花守 横瀬夜雨

夕の光
堤にもえし陽炎かげろふ
草の奈邊いづこに匿かくれけむ
緑は空の名と爲りて
雲こそ西に日を藏つゝ

さゝべり淡き富士が根は
百里ひやくりの風に隔てられ
麓に靡く秋篠の
中に暮れ行く葦穗山

雨雲覆ふ塔あらゝぎ
懸れる虹の橋ならで
七篠なゝすぢの光、筑波根の
上を環めぐれる夕暮や

雪と輝く薄衣うすぎぬ
痛める胸はおほひしか
朧氣おぼろげならぬわが墓の
影こそ見たれ野べにして

雲捲上まきあぐる白龍はくりう
角も割くべき太刀佩きて
鹿鳴かなく山べに駒を馳せ
征矢鳴らしゝは夢なるか

われかの際きはに辛うじて
魂、骸を離るまで
寂しきものを尾上には
夜は猿ましらの騷がしく

水に映らふ月の影
鏡にひらく花の象かたち
あこがれてのみ幻の
中に老いたるわが身なり

月無き宵を鴨頭草つきくさ
花の上をも仄ほのめかし
秀峰ほつみねらす紅の
光の末の白きかな

すがりて泣かん妹の
しをれし花環はなわ投げずとも
玉の冠か金光きんくわう
せめては墓に輝かば


  殯宮
    (本尾秋遊の死を悼む)

東の海に出づる日は
西なる山に沒かくるれど
かくれぬ光かげは天雲あまぐも
五百重いほへの遠をちに射渡るを

むなしき空に紅の
霞流るゝ沙すなの上
丘の高きに石を敷いて
築きし墓は荒れにたれ

獵矢さつや手挾み鹿かこ追ふと
森に落おとしけむ久米くめの子が
耳朶ほたれに懸けし金こがね
たまきは雨に腐くたされて

を頬に粉りし未通女子をとめご
あやある袖も黒髮と
あらきの宮に歛をさめしより
千年ちとせの土となりにけり

櫻が下の曙に
春の旅こそ終りけめ
秋は如何なる風吹きて
露より霜と結ぶらむ

行けども行けども歸らざる
人を送りて野は青く
野は青くして亂れ飛ぶ
花の行方は幻の
  ~~~~~~~


  森の家なる
 (姉の行きたるは十五歳の春なりき)

母が乳房の珠ならで
許されざりし唇は
巖が根纏ふ山百合の
しろき花にも觸れずして

二歳ふたつまさりの姉君は
月圓まとかなる春の夜を
栗毛の駒に鞍おきて
森の館やかたに嫁ぎけり

うづら隱れし叢くさむら
卵探すと掌たなそこ
ばらにひきさく野人のゝひと
われは雄々しき兒なりしか

さびしさ知りて麥笛を
霞の丘に鳴らせども
美し人は青麥の
青きを分けてあらはれず

水涸々かれ/″\の石川に
秋は肥たる鮠はえの子を
小笹に貫きてさげかへるも
匂へる眉は戸に見えで


  沼にて

蓮の浮葉かきわけて
棹さしめぐる湖や
落る日天の雲染めて
夕の浪は靜なり

筑波も暮れぬ野も暮れぬ
唄も暮れぬる藻刈船
しなへる棹を操りて
行くべき方も暮れにけり

柳垂れたる江のほとり
橋かけ通る裸馬
うち放はならかす鬣の
黒きも水に洗はれて

手綱控ふる若者の
鉢卷白し秋の風
橋と舟との上にして
戀もあれかし耻かしの
  ~~~~~~~


  落し水
    (山内冬彦をいたむ)

