昭和 一

     しやべり捲くれ
   小熊秀雄「小熊秀雄詩集」(昭和一〇)

 私は君に抗議しようといふのではない、
 ――私の詩が、おしやべりだと
 いふことに就いてだ。
 私は、いま幸福なのだ
 舌が廻るといふことが!
 沈黙が卑屈の一種だといふことを
 私は、よつく知つてゐるし、
 沈黙が、何の意見を
 表明したことにも
 ならない事も知つてゐるから――。
 私はしやべる、
 若い詩人よ、君もしやべり捲くれ、
 我々は、だまつてゐるものを
 どんどん黙殺して行進していゝ、
 気取つた詩人よ、
 また見当ちがひの批評家よ、
 私がおしやべりなら
 君はなんだ――、
 君は舌たらずではないか、
 私は同じことを
 二度繰り返すことを怖れる、
 おしやべりとは、それを二度三度
 四度と繰り返すことを云ふのだ、
 私の詩は読者に何の強制する
 権利ももたない、
 私は読者に素直に
 うなづいて貰へればそれで
 私の詩の仕事の目的は終つた、
 
 私が誰のために調子づき――、
 君が誰のために舌がもつれてゐるのか――、
 若し君がプロレタリア階級のために
 舌がもつれてゐるとすれば問題だ、

 レーニンは、うまいことを云つた、
 ――集会で、だまつてゐる者、
 それは意見のない者だと思へ、と
 誰も君の口を割つてまで
 君に階級的な事柄を
 しやべつて貰はうとするものはないだらう。
 我々は、いま多忙なんだ、
 ――発言はありませんか
 ――それでは意見がないとみて
 決議をいたします、だ
 同志よ、この調子で仕事をすゝめたらよい、
 私は私の発言権の為めに、しやべる
 
 読者よ、
 薔薇は口をもたないから
 匂ひをもつて君の鼻へ語る、
 月は、口をもたないから
 光りをもつて君の眼に語つてゐる、
 ところで詩人は何をもつて語るべきか?
 四人の女は、優に一人の男を
 だまりこませる程に
 仲間の力をもつて、しやべり捲くるものだ、
 プロレタリア詩人よ、
 我々は大いに、しやべつたらよい、
 仲間の結束をもつて、
 仲間の力をもつて
 敵を沈黙させるほどに
 壮烈に――。

  
  鶯の歌
   小熊秀雄「小熊秀雄詩集」(昭和一〇)

 それを待て、憤懣の夜の明け放されるのを
 若い鶯たちの歌に依つて
 生活は彩どられる
 いくたびも、いくたびも、
 暁の瞬間がくりかへされた
 ほうほけきよ、ほうほけきよ、
 だが、唯の一度も同じやうな暁はなかつた、
 さうだ、鶯よ、君は生活の暗さに眼を掩ふなかれ
 君はそこから首尾一貫した
 よろこびの歌を曳きずりだせ
 夜から暁にかけて
 ほうほけきよ、ほうほけきよ、
 新しい生活のタイプをつくるために
 枝から枝へ渡りあるけ
 そして最も位置のよい
 反響するところを
 ほうほけきよ、ほうほけきよ、
 谷から谷へ鳴いてとほれ
 既にして饑餓の歌は陳腐だ
 それほどにも遠いところから
 われらは飢と共にやつてきた
 悲しみの歌は尽きてしまつた
 残つてゐるものは喜びの歌ばかりだ。

  
  馬車の出発の歌
   小熊秀雄「流民詩集」(昭和二二)

 仮りに暗黒が
 永遠に地球をとらへてゐようとも
 権利はいつも
 目覚めてゐるだらう、
 薔薇は暗の中で
 まつくろに見えるだけだ、
 もし陽がいつぺんに射したら
 薔薇色であつたことを証明するだらう
 嘆きと苦しみは我々のもので
 あの人々のものではない
 まして喜びや感動がどうして
 あの人々のものといへるだらう、
 私は暗黒を知つてゐるから
 その向ふに明るみの
 あることも信じてゐる
 君よ、拳を打ちつけて
 火を求めるやうな努力にさへも
 大きな意義をかんじてくれ
 
 幾千の声は
 くらがりの中で叫んでゐる
 空気はふるへ
 窓の在りかを知る、
 そこから糸口のやうに
 光りと勝利をひきだすことができる
 
 徒らに薔薇の傍にあつて
 沈黙をしてゐるな
 行為こそ希望の代名詞だ
 君の感情は立派なムコだ
 花嫁を迎へるために
 馬車を仕度しろ
 いますぐ出発しろ
 らつぱを突撃的に
 鞭を苦しさうに
 わだちの歌を高く鳴らせ。

  
  馬の胴体の中で考へてゐたい
   小熊秀雄「流民詩集」(昭和二二)

 おゝ私のふるさとの馬よ
 お前の傍のゆりかごの中で
 私は言葉を覚えた
 すべての村民と同じだけの言葉を
 村をでゝきて、私は詩人になつた
 ところで言葉が、たくさん必要となつた
 人民の言ひ現はせない
 言葉をたくさん、たくさん知つて
 人民の意志の代弁者たらんとした
 のろのろとした戦車のやうな言葉から
 すばらしい稲妻のやうな言葉まで
 言葉の自由は私のものだ
 誰の所有(もの)でもない
 突然大泥棒奴に、
 ――静かにしろ
 声を立てるな――
 と私は鼻先に短刀をつきつけられた、
 かつてあのやうに強く語つた私が
 勇敢と力とを失つて
 しだいに沈黙勝にならうとしてゐる
 私は生れながらの唖でなかつたのを
 むしろ不幸に思ひだした
 もう人間の姿も嫌になつた
 ふるさとの馬よ
 お前の胴体の中で
 じつと考へこんでゐたくなつたよ
 『自由』といふたつた二語も
 満足にしやべらして貰へない位なら
 凍つた夜、
 馬よ、お前のやうに
 鼻から白い呼吸を吐きに
 わたしは寒い郷里にかへりたくなつたよ

  
  文壇諷刺詩篇・志賀直哉へ
   小熊秀雄「読売新聞」(昭和一一)

 志賀の旦那は
 構へ多くして
 作品が少ねいや
 暇と時間に不自由なく
 ながい間考へてゐて
 ポツリと
 気の利いたことを言はれたんぢや
 旦那にや
 かなひませんや
 こちとらは
 べらぼうめ
 口を開けて待つてゐる
 短気なお客に
 温たけいところを
 出すのが店の方針でさあ、
 巷に立ちや
 少しは気がせかあね
 たまにや出来の悪いのも
 あらあね、
 旦那に喰はしていものは
 オケラの三杯酢に、
 もつそう飯
 ヘヱ、
 お待遠さま、
 志賀直哉様への
 諷刺詩、
 一丁、
 あがつたよ。

  
  文壇諷刺詩篇・佐藤春夫へ
      「読売新聞」(昭和一一)発表

 男ありて
 毎日、毎日
 牛肉をくらひて
 時にひとり
 さんまを喰ひてもの思ふ
 われら貧しきものは
 時にさんまを喰ふのではない
 毎日、毎日、さんまを喰らひて
 毎日、毎日、コロッケを喰つてゐる
 春夫よ、
 あしたに太陽を迎へて
 癇癪をおこし
 夕に月を迎へて
 癇癪をしづめる
 古い正義と
 古い良心との孤独地獄
 あなたはアマリリスの花のごとく
 孤高な一輪
 新しい時代の
 新しい正義と良心は
 君のやうな孤独を経験しない
 春夫よ
 新しい世紀の
 さんまは甘いか酸つぱいか
 感想を述べろ。

  
  蹄鉄屋の歌 「小熊秀雄詩集」(昭和一〇)

 泣くな、
 驚ろくな、
 わが馬よ。
 私は蹄鉄屋。
 私はお前の蹄から
 生々しい煙をたてる、
 私の仕事は残酷だらうか、
 若い馬よ。
 少年よ、
 私はお前の爪に
 真赤にやけた鉄の靴をはかせよう。
 そしてわたしは働き歌をうたひながら、
 ――辛抱しておくれ、
   すぐその鉄は冷えて
   お前の足のものになるだらう、
   お前の爪の鎧になるだらう、
   お前はもうどんな茨の上でも
   石ころ路でも
   どんどんと駈け廻れるだらうと――、
 私はお前を慰めながら
 トッテンカンと蹄鉄うち。
 あゝ、わが馬よ、
 友達よ、
 私の歌をよつく耳傾けてきいてくれ。
 私の歌はぞんざいだらう、
 私の歌は甘くないだらう、
 お前の苦痛に答へるために、
 私の歌は
 苦しみの歌だ。

