「日本人に仇討ち」来日、見聞を広め人間的にも成長 中国人社員の目に映った日本、日本人、日本企業(11)2004/10/21
 瞬く間に東京での研修生活が終わりを告げてしまいました。
 この3ヵ月間は、当初の「全くの未知」から出発し、「慣れ親しみ」へと至る道のりでしたが、今回の研修は、終生忘れがたい思い出に満ちたものであり、また、今後の私の仕事と生活に大変役立つものでした。

 時間的には短かったにもかかわらず、仕事上でも、日常生活上でも、実に私は様々な感想を持ちました。全てのことが、私にとっては新たな出会いであり、新鮮であり、研修前よりずっと見聞を広め人間的にも成長することが出来たとさえ感じています。

 日本に出発する前は、未知のもの、神秘的なものに対する様々な妄想が入り混じる複雑な心境でした。
 勿論、その中には、数多の中国人が日本人に対してずっと抱き続けている恨みに満ちた記憶と心情が含まれています。
 事実、出発前に多くの中国人の友人から、多少冗談交じりに、「日本人に対して仇を討つことを忘れちゃダメだぞ」という餞別の言葉をもらっていたのでした。

 来日前に比べて、私は、日本に対してずっと良い印象を持ちました。日本は、確かに進んだ国だと感じました。
 それがどこに感じられたのかと言いますと、国や公共が提供する環境、社会公共施設、公共交通、人々の仕事と生活の質及び意識等に感じられました。以下、我々が学び、利用するに値すると思われる点に関して、自分の経験を交えつつ説明します。

 9月9日から12月3日にかけて、私は、会社の命令で日本に派遣され、三カ月の研修を受け、たった3カ月の間に、java等の知識を自分で習得し、それを仕事に応用しました。私は、ここで仕事の内容について詳しく説明するつもりはありません。
 日本で見聞きした事の中で、参考になり、我々の生活をより良くし、会社の発展を促がす事柄について述べて見たいと思います。

 この期間、誰もが、どのような出来事も、全ての光景が、自分にとっては新鮮でした。

 日本の高度に発達した経済、巨額の富、とりわけ、日本人の立ち居振る舞い、即ち、仕事を大切にし、セルフコンコントロールが出来、礼儀正しく、公衆道徳を守っていること、及び、そのことが社会全体に安全感と快適な感覚をもたらしていることが新鮮でした。

日本人の4つの精神−仕事を大切に、サービス精神 中国人社員の目に映った日本、日本人、日本企業(12)2004/11/10

【日本人の四つの精神】

1. 日本人の仕事を大切にする気持ち
 日本に到着したその日から、この国の雰囲気を嗅ぎ取ることになりました。
 国全体が、大変秩序だっており、大変清潔で、人々は忙しく、生活のテンポが大変速いのです。
 けれども、時間がたつ、より深く知るにつれ、日本人が私に見せてくれたものは、仕事を大切にするということがどういうことかということでした。

 日本人のこの仕事を大切にする気持ちは、仕事の段取りをきめ細かく行うという行為の中に如実に現れていました。
 私自身は、仕事上ではほとんど先輩中国人の○○さんとばかりやり取りをしていましたが、他の社員達の仕事に対する姿勢はよく見て取れました。皆、無駄口をたたかず、仕事に没頭していました。
 ところが、一旦問題が起きると、すぐに打ち合わせを行い、それこそ、次のステップをどういう風に、どのような時間割で行うかを詳細に話し合うのでした。
 日本人の時間の観念は強く、それは、出勤退社時間についても、一つ一つの個別の仕事についてもそうでした。
 また、業種を問わず皆そうでした。
 朝の5時に電車で出勤したり、夜中の12時に退社したこともありますが、驚いたのは、電車に乗っている人がいつも多いということでした。

 また、別の見方からすれば、日本人の仕事を大切にする気持ちは、どの仕事についても大変真面目にやるということだとも言えます。計画を立てる際に毎分毎秒まで立てないと気がすまないのです。
 また、先ず何よりも、自分がやるべき仕事を果たそうとしていました。

2. 日本人のサービス精神
 日本においては、どういう場合にも、「恥をかく」おそれがないのです。なぜなら、どこにも詳しい説明があるからです。
 新幹線に乗っても、全てのシートの背に何号車かが明示されているし、最寄の号車のトイレ、ゴミ箱、電話の位置が、男の人、女の人の図柄や、タバコの図案の上に×印をして示してあります。また、日本語、英語の説明文もあります。

 日本の地図は、実に親切に書かれています。
 一筋、二筋路地を歩けば、必ずと言ってよいほど周辺域を示した地図があります。
 これらの地図は、上が北といった簡単なものではなく、空中写真方式のもので、見る者はたちどころに、前に何があり、後ろに何があり、右手、左手に何があるか分かってしまいます。どんな方向音痴でも理解できるものです。

 日本の食は、必ずしも全ての中国人の口に合うとは限りませんが、日本のレストランの料理は、安心して食べられます。
 どのレストランにも蝋で作った料理のサンプルが入ったガラスケースが置かれていて、それを見れば、どんな料理か、形や量まで一目瞭然です。また、実際に出てくる料理はサンプル通りのものです。
 ガラスケースに入っていない料理も、店の中に写真付のメニューがあり、いくらか、どんな料理かが一目瞭然です。