夏野の露の朝ぼらけ
靈夢くしぶるゆめはさめにけり

べどかへらぬ隼の
深山の雲に鳴くと見て

宵の燎火かゞりび白々と
土橋の爪に消えのこり

蜘手に開く小田の路
野は露ならぬ草も無し

堰に落ち込む落おとし水
秋は小川に迫り來て

黒髮くろかみ山は朝曇
曇りて北に見ゆれども

花は子となるうす櫻
彌生やよひをかけて夏草の

霧の深きを踏む程まで
命は神のゆるしけむに

何しに人の今日死して
雲の薄きに泣かすらむ

われは常陸の野やらにして
風に吹かるゝ身なるもの

白日まひるの光かくれたる
石の柩の底深う

夕の影に伴ひて
人はくらきにかくれけり


  獨木舟

雲ならでかよふものなき
石狩のみ岳の奧に
錦なすかつら閉して
谷々は紅葉しにけり

霧の海に森の島浮き
島の森を霧またこめて
大瀧や雨龍うりうに落つる
石多き川の面白し

ほらの上に霜はおけども
野に迷ふ熊はかへらず
白柳どろやなぎの枝を綰わがねて
弓弦ゆづるならす愛奴あいぬも見ぬに

金風あきかぜの渡らふ川に
空高みひとりし立てば
枯芦かれあしの鳴るは汀か
霧晴れて船の跡なき

夜の水に瞳輝く
川獺の猛きはすめど
斷崖きりきしの迫れるふちに
妹がかざす珠も沈きて

雨に曝れて白しらめる岩の
岩蔭に『火の珠たま』さきぬ
俤は浪にくづれつ
花片は霜にいためり

太古いにしへより煙のぼらね
此山の良木よききゑらびて
妻籠つまごめに臺うてなてんか
八重垣の森に聳ゆる

落葉たく萱屋が軒に
新妻のはしきは籠めじ
思ひ出の花無き里は
紅の袂ぬれなん

月朧つきおぼろ擧羽あげはの海うみ
陽炎かげろふは夢ときえしを
閨の戸に櫻ゑがいて
山翠やませみは籠にかふべく

うちにしてさゝやき交す
窓懸の絹の薄きに
朝朗明あさぼらけ流るゝ星の
あをきをか寫し留めむ

さをさし上る獨木船まるきぶね
路は遠し百七十里
歸らぬ水に枕重ねて
秋となりぬる旅路哉

石狩岳の麓より
流れて落る大川の
下つ瀬遙かにたなびく雲は
明くればみ岳の腰をめぐりて

浪際はてし無き津輕灘
海門うみのと近く櫂かいるも
炎ひらめく宇曾利山うそりやま
見ゆるは奧おくの煙のみ

光さやけき黄金わうごん
月を浮ぶる那智なちの海
北の島根に遠かり來て
迷ふと憂しやたゞ一人

我に梓あづさの弓あらば
白羽の征矢そやを手挾みて
殘んの星の影白む
岩見の澤に鳥狩とがりせむ

雨はね反かへす欵冬ふきの葉を
かひろぐ船におほひては
手捕てどりにすべき鱒の子の
淺瀬の水にをどれども

潛龍沙魚てふざめ追うて遡れば
川狹うして楡にれの木を
驚き立つか嘴長く
羽翠なる水鳥の

浪湧き囘る瀧壺に
夕ばえさして虹立てば
瀧の面おもてにわが影の
紫金しこんの色と映るなり

紫菫匂ふ野の
胡蝶は花に醉ひしのみ
紀路きぢに遍あまねき金風あきかぜ
れし翼をかへさねど

醉へば手馴し横笛を
空知の月にしらべつゝ
さめては暗き夕張の
猿飛ぶ岳に咽ぶか

宗谷きたの岬に浪立てば
天鹽の雲も凍るらむ
五つの指の龜かぢけては
棹執るにすら力無き

猿間さるまの海の水に鳴く
雎鳩の聲は聞かねども
小衾冴ゆる曉を
今は昔の夢戀し

歸らんか南海ふるさと
歸れば峰に雪は無く
歸れば川に花流る
歸らんか紀の海に

黒き狐の裘かはごろも
肩の紕まよひは任他さもあらばあれ
下には離れし憂人うきひと
縫ひける衣きぬを纏まとひたり

雪まだ降らぬ石狩の
山にも野にも風吹きて
つちに動くは雲の影
あめに映るは草の色
  ~~~~~~~


  天なる光

光は沖にあらはれて
闇は海より退しぞきけり
星まだ殘る北の海の
浪は碧みどりに騷ぐらむ

南の丘に蝶飛んで
薔薇の花の匂ふ時
湧きもめぐらふ新潮に
島は輝き見ゆるかな

尾上の櫻野の霞
花の帷とばりの中絶えて
火の環かざれる秀つ峰の
朝の空に立つ見れば

靈嶽くしぶるたけの頂に
虹の七重は踏まねども
仰げば額ぬかに天あめなる
光の添はる心地して


  人故妻を逐はれて

水の上飛ぶかげろふの
羽を鯇やまめの透かし視て
尾上の花や散りくると
ひれ振り尾振り跳るらむ

雲のはたてに月沒りて
沼に光の消えにけり
濕れる棹を手にすれど
さすは枻無き藻苅舟

月波に燃ゆる紅の
八雲は山の陰毎に
殘れる夜の雲染めて
二つの峰は清らなり

堤は低し木は荒し
西北いぬいに亘る山浪の
黒髮山に誰妻の
うす絹被かづく眉にせむ

あしたたなびく夏霞
不二は夏より見ゆるてふ
沼の半に漂ひて
霞にきらふ船路かな

菱の實落つる沼なれば
白羽の鳥も翔るなり
羨ましきは羽すりて
雌雄共に棲む白鳥よ

船の動くにつと迯げて
葦間の杙に鳴き交す
鳥には輕き羽あれば
さしまねけども寄らずして

憎しとも思ふ浪の上の
鳥の如くにいたはりし
人はわが家を去りて後
寂しき秋となりにけり

朝髮梳る床の上
眉根粧つくらふ閨の裡
袂にくゝる八房の
若紫の色も濃く

雨降る夕、わが前に
裁縫はぬいをすとていねむりて
廣くとりたる前髮を
机にあてゝ壞せしも

頬に突くかゞち、知らぬ間に
鳴らさむとして覺られて
笹紅匂ふ唇に
ふたゝび珠を返せしも

人故妻を逐はれて
知るは二人の涙のみ
(羨ましきは羽すりて
雌雄共に棲む白鳥よ)

美しき物、はなたじと
握りし鳥は奪はれぬ

人故妻を逐はれて
さめぬ白日まひるの夢に耄
雲流れ行く東路に
何しに來ぬる我ならむ

松稀にして榛多き
常陸は山も高からず
(菱の實おつる沼なれば
白羽の鳥も翔るなり)

ぬなはの若芽掻きよせて
摘めども船の慰まで

思へば鳥の逐はるゝも
逐はれて草に隱るゝも
大路を過ぐる花車
少女は花の小車か

さす手にひらく春の花
ひく手に飜かへる秋の波
灯影ゆらめく細殿に
あふぎかへせし舞姫と――

伊賀より落つる木津川の
石皆圓き川の上
雪と漲る浪の戸に
赤裳かゝげて立ちたると――

西京みやこに近き荒寺の
やれし築土ついぢに身を寄せて
森の公孫樹いてふに落る日の
光に泣きし尼君も――

燈籠舊りし石階きざはし
鹿に恐れて驅け上り
紅潮しゝ頬の色の
花の如くに光りたると――

人は往けり還りけり
とゞろと渡る花車
蜘手の道の遠くして
のこるは暗き花の影

野守の鏡
  面銹びて
形象かたちを落す
  雲も無し

還らぬ人の
  一人にのみ
神は戀ふるを
  許せども


     葭原雀

   鬼怒川に近き小村に、母のゆかりを尋ねて、
   さすらひ來しポルチカル人の孤兒あり、
   夕ぐれ其門を過りて
夕靜けき菅生野すがふの
たなびきかくす旗雲の
紅きを見てはしかすがに
もろき涙も落しけむ

千重敷ちへしくなみに漂ひて
眞舵まかぢしゞぬき漕がんとも
テグスの川に入らんには
餘りに遠き旅なれば

有明の月の消えかゝる
鬼奴きぬの河原にさまよひて
かぎろひ燃ゆる紫尾しをが嶺
峰照る星を仰ぎ見ば

空より來にし天使みつかひ
翼に乘りて天國あまぐに
歸りし母の俤は
花環の中にあらはれむ

腰に三重卷く綾織の
帶は結ぶに輕くとも
繪にのみ見てし矢がすりの
振の袂は馴れたりや

かはらよもぎを摘まんとて
籠を片手に獨木橋まろきばし
眞青さをなる水に陷らば
浪にや袖のなづさはむ

かざすに馴れし白ばらは
さてもあらんを花の君
肩に渦うづまくかち色の
髮誰がために梳る

(月さす閨に丸寢して
わが見し夢は花なりき

ほのかに宿る電の
露の命となりぬれば

心痛むる秋風に
たゞ戀しきは母なるを

都の雲を西に見て
川を常陸に越す舟の

おぼつか無しや夕闇に
棹かすむるは葭剖よしきりか)
  ~~~~~~~