 焼けた蹄鉄を
 お前の生きた爪に
 当てがつた瞬間の煙のやうにも、
 私の歌は
 灰色に立ちあがる歌だ。
 強くなつてくれよ、
 私の友よ、
 青年よ、
 私の赤い焔を
 君の四つ足は受取れ、
 そして君は、けはしい岩山を
 その強い足をもつて砕いてのぼれ、
 トッテンカンの蹄鉄うち、
 うたれるもの、うつもの、
 お前と私とは兄弟だ、
 共に同じ現実の苦しみにある。

  
  馬上の詩 「小熊秀雄詩集」(昭和一〇)

 わが大泥棒のために
 投繩を投げよ
 わが意志は静かに立つ
 その意志を捕へてみよ。
 その意志はそこに
 そこではなく此処に
 いや其処ではなくあすこに
 おゝ検事よ、捕吏よ、
 戸まどひせよ。
 八つ股の袖ガラミ捕物道具を、
 そのトゲだらけのものを
 わが肉体にうちこめ
 私は肉を裂いてもまんまと逃げ去るだらう。
 
 仔馬、たてがみもまだ生えた許り、
 可愛い奴に私はまたがる、
 私の唯一の乗物、
 そいつを乗り廻す途中には
 いかに大泥棒といへども
 風邪もひけば
 女にもほれる、
 酒ものめば、
 昼寝もする、
 すべてが人間なみの生活をする。
 ただ私の大泥棒の仕事は
 馬上で詩をつくること、
 先駆を承はること、
 前衛たること、
 勇気を現はすことにつきる。
 私が馬上にあつて
 詩をうたへば――。
 あゝその詩は
 金持の世界から何者かをぬすむ、
 まづ奴等の背骨をぬすむ
 奴等がぐにや/\に腰がくだけてしまふやうに

 それから歴史を盗む、
 そしてこつちの帳面にかきかへてしまふ、
 それから婦人を盗む、
 こいつはたまらない獲り物だ。
 偶然をぬすんで必然の袋へ、
 学者をぬすんで
 我々の記録をつくつて貰ふ、
 少女をぬすんで
 我々の仲間のお嫁さんに、
 国家をぬすんで
 こ奴を血にいつたん潜らせる。
 宗教をぬすんで
 こいつだけは只でくれても
 我々の世界では貰ひ手がない。
 
 わが友よ、
 戦へ、
 敵のもちものは豊富だぞ――、
 ぬすめ、
 それぞれ大泥棒の襟度を現はせよ、
 仔馬の集団、
 赤きわが遠征隊、
 捕吏の追跡、
 閃めくカギ繩マントでうけよ、
 マントが脱げたら
 上着でうけよ、
 上着がぬげたら素裸だ、
 鞍が落ちたら
 裸馬だ。
 すべて我々は
 赤裸々にかぎる、
 行手は嵐、
 着衣は無用だ、
 裸のまゝ乗り入れよ。
 裸の詩をうたへよ。
 わが大泥棒の詩人たちよ。

  
  ゴオルドラッシュ 「小熊秀雄詩集」(昭和一〇)

 とんでもない話が、
 北から舞ひこんできただ、
 お前さんグズグズするな、
 そこいら辺にあるロクでもねいものは、
 みんなほうり投げて出かけべい。
 家にも、畑にも別れべい、
 いまさら未練がましく
 縁の下なんかのぞくでねいぞ。
 どうせ不景気つづきで此処まで来ただ、
 札束、縁の下に隠してあるわけなかべ。
 餓鬼を学校さ、迎へに行つてこいよ、
 授業中であらうが
 かまふもんか引つぱつて来い。
 若し先生が文句、云つたら
 かまふもんかどやシつけて来い
 ――まだ授業料、収めねい餓鬼は手を挙げろ!と
 ぬかしくさつた
 地主の下働き奴が
 貧乏なわし等の餓鬼つかまへて
 雀の子ぢや、あんめいし
 今更チウでもコウでもねいもんだ。
 
 さあ、餓鬼にもスコップ持たして
 河の中、ホックリ返へさせるだに。
 手といつたら猫の手でも借りたい
 砂金掘りだに――。
 わしの餓鬼をわしが連れて行くだに、
 明日は村ぢうの餓鬼は一人も
 学校さ、行かねいだらうと、云つて来い、
 何をあわてて、カカア脚絆裏返しにはくだ。
 わしも六十になつて
 今更、山を七つも越して行き度くねいだが、
 ヅングリ、ムックリ、ろくに口も利かねいで、

 百姓は百姓らしくと思ひこんで、
 あれもハイ、これもハイと、
 お上の、おつしやる通り貧乏してきただ
 山を七つ越せば、
 キラキラ、金がみつかるとは――、
 何たるこつちや、今時、冥利がつきる
 やい、ウヌは何をぼんやり
 気抜けのやうに立つてけつかる、
 その繩を、こつちの袋に入れるだ。
 唐鍬を入れたら砥石を忘れるなよ。
 
 これ以上、貧乏する根気が無うなつたわい、
 破れかぶれで、この爺が山越えする気持は、
 村の衆の誰の気持とも同じだべ、
 やあ、やあ、空がカッと明るくなつたわ、
 未練がましい家へ火をつけた。
 それもよかべ、度胸がきまるべ、
 ついでに其の火の中へ
 餓鬼を投りこんだら、尚更な――、
 身軽になつたら
 さあ、出かけべい村の衆。
 明日はこの村には役場と駐在所だけが
 ポツンと立つてゐべい、
 村はみなガラあきになるべ、
 やれ、威勢よく、石油鑵、誰が、ブッ敲くだ、
 どんどん、タイマツつけて賑やかなこつた。
 馬の野郎まで
 行きがけの駄賃に、
 馬小屋のハメ板ケッ飛ばしてゐるだ、
 俺達も別れに、
 役所の玄関に
 ショウベン、じやあ/\やつて行くべよ。
 
 何を、嫁はメソ/\泣いてゐるだ、
 どうせ太鼓腹、
 ツン出しては歩るきにくかべ、

 腹の子、オリないやうに馬車の上に
 うんとこさ、布団重ねて
 乗つて行つたらよかべ。
 ――お天道さまと、生水とは
 何処へ行つてもつきものだに。
 河原に着いたら餓鬼共の、
 頭、河に突込んで
 腹、さけるほど水のませろ、
 ヘド吐いたら、砂金飛び出すべよ。
 せつぱつまつた村の衆の
 七つの山越だに。
 焼くものは、焼くだ、
 ブッ潰すものは、ブッ潰し、
 一つも未練残らねいやうにしろ。
 生物といつたら
 ひとつも忘れるでねいぞ、
 村ひとつブッ潰し
 砂金山へ出かけるだ、
 行列、三町つづいて
 たいまつ、マンドロだ、
 牛もうもう、猫にやんにやん、
 なんと賑やかなこつた、
 山七つ越して
 河床、ひつくりかへして
 もし砂金なかつたら
 また、山七つ越すべいよ
 そこにも砂金なかつたら
 また、山七つ越すべい
 そこにも砂金なかつたら
 また、山七つ越して町へ出べい、
 町へ出たら、ズラリ行列
 官庁の前にならべて皆舌べろりと
 出したらよかべいよ、
 歳がしらのわしが音頭とつたら
 皆揃つて舌噛み切つて死ぬべ。

  
  トンボは北へ、私は南へ 「小熊秀雄詩集」(昭和一〇)

 金とはいつたい何だらう、
 私の少年はけげんであつた
 ただそのもののために父と母との争ひが続いた、
 私はじつと暗い玄関の間で
 はらはらしながら二人の争ひをきいてゐた、
 母はいつまでも泣きつづけてゐたし
 父は何かしきりに母にむかつて弁解したゐた、
 朝三人は食卓(テーブル)にすわつた
 父が母に差し出す茶碗は
 母の手に邪険にひつたくられた
 父はその朝はしきりに私をとらへて
 滑稽なおかしな話をして笑はせようとしたが
 私はそれを少しも嬉しいとは思はなかつた、
 金とはなんだ――。
 親たちの争ひをひき起すもの
 あいつはガマの子のやうなものではないか、
 ただ財布を出たり入つたりする奴。
 私はそつと母親の財布をないしよで開けてみた、
 だが財布のガマの子は
 銀色になつたり茶色になつたり、
 出たり入つたり、しよつちゆう変つてゐた、
 なんといふおかしな奴。
 しかしこいつは幾分尊敬すべき
 値打のあるものにちがひない、
 少年の私はこの程度の理解より
 金銭に対してはもつてゐなかつた、
  童話(めるへん)の中の生活は
 生活の中の童話(めるへん)でもあつた、
 現実と夢との間を
 すこしの無理もなく
 わたしの少年の感情は行き来した、

