死生に関するいくつかの断想 
BITS OF LIFE AND DEATH 小泉八雲
    一

 七月二五日。
 今週は思いがけない訪問が三つ、わが家にあった。

 最初のものは、井戸掃除職人たちだった。
 毎年すべての井戸は空にされ、掃除され、井戸の神様である水神様が荒れ狂わないようにしなければならない。
 この時に、私は、日本の井戸と、ミズハノメノミコト(水波能売命)とも呼ばれる二つの名を持つ井戸の守り神にまつわるいくつかの事柄を知ったのだった。
 水神様は、屋敷の持ち主が浄めについてのきまりをしっかり守っていれば、井戸の水を甘露にして、かつ冷たく保って、あらゆる井戸を守ってくれる。
 これらの掟を破った者には病や死が訪れるという。
 稀には、この神は蛇の姿となって現れることがある。
 私はこの神を祀る神社を一度も見たことがない。
 しかし、毎月一度は、近所の神主が井戸のある敬虔な家庭を訪れて、井戸の神様に古式の祈りを捧げ、幟や紙の御幣ごへいを井戸の端に立てるのである。
 井戸が清掃された後にも、また、これがなされる。
 新しい水の最初の一汲みは男たちがしなければならない。
 というのは、女が最初に汲めば、その井戸はそれ以後ずっと濁ったままであるからだという。
 水神様の仕事を手助けする使者おつかいはほとんどいない。
 ただ、フナ (一)という小さな魚がいる。
 一匹か二匹のフナがどの井戸にもいて、幼虫から水を綺麗にする。
 井戸浚いのとき、この魚は大事にされる。私の井戸にも一組のフナがいることを知ったのも、井戸浚い職人たちが来たこのときであった。井戸水が溜められている間には、フナは冷たい水を張った桶に入れられていた。
 その後、再びそれらの寂しい場所へ投げ込まれたのである。
 私のところの井戸の水は透明で氷のように冷たい。
 しかし、私は水を飲むたびに、暗い井戸の中をつねに動き回っており、また桶がピチャピチャと音を立てて降りてくるために、何年にも渡って嚇されてきた二匹の小さな白い生き物のことを思わずにはいられない。

 第二の興味深い来訪は、手動の竜吐水ポンプを携えて、装束に身を包んだ地元の火消たちであった。
 昔からの慣例に従って、乾燥した時期に担当の全地域を廻っている。
 そして、熱くなった屋根に水を掛けて、裕福な家々から、何がしかのわずかな心付けを受け取るのである。
 長いこと雨が降らなければ、屋根は太陽の熱で火が付くだろうと考えられていた。
 火消たちはホースを操って、屋根や樹木それに庭に水を掛け、かなり涼しい雰囲気を作り出したのであった。
 その返礼に、私は酒を買えるだけの祝儀を彼らにあげた。

