二十六にじゆうろく夜 宮澤賢治 索引へ

 旧暦きゆうれきの六月二十四日の晩ばんでした。
 北上川きたかみがわの水は黒の寒天かんてんよりももっとなめらかにすべり獅子鼻ししばなは微かすかな星のあかりの底にまっくろに突き出ていました。
 獅子鼻の上の松林まつばやしは、もちろんもちろん、まっ黒でしたがそれでも林の中に入って行きますと、その脚あしの長い松の木の高い梢こずえが、一本一本空の天あまの川がわや、星座にすかし出されて見えていました。
 松かさだか鳥だかわからない黒いものがたくさんその梢にとまっているようでした。
 そして林の底の萱かやの葉は夏の夜の雫しずくをもうポトポト落して居りました。
 その松林まつばやしのずうっとずうっと高い処ところで誰たれかゴホゴホ唱となえています。
「爾の時に疾翔大力シツシヨウタイリキ、爾迦夷ルカイに告げて曰いわく、諦あきらかに聴け、諦に聴け、善く之これを思念しねんせよ、我今汝に、梟鵄諸きようしもろもろの悪禽あくきん、離苦解脱りくげだつの道を述べん、と。爾迦夷ルカイ、則すなわち、両翼りようよくを開張かいちようし、虔うやうやしく頸くびを垂れて、座を離はなれ、低く飛揚ひようして、疾翔大力を讃嘆さんたんすること三匝さんそうにして、徐おもむろに座に復し、拝跪はいきして唯願ただねごうらく、疾翔大力シツシヨウタイリキ、疾翔大力、ただ我等が為に、これを説きたまえ。ただ我等が為に、之を説き給えと。疾翔大力、微笑みしようして、金色こんじきの円光を以て頭に被かぶれるに、その光、遍あまねく一座を照てらし、諸鳥しよちよう歓喜充満かんぎじゆうまんせり。則すなわち説いて曰いわく、汝等審なんじらつまびらかに諸の悪業あくごうを作る。或あるいは夜陰やいんを以て、小禽しようきんの家に至る。時に小禽、既すでに終日日光に浴し、歌唄跳躍かばいちようやくして疲労ひろうをなし、唯唯甘美ただただかんびの睡眠すいみん中にあり。汝等飛躍ひやくして之を握つかむ。利爪りそう深くその身に入り、諸の小禽、痛苦又つうくまた声を発するなし。則すなわち之これを裂きて擅ほしいままに貪食たんしょくす。或あるいは沼田に至り、螺蛤らこうを啄ついばむ。螺蛤軟泥らこうなんでい中にあり、心柔軟にゆうなんにして、唯温水を憶おもふ。時に俄に身、空中にあり、或は直ちに身を破やぶる、悶乱もんらん声を絶す。汝等之を貪食たんしよくするに、又懴悔ざんげの念あることなし。斯かくの如きの諸もろもろの悪業あくごう、挙げて数うるなし。悪業を以ての故ゆえに、更に又諸の悪業を作る。継起けいきして遂ついに竟おわることなし。昼は則すなわち日光を懼おそれ又人及および諸の強鳥を恐おそる。心暫しばらくも安らかなるなし、一度梟身ひとたびきようしんを尽つくして、又新あらたに梟身を得、審つまびらかに諸の苦患くげんを被こうむりて、又尽ることなし。」
 俄にわかに声が絶え、林の中はしぃんとなりました。
 ただかすかなかすかなすすり泣きの声が、あちこちに聞えるばかり、たしかにそれは梟ふくろうのお経きようだったのです。
 しばらくたって、西の遠くの方を、汽車のごうと走る音がしました。
 その音は、今度は東の方の丘に響ひびいて、ごとんごとんとこだまをかえして来ました。
 林はまたしずまりかえりました。
 よくよく梢こずえをすかして見ましたら、やっぱりそれは梟ふくろうでした。
 一疋ぴきの大きなのは、林の中の一番高い松の木の、一番高い枝にとまり、そのまわりの木のあちこちの枝には、大きなのや小さいのや、もうたくさんのふくろうが、じっととまってだまっていました。
 ほんのときどき、かすかなかすかなため息の音や、すすり泣きの声がするばかりです。
 ゴホゴホ声が又起りました。
「ただ今のご文もんは、梟鵄守護章きようししゆごしようというて、誰たれも存知の有り難がたいお経の中の一とこじゃ。ただ今から、暫時しばしの間、そのご文の講釈こうしやくを致いたす。みなの衆、ようく心を留めて聞かしゃれ。折角せつかく鳥に生れて来ても、ただ腹が空いた、取って食う、睡くなった、巣に入るではなんの所詮しよせんもないことじゃぞよ。それも鳥に生れてただやすやすと生きるというても、まことはただの一日とても、ただごとではないのぞよ、こちらが一日生きるには、雀すずめやつぐみや、たにしやみみずが、十や二十も殺されねばならぬ、ただ今のご文もんにあらしゃるとおりじゃ。ここの道理どうりをよく聴きわけて、必らずうかうか短い一生をあだにすごすではないぞよ。これからご文に入るじゃ。小供こどもらも、こらえて睡ねむるではないぞ。よしか。」
 林の中は又しいんとなりました。
 さっきの汽車が、まだ遠くの遠くの方で鳴っています。
「爾の時に疾翔大力シツシヨウタイリキ、爾迦夷ルカイに告げて曰いわくと、まず疾翔大力とは、いかなるお方じゃか、それを話さなければならんじゃ。疾翔大力と申しあげるは、施身大菩薩せしんだいぼさつのことじゃ。もと鳥の中から菩提心ぼだいしんを発して、発願ほつがんした大力の菩薩ぼさつじゃ。疾翔とは早く飛ぶということじゃ。捨身しやしん菩薩がもとの鳥の形に身をなして、空をお飛びになるときは、一揚いちようというて、一はばたきに、六千由旬ゆじゆんを行きなさる。そのいわれより疾翔しつしようと申さるる、大力というは、お徳によって、たとえ火の中水の中、ただこの菩薩を念ずるものは、捨身しやしん大菩薩、必らず飛び込んで、お救いになり、その浄明じようみようの天上にお連れなさる、その時火に入って身の毛一つも傷きずつかず、水に潜くぐって、羽、塵ちりほどもぬれぬという、そのお徳をば、大力とこう申しあげるのじゃ。されば疾翔大力シツシヨウタイリキとは、捨身大菩薩を、鳥より申しあげる別号じゃ、まあそう申しては失礼なれど、鳥より仰あおぎ奉たてまつる一つのあだ名じゃと、斯う考えてよろしかろう。」
 声がしばらくとぎれました。
