四国遍路日記 種田山頭火
 十一月一日 晴、行程七里、もみぢ屋という宿に泊る。

――有明月のうつくしさ。
今朝はいよいよ出発、更始一新、転一歩のたしかな一歩を踏み出さなければならない。
七時出立、徳島へ向う(先夜の苦しさを考え味わいつつ)。
このあたりは水郷である、吉野川の支流がゆるやかに流れ、蘆荻が見わたすかぎり風に靡いている、水に沿うて水を眺めながら歩いて行く。
宮島という部落へまいって十郎兵衛の遺跡を見た、道筋を訊ねたら嘘を教えてくれた人がある、悪意からではなかろうけれど、旅人に同情がなさすぎる。
発動汽船で別宮川を渡して貰う、大河らしく濁流滔々として流れている(渡船賃は市営なので無料)。
徳島は通りぬける、ずいぶん急いだけれど道程はなかなか捗らない、日が落ちてから、籏島(義経上陸地といわれる)のほとりの宿に泊った。八十歳近い老爺一人で営業しているらしいが、この老爺なかなか曲者らしい、嫌な人間である、調度も賄も悪くて、私をして旅のわびしさせつなさを感ぜしめるに十分であった!(皮肉的に表現すれば草紅葉のよさの一端もない宿だった!)
今日は興亜奉公日、第二回目、恥ずかしいことだが、私はちょっぴりアルコールを摂取して旅情をまぎらした。
同宿四人、修業遍路二人、巡礼母子二人、何だかごみごみごてごてして寝覚勝な夜であった。
     (十一月一日)
旅空ほつかりと朝月がある
夜をこめておちつけない葦の葉ずれの
ちかづく山の、とほざかる山の雑木紅葉の
落葉吹きまくる風のよろよろあるく
秋の山山ひきずる地下足袋のやぶれ
お山のぼりくだり何かおとしたやうな
 十一月二日 快晴、行程八里、星越山麓、あさひや。

早起早立、まっしぐらにいそぐ、第十八番恩山寺遥拝、第十九番立江寺拝登。
野良で野良働きの人々がお弁当を食べている、私も食べる、わがままをつつしむべし。
飴玉をしゃぶりつついくつかの村を過ぎる、福井(鉄道の終点)というところで、一杯ひっかける、つかれがうすらいだ、山路になる、雑木山の今日この頃は美しい、鉦打で泊ろうと思ったけれど泊めてくれない、また歩きつづけて峠の下で泊めて貰う、まったくの山村だが、電話もあればラジオもある、宿は可もなし不可もなしだった、相客は老同行、話し合っているうちに同県人だったので、何となくなつかしかった、好感の持てるおじいさんだった。
今夜も風呂なし(昨夜も)、水で身体を拭いたが肌寒を感じた。

 十一月三日 晴、行程八里、牟岐、長尾屋。

老同行と同道して、いつもより早く出発した。
峠三里、平地みたいになだらかだったけれど、ずいぶん長い坂であった、話相手があるので退屈しなかった、老同行とは日和佐町の入口で別れた(おじいさん、どうぞお大切に)。
第二十三番薬王寺拝登、仏殿庫裡もがっちりしている、円山らしい、その山上からの眺望がよろしい、相生の樟の下で休憩した、日和佐という港街はよさそうな場所である。
途中、どこかで手拭をおとして、そしてそのために一句ひろった、ふかしいもを買って食べ食べ歩いた、飯ばかりの飯も食べた、自分で自分の胃袋のでかいのに呆れる。
途中、すこし行乞、いそいだけれど牟岐へ辿り着いたのは夕方だった。よい宿が見つかってうれしかった、おじいさんは好々爺、おばあさんはしんせつでこまめで、好きな人柄で、夜具も賄もよかった、部屋は古びてむさくるしかったが、風呂に入れて貰ったのもうれしかった、三日ぶりのつかれを流すことが出来た。
御飯前、一杯ひっかけずにはいられないので、数町も遠い酒店まで出かけた、酒好き酒飲みの心裡は酒好き酒飲みでないと、とうてい解るまい、おそくなって、おばあさんへんろが二人ころげこんできた、あまりしゃべるので、同宿の不動老人がぶつくさいっていた。
     (十一月三日)
   山家ひそかにもひたき
     明治節
山の学校けふはよき日の旗をあげ
もみづる山の家あれば旗日の旗
よい連れがあつて雑木もみぢやひよ鳥や
旗日の旗は立てて村はとかくおるすがち
村はるすがちの柿赤し
山みち暮れいそぐりんだう
こんなに草の実どこの草の実(改)
しぐるるあしあとをたどりゆく
トンネル吹きぬける風の葉がちる
しぐれてぬれて旅ごろもしぼつてはゆく
しぐれてぬれてまつかな柿もろた
しぐるるほどは波の音たかく
大魚籠ビクさかさまにしぐれてゐる
濡れてはたらくめうとなかよく
しぐれて人が海をみてゐる
 十一月四日 雨、風、行程六里、甲ノ浦、三福屋。

