昭和 二

  葬式列車
   石原吉郎「サンチョ・パンサの帰郷」(昭和三九)

 なんという駅を出発して来たのか
 もう誰もおぼえていない
 ただ いつも右側は真昼で
 左側は真夜中のふしぎな国を
 汽車ははしりつづけている
 駅に着くごとに かならず
 赤いランプが窓をのぞき
 よごれた義足やぼろ靴といっしょに
 まっ黒なかたまりが
 投げこまれる
 そいつはみんな生きており
 汽車が走っているときでも
 みんなずっと生きているのだが
 それでいて汽車のなかは
 どこでも屍臭がたちこめている
 そこにはたしかに俺もいる
 誰でも半分はもう亡霊になって
 もたれあったり
 からだをすりよせたりしながら
 まだすこしずつは
 飲んだり食ったりしているが
 もう尻のあたりがすきとおって
 消えかけている奴さえいる
 ああそこにはたしかに俺もいる
 うらめしげに窓によりかかりながら
 ときどきどっちかが
 くさった林檎をかじり出す
 俺だの 俺の亡霊だの
 俺たちはそうしてしょっちゅう
 自分の亡霊とかさなりあったり
 はなれたりしながら
 やりきれない遠い未来に
 汽車が着くのを待っている

 誰が機関車にいるのだ
 巨きな黒い鉄橋をわたるたびに
 どろどろと橋桁が鳴り
 たくさんの亡霊がひょっと
 食う手をやすめる
 思い出そうとしているのだ
 なんという駅を出発して来たのかを

 
  位置
   石原吉郎「サンチョ・パンサの帰郷」(昭和三九)

 しずかな肩には
 声だけがならぶのでない
 声よりも近く
 敵がならぶのだ
 勇敢な男たちが目指す位置は
 その右でも おそらく
 そのひだりでもない
 無防備の空がついに撓み
 正午の弓となる位置で
 君は呼吸し
 かつ挨拶せよ
 君の位置からの それが
 最もすぐれた姿勢である

 
  賭け
   黒田三郎「ひとりの女に」(昭和二九)

 五百万円の持参金付の女房を貰ったとて
 貧乏人の僕がどうなるものか
 ピアノを買ってお酒を飲んで
 カーテンの陰で接吻して
 それだけのことではないか
 美しく聡明で貞淑な奥さんを貰ったとて
 飲んだくれの僕がどうなるものか
 新しいシルクハットのようにそいつを手に持って
 持てあます
 それだけのことではないか
 
 ああ
 そのとき
 この世がしんとしずかになったのだった
 その白いビルディングの二階で
 僕は見たのである
 馬鹿さ加減が
 丁度僕と同じ位で
 貧乏でお天気屋で
 強情で
 胸のボタンにはヤコブセンのバラ
 ふたつの眼には不信心な悲しみ
 ブドウの種を吐き出すように
 毒舌を吐き散らす
 唇の両側に深いえくぼ
 僕は見たのである
 ひとりの少女を
 
 一世一代の勝負をするために
 僕はそこで何を賭ければよかったのか
 ポケットをひっくりかえし
 持参金付の縁談や
 詩人の月桂冠や未払の勘定書

 ちぎれたボタン
 ありとあらゆるものを
 つまみ出して
 さて
 財布をさかさにふったって
 賭けるものがなにもないのである
 僕は
 僕の破滅を賭けた
 僕の破滅を
 この世がしんとしずまりかえっているなかで
 僕は初心な賭博者のように
 閉じていた眼をひらいたのである

 
  秋の日の午後三時
   黒田三郎「小さなユリと」(昭和三五)

 不忍池のほとりのベンチに座って
 僕はこっそりポケットウィスキイの蓋をあける
 晴衣を着た小さなユリは
 白い砂の上を真直ぐに駆け出してゆき
 円を画いて帰ってくる
 
 遠くであしかが頓狂な声で鳴く
 「クワックワックワッ」
 小さなユリが真似ながら帰ってくる
 秋の日の午後三時
 向岸のアヒルの群れた辺りにまばらな人影
 
 遠くの方で微かに自動車の警笛の音
 すべては遠い
 遠い遠い世界のように
 白い砂の上に並んだふたつの影を僕は見る
 勤めを怠けた父親とその小さな娘の影を

 
  夕方の三十分
   黒田三郎「小さなユリと」(昭和三五)

 コンロから御飯をおろす
 卵を割ってかきまぜる
 合間にウィスキイをひと口飲む
 折紙で赤い鶴を折る
 ネギを切る
 一畳に足りない台所につっ立ったままで
 夕方の三十分
 
 僕は腕のいい女中で
 酒飲みで
 オトーチャマ
 小さなユリの御機嫌とりまで
 いっぺんにやらなきゃならん
 半日他人の家で暮したので
 小さなユリはいっぺんにいろんなことを言う
 
 「ホンヨンデェ オトーチャマ」
 「コノヒモホドイテェ オトーチャマ」
 「ココハサミデキッテェ オトーチャマ」
 卵焼をかえそうと
 一心不乱のところに
 あわててユリが駈けこんでくる
 「オシッコデルノー オトーチャマ」
 
 だんだん僕は不機嫌になってくる
 味の素をひとさじ
 フライパンをひとゆすり
 ウィスキイをがぶりとひと口
 だんだん小さなユリも不機嫌になってくる
 「ハヤクココキッテヨォ オトー」
 「ハヤクー」

 癇癪もちの親爺が怒鳴る
 「自分でしなさい 自分でェ」
 癇癪もちの娘がやりかえす
 「ヨッパライ グズ ジジイ」
 親爺が怒って娘のお尻をたたく
 小さなユリが泣く
 大きな大きな声で泣く
 
 それから
 やがて
 しずかで美しい時間が
 やってくる
 親爺は素直にやさしくなる
 小さなユリも素直にやさしくなる
 食卓に向い合ってふたり坐る

 
  死のなかに
   黒田三郎「時代の囚人」 (昭和四〇)

 死のなかにいると
 僕等は数でしかなかった
 臭いであり
 場所ふさぎであった
 死はどこにでもいた
 死があちこちにいるなかで
 僕等は水を飲み
 カアドをめくり
 襟の汚れたシャツを着て
 笑い声を立てたりしていた
 死は異様なお客ではなく
 仲のよい友人のように
 無遠慮に食堂や寝室にやって来た
 床には
 ときに
 喰べ散らした魚の骨の散っていることがあった
 月の夜に
 馬酔木の花の匂いのすることもあった
 
 戦争が終ったとき
 パパイアの木の上には
 白い小さい雲が浮いていた
 戦いに負けた人間であるという点で
 僕等はお互いを軽蔑しきっていた
 それでも
 戦いに負けた人間であるという点で
 僕等はちょっぴりお互いを哀れんでいた
 酔漢やペテン師
 百姓や錠前屋
 偽善者や銀行員
 大喰いや楽天家
 いたわりあったり
 いがみあったりして
 僕等は故国へ送り返される運命をともにした

 引揚船が着いたところで
 僕等は
 めいめいに切り放された運命を
 帽子のようにかるがると振って別れた
 あいつはペテン師
 あいつは百姓
 あいつは銀行員
 
 一年はどのようにたったであろうか
 そして
 二年
 ひとりは
 昔の仲間を欺いて金を儲けたあげく
 酔っぱらって
 運河に落ちて
 死んだ
 ひとりは
 乏しいサラリイで妻子を養いながら
 五年前の他愛もない傷がもとで
 死にかかっている
 ひとりは
 
 そのひとりである僕は
 東京の町に生きていて
 電車の吊皮にぶら下っている
 すべての吊皮に
 僕の知らない男や女がぶら下っている
 僕のお袋である元大佐夫人は
 故郷で
 栄養失調で死にかかっていて
 死をなだめすかすためには
 僕の二九二〇円では
 どうにも足りぬのである
 死 死 死
 死は金のかかる出来事である

