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暫定教科書 初等科國語 八 第六學年後期用 索引

    目 次
   一 太陽と歌
   二 生きたことば
   三 めぐりあひ
   四 古典思慕
   五 幸福の園

   一 太陽と歌

   (一)

 心に太陽を持て、
 あらしが吹かうが、雪が降らうが。
 天には雲、
 地には爭ひが絶えなからうが、
 心に太陽を持て。
 さうすりや、何が來ようと平氣ぢやないか。
 どんな暗い日だつて、
 それが明かるくしてくれる。 くちびるに歌を持て、
 ほがらかな調子で。
 日々の苦勞に
 よし心配が絶えなくとも、
 くちびるに歌を持て。
 さうすりや、何が來ようと平気氣ぢやないか。
 どんなさびしい日だつて、
 それが元氣にしてくれる。

 他人のためにもことばを持て、
 なやみ、苦しんでゐる他人のためにも。
 さうして、なんでこんなにほがらかでゐられるのか、
 それをかう話してやるのだ。
 くちびるに歌を持て、
 勇氣を失ふな、
 心に太陽を持て、
 さうすりや、なんだつてふつとんでしまふ。

   (二)

 スコットランドの西岸の沖あひで、ローワン號といふ小さな汽船が、十倍も大きさのある定期船につきあたつて、沈沒してしまひました。
 千九百二十年十月の、ある月のない夜のできごとです。
 乘つてゐた百四人のうち、乘組員十一人、船客十四人の行くへがわからなくなりました。
 アイリッシュ・ナショナル保險會社の社員フランク・マッケンナも、沈みいく船からはふり出されて、Kい波の間をおよいでゐました。救助船は、いつたい何をしてゐるのだらう。
 かれは氣が氣ではありませんでした。
 助けを求めて泣きさけぶ聲も、いつか聞えなくなりました。
 すべてのものが、ことごとく波にのまれてしまつたやうに、死の靜けさがあたりにひろがりました。
 すると、そのきみのわるいしづけさの中から、突然、まつたく思ひがけなく、きれいな歌が流れてきました。それは女の聲で、しかも調子も亂れてゐなければ、ふるへてもをりません。
 まるで大ぜいの來客を前にして、客間で歌つてゐるのと、ちつとも違はないやうな歌ひ方です。
 マッケンナは、しばらくしんみりした氣持に、この歌に聞きほれてゐました。かれは、今までにどれだけ歌を聞いたかしれませんが、しかし、この時ぐらゐ、しみじみと歌のありがたさを味はつたことはありません。
 なんだか、すうつといい氣持になつて、自分が水の中にひたつてゐることも忘れてしまつたほどでした。
 寒さも、疲れも、どこかへけしとんでしまつて、すつかり、よみがへつたやうな氣持になりました。
 歌つてゐる人は、どういふ人かわかりませんが、おそらくは、自分と同じやうに、船から投げ出されたものでせう。たいていの人はしようとつの時にあわてふためいて、そのために、かへつて波にのまれてしまつたのに、こんな危急のあひだにあつて、なんといふおちついた、またなんといふほがらかな人だらう。
 自分なんか、およいでゐるだけがせいぜいなのに。
 こんな暗い夜に、こんな海のまん中で、よくあんな美しい聲が出せるものだと思ひました。
 さうして、自分もどうせ助からないものなら、かういふ美しい歌に送られて死んでいきたいものだと思ひました。
 かれは、歌の聲をたよりに、その方におよいで行きました。
 近づいてみると、船が沈むひやうしに流れ出たものでせう、一本の大きなまるたに、何人かの婦人がつかまつて、立ちおよぎをしてゐました。
 歌を歌つてゐるのは、そのうちの一人でした。
 まだ若いお孃さんです。
 頭から大波をかぶつても平氣で歌をつづけてゐました。
 救助船を待つ間、ほかの婦人たちが力を落さないやうに、寒さに氣をうしなつて、まるたから手をはなさないやうに、かうして元氣をつけてゐたのです。
「心に太陽を持て。くちびるに歌を持て。」
 このお孃さんは、この歌を知つてゐたかどうか知りません。
 しかし、このお孃さんぐらゐ、この歌の心を生かした人は少いでせう。
 このお孃さんこそ、この歌をほんたうに歌つた人といふべきです。
 さて、お孃さんの歌をたよりに、マッケンナがおよいで行つたやうに、やがて、一そうのボートが、やみをぬつて助けに來てくれました。
 やはりその美しい聲を手がかりにして。
 さうして、マッケンナも、その歌を歌つてゐたお孃さんも、そのほかの婦人たちも、みんな救ひあげられました。
 このことは、翌日の新聞に出たマッケンナの話で、あきらかになつたのですが、をしいことに、歌を歌つたお孃さんの名まへがわかりません。
 しかし、たとひ名まへはわからなくても、あの美しい歌は、今でも、われわれの耳に響いてくるではありませんか。
   二 生きたことば

先生「今日は、前から、みなさんに考へておいてもらつた『生きたことばとは何か』について、話し合ひませう。まづ、池田君から。」
池田「生きたことばとは、私どもの心に、ぴんとくることばです。そのことばを耳にすると、だれでも深く心をうたれるやうな、生き生きとしたことばをいふのだと思ひます。」
先生「たとへば、どんなことばですか。」
池田「うれしい時とか、美しいなあと思つた時などに、思はず出て來ることばです。」
先生「なるほど、さういふ時、口をついて出ることばは、心の底からわいてくるものですから、聞く人を感動させますね。したがつて、それをそのまま文にしたものも、生きた文章でせう。むづかしいことばを、しひて使はうとしなくてもいいわけです。」
松本「先生、私たちの心持にうつたへることばでなくても、たとへば、科學の本を讀んでゐる時にも、心をうたれることがあります。」
先生「さうです。かならずしも、心持をあらはしたことばだけでなく、ことがらの説明や、自分の考へてゐることを發表した文も、聞く人、讀む相手に、正しく、はつきりとわからせる場合は、りつぱに生きて働いてゐることばといへますね。では、山下くん。」
山下「私は、昔のことばで、ふだん使つてゐないものでも、今、時には私たちが使へるやうなことばは、生きてゐることばだと思ひます。」
先生「つまり、古語と現代語の區別ですね。さういふ點から考へると、今の世に、廣く使はれてゐることばなら、どれでも生きたものとみられます。この考へ方もおもしろい。」
小野「すると、萬葉集や源氏物語などの文は、死んだことばだといふことになりませんか。」
山下「そのころは、もちろん、生きてゐたのです。」
先生「今は、すつかり古くなつてしまつたといふのですか。」
小川「今でも、讀んでよく味はへば、私たちの心に生き返つてきます。」
先生「さうです、さうです。いくら古いことば、昔の文章でも、ほんたうにねうちのあるものは、いつまでも生きてゐますよ。昔の人が話しかけてくれるやうに、生き生きとしたことばを感じますよ。昔から今まで、さういふ生きたことばは、世界の國々に、滿ち滿ちてゐます。古くからのねうちのある本を讀んで、生きたことばに接することは、人間に與へられた大きな樂しみといへませう。」
中山「先生、生きたことばは、どうして生まれるものでせう。」
先生「それは大事なことですね。みなさん、どうですか。」
土井「ことばづかひに氣をつけて、よいことばを選ぶことです。」
早川「ふだんから、りつぱな文章に接することです。」
池田「うそをいはないこと、眞心からものをいふことです。」
先生「いづれも、いい考へです。ことに、本心からものをいふこと、誠のこも つた文を書くことは、たいそう大切なことです。文章を正しくするには、まづ、自分の心を正しくせよとヘへた人もゐます。」
山本「けれども、私たちが、一心に眞心から書いたものが、生きた文章になら ないのは、なぜでせう。」
先生「もつともなことです。おそらく大ていの人は、さういふ氣持でせうね。それは、あなたがたがものをいひ、文を書きあらはす力が、十分でないからです。生きたことばは、さうたやすく探し出せるものではありません。ものを見る心の働きをもつと深め、その深い心をあらはすことばを、しんけんに求めることです。ことばの道にいろいろと苦心して、いつも自分のことばをかへりみたり、人のことばに氣をつけたり、正しくことばを使つてゐたりして、だんだん生きたことばを身につけることができます。ことばをいいかげんにする人は、生きたほんたうのことばを知ることはできません。私たちは、たえずおたがひのことばに氣をつけて、正しい國語を育てませう。」
   三 めぐりあひ

    (一)