 だが次第に私は刺戟された、
 現実の生々しいものに――。
 そして私に淋しさがきた
 次いでそれをはぎとらうとする努力をした、
 私はぼんやりと戸外にでた
 そして街の空を仰いだ、
 この山と山との間に()さまれた小さな町に
 いま数万、数十万とも知れぬ
 トンボの群れが北へ北へと
 飛んでゆく
 私の少年はおどろき
 なぜあいつらは全部そろつて北へ行くのか
 あいつらは申し合せることができるのか
 素ばらしい
 豪いトンボ、
 何処へ何をしにゆくのだらう、
 なかには二匹が
 たがひに尻と尻とをつなぎあはせて
 それでゐて少しもこの二匹一体のものは
 飛ぶことにさう努力もしてゐないやうに
 軽々として飛ぶ群に加はつてゐた、
 それを見ると私は
 理由の知れない幸福になれた、
 そしてそのトンボの群の
 過ぎ北へ向ふ日は幾日も幾日もつゞいた
 私はそれを毎日のやうに見あげた
 夜は父と母とが夜中じゆうヒソヒソと
 金のことに就いて争つてゐるのを耳にした、
 私は金銭や、父や、母や、妹や、
 其他自分の周囲のものではなく
 もつと遠くのもので

 きつと憎むべき奴がどこかに隠れてゐるんだなと考へるやうになり
 そいつと金とはふかい関係があるやうに思へた
 またそれを探らうとした、
 トンボは北へとびそれを見る私の少年は
 トンボを自分より幾倍も
 豪い集団生活をしてゐるものゝやうに考へ、
 そしてしだいに、自分が愚かなものに見え反逆を覚えだし
 トンボよ、
 君は北へ揃つて行き給へ、
 僕は南の方へでかけてゆかう、
 さういつて私の少年は南へ向けて出奔した、
 最初の反逆それは
 私は故郷をすてることから始まつた。

  
  なぜ歌ひださないのか 「小熊秀雄詩集」(昭和10)

 さよなら、さよなら、
 さよならと歌ふ
 中野重治よ、君は
 最後の袂別の歌をうたふ
 赤まんまの花を歌ふなと、
 君は人間以外のものに、
 事実は人間そのものにも――
 最後の否定的態度を示した詩人だ。
 君は最後の――、
 そして私は最初の
 肯定的詩人として今歌つてゐる
 中野重治よ、
 ブルジョア詩の技術の引継ぎでは
 我々の陣営での
 クライマックスを示したのは君だ、
 だがそれはインテリへ伝はつたが
 労働者へは伝はらない
 それは君がプロレタリア詩人として
 攻勢の詩人ではなく
 守備の詩人であつたからだ、
 もし君と私とが仮りに
 枕をならべて自殺したとしたら
 世間の人はなんと噂するだらう、
 中野重治は悲観して死んだと
 そして小熊も同様に悲観してか、
 いやいや私の場合はちがふ、
 私は全く違ふのだ、
 私は大歓喜のために
 死を選ぶといふことも考へられるのだ、
 生も肯定し
 死も肯定する
 私は何といふ慾張りだらう

 中野重治よ、君はなぜ歌ひださないのか、
 女達が味噌汁の歌をうたふことも肝心だが、
 男達は「力」の歌を
 うたふことがより必要だから
 君は君の魅力ある詩のタイプを
 再び示せ
 たたかひは
 けつして沈滞してはゐない、
 たたかひはいまたけなはだ、
 守備のために――、
 攻勢のために――、
 それはどのやうなタイプであつても構はない、
 たたかひのために
 我々は技術のあるつたけを
 ぶち撒けよう、
 
 
  体操
   村野四郎「体操詩集」(昭和一四)

 僕には愛がない
 僕は権力を持たぬ
 白い襯衣の中の個だ
 僕は解体し、構成する
 地平線がきて僕に交叉(まじは)
 
 僕は周囲を無視する
 しかも外界は整列するのだ
 僕の咽喉は笛だ
 僕の命令は音だ
 
 僕は柔い掌をひるがへし
 深呼吸する
 このとき
 僕の形へ挿される一輪の薔薇

  
  黒い歌
   村野四郎「実在の岸辺」(昭和二七)

 目からも 耳からも
 暗黒があふれて
 夜に溶解した肉体が
 口から ながれだしている
 あれはいったい 何という人間だ
 あの黒い歌
 
 ここに夜明けはくることがない
 地球のかげの
 枝もない 家もない 犬もない
 真空の空間
 そこで 死ねない心臓が
 睡れない心臓が
 うたっている うたっている
 世界の友よ
 あの歌をおきき
 この平和の 黒い歌
 
 
  鹿
   村野四郎「亡羊記」(昭和三四)

 鹿は 森のはずれの
 夕日の中に じっと立っていた
 彼は知っていた
 小さい額が狙われているのを
 けれども 彼に
 どうすることが出来ただろう
 彼は すんなり立って
 村の方を見ていた
 生きる時間が黄金のように光る
 彼の棲家である
 大きい森の夜を背景にして

  
  さんたんたる鮟鱇
   村野四郎「抽象の城」(昭和二九)
   へんな運命が私をみつめている リルケ

 顎を むざんに引っかけられ
 逆さに吊りさげられた
 うすい膜の中の
 くったりした死
 これは いかなるもののなれの果だ
 見なれない手が寄ってきて
 切りさいなみ 削りとり
 だんだん稀薄になっていく この実在
 しまいには うすい膜まで切り去られ
 もう 鮟鱇はどこにも無い
 惨劇は終っている
 
 なんにも残らない廂から
 まだ ぶら下っているのは
 大きく曲った鉄の鉤だけだ
 
 
  しらなみ
   中野重治「中野重治詩集」(昭和六)

 ここにあるのは荒れはてた細ながい磯だ
 うねりは遙かな沖なかに湧いて
 よりあいながら寄せてくる
 そしてここの渚に
 さびしい声をあげ
 秋の姿でたおれかかる
 そのひびきは奥ぶかく
 せまつた山の根にかなしく反響する
 がんじような汽車さえもためらいがちに
 しぶきは窓がらすに霧のようにもまつわつてくる
 ああ 越後のくに 親しらず市振(いちふり)の海岸
 ひるがえる白浪のひまに
 旅の心はひえびえとしめりをおびてくるのだ

  
  夜明け前のさよなら
   中野重治「中野重治詩集」(昭和六)

 僕らは仕事をせねばならぬ
 そのために相談をせねばならぬ
 しかるに僕らが相談をすると
 おまわりが来て眼や鼻をたたく
 そこで僕らは二階をかえた
 路地や抜け裏を考慮して
 
 ここに六人の青年が眠つている
 下にはひと組の夫婦と一人の赤ん坊とが眠つている
 僕は六人の青年の経歴を知らぬ
 彼らが僕と仲間であることだけを知つている
 僕は下の夫婦の名まえを知らぬ
 ただ彼らが二階を喜んで貸してくれたことだけを知つている
 
 夜明けは間もない
 僕らはまた引つ越すだろう
 かばんをかかえて
 僕らは綿密な打合せをするだろう
 着々と仕事を運ぶだろう
 あすの()僕らは別の貸ぶとんに眠るだろう
 
 夜明けは間もない
 この四畳半よ
 コードに吊るされたおしめよ
 すすけた裸の電球よ
 セルロイドのおもちやよ
 貸ぶとんよ
 蚤よ
 僕は君らにさよならをいう
 花を咲かせるために
 僕らの花
 下の夫婦の花
 下の赤ん坊の花
 それらの花を一時にはげしく咲かせるために

  
  雨の降る品川駅
   中野重治「中野重治詩集」(昭和六)

