてすみだ川にまかりけるに、
  花いまださかず
 すみだ川さくらもまだきさかなくに
うきたる心花とこそみれ

  春の日芝のほとりにて
 春の日もやゝたけ柴の浜づたい
磯山ざくら見つゝあかぬも

  浜庇といへる茶屋にて
 しばしとてやすらふ芝の浜びさし
ひさしく見れどあかぬ海づら

  御殿山を見やりて
 御殿山花はいづことしら雲の
かさなる山やなゝつやつ山

   あやめ草

  大津絵の賛
 双六のひとつあまれば大津絵の
四十八鷹五十三次

  冬至府中戯作
 冬至一陽勘定元、雪中生二下駄痕、
 烟筒灰動湯呑所、彩線尻長仕舞番

 韓信股をくゞる画の賛
 からはから、日本は日本、唐の紙屑のみを拾ひて、
 にほんの刀をわするゝ事なかれ
 道なかにたつの市人きりすてゝ
またはくゞらぬやまとだましひ

  鬼ノ念仏の画讃
 悟れば九品のうてな、迷へば二本の角。
 念珠となりてくだくるとも、鬼瓦なりて全き事なかれ。

  頼朝伏木がくれの絵に
 七人の中にひとつの大あたま
ふしきのうちにかくしかねつゝ

  久永氏の庭に白鷺池あり
 しら鷺の池としきけばいやにても
五位の上にはのぼるべきなり

  将之浅草市、雪後道悪。半途而帰
 浅草市泥残雪深、欲行引返半途心、
 近来乗駕不乗興、何必夜参観世音

  わざおぎ人の市にゆくとききゝて、
 浅草のけふ市村か中村か
名にたてものとみたはひがめか

  尾上松緑松助父子を祝して
 周の春殷の柏のわか緑
名は夏后氏の松をもつては

  としのくれに
 衣食住もち酒油炭たきぎ
なに不足なきとしの暮かな

 此歌よみし師走廿五日大久保といふ所にて宅地賜りて住居を得たり。折からもちゐねる日にあたりしも、
 衣食住もちとつゞけしさとしにや
名歌のとくもあればあるもの

 哉年の尾のしるしをみせて大まくり
大小にこそ暮れて行くらめ

 今さらに何かおしまん神武より
二千年来くれて行くとし

 防河の事うけたまはれる国のかみ二所よりしろがねを贈りければ
 御手伝大名二軒二度の雪
十七枚の銀世界なり

  ことしのくれのよろこびをしるす
 家くらの修復家うちのきぬくばり
子孫繁昌屋敷拝領

  六十二になりけるとしのはじめによめる
 ことはざの人間六十二年とは
甲陽軍を鑑もちかな
 甲陽軍鑑第八品に人間六十二年の身をたもちかねといひかしことばを思ひいでゝなり。

 去年よりあまたたび雪ふりて、若菜一抱のあたへ七十二文にかふるもめづらしとて
 三文の若菜も雪の高ねにて
七十二文棒にふりつゝ

  ことしは若菜も芹にかふるもの多し
 春の野の若菜も雪にうづもれて
思はぬ岸の根芹をぞつむ

  正月二月の夜雪ふりければ
 初夢の一ふじの雪ふりいでてゝ
茄子も白なす鷹もましらふ

  花さかせ爺の絵に
 むかしたれいかなつかさの灰をまきて
かれ木の枝に花さかせけん

  辰巳屋翁扮戯図
 おまつりと神楽の堂にたつみやの
かれ木むすめや花さかせぢゝ

  示禅僧
 逢仏殺仏、逢祖殺祖、逢布子殺布子、
 逢蚊屋殺蚊屋、通八箇月、始得解脱。

  題土屋清三壁
 地近若宮神徳深、居号土屋土生金、
 年中正直寿延命、家内安全火用心

  去年より雪しばしばふりけるに
 こぞことしふりつむ雪にあやかりて
あくまで花をみるよしもがな

  金馬亭にて岩井杜若が羽織のうらに書いてつかはしける
 蓬莱山には千とせふる、万歳千穐かさなれり、
 松の枝には鶴すくひ、岩井の上に亀あそぶ
 これなん祇王が『君をはじめて』、
 静が『しづやしづ』とうたひし今様ともいふべきかも。