 話は第一次世界大戰がたけなはであつたころにさかのぼる。
 當時、留學生として米國スタンフォード大學に滯在してゐた私は、一年半の努力の結果、首尾よく書きあげた論文を持つて、その出版の用務かたがた、東部諸州への見學の旅にのぼつた。
 眞心をこめてヘへてくださつた、世界的魚類學者デヴィッド・スター・ジョルダン博士は、別れに際して、各地の大學者たちへのていねいな紹介状をくださつた上、いろいろ手はずをしておいたから、ぜひ、カーネギー博物館に館長ホランド博士を訪問するやうに、と申された。
 途中、あるひはミシガン湖畔にたたずみ、あるひはナイヤガラの瀧を眺め、ボストン、ニューヨーク、ワシントンと無事に旅程を進めて、カーネギー博物館の所在地であるピッツバーグに着いたのは、暑い眞夏の日の朝であつた。
 目ざす壯麗な博物館に自動車を乘りつけ、守衛にみちびかれて奥まつた館長室の前に立つた私は、しばしためらつたのち、意を決して大きな扉をこつこつとノックした。
「カム・イン。」と答える、低い、しかも力強い聲に、つと一歩室内にはいつた私の目に映じたのは、廣いへやの窓際よりに大きなデスクをすゑ、そばにゐるタイピストに何ごとかを口授しつつあつた白髮の老紳士の姿であつた。
 學生時代から尊敬してゐたあの有名な「蝶類圖譜」の著者であるダブリュー・ジェー・ホランド博士、今その大先生に接する光榮を得た私は、なんといふしあはせ者であらう。
 博士は、靜かに歩み寄る私の手にした紹介状に眼を注ぎながら、
「その藍色の封筒には見覺えがある。わかつたわかつた。きみはかねがねジョルダン博士からいつてきてゐる日本の學徒大島くんでせう。まあかけたまへ。」と、私が一言も發しないうちに先手をうつて、かたはらにあつたいすをすすめるのであつた。
 私が、この博物館を訪れた主要な用務は、世界の學者が待望するカーネギー博物館の刊行物として、私の論文を出版してもらふことで、恩師ジョルダン博士は、そのための豫備交渉を早くから進められてゐた。
 あいさつを終つて用務に話を進めると、聞き入つてゐたホランド博士は、戰時財政の不如意についてくはしく話し、それとなく論文刊行の困難なことをにほはせた。
 さうして次のやうに語つた。
「まあそのやうな状態で、せつかくの御來訪も無になるやうな次第だが、それはそれとして、今日はきみがまだ生まれないころの日本の話をさせてもらはう。わたしが日本をおとづれたころは、歐化主義のさかんな時で、鹿鳴館といふ社交クラブがあり、をかしな催しをしたものぢや。
 そのころ訪日の外人の中で、富士山や磐梯山の頂上をきはめたのは、米國山岳會會員であつたわたしがはじめてだらう。
 當時は、まだ三角測量が行はれてゐなかつたので、富士山の高さも不明であつた。
 そこで、山頂に立つたわたしは、小手をかざして脚下に展開する駿河灣の海岸線を眺め、その角度を目測して紙上計算をしてみたが、その際算出した高さは實測の結果と、わづか十フィートしか違はなかつた。
 そんなわけで、わたしと日本とは深い關係があるのだが、今日はるばる訪ねてみえた珍客への御馳走に、日本留學生第一號とでもいはうか、わたしがはじめて會つた日本人について話をしてあげよう。
 さうさう、指折り數へると數十年の昔になるが、わたしが若くしてアマスト大學の助手を勤めてゐたころ、寄宿舎で二間續きの室を使用してゐた。
 ところがある日のこと、先輩のヘ授がやつて來て、きみは室を二つもつてゐるやうだが、その一つに日本の年を泊らせて、そのヘ導にあたつてくれないかと、藪から棒のやうな話を持ち出した。ものずきなわたしはそれはおもしろいと、ヘ授の申し出でを快諾して、はじめて見る東洋の年を引き取つたが、室は二つあつても机は一つしかなかつた。
 そこで、大きな机の中央に白墨で線を引き、向かふは日本、こちらはアメリカと宣言して互ひに對坐し、勉學にいそしむことにしたが、その日本の年はなかなかの傑物であつたよ。
 そのころ、もう熱心なクリスチャンになつてゐたが、ある日のこと、聖書をギリシャ語で讀みたいといひだした。
 それはおやすい御用だ。日本語と交換ヘ授といふ條件で、その申し出でを快諾して、自分はすぐに授業にとりかかつた。
 つまり、わたしはその年のギリシャ語の先生で、かれはわたしの日本語の先生といふわけだが、かれこそ、後に名をなした新島襄だよ。」
 問はず語りにホランド博士は、遠い昔を思ひ起して、ひとり感慨にふけつてをられたが、──新島先生年譜には、慶應三年九月二十一日マサチュセッツ州アマスト大學に入學、北寮第八號室に入る、室友ホランド、先生、自然科学に最も興味を有し、化學、生理、植物、鑛物、地質等を好んで勉學すとある。──新島襄といふ名を耳にした私は、とびあがらんばかりに驚いた。
 さうして、なほ語り續けようとする博士をさへぎつて、
「新島のをぢさんなら、私はよく知つてゐます。私は小さな時、その新島襄の手で育てられたのですから。」と、ありし昔を語らうとした。
 すると博士は、
「いやいや、時代が違ふ。きみたちが知つてゐるはずはない。」と、一言のもとにしりぞけようとした。
 が、ことば短かにその因縁を物語る私の顔を、穴のあくほどみつめてゐた博士は、つと立ちあがられて、
「おや、これはまた意外だ。じつに珍らしい日本人が舞ひこんで來たものだ。それなら襄の寫眞やら、當時の日記やら、きみに見せなければならないものがたくさんある。今日はもうこれで仕事はやめだ。さあ、家へ行かう。」と、あつけにとられてゐるタイピストを尻目に、玄關に出て、横づけにしてあつたりつぱな自動車に、ためらふ私をおしこみ、一路自宅へと車を走らせた。

    (二)

 同志社をわが子のやうに、だいじに胸にだいてはぐくみ育ててゐた新島のをぢさんが、病を札幌の郊外に養つてゐたのは明治二十年の夏であつた。
 當時母校札幌農學校にヘ鞭をとりつつ、クラーク博士の拐~が宿つてゐる札幌獨立ヘ會をつかさどつてゐた私の父とは、心をゆるす間柄のこととて、兩者の往來はかなりひんぱんであつた。
 通稱滿坊でとほつてゐた私は、その時ちやうど四つのいたづらざかりであつた。殊に、長男に生まれて父母の愛を一身に集めてゐた身にとつては、天下に恐るべき何物もなく、わがままいつぱいにふるまつてゐた。
 だが新島夫妻は、「滿坊、滿坊。」といつて私をかはいがつた。
 京都に歸つてから父に送つた手紙のどれにも、「近頃滿坊先生はいかが、毎日お話しいたしをり候。」と必ず附記してあつたのをみても、その愛され方がわからう。
 そのころ新島のをぢさんがどんなに偉い方であるかを知らなかつた私は、札幌の創成(さうせい)川の岸にあつた家につれられて行つても、思ふぞんぶんにふるまつた。
 ある日のこと、をぢさんとをばさんが外出の用意をととのへて、
「滿坊、よいところへつれて行つてあげるから、さあ、出かけよう。」と、私をうながした。いそいそと玄關へ出かけて、踏石の上にそろへてある大小二足の靴をちらとみた私は、たちまちふくれあがつて、だだをこねだした。
「をぢさんたちと行くのがいやなのか。何、さうぢやない。ではどうしたのだ。何が氣にさはつたのかなあ。八重子、滿坊がまた奥の手を出したよ、弱つたなあ。」といつて、をぢさんは、をばさんに助け舟を求められた。
「滿坊、何が氣にさはつたの。をばさんにいつてごらん。」
 小さな聲でうつたへる私のくりごとを耳にしたをばさんは、腹をかかへて笑ひだした。
「をぢさんの靴は光つてゐるのに、坊やの靴はほこりだらけだから、行くのはいやだといつてゐるのですよ。なんとかしなければ、おみこしはあがりませんよ。」
「ああさうか、よしよし。」
 をぢさんは、きちんと着てゐた上衣をかなぐり棄てて、片手に小さな靴を持ち、片手に大きなブラッシをつかんで、力のかぎり磨きをかけた。
「滿坊、これでどうだ。をぢさんのよりきれいになつたらう。さあ行かうぜ。」
 出された靴を見て、にこにこと笑つた私は、それを足先につつかけるなり、すぐ、飛鳥のやうに飛び出した。
「かはいい坊やだな。」
 をぢさんとをばさんは、そのあとを追つて出て來られたが、門を出て數町とは行かないうちに、私は道路のまん中で無言でつつ立つたまま動かなくなつた。
「弱つたなあ。八重子、ぼくのステッキを持つておくれ。」
 をぢさんは、道端にしやがんで自分の背をたたきながら、
「滿坊、これか。」と、にやにや笑ひながら私に呼びかけた。
 見るなり私は、をぢさんの廣い背に飛びついた。
 さうして、足をばたばたさせながら、
「をぢさん、早く歩いてよ。」と命令した。
 暑さのきびしい夏の日に、私を背に負ひながら、汗をふきふき歩かれた新島のをぢさんと、日がさをさしかけながらついていらつしやつた、新島のをばさんとの印象は、今も私の胸にやきついてゐる。秋たけてりんごのみのるころ、をぢさんとをばさんは、京都へ引きあげられたが、その道すがら小樽で目についたといつて、車のついたみごとな玩具を私に送つてくださつた。
 喜んだ私は早朝からそれをガラガラとひき廻すので、家人の安眠をさまたげてしかたがない。そこでたまりかねた家の書生が、今後、車のついたものは送つてくださるなといつた、くじやうの手紙を、京都へ送つたりした。
 その次には、りつぱな武者人形にそへて、御兩人自署の大きな寫眞が二枚、滿坊へと名ざしで送つてくださつた。
 それから幾年たつても、節供がくるごとにその人形を飾つて、ありし日をしのぶことを忘れなかつた滿坊の心から、どうして新島のをぢさんの姿が消えうせよう。

