昭和 三

 失題詩篇
  入沢康夫「倖せ それとも不倖せ」(昭和三〇)

 心中しようと 二人で来れば
 ジャジャンカ ワイワイ
 山はにつこり相好くずし
 硫黄のけむりをまた吹き上げる
 ジャジャンカ ワイワイ
 
 鳥も啼かない 焼石山を
 心中しようと辿つていけば
 弱い日ざしが 雲から落ちる
 ジャジャンカ ワイワイ
 雲からおちる
 
 心中しようと 二人で来れば
 山はにつこり相好くずし
 ジャジャンカ ワイワイ
 硫黄のけむりをまた吹き上げる
 
 鳥も啼かない 焼石山を
 ジャジャンカ ワイワイ
 心中しようと二人で来れば
 弱い日ざしが背すじに重く
 心中しないじや 山が許さぬ
 ジャジャンカ ワイワイ
 
 ジャジャンカ ジャジャンカ
 ジャジャンカ ワイワイ

 
 夜
  入沢康夫「倖せ それとも不倖せ」(昭和三〇)

 彼女の住所は 四十番の一だつた
 所で僕は四十番の二へ出かけていつたのだ
 四十番の二には 片輪の猿がすんでいた
 チューヴから押し出された絵具 そのままに
 まつ黒に光る七つの河にそつて
 僕は歩いた 星が降つて
 星が降つて 足許で はじけた
 
 所で僕がかかえていたのは
 新聞紙につつんだ干物のにしんだつた
 干物のにしんだつた にしんだつた

 
 鳥羽1
  谷川俊太郎「旅」(昭和四三)

 何ひとつ書く事はない
 私の肉体は陽にさらされている
 私の妻は美しい
 私の子供たちは健康だ
 
 本当の事を云おうか
 詩人のふりはしているが
 私は詩人ではない
 
 私は造られそしてここに放置されている
 岩の間にほら太陽があんなに落ちて
 海はかえって昏い
 
 この白昼の静寂のほかに
 君に告げたい事はない
 たとえ君がその国で血を流していようと
 ああこの不変の眩しさ!

 
 二十億光年の孤独
  谷川俊太郎「二十億光年の孤独」(昭和二七)

人類は小さな球の上で
 眠り起きそして働き
 ときどき火星に仲間を欲しがつたりする
 
 火星人は小さな球の上で
 何をしてるか 僕は知らない
 (或はネリリし キルルし ハララしているか)
 しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
 それはまったくたしかなことだ
 
 万有引力とは
 ひき合う孤独の力である
 
 宇宙はひずんでいる
 それ故みんなはもとめ合う
 
 宇宙はどんどん膨んでゆく
 それ故みんなは不安である
 
 二十億光年の孤独に
 僕は思わずくしゃみをした
 
 
 かなしみ
  谷川俊太郎「二十億光年の孤独」(昭和二七)

 あの青い空の波の音が聞えるあたりに
 何かとんでもないおとし物を
 僕はしてきてしまったらしい
 
 透明な過去の駅で
 遺失物係の前に立ったら
 僕は余計に悲しくなってしまった

 
 月
  鈴木志郎康「鑵製同棲又は陥穽への逃走」(昭和四二)

 始め光のない所で
 私に向って来た
 女の尻は片側から光を受けて
 二重の月は行ってしまうのか
 私は女の腰の中で死にたかった
 何度か
 私は自分を見分けることもできない闇の中の

恐怖の中に

 というのは実は嘘で
 明るい高い天井の下で
 私は裸体の少女が鏡の前で手淫した
 血が顔に昇って私は美しかった
 他人に見られない法悦の中の

恐怖の中に

 私は死ぬのか
 私の乳房は立派に立っていた
 立っている二つの男根
 手がのびた
 私は何を探しているのか
 私は求めているのか
 裸体の少女は地平線まで拡がる明室の中で
 天井に昇った鏡に映る逆転した自身に見入って手淫している
 朱色の膣の中に
 滑り込む指は実は私が
 自分も見分けのつかない闇の中に
 私は死ぬのか
 少女がまるで受胎したように叫ぶのだった

叫 び 声 が あ っ た

 私は人妻が手淫していた
 私は老婆が手淫していた
 私は女性重労働者が手淫していた
 私は人妻が手淫していた
 私は牛乳びんが手淫していた
 私は時計が手淫していた

 
 終電車の風景
  鈴木志郎康「やわらかい闇の夢」(昭和四九)

 千葉行の終電車に乗った
 踏み汚れた新聞紙が床一面に散っている
 座席に坐ると
 隣りの勤め帰りの婆さんが足元の汚れ新聞紙を私の足元にけった
 新聞紙の山が私の足元に来たので私もけった
 前の座席の人も足を動かして新聞紙を押しやった
 みんなで汚れ新聞紙の山をけったり押したり
 きたないから誰も手で拾わない
 それを立って見ている人もいる
 車内の床一面汚れた新聞紙だ
 こんな眺めはいいなァと思った
 これは素直な光景だ
 そんなことを思っているうちに
 電車は動き出して私は眠ってしまった
 亀戸駅に着いた
 目を開けた私はあわてて汚れ新聞紙を踏んで降りた

 
 見えない隣人
  鈴木志郎康「見えない隣人」(昭和五一)

 帰宅するということがある私は
 夜になると
 帰宅する
 戸口に至る前に
 エレベーターだ
 同じ棟の人たちが乗るエレベーターだ
 自分でボタンを押すのは
 昇って帰宅するためなのだ
 今夜のボタンは焼かれている
 焼いた人がいるわけだが
 電車に乗って焼きに来たとも思えない
 プラスチックのボタンが焼かれている
 同じ棟に住む人は隣人ということになるが
 これは隣人が焼いたのであり
 私の見えない隣人の会話の仕方なのだ
 と見えない隣人の存在を感じる
 夜は
 みんな帰宅しているのだ

 
 眼と現在 六月の死者を求めて
 
 天沢退二郎「朝の河」(昭和三六)

 何よりもまず
 その少女には口がなかった
 少女の首をはさみつけている二本の棒には
 奇妙な斑とたくさんの節があった
 みひらかれた硬い瞳いっぱいに
 湿った壁が填っていた
 その壁の向う側から
 死んだ少女のまなざしはきた
 
 少女の首から下を海が洗っただろう
 波にちぎれた腸やさまざまの内臓は
 みがかれ輝いて方々の岸に漂いつき
 それぞれ黒い港町に成長していっただろう
 手足だけはくらげより軟かくすべすべして
 いつまでも首の下に揺れ続けただろう
 
 長大な蛇よりも長大な一羽の鳥が
 もっと長くなるために身をよじっている
 稀になった羽毛がひとつ散るたびに
 子どもがすばやく駆けよっては
 母親の叱声に引き戻される
 見上げるとぼくらの上に空はせばまり
 鳥の呻きの翔けのぼる白い道すじが
 その鳥よりも長大な幟をふるわせるばかりだ
 
 壁はつめたくそして軟かかった
 手を入れれば入り底はなく
 ただ透った非常に高いひとつの声が
 たくさんの小さな血の鞠となってちらばっていた
 それらを伝わってあのまなざしはきたと
 信じぼくらは向う側へ出たが――
 ぼくらは黒い港町の廃墟をただ歩きまわった

 死んだ少女のにおいがときに流れると
 そのあたりに必ず一組の母子がひそんでいた
 細かいひだのある臭い土管をいくつも跨いだ
 帰るみちはもうわからなかった

 
 死刑執行官 布告および執行前一時間のモノローグ
  天沢退二郎「夜中から朝まで」(昭和三八)

