尾崎放哉

あすは雨らしい青葉の中の堂を閉める

一日物云はず蝶の影さす

友を送りて雨風に追はれてもどる

雨の日は御灯ともし一人居る

なぎさふりかへる我が足跡も無く

軽いたもとが嬉しい池のさざなみ

静もれる森の中をののける此の一葉

井戸の暗さにわが顔を見出す

沈黙の池に亀一つ浮き上る

鐘ついて去る鐘の余韻の中

炎天の底の蟻等ばかりの世となり

山の夕陽の墓地の空海へかたぶく

柘榴が口あけたたはけた恋だ

たつた一人になりきつて夕空

墓原路とてもなく夕の漁村に下りる

高浪打ちかへす砂浜に一人を投げ出す

雨に降りつめられて暮るる外なし御堂

昼寝起きればつかれた物のかげばかり

何も忘れた気で夏帽をかぶつて

ねむの花の昼すぎの釣鐘重たし

氷店がひよいと出来て白波

父子で住んで言葉少なく朝顔が咲いて

砂山赤い旗たてて海へ見せる

声かけて行く人に迎火の顔あげる

蛇が殺されて居る炎天をまたいで通る

ほのかなる草花の匂を嗅ぎ出さうとする

潮満ちきつてなくはひぐらし

茄子もいできてぎしぎし洗ふ

朝顔の白が咲きつづくわりなし

蛙の子がふえたこと地べたのぬくとさ

船乗りと山の温泉に来て雨をきいてる

あらしの闇を見つめるわが眼が灯もる

海のあけくれのなんにもない部屋

銅銭ばかりかぞへて夕べ事足りて居る

夕べひよいと出た一本足の雀よ

たばこが消えて居る淋しさをなげすてる

空暗く垂れ大きな蟻が畳をはつてる

蚊帳の釣手を高くして僧と二人寝る

蟻を殺す殺すつぎから出てくる

雨の幾日かつづき雀と見てゐる

雑巾しぼるペンだこが白たたけた手だ

友の夏帽が新らしい海に行かうか

写真うつしたきりで夕風にわかれてしまつた

血がにじむ手で泳ぎ出た草原

昼の蚊たたいて古新聞よんで

人をそしる心をすて豆の皮むく

はかなさは燈明の油が煮える

刈田で烏の顔をまぢかに見た

落葉木をふりおとして青空をはく

からかさ干して落葉ふらして居る

傘さしかけて心寄り添へる

赤とんぼ夥しさの首塚ありけり

障子しめきつて淋しさをみたす

庭石一つすゑられて夕暮が来る

木槿が咲いて小学を読む自分であつた

藁屋根草はえれば花さく

今朝の夢を忘れて草むしりをして居た

鳩がなくま昼の屋根が重たい

マツチの棒で耳かいて暮れてる

栗が落ちる音を児と聞いて居る夜

夕ベ落葉たいて居る赤い舌出す

自らをののしり尽きずあふむけに寝る

何か求むる心海へ放つ

大空のました帽子かぶらず

仏体にほられて石ありけり

足音一つ来る小供の足音

何かつかまへた顔で児が藪から出て来た

昼だけある茶屋で客がうたつてる

打ちそこねた釘が首を曲げた

烏がだまつてとんで行つた

昼ふかぶか木魚ふいてやるはげてゐる

妹と夫婦めく秋草

小さい火鉢でこの冬を越さうとする

心をまとめる鉛筆とがらす

仏にひまをもらつて洗濯してゐる

ただ風ばかり吹く日の雑念

二人よつて狐がばかす話をしてる

うそをついたやうな昼の月がある

酔のさめかけの星が出てゐる

考へ事して橋渡りきる

おほらかに鶏なきて海空から晴れる

山に家をくつつけて 菊咲かせてる

しも肥わが肩の骨にかつぐ

板じきに夕餉の両ひざをそろへる

わがからだ焚火にうらおもてあぶる

傘干して傘のかげある一日

こんなよい月を一人で見て寝る

便所の落書が秋となり居る

竹の葉さやさや人恋しくて居る

めしたべにおりるわが足音

淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る

火ばしがそろはぬ儘の一冬なりけり

朝の白波高し漁師家に居る

