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       徒然草  序段

 つれづれなるまゝに、日くらし、硯スズリにむかひて、心に移りゆくよしなし事ゴトを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

  第一段

 いでや、この世に生れては、願はしかるべき事こそ多オホかンめれ。
 御門ミカドの御位オホンクラヰは、いともかしこし。
 竹の園生ソノフの、末葉スヱバまで人間の種タネならぬぞ、やんごとなき。
 一の人の御有様はさらなり、たゞ人ビトも、舎人トネリなど賜はるきはは、ゆゝしと見ゆ。
 その子・うまごまでは、はふれにたれど、なほなまめかし。
 それより下シモつかたは、ほどにつけつゝ、時にあひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いとくちをし。
 法師ばかりうらやましからぬものはあらじ。
 「人には木の端のやうに思はるゝよ」と清少納言セイセウナゴンが書けるも、げにさることぞかし。
 勢イキホヒまうに、のゝしりたるにつけて、いみじとは見えず、増賀聖ソウガヒジリの言ひけんやうに、名聞ミャウモンぐるしく、仏の御教ミオシヘにたがふらんとぞ覚ゆる。
 ひたふるの世捨人ヨステビトは、なかなかあらまほしきかたもありなん。
 人は、かたち・ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ、物うち言ひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、言葉多からぬこそ、飽かず向ムカはまほしけれ。
 めでたしと見る人の、心劣りせらるゝ本性見えんこそ、口をしかるべけれ。
 しな・かたちこそ生れつきたらめ、心は、などか、賢きより賢きにも、移さば移らざらん。
 かたち・心ざまよき人も、才ザエなく成りぬれば、品シナ下り、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるゝこそ、本意なきわざなれ。
 ありたき事は、まことしき文フミの道、作文サクモン・和歌ワカ・管絃クワンゲンの道。
 また、有職イウショクに公事クジの方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。
 手など拙ツタナからず走り書き、声をかしくて拍子とり、いたましうするものから、下戸ゲコならぬこそ、男ヲノコはよけれ。

  第二段

 いにしへのひじりの御代ミヨの政マツリゴトをも忘れ、民の愁ウレヘ、国のそこなはるゝをも知らず、万ヨロヅにきよらを尽していみじと思ひ、所せきさましたる人こそ、うたて、思ふところなく見ゆれ。
 「衣冠イクワンより馬・車にいたるまで、あるにしたがひて用ゐよ。美麗を求むる事なかれ」とぞ、九条クデウ殿の遺誡ユイカイにも侍ハンベる。
 順徳院の、禁中キンチュウの事ども書かせ給へるにも、「おほやけの奉タテマツり物は、おろそかなるをもッてよしとす」とこそ侍れ。

  第三段

 万ヨロヅにいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵サカヅキの当ソコなき心地ぞすべき。
 露霜ツユシモにしほたれて、所定めずまどひ歩アリき、親の諫イサめ、世の謗ソシりをつゝむに心の暇イトマなく、あふさきるさに思ひ乱れ、さるは、独り寝がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。
 さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。

  第四段

 後の世の事、心に忘れず、仏の道うとからぬ、心にくし。

  第五段

 不幸フカウに憂ウレヘに沈める人の、頭カシラおろしなどふつゝかに思ひとりたるにはあらで、あるかなきかに、門カドさしこめて、待つこともなく明アカし暮したる、さるかたにあらまほし。
 顕基アキモト中納言の言ひけん、配所ハイショの月、罪なくて見ん事、さも覚えぬべし。

  第六段

 わが身のやんごとなからんにも、まして、数ならざらんにも、子といふものなくてありなん。
 前中書王サキノチユウシヨワウ・九条太政大臣クデウノオホキオトド・花園ハナゾノノ左大臣、みな、族ゾウ絶えん事を願ひ給へり。
 染殿大臣ソメドノノオトドも、「子孫おはせぬぞよく侍ハンベる。末のおくれ給へるは、わろき事なり」とぞ、世継の翁オキナの物語には言へる。
 聖徳太子の、御墓ミハカをかねて築かせ給ひける時も、「こゝを切れ。かしこを断て。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。

  第七段

 あだし野の露消ゆる時なく、鳥部トリベ山の煙ケブリ立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。
 世は定めなきこそいみじけれ。
 命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。
 かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋ハルアキを知らぬもあるぞかし。
 つくづくと一年ヒトトセを暮すほどだにも、こよなうのどけしや。
 飽かず、惜しと思はば、千年チトセを過スグすとも、一夜ヒトヨの夢の心地こそせめ。
 住み果てぬ世にみにくき姿を待ち得て、何かはせん。
 命長ければ辱ハヂ多し。
 長くとも、四十ヨソヂに足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。
 そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出で交らはん事を思ひ、夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末スヱを見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。

  第八段

 世の人の心惑はす事、色欲シキヨクには如かず。
 人の心は愚かなるものかな。
 匂ニホひなどは仮のものなるに、しばらく衣裳イシヤウに薫物タキモノすと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。
 九米クメの仙人の、物洗ふ女の脛ハギの白きを見て、通ツウを失ひけんは、まことに、手足・はだへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。

  第九段

 女は、髪のめでたからんこそ、人の目立メタつべかンめれ、人のほど・心ばへなどは、もの言ひたるけはひにこそ、物越しにも知らるれ。
 ことにふれて、うちあるさまにも人の心を惑はし、すべて、女の、うちとけたる寝もねず、身を惜しとも思ひたらず、堪ふべくもあらぬわざにもよく堪へしのぶは、ただ、色を思ふがゆゑなり。
 まことに、愛著アイヂヤクの道、その根深く、源ミナモト遠し。
 六塵ロクヂンの楽欲ゲウヨク多しといへども、みな厭離オンリしつべし。
 その中に、たゞ、かの惑ひのひとつ止めがたきのみぞ、老いたるも、若きも、智あるも、愚かなるも、変る所なしと見ゆる。
 されば、女の髪すぢを縒れる綱には、大象ダイザウもよく繋ツナがれ、女のはける足駄アシダにて作れる笛には、秋の鹿必ず寄るとぞ言ひ伝へ侍る。
 自ら戒イマシめて、恐るべく、慎むべきは、この惑マドひなり。

  第十段

 家居イヘヰのつきづきしく、あらまほしきこそ、仮の宿りとは思へど、興あるものなれ。
 よき人の、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も一きはしみじみと見ゆるぞかし。
 今めかしく、きらゝかならねど、木立コダチもの古りて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、簀子スノコ・透垣スイガイのたよりをかしく、うちある調度テウドも昔覚えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。
 多くの工タクミの、心を尽ツクしてみがきたて、唐カラの、大和ヤマトの、めづらしく、えならぬ調度ども並べ置き、前栽センザイの草木まで心のままならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。
 さてもやは長らへ住むべき。
 また、時の間の烟ケブリともなりなんとぞ、うち見るより思はるゝ。
 大方は、家居にこそ、ことざまはおしはからるれ。
 後徳大寺大臣ゴトクダイジノオトドの、寝殿シンデンに、鳶トビゐさせじとて縄を張られたりけるを、西行が見て、「鳶のゐたらんは、何かは苦しかるべき。この殿の御心ミココロさばかりにこそ」とて、その後ノチは参らざりけると聞き侍るに、綾小路宮アヤノコウヂノミヤの、おはします小坂コサカ殿の棟ムネに、いつぞや縄を引かれたりしかば、かの例タメシ思ひ出でられ侍りしに、「まことや、烏カラスの群れゐて池の蛙をとりければ、御覧ゴランじかなしませ給ひてなん」と人の語りしこそ、さてはいみじくこそと覚えしか。
 徳大寺にも、いかなる故ユヱか侍りけん。

  第十一段

 神無月カミナヅキのころ、栗栖野クルスノといふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る事侍りしに、遥かなる苔コケの細道を踏み分けて、心ぼそく住みなしたる庵イホリあり。
 木の葉に埋ウヅもるゝ懸樋カケヒの雫シヅクならでは、つゆおとなふものなし。
 閼伽棚アカダナに菊・紅葉モミヂなど折り散らしたる、さすがに、住む人のあればなるべし。
 かくてもあられけるよとあはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子カウジの木の、枝もたわゝになりたるが、まはりをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばと覚えしか。

  第十二段

 同じ心ならん人としめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、うらなく言ひ慰ナグサまんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違タガはざらんと向ひゐたらんは、たゞひとりある心地やせん。
 たがひに言はんほどの事をば、「げに」と聞くかひあるものから、いさゝか違タガふ所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など争ひ憎ニクみ、「さるから、さぞ」ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには、少し、かこつ方カタも我と等しからざらん人は、大方のよしなし事言はんほどこそあらめ、まめやかの心の友には、はるかに隔ヘダたる所のありぬべきぞ、わびしきや。

  第十三段

 ひとり、燈トモシビのもとに文フミをひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。
 文は、文選モンゼンのあはれなる巻マキ々、白氏文集ハクシノモンジフ、老子ラウシのことば、南華ナンクワの篇ヘン
 この国の博士ハカセどもの書ける物も、いにしへのは、あはれなること多かり。

  第十四段

 和歌こそ、なほをかしきものなれ。
 あやしのしづ・山がつのしわざも、言ひ出でつればおもしろく、おそろしき猪のししも、「ふす猪の床トコ」と言へば、やさしくなりぬ。
 この比ゴロの歌は、一ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古き歌どものやうに、いかにぞや、ことばの外ホカに、あはれに、けしき覚ゆるはなし。
 貫之ツラユキが、「糸による物ならなくに」といへるは、古今集コキンシフの中の歌屑ウタクヅとかや言ひ伝へたれど、今の世の人の詠みぬべきことがらとは見えず。
 その世の歌には、姿・ことば、このたぐひのみ多し。
 この歌に限りてかく言いたてられたるも、知り難ガタし。
 源氏物語には、「物とはなしに」とぞ書ける。
 新古今には、「残る松さへ峰にさびしき」といへる歌をぞいふなるは、まことに、少しくだけたる姿にもや見ゆらん。
 されど、この歌も、衆議判シュギハンの時、よろしきよし沙汰サタありて、後にも、ことさらに感じ、仰オホせ下されけるよし、家長イヘナガが日記には書けり。
 歌の道のみいにしへに変らぬなどいふ事もあれど、いさや。
 今も詠みあへる同じ詞コトバ・歌枕も、昔の人の詠めるは、さらに、同じものにあらず、やすく、すなほにして、姿もきよげに、あはれも深く見ゆ。
 梁塵秘抄リヤウジンヒセウの郢曲エイキヨクの言葉こそ、また、あはれなる事は多かンめれ。
 昔の人は、たゞ、いかに言ひ捨てたることぐさも、みな、いみじく聞ゆるにや。

  第十五段

 いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目さむる心地ココチすれ。
 そのわたり、こゝ・かしこ見ありき、ゐなかびたる所、山里などは、いと目慣れぬ事のみぞ多かる。
 都へ便り求めて文やる、「その事、かの事、便宜ビンギに忘るな」など言ひやるこそをかしけれ。
 さやうの所にてこそ、万ヨロヅに心づかひせらるれ。
 持てる調度テウドまで、よきはよく、能ノウある人、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。
 寺・社ヤシロなどに忍びて籠コモりたるもをかし。

  第十六段

 神楽カグラこそ、なまめかしく、おもしろけれ。
 おほかた、ものの音には、笛・篳篥ヒチリキ
 常に聞きたきは、琵琶ビハ・和琴ワゴン

  第十七段

 山寺にかきこもりて、仏に仕ツカうまつるこそ、つれづれもなく、心の濁りも清まる心地すれ。

  第十八段

 人は、己オノれをつゞまやかにし、奢オゴりを退シリソけて、財タカラを持たず、世を貪ムサボらざらんぞ、いみじかるべき。
 昔より、賢き人の富めるは稀マレなり。
 唐土モロコシに許由キヨイウといひける人は、さらに、身にしたがへる貯タクハへもなくて、水をも手して捧ササげて飲みけるを見て、なりひさこといふ物を人の得させたりければ、ある時、木の枝エダに懸けたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。
 また、手に掬ムスびてぞ水も飲みける。
 いかばかり、心のうち涼しかりけん。
 孫晨ソンシンは、冬の月に衾フスマなくて、藁一束ワラヒトツカありけるを、夕べにはこれに臥し、朝アシタには収ヲサめけり。
 唐土の人は、これをいみじと思へばこそ、記シルし止トドめて世にも伝へけめ、これらの人は、語りも伝ふべからず。

  第十九段

 折節ヲリフシの移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。
 「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今一きは心も浮き立つものは、春のけしきにこそあンめれ。
 鳥の声などもことの外ホカに春めきて、のどやかなる日影に、墻根カキネの草萌え出づるころより、やゝ春ふかく、霞みわたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、折ヲリしも、雨・風うちつづきて、心あわたゝしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで、万ヨロズに、ただ、心をのみぞ悩ます。
 花橘ハナタチバナは名にこそ負へれ、なほ、梅の匂ひにぞ、古イニシヘの事も、立ちかへり恋コヒしう思ひ出でらるゝ。
 山吹ヤマブキの清げに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。
 「灌仏クワンブツの比コロ、祭マツリの比コロ、若葉の、梢コズヱ涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」と人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。
 五月サツキ、菖蒲アヤメふく比、早苗サナヘとる比、水鶏クヒナの叩タタくなど、心ぼそからぬかは。
 六月ミナヅキの比、あやしき家に夕顔ユウガホの白く見えて、蚊遣火カヤリビふすぶるも、あはれなり。
 六月祓ミナヅキバラヘ、またをかし。
 七夕タナバタ祭るこそなまめかしけれ。
 やうやう夜寒ヨサムになるほど、雁カリ鳴きてくる比、萩ハギの下葉シタバ色づくほど、早稲田ワサダ刈り干すなど、とり集めたる事は、秋のみぞ多かる。
 また、野分ノワキの朝アシタこそをかしけれ。
 言ひつゞくれば、みな源氏物語・枕草子などにこと古りにたれど、同じ事、また、いまさらに言はじとにもあらず。
 おぼしき事言はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝあぢきなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。
 さて、冬枯フユガレのけしきこそ、秋にはをさをさ劣オトるまじけれ。
 汀ミギハの草に紅葉モミヂの散り止トドマりて、霜いと白うおける朝アシタ、遣水ヤリミヅより烟ケブリの立つこそをかしけれ。
 年の暮れ果てて、人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあはれなる。
 すさまじきものにして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日ハツカ余りの空こそ、心ぼそきものなれ。
 御仏名オブツミヤウ、荷前ノサキの使ツカヒ立つなどぞ、あはれにやんごとなき。
 公事クジども繁シゲく、春の急ぎにとり重ねて催モヨホし行はるるさまぞ、いみじきや。
 追儺ツヰナより四方拝シホウハイに続くこそ面白オモシロけれ。
 晦日ツゴモリの夜、いたう闇クラきに、松どもともして、夜半ヨナカ過ぐるまで、人の、門カド叩き、走りありきて、何事にかあらん、ことことしくのゝしりて、足を空に惑マドふが、暁アカツキがたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。
 亡き人のくる夜とて魂タマ祭るわざは、このごろ都にはなきを、東アヅマのかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか。
 かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとは見えねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。
 大路オホチのさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。

  第二十段

 某ナニガシとかやいひし世捨人ヨステビトの、「この世のほだし持たらぬ身に、ただ、空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、まことに、さも覚えぬべけれ。

  第二十一段

 万ヨロヅのことは、月見るにこそ、慰むものなれ。
 ある人の、「月ばかり面白きものはあらじ」と言ひしに、またひとり、「露ツユこそなほあはれなれ」と争ひしこそ、をかしけれ。
 折にふれば、何かはあはれならざらん。
 月・花はさらなり、風のみこそ、人に心はつくめれ。
 岩に砕けて清く流るゝ水のけしきこそ、時をも分かずめでたけれ。
 「ゲン湘シヤウ、日夜ニチヤ、東ヒンガシに流れ去る。愁人シウジンのために止まること少時シバラクもせず」といへる詩を見侍りしこそ、あはれなりしか。
 康ケイカウも、「山沢サンタクに遊びて、魚鳥ギヨテウを見れば、心楽しぶ」と言へり。
 人遠く、水草ミヅクサ清き所にさまよひありきたるばかり、心慰むことはあらじ。

  第二十二段

 何事も、古き世のみぞ慕シタはしき。
 今様イマヤウは、無下ムゲにいやしくこそなりゆくめれ。
 かの木の道の匠タクミの造れる、うつくしき器物ウツハモノも、古代の姿こそをかしと見ゆれ。
 文フミの詞コトバなどぞ、昔の反古ホウゴどもはいみじき。
 たゞ言ふ言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。
 古イニシヘは、「車もたげよ」、「火かゝげよ」とこそ言ひしを、今様イマヤウの人は、「もてあげよ」、「かきあげよ」と言ふ。
 「主殿寮人数立トノモレウニンジユタて」と言ふべきを、「たちあかししろくせよ」と言ひ、最勝講サイシヤウカウの御聴聞所ミチヤウモンジヨなるをば「御講ゴカウの廬」とこそ言ふを、「講廬カウロ」と言ふ。
 口をしとぞ、古き人は仰せられし。

  第二十三段

 衰オトロへたる末スヱの世とはいへど、なほ、九重ココノヘの神カムさびたる有様こそ、世づかず、めでたきものなれ。
 露台ロダイ・朝餉アサガレヒ・何殿ナニデン・何門ナニモンなどは、いみじとも聞ゆべし。
 あやしの所にもありぬべき小蔀コジトミ・小板敷コイタジキ・高遣戸タカヤリドなども、めでたくこそ聞ゆれ。
 「陣ヂンに夜の設マウケせよ」と言ふこそいみじけれ。
 夜の御殿オトドのをば、「かいともしとうよ」など言ふ、まためでたし。
 上卿シヤウケイの、陣にて事,行オコナへるさまはさらなり、諸司シヨシの下人シモウドどもの、したり顔に馴れたるも、をかし。
 さばかり寒き夜もすがら、こゝ・かしこに睡ネブり居たるこそをかしけれ。
 「内侍所ナイシドコロの御鈴ミスズの音は、めでたく、優イウなるものなり」とぞ、徳大寺太政大臣トクダイジノオホキオトドは仰オホせられける。

  第二十四段

 斎宮サイグウの、野宮ノノミヤにおはしますありさまこそ、やさしく、面白き事の限りとは覚えしか。
 「経キヤウ」「仏ホトケ」など忌みて、「なかご」「染紙ソメガミ」など言ふなるもをかし。
 すべて、神の社ヤシロこそ、捨て難く、なまめかしきものなれや。
 もの古りたる森のけしきもたゞならぬに、玉垣タマガキしわたして、榊サカキに木綿ユフけたるなど、いみじからぬかは。
 殊コトにをかしきは、伊勢・賀茂カモ・春日カスガ・平野・住吉スミヨシ・三輪ミワ・貴布禰キブネ・吉田・大原野オホハラノ・松尾マツノヲ・梅宮ウメノミヤ

  第二十五段

 飛鳥川アスカガハの淵瀬フチセツネならぬ世にしあれば、時移り、事去り、楽しび、悲しび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野らとなり、変らぬ住家スミカは人,改アラタまりぬ。
 桃李タウリもの言はねば、誰タレとともにか昔を語らん。
 まして、見ぬ古イニシヘのやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき。
 京極殿キヤウゴクドノ・法成寺ホフジヤウジなど見るこそ、志ココロザシ留まり、事変じにけるさまはあはれなれ。
 御堂ミダウ殿の作り磨ミガかせ給ひて、庄園シヤウヱン多く寄せられ、我が御族オホンゾウのみ、御門ミカドの御後見オホンウシロミ、世の固めにて、行末ユクスヱまでとおぼしおきし時、いかならん世にも、かばかりあせ果てんとはおぼしてんや。
 大門ダイモン・金堂コンダウなど近くまでありしかど、正和シヤウワの比コロ、南門ナンモンは焼けぬ。
 金堂は、その後、倒タフれ伏したるまゝにて、とり立つるわざもなし。
 無量寿院ムリヤウジユヰンばかりぞ、その形カタとて残りたる。
 丈六ヂヤウロクの仏,九体クタイ、いと尊タフトくて並びおはします。
 行成カウゼイノ大納言の額ガク、兼行カネユキが書ける扉、なほ鮮かに見ゆるぞあはれなる。
 法華堂ホツケダウなども、未イマだ侍るめり。
 これもまた、いつまでかあらん。
 かばかりの名残だになき所々は、おのづから、あやしき礎イシズヱばかり残るもあれど、さだかに知れる人もなし。
 されば、万に、見ざらん世までを思ひ掟オキてんこそ、はかなかるべけれ。

  第二十六段

 風も吹きあへずうつろふ、人の心の花に、馴れにし年月トシツキを思へば、あはれと聞きし言コトの葉ごとに忘れぬものから、我が世の外ホカになりゆくならひこそ、亡き人の別れよりもまさりてかなしきものなれ。
 されば、白き糸の染まんことを悲しび、路ミチのちまたの分れんことを嘆く人もありけんかし。
 堀川院ホリカハノヰンの百首の歌の中に、
 昔見し妹イモが墻根カキネは荒れにけりつばなまじりの菫スミレのみして
 さびしきけしき、さる事侍りけん。

  第二十七段

 御国譲ミクニユヅりの節会セチヱ行はれて、剣・璽・内侍所ナイイシドコロ渡し奉らるるほどこそ、限りなう心ぼそけれ。
 新院シンヰンの、おりゐさせ給ひての春、詠ませ給ひけるとかや。
 殿守トノモリのとものみやつこよそにして掃ハラはぬ庭に花ぞ散りしく
 今の世のこと繁シゲきにまぎれて、院には参る人もなきぞさびしげなる。
 かゝる折ヲリにぞ、人の心もあらはれぬべき。

  第二十八段

 諒闇リヤウアンの年ばかり、あはれなることはあらじ。
 倚廬イロの御所ゴショのさまなど、板敷イタジキを下げ、葦アシの御簾ミスを掛けて、布の帽額モカウあらあらしく、御調度ミテウドどもおろそかに、皆人ミナヒトの装束シヤウゾク・太刀タチ・平緒ヒラオまで、異様コトヤウなるぞゆゆしき。

  第二十九段

 静かに思へば、万ヨロヅに、過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき。
 ふ反古ホウゴなど破り棄つる中に、亡き人の手習テナラひ、絵かきすさびたる、見出でたるこそ、たゞ、その折ヲリの心地すれ。
 このごろある人の文フミだに、久しくなりて、いかなる折、いつの年なりけんと思ふは、あはれなるぞかし。
 手馴テナれし具足なども、心もなくて、変らず、久しき、いとかなし。

  第三十段

 人の亡き跡アトばかり、悲しきはなし。
 中陰チユウインのほど、山里などに移ろひて、便ビンあしく、狭セバき所にあまたあひ居て、後のわざども営イトナみ合へる、心あわたゝし。
 日数ヒカズの速く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。
 果ての日は、いと情ナサケなう、たがひに言ふ事もなく、我賢カシコげに物ひきしたゝめ、ちりぢりに行きあかれぬ。
 もとの住みかに帰りてぞ、さらに悲しき事は多かるべき。
 「しかしかのことは、あなかしこ、跡のため忌むなることぞ」など言へるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覚ゆれ。
 年月経トシツキヘても、つゆ忘るゝにはあらねど、去る者は日々に疎ウトしと言へることなれば、さはいへど、その際キハばかりは覚えぬにや、よしなし事いひて、うちも笑ひぬ。
 骸カラは気うとき山の中にをさめて、さるべき日ばかり詣マウでつゝ見れば、ほどなく、卒都婆ソトバも苔コケむし、木の葉降り埋ウヅみて、夕べの嵐、夜の月のみぞ、こととふよすがなりける。
 思ひ出でて偲シノぶ人あらんほどこそあらめ、そもまたほどなく失せて、聞き伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。
 さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々トシドシの春の草のみぞ、心あらん人はあはれと見るべきを、果ては、嵐に咽ムセびし松も千年チトセを待たで薪タキギに摧クダかれ、古き墳ツカは犂かれて田となりぬ。
 その形カタだになくなりぬるぞ悲しき。

  第三十一段

 雪のおもしろう降りたりし朝アシタ、人のがり言ふべき事ありて、文フミをやるとて、雪のこと何とも言はざりし返事カヘリコトに、「この雪いかゞ見ると一筆ヒトフデのたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるゝ事、聞き入るべきかは。返カヘす返ガヘす口をしき御心ミココロなり」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。
 今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。

  第三十二段

 九月廿日ナガツキハツカの比、ある人に誘はれたてまつりて、明くるまで月見ありく事侍りしに、思オボし出づる所ありて、案内せさせて、入り給ひぬ。
 荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうち薫uカヲりて、忍びたるけはひ、いとものあはれなり。
 よきほどにて出で給ひぬれど、なほ、事ざまの優イウに覚えて、物の隠れよりしばし見ゐたるに、妻戸ツマドをいま少し押し開けて、月見るけしきなり。
 やがてかけこもらましかば、口をしからまし。
 跡まで見る人ありとは、いかでか知らん。
 かやうの事は、ただ、朝夕アサユフの心づかひによるべし。
 その人、ほどなく失せにけりと聞き侍りし。

  第三十三段

 今の内裏ダイリ作り出イダされて、有職イウシヨクの人々に見せられけるに、いづくも難ナンなしとて、既スデに遷幸センカウの日近く成りけるに、玄輝門院ゲンキモンヰンの御覧じて、「閑院殿カンヰンドノの櫛形クシガタの穴は、丸マロく、縁もなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり。
 これは、葉エフの入りて、木にて縁をしたりければ、あやまりにて、なほされにけり。

  第三十四段

 甲香カヒカウは、ほら貝のやうなるが、小さくて、口のほどの細長にさし出でたる貝の蓋なり。
 武蔵国金沢カネサハといふ浦にありしを、所の者は、「へだなりと申し侍る」とぞ言ひし。

