室生 犀星
 小景異情

 その一

白魚はさびしや
そのくろき瞳はなんといふ
なんといふしをらしさぞよ
そとにひる餉をしたたむる
わがよそよそしさと
かなしさと
ききともなきや
雀しばし啼くけり

 その二

ふるさとは
遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて
異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

 その三

銀の時計をうしなへる
こころかなしや
ちょろちょろ川の橋の上
橋にもたれて泣いてをり

 その四

わが霊のなかより
緑もえいで
なにごとしなけれど
懺悔の涙せきあぐる
しづかに土を掘りいでて
ざんげの涙せきあぐる

 その五

なににこがれて書くうたぞ
一時にひらくうめすもも
すももの蒼さ身にあびて
田舎暮しのやすらかさ
けふも母ぢゃに叱られて
すもものしたに身をよせぬ

 その六

あんずよ
花着け
地ぞ早に輝け
あんずよ燃えよ
ああ あんずよ花着け


 旅途

旅にいづることにより
ひとみあかるくひらかれ
手に青き洋紙は提げられたり
ふるさとにあれど
安きを得ず
ながるるごとく旅に出づ
麦は雪のなかより萌え出で
そのみどりは磨げるがごとし
窓よりうれしげにさしのべし
わが魚のごとき手に雪はしたしや


 京都にて

にほやかに恋ひぬれど
さめゆくものはつめたかり

わが心は哀憐にみちわたり
もののそよぎに泪おちむとす

雪の青きを手にとれば
雪は哀しくなじみまつはる

かばかりふかき哀憐のもよほしに
いまぞ涙ことごとく流れもいでよ


 流離

わが朝のすずしきこころに
あざやかなる芽生のうすみどり
にがかれど
うれしや沁みきたる
こよなきいそしみをもて
青くしつかなる洋紙をこそのべにけれ
そは巡礼のうたごゑをきくごとき
わがきさらぎの哀調にして
わかれむとするふるき都に
とどまりもえぬ心なり
ああ よく晴れあがりし空のもと
わが旅のをはりにや
小鳥すくみごゑして消えもゆくなり


 木の芽

麦のみどりをついと出て
ついともどれば雪がふり
冬のながさの草雲雀
あくびをすれば
木の芽吹く


祇園

祇園の夜のともしびに
青き魚さへ泳ぎ出づ
青き魚さへをどるにや
加茂川べりのあたたかさ
いひもたべずにわがうたふ


夏の朝


なにといふ虫かしらねど
時計の玻璃のつめたきに這ひのぼり
つうつうと啼く
ものいへぬむしけらものの悲しさに


 寺の庭

つち澄みうるほひ
石蕗つはの花咲き
あはれ知るわが育ちに
鐘の鳴る寺の庭


 旅上

旅にいづらば
はろばろと心うれしきもの
旅にいづらば
都のつかれ、めざめ行かむと
緑を見つむるごとく唯信ず
よしやはれて旅すこころなりとも
知らぬ地上に印す
あらたなる草木とゆめと唯信ず
神とけものと
人間の道かぎりなければ
ただ深く信じていそぐなりけり


 三月

うすければ青くぎんいろに
さくらも紅く咲くなみに
三月こな雪ふりしきる

雪かきよせて手にとれば
手にとるひまに消えにけり
なにを哀しと言ひうるものぞ
君が朱なるてぶくろに
雪もうすらにとけゆけり


 足羽川

あひ逢はずよとせとなり
あすは川みどりこよなく濃ゆし
をさなかりし桜ものびあがり
うれしやわが手にそひきたる

わがそのかみに踏みも見し
この土手の芝とうすみどり
いまふゆ枯れはてていろ哀しかり

われながき旅よりかへり
いま足羽川のほとりに立つことの
なにぞやおろかにも涙ぐまるは


 ふるさと

雪あたたかくとけにけり
しとしとしとと融けゆけり
ひとりつつしみふかく
やはらかく
木の芽に息をふきかけり
もえよ
木の芽のうすみどり
もえよ
木の芽のうすみどり


 犀川

うつくしき川は流れたり
そのほとりに我は住みぬ
春は春、なつはなつの
花つける堤に座りて
こまやけき本のなさけと愛とを知りぬ
いまもその川ながれ
美しき微風ととも
蒼き波たたへたり


