環礁 ――ミクロネシヤ巡島記抄――  中島 敦 目録

寂しい島

 寂しい島だ。
 島の中央にタロ芋田が整然と作られ、その周圍を蛸樹たこやレモンや麺麭パン樹やウカル等の雜木の防風木が取卷いてゐる。
 その、もう一つ外側に椰子林が續き、さてそれからは、白い砂濱――海――珊瑚礁といつた順序になる。
 美しいけれども、寂しい島だ。
 島民の家は西岸の椰子林の間に散らばつてゐる。
 人口は百七八十もあらうか。
 もつと小さい島を幾つも私は見て來た。
 全島珊瑚の屑ばかりで土が無いために、全然タロ芋(之が島民にとつての米に當るのだ)の出來ない島も知つてゐる。
 蟲害のために悉く椰子を枯らして了つた荒涼たる島も知つてゐる。
 それだのに、人口僅か十六人のB島を別にすれば、此處程寂しい島は無い。
 何故だらう?理由は、たゞ一つ。
 子供がゐないからだ。
 いや、子供もゐることはゐる。
 たつた一人ゐるのだ。
 今年五歳になる女の兒が。
 さうして、其の兒の外に二十歳以下の者は一人もゐない。
 死んだのではない。
 絶えて生れなかつたのだ。
 その女の兒(外に子供はゐないのだから、言ひにくい島民名前などは持出さずに、唯、女の兒とだけ呼ぶことにしよう)が生れる前の十數年間、一人の赤ん坊も此の島に生れなかつた。
 女の兒が生れてから今に至る迄、まだ一人も生れない。
 恐らく、今後も生れないのではなからうか。
 少くとも、此の島の年老いた連中はさう信じてゐる。
 それ故、數年前この女の兒が生れた時は、老人連が集まつて、此の島の最後の人間――女になるべき赤ん坊を拜んだといふことである。
 最初の者が崇められるやうに、最後の者も亦崇められねばならぬ。
 最初の者が苦しみを嘗めたやうに、最後の者も亦どんなにか苦しみを嘗めねばならぬであらう。
 さう呟きながら、黥いれずみをした老爺や老婆達が、哀しげに虔つつしみ深く、赤ん坊を禮拜したといふ。
 但し、それは老人だけの話で、若い者は、何年にも見たことのない人間の赤ん坊といふものが珍しさに、ワイワイ騷ぎながら見物に來たと聞いてゐる。
 丁度女の兒が生れる二年前に、戸口調査があり、其の時の記録には人口三百と記されてゐるのに、今ではもう百七八十しか無い。
 こんな速やかな減少率があらうか。
 死ぬ者ばかりで生れる者が皆無だと、別に疫病に見舞はれた譯でなくとも、斯んなに速く減るものだらうか。
 當時女の赤ん坊を拜んだ老人達は最早一人殘らず死んで了つてゐるに違ひない。
 それでも、老人達の殘した訓をしへは固く守られてゐると見えて、今でも、此の島の最後の者たるべき女の兒は、喇嘛の活佛のやうに大事にされてゐる。
 成人おとなばかりの間にたつた一人の子供では、可愛がられるのが當り前のやうだが、此の場合は、それに多分の原始宗教的な畏怖と哀感とが加はつてゐるのである。
 何故、此の島には赤ん坊が生れないのか。
 性病の蔓延や避姙の事實は無いか、と誰もが訊ねる。
 成程、性病も肺病も無いことはないが、それは何も、此の島に限つたことではない。
 といふより寧ろ、他の島々に比べて少い位なのだ。
 避姙に至つては己おのれの島の絶滅を豫感して其の前に戰をののいてゐるものが、そんな事をする譯が無いのである。
 又、女性の身體の一部に不自然な施術をする奇習が原因だらうといふ者もあるが、此の習慣の本家たるトラック地方の諸離島では人口減少の現象が見られないのだから、此の推測は當らない。
 他の島々に比べてタロ芋の産出は豐かだし、椰子も麺麭樹も良く實り、食料は餘る位だ。
 別に天災地變に見舞はれた譯でもない。
 では、何故なぜだ。
 何故、赤ん坊が生れないか。
 私には判らない。
 恐らく、神が此の島の人間を滅ぼさうと決意したからでもあらう。
 非科學的と嗤はれても、さうでも考へるより外、仕方が無いやうである。
 よく手入された芋田と、美しい椰子林とを眞晝の眩しい光の下に見ながら、此の島の運命を考へた時、あらゆる重大なことは凡てにも拘はらずトロッツデム起る、といつた誰かの言葉を思ひ出した。
 ものが亡びる時は、こんなものなのかと思つた。
 科學者達は其の滅亡の跡を見て數々の原因を指摘しては得々としてゐるが、其の原因と稱する所のものは、何ぞ圖らん、原因ではなくて結果に過ぎないことが多いのである。
 秋の終りの最後の薔薇に、思ひがけなく大輪の花が咲くことがあるやうに、此の島の最後の娘も或ひは素晴らしく美しく怜悧な子(勿論島民の標準に於てではあるが)ではあるまいかと、甚だ浪漫的な空想を抱いて、私は其の女の兒を見に行つた。
 そして、すつかり失望した。
 肥つてこそゐたが、うす汚い、愚かしい顏付の、平凡な島民の子である。
 鈍い目に微かに好奇心と怯えとを見せて、此の島には珍しい内地人たる私の姿に見入つてゐた。
 まだ黥いれずみはしてゐない。
 大切にされてゐるとは言つても、フランペシヤだけは出來ると見える。
 腕や脚一面に糜爛した腫物がはびこつてゐた。
 自然は私程にロマンティストではないらしい。
 夕方、私は獨り渚を歩いた。
 頭上には亭々たる椰子樹が大きく葉扇を動かしながら、太平洋の風に鳴つてゐた。
 潮の退いたあとの濕つた砂を踏んで行く中に、先刻から私の前後左右を頻りに陽炎のやうな・或ひは影のやうなものがチラチラ走つてゐることに氣が付いた。
 蟹なのである。
 灰色とも白とも淡褐色ともつかない・砂と殆ど見分けの付かない・一寸蝉の脱け殼がらのやうな感じの・小さな蟹が無數に逃げ走るのである。
 南洋には、マングローブ地帶に多い・赤と青のペンキを塗つたやうな汐招き蟹なら到る所にゐるが、此の淡い影のやうな蟹は珍しい。
 初めてパラオ本島のガラルド海岸で之を見た時、一つ一つの蟹の形は見えずに、唯、自分の周圍の砂がチラチラ、チラチラと崩れ流れて走るやうな氣がして、幻でも見てゐるやうな錯覺に囚へられたものであつた。
 今此の島でそれを二度目に見るのである。
 私が立停つて暫くじつとしてゐると、蟹共の逃走も止む。
 素速く走る灰色の幻も、フツと消えるのである。
 此の島の人間共が死絶えた(それはもう殆ど確定的な事實なのだ)後は、この影のやうな・砂の亡靈のやうな小蟹共が、此の島を領するのであらうか。
 灰白色の搖動く幻だけが此の島の主となる日を考へると、妙にうそ寒い氣持がして來た。
 薄明といふものの無い南國のことで、陽が海に落ちると、直ぐに眞暗になる。
 私が淋しい東海岸から、それでも人家の集まつてゐる西岸へと廻つて行つた頃は、もう既に夜であつた。
 椰子樹の下の低い民家から、チラチラと灯が洩れる。
 その一軒に私は近付いて行つた。
 裏の炊事場――パラオ語ではウムといふが、此處南方離島では何と呼ぶのか知らない――に、焔が音も無く燃えてゐた。
 其の上に掛かつた鍋には芋か魚でもはひつてゐるのだらう。
 私が中にはひつて行くと、火の傍にゐた老婆が驚いて顏を上げた。
 黥いれずみをした、たるんだ皮膚が、搖れ動く焔にチラチラと赤く映える。
 手眞似で食を求めると、老婆は直ぐに前の鍋の蓋を取つて覗いた。
 だぶだぶの汁つゆの中に小魚が三四匹はひつてゐたが、まだ煮えないらしい。
 老婆は立上つて奧から木皿を持つて來た。
 タロ芋の切つたのと、燻製らしい魚の切身が載つてゐた。
 別に空腹な譯ではない。
 彼等の食物の種類や味が知りたかつただけである。
 兩方を一寸つまんで味はつて見てから、私は日本語で禮を言つて、表へ出た。
 濱へ出ると、遙か向ふに、私の乘つて來た――さうして、ここ數時間の中には又乘つて立去る――小汽船の燈火が、暗い海に其處だけ明るく浮上つてゐた。
 丁度側を通りかかつた島民の男を呼びとめ、カヌーを漕がせて、船に歸つた。

 汽船ふねは此の島を夜半に發つ。
 それ迄汐を待つのである。
 私は甲板に出て欄干てすりに凭つた。
 島の方角を見ると、闇の中に、ずつと低い所で、五つ六つの灯が微かにちらついて見える。
 空を仰いだ。
 檣や索綱つなの黒い影の上に遙か高く、南國の星座が美しく燃えてゐた。
 ふと、古代希臘の或る神祕家の言つた「天體の妙なる諧音」のことが頭に浮かんだ。
 賢い其の古代人は斯う説いたのである。
 我々を取卷く天體の無數の星共は常に巨大な音響――それも、調和的な宇宙の構成にふさはしい極めて調和的な壯大な諧音――を立てて廻轉しつゝあるのだが、地上の我々は太初よりそれに慣れ、それの聞えない世界は經驗できないので、竟に其の妙たへなる宇宙の大合唱を意識しないでゐるのだ、と。
 先刻さつき夕方の濱邊で島民共の死絶えた後あとの此の島を思ひ畫いたやうに、今、私は、人類の絶えて了つたあとの・誰も見る者も無い・暗い天體の整然たる運轉を――ピタゴラスの云ふ・巨大な音響を發しつつ廻轉する無數の球體共の樣子を想像して見た。
 何か、荒々しい悲しみに似たものが、ふつと、心の底から湧上つて來るやうであつた。