 旗にうごめく子どもたちを裏がえす者は死刑
 回転する銃身の希薄なソースを吐き戻す者は死刑
 海でめざめる者は死刑
 胃から下を失って黒い坂をすべるもの死刑
 いきなり鼻血出して突き刺さる者は死刑
 はじめに名乗るもの死刑
 夜を嚥下し唾で空をつくる者死刑
 ひとりだけ逆立ちする者を死刑にする者死刑
 つばさがないので歩く鳥は死刑
 鳥の死をよろこばぬもの死刑
 死者を死刑にする者とともに歩かぬもの死刑
 めざめぬ者は死刑
 めざめても青いまぶたのへりを旅する者死刑
 死刑にならぬというものら
 死刑を行うものら
 死刑を知らぬものら
 を除くすべてのもの死刑
 
  *
 
 すべて死刑が行われるのは朝のこと
 おれは影をみせることなくすばやく歩く
 おれの足は縦の半分だけが透きとおり
 歯のあいだの感光しおえた汁をそそがれ
 人かげひとつない刑場の石の皮膚を
 引き裂いて眩ゆい朝の市へ
 出てみても同じことすばやいおれの旅は
 無数の城をかたどったトランプを
 まき散らす窓の列となってちぢまる
 最初顔を出すのは丸坊主で
 折れた棒をつるしてるセブンティーン
 しきりに猫が飛ぶ空を見上げて

 執行を占う不老のやさ男
 両腕のない名人理髪師
 子どもたちはだんだんとやってくる
 ブタはマダムたちを集めて引きずってくる
 ちいさい露台にあふれるさわやかな臭気
 だがそのときまだ来ていない
 彼女の長い長い長い長い体だけがまだ来ない
 
 彼女のきざしに欠けることはなかったこの日々
 飛んできた椅子が母親の舌をつかみ
 うぶ毛の輝くのどのまわりを
 牛乳屋の指はむなしくめぐり
 特等席はバラの尿にぬれては乾いて
 振子のように動く彼女の声を吹きつけたりした
 ケバ立って並んだ無数の背中をあとに
 すばやく歩きだしたのはついさっきのことだが
 かろうじて咀嚼するだけの人骨の臭う舗道を
 ずいぶん歩いたのに刑場は
 くりかえし太陽とともに空へ昇ってくる
 そのたびに重なりあい刺さりあう地平線の
 怨霊たちの酸っぱい眠り
 生きたままうねり進むのは
 自ら絞首したため絞首されたガソリンホース
 その中には電気椅子の記憶
 そのものと化しはてた女性的なガソリンたち
 空の青さは血の通った刃を垂らし
 舌のさきを出すだけで触れることができる
 やわらかな肉ガラスが車道をながれ
 そこに読めるのは遠い町での
 あたたかさにみちた処刑の知らせで
 おれの膝から腿のあたりの街々に
 結晶質の号外をはこびきらめかすのだ

 
 田舎生れ
  天沢退二郎「時間錯誤」(昭和四一)

 橋の下にならんだ暗いレストラン
 兼旅館のまばらな水音でそだち
 入江の向こうからとんでくる黄色な
 火山弾の歌をきいて眠った
 空を走るほそいレールをかたっぽの足で
 太陽ともつかぬ田舎娘がケーッとすべる日々
 歪んだ木の家といびつな角灯の傷口を通って
 誰かの宙のクレーンにかよい
 畑のはずれの学校の幽霊を
 一階高い裏口から恋をするのに選んだ
 
 今は無数のしかし唯一の恋人を追って
 とうもろこしの打寄せる言葉
 海から吹く熱い唾に胸はとどろき
 舌を出せば呼び水かぎりなく
  (へり)のないヨブ記のガラスを吸わぶり
 夜は昼昼は娘と石に()みて
 くらす双子の家のあいだを
 行ったり来たり魚屋の埒もなく
 低い鋳型の雲に南の星をうがち
 頬肉ソテーにホーズキをそえて
 道に面した己れの恥の神に売りつけ
 もし偏西風イボをはずすときは
 おっとり刀に血ぬって千里を飛ぶ
 もちろん恋しい人の千の失言に跨がってだ
 
 そのときも巷はきれぎれのヒモの時刻
 生誕のさきへのばす手は皮袋なし
 石のドブが上から次々にあふれる
 長い壁を愛撫する下腹にきらめくガン
 そして衝動的に田舎娘を口から吐く

 
 創世譚
  天沢退二郎「血と野菜」(昭和四五)

 ある日新鮮なホンダワラが
 少女の死体にとんできてからみつき
 ぐいぐい街路に曳いて走りだした
 陽はたちまち水分をなくして
 ストンとポンコツ車の上におっこちた
 アカリがなくちゃ堪らないからみんな
 自分の娘の首ひっこぬいて戸に挿した
 新聞いっせいに花のように美しくなった
 家々は笑った道がはためいて
 どんどん剥げた剥げて剥げて
 町ぢゅうが痛みを歌にうたった
 
 ある日新鮮なホンダワラが
 おれたちの足首にとんできてからみついた
 おれたちの胸いちどきにかたくなり
 扇形にひらきながら海へ舞いあがる
 おれたちを繋げてるのは敵の唾液
 お Help ! 死んだ少女の唇のへりから
 ながながとたれている唾のひもよ!
 そのひもを伝って再び血よ流れよ!
 しかしホンダワラはいよいよきつく
 おれたちの足首にくいこんだ
 その緑の体液がみんなを養いだす
 畜生! むしろ天どんをくわせよ!
 おれたちは叫びながら村を通過した すると
 村はなまぐさいソーセージに変り
 医者たちが腐り熟してまつわっていく
 
 ある日新鮮な少女の死体の
 髪がおれの胸へとんできてからみつき
 おれをいびつな台所へ曳きこんだ
 床を埋めたホンダワラの糞の上で
 船は不規則に揺れかえし

 肉の板のつぎめに塩の粒が
 不規則ににじみ出ては歌を放射した
 かくて七日と七夜あとにはおれも
 骨まで洗われて外へ出るだろう
 食器に刻まれた手紙は暗記しつくし
 食器棚の下にはいく組かの死体をのこし
 おれは七日と七夜あとに
 婚礼のため外へ出る
 少女の髪でわずかに腰を飾ってさ
 
 ある日初めての婚礼が空を
 ひきさいておこなわれた
 空の裏の生きものたちは初めて
 存分に人間どもをつかみ食った
 みんなは門毎に旗をふって歓迎した
 だがおれは妻を背にかばい
 憤激して立ちすくんだ
 みわたす限りのホンダワラのはびこり
 血のひとしずくもないフィルムの肉
 おれは妻の手を力一ぱいつかんだ
 エーッと叫んでいちもくさんに走り出した

 
 朝狂って
  吉増剛造「黄金詩篇」(昭和四五)

 ぼくは詩を書く
 第一行目を書く
 彫刻刀が、朝狂って、立ち上がる
 それがぼくの正義だ!
 
 朝焼けや乳房が美しいとはかぎらない
 美が第一とはかぎらない
 全音楽はウソッぱちだ!
 ああ なによりも、花という、花を閉鎖して、転落することだ!
 
 一九六六年九月二十四日朝
 ぼくは親しい友人に手紙を書いた
 原罪について
 完全犯罪と知識の絶滅法について
 
 アア コレワ
 なんという、薄紅色の掌にころがる水滴
 珈琲皿ニ映ル乳房ヨ!
 転落デキナイヨー!
 剣の上をツツッと走ったが、消えないぞ世界!