    (三)

 故人となつた新島のをぢさんのいまはの願ひをいれた私の父は、同志社を守り育てるために、北海の地をすてて京都に居を移すことになつた。
 母や多くの弟妹たちを後に殘し、十歳の春を迎へた私は、獨り父につれられて、山紫水明の古都に移つた。
 新島のをばさんはまだ廣島にをられるのか、學校の往復にその門前を通る新島邸の窓は、かたくとざされてあつた。
 そのうちにクリスマスの日がめぐつてきた。
 新島邸のとなりにあつた洛陽ヘ會の日曜學校生徒であつた私は、そのクリスマスに得意の銀笛をふいたが、私が壇をおりるのを待ちかまへてゐた老婦人が、
「おお、滿坊。」と叫んで、しつかと私を抱きしめた。
 ああ、なつかしい新島のをばさんだつた。
 その温顔を仰いだ私の眼から玉のしづくが流れ出た。
 そのことのあつた翌日、私は、久しぶりで窓のあけ放たれた新島邸をおとづれた。
 をどる胸を押へながらたどりついた玄關に、趣のある鐘がつるしてあつて、これでたたけと、しゆもくがそへてあつた。
「新島のをばさん。」と呼んだつもりで、私は鐘をカーンとたたいた。
 音もなく扉が開いて、半身を出した老婦人が、
「滿坊が來た。みんな早く出ておいで。滿坊が來たよ。」と、家人に呼びかけながら、覺えずとびこんだ私を抱きしめた。
 なつかしい新島のをばさん、をばさんは眼に涙をためながら、しやにむに私を奥深くひき入れた。さうして、
「をぢさんが生きてゐたら、どんなにか喜ぶだらうに……。」といひながら、主なき書齋へ私をみちびいた。
「ここがをぢさんのへやですよ。あれをごらん。」と、指さされるままに、顔をあげて壁面を見あげると、をぢさんの大きな寫眞であつた。
 傷のある眉間の下に輝く眼は、思ひなしかやはらいでみえ、その口もとがほころんで聲もさわやかに、「滿坊」と呼びかけさうにみえた。
「机の上をごらん。」
 をばさんのことばに眼をうつすと、をぢさんが、日夜筆をとられたといふ大きな机の上に、靴を磨かせた滿坊時代の私の寫眞が飾つてあるではないか。
 ああ、新島のをぢさんは、私を京都にまでつれて來て日夕かはいがつてくださつたのだ。
 手紙のたびごとに安否を問はれたのもそのはずだ。
 今その寫眞の主が、かうしてをぢさんを見あげてゐるのに、をぢさんの聲は聞えないのだ。
 暗い心になつて、じつとをぢさんの寫眞に見入りながら、私は無言で頭をぴよこんとさげた。
 せきあへぬ涙に眼を曇らせたをばさんが、
「そのいすへ腰をかけてごらん。」といはれた。
「そこに赤インキが置いてあるでせう。をぢさんは晩年眼が惡くなつてね、手紙でも何でも、赤インキで書かなくては見えないやうにおなりになつたのですよ。そのペンを持つてごらん。
 をぢさんの使ひなれたペンですよ。──ああ、滿坊がいすに腰をかけて、ペンを握つてゐる。この姿ををぢさんが見たら……」といつて、をばさんは聲を曇らせた。それから、
「一しよに若王寺へ行つて來ませう。さうしてをぢさんを喜ばせませうね。」とおつしやつた。
 用意された人力車に乘つたをばさんは、昔のやうに私を膝に乘せた。
 洛東若王(じやくわう)寺の一角にある苔むす一基の墓石、その前に立つたをばさんは、
「滿坊が參りましたよ。」といつて、私を引きよせた。
 勝海舟の筆になる「新島襄之墓」といふ五つの文字を刻んだそのおくつき。
 墓石に水を注ぎながら、
「滿坊ですよ。」と、をばさんは再び呼びかけた。私は、
「をぢさん。」と、呼びかけようとしたが聲が出なかつた。
 しづかに頭をさげた。

    (四)

 ピッツバーグの町を走り出た自動車は、やがて、郊外のすばらしい邸宅の玄關に横づけになつた。
 扉を押してつかつかと中に進んだホランド博士は、客間に私をみちびき、自分は書齋にはいつて、しきりに探し物をしてをられたが、やがて姿を現はした博士の手には、古色蒼然たるアマスト時代の日記と數葉の寫眞とがあつた。
 脱藩當時の新島のをぢさんの寫眞も目についた。
 アマスト時代のもの、京都時代のもの、思ひ出深い數々の寫眞に見入つて、無量の感に打たれてゐる私の目の前へ、博士は、
「それ、このとほりだ。」といつて、日記をくりひろげ、机上に白線を引いて「國境」を劃したくだりを聲高らかに讀みあげた。
 ちやうどそのころは眞夏であつたので、博士の家族たちは暑さをどこかにさけて、家の中はがらんとしてゐた。
 やがておひる時になつたので、廣い食堂にみちびかれ、博士とたつた二人、靜かに食卓についたが、平和主義の巨頭としてその名を知られてゐた老博士は、興に乘じて、アメリカの國是につき、熱意をこめて語られた。
 ──親の目からみれば、自分の子女は、その性質がどんなに違つてゐようとも、かはいいことはみな一樣であつて、そこになんのけぢめもない。
 兄と弟との差は、生物學的の差は別問題として、一方が先に生まれ、他方が後から生まれたといふだけのことで、それによつて兄が特權を賦與されねばならぬ理由は少しもない。親としてみれば、自分の子女にはすべて均等のヘ育をほどこし、均等の機會を與へて、社會に巣立ちさせたいのが念願である。
 それ以後の浮沈は、子供たち自身の才能によるものである。
 それと同樣に、~の目から見れば、世界の人類はすべてその愛兒なのだから、人種的差別などのあるべきはずがない。
 四海の民すべて兄弟姉妹である。それで、互ひに干戈にまみゆべきでないといふ理念が、ここからわいてくるのだ。
 ──と、卓をたたいて立ちあがつた老博士は、フィッシュナイフを握つた右手を大きく振り廻はし、「愛は、憎しみよりも強い。」と力をこめて叫びながら、その握りこぶしを私の鼻先きに突きだされた。──ああ、忘れもしない、滿面紅をさして語られたホランド博士のあの熱情のことばを。
 故國へ歸つたら、新島夫人に今日の愉快な會見のてんまつを傳へてくれ、といひながら、自動車の扉に手をかけた老博士が、さらに、
「先ほどの話はこころよく引き受けたよ。」とささやいた。
 博士は、その意味を解しかねてゐた私のやうすを見て、大きな聲で笑はれ、こんどははつきりと、
「きみの論文は、カーネギーで出版を引き受けたよ。」といひたした。
 ああ、新島のをぢさんが今なほ滿坊を護つてゐてくださつたのだ。
 私は、停車場まで送られたホランド博士の好意を深く謝して、別れの手をさしのべると、博士は、滿面に笑みをたたへながら、
「ドウイタシマシテ。」と、意外なあいさつをした。
 さうして、これが新島から習つた日本語の一つだといはれた。
   四 古典思慕

    (一) 紀 貫 之(きのつらゆき)