 花井才三郎はじめて朝比奈のわざおぎすときゝて口とくよみてつかはしける
 初春の花井才三が大入は
これ元日の三ツの朝比奈

  席上作
 唐大和堺町、葺屋町尤栄、
 春色千金富、市村第一評

  又
 岩井流清杜若叢、市川団助字三紅、
 更迎花井朝比奈、築地笑談対善公

  金馬亭にて神農・張仲景の掛物を見る
 神農も張仲景もあきれなん
長沙の大酒その意ゑん帝

  舟にのりて深川へ行くとて
 宝舟のり初もよし千金の
富ケ岡辺の春の一時

  尾花楼のあるじ置酒洞と号す
 千々の秋尾花なみよる高どのは
また格別に春をおく洞

  節松嫁々むつき九日身まかりしと聞て
 ふしまつの嫁女さまことしゆかれけり
さぞや待つらんあけら菅江

 堺町の番付に中村歌右衛門の名の左右をあけて書くもおかしくて
 江戸ものの仲間はづれの歌右衛門
左右のすきて見ゆる番付

  杜老といへる二字を岩井杜若に書てもらふとて
 少陵の野老帽子の紫の
ゆかりの色の名をかきつばた
  けふより蜀山の杜老ともいはんかし

  詠柳狂歌并序
 六樹園のあるじ一樹の柳を題としてざれ歌のむしろをしく。その巻のひもとくとくの柳の糸のかゝれることのは、根ほり葉ほりあまさずもらさず、からのやまとの古事来歴、淵鑑類函・佩文韻府・五車韻瑞にもつみあまりて、淀ばしの水ぐるまくるくるめぐり、大木戸の荷付馬ひきもきらざるべく、今さら馬蹄の跡へんとなりて、覇橋の柳も折りつくしたれば、かの左の肘に生たる柳を枕として、柳原の何楼の刀、よいほり出しも中の町、道のほとりの二もと柳は柳まちの一ふしをつたへ、柳樽桜鯛千金還軽とは雲州の消息にみえたり。今少し柳花苑の調子をあげて怨を苑に書きかへし四角な文字で申さふならば、詩に柳を折り圃を樊ふ狂夫の狂の字もなつかしく、易の枯楊梯を生ずは大師の御鬮の吉なるべし。孟子に性は杞柳のごとしと、蝦夷檜の曲物にたとへ、草木子に柳を焼て炭となし。
 又灰計に入るときは銅を点じて銀となすといヘり。
 漢代の人柳は日に三度起きて三度眠り、楡柳の火のかちかち山には楊花の粥をすゝるとかや。
 大原にすむ御殿ものは岸柳秋風遠塞の情をうたひ、女郎花の姫君は青柳に五月の雨をこきまぜぬ。
 三河の柳堂はお有がたい御旧跡を残し、曹司谷の柳颪は風車の風になびく。本所に柳島、甲府に柳町?柳の道場、柳の馬場、柳原大納言、柳里恭のひとり寝は路柳檣花の趣をのべ、楊柳小蠻が腰もとは白楽天の御秘蔵なり。その外明律の柳葉刑はきくもおそろしく、柳花と柳絮と同じからずとは、寄園寄所寄のうがちにして、いひつゞくれば柳のはてしなく、絮煩をやめて話下にあらずとしやれておくべし。
 これはさておきこゝに又その小説の聞取法問、通俗本の俗語の両点、此比世にみちみちたり。其書たるをみれば殺伐の画だらけ、幽冥のうすどろどろ、御慶めでたき正月したる生ひさき祝ふわらはべの見るべきものにあらず。敵討といひ仇討といひ、柳子厚の駁復讐議、八重がたきの推刃の道、礼記の共に点を戴かざるは周礼の調人の役義をいかん。
 日本史の孝子伝にも曾我兄弟や阿新をのせて、史職旌表の跡たへし時の盛衰のためしにひけり。時の盛衰世の汚隆、隆達のやぶれ菅笠しめ子の兎の耳長く伝はりぬ。
 それかとみればあふみのや鏡の山のかんがらす鯛のみそずで四方の赤は太平の代のすがたにあらずや、がてんかがてんかと、ひとりがてんしたところが、千匹の鼻かけ猿、さるうたよみと人にいはるゝ難波のうみは伊勢の大人、あさか山の山のいも、うなぎの名びらき多かる中に、六樹の六租のから臼などはむかしとり?る杵づかなれば、四方の扇の要ぬけてばらばら扇となるとても、衣鉢も鯨爪もいるべからず。
 かゝるいくぢもない袖をふらせ、もえ杭に火のつくごとく如在の序をかけといふ。されどかの殺伐のはなし、幽冥のいまはしきにくらぶれば、めでたやめでたや春の初の春駒のかひに行きかふひなぶりなんどは、夢に見てさへよいとや申さん。
 よりて久しく休み株もあらたに、しめ木の糟をしぼりて、石炭のことばをかきまぜぬ。もとより火入のかんざまし、少々水のまじれるは、かた山の手の事なればなるべし。
 ところ/゛\ふし/゛\ありてなまよみの
甲州糸に似たる青柳

  梅川詞
 諾楽旅籠屋、三輪茶屋端、
 廿余四十両、遣果二分残

  書画帖序
 口より出るを詩歌といひ、尻より出るをおならといふ。たゞおならのみくさきにあらず。詩歌にも亦わるくさきあり。
 唐一代を四ツ割にして、初盛中晩の梯子屁といひしも、盛唐くさきの偽唐くさいのとブウブウをひり散して今は放翁・誠斎のすかし屁をこく世とはなりぬ。やまとうたは馬鹿律儀にして、奈良のはのおならのは外は、草庵集や新題林をにぎり屁のにぎりつめて、おもしろく候をかしく候と、屁玉のやうな御放庇をいただくもおかし。
 こゝに狂歌こそをかしこものなれ。
 師伝もなく秘説もなし。和歌より出てわかよりをかしく、藍より出し青瓢たん、そのつるよもにはびこりて、性はせんなり瓢箪の、丸ののの字をかくばかり、二百五十の同庵が、やきもちをやくこととはなりぬ。
 いらざる老のにくまれ口、こゝらで筆をとめ木のかほり、自讃くさいはくさいもの身しらずとでもいひなさへ。

  女達磨のゑに題す
 庭前柏葉斎宮紋、面壁九年弟子分、
 私同色客乗蘆去、教外別伝不立文

  題寒垢離画
 寒氷可履也、中庸不可能也

  鰹の画に
 鎌倉の海よりいでゝむさしのゝ
はらにいるてふ三千もとの魚

  傾城の画に
 白妙の藤伊は雪のふじのねを
はりぬきにせし夕霧が文

  猿牽の画に
 身代在嚢猿在肩、不堪煩悩犬追懸、
 朝四生烟一升米、暮三起浪百文銭
 さる引の百一升の米と銭
あしたに四軒くれに三軒

  出女の化粧するかたかきたる豊国の画に
 頬べにの赤阪ちかき黒髪の
油じみたる御油の出女

  竹に雀の画に
 とまるべき雀色にやなりぬらん
夕くれ竹のふしどもとめて

  鷺と柳に雪の絵
 こもり江にひそめる魚やもとむらん
柳がくれの雪のしら鷺

  ことしの初年礼にきたる門々に返礼をせざる申訳とて
 ふる雪も二三べん又三四へん
御へん礼にはこまる正月

  鳥羽絵の巻物のはし書
 笛皷の音おもしろく戯をなすごときものあり。
 祈祷の壇を構へて大息つくがごときものあり。
 田楽法師のごときものあり。千引の岩よりおもかるべき宮木ひく綱きれてふしまろぶかたのごときものあり。
 綱代車の牛こてははなれて走るがごときものあり。
 すべてたなひく雲のたちゐ定めず。流れたゞよふ水茎の岡に、たゞ高山寺の三字のみさだかにみゆ。
 夢かと思へばうつゝ、うつゝかと見れば夢。