雨中出立、そして雨中行乞(今日、牟岐町で、初めて行乞らしく行乞した)、雨が本降りになった、風が強く吹きだした、――八坂八浜を行くのである、風雨のすきまから長汀曲浦を眺めつつ急ぐ、鯖大師堂に参詣する、風で笠を吹きとばされ、眼鏡もとんでしまって閉口していたら、通りがかりの小学生が拾ってくれた、ありがとうありがとう、雨いよいよしげく、風ますますすさぶ、奥鞆町で泊るより外なくなったが、どの宿屋でも泊めてくれない、ままよとばかり濡れ鼠のようになって歩きつづける、途中どうにもやりきれなくなり、道べりの倉庫の蔭で休んだ、着物をしぼったりお昼をたべたり、二時間ばかりは動けなかった。
どしゃぶり! まったくそうだった、そしてそれを吹きまくる烈風、雨が横さまに簾のようになってそそいだ、私は天からたたきつけられたように感じた、むしろ痛快だった。
暮れちかく宍喰町まで来たには来たが、また泊れない、ようやく甲ノ浦まで来て、ようやく泊めて貰うことが出来た、ありがたかった、よい宿でもあってうれしかった、同宿に気むつかしい病人がいていやだったが。
 宿のおばさんがお祭の御馳走のお裾分だといって、お鮨を一皿おせったいして下さった、おいしかった、私も今夜は二杯傾けた。……
     野宿いろ/\
波音おだやかな夢のふるさと
秋風こんやも星空のました
落葉しいて寝るよりほかない山のうつくしさ
生きの身のいのちかなしく月澄みわたる
     いつぞやの野宿を
わがいのちをはるもよろし
大空を仰げば月の澄みわたるなり
     留置郵便はうれしいありがたい
秋のたより一ト束おつかけてゐた
波音の松風の秋の雨かな
歩るくほかない秋の雨ふりつのる
 十一月五日 快晴、行程五里、佐喜浜、樫尾屋。

すっきり霽れあがって、昨日の時化は夢のように、四時に起きて六時立つ。
今日の道はよかった、すばらしかった(昨日の道もまた)。
山よ海よ空よと呼かけたいようだった。
波音、小鳥、水、何もかもありがたかった。太平洋と昇る日!
途中時々行乞。お遍路さんが日にまし数多くなってくる、よい墓地があり、よい橋があり、よい神社があり、よい岩石があった。……
おべんとうはとても景色のよいところでいただいた、松の木のかげで、散松葉の上で、石蕗の花の中で、大海を見おろして。
ごろごろ浜のごろごろ石、まるいまるい、波に磨かれ磨かれた石だ。
早いけれど、佐喜浜の素人宿ともいいたいような宿に泊った、浜はお祭、みんな騒いでいる、今夜も私は二杯傾けた!一室一人で一燈を独占した、おかげで日記をだいぶ整理することが出来た。行乞の功徳、昨日は銭四銭米四合、今日は銭二銭米五合、宿銭はどこでも木賃三十銭米五合代二十銭、米を持っていないと五十銭払わなければならない。行乞のむつかしさ、私はすっかり行乞の自信をなくしてしまった、行乞はつらいかな、やるせないかな。
(牟岐、長尾屋)
夜 菜葉、芋
   塩鰯
   唐辛佃煮
(甲ノ浦、三福屋)
  菜葉
  煮魚
  菜漬
朝 味噌汁
  ×唐辛佃煮
   菜漬
  味噌汁
 ×菜漬
  (×印をお弁当に入れる)

     (十一月五日、室戸岬へ)
   おほらかにおしよせて白波
     ごろごろ浜
   水もころころ山から海へ
     銃後風景
おぢいさんおばあさん炭を焼いてゐる
旅はほろほろ月が出た
旅のからだをぽりぽり掻いてゐる
病みて旅人いつもニンニクたべてゐる
     (室戸)
わだつみをまへにわがおべんたうまづしけれども
あらなみの石蕗の花ざかり
松はかたむいてあら波のくだけるまゝ
蔦がからまりもみづりて電信棒
われいまここに海の青さのかぎりなし
秋ふかく分け入るほどはあざみの花
墓二つ三つ大樟のかげ
落葉あたたかく噛みしめる御飯のひかり
いちにち物いはず波音
     野宿さま/″\
こんやはひとり波音につつまれて
食べて寝て月がさしいる岩穴
枯草ぬくう寝るとする蠅もきてゐる
月夜あかるい舟があつてそのなかで寝る
泊るところがないどかりと暮れた
すすき原まつぱだかになつて虱をとる
かうまでよりすがる蠅をうたうとするか
水あり飲めばおいしく洗ふによろしく
波音そのかみの悲劇のあと
     太平洋に面して
   ぼうぼううちよせてわれをうつ
現実直前の力。
 大地を踏みしめ踏みしめて歩け!