 日本滞在期中に二度程遠出をし、道が分からず、日本人に道を尋ねたことがあります。
 尋ねられた人は、それこそ懇切丁寧に教えてくれました。
 口で説明して分からないとなると、紙を取り出して書いてくれます、或いは、描いた地図が良くないと言っては何度も書き直し、こちらが、はっきりと理解するまで書いてくれるのでした。
 更にもっとこちらの理解を超えることとして、道を尋ねてからずいぶんと歩いて来てしまったのに、あとから車で追いかけて来て、目的地まで送り届けてくれたことです。「親切とは何か?」をしみじみと感じました。

日本人の品質に対する意識:ニセモノがない日本 中国人社員の目に映った日本、日本人、日本企業(13)2004/12/16

3. 日本人の品質に対する意識
 日本に来たばかりは、町にまばゆいばかりに溢れる商品を目の前にして、果たしてどれが良いものか、良いものでないのか分からず戸惑ったものでしたが、そのうち、日本での買い物は、ニセモノがないので、安心して行えば良いことが分かって来ました。
 ちょっと見には全く同じに見える2000円の定価がついた真珠のネックレスと20万円の真珠のネックレスでも、2000円のものは人造真珠で、20万円のものは天然真珠です。
 消費者は、ほとんどの場合、商品の定価を見れば、商品のレベルが分かってしまうのです。

 ニセモノを売らないというレベルで日本を評価するなどというのは、全くのところ、見当違いも甚だしいと言うべきです。
 日本人の品質に対する意識というのは、骨の髄まで深く深く染み込んでいます。
 私が住んでいた北浦和の一室も、狭いながらも、品質はと言えば、相当なものでした。
 エアコン、冷蔵庫、テレビ、洗濯機等はどれも高品質のものでした。
 また、私が買って食べていたお米は中等レベルのものでしたが、味は良く、中国の高い部類のお米よりも味が良い位でした。
 たかがお米ですから、中国人も日本以上においしいお米を開発することは出来ると思うでしょうが、ところがどっこい、日本人のような骨の髄まで染み込んだ品質を大切にする意識、何を作るにも最も良いものを作り中途半端なもので満足しないという姿勢、ちょっと成果が出たらもうそれで満足することを否定する姿勢がなければ、無理なのです。

 この点は極めて重要です。
 お米だけではなく、プロセス開発、ソフト開発をする際にも重要ですし、なにをやるにしても重要です。
 我々が作った製品は必ずしも最も優れたものではないかも知れないが、品質が最も優れたものを作るんだという姿勢で臨まなければならないということです。
 品質がこのようにして保たれてこそ、会社は業績が低迷したり、淘汰されたりせずに済むのです。

 日本では、トイレも大変快適です。
 ホテルでも、ショッピングモールでも、地下鉄でも、街の小さな食堂でも、どこに行っても、トイレ、壁、レンガ、衛生陶器などはピカピカです。
 日本滞在期間中、水道の蛇口が壊れて水が噴出したり、トイレの水が漏れたり、トイレのドアのかんぬきが壊れていて、いやな思いをしたことはありませんでした。また、どのトイレも異臭がしません。
 日本の労働力は極めて高いため、公共のトイレでは、いつも人がいる訳でもなく、しょっちゅう掃除をしている訳でもないのにです。

 以前、日本人の品質に対する意識を巧みな比喩を使って表現した文章をよんだことがあります。
 それは、こういうものでした。

 「アメリカ人がエレベーターを発明したとして、アメリカ人は、エレベーターは上下に動けば良いと考えるが、日本人はそれでは満足せず、必ずどの階でも、エレベーターとフロアーがきっちりと同一面に来て止まるように改造しなければ気がすまない。」

「無用心バッグ」に驚き、日本の精神的豊かさ 中国人社員の目に映った日本、日本人、日本企業(14)2005/01/05

4. 日本人のセルフ・コントロール
 日本は地下鉄が大変に発達した国で、東京でも大阪でも地下には空洞が広がっており、地上のどのビルから入って行っても地下鉄の駅に辿りつくようになっています。少し離れた都市に行くには、高速の新幹線で行けます。
 が、ごった返している地下鉄でも、新幹線でもゴミが散らかっているのを見たことはありませんでした。
 また、乗客達は、手に手に新聞紙や空き缶を持って降車し、種類別に分けられたゴミ箱に捨てる光景にしょっちゅうぶつかりました。
 また、こんな光景もよく目にしました。
 それは、子供が電車に乗り込んで来て坐ってから窓の外を見たいという時、親が、子供の靴を脱がせ、座席を汚さないよう気を使っているというものでした。

 行列は、日本の名物です。
 公園で遊ぶのにも列を作りますし、レストランで食事をするのにも列を作りますし、トイレでも列を作ります。
 道で「催してしまった」人は、トイレの入り口で列を作って並びますが、一人でも人が並んでいれば、その後ろに並びます。
 そして、一人出て来れば一人入ります。
 その落ち着いて辛抱強く待っている様子からは、風雲急を告げるといった雰囲気は感じられません。
 また、エスカレーターでも並びます。
 皆自然に左側に立ち、右側はエスカレーター内を歩いて登る人の為に空けておきます。