 文化ときこゆる暦も七まきかさなれるとしのむつきの末、
 柳を結て車とし草をつかねて舟となすの日 遠桜山人

  京都初午
 いなり山稲をになへる老翁に
あひしむかしを今に初午

  難波初午
 妻と子の手さげのにぎりたづさへて
初午酒をひとつ杉山

  江戸初午
 いざあけんゑびや扇屋とざすとも
王子のきつね鍵をくわへて

  岩井杜若かわざおぎに墓よりほり出したるかたをみて
 むらさきの江戸の根生のかきつばた
ほり出してこそみるべかりけれ

 目のあたへ口のあたへも千両を
たかにせん両かねのやまとや

 俳諧は夏和歌は春いつとても
あたりはづさぬかきつばたかな

 木挽町森田座の芝居になにはのわざおぎ人多く来りけるときゝて
 百余里を三十間に引きよせて
道頓堀の春の入ふね

  市川市蔵・藤川友吉といへるわざおぎをみて
 あづまぢにきかぬ藤川市の川
美濃と播磨の新下り米

  松有春色
 梅やなぎ枝かはせども一もとの
松のみどりの色ぞえならぬ

  竹に雀の画に
 雀どのおやどはどこかしらねども
ちよつ/\とござれさゝの相手に

  唐詩のことはをもてよめるうだ
 高館に燈張れば風清く夜鐘残月雁帰声

 不知心誰をか恨む朝顔は
たゞるりこんのうるほへる露

  月雪花
 花はさかりに月はくまなきをのみ見るものかはと、ならびが岡のすねものはいへれど、花は立春より七十五日、月は三五夜中の新月、後の月もまためでたし。
 雪は豊年の貢物とはいへど、つめたく跡くさらかしもうるさしと、明阿弥陀仏の文にもかけり。
 けふふるとても若菜のあたひたかうならぬほどこそ、門田もる犬もよろこぶべけれ。

  琵琶法師
 あふさかの山はたくぼく流泉は
関の清水ときくや蝉丸

  花
 蚕きせ米をくわせて花までも
みよと造化のいかい御造作

  無量山の花をみて
 はかりなき仏の御名の寿を
山の桜にゆづりてしがな

  瘡寺いなりのやしろの前にしだれ桜あり
 ひもろきの団子のくしをさしかざせ
しだれ桜の花のかさもり

  上野に笠ぬぎざくらといふあり。
  慈眼大師の植ゑさせ給ふといへり。
  むかし黒人の社中の人の歌に
 中堂のこなたにたてる一本は
慈眼大師のおんさくら花
  といへるを思ひいでゝ
 此花は慈眼大師のおんさくら
みな笠ぬぎて拝あらせ給へ
  上野第一の古木にしてよしのの種なり。
  かこみは一丈にあまれる大木なり

  夷の画に
 釣上げし赤女を横に抱きしめて
いつも心のわか夷かな

  大黒のゑに
 鬼は外幅はうち出の小槌にて
数の宝をまかきやらの神

  三番叟
 舞よりもまたにぎはしき三番叟
さあらば鈴をまいら千歳

 中村座の狂言に沢村源之助梅の由兵衛をなせしとき
 見物も八重さく花の大入の
比は弥生の梅の由兵衛

  山門五三桐といへる狂言の名題によせて
 山門の高き弁当桟敷代
五三の桐の金もおしまじ

 葷酒でも何でもはいる山門に
五三の桐のこがね花さく

  おのぶといへる芸者によみてつかはしける
 三味線の糸ながながとひきつれて
ちとせのよはひおのぶとぞきく

  土屋にて紅梅をみる
 紅梅をみんとてけふはこうばいの
客も亭主も顔は紅梅

  はとり阪道栄寺の桜をみてはとり阪といふを物名に
 花あれば見にこそたづねくれはとり
さかしき道のやみもあやなし

  神齢山護国寺の花をみて
 千はやふる神のよはひの山ざくら
さかりもながき心地こそすれ

 入相のかねはならねど山寺の
花は寂滅為楽とぞなる

  折から入相のかねをつきければ、
 山寺にちりしく花の小紋形
注文の通入相のかね

  蓑市
 七重八重こがねの蔵の山吹の
みのひとつだにうれものこらず

  隅田川に花を見て
 遠乗の馬二三匹すみ田川
つかれたりとも花につなぐな

  わざおぎ市川市鶴によみて贈る
 なにはえのあしのこやくのはじめより
至上々吉の市鶴

 御ひいきのひく木挽町尾張町
市に鶴ありみせに亀あり

  市川団作によみて遣しける
 短冊も団作もまたたはれうた
市川流のひとつ反古庵
 反古庵はすみ田川の辺にかくれすみし白猿が庵の名なり。

  木挽町の茶屋尾野屋といふによみてやる
 山鳥の尾の屋にさく初桜
ながながしくもあかぬ大いり

  案山子のゑに
 心なき弓矢に心ある鳥を
いかゞしてかや驚かすらん

 北馬子と外一人とともに巴屋の酒楼に酒のみけるに一人は下戸なりければ
 みつ巴ひとつ巴はき下戸にて
ふたつ巴はゆらゆらの助

  北馬のゑがける傾城の二人禿をつれたるに
 北馬の槍北里と対の禿
筆沢山さうに見る事なかれ

  日光山よりうつせし桜ありときゝて
 根ごしたる桜ひともとふたら山
ふたをしつゝも風やいとはん

  長瓠の銘
 瓠子夕顔五条露、蕉翁朝飯四山烟

  金埓がかける大般若六百巻転読の僧の画に
 大般若六百巻も何かせん
金埒が歌ははだか百貫

  蘭洲がかける画月僊に似たれば
 月僊かそれかあららぎ洲の上に
たてるしら鷺しらがの親仁

 桜のもとに三猿あり。
 一つの白猿口をとぢて両の手にてふたつの猿の耳と目をふたぎたるは、見ざるきかざるの心なるべし
 面白い事をもみざるきかざるは
さくらを花といはざるの智慧