 林はしいんとなりました。
 ただ下の北上川の淵ふちで、鱒ますか何かのはねる音がバチャンと聞えただけでした。
 梟の、きっと大僧正だいそうじようか僧正でしょう、坊さんの講義こうぎが又はじまりました。
「さらば疾翔大力シツシヨウタイリキは、いかなればとて、われわれ同様賤いやしい鳥の身分より、その様なる結構けつこうのお身となられたか。結構のことじゃ。ご自分も又ほかの一切のものも、本願ほんがんのごとくにお救いなされることなのじゃ。さほど尊とうといご身分にいかなことでなられたかとなれば、なかなか容易よういのことではあらぬぞよ。疾翔大力さまはもとは一疋ぴきの雀でござらしゃったのじゃ。南天竺みなみてんじくの、ある家の棟むねに棲まわれた。ある年非常な饑饉ききんが来て、米もとれねば木の実もならず、草さえ枯れたことがござった。鳥もけものも、みな飢え死にじゃ人もばたばた倒れたじゃ。もう炎天えんてんと飢渇けかつの為に人にも鳥にも、親兄弟の見さかえなく、この世からなる餓鬼道がきどうじゃ。その時疾翔大力は、まだ力ない雀でござらしゃったなれど、つくづくこれをご覧じて、世の浅間あさましさはかなさに、泪なみだをながしていらしゃれた。中にもその家の親子二人、子はまだ六つになるならず、母親とてもその大飢渇だいけかつに、どこから食じきを得るでなし、もうあすあすに二人もろとも見す見す餓死がしを待ったのじゃ。この時、疾翔大力シツシヨウタイリキは、上よりこれをながめられあまりのことにしばしは途方とほうにくれなされたが、日ごろの恩を報ずるは、ただこの時と勇み立ち、つかれた羽をうちのばし、はるか遠くの林まで、親子の食をたずねたげな。一念天に届いたか、ある大林のその中に、名さえも知らぬ木なれども、色もにおいもいと高き、十の木の実をお見附みつけなされたじゃ。さればもはや疾翔大力は、われを忘れて、十たびその実をおのがあるじの棟むねに運び、親子の上より落されたじゃ。その十たび目は、あまりの飢えと身にあまる、その実の重さにまなこもくらみ、五たび土に落ちたれど、ただ報恩ほうおんの一念に、ついご自分にはその実を啄みなさらなんだ、おもいとどいてその十番目の実を、無事に親子に届けたとき、あまりの疲れと張りつめた心のゆるみに、ついそのままにお倒れなされたじゃ。されどもややあって正気に復し下の模様もようを見てあれば、いかにもその子は勢せいも増し、ただいたけなく悦よろこんでいる如くなれども、親はかの実も自らは口にせなんじゃ、いよいよ餓えて倒れるようす、疾翔大力シツシヨウタイリキこれを見て、はやこの上はこの身を以て親の餌食えじきとならんものと、いきなり堅かたく身をちぢめ、息を殺してはりより床へと落ちなされたのじゃ。その痛さより、身は砕くだくるかと思えども、なおも命はあらしゃった。されども慈悲じひもある人の、生きたと見てはとても食べはせまいとて、息を殺し眼をつぶっていられたじゃ。そしてとうとう願かなってその親子をば養われたじゃ。その功徳くどくより、疾翔大力様は、ついに仏にあわれたじゃ。そして次第に法力ほうりきを得て、やがてはさきにも申した如く、火の中に入れどもその毛一つも傷つかず、水に入れどもその羽一つぬれぬという、大力の菩薩となられたじゃ。今このご文もんは、この大菩薩ぼさつが、悪業あくごうのわれらをあわれみて、救護くごの道をば説かしゃれた。その始めの方じゃ。しばらく休んで次の講座で述べるといたす。南無疾翔大力なむシツシヨウタイリキ、南無疾翔大力。みなの衆しばらくゆるりとやすみなされ。」
 いちばん高い木の黒い影が、ばたばた鳴って向うの低い木の方へ移ったようでした。
 やっぱりふくろうだったのです。
 それと同時に、林の中は俄にわかにばさばさ羽の音がしたり、嘴くちばしのカチカチ鳴る音、低くごろごろつぶやく音などで、一杯になりました。
 天の川が大分だいぶまわり大熊星おおくまぼしがチカチカまたたき、それから東の山脈さんみやくの上の空はぼおっと古めかしい黄金いろに明るくなりました。
 前の汽車と停車場ていしやばで交換したのでしょうか、こんどは南の方へごとごと走る音がしました。
 何だか車のひびきが大へん遅おそく貨物列車かもつれつしやらしかったのです。
 そのとき、黒い東の山脈の上に何かちらっと黄いろな尖とがった変なかたちのものがあらわれました。
 梟どもは俄にざわっとしました。
 二十四日の黄金の角、鎌かまの形の月だったのです。
 忽たちまちすうっと昇ってしまいました。
 沼の底の光のような朧おぼろな青いあかりがぼおっと林の高い梢こずえにそそぎ一疋ぴきの大きな梟ふくろうが翅はねをひるがえしているのもひらひら銀いろに見えました。
 さっきの説教の松の木のまわりになった六本にはどれにも四疋から八疋ぐらいまで梟がとまっていました。
 低く出た三本のならんだ枝に三疋びきの子供の梟がとまっていました。
 きっと兄弟だったでしょうがどれも銀いろで大さはみな同じでした。
 その中でこちらの二疋ひきは大分厭きているようでした。
 片っ方の翅はねをひらいたり、片脚かたあしでぶるぶる立ったり、枝へ爪を引っかけてくるっと逆さになって小笠原おがさわら島のこうもりのまねをしたりしていました。
 それから何か云っていました。
「そら、大の字やって見せようか。大の字なんか何でもないよ。」
「大の字なんか、僕だってできらあ。」
「できルカイ。できるならやってごらん。」
「そら。」
 その小さな子供の梟ふくろうはほんの一寸ちよつとの間、消防しようぼうのやるような逆さ大の字をやりました。
「何だい。そればっかしかい。そればっかしかい。」
「だって、やったんならいいんだろう。」
「大の字にならなかったい。ただの十の字だったい、脚あしが開かないじゃないか。」
「おい、おとなしくしろ。みんなに笑われるぞ。」