 
 燃える
  吉増剛造「黄金詩篇」(昭和四五)

 黄金の太刀が太陽を直視する
 ああ
 恒星面を通過する梨の花!
 
 風吹く
 アジアの一地帯
 魂は車輪となって、雲の上を走っている
 
 ぼくの意志
 それは盲ることだ
 太陽とリンゴになることだ
 似ることじゃない
 乳房に、太陽に、リンゴに、紙に、ペンに、インクに、夢に! なることだ
 凄い韻律になればいいのさ
 
 今夜、きみ
 スポーツ・カーに乗って
 流星を正面から
 顔に刺青できるか、きみは!


 哀傷
  藤井貞和(昭和五一)
 
 あたたかいハンマーで
 割るくるみ
 栗と
 性器と
 しらかべに書く
 おさないそのしるし
 それから書く
 おとなの生活
 すぐ割れてゆき
 殻を書く
 殻をこぼつ
 こぼれる生活は乱れかごへ
 ぬぐ毎日は乱れかごへ
  文机(ふづくえ)はのせる
 かたいくちびるを
 肉交ははじめて
 死んだ男と生きている女
 死んだ女と生きている男
 
 寝台は冷えて石を沈めている
 よこたわる衣裳のしたに
 植物の乳房はくさってゆく
 手はいのる 意味よりもくらく
 幻のちまたに
 ししむらをうつ
 ひふはたてる
 よもに悲鳴を
 
 死んだ女よ
 わたしと結婚せよ
 死んだ男よ
 わたしと結婚せよ
 十年ののち
 さけびをやめないわれわれの約束
 精神の肉交で
 老いつづける仮面やことば

 幻のちまたに
 ひとをうつ
 ひふはさけぶ
 悲鳴をあげて
 すぐ老いる少年よ
 少女よ
 風のスカートをぬぎ
  暗灯(あんとう)をもやしている部屋に
 しわだらけの少女はふるえ
 あらかじめ見る眼の未来に
 少年の
 悲鳴がながれるあいさつ
 窓に吊られている手を振り
 連帯の
 わたしから死んでゆく女よ
 わたしから死んでいった男よ
  人生(ひといきる)の道に歳月なんか
 黒エネルギーのハンマーで
 文字のように地下へ書きこまれたにすぎない?
 
 たたかいの日のあたたかい約束を
 うちやぶる忘却のこころよ
 哀傷の日は来たり
 哀傷の日はあふれ
 判決は
 読まれつづけて
 おわるえんぴつ
 消える消しごむ
 消えない消しごむ
 おわらないえんぴつ
 
 するすると虚空を降りてきた長い長いえんぴつの
 芯をにぎりしめていつの日にわたしはたおれるか

 
 ラブホテルの大家族
  藤井貞和「ラブホテルの大家族」(昭和五六)

 ラブホテルの朝は
 大家族がおよぎつき
 戸口のまわりでいっぱいになる
 甥や
 食客は「ルーツ」を小脇に
 まどには
 描きあげられたばかりの
 フタルシアニンによる秘画の青
 夏すがたのうつくしいひとを抱く
 
 叔母は叔父の
 石油にくちをあてて
 どこかの階上で
 眠っているであろう
 階下には
 長女をおしひらき
 次女の頭部が
 ぬれた毛玉のように
 おりてくる
 
 その隣室に
 肉体と死体とをぴったりかさねあわせた
 舟がたの寝台
 きのうから姉さんの
 「結婚は宗教である」なんて
 きっと
 巡礼の弟のリボンのような
 地図入れを
 あらうかなだらい
 
 めいは墓のバルコンに
 しろいものを
 投げつけている
 あれは右のちくび
 あれは左のちくび
 あれは右のてくび

 あれは左のてくび
 あれは右のあしくび
 あれは左のあしくび
 
 十二歳になったら産める
 かわいい歯をもつ子宮に
 あしたの子供を
 なんて
 終戦の日に
 これは「ルーツ」だよ
 終戦記念日は
 歯をひらく
 みずからのゆびで精霊を入れるために
 
 ラブホテルの()
 みどりのちぶさのうえで消し
 おばあさんは去る
 足をあいしたアトリエに
 まぢかな秋の
 きぬいとはひかり

 
 口語不自由詩――いろは歌
  藤井貞和「「静かの海」石、その韻き」(平成一〇)

 現代仮名利用の詩に追われて、
 つぶやく。
 ほろびもせぬ「ゐ」「ゑ」を、
  明日(あす)は正夢と見るべき、
 ねらえ、無知こそ!
 
 疲労する目の岩石。さまよえ、涙。
 あらぬ思いはソネットや、
 「ゐ」「ゑ」二字を含む反故(ほご)へ、
 割れて散りゆけ!
 
 「ゐ」「ゑ」を使うな、と、
 本音は決めてみる。石さえも読むふり。
 桶や炉の底減らず、
 あわれにまだ朽ちせぬ比喩
 
 「書く自由」の魔はすべて地、底、根にあらわれ、むせび泣き、
 よもや理論を見ぬ、冷たい「ゐ」、
 「おゑ!」と叫ぶ、ほえる
 
 平仮名をまきこむ「ゐ」や「ゑ」と、
 現代詩にある治癒のわざ、うろおぼえ、
 つねはくすぶり、見て、読めもせぬそれへ
 
 沸く谷地、ぬめり漲って、根へ垂れ、言語よおまえは、
 ほろぶ「ゐ」「ゑ」という文字にすら、無喩の遊びを咲かせる

 
 早朝ソフトボール大会
  ねじめ正一「ふ」(昭和五五)

 日常の頁がいくらめくられても
 嘔吐する気配もなく
 ひとりふるえるきみよ
 それは時代的なふるえだ
 それなのに何故きみは
 背を丸めて世界に入ろうとしないのか
 棒をふっても一生を棒にふらなかった
 きみよ
 心棒を欲しがるのはわかるが
 棒立ちで世界を拱ねいているばかりだ
 例えば今朝のソフトボール大会だ
 旧って中学校のエースだったきみが
 頭上わずかに超える飛球を
 殺意さえもグラブに燃やさず
 靴ひもがほどけたぐらいで
 あきらめてしまうのか
 旧っての詩人のように
 白球を小鳥の眼球と勘違いしたと
 言い訳してもだめだ
 大地の寝息のように芝生を跳ねる光に
 足をすくわれたと言ってもだめだ
 動いているのはきみだけではなく
 朝はいつも動いている
 きみのバッティングも元気がないぜ
 眼の高さまで引きつけていた思念を
 生活にふりしぼるまでいかないうちに
 単純に打ってしまうなんて
 人生は一度遠くを見たら
 視線は自分にもどってきやしない
 そして
 着替えに家に帰ってもそうだ
 遅い朝食の仕度をしているおんなに
 「疲れたので午后から仕事に行く」と
 言っても きみはおんなの迚も
 悲しそうな顔に抗うことはできない
 仕方なく急いで手足の汚れを
 洗い落していると

 水道の水の音に混って
 耳元では職場のぎわめきを聞いてしまう
 と おんなはきみの顔も見ないで
 台所から「早く 急いで!」と
 心で信号を送ってくる
 こうなると
 武蔵野の森を駆けぬけるきみの苛立ちは
 比喩の森を駆けぬけるときと同じだ
 きみはくやしがって
 ハンケチを道端に投げつけて
 爆弾にかわればよいと思ったりする
 だが私は
 そんなきみを見て
 三流手品師のようにハンケチを
 まず鳩にかえることを思っている

