海潮音 上田敏訳

遙に満洲なる森鴎外氏に此の書を献ず

大寺の香の煙はほそくとも、
空にのぼりてあまぐもとなる、
あまぐもとなる。
                   獅子舞歌

  
燕の歌 ガブリエレ・ダンヌンチオ

弥生(やよひ)ついたち、はつ(つばめ)
海のあなたの静けき国の
便(たより)もてきぬ、うれしき(ふみ)を。
春のはつ花、にほひを()むる。
あゝ、よろこびのつばくらめ。
黒と白との染分縞(そめわけじま)
春の心の舞姿。

弥生来にけり、如月きさらぎ
風もろともに、けふ去りぬ。
栗鼠りすの毛衣けごろも脱ぎすてて、
綾子りんず羽ぶたへ今様いまように、
春の川瀬をかちわたり、
しなだるゝ枝の森わけて、
舞ひつ、歌ひつ、足速あしばや
恋慕の人ぞむれ遊ぶ。
岡に摘む花、菫すみれぐさ、
草は香りぬ、君ゆゑに、
素足の「春」の君ゆゑに。

けふは野山も新妻にひづまの姿に通ひ、
わだつみの波は輝く阿古屋珠あこやだま
あれ、藪陰やぶかげの黒鶫くろつぐみ
あれ、なか空そらに揚雲雀あげひばり
つれなき風は吹きすぎて、
旧巣ふるすくはへて飛び去りぬ。
あゝ、南国のぬれつばめ、
尾羽をばは矢羽根やばねよ、鳴く音は弦つる
「春」のひくおと「春」の手の。

あゝ、よろこびの美鳥うまどりよ、
黒と白との水干すいかんに、
舞の足どり教へよと、
しばし招がむ、つばくらめ。
たぐひもあらぬ麗人れいじん
イソルダ姫の物語、
飾り画ゑがけるこの殿との
しばしはあれよ、つばくらめ。
かづけの花環こゝにあり、
ひとやにはあらぬ花籠を
給ふあえかの姫君は、
フランチェスカの前ならで、
まことは「春」のめがみ大神おほがみ


声曲もののね ガブリエレ・ダンヌンチオ

われはきく、よもすがら、わが胸の上に、君眠る時、
吾は聴く、夜の静寂(しづけき)に、滴したたりの落つるを将はた、落つるを。
常にかつ近み、かつ遠み、絶間たえまなく落つるをきく、
夜もすがら、君眠る時、君眠る時、われひとりして。


真昼まひる ルコント・ドゥ・リイル

「夏」の帝みかどの「真昼時まひるどき」は、大野おほのが原に広ごりて、
白銀色しろがねいろの布引ぬのびきに、青天あをぞらくだし天降あもりしぬ。
じやくたるよもの光景けしきかな。耀く虚空こくう、風絶えて、
ほのほのころも、纏まとひたる地つちの熟睡うまいの静心しづごころ

眼路めぢ眇茫(びようぼう)として極きはみ無く、樹蔭こかげも見えぬ大野らや、
まきの畜けものの水かひ場、泉は涸れて音も無し。
野末遙けき森陰は、裾すその界さかひの線すぢ黒み、
不動の姿夢重く、寂寞じやくまくとして眠りたり。

唯熟したる麦の田は黄金海おうごんかいと連つらなりて、
かぎりも波の揺蕩たゆたひに、眠るも鈍おぞと嘲あざみがほ、
聖なる地つちの安らけき児等こらの姿を見よやとて、
おそれ憚はばかるけしき無く、日の觴さかづきを嚥み干しぬ。

また、邂逅わくらばに吐息なす心の熱の穂に出でゝ、
囁声つぶやきごゑのそこはかと、鬚長頴ひげながかひの胸のうへ、
覚めたる波の揺動ゆさぶりや、うねりも貴あてにおほどかに
起きてまた伏す行末は沙すなたち迷ふ雲のはて。

程遠からぬ青草の牧に伏したる白牛はくぎゆうが、
肉置ししおき厚き喉袋のどぶくろ、涎よだれに濡らす慵ものうげさ、
たへに気高けだかき眼差まなざしも、世の煩累わづらひに倦みしごと、
つひに見果てぬ内心の夢の衢ちまたに迷ふらむ。

人よ、爾いましの心中を、喜怒哀楽に乱されて、
光明道こうみようどうの此原このはらの真昼まひるを孤ひとり過ぎゆかば、
がれよ、こゝに万物は、凡べて虚うつろぞ、日は燬かむ。
ものみな、こゝに命無く、悦よろこびも無し、はた憂無し。

されど涙なんだや笑声しようせいの惑まどひを脱し、万象ばんしよう
流転るてんの相そうを忘ぼうぜむと、心の渇かわきいと切せちに、
現身うつそみの世を赦ゆるしえず、はた咀のろひえぬ観念の
まなこ放ちて、幽遠の大歓楽を念じなば、

来れ、此地の天日てんじつにこよなき法のりの言葉あり、
親み難き炎上えんじようの無間むげんに沈め、なが思、
かくての後は、濁世の都をさして行くもよし、
物の七ななたび涅槃ニルヴアナに浸りて澄みし心もて。


大饑餓 ルコント・ドゥ・リイル

夢円まどかなる滄溟わだのはら、濤なみの巻曲うねりの揺蕩たゆたひ
夜天やてんの星の影見えて、小島をじまの群と輝きぬ。
紫摩黄金しまおうごんの良夜あたらよは、寂寞じやくまくとしてまた幽に
しき畏おそれの満ちわたる海と空との原の上。

無辺の天や無量海、底そこひも知らぬ深淵しんえん
憂愁の国、寂光土、また譬たとふべし、炫耀郷げんようきよう
墳塋おくつきにして、はた伽藍がらん、赫灼かくやくとして幽遠の
大荒原だいこうげんの縦横たてよこを、あら、万眼まんがんの魚鱗うろくづや。

青空せいくうかくも荘厳に、大水だいすい更に神寂かみさびて
大光明の遍照へんじように、宏大無辺界中こうだいむへんかいちゆうに、
うつらうつらの夢枕、煩悩界ぼんのうかいの諸苦患しよくげんも、
こゝに通はぬその夢の限も知らず大いなる。

かゝりし程に、粗膚あらはだの蓬起皮ふくだみがはのしなやかに
うゑにや狂ふ、おどろしき深海底ふかうみぞこのわたり魚うを
あふさきるさの徘徊もとほりに、身の鬱憂を紛れむと、
南蛮鉄なんばんてつの腮あぎとをぞ、くわつとばかりに開いたる。

もとより無辺天空を仰ぐにはあらぬ魚の身の、
からすきの宿しゆく、みつ星ぼしや、三角星さんかくせい天蝎宮(てんかつきゆう)
無限に曳ける光芒こうぼうのゆくてに思馳おもひはするなく、
北斗星前ほくとせいぜん、横よこたはる大熊星だいゆうせいもなにかあらむ。

唯、ひとすぢに、生肉せいにくを噛まむ、砕かむ、割かばやと、
常の心は、朱あけに染み、血の気に欲を湛たたへつゝ、
影暗うして水重き潮の底の荒原を、
曇れる眼まなこ、きらめかし、悽惨せいさんとして遅々たりや。

こゝ虚うつろなる無声境むせいきよう、浮べる物や、泳ぐもの、
生きたる物も、死したるも、此空漠くうばくの荒野あらぬには、
音信おとづれも無し、影も無し。たゞ水先みづさきの小判鮫こばんざめ
真黒まくろの鰭ひれのひたうへに、沈々として眠るのみ。

行きね妖怪あやかし、なれが身も人間道にんげんどうに異ならず、
醜悪しゆうお、獰猛どうもう、暴戻ぼうれいのたえて異なるふしも無し。
心安かれ、鱶ふかざめよ、明日あすや食らはむ人間を、
又さはいへど、汝なれが身も、明日や食はれむ、人間に。

聖なる飢うゑは正法しようほうの永くつゞける殺生業せつしようごう
かげ深海ふかうみも光明の天あまつみそらもけぢめなし。
それ人間も、鱶鮫ふかざめも、残害ざんがいの徒も、餌食ゑじき等も、
見よ、死の神の前にして、二つながらに罪ぞ無き。


象 ルコント・ドゥ・リイル

沙漠は丹たんの色にして、波漫々まんまんたるわだつみの
音しづまりて、日に燬けて、熟睡うまいの床に伏す如く、
不動のうねり、大おほらかに、ゆくらゆくらに伝つたはらむ、
人住むあたり銅あかがねの雲、たち籠むる眼路めぢのすゑ。

命も音も絶えて無し。餌ゑばに飽きたる唐獅子からじしも、
百里の遠き洞窟ほらあなの奥にや今は眠るらむ。
また岩清水迸ほとばしる長沙ちようさの央なかば、青葉かげ、
ひようも来て飲む椰子森やしりんは、麒麟きりんが常の水かひ場。

大日輪の走せ廻めぐる気重き虚空こくうむちうつて、
羽掻はがきの音の声高き一鳥いつちよう遂に飛びも来ず、
たまたま見たり、蟒蛇うはばみの夢も熱きか円寝まろねして、
とぐろの綱を動せば、鱗うろこの光まばゆきを。

一天いつてんれて、そが下に、かゝる炎の野はあれど、
物鬱ものうつとして、寂寥せきりようのきはみを尽すをりしもあれ、
しわだむ象の一群よ、太しき脚の練歩ねりあしに、
うまれの里の野を捨てゝ、大沙原おほすなばらを横に行く。

地平のあたり、一団の褐色くりいろなして、列つらなめて、
みれば砂塵を蹴立てつゝ、路無き原を直道ひたみちに、
ゆくてのさきの障碍さまたげを、もどかしとてや、力足ちからあし
蹈鞴たたらしこふむ勢いきほひに、遠をちの砂山崩れたり。

しるべにたてる年嵩としかさのてだれの象の全身は
「時」が噛みてし、刻みてし老樹の幹のごと、ひわれ
巨巌の如き大頭おほがしら、脊骨せぼねの弓の太しきも、
何の苦も無く自おのづから、滑なめらかにこそ動くなれ。

あゆみおそむることもなく、急ぎもせずに、悠然と、
塵にまみれし群象をめあての国に導けば、
すなの畦あぜくろ、穴に穿うがち、続いて歩むともがらは、
雲突く修験山伏すげんやまぶしか、先達せんだつの蹤蹈あとふんでゆく。

耳は扇とかざしたり、鼻は象牙ぞうげに介はさみたり、
半眼はんがんにして辿たどりゆくその胴腹どうばらの波だちに、
息のほてりや、汗のほけ、烟けむりとなつて散乱し、
幾千万の昆虫が、うなりて集つどふ餌食ゑじきかな。

饑渇きかつの攻せめや、貪婪たんらんの羽虫はむしの群むれもなにかあらむ、
黒皺皮くろじわがはの満身の膚はだへをこがす炎暑をや。
かの故里ふるさとをかしまだち、ひとへに夢む、道遠き
眼路めぢのあなたに生ひ茂げる無花果いちじゆくの森、象きさの邦くに

また忍ぶかな、高山たかやまの奥より落つる長水ちようすい
巨大の河馬かばの嘯うそぶきて、波濤たぎつる河の瀬を、
あるは月夜げつやの清光に白しろみしからだ、うちのばし、
水かふ岸の葦蘆よしあしを蹈み砕きてや、降りたつを。