  石廊崎に立ちて
    (月島丸をおもふ)

八重立つ雲の流れては
紅匂ふ曉あけの空
夜すがら海に輝きし
しほの光も薄れけり

南に渡る鴻おほかり
聲は岬に落つれども
島根ゆるがす朝潮の
瀬に飜る秋の海

牡蠣殼曝れし荒磯の
巖の高きに佇みて
沖に沈みし溺れ船
悲しきあとを眺むれば

七十五里の灘なだの上
浪は白く騷げども
玉藻の下したに埋れし
船は浮ばずなりぬかな

戰鬪たゝかひ
  終りたり
ますとも今は
  倒れたり

奔るははやき
  雲の影
響くは大海あら
  浪の音

かくれし岩に
  乘り上げて
裂けし龍骨きーる
  あらはなる

戰鬪たゝかひ
  終りけり
嵐の聲を
  名殘にて

霧のまがひに
  ひらめきし
白帆も旗も
  やぶれては

夕やみ迫る
  海の上に
『のろし』の色の
  力ちからなき

見よ空を蹴
  荒浪に
船は覆かへりて
  渦うづぞ卷く

渦卷く中に
  漂ふは
最後をはりの影か
  泡沫うたかた

あした巖手いはての山の上に
蕪菁かぶにじ立つを夢にして
ゆうべ、鹿島かしまの沖合に
根浪ねなみの湧くを見つらんに

花もて飾る墳墓おくつき
さきを野べに遺のこさずして
水づく屍は紅の
珊瑚さんごの礁いはに沈みたり

八洲やしまを環めぐる大瀛おほわだ
浪に生れし男の子とて
秋風渡る伊豆の海に
はしき骸をさらしたりけむ


  彌生子に
    (醉茗がいとし兒に)

煙に似たる花咲いて
土橋どばしに白き烏瓜からすうり
匂へる花を彌生子やよひこ
産毛うぶけの髮にかざゝまし

山の西よりおく霜に
やがては瓜の染まる時
紅きを割りて彌生子の
櫻色なる頬にぬらむ

種子たねを常陸の野にとりて
都に移うつせ烏瓜
春に生れし彌生子の
花なる袖に纏まとふべく
  ~~~~~~~


  沈める星
    (子を失ひし人に)

花は根になる春の暮
かへらぬ吾子あこの魂たましひ
櫻が下の墓おくつき
呼びし涙は乾かじな

朝明あさけの名殘みだれたる
ちぬの浦曲の虚舟おぼろぶね
沈める星の光かげ見れば
思ひよ空にさわぐらむ

靜かにそゝぐ水にすら
つちぬらさじと心して
葬りにけむ春くれて
山時鳥鳴かんとす

白露しげき秋の夜は
のきの褄つまなる燈籠の
あはき光に誘はれて
おもかげにして歸らんに

なれし添寢の手枕に
けりと見しは夢にして
柔肌やははだこほる地の下の
暗きに吾子はかくれたり
  ~~~~~~~


  やまめとり
    (女)