 辛よ さようなら
 金よ さようなら
 君らは雨の降る品川駅から乗車する
 
 李よ さようなら
 も一人の李よ さようなら
 君らは君らの父母(ちちはは)の国にかえる
 
 君らの国の川はさむい冬に凍る
 君らの叛逆する心はわかれの一瞬に凍る
 
 海は夕ぐれのなかに海鳴りの声をたかめる
 鳩は雨にぬれて車庫の屋根からまいおりる
 
 君らは雨にぬれて君らを追う日本天皇を思い出す
 君らは雨にぬれて 髭 眼鏡 猫背の彼を思い出す
 
 ふりしぶく雨のなかに緑のシグナルはあがる
 ふりしぶく雨のなかに君らの瞳はとがる
 
 雨は敷石にそそぎ暗い海面におちかかる
 雨は君らの熱い頬にきえる
 
 君らのくろい影は改札口をよぎる
 君らの白いモスソは歩廊の闇にひるがえる
 
 シグナルは色をかえる
 君らは乗りこむ
 
 君らは出発する
 君らは去る

  さようなら 辛
 さようなら 金
 さようなら 李
 さようなら 女の李
 
 行つてあのかたい 厚い なめらかな氷をたたきわれ
 ながく()かれていた水をしてほとばしらしめよ
 日本プロレタリアートのうしろ盾まえ盾
 さようなら
 報復の歓喜に泣きわらう日まで

  
  歌
   中野重治「中野重治詩集」(昭和六)

 おまえは歌うな
 おまえは赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな
 風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
 すべてのひよわなもの
 すべてのうそうそとしたもの
 すべてのものうげなものを(はじ)き去れ
 すべての風情(ふぜい)擯斥(ひんせき)せよ
 もつぱら正直のところを
 腹の()しになるところを
 胸さきを突きあげてくるぎりぎりのところを歌え
 たたかれることによつて弾ねかえる歌を
 恥辱の底から勇気を汲みくる歌を
 それらの歌々を
 咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌いあげよ
 それらの歌々を
 行く行く人びとの胸廓(きようかく)にたたきこめ

  
  秋の夜の会話
   草野心平「第百階級」(昭和三)

 さむいね。
 ああさむいね。
 虫がないてるね。
 ああ虫がないてるね。
 もうすぐ土の中だね。
 土の中はいやだね。
 痩せたね。
 君もずゐぶん痩せたね。
 どこがこんなに切ないんだらうね。
 腹だらうかね。
 腹とつたら死ぬだらうね。
 死にたかあないね。
 さむいね。
 ああ虫がないてるね。

  
  ぐりまの死
   草野心平「第百階級」(昭和三)

 ぐりまは子供に釣られて叩きつけられて死んだ
 取りのこされたるりだは
 菫の花をとつて
 ぐりまの口にさした
 
 半日もそばにゐたので苦しくなつて水に這入つた
 顔を泥にうづめてゐると
 くわんらくの声々が腹にしびれる
 泪が噴上げのやうに喉にこたへる
 
 菫をくはへたまんま
 菫もぐりまも
 カンカン夏の陽にひからびていつた

  
  富士山 第肆
  草野心平「富士山」(昭和一八)

 川(づら)に春の光りはまぶしく溢れ。
 そよ風が吹けば光りたちの鬼ごつこ葦の葉のささやき。
 行行子
(よしきり)
は鳴く。行行子の舌にも春のひかり。
 
 土堤の下のうまごやしの原に。
 自分の顔は両掌(りようて)のなかに。
 ふりそそぐ春の光りに却つて物憂く。
 眺めてゐた。
 
 少女たちはうまごやしの花を摘んでは
  巧みな手さばきで花環をつくる。
 それをなわにして縄跳びをする。
 花環が円を描くとそのなかに富士がはひる。
 その度に富士は近づき。とほくに坐る。
 
 耳には行行子。
 頬にはひかり。

  
  わが抒情詩
   草野心平「日本沙漠」(昭和二三)

 くらあい(そら)だ底なしの。
 くらあい道だはてのない。
 どこまでつづくまつ暗な。
 電燈ひとつついてやしない底なしの。
 くらあい道を歩いてゆく。
 
   ああああああ。
   おれのこころは。
   どこいつた。
   おれのこころはどこにゐる。
   きのふはおれもめしをくひ。
   けふまたおれは。
   わらつてゐた。
 
 どこまでつづくこの暗い。
 道だかなんだかわからない。
 うたつておれは歩いてゐるが。
 うたつておれは歩いてゐるが。
 
   ああああああ。
   去年はおれも酒をのみ。
   きのふもおれはのんだのだ。
   どこへ行つたか知らないが。
   こころの穴ががらんとあき。
   めうちきりんにいたむのだ。
 
 ここは日本のどこかのはてで。
 或ひはきのふもけふも暮してゐる。
  ()のまんなかかもしれないが。
 電燈ひとつついてやしない。
 どこをみたつてまつくらだ。
 ヴァイオリンの音がきこえるな。
 と思つたのも錯覚だ。

   ああああああ。
   むかしはおれも。
   鵞鳥や犬をあいしたもんだ。
   人ならなほさら。
   愛したもんだ。
   それなのに今はなんにも。
   できないよ。
 
 歩いてゐるのもあきたんだが。
 ちよいと腰かけるところもないし。
 白状するが家もない。
 ちよいと寄りかかるにしてからが。
 闇は空気でできてゐる。
 
   ああああああ。
   むかしはおれも。
   ずゐぶんひとから愛された。
   いまは余計に愛される。
   鉄よりも鉛よりも。
   おもたい愛はおもすぎる。
   またそれを。
   それをそつくりいただくほど。
   おれは厚顔無恥ではない。
   おれのこころの穴だつて。
   くらやみが眠るくらゐがいつぱいだ。
 
 なんたるくらい底なしの。
 どこまでつづくはてなしの。
 ここらあたりはどこなのだ。
 いつたいおれはどのへんの。
 どこをこんなに歩いてゐる。
 
   ああああああ。
   むかしはおれのうちだつて。
   田舎としての家柄だつた。

    いまだつてやはり家柄だ。
   むかしはわれらの日本も。
   たしかにりつばな国柄だつた。
   いまだつてやはり国柄だ。
 
 いまでは然し電燈ひとつついてない。
 どこもかしこもくらやみだ。
 起床喇叭はうるさいが。
 考へる喇叭くらゐはあつていい。
 
   ああああああ。
   おれのこころはがらんとあき。
   はひつてくるのは寒さだが。
   寒さと寒さをかちあはせれば。
   すこしぐらゐは熱がでる。
   すこしぐらゐは出るだらう。
 
 蛙やたとへば鳥などは。
 もう考へることもよしてしまつていいやうな。
 いや始めつからそんな具合にできてるが。
 人間はくりかへしにしても確たるなんかのはじめはいまだ。
 とくにも日本はさうなので。
 考へることにはじまつてそいつをどうかするやうな。
 さういふ仕掛けになるならば。
 がたぴしの力ではなくて愛を求める。
 愛ではなくて美を求める。
 さういふ道ができるなら。
 例へばひとりに。
 お茶の花ほどのちよつぴりな。
 そんなひかりは咲くだらう。
 それがやがては物凄い。
 大光芒にもなるだらう。

   ああああああ。
   きのふはおれもめしをくひ。
   けふまたおれはうどんをくつた。
   これではまいにちくふだけで。
   それはたしかにしあはせだが。
   こころの穴はふさがらない。
   こころの穴はきりきりいたむ。
 
 くらあい(そら)だ底なしの。
 くらあい道だはてのない。

  
  葦の地方
   小野十三郎「大阪」(昭和一四)

 遠方に
 波の音がする。
 末枯れはじめた大葦原の上に
 高圧線の弧が大きくたるんでゐる。
 地平には
 重油タンク。
 寒い透きとほる晩秋の陽の中を
 ユーフアウシヤのやうなとうすみ蜻蛉が風に流され
 硫安や 曹達や
 電気や 鋼鉄の原で
 ノヂギクの一むらがちぢれあがり
 絶滅する。

  
  大怪魚
   小野十三郎「火呑む欅」(昭和二七)

 かじきまぐろに似た
 見あげるばかりの
 大きな魚の化物が
 海からあげられた。
 おきざりにされて
 砂浜には人かげもない。
 ひきさかれた腹から
 こやつは腹一ぱい呑みこんだ小魚を
 臓腑もろとも
 ずるずると吐きだして死んでいる。
 その不気味さつたら。
 おどろいたことに
 その小魚どもがまたどいつもこいつも小魚を呑みこんでいるのだ。
 海は鈍く鉛色に光つて
 太古の相を呈している。
 波しずかなる海にもえらい化物がいるものだ。
 ひきあげてみたものの
 しまつにおえぬ。
 生乾しのまゝ
 荒漠たる中に幾星霜。
 いまだに
 死臭ふんぷんだ。