 すぐ上の枝に居たお父さんのふくろうがその大きなぎらぎら青びかりする眼でこっちを見ながら云いました。
 眼のまわりの赤い隈くまもはっきり見えました。
 ところがなかなか小さな梟の兄弟は云うことをききませんでした。
「十の字、ほう、たての棒ぼうの二つある十の字があるだろうか。」
「二つに開かなかったい。」
「開いたよ。」
「何だ生意気なまいきな。」
 もう一疋ぴきは枝からとび立ちました。もう一疋もとび立ちました。
 二疋ひきはばたばた、けり合ってはねが月の光に銀色にひるがえりながら下へ落ちました。
 おっかさんのふくろうらしいさっきのお父さんのとならんでいた茶いろの少し小型のがすうっと下へおりて行きました。
 それから下の方で泣声が起りました。
 けれども間もなくおっかさんの梟はもとの処へとびあがり小さな二疋ものぼって来て二疋とももとのところへとまって片脚かたあしで眼をこすりました。
 お母さんの梟がも一度叱しかりました。
 その眼も青くぎらぎらしました。
「ほんとうにお前たちったら仕方ないねえ。みなさんの見ていらっしゃる処でもうすぐきっと喧嘩けんかするんだもの。なぜ穂吉ほきちちゃんのように、じっとおとなしくしていないんだろうねえ。」
 穂吉と呼ばれた梟は、三疋びきの中では一番小さいようでしたが一番温和おとなしいようでした。
 じっとまっすぐを向いて、枝にとまったまま、はじめからおしまいまで、しんとしていました。
 その木の一番高い枝にとまりからだ中銀いろで大きく頬ほおをふくらせ今の講義のやすみのひまを水銀のような月光をあびてゆらりゆらりといねむりしているのはたしかに梟ふくろうのおじいさんでした。
 月はもう余程高くなり、星座もずいぶんめぐりました。
 蝎座さそりざは西へ沈むとこでしたし、天の川もすっかり斜ななめになりました。
 向うの低い松の木から、さっきの年老りの坊さんの梟が、斜ななめに飛んでさっきの通り、説教の枝にとまりました。
 急に林のざわざわがやんで、しずかにしずかになりました。
 風のためか、今まで聞えなかった遠くの瀬の音が、ひびいて参りました。
 坊さんの梟はゴホンゴホンと二つ三つせきばらいをして又はじめました。
「爾の時に、疾翔大力シツシヨウタイリキ、爾迦夷ルカイに告げて曰く、諦あきらかに聴け、諦に聴け。善く之これを思念しねんせよ。我今汝に、梟鵄きようし諸の悪禽あくきん、離苦解脱りくげだつの道を述べんと。爾迦夷ルカイ、則すなわち両翼りようよくを開張かいちようし、虔うやうやしく頸くびを垂れて座を離れ、低く飛揚ひようして疾翔大力を讃嘆さんたんすること三匝さんそうにして、徐おもむろに座に復し、拝跪はいきして唯願ただねごうらく、疾翔大力、疾翔大力、ただ我等が為にこれを説き給え。ただ我等が為に之を説き給えと。疾翔大力微笑みしようして、金色こんじきの円光を以て頭に被かぶれるに、その光遍あまねく一座を照てらし、諸鳥歓喜充満しよちようかんぎじゆうまんせり。則すなわち説いて曰いわく、汝等審なんじらつまびらかに諸の悪業あくごうを作る。或あるいは夜陰やいんを以て小禽しようきんの家に至る。時に小禽既すでに終日日光に浴し、歌唄跳躍かばいちようやくして疲労ひろうをなし、唯唯たびたび甘美かんびの睡眠すいみん中にあり。汝等飛躍ひやくして之これを握む。利爪りそう深くその身に入り、諸の小禽痛苦又つうくまた声を発するなし。則ち之を裂きて擅ほしいままに貪食たんしょくす。或あるいは沼田に至り、螺蛤らこうを啄む。螺蛤軟泥らこうなんでい中にあり、心柔軟にゆうなんにして、唯温水を憶おもふ。時に俄にわかに身空中にあり、或は直ちに身を破る、悶乱もんらん声を絶ぜつす。汝等之を貪食たんしょくするに、又懴悔ざんげの念あることなし。斯かくの如きの諸の悪業あくごう、挙げて数うるなし。悪業を以ての故に、更に又諸の悪業を作る。継起けいきして遂ついに竟おわることなし。昼は則すなわち日光を懼おそれ、又人及諸の強鳥を恐る。心暫らくも安らかなることなし、一度梟身ひとたびきようしんを尽して、又新あらたに梟身を得。審つまびらかに諸の苦患くげんを被りて又尽くることなし。で前の座では、捨身しやしん菩薩ぼさつを疾翔大力シツシヨウタイリキと呼びあげるわけあい又、その願成の因縁いんねんをお話いたしたじゃが、次に爾迦夷ルカイに告げて曰くとある。爾迦夷ルカイというはこのとき我等と同様梟ふくろうじゃ。われらのご先祖と、一諸にお棲すまいなされたお方じゃ。今でも爾迦夷上人ルカイしようにんと申しあげて、毎月十三日がご命日じゃ。何いずれの家でも、梟の限りは、十三日には楢ならの木の葉を取て参まいて、爾迦夷上人さまにさしあげるということをやるじゃ、これは爾迦夷さまが楢の木にお棲すまいなされたからじゃ。この爾迦夷さまは、早くから梟の身のあさましいことをご覚悟遊かくごあそばされ、出離しゆつりの道を求められたじゃげなが、とうとうその一心の甲斐かいあって、疾翔大力さまにめぐりあい、ついにその尊とうとい教を聴聞ちようもんあって、天上へ行かしゃれた。その爾迦夷さまへのご説法じゃ。諦あきらかに聴け、諦に聴け。善く之を思念せよと。心をしずめてよく聴けよ、心をしずめてよく聴けよと斯うじゃ。いずれの説法の座でも、よくよく心をしずめ耳をすまして聴くことは大切なのじゃ。上うわの空で聞いていたでは何にもならぬじゃ。」
 ところがこのとき、さっきの喧嘩けんかをした二疋ひきの子供のふくろうがもう説教を聴くのは厭きてお互にらめくらをはじめていました。
 そこは茂しげりあった枝のかげで、まっくらでしたが、二疋はどっちもあらんかぎりりんと眼を開いていましたので、ぎろぎろ燐りんを燃したように青く光りました。
 そこでとうとう二疋とも一ぺんに噴き出して一諸いつしよに、
「お前の眼は大きいねえ。」と云いました。