  第三十五段

 手のわろき人の、はばからず、文フミ書き散らすは、よし。
 見ぐるしとて、人に書かするは、うるさし。

  第三十六段

 「久しくおとづれぬ比コロ、いかばかり恨ウラむらんと、我が怠オコタり思ひ知られて、言葉コトノハなき心地するに、女の方カタより、『仕丁ジチヤウやある。ひとり』など言ひおこせたるこそ、ありがたく、うれしけれ。さる心ざましたる人ぞよき」と人の申し侍ハンベりし、さもあるべき事なり。

  第三十七段

 朝夕アサユフ、隔ヘダてなく馴れたる人の、ともある時、我に心おき、ひきつくろへるさまに見ゆるこそ、「今更イマサラ、かくやは」など言ふ人もありぬべけれど、なほ、げにげにしく、よき人かなとぞ覚ゆる。
 疎ウトき人の、うちとけたる事など言ひたる、また、よしと思ひつきぬべし。

  第三十八段

 名利ミヤウリに使はれて、閑シヅかなる暇イトマなく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。
 財タカラ多ければ、身を守るにまどし。
 害を賈ひ、累ワヅラヒひを招く媒ナカダチなり。
 身の後には、金コガネをして北斗ホクトを支ササふとも、人のためにぞわづらはるべき。
 愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。
 大きなる車、肥えたる馬、金玉キンギョクの飾りも、心あらん人は、うたて、愚かなりとぞ見るべき。
 金コガネは山に棄て、玉タマは淵フチに投ぐべし。
 利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり。
 埋もれぬ名を長き世に残さんこそ、あらまほしかるべけれ、位クラヰ高く、やんごとなきをしも、すぐれたる人とやはいふべき。
 愚かにつたなき人も、家に生れ、時に逢へば、高き位に昇り、奢オゴリを極むるもあり。
 いみじかりし賢人・聖人、みづから賎しき位に居り、時に逢はずしてやみぬる、また多し。
 偏ヒトヘに高き官ツカサ・位を望むも、次に愚かなり。
 智恵チヱと心とこそ、世にすぐれたる誉ホマレも残さまほしきを、つらつら思へば、誉を愛するは、人の聞きをよろこぶなり、誉むる人、毀ソシる人、共に世に止トドまらず。
 伝へ聞かん人、またまたすみやかに去るべし。
 誰タレをか恥ぢ、誰にか知られん事を願はん。
 誉はまた毀りの本モトなり。
 身の後ノチの名、残りて、さらに益エキなし。
 これを願ふも、次に愚かなり。
 但タダし、強ひて智を求め、賢ケンを願ふ人のために言はば、智恵チエ出でては偽イツワりあり。
 才能は煩悩ボンナウの増長ゾウチヤウせるなり。
 伝へて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず。
 いかなるをか智といふべき。
 可・不可フカは一条イチデウなり。
 いかなるをか善といふ。
 まことの人は、智もなく、徳もなく、功コウもなく、名もなし。
 誰か知り、誰か伝へん。
 これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。
 本モトより、賢愚ケング・得失トクシツの境サカヒにをらざればなり。
 迷ひの心をもちて名利の要エウを求むるに、かくの如し。
 万事は皆ミナなり。
 言ふに足らず、願ふに足らず。

  第三十九段

 或人アルヒト、法然ホフネン上人に、「念仏の時、睡ネブリにをかされて、行ギヤウを怠り侍る事、いかゞして、この障サハりを止め侍らん」と申しければ、「目の醒めたらんほど、念仏し給へ」と答へられたりける、いと尊タフトかりけり。
 また、「往生ワウジャウは、一定イチヂヤウと思へば一定、不定フヂヤウと思へば不定なり」と言はれけり。
 これも尊し。
 また、「疑ひながらも、念仏すれば、往生す」とも言はれけり。
 これもまた尊し。

  第四十段

 因幡国イナバノクニに、何ナニの入道ニフダウとかやいふ者の娘、かたちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、たゞ、栗クリをのみ食ひて、更に、米ヨネの類タグヒを食はざりれば、「かゝる異様コトヤウの者、人に見ゆべきにあらず」とて、親許ユルさざりけり。

  第四十一段

 五月五日サツキイツカ、賀茂カモの競クラべ馬を見侍りしに、車の前に雑人ザフニン立ち隔ヘダてて見えざりしかば、おのおの下りて、埒ラチのきはに寄りたれど、殊コトに人多く立ち込みて、分け入りぬべきやうもなし。
 かかる折に、向ひなる楝アフチの木に、法師の、登りて、木の股についゐて、物見るあり。
 取りつきながら、いたう睡ネブりて、落ちぬべき時に目を醒ます事、度々なり。
 これを見る人、あざけりあさみて、「世のしれ物かな。かく危アヤフき枝の上にて、安き心ありて睡るらんよ」と言ふに、我が心にふと思ひしまゝに、「我等が生死シヤウジの到来、ただ今にもやあらん。それを忘れて、物見て日を暮す、愚かなる事はなほまさりたるものを」と言ひたれば、前なる人ども、「まことにさにこそ候サウラひけれ。尤モツトも愚かに候ふ」と言ひて、皆、後を見返りて、「こゝに入らせ給へ」とて、所を去りて、呼び入れ侍りにき。
 かほどの理コトワリ、誰かは思ひよらざらんなれども、折からの、思ひかけぬ心地して、胸に当りけるにや。
 人、木石ボクセキにあらねば、時にとりて、物に感ずる事なきにあらず。

  第四十二段

 唐橋中将カラハシノチユウジヤウといふ人の子に、行雅僧都ギヤウガノソウヅとて、教相ケウサウの人の師する僧ありけり。
 気の上る病ありて、年のやうやう闌くる程に、鼻の中ふたがりて、息も出で難ガタかりければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目・眉・額なども腫れまどひて、うちおほひければ、物も見えず、二の舞マヒの面オモテのやうに見えけるが、たゞ恐ろしく、鬼の顔になりて、目は頂イタダキの方カタにつき、額のほど鼻になりなどして、後ノチは、坊ボウの内の人にも見えず籠コモりゐて、年久しくありて、なほわづらはしくなりて、死ににけり。
 かゝる病もある事にこそありけれ。

  第四十三段

 春の暮つかた、のどやかに艶エンなる空に、賎イヤしからぬ家の、奥深く、木立コダチもの古りて、庭に散り萎シヲれたる花,見過ミスグしがたきを、さし入りて見れば、南面ミナミオモテの格子皆おろしてさびしげなるに、東ヒガシに向きて妻戸ツマドのよきほどにあきたる、御簾ミスの破れより見れば、かたち清キヨげなる男の、年廿ハタチばかりにて、うちとけたれど、心にくゝ、のどやかなるさまして、机の上に文フミをくりひろげて見ゐたり。
 いかなる人なりけん、尋ね聞かまほし。

  第四十四段

 あやしの竹の編戸アミドの内より、いと若き男ヲトコの、月影に色あひさだかならねど、つやゝかなる狩衣カリギヌに濃き指貫サシヌキ、いとゆゑづきたるさまにて、さゝやかなる童ワラハひとりを具して、遥ハルカかなる田の中の細道を、稲葉イナバの露にそぼちつゝ分け行くほど、笛をえならず吹きすさびたる、あはれと聞き知るべき人もあらじと思ふに、行かん方知らまほしくて、見送りつゝ行けば、笛を吹き止みて、山のきはに惣門ソウモンのある内に入りぬ。
 榻シヂに立てたる車の見ゆるも、都よりは目止トマる心地して、下人シモウドに問へば、「しかしかの宮のおはします比にて、御仏事ゴブツジなど候ふにや」と言ふ。
 御堂ミダウの方カタに法師ども参りたり。
 夜寒ヨサムの風に誘はれくるそらだきものの匂ひも、身に沁む心地す。
 寝殿より御堂の廊ラウに通ふ女房の追風用意オヒカゼヨウイなど、人目なき山里ともいはず、心遣ヅカひしたり。
 心のまゝに茂れる秋の野らは、置き余る露に埋もれて、虫の音かごとがましく、遣水ヤリミヅの音のどやかなり。
 都の空よりは雲の往来ユキキも速き心地して、月の晴れ曇クモる事定め難し。

  第四十五段

 公世キンヨの二位のせうとに、良覚僧正リヤウガクソウジヤウと聞えしは、極めて腹あしき人なりけり。
 坊ボウの傍カタハラに、大きなる榎の木のありければ、人、「榎木エノキノ僧正」とぞ言ひける。
 この名然シカるべからずとて、かの木を伐られにけり。
 その根のありければ、「きりくひの僧正」と言ひけり。
 いよいよ腹立ちて、きりくひを掘り捨てたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池ホリイケノ僧正」とぞ言ひける。

  第四十六段

 柳原ヤナギハラの辺ヘンに、強盗ゴウダウノ法印と号カウする僧ありけり。
 度々強盗にあひたるゆゑに、この名をつけにけるとぞ。

  第四十七段

 或人アルヒト、清水キヨミヅへ参りけるに、老いたる尼の行き連れたりけるが、道すがら、「くさめくさめ」と言ひもて行きければ、「尼御前アマゴゼ、何事をかくはのたまふぞ」と問ひけれども、応イラへもせず、なほ言ひ止まざりけるを、度々問はれて、うち腹立ちて「やゝ。鼻ハナひたる時、かくまじなはねば死ぬるなりと申せば、養君ヤシナヒギミの、比叡山ヒエノヤマに児チゴにておはしますが、たゞ今もや鼻ひ給はんと思へば、かく申すぞかし」と言ひけり。
 有り難き志ココロザシなりけんかし。

  第四十八段

 光親卿ミチツカノキヤウ、院の最勝講奉行サイシヨウカウブギヨウしてさぶらひけるを、御前ゴゼンへ召されて、供御クゴを出だされて食はせられけり。
 さて、食ひ散らしたる衝重ツイガサネを御簾ミスの中ウチへさし入れて、罷マカり出でにけり。
 女房、「あな汚キタな。誰にとれとてか」など申し合はれければ、「有職イウシヨクの振舞、やんごとなき事なり」と、返々カヘスガエス感ぜさせ給ひけるとぞ。

  第四十九段

 老来オイキタりて、始めて道を行ギヤウぜんと待つことなかれ。
 古き墳ツカ、多くはこれ少年セウネンの人なり。
 はからざるに病を受けて、忽タチマちにこの世を去らんとする時にこそ、始めて、過ぎぬる方カタの誤アヤマれる事は知らるなれ。
 誤りといふは、他の事にあらず、速スミヤかにすべき事を緩ユルくし、緩くすべき事を急ぎて、過ぎにし事の悔クヤしきなり。
 その時悔ゆとも、かひあらんや。
 人は、たゞ、無常の、身に迫りぬる事を心にひしとかけて、束の間も忘るまじきなり。
 さらば、などか、この世の濁ニゴりも薄く、仏道を勤ツトむる心もまめやかならざらん。
 「昔ありける聖ヒジリは、人来りて自他ジタの要事エウジを言ふ時、答へて云はく、「今、火急クワキフの事ありて、既スデに朝夕テウセキに逼セマれり」とて、耳をふたぎて念仏して、つひに往生ワウジヤウを遂げけり」と、禅林ゼンリンの十因ジフインに侍り。
 心戒シンカイといひける聖は、余りに、この世のかりそめなる事を思ひて、静かについゐけることだになく、常はうづくまりてのみぞありける。

  第五十段

 応長オウチヤウの比、伊勢国イセノクニより、女の鬼に成りたるをゐて上ノボりたりといふ事ありて、その比廿日ばかり、日ごとに、京キヤウ・白川シラカハの人、鬼見オニミにとて出で惑マドふ。
 「昨日は西園寺サイヲンジに参マヰりたりし」、「今日は院ヰンへ参るべし」、「たゞ今はそこそこに」など言ひ合へり。
 まさしく見たりといふ人もなく、虚言ソラゴトと云う人もなし。
 上下ジヤウゲ、ただ鬼の事のみ言ひ止まず。
 その比、東山ヒガシヤマより安居院辺アグヰヘンへ罷マカり侍りしに、四条シデウよりかみさまの人、皆、北をさして走る。
 「一条室町ムロマチに鬼あり」とのゝしり合へり。
 今出川イマデガハの辺ヘンより見やれば、院の御桟敷オンサジキのあたり、更に通り得べうもあらず、立ちこみたり。
 はやく、跡なき事にはあらざンめりとて、人を遣りて見するに、おほかた、逢へる者なし。
 暮るゝまでかく立ち騒ぎて、果ハテは闘諍トウジヤウ起りて、あさましきことどもありけり。
 その比、おしなべて、二三日フツカミカ、人のわづらふ事侍りしをぞ、かの、鬼の虚言ソラゴトは、このしるしを示すなりけりと言ふ人も侍りし。

  第五十一段

 亀山殿カメヤマドノの御池ミイケに大井川の水を引マカせられんとて、大井の土民ドミンに仰せて、水車ミヅグルマを作らせられけり。
 多くの銭アシを給ひて、数日スジツに営み出だして、掛けたりけるに、大方廻オホカタメグらざりければ、とかく直しけれども、終ツヒに廻らで、いたづらに立てりけり。
 さて、宇治の里人サトビトを召して、こしらへさせられければ、やすらかに結ひて参らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み入るゝ事めでたかりけり。
 万に、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。

  第五十二段

 仁和寺ニンナジにある法師、年寄るまで石清水イハシミヅを拝ヲガまざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩カチより詣でけり。
 極楽寺・高良カウラなどを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
 さて、かたへの人にあひて、「年比トシゴロ思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意ホンイなれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
 少しのことにも、先達センダツはあらまほしき事なり。

  第五十三段

 これも仁和寺の法師、童ワラハの法師にならんとする名残ナゴリとて、おのおのあそぶ事ありけるに、酔ひて興に入る余り、傍カタハラなる足鼎アシガナヘを取りて、頭カシラに被カヅきたれば、詰ツマるやうにするを、鼻をおし平ヒラめて顔をさし入れて、舞ひ出でたるに、満座マンザ興に入る事限りなし。
 しばしかなでて後、抜かんとするに、大方抜かれず。
 酒宴ことさめて、いかゞはせんと惑ひけり。
 とかくすれば、頚クビの廻マハり欠けて、血垂り、たゞ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやすく割れず、響きて堪へ難かりければ、かなはで、すべきやうなくて、三足ミツアシなる角の上に帷子カタビラをうち掛けて、手をひき、杖をつかせて、京なる医師クスシのがり率て行きける、道すがら、人の怪しみ見る事限りなし。
 医師のもとにさし入りて、向ひゐたりけんありさま、さこそ異様コトヤウなりけめ。
 物を言ふも、くゞもり声に響きて聞えず。
 「かゝることは、文フミにも見えず、伝へたる教へもなし」と言へば、また、仁和寺へ帰りて、親しき者、老いたる母ハワなど、枕上ガミに寄りゐて泣き悲しめども、聞くらんとも覚えず。
 かゝるほどに、ある者の言ふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらん。たゞ、力を立てて引きに引き給へ」とて、藁ワラのしべを廻りにさし入れて、かねを隔てて、頚もちぎるばかり引きたるに、耳鼻欠けうげながら抜けにけり。
 からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。

  第五十四段

 御室オムロにいみじき児チゴのありけるを、いかで誘ひ出イダして遊ばんと企タクむ法師どもありて、能ノウあるあそび法師どもなどかたらひて、風流の破子ワリゴやうの物、ねんごろにいとなみ出でて、箱風情ハコフゼイの物にしたゝめ入れて、双ナラビの岡の便ビンよき所に埋ウヅみ置きて、紅葉モミヂ散らしかけなど、思ひ寄らぬさまにして、御所へ参りて、児をそゝのかし出でにけり。
 うれしと思ひて、こゝ・かしこ遊び廻りて、ありつる苔コケのむしろに並み居て、「いたうこそ困コウじにたれ」、「あはれ、紅葉モミジを焼かん人もがな」、「験ゲンあらん僧達、祈り試みられよ」など言ひしろひて、埋みつる木の下モトに向きて、数珠ジユズおし摩り、印インことことしく結び出でなどして、いらなくふるまひて、木の葉をかきのけたれど、つやつや物も見えず。
 所の違ひたるにやとて、掘らぬ所もなく山をあされども、なかりけり。
 埋ウヅみける人を見置きて、御所へ参りたる間に盗めるなりけり。
 法師ども、言コトの葉なくて、聞きにくゝいさかひ、腹立ちて帰りにけり。
 あまりに興あらんとする事は、必ずあいなきものなり。

  第五十五段

 家の作りやうは、夏をむねとすべし。
 冬は、いかなる所にも住まる。
 暑アツき比コロわろき住居スマヒは、堪へ難き事なり。
 深き水は、涼スズしげなし。
 浅くて流れたる、遥ハルかに涼し。
 細かなる物を見るに、遣戸ヤリドは、蔀シトミの間よりも明し。
 天井の高きは、冬寒く、燈トモシビ暗し。
 造作ザウサクは、用なき所を作りたる、見るも面白く、万ヨロヅの用にも立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍りし。

  第五十六段

 久しく隔ヘダタりて逢ひたる人の、我が方にありつる事、数々に残りなく語り続くるこそ、あいなけれ。
 隔てなく馴れぬる人も、程ホド経て見るは、恥づかしからぬかは。
 つぎざまの人は、あからさまに立ち出でても、今日ケフありつる事とて、息も継ぎあへず語り興ずるぞかし。
 よき人の物語するは、人あまたあれど、一人に向きて言ふを、おのづから、人も聞くにこそあれ、よからぬ人は、誰ともなく、あまたの中にうち出でて、見ることのやうに語りなせば、皆同じく笑ひのゝしる、いとらうがはし。
 をかしき事を言ひてもいたく興ぜぬと、興なき事を言ひてもよく笑ふにぞ、品のほど計ハカられぬべき。
 人の身ざまのよし・あし、才ザエある人はその事など定め合へるに、己オノが身をひきかけて言ひ出でたる、いとわびし。

  第五十七段

 人の語り出でたる歌物語の、歌のわろきこそ、本意ホイなけれ。
 少しその道知らん人は、いみじと思ひては語らじ。
 すべて、いとも知らぬ道の物語したる、かたはらいたく、聞きにくし。

  第五十八段

 「道心ダウシンあらば、住む所にしもよらじ。家にあり、人に交はるとも、後世ゴセを願はんに難かるべきかは」と言ふは、さらに、後世知らぬ人なり。
 げには、この世をはかなみ、必ず、生死シヤウジを出でんと思はんに、何の興ありてか、朝夕君アサユウキミに仕へ、家を顧カヘリみる営みのいさましからん。
 心は縁エンにひかれて移るものなれば、閑シヅかならでは、道は行ギヤウじ難し。
 その器ウツハモノ、昔の人に及ばず、山林に入りても、餓ウヱを助け、嵐を防フセくよすがなくてはあられぬわざなれば、おのづから、世を貪ムサボるに似たる事も、たよりにふれば、などかなからん。
 さればとて、「背ソムけるかひなし。さばかりならば、なじかは捨てし」など言はんは、無下ムゲの事なり。
 さすがに、一度ヒトタビ、道に入りて世を厭イトはん人、たとひ望ノゾミありとも、勢イキホヒある人の貪欲トンヨク多きに似るべからず。
 紙の衾フスマ、麻の衣コロモ、一鉢ヒトハチのまうけ、藜アカザの羹アツモノ、いくばくか人の費ツヒえをなさん。
 求むる所は得やすく、その心はやく足りぬべし。
 かたちに恥づる所もあれば、さはいへど、悪には疎く、善には近づく事のみぞ多き。
 人と生れたらんしるしには、いかにもして世を遁ノガれんことこそ、あらまほしけれ。
 偏ヒトへに貪る事をつとめて、菩提ボダイに趣オモムかざらんは、万の畜類に変る所あるまじくや。

  第五十九段

 大事ダイジを思ひ立たん人は、去り難く、心にかゝらん事の本意ホンイを遂げずして、さながら捨つべきなり。
 「しばし。この事果てて」、「同じくは、かの事沙汰サタしおきて」、「しかしかの事、人の嘲アザケりやあらん。行末難ユクスヱナンなくしたゝめまうけて」、「年来トシゴロもあればこそあれ、その事待たん、程あらじ。物騒サワがしからぬやうに」など思はんには、え去らぬ事のみいとゞ重なりて、事の尽くる限りもなく、思ひ立つ日もあるべからず。
 おほやう、人を見るに、少し心あるきはは、皆、このあらましにてぞ一期イチゴは過ぐめる。
 近き火などに逃ぐる人は、「しばし」とや言ふ。
 身を助けんとすれば、恥ハヂをも顧みず、財タカラをも捨てて遁ノガれ去るぞかし。
 命は人を待つものかは。
 無常の来る事は、水火スヰクワの攻むるよりも速スミヤかに、遁れ難きものを、その時、老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情ナサケ、捨て難しとて捨てざらんや。

  第六十段

 真乗院シンジヨウヰンに、盛親僧都ジヤウシンソウヅとて、やんごとなき智者ありけり。
 芋頭イモガシラといふ物を好みて、多く食ひけり。
 談義の座にても、大きなる鉢ハチにうづたかく盛りて、膝元に置きつゝ、食ひながら、文をも読みけり。
 患ワヅラふ事あるには、七日ナヌカ・二七日フタナヌカなど、療治レウヂとて籠り居て、思ふやうに、よき芋頭を選びて、ことに多く食ひて、万の病を癒しけり。
 人に食はする事なし。
 たゞひとりのみぞ食ひける。
 極めて貧しかりけるに、師匠、死にさまに、銭二百貫と坊ボウひとつを譲りたりけるを、坊を百貫に売りて、かれこれ三万疋ビキを芋頭の銭アシと定めて、京なる人に預け置きて、十貫づつ取り寄せて、芋頭を乏トモしからず召しけるほどに、また、他用コトヨウに用ゐることなくて、その銭アシ皆に成りにけり。
 「三百貫の物を貧しき身にまうけて、かく計ハカらひける、まことに有り難き道心者ジヤなり」とぞ、人申しける。
 この僧都、或アル法師を見て、しろうるりといふ名をつけたりけり。
 「とは何物ぞ」と人の問ひければ、「さる者を我も知らず。若しあらましかば、この僧の顔に似てん」とぞ言ひける。
 この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書ノウジヨ・学匠ガクシヨウ・辯舌ベンゼツ、人にすぐれて、宗の法燈ホフトウなれば、寺中ジチユウにも重く思はれたりけれども、世を軽カロく思ひたる曲者クセモノにて、万自由ジイウにして、大方、人に従ふといふ事なし。
 出仕シユツシして饗膳キヤウゼンなどにつく時も、皆人の前据ゑわたすを待たず、我が前に据ゑぬれば、やがてひとりうち食ひて、帰りたければ、ひとりつい立ちて行きけり。
 斎トキ・非時ヒジも、人に等しく定めて食はず。
 我が食ひたき時、夜中にも暁アカツキにも食ひて、睡ネブたければ、昼もかけ籠りて、いかなる大事あれども、人の言ふ事聞き入れず、目覚めぬれば、幾夜イクヨも寝ねず、心を澄ましてうそぶきありきなど、尋常ヨノツネならぬさまなれども、人に厭イトはれず、万許されけり。
 徳の至れりけるにや。

  第六十一段

 御産ゴサンの時、甑コシキ落す事は、定まれる事にあらず。
 御胞衣オンエナとゞこほる時のまじなひなり。
 とゞこほらせ給はねば、この事なし。
 下ざまより事起りて、させる本説ホンゼツなし。
 大原の里の甑を召すなり。
 古き宝蔵ホウザウの絵に、賎イヤしき人の子産みたる所に、甑落したるを書きたり。

  第六十二段

 延政門エンセイモン院、いときなくおはしましける時、院へ参る人に、御言オンコトつてとて申させ給ひける御歌、
 ふたつ文字モジ、牛の角ツノ文字、直ぐな文字、歪ユガみ文字とぞ君は覚オボゆる
 恋しく思ひ参らせ給ふとなり。

  第六十三段

 後七日ゴシチニチの阿闍梨アザリ、武者ムシヤを集むる事、いつとかや、盗人ヌスビトにあひにけるより、宿直人トノヰビトとて、かくことことしくなりにけり。
 一年ヒトトセの相サウは、この修中シユヂユウのありさまにこそ見ゆなれば、兵ツハモノを用ゐん事、穏かならぬことなり。

  第六十四段

 「車の五緒イツツヲは、必ず人によらず、程につけて、極キハむる官ツカサ・位クラヰに至りぬれば、乗るものなり」とぞ、或人仰せられし。

  第六十五段

 この比ゴロの冠カムリは、昔よりははるかに高くなりたるなり。
 古代の冠桶カムリヲケを持ちたる人は、はたを継ぎて、今用モチゐるなり。

  第六十六段

 岡本関白殿ヲカモトノクワンパクドノ、盛りなる紅梅コウバイの枝に、鳥一双イツソウを添へて、この枝に付けて参らすべきよし、御鷹飼オンタカガヒ、下毛野武勝シモツケノノタケカツに仰せられたりけるに、「花に鳥付くる術スベ、知り候はず。一枝ヒトエダに二つ付くる事も、存知ゾンヂし候はず」と申しければ、膳部ゼンブに尋ねられ、人々に問はせ給ひて、また、武勝に、「さらば、己オノれが思はんやうに付けて参らせよ」と仰せられたりければ、花もなき梅の枝に、一つを付けて参らせけり。
 武勝が申し侍りしは、「柴の枝、梅の枝、つぼみたると散りたるとに付く。五葉ゴエフなどにも付く。枝の長さ七尺シチシヤク、或アルヒは六尺ロクシヤク、返カヘし刀五分ガタナゴブに切る。枝の半ナカバに鳥を付く。付くる枝、踏まする枝あり。しゞら藤の割らぬにて、二所フタトコロ付くべし。藤の先は、ひうち羽の長タケに比べて切りて、牛の角のやうに撓タワむべし。初雪の朝アシタ、枝を肩にかけて、中門チユウモンより振舞ひて参る。大砌オホミギリの石を伝ひて、雪に跡をつけず、あまおほひの毛を少しかなぐり散らして、二棟の御所の高欄カウランに寄せ掛く。禄ロクを出ださるれば、肩に掛けて、拝ハイして退シリゾく。初雪といへども、沓クツのはなの隠れぬほどの雪には、参らず。あまおほひの毛を散らすことは、鷹はよわ腰を取る事なれば、御鷹オンタカの取りたるよしなるべし」と申しき。
 花に鳥付けずとは、いかなる故にかありけん。
 長月ナガヅキばかりに、梅の作り枝に雉キジを付けて、「君がためにと折る花は時しも分かぬ」と言へる事、伊勢物語に見えたり。
 造り花は苦しからぬにや。