 十一月六日 曇、時雨、晴、行程六里、室戸町、原屋。

朝すこしばかりしぐれた、七時出立、行乞二時間、銭四銭米四合あまり功徳を戴いた、行乞相は悪くなかったと思う、海ぞいに室戸岬へいそぐ、途上、奇岩怪石がしばしば足をとどめさせる、椎名隧道は額画のようであった、そこで飯行李を開く、私もまた額画の一部分となった訳である。
室戸岬の突端に立ったのは三時頃であったろう、室戸岬は真に大観である、限りなき大空、果しなき大洋、雑木山、大小の岩石、なんぼ眺めても飽かない、眺めれば眺めるほどその大きさが解ってくる、……ここにも大師の行水池、苦行窟などがある、草刈婆さんがわざわざ亀の池まで連れて行ってくれたが亀はあらわれなかった、婆さん御苦労さま有難う。
山の上に第二十四番の札所東寺がある、堂塔はさほどでないが景勝第一を占めている、そこで、私は思いがけなく小犬に咬みつかれた、何でもないことだが寺の人々は心配したらしい、私はさっさと山を下った、私としてこれを機縁として、更に強く更に深く自己を反省しなければならない。
麓の津呂で泊るつもりだったけれど泊れなかった(断られたり、留守だったりして)、とうとう室戸の本町まで歩いて、やっと最後の宿のおかみさんに無理に泊めて貰った、もうとっぷり暮れていたのである。
片隅で無燈、一杯機嫌で早寝した(風呂があってよかった)。
    (十一月六日)“室戸岬”へ
波音しぐれて晴れた
あらうみとどろ稲は枯れてゐる
かくれたりあらはれたり岩と波と岩とのあそび
海鳴そぞろ別れて遠い人をおもふ
ゆふべは寒い猫の子鳴いて戻つた
あら海せまる蘭竹のみだれやう
     東寺
   うちぬけて秋ふかい山の波音
     土佐海岸
   松の木松の木としぐれてくる

 十一月七日 秋晴、行程四里、羽根泊(小松屋)。

早起、津寺拝登、行乞三時間、十時ごろからそろそろ西へ歩く――(銭十六銭米八合)。
途中、西寺遥拝(すみません)、不動岩の裏で、太平洋を眺めながら、すこし早いが、お弁当を食べる、容樹アコウの葉を数枚摘む。
松原がつづく、海も空も日本晴、秋――日本の秋、道そいの畑には豌豆がだいぶ伸びている、浜おもとがよく茂っている、南国らしい、今日は数人のおへんろさんと行き逢ったが、紅白粉をつけた尼さんは珍らしかった、何だか道化役者めいていた、このあたりには薄化粧した女はめったに見あたらないのに。
喜良川の松原で、行きずりの老遍路夫婦と暫らく話した、何となしに考えさせられる事実である、三里あまり歩いて来て、羽根、その街はずれの宿――屋号が書き出してない――家に泊った、木賃宿としては新らしい造作で、待遇も悪くない、部屋も井戸端も風呂も、そして便所も広々として明るくて、うれしかった、なかなかよい宿であった。
今日は三時前の早泊り、先夜昨夜に懲りたから。
清流まで出かけて、肌着や腰巻を洗濯する、顔も手も足も洗い清めた、いわば旅の禊である、こらえきれなくて一杯ひっかける、高いと思うたけれど、漬物を貰い新聞(幾日ぶりか!)を読ましてくれたから、やっぱり高くはなかった、明日は明日の風が吹こう、今日は今日の風に任せる、……好日好事だった、ありがたしありがたし。
夜はおそくまで執筆(一室一人一燈のよさだ)、昨夜をとりかえしたような気がした。
先日から地下足袋が破れて、そのために左の足を痛めて困っていたところ、運よくゴム長靴の一方が捨ててあるのを見つけた、それを裂いて足袋底に代用したので助かった、――求むるものは与えらるということ、必要は発明の母という語句を思いだしたことである。
寒い地方の人がまろい、いいかえると、温かい地方の人間は人柄がよくない、お修行しても寒いところの方がよく貰えると或る修行遍路さんが話した、一面の道理があるようだ。
行乞していると、今更のように出征の標札――その種類はいろいろある、地方によって時節によって異るが――その標札が多いのに気がつく、三枚も並べてあるのにはおのずから頭がさがる。……
   安宿では――木賃宿では――遍路宿では――
□一人一隅、そこに陣取って、それぞれの荷物を始末する。
□めいめいのおはちを枕許に(人々の御飯)。
□一室数人一鉢数人一燈数人。
□安宿で困るのは、便所のきたなさ、食器のきたなさ、夜具のきたなさ、虱ムシのきたなさ、等々であろう。
○安宿に泊る人はたいがい真裸(大部分はそうである)である、虱がとりつくのを避けるためである、夏はともかく冬はその道の修行が積んでいないとなかなかである(もっとも九州の或る地方のようにそういう慣習があるところの人々は別として)。
(夕食)
 莢豆と芋との煮付
 南瓜の煮付
 大根浅漬
(朝食)
 味噌汁二杯
 大根漬
  御飯もお茶もたっぷり  たっぷり

    犬二題
□四国の犬で遍路に吠えたてるとは認識不足だ、犬の敵性。
□昨日は犬に咬みつかれて考えさせられ、今日は犬になつかれて困った、どちらも似たような茶色の小犬だったが。
□“しぐるるや犬と向き合つてゐる”

 四国をまわっていて、気のつくのは空家が多いことである、ベタベタビラを張られた空家が見すぼらしく沿道に立ちならんでいる!
阿波の着倒れ、土佐の食い倒れ、というそうな。
阿波では飲食店、土佐では酒を売る店が多すぎる!
土佐は南国暖国、秋のおわりに、豆苗が伸び、胡瓜がたくさんぶらさがっている、よい国だ。
今度、四国を巡遊して、道路がよくなっていることを感じたが、橋梁が至るところに新らしく美しいのを観た。
米が二度出来るのは安芸郡――この地方である、伊尾木は殊に温暖で収穫も多いらしい。

     (十一月七日)
草の実こんなにどこの草の実
ここで泊らう草の実払ふ
牛は花野につながれておのれの円をゑがく
     途上即事
ついてくる犬よおまへも宿なしか
石ころそのまま墓にしてある松のよろしさ
旅で果てることもほんに秋空
ほろほろほろびゆくわたくしの秋
一握の米をいただきいただいてまいにちの旅
 “自適集”