  
  不当に「物」が否定されたとき
   小野十三郎「大海辺」(昭和二二)

 不当に
 「物」が否定されたとき
 私は「精神」に対して怒りを感じた。
 物質は或るとき
 さういふ精神どもに取囲まれた。
 物は駆り出されて
 あちこち逃げまどひ
 或は天界にすつ飛んだ。
 物は容れられず
 永久に孤立してゐた。
 物は内に深い寂寥をたたえ
 異国の荒れた鉱山や
 旧世代の都市の工場地帯から
 はるかに
 故国の方を見てゐた。
 私はいま物の位置を信じることが出来る。
 雑白な
 脅迫がましい精神どもが立ち去つたあとから
 私は物質をこゝに呼びかへしたい。
 その酷烈な形象で
 全地平を埋めつくしたい。

  
  明日
   小野十三郎「大阪」(昭和一四)

 古い葦は枯れ
 新しい芽もわづか。
 イソシギは雲のやうに河口の空に群飛し
 風は洲に荒れて
 春のうしほは濁つてゐる。
 枯れみだれた葦の中で
 はるかに重工業原をわたる風をきく。
 おそらく何かがまちがつてゐるのだらう。
 すでにそれは想像を絶する。
 眼に映るはいたるところ風景のものすごく荒廃したさまだ
 光なく 音響なく
 地平をかぎる
 強烈な陰影。
 鉄やニツケル
 ゴム 硫酸 窒素 マグネシユウム
 それらだ。

  
  座蒲団
   山之口貘「思弁の苑」(昭和一三)

 土の上には床がある
 床の上には畳がある
 畳の上にあるのが座蒲団でその上にあるのが楽といふ
 楽の上にはなんにもないのであらうか
 どうぞおしきなさいとすゝめられて
 楽に坐つたさびしさよ
 土の世界をはるかにみおろしてゐるやうに
 住み馴れぬ世界がさびしいよ

  
  妹へおくる手紙
   山之口貘「思弁の苑」(昭和一三)

 なんといふ妹なんだらう
 ――兄さんはきつと成功なさると信じてゐます とか
 ――兄さんはいま東京のどこにいるのでせう とか
 ひとづてによこしたその音信(たより)のなかに
 妹の眼をかんじながら
 僕もまた 六、七年振りに手紙を書かうとはするのです
 この兄さんは
 成功しようかどうしようか結婚でもしたいと思ふのです
 そんなことは書けないのです
 東京にゐて兄さんは犬のやうにものほしげな顔してゐます
 そんなことも書かないのです
 兄さんは、住所不定なのです
 とはますます書けないのです
 如実的な一切を書けなくなつて
 とひつめられてゐるかのやうに身動きも出来なくなつてしまひ
 満身の力をこめてやつとのおもひで書いたのです
 ミナゲンキカ
 と、書いたのです
 
 
  大儀
   山之口貘「思弁の苑」(昭和一三)

 躓づいたら転んでゐたいのである
 する話も咽喉の都合で話してゐたいのである
 また、
 久し振りの友人でも短か振りの友人でも誰とでも
 逢へば直ぐに、
 さよならを先に言ふて置きたいのである
 あるひは、
 食べたその後は、口も拭かないでぼんやりとしてゐたいのである
 すべて、
 おもふだけですませて、頭からふとんを被つて沈澱してゐたいのである
 言ひかへると、
 空でも被つて、側には海でもひろげて置いて、人生か何かを尻に敷いて、
 膝頭を抱いてその上に顎をのせて背中をまるめてゐたいのである。

  
  地球創造説
   滝口修造「滝口修造の詩的実験」(昭和四二)

 両極アル蝉ハアフロディテノ縮レ髪ノ上ニ音ヲ出ス
 男モ動物モ凡テ海ノヨウニ静カニナル
 アフロディテノ夏ノ変化ハ
 細菌学的デアル
 零レルヨウナ花
 汝ハ月下ノ青年ノヨウニ神経質トナル
 陰謀者達ハ
 電燈ヲカカゲ波間ヲ照ラシテユク
 彼ラノ耳ノソバデ鶯ハ実ニ上手ニ鳴ク
 ソレハ微風ヲ意味スルノカト思ウト
 急雨デアッタ
 実際ノ奇蹟ガアンナ紫陽花ニ起ルナラ
 ソレハ真ニ衰弱シテ終ウダロウ
 短刀ノ葡萄酒(ワイン)
 地球ノ冷タサハ襟飾ニ附着スル
 泥酔漢ハ崇高ナ鯛ノ色彩ヲシタ
 太陽ニ向ッテ再ビ微笑スル
 宇宙ハコノ時少シ動ク
 彼ノ知ラナイ彼ノ背ノ鯛
 処女航海ノ発作
 アルファべェトヲ間違エテ
 脳髄ノ青空デ思索スル
 若イ鳩ガ飛ビ込ム
 彼ノ頸環ノ玉ガナカデ滾レル
 ソレラハ帆船ノヨウニスガスガシイ
 波浪ト奔馬ノゴトク動カナイ
 最後ノ審判ハ起ラナイ
 zero カンナノ zero モアル
 庭師ノ顔ヲ忘レタ鶏頭花
 凹面鏡ヲ掛ケネバ見エヌ花
 ソレガ彼ノ胸ノ花デアッタノカ?
 制動機デ停ラヌ波浪ハ再ビ砕ケル

 優秀ナ胸 ソレハ女ノ胸デアル
 ソレハステキナ水曜日ニ
 旧式ナショールニ包マレテ
 五重ノ塔ノ上カラ少シ地上ニ近ヅイタ女ノ胸デアル
 ソレハ正午十ニ時マデ檳榔樹ノヨウニ眠ッテ終ッタ
 女王ノ胸デアル
 モット精密ナ花ヲ見タイト叫ブナラ
 手品師ノヨウニ断然トソレヲ近ヅケルノミ
 ソシテ騰貴スル感嘆詞ヲ
 コノ卓上ニ置ク
 大魔術ハ空気ヲ要シナイ
 ジャスミンガドウシテモ姿ヲ見セヌ時
 アノ少女ハ簡単ニ想像シテ終ッタ
 金属ノジャスミンヲ
 絶息セントスルアポロ神ノ呼吸ハ
 恐怖ト快活トガ混合シタ
 羊肉ノヨウナ薔薇ト同一デアル
 ソレホド新鮮ナミルクト生命トヲ
 コノ地球ガ持タナイ
 聖者ノヨウニ絶息セントスルアポロノ眼球ハ
 壊レタ虹ノ色ヲモッテスラ描クコトガ出来ル
 彼ノ幼イ耳ヲ暖メニ来ル時ノアポロ神ハ
 太陽ノヨウニ唖デアッタ
 瞬間ニ無気力ノダイヤ ソレハ彼ノ胴体ノ全部
 ヨリ精確ナモノソレハ葡萄パン
 ヨリ凄艶ナモノソレハ天国ノ園芸術ノ公開デアル
 天国ハ胡桃ノ中ニ忍ブ
 水夫ノ見タノハ着色広告紙ノミ
 ソノタメニ彼ハ優美ナ秋ノヨウニ微笑ム
 ソシテソレハ秋デアッタ
 緑色ノ蝿ノヨウニ
 人間ノ椅子ガ見エルナラ彼ハ病気ナノダ
 哀愁ニ驚イタ男
 死ヲ拒絶シタ金魚
 コノ二ツハ雲ノヨウニ並ンデ歩ク