  徹山が鹿の画に
 たがみても馬とは見へず徹山が
羊の毛にてかけるさをしか

 坂東三津五郎岩井半四郎大のしやと書たる傘をさして出しわざおぎに
 浄るりの幕は大入大のしの
相合傘のやまと大和屋

  新材木町にすめる花の屋少々道頼をいたむ
 思ひきや芝居がへりの道よりが
香華の屋にならんものとは

 少々の道よりなればよけれども
十万億土さつてかへらず

  郭公の玉章といふものさぬきの国しら峯にあり。
  うたよめと人のいふに
 しら峯の山ほととぎすはま千鳥
あとはなしともかよふ玉章

  親鸞上人五百五十年忌
 こゝのつのはすのうてなにあなうらを
むすびしよりもとしはいくとせ

  郭公
 ほとゝぎすなきつるあとにあきれたる
後徳大寺の有明のかほ

  庸軒流生華の師五英女一週忌に
 いつまでも猶いけ花と思ひしに
はや一めぐり水ぎはぞたつ

  吟蝉女二十七回忌
 かぞふればはたとせあまり七とせの
春秋しらぬ空蝉のそら
  右の二うたは北馬のもとめによりてよめり。

  小日向壁付番所といふ所に此君亭あり。
  中ノ橋普請にてまはり道せし時
 江戸川をへだつる中の橋ばしら
たつた一重の壁付番所

  杜若の芸をみて
 麻の葉のかのこまだらに業平の
ひしこそ立のふじの大和屋

  住吉白楽天の画讃
 青苔帯衣掛岩肩、白雪似帯廻山腰

 苔ごろもきたるいはほはさもなくて
きぬきぬ山の帯をするかな

 楽天が詩白俗の称ありといへども、かゝる平仄のなき詩はつくらじ。神詠は神主の上手下手によるといへども、津守の何がしもかくつたなき歌はよむまじ。成事不説、既往不咎といへば、とにもかくにも謡つくれるものの心次第なるべし。
 むだ口をはくらくてんがことのはも
久しくこれですみよしの松