 その声は幸さいわいに少しつんぼの梟ふくろうの坊さんには聞えませんでしたが、ほかの梟たちはみんなこっちを振り向きました。
 兄弟の穂吉ほきちという梟は、そこで大へんきまり悪く思ってもじもじしながら頭だけはじっと垂れていました。
 二疋ひきはみんなのこっちを見るのを枝のかげになってかくれるようにしながら、
「おい、もう遁げて遊びに行こう。」
「どこへ。」
「実相寺じつそうじの林さ。」
「行こうか。」
「うん、行こう。穂吉ほきちちゃんも行かないか。」
「ううん。」穂吉は頭をふりました。
「我今汝に、梟鵄きようし諸の悪禽あくきん、離苦解脱りくげだつの道を述べんということは。」
 説教せつきようが又続きました。
 二疋ひきはもうそっと遁にげげ出し、穂吉はいよいよ堅かたくなって、兄弟三人分一人で聴こうという風でした。

 その次の日の六月二十五日の晩ばんでした。
 丁度ゆうべと同じ時刻じこくでしたのに、説教はまだ始まらず、あの説教の坊さんは、眼を暝つむってだまって説教の木の高い枝にとまり、まわりにゆうべと同じにとまった沢山の梟ふくろうどもはなぜか大へんみな興奮こうふんしている模様でした。
 女のふくろうにはおろおろ泣いているのもありましたし、男のふくろうはもうとても斯うしていられないというようにプリプリしていました。
 それにあのゆうべの三人兄弟の家族の中では一番高い処ところに居るおじいさんの梟ふくろうはもうすっかり眼を泣きはらして頬ほおが時々びくびく云い、泪なみだは声なくその赤くふくれた眼から落ちていました。
 もちろんふくろうのお母さんはしくしくしくしく泣いていました。
 乱暴らんぼうものの二疋ひきの兄弟も不思議にその晩はきちんと座って、大きな眼をじっと下に落していました。
 又ふくろうのお父さんは、しきりに西の方を見ていました。
 けれども一体どうしたのかあの温和おとなしい穂吉ほきちの形が見えませんでした。
 風が少し出て来ましたので松の梢はみなしずかにゆすれました。
 空には所々雲もうかんでいるようでした。
 それは星があちこちめくらにでもなったように黒くて光っていなかったからです。
 俄にわかに西の方から一疋ぴきの大きな褐色かつしよくの梟ふくろうが飛んで来ました。
 そしてみんなの入口の低い木にとまって声をひそめて云いました。
「やっぱり駄目だめだ。穂吉さんももうあきらめているようだよ。さっきまではばたばたばたばた云っていたけれども、もう今はおとなしく臼うすの上にとまっているよ。それから紐ひもが何だか変ったようだよ。前は右足だったが、今度は左脚に結いつけられて、それに紐の色が赤いんだ。けれどもただひとついいことは、みんな大低寝たいていねてしまったんだ。さっきまで穂吉さんの眼を指で突っつこうとした子供などは、腹かけだけして、大の字になって寝ているよ。」
 穂吉のお母さんの梟は、まるで火がついたように声をあげて泣きました。
 それにつれて林中の女のふくろうがみなしいんしいんと泣きました。
 梟の坊さんは、じっと星ぞらを見あげて、それからしずかにたずねました。
「この世界は全くこの通りじゃ。ただもうみんなかなしいことばかりなのじゃ。どうして又あんなおとなしい子が、人につかまるような処に出たもんじゃろうなあ。」
 説教の木のとなりに居た鼠ねずみいろの梟は恭々うやうやしく答えました。
「今朝あけ方近くなってから、兄弟三人で出掛けたそうでございます。いつも人の来るような処ではなかったのでございます。そのうち朝日が出ましたので、眩まぶしさに三疋びきとも、しばらく眼を暝つむっていたそうでございます。すると、丁度子供が二人、草刈くさかりに来て居ましたそうで、穂吉もそれを知らないうちに、一人がそっとのぼって来て、穂吉の足を捉つかまえてしまったと申します。」
「あああわれなことじゃ、ふびんなはなしじゃ、あんなおとなしいいい子でも、何の因果いんがじゃやら。できるなればわしなどで代ってやりたいじゃ。」
 林はまたしいんとなりました。
 しばらくたって、またばたばたと一疋ぴきの梟ふくろうが飛んで戻って参りました。
「穂吉さんはね、臼の上をあるいていたよ。あの赤の紐を引き裂こうとしていたようだったけれど、なかなか容易じゃないんだ。私はもう、どこか隙間すきまから飛び込んで行って、手伝ってあげようと、何べんも何べんも家のまわりを飛んで見たけれど、どこにもあいてる所はないんだろう。ほんとうに可哀かあいそうだねえ、穂吉さんは、けれども泣いちゃいないよ。」
 梟のお母さんが、大きな眼を泣いてまぶしそうにしょぼしょぼしながら訊たずねました。
「あの家に猫は居ないようでございましたか。」
「ええ、猫は居なかったようですよ。きっと居ないんです。ずいぶん暫しばらく、私はのぞいていたんですけれど、とうとう見えなかったのですから。」
「そんならまあ安心でございます。ほんとうにみなさまに飛んだご迷惑めいわくをかけてお申し訳けもございません。みんな穂吉ほきちの不注意からでございます。」
「いいえ、いいえ、そんなことはありません。あんな賢かしこいお子さんでも災難さいなんというものは仕方ありません。」
 林中の女のふくろうがまるで口口に答えました。
 その音は二町ばかり西の方の大きな藁屋根わらやねの中に捕われている穂吉の処まで、ほんのかすかにでしたけれども聞えたのです。
 ふくろうのおじいさんが度々たびたび声がかすれながらふくろうのお父さんに云いました。
「もうそうなっては仕方ない。お前は行って穂吉にそっと教えてやったらよかろう、もうこの上は決してばたばたもがいたり、怒って人に噛み付いたりしてはいけない。今日中誰たれもお前を殺さない処を見ると、きっと田螺たにしか何かで飼って置くつもりだろうから、今までのように温和しくして、決して人に逆さからうな、とな。斯う云って教えて来たらよかろう。」
 梟ふくろうのお父さんは、首を垂れてだまって聴いていました。