 三番目の訪問は、子どもたちの代表者のそれであった。
 それは、私の家のちょうど真正面、道路を挟んだ反対側にお堂のある、お地蔵さんのお祭である地蔵盆をふさわしく祝うために、幾らかの寄進を請うものであった。
 私は喜んで寄付をした。
 というのも、この優しい仏様が好きだったし、地蔵祭りが楽しいものであることを知っていたからだ。
 つぎの朝早く、お堂はすでに生け花と奉納された提灯で飾り付けられていた。
 お地蔵さんの首には新しいよだれ掛けが掛けられており、その前には仏式のお供え物が整えられていた。
 この後、大工たちがお寺の境内に踊り舞台を作っていた。
 日没前には、玩具売たちが境内に屋台を立て、小さな夜店ができていた。
 暗くなってから、子どもたちの踊りを見ようと、私はたくさんの提灯の明かりの中へ出かけた。
 家の門の前に、一メートルはあろうかと思われる巨大なトンボが止まり木に止まらせてあったのに気がついた。
 それは、私が寄付したものに対する子どもたちの感謝の印で――お飾りのひとつ――であった。
 その瞬間、おや、そうなのだと私は驚いたのだ。
 よく見てみると、トンボの胴体は色紙でくるまれた杉の枝であり、四つの羽は四つの十能であったし、綺羅めいているトンボの頭は小さな茶器であった。
 全体は、それも意匠の一部をなしていると思われるが、異様な影を作り出すように置かれた蝋燭で照らされていた。
 工芸用の材料を少しも使わずに作られているが、美術的感覚のある、すばらしい工作であった。
 それにもまして、それがわずか八歳に過ぎないかわいらしい小さな子どもの作品だったのである!
注(一)フナは、小さな銀色をした鯉の一種。
 七月三〇日。
 南側の隣の家は――低くくて、黒ずんだ構えをした家であるが――染物屋である。
 ご存知のように、日本の染物屋は天日で乾かすために、家の前で竹の柱と柱との間に、濃紺、紫、バラ色、薄青、パールグレイなど、さまざまな色の絹や綿の長い布を広げている。
 昨日、この隣人が私に自分の家に来ないかと誘ってくれた。
 その小さな住まいの正面を通って案内されたが、奥の縁側から、京都の古いお屋敷にも匹敵するような庭を見て驚いた。築山山水(つきやまさんすい)の優雅な庭園が広がり、清水の池には、すばらしい尾びれのある金魚が泳いでいる。
 しばらくこの景観を堪能していたが、染物屋はお寺のようにしつらえた小さな部屋に案内した。
 あらゆる調度品は小さく造作されており、どのお寺でもこのような工芸的な造りとなっているものを見たことがなかった。
 彼は一五〇〇円ばかり掛かりましたよと言ったが、私には果たしてこの額で足りたものかどうか分からなかった。
 そこには、丹念に彫られた三つの仏壇があった――金泊でできた三重の黄金の輝きである。
 また、可愛らしい仏像が数体と多数の精巧な仏器が置かれており、黒檀の経机、木魚 (一)、二つの立派な鈴りんがあった――つまり、お寺さんの仏具一式を小さくしたものがみんなここに揃っているというわけである。
 ここの主人は、若い頃、仏門に入り、お寺で修行していたので、浄土宗で用いられるすべてのお経を持っていた。
 そして、普通のお勤めならできると言っていた。
 毎日、決まった時間になると、家族全員が仏間に集まって、家族のみんなのために、たいていは彼がお経を読んでいる。
 ただ、特別な場合には近くのお寺のお坊さんが来て、お勤めをするのだという。

 彼はまた泥棒についての不思議な話をした。
 染物屋はとくに泥棒に入られやすいのだという。
 理由の一端は、彼らが預かっている絹織物の価値の故であるし、また、仕事柄、儲かるものであると知られているからである。
 ある夕、泥棒が入った。主人は町におらず。
 彼の老母、妻それに女中が、その時家の中にいた。
 三人の賊は戸口から侵入したが、覆面をして長い刀を帯びていた。そのうちの一人が、建物の中に見習い職人たちがいないかと女中に尋ねた。
 女中は、闖入者たちが驚いて逃げるのではないかと思って、若い男らがまだ働いていますと答えた。
 しかし、泥棒はこの言い種ぐさには乗らなかった。
 うち一人が玄関を見張り、他の二人は寝室に入り込んだ。
 女たちは恐怖し、妻が
「わたしらば殺したかとですか?」と聞いた。
 頭領と思しき男が答えた。
「殺したかなか!金が欲しかだけたい。それが手に入らんと、こうなるまでたい」――と、刀を畳に突き立てた。
 老母が言った。
「そぎゃんに義理の娘ば驚かせんでよかでっしょ。
 こん家の有り金全部ば差し上げますたい。
 ばってん、せがれは、京都に行っとるですけん、ここにはそんなにはなかとです。そればご承知おきくだはりまっせ。」
 彼女は金庫と自分の財布とを差し出した。
 頭領がこれを数えたが、二七円八四銭しかなかった。
 が、おだやかに言った。
「驚かすつもりはなか。お前たちがとても信心深か信徒だというこつは知っとる。お前たちゃあ、嘘ばついちゃおらんだろうね。で、これで全部かね?」
「はい、そぎゃんです」と老母が答える。
「おっしゃるごと、私らは仏様を信じております。
 あなたたちが今私から盗ろうとなさっとは、私自身がかつて前世であなた方から盗ったことがあるけんでしょう。
 これはそん時の罪に対する罰ですたいね。
 そんならば、あなた方を騙す代わりに、私が前世であなたたちにした罪をこの際喜んで償うことしまっしょ。」
 泥棒は、笑いながら言った。
「婆さん、あんたはよか人たいね。あんたば信じるよ。
 おれたちゃあ、貧しい奴からは盗らん。そこでたい、何さおかの着物とこれだけはもらうよ。」と、上質の絹の羽織に手を置いた。老母が答える。
「倅せがれの着物なら全部さし上げますばってん、それだけは盗らんで下さりまっせ。それはせがれの物じゃなかとです。
 染めに預かった、他所よそ様の品ですけん、他人ひと様の着物ば差し上げるわけにはいかんとです。」
 泥棒も納得したと見えて
「そりぁそうたいな。そんなら、これは持っていかんたい。」と言った。
 二・三の着物を受け取って、泥棒はおだやかに暇乞いをし、女たちに後を付けるなと命じた。
 女中はなお入り口近くにいたが、泥棒の頭領が傍を通るときに言った。
「お様はよくも俺たちに嘘ばついたな。――それだけん、こればやろう!」と、女中に一撃を加えて気絶させた。
 泥棒の誰もまだ捕まっていない。
 