夾竹桃の家の女

 午後。
 風がすつかり呼吸を停めた。
 薄く空一面を蔽うた雲の下で、空氣は水分に飽和して重く淀んでゐる。
 暑い。
 全く、どう逃れようもなく暑い。
 蒸風呂にはひり過ぎた樣なけだるさに、一歩一歩重い足を引摺るやうにして、私は歩いて行く。
 足が重いのは、一週間ばかり寢付いたデング熱がまだ治り切らないせゐでもある。
 疲れる。
 呼吸いきが詰まるやうだ。
 眩暈を感じて足をとゞめる。
 道傍のウカル樹の幹に手を突いて身體を支へ、目を閉ぢた。
 デングの四十度の熱に浮かされた時の・數日前の幻覺が、再び瞼の裏に現れさうな氣がする。
 其の時と同じ樣に、目を閉ぢた闇の中を眩い光を放つ灼熱の白金の渦卷がぐるぐると廻り出す。
 いけない! と思つて直ぐに目を開く。
 ウカル樹の細かい葉一つそよがない。
 肩甲骨の下の所に汗が湧き、それが一つの玉となつて背中をツーツと傳はつて行くのがはつきり判る。
 何といふ靜けさだらう! 村中眠つてゐるのだらうか。
 人も豚も鶏も蜥蜴も、海も樹々も、咳しはぶき一つしない。
 少し疲れが休まると、又歩き出す。
 パラオ特有の滑らかな敷石路である。
 今日のやうな日では、島民達のやうに跣足で此の石の上を歩いて見ても、大して冷たくはなささうだ。
 五六十歩下りて、巨人の頬髯のやうに攀援類の纏ひついた鬱蒼たる大榕樹の下迄來た時、始めて私は物音を聞いた。
 ピチヤピチャと水を撥ね返す音である。
 洗身場だなと思つて傍を見ると、敷石路から少し下へ外れる小徑こみちがついてゐる。
 巨大な芋葉と羊齒とを透かしてチラと裸體の影を見たやうに思つた時、鋭い嬌聲が響いた。
 つづいて、水を撥ね返して逃出す音が、忍び笑ひの聲と交つて聞え、それが靜まると、又元の靜寂に返つた。
 疲れてゐるので、午後の水浴をしてゐる娘共にからかふ氣も起らない。
 又、緩やかな石の坂道を下り續ける。
 夾竹桃が紅い花を簇むらがらせてゐる家の前まで來た時、私の疲れ(といふか、だるさといふか)は堪へ難いものになつて來た。
 私は其の島民の家に休ませて貰はうと思つた。
 家の前に一尺餘りの高さに築いた六疊敷ほどの大石疊がある。
 それが此の家の先祖代々の墓なのだが、其の横を通つて、薄暗い家の中を覗き込むと、誰もゐない。
 太い丸竹を竝べた床の上に、白い猫が一匹ねそべつてゐるだけである。
 猫は眼をさまして此方を見たが、一寸咎めるやうに鼻の上を顰めたきりで、又目を細くして寢て了つた。
 島民の家故、別に遠慮することもないので、勝手に上あがり端ばなに腰掛けて休むことにした。
 煙草に火をつけながら、家の前の大きな平たい墓と、その周圍に立つ六七本の檳榔の細い高い幹を眺める。
 パラオ人は――パラオ人ばかりではない。
 ポナペ人を除いた凡てのカロリン群島人は――檳榔の實を石灰に和して常に噛み嗜むので、家の前には必ず數本の此の樹を植ゑることにしてゐる。
 椰子よりも遙かに細くすらりとした檳榔の木立が矗として立つてゐる姿は仲々に風情がある。
 檳榔と竝んで、ずつと丈の低い夾竹桃が三四本、一杯に花をつけてゐる。
 墓の石疊の上にも點々と桃色の花が落ちてゐた。
 何處からか強い甘い匂の漂つて來るのは、多分この裏にでも印度素馨が植わつてゐるのだらう。
 其の匂は今日のやうな日には却つて頭を痛くさせる位に強烈である。
 風は依然として無い。
 空氣が濃く重くドロリと液體化して、生温い糊のやうにねばねばと皮膚にまとひつく。
 生温い糊のやうなものは頭にも浸透して來て、そこに灰色の靄をかける。
 關節の一つ一つがほごれた樣にだるい。
 煙草を一本吸ひ終つて殼を捨てた拍子に、一寸後を向いて家の中を見ると、驚いた。
 人がゐる。
 一人の女が。
 何處から何時の間に、はひつて來たのだらう?先刻迄は誰もゐなかつたのに。
 白い猫しかゐなかつたのに。
 さういへば今は白猫がゐなくなつてゐる。
 ひよつとすると、先刻の猫が此の女に化けたんぢやないかと(確かに頭がどうかしてゐた)本當に、極く一瞬間だが、そんな氣がした。
 驚いた私の顏を、女はまじろぎもせずに見てゐる。
 それは驚いた目ではない。
 先刻から私が外を眺めてゐた間中ずつと此方を見てゐたといふ樣な感じがした。
 女は上半身すつかり裸體で、鳶足に坐つた膝の上に赤ん坊を抱いてゐる。
 赤ん坊はひどく小さい。
 生れて二月にもなるまい。
 睡りながら乳首をくはへてゐる。
 吸つてゐる樣子は無い。
 びつくりしたのと、言葉が不自由なのとで、私は、勝手に留守宅に休ませて貰つた斷ことわりを言ひそびれ、默つて女の顏を見てゐた。
 こんなに眼を外らさない女は無い。
 殆ど目を据ゑてゐると言つても宜い。
 熱病めいた異常なもの迄が、其の眼の光の中に漂つてゐるやうである。
 少々氣味が惡くなつて來た。
 私が逃出さなかつたのは、女の目付の中に異常なものはあつても兇暴なものが見えなかつたからである。
 いや、まだもう一つ、さうやつて無言で向ひ合つてゐる中に次第に微かながらエロティッシュな興味が生じて來たからでもあつた。
 實際、その若い細君は美人といつて良かつた。
 パラオ女には珍しく緊つた顏立で、恐らく内地人との混血なのではなからうか。
 顏の色も、例の黒光りするやつではなくて、艶を消したやうな淺黒さである。
 何處にも黥いれずみの見えないのは、其の女がまだ若くて、日本の公學校教育を受けて來たためであらう。
 右の手で膝の兒を抑へ、左の手は斜め後うしろに竹の床ゆかに突いてゐるが、其の左手の肱と腕とが(普通の關節の曲り方とは反對に)外側に向つてくの字に折れてゐる。
 斯ういふ關節の曲り方は此の地方の女にしか見られないものだ。
 稍々反り氣味な其の姿勢で、受け口の脣を半ば開いた儘、睫の長い大きな目で、放心したやうに此方を見詰めてゐる。
 私は其の目を外らすことをしなかつた。
 辯解じみるやうだが、一つには確かに其の午後の温度と、濕氣と、それから、其の中に漂ふ強い印度素馨の匂とが、良くなかつたのである。
 私には先程からの、女の凝視の意味が漸く判つて來た。
 何故若い島民の女が(それも産後間もないらしい女が)そんな氣持になつたか、病み上りの私の身體が女のさういふ視線に値するかどうか、又、熱帶ではこんな事が普通なのかどうか、そんな事は一切判らないながら、とにかく現在のこの女の凝視の意味だけは此の上なくハツキリ判つた。
 女の淺黒い顏に、ほのかに血の色が上つて來たのを私は見た。
 かなり朦朧とした頭の何處かで、次第に増して來る危險感を意識してはゐたのだが、勿論それを嗤ふ氣持の方に自信をもつてゐたのである。
 その中に、しかし、私は妙に縛られて行くやうな自分を感じ始めた。
 全く莫迦々々しい話だが、其の時の泥醉したやうな變な氣持を後あとで考へて見ると、どうやら私は一寸熱帶の魔術にかかつてゐたやうである。
 其の危險から救つて呉れたものは、病後の身體の衰弱であつた。
 私は縁に足を垂れて腰掛けてゐたので、女の方を見るためには、身體を捩つて斜め後うしろを向かねばならない。
 此の姿勢がひどく私を疲れさせた。
 暫くする中に、横腹と頸の筋がひどく痛くなつて來て、思はず、姿勢を元に戻すと、視線を表おもての景色に向けた。
 何故か、深い溜息がホーツと腹の底から出た。
 途端に呪縛じゆばくが解けたのである。
 一瞬前の己の状態を考へて、私は覺えず苦笑した。
 縁から腰を上げて立上ると、其の苦笑を浮かべた顏で、家の中の女にサヨナラと日本語で言つた。
 女は何も答へない。
 酷い侮辱を受けでもしたやうに、明らかに怒つた顏付をして、先刻と同じ姿勢のまま私を見据ゑた。
 私はそれに背中を向けて、入口の夾竹桃の方へ歩き出した。

 アミアカとマンゴーの巨樹の下を敷石傳ひに私は漸く宿に歸つて來た。
 身體も神經もすつかり疲れ果てて。
 私の宿といふのは、此の村の村長たる島民の家だ。
 私の食事の世話をして呉れる日本語の巧い島民女マダレイに、先刻の家の女のことを聞いて見た。
 (勿論、私の經驗をみんな話した譯ではない。)
 マダレイは、黒い顏に眞白な齒を見せて笑ひながら、「ああ、あのベツピンサン」と言つた。
 そして、付加へて言ふことに、「あの人、男の人、好き。内地の男の人なら誰でも好き。」
 先刻の自分の醜態を思出して、私は又苦笑した。

 濕つた空氣のそよとも動かぬ部屋の中で、板の間の呉蓙の上に疲れた身體をぐつたりと横たへ、私は晝寢の眠りに入つた。
 三十分程も經つたらうか。
 突然、冷たい感觸が私を目醒めさせる。
 風が出たのか?起上つて窓から外を見ると、近くのパンの木の葉といふ葉が殘らず白い裏を見せて翻つてゐる。
 有難いなと思つて、急に眞黒になつた空を見上げてゐる中に、猛烈なスコールがやつて來た。
 屋根を叩き、敷石を叩き、椰子の葉を叩き、夾竹桃の花を叩き落して、すさまじい音を立てながら、雨は大地を洗ふ。
 人も獸も草木もやつと蘇つた。
 遠くから新しい土の香が匂つて來る。
 太い白い雨脚を見ながら、私は、昔の支那人の使つた銀竹といふ言葉を爽かに思ひ浮かべてゐた。

 雨が霽あがつてから暫くして表へ出て見たら、まだ濡れてゐる敷石路を、向ふから先刻の夾竹桃の家の女が歩いて來た。
 家に寢かし付けて來たのか、赤ん坊は抱いてゐない。
 私と擦れ違つたが、視線を向けもしなかつた。
 怒つてゐる顏付ではなく、全然私を認めないやうな、澄ました無表情な顏であつた。

ナポレオン

「ナポレオンを召捕りに行くのですよ」と若い警官が私に言つた。
 パラオ南方離島通ひの小汽船、國光丸の甲板の上である。
「ナポレオン?」
「ええ、ナポレオンですよ」と若い警察官は私の驚きを期待してゐたやうに笑ひながら言つた。
「ナポレオンといつても、島民ですがね。島民の子供の名前です。」
 島民には隨分變つた名前が色々とある。
 昔は基督教の宣教師に命名して貰ふことが多かつたので、マリヤとかフランシスなどといふのが多く、又、以前獨逸領だつた關係からビスマルクなどといふのも時にあつたが、ナポレオンは珍しい。
 しかし、私の知つてゐる他の島民の名前、シチガツ(七月に生れたのであらう)、ココロ(心?)、ハミガキ等に比べれば、何といつても堂々たる名前には違ひない。
 もつとも、その餘り堂々とし過ぎてゐる點が可笑しいのには違ひないが。
 甲板に張られたカンヴァスの日覆の下で、私は色の黒い不良少年、ナポレオンの話を聞いた。
 ナポレオンは二年前迄コロールの街にゐたのだが、公學校三年生の時、年下の女の兒にひどく惡性の嗜虐症的な惡戲をして、其の兒を殆ど死に瀕せしめたといふ。
 其の他之に類する事件を二つ三つ引起し、更に竊盜なども働いたらしく、一昨年十三歳の時に、未成年者への罰として、コロールから遙か離れた南方のS島へ流されたのである。
 名目上はパラオ諸島に屬してゐるものの、之等南方離島は地質的にも全然別の島だし、住民もずつと東方の中央カロリン系のものなので、言語習慣もパラオとはまるで變つてゐる。
 流石の惡少年ナポレオンも最初は大分閉口したらしいが、環境に適應する(といふより之を克服する)不思議な才能を備へてゐると見え、半年も經たぬ間に、S島でももてあます跳梁ぶりを示し始めた。
 島の少年共を脅迫したり、娘や人妻に怪しからぬ振舞をして困るからとの陳情が、島の村長から大分前にパラオ支廳の方へ來てゐるといふ。
 そんな惡少年は島の内で制裁すればいいと思はれるのに、それがどうして、島の成人おとな達が逆に怯おびえてゐる有樣なのださうだ。
 S島は人口も極めて少く、それも年々減少しつゝある、謂はば廢島に近い島なのだが、僅か十五六歳の少年一人を抑へかねる程、住民等も元氣が無いのであらうか。
 私と今話してゐる警察官がナポレオンを召捕りに來たのは、此の少年に改悛の情無しと見たパラオ支廳の警務課が、彼の流刑の期間を延長し、その上流竄地をS島よりも更に南方遙か隔たつたT島に變更することに決めたためである。
 警官は、此の用件と、もう一つ僻遠諸離島の人頭税取立てとを兼ねて、一人の島民巡警を引連れ、内地人の乘ることなど殆ど無い・そして年に僅か三囘位しか通はない此の離島航路の小船に乘つたのであつた。
「ナポレオン先生、大人しく此の船に乘せられて、T島に移りますかな?」と私が言ふと、「なあに、いくら惡わるだと云つたつて、たかが島民の子供ぢやないですか。問題ぢやない」と警官がむきになつて答へた。
 其の聲に、今迄の會話の調子と違つて、意外にも若干の憤激の調子が感じられ、ああ、私の今の言葉は島民の前には絶對權威をもつ警官への多少の侮蔑に當るのかも知れぬと氣が付いた。
 S島がナポレオンの存在に困るからとて、T島にやつたのでは、同じ樣な無氣力者の寄合に違ひないT島でも矢張この少年に手古摺るに違ひない。
 もつと他に何か方法は無いものか。
 たとへばコロールの街で嚴重な監視の下もとに勞役に從はせるとか、さういふ風な。
 それに、一體、此の流刑といふ古風な刑罰を少年に課してゐるのは、どういふ法律なのだらう?日本人の籍をもたぬ彼等島民、殊に其の未成年者には、どんな法律が設けられてゐるのだらう?同じ南洋の官吏でゐながら、まるで方面違ひの、おまけに極く新米しんまいの私は、そんな事に全然無知だつたので、少し訊ねて見たかつたのだが、相手の機嫌を幾らか損じたらしい際でもあり、傍にゐる島民巡警への顧慮も手傳つて、それは控へることにした。
「晝頃にはS島に着くやうなことを船長は言つとつたが、此の間みたいに半日も流されて、行過ぎとるなんてことがあるから、あてにはなりませんなあ。」
 警官は話を換へて、そんなことを言ひ、伸びをしながら、眼を海の方に向けた。
 私も亦それにつられて、何といふこともなく、目を細くして眩しい海と空とを眺めた。
 底拔けの上天氣である。
 何といふ光り輝く青さだらう、海も空も。
 澄み透とほる明るい空の青が、水平線近くで、茫と煙る金粉の靄の中に融け去つたかと思ふと、其の下から、今度は、一目見ただけで忽ち全身が染まつて了ひさうな華やかな濃藍の水が、擴がり、膨らみ、盛上つて來る。
 内に光を孕んだ豐麗極まりない藍紫色の大圓盤が、船の白塗の欄干てすりの上になり下になりして、とてつもなく大きく高く膨れ上り、さて又ぐうんと低く沈んで行く。
 紺青鬼こんじやうきといふ言葉を私は思出した。
 それがどんな鬼か知らないが、無數の眞蒼な小鬼共が白金の光耀粲爛たる中で亂舞したら、或ひは此の海と空の華麗さを呈するかも知れないと、そんなとりとめない事を考へてゐた。
 暫くして、餘りの眩まばゆさに海から眼を外らして前を見ると、つい先刻まで私と話してゐた若い警官は、布製の寢椅子に凭つたまゝ、既に快こころよげな寢息ねいきを立ててゐた。