かゝる勇猛沈勇の心をきめて、さすかたや、
きはみも知らぬ遠をちのすゑ、黒線くろすぢとほくかすれゆけば、
大沙原おほすなはらは今さらに不動のけはひ、神寂かみさびぬ。
身動みじろぎうとき旅人たびうどの雲のはたてに消ゆる時。

 ルコント・ドゥ・リイルの出づるや、哲学に基もとづける厭世えんせい観は仏蘭西フランスの詩文に致死の棺衣たれぎぬを投げたり。
 前人の詩、多くは一時の感慨を洩もらし、単純なる悲哀の想を鼓吹するに止とどまりしかど、この詩人に至り、始めて、悲哀は一種の系統を樹て、芸術の荘厳を帯ぶ。評家久しく彼を目するに高踏派の盟主を以てす。
 即すなはち格調定かならぬドゥ・ミュッセエ、ラマルティイヌの後に出で、始て詩神の雲髪を捉つかみて、これに峻厳しゆんげんなる詩法の金櫛きんしつを加へたるが故也。
 彼常に「不感無覚」を以て称せらる。
 世人輙ややもすれば、この語を誤解して曰いはく、高踏一派の徒、甘あまんじて感情を犠牲とす。
 これ既に芸術の第一義を没却したるものなり。
 或は恐る、終つひに述作無きに至らむをと。
 あらず、あらず、この暫々しばしば濫用せらるる「不感無覚」の語義を芸文の上より解する時は、単に近世派の態度を示したるに過ぎざるなり。
 常に宇宙の深遠なる悲愁、神秘なる歓楽を覚ゆるものから、当代の愚かしき歌物語が、野卑陳套やひちんとうの曲を反復して、譬たとへば情痴の涙に重き百葉の軽舟、今、芸苑の河流を閉塞へいそくするを敬せざるのみ。
 尋常世態の瑣事さじ、奚いづくんぞよく高踏派の詩人を動さむ。されどこれを倫理の方面より観むか、人生に対するこの派の態度、これより学ばむとする教訓はこの一言に現はる。曰く哀楽は感ず可く、歌ふ可し、然も人は斯多阿ストア学徒の心を以て忍ばざる可からずと。
 かの額ひたひつき、物思はしげに、長髪わざとらしき詩人等もこの語には辟易へきえきせしも多かり。
 さればこの人は芸文に劃然かくぜんたる一新機軸を出しし者にして同代の何人よりも、その詩、哲理に富み、譬喩ひゆの趣を加ふ。
 「カイン」「サタン」の詩二つながら人界の災殃さいおうを賦し、「イパティイ」は古代衰亡の頽唐美たいとうび、「シリル」は新しき信仰を歌へり。ユウゴオが壮大なる史景を咏えいじて、台閣の風ある雄健の筆を振ひ、史乗逸話の上に叙情詩めいたる豊麗を与へたると並びて、ルコント・ドゥ・リイルは、伝説に、史蹟に、内部の精神を求めぬ。
 かの伝奇の老大家は歴史の上に燦爛さんらんたる紫雲を曳き、この憂愁の達人はその実体を闡明せんめいす。
      *
 読者の眼頭に彷彿ほうふつとして展開するものは、豪壮悲惨なる北欧思想、明暢めいちよう清朗なる希臘ギリシヤ田野の夢、または銀光の朧々ろうろうたること、その聖十字架を思はしむる基督キリスト教法の冥想、特に印度インド大幻夢涅槃ねはんの妙説なりけり。
      *
 黒檀こくたんの森茂げきこの世の涯はての老国より来て、彼は長久の座を吾等の傍かたはらに占めつ、教へて曰く『寂滅為楽』。
      *
 幾度と無く繰返したる大智識の教話によりて、悲哀は分類結晶して、頗すこぶる静寧の姿を得たるも、なほ、をりふしは憤怒の激発に迅雷の轟然ごうぜんたるを聞く。ここに於てか電火ひらめき、万雷はためき、人類に対する痛罵つうば、宛あたかも薬綫やくせんの爆発する如く、所謂いはゆる「不感無覚」の墻壁しようへきを破り了をはんぬ。
      *
 自家の理論を詩文に発表して、シォペンハウエルの弁証したる仏法の教理を開陳したるは、この詩人の特色ならむ。
 儕輩さいはいの詩人皆多少憂愁の思想を具そなへたれど、厭世観の理義彼に於ける如く整然たるは罕まれなり。
 衆人徒いたづらに虚無を讃す。
 彼は明かにその事実なるを示せり。
 その詩は智の詩なり。然も詩趣饒ゆたかにして、坐そぞろにペラスゴイ、キュクロプスの城址じようしを忍ばしむる堅牢けんろうの石壁は、かの繊弱の律に歌はれ、往々俗謡に傾ける当代伝奇の宮殿を摧くだかむとすなり。エミイル・ヴェルハアレン

珊瑚礁さんごしよう ホセ・マリヤ・デ・エレディヤ

波の底にも照る日影、神寂かみさびにたる曙あけぼの
照しの光、亜比西尼亜アビシニア、珊瑚の森にほの紅く、
ぬれにぞぬれし深海ふかうみの谷たにくまの奥に透入すきいれば、
輝きにほふ虫のから、命にみつる珠たまの華。

沃度ヨウドに、塩にさ丹づらふ海の宝のもろもろは
濡髪ぬれがみ長き海藻かいそうや、珊瑚、海胆うに、苔こけまでも、
臙脂えんじむらさきあかあかと、華奢かしやのきはみの絵模様に、
薄色ねびしみどり石、蝕むしばむ底ぞ被おほひたる。

こけの光のきらめきに白琺瑯はくほうろうを曇らせて、
枝より枝を横ざまに、何を尋たづぬる一大魚いちだいぎよ
光透入すきいる水かげに慵ものうげなりや、もとほりぬ。

忽ち紅火こうかひるがへる思の色の鰭ひれふるひ、
あゐを湛たたへし静寂のかげ、ほのぐらき清海波せいがいは
みづりうごく揺曳ようえいは黄金おうごん、真珠、青玉せいぎよくの色。


床 ホセ・マリヤ・デ・エレディヤ

さゝらがた錦を張るも、荒妙あらたへの白布しらぬの敷くも、
悲しさは墳塋おくつきのごと、楽しさは巣の如しとも、
人生れ、人いの眠り、つま恋ふる凡べてこゝなり、
をさな児も、老おいも若わかきも、さをとめも、妻も、夫も。

葬事はふりごと、まぐはひほがひ、烏羽玉うばたまの黒十字架くろじゆうじか
きよき水はふり散らすも、祝福の枝をかざすも、
皆こゝに物は始まり、皆こゝに事は終らむ、
産屋うぶや洩る初日影より、臨終の燭そくの火までも、

あまさかる鄙ひなの伏屋ふせやも、百敷ももしきの大宮内おほみやうちも、
紫摩金しまごんの栄はえを尽して、紅あけに朱しゆに矜ほこり飾るも、
鈍色にびいろの樫かしのつくりや、楓かへでの木、杉の床にも。

ひとり、かの畏おそれも悔も無く眠る人こそ善けれ、
みおやらの生れし床に、みおやらの失うせにし床に、
物古りし親のゆづりの大床おほどこに足を延ばして。


出征 ホセ・マリヤ・デ・エレディヤ

高山たかやまの鳥栖巣とぐらすだちし兄鷹しようのごと、
身こそたゆまね、憂愁に思は倦うんじ、
モゲルがた、パロスの港、船出して、
雄誥をたけぶ夢ぞ逞たくましき、あはれ、丈夫ますらを

チパンゴに在りと伝ふる鉱山かなやま
紫摩黄金しまおうごんやわが物と遠く、求むる
船の帆も撓わりにけりな、時津風ときつかぜ
西の世界の不思議なる遠荒磯とほつありそに。

ゆふべゆふべは壮大の旦あしたを夢み、
しらぬ火や、熱帯海ねつたいかいのかぢまくら、
こがね幻まぼろし通ふらむ。またある時は

白妙の帆船の舳さき、たゝずみて、
振放ふりさけみれば、雲の果、見知らぬ空や、
蒼海わだつみの底よりのぼる、けふも新星にひぼし


夢 シュリ・プリュドン

夢のうちに、農人のうにんいはく、なが糧かてをみづから作れ、
けふよりは、なを養はじ、土を墾り種を蒔けよと。
機織はたおりはわれに語りぬ、なが衣きぬをみづから織れと。
石造いしつくりわれに語りぬ、いざ鏝こてをみづから執れと。

かくて孤ひとり人間の群やらはれて解くに由なき
この咒詛のろひ、身にひき纏まとふ苦しさに、みそら仰ぎて、
いと深き憐愍あはれみ垂れさせ給へよと、祷いのりをろがむ
眼前まのあたり、ゆくての途のたゞなかを獅子はふたぎぬ。

ほのぼのとあけゆく光、疑ひて眼まなこひらけば、
雄々しかる田つくり男、梯立はしだてに口笛鳴らし、
繒具はたものの蹋木ふみきもとゞろ、小山田に種たねぞ蒔きたる。

世の幸さちを今はた識りぬ、人の住むこの現世うつしよに、
誰かまた思ひあがりて、同胞はらからを凌しのぎえせむや。
其日より吾はなべての世の人を愛しそめけり。


信天翁おきのたゆう シャルル・ボドレエル

波路遙けき徒然つれづれの慰草なぐさめぐさと船人ふなびとは、
八重の潮路の海鳥うみどりの沖の太夫たゆうを生檎いけどりぬ、
かぢの枕のよき友よ心閑のどけき飛鳥ひちようかな、
おきつ潮騒しほざゐすべりゆく舷ふなばた近くむれ集つどふ。

たゞ甲板こうはんに据ゑぬればげにや笑止しようしの極きはみなる。
この青雲の帝王も、足どりふらゝ、拙つたなくも、
あはれ、真白き双翼そうよくは、たゞ徒いたづらに広ごりて、
今は身の仇あだ、益ようも無き二つの櫂かいと曳きぬらむ。

あま飛ぶ鳥も、降くだりては、やつれ醜き瘠姿やせすがた
昨日きのふの羽根のたかぶりも、今はた鈍おぞに痛はしく、
煙管きせるに嘴はしをつゝかれて、心無こころなしには嘲けられ、
しどろの足を摸ねされて、飛行ひぎようの空に憧あこがるゝ。

雲居の君のこのさまよ、世の歌人うたびとに似たらずや、
暴風雨あらしを笑ひ、風凌しのぎ猟男さつをの弓をあざみしも、
つちの下界げかいにやらはれて、勢子せこの叫に煩へば、
太しき双そうの羽根さへも起居たちゐさまたぐ足まとひ。


薄暮くれがたの曲きよく シャルル・ボドレエル

時こそ今は水枝みづえさす、こぬれに花の顫ふるふころ。
花は薫じて追風に、不断の香の炉に似たり。
匂も音も夕空に、とうとうたらり、とうたらり、
ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたる眩暈くるめきよ。

花は薫じて追風に、不断の香の炉に似たり。
きずに悩める胸もどき、ヴィオロン楽がくの清掻すががきや、
ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたる眩暈くるめきよ、
神輿みこしの台をさながらの雲悲みて艶えんだちぬ。