注(一)イルカの頭のような格好をした木の塊で、中が空洞になっている。
 仏教の読経に合わせて敲かれる。
 八月二九日。
 ある仏教宗派の葬儀の儀式に従って、遺体が火葬されるとき、骨の中から、ほとけさん、もしくは「仏さま」と呼ばれる小さな骨が探される。
 これは、一般には喉の小さな骨であると考えられている。
 どの骨がそれなのか、私は分からないし、また、そのような遺骨を調べるという機会を持ったこともない。
 焼かれた後に発見される、この小さな骨の形によって、死者の将来の状態が預言されうるのである。
 魂が運命づけられている次の状態が幸福なものなら、この骨は仏陀の小さなイメージの形をしているという。
 次の人生が不幸ならば、その骨は奇妙な形をしているか、あるいはまったく形をなしていないだろう、という。
 近所のたばこ屋のせがれの、幼い少年が一昨日の晩に死んだ。
 今日、火葬に付された。火から残された小さな骨には、三体の仏様の形があった――三体――それはおそらく、悲しみにくれている両親への、精神的な慰めとなるものであったろう (一)。
 
注(一)大阪の天王寺という大きなお寺では、この骨はみんな納骨所に投げ込まれる。骨が落ちるときに出す音 によって後世についての証が得られるという。このようにして集められた骨は、一〇〇年毎に、粉にされて、大きな仏像が造られる。
 九月一三日。
 出雲の松江からの手紙によると、私にキセルを作ってくれた老人が死んだということだった。
(キセルは、日本のパイプのことで、周知のように、――エンドウ豆が入るくらいの大きさの金属の火受け皿、口金それに、定期的に交換される竹の筒という、三つの部分から成っている。)
 彼は自分のキセルをいい色合いにしていた。
 ヤマアラシの針の模様のように見えたし、あるときは蛇皮の筒のようであった。
 彼は松江の町の外れの狭い小路に住んでいた。
 その通りを知っているのは、かつて私が見たことのある白子地蔵――白い子どもの地蔵――と呼ばれる有名な地蔵尊の像がそこにあったからである。
 この呼び名は、踊り子の顔のように顔が白く塗られているからなのか理由は分からなかった。
 この男にはお増ますという娘がいた。
 お増は今も健在である。彼女は長年幸福な妻であった。
 しかし、彼女は口がきけなかった。その昔、怒った群衆が略奪して、町の米問屋の住家すまいや米蔵を打ち壊した。
 小判を含むその金銭は通りにばら撒かれた。
 暴徒たちは、――粗野だが正直な農民たちで――それを欲しなかった。
 彼らが望んだのは打ち壊しであって、盗むことではなかった。しかし、お増の父は、その夜、土の中から小判を拾い上げて、家に持ち帰った。
 その後、近所の者が彼を非難し、告発した。このため、父親は出頭を命ぜられたが、裁判官は、当時一五歳の、恥ずかしがりの少女であったお増を反対尋問して、確実な証拠を得ようとした。お増は、自分が答え続けると、意に反して父親に不利な証言をさせられることになると思った。
 また、お増は、自分の前にいる検察官が有能なので、自分が知っている全部の事柄をなんなく喋らせられることになるのではないかと感じた。
 彼女は話すのを止めたが、すると口から血が溢れ出した。
 自分の舌を噛み切って、永遠に話すことができないようにしたのであった。彼女の父は無罪放免となった。
 この行ないを讃えたある商人が結婚を申し入れ、お増の老いた父親の面倒を見たのであった。 
 一〇月一〇日。
 子どもの人生において一日――ただの一日だけ――自分の前世について思い出すことができ、また喋ることができるという。ある子どもがちょうど二歳となった日に、その子は家の中で最も静かな処に母親によって連れて行かれ、そして穀類を振るい分ける箕の網の中に置かれた。
 その子は箕の中に座っている。
 そして母親が子を名前で呼んで
「お前の前世はなんだったろうかね?――言ってごらん」と尋ねた (一)。
 すると、子どもはたいがい一言で答える。
 不思議な理由によってそれ以上の長い答えはなされない。
 しばしばその答えは謎に包まれているので、お坊さんや占い師にどういうことか尋ねなければならなかった。
