信用できない社会

 多くの日本人は昭和20年、それまで信じてきた国家が大きな過ちを犯したことを知った。

 その後数年間は国を信じない者が少なくなかったがとにかく働くしかない、そのうち次第に国の秩序も回復し、一生懸命働けばそれに見合った生活はできる社会になってきた。

 老後働けなくなったら年金や貯金で生活できると信じさせられていた。

 年金がおかしくなった。公務員については毎年受け取り率が減っていった。
 受給者の寿命が延びて原資が足りなくなったと言うことだがそんなことは小学生の算数でも解る。
 受給者の寿命が延びたら働く期間も延ばせばいい。年金の率を下げるときなぜ停年の延長も選択肢に上がらないのかおかしな制度だ。おかしいと感じない官僚、政治家が国を動かしているのがおかしい。

 銀行や年金を扱う保険会社が簡単につぶれるのもおかしい。つぶれるような銀行や保険会社を認め監督できないのがおかしい。

 マスコミに顔を出す経済学者、評論家は自己責任とかハイリスク、ハイリターン、ローリスク、ローリターンなどとわざわざ外国で学ばなくても知っていることなど恥ずかしげなく言う。

 こんな所見は何の役にも立たない。自己責任といってもそれは許認可や監督する官庁が

信用できないということだ。またローリターンを選べばローリスクではないからだ。

 自分の年金まで投資運用先を選べなどとも言う。経済を職業、食い物にしている人以外で新聞の経済面や雑誌を見る暇のある人は本来の仕事をしない管理職くらいだ。

 社会の役割にしたがって真剣に働くことより自分の利益のために情報を集め分析し損しないように、儲かるように生きることを奨めているのが今の社会だ。信用を重んずる社会が有るべき姿だなどという者はほとんどいない。

 恥ずかしくないのか、マスコミ関係者、その御用学者、評論家、官僚、政治家。
 社会制度がこうなってしまうのは、人間の浅はかな利己心から生じている。

 親と子、先生と弟子、前任者と後任者、この関係が次第に社会を停滞、後退させてしまう。 大きな変化があった後の初代はそれなりに適性、力量が有ったのだろう。

 二代目の選抜には初代の意向が入るので初代を越える人物は選抜されにくい。先代の忠実な子分が就きやすい。これを繰り返せば不適切な社会構造ができてくる。これは資本主義社会でも共産主義社会でも変わらない。

 人間は社会的動物だが社会にのさばることと、社会の中で個人が役割を果たすこととは天と地ほども違うことをよく弁えなさい。