 街で見かけるもので面白いのは、若い女性達のバッグにファスナーが付いていないことです。
 バッグの中に入れた携帯電話、サイフ、カメラ等が外から一目瞭然なのです。
 彼女等は、こういったバッグを抱えて込み合った地下鉄に乗ったり、にぎやかな街に出るのです。
 これと似たような景色に、東京、大阪の地上地下に軒を連ねたコンビニがあります。
 店内に置ききれず、商品を店の外まで陳列していますが、従業員が見張っていないどころか、盗難防止磁気や盗難防止ゲート等の設備はなく、お客が商品を自分でカウンターに持って行きお金を支払う仕組みになっているのです。

 勿論、日本は完全無欠の世界という訳ではありません。事実、数多の社会問題が山積しています。
 しかし、この経済的に高度に発達した社会の背景に、我々が本当に学ぶ価値のあるものがあるのです。
 それは、言ってみれば、必ずしも物質的なものを投入しなくとも、精神的に最大限の努力を惜しまないという意識があれば、その意識が最終的には測り知れない物質と精神的豊かさを生み出すということです。
 私は、これこそ、我々が今後の仕事と生活において、活かすことのできる貴重な教訓だと考えます。

 最後に、この三ヶ月間の研修を通して、私にも、少しづつ日本人特有の勤勉さと精緻さ、また、これこそが日本を発展させたものであることが理解できて来たような気がします。

 今後、仕事において、ここで学んだ専門知識と仕事に対する真摯な精神を十分発揮したいと思います。
 自分を信頼し、このような機会を与えてくれた会社に感謝します。
 また、私をサポートしてくれた同僚達にも感謝します。
 そして、社員全員が一丸となり、この会社がますます発展することを願って止みません。


長い間同じ仕事をし続ける日本の会社に奇異感じる 中国人社員の目に映った日本、日本人、日本企業(9)2004/09/20

 今年、私は日本で3カ月仕事をしましたが、日本人の仕事への取り組み方と仕事のやり方は、私にとって大変に印象的でした。
 以前他人からは、日本人がいかに仕事を大切に思っているか、規則を良く守るかということを聞かされていましたが、実際に仕事をしてみて、その感がより一層深まりました。
 先ず、全体的な社会環境から言えば、日本社会はかなり統制の取れた社会であり、毎日の通勤も、大部分の日本人は電車通勤をしているのですが、ピーク時でさえも、整列を心がけ、押し合いへし合いの状況を目にすることはほとんどありません。

 まさにこの日本社会においては誰もが規則を遵守するということが、日本企業の企業文化を欧米のそれとは異なったものにしているのかも知れませんが、日本企業のやり方は、慎重に一歩一歩歩むという着実なもので、勤務中は皆自分の仕事を真面目にやり、会社の電話で私用電話をかける者などいません。
 他の日本の会社はいざ知らず、少なくともこの会社では、そういう光景を目にすることはあり得ません。

 中国の企業においては、まず考えられないことです。

 日本の会社では、各人の仕事が細分化、専門化されているためか、皆長い間同じ仕事をやり続けますが、これは、中国人の目には、かなり味気ないものに映ります。

 もしかしたら、これが中国人社員の日系企業における流動性が高い理由かも知れませんし、これこそが、日本文化と中国文化の違いであるかも知れません。

 日本人は、何事においても、決まり事に従って物事を進めます。
 我々は、このことが、日本企業は欧米企業と違って創造性に欠ける原因だと見がちですが、確かに創造性なしには企業の発展はあり得ないにしても、製品の品質が確かであることの方が、企業にとってはもっと重要であると思います。
 日本製の電気製品の高信頼性と、このこと、即ち、日本人は、決まり事に従って物事を進めることとは多いに関係があると思います。

「日本人は残業が日常茶飯事」は環境の賜物 中国人社員の目に映った日本、日本人、日本企業(10)2004/10/05

 以上は、日本人全体に対する私の所感でした。
 以下、この会社で3カ月間働いた際の体験を具体的にお話ししたいと思います。

1. 仕事の能力について
 この会社には非常に優秀なITエンジニアーがおり、3カ月の間に、私自身随分といろいろな勉強をさせてもらいました。
 特に、プログラム設計の方面で私自身のレベルアップにつながり、今後の仕事に多いに役立ちます。

2. ドキュメント資料の整理について
 日本人はプログラム開発を行う前に、大変多くの時間を費やして資料の整理を行いますが、資料の整理が完璧で、この会社のネットワーク上に載せられた○○の開発計画を見ると、非常に具体的で、修正が必要と思われる函数は全てドキュメントに列挙されています。ここでは、ドキュメントを見れば、具体的に何をやらなければならないのかが、誰にも一目瞭然なのです。
 以後の修正やメンテを行う上でも、大いに役立ちます。

3. 仕事に取り組む姿勢について
 日本人の仕事に対する真面目な態度は、この会社の誰もが皆真面目に仕事をしており、出勤時に無駄なおしゃべりはしないし、時間に対する観念も進んでおり、どの仕事はいつまでに完成しなければならないか、厳しく管理しており、ほとんどの人がその時間通りに仕事を完成しているといった具合です。