曉の夢を落おとして
白雲の衾被かづきて
一夜さは關路に睡れ
旅ながら君も少女の

玉匣箱根の谷に
やまめ捕るわれは賤の子
早川の水上遠く
木賀にこそ秋はたけたれ

白玉の沈しづく淺瀬に
かゝぐれど褄はぬれつゝ
春風に散るや前髮
わきばさむ畚ふごの重きに

相摸の海月は通ふも
高殿に琴なしらべそ
夢にして偸ぬすみも聽かば
君により睫まつげしめらむ

水色の袖の長きを
へす手に指輪きらめき
胸高に帶を結べば
歩むにも花のこぼれむ

行く水に散浮く花の
悲きは花の行方か
そよわれと都大路に
銀の鞭も振りしを

行く水に散浮花の
いつまでか面おもわ輝く
うすものに伽羅を炷きしめ
唇に紅はさせども

行く水に散浮花の
花なれや匂むなしき

溺れんか淵に水あり
碎けんか河原の石に

辛かりし夢よりさめて
幻の雲にかくれん

葦の海に影さす月も
秋よりや光澄むらむ

春日野の白き葉は
さながらに君の色なれ

湖の小舟棹さし
曉を星に泣くとも

山桃の花咲く頃は
新月の眉を剃るらむ

足柄の山をめぐりて
行く水にわれは散る花

行く水にわれは花とぞ散りぬべき
足柄山の春の夕ぐれ


  星のまびき
    (辱められし少女あり)