 僕の知らない男や女が吊皮にぶら下っているなかで
 僕も吊皮にぶら下り
 魚の骨の散っている床や
 馬酔木の花の匂いのする夜を思い出すのである
 そして
 さらに不機嫌になって吊皮にぶら下っているのを
 誰も知りはしないのである

 
  静物
   吉岡実「静物」(昭和三〇)

 夜の器の硬い面の内で
 あざやかさを増してくる
 秋のくだもの
 りんごや梨やぶどうの類
 それぞれは
 かさなったままの姿勢で
 眠りへ
 ひとつの諧調へ
 大いなる音楽へと沿うてゆく
 めいめいの最も深いところへ至り
 核はおもむろによこたはる
 そのまはりを
 めぐる豊かな腐爛の時間
 いま死者の歯のまへで
 石のやうに発しない
 それらのくだものの類は
 いよいよ重みを加える
 深い器のなかで
 この夜の仮象の裡で
 ときに
 大きくかたむく

 
  僧侶
   吉岡実「僧侶」(昭和三三)

   一
 
 四人の僧侶
 庭園をそぞろ歩き
 ときに黒い布を巻きあげる
 棒の形
 憎しみもなしに
 若い女を叩く
 こうもりが叫ぶまで
 一人は食事をつくる
 一人は罪人を探しにゆく
 一人は自涜
 一人は女に殺される

   二
 
 四人の僧侶
 めいめいの務めにはげむ
 聖人形をおろし
 磔に牝牛を掲げ
 一人が一人の頭髪を剃り
 死んだ一人が祈祷し
 他の一人が棺をつくるとき
 深夜の人里から押しよせる分娩の洪水
 四人がいっせいに立ちあがる
 不具の四つのアンブレラ
 美しい壁と天井張り
 そこに穴があらわれ
 雨がふりだす

   三
 
 四人の僧侶
 夕べの食卓につく
 手のながい一人がフォークを配る
 いぼのある一人の手が酒を注ぐ

 他の二人は手を見せず
 今日の猫と
 未来の女にさわりながら
 同時に両方のボデーを具えた
 毛深い像を二人の手が造り上げる
 肉は骨を緊めるもの
 肉は血に晒されるもの
 二人は飽食のため肥り
 二人は創造のためやせほそり

   四
 
 四人の僧侶
 朝の苦行に出かける
 一人は森へ鳥の姿でかりうどを迎えにゆく
 一人は川へ魚の姿で女中の股をのぞきにゆく
 一人は街から馬の姿で殺戮の器具を積んでくる
 一人は死んでいるので鐘をうつ
 四人一緒にかつて哄笑しない

   五
 
 四人の僧侶
 畑で種子を播く
 中の一人が誤って
 子供の臀に蕪を供える
 驚愕した陶器の顔の母親の口が
 赭い泥の太陽を沈めた
 非常に高いブランコに乗り
 三人が合唱している
 死んだ一人は
 巣のからすの深い咽喉の中で声を出す

   六
 
 四人の僧侶
 井戸のまわりにかがむ
 洗濯物は山羊の陰嚢

 洗いきれぬ月経帯
 三人がかりでしぼりだす
 気球の大きさのシーツ
 死んだ一人がかついで干しにゆく
 雨のなかの塔の上に

   七
 
 四人の僧侶
 一人は寺院の由来と四人の来歴を書く
 一人は世界の花の女王達の生活を書く
 一人は猿と斧と戦車の歴史を書く
 一人は死んでいるので
 他の者にかくれて
 三人の記録をつぎつぎに焚く

   八
 
 四人の僧侶
 一人は枯木の地に千人のかくし児を産んだ
 一人は塩と月のない海に千人のかくし児を死なせた
 一人は蛇とぶどうの絡まる秤の上で
 死せる者千人の足生ける者千人の眼の衡量の等しいのに驚く
 一人は死んでいてなお病気
 石塀の向うで咳をする

   九
 
 四人の僧侶
 固い胸当のとりでを出る
 生涯収穫がないので
 世界より一段高い所で
 首をつり共に嗤う
 されば
 四人の骨は冬の木の太さのまま
 縄のきれる時代まで死んでいる

 
  サフラン摘み
   吉岡実「サフラン摘み」(昭和五一)

 クレタの或る王宮の壁に
 「サフラン摘み」と
 呼ばれる華麗な壁画があるそうだ
 そこでは 少年が四つんばいになって
 サフランを摘んでいる
 岩の間には碧い波がうずまき模様をくりかえす日々
 だがわれわれにはうしろ姿しか見えない
 少年の額に もしも太陽が差したら
 星形の塩が浮んでくる
 割れた少年の尻が夕暮れの岬で
 突き出されるとき
 われわれは 一茎のサフランの花の香液のしたたりを認める
 波が来る 白い三角波
 次に斬首された
 美しい猿の首が飾られるであろう
 目をとじた少年の闇深く入りこんだ
 石英のような顔の上に
 春の果実と魚で構成された
 アルチンボルドの肖像画のように
 腐敗してゆく すべては
 表面から
 処女の肌もあらがいがたき夜の
 エーゲ海の下の信仰と呪咀に
 なめされた猿のトルソ
 そよぐ死せる青い毛
 ぬれた少年の肩が支えるものは
 乳母の太股であるのか
 猿のかくされた陰茎であるのか
 大鏡のなかにそれはうつる
 表意文字のように
 夕焼は遠い円柱から染めてくる
 消える波

 褐色の巻貝の内部をめぐりめぐり
 『歌』はうまれる
 サフランの花の淡い紫
 招く者があるとしたら
 少年は岩棚をかけおりて
 数ある仮死のなかから溺死の姿を籍りる
 われわれは今しばらく 語らず
 語るべからず
 泳ぐ猿の迷信を――
 天蓋を波が越える日までは

 
  家
   石垣りん「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」(昭和三四)

 夕刻
 私は国電五反田駅で電車を降りる。
 おや、私はどうしてここで降りるのだろう
 降りながら、そう思う
 毎日するように池上線に乗り換え
 荏原中延で降り
 通いなれた道を歩いてかえる。
 
 見慣れた露地
 見慣れた家の台所
 裏を廻って、見慣れたちいさい玄関
 ここ、
 ここはどこなの?
 私の家よ
 家ってなあに?
 この疑問、
 家って何?
 
 半身不随の父が
 四度目の妻に甘えてくらす
 このやりきれない家
 職のない弟と知能のおくれた義弟が私と共に住む家。
 
 柱が折れそうになるほど
 私の背中に重い家
 はずみを失った乳房が壁土のように落ちそうな
 
 そんな家にささえられて
 六十をすぎた父と義母は
 むつまじく暮している、
 わがままをいいながら
 文句をいい合いながら

 私の渡す乏しい金額のなかから
 自分たちの生涯の安定について計りあっている
 
 この家
 私をいらだたせ
 私の顔をそむけさせる
 この、愛というもののいやらしさ、
 鼻をつまみながら
 古い日本の家々にある
 悪臭ふんぷんとした便所に行くのがいやになる
 
 それで困る。
 
 きんかくし
 
 家にひとつのちいさなきんかくし
 その下に匂うものよ
 父と義母があんまり仲が良いので
 鼻をつまみたくなるのだ
 きたなさが身に沁みるのだ
 弟ふたりを加えて一家五人
 そこにひとつのきんかくし
 私はこのごろ
 その上にこごむことを恥じるのだ
 いやだ、いやだ、この家はいやだ。

 
  シジミ
   石垣りん「表札など」(昭和四三)

 夜中に目をさました。
 ゆうべ買ったシジミたちが
 台所のすみで
 口をあけて生きていた。
 
 「夜が明けたら
 ドレモコレモ
 ミンナクッテヤル」
 
 鬼ババの笑いを
 私は笑った。
 それから先は
 うっすら口をあけて
 寝るよりほかに私の夜はなかった。

 
  表札
   石垣りん「表札など」(昭和四三)

 自分の住むところには
 自分で表札を出すにかぎる。
 
 自分の寝泊まりする場所に
 他人がかけてくれる表札は
 いつもろくなことはない。
 
 病院へ入院したら
 病院の名札には石垣りん様と
 様が付いた。
 
 旅館に泊っても
 部屋の外に名前は出ないが
 やがて焼場の(かま)にはいると
 とじた扉のうえに
 石垣りん殿と札が下がるだろう
 そのとき私がこばめるか?
 