きずに悩める胸もどき、ヴィオロン楽がくの清掻すががきや、
闇の涅槃ねはんに、痛ましく悩まされたる優心やさごころ
神輿みこしの台をさながらの雲悲みて艶えんだちぬ、
日や落入りて溺おぼるゝは、凝こごるゆふべの血潮雲ちしほぐも

闇の涅槃ねはんに、痛ましく悩まされたる優心やさごころ
光の過去のあとかたを尋めて集むる憐れさよ。
日や落入りて溺るゝは、凝こごるゆふべの血潮雲、
君が名残なごりのたゞ在るは、ひかり輝く聖体盒せいたいごう


破鐘やれがね シャルル・ボドレエル

悲しくもまたあはれなり、冬の夜の地炉ゐろりの下もとに、
燃えあがり、燃え尽きにたる柴の火に耳傾けて、
夜霧だつ闇夜の空の寺の鐘、きゝつゝあれば、
過ぎし日のそこはかとなき物思ひやをら浮びぬ。

喉太のどぶとの古鐘ふるがねきけば、その身こそうらやましけれ。
おいらくの齢としにもめげず、健すこやかに、忠まめなる声の、
何時いつもいつも、梵音ぼんのんたへに深くして、穏おほどかなるは、
陣営の歩哨ほしようにたてる老兵の姿に似たり。

そも、われは心破れぬ。鬱憂のすさびごこちに、
寒空さむぞらの夜よるに響けと、いとせめて、鳴りよそふとも、
覚束おぼつかな、音にこそたてれ、弱声よわごゑの細音ほそねも哀れ、

哀れなる臨終いまはの声こゑは、血の波の湖の岸、
小山なす屍かばねの下もとに、身動みじろぎもえならで死する、
棄てられし負傷ておひの兵の息絶ゆる終つひの呻吟うめきか。


人と海 シャルル・ボドレエル

こゝろ自由ままなる人間は、とはに賞づらむ大海を。
海こそ人の鏡なれ。灘なだの大波おほなみはてしなく、
水や天そらなるゆらゆらは、うつし心の姿にて、
底ひも知らぬ深海ふかうみの潮の苦味にがみも世といづれ。

さればぞ人は身を映うつす鏡の胸に飛び入りて、
まなこに抱き腕にいだき、またある時は村肝むらぎも
心もともに、はためきて、潮騒しほざゐ高く湧くならむ、
寄せてはかへす波の音おとの、物狂ほしき歎息なげかひに。

海も爾いましもひとしなみ、不思議をつゝむ陰なりや。
人よ、爾いましが心中しんちゆうの深淵探さぐりしものやある。
海よ、爾いましが水底みなぞこの富を数へしものやある。
かくも妬ねたげに秘事ひめごとのさはにもあるか、海と人。

かくて劫初ごうしよの昔より、かくて無数の歳月を、
慈悲悔恨の弛ゆるみ無く、修羅しゆらの戦たたかひたけなはに、
げにも非命と殺戮さつりくと、なじかは、さまで好このもしき、
ああ、永遠のすまうどよ、噫、怨念おんねんのはらからよ。


ふくろふ シャルル・ボドレエル

黒葉くろば水松いちゐの木下闇このしたやみ
並んでとまる梟は
昔の神をいきうつし、
赤眼あかめむきだし思案顔。

たいも崩さず、ぢつとして、
なにを思ひに暮がたの
傾く日脚ひあし推しこかす
大凶時おほまがときとなりにけり。

鳥のふりみて達人は
道の悟さとりや開くらむ、
世に忌々ゆゆしきは煩悩と。

色相界しきそうかいの妄執もうしゆう
諸人しよにんのつねのくるしみは
きよに安やすんぜぬあだ心。

現代の悲哀はボドレエルの詩に異常の発展を遂げたり。人或は一見して云はむ、これ僅に悲哀の名を変じて鬱悶うつもんと改めしのみと、しかも再考して終つひにその全く変質したるを暁さとらむ。ボドレエルは悲哀に誇れり。即ちこれを詩章の竜葢帳りようがいちよう中に据ゑて、黒衣聖母の観あらしめ、絢爛けんらんなること絵画の如ごとき幻想と、整美なること彫塑ちようそに似たる夢思とを恣ほしいままにしてこれに生動の気を与ふ。ここに於てか、宛あたかもこれ絶美なる獅身女頭獣なり。悲哀を愛するの甚はなはだしきは、いづれの先人をも凌しのぎ、常に悲哀の詩趣を讃して、彼は自ら「悲哀の煉金道士」と号せり。
      *
先人の多くは、悩心地定かならぬままに、自然に対する心中の愁訴を、自然その物に捧げて、尋常の失意に泣けども、ボドレエルは然らず。彼は都府の子なり。乃すなはち巴里パリ叫喊きようかん地獄の詩人として胸奥の悲を述べ、人に叛そむき世に抗する数奇の放浪児が為に、大声を仮したり。その心、夜に似て暗憺あんたん、いひしらず汚れにたれど、また一種の美、たとへば、濁江の底なる眼、哀憐あいりん悔恨の凄光せいこうを放つが如きもの無きにしもあらず。エミイル・ヴェルハアレン

ボドレエル氏よ、君は芸術の天にたぐひなき凄惨の光を与へぬ。即ち未だ曾かつてなき一の戦慄せんりつを創成したり。 ヴィクトル・ユウゴオ


譬喩ひゆ ポオル・ヴェルレエヌ

主は讃むべき哉かな、無明むみようの闇や、憎にくみ多き
今の世にありて、われを信徒となし給ひぬ。
願はくは吾に与へよ、力と沈勇とを。
いつまでも永く狗子いぬのやうに従ひてむ。

生贄いけにへの羊、その母のあと、従ひつつ、
何の苦もなくて、牧草を食み、身に生ひたる
羊毛のほかに、その刻とき来ぬれば、命をだに
惜まずして、主に奉る如くわれもなさむ。

また魚とならば、御子みこの頭字かしらじかたどりもし、
驢馬ろばともなりては、主を乗せまつりし昔思ひ、
はた、わが肉より禳はらひ給ひし豕ゐのこを見いづ。

げに末すゑつ世の反抗表裏の日にありては
人間よりも、畜生の身ぞ信深くて
心素直すなほにも忍辱にんにくの道守るならむ。


よくみるゆめ ポオル・ヴェルレエヌ

常によく見る夢ながら、奇やし、懐なつかし、身にぞ染む。
曾ても知らぬ女ひとなれど、思はれ、思ふかの女ひとよ。
夢見る度のいつもいつも、同じと見れば、異ことなりて、
また異らぬおもひびと、わが心根こころねや悟りてし。

わが心根を悟りてしかの女ひとの眼に胸のうち、
ああ、彼女かのひとにのみ内証ないしようの秘めたる事ぞなかりける。
蒼ざめ顔のわが額ひたひ、しとゞの汗を拭ひ去り、
涼しくなさむ術すべあるは、玉の涙のかのひとよ。

栗色髪のひとなるか、赤髪あかげのひとか、金髪か、
名をだに知らね、唯思ふ朗ら細音ほそねのうまし名は、
うつせみの世を疾く去りし昔の人の呼名よびなかと。

つくづく見入る眼差まなざしは、匠たくみが彫りし像の眼か、
澄みて、離れて、落居おちゐたる其音声おんじようの清すずしさに、
無言むごんの声の懐かしき恋しき節の鳴り響く。


落葉 ポオル・ヴェルレエヌ

秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。

仏蘭西フランスの詩はユウゴオに絵画の色を帯び、ルコント・ドゥ・リイルに彫塑の形を具そなへ、ヴェルレエヌに至りて音楽の声を伝へ、而して又更に陰影の匂なつかしきを捉とらへむとす。 訳者

良心 ヴィクトル・ユウゴオ

革衣かはごろもまとへる児等こらを引具ひきぐして
髪おどろ色蒼ざめて、降る雨を、
エホバよりカインは離さかり迷ひいで、
夕闇の落つるがまゝに愁然しゆうねんと、
大原おほはらの山の麓ふもとにたどりつきぬ。
妻は倦み児等も疲れて諸声もろごゑに、
「地つちに伏していざ、いのねむ」と語りけり。
山陰やまかげにカインはいねず、夢おぼろ、
烏羽玉うばたまの暗夜やみよの空を仰ぎみれば、
広大の天眼てんがんくわつと、かしこくも、
物陰の奥より、ひしと、みいりたるに、
わなゝきて「未だ近し」と叫びつつ、
みし妻、眠れる児等を促して、
もくねんと、ゆくへも知らに逃のがれゆく。
かゝなべて、日には三十日みそか、夜は、三十夜みそよ
色変へて、風の音おとにもをのゝきぬ。
やらはれの、伏眼ふしめの旅は果もなし、
眠なく休いこひもえせで、はろばろと、
後の世のアシュルの国、海のほとり、
荒磯ありそにこそはつきにけれ。「いざ、こゝに
とゞまらむ。この世のはてに今ぞ来し、
いざ」と、いへば、陰雲暗きめぢのあなた、
いつも、いつも、天眼てんがんひしと睨にらみたり。
おそれみに身も世もあらず、戦をののきて、
「隠せよ」と叫ぶ一声いつせい。児等はただ
たけき親を口に指あて眺めたり。
沙漠の地、毛織の幕に住居する
後の世のうからのみおやヤバルにぞ
「このむたに幕ひろげよ」と命ずれば、
ひるがへる布の高壁めぐらして
鉛もて地に固むるに、金髪の
孫むすめ曙のチラは語りぬ。
「かくすれば、はや何も見給ふまじ」と。
「否なほも眼まなこにらむ」とカインいふ。
かくを吹き鼓をうちて、城のうちを
ゆきめぐる民草たみぐさのおやユバルいふ、
「おのれ今固き守や設けむ」と。
あかがねの壁築き上げて父の身を、
そがなかに隠しぬれども、如何いかにせむ、
「いつも、いつも眼睨まなこにらむ」といらへあり。
「恐しき塔をめぐらし、近よりの
難きやうにすべし。砦とりでる城しろつきあげて、
その邑まちを固くもらむ」と、エノクいふ。
鍛冶かぢの祖おやトバルカインは、いそしみて、
宏大の無辺むへん都城とじようを営むに、
同胞はらからは、セツの児等こら、エノスの児等を、
野辺かけて狩暮かりくらしつゝ、ある時は
旅人たびびとの眼まなこをくりて、夕されば
星天せいてんに征矢そやを放ちぬ。これよりぞ、
花崗石みかげいし、帳とばりに代り、くろがねを
石にくみ、城の形、冥府みようふに似たる
塔影は野を暗うして、その壁ぞ
山のごと厚くなりける。工成りて
戸を固め、壁建かべたて終り、大城戸おほきど
刻める文字を眺むれば「このうちに
神はゆめ入る可からず」と、ゑりにたり。
さて親は石殿せきでんに住はせたれど、
憂愁のやつれ姿ぞいぢらしき。
「おほぢ君、眼は消えしや」と、チラの問へば、
「否、そこに今もなほ在り」と、カインいふ。
「墳塋おくつきに寂しく眠る人のごと、
地の下にわれは住はむ。何物も
われを見じ、吾われも亦また何をも見じ」と。
さてこゝに坑あなを穿うがてば「よし」といひて、
たゞひとり闇穴道あんけつどうにおりたちて、
物陰の座にうちかくる、ひたおもて、
地下ちげの戸を、はたと閉づれば、こはいかに、
天眼てんがんなほも奥津城おくつきにカインを眺む。