 漢文が日本に傳はつて來てから、今まで文學といふことにあまり注意を拂はなかつた日本人も、かたかな・ひらがなを發明し、やがては、そのひらがなだけで日本文を書くやうになつた。
 今殘つてゐるもので、一番古いと思はれるのは、竹取物語や、伊勢物語のやうな文學であるが、それはだれが書いたものかわからない。しかし、さういふ文學の出たころをみると、今の世に傳はらないもので、いろいろの文學があり、また自分一人で、それを利用してゐた人もあつたことと思はれる。
 しかし、はつきりした自覺をもつて、後世に傳はるやうなかな文を書いた人は、紀貫之である。貫之は、醍醐(だいご)天皇の命を受けて、他の人たちとともに、古今和歌集といふ歌集をえらんだ。
 それができあがつて天皇に申しあげる時、序文を書いた。
 その序文には、漢文の序と、かな文の序との二種の序がある。
 この序文に對する學者の意見は、漢文についてはまちまちであるが、かな文の方は、たしかに貫之の書いたものといはれてゐる。
 それは、「やまとうたは、人の心をたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。」といふ書きだしで、歌の起源から歌の種類などを論じ、歌は抒情詩であることを述べ、それから、柿本人麿(かきのもとのひとまろ)以下當時に至るまでの主な歌人について、簡單で要領を得た評論を加へてゐる。
 あまり長い文章ではないけれど、かなばかりで、しつかりとした、美しい、玉のやうな文章が書きつづられてゐる。先例があるのなら、これくらゐの文章を書くのに、それほど骨が折れないかもしれない。
 しかし、當時は何一つ先例がなく、あるのは漢文だけであつた。
 このやうな時代に、儀式ばつた文章を、かなだけで書き、ことに、何千年と傳はるべき、すぐれた作品ぞろひの和歌集の、最初にかかげるだけの名文を書くといふことは、どんなに苦心があつたことであらう。
 貫之は、その後、大井川行幸和歌の序といふ、古今集の序とほとんど同じやうな美しいかな文を書いたが、最後に、年は七十以上のころでもあつたらう、土佐守となつて土佐におもむき、任期がすんで歸る時、土佐日記といふかな文の日記を書いた。前の二つは、りつぱに飾りたてた、儀式ばつた文章であるが、最後のは、いたつてやさしい、素朴な文章である。
 その一節を今の口語に譯すと、十一日。あかつきに舟を出して、室津(むろつ)に針路をとりました。人々は、みなまだ寢てをりますので、海上のやうすも見えず、ただ、月を見て、わづかに方角を知りました。
 そのうちに、すつかり夜も明けて、手を洗ひ、食事などをしたためると、やがて晝になりました。ちやうどいま、羽根といふところに參りました。
 幼い子供が、このところの名を聞いて、羽根といふところは、鳥の羽のやうなものですかといひます。まだ幼い子供のことですから、人々が笑つてゐます。
 すると、女の子が、この歌をよみました。
   まことにて名に聞くところはねならば 飛ぶがごとくにみやこへもがな
 と、いつたちやうしであります。なんでもないやうな文章ではあるが、先例も何もない時代に、はじめて紀行文を作りだすといふことは、またどんなに困難であつたものか、もう八十にも近い貫之が、どこまでも、先驅者として眞劍の努力をしたことを考へてみたい。

    (二) C 少 納 言(せいせうなごん)

 夏の夜明け、庭さきに出て見ると、並べて植ゑた朝顔のつるが、するすると支柱にはひのぼつて、二りん三りん、大りんの花を咲かせてゐる。
 白いぢくの先に、ラッパがたにまるくそりかへつた、こいむらさき、深い空色、色とりどりの大きな花べん。ほんたうに美しく、はなやかだ。
 ビロードのやうな手ざはり、もみきれのやうなやはらかさ、そんなことばを使つてみたところで、その美しさ、新しさは、萬分の一も表はせない。
 しかし、それが長くは持たないで、十時過ぎには、もううなだれてしぼんでしまふ。けれども、あくる朝は、また、新しい花をさらに多くさかせる。
 それが夏中つづく。秋になつて、たとひ花は小さくなつても、あかつきの美しい色どりは、やはり眞夏のそれに多くゆづるところがない。朝顔の美しさは、その朝の一時の短かい時間に、天地にこもる生命の力の、永遠に衰へない若さと、その美しさとを、そのままに現はして見せてくれることである。
 さて、わが平安朝の昔、C少納言といふ女流作家があつたが、ちやうどこの朝顔のやうな作家であり、その文章も、この朝顔のやうな美しい文章である。C少納言は、C原元輔(きよはらのもとすけ)といふ歌人の娘で、中宮定子といふ文學ずきな方のお相手をして、宮中にお仕へした婦人であるが、學者でもなく、また、歌人でもなかつた。
 しかし、いつも、さえた目、さとい耳、するどい鼻をもつてゐた。つまりいつも、他の人々がぼんやりとして見のがし、聞きのがすものを、すばやくとらへ、心で味はひ、いひかへやうのない、うまい短かいことばで表はした。
 たとへば、車に乘つて、仲間と笑ひながら行く最中でも、どこかでよもぎの匂ひがすると、すかさずそれをつかまへて、天地の若さや美しさが、その匂ふ一點に集まつてゐるやうに感ずるのだつた。
 さうして、ずばりと簡潔な表現をした。たとへば、暗いところで、仲間と歌物語などしてゐる時、なにかことことと不思議な音がする。
 何かと思へば、米つき虫だつた。まあ、きみがわるいとでもいふところを、「いとをかし。」といつて、これも、おもしろいものの一つに數へてゐる。
 ほととぎすは、C少納言のすきな鳥だつた。ところで、それが忍び音に鳴きはじめたりすると、もう氣ちがひのやうになつて、氣が落ちつかなくなつた。
 しかし、わざわざこれを聞きに行つて、あきるほど聞いたのはよかつたが、ゐなかの人のもてなしで、うすひきを見たり、ごちそうをたべたり、うの花を折つて車にさしこんだりして、よそへそれてしまふと、かへつて半首の歌もできなくなつたといふ。これなどは、どこまでも、感覺のC新を生命とする、この人らしいことだつた。
 C少納言の作品、枕草子(まくらのさうし)は、隨筆集で、源氏物語などのやうな長篇ではない。
 けれども、その一項一章は、みな獨立した小品や詩で、どの一つをとつても、獨自の觀察を、獨自の表現で書きつづつたみごとな文章である。
 C少納言も、社會の中に生きた人であるから、昔の人から學び、同時代の人からヘへられたことも、もちろん多いに違ひないが、それは、いつも、みづから見たこと、みづから感じたことで、裏づけをしてゐた。
 だから、後世の人は、いつか、C少納言の目でものをみ、C少納言の耳で音を聞き、C少納言の鼻で匂ひをかぐやうになつた。
 歳をとつてから、たいへん貧乏で、見るかげもない生活をしてゐたといふが、どんなに衰へても、一流の觀察眼で自然と人生をながめ、一流のいひ方でそれをいひ表はしてゐたらしい。その文章を讀むと、私たちは、C少納言が永遠に生きて、私たちの前に立つてゐることを感ずる。
 顔形が朝顔のやうに美しかつたといふわけではない。かの女が、一瞬のうちに千年の長さにも値するやうな、生きた觀察や表現をしてゐたことが、朝顔の花の色が秋になつて衰へないのに、似てゐると思ふのである。
 また、作品のどこを開いて讀んでみても、朝顔の花のやうなはなやかさと美しさとを感ずる。この意味で、かの女は比類のない一種の天才であつたし、枕草子はまた、比類のない一種の傑作であるといつてよい。

    四 季

 春は夜の明け方、だんだんはつきりしていく山際が、すこし明かるくなつて、むらさきがかつた雲の細くたなびいたのがいい。
 夏は夜、月夜のころはもちろん、やみの時でも、ほたるがあちこちとぶのがおもしろい。雨がふるのさへもいい。
 秋は夕ぐれ、夕やけがして、日が山にはいりさうになつたころ、烏がねぐらへ行くといつて三つ四つ二つなど、つづいてとんで行くのがおもしろい。
 まして、かりなんかが、列になつてとんで行くのが、ひじやうに小さく見えるのは、ほんたうにおもしろい。
 日がはいつてしまつて、風の音や、虫の聲などをきくのは、趣が深い。
 冬は朝早く、雪の降つたのはもちろんのこと、霜なんかが白くおりたり、また、さうでなくても、たいへん寒いので、火などをいそいでおこして、炭を持つて長い廊下などを通るのも、ほんたうに調和した趣である。
 晝ごろになつて、だんだん温かになつていくと、ゐろりや、火鉢の火が、白く灰がちになつてしまつたのはいけない。

    木 の 花

 木の花は梅。こくてもうすくても、紅梅がいい。櫻の花びらが多くて、若芽の色のこいのが細い枝に咲いてゐるのは、たいへんおもしろい。
 藤の花が、花房が長くはでな色に咲いてゐるのは、たいさうよい。
 うのはなは品が落ちて、特におもしろいこともないが、咲く時期がいいし、ほととぎすがそのかげにかくれて鳴いてゐはしないかと、思ふとおもしろい。
 賀茂(かも)の祭にいつた歸りに、紫野のあたりの道ばたのつまらない家の、ばうばうと茂つた垣根なんかに、まつ白に咲いてゐるのはおもしろい。
 色の上に、白いひとへの着物を重ねて着てゐるやうで、朽葉(あをくちば)といふ重ねに似てゐて、たいへんおもしろい。
 こいい色をした橘に、まつしろな花が咲いてゐるところへ、雨が降つてゐる早朝などは、たいへん氣がきいてゐる。
 桐の花が紫に咲いたのは、やつぱりおもしろい。
 葉がものものしいけれど、ほかの木といつしよくたにはできない。
 中國では鳳凰がこれにとまるとかいふ話があるが、特別な感じがする。
 まして、琴などにつくつていろいろな音を出させるのなんかは、まことにおもしろい。

