月夜の牡丹 暮鳥

  序詩

とろとろと
とろけるやうに
ねほけよ

ぽつかりと
うまれでたやうに
めさめよ


  李の花

ぽつぽつと
また
李の花が
さきだしました

それだのに
なんとしたこと
どうしてかうもさみしいものか

春だといふのに
自分で自分を
それだから
あやしてでもゐるほかないの
おう、李の花よ


  或る時

ふなばらを
まつ青にぬりたてられて
うれしさうな漁船だ
──鮪をとりにでかけるところか

ああ、春だの


  おなじく

若布売の
背中に
めづらしい蠅が一疋
ついてゐた
越後の蠅だよ
きつと、さうだよ
     (上州にて)


  おなじく

かへるでも
とびこんだのか
ぽちやんと
水の音がした


  おなじく

まつくらな
ほんとにまつくらな
晩だな
あ、蛙だ
地の底でくくくく……


  おなじく

まつ黒い
春の土から
かげらふのやうに
わいたんだらう
とつても大きな静けさである
それだから
だれをみてもにこにこと

そしてまた寂しいのである


  おなじく

穀物の種子はいふ
 「どこにでもいい
 どこにでもいい
 まいてください
 はやく
 はやく
 蒔いてください
 地べたの中にうめてください」


  おなじく

どんよりと
花ぐもりである
桜がきれいにさいてゐる
こんな日に
死ぬことなどを
だれがおもはう


  おなじく

花もまた
おもふぞんぶん
おたがひの
深い匂ひをくみかはすか
霞のやうな
ほこりである


  おなじく

どうせ死ぬなら
こんな日だと
うたつたばかがあるさうだ
桜が
うたはせたんだらう


  おなじく

さくらよ
さくらよ
生きてるうちに
もう、いくど
お前の咲くのをみるだらう
自分は──


  おなじく

満開のさくらを一枝
だいじさうにかかへてにこにこと
寂しい田舎道をあるいてゐた
どこへゆくのであつたか
あの老人
自分ははつきりと
いまもいまとておぼえてゐる
いつまでも
いつまでも
わすれたくないもんだ
あの顔

自分はあのとき──
いまどきの世にも
まだ、こんな幸福さうな顔が
のこつてゐたかとおもつた


  おなじく

花咲爺さん
  どこにゐる
きれいにみごとに花をさかせて
こつそりとかくれてしまつた

あんまり花が
きれいにみごとにさいたので
はづかしくなり
うれしくなり
気味悪くなり
寂しくなり
それで
  かくれてしまつたのか

あんまり
花といふ花が
きれいにみごとにさいたので
わたしらまでが
はづかしくなり
うれしくなり
気味悪くなり
いひやうもなく寂しくなる

花咲爺さん
  どこにゐる
ひよつこりとでてきて
につこりと
わらつてみせてはくれませんか

あんたは
どこにもゐないのだ
みたものもないのだ
だが、花は
かうしてみごとにさいてゐるのよ

花咲爺さん
あんたが花とさいたんだ
あんたが花にばけたんだ
それだから
うつとりとさ
見惚れてでもゐるほかないんだ


  おなじく

もんぐら、もんぐら
いい季節になつたもんだな
鼹鼠よ
ゆふべの月が
おや、まだでてゐる
おまへらもそこで
一生懸命働いてゐるんか


  おなじく

こそこそと
つれだつて
猫めが
小麦畑にはいつていつた


  蟻

このたくさんの
蟻、蟻、蟻
なんとなく
なんとなく
ただ、歩き廻つて
ゐるのでなからう


  ある時

えんとつから
けむりがでてゐる
もくもく
もくもく
どうみても生きてるやうだ
銭湯のも
鉄工場のも
みんな一しよに
もくもく、もくもく
おもしろさうだなあ


  月夜の牡丹

ぼたんだ
ぼたんだ
月夜の牡丹だ

ごろごろ
ごろごろ
石臼の音が
また馬鹿にいいんだ


  ぼたんの教へ

ぼたんよ
ぼたんよ
どこまで深い昼だらう
生くることのたふとさに
呼吸づく花か
そなたは

そなたをぢつと
みてゐると
いまにも何か言ひだしさうな


  ある時

ぼたん
一輪

真昼でもいい
月の夜もいい
どうせ
此の世のものではない


  おなじく

これは一輪の牡丹である
これはみはてもつかないそんな大きな花である
宙天の蝶々よ
お前達にもたうとうそれがみつかつたか
ひらひら ひらひら
蒼空ふかく
とけこんでしまふがいい
とけこんでしまふがいい
ああ!