ユウゴオの趣味は典雅ならず、性情奔放にして狂颷きようひよう激浪の如くなれど、温藉静冽おんしやせいれつの気自おのづからその詩を貫きたり。対聯たいれん比照に富み、光彩陸離たる形容の文辞を畳用して、燦爛さんらんたる一家の詩風を作りぬ。訳者

礼拝 フランソア・コペエ

さても千八百九年、サラゴサの戦、
われ時に軍曹なりき。此日惨憺さんたんを極む。
街既に落ちて、家を囲むに、
閉ぢたる戸毎に不順の色見え、
鉄火、窓より降りしきれば、
「憎つくき僧徒の振舞」と
かたみに低く罵ののしりつ。
明方あけがたよりの合戦に
眼は硝煙に血走りて、
舌には苦がき紙筒はやごう
噛み切る口の黒くとも、
奮闘の気はいや益しに、
勢猛いきほひもうに追ひ迫り、
黒衣長袍こくいちようほうふち広き帽を狙撃そげきす。
狭き小路こうじの行進に
とざま、かうざま顧みがち、
われ軍曹の任にんにしあれば、
精兵従へ推しゆく折りしも、
忽然こつねんとして中天なかぞら赤く、
鉱炉こうろの紅舌こうぜつさながらに、
虐殺せらるゝ婦女の声、
遙かには轟々ごうごうの音おととよもして、
歩毎に伏屍ふくし累々るいるいたり。
こごんでくゞる軒下を
出でくる時は銃剣の
鮮血淋漓りんりたる兵が、
血紅ちべにに染みし指をもて、
壁に十字を書置くは、
敵潜ひそめるを示すなり。
鼓うたせず、足重く、
将校たちは色曇り、
さすが、手練てだれの旧兵ふるつはものも、
落居ぬけはひに、寄添ひて、
新兵もどきの胸さわぎ。

忽ち、とある曲角きよくかくに、
援兵と呼ぶ仏語の一声、
それ、戦友の危急ぞと、
駆けつけ見れば、きたなしや、
日常ひごろは猛けき勇士等も、
精舎しようじやの段の前面に
たゞ僧兵の二十人、
円頂えんちようの黒鬼こくきに、くひとめらる。
真白の十字胸につけ、
靴無き足の凜々りりしさよ、
血染の腕かひな巻きあげて、
大十字架にて、うちかゝる。
惨絶、壮絶。それと一斉射撃にて、
やがては掃蕩そうとうしたりしが、
冷然として、残忍に、軍は倦みたり。
皆心中に疾やましくて、
とかくに殺戮さつりくしたれども、
醜行已すでに為し了はり、
密雲漸く散ずれば、
積みかさなれる屍かばねより
きざはしかけて、紅べに流れ、
そのうしろ楼門聳そびゆ、巍然ぎぜんとして鬱たり。

燈明とうみようくらがりに金色こんじきの星ときらめき、
香炉かぐはしく、静寂せいじやくの香を放ちぬ。
殿上、奥深く、神壇に対むかひ、
歌楼かろうのうち、やさけびの音おとしらぬ顔、
しめやかに勤行ごんぎよう営む白髪長身の僧。
ああけふもなほ俤おもかげにして浮びこそすれ。
モオル廻廊の古院、
黒衣僧兵のかばね、
天日、石だたみを照らして、
紅流に烟けぶりたち、
朧々ろうろうたる低き戸の框かまちに、
立つや老僧。
神壇龕づしのやうに輝き、
唖然あぜんとしてすくみしわれらのうつけ姿。
げにや当年の己は
空恐ろしくも信心無く、
或日精舎しようじやの奪掠だつりやく
負けじ心の意気張づよく
神壇近き御燈みあかし
煙草つけたる乱行者らんぎようもの
上反鬚うはぞりひげに気負きおひみせ、
一歩も譲らぬ気象のわれも、
たゞ此僧の髪白く白く
神寂かみさびたるに畏かしこみぬ。

「打て」と士官は号令す。

誰有あつて動く者無し。
僧は確に聞きたらむも、
さあらぬ素振そぶり神々かうがうしく、
聖水大盤たいばんを捧げてふりむく。
ミサ礼拝らいはいなかばに達し、
司僧しそうむき直る祝福の時、
かひなは伸べて鶴翼かくよくのやう、
衆皆しゆうみな一歩たじろきぬ。
僧はすこしもふるへずに
信徒の前に立てるやう、
妙音澱よどみなく、和讃わさんを咏じて、
「帰命頂礼きみようちようらい」の歌、常に異らず、
声もほがらに、
      「全能の神、爾等なんぢらを憐み給ふ。」

またもや、一声あらゝかに
「うて」と士官の号令に
進みいでたる一卒は
隊中有名なうての卑怯者、
銃執じゆうとりなほして発砲す。
老僧、色は蒼あをみしが、
沈勇の眼まなこ明らかに、
祈りつゞけぬ、
      「父と子と」

続いて更に一発は、
狂気のさたか、血迷ちまよひか、
とかくに業ごうは了をはりたり。
僧は隻腕かたうで、壇にもたれ、
いたる手にて祝福し、
黄金盤おうごんばんも重たげに、
虚空こくうに恩赦おんしやの印しるしを切りて、
音声おんじようこそは微かすかなれ、
げきたる堂上とほりよく、
瞑目めいもくのうち述ぶるやう、
      「聖霊と。」

かくて仆たふれぬ、礼拝らいはいの事了りて。

ばんは三度び、床上しようじように跳りぬ。
事に慣れたる老兵も、
胸に鬼胎おそれをかき抱き
足に兵器を投げ棄てて
われとも知らず膝つきぬ、
醜行のまのあたり、
殉教僧のまのあたり。

聊爾りようじなりや「アアメン」と
うしろに笑ふ、わが隊の鼓手。


わすれなぐさ ウィルヘルム・アレント

ながれのきしのひともとは、
みそらのいろのみづあさぎ、
なみ、ことごとく、くちづけし
はた、ことごとく、わすれゆく。


山のあなた カアル・ブッセ

山のあなたの空遠く
「幸さいはひ」住むと人のいふ。
ああ、われひとゝ尋めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸さいはひ」住むと人のいふ。


春 パウル・バルシュ

森は今、花さきみだれ
えんなりや、五月さつきたちける。
神よ、擁護おうごをたれたまへ、
あまりに幸さちのおほければ。

やがてぞ花は散りしぼみ、
えんなる時も過ぎにける。
神よ擁護おうごをたれたまへ、
あまりにつらき災とがな来そ。


秋 オイゲン・クロアサン

けふつくづくと眺むれば、
かなしみの色口いろくちにあり。
たれもつらくはあたらぬを、
なぜに心の悲める。

秋風あきかぜわたる青木立あをこだち
葉なみふるひて地にしきぬ。
きみが心のわかき夢
秋の葉となり落ちにけむ。


わかれ ヘリベルタ・フォン・ポシンゲル

ふたりを「時」がさきしより、
昼は事なくうちすぎぬ。
よろこびもなく悲まず、
はたたれをかも怨むべき。

されど夕闇おちくれて、
星の光のみゆるとき、
病の床のちごのやう、
心かすかにうめきいづ。


水無月みなづき テオドル・ストルム

子守歌風に浮びて、
暖かに日は照りわたり、
田の麦は足穂たりほうなだれ、
いばらには紅き果熟し、
野面のもせには木の葉みちたり。
いかにおもふ、わかきをみなよ。


花のをとめ ハインリッヒ・ハイネ

たへに清らの、あゝ、わが児よ、
つくづくみれば、そゞろ、あはれ、
かしらや撫でゝ、花の身の
いつまでも、かくは清らなれと、
いつまでも、かくは妙にあれと、
いのらまし、花のわがめぐしご。

ルビンスタインのめでたき楽譜に合せて、ハイネの名歌を訳したり。原の意を汲みて余さじと、つとめ、はた又、句読停音すべて楽譜の示すところに従ひぬ。訳者

瞻望せんぼう ロバアト・ブラウニング

おそるゝか死を。――喉のどふたぎ、
 おもわに狭霧さぎり
深雪みゆき降り、木枯荒れて、著るくなりぬ、
 すゑの近さも。
よるの稜威みいづ暴風あらしの襲来おそひ、恐ろしき
 敵の屯たむろに、
現身うつそみの「大畏怖だいいふ」立てり。しかすがに
 猛たけき人は行かざらめやも。
それ、旅は果て、峯は尽きて、
 障礙しようげは破れぬ、
唯、すゑの誉ほまれの酬むくいえむとせば、
 なほひと戦いくさ
たたかひは日ごろの好このみ、いざさらば、
 終をはりの晴はれの勝負せむ。
なまじひに眼まなこふたぎて、赦るされて、
 這ひ行くは憂し、
否残のこりなく味あぢはひて、かれも人なる
 いにしへの猛者もさたちのやう、
矢表やおもてに立ち楽世うましよの寒冷さむさ、苦痛くるしみ、暗黒くらやみ
 貢みつぎのあまり捧げてむ。
そも勇者には、忽然こつねんと禍わざはひふくに転ずべく
 闇やみは終らむ。
四大したいのあらび、忌々ゆゆしかる羅刹らせつの怒号どごう
 ほそりゆき、雑まじりけち
変化へんげして苦も楽らくとならむとやすらむ。
 そのとき光明こうみよう、その時御胸みむね
あはれ、心の心とや、抱いだきしめてむ。
 そのほかは神のまにまに。


出現 ロバアト・ブラウニング

こけむしろ、飢ゑたる岸も
  春来れば、
つと走る光、そらいろ、
  菫すみれ咲く。

村雲のしがむみそらも、
  こゝかしこ、
やれやれて影はさやけし、
  ひとつ星。

うつし世の命を耻はぢ
  めぐらせど、
こぼれいづる神のゑまひか、
  君がおも。


岩陰に ロバアト・ブラウニング
嗚呼ああ、物古ものふりし鳶色とびいろの「地」の微笑ほほゑみの大おほきやかに、
親しくもあるか、今朝けさの秋、偃曝ひなたぼこりに其骨そのほね
のばし横よこたへ、膝節ひざぶしも、足も、つきいでて、漣さざなみ
よろこび勇み、小躍こをどりに越ゆるがまゝに浸たりつゝ、
さて欹そばたつる耳もとの、さゞれの床とこの海雲雀うみひばり
和毛にこげの胸の白妙しろたへに囀てんずる声のあはれなる。
この教こそ神かんながら旧るき真まことの道と知れ。
おきなびし「地」の知りて笑む世の試こころみぞかやうなる。
愛を捧げて価値ねうちあるものゝみをこそ愛しなば、
愛は完まつたき益にして、必らずや、身の利とならむ。
おもひの痛み、苦みに卑いやしきこゝろ清めたる
なれ自らを地に捧げ、酬むくひは高き天そらに求めよ。

春の朝 ロバアト・ブラウニング

時は春、
日は朝あした
あしたは七時、
片岡かたをかに露みちて、
揚雲雀あげひばりなのりいで、
蝸牛かたつむりえだに這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

至上善 ロバアト・ブラウニング
蜜蜂の嚢ふくろにみてる一歳ひととせの香にほひも、花も、
宝玉の底に光れる鉱山かなやまの富も、不思議も、
阿古屋貝あこやがひうつし蔵かくせるわだつみの陰も、光も、
にほひ、花、陰、光、富、不思議及ぶべしやは、
   玉ぎよくよりも輝く真まこと
   珠たまよりも澄みたる信義、
天地あめつちにこよなき真まこと、澄みわたる一いちの信義は
   をとめごの清きくちづけ。