 
 見附のみどりに
  荒川洋治「水駅」(昭和五〇)

 まなざし青くひくく
 江戸は改代町への
 みどりをすぎる
 
 はるの見附
 個々のみどりよ
 朝だから
 深くは追わぬ
 ただ
 草は高くでゆれている
 
 妹は
 濠ばたの
 きよらかなしげみにはしりこみ
 白いうちももをかくす
 葉さきのかぜのひとゆれがすむと
 こらえていたちいさなしぶきの
 すっかりかわいさのました音が
 さわぐ葉陰をしばし
 打つ
 
 かけもどってくると
 わたしのすがたがみえないのだ
 なぜかもう
 暗くなって
 濠の波よせもきえ
 女に向う肌の押しが
 さやかに効いた草の道だけは
 うすくついている
 
 夢をみればまた隠れあうこともできるが妹よ
 江戸はさきごろおわったのだ
 あれからのわたしは
 遠く
 ずいぶんと来た

 いまわたしは、埼玉銀行新宿支店の白金のひかりをついてあるいている。
 ビルの破音。
 消えやすいその飛沫。口語の時代は寒い。
 葉陰のあのぬくもりを尾けてひとたび、打ちいでてみようか見附に。

 
 梅を支える
  荒川洋治「あたらしいぞわたしは」(昭和五四)

 きょうは梅が見られると思ったのに
 碍子をぬらしてあいにくの雨だ
 梅をささえに外へ出る
 そんな物見があったかどうか過去に
 あたらしいぞわたしは
 
 時のいきおいに捩れやられて
 暦のうえだけで梅が咲く
 それはささえのいらない梅だ
 それもそのこともあたらしい
 
 クリップではさすがに苦しんだようす
 そこにも透明なたたかいのあとがある
 いやたたかいだけが長命
 わたしに熱がないせいか
 差し止められた筈のこよみが一枚
 風でめくれ
 よその月がのぞいた
 すこしく未来が
 あらわになったわけだ
 二二日のところに
 「K子の結婚式」とある
 いつの書き込みだろう
 そしてそれを消すちからのことなど
 あたらしいぞわたしは
 
 気のそよいだところで風がやみ
 また
 先が見えなくなった
 来る月はあたらしい落葉とのぶつかり合いだ
 この分では避けられぬ、このほうの
 生き血のあらため
 あたらしいぞわたしは

 
 渡世
  荒川洋治「渡世」(平成九)

 風物詩といわれる
 堅固な
 「詩の世界」がある
 それはいかにも暴力的なものであるが
 
 たしかに
 あちらこちらに
 詩を
 感じることがある
 詩は
 そこはかとない渡世の
 あめあられの
 なかにあるのだから
 
 「お尻にさわる」
 という言葉を
 男はひんぱんに用いる
 なかには言葉の領海を出て
 「少しだけだ、な、いいだろ」と女性に迫ったために
 ごむまりのはずみで
 渡世の外に
 追い出された人もいる
 「だめよ、何するのよ」「ちょ、ちょっと。よしてください!」
 と女性は
 いつの場合も虫をはらうように
 まゆをひそめるのだが
 
 お尻にさわるのもいいが
 お尻にさわるという言葉は
 いい
 佳良な言葉だと思う
 あそこにはさわれない
 でもさわりたい、ことのスライドの表現
 のようでもあるが
 そうではない
 この言葉には
 核心にふれることとは

 全く別の内容が
 力なく浮かべられている
 若いすべすべの肌にふれ
 「いのちのかたち」をたしかめたい男性たちは
 まとを仕留めたあとも
 水が
 いつまでもぬれているように
 目をとじたまま お尻に
 さわりつづける
 
  ペたペた。
 
  ちゅう。ちゅう。
 
 「ね、うれしいんでしょ。これで、いいんでしょ。
 でも、どうして、そんな顔になっていくの?」
 
 そんなとき
 言葉は輝く
 お尻にさわる は
 その力なさにおいて
 輝く
 日本が
 残していい言葉だ
 (それがあまりにも
  身の近くにあることが
   結露をそこねるとしても
 
 ぼくは子供のころ
 言葉の前にたったとき
 葉鞘のひと揺れ
 土のひとくれ
 人のよすみに
 詩がある、それをつかめる
 と感じた
 だがそれはあくまで詩のようなものであり
 詩ではない
 別のものだ
 詩は一編のかたちをした
 文字の現実のつらなりのなかにしか存在しない

 つらいが
 頬をつねりたいが
 そういう
 ことだ
 さまざまなものをかけあわせた
 詩のようなものが
 街路にあふれ
 人の心に夜露のようにきらめいても
 それは別ものだ
 文字にできなければ棒切れなのだ
 (ああ なんてあたりまえのあめあられよ!)
 
 詩は一編の詩のなかにある
 詩は詩集のなかにある
 それがみすぼらしい結果をさらしても
 詩は文字のなかで点滅し殲滅する
 遺体は涙でぬらす
 水がいつまでもぬれているように
 
 お尻にさわる
 いい言葉だ
 日本が残すことのできる言葉は
 これくらい
 しか
 ないだろう
 というところに来た
 それは言葉がすべてあまさず
 そこにあるもの見えるものだけにくっつく
 よろこびを知りそこに憩ってしまったからだ
 このあまりの静けさ、掩蔽感は
 だが
 この世の
 誰の顔にも似ていない
 
 お尻にさわる
 は
 佳良な白い
 最後の言葉だ
 暗闇でしばし男のものとなり
 暗闇に消えていく

 
 償われた者の伝記のために(抄)
 
 稲川方人「償われた者の伝記のために」(昭和五一)

 数個の
 母の分裂を浄めることへの
 執着
 
 *
 まず死者が棚を濡らしてすぎていった。
 旗のなかで(おそらく蒼白の)
 わたくしが把握する、主題。そののち
 (おそらく魚らのたぐいの)唇を突出していった。
 
 *
 (残るものの至福としての
 ながい架空が内向した)
 
 *
 y .o
 一九七四年一月一一日
 王禅寺へむかう坂
 冬の
 草。
 
 *
 閉じる(ここでこのまま
 一個の果物をみつめていること。
 水の上の綿へかかっている、
 迷宮がある。
 雲は想像しない。
 腐蝕するまでの放置がある。
 遊戯にちかく扉を出ている。
 背後その事件が残っている。閉じる)
 零度へ成就するための、仮死。つかのまの。
 ………
 限られた復権に覆う紙のうえ
 ゆれている
 それは、からからと。

 *
 恩譜谷を予感する昼に
 寒霞渓、
 ということばをみている。
 犬たちがかすみのなかで
 ひそかに子供をたべて。
 高山鉄道はきょうも事故だった
 二人の死者が表わされて
 そのひとりをわたくしは知っている、と
 いつも、
 ひとりを知っていると書く。
 
 *
 (カンカケイをゆく、
 そうせよと命ぜられて)
 
 *
 しなやかな再会、その再び逢う語
 再会の、ゆくえがここに墜ちている。
 語りはじめるには
 ちかすぎる贋絵のよう
 
 しなやかな涸渇を
 深く植える指の
 秘に呼び招く地下茎を鳥々は砕いている。
 いっしんな風が刷る
 壁画の遠くから
 はしごをのぼりつめてくる沼がある。
 
 *
 おまえは沼の、その緻密の斜光のように
 被罪者。
 輝かしい、罪の生誕と
 乱雑な処刑に耐える森を読もうとも
 苦く採り集めた、紙片の部屋は
 襲われるのである。