4. 残業
 日本人にとっては、残業は日常茶飯事で、極く当たり前のことです。多分これは、日本の教育と社会の環境の賜物でしょう。
 ある人曰く、「日本人は、仕事中には仕事をせず、就業時間外に仕事をする」。果たして、この言葉が正しいかどうか?
 少なくとも、私が働いたこの会社では、皆昼間も一生懸命仕事をしていました。

 日本に滞在した時間が短く、日本人のこともまだまだ理解できたとはいえませんが、今回の研修を通じて大変多くのことを学ぶことができました。


第一印象は「失望」もすぐに日本の「テンポの速さ」実感 中国人社員の目に映った日本、日本人、日本企業(4)2004/04/30

 人の一生においては、環境が異なり、経歴が異なり、心情が異なれば、時間に対する感覚もかなり違ったものになって来ます。
 毎日目の前に現れる全ての事物がこの上なく新鮮で、周りで起きる全ての出来事が人に果てしない思いを巡らせるようなものである時、人は時間がその歩みを停止しているかの感覚を覚え、また、新鮮なものごとがいくら多くても、それらを割りと簡単に、自分の脳裏に深く刻み込むことができるのですね。これが私が日本で半年、生活、仕事をした時の実感です。
 ですから、日本から帰国して既に1年2ヶ月になりますが、日本でのちょっとしたことも、はっきり覚えていますし、逆に帰国後の1年余りの時間は、あっという間に過ぎて、その間のことは何も残っておりません。

 日本に来た当初、電車に座って車窓を眺めると、遮音版の隙間から次々に背の高い建物、低い建物が現れ、そこに書かれた漢字は皆読めるもので、一時自分が異国の地にいるとは思えませんでした。
 もし、何が違う、と聞かれたなら、こういうところが大変きれいで、こういうところが大変小作りで、空は明るく、青く、風があっても埃がなく、道は狭く、ビルが密集していて、車は小型だが、色鮮やかで、少しの汚れもないと答えたでしょう。
 しかし、こういった感想は私を失望させるものでした。
 「これが、経済が高度に発展したといわれる日本?」と感じたからです。
 その一方、「我が国が先進国の仲間入りをするのももう間近だ」との愉快な気持にもなりました。

 けれども、それに続く毎日、私の周りで起きる些細な出来事は、私のこの第一印象を打ち消すようなものばかりでしたし、些細な出来事とはいえ、とても印象深いものばかりでした。
 このようにして、帰国時の私は日本に対して以前とは全く異なった印象を抱くようになっていました。
 以下、私にとっての日本の印象をいくつかの面から述べてみます。

◇日本はテンポの速い国
 出勤第1日目、私はまだ会社に行ったことがなかったので、○○さんと9時15分に駅で待ち合わせをしました。
 遅れてはいけないと思い、30分も早く着きました。八王子駅の2階ロビーでした。
 この何も用事のない30分間に、日本がいかにテンポの速い国であるかということを思い知りました。
 行き交う人々は皆秩序よく整然としていたのですが、けれども誰もが忙しそうにしており、エスカレーターに乗るのに、エスカレーターの左側に立っている人は極一部分で、大部分の人は、右側を早足で駆け抜けていました。
 私が、初めて下りのエスカレーターに乗った時、不注意で向かい側の逆方向のエスカレーター上を歩いている人を見習ってしまったのですが、あの時、思わず胸がドッキンドッキンと高鳴ったのを良く覚えています。

 日本の「テンポ」は、ただ「速い」という一言に集約できるものではなく、皆がそれこそ一秒一刻を惜しんでいるといった面にも表れていました。私のような「閑人ひまじん」は周りをざっと見回しても一人もいないのでした。
 新聞を読む人、本を読む人、漫画を読む人、或いは、小冊子を読む人、報告書を書く人、限られた時間に睡眠不足解消をはかる人ありでした。そこには、北京の地下鉄内のように、傍若無人におしゃべりをする「閑人」はいませんでした。

「礼節」の国での研修、誰彼かまわずお辞儀したくなる 中国人社員の目に映った日本、日本人、日本企業(5)2004/05/26

2. 日本は「礼節の国」の典型
 この点については、私は前々から聞かされていました。
 或る中国人の友人が私に、「日本では腹が立つことはないよ。腹を立てたくとも無理だよ」と語ったことがあります。
 このような予備知識があったにも係わらず、日本に来たばかりは、なかなかなじめませんでした。
 大型の商店でも、町の普通の店でも、いつも必ず私に向かってお辞儀をする人がおり、「いらっしゃいませ」の声が掛けられるのでした。
 エレベーターに乗ろうとすると、かなり遠くにいても、エレベーター内の人は辛抱強く待ってくれており、なおかつ丁寧に行く先階を聞いてボタンを押してくれました。
 また、こちらが同じ事を他の人にしてあげると、エレベーターに乗り込む時にお辞儀をしてお礼を述べられるだけではなく、降りる時にも、再度お辞儀で謝意を表され、こちらは戸惑ってしまう始末でした。
 時間が経つにつれ慣れては来ましたが、始めのうちは、他の人とエレベーターに乗り合わせるのが怖くて仕方ない程でした。