 みやこへ

こひしや東京浅草夜のあかり
けさから飯もたべずに
青い顔してわがうたふ

わがうたごゑの消えゆけば
うたひつかれて死にしもの

けふは浜べもうすぐもり
ぴよろかもめの啼きいづる


 寂しき春

したたり止まぬ日のひかり
うつうつまはる水ぐるま
あをぞらに
越後の山も見ゆるぞ
さびしいぞ
一日いちにちもの言はず
野にいでてあゆめば
菜種のはなは波をつくりて
いまははや
しんにさびしいぞ


 利根の砂山

風吹きいでてうちけむる
利根の砂山、利根の砂山
赤城おろしはひゆうひゆうたり
ひゆうたる風のなかなれば
土筆は土の中に伸ぶ
なにに哀しみ立てる利根の砂山
よしや、すてツきをもて
君が名をつづるとも
赤城おろしはひゆうとして
たちまちにして消しゆきぬ


 氷の扉

たちまちに雪光る山なれ
たちまち鳴りてはくもる山なれ
四方よもの氷の扉ひらかれ
いつさいは萌えむとす
この国の草草のなよらかならむことの
けふはしきりに祈らる
この国の草草と
人人の心ごころに
よきめぐみのあらむことの
ああ しきりにけふは祈らる


 桜と雲雀


雲雀ひねもす
うつらうつらと啼けり
うららかに声は桜にむすびつき
桜すんすん伸びゆけり
桜よ
がしんじつを感ぜよ
らんまんとそそぐ日光にひろがれ
あたたかく楽しき春の
春の世界にひろがれ


 土筆

旅人なればこそ
小柴がくれに茜さす
いとしき嫁菜つくつくし
摘まんとしつつ
吐息つく
まだ春浅くして
あたま哀しきつくつくし
指はいためど 一心に土を掘る


 前橋公園

すゐすゐたる桜なり
伸びて四月をゆめむ桜なり
すべては水のひびきなり
四阿屋の枯れ芝は哀しかれども
花園になんの種子なりしぞ
しきりに芽吹き
きそよりもなほ萌えづるげ
街のをとめの素足光らし
風に砥がれて光るさくらなり


 かもめ

かもめかもめ
去りゆくかもめ
かくもさみしく口ずさみ
渚はてなくつたひゆく

かもめかもめ
入日のかたにぬれそぼち
ぴよろとなくはかもめどり
あはれみやこをのがれきて
海のなぎさをつたひゆく


 海浜独唱

ひとりあつき涙をたれ
海のなぎさにうづくまる
なにゆゑの涙ぞ青き波のむれ
よせきたりわが額をぬらす
みよや濡れたる砂にうつり出づ
わがみじめなる影をいだき去り
抱きさる波、波、哀しき波
このながき渚にあるはわれひとり
ああわれのみひとり
海の青きに流れ入るごとし


 蛇

蛇をながむるこころ蛇になる
ぎんいろの鋭き蛇になる
どくだみの花あをじろく
くされたる噴井の匂ひ蛇になる
君をおもへば君がゆび
するするすると蛇になる


 新曲

あめつちの垂りぬ 垂り穂は


 砂山の雨

砂山に雨の消えゆく音
草もしんしん
海もしんしん
こまやかなる夏のおもひも
わがみなうちにかすかなり
草にふるれば草はまさをに
雨にふるれば雨もまさをなり
砂山に埋め去るものは君が名か
かひなく過ぐる夏のおもひか
いそ草むらはうれひの巣
かもめのたまご孵らずして
あかるき中にくさりけり


 魚とその哀歓

うかびくるはかの蒼き魚
しづかなる燐光とその哀歓との
かくてもわがこころを去りえず
やはらかく伸びむとする梢には
わが魚はまた泳ぎそめたり
その肌に指ふれむとすれば
指はこころよく
小さき魚のごとし


 赤櫨

金縞の蜂のひとつは
針のにぶりを磨げりしが
草を痛めて去りゆけり
金のラインを空とほく引ずりて


 二部

 時無草

秋のひかりにみどりぐむ
ときなし草は摘みもたまふな
やさしく日南にのびてゆくみどり
そのゆめもつめたく
ひかりは水のほとりにしづみたり
ともよ ひそかにみどりぐむ
ときなし草はあはれ深ければ
そのしろき指もふれたまふな