  第六十七段

 賀茂カモの岩本イハモト・橋本ハシモトは、業平ナリヒラ・実方サネカタなり。
 人の常に言ひ粉マガへ侍れば、一年ヒトトセ参りたりしに、老いたる宮司ミヤヅカサの過ぎしを呼び止トドめて、尋タズね侍りしに、「実方は、御手洗ミタラシに影の映りける所と侍れば、橋本や、なほ水の近ければと覚え侍る。吉水和尚ヨシミヅノクワシヤウノの、
 月をめで花を眺めしいにしへのやさしき人はこゝにありはら
 と詠み給ひけるは、岩本の社ヤシロとこそ承ウケタマハり置き侍れど、己オノれらよりは、なかなか、御存知などもこそ候はめ」と、いとやうやうしく言ひたりしこそ、いみじく覚えしか。
 今出川院近衛イマデガハヰンノコノヱとて、集シフどもにあまた入りたる人は、若かりける時、常に百首の歌を詠みて、かの二つの社の御前ミマヘの水にて書きて、手向タムけられけり。
 まことにやんごとなき誉ホマレれありて、人の口にある歌多し。
 作文サクモン・詞序シジヨなど、いみじく書く人なり。

  第六十八段

 筑紫ツクシに、なにがしの押領使アフリヤウシなどいふやうなる者のありけるが、土大根ツチオホネを万にいみじき薬とて、朝ごとに二つづゝ焼きて食ひける事、年久ヒサしくなりぬ。
 或時アルトキ、館タチの内に人もなかりける隙ヒマをはかりて、敵襲カタキオソひ来りて、囲み攻めけるに、館の内に兵ツハモノ二人出で来て、命を惜しまず戦ひて、皆追ひ返してンげり。
 いと不思議に覚えて、「日比ヒゴロこゝにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦ひし給ふは、いかなる人ぞ」と問ひければ、「年来トシゴロ頼みて、朝な朝な召しつる土大根らに候う」と言ひて、失せにけり。
 深く信シンを致イタしぬれば、かゝる徳もありけるにこそ。

  第六十九段

 書写シヨシヤの上人シヤウニンは、法華読誦ホツケドクジユの功コウ積りて、六根浄ロクコンジヤウにかなへる人なりけり。
 旅の仮屋カリヤに立ち入られけるに、豆の殻を焚きて豆を煮ける音のつぶつぶと鳴るを聞き給ひければ、「疎ウトからぬ己れらしも、恨めしく、我をば煮て、辛カラき目を見するものかな」と言ひけり。
 焚かるゝ豆殻のばらばらと鳴る音は、「我が心よりすることかは。焼かるゝはいかばかり堪へ難けれども、力なき事なり。かくな恨み給ひそ」とぞ聞えける。

  第七十段

 元応ゲンオウの清暑堂セイシヨダウの御遊ギヨイウに、玄上ゲンジヤウは失せにし比、菊亭大臣キクテイノオトド、牧馬ボクバを弾タンじ給ひけるに、座に著きて、先づ柱ヂユウを探られたりければ、一つ落ちにけり。
 御懐オンフトコロにそくひを持ち給ひたるにて付けられにければ、神供ジングの参る程によく干て、事故コトユヱなかりけり。
 いかなる意趣イシユかありけん。
 物見ける衣被キヌカヅキの、寄りて、放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ。

  第七十一段

 名を聞くより、やがて、面影オモカゲは推し測ハカらるゝ心地ココチするを、見る時は、また、かねて思ひつるまゝの顔したる人こそなけれ、昔物語ムカシモノガタリを聞きても、この比ゴロの人の家のそこほどにてぞありけんと覚え、人も、今見る人の中に思ひよそへらるゝは、誰もかく覚ゆるにや。
 また、如何なる折ぞ、たゞ今、人の言ふ事も、目に見ゆる物も、我が心の中ウチに、かゝる事のいつぞやありしかと覚えて、いつとは思ひ出でねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。

  第七十二段

 賤イヤしげなる物、居たるあたりに調度テウドの多き。
 硯スズリに筆の多き。
 持仏堂ジブツダウに仏の多き。
 前栽センザイに石・草木の多き。
 家の内に子孫コウマゴの多き。
 人にあひて詞コトバの多き。
 願文グワンモンに作善サゼン多く書き載せたる。
 多くて見苦しからぬは、文車フグルマの文フミ
 塵塚チリヅカの塵。

  第七十三段

 世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、多くは皆虚言ソラゴトなり。
 あるにも過ぎて人は物を言ひなすに、まして、年月トシツキ過ぎ、境サカヒも隔ヘダタりぬれば、言ひたきまゝに語りなして、筆にも書き止トドめぬれば、やがて定まりぬ。
 道々の物の上手ジヤウズのいみじき事など、かたくななる人の、その道知らぬは、そゞろに、神の如くに言へども、道知れる人は、さらに、信も起さず。
 音に聞くと見る時とは、何事も変るものなり。
 かつあらはるゝをも顧カヘリみず、口に任マカせて言ひ散らすは、やがて、浮きたることと聞キコゆ。
 また、我もまことしからずは思ひながら、人の言ひしまゝに、鼻のほどおごめきて言ふは、その人の虚言にはあらず。
 げにげにしく所々うちおぼめき、よく知らぬよしして、さりながら、つまづま合はせて語る虚言は、恐しき事なり。
 我がため面目メンボクあるやうに言はれぬる虚言は、人いたくあらがはず。
 皆人の興キヨウずる虚言は、ひとり、「さもなかりしものを」と言はんも詮センなくて聞きゐたる程に、証人にさへなされて、いとゞ定まりぬべし。
 とにもかくにも、虚言多き世なり。
 たゞ、常にある、珍らしからぬ事のまゝに心得たらん、万違ふべからず。
 下シモざまの人の物語は、耳驚く事のみあり。
 よき人は怪しき事を語らず。
 かくは言へど、仏神ブツジンの奇特キドク、権者ゴンジヤの伝記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。
 これは、世俗セゾクの虚言をねんごろに信じたるもをこがましく、「よもあらじ」など言ふも詮なければ、大方オホカタは、まことしくあひしらひて、偏ヒトヘに信ぜず、また、疑ひ嘲るべからずとなり。

  第七十四段

 蟻アリの如くに集まりて、東西に急ぎ、南北に走ワシる人、高きあり、賤イヤしきあり。
 老いたるあり、若きあり。
 行く所あり、帰る家あり。
 夕ユフベに寝ねて、朝アシタに起く。
 いとなむ所何事ぞや。
 生シヤウを貪ムサボリり、利を求めて、止む時なし。
 身を養ひて、何事をか待つ。
 期する処トコロ、たゞ、老と死とにあり。
 その来る事速かにして、念々ネンネンの間に止まらず。
 これを待つ間、何の楽しびかあらん。
 惑へる者は、これを恐れず。
 名利ミヤウリに溺オボれて、先途センドの近き事を顧みねばなり。
 愚かなる人は、また、これを悲しぶ。
 常住ジヤウヂユウならんことを思ひて、変化ヘンゲの理コトワリを知らねばなり。

  第七十五段

 つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。
 まぎるゝ方なく、たゞひとりあるのみこそよけれ。
 世に従へば、心、外ホカの塵チリに奪はれて惑ひ易く、人に交れば、言葉、よその聞きに随シタガひて、さながら、心にあらず。
 人に戯タハブれ、物に争ひ、一度ヒトタビは恨み、一度は喜ぶ。
 その事、定まれる事なし。
 分別フンベツみだりに起りて、得失トクシツ止む時なし。
 惑ひの上に酔へり。
 酔ひの中に夢をなす。
 走りて急がはしく、ほれて忘れたる事、人皆かくの如し。
 未イマだ、まことの道を知らずとも、縁エンを離れて身を閑かにし、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。
 「生活・人事ニンジ・伎能ギノウ・学問等の諸縁シヨエンを止めよ」とこそ、摩訶止観マカシクワンにも侍れ。

  第七十六段

 世の覚え花ハナやかなるあたりに、嘆きも喜びもありて、人多く行きとぶらふ中に、聖法師ヒジリボウシの交じりて、言ひ入れ、たゝずみたるこそ、さらずともと見ゆれ。
 さるべき故ありとも、法師は人にうとくてありなん。

  第七十七段

 世中ヨノナカに、その比、人のもてあつかひぐさに言ひ合へる事、いろふべきにはあらぬ人の、よく案内知りて、人にも語り聞かせ、問ひ聞きたるこそ、うけられね。
 ことに、片ほとりなる聖法師などぞ、世の人の上は、我が如く尋ね聞き、いかでかばかりは知りけんと覚ゆるまで、言ひ散らすめる。

  第七十八段

 今様イマヤウの事どもの珍しきを、言ひ広め、もてなすこそ、またうけられね。
 世にこと古りたるまで知らぬ人は、心にくし。
 いまさらの人などのある時、こゝもとに言ひつけたることぐさ、物の名など、心得たるどち、片端カタハシ言ひ交し、目見合メミアはせ、笑ひなどして、心知らぬ人に心得ず思はする事、世慣れず、よからぬ人の必ずある事なり。

  第七十九段

 何事も入りたゝぬさましたるぞよき。
 よき人は、知りたる事とて、さのみ知り顔にやは言ふ。
 片田舎カタヰナカよりさし出でたる人こそ、万の道に心得たるよしのさしいらへはすれ。
 されば、世に恥づかしきかたもあれど、自らもいみじと思へる気色、かたくななり。
 よくわきまへたる道には、必ず口重く、問はぬ限りは言はぬこそ、いみじけれ。

  第八十段

 人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。
 法師は、兵ツハモノの道を立て、夷エビスは、弓ひく術スベ知らず、仏法ブツポフ知りたる気色キソクし、連歌レンガし、管絃クワンゲンを嗜タシナみ合へり。
 されど、おろかなる己オノれが道よりは、なほ、人に思ひ侮アナヅられぬべし。
 法師のみにもあらず、上達部カンダチメ・殿上人テンジヤウビト・上カミざままで、おしなべて、武を好む人多かり。
 百度モモタビ戦ひて百度勝つとも、未イマだ、武勇ブユウの名を定め難し。
 その故は、運に乗じて敵を砕く時、勇者にあらずといふ人なし。
 兵ツハモノ尽き、矢窮キハマりて、つひに敵に降クダらず、死をやすくして後ノチ、初めて名を顕アラはすべき道なり。
 生けらんほどは、武に誇ホコるべからず。
 人倫ジンリンに遠く、禽獣キンジウに近き振舞フルマヒ、その家にあらずは、好みて益ヤクなきことなり。

  第八十一段

 屏風ビヤウブ・障子シヤウジなどの、絵も文字もかたくななる筆様フデヤウして書きたるが、見にくきよりも、宿ヤドの主アルジのつたなく覚ゆるなり。
 大方、持てる調度テウドにても、心劣りせらるゝ事はありぬべし。
 さのみよき物を持つべしとにもあらず。
 損ぜざらんためとて、品シナなく、見にくきさまにしなし、珍しからんとて、用なきことどもし添へ、わづらはしく好みなせるをいふなり。
 古めかしきやうにて、いたくことことしからず、つひえもなくて、物がらのよきがよきなり。

  第八十二段

 「羅ウスモノの表紙ヘウシは、疾く損ずるがわびしき」と人の言ひしに、頓阿トンナが、「羅は上下カミシモはつれ、螺鈿ラデンの軸ヂクは貝落ちて後ノチこそ、いみじけれ」と申し侍りしこそ、心まさりして覚えしか。
 一部とある草子などの、同じやうにもあらぬを見にくしと言へど、弘融コウユウ僧都ソウヅが、「物を必ず一具に調へんとするは、つたなき者のする事なり。不具フグなるこそよけれ」と言ひしも、いみじく覚えしなり。
 「すべて、何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。内裏ダイリ造らるゝにも、必ず、作り果てぬ所を残す事なり」と、或人申し侍りしなり。
 先賢センケンの作れる内外ナイゲの文フミにも、章段シヤウダンの欠けたる事のみこそ侍れ。

  第八十三段

 竹林院入道左大臣殿チクリンヰンノニフダウサダイジンドノ、太政大臣に上アガり給はんに、何の滞トドコホりかおはせんなれども、「珍しげなし。一上イチノカミにて止みなん」とて、出家し給ひにけり。
 洞院左大臣殿トウヰンノサダイジンドノ、この事を甘心カンシンし給ひて、相国シヤウコクの望みおはせざりけり。
 「亢竜カウリヨウの悔クイあり」とかやいふこと侍るなり。
 月満ちては欠け、物盛りにしては衰ふ。
 万の事、先の詰まりたるは、破れに近き道なり。

  第八十四段

 法顕三蔵ホツケンサンザウの、天竺テンヂクに渡りて、故郷フルサトの扇アフギを見ては悲しび、病に臥しては漢の食ジキを願ひ給ひける事を聞きて、「さばかりの人の、無下ムゲにこそ心弱き気色ケシキを人の国にて見え給ひけれ」と人の言ひしに、弘融僧都コウユウソウヅ、「優イウに情ありける三蔵かな」と言ひたりしこそ、法師のやうにもあらず、心にくゝ覚えしか。

  第八十五段

 人の心すなほならねば、偽イツハりなきにしもあらず。
 されども、おのづから、正直シヤウヂキの人、などかなからん。
 己オノれすなほならねど、人の賢ケンを見て羨ウラヤむは、尋常ヨノツネなり。
 至りて愚かなる人は、たまたま賢なる人を見て、これを憎む。
 「大きなる利を得んがために、少スコしきの利を受けず、偽イツハり飾りて名を立てんとす」と謗ソシる。
 己れが心に違タガへるによりてこの嘲アザケりをなすにて知りぬ、この人は、下愚カグの性セイ移るべからず、偽りて小利セウリをも辞すべからず、仮りにも賢を学ぶべからず。
 狂人の真似マネとて大路オホチを走らば、即ち狂人なり。
 悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。
 驥を学ぶは驥の類タグひ、舜シユンを学ぶは舜の徒トモガラなり。
 偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。

  第八十六段

 惟継コレツグノ中納言は、風月フゲツの才ザエに富める人なり。
 一生精進イツシヤウシヤウジンにて、読経ドツキヤウうちして、寺法師テラボフシの円伊僧正ヱンインソウジヤウと同宿して侍りけるに、文保ブンポウに三井寺ミヰデラ焼かれし時、坊主にあひて、「御坊ゴボウをば寺法師とこそ申しつれど、寺はなければ、今よりは法師とこそ申さめ」と言はれけり。
 いみじき秀句シウクなりけり。

  第八十七段

 下部シモベに酒飲まする事は、心すべきことなり。
 宇治ウヂに住み侍りけるをのこ、京に、具覚房グカクボウとて、なまめきたる遁世トンゼイの僧を、こじうとなりければ、常に申し睦ムツびけり。
 或時アルトキ、迎へに馬を遣ツカハしたりければ、「遥ハルかなるほどなり。口クチづきのをのこに、先づ一度せさせよ」とて、酒を出だしたれば、さし受けさし受け、よゝと飲みぬ。
 太刀タチうち佩きてかひがひしげなれば、頼タノもしく覚えて、召し具して行くほどに、木幡コハダのほどにて、奈良法師ナラボフシの、兵士ヒヤウジあまた具して逢ひたるに、この男立ち向ひて、「日暮れにたる山中サンチユウに、怪しきぞ。止トマり候へ」と言ひて、太刀を引き抜きければ、人も皆、太刀抜き、矢はげなどしけるを、具覚房、手を摺りて、「現ウツし心なく酔ひたる者に候ふ。まげて許し給はらん」と言ひければ、おのおの嘲アザケりて過ぎぬ。
 この男、具覚房にあひて、「御房ゴバウは口惜しき事し給ひつるものかな。己れ酔ひたる事侍らず。高名カウミヤウ仕らんとするを、抜ける太刀空ムナしくなし給ひつること」と怒りて、ひた斬りに斬り落としつ。
 さて、「山だちあり」とのゝしりければ、里人サトビトおこりて出であへば、「我こそ山だちよ」と言ひて、走りかゝりつゝ斬り廻りけるを、あまたして手負テオほせ、打ち伏せて縛シバりけり。
 馬は血つきて、宇治大路ウヂノオホチの家に走り入りたり。
 あさましくて、をのこどもあまた走らかしたれば、具覚房はくちなし原にによひ伏したるを、求め出でて、舁きもて来つ。
 辛き命イノチ生きたれど、腰斬り損ソンぜられて、かたはに成りにけり。

  第八十八段

 或者アルモノ、小野道風ヲノノタウフウの書ける和漢朗詠集ワカンラウエイシフとて持ちたりけるを、ある人、「御相伝ゴサウデン、浮ける事には侍らじなれども、四条シデウノ大納言撰エラばれたる物を、道風書かん事、時代や違タガひ侍らん。覚束オボツカなくこそ」と言ひければ、「さ候サウラへばこそ、世にあり難ガタき物には侍りけれ」とて、いよいよ秘蔵ヒサウしけり。

  第八十九段

 「奥山に、猫ネコまたといふものありて、人を食クラふなる」と人の言ひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の経上ヘアガりて、猫またに成りて、人とる事はあンなるものを」と言ふ者ありけるを、何阿弥陀仏ナニアミダブツとかや、連歌レンガしける法師の、行願寺ギヤウグワンジの辺にありけるが聞きて、独り歩アリかん身は心すべきことにこそと思ひける比コロしも、或所にて夜更ヨフくるまで連歌して、たゞ独り帰りけるに、小川コガハの端ハタにて、音オトに聞きし猫また、あやまたず、足許アシモトへふと寄り来て、やがてかきつくまゝに、頚クビのほどを食はんとす。
 肝心キモゴコロも失せて、防フセかんとするに力もなく、足も立たず、小川へ転ころび入りて、「助けよや、猫またよやよや」と叫べば、家々より、松どもともして走り寄りて見れば、このわたりに見知れる僧なり。
 「こは如何イカに」とて、川の中より抱イダき起したれば、連歌の賭物カケモノ取りて、扇アフギ・小箱コバコなど懐フトコロに持ちたりけるも、水に入りぬ。
 希有ケウにして助かりたるさまにて、這ふ這ふ家に入りにけり。
 飼ひける犬の、暗けれど、主ヌシを知りて、飛び付きたりけるとぞ。

  第九十段

 大納言法印ホフインの召使メシツカひし乙鶴丸オトヅルマル、やすら殿といふ者を知りて、常に行き通カヨひしに、或時出でて帰り来たるを、法印、「いづくへ行きつるぞ」と問ひしかば、「やすら殿のがり罷マカりて候ふ」と言ふ。
 「そのやすら殿は、男か法師か」とまた問はれて、袖掻ソデカき合せて、「いかゞ候ふらん。頭カシラをば見候はず」と答へ申しき。
 などか、頭カシラばかりの見えざりけん。

  第九十一段

 赤舌日シヤクゼツニチといふ事、陰陽道オンヤウダウには沙汰サタなき事なり。
 昔の人、これを忌まず。
 この比、何者ナニモノの言ひ出でて忌み始めけるにか、この日ある事、末とほらずと言ひて、その日言ひたりしこと、したりしことかなはず、得たりし物は失ウシナひつ、企クハタてたりし事成らずといふ、愚かなり。
 吉日キチニチを撰びてなしたるわざの末とほらぬを数カゾへて見んも、また等しかるべし。
 その故は、無常変易ムジヤウヘンエキの境サカヒ、ありと見るものも存ぜず。
 始めある事も終りなし。
 志ココロザシは遂げず。
 望みは絶えず。
 人の心不定フジヤウなり。
 物皆幻化モノミナゲンゲなり。
 何事か暫シバラくも住ヂユウする。
 この理コトワリを知らざるなり。
 「吉日キチニチに悪をなすに、必ず凶なり。悪日アクニチに善を行ふに、必ず吉なり」と言へり。
 吉凶キツキヨウは、人によりて、日によらず。

  第九十二段

 或人アルヒト、弓射る事を習ふに、諸矢モロヤをたばさみて的に向ムカふ。
 師の云はく、「初心シヨシンの人、二つの矢を持つ事なかれ。後ノチの矢を頼タノみて、始めの矢に等閑ナホザリの心あり。毎度マイド、たゞ、得失トクシツなく、この一矢ヒトヤに定サダむべしと思へ」と云ふ。
 わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はんや。
 懈怠ケダイの心、みづから知らずといへども、師これを知る。
 この戒イマシめ、万事バンジにわたるべし。
 道ミチを学ガクする人、夕ユウベには朝アシタあらん事を思ひ、朝には夕あらん事を思ひて、重ねてねんごろに修シユせんことを期す。
 況イハんや、一刹那セツナの中において、懈怠の心ある事を知らんや。
 何ぞ、たゞ今の一念において、直タダちにする事の甚ハナハだ難カタき。

  第九十三段

 「牛を売る者あり。買ふ人、明日アス、その値アタヒをやりて、牛を取らんといふ。夜の間に牛死ぬ。買はんとする人に利あり、売らんとする人に損あり」と語る人あり。
 これを聞きて、かたへなる者の云はく、「牛の主ヌシ、まことに損ありといへども、また、大きなる利あり。その故は、生シヤウあるもの、死の近き事を知らざる事、牛、既にしかなり。人、また同じ。はからざるに牛は死し、はからざるに主は存ぜり。一日の命、万金マンキンよりも重し。牛の値、鵝毛ガモウよりも軽カロし。万金を得て一銭を失はん人、損ありと言ふべからず」と言ふに、皆人ミナヒト嘲りて、「その理は、牛の主に限るべからず」と言ふ。
 また云はく、「されば、人、死を憎まば、生シヤウを愛すべし。存命ゾンメイの喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しびを忘れて、いたづがはしく外ホカの楽しびを求め、この財タカラを忘れて、危アヤフく他の財を貪るには、志ココロザシ満つ事なし。生ける間生を楽しまずして、死に臨ノゾみて死を恐れば、この理コトワリあるべからず。人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るゝなり。もしまた、生死シヤウジの相サウにあづからずといはば、実マコトの理コトワリを得たりといふべし」と言ふに、人、いよいよ嘲る。

  第九十四段

 常磐井相国トキハヰノシヤウコク、出仕シユツシし給ひけるに、勅書チヨクシヨを持ちたる北面ホクメンあひ奉りて、馬より下りたりけるを、相国、後に、「北面某ナニガシは、勅書を持ちながら下馬ゲバし侍りし者なり。かほどの者、いかでか、君に仕うまつり候ふべき」と申されければ、北面を放たれにけり。
 勅書を、馬の上ながら、捧ササげて見せ奉るべし、下るべからずとぞ。

  第九十五段

 「箱ハコのくりかたに緒を付くる事、いづかたに付け侍るべきぞ」と、ある有職イウシヨクの人に尋ね申し侍りしかば、「軸ヂクに付け、表紙に付くる事、両説リヤウセツなれば、いづれも難ナンなし。文フミの箱は、多くは右に付く。手箱テバコには、軸に付くるも常の事なり」と仰せられき。

  第九十六段

 めなもみといふ草あり。
 くちばみに螫されたる人、かの草を揉みて付けぬれば、即ち癒ゆとなん。
 見知りて置くべし。

  第九十七段

 その物に付きて、その物をつひやし損ふ物、数を知らずあり。
 身に蝨シラミあり。
 家に鼠ネズミあり。
 国に賊ゾクあり。
 小人セウジンに財ザイあり。
 君子クンシに仁義ジンギあり。
 僧に法ホフあり。

  第九十八段

 尊タフトきひじりの言ひ置きける事を書き付けて、一言芳談イチゴンハウダンとかや名づけたる草子サウシを見侍りしに、心に合ひて覚えし事ども。
一 しやせまし、せずやあらましと思ふ事は、おほやうは、せぬはよきなり。
一 後世ゴセを思はん者は、糂汰瓶ジンダガメ一つも持つまじきことなり。
  持経ヂキヤウ・本尊ホンゾンに至るまで、よき物を持つ、よしなき事なり。
一 遁世者トンゼイジヤは、なきにことかけぬやうを計ハカラひて過ぐる、最上のやうにてあるなり。
一 上臈ジヤウラフは下臈ゲラフに成り、智者チシヤは愚者グシヤに成り、徳人トクニンは貧ヒンに成り、能ある人は無能に成るべきなり。
一 仏道を願ふといふは、別の事なし。
  暇イトマある身になりて、世の事を心にかけぬを、第一の道とす。
  この外もありし事ども、覚えず。

  第九十九段

 堀川相国ホリカハノシヤウコクは、美男ビナンのたのしき人にて、そのこととなく過差クワサを好み給ひけり。
 御子オンコ基俊卿モトトシを大理ダイリになして、庁務チヤウム行はれけるに、庁屋チヨウヤの唐櫃カラヒツ見苦しとて、めでたく作り改めらるべき由ヨシ仰せられけるに、この唐櫃は、上古シヤウコより伝はりて、その始めを知らず、数百年スヒヤクネンを経たり。
 累代ルヰタイの公物クモツ、古弊コヘイをもちて規模とす。
 たやすく改められ難き由、故実コシツの諸官等申しければ、その事止みにけり。

  第百段

 久我相国コガノシヤウコクは、殿上テンジヤウにて水を召しけるに、主殿司トノモヅカサ、土器カハラケを奉りければ、「まがりを参らせよ」とて、まがりしてぞ召しける。

  第百一段

 或人アルヒト、任大臣ニンダイジンの節会セチヱの内辨ナイベンを勤められけるに、内記ナイキの持ちたる宣命センミヤウを取らずして、堂上タウシヤウせられにけり。
 極まりなき失礼シチライなれども、立ち帰り取るべきにもあらず、思ひわづらはれけるに、六位外記康綱ロクヰノゲキヤスツナ、衣被キヌカヅきの女房をかたらひて、かの宣命を持たせて、忍びやかに奉らせけり。
 いみじかりけり。