 大理石ニ似テ大理石デナイモノ
 海綿ニ似テ海綿ナモノ
 柘榴ソノモノデアル柘榴
 ソレハ海老ノ時計ノヨウニ確カナ哀愁デアル
 貝殻ノヨウニ巻イタ水平線ノ必要
 薔薇ト砕氷船ト麦酒(ビール)トガ漂ウ手術室ニ夕日ノヨウニ入ル
 窓硝子ニ未ダ化サナイ以前ノ土龍ガ横ワッテイル
 優シイ墓標ガ絹帽ノ美人ノソバデ騒々シイ哀愁ニ
 無関心デ立ッティル
 皆 ギャルソン・ドテルノ誤解デアッタ
 髭ノ無イ手術者ノ衣服ノ背後ヲ見給エ
 健全ナ巨大ナダーリヤ
 ソロモンノ日曜カラ一歩モ外へ出ルコトハ
 不可能デアル
 朝顔ノ美学カラ朝ノ朝顔ガ逃走スルコトハ
 不可能デアル
 Oh yes indeed*
 猪ドモノ月夜ニ
 一ツノ憂鬱ナ手ヲ愛スル
 一ツノ沈黙シタ火事ヲ愛スル
 然シコノ葬列ノゴトク優雅ナ風景ヲ
 認識スル室内装飾師
 胸ノ欠ケタ天使ノタメデハナイ
 然シ唯一ツノ彼女ノ白状ノタメニ
 銀行業ホドニ古イ昆虫ト少量ノ談話ハ
 シキリニ海洋ヲ夢ミル
 現代ノ貝殻ト難解ナ雲
 唯神学者ハ西班牙人ヲ呼ビトメル
 ソノ純金製ノ腕輪ノタメニ……
 スべテ月夜ハ非常ニ錆ビ易イ
 日本ノ花ノヨウニ
 硬玉ノ自由
 斜面ニハ人間ガイナイ 瀑布ノヨウナ斜面ニハ……
 此処カラ遠クワレラニ無関係ナ予言者ガイタ

 ソレハ雌蕊ノヨウニ孤独デアッタ
 双殻類ノ青空 ソノ中ニ最モ正直ナ神様ガ住ム
 一ツノモノノ中ニハ真珠ガアッタ
 一ツノモノノ中ニハ牝羊ガアッタ
 困却シタ乞食ノ清潔
 彼ハ砂ノ上デ限リナクコップノ夢ヲミル
 琥珀ノヴィオロント彼ノ踝ト扈従ノ金魚ト……
 審問ハ蒸溜水ノヨウニ彼ノ肩ニ注ガレル
 海ニ沈ンダ太陽ハ
 羽毛ノヨウニ彼ノ懐中ニアル
 彼ノ両ノ手ヲ形ヅクラントスル謀計ハ
 紫葵ノ中ノ紫葵ヲ見ルヨリ明ラカデアル
 故ニ永遠ノ幻影ハ美シイ
 ソレハ最モ簡単ナ装置デアッタノダカラ
 コノ時無数ノ異ッタ蝶々
 ソレガ乞食ノ目的デアル
 家鴨ノ銅像
 真実ノミロノヴィーナスニ逡巡スル無熱ノ葦
 長時間ノ疼痛ヲ巧ミニ避ケル青鷺
 既ニ透視術ノ農夫トトモニ
 先天的ナ博物館ニ来テイル
 輪光ノ罅隙カラ見ル海ト海ト砂
 牢獄ノ迅速ナ馬
 ソレハ誰モ見ナイ六月ノ夜ヲ運ブ
 地球創造説ハ一夜ニ完成サレタ
  (ハリネズミ)ハ感謝スル
 モルフェノヨウニ夏ノ手ガ延ビル
 無意味ノ花束ノヨウニ
 横柄ナ王宮ノ中ノ死亡ノヨウニ
 ソレハ健康ニ害ガアル
 美ワシキ自然 ソレハ汝ノ袖珍字典デアル
 定量ノ菊ノ花ノヨウニソレノ力ヲ自覚スル
 潜望鏡ハ十月ニ等シイ**
 ソシテ鏡ノ中ノ極小ノ論理ト
 石礆ニシタ少数ナ熱帯的追憶トヲ見給エ

 赤縞瑠璃ノ彼ノ理智
 月明ノ誤算ト力学的忘却ト
 月ニ火縄ヲカケル愛情アル静力学
 排泄サレタ紫色ノ静カナ薔薇ニ酔ウ女王
 ソレガ汝ノ瀟洒ナ希望カ?
 陶製記念像カ?
 天真爛漫ノ太守ノ亡霊
 凡テノモノガ削除サレタ亡霊
 妖精ノヨウナ薔薇
 魚類ノ薔薇
 態度アル薔薇
 滑稽ナ薔薇
 無感覚ナ薔薇
 焔ノ薔薇
 
 雷鳴ノヨウナ化身
 アノ海上ノ抽象ハ何モ語ラナイ
 子午線ノ花ノ乳齢ハ凡テノ気象学ノ上遙カニ
 マドラカナ夢ヲミル
 石器時代ハ巨花性デアッタ
 誇大妄想ハ海青色ノ瘢痕ヲ残シテ海ニ飛ビコム
 饒舌ハカクシテ終ル
 新郎ハ海ノ匂イガスル
 首府ノ作詩狂(メトロマヌ)
 直グ水母ノヨウナ羅針盤ハ内海ノ瞑想ニ入ル
 芸術揺藍地ノ静カサヲモッテ
 アア魂ノ言葉ヲ忘レテ終ッタ
 トソレハ叫ンデ
 羊紅色ノ声楽器ニ駆ケ寄ル
 難破シタ虎
 ピヨピヨト鳴ク音楽熱愛
 ソノ向ウハ渺茫タル海
 ソシテ四時雪ハ絶エナイ
 オオ Mater Dolorosa

 孵化シタ意志表示ハ
 最高ノ悪意トカメレオン
 次ニ動産ノ音楽ハ雲ノ下ニ行ワレル
 落日ソレハ格言デアル
 コバルトノ脳ソレハヒッソリシタ囈言デアル
 福音ヲ携エル魔物ノ運命ハ妖艶ナルコトヨ
 極端ニ流行性アル言葉ヲ用イ
 天候ニ注意シナガラ語ル
 ソレハ万物ノ白イ倫理デアル
 観察ノミガ光リ輝ク音楽デアル
 白粉ハ鳶色ヲシナイ ソレ
 ソレニモ拘ラズ
 七絃琴ハヨク光ヲトオス
 アポロガ食事ヲシテイル
 ソレヲ解剖シタラ何モ残ラナイ光景
 尊敬
 陸カラ其処へ達シタヨク響ク三色菫
 私ハ快活ノミヲ記載シテオイタ
 タトエバ七面鳥トソレニ反シテ背ノ高イ少年
 亜鉛ハソレニ何ノ関係モナイ
 ソレハ半人半神(サチール)ノイル風景ト同ジモノデアル
 他ノページニハ何モ書カレテイナイ
 銀ガ銀デアル快活
 ソレハソロモンノ知覚デアル
 幽霊ノ出現ヲ信ジル闘牛士ノ林檎
 突然ソレニ暖メラレタ麗ワシイ魂
 人間ガ天使ノヨウニ見エタノハコノ時デアッタ
 海ノ泡ニ生ジル暗王ハ虹ヲ許可スル
 ソレハ満足デアル
 ソレハアノ芙蓉ト同ジヨウニ考エテイタ
 絶体絶命ナ四面体ノ蠱惑
 平衡ハヤガテ天啓ノヨウニ少女ノ唇ニ生ジル
 海ト見間違エルソノ臙脂
 雨ニ無縁ナ少女ハ風ノヨウニ走ル
 少女達ハ一斉ニ少女ヲ造ル

 新シイ無毒ノ真理
 エスキモーノスペイン
 不図見ルト未熟ノ葡萄デアル
 ソレハ新月ノ奇術デアッタ
 ソノ時ハ既ニ少女ハ居ナイ
 Mammon ノ悪魔ハ新鮮ナ金貨ヲ用意シテイル
 ソノ特徴アル職業ノタメニ……
 ソノ鋭利ナ季節ニ
 再ビ野獣ニ復ルライオンノ奇癖ハ
 霊感ニ悩ム
 物語ハ月夜ニ笛ト共ニ蒸発シテ終ッタ
 ソシテ酒ノヨウニ最モ古イ部分ガ残ル
 栗ノ街 金魚ノ歩ク街
 肱ヲツイテ音モナク奔ル馬
 永遠ニ不透明ナ人間
 坐ッタ女ノ膝ノ青イ円形
 何処マデ追ッテモ青イ切レタ樹ノ葉
 人間ハ時々瞑想スル
 コレハ乳児ノヨウナ円形劇場デアル
 食用ニナラナイ希臘ノ頭部デアル
 マリヤノ帆具デアル
 営利的ナ濃青色ニ包マレタ御身ノ肌色
 ソレハ穹窿ノ中ノ天使ノ行動ヲ思ワス
 アルコホルノ雪ハ
 御身ノ頸飾リトナル
 御身ノ物語ハ
 流星ノ脈搏ノヨウニ
 膜翅類ノ天国ノヨウニ短イ
 御身ノ前半生トソノ剰余ノ楕円形
 ソレハ御身ノ発明デアル
 空中貴金属ハ一ツノ新ツイ神ノ風俗ニ感染スル
 ソレハ急激ナ
 信仰厚キ否定的ナ芳香アル非常ニ藤紫ノ桔梗
 ソノ空虚ノ瞬間ニ
 アラユル独特ナ優美ナ把手ガ動ク