 永日

野にあるときもわれひとり
ひとり、たましひふかく抱きしめ
こごゑにいのり燃えたちぬ
けふのはげしき身のふるへ
麦もみどりを震はせおそるるか
われはやさしくありぬれど
わがこしかたのくらさより
さいはひどもの遁がれゆく
のがるるものをふなかれ
ひたひを割られ
血みどろにをののけど
たふとや、われの生けること
なみだしんしん涌くごとし


 秋の日

つかの間に消え去りし
つかの間に消え去りしは
あきつのかげにあらざるか

ぐらすのごとき秋の日に
かげうち過ぐるもの
わが君のかげにあらざるか

とほき床屋のぎん鋏
波を越えくるかげなるか
あらずおんみのひとみより
わが眼うれひてかげを見る


 小曲

逢へぬこのごろ
秋はバツタのほねに沁みにけむ
手にとりみればちからなく
銀の片脛折らしたり


 小曲

まなこつむりてすみやかに
君をねんじて十字をきれば
熱きもの
ひとすぢのけぶりとなりて
真青の竹をのぼりゆく


 月草

秋はしづかに手をあげ
秋はしづかに歩みくる
かれんなる月草の藍をうち分け
つめたきものをふりそそぐ
われは青草に座りて
かなたに白き君を見る


 しら雲

かのしら雲を呼ばむとするもの
まことにかぞふるべからず
飛べるものは石となりしか
さびしさに啼き立つる
ゆふぐれの鳥となりしか


 十一月初旬

あはあはしきしぐれなるかな
かたかは町の坂みちのぼり
あかるみし空はとながむれば
はやも片町あたり
しぐれけぶりぬ


 十一月初旬

なめくぢは樹に凍え
樹は二つに裂けぬ
はや冬のこしなり
海なりは空を行く


 くらげ

秋なれば
くらげ渚に
うちあげられ
玻璃のごとくなりて死す


 霜

総て枯るるものは枯れたり
うつくしく
まはだかに
やがて霜に祈らん


 樹をのぼる蛇

われは見たり
木をよぢのぼりゆく蛇を見たり
世にさびしき姿を見たり
空にかもいたらんとする蛇なるか

木は微かにうごき
風もなき白昼


 あらし来る前

さらさらと秋はながれゆく
草のに 水の
ええてるは銀の羽虫となり
きららめきつつ
飛びかよふ
震へる木ぬれを眺むれば
あらしは今遠方にありて
次第に近よらむとするごとし

くさむらのあたり
あらしの前のそよ風起り
空すこしく
やや動く


 磧

ここの柴草なみに
もみづる もみづる
あきつを染め
空とぶあきつのむれを染め
山山のみねの上
ちらちら雪を染め
かなし秋を終らしぬ


 松林のなかに座す

海のしづかはしら羽どり
秋のしづかはしら羽どり
しらはのとりのきえゆけば
松の林にうづくまり
松のみどりをかきむしりなじみたり

砂丘とほくつらなり
そのあひまより海の青い瞳は来る
海にかよひしはいつかわかねど
海におびえしたまをあづけあり


 砂丘の上

渚には蒼き波のむれ
かもめのごとくひるがへる
過ぎし日はうすあをく
海のかなたに死にうかぶ

おともなく砂丘の上にうづくまり
海のかなたを恋ひぬれて
ひとりただひとり
はるかにおもひつかれたり


 静かなる空

秋の日のかたむくかたに
土はおとなくしめり
たえまなく空とひたひに
なやみてつづく

ただながれもあへぬ秋の中
あをき梢はかわきゆき
われはおとなく
ねむりゆく
しづかなる空と土の上に


 水すまし

水すまし
水をすましてきえにけり
きえしまにあらはれ
わがたそがれをさびしうす
みなそこになにのちからぞ
ゆらぎてむせぶ水すまし
をすとめすとは離れずかさなりて
なさけもふかに過ぎもゆく
をすとめすとはかさなりて


 秋思

わがこのごろのうれひは
ふるさとの公園のくれがたを歩む
芝草はあつきびろうど
いろふかぶかと空もまがへり
われこの芝草に坐すときは
ひとの上のことをおもはず
まれに時計をこぬれにうちかけて
すいすい伸ぶる芝草に
ひとりごとしつつ秋をまつなり