 こういった具合に皆が優しく人に接するという雰囲気の下では、人は自然に笑みを浮かべたり、お辞儀をしたり、うなずいたり、「はい」と答えるようになるので、お互いの間に親しみの気持が溢れ、気持がすっきりするだけではなく、元気も湧いてくるのでした。特に、私のような異国から来た者にとっては、大変気持が和みました。
 そして、なんと、帰国後は、この逆コースの適応期間を必要としたのです。
 帰国して間もない頃、「印象は?」と聞かれると、私は、とっさに、「誰彼かまわずお辞儀したくなっちゃう」と答えていたのでした。

3. 日本は「エチケット」の国
 エチケットは、時に「マナー」とも呼ばれるが、人々が日常生活を送る上で、大変役に立つものです。
 が、私達中国人にはまさにこれが欠けているのです。

 日本は人で混み合った島国で、東京はまさにその好例ですが、けれども、混乱をきたすような場面には余りお目にかかれません。

 町に出るとお目にかかるのは次のような場面です。
 電車駅のエレベーターでは、皆極自然に左側に一列に並び、右側は急いでいて駆け抜ける人用に空けています。
 電車が着くと、人々はドアの両側に二列に整列し、降りる人が降りるのを待ってから、順番に乗り込みます。
 乗り込んでからは、あわてふためいて席を奪い合うことをせず、人がいないことを確認してから腰を下ろします。
 交差点では、人も車も交通規則を厳守し、喧嘩は見られません。
 信号機のない交差点では、車は進んで減速し、横断者を優先します。
 もし、通行人の方が歩を緩め車を優先すれば、運転者は車の中から通行人に向かって何度もお辞儀をしてお礼の意を表します。
 また、深夜人気のない時でも、通行人は交差点の信号が青になるまでじっと待ってから道を横断します。

花火大会から見る−日本は公徳心と環境意識が高い 中国人社員の目に映った日本、日本人、日本企業(6)2004/06/16

4. 日本は公徳心と環境保全意識の高い国
 冒頭で述べたように、私の日本に対する第一印象は、清潔だということでした。
 これは当然のことながら日本の持つ海洋性気候と多いに関係があると思いますが、それ以上に日本政府の努力と国民の質の高さと公徳心と環境保全意識の高さによるものだと思います。

 日本には、昔からの慣わしとして花火大会があります。東京23区、市、では各々独自に花火大会を催します。
 この花火大会というのは、主催者が選んだ場所で花火を打ち上げ、市民は決められた場所で花火を見るものです。
 去年、私が住む八王子市での花火大会は10月8日でした。私が帰国する数日前のことでした。
 私は幸運にも花火大会をこの目で見ることが出来たのです。
 花火の予定打ち上げ時間は夜の8時から10時でしたので、7時50分に富士公園に着いたのですが、既に真っ黒な人だかりが出来ており、皆、お行儀良く、地面にビニールシートや新聞紙を敷き、その上にいろいろな飲み物や食べ物を置き、食べながら花火を観賞しようということで、盛り上がっていました。
 あの日の花火はすばらしいものでしたので、駅までかなり距離があるにもかかわらず、私は最後の最後まで粘りました。
 見物客は、花火がおわると自分のゴミを持ち帰りながら、秩序だって帰り始めましたが、見物客が帰った後には少しのゴミも残されていませんでした。
 それは、もし、ごった返しの人ごみの中に身を置いていなければ、さっきまでの賑わいが全く感じられないようなきれいな光景でした。

 出勤途中でいつも目にする日本風の2−3階の一戸建てには庭がついており、地面が見えない程に様々な植物が置かれており、緑地面でした。塀の上までいろいろな形の盆栽が置かれていたりしました。
 こんな風に緑を配置できる人は、きっと部屋もきれいで机もきれいにしているに違いありません。
 日本での半年間、私は、革靴をしょっちゅう拭かなくても良いということがどういうことか、身をもって知りました。

5. 日本は人を大切にする国
 日本で生活しているとすこぶる便利だなと感じます。
 私のような日本語が未熟な人間でさえも、しょっちゅう感じるのは、人を大切にしているということです。
 それは、大は公共の交通機関から娯楽施設まで、小は書籍やペン一本の設計に至るまでなのです。

 見知らぬ土地に行っても、迷ったり遅刻したりする心配がありません。
 なぜなら、インターネットで詳しい最新路線図、時刻表、運賃表が得られますし、駅に行けば、そこにも詳しい案内図が待っているからです。

 もし気もそぞろに歩いていて、足元に異様な気配を感じた場合にも、下を見れば、曲がり角だったり行き止まりであることが自ずと分かります。また、歩き疲れた場合には、道端に休憩用のベンチがありますが、そのほとんどは日陰に置かれています。

 前に述べましたが、電車の中では、本を読む人が大変多いのですが、これらの本は、手のひら程の大きさで、装丁がきれいで、大変携帯し易いように設計されており、内容もすこぶる広範にわたり、様々な読者のニーズが満たされるようになっているのです。

