「ますらお」寄稿文

「硫黄島の月下美人」 山口彰(1大隊機械10班)
 定年を間近にして、硫黄島で勤務することとなった。
 おそらく航空六期生として硫黄島に勤務するのは、最初で最後であろう。
 硫黄島には海空同居しているが、海自も同期の岡崎君が司令を勤めている。
 お互い立場を異にしていることを明確に認めつつ仲良くやっている。

 さて、硫黄島は、第二次大戦中の最大の激戦地で米軍の猛射爆撃により焦土と化したが、今では戦後米軍が空中から種子を散布したと云われる銀ネムを始めとして、ザイル、ガジュマル等結構緑で覆われているし、ハイビスカス、ブーゲンビリヤ等熱帯の草花が年中花を咲かせている。
 中でも植物で最も印象に残るのが「月下美人」である。

 「月下美人」は、サボテン科クジャクサボテン類の一種で水蓮に似た純白大輸の美しいしかも香りの良い花である。
 内地では、めったに見られない。
 それ故、どこぞの家で「月下美人」の花が咲いたとなるとテレビで紹介されるくらいである。
 その「月下美人」が、硫黄島では、数個所に何千株と群生しており、また、不思議なことに八月から九月にかけてのある夏の一夜に群生した「月下美人」が一斉に花を咲かせるのである。
 その様は誠にもって素晴らしいとしか云い様がなく、一斉に開花するのは、月の関係とか潮の関係とか云われているが、自然の摂理・法則には驚く他はない。
 その「月下美人」も美人薄命のいわれのとおり、約四時間の命である。
 女性皆無の南海の孤島で、夏の宵のしばし「美人」を楽しませてくれるも、自然の偉大な恵みであろう。
 今年も、硫黄島では間もなく、その時期を迎えようとしている。(平成三年六月末記)


「体調あれこれ」 近藤豊實(3大隊航空工学16班)
 五十路に踏みこむまで頭が悪いことを除けば、病気らしい病気もなく健康で生きて来られたことに深く感謝している。
 しかしこれからは体調に十分注意しつっ生活することが従来以上に必要である。
 そこで体調についての話を二、三記してみることとする。

 薬でもって病気が癒ったと思い違いをしている人が多い。
 本来人間の身体は病気に対して克服する能力がある。
 薬はそのための補助手段に過ぎない。
 飼われている犬や猫は別にして犬、猫が病気になったからとあるいは怪我をしたからといってその都度病院に行くだろうか。
 彼等の治療法は絶食したり、患部を舐めることで大方直してしまう。
 病院も薬も大いに利用するのは結構だが人間も動物である以上本来治癒能力があることを忘れてはなるまい。

 さる折軽い気持で「風邪だと思いますが」と受診した所ひどく叱られた。
 風邪であるか否かを診断するのは医者であって患者が判断できるなら医者は要らないと言う。
 しかし人間は経験則を知っているし又、自分の体調は自分自身が最もよく解ったっもりで判断したのだが、医者の立場からすればそれが真正の風邪か、何か別の病気の前駆症状かもしれないといった心配もあるのであろう。

 ところが別の病院で受診の時、先の経験を踏まえて自覚症状のみを話した。
 微熱がある、鼻がつまる、喉もやや痛いと。
 診察した医者が、これは風邪ですねと患者に念を押すように言う。
 また薬を出しましょうかと訊ねる。
 先の叱られた経験を持つ者にしてみれば誠に困ってしまう。
 病名と投薬を要するか否かを判断するのが医者の職分ではなかろうかと。

 思うに人相が誰しも異なるように医者の考えも又千差万別である。
 一人の患者を扱う時その人の職業、年令、性別、社会的環境等をどのように考慮するかによって対応もいろいろに別れる。
 それは最終的にその医者の持っ世界観、人生観、倫理観といったものに左右されると思うのである。
 とにかく体調の保持には十分注意して健康が総ての基本であることに思いを致し、快適な人生を送ろうではないか。


「雑 憾」 永尾和夫(4大隊電気5班)
 「ますらを」も三十周年記念号を発刊する時が来た。
 その発行事業の一端を編集委員として担うこととなり、感慨もひとしおである。

 防大四年生の時、防衛学「国防と経済」の講義の中で、当時、航空防衛学教室主任をしておられた富永一空佐が「今、立ち上ったばかりの航空自衛隊だが、将来は三十三ケ飛行隊を基幹としたものに育てることを目標としている。その為には国防予算は、現在GNP比1.8%だが、早く2%、3%のオーダーにしなければならない。」と講義された。

 今日、GNPの総額が当時とは比較にならない程成長しているとは言いながら、防衛費が1%を越すことそのことだけで国会での論議を呼び、また、飛行隊の数は三十三に及びもつかない。
 しかし、その様な予算の制約を初め、制度は未整備のところが多かったが、自衛隊を今日の姿まで育てあげて来た力の大きな部分を六期生の一人一人が分担して来たことは、間違いのないところだろう。

 この間、国民にとっても、我々にとっても幸いだったことは、米ソ対立の構図の中にあったが、日米安全保障条約の傘の下で、外国からの侵略が未然に防止されて来たことである。
 六期生も早晩退職の時期を迎えた。
 夫々の職歴、立場の中でのご健闘に対し、お互いにご苦労様と言いたい。

 幸い私も、家族共々健康だし(とは言え、年齢相応の不具合は、私も家内もボツボツ顕在化してはいるが…)子供たち二人も夫々独立すべき年となり、私がそうであった様に、親の言うことなど聴こうともせず、自らの道を歩もうとしている。
 同期生諸兄もほぼ同様だろうか。

 今後の六期生会や「ますらを」はこれまでと違った姿で運営されることとなろうが、いっまでも暖く、活発な交流の場として続くよう願っている。

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