草履が片つ方つくられたばこにする

島の女のはだしにはだしでよりそふ

今日も生きて虫なきしみる倉の白壁

黒眼鏡かけた女が石に休んで居るばかり

釘に濡手拭かけて凍てる日である

つめたい風の耳二つかたくついてる

お堂しめて居る雀がたんともどつてくる

降る雨庭に流をつくり侘び居る

のら犬の脊の毛の秋風に立つさへ

人殺しありし夜の水の流るるさま

水たまりが光るひよろりと夕風

紅葉あかるく手紙よむによし

公園冬の小径いづこへともなくある

大地の苔の人間が帽子をかぶる

お盆にのせて椎の実出されふるさと

姉妹椎の実たべて東京の雑誌よんでる

かへす傘又かりてかへる夕べの同じ道である

赤ン坊のなきごゑがする小さい庭を掃いてる

雀のあたたかさを握るはなしてやる

酒もうる煙草もうる店となじみになつた

灰の中から針一つ拾ひ出し話す人もなく

曇り日の落葉掃ききれぬ一人である

門をしめる大きな音さしてお寺が寝る

うで玉子くるりとむいて児に持たせる

かまきりばたりと落ちて斧を忘れず

黒い帯しつかりしめて寒い夜居る

師走の夜の釣鐘ならす身となりて

師走の夜のつめたい寝床が一つあるきり

雪を漕いで来た姿で朝の町に入る

女と淋しい顔して温泉の村のお正月

破れた靴がばくばく口あけて今日も晴れる

寒鮒をこごえた手で数へてくれた

落葉掃けばころころ木の実

犬をかかへたわが肌には毛が無い

かたい梨子をかじつて議論してゐる

漬物桶に塩ふれと母は産んだか

渓深く入り来てあかるし

池を干す水たまりとなれる寒月

蜜柑を焼いて喰ふ小供と二人で居る

片つ方の耳にないしよ話しに来る

両手をいれものにして木の実をもらふ

女に捨てられたうす雪の夜の街燈

濠端犬つれて行く雪空となる

落葉拾うて棄てて別れたきり

こんな大きな石塔の下で死んでゐる

紺の香きつく着て冬空の下働く

あけた事がない扉の前で冬陽にあたつてゐる

きたない下駄ぬいで法話の灯に遠く坐る

冬川にごみを流してもどる

臼ひく女が自分にうたをきかせて居る

堅い大地となり這ふ虫もなし

ゆるい鼻緒の下駄で雪道あるきつづける

ふところの焼芋のあたたかさである

ひげがのびた顔を火鉢の上にのつける

にくい顔思ひ出し石ころをける

底がぬけた柄杓で水を呑まうとした

雪空にじむ火事の火の遠く恋しく

雀がさわぐお堂で朝の粥腹をへらして居る

犬よちぎれるほど尾をふつてくれる

節分の豆をだまつてたべて居る

刈田のなかで仲がよい二人の顔

花が咲いた顔のお湯からあがつてくる

歯をむきだした鯛を威張つて売る

人を待つ小さな座敷で海が見える

夕の鐘つき切つたぞみのむし

夕飯たべてなほ陽をめぐまれてゐる

あたまをそつて帰る青梅たくさん落ちてる

剃つたあたまが夜更けた枕で覚めて居る

一人分の米白々と洗ひあげたる

時計が動いて居る寺の荒れてゐる

乞食に話しかける我となつて草もゆ

考へ事をしてゐるたにしが歩いて居る

雪の戸をあけてしめた女の顔

留守番をして地震にゆられて居る

臍に湯をかけて一人夜中の温泉である

かぎりなく 蟻が出てくる穴の音なく

雨のあくる日の柔らかな草をひいて居る

とかげの美しい色がある廃庭

土塀に突かひ棒をしてオルガンひいてゐる学校

うつろの心に眼が二つあいてゐる

母の無い児の父であつたよ

淋しいからだから爪がのび出す

ころりと横になる今日が終つて居る

一本のからかさを貸してしまつた

朝早い道のいぬころ

山寺灯されて見て通る

昼寝の足のうらが見えてゐる訪ふ

宵のくちなしの花を嗅いで君に見せる

蜘蛛がとんぼをとつた軒の下で住んでる

逢ひに来たその顔が風呂を焚いてゐた