 様も
 殿も
 付いてはいけない、
 
 自分の住む所には
 自分で表札をかけるに限る。
 
 精神の在り場所も
 ハタから表札をかけられてはならない
 石垣りん
 それでよい。

 
  崖
   石垣りん「表札など」(昭和四三)

 戦争の終り、
 サイパン島の崖の上から
 次々に身を投げた女たち。
 
 美徳やら義理やら体裁やら
 何やら。
 火だの男だのに追いつめられて。
 
 とばなければならないからとびこんだ。
 ゆき場のないゆき場所。
 (崖はいつも女をまっさかさまにする)
 
 それがねえ
 まだ一人も海にとどかないのだ。
 十五年もたつというのに
 どうしたんだろう。
 あの、
 女。

 
  死んだ男
   鮎川信夫「鮎川信夫詩集」(昭和三〇)

 たとえば霧や
 あらゆる階段の跫音のなかから、
 遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
 ――これがすべての始まりである。
 
 遠い昨日……
 ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、
 ゆがんだ顔をもてあましたり
 手紙の封筒を裏返すようなことがあった。
 「実際は、影も、形もない?」
 ――死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった。
 
 Mよ、昨日のひややかな青空が
 剃刀の刃にいつまでも残っているね。
 だがぼくは、何時何処で
 きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
 短かかった黄金時代――
 活字の置き換えや神様ごっこ――
 「それがぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて……
 
 いつも季節は秋だった、昨日も今日も、
 「淋しさの中に落葉がふる」
 その声は人影へ、そして街へ、
 黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。
 
 埋葬の日は、言葉もなく
 立ち会う者もなかった
 憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
 空にむかって眼をあげ
 きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ。
 「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」
 Mよ、地下に眠るMよ、
 きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

 
  繋船ホテルの朝の歌
   鮎川信夫「鮎川信夫詩集」(昭和三〇)

 ひどく降りはじめた雨のなかを
 おまえはただ遠くへ行こうとしていた
 死のガードをもとめて
 悲しみの街から遠ざかろうとしていた
 おまえの濡れた肩を抱きしめたとき
 なまぐさい夜風の街が
 おれには港のように思えたのだ
 船室の灯のひとつひとつを
 可燐な魂のノスタルジアにともして
 巨大な黒い影が波止場にうずくまっている
 おれはずぶ濡れの悔恨をすてて
 とおい航海に出よう
 背負い袋のようにおまえをひっかついで
 航海に出ようとおもった
 電線のかすかな唸りが
 海を飛んでゆく耳鳴りのように思えた
 
 おれたちの夜明けには
 疾走する鋼鉄の船が
 青い海の中に二人の運命をうかべているはずであった
 ところがおれたちは
 何処へも行きはしなかった
 安ホテルの窓から
 おれは明けがたの街にむかって唾をはいた
 疲れた重たい瞼が
 灰色の壁のように垂れてきて
 おれとおまえのはかない希望と夢を
 ガラスの花瓶に閉じこめてしまったのだ
 折れた埠頭のさきは
 花瓶の腐った水のなかで溶けている
 なんだか眠りたりないものが
 厭な匂いの薬のように澱んでいるぱかりであった

 だが昨日の雨は
 いつまでもおれたちのひき裂かれた心と
 ほてった肉体のあいだの
 空虚なメランコリイの谷間にふりつづいている
 
 おれたちはおれたちの神を
 おれたちのベッドのなかで締め殺してしまったのだろうか
 おまえはおれの責任について
 おれはおまえの責任について考えている
 おれは慢性胃腸病患者のだらしないネクタイをしめ
 おまえは禿鷹風に化粧した小さな顔を
 猫背のうえに乗せて
 朝の食卓につく
 ひびわれた卵のなかの
 なかば熟しかけた未来にむかって
 おまえは愚劣な謎をふくんだ微笑を浮べてみせる
 おれは憎悪のフォークを突き刺し
 ブルジョア的な姦通事件の
 あぶらぎった一皿を平げたような顔をする
 
 窓の風景は
 額縁のなかに嵌めこまれている
 ああ おれは雨と街路と夜がほしい
 夜にならなければ
 この倦怠の街の全景を
 うまく抱擁することができないのだ
 西と東の二つの大戦のあいだに生れて
 恋にも革命にも失敗し
 急転直下堕落していったあの
 イデオロジストの顰め面を窓からつきだしてみる
 街は死んでいる
 さわやかな朝の風が
 頸輪ずれしたおれの咽喉につめたい剃刀をあてる
 おれには堀割のそぱに立っている人影が
 胸をえぐられ
 永遠に吠えることのない狼に見えてくる

 
  兵士の歌
   鮎川信夫「鮎川信夫詩集」(昭和三〇0)

 穫りいれがすむと
 世界はなんと曠野に似てくることか
 あちらから昇り むこうに沈む
 無力な太陽のことばで ぼくにはわかるのだ
 こんなふうにおわるのはなにも世界だけではない
 死はいそがぬけれども
 いまはきみたちの肉と骨がどこまでもすきとおってゆく季節だ
 空中の帝国からやってきて
 重たい刑罰の砲車をおしながら
 血の河をわたっていった兵士たちよ
 むかしの愛も あたらしい日付の憎しみも
 みんな忘れる祈りのむなしさで
 ぼくははじめから敗れ去っていた兵士のひとりだ
 なにものよりも おのれ自身に擬する銃口を
 たいせつにしてきたひとりの兵士だ
 おお だから……
 ぼくはすこしずつやぶれてゆく天幕のかげで
 膝をだいて眠るような夢をもたず
 いつわりの歴史をさかのぼって
 すこしずつ退却してゆく軍隊をもたない
 ……誰もぼくを許そうとするな
 ぼくのほそい指は
 どの方向にでもまげられる関節をもち
 安全装置をはずした引金は ぼくひとりのものであり
 どこかの国境を守るためではない
 勝利を信じないぼくは……
 ながいあいだこの曠野を夢みてきた それは
 絶望も希望も住む場所をもたぬところ
 未来や過去がうろつくには
 すこしばかり遠いところ 狼の影もないところ
 どの首都からもへだたった どんな地図にもないところだ
 ひろい曠野にむかう魂が
 ……どうして敗北を信ずることができようか

 かわいたとび色の風のなかで
 からっぽの水筒に口をあてて
 消えたいのちの水をのんでいる兵士たちよ
 きみたちは もう頑強な村を焼きはらったり
 奥地や海岸で 抵抗する住民をうちころす必要はない
 死の穫りいれがおわり きみたちの任務はおわったから
 きみたちは きみたちの大いなる真昼をかきけせ!
 白くさらした骨をふきよせる夕べに
 死霊となってさまよう兵士たちよ
 きみたちのいない暗い空のあちこちから
 沈黙よりも固い無名の木の実がはじけとび
 四月の雨をまつ土にふかく射ちこまれている
 おお しかし……
 森や田畑やうつくしい町の視覚像はいらない
 ぼくはぼくの心をつなぎとめている鎖をひきずって
 ありあまる孤独を
 この地平から水平線にむけてひっぱってゆこう
 頭上で枯れ枝がうごき つめたい空気にふれるたびに
 榴散弾のようにふりそそぐ淋しさに耐えてゆこう
 歌う者のいない咽喉と 主権者のいない胸との
 血をはく空洞におちてくる
 にんげんの悲しみによごれた夕陽をすてにゆこう
 この曠野のはてるまで
 ……どこまでもぼくは行こう
 ぼくの行手ですべての国境がとざされ
 弾倉をからにした心のなかまで
 きびしい寒さがしみとおり
 吐く息のひとつひとつが凍りついても
 おお しかし どこまでもぼくは行こう
 勝利を信じないぼくは どうして敗北を信ずることができようか
 おお だから 誰もぼくを許そうとするな。

