三木清遺稿「親鸞」を読む
一 人間性の自覚

『教行信証』は思索と体験とが渾然として一体をなした希有の書である。それはその根底に深く抒情を湛えた芸術作品でさへある。
 実に親鸞のどの著述に接してもわれわれを先ず打つものはその抒情の不思議な魅力であり、そしてこれは彼の豊かな体験の深みから溢れ出たものにほかならない。
 しかしながら、親鸞の宗教を単に「体験の宗教」と考えることは誤である。宗教を単に体験のことと考えることは、宗教を主観化してしまうことである。
 宗教は単なる体験の問題ではなく、真理の問題である。
 親鸞の文章には到る処懺悔がある。
 同時にそこには到る処讃歎がある。
 懺悔と讃歎と、讃歎と懺悔と、つねに相応じてゐる。
 自己の告白、懺悔は内面性のしるしである。
 しかしながら単なる懺悔、讃歎の伴わない懺悔は真の懺悔ではない。
 懺悔は讃歎に移り、讃歎は懺悔に移る、そこに宗教的内面性がある。内面性とは何であるか。
 内面性とは空虚な主観性ではく、却って最も客観的な肉体的ともいひ得る充実である。
 超越的なものが内在的であり、内在的なものが超越的であるところに、真の内面性は存するのである。

 親鸞には無常の思想がない。
 その限りにおいても彼の思想を厭世主義と考へることはできない。
 親鸞においては無常感は罪悪感に変わっている。
 自己は単に無常であるのではない。
 煩悩の具はざることのない凡夫、あらゆる罪を作りつつある悪人である。
 親鸞は自己を愚禿と号した。
「すでに僧にあらず俗にあらず、このゆへに禿の字をもて姓とす」といつてゐる。
 承元元年、彼の三十五歳のとき、法然ならびにその門下は流罪の難にあつた。
 親鸞もその一人として僧侶の資格を奪はれて越後の国府に流された。
 かくして、すでに僧にあらず、しかしまた世の生業につかぬゆゑ俗にあらず、かくして禿の字をもつて姓とする親鸞である。
 しかも彼はこれに愚の字を加えて自己の号としたのである。
 愚は愚痴である。
 すでに禿の字はもと破戒を意味してゐる。
 かくして彼が非僧非俗破戒の親鸞と称したことは、彼の信仰の深い体験に基づくのであつて、単に謙遜のごときものではない。
 それは人間性の深い自覚を打ち割って示したものである。
 外には悟りすましたやうに見えても、内には煩悩の絶えることがない。
 それが人間なのである。
 すべては無常と感じつつも、これに執着して尽きることがない。
 それが人間なのである。
 弥陀の本願はかかる罪深き人間の救済であることを聞信してゐる。
 罪悪の意識は如何なる意味を有するか。
 機の自覚を意味するのである。
 機とは何であるか。
 機とは自覚された人間存在である。
 かかる自覚的存在を実存と呼ぶならば、機とは人間の実存にほかならない。
 自覚とは単に我れが我れを知るということではない。
 我れはいかにして我れを知ることができるか。
 我が我れを知るという場合、知る我れと知られる我れとの分裂がなければならず、かやうに分裂した我れは、その知られる我れとして全体的でなく却って部分的でなければならぬ。
 従ってその場合、自覚的な我れよりもむしろ主客未分の、従って無意識的な、無自覚的な我れが、従って知的な、人間的な我れよりも、実践的な、動物的な我れが却って全体的な我れでもあるとも云い得るであらう。
『大無量寿経』は「時機純熟の真教」なり。
 末代に生まれた機根の衰えた衆生にとつてまことにふさはしい教えである。
 時機相応。
 聖道自力の教えは機に合わずして教果を収めることができぬ。
 浄土他力の一法のみ時節と機根に適している。