 *
 おまえの命題を執り西へ、
 西の紡績湖。浮かべることのできない
 一艘の舟、一羽の斑鳩
 (漁をおえたひとびとは
 みずからの無為によってあれはたしか
 すず、と呼ばれる老婆をなぶり)
 わたしが横たわるためには
 岸の草地は濡れすぎていて
 ついやす殺意もすずの音ほどには
 幼なくなく、わたしに
 遠まくよりどんな優しさもない。
 (あらわな性器は彼女自身の
 手とおなじに老いていないのをわたしは
 みまいとして)
 西の紡績湖、その水の痣で
 さらに西へと、幾重の落葉期をむかえ
 ひととひとを
 おしあてている。
 
 *
 わたしの右腕をのびてゆく羽
 (地図の上ではほとんどみえなかった
 いくつかの水路、橋、村落、墓地
 についてわたしは考えることをやめ)
 相当な発汗に襲われて
 紡績湖へ倒れ込むというようなことがあった
 素描というようなことが――
 (平行な分割を望むすきに
 あわただしく町を出て)
 記録からとりだされる距離の支え
 それだけでおまえのまわりには
 わたしの事件が残ったと思えていたのだ。
 
 *
 (弛緩し静化したかたち)
 おまえは崩れた建造物に在り
 わたくしが狂うのを待っている。
 (貝が鳴りつづけた)

 
 (分裂することと引裂くこと)
 (約すことと処罰すること)
 偶然な星がある。わたくしには光も苦しく。
 (遠い情景からの高い雷音。偽善)
 地層がずれることでこの生に
 わたくしは耐えることができる。
 ひくい平野からの
 雷鳴と架空。

 
 封印(抄)
  稲川方人「封印」(昭和六〇)

 30
 
 明日あるかないかの生々しい詩語の余地で
 われわれの解体も終わりに近づきやがて
 報復ときょくどの錯乱の時 十年も二十年も
 おなじ命運の途方にくれたのだ
 目に余るまでの腐乱の生の一瞬の
 たえずことばでないかことばであるか、その
 いずれともない回想の深くを渡らずに
 しばらくはこの場の
 択一と限定のあるがまま
 左から右へ右から突端へと二度三度、
 わずかな溝であるにすぎない境界をかすめ
 かすめつづけながらむしろ敵意の
 なにほどもない一瞬に踏みたえ
 とぎれとぎれの反響に歯向っていくのだ
 補足と断片のきりのない反芻もすて
 人間の死をその果てでついに許すもの
 われわれの先々には
 そのことだけがつかえている
 だがこうもことばは日向にめぐり
 つねにぬるい敗亡に従って
 受難の幾筋か、生々しい途方に救われ
 はやるものの年月もざまはない
 刺激せよ、ときたまに
 やわらいでいるものの先端で
 唐突な残滓として破れ
 ものがたることばのあらゆる余白を汚してゆく
 再生と帰還のおおくはさらに曖昧に
 人間の死の彼方までを
 朦朧として親しみ
 夜明ければ痛む生のいたぶりも知らぬ
 われわれの欠如は
 われわれの絶え間ない幻覚のうちでも
 もっとも目に余る美しさで放棄されたが
 すでにこの場を、
 どんなためらいもなく左から右へ

 右から突端へとさまようとき
 欠如と救いのあるがままを越え
 どこへ密告されるにしても
 最後の敵意には耐えていくのだ
 刺激せよ、断言のいっさいのまあいを
 そしてつみ重ねた抽象のいまなおの特権を
 刺激せよ、刺激せよ
 くるしみの過剰であり冒涜の過剰であるさなか
 詩が詩で成ることに遠のき
 われわれの排除が
 われわれの絶え間ない頽廃のうちでも
 もっとも目に余る自由となるまで
 なにものかの外でのみ生存する鳥なら鳥に
 不足ないひとにぎりの事件を与えるのだ
 比喩と実践の
 剥奪された不毛にとどまり
 ことごとく露出されるはずである
 局面からいっきに外部へとことごとく
 敗亡するはずである
 ことばでないかことばであるか
 そのいずれともない回想の深くから
 罪なく現われる人間の実際が愚行だと
 詩は、詩のうちでくりかえし
 つねに欠落の
 またとない途方にかられていくが
 どうなるのでもない
 われわれはすでに充分だ
 腐乱の生の一瞬の
 明朗な病いであれ拡張であれ
 沈黙と失策の反響に
 どこまでも歯向って、われわれは充分である
 はじめの現実の際に
 霧中の沼の移動あり
 死者の保留なく、失われた作品の
 さらされた行方に
 霧中の沼の移動あり
 われわれは別れる
 とうに果てた象徴の中心をのみ
 さまよっている

 充分である
 破綻なきものの生を遠のくことだけでさえ
 われわれは充分に
 あきらかとなった
 やがてどうもうな回帰のとき
 自分を追いやるたびに
 あるがままの死滅を連らねて
 われわれの敵意がきりたっていくのだ
 
 31
 
 生にはあらず
 われわれの不安な途方にはその場限りの
 息せく救いがくりかえされた
 過失からはじまりついにはただ
 その回避にすぎなかった幾筋かの過程も
 まもなくは曖昧に終ろうとするものだ
 苦面のさなかを、言語の
 ひととうりの敗亡にしたがい
 行く手もなく、むしろどうもうに
 はじめの現実に突きでて
 生にはあらず、ひととうりの
 やましい意味にこごえてきた
 かぞえてみることもない
 われわれの内部の
 あわただしい火も比喩もおのずとほろび
 そののち、
 かくじつに死んだものたちをかかえれば
 ことばは、
 やや遅れてほろびようとするものだ
 そうであればその苦面のさなかを
 たえず突端へとさまよいながら
 しばらくは仮定であることにのみうなづき
 われわれはなによりも
 おのれを名のってみることがない
 所有と救済の、
 ざまもない果てにかかわることもない
 終えたものを再三に
 はじまりの断片へとひきもどしひきずり

 成り立ちはしなかったつぎの一片の
 うろおぼえの抗いに仕向けて
 あくまでも、
 かつて同じものであったその痕跡へとまた
 再三に追いやってゆくのだ
 われわれの局面の
 率直な遍在に応える
 内なるものの孤立も許しがたい
 生にはあらず、
 書かれたものとそこにさらされたものとは
 生にはあらず
 詩が詩で成ってゆくだけの
 いたましいまぼろしと裂け目
 そのままの、
 いちじるしい頽廃だ
 ことばなし、ことばなし
 かなしみにはかるい死を口に出し
 ゆきすぎたものの多くを
 人間のさなかに忘れ、ひととうりの
 やましい意味にこごえてきた
 あきらかにせよ、あきらかにせよ
 詩で成るものの象徴、詩で成るものの
 過剰な終結、
 詩でなるもののすべての肯定
 この場を左から右へ
 右から突端へとさまよい
 方々、方々へ
 干切れて
 にどと書き止むこともない
 
 32
 
 完成された病理のながめ
 たちすくむ意味と
 たたかう意味の永遠のながめ

 
 われらを生かしめる者はどこか(抄)
 
 稲川方人(昭和六一)

 (三百の火を三百の雫で消しながら)
 
 沼底の貝のはげしい呼吸が、
 あの半月の夜はこだました。
 北西の道を覆った
 漆黒の旗を、
 いまはおまえの水気のない手が振っている。
 あれは呪われた家の
 もの言わぬ子の誕生の第一日。
 この世に吹きあれた三百の火を
 三百の雫で消しとめながら、おまえは
 八つの物語の第六のくだりを書きだした。
 あれは桑の葉の匂いをかぐ亡霊の一体が
 歓喜の声を高々に響きわたすころ。
 とじられた廃馬の目をあけて、
 その目がみた三十五年余前の夢を
 おまえはのぞきこんでいる。
 あれは肥った鬼畜の神々が
 冬の日向を小走りに往来するころ。
 雑音まじりのラジオが
 えんえんとおなじ伝令をくりかえした。
 