  安価ナ太陽
 悪性ナ旋律
 ソノ屈折ノ受難
 華麗ナ甲冑ニハ モウ原因ガナイ
 王
 何タル時間デアル
 ソレハ令嬢デアル
 一言モナイ令嬢デアル
 コノ空間ヲ脱走スルピン
 ピンハ令嬢ニ似テイル
 ソレハ全クノ一月デアル
 真珠
 ソレハ美辞麗句デアル
 機会ト夢ト夢夢デアル
 掌中ノ一厘確カニ一厘デアル
 ソレハ愛ラシイ愛デアッタ
 分裂繁殖ソレハアセチリン燈ニ関スル芸術デアッタ
 質問シナイスペクトラム
 ソレハ王デアル
 純金ノ無生物
 笑ッタ薔薇ノヨウニ未ダ眼ニ触レナイ遊戯
 Gargantua ノ靨ノ結氷デアル
 不均衡ナ星 ソレハ金髪碧瞳ノ少女
 ソレハ水族館ニアル天ノ半分ノ星
 天使ノ星ハ喪ノ中ノヨウニ紅葉スル翼ト
 露出シナイ紫ノ埃トノ星
 星星
 
   *  Miss Gertrude Stein : Geography and Plays
  ** Tristan Tzara : 7 manifestes dada

  
  地上の星
   滝口修造「滝口修造の詩的実験」(昭和四二)

    Ⅰ
 
 鳥、千の鳥たちは
 眼を閉じ眼をひらく
 鳥たちは
 樹木のあいだにくるしむ。
 
 真紅の鳥と真紅の星は闘い
 ぼくの皮膚を傷つける
 ぼくの声は裂けるだろう
 ぼくは発狂する
 ぼくは熟睡する。
 
 鳥の卵に孵った蝶のように
 ぼくは土の上に虹を書く
 脈搏が星から聴こえるように
 ぼくは恋人の胸に頬を埋める。
 
   Ⅱ
 
 耳のなかの空の
 ぼくは星の俘虜のように
 女の膝に
 狂った星を埋めた。
 
 忘れられた星
 ぼくはそれを呼ぶことができない
 或る晴れた日に
 ぼくは女にそれをたずねるだろう
 闇のなかから新しい星が
 ぼくにそれを約束する。
 美しい地球儀の子供のように
 女は唇の鏡で
 ぼくを ぼくの唇の星を捕える

 ぼくたちはすべてを失う
 樹がすべてを失うように
 星がすべてを失うように
 歌がすべてを失うように。
 
 ぼくは左手で詩を書いた
 ぼくは雷のように女の上に落ちた。
 
 手の無数の雪が
 二人の孤独を
 手の無数の噴水が
 二人の歓喜を
 無限の野のなかで
 頬の花束は
 船出する。
 
   Ⅲ
 鳥たちはぼくたちをくるしくした
 星たちはぼくたちをくるしくした
 光のコップたちは転がっていた
 盲目の鳥たちは光の網をくぐる
 無数の光る毛髪
 それは牢獄に似た
 白痴の手紙である。
 
 白いフリジアの牢獄は
 やがて発火するだろう
 そして涙のように
 消えるだろう。
 
   Ⅳ
 鳥たちは世界を暖めた
 ぼくの下の女は眼を閉じている
 ぼくの下の女は眼を閉じている
 鳥たちはぼくたちに緑の牧場をもってくる。

 彼女の肥えた牡牛のような眼蓋は
 こがね色に濡れている
 レダのように 聖な白百合のように
 彼女の股は空虚である
 ぼくはそこに乞食が物を乞うのをさえ見た
 あらゆる悪事が浮遊していた
 ぼくは純白な円筒形を動かすことができる。
 仏陀は死んだ。
 
   Ⅴ
 闇のように青空は刻々に近づく
 ぼくは彼女の真珠をひとつひとつ離してゆく
 ぼくたちは飛行機のように興奮し
 魚のように悲しむ
 ぼくたちは地上のひとつの星のように
 ひとつである
 ぼくの精液は白い鳩のように羽搏く
 ぼくは西蔵の寺のように古い詩を書く
 そしてそれを八つ裂きにする
 ぼくは詩を書く
 ぼくは詩を書く
 そしてそれを八つ裂きにする
 それは赤いバラのように匂った
 それはガソリンのように匂った。
 
 氷のように曇った彼女の頬が見える
 花のように曇った彼女の陰部が見える
 そして鳥たちは永遠に
 風のなかに住むだろう
 狂った岩石のように。
 
 盲目の鳥たちは光の網を潜る。

  
  夏の終り
   伊東静雄「反響」(昭和二二)

 夜来の颱風にひとりはぐれた白い雲が
 気のとほくなるほど澄みに澄んだ
 かぐはしい大気の空をながれてゆく
 太陽の燃えかがやく野の景観に
 それがおほきく落す静かな翳は
 ……さよなら……さやうなら……
 ……さよなら……さやうなら……
 いちいちさう頷く眼差のやうに
 一筋ひかる街道をよこぎり
 あざやかな暗緑の水田(みづた)(おもて)を移り
 ちひさく動く行人をおひ越して
 しづかにしづかに村落の屋根屋根や
 樹上にかげり
 ……さよなら……さやうなら……
 ……さよなら……さやうなら……
 ずつとこの会釈をつづけながら
 やがて優しくわが視野から遠ざかる

  
  帰路
   伊東静雄「反響」(昭和二二)

 わが歩みにつれてゆれながら
 懐中電燈の黄色いちひさな光の輪が
 荒れた街道の石ころのうへをにぶくてらす
 よるの家路のしんみりした伴侶よと私は思ふ
 (よる)ぢゆう風が目覚めて動いてゐる野を
 かうしてお前にみちびかれるとき
 いつかあはれなわが視力は
 やさしくお前の輪の内に囚はれて
 もどかしい周囲の闇につぶやくのだ
 ──この手の中のともしびは
    あゝ僕らの「詩」にそつくりだ
    自問にたいして自答して……それつきりの……
 光の輪のなかにうかぶ轍は
 昼まより一層かげ深くきざまれてあり
 妖精めくあざやかな緑いろして
 草むらの色はわが通行をささやきあつた

  
  燕 「夏花」(昭和一五)

  かどの ひかりまぶしき 高きところに 在りて 一羽
  つばめぞ鳴く
 単調にして するどく かげりなく
 あゝ いまこの国に 到り着きし 最初のつばめぞ 鳴く
 汝 遠くモルツカの ニユウギニヤの なほ遥かなる
  彼方かなたの空より 来りしもの
  つばささだまらず 小足ふるひ
 汝がしき鳴くを 仰ぎきけば
 あはれ あはれ いく夜凌げる の闇と
  はねうちたたきし 繁き海波かいはを 物語らず
 わがかどの ひかりまぶしき 高きところに 在りて
 そはただ 単調に するどく かげりなく
 あゝ いまこの国に 到り着きし 最初のつばめぞ 鳴く

  
  夢からさめて 「夏花」(昭和一五)

 この夜更よふけに、わたしの眠をさましたものは何の気配けはひか。
 硝子窓の向ふに、あゝ今夜も耳原御陵みゝはらごりようの丘の斜面で
 火が燃えてゐる。そして それを見てゐるわたしの胸が
  何故なぜとも知らずひどく動悸うつのを感ずる。何故なぜとも知らず?
 さうだ、わたしは今夢をみてゐたのだ、
 故里ふるさとの吾古家ふるやのことを。
 ひと住まぬ大き家の戸をあけ放ち、前栽せんざいに面した座敷に坐り
 独りでわたしは酒をのんでゐたのだ。夕陽は深く廂に射込んで、
 それはうつゝの日でみたどの夕影よりも美しかつた、
 何の表情もないその冷たさ、透明さ。
 そして庭には白い木の花が、夕陽ゆふひの中に咲いてゐた
 わが幼時の思ひ出の取縋るすべもないほどに端然たんぜんと……。
 あゝこのわたしの夢を覚したのは、さうだ、あの怪しくけものめく
  御陵みささぎ夜鳥やちようの叫びではなかつたのだ。
 それは夢の中でさへ
 わたしがうたつてゐた一つの歌の悲しみだ。
 
