万物節 暮鳥
 
  電線、憐憫なく
  さみしさの交叉で
  ふり堆積る光
  さらさら鳴る黍の葉

    騒擾
 
  大旋風に捲きあげられた
  木の葉つぱと塵挨と
  あやふく屋根の大鴉も――と
  この大都会の大空はどうだ
  何もかも捲きあげろ
  畑の野菜も家家も
  街上の荷馬車も馬も私も
  まつぴるまの幻想と一しよに……
 
    雪のリタニイ
 
  ちらちらと春の雪
  雪の上でラツパを吹奏する
  ああいい
  ちらちらと
  ふるそばから消えてなくなる
  朝の雪がいい
  林檎のやうな頬つぺたもいい
  なんともいへぬ
 
    くちをとぢ……
 
  くちをとぢ
  めをみはれ
  ぜんしん
  ちからのこぶ
  はるのあさ
  あめあがり
  しつとりとぬれたみちを
  はだしで
  しつかり
  しつかり
  ふみしめて
  あるけ
  つよきにんげん
 
    首を吊るなら此の木でだ
 
  わたしのすきな巴旦杏の木
  私はその下かげにしばらく立つてしみじみかんがへてゐる
  ああ巴旦杏の木にわたしを痙攣ける
  首を吊るなら此の木でだ
  いまこそ花のさかりもすぎたが
  寡婦のやうなその花はなほもわたしを誘惑する
  足もとのカメリヤの吸ひ殻
  それがさみしくけぶつてゐる
  ああどうしてこんなに此の木はわたしをなぐさめるか
 
    陸稲畠を……
 
  陸稲畠をはしる電線
  電線はほそくながながと
  はてもなく
  その下のひろびろとした山腹の開墾地
  陸稲は金色にうれて重重しい穂首をたれた
  秋の入日のこのしづかさ
  二すぢ三すぢほそぼそと走り
  ほそぼそと刹那刹那に
  電線は世界のはての大戦乱を感じてゐるのか
  その電線の上にとまつた
  ひがん蜻蛉の列のしづかさ
 
    自分はこれまで……
 
  自分はこれまで
  考へてみると
  自分のすかないものを避け
  自分のすかないものには渋面を見せ
  自分のすきなことばかりしようとして来た
  読む本
  交はる友達
  たべもの
  風景
  天気
  其他のすべてに
  それでよかつたか
  これでよいか
  これでどうして人間が大きくなれよう
  此の弱虫め
  強くなれ
  おお恥しい自分
  それでも人間のつもりか
  汝はこれから
  人間の苦しい道をたどり
  人間のすててしまつた仕事を撰み
  汝のすかないどんなことでも
  それが汝を殺しに来るものでも
  キリストがあの反逆者ユダに対してしたやうに
  熱い接吻をもつて
  どんなものでもすくやうになれ
  それが汝を生かすことだ
 
    喫茶の詩
 
  時計がないから
  時間はわからない
  午后三時頃か
  そとでは雨がふつてゐる
  寂しい雨だ
  自分達はひさしぶりで炬燵の上にお茶をはこんだ
  そしていまのんでゐるところだ
  野兎のやうな子どもはお菓子を頬張つたり
  唱歌をうたつたり
  でたらめの唱歌
  室内はその声で一ぱいだ
  妻は滴るやうな愛情から
  いつしんに
  乳房に吸ひついてゐるあかんぼと
  目と目でみあひ
  何か人間世界のではない言葉でものをゆつてゐる
  わたしもそれにみとれてゐる
  そとは氷のやうな雨だ
  窓の下では葉つぱのない木が冷たさうに黒々とぬれてゐる
  ぱつたりと唱歌がやむと
  子どもは何かぶつぶつゆふ
  妻がそれを叱る
  子どもは泣く
  あかんぼも一しよになつて泣き出す
  わたしが一こゑ獅子のやうな声で吐鳴ると
  あたりがしいんとする
  雨はさかんに降つてゐる
  あんまりひつそりしてしまつたので
  くすくす妻が笑ひだすと
  それが雲切れの青空のやうに
  睨みあつてゐた顔は溶けて
  ふたたび雨の中までよろこびは溢れる
 
    くちぶえ
 
  ひさしぶりで風がなぎ
  自分もめづらしく早起きした
  あかんぼをかかへて
  そして朝の庭にでると
  竹やぶではもううぐひすが鳴いてゐた
  それをききつけて
  それとなく子どもにかへり
  自分も自分の口笛でそれにこたへた
  はるかに自分が上手である
  おお手の上のあかんぼ
  ううううといひながら
  ばね仕掛のやうに跳ね返つた
  あかんぼもうれしいのか
 
    ちらほらと……
 
  ちらほらと桜がさいた
  寂しい街のひるすぎ
  活動写真の楽隊がほこりを蹴立てて
  ゆきすぎたそのあとに独り
  自分はしよんぼり考へてゐた
  おおさくら
  彼がゆすればその木の下で
  自分はぢつと跪座瞑目
  自分がゆすれば彼は彼とて
  はららちるさくらのはなをよろこんで
  そこで鯱鋒立をした
  おおさくら
  ひがんざくら
 
    はげしく雨が……
 
  はげしく雨がふつてゐた
  その雨にまじつて
  めづらしい雪が飛んでゐた
  ぴつたり風のなぎたのをみて
  からりと空ははれ
  海のかなたへと
  どんより大きな日は沈んだ
  常例のやうに
  おお、そしてこんやは
  かへるがたんぼでなきはじめた
 