 十一月八日 晴――曇、行乞六里、伊尾木橋畔、日の出屋で。

五時前に眼が覚めた、満天の星のひかりである、家人の起きるまで読んだり書いたりする。
ゆっくりして七時すぎてから立つ、ところどころ行乞、羽根附近の海岸風景もわるくない。
奈半利貯木場、巨材が積み重ねてある、見事なものだ、奈半利町行乞、町に活気がないだけそれだけ功徳も少なかった、土佐日記那波の泊の史蹟である。
奈半利川を渡ると田野町、浜口雄幸先生の邸宅があると標札が出ている、それから安田町、神の峯遥拝、恥じないではいられない、大山岬、狭いけれどよい風光である、澄太君を考えたのは自然であろう。
四時頃、都合よく伊尾木で宿につけた、同宿は同行一人、おばさんはよい人柄である、風呂も沸かしてもらえた、今日こそはアルコールなし、宿に米一升渡して、不足十二銭払ったら、剰すところ銭九銭米二合だけなり。
今日の功徳は米六合と銭六銭だった、よく食べよく寝た、終夜水声。
同行さんから、餅やら蜜柑やらお菜やら頂戴した、感謝々々。
     (十一月八日)
木の実おちてゐる拾ふべし
あとになりさきになりおへんろさんのたれかれ
     (野食)
秋あたたかく蠅も蚊もあつまつて
短日暮れかかる笈のおもさよ
脚のいたさも海は空は日本晴
秋もをはりの蠅となりはひあるく
仲がよくないぢいさんばあさん夜が長く
 十一月九日 曇――雨、行程三里、和食松原、恵比須屋。

四時半起床、雲ってはいるが降ってはいない、助かった! という感じである、おばあさんが起きるまで日記をつける、散歩する、身心平静、近来にないおちつき、七時前出発、橋を二つ渡るとすぐ安芸町、午前中行乞、かなり長い街筋である、行乞しおえると雨になった、雨中を三里あまり歩いて和食町、教えられた宿――町はずれの、松林の中のゑびすやにおちつく、ほんによい宿であった、きれいでしんせつでしずかで、そしてまじめで、――名勝、和食の松原、名産、和食笠。
夕方、はだしで五丁も十丁も出かけて、一杯ひっかけて(何といううまさ!)、ずぶぬれになった、御苦労々々々。
晩食後、同宿の行商老人と共に宿の主人から轟神社の神事について聞かされた、どこでもたれでもお国自慢は旅の好話題というべしである。
今日は大降りだった、とある路傍のお宮で雨やどりしていると田舎のおかみさん二人もやってきた、その会話がおもしろい、言葉がよく解らないけれど、腰巻の話、おやじの話、息子の話。
今日の功徳はめずらしくも、銭二十八銭、米九合余。
(夕食)
菜葉おひたし
そうめん
梅ショウガ
(朝食)
 そうめん汁
 いりこ
 梅干
 米一升渡 内五合は飯 不足金 十三銭也

     (十一月九日)
水音明けてくる長い橋をわたる
朝の橋をわたるより乞ひはじめる
朝のひかりただよへばうたふもの
     高知へ
   日に日に近うなる松原つづく

 十一月十日 晴、朝寒、行程八里、高知山西。

――よう降った、夜明けまで降りつづいたが、朝はからりと晴れわたって、星がさえざえと光っていた、――助かったと思う、幸福々々(宿もよかった、ほとんど申分なかった)。
七時出立、松原がよろしい、お弁当のおもいのもうれしかった、赤岡町まで二里半、途中行乞(功徳は銭七銭米六合)。
午後はひたすら高知へ強行した、申訳ないけれど、第二十八番、第二十九番は遥拝で許していただく、風が出て来たが、ほどなく凪いで、のどかな小春日和になった、御免からは路面舗装、身も心も軽い、思いかけなく、電車から降りた母子の方から拾銭玉を頂戴した(この十銭が私を野宿から助けてくれた!)。
いそいだけれど暮れて高知着、まず郵便局で郵便物を受取った、いろいろ受取ったけれど、期待したものはなかった、がっかりした、お札所横の山西屋に泊る、名を売っているだけ客扱もよく客人も多い、おいしい御飯をたべ風呂に入って、ぐったり寝た、アルコールなし。
米八合渡して(内五合は飯米)不足金二十銭払った。
 
(夕食)
 焼魚
 菜葉ひたし
 沢庵漬

 さしみ
 蓮の煮付
 漬物
(朝食)
 味噌汁二杯
 削節
 たくあん二片

 味噌汁二椀
 菜葉の煮たの
 漬物
金がある時は金のない時を考えないけれど、金のない時は金のある時を考える、……私たちのようなものの痛いところだ。
かけだし夫婦はすぐ解る! と宿の人々がいう、なるほど、そうだで。

 落日いろいろ
   大洋、都市、田園、山中。

     (十一月十日)
墓地はしづかなおべんたうをひらく
梅干あざやかな飯粒ひかる
     行乞即事
あなもたいなやお手手のお米こぼれます
まぶしくもわが入る山に日も入つた
     高知城
お城晴れわたる蔦紅葉
銅像おごそか落つる葉もなく
     土佐路所見
   重荷おもけど人がひく犬がひく