  浅草並木巴屋にて蜂房の画会あり
 さしてゆくはちはみつ蜂みつ巴
むらがりあそぶ蜂房の会

  かひこ庵に酒のみて
 山まゆのいとひきいだすかひこ庵
酔ひての夢は蝶とこそなれ

 たちかへりまたくふべしとおもひきや
鱧のほねきり難波江の波

  すみといふうたひめによみてつかはしける
 かくれなき江戸のすみからすみまでも
すみよし町のすみがすみかは

  かひこ庵にてすみかへらんとするに、
  又きよといへるうたひめの来りければ
 はや一座すみてかへれば生酔に
おきよとつぐる三線の音

  夏富士
 時しらぬ山とはいへどさくや姫
かのこまだらに裾は当世

  狸酒かひに行くかたかきたるに
 払はずに年ふる狸さけかひに
ゆくや化物やしきになるらん

  布袋味噌する画
 味噌すりてまたんお客のくるまでは
五十六億七千万歳

  さつき十一日萩の屋翁大屋裏住身まかりしときゝて
 長櫃と思ひしものを重箱の
を萩となりぬあきもこぬまに

 五月十七日狂歌堂にて其子礼蔵有卦に入りし祝すときゝて
 今日の祝とわれにさゝげ飯
師走をうけに入りし礼蔵

  五月雨
 おりおりは時あかりしてからかさを
たゝめばまたもひらく五月雨

  有卦の祝に
 福の数七ツにみてる幸を
けふよりうけの年は来にけり

  同祝にふの字七かさねて
 うけにいる数はなゝとせ何事も
わらふてくらせふゝふふゝふゝ

  山水の画に堂あり虹あり
 此堂は観音堂か夕立の
はれわたるにじ無尽意菩薩

  島田氏狂名をこふまゝに大井川明となづく
 島田から通るは歌の御状箱
俊成卿の九十川でも

  鯉の画に
 魚の名はむさし下総ふたつもじ
牛の角文字川向ふ島

  西行銀の猫のゑに
 此猫は何もんめほどあらうとは
かけてもいはぬ円位上人

  福禄寿とから子を亀の甲にのせたる画に
 福禄寿こだま銀をもかけそへて
はかりくらべん万歳の亀

  むかふ島のゑに
 むさしやを出てまつちや/\と
提灯ふりしむかし恋しき

 さつき十七日狂歌堂にてわらはのうけに入りたる祝歌よめりしに、同十九日身まかりければ
 思ひきや涙をひとめうけにいる
七年の夜の雨ふらんとは

 たらちねの親のまなこのおくつきは
かのちゝのみの大きなる寺

  小石川中台山光円寺なり。
  水無月十九日真玄院慈光修言の墓にて
 ちゝのみのしげれる寺の木のもとに
たちよりてまづぬるゝ朝露

  嵯峨釈尊回向院にて開帳のとき
 両国の三国一のみほとけの
とばりひらけばこがね花ふる

  あつき日両国橋に鑓のかげたへければ
 両国の橋に一筋たへたるは
やりはなしなる世にこそありけれ

  鰡魚
 みなひとのいなとはいはぬすばしりの
名よしの名こそめでたかりけれ

  晴雲妙閑信女忌日
 晴れわたる夏野の末の草の原
朝露わけて誰かとはまし

 雲となり雨となりしも夢うつゝき
のふはけふの水無月の空

 妙なりしみのりの花をねざしにて
露もにごりにしまぬはちすば

 閑にもしづの小手まきくりかへし
思へばながき夏のひぐらし

  天王祭
 天王の夜宮の光やはらけく
御殿の瓜もちりにまじはる

 玳瑁の櫛いなだ姫二三人
ゆかたのまゝで出雲八重垣

 鯉を抱く両手なけれど四手綱
ひきてのどかに日をくらすめり

  起あがり小法師の画に
 ひいふうみよついつゝむつなゝころび
八おきあがりて九年面壁

  恵美須鯛を荷ひて来る画に
 日本橋から三ぶといふ若夷
かついで来たりあつらへの鯛

  狐藻をかつぐ画に
 浜むらの大夫さんには藻をかつぐ
きつねもかなやせん女なるべし

  王子の月蔵坊に酒のみて
 昼中に月蔵坊の門とへば
まづ盃に酒のなみたつ

  火炎玉屋といふ青楼にて
 たまたまやとは思へどももえ杭に
火のつきやすき火炎にぞいる

  春日野といふうかれめ
 春日野の若む らさきのうちかけに
お客のみだれかぎりしられず

  宮戸といふうかれめ
 宮戸川わたりもあへず引四ツの
鐘が淵こそはやうきこゆれ

  題しらず
 加賀笠の俘世小路になれなれて
きぬる人とはたれかわかなや

 川吉といふ船やかたにて大川に出しに、此ごろの雨に水たかうして船すくなく花火もなし
 屋根船と思ひしものをやかた船
花火なくともまゝの川よし

  筋違橋に長芋問屋あり
 川端の御用問屋の長芋は
うなぎになりてにげぬべからん

 梅川といへる酒屋のもとに舟さしよせて肴もとむるに、伴ふ人に松下忠兵衛といふ人あれば
 梅川は松下ならぬ柳ばし
相方の名はちつと差合

 日本橋いづみやのもとに肴もとめに人をつかはすとて
 あたらしき肴もとめにこゆるぎの
いそぎ使のあしにほんばし
  扇の画賛

  伯夷
 わらびばかりくふとはいかい不自由な
焼豆腐でも周の豆かは

  水のゑに
 ゆくものはかくのごときかすみ田川
昼夜をすてぬ猪牙とやね舟

  やぶこうじ
 和名薮柑子、漢字紫金牛、
 裏白根松外、先令此物求

  大黒の画に賛せよと人のいふにまかせて
 福分にあきたりぬれば大黒の
おかほを見るも今はうるさき

  数十枚たのみけるときなり。

  元善光寺如来護国寺にて開帳。
  霊宝に寝釈迦あり
 釈迦はちとねるがそこもと善光寺
おたのみだ仏たすけておくれ

  山王祭に船屋台あり。鉄砲洲よりいでしといふ
 船頭が多くて船は山王の
山にものぼるけふの祭礼

  新場にて山王祭をみる
 江戸ツ子のきほふ日吉のおまつりは
げにあたらしき魚のたなごひ

  盆すぎに鰹多く来りけるもをかしく
 盆すぎにかつをかつをの声するは
夏やせをして出ずやありけん

  朝顔
 思へどもなど葉がくれに咲きぬらん
ひかげまつまの露の朝顔

 八朔二日十日ともに何事もなしといふ事をいはふて歌よめと人のいひければ
 八朔も二日十日もおだやかに
いはふ百姓なげくもののふ

  埋三猫児
 呼馬呼牛無町畦、非南非北豈東西、
 可憐三個猫児子、如是畜生発菩提

  山城の名所のうたこひける人によみて遣し侍る
 山城のこはたの里の馬かしは
君を思はぬ人の得意場

 月のもとにて蜆子和尚がはまぐりすくふかたかきたるに
 蜆子かと思ひの外のはまぐりは
げにぐりはまに思ひつき影

  牛込のはしよりながれ落る滝のもとに舟さしよせて
 たちよりて許由が耳やあらひなん
巣父のひける牛込の滝

  文武久茶釜の絵に
 文武久の茶釜にも毛のはえたるは
上手の手から水がもりん寺

  江戸川大曲といふところに女の身をしづめしときゝて
 すぐならぬ人の心のまがり江の
などうけがたき身をしづめけん

  皷盆
 大耋のなげきもまゝのかはらけの
ほとほとぎをやうちてうたはん

  此比大用とゞこほりしを甲子の暁心よく通じければ
 甲子のけふは二また大根を
輪切にしたる大黒のくそ

 名にしおふ文武丸をも用ひずに
よく通じたる小松教訓
 これは飯田町小松屋といふ薬店にある文武丸といへる通じ薬を年比用ひたればなり。

  曾孫のはつ幟を祝して
 あやめ草ふき自在にて上をみぬ
かさこにおほふ孫やしは子

 たけの子の自然生して幟棹
七代つゞきたつる珍宝

 しらが昆布三千丈のあやめ草
ひきくらぶればかくのごとく長し

 あやめふく五月五関もやぶるべし
青龍刀を御手にふりつゝ

 六衛府のわかかぶとのあがりての
世にも奢やふせぎかねけん

 朝ごとに座禅豆きん時とうるものあり
金時は赤豆の名なりとぞ

 座禅豆きんときあづき西来の
風の鬼神取拉くらし

  夏菊
 五斗米のあきをもまたず取こして
さつきのきくをみるもはづかし

  富士
 四季ともに雲をいたゞく気ちがひや
方西国もあきれたる不二

  浪華の人によみてつかはしける
 思ひ出る鱧の骨きりすり流し
吹田のくわゐ天王寺蕪

  さつき廿日河原崎のわざおぎみてよめる
 庖丁の音羽屋たかきはつがつほ
たいてはくはぬ江戸ツ子のはら
 去年の此比深川狩野秦川のもとにて音羽屋にあひしに、
 発句江戸ツ子の肴なりけり初鰹といふ句かきてくれし事を思ひ出てなり。