 梟の和尚おしようさんも遠くからこれにできるだけ耳を傾けていましたが大体そのわけがわかったらしく言い添えました。
「そうじゃ、そうじゃ。いい分別ふんべつじゃ。序ついでに斯う教えて来なされ。このようなひどい目におうて、何悪いことしたむくいじゃと、恨うらむようなことがあってはならぬ。この世の罪も数知らず、さきの世の罪も数かぎりない事じゃほどに、この災難もあるのじゃと、よくあきらめて、あんまりひとり嘆なげくでない、あんまり泣けば心も沈み、からだもとかく損そこねるじゃ、たとえ足には紐があるとも、今ここへ来て、はじめてとまった処じゃと、いつも気軽でいねばならぬ、とな、斯う云うて下され。ああ、されども、されども、とられた者は又別じゃ。何のさわりも無いものが、とや斯う言うても、何にもならぬ。ああ可哀そうなことじゃ不愍ふびんなことじゃ。」
 お父さんの梟は何べんも頭を下げました。
「ありがとうございます。ありがとうございます。もうきっとそう申し伝えて参ります。斯んなお語を伝え聞いたら、もう死んでもよいと申しますでございましょう。」
「いや、いや、そうじゃ。斯うも云うて下され。いくら飼われるときまっても、子供心はもとより一向たよりないもの、又近くには猫犬なども居ることじゃ、もし万一の場合には、ただあの疾翔大力シツシヨウタイリキのおん名を唱えなされとな。そう云うて下され。おお不愍ふびんじゃ。」
「ありがとうございます。では行って参ります。」
 梟ふくろうのお母さんが、泣きむせびながら申しました。
「ああ、もしどうぞ、いのちのある間は朝夕二度、私に聞えるよう高く啼いて呉れとおっしゃって下さいませ。」
「いいよ。ではみなさん、行って参ります。」
 梟のお父さんは、二三度羽ばたきをして見てから、音もなく滑すべるように向うへ飛んで行きました。梟の坊さんがそれをじっと見送っていましたが、俄にわかにからだをりんとして言いました。
「みなの衆しゆう。いつまで泣いてもはてないじゃ。ここの世界は苦界くがいという、又忍土とも名づけるじゃ。みんなせつないことばかり、涙の乾かわくひまはないのじゃ。ただこの上は、われらと衆生しゆじようと、早くこの苦を離れる道を知るのが肝要かんようじゃ。この因縁いんねんでみなの衆も、よくよく心をひそめて聞きなされ。ただ一人でも穂吉のことから、まことに菩提ぼだいの心を発すなれば、穂吉ほきちの功徳くどく又この座のみなの衆の供徳、かぎりもあらぬことなれば、必らずとくと聴聞ちようもんなされや。昨夜の続きを講じます。爾の時に、疾翔大力シツシヨウタイリキ、爾迦夷ルカイに告げて曰いわく、諦あきらかに聴け、諦に聴け。善く之これを思念しねんせよ。我今汝に、梟鵄きようし諸の悪禽あくきん、離苦解脱りくげだつの道を述べんと。爾迦夷ルカイ、則すなわち両翼りようよくを開張かいちようし、虔うやうやしく頸くびを垂れて座を離れ、低く飛揚ひようして疾翔大力を讃嘆さんたんすること三匝さんそうにして、徐おもむろに座に復し、拝跪はいきして唯願ただねごうらく、疾翔大力、疾翔大力、ただ我等が為にこれを説き給え。ただ我等が為に之を説き給えと。疾翔大力微笑シツシヨウタイリキみしようして、金色こんじきの円光を以て頭に被かぶれるに、その光遍あまねく一座を照し、諸鳥歓喜充満かんぎじゆうまんせり。則ち説いて曰く、汝等審なんじらつまびらかに諸の悪業あくごうを作る。或あるいは夜陰やいんを以て小禽しようきんの家に至る。時に小禽既すでに終日日光に浴し、歌唄跳躍かばいちようやくして疲労ひろうをなし、唯唯たびたび甘美の睡眠すいみん中にあり。汝等飛躍ひやくして之を握む。利爪りそう深くその身に入り、諸の小禽痛苦又つうくまた声を発するなし。則ち之を裂きて擅ほしいままに貪食たんしよくす。或は沼田に至り螺蛤らこうを啄む。螺蛤軟泥らこうなんでい中にあり、心柔軟にして唯温水を憶おもふ。時に俄にわかに身空中にあり、或は直ちに身を破る、悶乱もんらん声を絶ぜつす。汝等之を貪食たんしょくするに、又懴悔ざんげの念あることなし。斯かくの如きの諸の悪業あくごう、挙げて数うるなし。悪業を以ての故に、更に又諸の悪業を作る。継起けいきして遂ついに竟おわることなし。昼は則ち日光を懼おそれ、又人及諸の強鳥を恐る。心暫らくも安らかなることなし。一度梟身ひとたびきようしんを尽して又新に梟身を得、審つまびらかに諸の患難かんなんを被りて、又尽くることなし。で前の晩ばんは、諸鳥歓喜充満しよちようかんきじゆうまんせりまで、文もんの如くに講こうじたが、此の席はその次じゃ。則すなわち説いて曰くと、これは疾翔大力シツシヨウタイリキさまが、爾迦夷上人ルカイしようにんのご懇請こんせいによって、直ちに説法をなされたと斯うじゃ。汝等審なんじらつまびらかに諸の悪業を作ると。汝等というは、元来がんらいはわれわれ梟ふくろうや鵄とびなどに対して申さるるのじゃが、ご本意は梟にあるのじゃ、あとのご文もんの罪相ざいそうを拝するに、みなわれわれのことじゃ。悪業あくごうというは、悪は悪いじゃ、業とは梵語ぼんごでカルマというて、すべて過去になしたることのまだ報となってあらわれぬ業という、善業悪業あるじゃ。ここでは悪業という。その事柄ことがらを次にあげなされたじゃ。或あるいは夜陰やいんを以て、小禽しようきんの家に至ると。みなの衆、他人事ではないぞよ。よくよく自らの胸にたずねて見なされ。夜陰とは夜のくらやみじゃ。以てとは、これは乗じてというがようの意味じゃ。夜のくらやみに乗じてと、斯うじゃ。小禽の家に至る。小禽とは、雀、山雀やまがら、四十雀しじゆうから、ひわ、百舌もず、みそさざい、かけす、つぐみ、すべて形小にして、力ないものは、みな小禽しようきんじゃ。その形小さく力無い鳥の家に参るというのじゃが、参るというてもただ訪ねて参るでもなければ、遊びに参るでもないじゃ、内に深く残忍ざんにんの想を潜ひそめ、外又恐るべく悲しむべき夜叉相やしやそうを浮べ、密ひそやかに忍んで参ると斯う云うことじゃ。このご説法のころは、われらの心も未いまだ仲々なかなか善心もあったじゃ。小禽の家に至るとお説きなされば、はや聴法ちようほうの者、みな慄然りつぜんとして座に耐えなかったじゃ。今は仲々そうでない。今ならば疾翔大力シツシヨウタイリキさま、まだまだ強く烈はげしくご説法せつぽうであろうぞよ。みなの衆しゆう、よくよく心にしみて聞いて下され。次のご文もんは、時に小禽しようきんすでに終日しゆうじつ日光に浴し、歌唄跳躍かばいちようやくして、疲労ひろうをなし、唯々たびたび甘美かんびの睡眠すいみん中にあり。他人事ではないぞよ。どうじゃ、今朝も今朝とて穂吉どの処を替えてこの身の上じゃ、」