 十一月十一日 晴、滞在。

七時――十二時、市内行乞(米四合、銭五十五銭)。
人さまざま世さまざま、同室四人、みなへんろさん、私もその一人。
身心のむなしさを感じる。
高知城観覧、その下でお弁当をひらく、虱をとる、帰宿して一杯、そして一浴、鬚を剃った、ぽかぽか――ぼうぼう。――

 十一月十二日 よき晴れ、滞在。

八時から十一時まで行乞、銭四十七銭米八合。
高知はやっぱり四国の都会、おせったいの意味で、みかん、かし、いも……をいただくことが多い、午後は曇る、降ったら困るな、一杯ひっかける!
夜は市街を散歩する、明日の行乞場所を視察しておく、歩いても歩いても何を視ても何を視てもなぐさまない。

 十一月十三日 晴、滞在。

晴れてありがたかった、へんろの旅には何よりもお天気がありがたい、うすら寒い。
八時――十一時行乞、いやでいやでたまらないけれど、食べて泊るほどいただくまで、――三時まで行乞、かろうじて銭三十四銭米五合、頂戴して帰る、一杯頂戴してほっとする。……
同宿同室一人ふえる、若い易者だ、なかなかのリクツヤらしい。
――銭一銭米一合残っているだけだ!
ひなたまぶしく飯ばかりの飯を
まぶしくしらみとりつくせない
老木倒れたるままのひかげ
     街のある日のあるところ
ハイヒールで葱ぶらさげて只今おかへり
今日の太陽がまづ城のてつぺん
道べり腰をおろして知らない顔ばかり
旅のほこりをうちはらふ草のげつそり枯れた
旅の旅路の何となくいそぐ
 十一月十四日 晴――曇、滞在。

寒くなつた、冬が近づいたなと思う、沈欝やりどころなし、澄太君からも緑平老からも、また無相さんからも、どうしてたよりがないのだろう、覚悟して――というよりも、あきらめて――ままよ一杯、また一杯。……
今日はよく辛棒した、七時――十一時、そしてまた十二時――二時、市内行乞、五十二銭の銭と八合の米を貰って帰って来た。
毎夜、御詠歌の稽古が熱心につづけられる、御詠歌というものはいろいろの派があるけれど、所詮はほろりとさせられるところにそのいのちがある。
銭はなくてもゆとりがある!

   いろ/\さま/″\
 木賃宿は、多くの人は御飯四合貰う(女は三合)、それを三度分にする人もあるし、二度で食べてしまう人も少くない、だいたい流浪者はお昼をぬかす二食が普通だ。
私は五合食べる、大食の方だが、いつも三度に食べるのだから(お弁当を持って出るので)、あたりまえかも知れない、もっとも四国の宿の御飯は他の地方のそれよりも正確で、量が多いことは間違はない。

高知で眼についた看板二三――
安めし、これは適切だ、安宿も適切(木賃宿は普通だが、簡易宿、経済宿はかえっておもしろくない)、かん安売、これはどうかと思う、かんは棺である。

 十一月十五日 秋晴、滞在。

早起、身心軽快、誰も愉快そうだ、私も愉快にならざるをえないではないか。
八時から十一時まで行乞、なぜだかいやでいやでたえがたくなって、河原に横ってお弁当を食べたり景色を観たりしても、気分がごまかせない、あちらこちらを無理に行乞して二時帰宿、一杯ひっかけた、財布に五銭、さんやに一合しかない、行こう行こう、明朝はどうでもこうでも出立しよう、絶食もよし、野宿もやむをえない、――放下着、こだわるな、こだわるな、とどこおりなく流れてゆく、――それが私の道ではないか!
今朝、同室のおへんろさん二人出立、西へ東へ、御機嫌よう、御縁があったらまた逢いましょう。
新客一人、野宿のお遍路さんらしい。
――水のように、雲のように。――
今日の功徳は銭三十三銭、米五合也、食べて泊って、そして一杯ひっかけて、煙草も買ったので、残るところは……心細いといえば心細い、その心細さで明日からは野に臥し山で寝なければならないだろう、三度の食事もあまりあてにはなるまい!

 十一月十六日 晴――曇、行程八里、越智町、野宿。

暗いうちに起きたが出発は七時ちかくなった、思いあきらめて松山へいそぐ、――高知では甲斐なくも滞在しすぎた、さよなら、若い易者さんよ、老同行よ、さよなら高知よ。
途中処々行乞、伊野町へ十一時着いて一時まで行乞(道中いそいだので老同行を追いぬいたのは恥ずかしかった、すまなかったと思う)、銭三十四銭米六合戴いた、仁淀川橋、土佐紙などが印象された。
とっぷり暮れて越智町に入ったが、どの宿屋でも断られ、一杯元気で製材所の倉庫にもぐりこんで寝る、犬に嗅ぎ出されて困った、ろくろく睡れなかった、鼠に米袋をかじられた、――絶食野宿はつらいものである。

