鏡報月刊 2005 年 5月号「軍事脈搏」
中国の空母建造の夢が実現するか。 著者 仲一平

 1990年代以降、中国が航空母艦を建造するのではないかという噂が広まっていたが、未だ実現していなかった。
 いま中国人の期待は、実行に移されようとしている。
 中国の空母建造の噂は、十数年来、非公式にマスメディアの話題となっており、国防に関心を持つ専門家や民衆は、賛成或いは反対の意見を述べている。
 2004年8月、解放軍出版社は、元中央軍事委員会副主席、中共中央政治局常務委員劉華清の回顧録を出版した。
 その中で彼は、空母建造計画について
「空母は国家の総合国力の象徴である。また海軍が実施する海上多兵種連合作戦の核心である。空母の建造は、中国人の以前からの関心事である。中国が国防現代化を実現するためには、完全な武器装備体系を建設する必要があり、空母建造問題も考慮されるであろう」と述べた。中国の政治体制を良く知る人は、劉華清のような中国共産党の最高上層部を退職したばかりの指導者が発表した意見は、決して個人的意見ではなく、国家の政策を反映したものだと知っている。彼の話は、空母建造の世論形成の準備であり、中国海軍の建設、更には国防戦略も、空母建造によって新たな変化が起こると見るべきである。

中国の空母建造の萌芽
 空母は、20世紀に新たに生まれた航海技術と航空技術を結合させたものであり、工業化された強国だけが建造できる遠洋進攻性兵器である。旧中国は、経済が貧しく、技術が遅れ、日本が東北地区に残置した冶金機械工業以外に重工業の基礎はなく、造船所は、船の修理或いは外国の部品を寄せ集めてわずかに民用貨物船を組み立てることができるのみであった。
 中国の解放初期、自力で建造出来る海軍装備は、数十トンの巡視艇と砲艇のみであり、1000トンの駆逐艦すら不可能であった。
 中国の指導者は、世界を遊弋する米英の空母を見て、刺激を受け、非難すると同時にこの巨大な威力を持つ海上兵器の出現に憧れを持った。
 1958年、中国国内で、「超英?美(英国を追い越し、米国に追いつく)」を目標とする大躍進運動が起こった。
 工業、農業は、熱狂的な高い目標を掲げ、国防建設は、先端武器の迅速な開発を計画した。
 後世から見ると、10年以内に原子爆弾、水素爆弾を製造したように、これらの計画は、全て誇張であったわけではない。
 しかし多くの計画が現実離れしていた。
 1958年6月21日、毛沢東は、中央軍事委員会拡大会議において「造船業を大々的に推進し、「海上鉄道」を建設し、今後、数年以内に強大な海軍を建設するよう」提議した。
 彼はまた同時に、原子力潜水艦、人工衛星、航空母艦等の建設構想を提議した。
 指導者の指示により、海軍は、直ちに研究に着手し、中国最初の空母建造計画が提出された。
 一年以上の研究を経て、中国海軍は、1959年10月、最初の遠洋海軍建設計画を提出した。
 同計画は、5年以内に 60万トンの艦艇を造る計画であった。
 しかし中味は、潜水艦、軽型水上艦艇を重点とし、空母は入っていなかった。
 なぜならば、中国の造船能力は、導入した設備と設計図を用いて、1000トン級のソ連型潜水艦と護衛艦をやっとコピー生産できる水準だったからである。
 数万トン級の空母の建造計画を立てることは、1アール当たりの農業生産量を過大に吹聴したのと同じ誇大な計画であった。
 海軍のこの計画が提出された後、1960年に厳しい経済困難と飢饉に見舞われた。
 大型軍艦と原子力潜水艦建造計画は廃止された。
 1960年代前期の経済困窮と後期の文化大革命の大動乱のあと、1970年になると海軍指導者は、過去の毛沢東の「最高指示」を思い出し、造船指導グループに対し、空母建造の可否について諮問した。
 1970年代には、民用の数万トン級貨物船の船体は建造できるようになったが、搭載設備機器は以前として製造不可能で、建造開始したばかりの3000トン級駆逐艦051型は搭載装備の確保ができなかった。
 たとえ空母の船体だけを建造しても、載せる艦載機はなく、研究の結果、実現しなかった。
 1974年の西沙群島海戦時(中越戦争)、中国戦闘機の行動半径が足りないことが分かり、空母保有の声が高まった。
 1978年、国内に出現した「洋躍進(大洋に進出しよう)」運動時、中国軍は、英国からハリアー型垂直離着陸戦闘機の導入と軽型空母の建造を計画した。
 この計画は、華国鋒主席の支持を得た。
 1980年代初期、ケ小平が中央軍事委員会を支配した時期に、国防費が大幅に圧縮され、中国海軍の2回目の空母建造計画は終結した。