 《すべて生きるものは、
 《北西に向かって位置せよ
 《よき土石を加工し、
 《なにごとも死者の諾否を待って成せ
 
 あれは呪われた家の
 もの言わぬ子の誕生の第三日。
 廃馬の腹の下から
 うずくまった幾百の星々が
 ひとつらなりに舞い昇り、
 その渦巻き状の半月の夜は
 沼底の貝の、はげしい呼吸がこだまし、
 第六の物語を書くおまえの手が
 小刻みに震えつづけた。

 伝令はくりかえす。
 
 《よき土石を加工し、
 《なにごとも死者の憎しみに協和せよ

 (ふかい夏)
 
 おおきな砲台の真下で
 おまえは群れなして正面をみるひとりだ
 一九年、昭和の
 夏休みに、
 風の大陸は
 いまだ未婚である。
 ひかりにあたる目を
 からだがふかく恥らった
 七月二十四日の真昼、一九年、昭和の
 祈念のあかるさが
 風に、こい影をきざんだ
 数分ののち、ふたたび正面に歩みよって、
 おまえは四〇年後の私をみるひとりだ
 からだがふかく恥らった
 あの群れにとりつくものと
 その正面を、
 正面としてみやるものと
 それはなんだ
 砲声に追われてくる
 子を売る簡単な生死のおこりが
 唯一の理解だ
 なじみがたい正面を
 名もいわずゆるした
 おまえの夏、
 一九年、昭和の
 風の大陸は
 いまだ未婚であった。

 (かなしみがほろびる)
 
 朝鮮のきいさんの家がほろびる
 朝鮮のきいさんの家族がほろびる
 きょう、かなしみが緊張する

 
 社川中学校のそばに政次さんが立っている
 政次さんの前にあかいたましいが立っている
 保健所がほろびる
 小山内さんのグローブがほろびる
 きょう、かなしみが緊張する
 
 八重さんの子が産助院で生まれる
 八重さんの笑う声が聞こえる
 八重さんの声がほろびる
 
 人間の足が死者の足を踏む
 古町の坂を帰っていく
 伊野町の坂を帰ってくる
 この世の橋がほろびる
 きょう、かなしみが産助院で生まれる
 かなしみがほろびる

 (陸のくにを発っていこう)
 
 生マレイデタ土地ヲ持チ、
 失ウタメノ血族ヲ持チ、
 別れよう!
 
 のぼるがいいか
 くだるがいいか
 土地の名を消し
 人の名を消し
 かずかぎりある
 かなしみの実がいたまぬうちに
 かずかぎりある
 月日の満干があせぬうちに
 別れよう
 別れるための言葉を言って
 すえながく、
 すえながく永劫に
 陸のくにの
 なれの果てを
 発っていこう

 きょう、傷ついた腹膜のような
 生涯の途中
 生きるのにあてなく
 けれどもなお、
 けれどもなお、
 われらを生かしめる者は
 何処をさまよっているか

 
 2000光年のコノテーション(抄)
  稲川方人「2000光年のコノテーション」(平成三)

 Ⅰ・ⅸ
 
 モンタナ 傷ついた青空
 想像力の廃坑を出て
 サヴォイ・バーバーショップの前につく四人の男たち
 かれらは陽をあびる
 サヴォイ・バーバーショップの前の四人の男たち
 かれらは死の邦の陽をあびる
 君のポラロイドにはモンタナの青空が映らない
 青空、モンタナ モンタナ、青空
 傷ついた想像力
 君のポラロイドにはなにも映らない
 モンタナ、死につかれた鉱脈の地上を打つ稲妻
 「光とは無限点の崩壊
 崩壊する永遠」
 人ひとり、誰も、誰も、通らない
 モンタナのサヴォイ・バーバーショップの前を
 誰も通過しない
 サヴォイ・バーバーショップの前の男たち
 かれらは開かれたものを閉じる
 ひとりは立ち、
 ひとりは眠り
 ひとりは身をまるめ、
 ひとりは笑う
 モンタナ、青空 傷ついた君の
 わかわかしい自画像
 光はどこから放たれてくるか
 君のポラロイドにはなにも映らない
 サヴォイ・バーバーショップのドアを開いて
 ひとりリチャード・パーキンズは
 無人のヘヴンヘ墜ちる
 「光をあてにするな」
 「光から逃げろ」
 退屈なヘヴンの前に座り
 ぎらぎらの顔を剃って
 リチャード・パーキンズは言う

 「俺は地下(アンダーグラウンド)に天国があると思ったよ」
 「だからやって来た」
 「この手で地下(アンダーグラウンド)を掘りに」
 傷ついた青空から人間はみな
 「夢をみながら降りてきたのさ」
 モンタナの青空 青空のモンタナ
 裏返った空中の地獄に
 シェル印の煙突が浮遊する
 「あれも俺がつくった」
 「だがあれはもうなにもつくらない」
 「一九世紀の焼き直しさ」
 死んだ光を焼いて
 シェル印の煙突はまだ煙を吐いている
 あれはもうなにもつくらない
 浮遊するくずだ
 無人のヘヴンヘ、ようこそ
 もうなにもつくらない
 リチャード・パーキンズは
 汚れた、深い上着のポケットに
 二枚のコインを持っている
 「一枚は今日の俺の乾いたのどのために」
 「一枚は死んだ仲間の
 乾いたのどのために」
 君は行くさきぎきで
 もうひとりのリチャード・パーキンズに会った
 君はリチャード・パーキンズにポラロイドを向ける
 君のポラロイドにはなにも映らない
 モンタナの青空も
 サソリの刺青の
 毛深いリチャード・パーキンズの
 神の腕も
 
 Ⅲ・ ⅰ
 
 無人のヘヴンヘ、ようこそ
 ここも
 誰もいない魂のくずだ
 貧しい地上にそびえて

 ( )を吐いた理性のくずだ
 雨の東京、詩は
 路上の川に沈め
 詩は水に戦え
 死んだリチャード・パーキンズは手をあげる
 サソリの刺青のリチャード・パーキンズの腕は
 モンタナの青空に
 光を集める
 五〇年前の、傷ついた青空
 誰もいないヘヴンに
 帰るために
 死んだリチャード・パーキンズは手をあげる
 いいことがない
 雨の東京で
 青空が
 狂っている
 「俺の物語は
 キャロル・ロンバードの映画のように
 いつもひとつしかない」
 「ビルボードの前で
 穴のあくほどながめているうち
 決着がついた」
 詩は死んだ者に晒されて
 詩は死んだ者に忘れられる
 風のビルボード
 「生き残ったのは
 それだけだ」
 「胸の大きな女神を運んだ
 ハイウェイも死んだ」
 「天国の鏡も、知恵の木も
 ヘンリーの笛も死んだ」
 そう、リチャード・パーキンズよ
 みんな死んで
 みんな風のビルボードをみつめて
 手のつけられない
 地上となった