    うす濁つたけむり……
 
  うす濁つたけむりではあるが
  一すぢほそぼそとあがつてゐる
  たかくたかく
  とほくの
  とほくの
  山かげから――
  青天をめがけて――
 
  けむりにも心があるのか
  けふは、まあ
  なんといふ静穏かな日だらう
 
    遠望
 
  あれ、あれ
  お家がみえる
  障子が穴だらけだ
  妻よ
  子ども達よ
  まあ、掌の上にのせて御覧
  あんな家だが
  それこそおもちやでも
  みるやうにみえるよ
 
    万人を……
 
  万人をひとりで病まう
  万人をひとりで生きよう
  人間世界は
  まだみかぎつたものではない
  こんなすばらしい意志が
  どこかに
  草むらの蟋蟀のやうに
          かくれてゐる
 
    りんごよ
 
  りんごよ
  りんごよ
  りんごよ
  だが、ほんたうのことは
  なんといつてもたつた一つだ
  一生は一つのねがひだ
  一生は一つのねがひだ
  ころりと
  こつそりわたしに
  ころげてみせてくれたらのう
  りんごよ
 
    どこかに自分を……
 
  どこかに自分を
  凝視めてゐる目がある
  たつた一つの
  その星のやうな目
  その星のやうな目
 
    あんまり幽かな……
 
  あんまり幽かな
     真昼だから
  子ども達にはすかれないのだ
  どこまでもどこまでも
  ぶらついてゆき
  そして霧のやうに
  掻き消えてしまひたい
       松の細逕である
 
    海はひえびえと……
 
  海はひえびえと
  鴎や千鳥をひきつれて
  すつかり遠く
   ひきしりぞいてしまつた
  冬近く
  冬近く
  つつましい生活にやうに
  けれどすこしあらつぽく
  そこで小さく
  きらきらと光つてゐる
 
    憎悪のなかにも……
 
  憎悪のなかにも愛がある
  その愛をたうとめ
 
  あるとき
  着物についた草の実が
  しみじみと自分に
  この一つのことを気附かせた
 
    雨ではない……
 
  雨ではない
  雨ではない
  すごいほど深い蒼空である
  松の葉はのためいきなよ
 
    とほく……
 
  とほく
  とほく
  曲がりくねつてながれてゐる
  純らかな一すぢの水よ
 
  自分をとらへた
  大自然のすがたよ
 
    それは誰のものでもない……
 
  それは誰のものでもない
  それは万人のものだ
  それをあふぎみるもののだ
  おお、人間のくるしみを飾るもの
  星、星、星……
 
    遠天の……
 
  遠天の
  小さな月に
    ぬれてゐるもの
  ぼたんよ
  寒竹よ
 
  生死のたふとさにあれ
  汝、山村暮鳥よ
 
    風景
 
  ゆふがたの
  ゐどのまはりには
  あちらからも 
  こちらからも
  ながやのおかみさんたちがあつまる
  にぎやかなおしやべりがはじまる
  ときどきは
  けんくわもできる
 
  そのころになると
  そらでも
  ほしがきまつて
  ぴかぴかひかりだす
 
    丘の上では……
 
  丘の上では
  百姓のおかみさんたちが
  どんなにかまつてゐるだらう
  風よ、いそぎな……
 
  大きな箕や笊も
  こんなときででもなければ
  あたまよりたかくさしあげられるやうなことはあるまい
  何せよ
  すばらしい天気だ
  ぱらぱら、ぱらぱら
 
  百姓のおかみさんたちははやく
  籾殻をたてたがつてゐるんだ
 
  ぱらぱら、ぱらぱら
 
  あの穀粒の音ときたら
  まるで星でもふるやうぢやないか
  あれをきくと
  どんな貧乏をしてゐるものでも
  にこにこしずにはゐられなくなる
 
    あの盥舟を……
 
  あの盥舟をごらんなさい
  まるで達磨がうごきだしたやうではありませんか
  だがおわらいになつてはいけません
  あれにのつてゐるのは
  海草や貝類のおかげでくらしてゐる漁夫なんです
  けつして、あんなことをして
  あそんでゐるのではありません
 
    冬
 
  河原の水は浅いけれど
  みにしみるほど
  そんなに純く澄んでゐた
  小さな雑魚がたのしさうにすいすいと
  頭を列べておよいでゐた
  それこそピンほどのいきものだが
  それでもめがあり、くちがあり
  かはいい尾鰭さへも
  ちやんとつけてゐるではないか
  それがはつきりとみられた
  冬は深い
  そこら一ぱいころがつてゐる
  石塊と石ころとのあひだを
  ちよろちよろとすべる繊い水よ
  うつとりと目をとぢた自分は
  そこへこつそりとまひおりた一羽の鷺かなんかのやうに
  枯蘆の中にたたずんで
  しみじみと
  そのせせらぎをきいてゐた
  まあ、どこからだらう
  まるで自分のいのちのふるさと
  遠いとほいこころのおくのそのおくからでも
  それが、ながれだしてくるやうに
  おもはれたのも無理はあるまい
 
    友よ……
 
  友よ
  自分はなんと言はう
  自分はただ何となくしみじみともえてゐるのを感ずる
  此の大雪のあした
  此の銀細工のやうな小さい都会
  それが青空にうつつてでもゐるやうな此の静かさ
  その中に自分はある
 
