歌舞伎 浄瑠璃 名セリフ集

一.切られ与三 一八五三年 与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)

与三郎とお富
与三郎
 しがねえ恋の情けが仇、
 命の綱の切れたのを、
 どうとりとめてか木更津から、
 めぐる月日も三年(みとせ)越し、
 江戸の親にゃア勘当受け、
 よんどころなく鎌倉の、
 谷七郷(やつしちごう)はくいつめても、
 (つら)に受けたる看板の、
 (きず)がもっけの幸いに、
 切られ与三と異名をとり、
 押借り強請(ゆすり)も習おうより、
 慣れた時代の源氏店(げんじだな)
 その白化(しろばけ)か黒塀の、
 格子(こうし)作りの囲い者、
 死んだと思ったお富たァ、
 お釈迦さまでも気がつくめえ。
 よくまァおぬしは達者でいたなァ。
 安やい、これじゃあ一分じゃァ帰られめえ。

二.鈴が森 一八二三年 浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなづま)

幡随院長兵衛
 お若えの。お待ちなせえやし
白井権八
 待てとお止めなされしは、拙者が事でござるかな
長兵衛
 さようさ、
 鎌倉方の御屋敷へ、
 多く出入りのわしが商売、
 それをかこつけ(あり)ようは、
 遊山半分江ノ島から、
 片瀬へかけて思わぬひま取り、
 どうで泊まりは品川と、
 川端からの戻り駕籠(かご)
 通りかかった鈴が森、
 お若えお方の御手の内、
 あまり見事と感心いたし、
 思わず見惚れて居りやした。
 お気遣いはござりません。
 まァお刀をお納めなさえまし。
権八
 こぶしも(にぶ)き生兵法、お恥しう存知まする。
長兵衛
 お見受け申せば、お若えのにお一人旅でござりまするか、
 シテ、どれからどれへお通りでござりまする。
権八
 ご親切なるそのお言葉、
 御覧の通り拙者めは、
 勝手存ぜぬ東路(あずまじ)へ、
 中国筋からはるばると、
 暮れに及んで磯端(いそばた)に、
 一人旅と侮って、
 無礼過言の雲助ども、
 彼奴等(きやつら)はまさしく追落し、
 命をとるも殺生と、
 存じたなれどつけ上がり、
 手向かい致す不敵な奴、
 刀の穢れと存すれど、
 往来(ゆきき)のもののためにもと、
 よんどころなくかくの仕合せ、
 雉も鳴かずば討たれまいに、
 益ない殺生いたしてござる。

三.弁天小僧 一八六二年

弁天小僧
 知らざあ言って聞かせやしょう。
 浜の真砂と五右衛門が、
 歌に残せし盗人の、
 種は尽きねえ七里ヶ浜、
 その白波の夜働き、
 以前をいやあ江ノ島で、
 年期勤めの稚児ヶ淵。
 百味講(ひゃくみ)でちらす蒔銭(まきせん)を、
 当てに小皿の一文字、
 百が二百と賽銭の、
 くすね銭せえだんだんに、
 悪事はのぼる(かみ)の宮、
 岩本院で講中の、
 枕探しも度重なり、
 お手長講の札付きに、
 とうとう島を追い出され、
 それから若衆の美人局(つつもたせ)
 ここやかしこの寺島で、
 小耳に聞いた音羽屋の、
 似ぬ声色で小ゆすりかたり、
 名さえゆかりの弁天小僧菊之助たァ、おれがことだ。