 
  墓地の人
   北村太郎「北村太郎詩集」(昭和四一)

 こつこつと鉄柵をたたくのはだれか。
 魔法の杖で
 彼をよみがえらせようとしても無益です。
 腸詰のような寄生虫をはきながら、
 一九四七年の夏、彼は死んだ。
 (つめたい霧のなかに、
 いくつも傾いた墓石がぬれている)
 苦痛と、
 屈辱と、
 ひき裂かれた希望に眼を吊りあげて彼は死んだ。
 やさしい肉欲にも、
 だるいコーヒーの匂いにも、
 彼のかがやかしい紋章は穢されはしなかった。
 犬の死骸。
 (死んだ建築家との退屈な一日)
 ああ、彼の仮面が、
 青銅の眼でいつも人類をみつめているとだれが言うのか。
 その重たい墓石のしたで、
 暗い土のなかで、
 腸結核で死んだ彼の骨がからみあっているだけです。
 幼年時代に、
 柘榴をかんだ白い歯が朽ちているだけです。
 それなのに、
 尖った爪を血だらけにして敷石を掘りかえすのはだれか、
 錆びたシャヴェルで影をさがすのはだれですか。
 (棺をのせた車輪がしずかにきしりながら、
 しめった土のうえに止った夏の朝)
 ああ、彼は死んだ。
 埋葬人は記録書に墓の番号をつけました。
 すべては終りました。
 犬とともに、
 夕ぐれの霧のなかに沈む死者よ。
 さよなら。

 
  センチメンタル・ジャーニー
   北村太郎「詩集」(昭和四一)

 滅びの群れ、
 しずかに流れる鼠のようなもの、
 ショウウィンドウにうつる冬の河。
 私は日が暮れるとひどくさみしくなり、
 銀座通りをあるく、
 空を見つめ、瀕死の光りのなかに泥の眼をかんじ、
 地下に没してゆく靴をひきずって。
 永遠に見ていたいもの、見たくないもの、
 いつも動いているもの、
 止っているもの、
 剃刀があり、裂かれる皮膚があり、
 ひろがってゆく観念があり、縮まる観念があり、
 何ものかに抵抗して、オウヴァに肩を窄める私がある。
 冬の街。
 
 なぜ人類のために、
 なぜ人類の惨めさと卑しさのために、
 私は貧しい部屋に閉じこもっていられないのか。
 なぜ君は錘りのような涙をながさないのか。
 大時計の針がきっかり六時を指し、
 うつろな音が雑閙のうえの空に鳴りわたる。
 私はどうすればいいのか、
 重たい靴をはこぶ「現在」と、
 いつか、どこか解らない「終りの時」までに。
 鼠よ、君は私にとって何であり、
 君の髭は私にとって何であるのか。
 すぎゆく一日の客の記憶、
 大時計のうしろに時間があり、
 時間のうしろに凍りついた私の人生がある。
 さびしい私の父、
 私の兄弟の跫音がある。
 街をあるき、
 地上を遍歴し、いつも渇き、いつも飢え、
 いつもどこかの街角でポケットにパンと葡萄酒をさぐりながら、
 死者の棲む大いなる境に近づきつつある。

 
  雨
   北村太郎「北村太郎詩集」(昭和四一)

 春はすべての重たい窓に街の影をうつす。
 街に雨はふりやまず、
 われわれの死のやがてくるあたりも煙っている。
 丘のうえの共同墓地。
 墓はわれわれ一人ずつの眼の底まで十字架を焼きつけ、
 われわれの快楽を量りつくそうとする。
 雨が墓地と窓のあいだに、
 ゼラニウムの飾られた小さな街をぼかす。
 車輪のまわる音はしずかな雨のなかに、
 雨はきしる車輪のなかに消える。
 われわれは墓地をながめ、
 死のかすれたよび声を石のしたにもとめる。
 すべてはそこにあり、
 すべての喜びと苦しみはたちまちわれわれをそこに繋ぐ。
 丘のうえの共同墓地。
 煉瓦づくりのパン焼き工場から、
 われわれの屈辱のためにこげ臭い匂いがながれ、
 街をやすらかな幻影でみたす。
 幻影はわれわれに何をあたえるのか。
 何によって、
 何のためにわれわれは管のごとき存在であるのか。
 橋の下のブロンドのながれ、
 すべてはながれ、
 われわれの腸に死はながれる。
 午前十一時。
 雨はきしる車輪のなかに、
 車輪のまわる音はしずかな雨のなかに消える。
 街に雨はふりやまず、
 われわれは重たいガラスのうしろにいて、
 横たえた手足をうごかす。

 
  パスカル
   北村太郎「あかつき闇」(昭和五三)

 あなたは大きな目で物質を見る
 動きや性質を厳密なことばで書く
 つまり抽象能力が抜群だった
 あなたにとって自然とは
 集合、分解、腐敗にすぎず
 そこに美なんぞ認めなかったようだ
 
 あなたの書く葦だってぼくには
 まるで実体が感じられない
 針金でできている植物みたいだ
 ほんとうはあなたが親しんでいた
 沼のほとりにでも生えていたのだろうか
 どちらにしても乾いた草だ
 
 ぼくらの住んでいる土地は
 湿気が多くリューマチによくない
 ポールロワイヤルも瘴癘にちかい所で
 己れの肉体を苦しめるにふさわしかった
 ぼくらの土地では水墨画が生まれたが
 あなたはたぶん霧なんか嫌いだったろう
 
 人の目を規定するのは文明だ
 その底にある文化だどうしようもない
 だからあなたが自然をそっけなく見ても
 かえってぼくは安心する
 美とか想像力とかは複雑曖昧だし
 抽象されたものは一応万国共通だから
 
 でもあなたの書いたものを読んでいると
 無性に腹が立つときがある
 キリスト教以外の宗教がだめな理由を
 あなたはまじめに書きつづる
 たぶんあなたは詩も芝居も嫌いだ
 ぼくはしかし怒りながら頷きもする
 
 あなたは余りにも過激なので
 ぼくはあなたを信じそうになる

 火
 彼ら、活ける泉のみなもとなるわれを棄てたり
 なんて引用されるとぼくは自分を愧じる
 そう思いつつ気晴らしをする
 
 あなたの時代から世の中は難しくなった
 「無限」は一形容詞にすぎなくなり
 「永遠」は緊張の欠けた単語になった
 しかしあなたはあの大きな目で
 辛抱づよく人間の条件を見た
 厳しすぎ独断的すぎる独身者として
 
 プロヴァンシアルは痛快な読み物だ
 ぼくは若いころ熱中して
 あなたのレトリックにうなり
 ずいぶん傲慢で自信たっぷりだなと思った
 十分な恩寵とか有効な恩寵とか
 ことばの穿鑿が恐ろしいほどおもしろかった
 
 自然ハ真空ヲ嫌ウは迷信だったが
 あなたは人が真理を嫌うことを見抜き
 現実の理由とか気晴らしとか
 小さな題をつけてメモをとりつづけた
 あなたのどの文章も科学論文同様
 正確無比だしぼくは祈祷のメロディがあると思った
 
 虚栄、悲惨、倦怠、矛盾
 秩序、偉大、表徴などについて
 もっと細かくもっと深く広く
 語った人はいるだろう(下らぬことだ)
 あなたは偏狭になりながら次第に
 魅惑を増してゆくふしぎな人だ
 
 全物体、全精神を足しても掛けても
 (神の)愛の最小の働きにも及ばないと
 あなたは断言しぼくの中の
 詩や芝居を殺す
 あんなに肉体的苦痛にさいなまれたのに
 あなたの死顔は喜びの顔だ