    或る日曜日の詩
 
  けふは何といふ日であらう
  此の善い日曜日は
  空はくもつてゐるけれど
  自分達はうれしさに跳ね起きて
  そして朝の聖餐を
  高徳なやさしい老宣教師からうけるために
  町の寂しい教会をさしていそいだ
  おお此の身を切るやうな冬の朝
  老宣教師の異人さんの物悲しい火のやうな祈祷
  キリストの肉と血
  此のパンと葡萄酒
  これをたべ
  これをのみ
  而して生きよ
  土の中なるみみずのやうに
  おおいまは全くみみずのやうだけれども
  かくも天のめぐみに充ち溢れた自分だ
  妻よ
  きつとお前も此の貧しさを
  大きな愛のしるしである此の人間のくるしみを
  ようく感謝してきたらう
  更に此等のくるしみが喜んで忍べるやう
  ようくおいのりしてきたらう
  こども等よ
  お前達はいつもみつかひのやうであれ
  空はいよいよ険悪になり
  ぽつぽつ雨さへ落ちてきた
  けれども妻よ
  ひさしぶりで敬虔なお説教をきき
  ひとびとと一しよに讃美歌をうたひ
  どんなに清清しい気持であるか
  それから小さい蟇口から
  生命のやうな銅貨を二三枚
  それが自分達の全財産だつた
  それをつまみだして
  みんなそれを
  こつそり信施嚢に投げこんだお前
  そして今
  教会の門をでるところだつた
  そこへ自分が雨傘と足駄をかかへて駆けつけたのを見て
  につこりしてくれたお前
  おお健気な妻よ
  自分は泣いてなんかゐやしない
  これは雨のしづくだ
 
    いのちのみちを……
 
  いのちのみちをここまで
  俺は踏みつけてきた
  俺と一しよに
  妻や子どもも俺のあとからふみつけてきた
 
  おお神よ
  凡てが正しい
  とは俺達にしてほんとの言葉だ
  俺達をとりまく
  此の怖しいくらがり
  此のひどいぬかるみ
 
  繊弱い妻はあかんぼを背負ひ
  子どもは血のだらだらとながれる足を引摺つてゐるのだ
 
  みよ、俺達の上に
  またしても俺達をめがけて
  おお此の荘厳さは
  野獣のやうにのしかかるあらし
 
  いのちのみちをここまで
  俺はふみつけてきた
  俺と一しよに
  妻や子どもも俺のあとからふみつけてきた
 
  俺達のうしろで
  うようよと蛆虫のやうに相集まり
  俺達を罵るこゑごゑ
  それがなんだ
  そんなことで捩ぢ向けられるやうな此の首ではない
 
  くるしみよ
  一ど踏みつけてきた道を
  どんなことがあらうと
  くたばつても
  二どとふまないつむじ曲りの俺
  その俺の妻や子どもだ
 
  それがどんなに美しくも
  またそれがどんなに
  大きな平和と幸福にみちた世界であらうとも
  過ぎさつたものが何になるのだ
  なんでもない
  なんでもない
 
  俺は前方をにらんでゐるのだ
  どんなものでも来い
  なんでもない
  渦巻くあらし
  おお人間の生きのくるしみ
  前方からくるものばかりが力だ
  打て!
  それは俺達を強める
  そればかりが愛で俺達を一ツ塊にするのだ
 
  いのちのみちをここまで
  俺はふみつけてきた
  俺と一しよに
  妻や子どもも俺のあとからふみつけてきた
 
  おお人間の生きのくるしみ
  絶間なくかぎりなきくるしみ
  その中で
  俺の手は空ツぽだ
  手にあるものはながくも伸びた爪ばつかり
  だが俺はびくともしない
  俺には鉄のやうな意志があるのだ
  それから、みよ
  それで前方を睨んでゐる
  太陽のやうな二つの眼球と
 
    眼でみたのでは……
 
  眼でみたのでは
  なんでもない
  手で触つても
  なんでもない
  だが
  この蜘蛛の巣はどうだ
  顔一めんの……
  おお蒼空よ
  わたしはどうすればよいのか
 
    わたしの涅槃に就て
 
  ごろりと横に
  そしてあふむけになると
  いままできもつかなかつた桔梗色の
  ちよつと指さきで
  さはつてみたいやうな空が眼にはいる
  まる裸体のわたしをめがけて むらがつて
  くるわ くるわ
  何といふうるさい蠅だらう
  じいつと空をみてゐると
  とろとろととろけさうになる
  天心で蝉がないてる
  わたしはもうびんぼうもなんにもわすれてしまつて
  ぐつすりと睡る
 
    秋ぐちは……
 
  秋ぐちは
  とかく荒ツぽい海
  つひこないだも
  小餓鬼一ぴきひんのんだ
  そして
  三日三ばんといふもの
  知らない顔をしてゐたつけが
  あんまりその餓鬼の親めが
  おいおいと吼え立てるので
  たうとう浜の砂ツぽへ
  吐きだしてかへした
 
    ぶうう……
 
  ぶうう
  ぶう
  ぶう
  ぶう
  ゐねえの
  む
  ぶやあ
  ぶや
  ぶや
  ぶや
  そこらにゐたつけな
  どこにもゐねえだ
  ぶああ
  ぶあ
  ぶあ
  ぶあ
  嫗さんは豚の仔がみつからないので
  もう泣きだしさうだ
 
  赤銅のやうな秋の日のことは
  すべて真実をこめ
  すべてゆめで
  そしてすべてうつくしい
 
    冬の着物
 
  日一日と
  二百十日の近づくやうな
  ある気味悪さ
  だがその厄日が
  すぎさると、すぐ
  黄金色した穀物のとりいれ……
  そんな気持だ
  自分はその中にあつて
  自分達の米や味噌となる
  おとぎばなしの原稿をかき
  妻は妻で
  そのお腹の子のために
  やがてうまれるその子のために
  冬の着物をぬつてゐる
  ふくふくとした
  温かさうな
  赤い、小さい
 
    身自らにおくるの詩
 
  くるしみぬいたとうぬぼれてはならない
  くるしみきれぬと絶望してはならない
  絶えず苦しめ
  そしてほほゑめ
  くるしみは波のやうなものではないのか
  磯岩をかむその浪浪
  うみ草を洗ふ浪浪
  うかぶ船
  むれとぶかもめ
  浪浪のうねりをみないか
  生きたその美しさをみないか
  くるしみの上にあれ
 