    虫

 虫は鈴虫。松虫、はたおり、きりぎりす、てふ、ひをむし、ほたる。
 みのむしも心がひかれる。
 鬼が生んだので、親ににてこれも恐しい性質をもつてゐるだらうといふので、母親が、惡い着物をきせて、「いまに秋風が吹いたら來るからね、待つておいで。」といつて逃げていつたのも知らず、風の音を聞き知つて、八月頃になると、「ちちよ、ちちよ。」とさびしさうになくのが、たいへんかはいさうだ。
 それからひぐらし。米つきむしもまたおもしろい。
 虫のくせになぜおじぎなどをしてまはるのだらう。思ひもよらない暗いところで、ことことといふ音を聞きつけると、おもしろいと思ふ。
 はへこそほんたうに、にくらしいものの中に入れてしまふべきものだ。
 何にでもとまり、顔などにもぬれた足でとまるのだもの。
 蛾も大へんおもしろく愛らしい。あかりを近くに引き寄せて、物語など讀んでゐる時、本の上などを飛びあるくのは、たいへんいいものだ。蟻はにくらしいが、體がかるくて、水たまりなど、平氣で歩きまはるところがおもしろい。

    ほととぎす

 舊暦の五月になつてから、毎日雨がちで、くもつてばかりゐた。
「あんまりたいくつね。ほととぎすの聲でも聞きに出かけてみませうよ。」といふと、みなが私も私もと賛成した。
「いつたい、どこへいくの。」
「賀茂の社の奥の、なんとかいふ橋のあたりで、毎日鳴くつていひますよ。」といふと、
「でもそれは、ひぐらしといふ蝉ぢやありませんか。」と、ちやちやを入れる人もあつたが、そこにきめませうといつて、五日の朝に、役所から牛車を用意してもらつて、四人ぐらゐが一組になつて行くことにした。ほかの人たちもうらやましがつて、いつしよに行かせてもらひたいといつたが、中宮さまが許してくださらなかつたので、そつけない顔をして出かけてしまつた。
 馬場といふところまで行くと、人が大ぜい集まつて、わいわいいつてゐる。
「何ですか。」と、車の中からことばをかけると、
「今日は弓の練習會で、左近の中將や、少將さまもいらつしやいます。しばらく御見物なさい。」といつたが、そんな人たちも見えないので、
「見たくないわ、いそいで行きませうよ。」といつて、通りぬけた。ここへは、賀茂の祭のたびに來るので、その時のことを思ひ出して、おもしろく感じた。
 道ばたに、中宮さまのをぢぎみにあたる明順(あきのぶ)朝臣(あそん)の家がある。
「ついでによつてみませうよ。」といつて、車をひき入れて、下におりた。ゐなかふうに質素なつくりで、ふすま、びやうぶ、すだれなど、わざと古めかしくこしらへてあつた。ほととぎすが、あつちでもこつちでも、さかんになきたてるのがきこえる。やかましいほどだ。
「こんなに鳴くのに、中宮さまのお耳にもお入れ申さず、あいにくのものだわ。」
「あんなにみなさんが來たがつたのに、お氣のどくだわね。」
 こんなことをいつてゐると、
「ゐなかへいらつしやつたら、ゐなかのものを見るものですよ。」と、明順朝臣がおつしやつて、上品な若い娘さんや、近所の家の女中さんなどをつれて來て、五六人に、稻をとり出して、こかせてみたり、二人の人にうすをひかせたり、歌を歌つて聞かせてくれたりしたので、これは珍しいといつて笑つてゐるうちに、ほととぎすの歌をよむことなどは、忘れさうになつた。中國の繪にあるやうな美しい臺で、ごちそうが出たが、箸をとらないので、主人が、
「どうもひどくゐなかふうなものです。しかし、かういふところへ來た方は、もつと何かないかといつて、主人にさいそくしたりするものですよ。こんなふうにゑんりよなさつてゐては、都から來たかたらしくありません。」などと、じやうだんをいつてもてなしてくれた。
 そのうちに、
「雨が降りだしさうですよ。」といふものだから、いそいで車に乘つた者もあつたが、
「さあ、ほととぎすの歌は、ぜひここでよみませうよ。」といふと、
「それはさうですが、道々でもいいぢやありませんか。」といつて、みんな車に乘つてしまつた。うのはなのまつ白に咲いてゐるのを折りとつて、車のすだれや、まはりなどに、ふいたやうにさしたので、まるでうのはな重ねを車の輿にかけたやうにみえた。
 ともの男たちも、たいへんおもしろがつて、網代(あじろ)にまでも穴をあけて、ここがまだたりないといつて、たくさんにさしこんだ。
 さうしてやつて行くうち、だれかに會ふだらうと思つて行つたが、つまらない坊さんや、見知らない人にしか會はないので、殘念でたまらない。
 御所近くへ來てしまつたので、この車のやうすだけでも、人の評判にさせてやりたいと思つて、一條殿のそばで車をとめて、
「侍從殿はおいでですか、ほととぎすの聲をきいて、今歸るところです。」といはせると、使はもどつて來て、
「ただいままゐります。」とおつしやつて、ひかへの間で大いそぎにいそいで、着物を着かへておいでになつたといふ。
「待つてゐるのではないのよ。」といつて、車を走らせて、土御門の方へ行かうとしてゐると、侍從殿は、いつの間に着がへしたのか、帶は道々結びながら、
「ちよつとお待ちなさい、ちよつと。」といつて、追ひかけて來た。供に、さむらひや、雜色(ざふしき)たちが、はだしで走つて來るらしかつた。
「いそげ、いそげ。」といつて、たいへんいそがして、土御門に到着してしまつた時、侍從殿も、はあはあいひながらやつて來て、この車を見てひどくお笑ひなさつた。
「正氣の人の乘つてゐる車とは、まつたくみえないよ。まあ一度おりてごらんなさい。」といつて笑ふので、いつしよに行つた人たちも、おもしろがつて笑つた。
「ほととぎすの歌は作つたのですか、それを聞かせてください。」
「今、中宮さまにお目にかけてから。」などといつてゐるうちに、雨が降つてきたので、侍從殿たちと別れて御殿へ歸り、今のことなどを話すと、そこらにゐた人は、みんな大笑ひに笑つた。中宮さまは、
「さうして、歌はどれなの。」と、お問ひになつた。
   五 幸福の園