 
  四千の日と夜
   田村隆一「四千の日と夜」(昭和三一)

 一篇の詩が生れるためには、
 われわれは殺さなければならない
 多くのものを殺さなければならない
 多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ
 
 見よ、
 四千の日と夜の空から
 一羽の小鳥のふるえる舌がほしいばかりに、
 四千の夜の沈黙と四千の日の逆光線を
 われわれは射殺した
 
 聴け、
 雨のふるあらゆる都市、鎔鉱炉、
 真夏の波止場と炭坑から
 たったひとりの飢えた子供の涙がいるばかりに、
 四千の日の愛と四千の夜の憐みを
 われわれは暗殺した
 
 記憶せよ、
 われわれの眼に見えざるものを見、
 われわれの耳に聴えざるものを聴く
 一匹の野良犬の恐怖がほしいばかりに、
 四千の夜の想像力と四千の日のつめたい記憶を
 われわれは毒殺した
 
 一篇の詩を生むためには、
 われわれはいとしいものを殺さなければならない
 これは死者を甦らせるただひとつの道であり、
 われわれはその道を行かなければならない

 
  帰途
   田村隆一「言葉のない世界」(昭和三七)

 言葉なんかおぼえるんじゃなかった
 言葉のない世界
 意味が意味にならない世界に生きてたら
 どんなによかったか
 
 あなたが美しい言葉に復讐されても
 そいつは ぼくとは無関係だ
 きみが静かな意味に血を流したところで
 そいつも無関係だ
 
 あなたのやさしい眼のなかにある涙
 きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
 ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
 ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう
 
 あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
 きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
 ふるえるような夕焼けのひびきがあるか
 
 言葉なんかおぼえるんじゃなかった
 日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
 ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
 ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる

 
  言葉のない世界
   田村隆一「言葉のない世界」(昭和三七)

   一
 
 言葉のない世界は真昼の球体だ
 おれは垂直的人間
 
 言葉のない世界は正午の詩の世界だ
 おれは水平的人間にとどまることはできない
 
   二
 
 言葉のない世界を発見するのだ 言葉をつかって
 真昼の球体を 正午の詩を
 おれは垂直的人間
 おれは水平的人間にとどまるわけにはいかない
 
   三
 
 六月の真昼
 陽はおれの頭上に
 おれは岩のおおきな群れのなかにいた
 そのとき
 岩は屍骸
 ある活火山の
 大爆発の
 エネルギーの
 熔岩の屍骸
 
 なぜそのとき
 あらゆる諸形態はエネルギーの屍骸なのか
 なぜそのとき
 あらゆる色彩とリズムはエネルギーの屍骸なのか
 一羽の鳥
 たとえば犬鷲は
 あのゆるやかな旋回のうちに
 観察するが批評しない

 なぜそのとき
 エネルギーの諸形態を観察だけしかしないのか
 なぜそのとき
 あらゆる色彩とリズムを批評しようとしないのか
 
 岩は屍骸
 おれは牛乳をのみ
 擲弾兵のようにパンをかじった
 
   四
 
 おお
 白熱の流動そのものが流動性をこばみ
 愛と恐怖で形象化されない
 冷却しきった焔の形象
 死にたえたエネルギーの諸形態
 
   五
 
 鳥の目は邪悪そのもの
 彼は観察し批評しない
 鳥の舌は邪悪そのもの
 彼は嚥下し批評しない
 
   六
 
 するどく裂けたホシガラスの舌を見よ
 異神の槍のようなアカゲラの舌を見よ
 彫刻ナイフのようなヤマシギの舌を見よ
 しなやかな凶器 トラツグミの舌を見よ
 
 彼は観察し批評しない
 彼は嚥下し批評しない
 
   七
 
 おれは
 冥王星のようなつめたい道をおりていった
 小屋まで十三キロの道をおりていった

 熔岩のながれにそって
 死と生殖の道を
 いまだかつて見たこともないような大きな引き潮の道を
 
 おれは擲弾兵
 あるいは
 おれは難破した水夫
 あるいは
 おれは鳥の目
 おれはフクローの舌
 
   八
 
 おれはめしいた目で観察する
 おれはめしいた目をひらいて落下する
 おれは舌をたらして樹皮を破壊する
 おれは舌をたらすが愛や正義を愛撫するためでない
 おれの舌にはえている銛のような刺は恐怖と飢餓をいやすためでない
 
   九
 
 死と生殖の道は
 小動物と昆虫の道
 喊声をあげてとび去る蜜蜂の群れ
 待ちぶせている千の針 万の針
 批評も 反批評も
 意味の意味も
 批評の批評もない道
 空虚な建設も卑小な希望もない道
 暗喩も象徴も想像力もまったく無用の道
 あるものは破壊と繁殖だ
 あるものは再創造と断片だ
 あるものは断片と断片のなかの断片だ
 あるものは破片と破片のなかの破片だ
 あるものは巨大な地模様のなかの地模様
 つめたい六月の直喩の道

 朱色の肺臓から派出する気嚢
 氷嚢のような気嚢が骨の髄まで空気を充満せしめ
 鳥は飛ぶ
 鳥は鳥のなかで飛ぶ
 
   一〇
 
 鳥の目は邪悪そのもの
 鳥の舌は邪悪そのもの
 彼は破壊するが建設しない
 彼は再創造するが創造しない
 彼は断片 断片のなかの断片
 彼には気嚢はあるが空虚な心はない
 彼の目と舌は邪悪そのものだが彼は邪悪ではない
 燃えろ 鳥
 燃えろ 鳥 あらゆる鳥
 燃えろ 鳥 小動物 あらゆる小動物
 燃えろ 死と生殖
 燃えろ 死と生殖の道
 燃えろ
 
   一一
 
 冥王星のようなひえきった六月
 冥王星のようなひえきった道
 死と生殖の道を
 おれはかけおりる
 おれは漂流する
 おれはとぶ
 
 おれは擲弾兵
 しかもおれは勇敢な敵だ
 おれは難破した水夫
 しかしおれは引き潮だ
 おれは鳥
 しかもおれは目のつぶれた猟師
 おれは猟師

 おれは敵
 おれは勇敢な敵
 
   一二
 
 おれは
 日没とともに小屋にたどりつくだろう
 背のひくいやせた灌木林がおおきな森にかわり
 熔岩のながれも太陽も引き潮も
 おれのちいさな夢にさえぎられるだろう
 おれはいっぱいのにがい水をのむだろう
 毒をのむようにしずかにのむだろう
 おれは目をとじてまたひらくだろう
 おれはウイスキーを水でわるだろう
 
   一三
 
 おれは小屋にかえらない
 ウイスキーを水でわるように
 言葉を意味でわるわけにはいかない

 
  火の秋の物語 あるユウラシヤ人に
   吉本隆明「転位のための十篇」(昭和二八)

 ユウジン その未知なひと
 いまは秋でくらくもえてゐる風景がある
 きみのむねの鼓動がそれをしつてゐるであらうとしんずる根拠がある
 きみは廃人の眼をしてユウラシヤの文明をよこぎる
 きみはいたるところで銃床を土につけてたちどまる
 きみは敗れさるかもしれない兵士たちのひとりだ
 じつにきみのあしおとは昏いではないか
 きみのせおつてゐる風景は苛酷ではないか
 空をよぎるのは候鳥のたぐひではない
 鋪路(ペイヴメント)をあゆむのはにんげんばかりではない
 ユウジン きみはソドムの地の最後のひととして
 あらゆる風景をみつづけなければならない
 そしてゴモラの地の不幸を記憶しなければならない
 きみの眼がみたものをきみの女にうませねばならない
 きみの死がきみに安息をもたらすことはたしかだが
 それはくらい告知でわたしを傷つけるであらう
 告知はそれをうけとる者のかはからいつも無限の重荷である
 この重荷をすてさるために
 くろずんだ運河のほとりや
 かつこうのわるいビルデイングのうら路を
 わたしがあゆんでゐると仮定せよ
 その季節は秋である
 くらくもえてゐる風景のなかにきた秋である
 わたしは愛のかけらすらなくしてしまつた
 それでもやはり左右の足を交互にふんであゆまねばならないか
 