    わたしは祈る
 
  釣竿は細くさみしく
  哲学的な冬の日を
  わたしの鉤によつてくるのは
  頭の大きい鯊ばかり
  いくらじれても
  決して釣られぬものがある。さんたまりや
 
    雪
 
  冬は深くなつた
  北国から来る汽車はどの汽車もどの汽車も
  みな雪を屋根にのせて来る
  その雪のま白さよ
  まだ見ぬ山の雪であらう
  山の麓をとほる時のせてもらつた雪であらう
 
    なにもかもこれからだ
 
  窓々からながれ込む冷つこい新鮮な空気
  はつきりした意識で見上げる空
  ぎつしりつまつた街の家々
  屋根も木もまつ黒だが大きな煙筒と一しよに
  すばらしい立派なものを自分に与へる
  元気のいい朝の挨拶をたがひに交してゐる工場の汽笛はどうだ
  過ぎ去つたことがどうなるものか
  なにもかもこれからだ
  なにもかもこれからだ
 
    先駆者
 
  うす暗い街裏の
  竹藪の中から
  とつぜん笛がなりだした
  笛は喨喨と
  何か思ひだしでもしたやうな月が
  わたしの着物に光沢をつけた
  横町のばかにふかれて
  ああいい
  その笛は
  昨日こしらへてゐたあれだ
 
    パン
 
  わたしのパンには
  遠山の雪のにほひがある
  五月ごろの空の匂ひがある
  この大きな青空では
  雲雀がちうちうさへづつてゐる
  それからまた
  うすらねむいこの目の附近に
  ひろびろとした麦の畑をみせてくれるのもパンだ
  ときどきはいぢわるく
  この咽喉の上につかえて
  ひもじい私をくるしめることもないではないが
  何といふても
  わたしの幸福はパンにある
 
    山の麓をゆく汽車
 
  のろのろと汽車がゆく
  ここは山のふもと
  あたり一めんのなのはな
  まへうしろでさへづるひばり
  そのなかをのろのろと
  汽車はゆく
  その汽車のあとからついて行くわたしの幻想よ
  鰌は泥田にみをかくした
  それを捕らうとしてゐた子どもは腹を立て
  小石をひろひ
  汽車をめがけて投げつけた
  それをみてだるさうな
  汽車ほ汽笛をふき鳴らした
  この汽車はどこへゆくのか知れたものか
  なんといふながいれえるだ
 
    掟
 
  ながらくやすんでゐたおぢいさんはもう目がみえず
  大空の方へその手をさしのべて
  もいちど太陽を拝みたいと言つたが
  それができなかつた
  そしてまつくろにすすけた古い大時計のしたで
  此の家代々の掟として
  おぢいさんはいま旅立つと
  うまさうに臨終の水をのみ干した
 
    帽子をとれ
 
  そのふるぼけた帽子をとれ
  此処は都会の大十字街
  堂々たる此の大銀行をみろ
  なんにもしらないゐなかびとですら
  この大銀行の正面ではあたまを垂れる
  ああ玩具のやうな大都市
  けむり吐く大烟筒の林よ
  此のすばらしさに帽子をとれ
  そんな帽子は投げすてろ
  ここはひとびとをひきよせて
  そのひとびとを飢ゑさせるところだ
 
    何もかも真実である
 
  此の穀物畠の上をはしる電線
  二すぢ三すぢ
  電線はほそくながく
  そしてはてもなく
  ほそほそと刹那刹那に
  遠い世界のはてを感じてゐる
  刈り干された麦々
  ひろびろとした穀物畠
  風はその畝畝のあひだで息を殺してゐるのか
  ひろびろと而もさみしく
  ああ電線の敏感
  ああ穀物の熟れゆく匂ひよ
  何もかも真実である
  ああどんなことでもそれがわたしを力づける
  わたしを大きくやさしくする
 
    蛙の詩
 
  お杉山から日がでた
  まんまるい大きなその日
  その影がたんぼに浮くと
  蛙が一ぴき
  たつた一ぴきはづかしさうに
  どこかでころころと鳴きだした
  するとみんなつづいて
  やかましくなきだした
 
    自分の詩
       ――房州にて
 
  飯がすむと
  すぐ食卓は机になる
  ぐづぐづ茶碗をつついてゐる子どもらはせきたてられて
  食卓は机にかはる
  めしつぶだらけのそのうへには
  あたらしい原稿紙が延べられ
  その上をペンがはしる
  時には
  どうしてもペンのうごかぬこともある
  かうして自分の詩はかかれるのだ
  また或る時には
  詩がかきあげられぬので
  なかなか机は食卓とならず
  家族が酷くお腹をすかすことさへある
  かうして自分の詩はかかれるのだ
  けれどみよ
  今日といふ今日はその上に
  善い友からの薔薇がうつくしく飾られてゐる
  かうして自分の詩はかかれるのだ
  おお此の深いいのちをこめて
  ひとびとの手にかほり
  しみじみとよまれろ、拙い詩
 
    いのちのあるもの
 
  いのちのあるもの
  その厳粛なうつくしさが自分を打つのだ
  ここに小さな家がある
  自分達の此の家をめぐつて
  矮いいぢけた四五本の木木がある
  それでも夏が近づいたので
  それぞれに葉つぱをつけた
  葉つぱをつけた木木のかげでは
  そのははと
  豚の子のやうにかはいい自分達の子どもらが
  ぎあぎあないたりわらつたり
  それにみとれて
  餌を拾ふのもわすれた雀が
  となりの屋根にしよんぼりと
  おお寂しさうに一羽
  いのちのあるもの
  その厳粛なうつくしさが自分を打つのだ
  そのとき
  ちらと自分の耳をかすめた言葉
  垣根の外でぱつたりであつたよぼよぼのとしよりの
  これは涎のやうな立話しのその別れの言葉だ
  「一日も余計に生きさつせえよ」
 