 午ひる近く、船は珊瑚礁の罅隙の水道を通つて灣に入つた。
 S島だ。
 黒き小ナポレオンのゐるといふエルバ島である。
 低い・全然丘の無い・小さな珊瑚島だ。
 緩く半圓を描いた渚の砂は――珊瑚の屑は、餘りにも眞白で眼に痛い。
 年老いた椰子樹の列が青い晝の光の中に亭々と聳え立ち、その下に隱見する土人の小舍がひどく低く小さく見える。
 二三十人の土民男女が濱に出て、眼をしかめたり小手を翳したりしながら、我々の船の方を見てゐる。
 潮の關係で、突堤には着けられなかつた。
 岸から半丁程離れて船が泊ると、迎への獨木舟カヌーが三隻水を切つて近寄つた。
 見事に赤銅色をした逞しい男が、眞赤な褌一つで漕いで來る。
 近付くと、彼等の耳に黒い耳輪の下つてゐるのが見えた。
「では、行つて來ます」と警官はヘルメットを手に取りながら挨拶し、巡警を從へて甲板から降りて行つた。
 此の島には三時間しか泊らないことになつてゐる。
 私は上陸しないことにした。
 ひとへに暑さを恐れたためである。
 晝食を下で濟ませてから、又甲板へ上つて來た。
 外海の濃藍色とは全然違つて、堡礁リーフ内の水は、乳に溶かした翡翠だ。
 船の影になつた所は、厚い硝子の切斷部のやうな色合に、特に澄み透つて見える。
 エンヂェル・フィッシュに似た黒い派手な竪縞たてじまのある魚と、さよりの樣な飴色の細ほそい魚とが盛んに泳いでゐるのを見下してゐる中に、眠くなつて來た。
 先刻警官の睡つた寢椅子に横になると、直ぐに寢て了つた。

 タラップを上つて來る足音と人聲とに目を醒ますと、もう警官と巡警とが歸つて來てゐた。
 傍に、褌一つの島民少年を連れてゐる。
「あゝ、これですか。ナポレオンは。」
「ハア」と頷くと、警官は少年を、甲板の隅の索具等の積んである邊へ向けて突き飛ばした。
「その邊へしやがんどれ。」
 警官の背後うしろから巡警が(二十歳はたちになつたかならない位の、愚鈍さうな若者だ)何か短く少年に言つた。
 警官の言葉を通譯したのであらう。
 少年は不貞腐れたやうな一瞥を我々に投げてから、其處にあつた木箱に腰を下し、海の方を向いて了つた。
 島民としては甚だ眼が小さいが、ナポレオン少年の顏は別に醜いといふ譯ではない。
 さうかと云つて(大抵の邪惡な顏には何處か狡い賢さがあるものだが)惡賢いといふ柄でもない。
 賢さなどといふものは全然見られぬ・愚鈍極まる顏でありながら、普通の島民の顏に見られる・あのとぼけたをかしさがまるで無い。
 意味も目的も無い・まじりけの無い惡意だけがハツキリ其の愚かしい顏に現れてゐる。
 先程警官から聞かされた此の少年のコロールでの殘忍な行爲も、成程この顏ならやりさうだと思はれた。
 たゞ、豫期に反したのは、其の體躯の小さいことである。
 島民は概して二十歳前に成長し切つて了ふので、十五六にもなれば、實に見事な體格をしてゐる者が多い。
 殊に性的な犯行をする程早熟な少年ならば、屹度體躯もそれに伴つて充分發達してゐるだらうと思つたのに、これは又、痩せてひねこびた猿のやうな少年である。
 斯んな身體の少年が、どうして(未だに家柄の次には腕力が最もものを言ふ筈の)島民の間で衆人を懼れさせることが出來るか、誠に不可思議に思はれた。
「御苦勞樣でしたな」と私は警官に向つて言つた。
「イヤ。船が珍しいもんだから、野郎、村の者と一緒に濱へ出とつたんで、直ぐつかまへましたよ。しかし、あの男が(と巡警を指して)言ふにはですな、困つたことに」と警官が言つた。
「ナポレオンの野郎、今ではパラオ語をすつかり忘れて了つとるんですと。何をあれに聞かせても通じんのです。しかし、そんな事があるもんでせうかな。僅か二年の間に自分の生れた土地の言葉をみんな忘れて了ふなんてことが。」
 二年間此の島でトラック語ばかり使つてゐたために、ナポレオンはパラオ語を忘れ果てたといふ。
 公學校で二年程習つた日本語を忘れたといふのなら、之は解る。
 併し、生れた時から使つて來たパラオ語迄忘れるとは?私は首を傾けた。
 だが、萬更、有り得ないことではないかも知れんなと思つた。
 しかし、又一方、警官の訊問を避けるための僞りでないと誰が知らう。
「さあね」と私はもう一度首を傾かしげた。
「わしもね、奴が嘘をついとるんぢやなからうかと大分責めて見たんですがな、やつぱり本當に忘れて了つたらしい所もあるし。」と警官はさう言ひながら額の汗を拭ひ、此方に背中を向けてゐるナポレオンの方を忌々いまいましさうに見遣つた。
「とにかく、不貞腐れた、生意氣な奴ですよ。まだ子供のくせに、こんな強情な野郎は無い。」

 午後三時、愈々出帆だ。
 ゴトゴトいふエンヂンの音と共に船體が輕く上下に搖れ出した。
 私は警官と甲板の椅子に凭つて(我々二人だけが一等船客だつたので何時も一緒にゐない譯に行かないのである)島の方を見てゐた。
 其の時、我々の傍に立つてゐた例の島民巡警が「アレ!」と頓驚な聲を出して、我々の背後を指ゆびさした。
 直ぐ其の方向に振向いた時、私は、今しも白塗の欄干てすりを越えて海の上へと躍つた島民少年の後姿を見た。
 慌てて我々は欄干の所へ駈け寄つた。
 既に脱走者は船から七八間離れた渦の中を船尾を廻つて鮮やかに島の方へと泳いでゐた。
「停めろ! 船を停めろ!」と警官が喚いた。
「ナポレオンが逃げたぞ。」
 忽ち船の上はごつた返しの騷ぎとなつた。
 船尾にゐた二人の島民水夫が其の場から海に跳び込んで脱走者の後を追うた。
 二人とも二十歳を越えたばかりと思はれる逞しい青年だ。
 脱走者と追跡者との距離は見る見る縮まつて行くやうに見えた。
 濱邊で船を見送つてゐた島の連中も漸く氣が付いたらしく、ナポレオンの泳ぎ着かうとする方角に向つて、白い砂の上をバラバラと駈けて行く。
 思ひがけない活劇に、私は欄干てすりに凭つてかたづを呑んだ。
 之は又、目も醒めるばかり鮮やかな色彩の世界を背景にした南海の捕りものである。
 私は餘程嬉しさうな顏をして眺めてゐたに違ひない。
「面白いですなあ!」と聲を掛けられて氣が付くと、何時の間にか隣に船長が(どういふ譯か、此の船長は何時見ても多少の酒氣を帶びてゐないことはない)來てゐたのである。
 彼も亦のんびりとパイプの煙をふかしながら、映畫でも見るやうに樂しげに海の活劇を見下してゐた。
 巧くナポレオンが濱に泳ぎ着いて、さて島内の森の中へでも逃げおほせて呉れればいいと、どうやらそんな事を考へてゐたらしい自分に氣が付いて、私は苦笑した。
 だが、結果は案外あつけなかつた。
 結局、汀から二十間ばかりの・丈の立つ所迄來た時、ナポレオンは追ひ付かれた。
 竝よりも身體の小さい少年一人と、堂々たる體格の青年二人とでは、結果は問ふ迄もない。
 少年は二人に兩腕を取られて引立てられ、濱に上つた迄は見えたが、島の連中が忽ち取卷いて了つたので、あとは良く見えなくなつた。
 警官は酷く機嫌を惡くしてゐた。
 三十分後、殊勳の二水夫に押へられたナポレオンが再び島のカヌーで船に連れ戻された時、眞先に彼は手酷い平手打を三つ四つ續けざまに喰はせられた。
 さて、それから今度は(先刻は繩をつけなかつたのだ)兩手兩足を船の麻繩で縛り上げられた上、隅つこの・島民船員の食料が詰め込んであるらしい椰子バスケットと飮用の皮剥若椰子との間にころがされた。
「畜生。餘計な世話を燒かせやがる!」と警官は、それでも漸く安堵したやうに、さう言つた。

 翌日も完全な上天氣であつた。
 一日陸を見ずに、船は南へ走つた。
 漸く夕方近くなつて、無人島H礁の環礁の中に入つた。
 無人島に船を寄せるのは、萬一漂流者がありはせぬかを調べる爲だらうと私は思つた。
 何處かの命令航路の規約にそんな事が書いてあつたのを憶えてゐたからである。
 所が實際は、そんな甘い人道的な考へ方からではなかつた。
 此處での高瀬貝採取權を獨占してゐる南洋貿易會社からの頼みで、密漁者を取締るのが目的なのだといふ。
 甲板の上から見ると、夥しい海鳥の群が此の低い珊瑚礁島を蔽うてゐる。
 船員の二三に誘はれ上陸して見て、更に驚いた。
 岩の陰も木の上も砂の上も、たゞ一面の鳥、鳥、鳥、それから鳥の卵と鳥の糞とである。
 さうして、其等無數の鳥共は我々が近寄つても逃げようとはしない。
 捕へようとすると、始めて僅かに二三歩よたよたと避けるだけである。
 大きいのは人間の子供位なのから、小さいのは雀位のものに至るまで、白いもの、灰色のもの、薄茶色のもの、淡青のもの、何萬とも數へ切れぬ數十種の海鳥共が群れてゐるのだが、殘念ながら、私には(同行の船員にも)一つも名前が判らぬ。
 私は唯無性に嬉しくなり、むやみに走り廻つては彼等を追ひかけ廻した。
 幾らでも、全く可笑しい位幾らでも、捕つかまるのだ。
 嘴の赤くて長い・大きな白い奴を一羽抱きかかへた時は流石に少し暴れられてつつ突かれはしたが、私は子供の樣に喚聲をあげながら何十羽となく捕へては離し、捕へては離しした。
 同行の船員等は始めてではないので私程に喜びはしなかつたが、それでも棒切を揮つては大分無用の殺生をしてゐた。
 彼等は手頃な大きさの奴三羽と、薄黄色い卵を十ばかり、食用にする爲に船へ持ち歸つた。
 遠足に行つた少年の樣に滿足し切つて船に戻ると、下船しなかつた警官が私に言つた。
「あの野郎(ナポレオンのことだ)昨日から不貞腐れて何も喰はんのですよ。芋と椰子水を出して手の繩を解いてやるんだが、見向きもせんのです。何處迄強情か底が知れん。」
 成程、少年は昨日と同じ場所に同じ姿勢でころがつてゐた。
 (幸ひ、そこは陽の射さぬ所だつたが。)私が側へ寄つても、目はハツキリあいてゐるくせに、視線を向けようともしないのである。