 ユウジン きみはこたえよ
 こう廃した土地で悲惨な死をうけとるまへにきみはこたへよ
 世界はやがておろかな賭けごとのをはつた賭博場のやうに
 焼けただれてしづかになる
 きみはおろかであると信じたことのために死ぬであらう
 きみの眼はちひさないばらにひつかかつてかはく
 きみの眼は太陽とそのひかりを拒否しつづける
 きみの眼はけつして眠らない
 ユウジン これはわたしの火の秋の物語である

 
  ちいさな群への挨拶
   吉本隆明「転位のための十篇」(昭和二八)

 あたたかい風とあたたかい家とはたいせつだ
 冬の背中からぼくをこごえさせるから
 冬の真むかうへでてゆくために
 ぼくはちいさな微温をたちきる
 おわりのない鎖 そのなかのひとつひとつの貌をわすれる
 ぼくが街路へほうりだされたために
 地球の脳髄は弛緩してしまう
 ぼくの苦しみぬいたことを繁殖させないために
 冬は女たちを遠ざける
 ぼくは何処までゆこうとも
 第四級の風てん病院をでられない
 ちいさなやさしい群よ
 昨日までかなしかった
 昨日までうれしかったひとびとよ
 冬はふたつの極からぼくたちを緊めあげる
 そうしてまだ生れないぼくたちの子供をけっして生れないようにする
 こわれやすい神経をもったぼくの仲間よ
 フロストの皮膜のしたで睡れ
 そのあいだにぼくは立去ろう
 ぼくたちの味方は破れ
 戦火が乾いた風にのってやってきそうだから
 ちいさなやさしい群よ
 苛酷なゆめとやさしいゆめが断ちきれるとき
 ぼくは何をしたろう
 ぼくの脳髄はおもたく ぼくの肩は疲れているから
 記憶という記憶はうっちゃらなくてはいけない
 みんなのやさしさといっしょに
 
 ぼくはでてゆく
 冬の圧力の真むこうへ
 ひとりっきりで耐えられないから
 たくさんのひとと手をつなぐというのは嘘だから
 ひとりっきりで抗争できないから

 たくさんのひとと手をつなぐというのは卑怯だから
 ぼくはでてゆく
 すべての時刻がむこうがわに加担しても
 ぼくたちがしはらったものを
 ずっと以前のぶんまでとりかえすために
 すでにいらなくなったものにそれを思いしらせるために
 ちいさなやさしい群よ
 みんなは思い出のひとつひとつだ
 ぼくはでてゆく
 嫌悪のひとつひとつに出遇うために
 ぼくはでてゆく
 無数の敵のどまん中へ
 ぼくは疲れている
 がぼくの瞋りは無尽蔵だ
 
 ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
 ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
 ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる
 もたれあうことをきらった反抗がたおれる
 ぼくがたおれたら同胞はぼくの屍体を
 湿った忍従の穴へ埋めるにきまっている
 ぼくがたおれたら収奪者は勢いをもりかえす
 
 だから ちいさなやさしい群よ
 みんなひとつひとつの貌よ
 さようなら

 
  異数の世界へおりてゆく
   吉本隆明「吉本隆明詩集」(昭和三三)

 異数の世界へおりてゆく かれは名残り
 おしげである
 のこされた世界の少女と
 ささいな生活の秘密をわかちあわなかったこと
 なお欲望のひとかけらが
 ゆたかなパンの香りや 他人の
 へりくだった敬礼
 にかわるときの快感をしらなかったことに
 
 けれど
 その世界と世界との袂れは
 簡単だった くらい魂が焼けただれた
 首都の瓦礫のうえで支配者にむかって
 いやいやをし
 ぼろぼろな戦災少年が
 すばやくかれの財布をかすめとって逃げた
 そのときかれの世界もかすめとられたのである
 無関係にたてられたビルディングと
 ビルディングのあいだ
 をあみめのようにわたる風も たのしげな
 群衆 そのなかのあかるい少女
 も かれの
 こころを掻き鳴らすことはできない
 生きた肉体 ふりそそぐような愛撫
 もかれの魂を決定することができない
 生きる理由をなくしたとき
 生き 死にちかく
 死ぬ理由をもとめてえられない
 かれのこころは
 いちはやく異数の世界へおりていったが
 かれの肉体は 十年
 派手な群衆のなかを歩いたのである

 秘事にかこまれて胸を ながれる
 のは なしとげられないかもしれない夢
 飢えてうらうちのない情事
 消されてゆく愛
 かれは紙のうえに書かれるものを恥じてのち
 未来へ出で立つ

 
  佃渡しで
   吉本隆明「模写と鏡」(昭和三九)

 佃渡しで娘がいつた
 〈水がきれいね 夏に行つた海岸のように〉
 そんなことはない みてみな
 繋がれた河蒸気のとものところに
 芥がたまつて揺れてるのがみえるだろう
 ずつと昔からそうだつた
 〈これからは娘に聴えぬ胸のなかでいう〉
 水は𪐷くてあまり流れない 氷雨の空の下で
 おおきな下水道のようにくねつているのは老齢期の河のしるしだ
 この河の入りくんだ掘割のあいだに
 ひとつの街がありそこで住んでいた
 蟹はまだ生きていてそれをとりに行つた
 そして沼泥に足をふみこんで泳いだ
 
 佃渡しで娘がいつた
 〈あの鳥はなに?〉
 〈かもめだよ〉
 〈ちがうあの黒い方の鳥よ〉
 あれは鳶だろう
 むかしもそれはいた
 流れてくる鼠の死骸や魚の綿腹(わた)
 ついばむためにかもめの仲間で舞つていた
 〈これからさきは娘にきこえぬ胸のなかでいう〉
 水に囲まれた生活というのは
 いつでもちよつとした砦のような感じで
 夢のなかで掘割はいつもあらわれる
 橋という橋は何のためにあつたか?
 少年が欄干に手をかけ身をのりだして
 悲しみがあれば流すためにあつた
 
 〈あれが住吉神社だ
 佃祭りをやるところだ
 あれが小学校 ちいさいだろう〉

 これからさきは娘に云えぬ
 昔の街はちいさくみえる
 掌のひらの感情と頭脳と生命の線のあいだの窪みにはいつて
 しまうように
 すべての距離がちいさくみえる
 すべての思想とおなじように
 あの昔遠かつた距離がちぢまつてみえる
 わたしが生きてきた道を
 娘の手をとり いま氷雨にぬれながら
 いつさんに通りすぎる

 
  夕焼け
   吉野弘「幻・方法」(昭和三四)

 いつものことだが
 電車は満員だった。
 そして
 いつものことだが
 若者と娘が腰をおろし
 としよりが立っていた。
 うつむいていた娘が立って
 としよりに席をゆずった。
 そそくさととしよりが坐った。
 礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
 娘は坐った。
 別のとしよりが娘の前に
 横あいから押されてきた。
 娘はうつむいた。
 しかし
 又立って
 席を
 そのとしよりにゆずった。
 としよりは次の駅で礼を言って降りた。
 娘は坐った。
 二度あることは と言う通り
 別のとしよりが娘の前に
 押し出された。
 可哀想に
 娘はうつむいて
 そして今度は席を立たなかった。
 次の駅も
 次の駅も
 下唇をキュッと噛んで
 身体をこわばらせて――。
 僕は電車を降りた。
 固くなってうつむいて
 娘はどこまで行ったろう。

 やさしい心の持主は
 いつでもどこでも
 われにもあらず受難者となる。
 何故って
 やさしい心の持主は
 他人のつらさを自分のつらさのように
 感じるから。
 やさしい心に責められながら
 娘はどこまでゆけるだろう。
 下唇を噛んで
 つらい気持ちで
 美しい夕焼けも見ないで。