    ある日の詩
 
  ひさしぶりで肉を買ひました
  牛肉です
  その鍋が火鉢の上にかかつてゐるので
  肉と野菜のこんがらかつた
  いい匂ひがぷんぷんと
  部屋一ぱいです
  部屋からあふれてゐるのです
  みんなでかけたあとにぽつねんと
  自分は留守番をしながら
  ひとりさびしくその肉を煮てゐるのです
  そしてかんがへてゐるのです
  あるひとつのことを
  鍋の中では
  肉がさかんに躍つてゐます
  やがて自分のかんがへはふらふらと揺れだし
  唐草模様の蔓のやうな手を伸ばし
  蜘蛛が巣をかけるやうに
  つつとすばやく
  たちまち憂欝な雨ぐものやうに空一めんにひろがりました
  自分はもうどうすることもできないで
  ぼんやりといまはただそれをながめてゐるばかりです
  鍋の中では
  肉がさかんに踊つてゐます
 
    黎明の詩
 
  まだうすぐらい街道を
  すたすたといそいだものがある
  ほんのりと
  窓があかるく
  からすがなき
  すずめがさへづり
  荷馬車がとほり
  電気がきえ
  そして朝となつた
  わたしはかうして寝床の中にゐるが
  どんなことでもきいてゐる
  どんなことでもしつてゐる
  やがて太陽は畑の上にでてくるのだ
  しみじみと黄金色した穀物畠でもみようとおもつて
 
    夕の詩
 
  とつぷりとひがくれてから
  しばらくたつた
  うすぐらいともしびの下で
  一家団欒の夕餉もすみ
  そしてしんみりとしづかになつた
  これから世界の休息だ
  人間もその仕事をまつたくやめ
  みんな寝床にもぐりこみ
  のびのびと足を伸ばして
  そこで
  今日一日のことをかんがへ
  明日の計画をしながら
  すやすやとねむりにつくのだ
  ようくおやすみ
  ようくおやすみ
  ぐつすりと
  からすのなくまで
  すずめのなくまで
  世界一ぱい朝ののぞみにみち溢れよと
  あたらしい太陽の出るまで
 
    窓にて
 
  うらの窓から見ると
  すぐ窓下の庭にあるひねくれ曲つた一本の木
  すつかり葉つぱの落ちつくした
  それは大きないちじくの木だ
  そこに槙の生垣がある
  その外は一めんの野菜畠で
  菜つぱや大根が葱もいつしよに青々としている
  その上をわたつてくる松風や浪の音
  朝々のきつぱりした汽船の汽笛
  みよ雪のやうなけさの大霜を
  河向ふの篠やぶでは
  鵙がひきさかれるやうな声をして鳴いてゐる
  ふたたび裏庭のいちじくの木をみると
  いままで自分はきづかなかつたが
  もうその枝々には
  どの枝々のさきにも
  みんなおなじやうに新芽の角がいろづいてゐる
  此の氷のやうな世界につきだした槍の穂先
  あのあらしの中から伸びでて
  何といふ強さであらう
  此の健康をみろ
  此の生の力を
  いまこそ自分は自分を信ずる
 
    春
 
  ほんのりとかすみをこめて
  もうそのなかで
  はやい燕をさへづらせてゐる空
  麦畑の畝々をこえ
  とほくの村から
  こどもらの麦笛をさそひ
  大工がひやうしをとつて棟木を打つ
  重々しいどんよりとした大槌の音がきこえる
  なんといふのどかさだらう
  またにんげんの
  あたらしい巣ができるか
  にんげんはその巣で
  妻を娶り
  こをうみ
  こをそだて
  父母をここから
  墓場へ葬りだすのだ
  おおはるよ
  どんな草木もあをあをと
  めをふきはなをさかせてゐるのに
  自分はかなしい
  野獣のやうにおそれず強く生きようとする自分だ
  而もなんとなく
 
    万物節
 
  なんでもかでも
  いのちのあるものは
  一つ残らずでろ
  此のしつとりとぬれた地べたの上にでてこい
  ああいい季節だ
  みんなでろ
  そして太陽の下にあつまれ
  卵をわつて中から雛つ子がとびだすやうに
  みんな飛びだせ
 
    太陽の詩
 
  薔薇色の黎明
  ほのぼのと
  どこかで雀が鳴いてゐる
  寂しさうに鳴いてゐる
  而も何となく
  力強く
 
  朝
  大海原に躍りだした
  おお太陽
  あかんぼのやうに
  闇の中から生れでたのだ
  きらきらとかがやき
 
  磯近く
  その太陽をまつてゐた漁夫達
  うれしさに合掌し
  うみはいま
  なみもしづかだ
 
  新しい日がきた
  草木はしげり
  とりもけものも人間も
  生きんがために
  働くか
  各自の仕事を
 
  みよ
  太陽はのぼつて行く
  中天をめがけて
  そして地上の万物はうつくしく
  かなしく
  おごそかであれ
 
    蜀黍畑がある
 
  蜀黍畑がある
  ここにもある
  かしこにもある
  丘の上にある
  谿間にある
  海岸にある
  あたらしい開墾地にある
  どこにでもある
 
  蜀黍畑がある
  もう穂になつたもろこしは頻りに耳を澄してゐる
  何をきいたか
  草木をわたる秋風と
  渡鳥の翼の音と
  くだける波と
  がた馬車のラツパと
  それに私の溜息
  ……其他
 