 雲の幕があがると、園の前の方に、高い大理石の圓柱からできた、大廣間のやうなものが現はれます。テーブルのまはりには、この地球の上で、一番ふとつた「幸福」(ぜいたく)たちが、獸の肉や、ふしぎな果物や、水がめや、ひつくり返つたかなへなどの間で、たべたり、飲んだり、キャツキャツ騷いだり、歌を歌つたり、ぶつつかつたり、よろけたり、眠りこけたりしてゐます。
 みんなびつくりするほど、とてもほんたうと思へないほど、ふとりかへつてゐて、まつかな顔をしてゐて、びろうどや、にしきにくるまり、金だの、眞珠だの、寶石だのを、頭にいつぱいつけてゐます。チルチルと、ミチルと、犬と、パンと、砂糖とは、はじめはいつて來た時、少しはにかんで、みんな、右手の前の方へ、光をとりまいて、かたまつてしまひました。
 ねこは、ひとことも口をきかず、これも、右手の方の奥へ向かつて、歩いて行つて、Kい幕をあげて、すがたをかくしてしまひました。
チルチル「あんなにうまいものをたくさんたべて、うれしさうにしてゐるふとつた人たちは、だれだらう。」
光「あれが、この世の中で一番ふとつた、だれでも眼で見える『幸福』どもだよ。どうも、あんまり、あてにはならないけれど、い鳥だつて、ことによると、ちよいとでも、この人たちの仲間に、迷ひこんでゐないともかぎらない。だから、ダイヤモンドを、まだ、まはしてはいけないよ。ほんの形だけでも、廣間の方を探してみようよ。」
チルチル「私たち、あそこへ行つてもいいの。」
光「いいとも。あの人たちは、下等でもあり、たいていは、まあ、育ちの惡い者だけれど、人は惡くはないのだよ。」
ミチル「なんてきれいなお菓子でせうね。」
犬「それに、あんなに肉がある。腸づめもある。小羊の脚に、小牛のかんざうもある。」
パン「いかにもうまさうだなあ、うまさうだなあ。わたしより、よつぽど大きい。」
砂糖「だが、おまへさんたちは、あの砂糖菓子を忘れたのぢやないかな。あのとほり、テーブルの光榮になつてゐる砂糖菓子を、いつてみれば、すばらしく美しくて、この廣間の何者をもおさへてゐる、いや、どこの何をもおさへてゐる、あの砂糖菓子を忘れたのぢやないかな。」
チルチル「あの人たち、ずゐぶんうれしさうな、幸福さうな顔をしてゐるなあ。あ れ、キャツキャツ、いつてゐる。笑ひこけてゐる。歌を歌つてゐる。なんだか、あの人たち、こつちを見たやうだ。」
 とうとう、一番ふとつた「幸福」が、テーブルを離れて、大きなおなかを兩手にかかへて、たいぎさうに、子供たちの方へやつて來ました。
光「こはいことはないよ。あいそのいい人たちだからね。きつと、おまへさんたちを、ごちそうによばうといふのだらう。それを受けてはいけない。何も受けてはいけないよ。でないと、かんじんな用むきを忘れてしまふからね。」
チルチル「どうして。小さなお菓子もいけないの。」
光「みんな、あぶないよ。おまへの志をくじいてしまふよ。人といふものは、自分のしなければならないつとめのためには、何かしらぎせいにする心が、なければならないものだよ。ていねいに、しかしきつぱりと、ことわりなさい。」
一番ふとつた幸福、チルチルの方へ、手をさし出しながら、「チルチルさん、ごきげんよう。」
チルチル(びつくりして)「え、あなた、ぼく知つてゐるの。あなた、どなたです。」
ふとつた幸福「わたしは、幸福仲間で、一番ふとつた、『お金持の幸福』です。失禮ですが、この中のおもなものを御紹介しませう。これが、わたしのむこの『地所持の幸福』で、なしのやうなおなかをしてゐます。これが『みたされた虚榮の幸福』で、このとほり、りつぱな、ふくれあがつた顔をしてゐます。(「みたされた虚榮の幸福」ゆつくりとうなづく。)この連中は、『のどのかわいてゐない時に物を飲む幸福』と『腹のへらない時に物をたべる幸福』で、二人はふたごで、二人とも、足はうどんです。(二人よろよろしながら、おじぎをする。)これは『なんにも知らないといふ幸福』で、みんな魚のやうにつんぼだし、『なんにもわからないといふ幸福』は、かうもりのやうに、目が見えない。このかたは『なんにもしないといふ幸福』と『必要以上に眠るといふ幸福』でね、二人とも、手はパンのしんだし、目は桃のジャムですよ。さて、一番おしまひに、ここにゐるのは『はちきれさうな笑ひ』で、口は、耳から耳までさけてゐるし、だれも、それに立ち向かふものはないのですよ。」
 「はちきれさうな笑ひ」が、腹をかかへながら、おじぎをしました。
 チルチル、少し横の方に立つてゐる一人の「幸福」を指さして、
チルチル「それから、あの、仲間にはいらないで、背中をむけてゐるのはだれです。」
ふとつた幸福「あの男のことは、きかない方がよろしい。あれは、少しひねくれ者で、子供さんたちに紹介するのはむづかしい。(チルチルの手をにぎりながら)まあ、おいでなさい。みんな、宴會のやり直しをするところです。これで、けさから十二度めです。わたしたちは、ただもう、おまへさんがたを待つてゐたのです。あのとほり、騷ぎやどもがおまへさんがたを呼びたててゐるでせう。わたしは、とても一々紹介してはゐられない。なにしろ、おびただしい數ですからね。(二人の子供に手を出しながら)さあ、どうぞ。お二人のために、ちやんと席がとつてありますよ。」
チルチル「いいえ、どうもありがたう、『ふとつた幸福』さん。ぼくは、ほんたうにすみませんが、ちよつとの間も行かれないのです。ぼくたちは、たいへん急いでゐるのです。い鳥を探してゐるのです。たぶん、あなたがたも、あの鳥、どこにかくれてゐるか、ごぞんじないでせうね。」
ふとつた幸福「い鳥とね。はてな。さうさう、思ひ出した。だれだか、いつか、そんな話をしてゐたつけ。なんでも、たべてはうまくない鳥ださうぢやないですか。とにかく、そいつは、つひに、わたしたちのテーブルにのぼつたことはないやうです。といふのは、その鳥をあまり上等とは思はないからです。だが、まあいいでせう。もつといいものがありますよ。わたしたちの生活の仲間にはいつて、わたしたちのすることを、みんな、見るといいのですよ。」
チルチル「何をするのです。」
ふとつた幸福「それは、いつも何もしないことです。わたしたちは、少しの休みもなく飲む、たべる、眠る、いやはや、目がまはるやうだ。」
チルチル「それがおもしろいの。」
ふとつた幸福「おもしろくないはずはないでせう。それが、この世のすべてですもの。」
光「あなたはさう思ふの。」
ふとつた幸福(光を指さしながら、チルチルに向かつて)「あの育ちの惡い、若い女はだれだね。」
 こんな話をしてゐる間に、ふとつた「幸福」どもは、せつせと、犬と、砂糖と、パンをときつけて、宴會の中にひきずりこんでしまひました。
 チルチルが、ふと見ると、かれらは、みんなと仲よくテーブルについて、飲んだり、たべたり、はねまはつたりしてゐました。
チルチル「おや、光さん、ごらんよ。みんなは、テーブルにすわりこんでゐるよ。」
光「呼び返しなさい。でないと、いまに困ることになるから。」
チルチル「チロー。こら、チロー。來いといふのに聞えないのかい。それから、砂糖も、パンも、だれが行けといつた。そこで何をしてゐるのだ。」
パン(口にいつぱい物を入れながら)「行儀のいいことばを、使つてもらひたいものですね。」
チルチル「なんだつて。なまいきなことをいふな。何かおまへについてゐるな。それから、チロー、おまへもすぐ來い。」
犬(ぶつぶついひながら、テーブルのすみで)「物をたべてゐる時には、だれにもかまつちやゐられません。何も聞えませんよ。」
砂糖(お上手らしく)「ごめんくださいまし。せつかくお招きをいただきながら、さうあたふたと、おいとますることもできませんしね。」
ふとつた幸福「ほら見たまへ。さあ、きみを待つてゐるのだ。おことわりはできませんよ。さあ、みんなで、力づくでいやでも幸福にしてしまはうぢやないか。」
 ふとつた幸福どもは、喜びの聲をあげながら、いやがる子供たちを引きずつて行かうとする。その間に「はちきれさうな笑ひ」は、光の腰のあたりを、力まかせにおさへました。
光「ダイヤモンドをおまはしなさい。今だよ。」
 チルチルは、光のいふやうに、ダイヤモンドをまはしました。
 舞臺は、Cらかな、かうがうしい、ばら色の美しい光に照らされました。
チルチル(ふとつた幸福どもの逃げて行くのを見ながら)「おやおや、なんて、みつともないざまだらう。みんな、どこへ行くの。」
光「みんな、不幸のところへ逃げこんでしまふのさ。」
チルチル(そこらを見まはして)「やあ、なんてきれいなところだらう。どこに來たのかしら。」
光「同じところにゐるのだよ。違つたやうに思ふのは、目のせゐですよ。私たちは、やつと、物の眞實を見ることができるのだよ。ダイヤモンドの光にたへられる幸福の奄見るのだよ。」
チルチル「きれいだな。それにお天氣のいいこと。まるで眞夏のやうだ。」
 「ばらの目ざめ」とか「水のほほゑみ」とか「あけぼのの紫」とか「こはくの露」などが、現はれます。
光「かはいらしい幸福たちがやつて來た。私たちを案内にやつて來た。」
チルチル「あの子たちを知つてゐるの。」
光「みんな知つてゐるよ。」
チルチル「なんてたくさんゐるのだらう。」