  第百二段

 尹インノ大納言光忠卿ミツタダノキヤウ、追儺ツヰナの上卿シヤウケイを勤められけるに、洞院トウヰンノ右大臣殿に次第シダイを申し請けられければ、「又五郎男マタゴラウヲノコを師とするより外ホカの才覚サイカク候はじ」とぞのたまひける。
 かの又五郎は、老いたる衛士ヱジの、よく公事クジに慣れたる者にてぞありける。
 近衛コノヱ殿著陣チヤクヂンし給ひける時、軾ヒザツキを忘れて、外記ゲキを召されければ、火たきて候ひけるが、「先づ、軾を召さるべくや候ふらん」と忍びやかに呟ツブヤきける、いとをかしかりけり。

  第百三段

 大覚寺殿ダイカクジドノにて、近習キンジユの人ども、なぞなぞを作りて解かれける処へ、医師忠守クスシタダモリ参りたりけるに、侍従ジジユウ大納言公明卿キンアキラノキヤウ、「我が朝テウの者とも見えぬ忠守かな」と、なぞなぞにせられにけるを、「唐医師カライシ」と解きて笑ひ合はれければ、腹立ちて退マカり出でにけり。

  第百四段

 荒れたる宿の、人目ヒトメなきに、女の、憚ハバカる事ある比コロにて、つれづれと籠コモり居たるを、或人、とぶらひ給はんとて、夕月夜ユフヅクヨのおぼつかなきほどに、忍びて尋ねおはしたるに、犬のことことしくとがむれば、下衆女ゲスヲンナの、出でて、「いづくよりぞ」と言ふに、やがて案内せさせて、入り給ひぬ。
 心ぼそげなる有様、いかで過ぐすらんと、いと心ぐるし。
 あやしき板敷イタジキに暫シバし立ち給へるを、もてしづめたるけはひの、若ワカやかなるして、「こなた」と言ふ人あれば、たてあけ所狭トコロセげなる遣戸ヤリドよりぞ入り給ひぬる。
 内ウチのさまは、いたくすさまじからず。
 心にくゝ、火はあなたにほのかなれど、もののきらなど見えて、俄ニハかにしもあらぬ匂ひいとなつかしう住みなしたり。
 「門カドよくさしてよ。雨もぞ降る、御車ミクルマは門の下に、御供オトモの人はそこそこに」と言へば、「今宵コヨヒぞ安き寝は寝べかンめる」とうちさゝめくも、忍びたれど、程なければ、ほの聞キコゆ。
 さて、このほどの事ども細やかに聞え給ふに、夜深ヨブカき鳥も鳴きぬ。
 来し方・行末ユクスヱかけてまめやかなる御オン物語に、この度タビは鳥も花やかなる声にうちしきれば、明けはなるゝにやと聞き給へど、夜深く急ぐべき所のさまにもあらねば、少したゆみ給へるに、隙ヒマ白くなれば、忘れ難き事など言ひて立ち出で給ふに、梢コズヱも庭もめづらしく青み渡りたる卯月ウヅキばかりの曙アケボノ、艶エンにをかしかりしを思オボし出でて、桂の木の大きなるが隠るゝまで、今も見送り給ふとぞ。

  第百五段

 北の屋蔭ヤカゲに消え残りたる雪の、いたう凍コホりたるに、さし寄せたる車の轅ナガエも、霜いたくきらめきて、有明アリアケの月、さやかなれども、隈なくはあらぬに、人離れなる御堂ミダウの廊ラウに、なみなみにはあらずと見ゆる男ヲトコ、女ヲンナとなげしに尻かけて、物語するさまこそ、何事かあらん、尽きすまじけれ。
 かぶし・かたちなどいとよしと見えて、えもいはぬ匂ひのさと薫カホりたるこそ、をかしけれ。
 けはひなど、はつれつれ聞こえたるも、ゆかし。

  第百六段

 高野証空上人カウヤノシヨウクウシヤウニン、京へ上りけるに、細道ホソミチにて、馬に乗りたる女の、行きあひたりけるが、口曳きける男、あしく曳きて、聖ヒジリの馬を堀へ落してンげり。
 聖、いと腹悪ハラアしくとがめて、「こは希有ケウの狼藉ラウゼキかな。四部シブの弟子はよな、比丘ビクよりは比丘尼ビクニに劣り、比丘尼より優婆塞ウバソクは劣り、優婆塞より優婆夷ウバイは劣れり。かくの如くの優婆夷などの身にて、比丘を堀へ蹴入ケイれさする、未曾有ミゾウの悪行アクギヤウなり」と言はれければ、口曳きの男、「いかに仰せらるゝやらん、えこそ聞き知らね」と言ふに、上人、なほいきまきて、「何と言ふぞ、非修非学ヒシュヒガクの男」とあらゝかに言ひて、極まりなき放言ハウゴンしつと思ひける気色ケシキにて、馬ひき返して逃げられにけり。
 尊タフトかりけるいさかひなるべし。

  第百七段

 「女の物言ひかけたる返事、とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ」とて、亀山カメヤマノ院の御時、しれたる女房ども、若き男達オノコタチの参らるる毎に、「郭公ホトトギスや聞き給へる」と問ひて心見ココロミられけるに、某ナニガシの大納言とかやは、「数ならぬ身は、え聞き候はず」と答へられけり。
 堀川ホリカハノ内大臣殿は、「岩倉イハクラにて聞きて候ひしやらん」と仰せられたりけるを、「これは難ナンなし。数ならぬ身、むつかし」など定め合はれけり。
 すべて、男オノコをば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。
 「浄土寺前ジヤウドジノサキノ関白殿は、幼ヲサナくて、安喜門アンキモン院のよく教へ参らせさせ給ひける故に、御詞オンコトバなどのよきぞ」と、人の仰せられけるとかや。
 山階ヤマシナノ左大臣殿は、「あやしの下女シモヲンナの身奉るも、いと恥づかしく、心づかひせらるゝ」とこそ仰せられけれ。
 女のなき世なりせば、衣文エモンも冠カムリも、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ。
 かく人に恥ぢらるゝ女、如何イカばかりいみじきものぞと思ふに、女の性シヤウは皆ひがめり。
 人我ニンガの相サウ深く、貪欲甚トンヨクハナハだしく、物の理コトワリを知らず。
 たゞ、迷ひの方に心も速く移り、詞コトバも巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。
 用意あるかと見れば、また、あさましき事まで問はず語りに言ひ出だす。
 深くたばかり飾れる事は、男の智恵にもまさりたるかと思へば、その事、跡アトより顕アラはるゝを知らず。
 すなほならずして拙ツタナきものは、女なり。
 その心に随シタガひてよく思はれん事は、心憂ココロウかるべし。
 されば、何かは女の恥づかしからん。
 もし賢女ケンジヨあらば、それもものうとく、すさまじかりなん。
 たゞ、迷ひを主アルジとしてかれに随ふ時、やさしくも、面白くも覚オボゆべき事なり。

  第百八段

 寸陰惜スンインヲしむ人なし。
 これ、よく知れるか、愚かなるか。
 愚かにして怠る人のために言はば、一銭軽イツセンカロしと言へども、これを重ぬれば、貧しき人を富める人となす。
 されば、商人アキビトの、一銭を惜しむ心、切セツなり。
 刹那セツナ覚えずといへども、これを運びて止まざれば、命を終ふる期、忽タチマちに至る。
 されば、道人ダウニンは、遠く日月ニチグワツを惜しむべからず。
 たゞ今の一念イチネン、空ムナしく過ぐる事を惜しむべし。
 もし、人来りて、我が命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日ケフの暮るゝ間、何事をか頼み、何事をか営まん。
 我等ワレラが生ける今日の日、何ぞ、その時節ジセツに異ならん。
 一日のうちに、飲食オンジキ・便利ベンリ・睡眠スイメン・言語ゴンゴ・行歩ギヤウブ、止む事を得ずして、多くの時を失ふ。
 その余りの暇幾イトマイクばくならぬうちに、無益ムヤクの事をなし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟シユヰして時を移すのみならず、日を消セウし、月を亘ワタりて、一生を送る、尤モツトも愚かなり。
 謝霊運シヤレイウンは、法華ホツケの筆受ヒツジユなりしかども、心、常ツネに風雲フウウンの思オモヒを観クワンぜしかば、恵遠ヱヲン、白蓮ビヤクレンの交マジハりを許さざりき。
 暫シバラくもこれなき時は、死人に同じ。
 光陰クワウイン何のためにか惜しむとならば、内ウチに思慮なく、外ホカに世事セジなくして、止まん人は止み、修シュせん人は修せよとなり。

  第百九段

 高名カウミヤウの木登りといひし男ヲノコ、人を掟オキてて、高き木に登ノボせて、梢コズヱを切らせしに、いと危アヤフく見えしほどは言ふ事もなくて、降るゝ時に、軒長ノキタケばかりに成りて、「あやまちすな。心して降りよ」と言葉をかけ侍ハンベりしを、「かばかりになりては、飛び降るとも降りなん。如何イカにかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候サウラふ。目くるめき、枝危きほどは、己れが恐れ侍れば、申さず。あやまちは、安き所に成りて、必ず仕ツカマツる事に候ふ」と言ふ。
 あやしき下臈ゲラフなれども、聖人の戒イマシめにかなへり。
 鞠マリも、難カタき所を蹴出して後、安く思へば必ず落つと侍るやらん。

  第百十段

 双六スゴロクの上手ジヤウズといひし人に、その手立テダテを問ひ侍りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手か疾く負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目ヒトメなりともおそく負くべき手につくべし」と言ふ。
 道を知れる教ヲシヘ、身を治ヲサめ、国を保タモたん道も、またしかなり。

  第百十一段

 「囲碁ヰゴ・双六スグロク好みて明かし暮らす人は、四重シヂユウ・五逆ゴギヤクにもまされる悪事とぞ思ふ」と、或ひじりの申しし事、耳に止トドまりて、いみじく覚え侍り。

  第百十二段

 明日は遠き国へ赴オモムくべしと聞かん人に、心閑シヅかになすべからんわざをば、人言ひかけてんや。
 俄ニハかの大事をも営み、切セツに歎ナゲく事もある人は、他の事を聞き入れず、人の愁ウレへ・喜びをも問はず。
 問はずとて、などやと恨むる人もなし。
 されば、年もやうやう闌け、病にもまつはれ、況イハんや世をも遁ノガれたらん人、また、これに同じかるべし。
 人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。
 世俗セゾクの黙モダし難きに随ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇イトマもなく、一生は、雑事ザフジの小節セウセツにさへられて、空しく暮れなん。
 日暮れ、塗ミチ遠し。
 吾が生既に蹉蛇サダたり。
 諸縁シヨエンを放下ハウゲすべき時なり。
 信をも守らじ。
 礼儀をも思はじ。
 この心をも得ざらん人は、物狂ひとも言へ、うつつなし、情ナサケなしとも思へ。
 毀ソシるとも苦しまじ。
 誉むとも聞き入れじ。

  第百十三段

 四十ヨソヂにも余りぬる人の、色めきたる方カタ、おのづから忍びてあらんは、いかゞはせん、言コトに打ち出でて、男・女の事、人の上ウヘをも言ひ戯タハブるゝこそ、にげなく、見苦しけれ。
 大方、聞きにくゝ、見苦しき事、老人オイビトの、若き人に交りて、興キヤウあらんと物言ひゐたる。
 数ならぬ身にて、世の覚えある人を隔てなきさまに言ひたる。
 貧しき所に、酒宴好み、客人マラウトに饗応アルジせんときらめきたる。

  第百十四段

 今出川イマデガハの大殿オホイトノ、嵯峨サガへおはしけるに、有栖川アリスガハのわたりに、水の流れたる所にて、賽王丸サイワウマル、御牛オンウシを追ひたりければ、あがきの水、前板マヘイタまでさゝとかゝりけるを、為則タメノリ、御車ミクルマのしりに候ひけるが、「希有ケウの童ワラハかな。かゝる所にて御牛オンウシをば追ふものか」と言ひたりければ、大殿、御気色ミケシキしくなりて、「おのれ、車やらん事、賽王丸にまさりてえ知らじ。希有の男なり」とて、御車に頭カシラを打ち当てられにけり。
 この高名カウミヤウの賽王丸は、太秦殿ウヅマサドノの男、料レウの御牛飼オンウシカヒぞかし。
 この太秦殿に侍りける女房の名ども、一人はひざさち、一人はことづち、一人ははふばら、一人はおとうしと付けられけり。

  第百十五段

 宿河原シュクガハラといふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、九品クホンの念仏を申しけるに、外ホカより入り来たるぼろぼろの、「もし、この御中オンナカに、いろをし房バウと申すぼろやおはします」と尋ねければ、その中より、「いろをし、こゝに候ふ。かくのたまふは、誰そ」と答ふれば、「しら梵字ボンジと申す者なり。己れが師、なにがしと申しし人、東国トウゴクにて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承ウケタマハりしかば、その人に逢ひ奉タテマツりて、恨み申さばやと思ひて、尋ね申すなり」と言ふ。
 いろをし、「ゆゝしくも尋ねおはしたり。さる事侍りき。こゝにて対面し奉らば、道場ダウヂヤウを汚し侍るべし。前の河原へ参りあはん。あなかしこ、わきざしたち、いづ方カタをもみつぎ給ふな。あまたのわづらひにならば、仏事ブツジの妨サマタげに侍るべし」と言ひ定めて、二人、河原へ出であひて、心行くばかりに貫ツラヌき合ひて、共に死ににけり。
 ぼろぼろといふもの、昔はなかりけるにや。
 近き世に、ぼろんじ・梵字・漢字など云ひける者、その始めなりけるとかや。
 世を捨てたるに似て我執ガシフ深く、仏道を願ふに似て闘諍トウジヤウを事コトとす。
 放逸ハウイツ・無慙ムザンの有様なれども、死を軽カロくして、少しもなづまざるかたのいさぎよく覚えて、人の語りしまゝに書き付け侍るなり。

  第百十六段

 寺院の号ガウ、さらぬ万ヨロヅの物にも、名を付くる事、昔の人は、少しも求めず、たゞ、ありのまゝに、やすく付けけるなり。
 この比コロは、深く案じ、才覚サイカクをあらはさんとしたるやうに聞ゆる、いとむつかし。
 人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益エキなき事なり。
 何事も、珍しき事を求め、異説イセツを好むは、浅才センザイの人の必ずある事なりとぞ。

  第百十七段

 友とするに悪ワロき者、七つあり。
 一つには、高く、やんごとなき人。
 二つには、若き人。
 三つには、病なく、身強き人、
 四つには、酒を好む人。
 五つには、たけく、勇イサめる兵ツハモノ
 六つには、虚言ソラゴトする人。
 七つには、欲深き人。
 よき友、三つあり。
 一つには、物くるゝ友。
 二つには、医師クスシ
 三つには、智恵ある友。

  第百十八段

 鯉コヒの羹アツモノ食ひたる日は、鬢ビンそゝけずとなん。
 膠ニカハにも作るものなれば、粘りたるものにこそ。
 鯉ばかりこそ、御前ゴゼンにても切らるゝものなれば、やんごとなき魚ウヲなり。
 鳥には雉キジ、さうなきものなり。
 雉・松茸などは、御湯殿ミユドノの上に懸カカりたるも苦しからず。
 その外は、心うき事なり。
 中宮の御方オンカタの御湯殿の上の黒み棚ダナに雁カリの見えつるを、北山キタヤマノ入道殿の御覧じて、帰らせ給ひて、やがて、御文オンフミにて、「かやうのもの、さながら、その姿にて御棚ミタナにゐて候ひし事、見慣はず、さまあしき事なり。はかばかしき人のさふらはぬ故にこそ」など申されたりけり。

  第百十九段

 鎌倉の海に、鰹カツヲと言ふ魚は、かの境サカひには、さうなきものにて、この比ゴロもてなすものなり。
 それも、鎌倉の年寄トシヨリの申し侍りしは、「この魚、己れら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づる事侍らざりき。頭カシラは、下部シモベも食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。
 かやうの物も、世の末スヱになれば、上カミざままでも入りたつわざにこそ侍れ。

  第百二十段

 唐カラの物は、薬クスリの外は、みななくとも事欠くまじ。
 書フミどもは、この国に多く広まりぬれば、書きも写してん。
 唐土舟モロコシブネの、たやすからぬ道に、無用ムヨウの物どものみ取り積みて、所狭トコロセく渡しもて来る、いと愚かなり。
 「遠き物を宝とせず」とも、また、「得難エガタき貨タカラを貴タフトまず」とも、文フミにも侍るとかや。

  第百二十一段

 養ひ飼ふものには、馬・牛。
 繋ツナぎ苦しむるこそいたましけれど、なくてかなはぬものなれば、いかゞはせん。
 犬は、守り防フセくつとめ人にもまさりたれば、必ずあるべし。
 されど、家毎イヘゴトにあるものなれば、殊更コトサラに求め飼はずともありなん。
 その外の鳥・獣ケダモノ、すべて用なきものなり。
 走る獣ケダモノは、檻ヲリにこめ、鎖をさゝれ、飛ぶ鳥は、翅ツバサを切り、籠に入れられて、雲を恋ひ、野山を思ふ愁ウレヘ、止む時なし。
 その思ひ、我が身にあたりて忍び難くは、心あらん人、これを楽しまんや。
 生シヨウを苦しめて目を喜ばしむるは、桀ケツ・紂チウが心なり。
 王ワウ子猷シイウが鳥を愛せし、林に楽しぶを見て、逍遙セウエウの友としき。
 捕へ苦しめたるにあらず。
 凡オヨそ、「珍らしき禽トリ、あやしき獣、国に育ヤシナはず」とこそ、文フミにも侍るなれ。

  第百二十二段

 人の才能サイノウは、文フミ明らかにして、聖ヒジリの教ヲシヘを知れるを第一とす。
 次には、手書く事、むねとする事はなくとも、これを習ふべし。
 学問に便タヨりあらんためなり。
 次に、医術を習ふべし。
 身を養ひ、人を助け、忠孝の務ツトメも、医にあらずはあるべからず。
 次に、弓射ユミイ、馬に乗る事、六芸リクゲイに出だせり。
 必ずこれをうかゞふべし。
 文ブン・武・医の道、まことに、欠けてはあるべからず。
 これを学ばんをば、いたづらなる人といふべからず。
 次に、食シヨクは、人の天なり。
 よく味アジはひを調トトノへ知れる人、大きなる徳とすべし。
 次に細工サイク、万ヨロヅに要エウ多し。
 この外の事ども、多能タノウは君子の恥づる処なり。
 詩歌シイカに巧タクみに、糸竹シチクに妙タエなるは幽玄イウゲンの道、君臣クンシンこれを重くすといへども、今の世には、これをもちて世を治むる事、漸ヤウヤくおろかになるに似たり。
 金コガネはすぐれたれども、鉄クロガネの益ヤク多きに及かざるが如し。

  第百二十三段

 無益ムヤクのことをなして時を移すを、愚かなる人とも、僻事ヒガコトする人とも言ふべし。
 国のため、君のために、止むことを得ずして為すべき事多し。
 その余りの暇イトマ、幾イクばくならず。
 思ふべし、人の身に止むことを得ずして営む所、第一に食ふ物、第二に着る物、第三に居る所なり。
 人間の大事、この三つには過ぎず。
 饑ゑず、寒からず、風雨に侵されずして、閑シズかに過スグすを楽しびとす。
 たゞし、人皆病ヤマイあり。
 病に冒されぬれば、その愁ウレヘ忍び難し。
 医療イレウを忘るべからず。
 薬を加へて、四つの事、求め得ざるを貧しとす。
 この四つ、欠けざるを富めりとす。
 この四つの外を求め営むを奢オゴりとす。
 四つの事倹約ケンヤクならば、誰タレの人か足らずとせん。

  第百二十四段

 是法ゼホフ法師は、浄土宗に恥ぢずといへども、学匠ガクシヤウを立てず、たゞ、明暮アケクレ念仏して、安らかに世を過スグす有様、いとあらまほし。

  第百二十五段

 人におくれて、四十九日シジフクニチの仏事ブツジに、或アル聖を請シヤウじ侍りしに、説法セツポフいみじくして、皆人涙を流しけり。
 導師ダウシ帰りて後、聴聞チヤウモンの人ども、「いつよりも、殊コトに今日ケフは尊タフトく覚え侍りつる」と感じ合へりし返事カヘリコトに、或者の云はく、「何とも候サウラへ、あれほど唐カラの狗イヌに似候ニサウラひなん上は」と言ひたりしに、あはれもさめて、をかしかりけり。
 さる、導師の讃めやうやはあるべき。
 また、「人に酒勧ススむるとて、己れ先づたべて、人に強ひ奉らんとするは、剣にて人を斬らんとするに似たる事なり。二方フタカタに刃つきたるものなれば、もたぐる時、先づ我が頭カシラを斬る故に、人をばえ斬らぬなり。己れ先づ酔ひて臥しなば、人はよも召さじ」と申しき。
 剣にて斬り試みたりけるにや。
 いとをかしかりき。

  第百二十六段

 「ばくちの、負極マケキハまりて、残りなく打ち入れんとせんにあひては、打つべからず。立ち返り、続けて勝つべき時の至れると知るべし。その時を知るを、よきばくちといふなり」と、或者アルモノ申しき。

  第百二十七段

 改めて益ヤクなき事は、改めぬをよしとするなり。
 改めて益なき事は、改めぬを力ヨリドコロとするなり。 正徹本
 改めて益なき事は、改めぬを心とするなり。 常縁本

  第百二十八段

 雅房マサフサノ大納言は、才ザエ賢く、よき人にて、大将にもなさばやと思オボしける比、院の近習キンジユなる人、「たゞ今、あさましき事を見侍りつ」と申されければ、「何事ぞ」と問はせ給ひけるに、「雅房卿、鷹タカに飼はんとて、生きたる犬の足を斬り侍りつるを、中墻ナカガキの穴より見侍りつ」と申されけるに、うとましく、憎く思オボしめして、日来ヒゴロの御気色ミケシキも違タガひ、昇進シヤウジンもし給はざりけり。
 さばかりの人、鷹を持たれたりけるは思はずなれど、犬の足は跡なき事なり。
 虚言ソラゴトは不便フビンなれども、かゝる事を聞かせ給ひて、憎ませ給ひける君の御心ミココロは、いと尊き事なり。
 大方オホカタ、生ける物を殺し、傷イタめ、闘タタカはしめて、遊び楽しまん人は、畜生残害チクシヤウサンガイの類タグイなり。
 万の鳥獣トリケダモノ、小さき虫までも、心をとめて有様アリサマを見るに、子を思ひ、親をなつかしくし、夫婦を伴トモナひ、嫉ネタみ、怒り、欲多く、身を愛し、命イノチを惜しめること、偏ヒトへに愚痴グチなる故に、人よりもまさりて甚ハナハだし。
 彼に苦しみを与へ、命を奪ウバはん事、いかでかいたましからざらん。
 すべて、一切イツサイの有情ウジヤウを見て、慈悲ジヒの心なからんは、人倫ジンリンにあらず。

  第百二十九段

 顔回グワンカイは、志ココロザシ、人に労ラウを施ホドコさじとなり。
 すべて、人を苦しめ、物を虐シヘタぐる事、賤しき民の志をも奪ふべからず。
 また、いときなき子を賺スカし、威オドし、言ひ恥ハヅかしめて、興ずる事あり。
 おとなしき人は、まことならねば、事にもあらず思へど、幼き心には、身に沁みて、恐ろしく、恥かしく、あさましき思ひ、まことに切セツなるべし。
 これを悩まして興ずる事、慈悲ジヒの心にあらず。
 おとなしき人の、喜び、怒り、哀しび、楽しぶも、皆虚妄コマウなれども、誰タレか実有ジツウの相サウに著ヂヤクせざる。
 身をやぶるよりも、心を傷イタましむるは、人を害ソコナふ事なほ甚ハナハだし。
 病を受くる事も、多くは心より受く。
 外より来る病は少し。
 薬を飲みて汗を求むるには、験シルシなきことあれども、一旦恥ぢ、恐るゝことあれば、必ず汗を流すは、心のしわざなりといふことを知るべし。
 凌雲リヨウウンの額ガクを書きて白頭ハクトウの人と成りし例タメシ、なきにあらず。

  第百三十段

 物に争はず、己れを枉げて人に従ひ、我が身を後ノチにして、人を先にするには及かず。
 万ヨロヅの遊びにも、勝負カチマケを好む人は、勝ちて興キョウあらんためなり。
 己れが芸のまさりたる事を喜ぶ。
 されば、負けて興なく覚オボゆべき事、また知られたり。
 我負けて人を喜ばしめんと思はば、更サラに遊びの興なかるべし。
 人に本意ホイなく思はせて我が心を慰めん事、徳に背ソムけり。
 睦ムツマしき中に戯タハブるゝも、人に計ハカり欺アザムきて、己れが智のまさりたる事を興とす。
 これまた、礼にあらず。
 されば、始め興宴キヨウエンより起りて、長き恨みを結ぶ類タグイ多し。
 これみな、争ひを好む失シツなり。
 人にまさらん事を思はば、たゞ学問して、その智を人に増さんと思ふべし。
 道を学ぶとならば、善に伐ホコらず、輩トモガラに争ふべからずといふ事を知るべき故なり。
 大きなる職をも辞し、利をも捨つるは、たゞ、学問の力なり。

  第百三十一段

 貧しき者は、財タカラをもッて礼とし、老いたる者は、力をもッて礼とす。
 己オノが分ブンを知りて、及ばざる時は速スミヤかに止むを、智といふべし。
 許さざらんは、人の誤りなり。
 分を知らずして強ひて励むは、己れが誤りなり。
 貧しくして分を知らざれば盗ヌスみ、力衰へて分を知らざれば病ヤマヒを受く。