 
  香水 グッド・ラック
   吉野弘「感傷旅行」(昭和四六)

 五日間の休暇を終え
 日本のテレビの画面から
 ベトナムに帰るという
 兵士に
 
 グッド・ラック
 司会者は
 そう、(はなむ)けした
 
 年は二十才
 恋人はまだいません
 けわしい眉に微笑が走る
 米国軍人・クラーク一等兵
 
 司会者が聞いた
 戦場に帰りたくないという気持が
 少しはありますか
 
 君が答えた
 ありますが コントロールしています
 
 戦う心の拠りどころは
 何ですか
 ――やはり、祖国の自由を守る
 ということではないでしょうか
 
 小柄で、眼が鋭い
 
 細い線を曳いて迎えにくる一条の死
 機敏に、避けよ、と

 戦場は
 君のわずかな贅肉をさらに()
 余分な脂肪と懐疑を抜きとり
 筋肉を細く強く、しなやかにした
 
 これだ
 戦場の鍛えかたは
 
 その戦場に帰ろうとする君の背に
 グッド・ラック
 祝福を与えようとして手に取り
 ――落として砕いてしまった
 小さな高貴な香水瓶
 の叫びのようだった言葉
 
 グッド・ラック
 
 なんて、ひどい生の破片、死の匂い
 
 たちこめる強烈な匂いの中に
 溶け入るよう
 蒼白な画面に
 君は
 消えた

 
  根府川の海
   茨木のり子「対話」(昭和三〇)

 根府川
 東海道の小駅
 赤いカンナの咲いている駅
 
 たっぷり栄養のある
 大きな花の向うに
 いつもまっさおな海がひろがっていた
 
 中尉との恋の話をきかされながら
 友と二人ここを通ったことがあった
 
 溢れるような青春を
 リュックにつめこみ
 動員令をポケットに
 ゆられていったこともある
 
 燃えさかる東京をあとに
 ネーブルの花の白かったふるさとへ
 たどりつくときも
 あなたは在った
 
 丈高いカンナの花よ
 おだやかな相模の海よ
 
 沖に光る波のひとひら
 ああそんなかがやきに似た
 十代の歳月
 風船のように消えた
 無知で純粋で徒労だった歳月
 うしなわれたたった一つの海賊箱

 ほっそりと
 蒼く
 国を抱きしめて
 眉をあげていた
 菜ッパ服時代の小さいあたしを
 根府川の海よ
 忘れはしないだろう?
 
 女の年輪をましながら
 ふたたび私は通過する
 あれから八年
 ひたすらに不敵なこころを育て
 
 海よ
 
 あなたのように
 あらぬ方を眺めながら…………。

 
  わたしが一番きれいだったとき
   茨木のり子「見えない配達夫」(昭和三三)

 わたしが一番きれいだったとき
 街々はがらがら崩れていって
 とんでもないところから
 青空なんかが見えたりした
 
 わたしが一番きれいだったとき
 まわりの人達が沢山死んだ
 工場で 海で 名もない島で
 わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった 
 
 わたしが一番きれいだったとき
 だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
 男たちは挙手の礼しか知らなくて
 きれいな眼差だけを残し皆発っていった
 
 わたしが一番きれいだったとき
 わたしの頭はからっぽで
 わたしの心はかたくなで
 手足ばかりが栗色に光った
 
 わたしが一番きれいだったとき
 わたしの国は戦争で負けた
 そんな馬鹿なことってあるものか
 ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
 
 わたしが一番きれいだったとき
 ラジオからはジャズが溢れた
 禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
 わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
 
 わたしが一番きれいだったとき
 わたしはとてもふしあわせ

 わたしはとてもとんちんかん
 わたしはめっぽうさびしかった
 
 だから決めた できれば長生きすることに
 年取ってから凄く美しい絵を描いた
 フランスのルオー爺さんのように
                   ね

 
  私のカメラ
   茨木のり子「鎮魂歌」(昭和四〇)

 眼
 それは レンズ
 
 まばたき
 それは わたしの シャッター
 
 髪でかこまれた
 小さな 小さな 暗室もあって
 
 だから わたし
 カメラなんかぶらさげない
 
 ごぞんじ? わたしのなかに
 あなたのフィルムが沢山しまってあるのを
 
 木洩れ陽のしたで笑うあなた
 波を切る栗色の眩しいからだ
 
 煙草に火をつける 子供のように眠る
 蘭の花のように匂う 森ではライオンになったっけ
 
 世界にたったひとつ だあれも知らない
 わたしのフィルム・ライブラリイ

 
  自分の感受性くらい
   茨木のり子「自分の感受性くらい」(昭和五二)

 ぱさぱさに乾いてゆく心を
 ひとのせいにはするな
 みずから水やりを怠っておいて
 
 気難かしくなってきたのを
 友人のせいにはするな
 しなやかさを失ったのはどちらなのか
 
 苛立つのを
 近親のせいにはするな
 なにもかも下手だったのはわたくし
 
 初心消えかかるのを
 暮しのせいにはするな
 そもそもが ひよわな志にすぎなかった
 
 駄目なことの一切を
 時代のせいにはするな
 わずかに光る尊厳の放棄
 
 自分の感受性くらい
 自分で守れ
 ばかものよ

 
  見えないものを見る
   飯島耕一「わが母音」(昭和三〇)

………………………………
 雪というイマージュが
 泥濘としか結ぼれようとしない
 かわいそうなやつら。
 眼をとじたとき
 最初にこみあげるイマージュが
 ぼくらの 魂の色だ。
 火の色、雪の色。瞼の裏側の暗室は
 すりガラスがはりめぐらされていて、
 血だらけのメスやガーゼが
 つめたい水道管の水に 洗いながされる。
 美しい鳥たちの羽毛は
 密生した花びらとなって 夜気にふるえ、
 一つ一つの 窓に倚る女たちの
 あのありふれたスカートや 胴衣さえ
 暁の舌にとけて行く
 こんもりした木立のみどりの(しま)に変色する…………
 ………………………………
 
 いためつけられた夢ばかりを
 培っている
 あいつたちも死ぬ。
 墓と友だちだった彼らは
 もう甦って 風に吹かれることも
 ないままになる。
 悧口なやつらは 死んだあとまで悧口だ。
 決して女たちを愛したことの
 なかったように、
 草むらになってふまれることも
 いとうにちがいない。
 ぼくらも死ぬ。ただぼくらは
 汚ならしい希望に
 だいなしにされて死ぬのではないのだ。

 悧口なやつらは何でも知っていて
 ぼくらは世界に生れたばかりだ。
 ぼくは役に立つものと
 役立たないものをよりわけることが
 できるようになるだろうか。
 ぼくの 舌の尖は
 雪を頬張ったり
 木や草の芽をかむようにして
 眼以上に するどく見分けるものとなるか。
 眼をとじると オーケストラの
 階段のうえの方で、
 ぼくの恋人は若くて
 キラキラかがやく三角形の金属楽器をかかえ
 決定的な瞬間を待っているはずだ。
 彼女も 見えないものを見る。
 彼女も 火の色をたもつ。
 ………………………………
 ………………………………

 
  他人の空
   飯島耕一「他人の空」(昭和二八)

鳥たちが帰って来た。
 地の黒い割れ目をついばんだ。
 見慣れない屋根の上を
 上ったり下ったりした。
 それは途方に暮れているように見えた。
 
 空は石を食ったように頭をかかえている。
 物思いにふけっている。
 もう流れ出すこともなかったので、
 血は空に
 他人のようにめぐっている。

 
  母国語
   飯島耕一「ゴヤのファースト・ネームは」(昭和四九)

 外国に半年いたあいだ
 詩を書きたいと
 一度も思わなかった
 わたしはわたしを忘れて
 歩きまわっていた
 なぜ詩を書かないのかとたずねられて
 わたしはいつも答えることができなかった。
 