 Ⅲ・ⅸ
 
 きっといつまでも
 美しく荒れるだろう
 君の内部を
 落ちていく
 隕石のような散文
 光年の彼方の
 花盛りのみずうみに
 君が返すものは
 それだけだ
 サラトガスプリングスの光のポーチに
 倒れて、
 君の若い父は
 青空に、
 理性の永遠を見る
 その日、一九五〇年代の終わり
 サラトガスプリングスの光のポーチに降りてくる
 火のファシズム
 「混沌」「未熟」「頽廃」「闘争」
 彼らは青空に唾を吐き
 彼らは一列の長い葬列をつくる
 光から逃げろ。
 光をあてにするな。
 その日、サラトガスプリングスの
 光のポーチには
 磨かれた靴だけが
 鳥のように呼吸している
 「それは砂漠を歩いてきた
 青空の靴」
 「それは剥奪された
 砂の靴」
 そして夕暮れの隠喩が、
 倒れる
 
 Ⅲ・ ⅹ
 
 文字を書いた二歳の君が
 あかい傘に驚く

 それは、窓硝子を行く異界
 君が書く文字の
 何千、何万のあとに
 それは、もういちど
 君の窓硝子を行く異界
 オマエハ「あかいかさ」ヲサガスタメニ
 父ト母デナイ
 愛ヲ、
 文字ノ上ニツクル
 父ト母デナイ
 愛ヲ、
 文字ノ上ニツクルタメニ
 父ト母ハ
 オマエヲ生ンダ
 
 君はそして
 父と母でない
 光年の記憶を
 いつまでも迷っている
 
 Ⅲ・ ⅹⅰ
 
 君の勇気は死んだ
 君の勇気が死んで
 二〇〇〇光年の彼方に
 翼を運ぶ
 それは、死んだ飛蝗となり
 それは、死んだ蟋蟀となる
 
 地上に
 高く、高く
 高く、高く
 そびえている煙突の底から
 君の翼の
 はばたきが響くと
 ぼくらの夏の惑星は
 ぼくらの狂った青空に、
 ぐらぐらとおおきく揺れながら
 近づいてくる

 
 朝礼
  井坂洋子「朝礼」(昭和五四)

 雨に濡れると
 アイロンの匂いがして
 湯気のこもるジャンパースカートの
 箱襞に捩れた
 糸くずも真面目に整列する
 
 朝の校庭に
 幾筋か
 濃紺の川を流す要領で
 生白い手足は引き
 貧血の唇を閉じたまま
 
 安田さん まだきてない
 中橋さんも
 
 体操が始まって
 委員の号令に合わせ
 生殖器をつぼめて爪先立つたび
 くるぶしにソックスが皺寄ってくる
 日番が日誌をかかえこむ胸のあたりから
 曇天の日射しに
 ゆっくり坂をあがってくる
 あの人たち
 
 川が乱れ
 わずかに上気した皮膚を
 濃紺に鎮めて
 暗い廊下を歩いていく
 と窓際で迎える柔らかなもの
 頬が今もざわめいて
 感情がささ波立っている
 訳は聞かない
 遠くからやってきたのだ

 
 GIGI
  井坂洋子「GIGI」(昭和五七)

 あなたにしてあげられることは全部
 私がする
 あなたが瀕死の床にいてさえ
 私は手を伸ばせばいいのだから
 遠くであなたのために祈る
 あの華奢な指を思いだすこともない
 荒蕪地に
 制札をたくさん立て
 それが燃え尽きる段になってやっと
 ぬかるみに気付く
 あなたの素足をもってしても
 秘密は隠されたまま
 美しい女のひとが何人か
 岩石になり
 月の満ち欠けによって
 あらわれたりあらわれなかったり
 皮が破れ肉がみえ血が滲んだ果てに
 懐しく思うのだろう
 いつだったか干潮で
 名を呼ばれ駆け寄っていくと
 雲と月の色の溶けている一点から
 照らしだされたあなたの
 腰から下が心細く
 襟もとからたちのぼる
 汗のにおいもたよりなく
 死ぬなら引力の法則にしたがって
 こう、バタンと死にたいね
 とおどけていたが、
 かなしいかな
 誰彼となく電話をかけようとし
 指よりもわずかに冷たい硬貨を
 まさぐっていたが、
 年月が凍りつき

 つよい感情だけが残り
 ペニスの先に枯れ葦まで挟んで
 救急病院の大部屋にかつぎこまれ
 肋をみせている
 ただの沼
 沼に目が二つ落ちている
 私はあなたへと白く光を発し
 溺れていくのを見守っている
 身をのせて
 しずめてあげることもできる

 * ジジ――犬の名。
 『テネシー・ウィリアムズ回想録』

 
 制服
  井坂洋子「朝礼」(昭和五四)

 ゆっくり坂をあがる
 車体に反射する光をふりきって
 車が傍らを過ぎ
 スカートの裾が乱される
 みしらぬ人と
 偶然手が触れあってしまう事故など
 しょっ中だから
 はじらいにも用心深くなる
 制服は皮膚の色を変えることを禁じ
 それでどんな少女も
 幽霊のように美しい
 からだがほぐれていくのをきつく
 眼尻でこらえながら登校する
 休み時間
 級友に指摘されるまで
 スカートの箱襞の裏に
 一筋こびりついた精液も
 知覚できない

 
 花嫁Ⅳ
  平出隆(昭和五二)

 上唇と下唇のあいだの夜に
 水晶の橋が懸かり
 いく樽か 死体をこめて
 その橋の裏をころがり渡って
 またかえす
 それとはべつに市街は祭りだ
 けれど一瞬
 祝辞のなかからみぶるいふるって
 翔びたつ鷺が
 なんたる非礼
 樽の頭に影ふり落とす
 ただしひと樽
 めざめる死体
 純白の捕虫網をにぎり涙も影と
 こぼしながら おれの番かい?
 たちあがる
 独自のあくび
 その男
 ときとしてきみの
 翔ぶ 花嫁であったりする
 
 (逆さまに祭りの喉に突きこまれ
 だれもこいつを目撃できない
 読むきみも読まないおまえも
 かく書く男も…)
 
 鎮魂歌は汚された
 婚儀のなかで尻尾は死んだ
 すべての遺書は嘲笑の火に
 すべての衣裳は遺書の火に
 その煙りにいつまでも
 横倒しの都市は咳こんで
 にがい蜜月の始終を語らず

柩の空には あの男
 弓なりの水晶橋に身を変えて
 残る唯一の
  捕虫網(ウエデイングヴエール)気違いじみてふりまくり
 なんたる非礼
 活字まがいに
 花嫁の書に降らす糞尿
 
 
 微熱の廊
  平出隆「旅籠屋」(昭和五一)

 病むひとの肩車で、梁にわたしは刻む《旅籠屋》。
 ゆらめいてそのまま
 雨ふる次頁へ傷む、
 栞となって立って眠る。
 めざめれば睡りも夢で
 粗末に欠けた斜洞にふたり横たわりあり
 焚きつけの本にくられた湖にひたい浸して
 炎えるおまえ、わたしの
 手は断固、紙背に廃れたひとつの星に
 幾重の馬楝(ばれん)をあてている。
 椎の葉や夕波や、草も来し方もないこの旅の
 靴底に暗礁を運ぶようにと
 禁じられた使命、紐をとけ。
 掬えるだろうかそこに宛て名、刻まれるべき滞在は。
 ひとりの岸から病床は流離する。
 曳かれる熱は都市をわたる。
 畳まれる廊また廊にわたし立ち
 恋するひとしかつめたくみとらぬ、薄明に
 あわただしく青息つめて落ち崩れ
 葉むら裂き、
 旅籠屋は発つ。

 
 家の緑閃光(抄)
  平出隆「家の緑閃光」(昭和六二)