 次の朝、即ちS島を出てから二日目の朝、船は漸くT島に着いた。
 此の航路の終點でもあり、ナポレオン少年の新しい配流地でもある。
 堡礁内の淺い緑色の水、眞白い砂と丈高い椰子樹の遠望、汽船目懸けて素速く漕寄せて來る數隻のカヌー、其のカヌーから船に上つて來ては船員の差出す煙草や鰯の罐詰などと自分等の持ち來たつた鶏や卵などとを交換しようとする島民共、さては、濱に立つて珍しげに船を眺める島人等。
 それらは何處の島も變りはない。
 迎への獨木舟が着いた時、巡警は、まだ同じ姿勢で椰子バスケットの間に寢ころがつてゐるナポレオン(彼は到頭丸二日間、強情に一口も飮食しなかつたのださうだ)に其の旨を告げ、足の繩を解いて引起した。
 ナポレオンは大人しく立上つたが、巡警が尚も其の腕を取つて警官の方へ引張らうとした時、憤然とした面持で、島民巡警を不自由な肱で突き飛ばした。
 突き飛ばされた巡警の愚鈍さうな顏に、瞬間、驚きと共に一種の怖れの表情が浮かんだのを私は見逃さなかつた。
 ナポレオンは獨りで警官の後についてタラップを降りた。
 カヌーに移り、やがてカヌーから岸に下り立ち、二三の島の者と共に警官について椰子林の間に消えて行くのを、私は甲板から見送つた。
 此處で七八人の島民船客が椰子バスケットを獨木舟に積込んで下りて行つたのと入違ひに、ここからパラオへ行かうとする十人餘りが同じ樣な椰子バスケットを擔いで乘込んで來た。
 無理に大きく引伸ばした耳朶みみたぶに黒光りのする椰子殼製の輪をぶら下げ、首から肩・胸へかけて波状の黥いれずみをした・純然たるトラック風俗である。
 一時間程すると、警官と巡警とが船に戻つて來た。
 ナポレオン配流のことを島民等に言つて聞かせ、その身柄を村長に託して來たのである。

 出帆は午後になつた。
 例によつて濱邊には見送りの島の者がずらりと竝んで別を惜しんでゐる。
 (一年に三四囘しか見られない大きな船が發つのだから。)
 陽除の黒眼鏡を掛けて甲板から濱邊を眺めてゐた私は、彼等の列の中に、どうもナポレオンらしい男の子を見付けた。
 オヤと思つて隣にゐた巡警に確かめて見ると、やはり、ナポレオンに違ひないと言ふ。
 大分離れてゐるので、表情迄は分らないが、今はもうすつかり縛いましめを解かれて、心なしか、明るく元氣になつたらしく見える。
 隣りに自分より少し小柄の子供を二人連れ、時々話し合つてゐるのは、既に――上陸後三時間にして早くも乾兒こぶんを作つて了つたのだらうか?
 船が愈々汽笛を鳴らして船首を外海に向け始めた時、ナポレオンが居竝ぶ島民等と共に船に向つて手を振つたのを、私は確かに見た。
 あの強情な不貞腐れた少年が、一體どうしてそんな事をする氣になつたものか。
 島に上つて腹一杯芋を喰つたら、船中の憤懣もハンガー・ストライキも凡て忘れて了つて、たゞ少年らしく人々の眞似をして見たくなつたのだらうか。
 或ひは、其處の言葉は既に忘れて了つても、矢張パラオが懷しく、そこへ歸る船に向つて、つい手を振る氣になつたのだらうか。
 どちらとも私には判らない。

 國光丸はひたすら北へ向つて急ぎ、小ナポレオンのためのセント・ヘレナは、やがて灰色の影となり、煙の如き一線となり、一時間後には遂に完全に、青焔燃ゆる大圓盤の彼方に沒し去つた。

眞晝

 目がさめた。
 ウーンと、睡り足りた後の快い伸びをすると、手足の下、背中の下で、砂が――眞白な花珊瑚の屑がサラサラと輕く崩れる。
 汀から二間と隔たらない所、大きなタマナ樹の茂みの下、濃い茄子色の影の中で私は晝寢をしてゐたのである。
 頭上の枝葉はぎつしりと密生んでゐて、葉洩日も殆ど落ちて來ない。
 起上つて沖を見た時、青鯖色の水を切つて走る朱の三角帆の鮮やかさが、私の目をハツキリと醒めさせた。
 その帆掛獨木舟カヌーは、今丁度外海から堡礁の裂目にさしかかつた所だつた。
 陽射しの工合から見れば、時刻は午を少し廻つたところであらう。
 煙草を一服つけ、又、珊瑚屑の上に腰を下す。
 靜かだ。
 頭上の葉のそよぎと、ピチヤリピチャリと舐めるやうな渚の水音の外は、時たま堡礁の外の濤の音が微かに響くばかり。
 期限付の約束に追立てられることもなく、又、季節の繼ぎ目といふものも無しに、たゞ長閑にダラダラと時が流れて行く此の島では、浦島太郎は決して單なるお話ではない。
 唯此の昔語むかしがたりの主人公が其の女主人公に見出した魅力を、我々が此の島の肌黒く逞しい少女共に見出し難いだけのことだ。
 一體、時間といふ言葉が此の島の語彙の中にあるのだらうか?
 一年前、北方の冷たい霧の中で一體自分は何を思ひ惱んでゐたやら、と、ふと私は考へた。
 何か、それは遠い前の世の出來事ででもあるやうに思はれる。
 肌に浸みる冬の感覺も最早生々なまなましく記憶の上に再現することが不可能だ。
 と同樣に、曾て北方で己を責めさいなんだ數々の煩ひも、單なる事柄の記憶にとどまつて了ひ、快い忘却の膜の彼方に朧ろな影を殘してゐるに過ぎない。
 では、自分が旅立つ前に期待してゐた南方の至福とは、これなのだらうか?此の晝寢の目醒めの快さ、珊瑚屑の上での靜かな忘却と無爲と休息となのだらうか?
「いや」とハツキリそれを否定するものが私の中にある。
「いや、さうではない。お前が南方に期待してゐたものは、斯んな無爲と倦怠とではなかつた筈だ。それは、新しい未知の環境の中に己おのれを投出して、己おのれの中にあつて未だ己の知らないでゐる力を存分に試みることだつたのではないのか。更に又、近く來るべき戰爭に當然戰場として選ばれるだらうことを豫想しての冒險への期待だつたのではないか。」
 さうだ。
 たしかに。
 それだのに、其の新しい・きびしいものへの翹望は、何時か快い海軟風の中へと融け去つて、今は唯夢のやうな安逸と怠惰とだけが、懶ものうく怡たのしく何の悔も無く、私を取り圍んでゐる。
「何の悔も無く?果して、本當に、さうか?」と、又先刻の私の中の意地の惡い奴が聞く。
「怠惰でも無爲でも構はない。本當にお前が何の悔も無くあるならば。人工の・歐羅巴の・近代の・亡靈から完全に解放されてゐるならばだ。所が、實際は、何時何處にゐたつてお前はお前なのだ。銀杏の葉の散る神宮外苑をうそ寒く歩いてゐた時も、島民共と石燒のパンの實にむしやぶりついてゐる時も、お前は何時もお前だ。少しも變りはせぬ。ただ、陽光と熱風とが一時的な厚い面被ヴェイルを一寸お前の意識の上にかぶせてゐるだけだ。お前は今、輝く海と空とを眺めてゐると思つてゐる。或ひは島民と同じ目で眺めてゐると自惚れてゐるのかも知れぬ。とんでもない。お前は實は、海も空も見てをりはせぬのだ。たゞ空間の彼方に目を向けながら心の中で Elle est retrouvee! ―― Quoi? ―― L'Eternite. C'est la mer melee au soleil.(見付かつたぞ! 何が?永遠が。陽と溶け合つた海原が)と呪文のやうに繰返してゐるだけなのだ。お前は島民をも見てをりはせぬ。ゴーガンの複製を見てをるだけだ。ミクロネシアを見てをるのでもない。ロティとメルヴィルの畫いたポリネシアの色褪せた再現を見てをるに過ぎぬのだ。そんな蒼ざめた殼をくつつけてゐる目で、何が永遠だ。哀れな奴め!」
「いや、氣を付けろよ」と、もう一つの別な聲がする。
「未開は決して健康ではないぞ。怠惰が健康でないやうに。謬あやまつた文明逃避ほど危險なものは無い。」
「さうだ」と先刻の聲が答へる。
「確かに、未開は健康ではない。少くとも現代では。しかし、それでも、お前の文明よりはまだしも溌剌としてゐはしないか。いや、大體、健康不健康は文明未開といふことと係はり無きものだ。現實を恐れぬ者は、借り物でない・己の目でハツキリ視る者は、何時どのやうな環境にゐても健康なのだ。所が、お前の中にゐる『古代支那の衣冠を着けたいかさま君子』や『ヴォルテエル面づらをした狡さうな道化』と來たら、どうだ。先生達、今こそ南洋の暑氣に醉つぱらつてよろめいてゐるらしいが、醒めてゐる時の慘めさを思へば、まだしも、醉つてゐる時の方が、ましの樣だな。……」

 見慣れぬ殼をかぶつたちつぽけな宿借やどかりが三つ四つ私の足許近く迄やつて來たが、人の氣配を感じて立止り、一寸樣子を窺つてから、慌てて又逃げて行つた。
 村は今晝寢の時刻らしい。
 誰一人濱を通らぬ。
 海も――少くとも堡礁の内側の水だけは――トロリと翡翠色にまどろんでゐるやうだ。
 時々キラリと眩しく陽を照返すだけで。
 たまに鯔ぼららしいのが水の上に跳ねるのを見れば、魚類だけは目覺めてゐるらしい。
 明るい靜かな・華やかな海と空だ。
 今、此の海の何處かで、半身はんしんを生温なまぬるい水の上に乘出したトリイトンが嚠喨と貝殼を吹いてゐる。
 何處か、此の晴れ渡つた空の下で、薔薇色の泡からアフロディテが生れかかつてゐる。
 何處か紺碧の波の間から、甘美なサイレンの歌が賢いイタカ人びとの王を誘惑しようとしてゐる。
 ……いけない! 又しても亡靈だ。
 文學、それも歐羅巴文學とやらいふものの蒼ざめた幽靈だ。
 舌打をしながら私は立上る。
 ほろ苦にがいものが暫くの間心の隅に殘つてゐる。
 濕つた渚に踏入ると、無數のやどかり共、青と赤の玩具のやうな小蟹共が一齊に逃げ出す。
 五寸程芽の出掛かつた椰子の實の落ちてゐるのを蹴飛ばすと、水の中にころげ入つてボチヤンと音を立てる。
 さういへば、昨夜、奇妙なことがあつた。
 島民家屋の丸竹を竝べた床ゆかの上に、薄いタコの葉の呉蓙を一枚敷いて寢てゐた時、私は、突然、何の連絡も無く、東京の歌舞伎座の、(それも舞臺ではなく)みやげもの屋(あられや飴や似顏繪やブロマイド等を賣る)の明るい華美な店先と、其の前を行き交ふ着飾つた人波とを思出したのだ。
 役者の家の紋を散らした派手な箱や罐や手拭や、俳優の似顏の目の隈取りや、それを照らす白い強い電燈の光や、それに見入る娘達や雛妓等の樣子迄もはつきり、彼女等の髮油の匂までもありありと、浮かんで來た。
 私は、歌舞伎劇そのものも餘り好きではない。
 みやげもの屋などに何の興味も無い筈である。
 何故、こんな意味も内容も無い東京生活の薄つぺらな一斷面が、太平洋の濤に圍まれた小さな島の・椰子の葉で葺いた土民小舍の中で、家の周圍まはりにズシンと落ちる椰子の實の音を聞いてゐる時に、突然思出されたものか。
 私には皆目かいもく判らぬ。
 とにかく、私の中には色んな奇妙な奴等がゴチヤゴチャと雜居してゐるらしい。
 淺間しい、唾棄すべき奴までが。

 海岸のタマナ竝木の蔭のはづれ迄來た時、向ふから陽に灼けた砂の上を素裸の小さい男の子が駈けて來た。
 私の前迄來ると、立止つてキチンと足を揃へ、頭が膝の所まで來る程の丁寧なお辭儀をしてから、食事の用意が出來たことを告げた。
 私の泊つてゐる島民の家の兒で、今年八歳やつつになる。
 痩せた・目の大きい・腹ばかり出た・糜爛性腫瘍フランペシヤだらけの兒である。
 何か御馳走が出來たか、と聞けば、兄が先刻カムドゥックル魚を突いて來たから、日本流の刺身に作つたといふ。
 少年について一歩日向の砂の上に踏出した時、タマナ樹の梢から眞白な一羽のソホーソホ鳥(島民が斯う呼ぶのは鳴き聲からであるが、内地人は其の形から飛行機鳥と名付けてゐる)が、バタバタと舞上つて、忽ち、高く眩しい碧空に消えて行つた。