二 歴史の自覚

 人間性の自覚は親鸞において歴史の自覚と密接に結び附いている。
 彼の歴史的自覚はいわゆる末法思想を基礎としている。
 末法思想にはいうまでもなく仏教の歴史観である正像末三時の思想に属している。
 この正像末史観の重心は末法にある。
 それは末法史観にほかならない。
 時代の歴史的現実の深い体験は親鸞に自己の現在が救いがたい悪世であることを意識させた。
 しかも彼のこの体験を最もよく説明してくれるものは正像末の歴史観である。
 正像末三時の教説は歴史の現在の現実においてその真理性の証明を与えられている。
 もとより親鸞は末法の教説において時代に対する単に客観的な批判を見出したのではない。
 親鸞にとって正像末の教説は、単に時代に対する批判であるのみではなく、むしろなによりも自己自身に対する厳しい批判を意味した。
 批判されているのは自己の外部、自己の周囲ではなく、却って自己自身である。
「浄土真宗に帰すれども、真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」と彼はかなしみなげくのである。
 自己を「底下の凡愚」と自覚した彼は十六首からなる『愚禿悲歎述懐』を作ったが、我々はこれが『正像末和讃』の一部分であることに注意しなければならぬ。
 すなわち彼は時代において自己を自覚し、自己において時代を自覚したのである。
 いかにしても罪の離れがたいことを考えれば考えるほど、その罪が決してかりそめのものではなく、何か超越的な根拠を有することを思はずにはいられない。
 この超越的根拠を示すものが末法の思想である。
 末代の特徴は破戒ではなく、まして持戒ではなく、却って「無戒」である。

『末法燈明記』には次の如くいはれている。

「しかればすなわち末法のなかにおいては、ただ言教のみありて、しかも行証なけん。
 もし戒法あらば破戒あるべし。
 すでに戒法なし、いづれの戒を破るによりてか、しかも破戒あらんや。
 破戒なほなし、いかにいはんや持戒をや。
 かるがゆえに大集にいはく、仏涅槃ののち無戒くににみたんと」

 無戒者は無自覚者である。
「非僧非俗」と称した親鸞は自己の身において無戒名字の比丘を見た。
 そして非僧非俗の親鸞は自ら「愚禿」と名乗ったのである。
 彼は「愚が中の極愚、狂が中の極狂、尽禿の有情、底下の最澄」といった伝教大師の言葉に深い共鳴を感じた。
 無戒はいかにして自覚的になるのであるか。
 無戒の根拠を自覚することによってである。
 しかるにこの根拠は正像末の歴史観にほかならない。
 無戒という状態の成立の根拠は末法時であるといふことである。
 しかるに末法の自覚は必然的に正法時の自覚を喚び起す。
 これによって正像末の歴史観が成立する。
 そして正法時の回想は自己が末法に属する悲しさをいよいよ深く自覚させるのである。
 しかも正法時を回想するにしてもそしてかにもこれに合致しようとするにしても、自己が末法に属することはいかにもなし難い。
「正法の時機とおもへども 底下の凡愚となれる身は 清浄真実のこころなし 発菩提心いかがせん」といふ和讃は、この意を詠じたものであるであろう。
 無戒が破戒以下であることが自覚されねばならぬ。
 聖道門の自力教から絶対他力の浄土教への転換は親鸞において末法の歴史的自覚に基づいて行われ、これによつてこの転換は徹底され純化されたのである。
『教行信証』化身土巻における三願転入の自督に続いて正像末の歴史観か叙述されているといふことは、この歴史観に基づく自覚が三願転入の根拠であることを示すものと考えなければならぬ。
 三願転入といふ三願において、第十九願すなはち修諸功徳の願は自力の諸善万行によって往生せんとするものとして持戒の時である正法時に、第二十願は念仏といふ他力で、しかし自力の念仏によって往生せんとするものとして正法と末法との中間にある像法時に、また第十八願は絶対他力として末法時に相応するといふことができるであらう。
 親鸞は他力教の絶対性を先ず、それが釈尊の本懐教「出世の本懐」であることを示すことによって明らかにしようとした。
 釈迦出世の本意と知れとは親鸞における内面の叫びであった。
 釈迦一代の説法はその種類極めて多く、八万四千の法門があるといはれるが、これら多種多様の説法をもつひに大無量寿経を説くためであり、弥陀の本願の教えにとって他のすべては仮のもの、方便のものに過ぎないのである。
 釈迦の「出世の大事」は限りない慈愛をもって衆生を救わんがために弥陀の慈悲の教えを説くためであったのである。
 この教のみが真実の教である。
「如来興世の正説」である。
 しかもこの絶対的真理の開示は我々において歴史的なものとして受け取られなければならぬ。