ブラウニングの楽天説は、既に二十歳の作「ポオリイン」に顕あらはれ、「ピパ」の歌、「神、そらにしろしめす、すべて世は事も無し」といふ句に綜合そうごうせられたれど、一生の述作皆人間終極の幸福を予言する点に於おいて一致し「アソランドオ」絶筆の結句に至るまで、彼は有神論、霊魂不滅説に信を失はざりき。この詩人の宗教は基督キリスト教を元としたる「愛」の信仰にして、尋常宗門の繩墨じようぼくを脱し、教外の諸法に対しては極めて宏量なる態度を持せり。神を信じ、その愛とその力とを信じ、これを信仰の基として、人間恩愛の神聖を認め、精進の理想を妄もうなりとせず、芸術科学の大法を疑はず、又人心に善悪の奮闘争鬩そうげきあるを、却て進歩の動機なりと思惟しいせり。而しかしてあらゆる宗教の教義には重おもきを措かず、ただ基督の出現を以て説明すべからざる一の神秘となせるのみ。曰いはく、宗教にして、若し、万世不易ふえきの形を取り、万人の為め、予あらかじめ、劃然かくぜんとして具そなへられたらむには、精神界の進歩は直に止りて、厭いとふべき凝滞はやがて来きたらむ。人間の信仰は定かならぬこそをかしけれ、教法に完了といふ義ある可からずと。されば信教の自由を説きて、寛容の精神を述べたるもの、「聖十字架祭」の如きあり。殊ことに晩年に蒞のぞみて、教法の形式、制限を脱却すること益ますます著るしく、全人類にわたれる博愛同情の精神愈いよいよ盛なりしかど、一生の確信は終始毫ごうも渝かはること無かりき。人心の憧あこがれ向ふ高大の理想は神の愛なりといふ中心思想を基として、幾多の傑作あり。「クレオン」には、芸術美に倦みたる希臘ギリシヤ詩人の永生に対する熱望の悲音を聞くべく、「ソオル」には事業の永続に不老不死の影ばかりなるを喜ぶ事のはかなき夢なるを説きて、更に個人の不滅を断言す。「亜剌比亜アラビアの医師カアシッシュの不思議なる医術上の経験」といふ尺牘体せきとくたいには、基督教の原始に遡さかのぼりて、意外の側面に信仰の光明を窺ひ、「砂漠の臨終」には神の権化を目撃せし聖約翰ヨハネの遺言を耳にし得べし。然れどもこれ等の信仰は、盲目なる狂熱の独断にあらず、皆冷静の理路を辿たどり、若しくは、精練、微を穿うがてる懐疑の坩堝るつぼを経たるものにして「監督ブルウグラムの護法論」「フェリシュタアの念想」等これを証す。これを綜ぶるに、ブラウニングの信仰は、精神の難関を凌しのぎ、疑惑を排除して、光明の世界に達したるものにして永年の大信は世を終るまで動かざりき。「ラ・セイジヤス」の秀什しゆうじゆう、この想を述べて余あり、又、千八百六十四年の詩集に収めたる「瞻望せんぼう」の歌と、千八百八十九年の詩集「アソランドオ」の絶筆とはこの詩人が宗教観の根本思想を包含す。訳者

花くらべ ウィリアム・シェイクスピヤ

つばめも来ぬに水仙花、
大寒おほさむこさむ三月の
風にもめげぬ凜々りりしさよ。
またはジュノウのまぶたより、
ヴィイナス神がみの息いきよりも
なほ臈ろうたくもありながら、
すみれの色のおぼつかな。
照る日の神も仰ぎえで
とつぎもせぬに散りはつる
いろあをざめし桜草さくらそう
これも少女をとめの習ならひかや。
それにひきかへ九輪草くりんそう
編笠早百合あみがささゆり気がつよい。
百合もいろいろあるなかに、
鳶尾草いちはつぐさのよけれども、
あゝ、今は無し、しよんがいな。


花の教 クリスティナ・ロセッティ

心をとめて窺うかがへば花自おのづから教あり。
朝露の野薔薇のばらのいへる、
「艶えんなりや、われらの姿、
とげに生ふる色香いろかとも知れ。」
麦生むぎふのひまに罌粟けしのいふ、
「せめては紅あかきはしも見よ、
そばめられたる身なれども、
げんある露の薬水を
りさゝげたる盃さかづきぞ。」
この時、百合は追風に、
「見よ、人、われは言葉なく
法を説くなり。」
みづからなせる葉陰より、
声もかすかに菫草すみれぐさ
「人はあだなる香をきけど、
われらの示す教をしへさとらじ。」


小曲 ダンテ・ゲブリエル・ロセッティ

小曲は刹那をとむる銘文しるしぶみ、また譬たとふれば、
過ぎにしも過ぎせぬ過ぎしひと時に、劫ごうの「心」の
捧げたる願文がんもんにこそ。光り匂ふ法のりの会のため、
さがもなき預言かねごとのため、折からのけぢめはあれど、
いつも例いつも堰きあへぬ思おもひ豊かにて切せちにあらなむ。
「日」の歌は象牙にけづり、「夜よる」の歌は黒檀に彫り、
かしらなる華はなのかざしは輝きて、阿古屋あこやの珠たまと、
照りわたるきらびの栄はえの臈ろうたさを「時とき」に示せよ。

小曲は古泉こせんの如く、そが表おもて、心あらはる、
うらがねをいづれの力しろすとも。あるは「命いのち」の
威力あるもとめの貢みつぎ、あるはまた貴あてに妙たへなる
「恋」の供奉ぐぶにかづけの纏頭はなと贈らむも、よし遮莫さもあらばあれ
三瀬川みつせがは、船はて処どころ、陰かげ暗き伊吹いぶきの風に、
「死」に払ふ渡わたりのしろと、船人ふなびとの掌にとらさむも。


恋の玉座 ダンテ・ゲブリエル・ロセッティ

心のよしと定さだめたる「力」かずかず、たぐへみれば、
「真まこと」の唇くちはかしこみて「望のぞみ」の眼まなこ、天そらあふ
「誉ほまれ」は翼つばさ、音高おとだかに埋火うづみびの「過去かこ」煽あふぎぬれば
飛火とぶひの焔ほのほ、紅々あかあかと炎上えんじようのひかり忘却の
なむとするを驚おどろかし、飛び翔けるをぞ控へたる。
また後朝きぬぎぬに巻きまきし玉の柔手やはての名残よと、
黄金こがねくしげのひとすぢを肩に残しゝ「若き世」や
「死出しで」の挿頭かざしと、例いつも例いつもあえかの花を編む「命」。

「恋」の玉座ぎよくざは、さはいへど、そこにしも在あらじ、空遠く、
逢瀬あふせ、別わかれの辻風つじかぜのたち迷ふあたり、離さかりたる
夢も通はぬ遠とほつぐに、無言しじまの局つぼね奥深おくふかく、
設けられたり。たとへそれ、「真まこと」は「恋」の真心まごころ
つとに知る可く、「望のぞみ」こそそを預言かねごとし、「誉ほまれ」こそ
そがためによく、「若き世」めぐし、「命」惜しとも。


春の貢 ダンテ・ゲブリエル・ロセッティ

草うるはしき岸の上うへに、いと美うるはしき君が面おも
われは横よこたへ、その髪を二つにわけてひろぐれば、
うら若草のはつ花も、はな白じろみてや、黄金こがねなす
みぐしの間ひまのこゝかしこ、面映おもはゆげにも覗のぞくらむ。
去年こぞとやいはむ今年とや年の境さかひもみえわかぬ
けふのこの日や「春」の足、半なかばたゆたひ、小李こすもも
葉もなき花の白妙しろたへは雪間がくれに迷まどはしく、
「春」住む庭の四阿屋あづまやに風の通路かよひぢひらけたり。

されど卯月うづきの日の光、けふぞ谷間に照りわたる。
仰ぎて眼まなこ閉ぢ給へ、いざくちづけむ君が面、
水枝みづえ小枝こえだにみちわたる「春」をまなびて、わが恋よ、
温かき喉のど、熱き口、ふれさせたまへ、けふこそは、
ちぎりもかたきみやづかへ、恋の日なれや。冷かに
つめたき人は永久とこしへのやらはれ人と貶おとし憎まむ。


心も空に ダンテ・アリギエリ

心も空に奪はれて物のあはれをしる人よ、
今わが述ぶる言の葉の君の傍かたへに近づかば
心に思ひ給ふこと応いらへ給ひね、洩れなくと、
あやに畏かしこき大御神おほみかみ「愛」の御名みなもて告げまつる。

さても星影きらゝかに、更け行く夜よるも三つ一つ
ほとほと過ぎし折しもあれ、忽ち四方よもは照渡り、
「愛」の御姿みすがたうつそ身に現はれいでし不思議さよ。
おしはかるだに、その性さがの恐しときく荒神あらがみ

御気色みけしきいとゞ麗はしく在いますが如くおもほえて、
御手みてにはわれが心しんの臓ぞう、御腕おんかひなには貴あてやかに
あえかの君の寝姿ねすがたを、衣きぬうちかけて、かい抱いだき、

やをら動かし、交睫まどろみの醒めたるほどに心しんの臓ぞう
さゝげ進むれば、かの君も恐る恐るに聞きこしけり。
「愛」は乃すなはち馳せ去りつ、馳せ走りながら打泣きぬ。


さぎの歌 エミイル・ヴェルハアレン

ほのぐらき黄金こがね隠沼こもりぬ
骨蓬かうほねの白くさけるに、
静かなる鷺の羽風は
おもむろに影を落しぬ。

水の面おもに影は漂ただよひ、
広ごりて、ころもに似たり。
あめなるや、鳥の通路かよひぢ
羽ばたきの音もたえだえ。

漁子すなどりのいと賢さかしらに
清らなる網をうてども、
そらける奇しき翼の
おとなひをゆめだにしらず。

また知らず日に夜をつぎて
みぞのうち泥土どろつちの底
鬱憂の網に待つもの
久方ひさかたの光に飛ぶを。

ボドレエルにほのめきヴェルレエヌに現はれたる詩風はここに至りて、終つひに象徴詩の新体を成したり。この「鷺の歌」以下、「嗟嘆さたん」に至るまでの詩は多少皆象徴詩の風格を具そなふ。訳者

のりの夕ゆふべ エミイル・ヴェルハアレン

夕日の国は野も山も、その「平安」や「寂寥せきりよう」の
ねずみの色の毛布けぬのもて掩おほへる如く、物寂びぬ。
万物凡なべて整ととのふり、折りめ正しく、ぬめらかに、
物の象かたちも筋めよく、ビザンチン絵の式かたの如ごと

時雨しぐれ村雨むらさめ、中空なかぞらを雨の矢数やかずにつんざきぬ。
見よ、一天は紺青こんじようの伽藍がらんの廊ろうの色にして、
今こそ時は西山せいざんに入日傾く夕まぐれ、
日の金色こんじきに烏羽玉うばたまの夜よるの白銀しろがねまじるらむ。

めぢの界さかひに物も無し、唯遠長とほながき並木路、
路に沿ひたる樫かしの樹は、巨人の列つらの佇立たたずまひ
まばらに生ふる箒木ははきぎや、新墾にひばり小田をだの末かけて、
すき休めたる野らまでも領りようずる顔の姿かな。