矢獨蜜しどみの花の緋に咲きて
鐘樓しゆろう朽ちたる山寺に
肩に亂れし髮剃りて
やさしや尼となりにけり

鏡の下の刷毛はけをとり
今はた色は粧つくらねど
枕に殘る曉の
雲の俤寒きかな

春雨纖ほそき𢌞廊わたどの
檜扇あげてさしまねき
散りかふ花にまがひたる
胡蝶の魂をかへすとも

額にかゝる前髮の
まろがれたるもかゝげねば
秋の風吹く中空に
迷へる夢はかへらじ

星の凶光まびきのあらはれて
根浪轟く淡路島
うきはし通ふ由良の戸の
跡無き浪も追はなくに

洲本すもと松原まつばら中絶えて
をふさかゝれる白濱の
滿潮やえに溺れて蘇へり
われから爲りし新尼にひあま

白雪降れる宮中みやぬち
をすを掲げし女嬬はなづま
南の海に沈み入りて
憂き名を磯に流したり

月の入方いるさに漂ひて
潮と落ちし竺志舟
面影光りし姫君の
形見も浪も葬りて

思へばわれは璞あらたま
石に碎けし片かけらなり
涙を花の振袖に
つゝみて遠く嫁ぐとも

さかづきふくむ唇くちびる
せなん程ほどの紅べには不知いさ
胸にうつらふ幻を
いかなる色につくろはむ

鴛鴦をしどりひし蒸衾むしぶすま
なごやが下に帶おびくと
をのゝく指を握られなば
夢にや死なんうつゝなの

伽羅きやら立ち馨る閨の戸に
背向そがひに臥して懶しどけな
亂るゝ衣きぬをおさへつゝ
泣くとも知らん涙かは

霞に迷ふ
雁が音の
鳴門の迫門せと
聞ゆるは
藻汐の煙
なつかしき
撫養むやの浦曲に
渡るらん

内海うちうみ照らす
月代つきしろ
光めぐれる
島なれば
巖が根まどふ
浪の音は
島の奧にも
聞えつゝ

樒の露に
しほたれて
影衰へし
新尼にひあま
野守の鏡
いくそたび
淺き山べに
泣かすとか

紅もるゝ
うすぎぬに
おほひし乳も
傷つきぬ
忘れがたきも
忘れては
涙のなかに
死にもせで


  破れし築地

蕾ふくるゝ曉は
玉なす露の色添へば
花を踏みゆくよきひとの
長き裳裾もみだれけり

嫩草わかくさ青き「こりんず」の
野に入相の露罩めて
はつかに暮れし花の上に
月の光のほのめけど

はりは花より刺多き
北咲きめぐる高殿の
窓もうばらに閉されて
野はたゞ花となりぬかな

れし築地ついぢにみだれたる
くれなゐの下は栗鼠りす啼きて
白日まひるの花に飛びまどふ
胡蝶の羽の懈たゆげなる

大理石いしの扉も埋れては
花の扉となりぬれば
迷ひの宮か花の扉
入りて歸りし人ぞ無き

栗毛の駒を乘りすてゝ
門をくゞりし武士も
かへらずなりて銀の
鞭は野末に錆びたりき

五月雨髮さみだれがみをときいろの
りぼんにとめし未通女子をとめご
籃を腕にして垣の中に
入りにし跡は花に問へ

花のやかたと名に立ちて
匂へるばらのおのづから
うちにいませる姫君の
まもりと築きし城なれば

たまの臺うてなに咲き纏ふ
花や栞しをりをおほふらん
池の八つ橋渡り來る
人をも薔薇の埋みつゝ

たまくをしき唐綾からあや
ふすま襲かさぬる姫君の
夢驚かす風の音は
閨のほとりに騷がねば

紅匂ふ唇に
やさしき息のかよへりや
花ぐしおちしまへ髮に
光を投げん灯は消えぬ

錦の帳とばり奧ふかく
まろねの袖をかたしきて
月はさせども身じろがず
花は散れどもさめずして

若紫わかむらさきの房ふさながき
籠の鸚鵡も餌を呼ばで
苑に對むかへる渡殿わたどの
つまはうばらにおほはれぬ

湯殿に懸けし姿見の
鏡に花の這ひよるまで
あれたる館たちの花妻の
夢よ醉ふらん薔薇の香に

南の空に秋立ちて
常世の雁はかへれども
まぼろしなれやうたゝねの
夢にも魂のかへらざる

南の空に
あきたちて
常世のかりは
歸れども
  ~~~~~~~


  かたち

浮べる雲の一綫ひとすぢ
碧きが中にたゆたひて
覆輪さゝべり着けし銀の
天の島とも見ゆるかな

潮の底より月出でゝ
影、中空に盈ち來れば
浪靜かなる大和田の
月は舟とも見ゆるかな

舟か水門みなとの舟ならば
せめては長き秋の夜を
はてなき水に流されて
もゆる枕を浸ひたさんに

毒ある鏃足に受けて
野べに嘯うそぶくことをすら
とゞめられたる我なれば
唯舟こそは戀しけれ

負ひたる傷の深ければ
物に觸るゝを厭へども
寢ぬに綾無あやなき幻の
花の象かたちの眼に見えて

緑、紫、紅の
花は、電、空の虹
環りて、消えて、美しの
人の顏さへ浮き來るを

千草に渡る金風の
露吹きこぼす朝ぼらけ
花の苑生そのふを眺むれば
長しとも思ふ命かな

今日も落ちたる花片の
しめれる地つちに香を留めて
  *   *
    *   *
香取かとりの海は川となりて
浪逆なさかの浪はよも逆らじ
行かんか旅に病みぬとも
今は悲む夢も無し
  ~~~~~~~


  旅にして

山秀でたる吾妻路の
平野たひらの水をあつめ來て
南に落つる利根川の
浪は寂しづかに翻かへるかな

行くともわかぬ白雲の
かゝりて長き眞砂地や
蘆邊に立ちて眺むれば
浪逆の浦は雨晴れて

日光ひかりあまねき湖の上を
遙に渡る尾長鳥
ま白き翼はねは搖うごかさで
鳴く音は空の秋の風

鏡に映かよふ花ならば
なる影にも慰まむ
思へば旅の果にして
新たに戀ふる人は無きを

蝦捕り舟の漕ぎなづむ
八十やその水門みなとはへだつれど
霧に浮べる月波根の
眉なす根ろは北に在り
  ~~~~~~~


  野の花

東白しのゝめ
  野べに生れて
朝露を
  頬の上に置き
夕されば
  地球つちの腕に
抱かれて
  眠る野の花

唇に
  誰かふれけむ
接吻きつすの痕
  微かにとめて
夕榮の
  うつらふ丘に
紅を
  含みて立てり

彷徊さまよひし
  羊の群は
薄霧の
  遠をちに歸りぬ
口笛の
  鳴りしやいづら
花の野は
  やゝに暮れけり

秀峰ほつみねめぐる薄雲の
靜かに岫ほらに歸る見て
われ露原に立ちし時
紫尾野しをのの秋はつらかりし

汀に散らふ浪の花
白帆上げたる瀬越せごし舟ぶね
國府津こふづの浦にわが立ちし
旅の情を忘れねば

星かすかなる中空に
あこがれたりしわが魂も
やさしき花を地つちに見て
新たに灑ぐ涙あり

北の光の野をかけて
輝きかへる雪の上に
凍りし花を春解かば
痩せたる巖も馨るらん

はしらせけむ高樓の
甍くづれしバビロンの
大城おほきの跡に咲き殘る
花の色こそさだかならね

珊瑚洋の島人も
花の環をつくりては
あからさまなる乳のしたに
錦の帶をまとひたり

ビヱンの湖の朝凪に
うきゝあやつる美人の
かひなに佩べる珠鳴りて
匂へる花は胸の上に

咲きて散り、散りて咲く
野末の花のなつかしく

露にぬれたる秋の花を
渡殿朽ちし西の壺に
人の贈りし春の花を
蝦夷菊枯れたる池の畔に

褄紅の撫子は
露霜つゆしもりてめげたれど
名よ脆かりし虞美人草ひなげし
やがて媚いろある花咲かん

眉秀でたる妹あらば
りぼんに挿すを惜まねど
紫菫、白薔薇
むごくは摘まじ苑にして

新たに歸とつぐ町いちの子の
車に花は投ぐるとも
小坪つぼに吊つるす花籠に
切りてさゝんはあたらなり

明星が岳に立ち迷ふ
雲に思ひの馳する時
曉くらく園に降りて
幽かに花の香を齅げば

深山の奧にひとりのみ
立つに似たる悲みは
忘るゝからにわりなくも
落る涙のとゞまらで


  常陸より
    (人の武藏に居るに)

玉藻被かつぎて美人たをはめ
狐と化ける篠原や
奈須野の南石裂けて
常陸に落つる小貝こかひ

物皆沈む誰彼たそがれ
霞の底を流れては
ほの/″\明くる東雲の
柳の蔭に渦きて

翠の山を山比女やまひめ
帶と𢌞れる川なれば
葦茅あしかび萠えて芹せりきて
川にも春の光あれ

朽木の洞うろに隱れたる
蝴蝶の夢は長うして
羽拔けかへし連雀をながどり
翔るも舞ふも雲の上

菜種の花に圍まれて
しづけき森の北南
村と村とは長橋の
橋を隔てゝ望めども

南の村にわれ生れ
北の村より君出でゝ
額に垂れし放髮かぶきり
髮の端にも觸れずして

われまだ君の眉を見ず
見しは堤の花すゝき
君亦われの顏相らず
知るは堤の木瓜ぼけの花

あゝ幾年青き草濡れて
堤を花の飾るらむ
雨はしづかにそゝげども
人は歸らぬ故郷に

くぬぎの林分け入りて
われ山繭やままゆを採りし時
萱野かやのの末にうそぶきて
君はとがみを飛ばしけむ

ぬすめる芋を野に燒いて
ゑぐきに吻くちを腫らしては
七日の月の影踏んで
小篠の笛も鳴らしゝか

おもかげに見る
  あげまきの
友と呼ばんは
  うらみなり
世にはぐれたる
  一人子の
君は悲しき
  弟よ

さもあれ空の
  雲すらも
やがては洞に
  歸るもの
歸れ月波つくば
  ふところに
君ゆゑ泣かむ
  人もあり

 はとがみ、草の名、形通草の實に似たり、みのりて莢裂くれば中におびたゞしき有毛痩果あり、
 試みに之を吹けば、風に乘り森を越え林を過りて、漂々として終にゆくところを知らず~~~


  征矢の光
    『無弦弓』を讀む

鳥鳴き過ぐる
  巖の上に
黄金の弓を
  携へて
征矢の行方を
  見送れば
光はそれか
  入相の

西に聚まる
  紫の
霞の底に
  潛みては
白羽の影を
  中天に
漂ふ雲の
  縁へりに投げ

浪靜かなる
  大和田の
八重の潮路に
  煌めけば
沖行船も
  紅の
流れし中に
  隱れけり

鏃は天に
  とゞまりて
新たに星と
  生りにけむ
おぼめかしくも
  北の方に
落る光の
  弱きかな

野火により來る
  小牡鹿の
外山に啼くは
  聞ゆれど
鴎下り居し
  白濱の
潮に朝の
  聲絶えて

貴艶あてなる嫦娥ひめ
  顏は
さし出づる月の
  色に見えて
露置きそめし
  秋の野に
夕の聲の
  かすかなり


  哀歌

羅綾られうの裳裾もすそかへしては
春を驕おごりし儷人れいじん
腰に佩びたる珠たま鳴りて
秋燕京ゑんきようにたけてけり

霜こそ置かね天津の
橋に見馴れぬ旗立ちて
紫深き九重の
雲もかへるか峽西に

陽明園はこやのやまに炬りては
玉の宮居も燒けつらん
蓮葉枯れし夕暮の
池に舟行る人もなし

金房垂れし鞦韆ふらこゝ
みだせし髮はをさめじな
西に流るゝ天の川
あかつきなみの驚けば

永安門えいあんもんの階段きざはし
落ちたる花は誰が妻か
脛も血潮に染めなして
劒ぞ胸に刺されたる
  ~~~~~~~