  とほりあめ

ぼたんには
かかるな
かかるな
あをぞらのしづくよ
かかるな

ぼたんにも
かかつた
かかつた
ぱらぱらと
それが三ツ粒
かかつた


  地震

地震だ
地震だ
ぼたんの花を
  どうしたもんだろ


  仙人掌をみて

これは
これは
ほんとに田舎娘の
花かんざしでもみるやうな──
この刺々の坊主頭の
そのどこに
こんな花があつたのだらう
なんとしても
だまされてゐるやうでならない


  ある時

なんの花かと
とはれたら
茱萸の花だと
  こたへよう

ひよつとして
折つてやらうと
いはれたら
さて、なんとしたらよからう


  おなじく

鼻づらをつきだして
いかにも長閑さうに
ながながと鳴いてみせたから
返事のつもりで
自分も
そのまねをしてやつた
すると、牝牛の奴
くるりと
こちらに尻をむけて
すつかり安心したやうに
もう、もぐもぐと草を喰べてゐる


  おなじく

遠天の
雲霧なれば
かかるもよからう

白い翅を
はたはた
はたはた
蝶のめざめか


  おなじく

朝、起きてみたら
しつとりと
土がぬれてゐる
ちつともしらなかつたが
やつぱり雨が落ちたんだな
すくすくと
一晩の中にといつてもいいほど
まあ、雑草が
不思議ではないか
こんなにものびてゐるんだ


  おなじく

すくすくと
一心にのびる筍
どこまでのびるつもりだらう
きのふは
子どもの肩より低く
けふはわたしをつきぬいた


  おなじく

一本二本三本と
いくほんこしらへても
どうしても
麦笛は鳴らない
こしらへかたなら
たしかにしつてゐるんだが
ああ、そうそう
そこまでは気がつかなかつた
それは、こどもの
唇でなければ
鳴らないんだとは──