木立こだちを見れば沙門等しやもんらが野辺のべの送おくりの営いとなみに、
夕暮がたの悲を心に痛み歩むごと、
また古いにしへの六部等ろくぶらが後世ごせ安楽の願かけて、
霊場詣りようじようまうで、杖重く、番ばんの御寺みてらを訪ひしごと。

赤々として暮れかゝる入日の影は牡丹花ぼたんか
眠れる如くうつろひて、河添かはぞひ馬道めどう開けたり。
ああ、冬枯や、法師めくかの行列を見てあれば、
たとしへもなく静かなる夕ゆふべの空に二列ふたならび

瑠璃るりの御空みそらの金砂子きんすなご、星輝ける神前に
進み近づく夕づとめ、ゆくてを照らす星辰は
壇に捧ぐる御明みあかしの大燭台だいそくだいの心しんにして、
火こそみえけれ、其棹さをの閻浮提金えんぶだごんぞ隠れたる。


水かひば エミイル・ヴェルハアレン

ほらあなめきし落窪おちくぼの、
夢も曇るか、こもり沼は、
腹しめすまで浸りたる
まだら牡牛の水かひ場

坂くだりゆく牧まきがむれ、
牛は練りあし、馬は跑だく
時しもあれや、落日に
うそぶき吼ゆる黄牛あめうしよ。

日のかぐろひの寂寞じやくまくや、
色も、にほひも、日のかげも、
こずゑのしづく、夕栄ゆふばえも。

もやは刈穂かりほのはふり衣ぎぬ
夕闇とざす路みち遠み、
牛のうめきや、断末魔。


畏怖おそれ エミイル・ヴェルハアレン

北に面むかへるわが畏怖おそれの原の上に、
牧羊の翁おきな、神楽月かぐらづき、角かくを吹く。
物憂き羊小舎ひつじごやのかどに、すぐだちて、
災殃まがつびのごと、死の羊群を誘ふ。

きし方かたの悔くいをもて築きたる此小舎こや
かぎりもなき、わが憂愁の邦くにに在りて、
ゆく水のながれ薄荷莢蒾めぐさがまずみにおほはれ、
いざよひの波も重きか、蜘手くもでに澱よどむ。

肩に赤十字ある墨染すみぞめの小羊よ、
色もの凄き羊群も長棹ながさをの鞭に
うたれて帰る、たづたづし、罪のねりあし。

疾風はやてに歌ふ牧羊の翁、神楽月よ、
今、わが頭かしらかすめし稲妻の光に
この夕ゆふべおどろおどろしきわが命かな。


火宅かたく エミイル・ヴェルハアレン

嗚呼ああ、爛壊らんえせる黄金おうごんの毒に中あたりし大都会、
石は叫び烟けむり舞ひのぼり、
驕慢の円葢まるやねよ、塔よ、直立すぐだちの石柱せきちゆうよ、
虚空は震ひ、労役のたぎち沸くを、
好むや、汝なれ、この大畏怖だいいふを、叫喚を、
あはれ旅人たびうど
悲みて夢うつら離さかりて行くか、濁世だくせいを、
つゝむ火焔の帯の停車場。

中空なかぞらの山けたゝまし跳り過ぐる火輪かりんの響。
なが胸を焦す早鐘はやがね、陰々と、とよもす音おとも、
この夕ゆふべ、都会に打ちぬ。炎上の焔、赤々、
千万の火粉ひのこの光、うちつけに面おもてを照らし、
声黒こわぐろきわめき、さけびは、妄執の心の矢声やごゑ
満身すべて涜聖とくせいの言葉に捩ねぢれ、
意志あへなくも狂瀾にのまれをはんぬ。
に自らを矜ほこりつゝ、将はた、咀のろひぬる、あはれ、人の世。


時鐘とけい エミイル・ヴェルハアレン

やかたの闇の静かなる夜よるにもなれば訝いぶかしや、
廊下のあなた、かたことゝ、桛杖かせづゑのおと、杖の音おと
「時」の階はしごのあがりおり、小股こまたに刻きざむ音おとなひは
           これや時鐘とけいの忍足しのびあし

硝子がらすの葢ふたの後うしろには、白鑞しろめの面おもて飾なく、
花形模様色褪めて、時の数字もさらぼひぬ。
人の気えし渡殿わたどのの影ほのぐらき朧月ろうげつよ、
           これや時鐘とけいの眼の光。

うち沈みたるねび声に機しかけのおもり、音おとひねて、
つちに鑢やすりの音もかすれ、言葉悲しき木の函はこよ、
細身ほそみの秒の指のおと、片言かたことまじりおぼつかな、
           これや時鐘とけいの針の声。

かくなる函はこは樫かしづくり、焦茶こげちやの色の框わくはめて、
冷たき壁に封じたる棺ひつぎのなかに隠れすむ
「時」の老骨ろうこつ、きしきしと、数かずむ音おとの歯ぎしりや、
           これぞ時鐘とけいの恐ろしさ。

げに時鐘とけいこそ不思議なれ。
あるは、木履きぐつを曳き悩み、あるは徒跣はだしに音を窃ぬすみ、
忠々まめまめしくも、いそしみて、古く仕ふるはした女か。
柱時鐘はしらどけいを見詰みつむれば、針はりのコムパス、身の搾木しめぎ


黄昏たそがれ ジォルジュ・ロオデンバッハ

夕暮がたの蕭しめやかさ、燈火あかり無き室の蕭しめやかさ。
かはたれ刻どきは蕭やかに、物静かなる死の如く、
朧々おぼろおぼろの物影のやをら浸み入り広ごるに、
まづ天井の薄明うすあかり、光は消えて日も暮れぬ。

物静かなる死の如く、微笑ほほゑみ作るかはたれに、
曇れる鏡よく見れば、別わかれの手振てぶりうれたくも
わが俤おもかげは蕭しめやかに辷すべり失せなむ気色けはひにて、
影薄れゆき、色蒼いろあをみ、絶えなむとして消つべきか。

壁に掲けたる油画あぶらゑに、あるは朧おぼろに色褪めし、
わくをはめたる追憶おもひでの、そこはかとなく留まれる
人の記憶の図の上に心の国の山水さんすいや、
筆にゑがける風景の黒き雪かと降り積る。

夕暮がたの蕭しめやかさ。あまりに物のねびたれば、
沈める音おとの絃いとの器に、桛かせをかけたる思にて、
無言むごんを辿たどる恋こひなかの深き二人ふたりの眼差まなざしも、
花毛氈もうせんの唐草からくさに絡からみて縒るゝ夢心地ゆめごこち

いと徐おもむろに日の光陰ひかりかぐろひてゆく蕭しめやかさ。
文目あやめもおぼろ、蕭やかに、噫ああ、蕭やかに、つくねんと、
沈黙しじまの郷さとの偶座むかひゐは一つの香こうにふた色の
にほひまじれる思にて、心は一つ、えこそ語らね。


銘文しるしぶみ アンリ・ドゥ・レニエ

夕まぐれ、森の小路こみちの四辻よつつじ
夕まぐれ、風のもなかの逍遙しようように、
かまどの灰や、歳月さいげつに倦み労つかれ来て、
定業じようごうのわが行末もしらま弓、
杖と佇たたずむ。

みちのゆくてに「日」は多し、
今更ながら、行きてむか。
ゆふべゆふべの旅枕、
水こえ、山こえ、夢こえて、
つひのやどりはいづかたぞ。
そは玄妙の、静寧せいねいの「死」の大神おほかみが、
わがまなこ、閉ぢ給ふ国、
黄金おうごんの、浦安の妙たへなる封ふうに。

高樫たかがしの寂寥せきりようの森の小路よ。
岩角に懈怠けたいよろぼひ、
きり石に足弱あしよわ悩み、
歩む毎ごと
きしかたの血潮流れて、
木枯こがらしの颯々さつさつたりや、高樫たかがしに。
ああ、われ倦みぬ。

赤楊はんのきの落葉らくようの森の小路よ。
道行く人は木葉このはなす、
蒼ざめがほの耻はぢのおも、
ぬかりみ迷ひ、群れゆけど、
かたみに避けて、よそみがち。
泥濘ぬかりみの、したゝりの森の小路よ、
憂愁ゆうしゆうを風は葉並に囁きぬ。
しろがねの、月代つきしろの霜さゆる隠沼こもりぬ
たそがれに、この道のはてに澱よどみて
げにこゝは「鬱憂」の
鬼が栖む国。

秦皮とねりこの、真砂まさご、いさごの、森の小路よ、
微風そよかぜも足音たてず、
こずゑより梢にわたり、
山蜜やまみつの色よき花は
金色こんじきの砂子すなごの光、
おのづから曲れる路は
人さらになぞへを知らず、
このさきの都のまちは
まれびとを迎ふときゝぬ。
いざ足をそこに止めむか。
あなくやし、われはえゆかじ。
他の生しようの途みちのかたはら、
「物影」の亡骸なきがら守る
わが「願がん」の通夜つやを思へば。

高樫たかがしの路われはゆかじな、
秦皮とねりこや、赤楊はんのきの路みち
日のかたや、都のかたや、水のかた、
なべてゆかじな。
ああ、小路こみち
血やにじむわが足のおと、
死したりと思ひしそれも、
あはれなり、もどり来たるか、
地響じひびきのわれにさきだつ。
噫、小路、
安逸の、醜辱しゆうじよくの、驕慢の森の小路よ、
あだなりしわが世の友か、吹風ふくかぜは、
高樫たかがしの木下蔭このしたかげ
声はさやさや、
なみださめざめ。

あな、あはれ、きのふゆゑ、夕暮悲し、
あな、あはれ、あすゆゑに、夕暮苦し、
あな、あはれ、身のゆゑに、夕暮重し。


愛の教 アンリ・ドゥ・レニエ

いづれは「夜よる」に入る人の
をさな心も青春も、
今はた過ぎしけふの日や、
従容しようようとして、ひとりきく、
「冬篳篥ふゆひちりき」にさきだちて、
「秋」に響かふ「夏笛」を。
(現世げんぜにしては、ひとつなり、
物のあはれも、さいはひも。)
あゝ、聞け、楽がくのやむひまを
「長月姫ながづきひめ」と「葉月姫はづきひめ」、
なが「憂愁」と「歓楽」と
語らふ声の蕭しめやかさ。
(熟しうみたるくだものゝ
つはりて枝や撓たわむらむ。)
あはれ、微風そよかぜ、さやさやと
伊吹いぶきのすゑは木枯こがらし
誘ふと知れば、憂かれども、
けふ木枯こがらしもそよ風も
口ふれあひて、熟睡うまいせり。
森蔭はまだ夏緑なつみどり
夕まぐれ、空より落ちて、
笛の音は山鳩よばひ、
「夏」の歌「秋」を揺そそりぬ。
あけぼのの美しからば、
その昼は晴れわたるべく、
心だに優しくあらば、
身の夜よるも楽しかるらむ。
ほゝゑみは口のさうび花
もつれ髪がみ、髷わげにゆふべく、
真清水ましみづやいつも澄みたる。
あゝ人よ、「愛」を命の法のりとせば、
星や照らさむ、なが足を、
いづれは「夜よる」に入らむ時。