  市川門之助八百屋お七の役
 八百八千代めでたき野屋の封じ文
あけてうれしき大入の門

  頭経寺帝釈天は祖師の筆なり
 さしてゆく帝釈天はわたるべき
舟をまつ戸のまかりかねむら

  市川三升によみてつかはしける、
  ことし深川にて成田山不動の開帳あり
 七代に成田の不動明王の
霊験天下いち川の関

 林麓草堂先生門人林亭雄辰、借両国河内楼、
 開書画会筵、賦贈林亭会自遠方遷、
 衆妙門人玄又玄、地転十番為両国、
 天廻森月照前門

 もろこしの河朔の宴を河内屋に
けふうつし絵の両国の会

 趙氏連城玉屋船、由来花火満前川、
 只今元柳橋前後、曾照中洲両国辺
 柳橋河内屋、麻布日南遥、
 六月雄辰会、尽来書画家

  編笠きたる男奴をつれて里通ひとみゆる上に、
  郭公なきたるゑに
 八助をつれてふし見の里がよひ
うきとしりてやなくほとゝぎす

 いにしへのさんや通ひの編笠の
てつぺんかけてなくほととぎす

 ある人炭俵の中より出し茶碗を炭俵となづく茶碗は唐津なり
 もろこしのけものの炭のたはらより
出し茶碗や唐津なるらん

 さつき廿八日川開には例のことゝて船出すべきを腹病にて
 くだり舟くそ丸ゆへに例年の
川開をもよそにこそみれ

  長春花に四十雀のゑに
 初老の四十からして長春の
花のさかりをみるやいく春

  天王燈籠の絵に櫛もて永代橋とし、
  玳瑁のかうがいを筏とし、毛筋通もて帆柱としたるに
 橋の名の永たいまいのさしぐしに
毛筋通してたてる帆柱

  同じく毛抜をもて郭公をつくり、小き鏡を月となし、
  下に鰹船のあるところ
 初かつほひたす新場の水かゞみ
ぬきあはせになく郭公

  同じく猿の臼引くかた
 ゆき来つゝさるの臼引く水車
くるゝ/\ときつる見物

  仙台瑶光園鷹見をいたむ
 ほとゝぎす鳴きつるかたのたかみには
月なき瑶の光をぞみる

  八十八のことぶきを
 八十あまり八のとしよりいつまでも
米の飯くふ事ぞめでたき

  秋海棠に鳥の絵
 比翼にはあらぬ一羽の烏鳴て
ねぶりをさます秋の海棠

  過し寅のとしの二月つまづきしより病にふしければ
 ながらへば寅卯辰巳やしのばれん
うしとみし年今は恋しき

  小舟町祇園会のつくりものは大きなる山門をつくりて、
  額に正徳五年始之と書けり、
  水無月十二日福の屋内成の稚室にまねかれて
 新宅の格子にならび建てたるは
正徳五年建てし山門

  文晁のかける鬼箭のゑに
 一筋に思ふ心は目にみへぬ
鬼の箭ながらたつる錦木

  千里遙来漢々躍、一年又過唐々春
 唐船の舟玉あげに捧つかひ
銅鐸うちならしかんかん踊

  文晁のゑがけるかんかんおどり
 かんかんの踊をみても本つめの
むかしの人の名こそわすれね

  文晁の故妻幹々といふ、唐画をよくせり。

  六月十二日夜望月
 凉風六月天如水、処々楼台烟樹裏、
 一葉軽舟遡墨河、独登艇板誰家子

 水無月のかげをすゞしくすみ田川
棹さしのぼる舟はたが子ぞ
 思ひいづるまゝに書きつけみれば、狂言にあらずまことの詩歌なり

  かんかん踊
 かんかんの舳のみなとのさはぎ歌
もろこし船の舟玉まつり

 かんかんの踊のしるしあらはれて
五月雨もなく夕立もなし

  如意宝珠
 物ごとに意のごとくかなへるを
さして宝珠のたまとこそいへ

  水無月十九日例の晴雲忌に甘露門にて
 三十年にひととせたらず廿日には
ふつかにみたぬ日こそわすれね

  虎山子の佐渡に帰るを送る
 あら海を虎の子をわたし恙なく
帰る故郷は千々の金山

  文月一日美璵子の二十一めぐりの忌に
 難波江のあしきたよりの文月も
はたとせあまり一つへにけり

  伊勢人七十の賀に
 七十は古来稀とはいせ人の
ひがごとならぬ千代の寿

  辛巳七夕七首和歌
  七夕迎夜
 ほし合の顔やまち見ん秋風の
そよぎもあへぬさゝの一夜に

  行路萩露
 花ずりの衣のすそもほしあへず
露わけこゆる野路の萩原

  初雁雲連
 夕さればあまつ空より音づるゝ
雲のかたての初雁のこゑ

  秋夕傷心
 何となくとありかゝりとうき秋の
夕ぐれにさへなりにけらしな

  対月待客
 柴の戸の月かげきよく初秋の
あつさにつどふ友ぞまたるゝ

  山家擣衣
 山ずみの軒端にすかくさゝがにの
いとのみだれて衣うつらし

  文月八日竹本氏のおくれるむなぎめすとて
 水無月のそのはたちまり八日より
十日ほどへてむなぎとりめす

  あこや琴ぜめの絵
 景清き月やいづこにやどるらむ
雲ふきはらへ峯の松かぜ
 松浦静山老侯より二画賛をこはる、
 旧作を小補してとみの責をふたぐ

  月下子規
 林高夏月明、霧滴郷心切、
 莫使子規啼、啼時山竹裂

  葦間翡翠
 ざれ歌の口ばしなればなには江の
よしやあしともまゝのかはせみ

  浅草広小路巴屋の額に三番叟の面あり
 お客の手しきりになるは滝の水
たえずとふたり酒の巴屋

  六歌仙
  文屋康秀
 康秀のむかし御存じあらし吹く
むべ山ばかりとるかるたうた

  僧正遍照
 僧正も乙女のすがたしばしとは
まだ未練なるむね貞の主

  喜撰法師 絵に僧綱あり、いかゞ
 わが庵は人も出入らず僧綱の
ゑり立衣御免あれかし

  小野小町
 やまと歌衣通姫の流義にて
つよからぬこそ女はよけれ

  在原業平
 在原の業平といふいろおとこ
つくも髪をもやらずのがさず

  大伴黒主
 立よりて見んもうぬぼれかゞみ山
髭むしやくしやと色の黒ぬし

  十五夜の月
 おとどしはおしよく去年は近星や
こよひ無疵の月をこそみれ

  山屋豆腐をくふ
 燈籠や俄見にゆく足引の
山屋の豆腐くふばかりなり

  玄宗教楊貴妃笛図
 玄宗皇帝鼻毛長、楊貴妃顔似海棠、
 且欲丁寧教横笛、陣中太皷響逸蕩

  夕顔棚の下凉の絵に
 万葉のうちにもみえず夫木にも
夕顔棚の下すゞみ歌

  日の出に稲の穂の画
 日のいづる本つ国とは臼と杵
つくともつきじ稲の八束穂

  芋の葉かげに桔梗の画
 あきちかく花さきそむる恋風に
かぶりをふれるいもはあらじな

  摂門法師のいせのくにゝまかれるを送るとて
 いすゞ川水と波とを神垣の
内外のへだてあらじと思ふ

 いせの海きよき渚の神かけて
衣の袖に月やどさまし

 髪長と神もないひそこれも又
人の国なる人ならなくに

  神田祭
 らふそくの油町からこはめしの
塩町かけておやとひまつり

 かんかんの神田祭に唐人の
踊もいでんとしま町より

 拍子木の音なかりせばたをやめの
いつまで踊るうすものの袖

  九月十三夜蔦屋重三郎がもとにて月を見る
 市中のけしきも蔦屋重三夜
あすの祭を松の月かげ

  十五日豊島や長兵衛がもとにて雨ふり出けるに
 ふりかゝり雨と風とのふく来る
長き兵衛のやどぞめでたき

  贈梅幸
 河原崎座有金箱、尾上松高菊五郎、
 玉藻前身外無類、忠臣後日又将当

  久貝氏馬見所聯
 勇立春駒一春始、馴来秋草千秋中
 いにしへの耳のけものをまのあたり
口とらせつゝみるぞめでたき
 二条良基公の嵯峨野物語に馬を耳のけものと云ふあり。
 ことし紅毛の国より来れるもの駱駝をひきて長崎に来れるかたをうつして、狂歌のすりものとなせるよし、五揚舎福富のもとよりいひおこしければ「老ては狂歌もよまぬが駱駝」と書きつかはしけるもおかし。