  おなじく

どんな不思議なことが
いま、畑の中にはあるのか
そいつを
誰が知つてるだらう
よしまた知つたところで
それがなんだらう

ぞつくりと
畑の麦は
穂になつたよ


  むぎかり

百姓夫婦は麦刈り
すなつぽ畑のむぎかり
かかしよ
こもりをたのんだぞ


  或る時

一きは明るい
娘達の上あたり
なにがそんなにうれしいか
麦刈笠といつしよに
ゆらゆら
かげらふのゆれてゐる


  おなじく

するすると
野蒜はのびた
庭の一隅のことである
松の小枝が
邪魔になつたので
そこまでゆくと
ほどよく曲つて
また、するするとのびつづけてゐる


  おなじく

あさぎり
あさぎり
あさはやく
すなつぽの陸稲畠で
雑草をぬいてる頬冠りがあつた
あれは神様だつたらう


  おなじく

わびしさに
触れあふ
草の葉つぱだらう
おもひだしては
さらさらとよ


  おなじく

たそがれると
それをしつてゐて
そろそろ
花も
草木も
よりそつて
それもまた
うつくしいではないか
ねむりかける


  おなじく

ぐつたりと野蒜が一茎
花のまんましほれてゐた
磯の小山に……

そのこどものやうなのも
おなじやうに
小さな首をたれてゐた


  おなじく

雨ではないよ
こんなに深い蒼空だらう
松の葉の
  ためいきなんだよ


  おなじく

あれ、あれ
雀つ子もいつしよで
沙をあびてる
水をあびてる


  おなじく

ほのぼのと
靄の朝は
純らかである
子どもを叱る声まで


  おなじく

朝釣りは
一尾でいい
ほんの
鱸のこどもでいい
日の出るまへの


  おなじく

しののめの
渚に
海月が一つ
ぽつかりと
うちあげられてあつた
ゆふべの浪の
  いたづらのやうに……


  おなじく

浪どんど
浪どんど
四羽五羽六羽
あれは
千鳥といふ鳥である

口笛をふきながら
ときにはぽろりと一羽
わたしのゆめと
磯との間を
いつたりきたりしてゐる
いつたりきたりしてゐる


  おなじく

しつとりと
ぬれた渚
小さくかはゆく
のこされたあしあと
鮮かな
その一つ一つ

ふと、そのあしあとの
途絶えたところから
飛びたつた千鳥をおもへ……


  おなじく

なぎさのすなは
ふるひにかけたやうにきれいだ
だれもゐない
すなのうへには
ちひさなみづとりのあしあとがある
それがとほくまで
ならべたやうにつづいてゐる
そのあしあとをふんで
これもまた
かはいいあかんぼのあしあとがある
きつとそのみづとりをつかまへようとでもおもつて
よたよたとでかけたのかもしれない
だが、みづとりとあかんぼ
それだけか
それだけといふことがあらうか
よくみまはすと
おう、そこに
すこしはなれたところに
これもはだしのあしあとがあつた
あかんぼをきづかつて
あとからしづかにおひかけた
それこそ
そのあかんぼの
わかいははおやのであらう
にこにこしたかほまでがみえるやうだ