 説教の坊さんの声が、俄にわかにおろおろして変りました。
 穂吉ほきちのお母さんの梟はまるで帛きぬを裂くように泣き出し、一座の女の梟は、たちまちそれに従いて泣きました。
 それから男の梟も泣きました。
 林の中はただむせび泣く声ばかり、風も出て来て、木はみなぐらぐらゆれましたが、仲々誰たれも泣きやみませんでした。
 星はだんだんめぐり、赤い火星ももう西ぞらに入りました。
 梟ふくろうの坊さんはしばらくゴホゴホ咳嗽せきをしていましたが、やっと心を取り直して、又講義こうぎをつづけました。
「みなの衆しゆう、まず試ためしに、自分がみそさざいにでもなったと考えてご覧ろうじ。な。天道さまが、東の空へ金色こんじきの矢を射なさるじゃ、林樹りんじゆは青く枝は揺るる、楽しく歌をばうたうのじゃ、仲よくおうた友だちと、枝から枝へ木から木へ、天道てんとさまの光の中を、歌って歌って参るのじゃ、ひるごろならば、涼しい葉陰はかげにしばしやすんで黙だまるのじゃ、又ちちと鳴いて飛び立つじゃ、空の青板をめざすのじゃ、又小流こながれに参るのじゃ、心の合うた友だちと、ただ暫しばらくも離れずに、歌って歌って参るのじゃ、さてお天道さまが、おかくれなされる、からだはつかれてとろりとなる、油のごとく、溶けるごとくじゃ。いつかまぶたは閉じるのじゃ。昼の景色けしきを夢見るじゃ、からだは枝に留まれど、心はなおも飛びめぐる、たのしく甘いつかれの夢の光の中じゃ。そのとき俄にわかにひやりとする。夢かうつつか、愕おどろき見れば、わが身は裂けて、血は流れるじゃ。燃えるようなる、二つの眼が光ってわれを見詰みつむるじゃ。どうじゃ、声さえ発とうにも、咽喉のどが狂うて音が出ぬじゃ。これが則すなわち利爪りそう深くその身に入り、諸の小禽しようきん痛苦又つうくまた声を発するなしの意なのじゃぞ。されどもこれは、取らるる鳥より見たるものじゃ。捕る此方こちらより眺ながむれば、飛躍ひやくして之これを握むと斯うじゃ。何の罪なく眠れるものを、ただ一打ととびかかり、鋭するどい爪でその柔やわらかな身体をちぎる、鳥は声さえよう発てぬ、こちらはそれを嘲笑あざわらいつつ、引き裂くじゃ。何たるあわれのことじゃ。この身とて、今は法師ほうしにて、鳥も魚も襲おそわねど、昔おもえば身も世もあらぬ。ああ罪業ざいごうのこのからだ、夜毎夜毎の夢とては、同じく夜叉やしやの業をなす。宿業しゆくごうの恐ろしさ、ただただ呆あきるるばかりなのじゃ。」
 風がザアッとやって来ました。
 木はみな波のようにゆすれ、坊さんの梟ふくろうも、その中に漂ただよう舟のようにうごきました。
 そして東の山のはから、昨日の金角、二十五日のお月さまが、昨日よりは又ずうっと瘠せて上りました。
 林の中はうすいうすい霧きりのようなものでいっぱいになり、西の方からあの梟のお父さんがしょんぼり飛んで帰って来ました。

 旧暦きゆうれき六月二十六日の晩ばんでした。
 そらがあんまりよく霽れてもう天の川の水は、すっかりすきとおって冷たく、底のすなごも数えられるよう、またじっと眼をつぶっていると、その流れの音さえも聞えるような気がしました。
 けれどもそれは或あるいは空の高い処を吹いていた風の音だったかも知れません。
 なぜなら、星がかげろうの向う側にでもあるように、少しゆれたり明るくなったり暗くなったりしていましたから。
 獅子鼻ししばなの上の松林まつばやしには今夜も梟ふくろうの群むれが集まりました。
 今夜は穂吉が来ていました。
 来てはいましたが一昨日おとといの晩の処ところにでなしに、おじいさんのとまる処よりももっと高いところで小さな枝の二本行きちがい、それからもっと小さな枝が四五本出て、一寸盃さかずきのような形になった処へ、どこから持って来たか藁屑わらくずや髪かみの毛などを敷いて臨時りんじに巣がつくられていました。
 その中に穂吉ほきちが半分横になって、じっと目をつぶっていました。
 梟のお母さんと二人の兄弟とが穂吉のまわりに座って、穂吉のからだを支えるようにしていました。
 林中のふくろうは、今夜は一人も泣いてはいませんでしたが怒おこっていることはみんな、昨夜処ではありませんでした。
「傷いたみはどうじゃ。いくらか薄うすらいだかの。」
 あの坊さんの梟がいつもの高い処からやさしく訊たずねました。
 穂吉は何か云おうとしたようでしたが、ただ眼がパチパチしたばかり、お母さんが代って答えました。
「折角せつかくこらえているようでございます。よく物が申せないのでございます。それでもどうしても、今夜のお説教せつきようを聴聞ちようもんいたしたいというようでございましたので。もうどうかかまわずご講義をねがいとう存じます。」
 梟の坊さんは空を見上げました。
「殊勝しゆしようなお心掛こころがけじゃ。それなればこそ、たとえ脚あしをば折られても、二度と父母の処へも戻ったのじゃ。なれども健すこやかな二本の脚を、何面白いこともないに、捩よじって折って放すとは、何という浅間あさましい人間の心じゃ。」