花冠 アンリ・ドゥ・レニエ

みちのつかれに項垂うなだれて、
黙然もくぜんたりや、おもかげの
あらはれ浮ぶわが「想おもひ」。
命の朝のかしまだち、
世路せいろにほこるいきほひも、
今、たそがれのおとろへを
すかしみすれば、わなゝきて、
顔背そむくるぞ、あはれなる。
思ひかねつゝ、またみるに、
避けて、よそみて、うなだるゝ、
あら、なつかしのわが「想」。

げにこそ思へ、「時」の山、
山越えいでて、さすかたや、
「命」の里に、もとほりし
なが足音もきのふかな。

さて、いかにせし、盃に
水やみちたる。としごろの
がんの泉はとめたるか。
あな空手むなで、唇乾かわき、
とこしへの渇かつに苦にがめる
いと冷やき笑ゑみを湛たたへて、
ゆびさせる其足もとに、
たまの屑くづ、埴土はにのかたわれ。

つぎなる汝なれはいかにせし、
こはすさまじき姿かな。
そのかみの臈ろうたき風情ふぜい
嫋竹なよたけの、あえかのなれも、
おぞなりや、宴うたげのくづれ、
みだれ髪がみ、肉ししおきたるみ、
酒の香に、衣きぬもなよびて、
む足も酔ひさまだれぬ。
あな忌々ゆゆし、とく去ねよ、

さて、また次のなれが面おも
みれば麗容れいよううつろひて、
かなしみ、削ぎしやつれがほ、
指組み絞り胸隠す
そうの手振てぶりの怪しきは、
ゑたる血にぞ、怨恨えんこん
毒ながすなるくち蝮ばみ
おほはむためのすさびかな。

また「驕慢」に音おとづれし
なが獲物をと、うらどふに、
えび染ぞめのきぬは、やれさけ、
しやくの牙も、ゆがみたわめり。
又、なにものぞ、ほてりたる
もろ手ひろげて「楽欲ぎようよく」に
らうがはしくも走りしは。
酔狂の抱擁だきしめむご
唇を噛み破られて、
満面に爪つまあとたちぬ。
きようざめたりな、このくるひ、
われを棄つるか、わが「想」
あはれ、耻はづかし、このみざま、
なれみづからをいかにする。

しかはあれども、そがなかに、
おこなひ清きたゞひとり、
きぬもけがれと、はだか身に、
出でゆきしより、けふまでも、
あだし「想」の姉妹おとどひ
みちことなるか、かへり来
――あゝ行かばやな――汝がもとに。
法苑林ほうおんりんの奥深く
素足の「愛」の玉容ぎよくよう
なれは、ゐよりて、睦むつみつゝ、
霊華りようげの房ふさを摘みあひて、
うけつ、あたへつ、とりかはし
そうの額ひたひをこもごもに、
飾るや、一いつの花の冠かんむり

ホセ・マリヤ・デ・エレディヤは金工の如くアンリ・ドゥ・レニエは織人の如し。また、譬喩ひゆを珠玉に求めむか、彼には青玉黄玉の光輝あり、これには乳光柔き蛋白石たんぱくせきの影を浮べ、色に曇るを見る可し。訳者

延びあくびせよ フランシス・ヴィエレ・グリフィン

びあくびせよ、傍かたはらに「命」は倦みぬ、
――朝明あさけより夕をかけて熟睡うまいする
  その臈ろうたげさ労つからしさ、
  ねむり眼のうまし「命」や。
起きいでよ、呼ばはりて、過ぎ行く夢は
大影おほかげの奥にかくれつ。
今にして躊躇ためらひなさば、
ゆく末に何の導しるべぞ。
呼ばはりて過ぎ行く夢は
去りぬ神秘くしびに。

いでたちの旅路の糧かてを手握たにぎりて、
あゆみもいとゞ速はやまさる
愛の一念ましぐらに、
急げ、とく行け、
呼ばはりて、過ぎ行く夢は、
夢は、また帰り来なくに、

進めよ、走せよ、物陰に、
おそれをなすか、深淵しんえんに、
あな、急げ……あゝ遅れたり。
はしけやし「命」は愛に熟睡うまいして、
栲綱たくづぬの白腕しろただむきになれを巻く。
――噫ああ遅れたり、呼ばはりて過ぎ行く夢の
いましめもあだなりけりな。
ゆきずりに、夢は嘲る……

さるからに、
むしろ「命」に口触れて
これに生ませよ、芸術を。
無言むごんを祷いのるかの夢の
教をきかで、無辺むへんなる神に憧あこがるゝ事なくば、
たちかへり、色よき「命」かき抱き、
なれが刹那を長久とはにせよ。
死の憂愁に歓楽に
霊妙音れいみようおんを生ませなば、
なが亡き後あとに残りゐて、
はた、さゞめかむ、はた、なかむ、
うれしの森に、春風や
若緑、
去年こぞを繰返あこぎの愛のまねぎに。
さればぞ歌へ微笑ほほゑみの栄はえの光に。


伴奏 アルベエル・サマン

白銀しろがねの筐柳はこやなぎ、菩提樹ぼだいずや、榛はんの樹や……
みづの面おもに月の落葉おちばよ……

ゆふべの風に櫛くしけづる丈長髪たけなががみの匂ふごと、
夏の夜の薫かをりなつかし、かげ黒き湖みづうみの上、
水薫かをる淡海あはうみひらけ鏡なす波のかゞやき。

かぢの音もうつらうつらに
夢をゆくわが船のあし。

船のあし、空をもゆくか、
かたちなき水にうかびて

ならべたるふたつの櫂かい
「徒然つれづれ」の櫂「無言しじま」がい。

水の面おもの月影なして
波の上うへの楫の音なして
わが胸に吐息といきちらばふ。


かぞへうた ジァン・モレアス

色に賞でにし紅薔薇こうそうび、日にけに花は散りはてゝ、
唐棣花はねずいろよき若立わかだちも、季ときことごとくしめあへず、
そよそよ風の手枕たまくらに、はや日数ひかずしけふの日や、
つれなき北の木枯に、河氷るべきながめかな。

ああ、歓楽よ、今さらに、なじかは、せめて争はむ、
知らずや、かゝる雄誥をたけびの、世に類たぐひ無く烏滸をこなるを、
ゆゑだもなくて、徒いたづらに痴れたる思、去りもあへず、
「悲哀」の琴きんの糸の緒を、ゆし按あんずるぞ無益むやくなる。

     *

ゆめ、な語りそ、人の世は悦よろこびおほき宴うたげぞと。
そは愚かしきあだ心、はたや卑しき癡れごこち。
ことに歎くな、現世うつしよを涯かぎりも知らぬ苦界くがいよと。
よう無き勇ゆうの逸気はやりぎは、たゞいち早く悔いぬらむ。

春日はるひ霞みて、葦蘆よしあしのさゞめくが如ごと、笑みわたれ。
磯浜いそはまかけて風騒ぎ波おとなふがごと、泣けよ。
一切の快楽けらくを尽し、一切の苦患くげんに堪へて、
とよの世と称たたふるもよし、夢の世と観かんずるもよし。

     *

死者のみ、ひとり吾に聴く、奥津城処おくつきどころ、わが栖家すみか
世の終をふるまで、吾はしも己が心のあだがたき。
亡恩に栄華は尽きむ、里鴉さとがらすはたをあらさむ、
収穫時とりいれどきの頼たのみなきも、吾はいそしみて種を播かむ。

ゆめ、自みづからは悲まじ。世の木枯もなにかあらむ。
あはれ侮蔑ぶべつや、誹謗ひぼうをや、大凶事おほまがごとの迫害せまりをや。
たゞ、詩の神の箜篌くごの上、指をふるれば、わが楽がく
日毎に清く澄みわたり、霊妙音れいみようおんの鳴るが楽しさ。

     *

長雨空の喪はて過ぎて、さすや忽ち薄日影、
かむりの花葉はなばふりおとす栗の林の枝の上に、
水のおもてに、遅花おそばなの花壇の上に、わが眼にも、
照り添ふ匂なつかしき秋の日脚ひあしの白みたる。

日よ何の意ぞ、夏花なつはなのこぼれて散るも惜からじ、
はた禁とどめえじ、落葉らくようの風のまにまに吹き交ふも。
水や曇れ、空も鈍びよ、たゞ悲のわれに在らば、
おもひはこれに養はれ、心はために勇ゆうをえむ。

     *

われは夢む、滄海そうかいの天そらの色、哀あはれ深き入日の影を、
わだつみの灘なだは荒れて、風を痛み、甚振いたぶる波を、
また思ふ釣船の海人あまの子を、巌穴いはあなに隠かぐろふ蟹かにを、
青眼せいがんのネアイラを、グラウコス、プロオティウスを。

又思ふ、路の辺をあさりゆく物乞ものごひの漂浪人さすらひびとを、
み慣れし軒端がもとに、休いこひゐる賤しづが翁おきな
おのの柄を手握たにぎりもちて、肩かゞむ杣そまの工たくみを、
げに思ひいづ、鳴神なるかみの都の騒擾さやぎ、村肝むらぎもの心の痍きずを。

     *

この一切の無益むやくなる世の煩累わづらひを振りすてゝ、
もの恐ろしく汚れたる都の憂あとにして、
つひに分け入る森蔭の清すずしき宿やどり求めえなば、
光も澄める湖の静けき岸にわれは悟らむ。

あらず、寧むしろわれはおほわだの波うちぎはに夢みむ。
幼年の日を養ひし大揺籃だいようらんのわだつみよ、
ほだしも波の鴎鳥かもめどり、呼びかふ声を耳にして、
磯根に近き岩枕いはまくら汚れし眼まなこ、洗はばや。

     *

ああいち早く襲ひ来る冬の日、なにか恐るべき。
春の卯月うづきの贈物、われはや、既に尽し果て、
秋のみのりのえびかづら葡萄ぶどうも摘まず、新麦にひむぎ
とよの足穂たりほも、他あだし人びと、刈り干しにけむ、いつの間に。

     *

けふは照日てるひの映々はえばえと青葉高麦たかむぎ生ひ茂る
大野が上に空高く靡びかひ浮ぶ旗雲はたぐもよ。
ぎたる海を白帆あげて、朱あけの曾保船そほふね走るごと、
変化へんげ乏しき青天あをぞらをすべりゆくなる白雲よ。

時ならずして、汝なれも亦近づく暴風あれの先駆さきがけと、
みだれ姿の影黒み蹙しかめる空を翔かけりゆかむ、
嗚咽ああ、大空の馳使はせづかひ、添はゞや、なれにわが心、
心は汝なれに通へども、世の人たえて汲む者もなし。


嗟嘆といき      ステファンヌ・マラルメ
静かなるわが妹いもと、君見れば、想おもひすゞろぐ。
朽葉色くちばいろに晩秋おそあきの夢深き君が額ひたひに、
天人てんにんの瞳ひとみなす空色の君がまなこに、
憧るゝわが胸は、苔古こけふりし花苑はなぞのの奥、
淡白あはじろき吹上ふきあげの水のごと、空へ走りぬ。

その空は時雨月しぐれづき、清らなる色に曇りて、
時節をりふしのきはみなき鬱憂は池に映うつろひ
落葉らくようの薄黄うすぎなる憂悶わづらひを風の散らせば、
いざよひの池水に、いと冷やき綾あやは乱れて、
ながながし梔子くちなしの光さす入日たゆたふ。