 十一月十七日 曇――時雨、行程四里、川口在善根宿。

おもわず寝すごして、のこのこ出かけるところを家人に見つけられたらしいが、何ともいわれなかった、お世話になりました。
七時から十時まで越智町行乞、しぐれだしたがしぐれるままに行乞しつづけた(薯、餅、菓子、柿、密柑、――そのまま食べられるものが今朝はうれしかった、何しろ腹が空っては読経が出来ない!)、それから行けるところまで行く心がまえで。――
午後は晴れた、風景よろし(寺村橋より殊に)、しみじみ山と水とを観た。
川口行乞、伊野――越智――とつづいて行乞成績がよい、遍路街道でなく、そしてまた遍路も稀で、人情も信仰もあついものがある、今日の功徳は銭五十八銭米一升四合。
野宿覚悟で川口の街はずれをいそいでいると川土手の下から呼びとめられた、遍路さんお米を売ってくれないかとおかみさんがいうのである、そこへ下りて行くと家といえば家のような小屋が二軒ある、一升買ってくれた、しかも四十二銭で、――竹籠を編んでいた主人公が、よかったら泊って行きなさい野宿よりましだろう、という、渡りに船で泊めて貰う、板張、筵敷、さんたんたる住居である、そして夫婦のあたたかい心はどうだ!(茶碗も数が足らなく蒲団も掛一枚きりだった)子供六人! 猫三匹、鶏数羽、老人、牛。……
私はなけなしの財布から老人と主人とに酒を、妻君と子供に菓子を買ってあげて、まずしい、しかもおいしい夕飯をみんないっしょにいただいたことである。
労れて、酔うて、ぐっすり寝た、瀬音も耳につかなかった。

 十一月十八日 好晴、往復四里、おなじく。

山のよろしさ、水のよろしさ、人のよろしさ、主人に教えられて、二里ちかく奥にある池川町へ出かけて行乞、九時から十二時まで、いろいろの点で、よい町であった(行きちがう小学生がお辞儀する)。
行乞成績は銭七十九銭、米一升三合、もったいなかった(留守は多かったけれど、お通りは殆んどなかった、奥の町はよいかな)。
渓谷美、私の好きな山も水も存分に味った、野糞山糞、何と景色のよいこと! 三時には帰って来て、川で身心を清め、そして一杯すすった。
明けおそく暮れ早い山峡の第二夜が来た、今夜は瀬音が耳について、いつまでも睡れなかった。
宵月、そして星空、うつくしかった。
“谿谷美”“善根宿”“野宿”
行乞しつつ、無言ではあるが私のよびかける言葉の一節、或る日或る家で――
“おかみさんよ、足を洗うよりも心を洗いなさい、石敷を拭くよりも心を拭きなさい”
“顔をうつくしくするよりもまず心をうつくしくしなさい”
     (十一月十六日)(十一月十七日)(十一月十八日)
   あなたの好きな山茶花の散つては咲く(或る友に)
     野宿
わが手わが足われにあたたかく寝る
夜の長さ夜どほし犬にほえられて
寝ても覚めても夜が長い瀬の音

橋があると家がある崖の蔦紅葉
山のするどさそこに昼月をおく
びつしり唐黍ほしならべゆたかなかまへ
岩ばしる水がたたへて青さ禊する
山のしづけさはわが息くさく
 十一月十九日 秋晴、行程七里。

落出の街はずれ大野大師堂でお通夜、ゆっくりして八時出立、それではどなたもごきげんよう、たいへんお世話になりました。……
昨日の道よりも今日の道、山と水とがますますうつくしくなる、引地橋ほとりの眺望もよい、猿橋のほとりも(その街を十時から十一時まで行乞)、仁淀渓谷。
秋の日は傾いたが、舟戸で泊れない、県界――両国橋――を越えていそぐ、西の谷でも泊れない、落出に来たが泊れない(宿屋という宿屋ではみな断られた、遍路はいっさい泊めないらしい)、詮方なしに一杯かたむける、その店の人に教えられて、街はずれの丘の上にある大師堂でお通夜した、戸があり茣蓙があって、なかなかよかった、お弁当の残りを食べ、飴玉をしゃぶりつつ、いつとなく眠った、夜もすがら渓声。
宵のうちはアルコールの力で熟睡するが、明け方には眼が覚めて、夜の長いこと長いこと、水音たえずして、そしてしずけさ、さびしさ、昨夜のにぎやかで、うるさかったのにくらべて、この寒さ、とにかく、この二三日は今まで知らないものを知った。

 十一月二十日 晴、好晴、行程六里、久万町、札所下、とみや。

やっと夜が明けはじめた、いちめんの霧である、寒い寒い、手足が冷える(さすがに土佐は温かく伊予は寒いと思う)、瀬の音が高い、霧がうすらぐにつれて前面の山のよさがあらわれる、すぐそばの桜紅葉がほろほろ散りしく、焼香読経、冥想黙祷。
そこへ村の信心老人――この堂の世話人らしい――が詣でで来て、何かと聞かされた、遍路にもいろいろあって、めったにはここに泊められないこと、お賽銭を盗んだり何かして困ること、幸にして私の正しさは認めて貰った。
寒いけれど(川風が吹くので)八時から一時間ばかり行乞(銭二十八銭、米四合、途中も行乞しつつ)、それから久万へ、成川の流れ、山々の雑木紅葉、歩々の美観、路傍の家のおばあさんからふかし薯をたくさん頂戴した、さっそく朝食として半分、またの半分は昼食として、うまかった、うれしかった。
三里ちかく来ると御三戸橋ミミトバシ、ここから面河渓へ入る道が分れている、そこの巨大なる夫婦岩は奥地の風景の尋常でなかろうことを思わせるに十分である、私はひたむきに久万へ――松山へといそいだ。
山がひらけるともう久万町だった、まだ日は落ちなかった、札所下の宿に泊ることが出来た、おばあさんなかなかの上手者、よい宿である、広くて深切で、そして。――
五日ぶりの宿、五日ぶりの風呂!(よい宿のよい風呂)
街まで出かけて、ちゃんぽんで二杯ひっかけた、甘露々々、そして極楽々々(宿へは米五合銭三十銭渡して安心)。
同宿十数人、同室の同行(修行遍路)から田舎餅を御馳走になった、何ともいえない味だった、ありがとう。
半夜熟睡、半夜執筆、今夜は夜の長いのも苦にならない。

(夕)
 ぬた
 大根おろし
 菜葉汁
 漬物
(朝)
 味噌汁
 豆の煮たの
 煮〆
 漬物
 (めずらしく精進料理) (川口在) 黒味噌(赤にあらず)

田舎には山羊を飼養している家が多い。
山羊は一匹つながれて、おとなしく、さびしく草を食べたり鳴いたり、――何だか私も山羊のような!