 たとえば、昨日、家の近所の銅細工師の幼子は、謎かけの問いに「うめ」とだけ答えた。
 ウメと言えば、今日では梅の花、梅の実、あるいは梅の花を意味する、少女の名前を意味するのである。
 この少年が少女であったことを意味するのだろうか?
 あるいは、彼自身が梅の木だったことを意味するのだろうか?
 近所の者は「人の魂が梅の木に入ることはあるまいよ」と言った。
 占い師は、今朝この謎について問われて、男の子はおそらく、学者か詩人か、政治家ではなかったろうかと、のたもうた。梅の木は、学者、政治家それに文学者の守り神である天神様の象徴だからというのである。 
注(一) 「以前の世はどんなものだったの?どうか[あるいは、お願いだから]見て、教えておくれ」
 一一月一七日。
 日本人の生活のうち、外国人が理解できない事柄について書いたら、驚くような本が出来あがろう。
 その中には、怒りがもたらす、稀とはいえないまでも、恐るべき結末についての研究を含むことになろう。
 国民的な傾向として、日本人はめったに怒りを外に現わさない。
 一般庶民においてさえも、重大な威嚇の場合でも、あなたの御恩は決して忘れませんよ、そして、こちらも受け取っていただいたことに感謝します、というような微笑みの請け合いの形を取ることが多い。
(これは私たちの語感では皮肉の意味に聞こえるかもしれない。しかし、それは婉曲的なものに過ぎず――忌むべき事柄をその本当の名で呼ばないことである)
 しかし、この微笑みによる言質げんちはおそらく死を意味することになるのである。復讐は思いがけずやって来る。
 この国では、全部の荷物を小さな手ぬぐいにまとめ、ほとんど無限の忍耐をもつ仇討ち人は、日に八〇キロも歩くことが出来るので、距離も時間も妨げとはならない。
 彼は包丁を選ぶが、たいていは刀――つまり日本刀を用いるであろう。
 これは、日本人が手にする武器の中では最も致命傷をもたらしうるものである。
 一〇ないし一二人を殺すのに一分と掛からないだろう。
 殺人者も逃げようと考えることもない。古い慣習によると、他人の命を奪った者は自分の命も断つことが求められる。
 それゆえ、警官の手に落ちるようなことは、自分の名を汚すことになる。
 彼はあらかじめ準備を調える。
 遺書を認め、葬儀も取り決め、おそらく昨年の驚くべき例のように、自分自身の墓碑銘を彫らせることさえした。
 復讐を首尾よく果たすと、自害したのである。
 理解しがたい悲劇の一つが、熊本の街からさほど遠くない杉上すぎかみ村というところでちょうど起きた。
 主要な人物は、若旦那の成松一郎、その妻お乃登のと、両名は婚姻してわずか一年余り。
 それに、お乃登の母方の叔父の杉本嘉作かさく、気性の荒い男で、かつて入牢したことのある前科者。
 この悲劇は、つぎの四幕からなる。

第一幕。
 場面――公衆の湯屋ゆやの中。
 杉本嘉作は入浴中、そこへ成松一郎が入ってくる。
 服を脱ぎ湯気の中に入るも、親類の者がいるとは気がつかない。そして、叫ぶ。

「おゝ、こりゃ、むごう熱か!あゝ、地獄におるとはこのこつたい。」
("地獄"とは仏教にいう地獄をいうが、一般には牢屋・監獄のことも意味する――この時は不幸にもたまたま一致した)
嘉作(激怒して)
 おい、若造、喧嘩を売る気か?何が気に入らんとか?
一郎(驚いて、また恐怖して、しかし嘉作の調子に対抗するように)何ぃ!何だと?知ったことじゃなか。湯が熱いと言ったんだ!もっと熱くしてくれと頼んだ覚えはなか。
嘉作(険悪である)
 俺の不始末で一度ならず二度までも牢屋におったが、そこの何が面白れぇんだ?大馬鹿な餓鬼かちんぴらじゃねぇのか?
(互いに相手をにらむ。しかし、両者ともためらっている。
 他の者たちは自分に類が及ばないように、沈黙したままでいる。老いたのと若いのとが、互角ににらみ合いの格好になった。)
嘉作(一郎が怒り出すにつれて、次第に落ち着いてきた)
 餓鬼のくせ俺と喧嘩する気か?餓鬼たれが女房と何をした?お前の女房は、俺の血縁たい。俺は、――地獄から来た男の血だ。女房を俺の所へ返せ。」
一郎(絶望的に、しかし、嘉作の方が強いと分かった)
 女房を返せだと?あの女を戻せと言ったかね。おお、すぐ返してやるたい。

