登辨覚寺      辨覚寺に登る   王 維
竹径従初地    竹径ちくけいは初地しょちりし
蓮峰出化城    蓮峰れんぽうに化城けじょう
窓中三楚尽    窓中そうちゅうに三楚さんそ尽き
林上九江平    林上りんじょうに九江きゅうこう平らなり
軟草承趺坐    軟草なんそうは趺坐ふざを承
長松響梵声    長松ちょうしょうに梵声ぼんじょう響き
空居法雲外    空居くうごす 法雲ほううんの外
観世得無生    世を観かんじて無生むしょうを得たり
竹林の小径は 仏道のはじめであり
蓮峰の間に まぼろしの城が出現した
三楚の景観は 僧院の窓に収まり
樹林の向こうに九江の湖うみが広がる
草は坐する者を軟らかに受け止め
松の梢は読経のように鳴りわたる
法雲の上に 心を空にして観照すれば
生死を超える境地に達した

 この詩の辨覚寺べんがくじはどこにあった寺かわかっていません。
 詩の内容からして洞庭湖の近くにあった寺と推定できます。
 黔中けんちゅうに向かうときか、帰るときに立ち寄ったと思われます。
 この詩には仏教的な高度の観念が折り込まれており、仏教による悟りの境地が表現されていますので、詳しく理解しようとすると多くの注釈が必要です。この詩の仏教的境地の深さから、もっと後年の作ではないかと思われるくらいですが、王維が洞庭湖畔を通過するのはこのときだけと推定されますので、張九齢の死にあって、王維のこれまでの仏教に対する研究が、ここで一気に結実したものと思われます。
 「無生」は王維がこの後もよく用いる仏教語で、厳密な理解には仏教の法理による解説が必要であり、専門書には詳しく説明してあります。ここでは「生死を超える境地」と通俗的に訳しておきました。


  哭孟浩然      孟浩然を哭す  王 維
故人不可見    故人 見るべからず
漢水日東流    漢水 日に東に流る
借問襄陽老    借問しゃもんす 襄陽の老
江山空蔡洲    江山に 空しく蔡洲さいしゅうありと
旧友に もはや会えない
漢水は 日々東に流れているのに
襄陽の老人に お尋ねしたい
詩人のいない江山に 蔡洲だけがなぜにあるのか

 黔中けんちゅうでの仕事を終えて長安にもどる途中、王維が再度、襄陽じょうように立ち寄ると、思いがけないことに孟浩然は背中に疽を患ってすでに亡くなっていました。享年は五十二歳です。
 王維は驚くとともに、友の死を悼んで詩を作りました。
 この詩には「時に殿中侍御史たり知南選として襄陽に至りて作有り」の題注がありますので、襄陽での作品であることがわかります。
 詩中の「蔡洲」は漢水の流れにある中洲で、三国魏の曹操の遺跡の地として有名でした。詩人がいて詠ってこそ山水の美も意味があると、王維は孟浩然の死を悼むのです。

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