  おなじく

水をのみにきて
水をしみじみのんでゐた
蜂が一ぴき
なんにおどろいたのか
     飛びたつた

草深い、ここは
水かげらふの宿なのに──


  おなじく

一塊りの夕立雲は
まるでふざけてゐるやうにみえた
そのたかいところで
そしてすういと
あとかたもなくなつて
       しまつた


  おなじく

竹林の上を
   さわさわと
わたる時雨か
水墨の画である

妻があり
子があり
そしてびんぼうで愚鈍なだけに
こよなく尊い自分である


  おなじく

野蒜
ひよろひよろ
六尺、五尺
ゆふべの
あんな大風にも
不思議でならない
折れなかつたよ


  おなじく

朝顔のつぼみも
そのふくらみに
夜明けの
遠い天をかんじてゐるか

すべてに
昼の深さがある


  朝顔

あさがほは
口を漱いでみる花だ
まづしく
ひもじく


  おなじく

一輪の朝顔よ
ここに
生きた瞬間がある
生くることのたふとさがある

   *

さいてゐる
花をみよ
かうしてはゐられぬと思へ

   *

花をみること
それもまた
一つの仕事である
それの大きな仕事であることが
         解つたら
花をみて
その一生とするもよからう

   *

花はおそろしい
ほんとうにおそろしい
なんといふ真剣さであらう
だが、またそれは
あまりの自らさである


  おなじく

一りんの
朝顔に
かすかな呼吸のやうな風……
しみじみと
静に生きようとおもふ


  ある時

朝でもいい
まひるでもいい
ばらばら
通り雨である

竹林は隣屋敷だけれど
まづしい心の
     純かさよ


  おなじく

ぱら ぱら
ぱら ぱら
わたしのかほへも
それが三ツ粒
通り雨だ
竹藪の雀が
大騒ぎをやつてゐる


  おなじく

あたまのうへは
とつても澄んだ蒼空である
まあ、御覧
そのあをぞらが
蜻蛉を
一ぴきながしてゐる


  とんぼ

一ばんぢう
自分は小さな蜻蛉であつた
そしてとろとろゆめみてゐたのは
どこかの丘の
穂にでてゆれてる
     芒であつた


  ある時

蜻蛉のはうでは
子どもを弄つてゐるのであつた
よくみると
そしてあそんで
     ゐるのであつた


  おなじく

千草はほんとに
 なんでもしつてる

──あれ、あれ
とんぼが
みんなそろつて
飛行機のまねしてゐる


  おなじく

千草はなんでも知つてゐる
そして自分達にをしへてくれる
──黄金虫がきた
燭火を食べにきたんだ


  ある時

蟷螂の子どもが
三角頭をまげこんで
    しあんしてゐる
まさか
野蒜の花でもあるまい
何が、そんなに
おもひしづませてゐるのか


  とうもろこし畑にて

   1

とうもろこしの花が
つまらなさうにさいてゐる

砂つぽ畠の
ひるひなかだ

つまらなさうな
その陰影が
ながながと土を這つてゐる

   2

とうもろこしの花が
つまらなさうにさいてゐる

砂つぼ畠の
ひるの月だよ

   3

とうもろこしの花が
つまらなさうにさいてゐる
ちよぼちよぼとそのはやいのには
あそこの毛ほどの房がでてゐる
これでもものになるだらうか


  ある時

まづしい一家族の
  すんでゐるのは
とうもろこしの畑の中だ
蟋蟀よ
霧深いな


  おなじく

森ふかく
きえいる草の
一本の細逕
をんながそこへはいつていつた
蝶がそこから舞ひだしてきた


  おなじく

妻よ
こんな朝である
海を
掌にのせてみるのは

妻よ
どうだらう
あんなに沢山の小舟が
靄にかくれてでてゐたんだ
まあ、みてゐて御覧
一つ私が吹飛ばしてみせるから


  おなじく

まあ、この蜻蛉は
どこからあつまつてきたんだらう
こんなに──
夕凪である
そこでも戦争ごつこか


  落日の頃

蜻蛉よ
機虫よ
おまへらもまたそこで
生きのいのちをくるしんでゐるのか
だがさうしてともどもに
ひかりかがやいてゐるのだ
それでいい
それでいい
それで此の世もうつくしいのだ
まあ、どうだい
このすばらしい落日は


  ある時

遠い遠い
むかしの日よ
これも郷愁の一つである
片脚を
わたしの手にのこして
草のなかにかくれた
あの機虫よ


  おなじく

竹藪のうへに
ぽつかりと月がでた
笹の葉かげに
こつそりと
かくれてでもゐたやうに
あれ
 さらさらと
笹のみどりに揺れてゐる


  おなじく

いい月だ
路傍にたつてゐる石まで
しみじみ
 撫でてでもやりたいやうな


  おなじく

蝉もまた
閑寂をこのむものか
その声を天心からふらして

月の夜など……


  おなじく

松にも
椎にも
ほのかな風の翳がある
しいんとして……

月の匂ひが
とめどなく
   ながれる


  おなじく

ないてゐるのは
松の梢のてつぺんだ
だが、それは
蝉でもない
月でもない


  おなじく

昼だのに
 月がでてゐる
しんしんと
霧でもふらすやうな蝉だ
あの月の中でないてゐるのか


  昼

なにはなくとも松風
そのうへ
浜茶の渋味にふさはしいのは
なんといつても昼の三日月


  ある時

家のまはりを
ぐるぐると
めぐつても
めぐつても
いい月である
単独ではない
影も
ステツキなんかもつたりして


  おなじく

ああ、もつたいなし
もつたいなし
この掌はどちらにあわせたものか
いま日がはいる
うしろには
月がでてゐる


  おなじく

芭蕉よ
あんまり幽かな
  月の夜だから
松といふ松は
ほんとに花のやうであつた
ひとりもののあんたは
それを旅で
わたしは
それを妻と子とみた


  おなじく

大きな沼だ
そのまんなかに
舟が一つ
魚を釣つてゐるのか
それとも月をながめてゐるのか


  お月さん

とうちゃん
とうちゃん
暴風は
お月さんをわすれていつたよ


  ある時

木の葉がむしられてゐる
木の葉があらしに……
それをみて自分は
自分がむしられてゐるやうに感じた

そんなことも、また
冬の眺望の一つであるか


  おなじく

こどもでも
さがしまはつてゐるんぢや
        あるまいか
一羽の山雀だ
いい声だが
いかにもさびしく
かなしそうだ
まつたく
ゆふべのあらしときたら
めつぽうひどく強かつたからな