旧暦の節句の鯉がをどつて居る

眼の前魚がとんで見せる島の夕陽に来て居る

いつしかついて来た犬と浜辺に居る

さはにある髪をすき居る月夜

漬物石になりすまし墓のかけである

すばらしい乳房だ蚊が居る

あらしの中のばんめしにする母と子

あらしのあとの馬鹿がさかなうりにくる

足のうら洗へば白くなる

海が少し見える小さい窓一つもつ

わが顔があつた小さい鏡買うてもどる

ここから浪音きこえぬほどの海の青さの

すさまじく蚊がなく夜の痩せたからだが一つ

とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた

なん本もマッチの棒を消し海風に話す

山に登れば淋しい村がみんな見える

雨の椿に下駄辷らしてたづねて来た

叱ればすぐ泣く児だと云つて泣かせて居る

花がいろいろ咲いてみな売られる

秋風の石が子を産む話

投げ出されたやうな西瓜が太つて行く

壁の新聞の女はいつも泣いて居る

鼠にジヤガ芋をたべられて寝て居た

盆燈籠の下ひと夜を過ごし故里立つ

少し病む児に金魚買うてやる

風吹く家のまはり花無し

山は海の夕陽をうけてかくすところ無し

水を呑んでは小便しに出る雑草

花火があがる空の方が町だよ

一疋の蚤をさがして居る夜中

あけがたとろりとした時の夢であつたよ

おそい月が町からしめ出されてゐる

蓮の葉押しわけて出て咲いた花の朝だ

切られる花を病人見てゐる

お祭り赤ン坊寝させてゐる

陽が出る前の濡れた烏とんでる

蜥蜴の切れた尾がはねてゐる太陽

お遍路木槿の花をほめる杖つく

病人花活けるほどになりし

朝靄豚が出てくる人が出てくる

迷つて来たまんまの犬で居る

すでに秋の山山となり机に迫り来

久し振りの雨の雨だれの音

都のはやりうたうたつて島のあめ売り

障子あけて置く海も暮れきる

あらしがすつかり青空にしてしまつた

淋しきままに熱さめて居り

淋しい寝る本がない

月夜風ある一人咳して

お粥煮えてくる音の鍋ぶた

一つ二つ螢見てたづぬる家

爪切つたゆびが十本ある

鳳仙花の実をはねさせて見ても淋しい

障子の穴から覗いて見ても留守である

入れものが無い両手で受ける

朝月嵐となる

秋山広い道に出る

口あけぬ蜆死んでゐる

せきをしてもひとり

墓地からもどつて来ても一人

恋心四十にして穂芒

なんと丸い月が出たよ窓

ゆうべ底がぬけた柄杓で朝

麦まいてしまひ風吹く日ばかり

今朝の霜濃し先生として行く

となりにも雨の葱畑

くるりと剃つてしまつた寒ン空

夜なべが始まる河音

雨萩に降りて流れ

師走の木魚たたいて居る

松かさそつくり火になつた

風吹きくたびれて居る青草

嵐が落ちた夜の白湯を呑んでゐる

寒ン空シヤツポがほしいな

蜜柑たべてよい火にあたつて居る

とつぷり暮れて足を洗つて居る

昼の鶏なく漁師の家ばかり

海凪げる日の大河を入れる

山火事の北国の大空

墓のうらに廻る

あすは元日が来る仏とわたくし

夕空見てから夜食の箸とる

窓あけた笑ひ顔だ

おそくなつて月夜となつた庵

小さい島に住み島の雪

名残の夕陽ある淋しさ山よ

故郷の冬空にもどつて来た

雨の中泥手を洗ふ

山畑麦が青くなる一本松

窓まで這つて来た顔出して青草

渚白い足出し

貧乏して植木鉢並べて居る

霜とけ鳥光る

あついめしがたけた野茶屋

森に近づき雪のある森

肉がやせて来る太い骨である

一つの湯呑を置いてむせてゐる

やせたからだを窓に置き船の汽笛

すつかり病人になつて柳の糸が吹かれる

春の山のうしろから烟が出だした

大空 全句 句歴 書架