 しぐれ

さむざむと大根畑に雨がふつてゐる
しぐれのあめが
ぬらしてゆく
そめてゆく遠くまで

みぞ萩たでの
草草にいたるまで
さむざむとしぐれに濡れる
微かなる音をたてて
寂しき十月


 哀章

抱き交しつつ
叫びつつ
日ごとに繁き光をはらむ
いや深く抱き交しつつ


 わかれ

芝生に霜の降りたり
そらは海なりをみなぎらす
もはや別れなり
くらくして寒い冬がくるぞよ


 雪くる前

凍みて痛めるごとく
はてしなく
こころ輝き
枯木のうへにひびきを起す
わが君とわかれて歩めば
あらはるとなく
消ゆるとなく
ふりつむ我が手の雪を
ああ 君は掻く


 朱き葉

枯木をゆすりその朱き葉を落す
そのもとにわれはさりえず

なみ立てる枯木は肌にしみてうつり
肌は青くも冷えたり

今しづかにしほらしき心立ち戻り
朱き葉をふどころに去らむとすれば
朱き葉はわが肌になじみえず


 山にゆきて

ふくらみて青める山
ひかり寂しき明眸の
山にもひそみ
こがれ、こがれわたるか
樹はみな精神こころにあつまり
あをき姿になじむ
ああ ゆめにはあらず
ありありと光さびしき明眸の
此処にしてなほ我をとらふる


 すて石に書きたる詩

神よ
彼女おもひあがりて
め鳩のごとく
小さき胸をいためてあらば
はや 逢ふときをすすめたまへ
その通ひくる路のべに
さく花あらば
つつがなく暖かき光のなかに
はれやかに咲かしめたまへ
ああ 血もて血をしたたむごとく


 秋の終り

君はいつも無口のつぐみどり
わかきそなたはつぐみどり
われひとりのみに
もの思はせて
いまごろはやすみいりしか
夜夜冷えまさり啼くむしは
わが身のあたり水を噴く
ああ その水さへも凍りて
ふたつに割れし石の音
あをあをと磧のあなたに起る
幾日逢はぬかしらねど
なんといふ恋ひしさぞ


 煙れる冬木

もみづる山に朱き日は入る
しづかなることわが眼はひとりかがやけり

手に触るれど冬木の幹は青からず
その指はただに冷えたり

さしのぼる煙のなか
消えむとするみじめなるわれなるか

はりがねのごとき草の鳴る中
そのうちにわれの消えゆく音あり


 大乗寺山にて

寂しきいのちまもれば
あはれうたごゑきこゆ
ここの山べの


 三部

 都に帰り来て

眠ることなかれ
つねに冴えたる瞳をもて
都会のはてをうち眺め
どよみの中に投げ入れよ

つつしみ深く流れ行け
みなぎる渾身の力をもて
あなたに現れ
あらぬ方に輝きつつ
輝ける街路のかたに
眼もくらやみ並木にすがり
みやこの海をわたり行け


 はつなつ

いよいよ青き世界となり
われものをまず終日は
みやこの街をさまよひぬ
みやこの街はかぎりなく
いよいよ悲し世界となり
いよいよ青き世界となり

なつはみどりのきぬ着けて
君のころもにきぬ着けて
いよいよ青き世界となり


 蝉頃

いづことしなく
しいいとせみの啼きけり
はや蝉頃となりしか
せみの子をとらへむとして
熱き夏の砂地をふみし子は
けふ いづこにありや
なつのあはれに
いのちみじかく
みやこの街の遠くより
空と屋根とのあなたより
しいいとせみのなきけり


 並木町

茫として
うつつを綴る
夜霧の並木町
ぬれて歩めば
ひややかに身は浮きあがる
輝ける巷のそらに
夜の並木に
ああ都にかへり来て
再びさまよひ疲れんとするか
燃えつつそそぐ
九月はじめの夜の霧


 銀製の乞食

坂を下りゆかむとするは銀製の乞食なり
乞食の手にいちめんに苔が生え
乞食の手にソオルは躍る

乞食の眼に触るるの林檎パインアツプルの類
もしくばカステイラ・ワツプルのたぐひ
それらは総て味覚を失ひ
ワツプルのごときは実に甚だしく憔悴す
乞食は祈り
乞食は求め
遠方へ遠方へ去る


 天の虫

松はしんたり
松のしん葉しんたり
すがたを見せぬ日ぐらしの
こゑを求めば
あらぬ方より
かなかなかなと寂しきものを
松のむら立つ
寺の松
梢をながめかなかなを求むれば
かなかなむしは天の虫
啼くとし見れば天上に
かなかなかなと寂しきものを