 ここまでで十分、事の起こりは明らかになっている。一郎は、急いで家に戻り、妻の機嫌をとり、自分が愛していると約束し、嘉作の家にではなく、妻の兄弟の家に送り届けた。
 二日後、少し暗くなってから、お乃登の元へ夫が尋ねてきた。そして二人の姿は夜の闇の中に消えた。

第二幕。
 夜の場面。嘉作の家は戸締まりされ、灯りが戸の隙間から漏れている。
 婦人の影が近づいてくる。戸を叩く音。戸が開けられる。

嘉作の妻(お乃登と分かって)
 おや、まあ、今晩は!お入いんなさいよ。お茶でもどうぞ。
お乃登(とても優しく話す)
 有り難うございます。
 ところで、嘉作おじさんはいずこでございましょう?
嘉作の妻
 隣村へ出かけましたばつてん、すぐに戻りましょう。
 まあ、入って、お待ちにならんですか。
お乃登(やさしく)
 お構い下さりますな。なら、しばらくしてから、また参りまっしょう。まず兄に知らせて来なくちゃなりまっせん。
(おじぎをし、闇の中に滑り込む、再び影となり、もう一つの影と一緒になる。二つの影はじっとしたままである)

第三幕。
 場面――松の木のある、夜の川の土堤。
 遠くに嘉作の家の影。
 お乃登と一郎は木陰に、一郎は提灯を持っている。
 両人は頭には白い手拭いをきつく結んで、鉢巻き姿である。
 着物も端折って身軽くし、両手を自由にするために、袖もまた襷がけに結んでいる。
 二人はそれぞれに長い刀を手にしている。
 頃ころは、日本人が言うように川の音が最も高くなる時刻である。
 時たま、松葉を渡る風のざわめく音くらいしか聞こえない。
 もう秋も終わりの頃であり、蛙も鳴いてはいない。
 二つの影は、押し黙ったままである。川の音は次第に高くなった。突然、ザブザブという水音が遠くにした――誰かが浅瀬を横切っているのだ。
 そして下駄の音が――不規則な千鳥足で――酔っぱらいの足取りがだんだん近づいてくる。酔っぱらいは声を上げた。
 嘉作の声だ。彼は唄っている。
「好いたお方にすいられてや、とん、とん」 (一)
 ――愛と酒の唄である。
 二つの影は、すぐに、唄の方に走って近づいた――音がしないように。
 彼らは草鞋を履いている。嘉作はまだ唄っている。
 ふいに、足の下の石が動いたので、くるぶしをひねり、怒りのうなり声を発した。
 それとほぼ同時に提灯が彼の顔に近づけられた。
 おそらく三〇秒もそのままであったろう。
 誰も一言も発しない。
 黄色い灯りは三つの奇妙な、何とも言えない、顔と言うよりも顔面を照らし出していた。
 嘉作は酔っていたが――相手の顔に見覚えがあり、先日の風呂屋での一件を思い出しが、手にしている刀に気がついた。
 彼は恐れなかったが、どっとあざけり笑った。
「ヘッヘッ一郎夫婦じゃなかか!また俺を赤児とでも思っとるのか。手に持っている奴でどうしようというとか?どんな風に使うか俺が見せちゃろう。」
 一郎は、提灯を捨てて、突然に両手で刀を掴んで力一杯、嘉作の右腕から肩にかけて、一太刀を浴びせた。
 嘉作がよろめいたところを、女の刀が彼の左肩を切り裂いた。彼は、
「人殺し!」――とは"殺人"を意味する――と恐怖の叫びを上げて、倒れ込んだ。二度と声を上げなかった。
 一〇分あまりも、彼に刀が突き立てられた。
 提灯にはまだ灯りがあり、身の毛のよだつものを照らし出している。
 二人の通行人が近づいて来て、見ていたが、下駄をおっぽりだしたまま、一言も発せず闇の中へ逃げ去っていった。
 一郎とお乃登の両名は、なかなかの大仕事だったので、息をつこうと、提灯の傍に座った。
 嘉作の一四歳の息子が、父を捜すために走ってきた。
 彼は唄と叫び声を聞いた。けれども、怖いと感じたことはなかった。
 二人は彼が近づいてくるのと出会った。
 少年がお乃登に近づいたときに、お乃登は彼を捕まえ、突き飛ばして、細い腕をひねり上げて膝の下に組み敷き、刀を掴んだ。
 しかし、一郎は、まだ喘いでいたが、叫んで
「違う!違うぞ!そん子は違うたい!何も悪いことはしとらん!」
 お乃登は、彼を放した。
 少年はまだ放心状態だったので、動くに動けなかった。
 お乃登は彼の顔をぴしゃりと叩くと、「行け!」と言った。
 彼は走り去ったが――甲高い声を出す気力もなかった。
 一郎とお乃登は、切られた死骸を残して、嘉作の家へと歩いて向かい、大声でよばわった。返事はなかった。
 ただ、可哀想に、怯えてうずくまって死を待っている女と子どもたちがいた。
 しかし、彼らは怖がらなくてもいいと言われている。
 そのとき、一郎が叫んで
「弔いの支度をされよ!嘉作おじは我が手によって死んだぞ!」
「同じく、私も討ち果たしたり!」
 お乃登も甲高く叫んだ。それから、足音が遠のいた。