  第百三十二段

 鳥羽トバの作道ツクリミチは、鳥羽殿建てられて後の号にはあらず。
 昔よりの名なり。
 元良親王モトヨシノシンノウ、元日グワンニチの奏賀ソウガの声、甚だ殊勝シユシヨウにして、大極殿ダイコクデンより鳥羽の作道まで聞えけるよし、李部リホウワウの記に侍るとかや。

  第百三十三段

 夜の御殿オトドは、東御枕ミマクラなり。
 大方オホカタ、東を枕として陽気ヤウキを受くべき故に、孔子も東首トウシユし給へり。
 寝殿シンデンのしつらひ、或アルヒは南枕、常ツネの事なり。
 白河シラカハノ院は、北首ホクシユに御寝ギヨシンなりけり。
 「北は忌む事なり。また、伊勢イセは南なり。太神宮ダイジングウの御方オンカタを御跡オンアトにせさせ給ふ事いかゞ」と、人申しけり。
 たゞし、太神宮の遥拝エウハイは、巽タウミに向はせ給ふ。
 南にはあらず。

  第百三十四段

 高倉院タカクラノヰンの法華堂ホツケダウの三昧僧ザンマイソウ、なにがしの律師リツシとかやいふもの、或時アルトキ、鏡を取りて、顔をつくづくと見て、我がかたちの見にくゝ、あさましき事余りに心うく覚えて、鏡さへうとましき心地しければ、その後ノチ、長く、鏡を恐れて、手にだに取らず、更に、人に交はる事なし。
 御堂ミダウのつとめばかりにあひて、籠コモり居たりと聞き侍りしこそ、ありがたく覚えしか。
 賢げなる人も、人の上をのみはかりて、己れをば知らざるなり。
 我を知らずして、外ホカを知るといふ理コトワリあるべからず。
 されば、己れを知るを、物知れる人といふべし。
 かたち醜ミニクけれども知らず。
 心の愚かなるをも知らず、芸の拙ツタナきをも知らず、身の数ならぬをも知らず、年の老いぬるをも知らず、病の冒ヲカすをも知らず、死の近き事をも知らず。
 行オコナふ道の至らざるをも知らず。
 身の上の非を知らねば、まして、外の譏ソシりを知らず。
 但し、かたちは鏡に見ゆ、年は数へて知る。
 我が身の事知らぬにはあらねど、すべきかたのなければ、知らぬに似たりとぞ言はまし。
 かたちを改め、齢ヨハヒを若くせよとにはあらず。
 拙きを知らば、何ぞ、やがて退シリゾかざる。
 老いぬと知らば、何ぞ、閑シヅかに居て、身を安くせざる。
 行ひおろかなりと知らば、何ぞ、茲コレを思ふこと茲にあらざる。
 すべて、人に愛楽アイゲウせられずして衆シユに交マジはるは恥ハヂなり。
 かたち見にくゝ、心おくれにして出で仕へ、無智ムチにして大才タイサイに交はり、不堪フカンの芸をもちて堪能カンノウの座に列ツラナり、雪の頭カシラを頂きて盛りなる人に並び、況イハんや、及ばざる事を望み、叶カナはぬ事を憂ウレへ、来キタらざることを待ち、人に恐れ、人に媚ぶるは、人の与アタふる恥にあらず、貪ムサボる心に引かれて、自ミヅカら身を恥かしむるなり。
 貪る事の止まざるは、命を終ふる大事ダイジ、今こゝに来れりと、確タシかに知らざればなり。

  第百三十五段

 資季スケスヱノ大納言入道とかや聞キコえける人、具氏宰相中将トモウヂサイシヤウチユウジヤウにあひて、「わぬしの問はれんほどのこと、何事ナニゴトなりとも答へ申さざらんや」と言はれければ、具氏、「いかゞ侍らん」と申されけるを、「さらば、あらがひ給へ」と言はれて、「はかばかしき事は、片端カタハシも学マネび知り侍らねば、尋ね申すまでもなし。何となきそゞろごとの中に、おぼつかなき事をこそ問ひ奉タテマツらめ」と申されけり。
 「まして、こゝもとの浅アサき事は、何事なりとも明アキらめ申さん」と言はれければ、近習キンジユの人々、女房なども、「興キヤウあるあらがひなり。同じくは、御前ゴゼンにて争はるべし。負けたらん人は、供御グゴをまうけらるべし」と定めて、御前にて召し合はせられたりけるに、具氏、「幼ヲサナくより聞き習ひ侍れど、その心知らぬこと侍り。『むまのきつりやう、きつにのをか、なかくぼれいり、くれんどう』と申す事は、如何イカなる心にか侍らん。承ウケタマハらん」と申されけるに、大納言入道、はたと詰ツマりて、「これはそゞろごとなれば、言ふにも足らず」と言はれけるを、「本モトより深き道は知り侍らず。そゞろごとを尋ね奉タテマツらんと定め申しつ」と申されければ、大納言入道、負マケになりて、所課シヨクワいかめしくせられたりけるとぞ。

  第百三十六段

 医師篤成クスシアツシゲ、故法皇コホフワウの御前ゴゼンに候ひて、供御グゴの参りけるに、「今参り侍る供御の色々を、文字モンジも功能クノウも尋ね下されて、そらに申し侍らば、本草ホンザウに御覧ゴランじ合はせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじ」と申しける時しも、六条故内府ロクデウノコダイフ参り給ひて、「有房アリフサ、ついでに物モノ習ひ侍らん」とて、「先づ、『しほ』といふ文字は、いづれの偏ヘンにか侍らん」と問はれたりけるに、「土偏ドヘンに候ふ」と申したりければ、「才ザエの程ホド、既にあらはれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしき所なし」と申されけるに、どよみに成りて、罷マカり出でにけり。

  第百三十七段

 花は盛サカりに、月は隈クマなきをのみ、見るものかは。
 雨に対ムカひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛ユクヘ知らぬも、なほ、あはれに情深し。
 咲きぬべきほどの梢コズエ、散り萎シヲれたる庭などこそ、見所ミドコロ多けれ。
 歌の詞書コトバガキにも、「花見ハナミにまかれりけるに、早く散り過ぎにければ」とも、「障サハる事ありてまからで」なども書けるは、「花を見て」と言へるに劣オトれる事かは。
 花の散り、月の傾カタブくを慕シタふ習ナラひはさる事なれど、殊コトにかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見所ミドコロなし」などは言ふめる。
 万ヨロヅの事も、始め・終りこそをかしけれ。
 男女ヲトコオンナの情ナサケも、ひとへに逢ひ見るをば言ふものかは。
 逢はで止みにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜を独ヒトり明し、遠き雲井クモヰを思ひやり、浅茅アサヂが宿に昔を偲シノぶこそ、色好イロコノむとは言はめ。
 望月モチヅキの隈なきを千里チサトの外ホカまで眺ナガめたるよりも、暁アカツキ近くなりて待ち出でたるが、いと心深ブカう青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる、木の間の影、うちしぐれたる村雲隠ムラグモガクれのほど、またなくあはれなり。
 椎柴シヒシバ・白樫シラカシなどの、濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身に沁みて、心あらん友もがなと、都恋ミヤココヒしう覚ゆれ。
 すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。
 春は家を立ち去らでも、月の夜は閨ネヤのうちながらも思へるこそ、いとたのもしうをかしけれ。
 よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまも等閑ナホザリなり。
 片田舎カタヰナカの人こそ、色こく、万はもて興ずれ。
 花の本モトには、ねぢより、立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌レンガして、果ハテは、大きなる枝、心なく折り取りぬ。
 泉イヅミには手足さし浸ヒタして、雪には下り立ちて跡アトつけなど、万の物、よそながら見ることなし。
 さやうの人の祭見しさま、いと珍メヅらかなりき。
 「見事ミゴトいと遅し。そのほどは桟敷サジキ不用フヨウなり」とて、奥なる屋にて、酒飲み、物食ひ、囲碁・双六など遊びて、桟敷には人を置きたれば、「渡り候ふ」と言ふ時に、おのおの肝潰キモツブるゝやうに争アラソひ走り上りて、落ちぬべきまで簾スダレ張り出でて、押し合ひつゝ、一事ヒトコトも見洩モラさじとまぼりて、「とあり、かゝり」と物毎モノゴトに言ひて、渡り過ぎぬれば、「また渡らんまで」と言ひて下りぬ。
 たゞ、物をのみ見んとするなるべし。
 都の人のゆゝしげなるは、睡ネブりて、いとも見ず。
 若く末々スヱズヱなるは、宮仕ヅカへに立ち居、人の後ウシロに侍ふは、様サマあしくも及びかゝらず、わりなく見んとする人もなし。
 何となく葵アフヒ懸け渡してなまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて寄する車どものゆかしきを、それか、かれかなど思ひ寄すれば、牛飼ウシカヒ・下部シモベなどの見知れるもあり。
 をかしくも、きらきらしくも、さまざまに行き交ふ、見るもつれづれならず。
 暮るゝほどには、立て並ナラべつる車ども、所トコロなく並みゐつる人も、いづかたへか行きつらん、程ホドなく稀マレに成りて、車どものらうがはしさも済みぬれば、簾スダレ・畳タタミも取り払ひ、目の前にさびしげになりゆくこそ、世の例タメシも思ひ知られて、あはれなれ。
 大路オホチ見たるこそ、祭見たるにてはあれ。
 かの桟敷サジキの前をこゝら行き交ふ人の、見知れるがあまたあるにて、知りぬ、世の人数もさのみは多からぬにこそ。
 この人皆失せなん後ノチ、我が身死ぬべきに定まりたりとも、ほどなく待ちつけぬべし。
 大きなる器ウツハモノに水を入れて、細き穴を明けたらんに、滴シタダること少スクナしといふとも、怠オコタる間なく洩りゆかば、やがて尽きぬべし。
 都の中ウチに多き人、死なざる日はあるべからず。
 一日に一人・二人のみならんや。
 鳥部野トリベノ・舟岡フナヲカ、さらぬ野山ノヤマにも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし。
 されば、棺ヒツギを鬻ヒサく者、作りてうち置くほどなし。
 若きにもよらず、強きにもよらず、思ひ懸けぬは死期シゴなり。
 今日ケフまで遁ノガれ来にけるは、ありがたき不思議なり。
 暫シバしも世をのどかには思ひなんや。
 継子立ママコダテといふものを双六スグロクの石にて作りて、立て並べたるほどは、取られん事いづれの石とも知らねども、数へ当てて一つを取りぬれば、その外は遁ノガれぬと見れど、またまた数ふれば、彼是間抜カレコレマヌき行くほどに、いづれも遁ノガれざるに似たり。
 兵ツハモノの、軍イクサに出づるは、死に近きことを知りて、家をも忘れ、身をも忘る。
 世を背ける草の庵イホリには、閑シヅかに水石スヰセキを翫モテアソびて、これを余所ヨソに聞くと思へるは、いとはかなし。
 閑かなる山の奥、無常の敵競カタキキホひ来キタらざらんや。
 その、死に臨ノゾめる事、軍イクサの陣ヂンに進めるに同じ。

  第百三十八段

 「祭過ぎぬれば、後ノチの葵アフヒ不用フヨウなり」とて、或人の、御簾ミスなるを皆取らせられ侍りしが、色イロもなく覚え侍りしを、よき人のし給ふ事なれば、さるべきにやと思ひしかど、周防内侍スハウノナイシが、
 かくれどもかひなき物はもろともにみすの葵の枯葉カレハなりけり
 と詠めるも、母屋モヤの御簾ミスに葵の懸カカりたる枯葉を詠めるよし、家イヘの集シフに書けり。
 古き歌の詞書コトバガキに、「枯れたる葵にさして遣ツカはしける」とも侍り。
 枕草子にも、「来しかた恋コヒしき物、枯れたる葵」と書けるこそ、いみじくなつかしう思ひ寄りたれ。
 鴨長明が四季物語シキノモノガタリにも、「玉垂タマダレに後ノチの葵は留トマりけり」とぞ書ける。
 己オノれと枯るゝだにこそあるを、名残ナゴリなく、いかゞ取り捨つべき。
 御帳ミチャウに懸カカれる薬玉クスダマも、九月九日ナガツキココノカ、菊に取り替へらるゝといへば、菖蒲シヤウブは菊の折ヲリまでもあるべきにこそ。
 枇杷皇太后宮ビハノクワウタイコウクウかくれ給ひて後ノチ、古き御帳の内ウチに、菖蒲・薬玉などの枯れたるが侍りけるを見て、「折ならぬ根をなほぞかけつる」と辨ベンの乳母メノトの言へる返事カヘリコトに、「あやめの草クサはありながら」とも、江侍従ゴウジジウが詠みしぞかし。

  第百三十九段

 家にありたき木は、松・桜。
 松は、五葉ゴエフもよし。
 花は、一重ヒトヘなる、よし。
 八重桜ヤヘザクラは、奈良の都にのみありけるを、この比ゴロぞ、世に多く成り侍るなる。
 吉野の花、左近サコンの桜、皆、一重ヒトヘにてこそあれ。
 八重桜は異様コトヤウのものなり。
 いとこちたく、ねぢけたり。
 植ゑずともありなん。
 遅桜オソザクラ、またすさまじ。
 虫の附きたるもむつかし。
 梅は、白き・薄紅梅ウスコウバイ
 一重なるが疾く咲きたるも、重カサなりたる紅梅の匂ひめでたきも、皆をかし。
 遅き梅は、桜に咲き合ひて、覚え劣り、気圧ケオされて、枝に萎シボみつきたる、心うし。
 「一重なるが、まづ咲きて、散りたるは、心疾く、をかし」とて、京極入道中納言キヤウゴクノニフダウチユウナゴンは、なほ、一重梅をなん、軒ノキ近く植ゑられたりける。
 京極の屋の南向きに、今も二本フタモト侍るめり。
 柳、またをかし。
 卯月ウヅキばかりの若楓ワカカヘデ、すべて、万ヨロヅの花・紅葉モミヂにもまさりてめでたきものなり。
 橘タチバナ・桂カツラ、いづれも、木はもの古り、大きなる、よし。
 草は、山吹ヤマブキ・藤フヂ・杜若カキツバタ・撫子ナデシコ
 池には、蓮ハチス
 秋の草は、荻ヲギ・薄ススキ・桔梗キチカウ・萩ハギ・女郎花ヲミナヘシ・藤袴フヂバカマ・紫苑シヲニ・吾木香ワレモカウ・刈萱カルカヤ・竜胆リンダウ・菊。
 黄菊キギクも。
 蔦ツタ・葛クズ・朝顔。
 いづれも、いと高からず、さゝやかなる、墻カキに繁シゲからぬ、よし。
 この外ホカの、世に稀マレなるもの、唐めきたる名の聞きにくゝ、花も見馴れぬなど、いとなつかしからず。
 大方オホカタ、何ナニも珍メヅらしく、ありがたき物は、よからぬ人のもて興ずる物なり。
 さやうのもの、なくてありなん。

  第百四十段

 身死して財タカラ残る事は、智者チシヤのせざる処トコロなり。
 よからぬ物蓄タクハへ置きたるもつたなく、よき物は、心を止めけんとはかなし。
 こちたく多かる、まして口惜クチヲし。
 「我こそ得め」など言ふ者どもありて、跡アトに争ひたる、様サマあし。
 後ノチは誰タレにと志ココロザす物あらば、生けらんうちにぞ譲ユヅるべき。
 朝夕アサユフなくて叶カナはざらん物こそあらめ、その外ホカは、何も持たでぞあらまほしき。

  第百四十一段

 悲田院尭蓮ヒデンヰンノゲウレン上人は、俗姓ゾクシヤウは三浦ミウラの某ナニガシとかや、双サウなき武者ムシヤなり。
 故郷フルサトの人キタの来りて、物語モノガタリすとて、「吾妻人アヅマウドこそ、言ひつる事は頼タノまるれ、都の人は、ことうけのみよくて、実マコトなし」と言ひしを、聖、「それはさこそおぼすらめども、己れは都に久しく住みて、馴れて見侍るに、人の心劣オトれりとは思ひ侍らず。なべて、心柔ヤハラかに、情ナサケある故に、人の言ふほどの事、けやけく否イナび難ガタくて、万ヨロヅえ言ひ放ハナたず、心弱くことうけしつ。偽イツハりせんとは思はねど、乏トモしく、叶カナはぬ人のみあれば、自オノヅカら、本意ホンイトホらぬ事多かるべし。吾妻人アヅマウドは、我が方カタなれど、げには、心の色なく、情ナサケおくれ、偏ヒトヘにすぐよかなるものなれば、始めより否イナと言ひて止みぬ。賑ニギはひ、豊ユタかなれば、人には頼まるゝぞかし」とことわられ侍りしこそ、この聖、声うち歪ユガみ、荒々アラアラしくて、聖教シヤウゲウの細やかなる理コトワリいと辨ワキマへずもやと思ひしに、この一言ヒトコトの後ノチ、心にくゝ成りて、多かる中ナカに寺をも住持ヂユウヂせらるゝは、かく柔ヤハラぎたる所ありて、その益ヤクもあるにこそと覚え侍りし。

  第百四十二段

 心なしと見ゆる者も、よき一言ヒトコトはいふものなり。
 ある荒夷アラエビスの恐しげなるが、かたへにあひて、「御子オコはおはすや」と問ひしに、「一人ヒトリも持ち侍らず」と答へしかば、「さては、もののあはれは知り給はじ。情ナサケなき御心ミココロにぞものし給ふらんと、いと恐し。子故ユヱにこそ、万のあはれは思ひ知らるれ」と言ひたりし、さもありぬべき事なり。
 恩愛オンナイの道ならでは、かゝる者の心に、慈悲ジヒありなんや。
 孝養ケウヤウの心なき者も、子持ちてこそ、親の志ココロザシは思ひ知るなれ。
 世を捨てたる人の、万にするすみなるが、なべて、ほだし多かる人の、万に諂ヘツラひ、望み深きを見て、無下ムゲに思ひくたすは、僻事ヒガコトなり。
 その人の心に成りて思へば、まことに、かなしからん親のため、妻子サイシのためには、恥ハヂをも忘れ、盗ヌスみもしつべき事なり。
 されば、盗人ヌスビトを縛イマシめ、僻事をのみ罪せんよりは、世の人の饑ゑず、寒からぬやうに、世をば行オコナはまほしきなり。
 人、恒ツネの産サンなき時は、恒の心なし。
 人、窮キハまりて盗みす。
 世治ヲサマらずして、凍餒トウタイの苦しみあらば、科トガの者絶ゆべからず。
 人を苦しめ、法ホフを犯さしめて、それを罪ツミなはん事、不便フビンのわざなり。
 さて、いかゞして人を恵メグむべきとならば、上カミの奢オゴり、費ツヒヤす所を止め、民を撫で、農を勧めば、下シモに利あらん事、疑ひあるべからず。
 衣食尋常イシヨクヨノツネなる上ウヘに僻事せん人をぞ、真マコトの盗人とは言ふべき。

  第百四十三段

 人の終焉シユウエンの有様アリサマのいみじかりし事など、人の語るを聞くに、たゞ、静かにして乱れずと言はば心にくかるべきを、愚オロかなる人は、あやしく、異コトなる相サウを語りつけ、言ひし言葉も振舞フルマヒも、己れが好む方カタに誉めなすこそ、その人の日来ヒゴロの本意ホンイにもあらずやと覚ゆれ。
 この大事ダイジは、権化ゴンゲの人も定サダむべからず。
 博学ハクガクの士も測ハカるべからず。
 己れ違タガふ所なくは、人の見聞くにはよるべからず。

  第百四十四段

 栂尾トガノヲの上人シヤウニン、道を過ぎ給ひけるに、河カハにて馬洗ふ男、「あしあし」と言ひければ、上人立ち止ドマりて、「あな尊タフトや。宿執開発シユクシフカイホツの人かな。阿字アジ阿字と唱トナふるぞや。如何イカなる人の御馬オンウマぞ。余りに尊タフトく覚オボゆるは」と尋ね給ひければ、「府生殿フシヤウドノの御馬に候ふ」と答へけり。
 「こはめでたき事かな。阿字本不生アジホンフシヤウにこそあンなれ。うれしき結縁ケチエンをもしつるかな」とて、感涙カンルヰを拭ノゴはれけるとぞ。

  第百四十五段

 御随身秦重躬ミズヰジンハダノシゲミ、北面の下野入道信願シモツケノニフダウシングワンを、「落馬ラクバの相サウある人なり。よくよく慎み給へ」と言ひけるを、いと真マコトしからず思ひけるに、信願、馬より落ちて死ににけり。
 道に長チヤウじぬる一言ヒトコト、神の如しと人思へり。
 さて、「如何イカなる相ぞ」と人の問ひければ、「極キハめて桃尻モモジリにして、沛艾ハイガイの馬を好みしかば、この相を負オホせ侍りき。何時イツかは申し誤りたる」とぞ言ひける。

  第百四十六段

 明雲座主メイウンザス、相者サウジヤにあひ給ひて、「己れ、もし兵杖ヒヤウヂヤウの難ナンやある」と尋ね給ひければ、相人サウニン、「まことに、その相おはします」と申す。
 「如何なる相ぞ」と尋ね給ひければ、「傷害シヤウガイの恐れおはしますまじき御身オンミにて、仮カリにも、かく思オボし寄りて、尋ね給ふ、これ、既スデに、その危アヤブみの兆キザシなり」と申しけり。
 果ハタして、矢に当りて失せ給ひにけり。

  第百四十七段

 灸治キウヂ、あまた所に成りぬれば、神事ジンジに穢ケガれありといふ事、近く、人の言ひ出イダせるなり。
 格式等キヤクシキトウにも見えずとぞ。

  第百四十八段

 四十以後シジフイゴの人、身に灸キフを加クハへて、三里サンリを焼かざれば、上気ジヤウキの事あり。
 必ず灸すべし。

  第百四十九段

 鹿茸ロクジヨウを鼻に当てて嗅ぐべからず。
 小チヒさき虫ありて、鼻より入りて、脳を食むと言へり。

  第百五十段

 能ノウをつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸イチゲイも習ひ得ることなし。
 未イマだ堅固ケンゴかたほなるより、上手ジヤウズの中に交りて、毀ソシり笑はるゝにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜タシナむ人、天性テンゼイ、その骨コツなけれども、道ミチになづまず、濫ミダりにせずして、年を送れば、堪能カンノウの嗜まざるよりは、終ツヒに上手の位クラヰに至り、徳たけ、人に許されて、双ナラビなき名を得る事なり。
 天下テンカのものの上手といへども、始めは、不堪フカンの聞キコえもあり、無下ムゲの瑕瑾カキンもありき。
 されども、その人、道の掟正オキテタダしく、これを重くして、放埒ハウラツせざれば、世の博士ハカセにて、万人バンニンの師となる事、諸道変シヨダウカハるべからず。

  第百五十一段

 或人アルヒトの云はく、年五十ゴジフになるまで上手に至らざらん芸ゲイをば捨つべきなり。
 励ハゲみ習ふべき行末ユクスヱもなし。
 老人ラウジンの事をば、人もえ笑はず。
 衆シュに交りたるも、あいなく、見ぐるし。
 大方オホカタ、万ヨロヅのしわざは止めて、暇イトマあるこそ、めやすく、あらまほしけれ。
 世俗の事に携タヅサはりて生涯を暮クラすは、下愚カグの人なり。
 ゆかしく覚オボえん事は、学び訊くとも、その趣オモムキを知りなば、おぼつかなからずして止むべし。
 もとより、望むことなくして止まんは、第一の事なり。
 写本云此段、本はみせけちなれども、私書之。

  第百五十二段

 西大寺静然サイダイジノジャウネン上人、腰屈カガまり、眉マユ白く、まことに徳たけたる有様アリサマにて、内裏ダイリへ参られたりけるを、西園寺内大臣殿サイヲンジノナイダイジンドノ、「あな尊タフトの気色ケシキや」とて、信仰シンガウの気色キシヨクありければ、資朝卿スケトモノキヤウ、これを見て、「年の寄りたるに候サウラふ」と申されけり。
 後日ゴニチに、尨犬ムクイヌのあさましく老いさらぼひて、毛げたるを曳かせて、「この気色ケシキタフトく見えて候ふ」とて、内府ダイフへ参らせられたりけるとぞ。

  第百五十三段

 為兼大納言入道タメカネノダイナゴンニフダウ、召し捕られて、武士どもうち囲カコみて、六波羅ロクハラへ率て行きければ、資朝卿スケトモノキヤウ、一条わたりにてこれを見て、「あな羨ウラヤまし。世にあらん思ひ出、かくこそあらまほしけれ」とぞ言はれける。

  第百五十四段

 この人、東寺トウジの門に雨宿アマヤドりせられたりけるに、かたは者どもの集アツマりゐたるが、手も足も捩ぢ歪ユガみ、うち反カヘりて、いづくも不具フグに異様コトヤウなるを見て、とりどりに類タグヒなき曲物クセモノなり、尤モツトも愛するに足れりと思ひて、目守マモり給ひけるほどに、やがてその興尽キヨウツきて、見にくゝ、いぶせく覚オボえければ、たゞ素直スナホに珍メヅらしからぬ物には如かずと思ひて、帰りて後ノチ、この間、植木を好みて、異様コトヤウに曲折キヨクセツあるを求めて、目を喜ヨロコばしめつるは、かのかたはを愛するなりけりと、興キヨウなく覚えければ、鉢に植ゑられける木ども、皆掘り捨てられにけり。
 さもありぬべき事なり。