 上野ステエシヨン

トツプトツプと汽車は出てゆく
汽車はつくつく
あかり点くころ
北国きたぐにの雪をつもらせ
つかれて熱い息をつく汽車である
みやこやちまたに
遠い雪国の心をうつす
私はふみきりの橋のうへから
ゆきの匂ひをかいでゐる
浅草のあかりもみえる橋の上


 苗

なたまめの苗、きうりの苗
いんげん、さやまめの苗
わが友よ
あのあはれ深い呼びやうをして
ことし又た苗売りがやつて来た
あのこゑをきき
あの季節のかはり目を感じることは
なんといふ微妙な気になることだらう


 植物園にて

とらへがたきザボンの輝き
玻璃のうちより
匂はしき霧を吹きあぐる

ザボンよ
あをき梢にむすべ
はなるることはなく
ふかくしんじつに
なみだもて
葉の上に梢にむすべ
しかして真にかがやけ


 郊外にて

寂しい心を抱いて
ある日郊外の田甫路をあるけり
涼しい蔭つくる木のしたに
旅人のやうに憩ひ
旅人のやうに街の方を眺めて居たり
もはや暮れ方に近く
煙のぼるを見れば悲し
ここの都にそはぬ心を
つくづく思ひしづめり


 室生犀星氏

みやこのはてはかぎりなけれど
わがゆくみちはいんいんたり
やつれてひたひあをかれど
われはかの室生犀星なり
脳はくさりてときならぬ牡丹をつづり
あしもとはさだかならねど
みやこの午前
すてつきをもて生けるとしはなく
ねむりぐすりのねざめより
眼のゆくあなた緑けぶりぬと
午前をうれしみ辿り
うつとりとうつくしく
たとへばひとなみの生活をおくらむと
なみかぜ荒きかなたを歩むなり
されどもすでにああ四月となり
さくらしんじつに燃えれうらんたれど
れうらんの賑ひに交はらず
賑ひを怨ずることはなく唯うつとりと
すてつきをもて
つねにつねにただひとり
謹慎無二の坂の上
くだらむとするわれなり
ときにあしたより
とほくみやこのはてをさまよひ
ただひとりうつとりと
いき絶えむことを専念す
ああ四月となれど
桜を痛めまれなれどげにうすゆき降る
哀しみ深甚にして座られず
たちまちにしてかんげきす


 ある日

屋根裏より
手をさしのべてあはれコオヒイを呼ぶ


 坂

街かどにかかりしとき
坂の上にらんらんと日は落ちつつあり
円形のリズムはさかんなる廻転にうちつれ
樹は炎となる
つねにつねにカンワスを破り
つねにつねに悪酒に浸れるわが友は
わが熱したる身をかき抱き
ともに夕陽のリズムに聴きとらんとはせり
しんに夕の麺麭をもとめんに
もはや絶えてよしなければ
ただ総身はガラスのごとく透きとほり
らんらんとして落ちむとする日のなかに
喜びいさみつつ踊る
わが友よ
ただ聞け上野寛永寺の鐘のひびきも
いんいんたる炎なり
立ちて為すすべしなければ
ただ踊りつつ涙ぐむ炎なり
おろかなる再生を思慕することはなく
君はブラツシユをもて踊れ
われまづしき詩篇に火を放ち
踊り狂ひて死にゆかむ
さらにみよ
坂の上に転ろびつつ日はしづむ
そのごとく踊りつつ転ろびつつ
坂を上らむとするにあらずや


 坂

この坂をのぼらざるべからず
踊りつつ攀らざるべからず
すでに桜はしんじつを感じて
坂のふた側に佇ちつくせども
ひざんなる室ぬちにかへらねばならず
日としてわが霊
しほらしからざりしことはなけれど
ただ坂の上をおそる
いまわが室は寂として
かへらむとするわが前に
鼠を這はしめんとするか
ああわがみじめなる詩篇を携ち
悄として
されど踊りつつ坂をのぼらざるべからず
坂は谷中より根津に通じ
本郷より神田に及ぶ
さんとして
眼くらやむなかに坂はあり


 断章

さかづきを挙ぐれども
なんぞ寂しやみやこやちまたに


 道

パンを求めゆくの道なり
狂気にもなる道だ
電車と自働車とに埋るるの道なり
道は正直なり
人間が人間の
たましひの踏み潰されるところだ
太陽と月光との道であり
われと君との道であり
むしけらの道でもある
ときにふるさとの愛
あきらかに夏は
その道の上に落ちる
母と父と
愛の湧くところの道だ