第四幕。
 場面――一郎の家の中。客間に三人が正座している。
 一郎、その妻、そして、泣いている老婦人。

一郎 さて、母上、他に男子もいないゆえ、この世にあなた一人ば残して先立つのは忍びなかこつです。お許し下され。
 叔父が面倒を見てくれまっしょう。
 私ども二人はもはや死ぬつもりですけん、叔父さんの家へ行ってくださりまっせ。
 私たちは、見苦しい死に方はしまっせん。
 見上げた、立派な死ですけん。看取る必要はなかです。
 さあ、行かれまっせ。
 老いた母親は嗚咽しながら退出した。
 そして、部屋の戸は固く閉ざされた。すべては整った。
 お乃登は、刀の先を喉にあてがった。
 彼女はなお苦しんでいる。一郎が、最後の優しい言葉をかけ、首を切って彼女の苦痛を終わらせる。
 それから?彼は、手箱を取り出し、硯を用意し、墨を摺り、良い筆を執って、注意深く選んだ紙に、五つの辞世の歌を綴った。つぎが最後のものである。
「冥土より(ゆう)電報があるのなら
       早く安着(あんちゃく)申し送らん」 (二)
 そして、喉をりっぱにかき切った。

 さて、警察の取り調べから、一郎とその妻がみんなから好意を持たれていたこと、そして、二人とも幼いときから気だての良さは評判であったことが分かった。
 日本人の起源は科学的にはまだ解明されていない。
 一部マレー起源説を採用する者たちは、その見解に沿う心理学的な形跡があるとしているようだ。
 愛らしさというのは、西洋人がほとんど忘れ去ったものであるが、最もしとやかな日本の婦人の従順な愛らしさの下には、断固たる強情さが潜んでいる。ただ、この面は、実際に目撃しないことには全く理解できないものである。
 日本の女性は、幾度となく赦ゆるすことができ、またいじらしくも何度も自分を犠牲にすることができる。
 ところが、ある心の琴線に触れると、怒りの激情の炎に駆られるよりは、かえって赦してしまう。
 そうすると、突如として、か弱そうな女性の中に、信じられないほどの胆力が据わってくるのである。
 それは、本心からの復讐というべきもので、ぞっとするほどの、また冷静で飽くなき決意である。
 また、男性の驚くべき自己抑制や忍耐の下には、触れるととても危険で、堅固なものが存在している。
 それに不用意に触れようものなら、許されはしない。
 憤りはたんなる危険によってはめったに引き起こされないが、動機は厳しく吟味される。
 つまり、過ちは許されるが、意図的な悪意は決して赦されない。富裕な家庭の家では、来客に家宝のいくつかを見せたりするようだ。なかでも日本の茶の湯の作法にまつわる品々がそうである。おそらく、とてもきれいな小さな箱があなたの前に置かれる。
 それを開けると、中には、小さな飾り房の付ついた絹の通し紐で包まれている綺麗な絹の袋がある。絹はとても柔らかく、また選りすぐられたもので、丹念に織られている。
 そんな包みの下にどんな宝石が隠れているのか?袋を開けると、その中にもう一つの袋がある。それは違った品質の絹でできたものであるが、これもとても素晴らしいものである。
 それを開けると、おやまあ!三つめの袋があり、それは中に四つ目の袋を包んでおり、それはまた五つ目の袋を、それはさらに六つ目のを、そして、これはつぎの七つ目の袋を中に包み込んでいるといった具合である。
 こうして、読者はこれまでに見たことがないであろうが、七つ目の袋の中には、陶土でできた、じつに不思議な、また粗雑だが、とても固い器が入っているのである。
 この器は珍しく、また貴重なものである。
 それはおそらく千年以上も古いものであろう。
 これと同じように、何世紀にも渡る最も高度な社会文化によって、日本人の特徴は、礼節、繊細さ、忍耐強さ、柔和さ、それに道徳感情といった、多くの貴重で柔らかい被おおいで包み込まれている。
 しかし、これらのチャーミングで幾重(いくえ)もの包みの下には、鋼鉄のように固い原始的な粘土が今もって残っているのである。
 それは、おそらくはモンゴル人の気質と――マレー人の危険な従順さとを捏ね合わせたものであろう。