  五月雨髮

  見しはたゞ

淀の川瀬の水車
淀の川舟のりもせず
峰の白雲ふみわけて
終に吉野の花も見ず

見しは青葉の嵐山
保津の流に筏して
岸つたひ行く舞姫に
しぶきかけたる川をとこ

  知恩院

春酣にして大輪の
牡丹咲いたる欄干や
徃き來の人も紅の
花には泥なづむ知恩院

石と化りぬる楠の橋
越えがてにして振袖の
長きは肩に袺つまどりて
躊躇やすらふ君よ、こちら向け

  春日

軒の褄なる蝉燈籠とうろう
蝉の羽くらき若葉蔭
まだ角も出ぬ小牡鹿さをしか
驚かされし儷人よきひと

苔緑なる石の上に
右手なる菓子を投げたまへ
戀はせじものふたゝびは
君が袂もひかざらむ

  夕

眉をひらいて歸れとや
君、己が上を知らずして
夕ぐれ一人荒磯の
暗きに立つを危むか

心やすかれ、引汐に
沈むとすれど立ちかへる
浪は仇なる白濱の
いさごは終ついの墓ならず

  やちまた

芒を亂す原の風
小霧に濕る丘の草
騷しかりし青山の
秋は今はや暮れぬかな

光にうとき夕顏の
花と見えしに孤兒ひとりご
空しき骸を歛めたる
柩は穴に落されぬ

風の通へる八千俣に
涙の顏を吹かれけむ
斯の子前髮黒くして
瞳の色の澄めりしが

夢ほの/″\の有明に
母やも見えし小枕の
乾かで終に美はしき
眉は動かずなりしてふ

霜より先きに人散りて
かけたる土は凍りけり
草に隱いでいる月を追うて
聲なき死人ひとは墓にかくれぬ
  ~~~~~~~


  その夜更けて

水ほの白き湖みづうみ
みぎはの櫻花散りて
とつぐか君は筑波根の
八重立つ雲の奧深おくふか

蘭麝らんじやかをれる閨ねやの戸
尾呂をろの鏡かゞみを手にすれば
影に溺おぼるゝ山鳥やまどり
に紅くれなゐの色いろすを

花やかなりし獨寢ひとりね
夢の浮橋うきはし中絶なかたちて
まろがれ易き黒髮に
瑠璃るりの簪かんざしかゞやかし

とつぐかあはれ月波根の
群立雲むらたつくもの遠方をちかた
山影やまかげおつる湖の
浪間の月を形見にて

しるしなき戀をもするか夕されば
ひとの手卷きてねなん子ゆゑに
  ~~~~~~~


