罔川集 王維 戻る
新家孟城口、 古木余衰柳。 来者復為誰、 空悲昔人有。 |
新たに 古木は 空しく悲しむ |
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罔川荘の北の入口から南の奥のほうへ向かって並べられており、「孟城」は入り口付近にあった古城址です。
「 しかし、王維が詠っているのは家のことではなく、その家もやがて誰かの手に移ってしまうであろうという無常感です。 |
飛鳥去不窮、 連山復秋色。 上下華子岡、 惆悵情何極。 |
連山 華子岡を上下すれば |
文杏裁為粱、 香茅結為宇。 不知棟裏雲、 去作人間雨。 |
文杏を 知らず 去って |
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文杏館は華子岡を過ぎたところにあった建物のようです。
「文杏」という材、「香茅」という草で家を作ったと詠うのは、文杏館を仙人の家と見立てているからでしょう。 だから棟のあたりに雲が湧き、「人間」(人の世)の雨となるのかと、王維は俗世間を皮肉に見ています。 |
斤竹嶺きんちくれい
檀欒映空曲、 青翠漾漣猗。 暗入商山路、 樵人不可知。 |
檀欒だんらん空曲くうきょくに映じ、 青翠せいすい漣猗れんいに漾ただよう。 暗あんに商山しょうざんの路に入るを、 樵人しょうじんも知る可からず。 |
鹿柴ろくさい 空山不見人、 但聞人語響。 返景入深林、 復照青苔上。 |
空山くうざん人を見ず、 但だ人語じんごの響くを聞くのみ。 返景へんけい深林しんりんに入り、 復また青苔せいたいの上を照らす。 |
木蘭柴もくらんさい 秋山歛余照、 飛鳥逐前侶。 彩翠時分明、 夕嵐無処所。 |
秋山しゅうざんは余照よしょうを歛おさめ、 飛鳥ひちょうは前侶ぜんりょを逐おう。 彩翠さいすい時に分明ぶんめいにして、 夕嵐せきらんの処おる所無し。 |
茱萸畔しゅゆはん 結実紅且緑、 復如花更開。 山中儻留客、 置此茱萸杯。 |
実を結びて紅くれない且つ緑なり、 復また花の更に開くが如し。 山中に儻もし客を留とどめば、 此の茱萸しゅゆの杯を置かん。 |
仄径蔭宮槐、 幽陰多緑苔。 膺門但迎掃、 畏有山僧来。 |
仄径そくけいは宮槐きゅうかいの蔭にして、 幽陰ゆういんに緑苔りょくたい多し 膺門ようもんは但だ迎掃げいそうす 山僧の来きたる有るを畏おそる |
臨湖亭りんこてい 軽舸迎上客、 悠悠湖上来。 当軒対尊酒、 四面芙蓉開。 |
軽舸けいかもて上客を迎え 悠悠ゆうゆう湖上に来きたる 軒けんに当たって尊酒そんしゅに対するに 四面しめん芙蓉ふよう開く |
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臨湖亭は欹湖の岸辺の水上に建っていました。 王維は久し振りに「上客」を迎えて嬉しそうです。 この詩では舟で臨湖亭に来たと言っているのか、舟上で客をもてなしているのかあいまいです。 「軒」は日本では「のき」ですが、中国では「のき」の場合と「窓の手すり」の場合があります。ここでは「窓の手すり」でしょうが、「軽舸」に窓はないでしょうから、やはり臨湖亭で客をもてなしているのでしょう。 池は蓮の花の花ざかりでした。 |
南陀なんだ 軽舟南陀去、 北陀淼難即。 隔浦望人家、 遥遥不相識。 |
軽舟けいしゅうもて南陀に去ゆく 北陀は淼びょうとして即つき難し 浦ほを隔てて人家を望めど 遥遥ようようとして相い識しらず |
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「南陀」は欹湖の南岸にある建物で、臨湖亭から小舟で湖を渡って行ったのでしょう。
王維は湖が広く奥深いことを描いています。 |
欹湖いこ 吹簫凌極浦、 日暮送夫君。 青山巻白雲、 湖上一回首。 |
日暮にちぼに夫かの君を送る 青山せいざんに白雲はくうん巻けり 湖上一たび首こうべを回めぐらせば |
柳浪りゅうろう 行分接綺樹、 倒影入清猗。 不学御溝上、 春風傷別離。 |