「放されましても二本の脚を折られてどうしてまあすぐ飛べましょう。あの萱原かやはらの中に落ちてひいひい泣いていたのでございます。それでも昼の間は、誰たれも気付かずやっと夕刻、私が顔を見ようと出て行きましたらこのていたらくでございまする。」
「うん。尤もつともじゃ。なれども他人は恨うらむものではないぞよ。みな自らがもとなのじゃ。恨みの心は修羅しゆらとなる。かけても他人は恨むでない。」
 穂吉はこれをぼんやり夢のように聞いていました。
 子供がもう厭きて「遁がしてやるよ」といって外へ連れて出たのでした。
 そのとき、ポキッと脚を折ったのです。
 その両脚は今でもまだしんしんと痛みます。
 眼を開いてもあたりがみんなぐらぐらして空さえ高くなったり低くなったりわくわくゆれているよう、みんなの声も、ただぼんやりと水の中からでも聞くようです。
 ああ僕はきっともう死ぬんだ。
 こんなにつらい位ならほんとうに死んだ方がいい。
 それでもお父さんやお母さんは泣くだろう。
 泣くたって一体お父さんたちは、まだ僕の近くに居るだろうか、ああ痛い痛い。
 穂吉は声もなく泣きました。
「あんまりひどいやつらだ。こっちは何一つ向うの為に悪いようなことをしないんだ。それをこんなことをして、よこす。もうだまってはいられない。何かし返ししてやろう。」
 一疋ぴきの若い梟ふくろうが高く云いました。
 すぐ隣のが答えました。
「火をつけようじゃないか。今度屑焼くずやきのある晩に燃えてる長い藁わらを、一本あの屋根までくわいて来よう。なあに十本も二十本も運んでいるうちにはどれかすぐ燃えつくよ。けれども火事で焼けるのはあんまり楽だ。何かも少しひどいことがないだろうか。」
 又その隣りが答えました。
「戸のあいてる時をねらって赤子の頭を突いてやれ。畜生ちくしようめ。」
 梟の坊さんは、じっとみんなの云うのを聴いていましたがこの時しずかに云いました。
「いやいや、みなの衆、それはいかぬじゃ。これほど手ひどい事なれば、必らず仇あだを返したいはもちろんの事ながら、それでは血で血を洗うのじゃ。こなたの胸が霽れるときは、かなたの心は燃えるのじゃ。いつかはまたもっと手ひどく仇を受けるじゃ、この身終って次の生まで、その妄執もうしゆうは絶えぬのじゃ。遂ついには共に修羅しゆらに入り闘諍とうそうしばらくもひまはないじゃ。必らずともにさようのたくみはならぬぞや。」
 けたたましくふくろうのお母さんが叫びました。
「穂吉ほきち穂吉しっかりおし。」
 みんなびくっとしました。
 穂吉のお父さんもあわてて穂吉の居た枝に飛んで行きましたがとまる所がありませんでしたからすぐその上の枝にとまりました。
 穂吉のおじいさんも行きました。
 みんなもまわりに集りました。穂吉はどうしたのか折られた脚をぷるぷる云わせその眼は白く閉じたのです。
 お父さんの梟ふくろうは高く叫びました。
「穂吉、しっかりするんだよ。今お説教がはじまるから。」
 穂吉はパチッと眼をひらきました。
 それから少し起きあがりました。
 見えない眼でむりに向うを見ようとしているようでした。
「まあよかったね。やっぱりつかれているんだろう。」
 女の梟たちは云い合いました。
 坊さんの梟はそこで云いました。
「さあ、講釈こうしやくをはじめよう。みなの衆座にお戻りなされ。今夜は二十六日じゃ、来月二十六日はみなの衆も存知の通り、二十六夜待ちじゃ。月天子山のはを出でんとして、光を放はなちたもうとき、疾翔大力シツシヨウタイリキ、爾迦夷ルカイ、波羅夷ハライの三尊が、東のそらに出現まします。今宵こよいは月は異なれど、まことの心には又あらわれ給わぬことでない。穂吉どのも、ただ一途いちずに聴聞ちようもんの志じゃげなで、これからさっそく講ずるといたそう。穂吉どの、さぞ痛かろう苦しかろう、お経の文もんとて仲々耳には入るまいなれど、そのいたみ悩みの心の中に、いよいよ深く疾翔大力さまのお慈悲じひを刻みつけるじゃぞ、いいかや、まことにそれこそ菩提ぼだいのたねじゃ。」
 梟の坊さんの声が又少し変りました。
 一座はしいんとなりました。
 林の中にもう鳴き出した秋の虫があります。
 坊さんはしばらく息をこらして気を取り直しそれから厳いかめしい声で願がんをたててから昨夜の続きをはじめました。
「梟鵄救護章きようしくごしよう梟鵄救護章諸の仁者掌じんしやたなごころを合せて至心に聴き給え。我今疾翔大力シツシヨウタイリキが威神力を享けて梟鵄救護章の一節を講ぜんとす。唯願ただねごうらくはかの如来大慈大悲我が小願の中に於て大神力を現じ給い妄言綺語の淤泥を化して光明顕色の浄瑠璃じようるりとなし、浮華の中より清浄せいじようの青蓮華を開かしめ給わんことを。至心欲願、南無仏南無仏南無仏。爾の時に疾翔大力、爾迦夷ルカイに告げて曰く、諦あきらかに聴け諦に聴け。善く之これを思念せよ。我今汝に梟鵄諸きようしもろもろの悪禽あくきん離苦解脱りくげだつの道を述べんと。爾迦夷則すなわち両翼りようよくを開張かいちようし、虔うやうやしく頸くびを垂れて座を離れ、低く飛揚ひようして疾翔大力を讃嘆さんたんすること三匝さんそうにして、徐おもむろに座に復し、拝跪はいきして願うらく疾翔大力、疾翔大力、ただ我等が為にこれを説き給え。ただ我等が為にこれを説き給えと。疾翔大力シツシヨウタイリキ、微笑みしようして金色こんじきの円光を以て頭に被かぶれるに、諸鳥歓喜充満かんぎじゆうまんせり。則ち説いて曰く、汝等審なんじらつまびらかに諸の悪業あくごうを作る。或あるいは夜陰やいんを以て小禽しようきんの家に至る。時に小禽既すでに終日日光に浴し、歌唄跳躍かばいちようやくして疲労ひろうをなし、唯唯甘美の睡眠中にあり、汝等飛躍ひやくして之を握む。利爪りそう深くその身に入り、諸の小禽痛苦又つうくまた声を発するなし、則ち之を裂きて擅ほしいままに貪食たんしよくす。