マリヤン

 マリヤンといふのは、私の良く知つてゐる一人の島民女の名前である。
 マリヤンとはマリヤのことだ。
 聖母マリヤのマリヤである。
 パラオ地方の島民は、凡て發音が鼻にかかるので、マリヤンと聞えるのだ。
 マリヤンの年が幾つだか、私は知らない。
 別に遠慮した譯ではなかつたが、つい、聞いたことがないのである。
 とにかく三十に間があることだけは確かだ。
 マリヤンの容貌が、島民の眼から見て美しいかどうか、之も私は知らない。
 醜いことだけはあるまいと思ふ。
 少しも日本がかつた所が無く、又西洋がかつた所も無い(南洋で一寸顏立が整つてゐると思はれるのは大抵どちらかの血が混つてゐるものだ)純然たるミクロネシヤ・カナカの典型的な顏だが、私はそれを大變立派だと思ふ。
 人種としての制限は仕方が無いが、其の制限の中で考へれば、實にのびのびと屈託の無い豐かな顏だと思ふ。
 しかし、マリヤン自身は、自分のカナカ的な容貌を多少恥づかしいと考へてゐるやうである。
 といふのは、後に述べるやうに、彼女は極めてインテリであつて、頭腦の内容は殆どカナカではなくなつてゐるからだ。
 それにもう一つ、マリヤンの住んでゐるコロール(南洋群島の文化の中心地だ)の町では、島民等の間にあつても、文明的な美の標準が巾をきかせてゐるからである。
 實際、此のコロールといふ街――其處に私は一番永く滯在してゐた譯だが――には、熱帶でありながら温帶の價値標準が巾をきかせてゐる所から生ずる一種の混亂があるやうに思はれた。
 最初此の町に來た時はそれ程に感じなかつたのだが、其の後一旦此處を去つて、日本人が一人も住まない島々を經巡つて來たあとで再び訪れた時に、此の事が極めてハツキリと感じられたのである。
 此處では、熱帶的のものも温帶的のものも共に美しく見えない。
 といふより、全然、美といふものが――熱帶美も温帶美も共に――存在しないのだ。
 熱帶的な美を有つ筈のものも此處では温帶文明的な去勢を受けて萎びてゐるし、温帶的な美を有つべき筈のものも熱帶的風土自然(殊に其の陽光の強さ)の下に、不均合な弱々しさを呈するに過ぎない。
 此の街にあるものは、唯、如何にも植民地の場末と云つた感じの・頽廢した・それでゐて、妙に虚勢を張つた所の目立つ・貧しさばかりである。
 とにかく、マリヤンは斯うした環境にゐるために、自分の顏のカナカ的な豐かさを餘り欣んでゐないやうに見えた。
 豐かといへば、しかし、容貌よりも寧ろ、彼女の體格の方が一層豐かに違ひない。
 身長は五尺四寸を下るまいし、體重は少し痩せた時に二十貫といつてゐた位である。
 全く、羨ましい位見事な身體であつた。
 私が初めてマリヤンを見たのは、土俗學者H氏の部屋に於てであつた。
 夜、狹い獨身官舍の一室で、疊の代りにうすべりを敷いた上に坐つてH氏と話をしてゐると、窓の外で急にピピーと口笛の音が聞え、窓を細目にあけた隙間から(H氏は南洋に十餘年住んでゐる中に、すつかり暑さを感じなくなつて了ひ、朝晩は寒くて窓をしめずにはゐられないのである。)若い女の聲が「はひつてもいい?」と聞いた。
 オヤ、この土俗學者先生、中々油斷がならないな、と驚いてゐる中に、扉をあけてはひつて來たのが、内地人ではなく、堂々たる體躯の島民女だつたので、もう一度私は驚いた。
「僕のパラオ語の先生」とH氏は私に紹介した。
 H氏は今パラオ地方の古譚詩の類を集めて、それを邦譯してゐるのだが、其の女は――マリヤンは、日を決めて一週に三日だけ其の手傳ひをしに來るのだといふ。
 其の晩も、私を側に置いて二人は直ぐに勉強を始めた。
 パラオには文字といふものが無い。
 古譚詩は凡てH氏が島々の故老に尋ねて歩いて、アルファベットを用ひて筆記するのである。
 マリヤンは先づ筆記されたパラオ古譚詩のノートを見て、其處に書かれたパラオ語の間違を直す。
 それから、譯しつつあるH氏の側にゐて、H氏の時々の質問に答へるのである。
「ほう、英語が出來るのか」と私が感心すると、「そりや、得意なもんだよ。内地の女學校にゐたんだものねえ」とH氏がマリヤンの方を見て笑ひながら言つた。
 マリヤンは一寸てれたやうに厚い脣を綻ばせたが、別にH氏の言葉を打消しもしない。
 あとでH氏に聞くと、東京の何處とかの女學校に二三年(卒業はしなかつたらしいが)ゐたことがあるのださうだ。
「さうでなくても、英語だけはおやぢに教はつてゐたから、出來るんですよ」とH氏は附加へた。
「おやぢと云つても、養父ですがね。そら、あの、ウィリアム・ギボンがあれの養父になつてゐるのですよ。」
 ギボンと云はれても、私にはあの浩瀚なローマ衰亡史の著者しか思ひ當らないのだが、よく聞くと、パラオでは相當に名の聞えたインテリ混血兒(英人と土民との)で、獨領時代に民俗學者クレエマア教授が調査に來てゐた間も、ずつと通譯として使はれてゐた男だといふ。
 尤も、獨逸語ができた譯ではなく、クレエマア氏との間も英語で用を足してゐたのださうだが、さういふ男の養女であつて見れば、英語が出來るのも當然である。

 私の變屈な性質のせゐか、パラオの役所の同僚とはまるで打解けた交際が出來ず、私の友人といつていいのはH氏の外に一人もゐなかつた。
 H氏の部屋に頻繁に出入するにつれ、自然、私はマリヤンとも親しくならざるを得ない。
 マリヤンはH氏のことををぢさんと呼ぶ。
 彼女がまだほんの小さい時から知つてゐるからだ。
 マリヤンは時々をぢさんの所へうちからパラオ料理を作つて來ては御馳走する。
 その都度、私がお相伴に預かるのである。
 ビンルンムと稱するタピオカ芋のちまきや、ティティンムルといふ甘い菓子などを始めて覺えたのも、マリヤンのお蔭であつた。

 或る時H氏と二人で道を通り掛かりに一寸マリヤンの家に寄つたことがある。
 うちは他の凡ての島民の家と同じく、丸竹を竝べた床ゆかが大部分で、一部だけ板の間になつてゐる。
 遠慮無しに上つて行くと、其の板の間に小さなテーブルがあつて、本が載つてゐた。
 取上げて見ると、一册は厨川白村の「英詩選釋」で、もう一つは岩波文庫の「ロティの結婚」であつた。
 天井に吊るされた棚には椰子バスケットが澤山竝び、室内に張られた紐には簡單着の類が亂雜に掛けられ(島民は衣類をしまはないで、ありつたけだらしなく干物ほしもののやうに引掛けておく)竹の床の下に鶏共の鳴聲が聞える。
 室の隅には、マリヤンの親類でもあらう、一人の女がしどけなく寢ころんでゐて、私共がはひつて行くと、うさん臭さうな目を此方に向けたが、又其の儘向ふへ寢返りを打つて了つた。
 さういふ雰圍氣の中で、厨川白村やピエル・ロティを見付けた時は、實際、何だかへんな氣がした。
 少々いたましい氣がしたといつてもいい位である。
 尤も、それは、其の書物に對して、いたましく感じたのか、それともマリヤンに對していたいたしく感じたのか、其處迄はハツキリ判らないのだが。
 其の「ロティの結婚」に就いては、マリヤンは不滿の意を洩らしてゐた。
 現實の南洋は決してこんなものではないといふ不滿である。
「昔の、それもポリネシヤのことだから、よく分らないけれども、それでも、まさか、こんなことは無いでせう」といふ。
 部屋の隅を見ると、蜜柑箱の樣なものの中に、まだ色々な書物や雜誌の類が詰め込んであるやうだつた。
 その一番上に載つてゐた一册は、たしか(彼女が曾て學んだ東京の)女學校の古い校友會雜誌らしく思はれた。
 コロールの街には岩波文庫を扱つてゐる店が一軒も無い。
 或る時、内地人の集まりの場所で、偶々私が山本有三氏の名を口にしたところ、それはどういふ人ですと一齊に尋ねられた。
 私は別に萬人が文學書を讀まねばならぬと思つてゐる次第ではないが、とにかく、此の町は之程に書物とは縁の遠い所である。
 恐らく、マリヤンは、内地人をも含めてコロール第一の讀書家かも知れない。

 マリヤンには五歳いつつになる女の兒がある。
 夫は、今は無い。
 H氏の話によると、マリヤンが追出したのださうである。
 それも、彼が度外どはづれた嫉妬家やきもちやであるとの理由で。
 斯ういふとマリヤンが如何にも氣の荒い女のやうだが、――事實また、どう考へても氣の弱い方ではないが――之には、彼女の家柄から來る・島民としての地位の高さも、考へねばならぬのだ。
 彼女の養父たる混血兒のことは前に一寸述べたが、パラオは母系制だから、之はマリヤンの家格に何の關係も無い。
 だが、マリヤンの實母といふのが、コロールの第一長老家イデイヅ家の出なのだ。
 つまり、マリヤンはコロール島第一の名家に屬するのである。
 彼女が今でもコロール島民女子青年團長をしてゐるのは、彼女の才氣の外に、此の家柄にも依るのだ。
 マリヤンの夫だつた男は、パラオ本島オギワル村の者だが、(パラオでは女系制度ではあるが、結婚してゐる間は、矢張、妻が夫の家に赴いて住む。夫が死ねば子供等をみんな引連れて實家に歸つて了ふけれども)
 斯うした家格の關係もあり、又、マリヤンが田舍住ひを厭ふので、稍々變則的ではあるが、夫の方がマリヤンの家に來て住んでゐた。
 それをマリヤンが追出したのである。
 體格から云つても男の方が敵はなかつたのかも知れぬ。
 しかし、其の後、追出された男が屡々マリヤンの家に來て、慰藉料ツガキーレンなどを持出しては復縁を嘆願するので、一度だけ其の願を容れて、又同棲したのださうだが、嫉妬男やきもちをとこの本性は依然直らず(といふよりも、實際は、マリヤンと男との頭腦の程度の相違が何よりの原因らしく)再び別れたのだといふ。
 さうして、それ以來、獨りでゐる譯である。
 家柄の關係で、(パラオでは特に之がやかましい)滅多な者を迎へることも出來ず、又、マリヤンが開化し過ぎてゐる爲に大抵の島民の男では相手にならず、結局、もうマリヤンは結婚できないのぢやないかな、と、H氏は言つてゐた。
 さういへば、マリヤンの友達は、どうも日本人ばかりのやうだ。
 夕方など、何時も内地人の商人の細君連の縁臺などに割込んで話してゐる。
 それも、どうやら、大抵の場合マリヤンが其の雜談の牛耳を執つてゐるらしいのである。

 私はマリヤンの盛裝した姿を見たことがある。
 眞白な洋裝にハイ・ヒールを穿き、短い洋傘を手にしたいでたちである。
 彼女の顏色は例によつて生々いきいきと、或ひはテラテラと茶褐色に飽く迄光り輝き、短い袖からは鬼をもひしぎさうな赤銅色の太い腕が逞しく出てをり、圓柱の如き脚の下で、靴の細く高い踵が折れさうに見えた。
 貧弱な體躯を有つた者の・體格的優越者に對する偏見を力めて排しようとはしながらも、私は何かしら可笑しさがこみ上げて來るのを禁じ得なかつた。
 が、それと同時に、何時か彼女の部屋で「英詩選釋」を發見した時のやうないたましさを再び感じたことも事實である。
 但し、此の場合も亦、其のいたましさが、純白のドレスに對してやら、それを着けた當人に對してやら、はつきりしなかつたのだが。

 彼女の盛裝姿を見てから二三日後のこと、私が宿舍の部屋で本を讀んでゐると、外で、聞いたことのあるやうな口笛の音がする。
 窓から覗くと、直ぐ傍そばのバナナ畑の下草をマリヤンが刈取つてゐるのだ。
 島民女に時々課せられる此の町の勤勞奉仕に違ひない。
 マリヤンの外にも、七八人の島民女が鎌を手にして草の間にかがんでゐる。
 口笛は別に私を呼んだのではないらしい。
 (マリヤンはH氏の部屋には何時も行くが、私の部屋は知らない筈である。)
 マリヤンは私に見られてゐることも知らずにせつせと刈つてゐる。
 此の間の盛裝に比べて今日は又ひどいなりをしてゐる。
 色の褪せた、野良仕事用のアツパツパに、島民竝の跣足はだしである。
 口笛は、働きながら、時々自分でも氣が付かずに吹いてゐるらしい。
 側の大籠に一杯刈り溜めると、かがめてゐた腰を伸ばして、此方に顏を向けた。
 私を認めるとニツと笑つたが、別に話しにも來ない。
 てれ隱しの樣にわざと大きな掛聲を「ヨイシヨ」と掛けて、大籠を頭上に載せ、その儘さよならも言はずに向ふへ行つて了つた。