四.白波五人男 一八六二年 弁天娘女男白波

青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ) 浜松屋の場
弁天
 知らザァ言って聞かせやしょう。
 浜の真砂と五右衛門が
 歌に残せし盗人の
 種は尽きねえ七里が浜、
 その白波の世働き、
 以前をいやあ江ノ島で
 年季勤めのちごが淵、
 江戸の百味講(ひゃくみ)の蒔き銭を
 当てに小皿の一文子(いちもんこ)
 百が二百と賽銭の
 くすね銭せえだんだんに
 悪事はのぼる上の宮、
 岩本院で講中の
 枕探しも度重なり、
 お手長講と札付きに
 とうとう島を追い出され、
 それから若衆の美人局、
 ここやかしこの寺島で
 小耳に聞いた音羽屋の
 似ぬ声色で小ゆすりかたり、
 名さえ由縁の弁天小僧菊之助という小若衆さ

勢揃いの場
日本駄右衛門
 問われて名乗るもおこがましいが、
 生れは遠州浜松在、
 十四の時から親に放れ、
 身の生業(なりわい)も白波の、
 沖を越えたる夜働き、
 盗みはすれど非道はせず、
 人に情けを掛川から、
 金谷(かなや)をかけて宿々(しゅくじゅく)で、
 義賊と噂高札に、
 回る配布のたらい越し、
 尽きねえその身の境界も、
 最早(もはや)四十に人間の、
 定めは僅か五十年、
 六十余州に隠れのねえ、
 賊徒の張本日本駄右衛門

弁天小僧
 さてその次は江ノ島の、
 岩本院の稚児上がり、
 平素(ふだん)着馴れし振袖から、
 髷も島田に由比ガ浜、
 打ち込む浪にしっぽりと、
 女に化けて美人局、
 油断のならねえ小娘も、
 小袋坂に身の破れ、
 悪い浮名も(たつ)の口、
 土の牢へも二度三度、
 段々(くぐ)る鳥居数、
 八幡様の氏子にて、
 鎌倉無宿と肩書も、
 島に育って其の名さえ、
 弁天小僧菊之助。

忠信(ただのぶ)利平
 続いて跡に控えしは、
 月の武蔵の江戸育ち、
 幼児(がき)の時から手癖が悪く、
 抜け参りからぐれ出して、
 旅を稼ぎに西国を、
 回って首尾も吉野山、
 まぶな仕事も大峯に、
 足を止めたる奈良の京、
 碁打ちと云って寺々や、
 豪家に入りこみ盗んだる、
 金が御岳(みたけ)罪科(つみとが)は、
 蹴抜(けぬけ)の塔の二重三重、
 重なる悪事に高飛びなし、
 跡を隠せし判官(ほうがん)
 お名前(かた)りの忠信利平

赤星十三郎
 そのまた次ぎに連なるは、
 以前は武家の中小姓、
 故主のために切り取りも、
 鈍い(やいば)の腰越や、
 戸上が原に身の錆びを、
 砥ぎ直しても抜きかねる、
 盗み心の深緑(ふかみどり)
 柳の都谷七郷、
 花水橋の斬り取りから、
 今牛若と名も高く、
 忍ぶ姿も人の目に、
 月影ヶ谷御輿ヶ嶽、
 今日ぞ命の明け方に
 消ゆる間近き星月夜、
 其の名も赤星十三郎。

南郷力丸
 さてどん尻に控えしは、
 汐風荒き小動(こゆるぎ)の、
 磯馴(そなれ)の松の曲り成り、
 人と成ったる浜育ち、
 仁義の道も白川の
 夜船へ乗り込む船盗人。
 浪にきらめく稲妻の、
 白羽で脅す人殺し、
 背負(しょ)って立たれぬ罪科は、
 其の身に重き虎が石、
 悪事千里と言うからは、
 どうで仕舞いは木の空と、
 覚悟はかねて鴫立沢(しぎたつさわ)
 しかし哀れは身に知らぬ、
 念仏嫌えな南郷力丸。

五.酒屋 一七七二年 艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)