  なづさふ野火

白雲低き足柄の
山は遙に亙わたれるを
いかゞ越えけむ西風に
雁鳴く野とはなりにけり

みどりしづめる川上かはかみ
かひよりかけて斷續きれ/″\
見ゆる林のおぼろ/\
秋際無はてしなき霧の海

むに音せぬ曉の
茅萱ちかやの露に眉ぬれて
行けども寢いぬる家無き子の
慰藉なぐさめせし野に立てば

光をつゝむ青雲の
向伏むかぶす極み秋は來て
ながき堤つゝみの東ひんがし
殘れる月の纖ほそきかな

「今は別れとなりにけり
母よ」と呼べど言ものいはで
父と並べる墓おくつき
涙は終に見ざりしか

路遠くして獨ひとり
旅は心のさびしきを
尾花亂るゝ古里に
わすれし妻を戀ふれども

さもあれ馴れし小月波おつくば
山は霧より現はれぬ
山は霧より現はれて
あさはふたゝび此こゝに在

風は胡蝶の羽翼はねを裂
霜は猿ましらの食かてを奪うば
秋老いにける朝毎あさごと
うつろふ空の高けれど

垂尾地たりをちに摺る山禽やまどり
で入るあたり草枯れて
なづさふ野火のびの煙けむりのみ
うごくと見えて日は寂寞しづか
  ~~~~~~~


  星夜

腰にからめる紅くれなゐ
しごきは虹にじに似たるかな
衿にほのめく白妙しろたへ
谷につゝめる雪と見ん
  美うつくしき舞姫まひひめ

鳥は霞の天そらに舞ひ
蝶は花野はなのの地に迷まよ
きみ若草わかくさを枕して
夢見ゆめみる勿れ春の野に
  美しき舞姫よ

かうがいひかる黒髮は
ほどかば風に亂れなむ
せめてはかくせ扇もて
月の影ある眉の跡あと
  美しき舞姫よ

星の夜、姉に伴ともなひて
祇園ぎをんの町をさまよへば
櫻はちんぬ、しかれども
おさなかりけるうき人の
おもかげに似し君きみを見
うらぶれわたるわれさへも
西の京の去りかねて


  やれだいこ
    (烏水の家に宿りて)

花なる人の
  こひしとて
月に泣いたは
  夢なるもの

たて綻ほころびし
  ころも手に
涙の痕の
  しるくとも

うき世にあさき
  我なれば
君もさのみは
  とがめじ

――花なる人の
  戀しとて
月に泣いたは
  ゆめなるもの――

つらけれど、紅葉
  綾なす葦穗ろの
麓に今は
  歸らうよ

破れ太鼓は
  叩けどならぬ
落る涙を
  知るや君
  ~~~~~~~


