中国国防報 2004年11月16日
談兵慧語 (注:慧眼をもって兵を談ずる)
孫科佳
海戦の教訓
 今から110年前、1894年9月17日、中国北洋艦隊と日本連合艦隊が黄海において、5時間にわたる決死の戦闘を行った。
 最後は、北洋海軍の大敗に終った。この世界近代海戦史に残る惨烈な戦闘は、双方の武器装備が同等であったにもかかわらず、結果に大きな差がでたことは、深く反省させられるものがある。
 この海戦開始前に、中国 (清国) は、洋務運動 (1860 - 1894年) 及び編練新軍運動 (1895年) を中心とする軍事改革運動を開始した。中国は、先進的な装備を大量に導入し、大量の指揮官要員を外国に留学させ、近代工業を建設し、近代科学技術を学習し、新式の陸軍、海軍を建設した。北洋艦隊の建設は、正にこれらの軍事改革の成果を反映したものであった。
 しかし、この軍事変革には重大な欠陥があり、その欠陥によって北洋艦隊は大敗した。
 北洋艦隊の盛衰成敗は、この軍事改革の縮図であった。
 当時の軍事改革の教訓を深く研究することは、甲午海戦(註:黄海海戦を指す)の失敗を反省し、今日でも啓発的な意義がある。

一、軍事改革は、観念の革命であり、旧来の思想体系を深刻に改造しなければならない。
 重大な軍事改革が行われる歴史的な時期においては、思想観念を徹底的に解放しなければならない。
 旧来の思想体系が依然として支配的な地位を占めている場合は、軍事改革の成功は困難である。
 清国政府は、先進的な武器装備を導入したとはいえ、軍事思想と作戦思想が極めて保守的で旧式であった。
 甲午海戦を例にとると、双方の武器装備のレベルは同等であり、日本は戦前、この作戦の必勝を確信しておらず、むしろ敗れた場合の対処方策を準備していたほどであった。しかし清国軍は、「勝利の戦い」の歴史に溺れ、先祖伝来の旧式の用兵制度と西洋が既に捨て去った木帆船の作戦理論をもって近代化された鐵甲艦海軍を指揮した。
 このことが最終的に千古の遺恨を抱いたまま北洋艦隊を黄海の波濤に沈めてしまった。歴史は後世の人々に明示している。
 すなわち武器装備が先進的であっても、観念が遅れていると、このように打たれるのだ。

 明確に認識しなければならないことは、遅れた民族とは、貧しいことだけでなく、卑屈で保守的な民族を指すのである。
 遅れた軍隊とは、装備が劣っているだけでなく、観念が古い軍隊を指すのである。
 観念が古く或いは遅れている軍隊は、たとえ先進的な装備を有していても、戦争において失敗は免れない。

二、軍事改革とは科学技術の創造と革新であり、科学技術の発展を戦略的に重要な地位に置かなければならない。

 軍事改革とは、基本的に軍事領域において科学技術を広範囲に応用した結果を指している。
 中国は、古代において世界の人々を驚かすような一連の科学技術の発展を達成したが、長期にわたる封建社会制度、農業社会依存及び儒教思想文化が科学技術の発展を束縛し、消極性を生み出し、社会に愚昧と無知を蔓延らせた。
 このような雰囲気の中では、清国の軍隊が西洋の科学技術を学習したとしても、迅速な科学技術の発展をもたらすことはできず、かえって中国と西洋国家との科学技術の差をさらに拡大してしまった。

 「軍事改革を遂行するためには、科学技術の発展、創造、革新を長期的に重要な任務としなければならない」ことは、人類社会の軍事改革の歴史が証明している。
 科学技術の支持がなければ、軍事改革は、無に帰すことは必定である。

三、軍事改革は、システム技術であり、各種の軍事要素を有機的に結合しなければならない。

 軍事改革とは、軍事技術の改革或いは武器装備の革命を指すだけではなく、武器装備、軍事思想、作戦理論及び軍事制度等、一連の重要な要素を含む非常に複雑なシステム技術である。
 軍事改革を武器装備の革新に限定してしまえば、軍事改革は実現できない。
 アヘン戦争後、中国の多くの知識人は自らの欠点を悟った。
 しかし、彼らは、中国の武器装備の遅れを認識しただけで、中国の軍事システム全体の遅れをないがしろにした。
 中国は、この思想の影響と主導の下で甲午海戦を戦った。
 中、日軍隊の武器装備に差は無くとも、その他の方面で中国は日本に一時代遅れていた。
 当時日本は、西洋を模倣し軍事態勢の改革を実施していた。
 日本陸軍は、編制から戦術に至るまで、ドイツ陸軍を模倣し、作戦は散兵隊形で実施した。
 しかし清国陸軍は、旧式の兵制のままであり、戦闘時近代的武器装備を古代式の密集隊形に配列しており、日本軍の準備砲撃で壊滅した。

 これらのことから、軍事システムとは、有機的な結合体であることが分かる。
 軍事システムは、武器装備だけでなく、戦術技術、軍事思想、作戦理論、人材の資質と構成及び軍の体制・編制等多くの方面を含んでいる。
 武器装備だけに着目してしまえば、軍事システムの全面改革はできず、たとえ先進的な武器装備を有しても軍事改革を成功させることはできない。

四、軍事改革は、自主的な行為であり、外国を学習すると同時に中国の国情に密接に吻合させなければならない。

 軍事改革においては、世界の軍事発展のテンポに従うだけでなく、中国の具体的状況に着眼しなければならない。
 西側の完成されたモデルをそっくりそのまま採り入れれば、中国の軍事改革は、誤った方向に進む。

 清国の軍事改革の内容は、西洋の技術を学習はしたが西洋を盲目的に学習するという偏った学習であった。
 当時軍事改革を唱えた人々は、西洋の政治制度と科学が進歩した要因を理解せず、西洋の軍事に対する深い理解に欠けていた。
 彼らは、国営の造船ドックを造り、大砲製造工場を造り、西洋の武器装備を真似れば、武器装備と海防問題は解決すると考えた。
 これは現実を離れた幻想であった。

 これらのことから、中国の軍事改革は、中国の国情、軍情に立脚させなければならない。
 特に、世界の軍事強国が採用した軍事改革理論やモデルが中国国内にどっと押し寄せてくる今日、中国の特殊性を忘れ、盲目的に西側に追随したならば、最終的には中国の特色を失い、成功は困難となろう。