お園と半七と三勝
お園
 今頃は半七さん。
 どこにどうしてござろうぞ。
 今更返らぬ事ながら、
 わたしという者ないならば、
 甥御さまもお通にめんじ、
 子迄なしたる三勝どのを、
 ()くにも呼び入れさしやんしたら、
 半七さんの身持ちも直り、
 御勘当もあるまいに、
 思えば思えばこの園が、
 去年の秋の(わずら)いに、
 いっそ死んで仕舞うたら、
 こうした難儀は出来まいもの。
 お気に入らぬと知りながら、
 未練なわたしが輪廻(りんぶ)ゆえ、
 添臥(そいぶし)は叶わずとも、
 お傍に居たいと辛抱して、
 これまで居たのがお身の仇

 今の思いにくらぶれば、
 一年前にこの園が
 死ぬる心がェェつかなんだ。
 こらえてたべ半七さん。
 わしゃこのように思うていると、
 恨みつらみは露ほども、
 夫を思う真実心、
 猶いやまさる憂き思い。
 嫌われても夫の内。
 この家で死ねば後の世の、
 もしや契りの綱にもと、
 最期を急ぐ心根は、
 余所の見る目もいじらしし、

六.髪結(かみゆい)新三 一八七三年 梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)

傘づくしのセリフ 新三
 丁度所も寺町に、
 娑婆と冥途の別れ道、
 その身の罪も深川に、
 橋の名さえも閻魔堂(えんまどう)
 鬼と云われた源七が
 ここで命を捨てるのも、
 餓鬼より弱い生業(しょうべい)
 地獄の、かすりをとった報いだ。
 手前も俺も遊び人、
 一つ釜とはいいながら、
 黒闇(こくあん)地獄のくらやみでも、
 亡者の仲の二番役、
 業の(はかり)にかけたらば、
 貫目の違う入墨新三、
 こんな出会いもその内に、
 てっきりあろうと浄玻璃(じょうはり)の、
 鏡にかけて懐に、
 隠しておいたこの匕首(あいくち)
 刃物があれば鬼に金棒、
 どれ血塗(ちまぶ)れ仕事にかかろうか。

 これよく聞けよ、
 普段は帳場を廻りの髪結、
 いわば得意の事だから、
 (うぬ)がような間抜け奴にも、
 やれ忠七さんだとか、番頭さんとか
 上手を使って出入りもするも、
 一銭職と昔から、
 下った稼業の世渡りに、
 にこにこ笑った大黒の
 口をつぼめたからかさも、
 並んでさして来たからは、
 相合傘の五分と五分。
 ろくろのような首をして、
 お熊が待っていようと思い、
 雨のゆかりにしっぽりと、
 濡るる心で帰るのを、
 そっちが娘にふりつけられ、
 はじきにされた悔しんぼに、
 柄のねえ所に柄をすげて、
 油ッ紙へ火の付くように、
 べらべら御託をぬかしやがりやァ、
 こっちも男の意地づくに、
 破れかぶれとなるまでも、
 覚えがねえと白張りの、
 しらをきったる番傘で、
 汝うぬがかぼそいその体へ、
 べったり印をつけてやらァ。

七.一八八八年 籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)

次郎左衛門
 花魁(おいらん)、そりゃァちとそでなかろうぜ。
 夜毎に変わる枕の数、
 浮き川竹の勤めの身では
 昨日にまさる今日の花と、
 心変わりはしたかは知らねど、
 もう表向き今夜にも
 身請けのことを取り決めようと、
 昨夜(ゆうべ)も宿で寝もやらず、
 秋の夜長を待ちかねて、
 菊見がてらに(さと)の露、
 濡れて見たさに来てみれば、
 案に相違の愛想づかし、
 そりゃァもう田舎者のその上に、
 二た目と見られぬわしゆえに、
 断られても仕方がないが、
 なぜ初手から言うてはくれぬ。
 江戸へ来るたび吉原で、
 佐野の誰とか噂もされ、
 二階へ来れば、朋輩の
 花魁たちやかむろにまで
 呼ばれる程になってから、
 指をくわえて引き込まりょうか、
 ここの道理を考えて、
 察してくれてもいいではない