  第百五十五段

 世に従シタガはん人は、先づ、機嫌キゲンを知るべし。
 序悪ツイデアしき事は、人の耳にも逆サカひ、心にも違タガひて、その事成らず。
 さやうの折節ヲリフシを心得ココロウべきなり。
 但タダし、病ヤマヒを受け、子生み、死ぬる事のみ、機嫌をはからず、序悪しとて止む事なし。
 生シヤウ・住ヂユウ・異・滅メツの移り変る、実マコトの大事は、猛タケき河カハの漲ミナギリり流るゝが如し。
 暫シバしも滞トドコホらず、直タダちに行ひゆくものなり。
 されば、真俗シンゾクにつけて、必ず果ハタし遂げんと思はん事は、機嫌を言ふべからず。
 とかくのもよひなく、足を踏み止トドむまじきなり。
 春暮れて後ノチ、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。
 春はやがて夏の気を催モヨホし、夏より既に秋は通カヨひ、秋は即スナハち寒くなり、十月は小春コハルの天気テンキ、草も青くなり、梅も蕾ツボみぬ。
 木の葉の落つるも、先づ落ちて芽ぐむにはあらず、下シタより萌キザしつはるに堪へずして落つるなり。
 迎ムカふる気、下に設けたる故に、待ちとる序甚ハナハだ速し。
 生・老ラウ・病ビヤウ・死の移り来キタる事、また、これに過ぎたり。
 四季は、なほ、定サダまれる序あり。
 死期シゴは序ツイデを待たず。
 死は、前よりしも来キタらず。
 かねて後ウシロに迫れり。
 人皆死ある事を知りて、待つことしかも急キフならざるに、覚えずして来る。
 沖の干潟遥ヒカタハルかなれども、磯イソより潮シホの満つるが如し。

  第百五十六段

 大臣ダイジンの大饗ダイキョウは、さるべき所を申マウし請けて行ふ、常ツネの事なり。
 宇治左大臣殿ウヂノサダイジンドノは、東トウ三条殿サンデウドノにて行はる。
 内裏ダイリにてありけるを、申されけるによりて、他所タシヨへ行幸ギヤウガウありけり。
 させる事の寄せなけれども、女院ニヨウヰンの御所など借り申す、故実コシツなりとぞ。

  第百五十七段

 筆を取れば物書かれ、楽器ガクキを取れば音を立てんと思ふ。
 盃サカヅキを取れば酒を思ひ、賽サイを取れば攤打たん事を思ふ。
 心は、必ず、事コトに触れて来る。
 仮にも、不善フゼンの戯タハブれをなすべからず。
 あからさまに聖教シヤウゲウの一句イツクを見れば、何となく、前後ゼンゴの文モンも見ゆ。
 卒爾ソツジにして多年タネンの非を改むる事もあり。
 仮に、今、この文を披ヒロげざらましかば、この事を知らんや。
 これ則ち、触るゝ所の益ヤクなり。
 心更サラに起らずとも、仏前ブツゼンにありて、数珠ジユズを取り、経キヤウを取らば、怠るうちにも善業自ゼンゴフオノヅカら修シユせられ、散乱サンランの心ながらも縄床ジヨウシヤウに座せば、覚えずして禅定成ゼンヂヤウナるべし。
 事・理もとより二つならず。
 外相ゲサウもし背かざれば、内証ナイシヨウ必ず熟す。
 強ひて不信を言ふべからず。
 仰アフぎてこれを尊タフトむべし。

  第百五十八段

 「盃サカヅキの底を捨つる事は、いかゞ心得たる」と、或アル人の尋ねさせ給ひしに、「凝当ギヤウダウと申し侍れば、底に凝りたるを捨つるにや候ふらん」と申し侍りしかば、「さにはあらず。魚道ギヨダウなり。流れを残して、口の附きたる所を滌ススぐなり」とぞ仰オホせられし。

  第百五十九段

 「みな結ムスびと言ふは、糸を結び重カサねたるが、蜷ミナといふ貝に似たれば言ふ」と、或やんごとなき人仰せられき。
 「にな」といふは誤アヤマリなり。

  第百六十段

 門モンに額懸ガクカくるを「打つ」と言ふは、よからぬにや。
 勘解由小路二品禅門カデノコウヂノニホンゼンモンは、「額懸くる」とのたまひき。
 「見物ケンブツの桟敷サジキ打つ」も、よからぬにや。
 「平張ヒラバリ打つ」などは、常の事なり。
 「桟敷構カマふる」など言ふべし。
 「護摩ゴマく」と言ふも、わろし。
 「修シユする」「護摩ゴマする」など言ふなり。
 「行法ギヤウボフも、法ホフの字を清みて言ふ、わろし。濁ニゴりて言ふ」と、清閑寺僧正セイガンジノソウジヤウオホせられき。
 常に言ふ事に、かゝる事のみ多し。

  第百六十一段

 花の盛サカりは、冬至トウジより百五十日とも、時正ジシヤウの後ノチ、七日ナヌカとも言へど、立春リツシユンより七十シチジフ五日ゴニチ、大様違オホヤウタガはず。

  第百六十二段

 遍照寺ヘンゼウジの承仕法師ジヨウジホフシ、池の鳥を日来ヒゴロ飼ひつけて、堂ダウの内まで餌を撒きて、戸一つ開けたれば、数も知らず入り籠コモりける後ノチ、己れも入りて、たて籠めて、捕トラへつゝ殺しけるよそほひ、おどろおどろしく聞キコえけるを、草刈る童ワラハ聞きて、人に告げければ、村の男ヲノコどもおこりて、入りて見るに、大雁オホカリどもふためき合へる中ナカに、法師交マジりて、打ち伏せ、捩ぢ殺しければ、この法師を捕トラへて、所トコロより使庁シチヤウへ出イダしたりけり。
 殺す所の鳥を頸クビに懸けさせて、禁獄キンゴクせられにけり。
 基俊モトトシノ大納言、別当ベツタウの時になん侍りける。

  第百六十三段

 太衝タイショウの「太タイ」の字、点打つ・打たずといふ事、陰陽オンヤウの輩トモガラ、相論サウロンの事ありけり。
 盛親入道モリチカニフダウ申し侍りしは、「吉平ヨシヒラが自筆の占文センモンの裏に書かれたる御記ギヨキ、近衛関白殿コノヱノクワンバクドノにあり。点打ちたるを書きたり」と申しき。

  第百六十四段

 世の人相逢アヒアふ時、暫シバラくも黙止モダする事なし。
 必ず言葉あり。
 その事を聞くに、多くは無益ムヤクの談ダンなり。
 世間セケンの浮説フセツ、人の是非ゼヒ、自他ジタのために、失シツ多く、得トク少し。
 これを語る時、互タガひの心に、無益ムヤクの事なりといふ事を知らず。

  第百六十五段

 吾妻アヅマの人の、都の人に交マジハり、都の人の、吾妻に行きて身を立て、また、本寺ホンジ・本山を離れぬる、顕密ケンミツの僧、すべて、我が俗ゾクにあらずして人に交れる、見ぐるし。

  第百六十六段

 人間の、営み合へるわざを見るに、春の日に雪仏ユキボトケを作りて、そのために金銀・珠玉シユギヨクの飾りを営イトナみ、堂ダウを建てんとするに似たり。
 その構カマへを待ちて、よく安置アンヂしてんや。
 人の命イノチありと見るほども、下シタより消ゆること雪の如くなるうちに、営み待つこと甚だ多し。

  第百六十七段

 一道イチダウに携タヅサはる人、あらぬ道の筵ムシロに臨みて、「あはれ、我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを」と言ひ、心にも思へる事、常のことなれど、よに悪ワロく覚ゆるなり。
 知らぬ道の羨ウラヤましく覚オボえば、「あな羨まし。などか習はざりけん」と言ひてありなん。
 我が智を取り出でて人に争ふは、角ツノある物の、角を傾カタブけ、牙キバある物の、牙を咬み出だす類タグヒなり。
 人としては、善に伐ホコらず、物と争はざるを徳とす。
 他に勝ることのあるは、大きなる失シツなり。
 品シナの高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖センゾの誉ホマレにても、人に勝れりと思へる人は、たとひ言葉に出でてこそ言はねども、内心ナイシンにそこばくの咎トガあり。
 慎ツツシみて、これを忘るべし。
 痴ヲコにも見え、人にも言ひ消たれ、禍ワザワヒをも招くは、たゞ、この慢心マンシンなり。
 一道にもまことに長チヤウじぬる人は、自ミヅカら、明らかにその非を知る故に、志ココロザシ常に満たずして、終ツイに、物に伐る事なし。

  第百六十八段

 年老いたる人の、一事イチジすぐれたる才ザエのありて、「この人の後ノチには、誰にか問はん」など言はるゝは、老オイの方人カタウドにて、生けるも徒イタヅらならず。
 さはあれど、それも廃スタれたる所のなきは、一生、この事にて暮れにけりと、拙ツタナく見ゆ。
 「今は忘れにけり」と言ひてありなん。
 大方は、知りたりとも、すゞろに言ひ散らすは、さばかりの才にはあらぬにやと聞え、おのづから誤りもありぬべし。
 「さだかにも辨ワキマへ知らず」など言ひたるは、なほ、まことに、道の主アルジとも覚えぬべし。
 まして、知らぬ事、したり顔ガホに、おとなしく、もどきぬべくもあらぬ人の言ひ聞かするを、「さもあらず」と思ひながら聞きゐたる、いとわびし。

  第百六十九段

 「何事ナニゴトの式シキといふ事は、後嵯峨ゴサガの御代ミヨまでは言はざりけるを、近きほどより言ふ詞コトバなり」と人の申し侍りしに、建礼門ケンレイモン院の右京大夫ウキヤウノダイブ、後鳥羽ゴトバノ院の御位オホンクラヰの後、また内裏住ウチズみしたる事を言ふに、「世の式シキも変カハりたる事はなきにも」と書きたり。
 此段、みせけち也。
 私書之。

  第百七十段

 さしたる事なくて人のがり行くは、よからぬ事なり。
 用ありて行きたりとも、その事果てなば、疾く帰るべし。
 久しく居たる、いとむつかし。
 人と向ムカひたれば、詞コトバ多く、身もくたびれ、心も閑シヅかならず、万の事障サハりて時を移す、互ひのため益ヤクなし。
 厭イトはしげに言はんもわろし。
 心づきなき事あらん折は、なかなか、その由ヨシをも言ひてん。
 同じ心に向はまほしく思はん人の、つれづれにて、「今暫シバし。今日ケフは心閑シヅかに」など言はんは、この限りにはあらざるべし。
 阮籍ゲンセキが青き眼マナコ、誰にもあるべきことなり。
 そのこととなきに、人の来りて、のどかに物語して帰りぬる、いとよし。
 また、文フミも、「久しく聞キコえさせねば」などばかり言ひおこせたる、いとうれし。

  第百七十一段

 貝カヒを覆オホふ人の、我が前なるをば措きて、余所ヨソを見渡して、人の袖ソデのかげ、膝の下まで目を配クバる間に、前なるをば人に覆オホはれぬ。
 よく覆ふ人は、余所までわりなく取るとは見えずして、近きばかり覆ふやうなれど、多く覆ふなり。
 碁盤ゴバンの隅に石を立てて弾くに、向ひなる石を目守マボりて弾くは、当らず、我が手許テモトをよく見て、こゝなる聖目ヒジリメを直スグに弾けば、立てたる石、必ず当る。
 万の事、外ホカに向きて求むべからず。
 たゞ、こゝもとを正しくすべし。
 清献公セイケンコウが言葉に、「好事カウジを行ギヤウじて、前程ゼンテイを問ふことなかれ」と言へり。
 世を保タモたん道も、かくや侍らん。
 内ウチを慎まず、軽カロく、ほしきまゝにして、濫ミダりなれば、遠き国必ず叛ソムく時、初めて謀ハカリコトを求む。
 「風に当り、湿シツに臥して、病を神霊に訴ふるは、愚かなる人なり」と医書に言へるが如し。
 目の前なる人の愁ウレヘを止め、恵みを施し、道を正しくせば、その化クワ遠く流れん事を知らざるなり。
 禹の行きて三苗サンベウを征セイせしも、師イクサを班カヘして徳を敷くには及かざりき。

  第百七十二段

 若き時は、血気ケツキ内に余り、心物モノに動きて、情欲ジヤウヨク多し。
 身を危アヤブめて、砕け易ヤスき事、珠タマを走らしむるに似たり。
 美麗ビレイを好みて宝を費ツヒヤし、これを捨てて苔コケの袂タモトに窶ヤツれ、勇イサめる心盛サカりにして、物と争ひ、心に恥ぢ羨ウラヤみ、好む所日々ヒビに定まらず、色に耽フケり、情ナサケにめで、行ひを潔イサギヨくして、百年モモトセの身を誤り、命を失へる例タメシ願はしくして、身の全マツタく、久しからん事をば思はず、好ける方に心ひきて、永き世語ヨガタりともなる。
 身を誤つ事は、若き時のしわざなり。
 老いぬる人は、精神衰へ、淡アハく疎オロソかにして、感じ動く所なし。
 心自オノヅカら静かなれば、無益ムヤクのわざを為さず、身を助けて愁ウレヘなく、人の煩ワヅラひなからん事を思ふ。
 老いて、智の、若きにまされる事、若くして、かたちの、老いたるにまされるが如し。

  第百七十三段

 小野小町ヲノノコマチが事、極キハめて定かならず。
 衰へたる様は、「玉造タマツクリ」と言ふ文フミに見えたり。
 この文、清行キヨユキが書けりといふ説あれど、高野大師カウヤノダイシの御作ゴサクの目録に入れり。
 大師は承和ジヨウワの初めにかくれ給へり。
 小町が盛りなる事、その後の事にや。
 なほおぼつかなし。

  第百七十四段

 小鷹コタカによき犬、大鷹オホタカに使ひぬれば、小鷹にわろくなるといふ。
 大ダイに附き小セウを捨つる理コトワリ、まことにしかなり。
 人事ニンジ多かる中に、道を楽タノしぶより気味キミ深きはなし。
 これ、実マコトの大事なり。
 一度、道を聞きて、これに志さん人、いづれのわざか廃スタれざらん、何事をか営まん。
 愚かなる人といふとも、賢き犬の心に劣らんや。

  第百七十五段

 世には、心得ぬ事の多きなり。
 ともある毎ゴトには、まづ、酒を勧めて、強ひ飲ませたるを興キヨウとする事、如何イカなる故とも心得ず。
 飲む人の、顔いと堪へ難ガタげに眉マユを顰ヒソめ、人目を測りて捨てんとし、逃げんとするを、捉トラへて引き止めて、すゞろに飲ませつれば、うるはしき人も、忽タチマちに狂人となりてをこがましく、息災ソクサイなる人も、目の前に大事の病者となりて、前後も知らず倒タフれ伏す。
 祝ふべき日などは、あさましかりぬべし。
 明くる日まで頭カシラ痛く、物食はず、によひ臥し、生シヤウを隔てたるやうにして、昨日の事覚えず、公オホヤケ・私ワタクシの大事を欠きて、煩ワヅラひとなる。
 人をしてかゝる目を見する事、慈悲ジヒもなく、礼儀にも背けり。
 かく辛カラき目に逢ひたらん人、ねたく、口惜しと思はざらんや。
 人の国にかゝる習ナラひあンなりと、これらになき人事にて伝へ聞きたらんは、あやしく、不思議に覚えぬべし。
 人の上ウヘにて見たるだに、心憂し。
 思ひ入りたるさまに、心にくしと見し人も、思ふ所なく笑ひのゝしり、詞コトバ多く、烏帽子エボシユガみ、紐外ヒモハヅし、脛ハギ高く掲げて、用意なき気色、日来ヒゴロの人とも覚えず。
 女は、額髪ヒタヒガミ晴れらかに掻きやり、まばゆからず、顔うちさゝげてうち笑ひ、盃サカヅキ持てる手に取り付き、よからぬ人は、肴サカナ取りて、口にさし当て、自らも食ひたる、様あし。
 声の限り出して、おのおの歌ひ舞ひ、年老いたる法師召し出されて、黒く穢キタナき身を肩抜ぎて、目も当てられずすぢりたるを、興じ見る人さへうとましく、憎し。
 或アルはまた、我が身いみじき事ども、かたはらいたく言ひ聞かせ、或は酔ひ泣きし、下シモざまの人は、罵り合ひ、争イサカひて、あさましく、恐ろし。
 恥ぢがましく、心憂き事のみありて、果ハテは、許さぬ物ども押し取りて、縁エンより落ち、馬ウマ・車クルマより落ちて、過アヤマチしつ。
 物にも乗らぬ際キハは、大路オホチをよろぼひ行きて、築泥ツイヒヂ・門カドの下などに向きて、えも言はぬ事どもし散らし、年トシ老い、袈裟ケサ掛けたる法師の、小童の肩を押オサへて、聞えぬ事ども言ひつゝよろめきたる、いとかはゆし。
 かゝる事をしても、この世も後の世も益ヤクあるべきわざならば、いかゞはせん、この世には過ち多く、財タカラを失ひ、病ヤマヒをまうく。
 百薬ヒヤクヤクの長とはいへど、万の病は酒よりこそ起れ。
 憂ウレヘ忘るといへど、酔ひたる人ぞ、過ぎにし憂さをも思ひ出でて泣くめる。
 後の世は、人の智恵を失ひ、善根ゼンゴンを焼くこと火の如くして、悪を増し、万の戒カイを破りて、地獄に堕つべし。
 「酒をとりて人に飲ませたる人、五百生が間、手なき者に生る」とこそ、仏は説き給ふなれ。
 かくうとましと思ふものなれど、おのづから、捨て難き折ヲリもあるべし。
 月の夜、雪の朝アシタ、花の本モトにても、心長閑ノドカに物語して、盃出イダしたる、万の興を添ふるわざなり。
 つれづれなる日、思ひの外に友の入り来て、とり行ひたるも、心慰ナグサむ。
 馴れ馴れしからぬあたりの御簾ミスの中ウチより、御果物・御酒ミキなど、よきやうなる気はひしてさし出されたる、いとよし。
 冬、狭セバき所にて、火にて物煎りなどして、隔てなきどちさし向ひて、多く飲みたる、いとをかし。
 旅の仮屋カリヤ、野山などにて、「御肴ミサカナ何がな」など言ひて、芝の上にて飲みたるも、をかし。
 いたう痛む人の、強ひられて少し飲みたるも、いとよし。
 よき人の、とり分きて、「今ひとつ。上少し」などのたまはせたるも、うれし。
 近づかまほしき人の、上戸ジヤウゴにて、ひしひしと馴れぬる、またうれし。
 さは言へど、上戸は、をかしく、罪許さるゝ者なり。
 酔ひくたびれて朝寝アサイしたる所を、主アルジの引き開けたるに、惑マドひて、惚れたる顔ながら、細き髻モトドリ差し出し、物も着あへず抱き持ち、ひきしろひて逃ぐる、掻取姿カイトリスガタの後手ウシロデ、毛生ひたる細脛ホソハギのほど、をかしく、つきづきし。

  第百七十六段

 黒戸クロドは、小松御門コマツノミカド、位クラヰに即かせ給ひて、昔、たゞ人にておはしましし時、まさな事ゴトせさせ給ひしを忘れ給はで、常に営ませ給ひける間なり。
 御薪ミカマギに煤ススけたれば、黒戸と言ふとぞ。

  第百七十七段

 鎌倉中書王カマクラノチユウシヨワウにて御鞠オンマリありけるに、雨降りて後、未だ庭の乾かざりければ、いかゞせんと沙汰サタありけるに、佐々木隠岐入道ササキノオキノニフダウ、鋸ノコギリの屑クヅを車に積みて、多く奉タテマツりたりければ、一庭ヒトニハに敷かれて、泥土デイトの煩ワヅラひなかりけり。
 「取り溜めけん用意、有難し」と、人感じ合へりけり。
 この事を或者アルモノの語り出でたりしに、吉田ヨシダノ中納言の、「乾き砂子スナゴの用意やはなかりける」とのたまひたりしかば、恥ハヅかしかりき。
 いみじと思ひける鋸の屑、賤イヤしく、異様コトヤウの事なり。
 庭の儀を奉行ブギヤウする人、乾き砂子を設マウくるは、故実コシツなりとぞ。

  第百七十八段

 或所の侍サブラヒども、内侍所ナイシドコロの御神楽ミカグラを見て、人に語るとて、「宝剣ホウケンをばその人ぞ持ち給ひつる」など言ふを聞きて、内なる女房の中に、「別殿ベツデンの行幸ギヤウガウには、昼御座ヒノゴザの御剣ギヨケンにてこそあれ」と忍びやかに言ひたりし、心にくかりき。
 その人、古き典侍ナイシノスケなりけるとかや。

  第百七十九段

 入宋ニツソウの沙門シヤモン、道眼ダウゲン上人、一切経イツサイキヤウを持来ヂライして、六波羅ロクハラのあたり、やけ野といふ所に安置アンヂして、殊コトに首楞厳経シユレウゴンキヤウを講カウじて、那蘭陀寺ナランダジと号カウす。
 その聖の申されしは、「那蘭陀寺は、大門ダイモン北向きなりと、江帥ガウゾツの説として言ひ伝えたれど、西域伝サイヰキデン・法顕伝ホツケンデンなどにも見えず、更サラに所見シヨケンなし。江帥は如何なる才学サイガクにてか申されけん、おぼつかなし。唐土タウドの西明寺サイミヤウジは、北向き勿論モチロンなり」と申しき。

  第百八十段

 さぎちやうは、正月ムツキに打ちたる毬杖ギチヤウを、真言シンゴン院より神泉苑シンゼンヱンへ出イダして、焼き上ぐるなり。
 「法成就ホフジヤウジユの池にこそ」と囃ハヤすは、神泉苑の池をいふなり。

  第百八十一段

 「『降れ降れ粉雪コユキ、たんばの粉雪』といふ事、米搗ヨネツき篩フルひたるに似たれば、粉雪といふ。『たンまれ粉雪』と言ふべきを、誤りて『たんばの』とは言ふなり。『垣や木の股マタに』と謡ウタふべし」と、或物アルモノ知り申しき。
 昔より言ひける事にや。
 鳥羽院幼ヲサナくおはしまして、雪の降るにかく仰オホせられける由ヨシ、讃岐典侍サヌキノスケが日記に書きたり。

  第百八十二段

 四条シデウ大納言隆親卿タカチカノキヤウ、乾鮭カラザケと言ふものを供御グゴに参らせられたりけるを、「かくあやしき物、参る様ヤウあらじ」と人の申しけるを聞きて、大納言、「鮭といふ魚ウオ、参らぬ事にてあらんにこそあれ、鮭サケの白乾シラボし、何条事ナデフゴトかあらん。鮎アユの白乾しは参らぬかは」と申されけり。

  第百八十三段

 人觝く牛をば角を截り、人喰ふ馬をば耳を截りて、その標シルシとす。
 標を附けずして人を傷ヤブらせぬるは、主ヌシの咎トガなり。
 人喰ふ犬をば養ヤシナひ飼ふべからず。
 これ皆、咎あり。
 律リツの禁イマシメなり。

  第百八十四段

 相模守時頼サガミノカミトキヨリの母ハハは、松下禅尼マツシタノゼンニとぞ申しける。
 守カミを入れ申さるゝ事ありけるに、煤ススけたる明アカリり障子の破ればかりを、禅尼、手づから、小刀コガタナして切り廻マハしつゝ張られければ、兄セウトの城介義景ジヤウノスケヨシカゲ、その日のけいめいして候サウラひけるが、「給はりて、某男ナニガシヲノコに張らせ候はん。さやうの事に心得たる者に候ふ」と申されければ、「その男、尼アマが細工によも勝マサり侍らじ」とて、なほ、一間ヒトマづゝ張られけるを、義景、「皆を張り替へ候はんは、遥ハルかにたやすく候ふべし。斑マダらに候ふも見苦しくや」と重ねて申されければ、「尼も、後ノチは、さはさはと張り替へんと思へども、今日ケフばかりは、わざとかくてあるべきなり。物は破れたる所ばかりを修理シユリして用モチゐる事ぞと、若き人に見習はせて、心づけんためなり」と申されける、いと有難アリガタかりけり。
 世を治ヲサむる道、倹約を本モトとす。
 女性ニヨシヤウなれども、聖人の心に通カヨへり。
 天下を保つほどの人を子にて持たれける、まことに、たゞ人ビトにはあらざりけるとぞ。

  第百八十五段

 城陸奥守泰盛ジヤウノムツノカミヤスモリは、双サウなき馬乗りなりけり。
 馬を引き出イダさせけるに、足を揃ソロへて閾シキミをゆらりと越ゆるを見ては、「これは勇イサめる馬なり」とて、鞍クラを置き換へさせけり。
 また、足を伸べて閾に蹴当ケアてぬれば、「これは鈍ニブくして、過アヤマちあるべし」とて、乗らざりけり。
 道を知らざらん人、かばかり恐れなんや。

  第百八十六段

 吉田ヨシダと申す馬乗りの申し侍りしは、「馬毎ウマゴトにこはきものなり。人の力争アラソふべからずと知るべし。乗るべき馬をば、先づよく見て、強き所、弱き所を知るべし。次に、轡クツワ・鞍クラの具に危アヤフき事やあると見て、心に懸カカる事あらば、その馬を馳すべからず。この用意を忘れざるを馬乗りとは申すなり。これ、秘蔵ヒサウの事なり」と申しき。

  第百八十七段

 万ヨロヅの道の人、たとひ不堪フカンなりといへども、堪能カンノウの非家ヒカの人に並ぶ時、必ず勝マサる事は、弛タユみなく慎ツツシみて軽々しくせぬと、偏ヒトへに自由ジイウなるとの等ヒトしからぬなり。
 芸能ゲイノウ・所作シヨサのみにあらず、大方オホカタの振舞フルマヒ・心遣ココロヅカひも、愚オロかにして慎めるは、得トクの本モトなり。
 巧タクみにして欲しきまゝなるは、失シツの本なり。