(一)意味は「好きなお方にもう少しお酒を差し上げましょう」である。「や、とん、とん」とは意味はないものの、私たちの「ヘイ! ホイ!」などと同じような相の手である。
(二)これは、「冥土から手紙や電報を送ることができるのなら、われら二人がここに早く、また無事に着きましたよと書き送るのになあ」というほどの意味である。
 一二月二八日。
 庭の周囲の高い垣根の向こうには、とても小さな家々のわらぶき屋根があって、もっとも貧しい階層の人たちが暮らしている。
 これらの小さな住まいの一つから、うなり声が絶えず発せられている――人が苦痛で発するときの深いうめき声である。
 私は、昼も夜も、もう一週間以上もそれを聞いている。
 しかし、音はあたかも断末魔のあえぎのように長くなり、また大きくなってきた。
「誰かそこで重い病気なのでしょう」と、私の古い通訳者の万右衛門が、ひどく同情して言う。
 音はしだいに耳障りで、神経に障るようになってきた。
 そのせいで、私はかなりぶっきらぼうに言った。
「誰か死にかけているなら、いっそそうなった方がましだと思うがね」
 万右衛門は、私の意地悪な言葉を払いのけるかのように、両手で突然、慌ただしく三度も身振りをした。
 このかわいそうな仏教徒は、ぶつぶつ唱え、とがめるような表情をして、立ちさった。
 そして、いささか良心が咎めたので、使いの者を遣り、病人に医者が必要か、また何か助けが要るか聞きにやらせた。
 戻った使いの者の話では、医者が病人を診ているし、他は格別必要ないということだった。
 けれども、万右衛門の古くさい身振りにもかかわらず、その忍耐強い神経も、この音に煩わせられるようになってきた。
 彼は、これらの音から少しでも逃れたいとして、通りに近い、正面にある小さい部屋に移りたいと白状した。
 私も気になって書きものも、読書もできない。
 私の書斎は、一番奥にあり、病人があたかも同じ部屋にいるかのように、うめき声が間近に聞こえるのである。
 病気の程度が分かるような、一定の身の毛のよだつ音色を発している。
 私はつぎのように自問し続けている。
 私が苦しめられているこれらの音を立てている人間がこれから長く持ちこたえることがどうしてできるのだろうかと。
 つぎの朝遅く、病人の部屋で小さな木魚を叩く音と何人かの声で「南無妙法蓮華経」と唱える声で、うめき声がかき消されていたのは救いというか、いくらかほっとした。
 明らかにその家の中には僧侶や親せきの者たちが集まっている。
 万右衛門が「死にそうですね」と言う。
 そして、仏様に捧げる祈りの文句を繰り返した。
 木魚の音や読経は数時間続いた。
 それらが終わったとき、うめき声がまた聞こえた。
 一呼吸、一呼吸がうめき声だった!夕方になると。
 それらはさらにひどくなった――身の毛のよだつほどである。
 そして、それが突然止んだ。死の沈黙が数秒続いた。
 そして、ウワーッと泣き出す声――それは女性の泣き声で――そして名を叫ぶ声が聞こえた。
 「あゝ、亡くなりましたね!」と万右衛門が言った。
 私たちは相談した。
 万右衛門はこの家の者たちがとても貧しいことを知っていた。私は、良心が咎めたので、遺族にわずかな額だが、香典を出そうと言った。
 万右衛門は、私が全くの好意からそうしようとしているのだと思って、それがいいでしょうと答えた。
 私は使いの者に、悔やみの言葉と死んだ男のことが分かるなら聞いてくるようにと言った。
 そこには一種の悲劇があるのではないかと感じていたのだ。
 そして、日本人の悲劇は一般に興味深いものである。