  おなじく

怒るだけおこつてしまつて
につこりわらつたやうだつて
ああ、いい
大暴風雨なんかが
どこにあつたつていふんだ
どうだい
まつすぐだなあ
煙突のけむり
とにかく天までとどいてゐる


  おなじく

静かな晩秋である
やみあがりの自分は
布団の上にきちんとすはつて
読書してゐる

いやに冷々する日だ
こほろぎが
壁に錐でももみこむやうな
すがれた声で啼いてゐる

おや、いつのまにか
自分のこころは


  おなじく

おや、いつのまにか
自分のこころも
なんとなくうすぐらくなつた
静かな晩秋である
ちろちろと
赤い小さな灯が
もうそのくらがりには
    ともされてゐる
そんな気がする


  おなじく

くさむらで啼く虫々は
音色で生きてゐるのである
いや、音色がいきてゐるのである
その音色のたふとさ
そのはかなさ


  昼

とろとろと
ねむたいのは
松の葉がこぼれるからだ
ときをり……

松の葉の
 こぼれる幽かさ
死ぬるも
生くるも
おんなじことか
ここでは──

   *

わけもなく
ねむたいときの
 気味悪さよ

ぱらぱらと
松の葉がこぼれる

   *

ぱらぱらと
ときをり
松の葉がこぼれる

死んでもゐない
生きてもゐない

   *

ぱらぱらと
ときをり
松の葉がこぼれる

松の葉の
こぼれる幽かさ──
生死のたふとさにあれ


  名刺

おとづれてきたのは
        風か
るすのまに
木の葉の名刺がおいてある
ここらにはみかけない
秦皮のはつぱだ


  ある時

遠天の鳶よ
もうそこまできてゐる
霙はそこまできてゐる
それだのに──
ああ、いい
その悠々としてゐるところ──
そこで何してゐるのか


  おなじく

ほほづき
ほほづき
はやく、いろづけ
雪ふり虫がすぐ
      とぶぞ


  おなじく

鬼灯よ
干柿よ
おまへたちもまた
そこで
その檐端で
お正月をまつてゐるんか
子どもらと一しよに

──いい日和だ
      なあ


  おなじく

もすこしだ
もすこしだ
渋柿よ
おまへたちのはうでも
もすこし
ぶら下つてやれ


  おなじく

まづしさを
きよくせよ

松のさみどり


  おなじく

娘よ
うんと力をいれて
何がそんなにはづかしいのよ
ほら、ぬけた
なんといふ
太いまつ白い大根だらう


  おなじく

どこの家にも
灯が
 はいつた
寒い木枯しのふくゆふべだ
つつましい生活と
その平和とのおもはれる
赤い障子よ
冬もまた、いい


  おなじく

路傍のはきだめで
芽をだしてゐる麦の粒々
いつ、どうして
どこからまぐれてきて
ここにこぼれた粒々か
それでも麦は
季節がくると
青い小さな芽をだした
青い小さなめのすすり泣き

まつ白な霜をいただいて
ぞつくりと
麦の小さなめのすすり泣き
──おう、自分達よ


  おなじく

二人で言つて
   みべえよ
そうすると
彼方でもいふから……
庭前にあそんでゐた子どもが
声をそろへて
──あつたかい、なあ

と、それを
きいてでもゐたのか
垣の外の雄鶏もそのまねをして
おんなじやうに
──あつたかい、なあ


  おなじく

これはまたあまりに平凡な
そして日々のことであるが
牝鶏は
つい、うまれでた
そのまつ白な卵をみると
けたたましくも
鳴き立つてみたくなるんだ
そらにちがひない
なんともいへないその不思議さに


  おなじく

おう、なんといふ
痩せさらぼいた影法師だらう
冬の日向で
一ぴきの蠅とあそんでゐる
暮鳥よ
それがおまへである
まだ生きてゐたのであつたか


  おなじく

烏がないてゐる
声を嗄らしてないてゐる
枯木のてつぺんにとまつてさ
それを、ぴゆぴゆ
ふき曝してゐる霙風め
だが烏よ
なんだつてそんなに
くやしさうにないてゐるんだよ
まつ赤な夕日に腹をたてて
何か悪態でもついてゐるんか