 第二に、この教の絶対性はその永遠性によって知られる。

「信に知りぬ、聖道の諸教は、在世正法のためにして、まったく像末・法滅の時機にあらず。すでに時を失し機に乖けるなり。浄土真宗は、在世・正法・像末・法滅、濁悪の群萠、斉しく悲引したまうをや。」

 と親鸞はいっている。

 すなわち自力の教はただ釈迦在世及び滅後五百年間の衆生の機根のすぐれた時代にのみ相応する教であって、像法、末法という機根の劣った時代には相応しない教であるのに反して、他力の教は在世正法、像法末法及び法滅の時代にわたって煩悩に汚され悪業に繋がれる人々を一様に大慈悲をもって誘引し給う教である。

 しかるに第三に、この教にかかる絶対性、すなはち歴史を離れるのではなく却って歴史の中において歴史を貫く絶対性は、その伝統性において認められる。
 親鸞はこの伝統をインドの龍樹、天親、中国の曇鸞、道綽、善導、日本の源信、源空の七人の祖師において見た。
 彼は「高僧和讃」を作ってこれら七祖を讃詠したのである。
 釈迦の出世の本懐の教である弥陀の本願の教は処と時を隔てたこれらの高僧によって次第に開顕されてきたのである。
 この伝統はこの法の絶対性を示すものである。

 正像末の歴史観は浄土教史観とまさに表裏をなしていることが知られる。

三 三願転入

 三願転入に深い論理があること、それに永遠なる法理があることは、我々もまたやがて明らかにしようとするところである。
 しかしながらその故をもって、これを純粋に法理的に解釈しようとすることは誤りである。
 この文は率直に受け取る者にとっては疑ひもなく親鸞の宗教的生の歴程を記したものであり、歴史的事実の告白である。
 弥陀の本願は単なる理、抽象的な真理ではない。
 それは生ける真理として自己を証しするのである。
 この証しは、この真理が我々の生の現実に深く相応するといふこと、この現実を最もよく解き明かすといふことによって知られる。
 法と機、真理と現実、永遠なものと歴史的なものとの一致、この不思議な一致こそ我々をして弥陀の本願をいよいよ仰信せしめるものである。

四 宗教的真理

 宗教は真実でなければならない。
 それは単なる空想であったり迷信であったりしてはならぬ。
 宗教においても、科学や哲学においてと同じく、真理が問題である。
 ただ宗教的真理は科学的真理や哲学的真理とその性質、その次元を異にするのである。
 もとより宗教の真理も真理として客観的でなければならぬ。
 客観性はあらゆる真理の基本的な微表である。
 親鸞の宗教はしばしば体験の宗教と称せられている。
 かく見ることは或る意味においては正しい。
 宗教的体験の本質は内面性であり、親鸞の宗教は仏教のうち恐らく最も内面的であることを特徴としている。
 しかし体験はそれ自身としては主観的なもの、心理的なものを意味している。
 したがって体験の宗教といふことは主観主義、心理主義に陥ることになり、宗教は真理であるといふ根本的な認識を失わせることになり易いのである。
 真理は決して単に体験的なもの、心理的なもの、主観的なものであり得ない。
 もとより宗教的真理の客観性は物理的客観性ではない。
 その客観性は経において与えられている。
 経とは仏説の言葉である。
 信仰といふものは単に主観的なもの、心理的なものではなく、経の言葉といふ超越的なものに関係している。