光「もつともつと、たくさんゐたものだよ。それを、ふとつた幸福どもが、ひどいめにあはせたのだよ。」
チルチル「でもいいや。あれだけ殘つてゐれば、いいや。」
光「この世の中には、人が思ふよりもつとたくさん、幸福はあるのだから。けれど、普通の人間には、それがみつけられないのだよ。」
チルチル「小さな子がやつて來た。かけて行つてあはうよ。」
光「むだなことだよ。私たちに用のあるものは、どうせ、こつちを通るのだから。ほかの者にまであつてゐるひまはないよ。」
小さな「幸福」の群、ふざけたり、笑ひこけたりしながら、みどりの園の奥からかけ出して來て、子供たちのまはりに、わになつてをどります。
チルチル「まあ、なんてかはいらしいのだ、どこから出て來たのだらう。だれなのだらう。」
光「あれは『子供の幸福』だよ。
チルチル「話をしてもいいの。」
光「まだだよ。あれらは歌を歌つたり、をどりををどつたり、笑つたりするけれど、まだ、お話はできないのだよ。」
チルチル(はねまはりながら)「ごきげんはいかが、ごきげんはいかが。まあ、あのふとつた子の笑ふことはどうです。なんてかはいらしいほつぺたをしてゐるのだらう。なんてかはいらしい服を着てゐるのだらう。このへんでは、みんな金持なの。」
光「なんの、ここだつて、どこだつて、やはり、お金持よりびんばふ人のはうが、ずつと多いのだよ。」
チルチル「どこにびんばふ人がゐるの。」
光「それを見分けることはできないよ。子供の幸福といふものは、地の上でも、天の上でも、一番美しいものに見えるのだからね。」
チルチル(がまんができなくなつて)「ぼく、あの子たちとをどりたいなあ。」
光「それは、どうしてもいけませんよ。もう時間がないのだからね。あの子たちがい鳥を持つてゐないことは、わかつてゐるのだからねえ。それに、あの子たちは、大急ぎに急いでゐる。ごらん、もう行つてしまつた。やはり、時間が惜しいのだよ。何しろ、子供の時代は、ごく短かいのだからね。」
また、もう一つの「幸福」の群、前のよりは少し背の高いのが、廣間の中にかけこんで來て、ありつたけの聲をはりあげて、「みんなゐる、みんなゐ る。こつち見た、こつち見た。」と歌ひ、子供たちをとりまいて、陽氣なをどりをやりました。
幸福「今日は、チルチル。」
チルチル「また、ぼくを知つてゐる子がゐる。(「光」に)ぼくは、どこへ行つても、だんだん人に知られて來るね。(「幸福」に向かひ)きみはだれなの。」
幸福「きみ、ぼくを知らないの。ここにゐるだれも知らないなんて、そんなことあるものですか。」
チルチル(少し困つて)「だつて、ほんたうに、ぼく、知らない。あつたおぼえがないもの。」
幸福「おい、みんな、聞いたらう。この人、まだぼくたちにあつたことがないのだつてさ。(外の「幸福」ども、どつと笑ひくづれる)だつて、チルチルさん、あなたの知つてゐるのは、ぼくたちだけですよ。ぼくたちは、いつだつて、あなたのまはりにゐるのですよ。ぼくたちは、あなたといつしよにたべたり、飲んだり、目をさましたり、息をしたりして、暮してゐるのですもの。」
チルチル「まあ、さうなの、ぼく、わかつた。思ひ出したよ。でも、きみたちの名前を聞かせてくれたまへ。」
幸福「あなたは、やつぱり、なんにも知らないのですね。ぼくは、あなたのおうちの幸福のかしらですよ。それから、これはみんな、『おうちにゐる幸福』どもですよ。」
チルチル「ぼくの家にも、『幸福』がゐるの。」
 幸福たちは、にんな、どつと笑ひます。
幸福「みんな聞いたかい。この人の家に『幸福』がゐるかつてさ。戸や、まどの破れるほど、いつぱい『幸福』でつまつてゐるぢやあないの。ぼくたちは、笑つたり、歌を歌つたり、かべをたたき落し、屋根を持ちあげるほどの喜びを、こしらへてゐるのですよ。でも、ぼくたちが何をしてゐても、きみには、なんにもみえないし、なんにも聞えないのだなあ。まづ第一に、ぼく自身を紹介します。ぼくは、あなたに仕へる『健康の幸福』です。ぼくは、一番きれいではないが、一番大切なものです。今度あつたら、わかるでせうね。これは『きよい空氣の幸福』で、ほとんどすきとほつてゐます。これは『兩親を愛する幸福』で、ねずみ色の着物を着て、いつでも、少し悲しさうにしてゐるのは、だれもふり向いてくれないからです。これは『空の幸福』で、もちろん、い色の着物を着てゐますし、これは『森の幸福』で、みどりの着物を着てゐます。外へ出れば、いつでも、この『幸福』たちは見られます。また、これは『ひなたの幸福』で、ダイヤモンド色の着物を着てゐますし、これは『春の幸福』で、きらきら光るい玉の色をしてゐます。」
チルチル「さうして、みんな、いつでもあんなにきれいでゐるの。」
幸福「ええ、ええ、さうですとも。それから、夕方になると、これが『日ぐれの幸福』で、世界中の王樣のすべてよりもりつぱで、お供には、『星の出を見ることの幸福』が、むかしの~樣にやうな、金ぴかの着物を着てついてゐます。それから、お天氣が變ると、これが『雨の幸福』で、眞珠をいつぱいつけてゐます。それから、『冬の火の幸福』は、こごえた手にために、きれいな紫色のマントを開きます。それから、ぼくは、まだ、仲間のうちで一等いいのを、紹介しませんでした。まもなくやつて來る、明かるい『大きな喜び』の兄弟分のやうなものですからね。その名は、すなはち『むじやきな考への幸福』です。それは、ぼくたちの仲間で、一等快活なのです。それから、これは、いや、まつたく大ぜいゐすぎますね。もう、よしませう。何よりもまづ、『大きな喜び』を、よびにやりませう。」と、見る間に、Kの肉じゆばんを着たわんぱく小僧のやうなのが、聞きとれないさけび聲をたてて、何かにぶつつかりながら、チルチルに近づいて來ました。鼻を指ではじいたり、平手でたたいたり、いそがしく足でけつたりして、狂氣のやうにはねまはりました。
チルチル(びつくりして、ひどくおこつて)「この亂暴なやつ、いつたい、なんだい。」
幸福「何さ、あれは不幸のほらあなから逃げて來た『とてもたまらなくなる愉快』ですよ。」
 背の高い、美しい、天使のやうなすがたが、きらきら光る着物を着て、そろそろとやつて來ました。
幸福「あれは『大きな喜び』ですよ。」
チルチル「きみ、あの人たちの名前、知つてるの。」
幸福「もちろん、ぼくたちは、よくいつしよに遊ぶのですもの。まづ第一にいはなければならないのは、『正義であることの大きな喜び』で、不正がしかへしされた時に、いつもにつこりしてゐます。でもぼくは、まだ若いから、あの人の笑ふのを見たことがありません。その後にゐるのは、『善人であることの大きな喜び』で、一番幸福なのだが、一番悲しさうです。あれが『不幸』に行くのをとめることは、なかなかむづかしいので、何しろ『不幸』を慰めてやることが好きなのです。さういふわけで、あれにうつちやられると、ぼくたちは『不幸』そのもののやうに、みじめなものになつてしまふのですからね。右の方には『仕事をしあげる喜び』が、『考へることの喜び』の隣にゐます。その後に、『物のわかる喜び』が立つてゐますが、あれは、いつでも、兄弟の『何も物のわからない幸福』を探してゐるのです。」
チルチル「だつて、ぼくその兄弟にあつたよ。『ふとつた幸福』たちといつしよに、不幸の仲間にはいつてしまつた。」
幸福「そりやあ、さうでせう。あれは惡くなつてしまつたのです。惡い仲間とつきあつてゐたものだから、すつかりくさつてしまつたのですね。でも、それを妹にいつてはいけません。すると、あの女は、探しに行きたがつて、つまり、ぼくたちの仲間から、一等美しいものが、ゐなくなつてしまふわけですからね。さてここに『一番大きな喜び』の中に、『美しいものを見る喜び』がゐます。それは、毎日ぼくたちを照らす光に、二つ三つづつ、新しい光線を加へていくのです。」
チルチル「それから、あすこの遠い、遠い、金色の雲の中に、つめのさきで立つて、やつと見えるくらゐのところにゐる人は。」
幸福「あれは『愛することの大きな喜び』ですよ。まあ、どうあなたがやつてみたつて、あれをすつかり見るには、まだ小さすぎますよ。」
チルチル「それから、あすこに、ずつと後の方に、ベールをかぶつたままで、ちつとも出て來ないのは。」
幸福「あれは、人がまだ知らずにゐる『喜び』たちです。」
チルチル「何をほかの人たちはしようとしてゐるの。なぜ横つちよを向いたままでゐるの。」
幸福「今來ようとする、新しい『喜び』を迎へてゐるのですよ。その『喜び』は、たぶんここでの一番純潔なものでせう。」
チルチル「だれ、それは。」
幸福「あなた、あの女の人を知らないのですか。まあ、よくごらんなさい。あなたの二つの目をたましひのどん底におちつけて、よくごらんなさい。あの人、あなたを見てゐます。そら、手をひろげてこちらへかけて來る。あれがあなたの『おかあさんの喜び』です。くらべるものもない、『母の愛の喜び』です。」
 方々からかけよつて來た『喜び』たちは、『母の愛の喜び』を手をたたいて迎へました。
母の愛「チルチルや、それから、ミチルや、まあおまへたち、ここにゐたの。思ひもかけなかつたよ。私、今日、ここにゐて、それはさびしかつたよ。二人とも、おかあさんにだかれておくれ。何が幸福といつても、これほどの幸福は、世の中にはありませんよ。」