よき伝統を維持する日本に見習う、「質素」「治安」も 中国人社員の目に映った日本、日本人、日本企業(7)2004/07/07

6. 日本は良き伝統を保ち続ける国
 日本は高度に発展した国で、発展の過程で西洋から様々なものを取り入れている一方、古き良き伝統を受け継いでいる国でもあります。私は、この点は、我々も見習うべきだと考えます。
 日本には昔からの伝統的な催し物があります。私が滞在したのは夏でしたが、夏には「祭り」が行われます。
 八王子の「祭り」は、8月1日―3日に行われます。
 一週間前から準備が行われ、通りいっぱいに日本独特の提灯が飾られ、ほとんどの通りは、歩行者天国となってしまい、人々は和服を着て出掛けます。
 道の両側には様々な食べ物屋が並び、通りの真ん中をきちっと整列した踊り手達が日本伝来の音楽にあわせて優雅に踊りを踊ります。踊りの列の長さは2キロにも及び、衣装は色とりどりで、踊る姿もあでやかで、「祭り」の気分が満ち満ちています。

 和服は、休みの日だけではなく、普段の日でも、和服を纏い、髷を結い、下駄を履いた優雅なご婦人達をみかけます。
 こういう光景に接すると、日本らしさをしみじみと感じます。

7. 日本は質素を重んじる国
 日本のGDPは、世界第2位で、豊かな国であることは誰でも知っています。
 私も日本に行く前に日本人の生活はかなり質素だと聞いていましたが、確かに「食べる量は少ないが、よく働く」ということが分かりました。日本のレストランでは、「定食」が一般的で、それは中国の「一人前の食事」に似ています。
 中国で言い慣わされている「常に三分のひもじさと寒さの中にいる」というのが日本文化の一つの特色だと言えます。
 日本から帰国してからも、ちょくちょく一人前のささやかな食事を終えた後静かに席を立って出て行く日本人の姿が浮かんで来ます。豊かになった民族が、こんなに質素な生活を保ち続けるとは。
 もしかしたら、この質素さこそが、豊かでパワフルな日本経済以上に日本を強大にしているのかも知れません。

8. 日本は治安が良い国
 一人で見ず知らずの土地に行くとなると、何といっても安全が問題になります。
 私の場合も家族全員を引き連れて、あちこちに留守をお願いした上で旅立ったのでしたが、着いてみると、杞憂であることが分かりました。

 日本のスーパーには、お客が手荷物を預けるところがありません。お客さんは店から信用されているのです。
 電車の中で、バッグを網棚に載せて一眠りしても、盗まれる心配はありません。
 もし、どこかで事件や事故が起きると、そこには警告の看板が立てられます。
 深夜一時二時に町を歩いてもドキドキすることはありませんでした。これらは全て治安の良さから来ているものです。

他人の欠点見ても進歩はない、長所を見て、学ぶ 中国人社員の目に映った日本、日本人、日本企業(8)2004/08/17

9. 日本は品質に対する意識が格別に高い国
 日本人の職業を生きがいにするという精神は、世界的に有名ですが、日本製品の品質の高さも世界的に定評があります。

 日本で仕事をしている中で最も感銘を受けたのは、次の点です。
 即ち、何事であれ緻密な計画と合理的な配慮がなされているということです。
 毎朝、出社して、アンテナハウス社製の『行先番』というスケジュール・ソフトを開くと、そこには、会社全体、部門全体の会議のお知らせ、社員各人の就業規則や業績考課に係わる事項、各人が取り組み中の業務、外出予定、ランチの予定、はたまた、一ヶ月後の休暇、出張の予定、数ヵ月後に予定される会社の改革案等が掲示されています。
 また、これらのお知らせや通知においては、詳しい内容説明とスケジュールが示されており、社員は、これを頼りに自分の仕事配分を理に適ったやり方で出来るのです。

 日本の会社では、朝は、皆ほぼ同じ時間に出社し、タイムカードを打つ音が続けざまにするため、出勤したという実感が湧きます。夜は、退社という実感が湧いて来ません。
 なぜかというと、ほとんど誰も定刻には退社せず、遅くまで仕事をしており、8時9時まで仕事をするのは当たり前で、夜あたりを見回しても、皆まだ席に座っています。
 また、仕事中は、大変静かで、注意深く観察してみると、会議以外は、多くの社員が、一日中一言も話さずに、仕事に没頭しています。
 これは、通信手段が発達しているためもありますが、ここにこそ、日本人のいささかも物事をいい加減にしない、仕事を大切にする気持ちが如実に表れていると思います。

 また、日本人の仕事振りは大変緻密ですが、このことは、前から痛感していました。
 なぜなら、数多くの規格書、使用説明書、プロジェクト計画書に触れていたからです。

 その他、日本での半年間、使ったボールペンは、数本のみでしたが、私はすっかり日本製のボールペンが好きになってしまいました。
 なぜなら、これらのボールペンは、精巧に作られているばかりではなく、インクの出具合も良く、太過ぎず細過ぎずで、手にピタッと来る上に、最後まで良好な状態が続くので、その分、字がきれいに書けるからです。

 更に、日本の商店街を歩いていると、外に置かれた商品が目立つのですが、日本製品であれば見た目にはっきりと「日本製」のシールが貼られているのが目に入ります。
 日本製は、必ずと言って良い程、外国製より値段が高いのですが、日本製品は、高品質に支えられてこそ、高価格が維持出来るのです。