 去年の大晦日おほみそかの晩、それは白々とした良い月夜だつたが、私達は――H氏と私とマリヤンとは、涼しい夜風に肌をさらしながら街を歩いた。
 夜半迄さうして時を過ごし、十二時になると同時に南洋神社に初詣でをしようといふのである。
 私達はコロール波止場の方へ歩いて行つた。
 波止場の先にプールが出來てゐるのだが、其のプールの縁に我々は腰を下した。
 相當な年輩のくせにひどく歌の好きなH氏が大聲を上げて、色んな歌を――主に氏の得意な樣々のオペラの中の一節だつたが――唱つた。
 マリヤンは口笛ばかり吹いてゐた。
 厚い大きな脣を丸くとんがらせて吹くのである。
 彼女のは、そんなむづかしいオペラなんぞではなく、大抵フォスターの甘い曲ばかりである。
 聞きながら、ふと、私は、其等が元々北米の黒人共の哀しい歌だつたことを憶ひ出した。
 何のきつかけからだつたか、突然、H氏がマリヤンに言つた。
「マリヤン! マリヤン!(氏がいやに大きな聲を出したのは、家を出る時一寸引掛けて來た合成酒のせゐに違ひない)マリヤンが今度お婿さんを貰ふんだつたら、内地の人でなきや駄目だなあ。え?マリヤン!」
「フン」と厚い脣の端を一寸ゆがめたきり、マリヤンは返辭をしないで、プールの面を眺めてゐた。
 月は丁度中天に近く、從つて海は退潮なので、海と通じてゐる此のプールは殆ど底の石が現れさうな程水がなくなつてゐる。
 暫くして、私が先刻のH氏の話のつづきを忘れて了つた頃、マリヤンが口を切つた。
「でもねえ、内地の男の人はねえ、やつぱりねえ。」
 なんだ。
 此奴、やつぱり先刻からずつと、自分の將來の再婚のことを考へてゐたのかと急に私は可笑をかしくなつて、大きな聲で笑ひ出した。
 さうして、尚も笑ひながら
「やつぱり内地の男は、どうなんだい?え?」と聞いた。
 笑はれたのに腹を立てたのか、マリヤンは外つぽを向いて、何も返辭をしなかつた。

 此の春、偶然にもH氏と私とが揃つて一時内地へ出掛けることになつた時、マリヤンは鶏をつぶして最後のパラオ料理の御馳走をして呉れた。
 正月以來絶えて口にしなかつた肉の味に舌鼓を打ちながら、H氏と私とが「いづれ又秋頃迄には歸つて來るよ」(本當に、二人ともその豫定だつたのだ)と言ふと、マリヤンが笑ひながら言ふのである。
「をぢさんはそりや半分以上島民なんだから、又戻つて來るでせうけれど、トンちやん(困つたことに彼女は私のことを斯う呼ぶのだ。H氏の呼び方を眞似たのである。初めは少し腹を立てたが、しまひには閉口して苦笑する外は無かつた)はねえ。」
「あてにならないといふのかい?」と言へば、「内地の人といくら友達になつても、一ぺん内地へ歸つたら二度と戻つて來た人は無いんだものねえ」と珍しくしみじみと言つた。

 我々が内地へ歸つてから、H氏の所へ二三囘マリヤンから便りがあつたさうである。
 其の都度トンちやんの消息を聞いて來てゐるといふ。
 私はといへば、實は、横濱へ上陸するや否や、忽ち寒さにやられて風邪をひき、それがこじれて肋膜になつて了つたのである。
 再び彼の地の役所に戻ることは、到底覺束無い。
 H氏も最近偶然結婚(隨分晩婚だが)の話がまとまり、東京に落着くこととなつた。
 勿論、南洋土俗研究に一生を捧げた氏のこと故、いづれは又向ふへも調査には出掛けることがあるだらうが、それにしても、マリヤンの豫期してゐたやうに彼の地に永住することはなくなつた譯だ。
 マリヤンが聞いたら何といふだらうか?

風物抄
クサイ

 朝、目が覺めると、船は停つてゐる樣子である。
 直ぐに甲板に上つて見る。
 船は既に二つの島の間にはひり込んでゐた。
 細かい雨が降つてゐる。
 今迄見て來た南洋群島の島々とは凡そ變つた風景である。
 少くとも、今甲板から眺めるクサイの島は、どう見ても、ゴーガンの畫題ではない。
 細雨に烟る長汀や、模糊として隱見する翠の山々などは、確かに東洋の繪だ。
 一汀煙雨杏花寒とか、暮雲卷雨山娟娟とか、そんな讚がついてゐても一向に不自然に思はれない・純然たる水墨的な風景である。

 食堂で朝食を濟ませてから、又甲板へ出て見ると、もう雨は霽あがつてゐたが、まだ、煙のやうな雲が山々の峽を去來してゐる。
 八時、ランチでレロ島に上陸、直ぐに警部補派出所に行く。
 此の島には支廳が無く、この派出所で一切を扱つてゐるのである。
 昔見た映畫の「罪と罰」の中の刑事のやうな・顏も身體も共に横幅の廣い警部補が一人、三人の島民巡警を使つて事務をとつてゐた。
 公學校視察の爲に來たのだと言ふと、直ぐに巡警を案内につけて呉れた。
 公學校に着くと、背の低い・小肥こぶとりに肥つた・眼鏡の奧から商人風の拔目の無ささうな(絶えず相手の表情を觀察してゐる)目を光らせた・短い口髭のある・中年の校長が、何か不埒なものでも見るやうな態度で、私を迎へた。
 教室は一棟三室、その中の一室は職員室にあててある。
 此處は初等課だけだから三年までである。
 門をはひるや否や、色の淺黒い(といつても、カロリン諸島は東へ行くにつれて色の黒さが薄らいでくるやうに思はれる)子供等が爭つて前に出て來ては、オハヨウゴザイマスと叮嚀に頭を下げる。
 教員は校長に訓導一人と島民の教員補一人。
 但し、一人の訓導とは女で、しかも校長の奧さんである。
 校長は授業を見られたくない樣子だ。
 殊に己が妻の授業を。
 私も亦、それを強要して、心理的な機微を觀察しようとする程、意地が惡くはない。
 たゞ、校長から、此處の島民兒童の特徴や、永年の公學校教育の經驗談でも聽くにとゞめようと思つた。
 所が、私は、何を聞かねばならなかつたか?徹頭徹尾、私が先程會つて來た・あの警部補の惡口ばかりを聞かされたのである。
 此處ばかりには限らない。
 離島りたうで、巡査派出所と公學校と兩方のある島では、必ず兩者の軋轢がある。
 さういふ島では、巡査と公學校長(校長ばかりで下に訓導のゐない學校が甚だ多いので)と、島中でこの二人だけが日本人であり、且つ官吏であるので、自然勢力爭ひが起るのである。
 どちらか一方だけだと、小獨裁者の專制になつて却つて結果は良いのだが。
 私は今迄にも何囘となくそれを見ては來たが、ここの校長のやうに初對面の者に向つて、いきなり斯う猛烈にやり出すのは、初めてであつた。
 何の惡口といふことはない。
 何から何まで其の警部補のする事はみんな惡いのである。
 魚釣(此の灣内ではもろ鰺が良く釣れるさうだが)の下手なの迄が讒謗の種子にならうとは、私も考へなかつた。
 魚釣の話が一番後あとに出たものだから、少し慌てて聞いてゐると、警部補は魚釣が下手故此の島の行政事務を任せては置けないといふ風な論旨に取られかねないのである。
 聞いてゐる中に、先程は何とも感じなかつた・あの横幅の廣い警部補に何だか好感が持てさうな氣がして來た。

 島を案内しようといふのを斷ことわつて公學校を退却すると、私は獨りで、島民に道を聞きながら、「レロの遺跡」といふ名で知られてゐる古代城郭の址を見に行つた。
 今迄曇つてゐた空から陽が洩れ始め、島は急に熱帶的な相貌を帶びて來た。
 海岸から折れて一丁も行かない中に、目指す石の壘壁にぶつかる。
 鬱蒼たる熱帶樹に蔽はれ苔に埋もれてはゐるが、素晴らしく大きな玄武岩の構築物だ。
 入口をはひつてからが仲々廣い。
 苔で滑り易い石疊路が紆餘曲折して續く。
 室の跡らしいもの、井戸の形をしたものなどが、密生した羊齒類の間に見え隱れする。
 壘壁の崩れか、所々に塁々たる石塊の山が積まれてゐる。
 到る所に椰子の實が落ち、或るものは腐り、或るものは三尺も芽を出してゐる。
 道傍の水溜には鰕の泳いでゐるのが見える。
 ミクロネシヤにはもう一つ、ポナペ島に之と同樣な(更に大規模な)遺址があるが、共に之を築いた人間も年代も判つてゐない。
 とにかく、その構築者が現住民族とは何の關係も無いものだといふことだけは通説となつてゐるやうだ。
 此の石壘に就いては何等まとまつた傳説が無い上に、現住民族は石造建築について何等の興味も知識も持たぬのだし、又之等巨大な岩石を何處いづこよりか(此の島に斯ういふ石は無い)海上遠く持ち運ぶなどといふ技術は、彼等よりも遙かに比較を絶して高級な文明を有つ人種でなければ不可能だからである。
 さういふ文明をもつた先住民族が何時頃榮え、何時頃亡び去つたか。
 或る人類學者は渺茫たる太平洋上に點在する之等の遺址(ミクロネシヤのみならずポリネシヤにも相當に存在する。イースター島の如きは最も有名だが)を比較研究した後、遙かなる過去の一時期に西は埃及から東は米大陸に至る迄の廣汎な地域を蔽うた共通の「古代文明の存在」を假定する。
 さうして、其の文明の特徴として、太陽崇拜、構築の爲の巨石使用、農耕灌漑その他を擧げる。
 斯うした壯大な假説は、私に、大變樂しい空想の翼を與へる。
 私は、太古埃及から東漸した高度の文明を身につけた・勇敢な古代人の群を想像することが出來る。
 彼等は、眞珠や黒耀石を追ひ求めては、果てしない太平洋の眞蒼な潮の上を、眞紅な帆でも掛けて、恐らくは葦の莖の海圖を使用しながら、或ひは、今でも我々の仰ぐオリオン星やシリウス星を頼りに、東へ東へと渡つて行つたに違ひない。
 さうして、愚昧な原住民の驚嘆を前に、到る處に小ピラミッドやドルメンや環状石籬を築き、瘴励な自然の中に己が強い意志と慾望との印を打建てたのであらう。
 ……勿論、この假説の當否は、門外漢たる私に判る譯が無い。
 たゞ私は今、眼前に、炎熱と颱風と地震との幾世紀の後、尚熱帶植物の繁茂の下に埋め盡されもせずに其の謎の樣な存在を主張してゐる巨石の堆積を見、又一方、巨石の運搬どころか極く簡單な農耕技術さへ知らぬ・低級な現住民の存在を知つてゐるだけである。
 巨大な榕樹が二本、頭上を蔽ひ、その枝といはず幹といはず、蔦葛の類が一面にぶらさがつてゐる。
 蜥蜴が時々石垣の蔭から出て來ては、私の樣子を窺ふ。
 ゴトリと足許の石が動いたのでギヨツとすると、その蔭から、甲羅のさしわたし一尺位の大蟹が匍ひ出した。
 私の存在に氣が付くと、大急ぎで榕樹の根本の洞穴に逃げ入つた。
 近くの・名も判らない・低い木に、燕の倍ぐらゐある眞黒な鳥がとまつて、茱萸ぐみのやうな紫色の果を啄んでゐる。
 私を見ても逃げようとしない。
 葉洩陽はもれびが石垣の上に點々と落ちて、四邊あたりは恐ろしく靜かである。
 私の其の日の日記を見ると、斯う書いてある。
「忽ち鳥の奇聲を聞く。再び闃げきとして聲無し。熱帶の白晝、却つて妖氣あり。佇立久しうして覺えず肌に粟を生ず。その故を知らず」云々。

 船に歸つてから聞いた所によると、クサイの人間は鼠を喰ふといふことである。

ヤルート

 とろりと白い脂を流したやうな朝凪の海の彼方、水平線上に一本の線が横たはる。
 之がヤルート環礁の最初の瞥見である。
 やがて、船が近づくにつれて、帶と見えた一線の上に、先づ椰子樹が、次いで家々や倉庫などが見分けられて來る。
 赤い屋根の家々や白く光る壁や、果ては眞白な濱邊を船の出迎へにと出てくる人々の小さな姿までが。

 全くジャボールは小綺麗な島だ。
 砂の上に椰子と蛸樹たこのきと家々とを程良くあしらつた小さな箱庭のやうな。
 海岸を歩くと、ミレ村共同宿泊所、エボン村共同宿泊所等と書かれた家屋があり、其の傍で各島民が炊事をしてゐる。
 此處は全マーシャル群島の中心地とて遠い島々の住民が隨時集まつてくるので、其等の爲に各島でそれぞれ共同宿泊所を設けてゐる譯だ。