 日本に帰って来ると
 しばらくして
 詩を書かずにいられなくなった
 わたしには今
 ようやく詩を書かずに歩けた
 半年間のことがわかる。
 わたしは母国語のなかに
 また帰って来たのだ。
 
 母国語ということばのなかには
 母と国と言語がある
 母と国と言語から
 切れていたと自分に言いきかせた半年間
 わたしは傷つくことなく
 現実のなかを歩いていた。
 わたしには 詩を書く必要は
 ほとんどなかった。
 
 四月にパウル・ツェランが
 セーヌ川に投身自殺をしたが、
 ユダヤ人だったこの詩人のその行為が、
 わたしにはわかる気がする。
 詩とは悲しいものだ
 詩とは国語を正すものだと言われるが

 わたしにとってはそうではない
 わたしは母国語で日々傷を負う
 わたしは毎夜 もう一つの母国語へと
 出発しなければならない
 それがわたしに詩を書かせ わたしをなおも存在させる

 
  批評家型の詩人
   飯島耕一「ゴヤのファースト・ネームは」(昭和四九)

 きみは批評家型の詩人だが、
 批評できない山
 とか川
 というものも ある。
 その山 とか川も、
 言語シンボル という説
 もあるのだが、
 ことばでは太刀打ちできない
 山 とか
 川は たしかにある。
 そのことだけは ようやく
 わかった
 そして 自己批評
 というものは
 しすぎてはいけない。
 山 とか川は
 自己批評を、
 しすぎる ことは
 ないだろう。

 
  さわる
   大岡信「大岡信詩集(ユリイカ版)」(昭和三五)

 さわる。
 木目の汁にさわる。
 女のはるかな曲線にさわる。
 ビルディングの砂に住む乾きにさわる。
 色情的な音楽ののどもとにさわる。
 さわる。
 さわることは見ることか おとこよ。
 
 さわる。
 咽喉の乾きにさわるレモンの汁。
 デモンの咽喉にさわって動かぬ憂欝な智恵
 熱い女の厚い部分にさわる冷えた指。
 花 このわめいている 花。
 さわる。
 
 さわることは知ることか おとこよ。
 
 青年の初夏の夜の
 星を破裂させる性欲。
 窓辺に消えぬあの幻影
 遠い浜の濡れた新聞 それを
 やわらかく踏んで通るやわらかい足。
 その足に眼の中でさわる。
 
 さわることは存在を認めることか。
 
 名前にさわる。
 名前ともののばからしい隙間にさわる。
 さわることの不安にさわる。
 さわることの不安からくる興奮にさわる。
 興奮がけっして知覚のたしかさを
 保証しない不安にさわる。

 さわることはさわることの確かさをたしかめることか。
 
 さわることでは保障されない
 さわることの確かさはどこにあるか。
 さわることをおぼえたとき
 いのちにめざめたことを知った。
 めざめなんて自然にすぎぬと知ったとき
 自然から落っこちたのだ。
 
 さわる。
 時のなかで現象はすべて虚構。
 そのときさわる。すべてにさわる。
 そのときさわることだけに確かさをさぐり
 そのときさわるものは虚構。
 さわることはさらに虚構。
 
 どこへゆく。
 さわることの不安にさわる。
 不安が震えるとがった爪で
 心臓をつかむ。
 だがさわる。さわることからやり直す。
 飛躍はない。

 
  地名論
   大岡信「詩集」(昭和四三)

 水道管はうたえよ
 御茶の水は流れて
 鵠沼に溜り
 荻窪に落ち
 奥入瀬で輝け
 サッポロ
 バルパライソ
 トンブクトゥーは
 耳の中で
 雨垂れのように延びつづけよ
 奇態にも懐かしい名前をもった
 すべての土地の精霊よ
 時間の列柱となって
 おれを包んでくれ
 おお 見知らぬ土地を限りなく
 数えあげることは
 どうして人をこのように
 音楽の房でいっぱいにするのか
 燃えあがるカーテンの上で
 煙が風に
 形をあたえるように
 名前は土地に
 波動をあたえる
 土地の名前はたぶん
 光でできている
 外国なまりがベニスといえば
 しらみの混ったベッドの下で
 暗い水が囁くだけだが
 おお ヴェネーツィア
 故郷を離れた赤毛の娘が
 叫べば みよ
 広場の石に光が溢れ
 風は鳩を受胎する

 おお
 それみよ
 瀬田の唐橋
 雪駄のからかさ
 東京は
 いつも
 曇り

 
  春のために
   大岡信「記憶と現在」(昭和三一)

 砂浜にまどろむ春を掘りおこし
 おまえはそれで髪を飾る おまえは笑う
 波紋のように空に散る笑いの泡立ち
 海は静かに草色の陽を温めている
 
 おまえの手をぼくの手に
 おまえのつぶてをぼくの空に ああ
 今日の空の底を流れる花びらの影
 
 ぼくらの腕に萌え出る新芽
 ぼくらの視野の中心に
 しぶきをあげて廻転する金の太陽
 ぼくら 湖であり樹木であり
 芝生の上の木洩れ日であり
 木洩れ日のおどるおまえの髪の段丘である
 ぼくら
 
 新らしい風の中でドアが開かれ
 緑の影とぼくらとを呼ぶ夥しい手
 道は柔らかい地の肌の上になまなましく
 泉の中でおまえの腕は輝いている
 そしてぼくらの睫毛の下には陽を浴びて
 静かに成熟しはじめる
 海と果実

 
  丘のうなじ
   大岡信「春 少女に」(昭和五三)

 丘のうなじがまるで光つたやうではないか
 灌木の葉がいつせいにひるがへつたにすぎないのに
 
 こひびとよ きみの眼はかたつてゐた
 あめつちのはじめ 非有だけがあつた日のふかいへこみを
 
 ひとつの塔が曠野に立つて在りし日を
 回想してゐる開拓地をすぎ ぼくらは未来へころげた
 
 凍りついてしまつた微笑を解き放つには
 まだいつさいがまるで(かたき)のやうだつたけれど
 
 こひびとよ そのときもきみの眼はかたつてゐた
 あめつちのはじめ 非有だけがあつた日のふかいへこみを
 
 こゑふるはせてきみはうたつた
 唇を()つと こゑは素直に風と鳥に化合した
 
 火花の雨と質屋の旗のはためきのしたで
 ぼくらはつくつた いくつかの道具と夜を
 
 あたへることと あたへぬことのたはむれを
 とどろくことと おどろくことのたはむれを
 
 すべての絹がくたびれはてた衣服となる午後
 ぼくらはつくつた いくつかの諺と笑ひを
 
 編むことと 編まれることのたはむれを
 うちあけることと匿すことのたはむれを
 
 仙人が碁盤の音をひびかせてゐる谺のうへへ
 ぼくは飛ばした 体液の歓喜の羽根を

 こひびとよ そのときもきみの眼はかたつてゐた
 あめつちのはじめ 非有だけがあつた日のふかいへこみを
 
 花粉にまみれて 自我の馬は変りつづける
 街角でふりかへるたび きみの顔は見知らぬ森となつて茂つた
 
 裸のからだの房なす思ひを翳らせるため
 天に繁つた露を溜めてはきみの毛にしみこませたが
 
 きみはおのれが発した言葉の意味とは無縁な
 べつの天体 べつの液になつて光つた
 
 こひびとよ ぼくらはつくつた 夜の地平で
 うつことと なみうつことのたはむれを
 
 かむことと はにかむことのたはむれを そして
 砂に書いた壊れやすい文字を護るぼくら自身を
 
 男は女をしばし掩う天体として塔となり
 女は男をしばし掩う天体として塔となる
 
 ひとつの塔が曠野に立つて在りし日を
 回想してゐる開拓地をすぎ ぼくらは未来へころげた
 
 ゆゑしらぬ悲しみによつていろどられ
 海の打撃の歓びによつて伴奏されるひとときの休息
 
 丘のうなじがまるで光つたやうではないか
 灌木の葉がいつせいにひるがへつたにすぎないのに

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