行こう分かれて綺樹きじゅ接し 倒影して清猗せいいに入れり 学ばず御溝ぎょこうの上ほとり 春風に別離を傷いたむことを |
欒家瀬らんからい 颯颯秋雨中、 浅浅石溜瀉。 波跳自相濺、 白鷺驚復下。 |
颯颯さつさつたる秋雨しゅううの中うち 浅浅せんせんとして石溜せきりゅうに瀉ぐ 波は跳おどって自おのずから相い濺そそぎ 白鷺はくろは驚きて復また下くだれり 「欒家瀬」は早瀬の名で、臨湖亭の奥、 「柳浪」の柳の近くにありました。 王維の詩は水しぶきに驚いて白鷺が飛び 立つが、また降りてくると観察の鋭さを 示しています。役人生活への比喩を含んで いるのかも知れません。 |
金屑泉きんせつせん 日飲金屑泉、 少当千余歳。 翠鳳翔文蛟、 羽節朝玉帝。 |
日々ひびに金屑泉を飲めば 少なくとも当まさに千余歳ならん 翠鳳すいほう文蛟ぶんこうを翔はしらせ 羽節うせつもて玉帝に朝ちょうせん |
白石灘はくせきたん 清浅白石灘、 緑蒲向堪把。 家住水東西、 浣紗明月下。 |
清浅せいせんなり白石の灘 緑蒲りょくほは把とるに堪うるに向かえり 家は住じゅうす水の東西 紗さを浣あらう明月の下もと |
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「白石灘」は白い石のある浅瀬で、南陀と竹里館のあいだにありました。そこには蒲がまも生えていたようです。
王維の詩の転結句は楽府がふ的な口調になっており、川に紗を晒しにきている村娘が王維の問いに答える形式になっています。 |
北陀ほくだ 北陀湖水北、 雑樹映朱欄。 逶斜南川水、 明滅青林端。 |
北陀は湖水の北 雑樹ざつじゅ朱欄しゅらんに映えいぜり 逶斜いしゃたり南川なんせんの水 明滅す青林せいりんの端たん |
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北陀は欹湖の北岸にある建物である。
だから罔川荘を北の入口のほうから描いていくとすれば、南陀よりは先に出てこなければならないのですが、ここに出てくるのは裴迪の詩が南山と関係があるからのようです。王維の詩は北陀そのものを描いて王維らしいこまやかな観察が目立ちます。 |
竹里館ちくりかん 独坐幽篁裏、 弾琴復長嘯。 深林人不知、 明月来相照。 |
独り坐す 深林しんりん人知らず 明月来きたって相い照らす |
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木末芙蓉花、 山中発紅萼。 澗戸寂無人、 紛紛開且落。 |
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漆園しつえん 古人非傲吏、 自闕経世務。 惟寄一微官、 婆娑数株樹。 |
古人こじん傲吏ごうりに非あらず 自ら経世けいせいの務めを闕かけり 惟ただ一微官いちびかんに寄りて 婆娑ばさたり数株すうしゅの樹じゅ |
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漆園は漆の木の植えてある畑で、罔川荘の一番奥にあったようです。 漆園といえば、当然荘子が出てくるわけです。 荘子は粱の蒙(荘子の生地)で漆園の管理をする小役人をしていました。王維は荘子のようにささやかな地位に身を置いて、「婆娑」しどけないさま、つまり衣冠に身を飾らずに自然な姿で生きていると詠っています。 |
椒園しょうえん 桂尊迎帝子、 杜若贈佳人。 椒漿奠瑶席、 欲下雲中君。 |
桂尊けいそんもて帝子ていしを迎え 杜若とじゃくを佳人かじんに贈る 椒漿しょうしょうを瑶席ようせきに奠てんし 雲中君うんちゅうくんを下さんと欲ほっす |
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椒園は山椒を植えてある畑で、漆園の近くにあったようです。王維の詩は楚辞の世界を濃厚に踏まえていて、すべての語にそれとの関連が見られます。
王維は『罔川集』最後のこの詩で、罔川荘経営の目的が楚辞のような清浄な世界の実現にあることを述べているように思います。 |