  神田まつりの日雨ふりければ
 笛太皷神田ばやしの曲撥の
音もどんどとふりしきる雨

  済松寺に菊ありときゝて白菊をこふに。
  とみに贈り給ひければ
 そもさんか払子を竪におこせしは
まさに一鉢しらぎくの花

 しら菊の花一本はふる寺の
雪の山をやいでゝ来にけん

  神無月十七日ざうしがや大行院のつくり物をみて
 かざり物みんと門辺にたつの口
秋の小春の行合の川

  巣鴨の植木屋弥三郎がもとの西施白といふ菊を
 姑蘇台のしかと病も直らねば
西施の肌のしら菊もみず
 この菊もろこしよりただ一本大村の地にわたりしを、
 弥三郎が求め置きたるにて外になしと云。

 佐々木花禅翁をいたみて
 みほとけの手折りし花をうけ得つゝ
笑をふくみし面影ぞする

 家の風ふきもたゆまで鳥が啼く
あづまぶりをやのこすことのは

 あら玉のとしのはじめのあらましに
ちぎりしことも夢とこそなれ

  ことしの顔見世の番付をみれば、松本幸四郎の名、
  京四条と河原崎と市村座にあるもおかしくて
 顔見世の名は三韓の高麗屋
京の四条と江戸両芝居

  猫といへる火桶を抱きて
 この猫はしろがねにてはあらがねの
土一升の江戸今戸焼

  井上氏の手づからつくれる菊をおくれるに
 霜月の下着の黄菊白菊は
はや諸太夫のしるしなるべし

  坂太といへる札差の家督の祝に亀をゑがきて
 老の阪たちこえゆかん万代の
亀の子のこの子の末までも

  顔見世は三軒ともにはじめたれど一向に評判なし
 顔見世は三軒ともにはじめても
あら計にて見どころはなし

 大江戸になにはのあしのみだれ入り
市川流もたえてしばらく

  初瀬川といへる角力、
  本所相生町にて人とたゝかひうせしときゝて
 二もとの松さへかれぬ本庄の
相生町の三丁目にて

  又
 角觝夫号泊瀬川、二株松樹立岩阿、
 乍聞讐敵雌雄決、不比尋常勝敗多

  雲蜂のゑがける雲に郭公
 ほとゝぎすなくてふ夏の雲の峰
たてたる筆とはしり書

  福の屋主人角力立狂歌合番文序
 角力立のたはれ歌合は秋の田のほてといひ、人をまつほのうら手とよびし面影をうつして、その取合の番文を取組といふ。古の左右は今の東西とかはり、すまひの長をとしよりと名付るも、はばかりの関の大関せきわき、はた露ならぬ小結前頭などいひて、更に霞に霧や千重へだたつまくのうちとよぶ事になん。たはれうたも亦是にならひて、小鳥づかひのはじめより、抜出追相撲の末にいたるまで、勝と負とをわいだむる事とはなれりける。こゝに福の屋のあるじ、ことし文のまつりごち給ふ辛巳のとしの春のはじめより年の暮にいたるまで、みそじあまりひとつの角力立に、大かたいはゆる幕の内に入りたる番文を一巻とし、たはれし道のめいぼくにせんとて、これがはしつかたにそのことはりをしるしてよと、せちきのせちにこはるゝまゝ、筆のまにまにかいやりぬ。まことかの吉田の何がしとやらんが家につたへし追風のたよりをだにしらねば、今のすがたはたどたどしくなんありける。
 神風のいせ伝ははし鷹のゑとりやしきの、ふるきをたづねて、あたらし橋のほとりにすめり。つとにおきよはにいねて、その家の業におこたりなきをたゝへて
 ざうしがやせんだ木村のむら雀
すゞめの千声鷹の一こゑ

  元日雪
 初雪にけさはふりこめられたりし
小野のむかしを思ふ元日

  歳暮
 七十にあまれるとしのくれ竹の
よたびも松の下くぐるべき

  立春 小川町を錦のきれといふ
 柳原桜の馬場をこぎ(ママ)まぜて
春の錦のきれやたつらん

  平戸の老侯静山公のもとめによりて、翁の画に
 なるは滝の水のながれの音たへず
とうとうたらりたらり長いき

  若菜の日雪ふりければ
 若菜つむ野路はみゆきにうづもれて
たが七種の数をわくべき

 焉馬翁八十のとしの春のはなし初の会に子の日といへる題にて
 八十の春の子日の小松原
十八公と若がへれかし

  春雨
 上天の事は音なくまた花の
かもなき庭に春雨ぞふる

 赤坂塚口氏といへる酒家の半切桶を、去年十二月朔日に失ひしが、ことし正月六日門前にしたゝかなる音せしをいでゝみれば、かの桶なり。これに神符と書付あり。鞍馬山の大餅舂にて清浄の盤をもとめてかり置きしが、今かへすなり。
 これより家内繁昌すべきむねありて、鞍馬山執事と書きしものあり。そのうたよみてよと塚口氏のこふにまかせて
 くらま山僧正坊のもちつきの
御用にたちし半切の桶