八.一八六〇年 三人吉三巴白波(さんにんきちざともえのしらなみ)

お嬢吉三
 月も(おぼろ)に白魚の、
 かがりもかすむ春の空、
 冷てえ風もほろ酔いに、
 心持よくうかうかと、
 浮かれガラスの只一羽、
 ねぐらに帰る川端で、
 (さお)の雫か濡れ手で粟、
 思いがけなく手に入る百両、
 ・・・
 ほんに今夜は節分か、
 西の海より川の中、
 落ちた夜鷹は厄落とし、
 豆沢山に一文の、
 銭と違って金包み、
 こいつァ春から縁起がいいわえ。

九.近松「曽根崎心中より」一七〇三年

お初と徳兵衛
 この世のなごり、世もなごり、
 死ににゆく身をたとふれば、
 あだしが原の道の霜、
 一足づつに消えてゆく、
 夢の夢こそあはれなれ、
 あれ数ふればあかつきの、
 七つの時が六つ鳴いて、
 残る一つが今生の、
 鐘のひびきの聞きおさめ、
 寂滅為楽とひびくなり。

 鐘ばかりかは。草も木も
 空もなごりと見上ぐれば。
 雲心なき水のおも
 北斗はさえて影うつる
 星の妹背の天の河。
 梅田の橋をかささぎの
 橋と契りていつまでも
 我とそなたはめおと星。
 必ず添ふとすがり寄り
 二人がなかに降る涙
 川の水嵩(みかさ)もまさるべし

お初
 なんじゃ、九平次がねんごろしょう。
 イャ、こりゃかたじけなかろわいの。
 さりながら、わしとねんごろさァんすと、
 こなたも殺すが合点か。
 徳様に離れて片時も生きていようか。
 どうで徳様死ぬる覚悟、
 わしも一緒に死ぬるぞいの

一〇.梅川忠兵衛(冥途の飛脚) 恋飛脚大和往来(こいのたよりやまとおうらい)
    一七九六年 梅川と忠兵衛

忠兵衛
 鳥辺山をうとうている。
 梅川が手付の後金(あとがね)出来ぬさえあるに、
 手付証文の日限りは切れ、
 どの(つら)下げて冶右衛門に逢われようぞ。
 所詮すたった忠兵衛のこの顔が、
 立たぬと言うて、小二才か
 何ぞのように梅川を
 連れて道行きもなるまい。
 わしさえ思い切ったれば、
 結局、梅川が身が片付くというものじゃ。
 とはいうものの、あの八右衛門めに請出されては、
 どうも男の意気地が立たぬ故、
 今日は梅川に逢うてたった一言、
 暇乞いやら言い訳やら、
 迎えに来たを幸いに、
 来ることは来たけれど、
 どうぞ逢わしてくれればよいが。

 川とおえんか畳算を置いている様子、
 すっと内へも入りにくい。
 しかしあの畳算は誰を待っているのであろうか。
 わしじゃと思うて入っても、
 十日も逢わぬその内に心が変わり、
 時節柄のこと故に、
 金持ちの八右衛門に乗り換えて、
 今日わしを呼びによこしたは、
 さっぱり退()いてくれというような、
 二人の相談かも知れん。
 いやいやそうではあるまい。
 貧すれば鈍すると、
 思い違えて大きな間違いが出来るものじゃ。
 おおそうじゃ、
 自惚れながら梶原源太はわしかしらん。

一一.近頃河原達引(ちがごろかわらのたてひき) 一七八二年 堀川 お俊と伝兵衛

お俊
 そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん。
 お言葉無理とは思わねど、
 そも会いかかる初めより、
 末のすえまで言い交わし、
 互いに胸を明かし合い、
 何の遠慮も内証の、
 世話しられても恩にきぬ、
 ほんの女夫(めおと)と思うもの。
 大事の、大事の夫の難儀、
 命の(きわ)にふり捨てて、
 女子(おなご)の道が立つものか。
 不幸とも悪人とも思い諦め、
 コレもうし、一緒に死なして下さんせ。