     (十一月二十日)(十一月十九日も)
つつましくも山畑三椏ミツマタ咲きそろひ
岩が大きな岩がいちめんの蔦紅葉
なんとまつかにもみづりて何の木
銀杏ちるちる山羊はかなしげに
水はみな瀧となり秋ふかし
ほんに小春のあたたかいてふてふ
雑木紅葉を掃きよせて焚く
     野宿
   つめたう覚めてまぶしくも山は雑木紅葉

 十一月二十一日

早起、すぐ上の四十四番に拝登する、老杉しんしんとして霧がふかい、よいお寺である。
同宿の同行から餅を御馳走になったので、お賽銭を少々あげたら、また餅を頂戴した、田舎餅はうまい、近来にないおせったいであった、宿のおばさんからも月々の慣例として一銭いただいた。八時から九時まで久万町行乞、銭十三銭米二合、霧の中を二里ちかく歩いてゆくと三坂峠、手足の不自由な同行と道連れになり、ゆっくり歩く(鶏を拾った話はおかしかった)、遍路みちはあまり人通りがないと見えて落葉がふかい、桜の老木が枯れて立っている、椋の大樹がそそり立っている、峠が下りになったところでならんでお弁当を食べてから別れる、御機嫌よう。
山が山に樹が樹に紅葉をひろげてうつくしさったらない、いそいで四十六番参拝、長い橋を渡って、森松駅から汽車で松山へ、立花駅から藤岡さんの宅へとびこんだのは六時頃だったろう、ほっと安心する。
人のなさけにほごれて旅のつかれが一時に出た、ほろ酔きげんで道後温泉にひたる、理髪したので一層のうのうする、緑平老のおせったいで、坊ちゃんというおでんやで高等学校の学生さんを相手に酔いつぶれた! それでも帰ることは帰って来た!
奥さん、たいへんお手数をかけました、……のんべいのあさましさを味う、……友情のありがたさを味う。
     大宝寺
朝まゐりはわたくし一人の銀杏ちりしく
お山は霧のしんしん大杉そそり立つ
     へんろ宿
お客もあつたりなかつたりコスモス枯れ/″\
霧の中から霧の中へ人かげ
雑木紅葉のかゞやくところでおべんたう
秋風あるいてもあるいても
  蓮月尼 宿かさぬ人のつらさをなさけにて朧月夜の花の下臥

 十一月二十二日――二十六日 藤岡さんの宅にて。

ぼうぼうとして飲んだり食べたり寝たり起きたり。
   晴れたり曇つたり酔うたり覚めたり秋はゆく

 十一月二十七日 曇――晴、道後湯町、ちくぜんや。

朝酒をよばれて、しばらくのおわかれをする、へんろとなって道後へ、方々の宿で断られ、やっとこの宿におちつかせてもらう。
洗濯、裁縫、執筆、読書、いそがしいいそがしい。

 十一月二十八日――十二月二日

酔生夢死とはこんなにしていることだろうと思った、何も記す事がない、強いて記せば――
三十日、高商に高橋さんを訪ねて久々で逢えた事、その夜来て下さって宿銭を保証して小遣を下さった事。
しみじみ自分の無能を考えさせられた日夜がつづいたことである!

 十二月三日 晴。

気分ややかろし、第五十七回の誕生日、自祝も自弔もあったものじゃない! 同室の青年に話していると、高橋さん来訪、同道して藤岡さん往訪。
招かれて、夕方から高橋さんを訪う、令弟(茂夫さん)戦死し遺骨に回向する、生々死々去々来々、それでよろしいと思う。
十時ごろ帰宿、酒がこころよくまわらないので、そしていろいろさまざまのことが考えられるので、いつまでもねつかれなかった。
     或る日
   なんとあたたかなしらみをとる
     十二月三日夜、一洵居、戦死せる高市茂夫氏の遺骨にぬかづいて
供へまつる柿よ林檎よさんらんたり
なむあみだぶつなむあみだぶつみあかしまたたく
蝋涙いつとなく長い秋も更けて
わかれていそぐ足音さむざむ
ひなたしみじみ石ころのやうに
さかのぼる秋ふかい水が渡れない
     或る老人
   ひなたぢつとして生きぬいてきたといつたやうな

 十二月四日 曇。

早起入浴、読んだり書いたりする。
西へ東へ、或は南へ北へ、さようなら、ごきげんよう。
昼飯をたべてから歩いて――電車賃もないので――市庁のホールへ、そこで茂夫さんの市葬が営まれた、護国居士、私はひたむきにぬかずく、歩いて五時帰宿、涙ぐましい一日だった。
     土と兵隊
   穂すすきひかるわれらはたたかふ