物象を静観して、これが喚起したる幻想の裡うち自から心象の飛揚する時は「歌」成る。さきの「高踏派」の詩人は、物の全般を採りてこれを示したり。かるが故に、その詩、幽妙を虧き、人をして宛然さながら自から創作する如き享楽無からしむ。それ物象を明示するは詩興四分の三を没却するものなり。読詩の妙は漸々遅々たる推度の裡に存す。暗示は即すなはちこれ幻想に非らずや。這般しやはん幽玄の運用を象徴と名づく。一の心状を示さむが為、徐おもむろに物象を喚起し、或はこれと逆さかしまに、一の物象を採りて、闡明せんめい数番の後、これより一の心状を脱離せしむる事これなり。ステファンヌ・マラルメ

白楊はくよう テオドル・オオバネル

落日の光にもゆる
白楊はくようの聳そびやぐ並木、
谷隈たにくまになにか見る、
風そよぐ梢より。


故国 テオドル・オオバネル

小鳥でさへも巣は恋し、
まして青空、わが国よ、
うまれの里の波羅葦増雲パライソウ


海のあなたの テオドル・オオバネル

海のあなたの遙けき国へ
いつも夢路の波枕、
波の枕のなくなくぞ、
こがれ憧れわたるかな、
海のあなたの遙けき国へ。

オオバネルは、ミストラル、ルウマニユ等と相結で、十九世紀の前半に近代プロヴァンス語を文芸に用ゐ、南欧の地を風靡ふうびしたるフェリイブル詩社の翹楚ぎようそなり。
「故国」の訳に波羅葦増雲パライソウとあるは、文禄慶長年間、葡萄牙ポルトガル語より転じて一時、わが日本語化したる基督教法に所謂いはゆる天国の意なり。訳者

解悟かいご アルトゥロ・グラアフ

頼み入りし空あだなる幸さちの一つだにも、忠心まごころありて、
   とまれるはなし。
そをもふと、胸はふたぎぬ、悲にならはぬ胸も
   にがき憂うれひに。
きしかたの犯をかしの罪の一つだにも、懲こらしの責せめ
   のがれしはなし。
そをもふと、胸はひらけぬ、荒屋あばらやのあはれの胸も
   高き望に。


篠懸すずかけ ガブリエレ・ダンヌンチオ

白波しらなみの、潮騒しほざゐのおきつ貝なす
青緑あをみどりしげれる谿たに
まさかりの真昼ぞ知しろす。
われは昔の野山の精を
まなびて、こゝに宿からむ、
あゝ、神寂びし篠懸すずかけよ、
なれがにほひの濡髪ぬれがみに。


海光 ガブリエレ・ダンヌンチオ

児等こらよ、今昼は真盛まさかり、日こゝもとに照らしぬ。
寂寞じやくまく大海だいかいの礼拝らいはいして、
天津日あまつひに捧ぐる香こうは、
きよまはる潮うしほのにほひ、
とどろく波凝なごり、動ゆるがぬ岩根いはね、靡なびく藻よ。
黒金くろがねの船の舳先へさきよ、
みさき代赭色たいしやいろに、獅子の蹈留ふみとどまれる如く、
足を延べたるこゝ、入海いりうみのひたおもて、
うちひさす都のまちは、
煩悶わづらひの壁に悩めど、
鏡なす白川しらかはは蜘手くもてに流れ、
風のみひとり、たまさぐる、
洞穴口ほらあなぐちの花の錦や。


海潮音 序

 巻中収むる処の詩五十七章、詩家二十九人、伊太利亜イタリアに三人、英吉利イギリスに四人、独逸ドイツに七人、プロヴァンスに一人、而しかして仏蘭西フランスには十四人の多きに達し、曩さきの高踏派と今の象徴派とに属する者その大部を占む。
 高踏派の壮麗体を訳すに当りて、多く所謂いはゆる七五調を基としたる詩形を用ゐ、象徴派の幽婉ゆうえん体を翻ほんするに多少の変格を敢あへてしたるは、その各おのおのの原調に適合せしめむが為ためなり。
 詩に象徴を用ゐること、必らずしも近代の創意にあらず、これ或は山岳と共に旧ふるきものならむ。然れどもこれを作詩の中心とし本義として故ことさらに標榜ひようぼうする処あるは、蓋けだし二十年来の仏蘭西新詩を以て嚆矢こうしとす。近代の仏詩は高踏派の名篇に於おいて発展の極に達し、彫心鏤骨るこつの技巧実に燦爛さんらんの美を恣ほしいままにす、今ここに一転機を生ぜずむばあらざるなり。マラルメ、ヴェルレエヌの名家これに観る処ありて、清新の機運を促成し、終つひに象徴を唱へ、自由詩形を説けり。訳者は今の日本詩壇に対むかひて、専もつぱらこれに則のつとれと云ふ者にあらず、素性の然らしむる処か、訳者の同情は寧むしろ高踏派の上に在り、はたまたダンヌンチオ、オオバネルの詩に注げり。然れども又徒いたづらに晦渋かいじゆうと奇怪とを以て象徴派を攻むる者に同ぜず。幽婉奇聳きしようの新声、今人胸奥の絃に触るるにあらずや。坦々たる古道の尽くるあたり、荊棘けいきよく路を塞ふさぎたる原野に対むかひて、これが開拓を勤むる勇猛の徒を貶けなす者は怯きように非らずむば惰なり。
 訳者嘗かつて十年の昔、白耳義ベルギー文学を紹介し、稍やや後れて、仏蘭西詩壇の新声、特にヴェルレエヌ、ヴェルハアレン、ロオデンバッハ、マラルメの事を説きし時、如上うへのごとき文人の作なほ未いまだ西欧の評壇に於ても今日の声誉せいよを博する事能あたはざりしが、爾来じらい世運の転移と共に清新の詩文を解する者、漸やうやく数を増し勢を加へ、マアテルリンクの如きは、全欧思想界の一方に覇を称するに至れり。人心観想の黙移実に驚くべきかな。近体新声の耳目に嫺ならはざるを以て、倉皇視聴を掩おほはむとする人々よ、詩天の星の宿は徙のぼりぬ、心せよ。
 日本詩壇に於ける象徴詩の伝来、日なほ浅く、作未だ多からざるに当て、既すでに早く評壇の一隅に囁々しようしようの語を為す者ありと聞く。象徴派の詩人を目して徒らに神経の鋭きに傲おごる者なりと非議する評家よ、卿等けいらの神経こそ寧ろ過敏の徴候を呈したらずや。未だ新声の美を味ひ功を収めざるに先さきだちて、早くその弊竇へいとうに戦慄せんりつするものは誰ぞ。
 欧洲の評壇また今に保守の論を唱ふる者無きにあらず。仏蘭西のブリュンチエル等の如きこれなり。訳者は芸術に対する態度と趣味とに於て、この偏想家と頗すこぶる説を異にしたれば、その云ふ処に一々首肯する能はざれど、仏蘭西詩壇一部の極端派を制馭せいぎよする消極の評論としては、稍やや耳を傾く可きもの無しとせざるなり。而してヤスナヤ・ポリヤナの老伯が近代文明呪詛じゆその声として、その一端をかの「芸術論」に露あらはしたるに至りては、全く賛同の意を呈する能はざるなり。トルストイ伯の人格は訳者の欽仰きんぎようかざる者なりと雖いへども、その人生観に就ては、根本に於て既に訳者と見を異にす。抑そもそも伯が芸術論はかの世界観の一片に過ぎず。近代新声の評隲ひようしつに就て、非常なる見解の相違ある素もとより怪む可きにあらず。日本の評家等が僅に「芸術論」の一部を抽読ちゆうどくして、象徴派の貶斥へんせきに一大声援を得たる如き心地あるは、毫ごうも清新体の詩人に打撃を与ふる能はざるのみか、却かへつて老伯の議論を誤解したる者なりと謂ふ可し。人生観の根本問題に於て、伯と説を異にしながら、その論理上必須の結果たる芸術観のみに就て賛意を表さむと試むるも難いかな。
 象徴の用は、これが助を藉りて詩人の観想に類似したる一の心状を読者に与ふるに在りて、必らずしも同一の概念を伝へむと勉つとむるに非ず。されば静に象徴詩を味ふ者は、自己の感興に応じて、詩人も未だ説き及ぼさざる言語道断の妙趣を翫賞がんしようし得可し。故に一篇の詩に対する解釈は人各或は見を異にすべく、要は只類似の心状を喚起するに在りとす。例へば本書一〇二頁「鷺さぎの歌」を誦するに当あたりて読者は種々の解釈を試むべき自由を有す。この詩を広く人生に擬して解せむか、曰いはく、凡俗の大衆は眼低し。法利賽パリサイの徒と共に虚偽の生を営みて、醜辱汚穢おわいの沼に網うつ、名や財や、はた楽欲ぎようよくを漁あさらむとすなり。唯、縹緲ひようびようたる理想の白鷺は羽風徐おもむろに羽撃はばたきて、久方の天に飛び、影は落ちて、骨蓬かうほねの白く清らにも漂ふ水の面に映りぬ。これを捉へむとしてえせず、この世のものならざればなりと。されどこれ只一の解釈たるに過ぎず、或は意を狭くして詩に一身の運を寄するも可ならむ。肉体の欲に饜きて、とこしへに精神の愛に飢ゑたる放縦生活の悲愁ここに湛たたへられ、或は空想の泡沫ほうまつに帰するを哀みて、真理の捉へ難きに憧あこがるる哲人の愁思もほのめかさる。而してこの詩の喚起する心状に至りては皆相似たり。一二五頁「花冠」は詩人が黄昏たそがれの途上に佇たたずみて、「活動」、「楽欲」、「驕慢きようまん」の邦くにに漂遊して、今や帰り来きたれる幾多の「想」と相語るに擬したり。彼等黙然として頭俛れ、齎もたらす処只幻惑の悲音のみ。孤ひとりこれ等の姉妹と道を異にしたるか、終に帰り来らざる「理想」は法苑林ほうおんりんの樹間に「愛」と相睦むつみ語らふならむといふに在りて、冷艶れいえん素香の美、今の仏詩壇に冠たる詩なり。
 訳述の法に就ては訳者自ら語るを好まず。只訳詩の覚悟に関して、ロセッティが伊太利古詩翻訳の序に述べたると同一の見を持したりと告白す。異邦の詩文の美を移植せむとする者は、既に成語に富みたる自国詩文の技巧の為め、清新の趣味を犠牲にする事あるべからず。しかも彼かの所謂逐語訳は必らずしも忠実訳にあらず。されば「東行西行雲眇眇びようびよう。二月三月日遅遅」を「とざまにゆき、かうざまに、くもはるばる。きさらぎ、やよひ、ひうらうら」と訓み給ひけむ神託もさることながら、大江朝綱おおえのあさつなが二条の家に物張の尼が「月によつて長安百尺の楼に上る」と詠じたる例に従ひたる処多し。

明治三十八年初秋 上田敏
 海潮音  燕の歌 声曲 真昼 大饑餓  珊瑚礁  出征  信天翁 薄暮の曲 破鐘  譬喩 落葉 良心 礼拝 わすれなぐさ 
山のあなた   わかれ 水無月 花のをとめ 瞻望 出現 岩陰 春の朝 花くらべ 花の教 小曲 恋の玉座 春の貢 心も空に 鷺の歌 
法の夕 水かひば 畏怖 火宅 時鐘 黄昏 銘文 愛の教 花冠 延びあくびせよ 伴奏  白楊 故国 海のあなたの 解悟 篠懸 海光 戻る