チルチル「でも、あなたは、うちのおかあさんに似てゐるけれども、ずつときれいだもの。」
母の愛「そりやあ、さうともさ。私は、もう、年をとることはないのだからね。その上、毎日、新しい力と、若さと、幸福とが増すのだよ。おまへたちがにつこりするたびに、年々若くなるのだよ。……家にゐると、それが見えない、けれど、ここでは、何もかも見えて、ほんたうなのだからね。」
チルチル「それに、このきれいな着物は。まあ、これはなんでこしらへたの。絹なの、銀なの、それとも眞珠なの。」
母の愛「いいえ、これは、おまへたちのほほずりと、お目々と、だつことで織つたのですよ。おまへたちがほほずりするたびに、私の着物に、月と日の光とがさして來てね。」
チルチル「おもしろいなあ。ぼく、おかあさんがそんなお金持だとは知らなかつた。いつも、それをどこへしまつておくの。それは、おとうさんがかぎをかけた、あの戸だなの中にはいつてゐるの。」
母の愛「いいえ、いいえ。私は、いつだつて、この着物を着てゐるのよ。けれど、人間には見えないのさ。人間といふものは、目を閉ぢてゐると、なんにも見えないのだからね。母親は、だれだつて、子どもをかはいがる時には、お金持なのですよ。もう、びんばふなおかあさんもなければ、きりやうの惡いおかあさんもないし、年をとつたおかあさんもないのさ。おかあさんたちの愛は、喜びの中でも一ばん美しい喜びなんですよ。それにおかあさんたちが、悲しさうな顔をしてゐる時でも、ほほずりをしてもらへば、すぐその涙は、目の中の星になつてしまふのですよ。」
チルチル「ああさうだ。ほんたうだ。おかあさんの目の中には、いつぱい星がある。ほんたうにおかあさんの目だ。でも、ずつときれいだなあ。それから、これもおかあさんの手だ。小さな指わをはめてゐる。おまけに、いつかランプをつける時、やけどをしたあとまであるよ。でも、ずつと色が白いな。その中から、光が流れだすやうだよ。ここでは、うちにゐる時のやうに、仕事をしないの。」
母の愛「いいえ、それは同じことですよ。まあ、おまへ、見たことはなかつたのかい。この手でおまへにかまつてゐる時は、いつだつて、こんなに白くなつて、光がさすのにね。」
チルチル「ふしぎだな。おかあさん。聲までそつくりだよ。でも、うちにゐる時よりか、ずつとお話がうまいな。」
母の愛「うちにゐるとね、あんまり御用が多すぎて、ひまがないのだよ。さあ、これで、おまへたち、私にあつたのだから、明日、また、あの小さな家に歸つて、私が、ぼろぼろの着物を着てゐても、わかるだらうね。」
チルチル「ぼく、うちへ歸りたくないや。おかあさん、ここにゐるなら、ぼく、ここにゐたいや。」
母の愛「でも、それは同じことですよ。私も下へ行くのですよ。小さな家に歸るのですよ。おまへたちがこの上まであがつて來たのは、これから下へ歸つてから、どういふやうに私を見なければならないか、それを、はつきりとさとるためだからね。わかつたかね。チルチルや、おまへは、今だけ天國に來てゐると思つてゐるけれども、おまへと私とが、かはいがりあふ時は、いつでも天國にゐるのですよ。おかあさんに、二人はありませんよ。どんな子だつて、一人きりのおかあさんなのです。それは、いつだつて、同じおかあさんで、いつだつて、一番美しいおかあさんなのだからね。おまへたちは、おかあさんをよくおぼえて、大事にすることを、忘れてはなりませんよ。でも、おまへたちは、どうして、ここまであがつて來られたの。人間が地上に住みついてからこのかた、いつもたづねあぐんでゐた道が、どうしてわかつたの。」
チルチル(つつましく少し退いてゐる「光」を指さしながら)「あの人が、連れて來てくれたの。」
母の愛「あの人、だれなの。」
チルチル「光さ。」
母の愛「私、あの人を見たことがなかつたよ。あの人は、おまへたち二人をかはいがつて、たいへん親切にしてくれるさうだね。でも、なんで、あんなに顔をかくしてゐるの。あの人、顔を見せることはないの。」
チルチル「いいえ、あの人、あんまりはつきり顔を見せると、『幸福』たちがこはがるだらうつて、心配してゐるのですよ。」
母の愛「あの人、私たちが、あの人をずゐぶん待ちわびてゐることを、知らないのだらう。(ほかの「大きな喜び」たちを呼ぶ。)みなさん、いらつしやいよ、いらつしやいよ。みんな早くいらつしやいよ。『光』がとうとう來てくれました。」
物のわかる喜び「あなたは『光』なのね。私たちは、ちつとも知りませんでしたよ。私たちは、もう、何年も何年も、あなたを待つてゐたのですよ。あなた、この私がおわかりですか。私は『物のわかる喜び』でございます。私たちは、それは幸福ですけれど、自分たち以上のものは、見えないのです。」
正義であることの喜び「私をごぞんじですか。私は、それは長いこと、あなたを求めてゐた『正義であることの喜び』でございますよ。私たちは、それは幸福なんですけれど、やはり私たちの影以上のものは、見えないのです。」
美しいものを見る喜び「あなた、私をごぞんじですか。私は、あなたを好いてゐるしいものを見る喜び』でございますよ。私たちは、幸福なのですけれど、ちのゆめ以上のものは、見られないのですもの。」
物のわかる喜び「さあ、そのベールをおとりください。私たちは強い。純潔です。」
光(いよいよベールをかぶつて)「みなさん、私は、~さまのおいひつけを守つてゐるのです。時はまだ來ないのです。でも、いまに、きつと來るでせう。さうしたら、私は、もう、何も恐れず歸つて來ます。さやうなら。みんな起きあがつて、お別れしませう。ほどなく現はれる明日の日を待ちながら。」
母の愛(光をだきながら)「あなたは、私の子供たちに、それは御親切でしたね。」
光「私は、愛し合ふ人たちには、いつでも親切にいたします。」
 「物のわかる喜び」、「光」の方へ行き、二人は、長い間だき合ひました。やがて離れて、顔をあげますと、二人の目の中になみだが光つてゐました。
チルチル(びつくりして)「どうして泣いてゐるの。(ほかの「喜び」たちを見ながら)おや、みんなも泣いてゐるのだな。でも、どうしてみんな、目の中にいつぱいなみだをためてるの。」
光「まあ、だまつておいでよ。いい子だから。」
(注)
1.この教科書本文は、『文部省著作 暫定教科書(国民学校用) 第三巻』(中村紀久二監修、大空社 昭和59年5月26日発行)によりました。
2.「太陽と歌」は、手元にある山本有三編著の『心に太陽を持て』(新潮社、昭和44年12月15日発行)には、詩・文章とも少し変わった形で載っており、「心に太陽を持て」の詩は、そこに掲載されている團伊玖麿作曲の譜面には「歌詞 青少年文化の会」となっています。
 「心に太陽を持て」
 心に太陽を持て。あらしが ふこうと、ふゞきが こようと、天には黒くも 地には争いが絶えなかろうと、 いつも、心に太陽を持て。
 くちびるに歌を持て、軽く、ほがらかに。自分のつとめ、自分のくらしに、よしや苦労が絶えなかろうと、いつも、くちびるに歌を持て。
 苦しんでいる人、なやんでいる人には、こう、はげましてやろう。「勇気を失うな。くちびるに歌を持て。心に太陽を持て。」 ─フライシュレンによる─
 文章のほうは、「くちびるに歌を持て」という題で、書き出しが次のようになっています。
 イギリスは、海流の関係で、たいへん霧の多い国です。
 一九二〇年十月の、ある夜のことです。その晩は、月がないばかりか、イギリス名物の霧が、海上に厚くたちこめていました。この国の北部、スコットランドの西がわに、コーンウォール・ポイントというところがあります。
 そこの沖あいを、ローワン号という、小さな汽船が走っていました。
 教科書掲載の詩・文と、山本有三編著『心に太陽を持て』との関係は、どう考えればいいのでしょうか。
 また、「めぐりあひ」「幸福の園」の作者(訳者)は、現在のところ引用者には不明です。もし、こうした形での教科書本文の公開の仕方に著作権法上問題がある場合には、直ちに対処するつもりでおりますので、ご連絡をお願い致します。
 「めぐりあひ」の主人公「満坊」は、クラーク先生の弟子として知られる大島正健氏の長男・正満氏であると思われます。とすると筆者も大島正満氏である可能性が高いので、著作権を考慮する必要があるかも知れません。
 この件について、考慮してみます。

3.この教科書は、昭和21年に小学校の6年生になった生徒たちが使った国語の教科書(6学年後期用)です。この年は終戦の翌年で、急いで用意された教科書であったため、新聞紙のように印刷された紙を配られ、生徒自身が紙を切り揃えてそれを綴じて使った教科書でした。次の年には一応整った教科書が作られたため、この教科書は昭和21年度の1年間しか使われませんでした。
4.「文部省発行の暫定教科書『初等科國語七』『初等科國語八』目録」が、資料223にあります。そこに暫定教科書について書かれた論文の案内も出ていますので、ご覧下さい。
5.暫定期国民学校教科書第6学年前期用の『初等科国語七』(本文)は、資料262にあります。
6.国立国会図書館の『レファレンス協同データベース』に、暫定教科書についての質問に対する回答があり、参考になります。
太陽と歌 二 生きたことば 三 めぐりあひ 四 古典思慕 五 幸福の園