 マーシャルの島民は、殊に其の女は、非常にお洒落である。
 日曜の朝は、てんでに色鮮かに着飾つて教會へと出掛ける。
 それも、恐らくは前世紀末に宣教師や尼さんが傳へたに違ひない・舊式の・頗る襞の多いスカートの長い・贅澤な洋裝である。
 傍から見てゐても隨分暑さうに思はれる。
 男でも日曜は新しい青いワイシャツの胸に眞白な手巾を覗かせてゐる。
 教會は彼等にとつて誠に樂しい倶樂部、乃至演藝場である。
 衣服の法外な贅澤さに引換へて、住宅となると、之は亦、ミクロネシヤの中で最も貧弱だ。
 第一、床ゆかのある家が少い。
 砂、或ひは珊瑚屑を少し高く積上げ、そこへ蛸樹の葉で編んだ筵を敷いて寢るのである。
 周圍に四本の柱を立て、蛸樹の葉と椰子の葉とで以てそれを覆へば、それで屋根と壁とは出來上つたことになる。
 こんな簡單な家は無い。
 窓も作ることは作るが、至つて低い所に付いてゐるので、丁度便所の汲取口のやうである。
 この樣な酷い住居にも、尚必ずミシンとアイロンとだけは備へてあるのだ。
 彼等の衣裳道樂に呆れるよりも、宣教師と結托したミシン會社の辣腕に呆れる方が本當なのかも知れないが、とにかく、驚くべきことである。
 勿論、ジャボールの町にだけは、床ゆかを張つた・木造の家も相當にあるが、さうした床のある家には必ず縁の下に筵を敷いて住んでゐる住民がゐるのだ。
 マーシャル特産の蛸葉の纖維で編んだ團扇、手提籠の類は、概ね斯うした縁の下の住民の手内職である。

 同じヤルート環礁の内のA島へ小さなポンポン蒸汽で渡つた時、海豚の群に取圍まれて面白かつたが、少々危いやうな氣もした。
 といふのは、おどけた海豚共が調子に乘つてはしやぎ廻り、小艇の底を潛つては右に左に現れ、うつかりすると船が持上りさうに思はれたからである。
 時々二三尾揃つて空中に飛躍する。
 口の長く細く突出た・目の小さい・ふざけた顏の奴共だ。
 船と競爭して、到頭島の極く近く迄ついて來た。
 島へ上つて見ると、丁度、ジャボール公學絞の補習科の生徒がコプラの採取作業をやつてゐる。
 増産運動の一つなのだ。
 島内を一巡して見たが、島中、椰子と蛸樹と麺麭樹とがギツシリ密生してゐる。
 熟した麺麭の果が澤山地上に落ち、その腐つてゐるのへ蠅が眞黒にたかつてゐる。
 側を通る我々の顏にも手にも忽ちたかつてくる。
 とても堪らない。
 途で一人の老婆が麺麭の實の頭に穴を穿ち、八つ手に似た麺麭の葉を漏斗代りに其處へ突込み、上からコプラの白い汁を絞つて流し込んでゐた。
 斯うして石燒にすると、全體に甘味が浸みこんでゐて大變旨いのださうである。

 支廳の人の案内でマーシャルきつての大酋長カブアを訪ねた。
 カブア家はヤルートとアイリンラプラプとの兩地方に跨がる古い豪家で、マーシャル古譚詩の中には屡々出て來る名前ださうである。
 瀟洒たるバンガロー風の家だ。
 入口に、八島嘉坊と漢字で書いた表札が掛かつてゐて、ヤシマカブアと振り假名が附けてある。
 此の地方の風と見えて、廚房だけは別棟になつてゐるが、それが四面皆竪格子で圍んだ妙な作りである。
 初め主人が不在とて、若い女が二人出て來て接待した。
 一見日本人との混血と分る顏立だが、二人とも内地人の標準から見ても確かに美人である。
 二人が姉妹だといふことも直ぐに判つた。
 姉の方がカブアの細君なのだといふ。
 程なく主人のカブアが呼ばれて歸つて來た。
 色は黒いが一寸インテリ風の・三十前後の青年で、何處か絶えずおどおどしてゐる樣な所が見える。
 日本語は此方の言葉が辛うじて理解できる程度らしく、自分からは何一つ言出さずに、たゞ此方の言ふことに一々大人しく相槌を打つだけである。
 これが年收五萬乃至七萬に上るといふ(椰子の密生した島を有つてゐるといふだけで、コプラ採取による收入が年にその位あるのだ)大酋長とは一寸思はれなかつた。
 椰子水とサイダーと蛸樹の果とをよばれて、殆ど話らしい話もせずに(何しろ向ふは何一つしやべらないのだから)家を辭した。
 歸途、案内の支廳の人に聞く所によれば、カブア青年は最近(私が先刻見た)妻の妹に赤ん坊を生ませて大騷ぎを引起したばかりだとのことである。

 早朝、深く水を湛へた或る巖蔭で、私は、世にも鮮やかな景觀ながめを見た。
 水が澄明で、群魚游泳の状さまの手に取る如く見えるのは、南洋の海では別に珍しいことはないのだが、此の時程、萬華鏡の樣な華やかさに打たれたことは無い。
 黒鯛ほどの大きさで、太く鮮やかな數本の竪縞を有つた魚が一番多く、岩蔭の孔あならしい所から頻りに出沒するのを見れば、此處が彼等の巣なのかも知れない。
 此の外に、透きとほらんばかりの淡い色をした・鮎に似た細長い魚や、濃緑色のリーフ魚や、ひらめの如き巾の廣い黒いやつや、淡水産のエンヂェル・フィッシュそつくりの派手な小魚や、全體が刷毛の一刷ひとはきの樣に殆ど鰭と尾ばかりに見える褐色の小怪魚、鰺に似たもの、鰯に似たもの、更に水底を匍ふ鼠色の太い海蛇に至る迄、其等目も絢あやな熱帶の色彩をした生物どもが、透明な薄翡翠色の夢の樣な世界の中で、細鱗を閃かせつゝ無心に游優嬉戲してゐるのである。
 殊に驚くべきは、碧あをい珊瑚礁リーフ魚よりも更に幾倍か碧い・想像し得る限りの最も明るい瑠璃色をした・長さ二寸許りの小魚の群であつた。
 丁度朝日の射して來た水の中に彼等の群がヒラヒラと搖れ動けば、其の鮮やかな瑠璃色は、忽ちにして濃紺となり、紫藍となり、緑金となり、玉蟲色と輝いて、全く目も眩むばかり。
 斯うした珍魚共が、種類にして二十、數にしては千をも超えたであらう。
 一時間餘りといふもの、私は唯呆れて、茫然と見惚れてゐた。
 内地へ歸つてからも、私は此の瑠璃と金色の夢の樣な眺めのことを誰にも話さない。
 私が熱心を以て詳しく話せば話す程、恐らく私は「百萬のマルコマルコ・ミリオネ」と嗤はれた昔の東邦旅行者の口惜しさを味ははねばならぬだらうし、又、自分の言葉の描寫力が實際の美の十分の一をも傳へ得ないことが自ら腹立たしく思はれるであらうからでもある。

 ヘルメット帽は、委任統治領では官吏だけのかぶるものになつてゐるらしい。
 不思議に會社關係の人は之を用ひないやうである。
 所で、私は、餘り上等でないパナマ帽をかぶつて群島中ぐんたうぢゆうを歩いた。
 道で出會ふ島民は誰一人頭を下げない。
 私を案内して呉れる役所の人がヘルメットをかぶつて道を行くと、島民共は鞠躬如として道を讓り、恭しく頭を下げる。
 夏島でも秋島でも水曜島でもポナペでも、何處ででもみんなさうであつた。
 ジャボールを立つ前の日、M技師と私は、土産物の島民の編物を漁るために、低い島民の家々を――もつと正確にいへば、家々の縁の下を覗き歩いた。
 前に一寸言つたが、ヤルートでは、家々の縁の下に筵を敷いて女共がごろごろしてをり、さういふ連中が多く蛸樹の葉の纖維で編物をやつてゐるのである。
 M氏より十歩ばかり先へ歩いてゐた私は、或る家の縁の下に一人の痩せた女が帶バンドを編んでゐる所を見付けた。
 帶バンドは中々出來上りさうもないが、傍には既に出來上つたバスケットが一つ置いてある。
 私は、案内役の島民少年にバスケットの値段を聞かせる。
 三圓だといふ。
 もう少し安くならないかと言はせたが、中々承知しさうもない。
 そこへM氏が現れた。
 M氏も少年に値段を聞かせる。
 女はチラと私と見比べるやうにして、M技師を――いや、M技師の帽子を、そのヘルメットを見上げる。
「二圓」と即座に女は答へる。
 オヤツと私は思つた。
 女はまだ自信の無いやうな態度で何かモゴモゴと口の中で言つてゐる。
 少年に通譯させると、「二圓だけれど、何なら一圓五十錢でもいい」と言つてゐるのださうだ。
 私が呆氣あつけに取られてゐる中に、M氏はさつさと一圓五十錢で其のバスケットを買上げて了ふ。
 宿へ歸つてから、私はM氏の帽子を手に取つて、しげしげと眺めた。
 相當に古い・既に形の崩れた・所々に汚點しみの付いた・おまけに厭な匂のする・何の變哲も無いヘルメット帽である。
 しかし、私にはそれがアラディンのランプの如くに靈妙不可思議なものと思はれた。

ポナペ

 島が大きいせゐか、大分涼しい。
 雨が頻りに來る。
 綿カボックの木と椰子との密林を行けば、地上に淡紅色の晝顏が點々として可憐だ。
 J村の道を歩いてゐると、突然コンニチハといふ幼い聲がする。
 見ると、道の右側の家の裏から、二人の大變小さい土民の兒が――一人は男、一人は女だが、切つて揃へたやうな背の丈だ。
 ――挨拶をしてゐるのだ。
 二人ともせいぜい四歳よつつになつたばかりかと思はれる。
 大きな椰子の根上りした、その鬚だらけの根元に立つてゐるので、餘計に小さく見えるのであらう。
 思はず此方も笑つて了つて、コンニチハ、イイコダネといふと、子供達はもう一度コンニチハとゆつくり言つて大變叮嚀に頭を下げた。
 頭は下げるが、眼だけは大きく開けて、上目使ひに此方を見てゐる。
 空色の愛くるしい大きな眼だ。
 白人の――恐らくは昔の捕鯨者等の――血の交つてゐることは明らかである。
 總じてポナペには顏立の整つた島民が多いやうだ。
 他のカロリン人と違つて、檳榔子を噛む習慣が無く、シャカオと稱する一種の酒の如きものを嗜たしなむ。
 之はポリネシヤのカヴァと同種のものらしいから、或ひは、此處の島民にはポリネシヤ人の血でも多少はひつてゐるのかも知れぬ。
 椰子の根元に立つた二人の幼兒は、島民らしくない小綺麗な服を着てゐる。
 彼等と話を始めようとしたのだが、生憎、コンニチハの外、何にも日本語を知らないのである。
 島民語だつて、まだ怪しいものだ。
 二人ともニコニコしながら何度もコンニチハと言つて頭を下げるだけだ。
 其の中に、家の中から若い女が出て來て挨拶した。
 子供等に似てゐる所から見れば、母親だらう。
 餘り達者でない・公學校式の角張つた日本語で、ウチヘハイツテ、休ンデクダサイと言ふ。
 丁度咽喉が涸いてゐたので、椰子水でも貰はうかと、豚の逃亡を防ぐ爲の柵を乘越して裏から家の庭にはひつた。
 恐ろしく動物の澤山ゐる家だ。
 犬が十頭近く、豚もそれ位、その外、猫だの山羊だの鶏だの家鴨だのが、ゴチヤゴチャしてゐる。
 相當に富裕なのであらう。
 家は汚いが、かなり廣い。
 家の裏から直ぐ海に向つて、大きな獨木舟カヌーがしまつてあり、其の周圍に雜然と鍋・釜・トランク・鏡・椰子殼・貝殼などが散らかつてゐる。
 その間を、猫と犬と鶏とが(山羊と豚だけは上つて來ないが)床の上迄踏み込んで來て、走り、叫び、吠え、漁り、或ひは寢ころがつてゐる。
 大變な亂雜さである。
 椰子水と石燒の麺麭の實を運んで來た。
 椰子水を飮んでから、殼を割つて中のコプラを喰べてゐると、犬が寄つて來てねだる。
 コプラがひどく好きらしい。
 麺麭の實は幾ら與へても見向きもしない。
 犬ばかりでなく、鶏共もコプラは好物のやうである。
 其の若い女のたどたどしい日本語の説明を聞くと、此の家の動物共の中で一番威張つてゐるのは矢張犬ださうだ。
 犬がゐない時は豚が威張り、その次は山羊だといふ。
 バナナも出して呉れたが、熟し過ぎてゐて、餡あんこを嘗めてゐるやうな氣がした。
 ラカタンとて此の島のバナナの中では最上種の由。
 獨木舟カヌーの置いてある室の奧に、一段床ゆかを高くした部屋があり、其處に家族等が蹲うづくまつたり、寢そべつたりしてゐるらしい。
 明り取りが無くて薄暗いので、隅の方は良く判らないが、此方から見る正面には、一人の老婆が傲然と――誠に女王の如く傲然と踞坐して煙草を吸つてゐる。
 さうして、外からの侵入者に警戒するやうな・幾分敵意を含んだ目で、私の方を凝乎じつと見てゐる樣子である。
 あれは誰だと、若い女に聞けば、ワタシノダンナサンノオ母サンと答へた。
 威張つてゐるね、と言ふと、一番エライカラと言ふ。
 其の薄暗い奧から、十歳ばかりの痩せた女の子が、時々獨木舟の向ふ側迄出て來ては、口をポカンとあけて此方を覗く。
 此の家の者は皆きちんとした服裝なりをしてゐるのに、此の子だけは殆ど裸體である。
 色が氣味惡く白く、絶えず舌を出して赤ん坊の樣にベロベロ音を立て、涎を垂れ、意味も無く手を振り足を摺る。
 白痴なのであらう。
 奧から、女王然たる老婆が喫煙を止めて、何か叱る。
 烈しい調子である。
 手に何か白いきれを持ち、それを振つて白痴の子を呼んでゐる。
 女の子が側へ戻つて行くと、怖こはい顏をしながら、それをはかせた。
 パンツだつたのである。
「あの兒、病氣か?」と私が又若い女に聞く。
 頭ガワルイといふ返辭である。
「生れた時からか?」「イイヤ、生レタトキハ良カツタ。」
 大變愛想のいい女で、私がバナナを喰べ終ると、犬を喰はぬかと言ふ。
「犬?」と聞き返す。
「犬」と、女は其の邊に遊んでゐる・痩せた・毛の拔けかかつた・茶色の小犬を指す。
 一時間もかかれば出來るから、あれを石燒にして馳走しようといふのだ。
 一匹まるの儘、芭蕉の葉か何かに包み、熱い石と砂の中に埋めて蒸燒にするのである。
 腸はらわただけ拔いた犬が、その儘、足を突張らせ齒をむき出して膳の上に上のぼされるのだといふ。
 はふはふの態で私は退却した。
 出がけに見ると、家の入口の左右に、黄と紅と紫との鮮やかなクロトンの亂れ葉が美しく簇むらがつてゐた。