  第百八十八段

 或者アルモノ、子を法師ホフシになして、「学問して因果イングワの理コトワリをも知り、説経セツキヤウなどして世渡るたづきともせよ」と言ひければ、教ヲシヘのまゝに、説経師セツキヤウシにならんために、先づ、馬に乗り習ひけり。
 輿コシ・車クルマは持たぬ身の、導師に請シヤウぜられん時、馬など迎へにおこせたらんに、桃尻モモジリにて落ちなんは、心憂ココロウかるべしと思ひけり。
 次に、仏事ブツジの後ノチ、酒など勧むる事あらんに、法師の無下ムゲに能なきは、檀那ダンナすさまじく思ふべしとて、早歌サウカといふことを習ひけり。
 二つのわざ、やうやう境サカヒに入りければ、いよいよよくしたく覚えて嗜タシナみけるほどに、説経習うべき隙なくて、年寄りにけり。
 この法師のみにもあらず、世間セケンの人、なべて、この事あり。
 若きほどは、諸事シヨジにつけて、身を立て、大きなる道をも成ジヤウじ、能をも附き、学問をもせんと、行末ユクスヱ久しくあらます事ども心には懸けながら、世を長閑ノドカに思ひて打ち怠りつゝ、先づ、差し当りたる、目の前の事のみに紛マギれて、月日を送れば、事々コトゴト成す事なくして、身は老いぬ。
 終ツヒに、物の上手ジヤウズにもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔ゆれども取り返さるゝ齢ヨハヒならねば、走りて坂を下る輪の如くに衰オトロへ行く。
 されば、一生の中、むねとあらまほしからん事の中に、いづれか勝るとよく思ひ比べて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事イチジを励むべし。
 一日の中ウチ、一時イチジの中にも、数多アマタの事の来らん中に、少しも益ヤクの勝らん事を営みて、その外ホカをば打ち捨てて、大事ダイジを急ぐべきなり。
 何方イヅカタをも捨てじと心に取り持ちては、一事も成るべからず。
 例へば、碁を打つ人、一手ヒトテも徒イタヅらにせず、人に先立サキダちて、小セウを捨て大ダイに就くが如し。
 それにとりて、三つの石を捨てて、十トヲの石に就くことは易ヤスし。
 十を捨てて、十一に就くことは難カタし。
 一つなりとも勝マサらん方へこそ就くべきを、十まで成りぬれば、惜しく覚えて、多く勝らぬ石には換へ難ニクし。
 これをも捨てず、かれをも取らんと思ふ心に、かれをも得ず、これをも失ふべき道なり。
 京に住む人、急ぎて東山に用ありて、既に行き着きたりとも、西山に行きてその益ヤク勝るべき事を思ひ得たらば、門カドより帰りて西山へ行くべきなり。
 「此所ココまで来着キツきぬれば、この事をば先づ言ひてん。日を指さぬ事なれば、西山の事は帰りてまたこそ思ひ立ため」と思ふ故に、一時イチジの懈怠ケダイ、即スナハち一生の懈怠となる。
 これを恐るべし。
 一事を必ず成さんと思はば、他の事の破るゝをも傷イタむべからず、人の嘲アザケりをも恥づべからず。
 万事バンジに換へずしては、一イツの大事ダイジ成るべからず。
 人の数多アマタありける中にて、或者アルモノ、「ますほの薄ススキ、まそほの薄など言ふ事あり。渡辺ワタノベの聖、この事を伝へ知りたり」と語りけるを、登蓮トウレン法師、その座に侍りけるが、聞きて、雨の降りけるに、「蓑ミノ・笠カサやある。貸し給へ。かの薄の事習ひに、渡辺の聖のがり尋タヅね罷マカらん」と言ひけるを、「余アマりに物騒がし。雨止みてこそ」と人の言ひければ、「無下ムゲの事をも仰せらるゝものかな。人の命は雨の晴れ間をも待つものかは。我も死に、聖も失せなば、尋ね聞きてんや」とて、走り出でて行きつゝ、習ひ侍りにけりと申し伝へたるこそ、ゆゝしく、有難アリガタう覚ゆれ。
 「敏き時は、則ち功コウあり」とぞ、論語ロンゴと云ふ文フミにも侍るなる。
 この薄をいぶかしく思ひけるやうに、一大事の因縁インネンをぞ思ふべかりける。

  第百八十九段

 今日ケフはその事をなさんと思へど、あらぬ急ぎ先づ出で来て紛マギれ暮し、待つ人は障サハりありて、頼めぬ人は来たり。
 頼みたる方の事は違タガひて、思ひ寄らぬ道ばかりは叶カナひぬ。
 煩ワヅラはしかりつる事はことなくて、易ヤスかるべき事はいと心苦し。
 日々ヒビに過ぎ行くさま、予カネて思ひつるには似ず。
 一年ヒトトセの中ウチもかくの如し。
 一生の間アヒダもしかなり。
 予カネてのあらまし、皆違ひ行くかと思ふに、おのづから、違はぬ事もあれば、いよいよ、物は定め難し。
 不定フヂヤウと心得ぬるのみ、実マコトにて違はず。

  第百九十段

 妻といふものこそ、男ヲノコの持つまじきものなれ。
 「いつも独ヒトり住みにて」など聞くこそ、心にくけれ、「誰タレがしが婿ムコに成りぬ」とも、また、「如何なる女ヲンナを取り据ゑて、相アヒ住む」など聞きつれば、無下ムゲに心劣りせらるゝわざなり。
 殊コトなる事なき女をよしと思ひ定めてこそ添ひゐたらめと、苟イヤしくも推し測ハカられ、よき女ならば、らうたくしてぞ、あが仏ホトケと守りゐたらむ。
 たとへば、さばかりにこそと覚えぬべし。
 まして、家の内ウチを行オコナひ治めたる女、いと口惜クチヲし。
 子など出で来て、かしづき愛したる、心憂し。
 男なくなりて後、尼アマになりて年寄りたるありさま、亡き跡まであさまし。
 いかなる女なりとも、明暮添アケクレソひ見んには、いと心づきなく、憎ニクかりなん。
 女のためも、半空ナカゾラにこそならめ。
 よそながら時々通ひ住まんこそ、年月経ても絶えぬ仲らひともならめ。
 あからさまに来て、泊トマり居などせんは、珍らしかりぬべし。

  第百九十一段

 「夜に入りて、物の映えなし」といふ人、いと口をし。
 万のものの綺羅キラ・飾カザり・色ふしも、夜ヨルのみこそめでたけれ。
 昼は、ことそぎ、およすけたる姿スガタにてもありなん。
 夜は、きらゝかに、花やかなる装束シヤウゾク、いとよし。
 人の気色ケシキも、夜の火影ホカゲぞ、よきはよく、物言ひたる声も、暗くて聞きたる、用意ある、心にくし。
 匂ニホひも、ものの音も、たゞ、夜ぞひときはめでたき。
 さして殊コトなる事なき夜、うち更けて参れる人の、清げなるさましたる、いとよし。
 若きどち、心止トドめて見る人は、時をも分かぬものならば、殊に、うち解けぬべき折節ヲリフシぞ、褻・晴ハレなくひきつくろはまほしき。
 よき男ヲトコの、日暮れてゆするし、女ヲンナも、夜更くる程に、すべりつゝ、鏡カガミ取りて、顔などつくろひて出づるこそ、をかしけれ。

  第百九十二段

 神カミ・仏ホトケにも、人の詣マウでぬ日、夜ヨル参りたる、よし。

  第百九十三段

 くらき人の、人を測ハカりて、その智を知れりと思はん、さらに当アタるべからず。
 拙ツタナき人の、碁打つ事ばかりにさとく、巧タクみなるは、賢カシコき人の、この芸におろかなるを見て、己オノれが智に及ばずと定めて、万ヨロヅの道の匠タクミ、我が道を人の知らざるを見て、己れすぐれたりと思はん事、大きなる誤りなるべし。
 文字モンジの法師、暗証アンシヨウの禅師ゼンジ、互タガひに測りて、己れに如かずと思へる、共に当アタらず。
 己れが境界キヤウガイにあらざるものをば、争アラソふべからず、是非すべからず。

  第百九十四段

 達人タツジンの、人を見る眼マナコは、少しも誤アヤマる所あるべからず。
 例へば、或人の、世に虚言ソラゴトを構カマへ出イダして、人を謀ハカる事あらんに、素直スナホに、実マコトと思ひて、言ふまゝに謀らるゝ人あり。
 余りに深く信を起オコして、なほ煩ワヅラはしく、虚言を心得添ココロエソふる人あり。
 また、何ナニとしも思はで、心をつけぬ人あり。
 また、いさゝかおぼつかなく覚えて、頼むにもあらず、頼まずもあらで、案じゐたる人あり。
 また、実マコトしくは覚えねども、人の言ふ事なれば、さもあらんとて止みぬる人もあり。
 また、さまざまに推スイし、心得たるよしして、賢げにうちうなづき、ほゝ笑みてゐたれど、つやつや知らぬ人あり。
 また、推スイし出イダして、「あはれ、さるめり」と思ひながら、なほ、誤りもこそあれと怪しむ人あり。
 また、「異コトなるやうもなかりけり」と、手を拍ちて笑ふ人あり。
 また、心得たれども、知れりとも言はず、おぼつかなからぬは、とかくの事なく、知らぬ人と同じやうにて過ぐる人あり。
 また、この虚言の本意を、初めより心得て、少しもあざむかず、構カマへ出したる人と同じ心になりて、力を合はする人あり。
 愚者グシヤの中ウチの戯タハブれだに、知りたる人の前にては、このさまざまの得たる所、詞コトバにても、顔にても、隠れなく知られぬべし。
 まして、明らかならん人の、惑マドへる我等を見んこと、掌タナゴコロの上ウヘの物を見んが如し。
 但タダし、かやうの推し測りにて、仏法ブツポフまでをなずらへ言ふべきにはあらず。

  第百九十五段

 或人アルヒト、久我縄手コガナハテを通トホりけるに、小袖コソデに大口オホクチ着たる人、木造りの地蔵ヂザウを田の中の水におし浸して、ねんごろに洗ひけり。
 心得難ココロエガタく見るほどに、狩衣カリギヌの男二三人フタリミタリ出で来て、「こゝにおはしましけり」とて、この人を具して去にけり。
 久我内大臣コガノナイダイジン殿にてぞおはしける。
 尋常ヨノツネにおはしましける時は、神妙シンベウに、やんごとなき人にておはしけり。

  第百九十六段

 東大寺の神輿シンヨ、東寺の若宮ワカミヤより帰座キザの時、源氏の公卿クギヤウ参られけるに、この殿トノ、大将ダイシヤウにて先を追はれけるを、土御門相国ツチミカドノシヤウコク、「社頭シヤトウにて、警蹕ケイヒツいかゞ侍るべからん」と申されければ、「随身ズヰジンの振舞は、兵杖ヒヤウヂヤウの家が知る事に候」とばかり答へ給ひけり。
 さて、後に仰せられけるは、「この相国シヤウコク、北山抄ホクザンセウを見て、西宮セイキウの説をこそ知られざりけれ。眷属ケンゾクの悪鬼アクキ・悪神恐るゝ故に、神社にて、殊コトに先を追ふべき理あり」とぞ仰せられける。

  第百九十七段

 諸寺シヨジの僧のみにもあらず、定額ヂヤウガクの女孺ニヨジユといふ事、延喜式エンギシキに見えたり。
 すべて、数カズ定まりたる公人クニンの通号ツウガウにこそ。

  第百九十八段

 揚名介ヤウメイノスケに限らず、揚名目ヤウメイノサクワンといふものあり。
 政治要略セイジエウリヤクにあり。

  第百九十九段

 横川行宣法印ヨカハノギヤウセンホフインが申し侍りしは、「唐土タウドは呂リヨの国なり。律リツの音オンなし。和国ワコクは、単律タンリツの国にて、呂の音なし」と申しき。

  第二百段

 呉竹クレタケは葉細く、河竹カハタケは葉広し。
 御溝ミカハに近きは河竹、仁寿殿ジジユウデンの方カタに寄りて植ゑられたるは呉竹なり。

  第二百一段

 退凡タイボン・下乗ゲジヨウの卒都婆ソトバ、外ソトなるは下乗、内なるは退凡なり。

  第二百二段

 十月ジフグワツを神無月カミナヅキと言ひて、神事ジンジに憚るべきよしは、記したる物なし。
 本文モトフミも見えず。
 但し、当月タウゲツ、諸社シヨシヤの祭なき故に、この名あるか。
 この月、万の神達、太神宮ダイジングウに集り給ふなど言ふ説あれども、その本説ホンゼツなし。
 さる事ならば、伊勢イセには殊コトに祭月サイゲツとすべきに、その例もなし。
 十月、諸社の行幸ギヤウガウ、その例も多し。
 但し、多くは不吉の例なり。

  第二百三段

 勅勘チヨクカンの所に靫ユキ懸くる作法サホフ、今は絶えて、知れる人なし。
 主上シユシヤウの御悩ゴナウ、大方、世中ヨノナカの騒がしき時は、五条の天神に靫を懸けらる。
 鞍馬クラマに靫の明神ミヤウジンといふも、靫懸けられたりける神なり。
 看督長カドノヲサの負ひたる靫をその家に懸けられぬれば、人出で入らず。
 この事絶えて後、今の世には、封を著くることになりにけり。

  第二百四段

 犯人ボンニンを笞シモトにて打つ時は、拷器ガウキに寄せて結ひ附くるなり。
 拷器の様ヤウも、寄する作法も、今は、わきまへ知れる人なしとぞ。

  第二百五段

 比叡山ヒエノヤマに、大師勧請ダイシクワンジヤウの起請キシヤウといふ事は、慈恵僧正ジヱソウジヤウ書き始め給ひけるなり。
 起請文といふ事、法曹ハウサウにはその沙汰なし。
 古イニシヘの聖代、すべて、起請文につきて行はるゝ政マツリゴトはなきを、近代、この事流布ルフしたるなり。
 また、法令ハフリヤウには、水火に穢ケガれを立てず。
 入物イレモノには穢れあるべし。

  第二百六段

 徳大寺故大臣殿トクダイジノコオホイトノ、検非違使ケンビヰシの別当ベツタウの時、中門にて使庁シチヤウの評定ヒヤウジヤウ行はれける程ホドに、官人章兼クワンニンアキカネが牛放れて、庁の内へ入りて、大理ダイリの座の浜床ハマユカの上に登りて、にれうちかみて臥したりけり。
 重き怪異ケイなりとて、牛を陰陽師オンヤウジの許モトへ遣すべきよし、各々オノオノ申しけるを、父の相国シヤウコク聞き給ひて、「牛に分別フンベツなし。足あれば、いづくへか登らざらん。ワウ弱ジヤクの官人、たまたま出仕シユツシの微牛ビギウを取らるべきやうなし」とて、牛をば主に返して、臥したりける畳をば換へられにけり。
 あへて凶事キヤウジなかりけるとなん。
 「怪しみを見て怪しまざる時は、怪しみかへりて破る」と言へり。

  第二百七段

 亀山殿カメヤマドノ建てられんとて地を引かれけるに、大きなる蛇クチナハ、数も知らず凝り集りたる塚ありけり。
 「この所の神なり」と言ひて、事の由ヨシを申しければ、「いかゞあるべき」と勅問チヨクモンありけるに、「古くよりこの地を占めたる物ならば、さうなく掘り捨てられ難し」と皆人ミナヒト申されけるに、この大臣オトド、一人、「王土ワウドにをらん虫、皇居クワウキヨを建てられんに、何の祟タタりをかなすべき。鬼神キシンはよこしまなし。咎トガむべからず。たゞ、皆掘り捨つべし」と申されたりければ、塚を崩クヅして、蛇をば大井河に流してンげり。
 さらに祟りなかりけり。

  第二百八段

 経文キヤウモンなどの紐ヒモを結ふに、上下カミシモよりたすきに交チガへて、二筋フタスヂの中よりわなの頭カシラを横様ヨコサマに引き出イダす事は、常の事なり。
 さやうにしたるをば、華厳院弘舜ケゴンインノコウシユン僧正、解きて直させけり。
 「これは、この比様ゴロヤウの事なり。いとにくし。うるはしくは、たゞ、くるくると巻きて、上より下へ、わなの先を挟サシハサむべし」と申されけり。
 古き人にて、かやうの事知れる人になん侍りける。
 是はみせけち也。
 私書之。

  第二百九段

 人の田を論ずる者、訴ウツタへに負けて、ねたさに、「その田を刈りて取れ」とて、人を遣ツカハしけるに、先づ、道すがらの田をさへ刈りもて行くを、「これは論じ給ふ所にあらず。いかにかくは」と言ひければ、刈る者ども、「その所とても刈るべき理なけれども、僻事ヒガコトせんとて罷マカる者なれば、いづくをか刈らざらん」とぞ言ひける。
 理、いとをかしかりけり。

  第二百十段

 「喚子鳥ヨブコドリは春のものなり」とばかり言ひて、如何イカなる鳥ともさだかに記せる物なし。
 或真言アルシンゴン書の中に、喚子鳥鳴く時、招魂セウコンの法をば行ふ次第シダイあり。
 これは鵺ヌエなり。
 万葉集の長歌ナガウタに、「霞カスミ立つ、長き春日ハルヒの」など続けたり。
 鵺鳥も喚子鳥のことざまに通カヨいて聞キコゆ。

  第二百十一段

 万ヨロヅの事は頼むべからず。
 愚かなる人は、深く物を頼む故に、恨み、怒イカる事あり。
 勢イキホひありとて、頼むべからず。
 こはき者先づ滅ぶ。
 財タカラ多しとて、頼むべからず。
 時の間に失ひ易し。
 才ザエありとて、頼むべからず。
 孔子も時に遇はず。
 徳ありとて、頼むべからず。
 顔回グワンカイも不幸なりき。
 君キミの寵チョウをも頼むべからず。
 誅チウを受くる事速スミヤかなり。
 奴ヤツコ従へりとて、頼むべからず。
 背ソムき走る事あり。
 人の志ココロザシをも頼むべからず。
 必ず変ヘンず。
 約ヤクをも頼むべからず。
 信シンある事少し。
 身をも人をも頼まざれば、是なる時は喜び、非なる時は恨みず。
 左右サウ広ければ、障サハらず、前後遠ゼンゴトホければ、塞フサがらず。
 狭セバき時は拉ヒシげ砕クダく。
 心を用ゐる事少スコしきにして厳キビしき時は、物に逆サカひ、争ひて破る。
 緩ユルくして柔ヤハラかなる時は、一毛イチマウも損せず。
 人は天地の霊なり。
 天地は限る所なし。
 人の性シヤウ、何ぞ異コトならん。
 寛大クワンダイにして極まらざる時は、喜怒キドこれに障らずして、物のために煩ワヅラはず。

  第二百十二段

 秋の月は、限りなくめでたきものなり。
 いつとても月はかくこそあれとて、思ひ分かざらん人は、無下ムゲに心うかるべき事なり。

  第二百十三段

 御前ゴゼンの火炉クワロに火を置く時は、火箸ヒバシして挟ハサむ事なし。
 土器カハラケより直タダちに移すべし。
 されば、転コロび落ちぬやうに心得て、炭を積むべきなり。
 八幡ヤハタの御幸ゴカウに、供奉グブの人、浄衣ジヤウエを着て、手にて炭をさゝれければ、或有職アルイウシヨクの人、「白き物を着たる日は、火箸を用ゐる、苦しからず」と申されけり。

  第二百十四段

 想夫恋サウフレンといふ楽ガクは、女ヲンナ、男ヲトコを恋ふる故の名にはあらず、本モトは相府蓮サウフレン、文字モンジの通へるなり。
 晋シンの王倹ワウケン、大臣ダイジンとして、家に蓮ハチスを植ゑて愛せし時の楽なり。
 これより、大臣を蓮府レンプといふ。
 廻忽クワイコツも廻鶻クワイコツなり。
 廻鶻国とて、夷エビスのこはき国あり。
 その夷、漢カンに伏フクして後に、来りて、己れが国の楽を奏せしなり。

  第二百十五段

 平宣時朝臣タヒラノノブトキアツソン、老オイの後、昔語ムカシガタリに、「最明寺入道サイミヤウジノニフダウ、或宵アルヨヒの間に呼ばるゝ事ありしに、『やがて』と申しながら、直垂ヒタタレのなくてとかくせしほどに、また、使ツカヒ来りて、『直垂などの候はぬにや。夜なれば、異様コトヤウなりとも、疾く』とありしかば、萎えたる直垂、うちうちのまゝにて罷マカりたりしに、銚子テウシに土器カハラケ取り添へて持て出でて、『この酒を独りたうべんがさうざうしければ、申しつるなり。肴サカナこそなけれ、人は静まりぬらん、さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へ』とありしかば、紙燭シソクさして、隈々クマグマを求めし程に、台所の棚に、小土器に味噌ミソの少し附きたるを見出ミイでて、『これぞ求め得て候ふ』と申ししかば、『事コト足りなん』とて、心よく数献スコンに及びて、興キョウに入られ侍りき。
 その世には、かくこそ侍りしか」と申されき。

  第二百十六段

 最明寺入道サイミヤウジノニフダウ、鶴岡ツルガヲカの社参シヤサンの次ツイデに、足利左馬入道アシカガノサマノニフダウの許モトへ、先づ使ツカヒを遣して、立ち入られたりけるに、あるじまうけられたりける様ヤウ、一献イツコンに打ち鮑アハビ、二献ニコンに海老、三献サンコンにかいもちひにて止みぬ。
 その座には、亭主夫婦、隆辨リユウベン僧正、主方アルジカタの人にて座せられけり。
 さて、「年毎に給はる足利の染物ソメモノ、心もとなく候ふ」と申されければ、「用意し候ふ」とて、色々の染物三十、前にて、女房どもに小袖コソデに調テウぜさせて、後に遣されけり。
 その時見たる人の、近くまで侍りしが、語り侍りしなり。

  第二百十七段

 或大福長者アルダイフクチヤウジヤの云はく、「人は、万ヨロヅをさしおきて、ひたふるに徳をつくべきなり。貧しくては、生けるかひなし。富めるのみを人とす。徳をつかんと思はば、すべからく、先づ、その心遣ココロヅカひを修行すべし。その心と云ふは、他の事にあらず。人間常住ジヤウヂユウの思ひに住して、仮にも無常を観クワンずる事なかれ。これ、第一の用心なり。次に、万事の用を叶カナふべからず。人の世にある、自他につけて所願無量シヨグワンムリヤウなり。欲に随シタガひて志を遂げんと思はば、百万の銭ありといふとも、暫シバラくも住すべからず。所願シヨグワンは止む時なし。財タカラは尽くる期あり。限りある財をもちて、限りなき願ひに随ふ事、得べからず。所願心に萌キザす事あらば、我を滅すべき悪念来アクネンキタれりと固く慎ツツシみ恐れて、小要セウエウをも為すべからず。次に、銭を奴ヤツコの如くして使ひ用ゐる物と知らば、永く貧苦ヒンクを免マヌカるべからず。君の如く、神の如く畏オソれ尊タフトみて、従へ用ゐる事なかれ。次に、恥ハヂに臨むといふとも、怒り恨むる事なかれ。次に、正直シヤウヂキにして、約ヤクを固くすべし。この義を守マボりて利を求めん人は、富トミの来る事、火の燥カワけるに就き、水の下クダれるに随ふが如くなるべし。銭積ツモりて尽きざる時は、宴飲エンイン・声色セイシヨクを事コトとせず、居所キヨシヨを飾らず、所願を成ジヤウぜざれども、心とこしなへに安く、楽し」と申しき。
 そもそも、人は、所願を成ぜんがために、財ザイを求む。
 銭を財とする事は、願ひを叶ふるが故なり。
 所願あれども叶へず、銭あれども用ゐざらんは、全く貧者ヒンジヤと同じ。
 何をか楽しびとせん。
 この掟オキテは、たゞ、人間の望みを断ちて、貧を憂ウレふべからずと聞えたり。
 欲を成ジヤウじて楽しびとせんよりは、如かじ、財なからんには。
 癰ヨウ・疽を病む者、水に洗ひて楽しびとせんよりは、病まざらんには如かじ。
 こゝに至りては、貧ヒン・富く所なし。
 究竟クキヤウは理即リソクに等し。
 大欲タイヨクは無欲に似たり。

  第二百十八段

 狐キツネは人に食ひつくものなり。
 堀川ホリカハ殿にて、舎人トネリが寝たる足を狐に食はる。
 仁和寺ニンナジにて、夜ヨル、本寺ホンジの前を通る下法師シモボフシに、狐三つ飛びかゝりて食ひつきければ、刀カタナを抜きてこれを防ぐ間、狐二疋ヒキを突く。
 一つは突き殺しぬ。
 二つは逃げぬ。
 法師は、数多所アマタトコロ食はれながら、事故コトユヱなかりけり。

  第二百十九段

 四条黄門シデウノクワウモン命ぜられて云はく、「竜秋タツアキは、道にとりては、やんごとなき者なり。先日センジツ来りて云はく、『短慮タンリヨの至り、極めて荒涼クワウリヤウの事なれども、横笛ヨコブエの五の穴は、聊イササかいぶかしき所の侍るかと、ひそかにこれを存ゾンず。その故は、干カンの穴は平調ヒヤウデウ、五の穴は下無調シモムデウなり。その間に、勝絶調シヨウゼツデウを隔てたり。上ジヤウの穴、双調サウデウ。次に、鳧鐘調フシヨウデウを置きて、夕サクの穴、黄鐘調ワウジキデウなり。その次に鸞鏡調ランケイデウを置きて、中チユウの穴、盤渉調バンシキデウ、中と六とのあはひに、神仙調シンセンデウあり。かやうに、間々ママに皆一律イチリツをぬすめるに、五の穴のみ、上の間に調子を持たずして、しかも、間を配る事等ヒトしき故に、その声不快フクワイなり。されば、この穴を吹く時は、必ずのく。のけあへぬ時は、物に合はず。吹き得る人難カタし』と申しき。料簡レウケンの至り、まことに興あり。先達センダチ、後生コウセイを畏オソると云ふこと、この事なり」と侍りき。
 他日タジツに、景茂カゲモチが申し侍りしは、「笙シヤウは調べおほせて、持ちたれば、たゞ吹くばかりなり。笛フエは、吹きながら、息のうちにて、かつ調べもてゆく物なれば、穴毎ゴトに、口伝クデンの上に性骨シヤウコツを加へて、心を入るゝこと、五の穴のみに限らず。偏ヒトヘに、のくとばかりも定むべからず。あしく吹けば、いづれの穴も心よからず。上手ジヤウズはいづれをも吹き合はす。呂律リヨリツの、物に適カナはざるは、人の咎トガなり。器ウツハモノの失シツにあらず」と申しき。