 酒場

酒場にゆけば月が出る
犬のやうに悲しげに吼えてのむ
酒場にゆけば月が出る
酒にただれて魂もころげ出す


 街にて

引き摺られ
息窒まりつつ
きんきんと叫びを立て
さうらうとしてわれ歩ゆむ
しめやかに雨ふる街を眺め昂ぶり
凍みたる手を温めんとして
さうらうとしてわれ歩ゆむ
わが天鵞絨の服は泥をもて汚され
わが靴はかなしげに鳴り
れいらくの汚なき姿をうつす
雨そそぐ都の街の上を
髪むしりつつ
血みどろに惨として我あゆむ


 夏の国

夏は真蒼だ
まだ見もしらぬ国国の
夏はしんから真蒼だ
わが生れ
わが育てられたるの国
加賀のくに金沢の市街まち
ゆうゆうと流るる犀の川
川なみなみに充ち
するどく魚ははしる
ああ その岸辺に
をみなごの友もゐる
けふ東京は雨
いちにち座してこひしさに
みどりの国のこひしさに


 二つの瞳孔

われ生きて佇てる地の上
われとともに伸びる遠き瞳孔
しんとして
輝きわたる瞳孔
はるかなり唯とほくして
消えむとする二つの瞳孔

悲しみ窒息し
ぼうとして
葱のごとき苦きものに築きあげられ
輝やける二つの瞳孔


 あさぞら

並木は蒼し
あはれあしたのミルク手にとれば
いのちは光る
きよみわたりし朝の空


 郊外にて

畑について
のろのろと汽車はあるいてゐる
麦となたねのだんだん畑
汽車はのろのろあるいてゐる
のんきな汽車である


 寂しき椅子

いつも来て座る椅子にもたれ
沈んで考へることが好だ
日がくれる
わたしは訪れてゆく
寂しきその椅子のあるところに
波うつ杯をしたひて
永き夜をかくては送る
いつはてるとなき
深きいたみに


 十月のノオト

時計は銀にあらざれば光らず、
帆は布をもて金色を胎ましめざるべからず

頭の垂がるやうな詩、
深き精神のそこひより掻きのぼれ

こひしさにけぶりこもりて畑土に
ゆめのやうに雪はきえた

わたしは君のてがみを食べてしまつた
わたしは胃を悪くした

われは海光を浴びたり
もう雪が来た、どの山みても燻し銀

沖にむかひ永く佇む
沖より来る響、暗然として湧く力

くもり日の光やすらふほとり朱き葉は走る上野の公園そのふ

霊魂は珠根を深く庭園に埋めた、
いつかは咲くだらう

ああ 総ての人間に涙あれ


 合掌

 その一

坂はびろうど夕日炎炎
坂はみどりの下り坂、夕は祈りの鐘が鳴る

 その二

耶蘇は畑中ゆふぐれに
われもゆふぐれ畑中に
葱はおとろゆ
夏の日に
耶蘇はものいふ
われもいふ
畑はひかりて麦を吐き
耶蘇はゆふぐれ畑中に
われもゆふぐれ畑中に

 その三

かうべ垂れ
いまは緑を合掌す
きびしき心となり
みづからを責むる心となり
主よ山のふもとにわれ住みて
すこし衰ろへ
いまは緑の木木に
その高きあたひに
かうべ垂れ合掌す

 その四

むしけらのごとき
ひとみのけがれ
けがれしまま
けふは知る
深きざんげのあたひを知る

 その五

みやこに住めど
心に繁る深き田舎の夏ぞ
日を追ひては深む
いつくしみある地の夏ぞ

 その六

ながれに向ひ釣を垂る
みなそこふかく
ひそめるものに触れむとし
祈るがごとく釣を垂る
崖よりいまはなみだ垂れ

魚介のあなた
ながれに感ず
波のおもみはきたる肩の上に
祈るがごとく釣を垂る


 ふるさと

雪あたたかくとけにけり
しとしとしとと融けゆけり
ひとりつつしみふかく
やはらかく
木の芽に息をふきかけり
もえよ
木の芽のうすみどり
もえよ
木の芽のうすみどり


紅梅(うめ)さげし をみなに道を たづねけり

鍬はじめ 椿を折りて かへりけり

竹むらや やゝにしぐるゝ 軒ひさし

寒菊を 束ねる人も ない冬日

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