  その桶に雪のつきたるも不思議にて、
  都下に雲のふりしは翌七日のことなり
 くらま山大もちつきの御用にも
立臼ならぬ半切の盤
 とよみ直せしなり。

  夢想のうた
 屠蘇の酒曲水花見月見菊
年わすれまでのみつゞけばや

  むつき廿五日亀戸天神にうそかへの神事あり。
  文政三年庚申よりはじまれり
 此神のまことつくしのうそならば
宰府の銭かへんとぞ思ふ

  浜名納豆
 から皮の猫にあらねばさみせんの
いとをばひかぬ浜名納豆

 みやこの画師のかける傾城のかたはらに禿文を手にもてり
 ふもとよりふみ出す禿遠からず
高きお山にならんとぞ思ふ

  おなじく芸子
 色糸の一の芸子のねをあげて
二の転手をばまくぞあやしき

 琵琶に転軫といひ三線に転手と云、ふるき草紙にもてん手海老の尾とかけり。閏むつきなぬかの日はじめて後園をうかゞふに一本の梅さけり
 うづみ火のあたりをいでゝうかがへば
いつしか梅の花さきにけり

  新楽閑叟無性箱といふものをもて来て歌をこふ
 みさかなに春はものうき蕨より
夏秋冬も此無性箱

  草履うちの画に
 うつものもうたるゝものも奥女中
かはらけならぬ毛沢山なり

  あこや三曲の画に
 世の中は皆つるのあし鳧の脛
重忠もあり岩氷もあり

  閏月九日市村座のわざおぎに
 市川が又市村の再興はいち
/\時にあたる狂言

 正月のふたつあるとし市川を
かさねてみます大入の春

  式亭三馬閏正月六日身まかりしときゝて
 ゆくものはかくのごときか江戸の水
ながれて三馬駟馬も及ばず
 とし比本町二丁目にて江戸の水といふものをひさぎければなり。

  浅草巴屋歳旦のすり物に
 春風のふくろひらけば鳴神の
つゞみの殿のみつのともえや

  甲州八幡差出磯のもの二人霜柿をもて来りければ
 名物の品とさし出の磯千鳥
はちやの柿も八千代なるべし

  南岳の印譜に
 よき玉をきざむこの手のあし鼎
南の岳のおしてこそみれ

  江島の富士の画に
 北条がみつの鱗をさづかりし
そのひとつかや江島の富士

  越後獅子
 謙信も軍が下手であるならば
まづ鏡磨さて越後獅子

  瀬川路考・岩井粂三郎がわざおぎをたゝへて、
 浜村に岩井の水をくめさとは
江戸紫のあたりなるべし

  同ぬれ髪のおせき
 浜村や瀬川の水にぬれ髪の
せきもとゞめぬ木戸の大入

  同放駒のおはや
 大和屋の岩井のあたりはなれ駒
おはやくおいで朝はとうから

  彼岸の入の日八百善のもとにて
 庖丁も八百善根やつくすらん
さんやのほりのかの岸に入

  病をつとめて法林堂とともに上野の花を見る
 白雲の上野の花のさかりには
しばし心もはるゝうれしさ

  扇に書たる詩に二句あり、
  今日の事に似たるもおかしくて
  入洞題松遍
 天台の霞の洞に入りぬれば
からうた書かん松原のまつ

  看花選石眠
 ねごゝろのよろしきところえらびつゝ
石の上にも三春の花

  同じ日浄行堂にて探幽の画けるといへる涅槃像をみる
 世の中のはかなきためししらせんと
釈迦もごろりと横にごねはん

  きさらぎ廿一日青山堂、
  孫畯とともに伝通院の花を見るに盛なり
 此春の命ひとつのあるゆへに
無量の山の花をしもみれ

  白山の花をみてよめる、
  本社のかたに筆桜ありしがみえず
 旗桜あれは備後の三郎が
もてる矢立の筆ざくらならし

 いせ伝のもとより蕙斎が画がける料理通のさし画の賛を
 こふ
 蝶や夢鶯いかゞ八百善が
料理通にてみたやうなかほ

 松浦静山老侯のもとより大神楽の獅子にむかひて犬の吠ゆる画に賛せよと宣ひければ
 から国のおそろ獅子もやいかならん
准南王の犬にむかはば

  帰雁
 秋冬をこしぢの帰雁とびたてば
じだんだをふむ石亀ぞうき

  白藤子によみて贈る
 いかほどに波のぬれぎぬきするとも
もとよりかたき岩次郎どの

  蕗と自在を画たるに
 草の名のそのふき自在徳ありて
めうがもあらせ玉琴のうた

  桜ぐさ
 むさしのの一もとならずむらさきの
地に丁どおふ江戸さくらそう
  桜草の唐名を紫花地丁とかいひし。

  佐々木氏より牡丹の花をきりて贈られけるに
 八十あまり八夜弥生の廿日草
いつかもはやくいつか咲きにき
  病気にて起居かなはず、
  十五日ばかりもふせればなるべし。

  丸屋より藤花をおこせしに
 亀井戸の藤とおもへばふじながら
身をそり橋になしてこそみれ

  牡丹
 褻衣にせざるくれなゐ紫の
色ふかみ草春のはれぎぬ

  病中のうた
 こしおれの歌のむくひかあさましや
うしろにしめし前にしゝ筒

  松魚
 三両の初がつほにもあふ事は
かた身で二百四十八文

  卯旧朔日初がつほを献上になりしときゝて
 たてまつるはつのかつほを夕河岸の
衣にかへん卯月朔日

  芍薬
 穆々とふかみ草かも芍薬の
たすくるはこれ花の辟公

  躑躅
 春ふかき霧島つゝじしらぬ火の
もゆるが如き花とこそみれ

  撫子
 飛鳥井の色もこきんの撫子は
から紅にやまといろ/\

  杜若
 あやめ草似たるやうでもかきつばた
かほよき花の江戸の紫

  夏菊
 時しらぬ不時の花とてむらさきの
かのこまだらにさける夏菊

  白きつゝじ
 花の名も所によりて岩つゝじ
浪華の平戸江戸の琉球

  卯月十四日の暁時鳥をきゝて
 まてしばし蛙もだまれ鶯の
巣を出る時の鳥の一声

 国の守のおめぐみをかしこみて角力を興行せしに、そのしるしありてや守の殿の禄高うまし給ふときゝて
 いのりつる弓矢八幡神かけて
角力とろなら古河の御城下

  上総国歯吹阿弥陀回向院にて開帳あり
 願だてにたつ蛤の口あいて
歯吹の弥陀の影ぞたうとき

  津の国舎利尊勝寺の聖徳太子浅草八幡にて開帳
 天王寺一舎利二舎利尊勝幸
南無仏舎利の数の一粒
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