「それ真実の教をあらはさば、すなわち大無量寿経これなり」と親鸞はいっている。

 経は釈尊の説いた言葉であり、その真実性は釈尊の自証に基づくのである。
 しかし釈尊は歴史的人物であるとすれば、その言葉はいかにして真の客観性、真の超越性を有するであろうか。
 仏教における聖道門は釈尊を理想とする。
 それは釈尊によって自証された法を自己自身において自証しようと努力する。
 経の言葉はそれ自身として絶対性を有しない。
 かくしてそれは宗教であるよりも道徳乃哲学であることに傾くのである。

 聖道門は釈尊を理想とする自力自証の宗教として、そこに真の超越性は存しない。
 しかるに浄土門は釈尊を超越した教である。
 親鸞は真実の教である「大無量寿経」について、「如来の本願をとくを経の宗致とす、すなはち仏の名号をもて経の体とするなり」といっている。
 弥陀如来の本願や名号は釈尊を超越するものである。
 真に超越的なものとしての言葉は釈尊の言葉ではなくて名号である。
 名号は最も純なる言葉、いはば言葉の言葉である。
 この言葉こそ真に超越的なものである。
 念仏は言葉、称名でなければならぬ。
 これによって念仏は如来から授けられたものであることを証し、その超越性を顕すのである。
 本願と名号とは一つのものである。
 経は本願を説くことを宗致とし、仏の名号を体とする故をもって真に超越的な言葉であるのである。
 かくの如き経として「大無量寿経」は真実の教あるのである。

 しかしこの超越的真理は単に超越的なものとして止まる限り真実の教ではあり得ない。
 真理は現実の中において現実的に働くものとして真理なのである。
 宗教的真理は、哲学者のいふが如き、あらゆる現実を超越してそれ自身のうちに安らふ普遍的妥当性の如きものであることができぬ。
 それはそれ自身のうちに現実への関係を含まなければならぬ。
 弥陀の本願はかくの如き現実への関係において普遍性を含んでいる。
 それは、「十方衆生」の普遍性である。
 すなはち第十八、十九、二十の三つの重要な願はいづれも「十方衆生」という語を含んでいる。
 十方衆生といふ現実の普遍性への関係は、本願において、後天的に附けくはつてくるのではなく、却ってもともと本願のうちに内在するのである。
 したがって本願の普遍性は単に経験的普遍性ではなく、先天的な超越的な普遍性である。
 普遍性は真理の基本的な微表であるが、単に経験的な普遍性は真の普遍性であることができぬ。
 しかしまた単に超越的な普遍性は現実との関係を欠いて真の普遍性の意義を有しない。
 本願の普遍性はかくの如き抽象的な普遍性ではなく、十方衆生の普遍性をそれ自身のうちに含んで、現実的普遍性への傾動をそれ自身のうちに含んでいる。
 しかしながら、十方衆生の普遍性もなほ抽象的である。
 宗教においてはどこまでも自己が救われるということが問題である。
 理論の有限も論理の透徹も、その教法が自己を救うものであるか否かという切実な問いの前には、何らの権威も有しない。
 自己は十方衆生のうちに含まれると考えられる。
 しかし単にかく考えられる自己は類概念の一つの例としての自己に過ぎず、生きた真に現実的な自己ではない。
 十方衆生はそれ自身としては類概念である。
 宗教的真理は実存的真理、言い換えると、生ける、この現実の自己を救ふ真理でなければならぬ。
 親鸞が求めた教法はまさにかくの如き実存的真理であったのである。