トラック

 月曜島には、公學校校長の家族の外に内地人はゐない。
 朝、校長の官舍で食事をしてゐると、遠くから歌聲が聞えて來る。
 愛國行進曲だ。
 多くの子供等の聲と直ぐに分つた。
 聲がだんだん近付いて來る。
 あれは何ですと聞けば、同じ方面の生徒等は一緒に登校させるのだが、其の連中が、合唱しながらやつて來るのだといふ。
 聲は官舍の近く迄來ると、やんだ。
 途端に、トマレ! といふ號令が掛かる。
 玄關から外を見ると二十人程の島民兒童がちやんと二列に縱隊を作つてやつて來てゐるのだ。
 先頭の一人は紙の日の丸を肩にかついでゐる。
 其の旗手が、再び、ヒダリ向ケヒダリ! と號令をかけた。
 一同が校長の家に向つて横隊になる。
 と、一齊に、オハヨウゴザイマスと言ひながら頭を下げた。
 それから、又、先頭の腫物だらけの旗手が、ミギ向ケミギ! 前ヘススメ! をかけて、一行は、愛國行進曲の續きを唱ひながら、官舍の隣の學校の方へと曲つて行く。
 官舍の庭には垣根が無いので、彼等の行進が良く見える。
 背丈が(恐らく年齡も)恐ろしく不揃ひで、先頭には大變大きいのがゐるが、後の方はひどく小さい。
 夏島あたりと違つて餘り整つたなりをしてゐる者は無い。
 みんな、シャツを着てゐるとはいふものの、破れてゐる部分の方が繋がつてゐる部分より多さうなので、男の子も女の子も眞黒な肌が到る所から覗いてゐる。
 足は勿論全部跣足はだし
 學校から給與されるのか、感心に鞄だけは掛けてゐるやうだ。
 てんでに、椰子の果の外皮を剥いたものを腰にさげてゐるのは、飮料なのである。
 其等のおんぼろをぶら下げた連中が、それぞれ足を思ひ切り高く上げ手を大きく振りつつ、あらん限りの聲を張上げて(校長官舍の庭にさし掛かると、又一段と聲が大きくなつたやうだ)朝の椰子影の長く曳いた運動場へと行進して行くのは、中々に微笑ほほゑましい眺めであつた。
 其の朝は、他に二組同じやうな行進が挨拶に來た。

 夏島で見た各離島の踊の中では、ローソップ島の竹踊クーサーサが最も目覺ましかつた。
 三十人ばかりの男が、互ひに向ひあつた二列の環を作り、各人兩手に一本づつ三尺足らずの竹の棒を持つて、之を打合はせつつ踊るのである。
 或ひは地を叩き、或ひは對者の竹を打ち、エイサツサ、エイサツサと景氣のいい掛聲をかけつつ、廻めぐり廻めぐつて踊る。
 外の環と内の環とが入違ひに廻るので、互ひに竹を打合はせる相手が順次に變つて行く譯だ。
 時に、後向きになり片脚を上げて股の間から背後の者の竹を打つなど、中々曲藝的な所も見せる。
 撃劍の竹刀の撃合ふやうな音と、威勢のいい掛聲とが入り交つて、如何にも爽やかな感じである。
 北西離島のものは、皆、佛桑華や印度素馨の花輪を頭に付け、額と頬に朱黄色の顏料タイクを塗り、手頸足頸腕等に椰子の若芽を捲き付け、同じく椰子の若芽で作つた腰簑こしみのを搖すぶりながら踊るのである。
 中には耳朶に孔を穿ち、そこへ佛桑華の花を插した者もある。
 右手の甲に、椰子若芽を十字形に組合せたものを輕く結び付け、最初、各人が指を細かく顫はせて、之を動かす。
 すると、忽ち遠くの風のざわめきの樣な微妙な音が起る。
 之が合圖で踊が始まる。
 さうして、掌で以て胸や腕のあたりを叩いてパンパンといふ烈しい音を立て、腰をひねり奇聲を發しつつ、多分に性的な身振を交へて踊り狂ふのである。
 歌の中でも、踊を伴はないものは、全部といつて良い位、憂鬱な旋律ばかりであつた。
 其の題名にも、頗るをかしなものが多い。
 その一例。
 シュック島の歌。
「他人ひとの妻のことを思はず、己おのが妻のことを考へませう。」

 夏島の街で見た或る離島人の耳。
 幼時から耳朶を伸ばし伸ばしした結果らしく、一尺五寸ばかりも紐の樣に長く伸びてゐる。
 それを、鎖でも捲くやうに、耳殼に三廻みまはりほど卷いて引掛けてゐる。
 さういふ耳をしたのが四人竝んで、すまして洋品店の飾窓を覗いてゐた。
 其の離島へ行つたことのある某氏に聞くと、彼等は普通の耳をもつた人間を見ると嗤わらふさうである。
 顎あごの無い人間でも見たかのやうに。
 又、斯ういふ島々に永くゐると、美の規準に就いて、多分に懷疑的になるさうだ。
 ヴォルテエル曰く、「蟾蜍ひきがへるに向つて、美とは何ぞやと尋ねて見よ。蟾蜍は答へるに違ひない。美とは、小さい頭から突出た大きな二つの團栗眼どんぐりまなこと、廣い平べつたい口と、黄色い腹と褐色の背中とを有つ雌蟾蜍の謂いひだと。」

ロタ

 斷崖の白い・水の豐かな・非常に蝶の多い島。
 靜かな晝間、人のゐない官舍の裏に南瓜の蔓が伸び、その黄色い花に、天鵞絨めいた濃紺色の蝶々どもが群がつてゐる。

 島民の姿の見えないソンソンの夜の通りは、内地の田舍町のやうな感じだ。
 電燈の暗い床屋の店。
 何處からか聞えて來る蓄音機の浪花節。
 わびしげな活動小屋に「黒田誠忠録」がかかつてゐる。
 切符賣の女の窶やつれた顏。
 小舍の前にしやがんでトーキイの音だけ聞いてゐる男二人。
 幟が二本、夜の海風にはためいてゐる。

 タタッチョ部落の入口、海から三十間と離れない所に、チャモロ族の墓地がある。
 十字架の群の中に、一基の石碑が目につく。
 バルトロメス・庄司光延之墓と刻まれ、裏には昭和十四年歿九歳とあつた。
 日本人にして加特力教徒だつた者の子供なのであらう。
 周圍の十字架に掛けられた花輪どもは悉く褐色に枯れ凋み、海風にざわめく枯椰子の葉のそよぎも哀しい。
 (ロタ島の椰子樹は最近蟲害のために殆ど皆枯れて了つた。)目に沁みるばかり鮮やかな海の青を近くに見、濤の音の古い嘆きを聞いてゐる中に、私は、ひよいと能の「隅田川」を思ひ浮かべた。
 母なる狂女に呼ばれて幼い死兒の亡靈が塚の後からチヨコチョコ白い姿を現すが、母がとらへようとすると、又フツと隱れて了ふあの場面を。
 あとで公學校の島民教員補に聞くと、此の子の兩親(經師屋だつたさうだ)は子供に死なれてから間もなく此の地を立去つたといふことである。

 宿舍としてあてがはれた家の入口に、珍しく茘枝れいしの蔓がからみ實が熟してはぜてゐる。
 裏にはレモンの花が匂ふ。
 門外橘花猶的白樂、牆頭茘子已斌斑、といふのは蘇東坡(彼は南方へ流された)だが、丁度そつくり其の儘の情景である。
 但し、昔の支那人のいふ茘枝と我々の呼ぶ茘枝と、同じものかどうか、それは知らない。
 さういへば、南洋到る所にある・赤や黄の鮮やかなヒビスカスは、一般に佛桑華ぶつさうげといはれてゐるが、王漁洋の「廣州竹枝」に、佛桑華下小回廊云々とある、それと同じものかどうか。
 廣東あたりなら、此の派手な花も大いにふさはしさうな氣がするが。

サイパン

 日曜の夕方。
 鳳凰樹の茂みの向ふから、疳高い――それでゐて何處か押し潰されたやうな所のある――チャモロ女の合唱の聲が響いて來る。
 スペインの尼さんの所の禮拜堂から洩れてくる夕べの讚美歌である。

 夜。
 月が明るい。
 道が白い。
 何處やらで單調な琉球蛇皮線の音がする。
 ブラブラと白い道を歩いて見た。
 バナナの大きな葉が風にそよいでゐる。
 合歡ねむの葉が細かい影をハツキリ道に落してゐる。
 空地に繋がれた牛が、まだ草を喰つてゐる樣子である。
 何か夢幻的なものが漂ひ、この白い徑が月光の下を何處迄も續いてゐるやうな氣がする。
 ベコンベコンといふ間ののびた蛇皮線の音は相變らず聞えるが、何處の家で鳴らしてゐるのか、一向に判らぬ。
 その中うちに、歩いてゐた細い徑が、急に明るい通りに出て了つた。
 出た角の所に劇場があつて、其の中から頻りに蛇皮線の音が響いて來る。
(だが、之は、先刻から私の聞いて來た音とは違ふ。私の道々聞いて來たのは、劇場のそれの樣な本式の賑かなのではなく、餘り慣れない手が獨りでポツンポツンと爪彈つまびきしてゐたやうな音だつた)
 此處は沖繩縣人ばかりの爲の――從つて、芝居は凡て琉球の言葉で演ぜられる――劇場である。
 私は、何といふことなしに、小屋の中へはひつて見た。
 相當な入りだ。
 出しものは二つ。
 初めのは標準語で演ぜられたので、筋は良く判つたが、極めて愚劣なくすぐり。
 第二番目の、「史劇北山風雲録」といふのになると、今度は言葉がさつぱり分らない。
 私にはつきり聽き取れたのは「タシカニ」(此の言葉が一番確實に聞き分けられた。)「昔カラコノカタ」「ヤマミチ」「トリシマリ」等の數語に過ぎぬ。
 曾てパラオ本島を十日ばかり徒歩旅行した時、途を聞く相手が皆沖繩縣出の農家の人ばかりで、全然言葉が通じないで閉口したことを憶ひ出した。
 芝居小舍を出てから、わざわざ廻り道をして、チャモロ家屋の多い海岸通りを歩いて歸つた。
 この路も亦白い。
 殆ど霜が下りたやうに。
 微風。
 月光。
 石造のチャモロの家の前に印度素馨が白々と香り、其の蔭に、ゆつたりと牛が一匹臥てゐる。
 牛の傍にいやに大きな犬が寢てゐるなと思つて、よくよく見たら山羊であつた。