  蜀黍畑がある
  そしてもろこしはみんな穂首を低く垂れてゐる
  その穂首からは
  黄金色の大粒な日光のしづく
  ぽたりぽたりと
    地に滴つてゐる
  ぽたりぽたりと
 
    笊には米が一ぱいある
 
  笊には米が一ぱいある
  さつき穀商がもつてきたんだ
  それが椽先で
  その笊の中でひかつてゐる
  霊魂もよろこべ
  よし四五日で
  これはなくなるにしても
  とにかく笊には米があるのだ
  妻は松ばやしの泉まで洗濯に行つた
  そして自分は眠つてゐるあかんぼの蠅を追ひながら
  出埃及記をよんでゐるのだ
  そこへ遠くできく海のやうな
  おお此の寂しい人間の額にしみじみと
  うちよせる
  うちよせる
  漣のやうな松風よ
 
    日光の詩
 
  おお此のしみじみとした貧しさ
  此のしみじみとした貧しさに
  何といふ日光であらう
  此の美しさは
  そして妻は自分を愛して
  自分は妻を愛してゐる
  相愛してゐるのか
  ふたりは野獣のやうに生きてゐるのだ
  ふたりの間にはあかんぼと
  も一人の子どもがある
  辛と一ツの巣がみつかつて
  はなればなれになつてゐた
  親子が一しよになり
  此のしみじみとした静かな生活をはじめたのだ
  ここは海近い
  松林のほとりだ
  おお破れた障子の孔々から
  なんといふ美しい日光であらう
 
    朝
 
  朝露の
  ささげ畑をとほつたら
  ささげが低声いた
  「どこにおちても俺等は生える
  はなもさかせる
  みもむすぶ
  そしてまあ
  何てきれいな世界だろ」
 
    この鴉を見ろ
 
  とつぷりと日はくれて
  しづまりかへつた此の大空
  何処からともなく
  あつまつてきた鴉の群
  があがあなきながら
  円を描き
  ぐるぐるとみだれめぐる
  この鴉をみろ
  人は人とてつかれた足をひねもすひきずり
  そのゆくすゑさへも知らないのだ
  それでも落窪んだその目に
  お前達のすがたがうつると
  それだけでもすぐに何にかを考へるのだ
  ああ大空の鴉ら
  空もまつ黒にみえるほどいつしよになつて
  ぐるぐるめぐりながら
  があがあなく
  これが夕の挨拶であるか
  かうしてお前達はけふ一日のことをたがひにかたらひ
  また明日のために祝福しあつて
  各自のねぐらに帰るのか
  何といふ立派なことだ
  お前達の巣にもかはいい雛が待つてゐるであらう
  はやくおかへり
  ああ何といふ立派なことだ
 
    大光明頌栄
 
  ひかりよ
  ひかりよ
  いまこそ万物の季節である
 
  ひかりよ
  ひかりよ
  よびいだせ
 
  夜より
  朝を
 
  朝より
  いのちを
  ちからを
  そして望みを
 
  よびいだせ
  あらゆるものを
 
  土の中なる
  みどりの芽を
  芽よりは
  花を
 
  花よりは芬香を、また
  枝々もたわむばかりの善き果実を
 
  森または谿間よりは
  小鳥を
  小鳥よりは
  ほがらかなる声の唄を
 
  海底よりは
  魚の群を
 
  光よ
  光よ
  よびいだせ
 
  さらに、また
  その悲しみと苦しみとよりは
  ひとびとを
  そのひとびとの蒼ざめたる霊魂を
 
  よびいだせ
  この蒼穹のしたに
  この美しき地上に
 
  おう、いのちある
  ありとあらゆるすべてのものよ
  太陽のもとにあつまれ、と
 
    雄渾なる山巓
 
  山、それは力だ
  此の秀麗なうつくしい山
  山はうつくし
  けれど寂しい
  山は静穏だ
  山は孤独だ
  山はさびしい
  さびしいが
  ぢつとみつめてゐると
  若々しく
  単純で
  そして真実で美しい
  山
  静かな山
  雲表にそびえた山
  冷酷で
  真実で
  雄大で
  平凡である山
  大地にふかぶかと
  ぐつと足をふんばつたやうに
  そして蒼空に
  その額をすりつけてゐる山
  きよらかなめで山へ対へ
  山は神聖である
  また山は力強く
  どつしりした力強さで
  その大きな手で
  やさしくだきしめてくれる
  山は語らないが
  その深いところには
  火のやうなおそろしい情熱がある
  ああ山
  山
  山
  幻想的な雄大
  平凡で
  幽邃で
  崇高な山
  みよ、
  顳顬(こめかみ)のあたりの赤禿げ
  そこに夕日がかつとあたつて
  あかあかと荘厳に反射してゐることもあるが
  とほくとほく
  だがそれは暮近くのことだ
  黎明の山は、まるで
  みがきあげたやうな清浄さで
  棚曳いてゐる朝霞の上に
  くつきりとうつくしく立つてゐるのだ
  ほんとに秀麗な山だ
  それでゐて
  馬鹿々々しいほどの巨大さである此の山
  手をのばせば
  その指尖が
  天にとどくやうなてつぺんに
  いま自分は立つてゐる
  ここでは
  草一本生えてゐないのが
  なんともいへず寂しい
  さびしいのか
  あまり崇高すぎるのである
  自分のこの小さき
  みるかげもなく……
  みすぼらしく……
 
  ここからみると
  どこもかしこも一面の靄で
  靄のほかはなんにもみえない
  星が天一ぱい
  こぼれるばかりにきらきらしてゐる
  それだけだ
  やがて遠く
  その靄の中からぼんやりした大きな金貨のやうな太陽があたまをだすと
  あたりがだんだんはつきりして
  空は空
  山は山
  あんなにでてゐた星も
  いつのまにか
  一つのこらずなくなつてゐる
 