一二.浪花亭綾太郎「壷坂(観音)霊験記」 一八七九年

お里と沢市
♪妻は夫をいたわりつ
 夫は妻を慕いつつ
 頃は六月中の頃
 夏とはいえど片田舎
 木立の森もいと涼しい♪

一三.極付幡随長兵衛(きわめつけばんずいちょうべえ) 一八八一年

長兵衛と水野十郎左衛門
長兵衛
 いかにも命は差し上げましょう。
 兄弟分や子分の者が、
 留めるをきかず只一人
 迎えに応じて山の手へ
 流れる水もさかのぼる、
 水野の屋敷へ出てきたからは、
 もとより命は捨てる覚悟、
 百年生きるも水児(みずこ)で死ぬも、
 持って生れた其の身の定業(じょうごう)
 卑怯未練に人手を借りず、
 こなたが初手からくれろと言ャあ、
 名に負う天下のお旗本
 八千石の知行取り、
 相手に取って不足がねえから、
 綺麗に命を上げまする。
 殺されるのを合点で、
 来るのはこれまで町奴で、
 男を売った長兵衛が
 命惜しむと言われては、
 末代までの名折れゆえ、
 熨斗(のし)をつけて進ぜるから、
 度胸の坐ったこの胸を。
 サアすっぱりと突かっせえ。

一四.一本刀土俵入り 一九三一年

茂兵衛
 お行きなさんせ、
 早いところで、仲良く丈夫でおくらしなさんせ。
 ああ お蔦さん、
 棒切れを振り回してする茂兵衛のこれが、
 十年前に櫛かんざしで、
 巾着ぐるみ意見を貰った姐さんに、
 せめてみて貰う駒形の、
 しがねえ姿の土俵入りでござんす。

一五.心中天の網島 一七二〇年

おさんと冶兵衛と小春
橋づくし
「頃は十月十五夜の
 月にも見へぬ身の上は
 心の闇のしるしかや
 今置く霜は明日消ゆる

 はかなく(たとえ)のそれよりも
 先に消え行く(ねや)の内
 いとしかはひと締めて寝し移り香も
 なんとながれの(しじみ)

「西に見て
 朝夕渡るこの橋の
 天神橋はその昔
 菅丞相(かんしょうじょう)と申せし時
 筑紫(つくし)へ流され給ひしに
 君を慕ひて大宰府へ
 たった一飛び梅田橋
 あと追ひ松の緑橋
 別れを嘆き悲しみて
 後にこがるる桜橋
 今に話を聞渡る
 一首の歌の御威徳(おんいとく)
 かかる尊きあら神の
 氏子と生れし身をもちて
 そなたも殺し我も死ぬ〜

 菅原道真の飛び梅伝説から、治兵衛が朝夕渡った天神橋を引き出し、梅田橋、緑橋、桜橋と「橋尽し」が続く。
 内容的には、はかない二人の命の嘆きだが、あまり気取りのない、どちらかといえば、あっさりした文章になっている。

一六.仮名手本忠臣蔵 七段目

お軽が夫勘平の死を兄から聞かされて。
 もったいないが(とと)さんは、
 非業な死でもお年の上、
 勘平さんは三〇になるやならずで死ぬるとは、
 さぞ悲しかろ、口惜しかろ、
 会いたかったであろうに、
 なぜ会わせては下さんせぬ。

一七.桜門五三桐(さんもんごさんのきり)

五右衛門
 絶景かな絶景かな
 春の眺めは価千金とは小さなたとえ、
 この五右衛門が目から万両。
 もはや日も西に傾き、
 誠に春の夕暮れの桜は、とりわけ ひとしおひとしお
 ハテ、うららかな春の眺めじゃなァ

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