 以上が、私が半年の間に実際に見たこと、身を以って体験したことですが、皆さんは、それを読んで、どのような感想を持たれたでしょうか?様々な感想を持たれたに違いありません。
 が、ご自分なりの感想を持たれるのは、当然のことで、これを機に、いろいろと考えてみていただいたいと思います。
 ですが、私が確信を持って言えるのは、「日本には学ぶべきことが多い」ということです。
 もちろん、私の見聞は、偏っているに違いありません。何より、日本のウィークポイントを私は見ていません。
 けれども、個人の成長過程においても、社会の発展過程においても、他の人の長所を見、それに学び、自分を常に高めて行くべきだと思います。もし、他人の欠点ばかり見ていたら、私達に、進歩や向上があり得るでしょうか?
 その意味において、皆様、私の見聞録の中から、何かを学び取っていただければ幸いです。


日中交流史上極めて画期的な今の中国人の本音とは? 中国人社員の目に映った日本、日本人、日本企業(1)2004/02/25
 2001年10月某日、飛行機が成田空港に着き、私はとうとう中国とは様々に絡み合った関係を有する国、日本に降り立った。
 一種の興奮と共にちょっと馴染めないという感じを覚えた。
 興奮したのは、初めて自国を離れたからで、ちょっと馴染めないと感じたのは、私の心の内では最初に訪れる外国が日本になることを目標とはしていなかったため、仕方ないなあ、という気持ちが生じたことによる。
 成田空港の出口で無事出迎えに来てくれていた○○さん(中国人)に会え、八王子へと向かう電車に乗り込み、研修生活が始まった。

 私は2001年の10月から2002年4月にかけて、半年間の研修を受けた。この6ヶ月間、主として・・・・の仕事を担当した。
 研修期間中、努力して学び、・・・・の技術に対する理解を深め、業務能力を向上させることが出来た。
 勿論、その間、○○さんや○○○さん(日本人)が公私にわたりいろいろと面倒を見てくださり、お陰で、すぐに研修環境に慣れることが出来、仕事もはかどった。

 以前にはこの国については、新聞や書籍等の媒体を通してしか情報が得られなかったが、今や研修によってその国の中に身を置くことになり、仕事上でも、生活上でも、日本社会に対して一定の理解が出来ることとなった。
 日本社会の道徳観、礼儀に対する考え方、日本人のセルフ・コントロール、及び日本社会の品質に対する意識、サービス精神、日本社会の富裕度など、いずれも私に深い印象を与え、発展した国とはどういうものか、高度に発展した工業文明とはどういうものか、本当の意味で理解することが出来るようになった。

◇日本社会における道徳と礼儀
 人と会うときにはお辞儀をするというのが日本人の礼儀だなどと理解したのでは、全く不十分である。
 日本には数千年の歴史があり、その間独自の礼儀面での文化を培っており、それらは、日本社会のいろいろな方面に見られる。
 例えば、人の家を訪ねて、主人にお茶を振舞われた場合、客人はある決まった姿勢で茶碗を持ち、お茶を飲まなければならない。
 近代現代という工業化時代にあっても、日本人は実に巧みに固有の文化を保持し続け、且つその良さを引き出している。
 日本では、バス、電車に乗る時も、スカレーターに乗る時も、あるいはレストラン、トイレに行く時も、進んで並び、押し合いへし合いがない。
 また、道を横断する際は、皆信号に従い、交差点では、車はきちっと停車線の中に停まり、横断者を待つようにしている。
 日本の道路を歩くと、とても清潔で気持ち良く、全てがきちっとしており、ゴミをむやみに投げ捨てる人がいないため、路面は極めて清潔に保たれている。

 このような現象は日常生活だけではなく、ビジネスにおいても見られ、或る会社が経営上詐欺を働いたとなると、その会社は必ずや厳しく非難され、業界から締め出されてしまう。
 日本滞在期間中に、雪印がオーストラリアから輸入した牛肉を国産品と偽った事件が起きたが、この会社は、真相が暴露されてから社会の厳しい非難を浴び、最後には日本政府によって強制的に解散させられてしまった。

 私は、まさに、このようなセルフ・コントロールと社会的道徳感こそが、日本という国を豊かにし、世界トップクラスの先進国に押し上げたのだと思う。

中国人が見た日本のチームスピリット、高品質を支える 中国人社員の目に映った日本、日本人、日本企業(2)2004/03/24

◇日本の品質に対する意識とサービスに対する意識
 品質の良し悪しが最も端的に現れるのは商品においてである。
 私は帰国前にいくつかの電子機器を購入し持ち帰りたいと考えており、いろいろと価格を調べてみた。
 すると、同じモデルでも商店によって価格が異なること、いやそれどころか、かなり価格差が大きいことが分かってきた。
 そこで、日本人の同僚に価格差が品質の差を意味しているのかと尋ねたところ、同僚は、胸を張って、品質は同じ、違いなどないと断言したが、まさにその通りで、彼の答えは正しかった。
 それだけではなく、私が買った電子機器は、大変精巧に作られているのみならず、設計上多方面にわたってユーザーの使い勝手に配慮したものであった。
 このことより、私は、日本人が日本製品に対して有する品質面の自信の程、より優れた品質を追求するという気持ちを日本人の誰もが持っていることを痛感した。