或は沼田に至り、螺蛤らこうを啄む。螺蛤軟泥らこうなんでい中にあり、心柔軟にして唯温水を憶おもう。時に俄にわかに身空中にあり、或は直ちに身を破る、悶乱もんらん声を絶す。汝等之これを貪食たんしよくするに、又懴悔ざんげの念あることなし。悪業あくごうを以ての故に、更に又諸の悪業を作る。継起して遂ついに竟おわることなし。昼は則ち日光を懼おそれ又人及諸の強鳥を恐る。心暫らくも安らかなることなし。一度梟身ひとたびきようしんを尽して又新に梟身を得。審つまびらかに諸の患難かんなんを被こうむりて、又尽くることなし。で前の晩は、斯かくの如ごときの諸の悪業、挙げて数うることなし、まで講じたが、今夜はその次じゃ。悪業を以ての故に、更に又諸の悪業を作ると、これは誠まことに短いながら、強いお語ことばじゃ。先刻せんこく人間に恨うらみを返すとの議があった節せつ、申した如くじゃ、一の悪業によって一の悪果あつかを見る。その悪果故に、又新なる悪業を作る。斯かくの如く展転てんでんして、遂ついにやむときないじゃ。車輪のめぐれどもめぐれども終らざるが如くじゃ。これを輪廻りんねといい、流転るてんという。悪より悪へとめぐることじゃ。継起して遂に竟おわることなしと云うがそれじゃ。いつまでたっても終りにならぬ、どこどこまでも悪因悪果あくいんあつか、悪果によって新に悪因をつくる。な。斯うじゃ、浮む瀬とてもあるまいじゃ。昼は則すなわち日光を懼おそれ、又人及諸の強鳥を恐る。心暫らくも安らかなることなし。これは流転の中の、つらい模様をわれらにわかるよう、直かに申されたのじゃ。勿体もつたいなくも、我等は光明の日天子をば憚はばかり奉たてまつる。いつも闇とみちずれじゃ。東の空が明るくなりて、日天子さまの黄金の矢が高く射出さるれば、われらは恐れて遁げるのじゃ。もし白昼にまなこを正しく開くならば、その日天子の黄金の征矢そやに伐たれるじゃ。それほどまでに我等は悪業あくごうの身じゃ。又人及諸の強鳥を恐る。な。人を恐るることは、今夜今ごろ講ずることの限りでない。思い合せてよろしかろう。諸の強鳥を恐る。鷹たかやはやぶさ、又さほど強くはなけれども日中なれば烏からすなどまで恐れねばならぬ情なさけない身じゃ。はやぶさなれば空よりすぐに落ちて来て、こなたが小鳥をつかむときと同じようなるありさまじゃ、たちまち空で引き裂かれるじゃ、少しのさからいをしたとて、何にもならぬ、げにもげにも浅間しくなさけないわれらの身じゃ。」
 梟ふくろうの坊さんは一寸声を切りました。
 今夜ももう一時の上りの汽車の音が聞えて来ました。
 その音を聞くと梟どもは泣きながらも、汽車の赤い明るいならんだ窓のことを考えるのでした。
 講釈こうしやくがまた始まりました。
「心暫しばらくも安らかなることなしと、どうじゃ、みなの衆しゆう、ただの一時でも、ゆっくりと何の心配もなく落ち着いたことがあるかの。もういつでもいつでもびくびくものじゃ。一度梟身ひとたびきようしんを尽つくして又新に梟身を得と斯うじゃ。泣いて悔やんで悲しんで、ついには年老る、病気になる、あらんかぎりの難儀なんぎをして、それで死んだら、もうこの様な悪鳥の身を離れるかとならば、仲々そうは参らぬぞや。身に染み込んだ罪業ざいごうから、又梟に生れるじゃ。斯かくの如くにして百生、二百生、乃至劫ないしこうをも亘わたるまで、この梟身を免まぬがれぬのじゃ。審つまびらかに諸の患難かんなんを蒙こうむりて又尽くることなし。もう何もかも辛いことばかりじゃ。さて今東の空は黄金色になられた。もう月天子がお出ましなのじゃ。来月二十六夜ならば、このお光に疾翔大力シツシヨウタイリキさまを拝み申すじゃなれど、今宵とて又拝み申さぬことでない。みなの衆、ようくまごころを以て仰あおぎ奉たてまつるじゃ。」
 二十六夜の金いろの鎌かまの形のお月さまが、しずかにお登りになりました。
 そこらはぼおっと明るくなり、下では虫が俄にわかにしいんしいんと鳴き出しました。
 遠くの瀬の音もはっきり聞えて参りました。
 お月さまは今はすうっと桔梗ききよういろの空におのぼりになりました。
 それは不思議な黄金の船のように見えました。
 俄にわかにみんなは息がつまるように思いました。
 それはそのお月さまの船の尖とがった右のへさきから、まるで花火のように美しい紫いろのけむりのようなものが、ばりばりばりと噴き出たからです。
 けむりは見る間にたなびいて、お月さまの下すっかり山の上に目もさめるような紫むらさきの雲をつくりました。
 その雲の上に、金いろの立派な人が三人まっすぐに立っています。
 まん中の人はせいも高く、大きな眼でじっとこっちを見ています。
 衣のひだまで一一はっきりわかります。
 お星さまをちりばめたような立派な瓔珞ようらくをかけていました。
 お月さまが丁度ちようどその方の頭のまわりに輪になりました。
 右と左に少し丈の低い立派な人が合掌して立っていました。
 その円光はぼんやり黄金いろにかすみうしろにある青い星も見えました。
 雲がだんだんこっちへ近づくようです。
「南無疾翔大力なむシツシヨウタイリキ、南無疾翔大力。」
 みんなは高く叫びました。
 その声は林をとどろかしました。
 雲がいよいよ近くなり、捨身菩薩しやしんぼさつのおからだは、十丈ばかりに見えそのかがやく左手がこっちへ招くように伸びたと思うと、俄にわかに何とも云えないいいかおりがそこらいちめんにして、もうその紫の雲も疾翔大力の姿も見えませんでした。
 ただその澄み切った桔梗ききよういろの空にさっきの黄金いろの二十六夜のお月さまが、しずかにかかっているばかりでした。
「おや、穂吉ほきちさん、息つかなくなったよ。」
 俄に穂吉の兄弟が高く叫びました。
 ほんとうに穂吉はもう冷たくなって少し口をあき、かすかにわらったまま、息がなくなっていました。
 そして汽車の音がまた聞えて来ました。