  竺志舟

  新妻の卷

浪を離るゝ横雲の
くづれて騷ぐ松浦や
かいつぶり鷉飛ぶ姫島の
沖より白む朝ぼらけ

片帆下せし港江に
つらなる水の青うして
影消え殘る一つ星
北の海こそ遙かなれ

煙は迷ふ島原の
野母のもの岬の潮さゐに
小舟やるとて腰みのを
絞るになれし我ならん

かもめかくるゝ荒磯に
蝉口せみぐちしめて眺むれば
石迸る火の山の
照先ほさき閃めく海の上

卒倒婆そとば流せし薩摩潟
小島の沖に漂ふも
竹もて編みし小枕に
ゆらるゝ夢の安きかな

ともより落ちていくそ度
母の熊手にかゝりけん
凧をへさきに飛ばしては
糸は潮にぬらせしを

榕樹あこうの枝に秋たけて
雎鳩みさご夜鳴く蹉跎の島
珊瑚の床のなめらかに
千重敷ちへしく浪ぞ限り無き

西へ西へと行く月を
見れば流石に泣かるれど
青石あをいしきづく墓ならで
陸には居らむ家も無く

南に遠き八重山の
島根を洗ふ黒潮に
流れも寄るか橘たちばな
花は常世とこよに馨るらん

月に天あまぎる明方あけがた
峰の花こそこぼれ來ね
浮べる舟の閨ねやの外
綾の霞の繞めぐれるを

うみの門渡る雁金の
翼を空に羨むも
八重の汐路のいづれにか
浪を凌しのぎて歸るべき

行かんか舟は輕かるに
錨の綱を捲きあげて
碎かば石に金色こんじき
輝く島も無からずや

角いかめしき馴鹿となかひ
そりを引かせて雪の野に
天をかざれる紅の
北の光を仰ぐべく

月落ちかゝる黒龍江あむーる
巖の上に虎吼えて
君柔肌やははだに粟立たば
わが手に縋すがれ劒あり

行方跡無き不知火しらぬひ
筑紫の海に生れては
氷の山に海豹あざらし
牙を磨くに膽消えん

砂にまみれし青貝あをがひ
拾ひて憂うさを遣らんとも
松浦まつら戀しくなりぬ時
あはれならまし花の妻

翼しをれし五位鷺ごいさぎ
雨を怨みて帆柱に
鳴くは濱べの雌をや呼ぶ
かすめる山は笹島か

手箱に秘めし花ぐしを
忘るともなく君さゝで
あたらほつれし前髮よ
白き額はかくさゞれ

思へばつらき浮寢にも
花なる人にともなひて

行きて別るゝ
  涙無く
おくれてぬらす
  衣きぬ無きに
空も水なる
  大海わだつみ
わが漕ぐ舟を
  誰か遮さへぎ

  浮寢の卷

羨まし
誰をみ空の流れ星
暮るれば出て
光知るらん

暮るれば出る星ならで
篷をおほへる浮舟の
千鳥鳴く夜を妹許と
知らじな親は船にして

尾花が袖に露しげき
朱雀すじやくの野べの秋は不知いさ
のれる星棧うきゝは輕かれど
たやすく浪にかへらんや

龍頭みよしにかゝる九曜星すまるぼし
光は霧にまよひつゝ
の音ぬすみて笹島の
おくに入り行く小舟ありき

あじさし翔ける白濱しらはま
沈める珠を探るとて
若き乳房も仇浪の
なぶるになれし海士あまの子よ

ひたひにかゝる前髮の
みだれそめしが戀ならば
京の紅べにとや唇に
さゝねど人を戀しけむ

秋雨そゝぐ舲ふなまど
くべき琴も持たねども
三重卷く帶の端はし長く
けぶれる髮の美しう
 *   *
   *   *
めぐるに早き春の夜の
月は東に歸りけり
八重の潮路のたゞ白く
秋は光の寒きかな

手繰たぐりし綱に枕して
ひそかに衿えりをぬらすとも
春かへり來る中空に
夢のおもかげ殘るらん

終に別るゝ殘懷なごりなき
星合ほしあひの空にはろ/″\と
あこがれ渡る釣人つりびと
涙は頬ほゝに流るれど

かし振り立て纜もやひせし
あまのはしぶね音づれて
燎火かゞりび白む曉の
鐘こそかすかに響きたれ

水より淡き
  月しまぼし
影は仄ほのかに
  殘りたり
輪廓さゝべり燃ゆる
  紫の
八雲やくも棚引く
  和田の原

朝日あさひを洗ふ
  浪の穗に
輝く光
  くづれては
空を貫つらぬ
  金色こんじき
百筋もゝすぢの箭と
  閃めきて

湧きもめぐらふ
  新潮にひしほ
いはうつ音おと
  高ければ
りん隙なき
  鶚しながどり
聲は磯曲いそわ
  かすみつゝ


  湖の畔にて

あまぶ雲に秋立ちて
浪に聲ある湖や
せきの跡りし東路あづまぢ
騰波とばの湖あふみは暮にけり

伏樋ふせひを漏れて行く水の
小川をがはの末にほの白く
新墾小田にひはりをだを劃かぎりたる
堤に松の聲もして

曉ひらく葩はなびら
汀の浪に綾織あやおりし
はすの浮葉も秋風の
つるぎに觸れて裂かれたり

ひかりさびしき森の蔭
露は瞼まぶたに落おつれども
ねむりてさめぬ野の花の
夢にや月を迎むかふらむ

かたむきかゝる天あまの河かは
星より先きに散る花の
雪と輝かゞやく色を帶びて
ひそかに咲くは夜顏よるがほ

くれなゐせしさふらんの
しべの細きを拔かんとて
蜂飛惑ふ花園に
眉をひそむる妻無きも

雁が音遠き信濃路の
霧に埋れし山百合を
瓶にせし夜はまろびねの
枕も夢も香りしを

ひたひに垂るゝ前髮の
あぶらかほりてすれ/\に
眉を被おほふをなつかしみ
挿頭かざしあたへし子もあれど

いかゞ書くらん紅筆べにふで
なまめく文字は知らぬ身の
露に臥すてふ女郎花
見るに心の慰まで

千草の花を培へば
色にはなれし袖ながら
いためる胸にそと觸れて
わたらふ風のつらきかな

菱取小舟ひしとりをぶねあとえて
月は曇れる浪の上に
み空を繞めぐる七色なゝいろ
花の環たまきよ懸かゝれかし

立つとはすれど朧夜おぼろよ
月に消さるゝ面影おもかげ
せめて花環はなわの中ならば
ゑがくを人も許すべく
  ~~~~~~~


  富士を仰ぎて

大野の極み草枯れて
火は燃え易くなりにけり
水せゝらがず鳥啼かず
動くは低き煙のみ

落日力弱くして
森の木の間にかゝれども
靜にうつる空の色
翠はやゝに淡くして

八雲うするゝ南に
漂ふ塵のをさまりて
雪の冠を戴ける
富士の高根はあらはれぬ

返らぬ浪に影見えて
櫻は川に匂ふらむ
霞みそめたる天地に
遍きものは光かな

涙こほりし胸の上に
閉じたる花も咲かんとして
亡びんとせしわが靈たま
今こそ蘇きて新しき

人は旅より歸るとき
花なる妻を門に見む
わが見るものは風荒ぶ
土橋の爪の枯柳

人は旅路に出るとき
美し人を楉ませに見む
わが行く路に在るものは
やみを封めたる穴にして

筑波の山に居る雲の
葉山繁山おほへるも
春は蝶飛ぶ花園に
立つべき足の痿へたるを

やゝともすれば雲の奧に
かくれんとするいとし兒を
悲む母のふところに
退かせじとする枷かせにして

千代もとわれは祈れども
母は子故に死なんといふ
世に一人なる母をおきて
わが()つものは有らじと思ふに

栞 花守 夕の光 殯宮 森の家なる 沼にて 落し水 獨木舟 天なる光 人故妻を逐はれて 葭原雀 石廊崎に立ちて 彌生子に 沈める星 
やまめとり 星のまびき 破れし築地 かたち 旅にして 野の花 常陸より 征矢の光 哀歌 五月雨髮 その夜更けて なづさふ野火 星夜 
やれだいこ 竺志舟 湖の畔にて 富士を仰ぎて 戻る