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。」と「歎異抄」にいはれている。

 彼は教えを単にその普遍性において見たのではない―それは単に理論的な態度に過ぎない―彼はこれを絶えず自己の身にあてて考えたのである。
「教行信証」において種々の経論を引いて諄々として教法を説き去り説き来る親鸞は、諸所において突如として転換していはゆる自督の文を記している。
 この劇的な転換の意味は重要である。
 この自督の文は電撃の如く我々の心を打つ。
 今や彼は自己のかへって客観的普遍的な教法を自己のみにあてて考えたのである。
 自督とは自己の了解するところをいふ。
 教法の真理性は自己において身証されるのでなければならぬ。
 教は誰のためでもない、自己一人のためである。
 かくして「十方の衆生」のための教は実は「親鸞一人」のための教である。
 普遍性は特殊性に転換する。
 かかる転換をなしおわることによって普遍性もまた真の普遍性になるのである。
 今や特殊性に転換した普遍性は現実的に普遍性を獲得してゆく。
 教をみづから信じた自己は人を教えて信じさせる。
 いはゆる自信教人信の過程において十方衆生の普遍性が実現されてゆく。
 このとき十方衆生はもはや類概念の如き抽象的な普遍ではなく、自己のうちに特殊性をそのままに含む具体的な普遍となる。
 それは同朋同行によって地上に建設されてゆく仏国にほかならない。

五、社会的生活

 念仏の行者はたがいに「御同朋御同行」である。
 かかる御同朋御同行主義は浄土真宗の本質的な特徴であり、そして、そこに信者の社会的生活における態度の根本がなければならぬ。
 かかる兄弟主義の根底は全く「同一念仏無別道故」である。
 しかも念仏がすべての人において平等であり、同一であるのは、この念仏が自力の念仏ではなくて他力の念仏であるがためである。
 もしも念仏が自力の念仏であるならば、各人の念仏に勝劣があり、平等ではないであろう。
 すべての念仏は弥陀廻向の念仏であるが故に、同一であるのである。

 さて世間の法即ち俗諦は、浄土真宗の宗乗学者に依れば、「信心為本」に対して「王法為本」である。
『御一代聞書』には「王法は額にあてよ、仏法は内心に深く蓄えよ」ともいっている。
 宗祖親鸞においてはかような定式は見出されない。

 仏教と外教とはどこまでも区別されねばならぬ。
 道家の如きは虚無恬淡を説いて一見仏教の根本思想と等しいようであるが、これに対して親鸞は『弁正論』を引いて批判を加えている。
 儒教の説くところは正しいにしても、「ただこれ世間の善」に過ぎない。
 仏教は絶対的である。
 この絶対的真理に対してその世の教えはすべて邪教である。
『涅槃経』には道に九十六種があって、ただ仏の一道のみが正道であり、他の九十五種はみな外道であると述べている。
「九十五種みな世を汚す、ただ仏の一道のみひとり清閑なり」と善導はいっている。
 仏教とその他の教えとの価値の差別は絶対的である。
 我々は先ずこのことを知らねばならぬ。
 仏教は絶対的真理であり、他の経の真理は相対的価値を有するに過ぎぬ。
 しかも、相対的真理はその相対的価値においていかに高まるかにしても、またそのすべてを加え合わせても絶対的真理になることはできない。
 我々にとって何よりも必要なことは先ずこの絶対的真理を把握することである。
 しかもこれはただ超越によって捉えられることができる。
 信とはかくの如き超越を意味している。
 相対的真理から絶対的真理へは非連続的である。
 これに反して絶対的真理から相対的真理へは連続的である。
 前者は後者の根拠としてこれを含むことができる。
 親鸞は信巻において『浄土論註』から次の文を引いている。

「もし諸仏菩薩、世間・出世間の善道を説きて、衆生を教化する者ましまさずは、あに仁・義・礼・智・信あることを知らんや。かくのごとき世間の一切善法みな断じ、出世間の一切賢聖みな滅しなん」

 すなわち世間の法たる仁義礼智信の五常もまた仏道におさまるのである。仏法があるによって世間の道も出てくるのである。



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