 日本のサービスに対する高い意識も同様に各方面に見られる。
 店頭ではどのような問題であっても、店員が懇切丁寧に説明を行い、また終始その態度は礼儀正しい。
 電車の切符を買ったり、電車の乗り換えを行う際、必ず周囲に詳しい案内図があり、どこの駅に行く場合の運賃も明示されており、乗客はその図さえ参照すれば良い訳で、この上なく便利である。
 更に、町の通りでも周辺地域の地図が簡単に見つかり、その地図上には、商店、学校、道路、トイレ、ごみ捨て場、電話ボックス等が示されている。こんな具合で、誰も道に迷う心配をしなくて済む。

◇日本のチームスピリットがもたらす効率
 私は日本に半年しか滞在しなかったが、それでも、日本人のチームスピリットがどういう働きをしているかつくづく感じ取ることが出来た。
 もし、アメリカがその開放的なスピリットにより他国の優秀な人材を引き付け高度な文明社会を築いているとするなら、日本はその際立ったチームスピリットが高度な文明社会を成り立たせていると私は見る。
 日本での研修期間中に私は次のような発見をした。
 即ち、社員個々人にはかなり能力格差があるが、しかし、いかに優秀な社員が入って来ても、その人が優越感を周囲に撒き散らすことがないので、その分、能力が劣る社員も余り引け目を感ぜずに済むという雰囲気が出来ており、皆が会社から与えられた仕事に安心して励んでいるのだった。
 このようなチームスピリットがあるからこそ、商品を産み出す各プロセスにおける品質が保証され、それゆえに極めて質の良い商品が生まれて来ているのであった。
 実は、最初は、私は日本人社員の個人的な能力は特に高いとも思わなかったし、時として、うるさい事を言うなー、と感じることもあったが、しまいには、この団結力が本領を発揮して生み出す効率性の高さに身震いを禁じ得なかった程だ。

 また、私は日本の研修中に、日本の会社では、社員にとって、あれは出来ない、これは出来ないということはなく、そういった気持が社員の自信につながっており、且つ、自分から積極的に新しい技能を学ぼうという気にさせているということに気付いた。

日本のソフト産業の世界的地位はどうして低いのか? 中国人社員の目に映った日本、日本人、日本企業(3)2004/04/16

◇日本のソフト産業に関する一考察
 周知のごとく、日本のソフト産業の世界における地位は、日本の家電や自動車産業のような地位を得ることが出来ていない。
 私は、ずっとこのことが気になってならなかった。
 なぜなら、日本の経済力と教育レベルからすれば、そんな筈はないからだ。どうしてもこの点が、納得いかないのである。

 が、半年の研修期間中に新聞、テレビ、インターネット等の様々なメデイアと通して日本を理解し、また自分自身いろいろ体験したことより、自分なりの意見を持つに到ったので、以下で議論するためのたたき台として述べてみたい。

 ご存知のごとく、どのような製品、プロジェクトにも、スタート、プロセス、結果の3つの段階から成り立っている。
 製品、プロジェクトのスタートは、ユーザーのニーズに基づくのが普通で、メーカーとしては、ニーズが把握できれば、後は、その製造を行い目標に到達しさえすれば良い。

 その目標(結果)を追求する際、誰でも知っているように、先ずは厳格な要求に基づきサンプル評価用スペックを作成し、幾度も幾度も議論を重ねた上で厳格にサンプル評価スペックに基づき開発作業を行い、最後のテストも厳格にサンプル評価スペックに基づき行う。まさにこのようなやり方が、日本の高品質を生み出して来ている。

 しかし、ソフトウェアに関して言えば、ソフトウェアには、ソフトウェアなりの特殊性がある。
 つまり、ソフトウェアというものは、他の産業製品に比べすぐれて複雑であり、この複雑さは問題解決上の選択肢の多さを意味している、即ち、最終目標に到達するための方法は、一つではなく多種多様であることを意味している。

 となると、我々には「限られた資源と環境下で、どういう方法を取るのがベストであるか?」という難問が突き付けられることになるが、ソフトウェアというものが有する複雑さがソフトウェアの実行プロセスをシミュレーションすることを困難にしているため、ソフトウェアの開発においては、当初予算を大幅に超過したにもかかわらず、追及した目標を達成できないという事態がしょっちゅう起きてしまっている。

 この難題を解決すべく、先輩達は、経験と教訓を踏まえ、ソフトウェア・エンジニアーリング(軟件工程)という一つの学問を打ち立てたが、私は、これがソフトウェアのプロセス問題を解決する一つの方法論だと思う。

 必ずしもこれが絶対と言う訳ではないが、ソフトウェア・エンジニアリングの方法とステップによれば、プロジェクトがよりコントロールし易くなり、信頼性も増し、プロジェクトの目標により近づき、バグも少ないという結果がもたらされるであろう。

 日本での研修を通して、日本のソフト産業はどちらかというと、プロセスよりは、結果・目標の追求を重視しているように私の目には映った。

 以上は、私のちょっとした思い付きに過ぎず、正しくはないかも知れないので、ぜひ皆で議論をして欲しいものである。