  第二百二十段

 「何事も、辺土ヘンドは賤しく、かたくななれども、天王寺テンワウジの舞楽ブガクのみ都ミヤコに恥ぢず」と云ふ。
 天王寺の伶人レイジンの申し侍りしは、「当寺タウジの楽ガクは、よく図を調べ合はせて、ものの音のめでたく調トトノホり侍る事、外ホカよりもすぐれたり。故は、太子タイシの御時オントキの図、今に侍るを博士ハカセとす。いはゆる六時ロクジ堂の前の鐘なり。その声、黄鐘調ワウジキデウの最中モナカなり。寒カン・暑シヨに随シタガひて上アガり・下サガりあるべき故に、二月涅槃会ニグワツネハンヱより聖霊会シヤウリヤウヱまでの中間チユウゲンを指南シナンとす。秘蔵ヒサウの事なり。この一調子イツテウシをもちて、いづれの声をも調へ侍るなり」と申しき。
 凡オヨそ、鐘の声は黄鐘調なるべし。
 これ、無常の調子、祇園精舎ギヲンシヤウジヤの無常院ムジヤウヰンの声なり。
 西園寺サイヲンジの鐘、黄鐘調に鋳らるべしとて、数多度アマタタビ鋳かへられけれども、叶カナはざりけるを、遠国ヲンゴクより尋ね出されけり。
 浄金剛ジヤウコンガウ院の鐘の声、また黄鐘調なり。

  第二百二十一段

 「建治ケンヂ・弘安コウアンの比は、祭マツリの日の放免ハウベンの附物ツケモノに、異様コトヤウなる紺の布四五反シゴタンにて馬を作りて、尾・髪には燈心トウジミをして、蜘蛛クモの網きたる水干スヰカンに附けて、歌の心など言ひて渡りし事、常に見及ミオヨび侍りしなども、興キョウありてしたる心地にてこそ侍りしか」と、老いたる道志ダウシどもの、今日ケフも語り侍るなり。
 この比は、附物ツケモノ、年を送りて、過差クワサコトの外ホカになりて、万ヨロヅの重き物を多く附けて、左右サウの袖ソデを人に持たせて、自ミヅカらは鉾ホコをだに持たず、息づき、苦しむ有様、いと見苦し。

  第二百二十二段

 竹谷乗願房タケダニノジヨウグワンボウ、東二乗院トウニデウノヰンへ参られたりけるに、「亡者マウジヤの追善ツヰゼンには、何事か勝利シヨウリ多き」と尋タヅねさせ給ひければ、「光明真言クワウミヤウシンゴン・宝篋印陀羅尼ホウケウインダラニ」と申されたりけるを、弟子ども、「いかにかくは申し給ひけるぞ。念仏ネンブツに勝る事候ふまじとは、など申し給はぬぞ」と申しければ、「我が宗シユウなれば、さこそ申さまほしかりつれども、正しく、称名ショウミャウを追福ブクに修シユして巨益コヤクあるべしと説ける経文を見及ばねば、何に見えたるぞと重カサねて問はせ給はば、いかゞ申さんと思ひて、本経ホンギョウの確かなるにつきて、この真言・陀羅尼をば申しつるなり」とぞ申されける。

  第二百二十三段

 鶴タヅの大臣殿オホイトノは、童名ワラハナ、たづ君ギミなり。
 鶴を飼ひ給ひける故にと申すは、僻事ヒガコトなり。

  第二百二十四段

 陰陽師有宗入道オンヤウジアリムネニフダウ、鎌倉より上ノボりて、尋タヅねまうで来りしが、先づさし入りて、「この庭のいたすらに広きこと、あさましく、あるべからぬ事なり。道を知る者は、植うる事を努ツトむ。細道ホソミチ一つ残して、ミナ皆、畠ハタケに作り給へ」と諌イサめ侍りき。
 まことに、少しの地をもいたづらに置かんことは、益ヤクなき事なり。
 食ふ物・薬種ヤクシユなど植ゑ置くべし。

  第二百二十五段

 多久資オホノヒサスケが申しけるは、通憲入道ミチノリニフダウ、舞マヒの手の中ナカに興キョウある事どもを選びて、磯イソの禅師ゼンジといひける女に教へて舞はせけり。
 白き水干スヰカンに、鞘巻サウマキを差させ、烏帽子エボシを引き入れたりければ、男舞ヲトコマヒとぞ言ひける。
 禅師が娘ムスメ、静シヅカと言ひける、この芸を継げり。
 これ、白拍子シラビヤウシの根元コンゲンなり。
 仏神ブツジンの本縁ホンエンを歌ふ。
 その後、源光行ミツユキ、多くの事を作れり。
 御鳥羽院の御作ゴサクもあり、亀菊カメギクに教へさせ給ひけるとぞ。

  第二百二十六段

 後鳥羽院ゴトバノヰンの御時オントキ、信濃前司行長シナノノゼンジユキナガ、稽古ケイコの誉ホマレありけるが、楽府ガフの御論議ミロンギの番バンに召されて、七徳シチトクの舞マイを二つ忘れたりければ、五徳ゴトクの冠者クワンジヤと異名イミヤウを附きにけるを、心憂き事にして、学問を捨てて遁世トンゼイしたりけるを、慈鎮和尚ヂチンクワシヤウ、一芸イチゲイある者をば、下部シモベまでも召し置きて、不便フビンにせさせ給ひければ、この信濃入道を扶持フチし給ひけり。
 この行長入道、平家物語ヘイケノモノガタリを作りて、生仏シヤウブツといひける盲目マウモクに教へて語らせけり。
 さて、山門サンモンの事を殊にゆゝしく書けり。
 九郎判官クラウハングワンの事は委クハしく知りて書き載せたり。
 蒲冠者カバノクワンジヤの事はよく知らざりけるにや、多くの事どもを記シルし洩らせり。
 武士の事、弓馬キウバの業ワザは、生仏、東国トウゴクの者にて、武士に問ひ聞きて書かせけり。
 かの生仏が生ウマれつきの声を、今の琵琶ビハ法師は学びたるなり。

  第二百二十七段

 六時礼讃ロクジライサンは、法然上人ホフネンシヤウニンの弟子、安楽アンラクといひける僧、経文キヤウモンを集めて作りて、勤ツトめにしけり。
 その後、太秦善観房ウヅマサノゼンクワンボウといふ僧、節博士フシハカセを定めて、声明シヤウミヤウになせり。
 一念イチネンの念仏の最初なり。
 御嵯峨ゴサガノ院の御代ミヨより始まれり。
 法事讃ホフジサンも、同じく、善観房始めたるなり。
 是にもみせけし也。

  第二百二十八段

 千本の釈迦念仏シヤカネンブツは、文永ブンエイの比、如輪ニヨリン上人、これを始められけり。

  第二百二十九段

 よき細工サイクは、少し鈍き刀カタナを使ふと言ふ。
 妙観メウクワンが刀はいたく立たず。

  第二百三十段

 五条内裏ゴデウノダイリには、妖物バケモノありけり。
 藤大納言殿語トウノダイナゴンドノられ侍りしは、殿上人テンジヤウビトども、黒戸クロドにて碁を打ちけるに、御簾ミスを掲げて見るものあり。
 「誰そ」と見向きたれば、狐、人のやうについゐて、さし覗ノゾきたるを、「あれ狐よ」とどよまれて、惑マドひ逃げにけり。
 未練ミレンの狐、化け損じけるにこそ。
 是も二本は有之

  第二百三十一段

 園ソノの別当入道ベツタウニフダウは、さうなき庖丁者ホウチヤウジヤなり。
 或人の許モトにて、いみじき鯉コヒを出だしたりければ、皆人ミナヒト、別当入道の庖丁を見ばやと思へども、たやすくうち出でんもいかゞとためらひけるを、別当入道、さる人にて、「この程ホド、百日ヒヤクニチの鯉を切り侍るを、今日ケフき侍るべきにあらず。枉げて申し請けん」とて切られける、いみじくつきづきしく、興ありて人ども思へりけると、或人、北山太政入道キタヤマノダイジヤウニフダウ殿に語り申されたりければ、「かやうの事、己オノれはよにうるさく覚ゆるなり。『切りぬべき人なくは、給べ。切らん』と言ひたらんは、なほよかりなん。何条ナデウ、百日の鯉を切らんぞ」とのたまひたりし、をかしく覚えしと人の語り給ひける、いとをかし。
 大方オホカタ、振舞フルマひて興あるよりも、興なくてやすらかなるが、勝りたる事なり。
 客人マレビトの饗応キヤウオウなども、ついでをかしきやうにとりなしたるも、まことによけれども、たゞ、その事となくてとり出でたる、いとよし。
 人に物を取らせたるも、ついでなくて、「これを奉タテマツらん」と云ひたる、まことの志なり。
 惜しむ由ヨシして乞はれんと思ひ、勝負の負けわざにことづけなどしたる、むつかし。

  第二百三十二段

 すべて、人は、無智ムチ・無能ムノウなるべきものなり。
 或アルヒト人の子の、見ざまなど悪しからぬが、父の前にて、人と物言モノイふとて、史書シシヨの文モンを引きたりし、賢サカしくは聞えしかども、尊者ソンジヤの前にてはさらずともと覚えしなり。
 また、或人の許モトにて、琵琶法師ビハホフシの物語を聞かんとて琵琶を召し寄せたるに、柱ヂユウの一つ落ちたりしかば、「作りて附けよ」と言ふに、ある男の中ナカに、悪しからずと見ゆるが、「古き柄杓ヒシヤクの柄ありや」など言ふを見れば、爪ツメを生ふしたり。
 琵琶など弾くにこそ。
 盲法師メクラホフシの琵琶、その沙汰サタにも及ばぬことなり。
 道に心得たる由ヨシにやと、かたはらいたかりき。
 「柄杓の柄は、檜物木ヒモノギとかやいひて、よからぬ物に」とぞ或人仰せられし。
 若き人は、少スコしの事も、よく見え、わろく見ゆるなり。

  第二百三十三段

 万ヨロヅの咎トガあらじと思はば、何事ナニゴトにもまことありて、人を分かず、うやうやしく、言葉少からんには如かじ。
 男女ナンニヨ・老少ラウセウ、皆、さる人こそよけれども、殊に、若く、かたちよき人の、言コトうるはしきは、忘れ難ガタく、思ひつかるゝものなり。
 万の咎は、馴れたるさまに上手ジヤウズめき、所得トコロエたる気色ケシキして、人をないがしろにするにあり。

  第二百三十四段

 人の、物を問ひたるに、知らずしもあらじ、ありのまゝに言はんはをこがましとにや、心惑マドはすやうに返事カヘリコトしたる、よからぬ事なり。
 知りたる事も、なほさだかにと思ひてや問ふらん。
 また、まことに知らぬ人も、などかなからん。
 うらゝかに言ひ聞かせたらんは、おとなしく聞えなまし。
 人は未イマだ聞き及ばぬ事を、我が知りたるまゝに、「さても、その人の事のあさましさ」などばかり言ひ遣りたれば、「如何イカなる事のあるにか」と、押し返し問ひに遣るこそ、心づきなけれ。
 世に古りぬる事をも、おのづから聞き洩モラすあたりもあれば、おぼつかなからぬやうに告げ遣りたらん、悪しかるべきことかは。
 かやうの事は、物馴モノナれぬ人のある事なり。

  第二百三十五段

 主ヌシある家には、すゞろなる人、心のまゝに入り来る事なし。
 主なき所には、道行人濫ミチユキビトミダりに立ち入り、狐・梟フクロフやうの物も、人気ヒトゲに塞かれねば、所得顔トコロエガホに入り棲み、木霊コタマなど云ふ、けしからぬ形も現アラはるゝものなり。
 また、鏡カガミには、色イロ・像カタチなき故に、万の影来カゲキタりて映る。
 鏡に色・像あらましかば、映らざらまし。
 虚空コクウよく物を容る。
 我等ワレラが心に念々ネンネンのほしきまゝに来り浮ウカぶも、心といふもののなきにやあらん。
 心に主ヌシあらましかば、胸の中ウチに、若干ソコバクの事は入り来らざらまし。

  第二百三十六段

 丹波タンバに出雲イヅモと云ふ所あり。
 大社オホヤシロを移して、めでたく造れり。
 しだの某ナニガシとかやしる所なれば、秋の比、聖海シヤウカイ上人、その他も人数多ヒトアマタ誘ひて、「いざ給タマへ、出雲拝ヲガみに。かいもちひ召させん」とて具しもて行きたるに、各々オノオノ拝みて、ゆゝしく信シン起したり。
 御前オマヘなる獅子シシ・狛犬コマイヌ、背きて、後ウシロさまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ち様ヤウ、いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原トノバラ、殊勝シユシヤウの事は御覧ゴランじ咎トガめずや。無下ムゲなり」と言へば、各々怪アヤしみて、「まことに他に異コトなりけり」、「都ミヤコのつとに語らん」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔したる神官ジングワンを呼びて、「この御社ミヤシロの獅子の立てられ様、定めて習ひある事に侍らん。ちと承ウケタマハらばや」と言はれければ、「その事に候ふ。さがなき童ワラワベどもの仕りける、奇怪キクワイに候う事なり」とて、さし寄りて、据ゑ直して、往にければ、上人の感涙カンルヰいたづらになりにけり。

  第二百三十七段

 柳筥ヤナイバコに据うる物は、縦様タテサマ・横様ヨコサマ、物によるべきにや。
 「巻物などは、縦様に置きて、木の間アハヒより紙ひねりを通トホして、結い附く。硯スズリも、縦様に置きたる、筆転コロばず、よし」と、三条右大臣殿サンデウノウダイジン仰せられき。
 勘解由小路カデノコウヂの家の能書ノウジヨの人々は、仮にも縦様に置かるゝ事なし。
 必ず、横様に据ゑられ侍りき。

  第二百三十八段

 御随身近友ミズヰジンチカトモが自讃ジサンとて、七箇条シチカデウ書き止トドめたる事あり。
 皆ミナ、馬芸バゲイ、させることなき事どもなり。
 その例タメシを思ひて、自賛の事七つあり。
一、人あまた連れて花見ありきしに、最勝光院サイシヤウクワウヰン)の辺(ヘンにて、男ヲノコの、馬を走ハシらしむるを見て、「今一度ヒトタビ馬を馳するものならば、馬倒タフれて、落つべし。暫シバし見給へ」とて立ち止ドマりたるに、また、馬を馳す。
 止トドむる所にて、馬を引き倒して、乗る人、泥土デイトの中に転コロび入る。
 その詞コトバの誤らざる事を人皆感ず。
一、当代未タウダイイマだ坊ボウにおはしましし比コロ、万里小路殿御所マデノコウヂドノゴシヨなりしに、堀川ホリカハノ大納言殿伺候シコウし給ひし御曹司ミザウシへ用ありて参りたりしに、論語ロンゴの四・五・六の巻マキをくりひろげ給ひて、「たゞ今、御所にて、『紫の、朱奪アケウバふことを悪ニクむ』と云ふ文モンを御覧ぜられたき事ありて、御本ゴホンを御覧ずれども、御覧じ出イダされぬなり。『なほよく引き見よ』と仰オホせ事にて、求むるなり」と仰せらるゝに、「九の巻のそこそこの程ホドに侍る」と申したりしかば、「あな嬉ウレし」とて、もて参らせ給ひき。
 かほどの事は、児チゴどもも常ツネの事なれど、昔の人はいさゝかの事をもいみじく自賛ジサンしたるなり。
 御鳥羽ゴトバ院の、御歌ミウタに、「袖ソデと袂タモトと、一首の中ウチに悪しかりなんや」と、定家卿テイカノキヤウに尋タヅね仰せられたるに、「『秋の野の草の袂か花薄穂ズスキホに出でて招く袖と見ゆらん』と侍れば、何事ナニゴトか候ふべき」と申されたる事も、「時に当アタりて本歌ホンカを覚悟カクゴす。道の冥加ミヤウガなり、高運コウウンなり」など、ことことしく記シルし置かれ侍るなり。
 九条相国伊通公クデウノシヤウコクコレミチの款状クワジヤウにも、殊コトなる事なき題目ダイモクをも書き載せて、自賛せられたり。
一、常在光院ジヤウザイクワウヰンの撞き鐘ガネの銘メイは、在兼卿アリカネノキヤウの草サウなり。
 行房朝臣清書ユキフサノアソンセイジヨして、鋳型イカタに模ウツさんとせしに、奉行ブギヤウの入道ニフダウ、かの草を取り出でて見せ侍りしに、「花の外ホカに夕ユフベを送れば、声百里ハクリに聞キコゆ」と云ふ句あり。
 「陽唐ヤウタウの韻ヰンと見ゆるに、百里誤アヤマりか」と申したりしを、「よくぞ見せ奉タテマツりける。己オノれが高名カウミヤウなり」とて、筆者ヒツシヤの許モトへ言ひ遣りたるに、「誤り侍りけり。数行スカウと直ナホさるべし」と返事カヘリコト侍りき。
 数行も如何イカなるべきにか。
 若し数歩スホの心か。
 おぼつかなし。
一、人あまた伴トモナひて、三塔巡礼サンタフジユンレイの事侍りしに、横川ヨカハの常行堂ジヤウギヤウダウの中、竜華院リョウゲヰンと書ける、古き額ガクあり。
 「佐理サリ・行成カウゼイの間アヒダ疑ひありて、未イマだ決ケツせずと申し伝へたり」と、堂僧ダウソウことことしく申し侍りしを、「行成ならば、裏書ウラガキあるべし。佐理サリならば、裏書ウラガキあるべからず」と言ひたりしに、裏は塵積チリツモり、虫の巣にていぶせげなるを、よく掃き拭ノゴひて、各々オノオノ見侍りしに、行成位署カウゼイヰジヨ・名字ミヤウジ・年号ネンガウ、さだかに見え侍りしかば、人皆ミナ興に入る。
一、那蘭陀寺ナランダジにて、道眼聖談義ダウゲンヒジリダンギせしに、八災ハツサイと云ふ事を忘れて、「これや覚え給ふ」と言ひしを、所化シヨケミナ覚えざりしに、局ツボネの内ウチより、「これこれにや」と言ひ出したれば、いみじく感じ侍りき。
一、賢助僧正ケンジヨソウジヨウに伴トモナひて、加持香水カヂコウズヰを見侍りしに、未だ果てぬ程ホドに、僧正帰り出で侍りしに、陳ヂンの外まで僧都ソウヅ見えず。
 法師どもを返して求めさするに、「同じ様サマなる大衆ダイシユ多くて、え求め逢はず」と言ひて、いと久ヒサしくて出でたりしを、「あなわびし。それ、求めておはせよ」と言はれしに、帰り入りて、やがて具して出でぬ。
一、二月十五日キサラギジフゴニチ、月明ツキアカき夜、うち更けて、千本の寺に詣マウでて、後ウシロより入りて、独ヒトり顔深く隠カクして聴聞チヤウモンし侍ハンベりしに、優イウなる女の、姿・匂ニホひ、人より殊コトなるが、分け入りて、膝ヒザに居かゝれば、匂ひなども移るばかりなれば、便ビンあしと思ひて、摩り退きたるに、なほ居寄ヰヨりて、同じ様サマなれば、立ちぬ。
 その後ノチ、ある御所様ゴシヨサマの古き女房ニヨウバウの、そゞろごと言はれしついでに、「無下ムゲイロ色なき人におはしけりと、見おとし奉タテマツる事なんありし。情ナサケなしと恨ウラみ奉る人なんある」とのたまひ出したるに、「更サラにこそ心得ココロエ侍れね」と申して止みぬ。
 この事、後に聞き侍りしは、かの聴聞の夜、御局ミツボネの内より、人の御覧じ知りて、候サウラふ女房を作り立てて出し給ひて、「便ビンよくは、言葉などかけんものぞ。その有様アリサマ参りて申せ。興あらん」とて、謀ハカり給ひけるとぞ。

  第二百三十九段

 八月十五日ハツキジフゴニチ・九月十三日ナガヅキジフサンニチは、婁宿ロウシユクなり。
 この宿、清明セイメイなる故に、月を翫モテアソぶに良夜リヤウヤとす。

  第二百四十段

 しのぶの浦ウラの蜑アマの見る目も所トコロせく、くらぶの山も守る人繁シゲからんに、わりなく通カヨはん心の色イロこそ、浅からず、あはれと思ふ、節々フシブシの忘れ難ガタき事も多からめ、親・はらから許ユルして、ひたふるに迎ムカへ据ゑたらん、いとまばゆかりぬべし。
 世にありわぶる女の、似げなき老法師オイボフシ、あやしの吾妻人アヅマウドなりとも、賑ニギはゝしきにつきて、「誘サソう水あらば」など云ふを、仲人ナカウド、何方イヅカタも心にくき様サマに言ひなして、知られず、知らぬ人を迎ムカへもて来たらんあいなさよ。
 何事ナニゴトをか打ち出づる言コトの葉にせん。
 年月トシツキのつらさをも、「分け来し葉山ハヤマの」なども相語アヒカタらはんこそ、尽きせぬ言コトの葉にてもあらめ。
 すべて、余所ヨソの人の取りまかなひたらん、うたて心づきなき事、多かるべし。
 よき女ならんにつけても、品下シナクダり、見にくゝ、年トシも長けなん男は、かくあやしき身のために、あたら身をいたづらになさんやはと、人も心劣ココロオトりせられ、我が身は、向ムカひゐたらんも、影恥カゲハヅかしく覚えなん。
 いとこそあいなからめ。
 梅の花かうばしき夜の朧月オボロヅキに佇タタズみ、御垣ミカキが原ハラの露分ツユワけ出でん有明アリアケの空も、我が身様ミザマに偲シノばるべくもなからん人は、たゞ、色好まざらんには如かじ。

  第二百四十一段

 望月モチヅキの円マドかなる事は、暫シバラくも住ヂユウせず、やがて欠けぬ。
 心止トドめぬ人は、一夜ヒトヨの中ウチにさまで変る様サマの見えぬにやあらん。
 病ヤマヒの重オモるも、住する隙ヒマなくして、死期シゴ既に近し。
 されども、未イマだ病急キフならず、死に赴オモムかざる程は、常住平生ジヤウヂユウヘイゼイの念に習ひて、生シヤウの中に多くの事を成ジヤウじて後ノチ、閑シヅかに道を修シユせんと思ふ程に、病を受けて死門シモンに臨む時、所願一事シヨグワンイチジも成せず。
 言ふかひなくて、年月トシツキの懈怠ケダイを悔いて、この度タビ、若し立ち直りて命イノチを全マツタくせば、夜を日に継ぎて、この事、かの事、怠オコタらず成ジャウじてんと願ひを起すらめど、やがて重オモりぬれば、我ワレにもあらず取り乱して果てぬ。
 この類タグイのみこそあらめ。
 この事、先づ、人々、急ぎ心に置くべし。
 所願シヨグワンを成じて後ノチ、暇イトマありて道に向ムカはんとせば、所願尽くべからず。
 如幻ニヨゲンの生シヤウの中ウチに、何事ナニゴトをかなさん。
 すべて、所願皆妄想ミナマウザウなり。
 所願心に来たらば、妄信迷乱マウシンメイランすと知りて、一事イチジをもなすべからず。
 直ヂキに万事バンジを放下ハウゲして道に向ムカふ時、障りなく、所作シヨサなくて、心身シンジン永く閑シヅかなり。

  第二百四十二段

 とこしなへに違順ヰジユンに使はるゝ事は、ひとへに苦楽ラクのためなり。
 楽ラクと言ふは、好コノみ愛アイする事なり。
 これを求むること、止む時なし。
 楽欲ゲウヨクする所、一つには名なり。
 名に二種ニシユあり。
 行跡カウセキと才芸サイゲイとの誉ホマレなり。
 二つには色欲シキヨク、三つには味アヂハひなり。
 万ヨロヅの願ひ、この三つには如かず。
 これ、顛倒テンダウの想サウより起りて、若干ソコバクの煩ワヅラひあり。
 求めざらんにには如かじ。

  第二百四十三段

 八つになりし年、父に問ひて云はく、「仏ホトケは如何イカなるものにか候ふらん」と云ふ。
 父が云はく、「仏には、人の成りたるなり」と。
 また問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。
 父また、「仏の教ヲシヘによりて成るなり」と答ふ。
 また問ふ、「教へ候ひける仏をば、何が教へ候ひける」と。
 また答ふ、「それもまた、先の仏の教によりて成り給ふなり」と。
 また問ふ、「その教へ始め候ひける、第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」と云ふ時、父、「空よりや降りけん。土よりや湧きけん」と言ひて笑ふ。
 「問ひ詰められて、え答へずなり侍りつ」と、諸人シヨニンに語カタりて興キヨウじき。

 底本跋文 慶長十八年一六一三八月十五日に烏丸光広が記した。

 這ノ両帖リヤウデフハ、吉田ノ兼好法師、燕居エンキヨノ日、徒然トゼントシテ暮ニ向ヒ、筆ヲ染メテ情ジヨウヲ写スモノナリ。
 頃コノゴロ、泉南センナンノ亡羊処士バウヤウシヨシ、洛ラクノ草廬サウロニ箕踞キキヨシテ、李老リラウノ虚無キヨムヲ談ダンジ、荘生サウセイノ自然ヲ説キ、且ツ、暇日カジツナルヲ以テ、二三子ニサンシニ対シ、戯タハムレニ焉コレヲ講ズ。
 加之シカノミナラズ、後ニ、将マサニ、書シヨシテ以テ工コウニ命ジ、梓アヅサニ鏤キザミテ、夫ノ二三子ニ付セントス。
 越ココニ、句読クトウ・清濁以下セイダクイゲ、予ヲシテ之コレヲ糾タダサシム。
 予、坐ソゾロニ、其ノ志ココロザシヲ好ヨミシ、其ノ醜シウヲ忘レ、卒ニハカニ校訂コウテイヲ加クハフルノミ。
 復マタ、其ノ遺逸ヰイツアランコトヲ恐ルヽナリ。

 慶長癸丑ケイチヤウキチユウノ仲秋チユウシウノ日黄門クワウモン 光広ミツヒロ

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