  おなじく

まあ、この大雪
雪のつもつた屋根々々
どつちをみても
ふつくらと
 あつたかさうな

―─どこだらう
らうらうと本を読んでゐるのは


  おなじく

大雪にふさはしい
びんぼうな家々――
森も畑も
こんもりと
どこのいへもけふばかりは
温かで平和さうだ
あ、あかんぼがないてる


  おなじく

雀がこどもに
いろはにほへとでも
   をしへてゐるのか
大竹薮のまひるだ
竹と竹とが
それを
ぢいつと聞いてゐる


  おなじく

鯨が汐を
ある晩、たかだかと
ふきあげてみせてくれた

ああ、こどものころ
あんなにみたかつた夢である


  おなじく

鋏に
小さな鈴がついてゐて
つかふたんびに
ちりちり
ちりちり
妻がそれをもぎとつた
すこしうるさくおもつたのである
だが翌日になつてみると
おや、おや
もう、また、いつのまにやら
ちやんからこんとついてゐるではないか
かうして鈴はちりちり
とられたり
つけられたり
つけられたり
とられたり
たうとう自分も妻もわらひだしてしまつた
ほんとに、ほんとに
子どもにはかなはない


  おなじく

あのうみは
だれの海なの
そしてあの千鳥は
おう
子どもよ
そればつかりはきいてくれるな
自分もだれかに
きいてみようと
おもつてゐたんだ


  おなじく

糸は一線
ただ、ひとすぢに
   ついてゆくのよ
針のあとから
そのゆくはうへと
   ついてゆくのよ


  おなじく

燐寸箱のやうに小さな家だ
それでも窓が一つあつて
朝夕
その窓から
そこのお爺さんとお嫗さんとが
ちやうど鳩か何かのやうに
ちよこんと二つ首を列べて
戸外をみてゐる
につこりともしないで──


  おなじく

辻の地蔵尊
おん掌に小石を一つのつけて
首がなかつた
あの地蔵尊
まだ、あのままであらうか


  おなじく

おや、これはおどろいた
なんでも知つてやがるんだよ
蚤は孵へるよりはやく
人間を螫すつてことを
それから
も一つのことも
……おう、よしよし


  おなじく

生籬のうへに
ごろんと首が一つ
明るい外をのぞいてゐたよ
そしてにこやかとわらつてゐたよ
いまもなほ
あのままだらうか
あの首
それこそ老子にそつくりだつけ


  読後

手洟はひるな
なすりつけるな
どうでも
ひるなら
隠所へいつてしなさい
世尊よ
これがあなたのお言葉である
これがあなたの真実の……
ああ、いい
ああ、これだけでいい


  ある時

万人を愛すといふか
むしろ
一ぴきのげぢげぢを憎むな

   *

万人を憎まぬことは
あるひはできよう
一ぴきのげぢげぢを愛することは──


  おなじく

いつ花をひらき
いつ実を結ぶか
青空よ
わたしはしらない


  おなじく

過ぎさつてしまつた日を
どうかういふのではないが
なんといふ
空の蒼さだらう


  おなじく

はてしらぬ
蒼空に
はてしらず
さまよう雲よ
ひよいとでて
人形使ひの
顔をみて
また、ひよつこりと
ひつこんでしまつた人形


  向日の林檎

いいお天気ですなあ
これは
これは
ふいにこんな声をかけられたら
自分はどうしたらう
林檎よ


  ある時

いいお天気ですなあ
と、またしばらくでしたなあ
たしかに鼻さきだとおもつた
榲桲まるめろのこゑだとおもつた
馬鹿、馬鹿
そんなのを天耳つていふんだわ


  おなじく

いいお天気ですなあ
とでもいひたげな
これは
これは
真冬
まつ赤な
日向の林檎である


  おなじく

ぽつかりと
月がでた
屋根にだれかあがつてゐる
いい晩だな……


  おなじく

ぽつかりと
月がでた
隣りの屋根にも
だれかあがつてゐるやうだ


  おなじく

小さな赤い粒々である
すばしこい灌木の実である
あつちでも
こつちでも
ぼさぼさした茂みのあたりで
さがされてゐるのは──
春だ、春だ
道行く人にも
ちよつと足をとめさせる