南海の争奪戦が空母建造論を誘発

 20年以上過ぎて後、1980年代初期にケ小平が軍隊に要求した「大局に立って国防予算を圧縮し、経済建設に力を集中する」政策が採られた。
 中国は、長期にわたった極「左」政策と過度の軍備増強による窮境を脱し、体制の転換とソ連型の過大な軍備が国民経済を圧迫する路線から脱出することができたのは、軍がしばらく忍耐したからである。
 しかし国内の軍事建設が少なからず停滞し、国防事業の継続発展が困難になったことも否定できない。
 1970-80年代に入ると、国際的にエネルギー不足が深刻になり、海洋経済を発展させることが新たな路線となった。
 1982年、国連を通過した海洋法条約は、200海里の専属経済水域を明確にし、地球上の大きな範囲の公海が沿岸各国の専属経済水域に繰り入れられた。
 人類は、陸上の寸土を争う戦いから海上の寸海を争う戦いに転換した。
 海洋国土は、もはや3海里或いは12海里幅の領海ではなくなった。
 このとき、中国は、300万平方km の海洋国土を収用することになった。
 しかしそのうちの半分は、他国によって争いが提議されており、争議区域は南海方向が最大となっている。
 1973年、米国がベトナムから撤退後、南海に制海権の真空状態が出現したが、遠洋航海力と制空権のない中国は、この歴史的なチャンスを掴めなかった。
 その結果、南沙諸島の大部分は、ベトナム、フィリピン、マレーシアによって分別占拠され、既成事実を根拠に専属経済水域の要求が出されている。
 1980年代後期、中国が進出を決定した南沙海域は、海南島基地を離陸した戦闘機の航続距離不足のため、空中掩護が出来なかった。
 1988年3月14日、中越の間で赤瓜礁海戦が発生した。
 中国海軍は勝利を得たが、防空は紅旗-61型防空ミサイルだけであった。
 もし相手が戦端を拡大し航空機を大挙来襲させたら対応は困難であった。
 南海の戦いが激しくなるにしたがって、中国海軍は、1980年代後期に再度、空母建造計画を提議した。
 海軍は、予め海空結合型の人材を養成するため、1987年、パイロット艦長(パイロットを艦長として養成する)養成のための講座を開いた。
 劉華清の回顧録によると、この年の海軍発展計画は、空母事業を立ち上げ、1990年以前に理論研究終了、1995年以前にプラットフォームと航空機の重要課題を研究、2000年には、状況を見て型式認定する計画であった。
 当時の航空、船舶等の関連工業部門の指導者と専門家は、研究の結果、空母を造る条件は基本的に備わっていると認定した。
 しかし1990年代以降、中国の指導者は、また空母計画を中止した。
 冷戦が終結し、国際環境が緩和したため、時期尚早とされた。
 国内条件から見ると、このとき、国家財政中の国防費比率が下降中で、有人宇宙船事業等を推進する必要があり、巨大経費のかかる空母は後回しになった。
 中国の空母計画は、再び頓挫したが、民間の要望が日増しに高くなり、海軍の一部は、研究を継続した。
 海外の一部企業は、金儲けのため自主的にやってきて空母建造計画を献策した。
 スペイン本国及びタイ国のために 10,000トン級の軽型空母を造ったスペインのバサン造船会社は、1995年、中国に対し2種類の軽型空母の建造計画を提案した。
 その中のSAC200型は、排水量23,000トン、SAC220型は、排水量 25,000トンであり、軍用及び商業規格を混合した標準的な建造方式を採用すれば、建造経費は、3乃至4億ドル以下に抑えられ、5年以内に完成するというものであった。
 中国は、研究の結果、同型艦は値段は安いが品質は悪く、性能の劣る垂直離着陸戦闘機しか搭載できず、しかも入手が難しいと判断した。
 垂直離着陸戦闘機を生産している国は、米、英、ロの3国だけで、米国と英国は、中国に対し武器禁輸を行っており、ロシアが持っているのは、旧ソ連が1970年代に生産した旧式のYAK-36型のみであった。
 中国は、最終的にバサン会社の提案を拒絶したが、300万ドルの研究費は支払った。
 これは、空母を研究するための学費とみなされた。