  靄がうすらぎきえてなくなると
  山山が鮮かにみえる
  山山はちやうど浪のやうだ
  その山と山とのあひだに
  白くひかつて
  ながながと
  帯のやうな河がみえる
  一めんの平地である
  青々とした丘がみえる
  ずつと遠くには海がみえる
  小さくかすかにそれがみえる
  けれど村々はみえない
  都会もみえない
  とにかくそのどこにかたくさんのにんげんもすんでゐるのだが
  それがひとりもみえない
 
  そればかりか
  ここには鳥も啼いてゐない
  草一本はえてゐないから
  花もない
  獣もゐない
  ここはそんなに高い山のてつぺんだ
  麓をみればただふかぶかと樹木がはえしげり
  そのうへにたかくたかく
  によつきり立つてゐるのが此の山だ
 
  太陽ののぼるにつれて
  それとなくいつしかおちついてきた自分
  もうなんでもない
  雲があしもとをかすめてゆく
  雲は息のやうだ
  風を起してゆく
  その雲も
  小さいのはいいが
  大きなのになるとすこし怖い
  ぽろりと自分独りがさみしくなる
  なんともいへずさみしくなる
  けれど
  それが過ぎさると
  また、なんでもない
 
  さすがに高山はすがすがしい
  そのてつぺんにたつてゐると
  自分は
  きよらかに洗ひ晒されたやうだ
  そして自ら神々しくさへなる
  ああ此の自分が
  麓にあつてはまるで獣のやうであつた自分が
  (なんといふ恥しいことだらう)
  それがどうだ
  いまは
  此のあざやかさは
  此の静穏な
  此の深い
  此のひろびろした海のやうな心で
  此の手を
  すべての上に伸ばしてゐる
  これが自分であらうか
  否
  神である
 
  自分はいましも神である
  自分はそして山のてつぺんに立つてゐるのだ
  ふもとのことをおもへば
  そこには
  森があり
  野があり
  畑や田圃があり
  沼があり
  海があり
  そして鳥や獣やむしけら
  もろもろの魚類
  草木
  穀物
  また村々があり
  都会があり
  そこでたくさんのひとびとは
  よろこんだり
  かなしんだり
  生れたり
  死んだり
  それにひきかへて
  ここではすべてが永遠である
  ここには生も死もない
  よろこびもない
  かなしみもない
  なんにもない
  ただ永遠があるばかりだ
 
  雨がさつとかかる
  ここの雨は下からふる
  上へふる
  風もふきあげる
  山裾はとほく驟雨のやうだ
  雷も
  谿底の方でごろごろしてゐる
  だがここはからりと晴れわたつてゐる。そして
  太陽はすぐ頭の上だ
 
  おお山は
  山は千古の真理である
  山は宇宙の意志である
  山は自然の愛情である
  山は音楽である
  この幽邃
  この壮大
  この厳粛
  この沈黙
  この憂欝
  この豊饒
  この淳朴
  この真実
  この一徹
  この寛容
  この愛
  この情熱
  この冷酷
  この孤独
  この静穏
  この無為
  この閑寂
  この深遠
  この晴朗
  この美以上の美
  この力以上の力
  この神秘なあらはれ
  この幻想的な雄大
  この単純なる
  この平凡なる
  この秀麗なる
  この崇高なる
  この清浄無垢なる
 
  そのともは
  星であり
  月であり
  太陽であり
  風であり
  雲であり
  また雨であり
  雪である
 
  山はとこしへにめざめず
  ぐつすりとねむつてゐるともみえ
  または、じいつと高いそこから
  下界をながめてゐるともおもへる
  なんにせよ
  山はこの世界を飾る
  山は
  この世界に巨人をうみだす
  山と山とのたにまから
  湧いてながれてつきない泉よ
  ちよろちよろとながれでるその水のきよらかさ
  そのみづを手に掬むものに生長かれ
 
  ああ山、山、山
  山はいい
 
  ふもとでは
  蛆虫のやうにうようよとむらがつて、いまもいまとてひとびとが
  まるで沸えかへつた熱湯の中のやうなくるしみに
  あえぎあへいで生きてゐるんだ
  ああ山、山
  ここにかうしてゐると自分は神だ
  だが自分はふもとをおもふ
  此の山をくだらなければならない
  山の霊気をみにおびて
  此の山をくだるのだ
  自分も
  ひとびとと一しよであるために
  ひとびとと一しよになるために
  そのくるしみの
  その渦巻をめがけて
  そのひとびとの中に飛びこまなければならない
 
  おお山よ、すばらしい山よ
  いまこそ
  お前は自分の中にある。
 
    日本
 
  日本、うつくしい国だ
  葦の葉つぱの
  朝露がぽたりと
  おちてこぼれてひとしづく
  それが
  此の国となつたのだとでも言ひたいやうな日本
  大海のうへに浮いてゐる
  かあいらしい日本
  うつくしい日本
  小さな国だ
  小さいけれど
  その強さは
  鋼鉄のやうな精神である
  おう日本
  ぴちぴちしてゐる魚のやうな国
  勇敢な日本
  古い日本
  その霧深い中にとぢこもって
  山鳥の尾のながながしいゆめをみてゐたのも
  いまはもうむかしのことだ
  めをあげて
  そこに
  どんな世界をお前はみたか
  日本、日本
  お前のことをおもふと
  此の胸が一ぱいになる
  お前は希望にかがやいてゐる
  お前は力にみちみちてゐる
  そして真剣だ
  だが日本よ
  お前の道はこれまでのやうに
  もうあんな平坦なものではあるまい
  お前はよるひる絶えず
  お前のまはりに打寄せてゐる
  その波の音をなんときいてゐるか
  寂しくないか
  おう孤独な
  遠い一つの星のやうな日本
  からりとはれた黎明の天空のやうな国
  ときどきは通り雲の
  さつとかかるぐらゐのことはあつても
  おまへはまだただのいちどでも
  その顔面に泥をぬられたことがないんだ
  そんな美しい国なんだ
  日本
  幸福な日本
  強い日本
  わたしらは此処で生れたんだ
  また此処で最後の息もひきとつて
  遠祖らと一しよになるんだ
  墳墓の地だ
  静かな国、日本
  小さな国、日本
  つよくあれ
  すこやかであれ
  奢るな
  日本よ、真実であれ
  馬鹿にされるな
 