こどもたちは
いちはやくも、それで
唇ばたを染めたりしてゐる


  くちぶえ

くちぶえを
くちぶえをふいたところで
どうなるものか
この寂しさ

どうなるものとも
おもひはせぬが
口笛でも
ふくほかないのだ

ふけばそれでも
ひゆうひゆうと
草の葉つぱのやうに
鳴るから不思議だ


  ある時

大木の幹をなでつつ
ふと手をとめ
しみじみと
みみをすました
何の気もなく、何の気もなく
ちやうど脈でもみるやうに

なんといふ自分であらう


  おなじく

雨は一粒一粒
よふけてきけ
遠い
遠い
むかしのことを
    ものがたるよ


  おなじく

しみじみと
氷の中でめざめるのは
小さな真珠の月であらう
よあけである
どこかの山の沼である


  おなじく

自分はみた──
遠い
むかしの
神々の世界を
小さなをんなの子が
しきりに
花に
お辞儀をしてゐた


  おなじく

なんでもしつてゐるくせに
なんにもしらないふりをしてゐる
梅の古木か
ちらほら
雪のやうな花をつけ
雪のやうなその花を匂はせつ
すつきりとしてゐる


  おなじく

たふとさはこの重みにあれ!
林檎を掌に
 のせてながめてゐる


  おなじく

おう、これは
これは自分の心などより
こんなにも
こんなにも
大きな林檎だ


  おなじく

林檎のやうな
さびしがりはあるまい──
一つあつても
いくつも
いくつも
積み重ねられてあつても


  おなじく

こどもは林檎が好きだから
りんごもこどもがすきなんだ
必定、さうだ


  おなじく

林檎よ
こどもに食べられろ
こどもにばつかり
    頬ばられろ


  おなじく

りんごはいい
ましてや
子どもと妻と
町からかつてきてくれた林檎だ
どうして頬摺りしずにゐられよう
どうして歯なんかがあてられよう


  おなじく

どれもこれも
一やうにまつ赤であつた
林檎は……

けれどそのなかでの
とりわけ赤い一つは
ああ、よくみると
はやくも虫蝕まれてゐるではないか


  おなじく

りんごはいい
たべなくつていい
たべられなくつていい
だが
たべられるところで
なほさらいいのだ
たべられるのにたべないで
ながめてゐるから
さらにさらにいいのだ


  おなじく

まつ赤な林檎をみてゐると
きまつて自分は
昵としてゐられなくなる
林檎が残忍をよびおこすんだ
それこそ
美しいものの悪戯である


  おなじく

くつてしまへ
くつてしまへ
赤い林檎はおそろしい
それは
あんまり美し過ぎる


  おなじく

美しいものは
みんな食べてしまふがいい
たべられるやうな
画をみせろ
また詩をかけ
赤い林檎のやうな詩を──

汝、暮鳥よ
詩は食べられぬといふてはならない


  巻末の詩

さて、さて林檎よ
おまへはなんにもいつてくれるな
それでいい
それでいい
そうはいつても
うるさからうがな
こつそりと
ころりと一ど
わたしにだけでも
ころげてみせてくれたらのう
お、お、りんごよ

 月夜の牡丹 序詩 李の花 或る時  ある時 月夜の牡丹 ぼたんの教え ある時 とおりあめ 地震 仙人掌をみて ある時 むぎかり 
或る時 朝顔 ある時 とんぼ ある時 とうもろこし畑にて ある時 落日の頃 ある時  ある時 お月さん ある時  名刺 ある時 読後 
ある時 向日の林檎 ある時 くちぶえ ある時 巻末の詩 戻る