遠洋への進出が中国上層部の決心を促す

 21世紀に入り、中国の国力は、過去に比べ飛躍的に向上した。
 国民の収入は外貨換算で世界で第六位、世界銀行と国際通貨基金平価に基づく購買力標準は、米国に次いで第二位で、空母建造は財力の点では問題がなくなった。
 中国は、1980年代から1990年代にかけて、民用工業を主に育成する方針を実行し、国防工業発展のために有利な前提条件を創り出した。
 すなわち中国は、すでに30万トンタンカーを建造できる船台を保有しており、数万トン級の空母を建造することは全く問題がない。
 この大型空母は、搭載する艦載機についてはあまり問題が無く、候補機には、すでに購入したロシアのSU-27或いはMIG-29の艦載機型、又国産新型戦闘機の改修型がある。
 中国上層部が決心する際の難問題の一つは、将来の戦争でこの空母が役立つかどうか?という問題である。
 二つ目は、新たに建造した空母は、建造後、時代遅れのしろものになっていないか?という問題である。
 この数年来、中国国内の空母建造反対論者の論拠は、次の通りである。
 −中国海軍は、海洋戦略上、西太平洋の第一列島線によって封鎖状態にある。
 強大な米、日海軍は、戦時、列島線に沿って封鎖し、中国海軍は、遠洋に出るのが困難である。
 台湾問題を解決するという重大な軍事的任務から見ると、わずか130KM 程度の海峡を飛び越えるだけであり、福建省及びその周辺の飛行場を使用する近距離航空作戦においては、遠海の浮動基地は必要ない。
 又、中国の防空能力から論じると、空母を用いて米国と開戦したならば、このような巨大な目標物は、GPS誘導の精密誘導兵器によって直ちに破壊されるであろう。
 未来の武器の発展は迅速であり、中国が空母を造った時点で時代遅れとなるであろう。

 上述のような反対意見は、いくらでもある。
 中国の今後の発展方向から見ると、空母建造賛成の意見は、さらに説得力があるようだ。
  − 中国の十数億の同胞に現代的な生活を送らせるためには、単に陸上の資源に頼るだけでなく、海洋に向かわねばならない。
 現在の石油消費の半分は、輸入に頼っており、今後は更に多くの海外の権益を保護する必要がある。
 中国が空母を造ったとしても米国と競うことは困難だ。
 しかし国防建設は、最悪の基点から考慮すべきではなく、米、中が軍事衝突の発生を回避する、或いは少なくとも大衝突の発生を防止しようとする可能性があると見なければならない。
 もし敢えて中国の海外利益を侵犯しようとする二流国家或いは弱小の敵に対しては、空母は威嚇と実戦に大いに役立つ。
 又、世界の武器装備の発展の趨勢から見ると、空母は、少なくとも21世紀前半には淘汰されることは無く、米、英、仏は、数十年間使用する新型空母の建造を準備しており、中国が現在建造に着手しても世界の潮流に遅れることはない。
 又、中国空母は、和平時期において、上陸、災害救助、海上補給及び海上救援等の使命を担うことができ、更に世界に向かって力を顕示する有効な手段となる。
  現在の中国上層部の態度から見ると、明らかに建造賛成の意見を受け入れている。
 中国が空母を開発するにあたり、過大な期待を寄せるべきでないことは当然だ。
 今後、最も威力のある海軍装備は核潜水艦である。
 しかし強大な海軍とは、多種類の艦艇を組合わせたバランスのとれた海軍であるべきであり、一種類の装備だけで全てを賄うことはできない。
 21世紀の世界の海洋情勢の変化を展望すると、中国の伝統的「近海防御」戦略は、国際海洋法の発展と変化に対応しておらず、海洋国土と海洋権益を有効に防衛することができない。
 同時に又、海軍装備発展の牽引力になっていない。
 現在、中国の指導者が空母建造を決心することは、海洋防御ラインを中国専属の経済水域の外沿に推進することにつながり、海上強国になるための有効な路線であるとともに、一連の新型海軍装備の開発を推進することになる。
 現在、中国が空母建造に着手しても、完成するのは8年から10年後である。
 そのとき、多くの中国人の長年の夢であった空母が現実となり、中国は農耕大国から海洋大国へと発展するのである。

― 以上 ―