    陸橋の上にて
 
  あけがたの
  此処は大都会の入り口
  初冬のステーシヨン
  わたしは陸橋の上から遠く北国の山山をおもつてゐる
  そこへ汽笛をながながと鳴らして
  足をひきずる旅人のやうに
  やうやくたどりついた急行列車
  それを迎えたプラツトホームヘはしりでた
  老駅長の顔をみろ
  おお帰つてきたか
  おお
  そして道中無事であつたか
  汽車はなんにも答へない
 
    日あたりに……
 
  日あたりにひきずりだした蒲団は
  それこそぼろで、板のやうであつたが
  すぐぷくぷくと
  生きかへつたやうにふくれあがつた
  ああ、天気は有難い
  こんなによく晴れては
  どんなに今夜は凍るだらう
  だがこの布団のなかでぬくぬくと土竜のやうに
  子どもらをまんなかに
  妻も自分もかぢりついて寝るんだ
  これもまた
  冬の一つのよろこびである
  自分達貧乏人でなくては、とても
  うけられない天の祝福である
 
    一枚の櫛
 
  子どもらと茱萸採りにゆき
  海岸のがけつぺの
  ばらやぶの中で
  一枚の櫛をひろつた
  二十前後のをんなのものだ
  茱萸は一粒もなかつた
  それにしても
  どうしてあんなところに櫛は落されたのだらう
  それがなんとしても
  不思議でならない
  だから、いつまでたつても
  かうしてわすれられずにゐるのだ
 
    雑草
 
  ひにち
  まいにち
  水をやつてゐたのが
  こんな雑草であつたか
  こんな雑草だけれども
  ひにち
  まいにち
  水をやつてゐたのだ
  可愛くなくつてどうしよう
 
    冬
 
  冬がきた
  つめたくなつた
  けさの初霜で
  子どもたちの頬つぺたが
  ほんのりあかく
  林檎のやうにまるく
  食べたいやうになつた
 
  冬がきた
  つめたくなつた
 
    蚊
 
  自分は自分をみた
  はじめてしみじみとみた
  自分はおそろしい蚊の群集で
  血に飢ゑ
  うめきくるつてゐた
  吊られた㡡の中にごろりと
  痩せこけてよこたはつてゐたのは
  そしてその蚊の群集をながめてゐたのは
  いふまでもなく
  詩人山村暮鳥氏であつた
 
    青い天
 
  庭さきに立つてゐる
  一本のながい竹竿
  すつかり秋ですね
  そのてつぺんの赤とんぼ
  それがとびさると
  そのあとには
  青い、あをい、大きな天……
            (私信より)
 
    風景
       ――加藤一夫氏におくる
 
  畑の陸稲を、もろこしを
  さやから飛びだす豆粒を
  でてみろ、でてみろ
 
  木のてつぺんの
  鴉めがまひ下りた
  それ追へ、百姓
 
  でてみろ、でてみろ
  馬鹿に大きなお日様が落ちさつしやるので
  世界はきんいろ
  おれもきんいろ
  すばらしい景色だ
 
  でてみろ、でてみろ
  すばらしい景色だ
  だが、まつたく
  景色ぢや腹はふさがらない
 
    真言
         (眠れる白醒君に)
 
  秋の日の
  しろがね
  おん足
  病めるは草木
 
  蟋蟀
  空をしみじみ
  真実一念
  錬金す
 
    芽
 
  をかのはたけの
  むぎのめ
  にさんずん
  ぷりずむのふゆがきて
  そのめのうへに
  ふりつもるゆき
  ゆきにつみはなけれど……
  めのはりのさみどり
 
    かなしさに
 
  いつぽん銀の神経
  それを鼻のとんがりに立て
  かなしさに
  かなしさに
  そのうへで
  けふもけふとてくるくる廻す
  麗かな冬の日の青空
  こどもは死んでしまつた

 
 万物節 騒擾 雪のリタニイ くちをとぢ 首を吊るなら此の木でだ 陸稲畠を 自分はこれまで 喫茶の詩 くちぶえ ちらほらと はげしく雨が 
うす濁つたけむり 遠望 万人を りんごよ どこかに自分を あんまり幽かな 海はひえびえと 憎悪のなかにも 雨ではない とほく 
それは誰のものでもない 遠天の 風景 丘の上では あの盥舟を  友よ 或る日曜日の詩 いのちのみちを 眼でみたのでは わたしの涅槃に就て 
秋ぐちは ぷうう 冬の着物 身自らにおくるの詩 わたしは祈る  なにもかもこれからだ 先駆者 パン 山の麓をゆく汽車  帽子をとれ 
何もかも真実である 蛙の詩 自分の詩 いのちのあるもの ある日の詩 黎明の詩 夕の詩 窓にて  万物節 太陽の詩 蜀黍畑がある 
笊には米が一ぱいある 日光の詩  この鴉を見ろ 大光明頌栄 雄渾なる山巓 日本 陸橋の上にて 日あたりに 一枚の櫛 雑草   青い天 
風景 真言  かなしさに 戻る