 一二月二九日。
 予想したように、死んだ男の話はなかなか聴きでがあった。この家族は四人である――父と母は高齢で弱っているが、それに二人の息子がいる。
 死んだのは三四歳の長男で、七年も患っていた。
 歳下の方は人力車夫で、一人で一家の面倒を見ていた。
 彼は自分の人力車を持っていなかったので、一日五銭で借りていた。
 強健で足も速くなければ、稼ぐことはできなかっただろう。この頃は、競争相手がたくさんいるので、儲けを維持していくのは大変だ。
 それに両親と弱った兄を養うことは大きな重荷であった。
 不屈の自制心がなければ、それをやれなかったであろう。
 彼は決して一杯の酒すらも飲まなかったし、独身のままであった。
 彼は子として、とくに兄弟としての義務のためにだけ生きた。
 つぎは兄の話である。兄は二〇歳の頃、魚の行商をしていたが、ある旅館の綺麗な女中を好きになった。
 娘も彼の愛情に答えた。
 二人はお互いに将来を誓い合った。
 しかし、結婚するにはいくつかの障害があった。
 この娘は綺麗だったので、世間的な慣習で、彼女の手助けを必要とする資産家の男の注目を惹いた。
 娘はこの男を好きではなかったが、男が出した条件は娘の両親にとっては魅力的であった。
 このため絶望した二人は情死をしようとした。
 どこか他のところで、夜に二人は落ち合い、酒で誓いを新たにして、この世への暇乞いをした。
 若い男が短刀の一突で恋人を殺し、すぐに同じ刀で自分の喉を切った。
 両人が息絶える前に、他の者が部屋の中へ入り込み、短刀を抜き去り、警察に通報し、駐屯兵から軍隊式の応急手術を受けた。
 自殺未遂の者は、病院に運ばれて手厚く看病されたが、回復後数ヶ月して、殺人罪で裁判にかけられた。
 どんな刑が言い渡されたのか、詳細は知らない。
 当時日本の裁判官は、人情がらみの犯罪を裁く場合、かなりの個人的裁量を有していた。
 刑法典は西洋のをモデルに作られたものであったが、情状酌量の余地を制限していなかった。
 この事件の場合も、おそらく情死を遂げずに生存していたこと自体がすでに厳しい処罰を受けていると考えられたのだろう。だが、このような場合、世の意見は、一般に法律よりも手厳しく、慈悲深くはない。
 この哀れな男が刑期を終えて、帰宅を許されたものの、警察の絶え間ない監視の下に置かれた。
 周りの人たちは彼を避けた。
 彼は生き残って、生き恥をさらすという過ちを犯したのであった。
 両親と弟のみが彼の味方だった。まもなく彼は言いようのない身体の病気の犠牲になったが、なおも生に執着した。
 喉の古傷は当時の状況の下ではうまく治療してあったが、ひどい痛みを引き起こし始めていた。
 表面上は治癒したように見えたものの、そこから緩やかにガンが進行しており、短刀が貫いた上下の息の道に広がっていた。外科医のメスや灸きゅうの灼熱しゃくねつの苦しみも最期を遅らせるだけに過ぎなかった。
 男はしだいに増してくる痛みに耐えながらも、七年を生き延びた。死者を裏切るような結果――つまり、冥土へともに旅するという互いの約束を破ったこと――について、まことしやかに信じられていることがある。
 殺された娘の手が傷口を広げている――言い換えると、外科医が昼間治療したものを夜になるとまた元に戻しているのだと、周りの人たちは噂した。というのも、夜になって、痛みは一層ひどくなり、心中が試みられたちょうどその時刻に最も激しい痛みとなったのである。
 この間じゅう、家族は、傍目はためにもつらいほど質素倹約に勤め、薬代や看病、それに今まで自分たちですら食したことのない滋養ある食物を購うためにいろいろ工面した。
 彼らは、自分たちの恥辱や貧困さらに重荷であったはずの、当の生命をできる限りの手を尽して長らえさせた。
 そして、今、死がこの重荷を取り除いたはずなのに、家族は嘆き悲しんでいる。
 この事件から私たちみなはつぎのことが分かったのである。
 いかなる苦痛を引き起こすものであっても、人は耐えて自分を犠牲にしてまで、それを愛することがあるということである。
 ならば、次なる問いが問われよう。
 もっとも苦痛を引き起こすものを私たちは最も愛さざるか、と。

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