 なんとか引越した鳥たち、
 
 ゆるんだ統御が 外からのあの仄かな頬をかき消している
 打ち重なり絶えた渦動の時間差 われらはどこへ滞るか
 睦じく 事態の透度計を欲しがつて たてのほそい埃りが
 いまは時制をくずす 六翼一連に降りかかつていた
 力ももうない 細い枝が三筋もつれて あらぬ方を指している
 
 プレートと閾、
 
 巻かれた一葉の金属が繊維にそつてたくさん裂けて隙間から
 好きなひとの譲れない特徴が見える とすぐ彼は 思つたのか
 鋭いその青の横なぐりのすだれが 部屋と想像との閾に垂れて
 揺れ だけどそんなもの見えるわけないじやない とすぐ彼は
 思つたか 宙に懸かるものも意に懸けず 腕だけを静かに 乱しつつ泣いた
 
 な名づけそ、
 
 名づけないでほしいから 謎とも呼ばれたくない わが
 精密な固定にいわれはあるが 忘れた理由がわたしだ
 部品にすぎなくてもいいが 名づけないでほしいから
 ふたたびは拾わないでほしい だれとももう連れ合うのは
 拒否だから 片隅の薄ら闇に しつかり固定してほしい
 
 恋愛詩集凡例、
 
 それはなお揺れる思いだが 揺れながら定めてきた
 自分なりの掟があり それを忽せに読むことは愛しいひとよ
 あなたにもできぬ それは揺らぎつづける掟だが
 揺らいでまた変りつづける異体のきわみの表記だが 法令を
 書き改める者はわたしひとりで いいやわたしの中のいま述べた
 揺らぎそのものなので 愛しい者よあなたを呼ぶ名と形容とが
 死せる物質に混じりあつて動かぬときにも 草のような注記は省いた

 散文的見世物、
 
 畳半畳ほどの格闘図をはこぶ者 木粋が汗で滑つたり
 紐の掛け金にもちかえた手を 爪のあたりで傷めたり
 向かう辻までの それはあつい距離をしわと染みの
 ある壁となつて歩く苦行 巴の格闘図のからまる長い
 鼻の中心から 逆向きの渦をなすふたつの巨躯を 抱きかかえ
 歩く三つめのからだ 日没の二秒のあいだ それは青み花やぐ

 
 とてもたのしいこと
  伊藤比呂美

 あの、
 つるんとして
 手触りがくすぐったく
 分泌をはじめて
 ひかりさえふくんでいるようにみえる
 くすくすと
 笑いが
 あたしの襞をかよって
 子宮にまでおよんでってしまう
 (ひろみ、
 (尻を出せ、
 (おまえの尻、
 と言ったことばに自分から反応して
 わ。
 かべに
 ぶつかってしまう
 いたいのではない、むしろ
 息を
 洩らす
 声を洩らす
 (ひろみ
 とあの人が吐きだす
 (すきか?
 声も搾られる
 (すきか?
 きつく問い糺すのだ、いつもそうするのだ
 (すきか? すきか?
 
 すき
 
 って言うと
 おしっこを洩らしたように あ
 暖まってしまった

 
 青梅が黄熟する
 伊藤比呂美「青梅」(昭和五七)

 はんもする湿地帯の植物。りょうてでは把握
 できない量。把握できない感情
 欲求
 希望へ!
 なんという湿気
 足ゆびのまたにまで入りこみ
 一足ごとにぎしぎしと鳴る
 
 きたくしてくつをぬぐ
 かいだんをのぼってくつをぬぐ
 どあをあけてくつをぬぐ
 首筋があって靴を脱いでいる
 主婦はその首筋にさわる。即座に
 払い除けられる
 一瞬に毛が密生する体温がゆびのはらに伝わる
 なにか
 鈍器ようのもの
 鈍器ようのものがよい、そう考えてました
 りょうてで
 ちからいっぱいにこめ
 うちおろす
 帰宅した男は膝のあたりから崩れ折れる
 後頭部を押えて
 ゆびのまたからも血が湧いて
 手首の方向へながれおちる
 イタイイタイと泣くでしょう
 からだを折りまげて胎児のかたちになり
 わたしからのがれようとするでしょう
 しっかりと人間の血、ぬくいです、
 脈うってぬくいです、
 ぬめります、
 追いかけて

 せんずりっかき
 と罵倒する唾とぶ。せんずりっかきは
 泣くでしょう、しゅじんである
 ざくろの実。のうみそとか飛びちるし
 肉の破片や骨
 なんかもある
 めがねはずす
 涙拭いた
 おびえてるよ
 その
 毛の密生する首筋の
 皮膚はなめらかですなめらかにあります
 首が起きて男は立ちあがる
 把握から抜け出す
 なにごともなし
 くつをぬいであがる
 しょくじしてねむる
 
 夜が明けるとまた朝のうち
 雨になるでしょう
 そのご草はのびて、青梅が黄熟します

 
 霰がやんでも
  伊藤比呂美(昭和六〇)

 一九〇三年南アメリカのどこかで
 小鳥が十二分間にわたって降りつづき
 地面は小鳥の死骸で埋まった
 小鳥の霰がやんでもしばらく小鳥の羽毛が
 雪のように
 あとからあとから舞いおちてきた
 あ、
 字は違っても「裕美」という名の友人がわざわざわたしのところへ
 なっとう、はっさく、卵
 を運んで来て
 「一緒に食べよう」と言った
 「これは無農薬、自然、安全、安心して食べられる」
 彼女とはすでに
 一緒に食べたことも
 一緒に排尿したことも
 一緒に排便したこともあるから、こんどは一緒に
 分娩したい
 とわたしは思う
 まるのままのおちんちんのついた(産みたい)
 それでわたしと性交できる(産みたい)
 わたしに射精できる(産みたい)
 髭を剃らなければいけないが(産みたい)
 剃っても剃りあとに体臭が残っている(産みたい)
 二十二歳の背の高い男を(産みたい)
 十九歳の背の高い男を(産みたい)
 二十五歳の背の高い二十九歳の背の高い男を(産みたい)
 大便みたいに
 産もう、一緒に
 すてきなラマーズ法で
 うー
 友人にもう一人字は違うが「弘美」というのがいて
 自殺したのである

 十一階から飛び降りてすぐ発見された
 頭を打っただけで外傷はなく
 集まって来た人々に
 飛んだのかと訊かれて飛んでないと答え
 しばらくして意識がなくなった、と彼女のお母さんが言った
 「ひろみ」は手がぷっくりしていてそこのところが「ひろみ」らしい
 と彼女のお母さんが言った
 飛んだ飛んだ、と言われて「ひろみ」は
 飛ばない飛ばない、と答えた、とお母さんが言った
 飛んだ飛んだ、飛ばない飛ばない
 飛んだのは確かだが、動機は分らない
 男のことで悩んだらしいが、真相は分らない
 の
 のどかなしいたけ
 もう一人字は違うが「博美」という友人が
 しいたけとこんぶを持って来た
 彼女は百円返してくれて、マイルドセブンも二個くれた
 のどかなしいたけ
 彼女は慢性の腎炎である
 塩気があってはならない彼女のマイルドセブン
 尿臭のするしいたけとこんぶ
 は、は
 はずかしい分娩
 成長する卵たち
 分裂する卵たち
 蠕動する卵たちが足を突き出す額を突き出す
 うれしい
 うれしい卵たち
 うれしいしいたけ
 うれしいなっとう
 うれしいはっさく
 
 うれしい腎臓
 うれしい小鳥の霰たち
 うれしい「ひろみ」たち
 産みたい
 産みたい

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