 十二月五日 好晴。

何となく身心不調、……何かなしにさびしい。
終日終夜黙々不動。
きのうもきょうもアルコールなし。
省みて恥じ入る外なし。

 十二月六日 晴。

つめたい、霜がうっすら降っている(松山市内では初氷が張ったそうな)、冬も本格的になってきた。
頭痛、何もかも重苦しいように感じる。
朝食をすましてすぐ出かける、高橋さんの奥さんから少し借りる、局に藤岡さんを訪ねる、出張不在、一杯ひっかけて帰宿、入浴、臥床、妄想はてなし!
夜、高橋さん来訪、その人にうたれる、私は――私は、――ああああ――と長大息するのみ。
今夜も不眠、いたずらに後悔しつづける。

 十二月七日 小春日和。

朝の一浴、そして一杯、ほんに小春だ!
身辺整理、洗え洗え、捨てろ捨てろ。
午後は近郊散策、道後グラウンドは荒廃している、常信寺はなかなかよい。
夕方、高橋さんを訪ね、同道して義安寺へ参拝、高商の坐禅会に参加する。
帰宿してまた一杯、また、……同宿同室は老人ばかり、しずかでさびしかった。

 十二月八日 曇――晴。

無能無力、無銭無悩。……
  ……………………………
   ………………………………

 十二月九日 晴。

――山頭火はなまけもの也、わがままもの也、きまぐれもの也、虫に似たり、草の如し。
午後近在散歩。

 十二月十日

おなじような日がまた一日過ぎていった。

 十二月十一日 晴。

高橋さんを訪う、同道して貸部屋探し、見つからない、途中、二神さんを訪う、初めて房子さんに会う。
高橋さんから小遣を頂戴したので一、二杯ひっかける。

 十二月十二日 十三日

十二日の未明、臨検があっただけ。
………………………

 十二月十四日 晴。

藤岡さんを局に訪ねて郵便物をうけとる、いずれもうれしいたよりであるが、とりわけ健からのはうれしかった、さっそく飲む、食べる、――久しぶりに酔っぱらった。
夕方帰宿すると、留守に高橋さんが来訪されたそうである、新居の吉報を齎らして、――すみませんでした。
ぐっすり寝る、夢も悔もなし、こんとんとしてぼうぼうばくばくなり

 十二月十五日 晴。

昨日の飲みすぎ食べすぎがたたっている、朝酒数杯でごまかす。
午前、高橋さん来訪、厚情に甘えて、新居へ移った、御幸山麓、御幸寺の隠宅のような家屋、私には過ぎている、勿体ないような気がする。
高橋さんがいろいろさまざまの物を持って来て下さる、すなおに受ける、ほんとうに感謝の言葉もない、蒲団、机、火鉢、鍋、七輪、バケツ、茶椀、箸、そして米、醤油、塩。
昼食は街のおでんやで、夕食は高橋さんの宅で。――
夜は高橋さんに連れられて安井さんを訪ねた、あるだけの酒をよばれる、揮毫したり、俳談したり、絵を観せてもらったりしているうちに、いつしか十時近くなったのでいそいで帰る、練兵場を横ぎりそこなって、うろうろしたけれど、さわりなく帰れた、そしてすぐ寝た。
  ………………………………………
(ここで私は宿の妻君に改めて感謝しなければならない、まことによい宿であった、よい妻君であった、私はとうとう二十日近くも滞在してしまった事情がそうさせたのであるが、宿がよくなかったならば、私はどこかへとびだしたであろう)。
四国巡拝中の遍路宿で、もっとも居心地のよい宿と思う(もっとも木賃料は四十銭で、他地方よりも十銭高いけれど、道後の宿一般がそうなのである、それでも一日三食たべて六十五銭乃至七十銭)。
夜の敷布上掛はいつも白々と洗濯してある、居間も便所も掃除が行き届いている、食事もよい、魚類、野菜、味噌汁、漬物、どれも料理が上手でたっぷりある、亭主は好人物にすぎないらしいが、妻君は口も八丁、手も八丁、なかなかの遣手だった。

 十二月十五日 晴(重複するけれど改めて記述する)

とうとうその日――今日が来た、私はまさに転一歩するのである、そして新一歩しなければならないのである。
一洵君に連れられて新居へ移って来た、御幸山麓御幸寺境内の隠宅である、高台で閑静で、家屋も土地も清らかである、山の景観も市街や山野の遠望も佳い。
京間の六畳一室四畳半一室、厨房も便所もほどよくしてある、水は前の方十間ばかりのところに汲揚ポンプがある、水質は悪くない、焚物は裏山から勝手に採るがよろしい、東々北向だから、まともに太陽が昇る(この頃は右に偏っているが)、月見には申分なかろう。
東隣は新築の護国神社、西隣は古刹龍泰寺、松山銀座へ七丁位、道後温泉へは数町。
知人としては真摯と温和とで心からいたわって下さる一洵君、物事を苦にしないで何かと庇護して下さる藤君、等々、そして君らの夫人。
すべての点に於て、私の分には過ぎたる栖家である、私は感泣して、すなおにつつましく私の寝床をここにこしらえた。
夕飯は一洵君の宅で頂戴し、それから同道して隣接の月村画伯を訪ね、おそくまで話し興じた。
新居第一夜のねむりはやすらかだった。
 新“風来居”の記
 “無事心頭情自寂
  無心事上境都如”(自警偈)
 十二月十六日 (晴)

高橋さんの内へ行たり高橋さんが来たりで。……


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