 かしこに母はしたまふ
  紺碧こんぺきの空のした
 春のキラめく雪渓に
  枯枝かれえを張りし一本ひともと
  高き梢
 あゝその上にぞ
 わが母のし給ふ見ゆ

  
  八月の石にすがりて 「夏花」(昭和一五)

 八月の石にすがりて
 さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。
 わが運命さだめを知りしのち、
 たれかよくこの烈しき
 夏の陽光のなかに生きむ。
 
  運命さだめ? さなり、
 あゝわれらみづか孤寂こせきなる発光体なり!
 白き外部世界なり。
 
 見よや、太陽はかしこに
 わづかにおのれがためにこそ
 深く、美しき木蔭をつくれ。
 われも亦、
 
  雪原せつげんに倒れふし、飢ゑにかげりて
 青みし狼の目を、
 しばし夢みむ。

  
  自然に、充分自然に 「夏花」(昭和一五)

 草むらに子供はもがく小鳥を見つけた。
 子供はのがしはしなかつた。
 けれども何か瀕死ひんしに傷いた小鳥の方でも
 はげしくその手の指に噛みついた。
 
 子供はハツトその愛撫を裏切られて
 小鳥を力まかせに投げつけた。
 小鳥は奇妙につよくくうを蹴り
 翻り 自然にかたへの枝をえらんだ。
 
 自然に? 左様 充分自然に!
 ――やがて子供は見たのであつた、
  こいしのやうにそれが地上に落ちるのを。
 そこに小鳥はらく/\と仰けにね転んだ。
 
 
  なかぞらのいづこより 「春のいそぎ」(昭和一八)

 なかぞらのいづこより吹きくる風ならむ
 わが(いへ)の屋根もひかりをらむ
 ひそやかに音変ふるひねもすの風の(うしほ)
 
 春寒むのひゆる書斎に (しよ)よむにあらず
 物かくとにもあらず
 新しき恋や得たるとふる妻の独り(あや)しむ
 
 思ひみよ 岩そそぐ垂氷(たるひ)をはなれたる
  去年(こぞ)の朽葉は春の水ふくるる川に浮びて
 いまかろき黄金(きん)のごとからむ

  
  小扇 ―嘗つてはミルキイ・ウェイと呼ばれし少女に―
   津村信夫「愛する神の歌」(昭和一〇)

  指呼(しこ)すれば、国境はひとすぢの白い流れ。
 高原を走る夏期電車の窓で、
  貴女(あなた)は小さな扇をひらいた。

  
  木の実 「或る遍歴から」(昭和一九)

 木に梯子をかけて
 女が一人 登つてゐる
 胸高な女である
 手に籠を提げてゐる
 木の果をとつてゐるのか
 この夕ベ
 空に 金星が光つてゐる
 果をとるもの
 木の下で
 前掛をひろげてゐる子供
 ああ 私は
 この豊かな風景の中に
 結実の意味を読み
 収穫の意味を読まう

  
  冬の火 「父のゐる庭」(昭和一七)

 屋根の上で鶏が鳴いてゐた
 澄明な空と冷たい空気
 これこそ
 私が選んだ季節だ
 枯れた(すすき)
 自動車がしいて行つた
 夕日が一つの家の中を
 いつまでも照してゐた
 心の内なる促しが
 かうして
 私をはこびさる
 はこびさる
 野の末に
 そして山あひに
 
 山人の 驕奢(おごり)の名残か
 色づいたまゝの
 葉が朽ちてゐた
 朽ちた葉の小径(こみち)
 私を山人の家に導いた
 一つの業を守り
 いくつもの夢を忘れて
  (すす)けた障子のもとに
 その人は
  (ひと)り者の火を抱いてゐた

  
  戸隠びと 「或る遍歴から」(昭和一九)

 善光寺の町で
 鮭を一疋さげた老人に行き逢つた
 枯れた薄を着物につけて
 それは山から降りてきた人
 薪を背負つてきた男
 
 「春になつたらお出かけなして」
 月の寒い晩
 薪を売つて 鮭を買つた
 老人は小指が一本足りなかつた
 
 
  厨 「或る遍歴から」(昭和一九)

  (すす)けた(くりや)の明り窓の下に
 玉葱と人参がひつそりと置いてあつた
 
 帰つて来た子供が又遊びに出て行つた
 
 蛾がきて電燈の球を一周りした
 
 湯が(たぎ)つてゐた
  (かまど)の火が赤かつた
 
 往還の夕方を
 篠ノ井の林檎売が荷車を曳いてすぎて行つた
 
 呼んでゐる
 誰かが誰かを呼んでゐる
 
 思ひ出のやうに
 前掛をして()けた顔の(ひと)が立つてゐた

  
  雪尺余 「或る遍歴から」(昭和一九)

 あの人は死んでゐる
 あの人は生きてゐる
 私は 遠い都会から来た
 今宵 哀しい報知(しらせ)をきいて
 
 駅は 貨車の列は
 民家も燈も 人の寂しい化粧(よそほひ)
 地にあるものは なべて白い
 
 あの人は死んでゐない
 あの人は生きてゐない
 だが あの人は眠つてゐる
 小さな町の 夜の雪に埋つて
 ひとの憩ひの形に似て
 
 雪のくるまへには頬がほてると
 信濃の娘が私に告げた……
 
 (神眠り 空あかるく
 果樹が重たげに 身をゆすぶる
 病む身の窓は 何処であらう)
 
 私は知つてゐる
 遥かな紅のいろを知つてゐる
 雪の日のあの頬は生きてゐる
 
 在天の知る限りの御名(みな)にかはり
 今宵 雪つもる 白く積る
 
 あの人は生きてゐる

  
  草に寝て
   立原道造「むらさき」(昭和一三)
  六月の或る日曜日に

 それは 花にへりどられた 高原の
 林のなかの草地であつた 小鳥らの
 たのしい唄をくりかへす 美しい声が
 まどろんだ耳のそばに きこえてゐた
 
 私たちは 山のあちらに
 青く 光つてゐる空を
 淡く ながれてゆく雲を
 ながめてゐた 言葉すくなく
 
 ──しあはせは どこにある?
 山のあちらの あの青い空に そして
 その下の ちひさな 見知らない村に
 
 私たちの 心は あたたかだつた
 山は 優しく 陽にてらされてゐた
 希望と夢と 小鳥と花と 私たちの友だちだつた

   甘たるく感傷的な歌「優しき歌」(昭和二二)

 その日は 明るい野の花であつた
 まつむし草 桔梗 ぎぼうしゆ をみなへしと
 名を呼びながら摘んでゐた
 私たちの大きな腕の輪に
 
 また或るときは名を知らない花ばかりの
 花束を私はおまへにつくつてあげた
 それが何かのしるしのやうに
 おまへはそれを胸に抱いた
 
 その日はすぎた あの道はこの道と
 この道はあの道と 告げる人も もう
 おまへではなくなつた!
 
 私の今の悲しみのやうに 叢には
 一むらの花もつけない草の葉が
 さびしく 曇つて そよいでゐる

  
  爽やかな五月に
   「優しき歌」(昭和二二)

 月の光のこぼれるやうに おまへの頬に
 溢れた 涙の大きな粒が すぢを曳いたとて
 私は どうして それをささへよう!
 おまへは 私を だまらせた……
 
 《星よ おまへはかがやかしい
 《花よ おまへは美しかつた
 《小鳥よ おまへは優しかつた
 ……私は語つた おまへの耳に 幾たびも
 
 だが たつた一度も 言ひはしなかつた
 《私は おまへを 愛してゐる と
 《おまへは 私を 愛してゐるか と
 
 はじめての薔薇が ひらくやうに
 泣きやめた おまへの頬に 笑ひがうかんだとて
 私の心を どこにおかう?

  
  夢見たものは‥‥ 「優しき歌」(昭和二二)

 夢見たものは ひとつの幸福
 ねがつたものは ひとつの愛
 山なみのあちらにも しづかな村がある
 明るい日曜日の 青い空がある
 
 日傘をさした 田舎の娘らが
 着かざつて 唄をうたつてゐる
 大きなまるい輪をかいて
 田舎の娘らが 踊りををどつてゐる
 
 告げて うたつてゐるのは
 青い翼の一羽の 小鳥
 低い枝で うたつてゐる
 
 夢見たものは ひとつの愛
 ねがつたものは ひとつの幸福
 それらはすべてここに ある と

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なかぞらのいづこより 小扇 木の実 冬の火 戸隠びと  雪尺余 草に寝て 爽やかな五月に 夢見たものは‥ 戻る