献始興公      始興公に献ず  王 維
寧棲野樹林   寧むしろ野樹やじゅの林に棲まん
寧飲澗水流   寧ろ澗水かんすいの流れに飲まん
不用坐良肉   用いず 良肉りょうにくに坐して
崎嶇見王侯   崎嶇きくとして王侯に見まみゆることを
鄙哉匹夫節   鄙いやしい哉 匹夫ひっぷの節せつ
布褐将白頭   褐かつを布て将まさに白頭ならんとす
任智誠則短   智に任まかせては 誠まことは則ち短く
守仁固其優   仁を守らば 固まことに其れ優なり
むしろ野生の林に棲もう
谷川の流れの水を飲もう
上等の料理のために
王侯の機嫌を取るようなことはすまい
それこそ匹夫の節というべきで いやしいことだ
野良着を着て老いる方がむしろ良い
智恵に任せてしまっては 誠が足りず
仁を守ってこそ 優れた人と申せましょう

 王維は士籍からもはずれていたようですので、官に復するには相当の困難があったと思われます。
 王維が張九齢の推薦によって中書省右拾遺うじゅうい(従八品上)を拝命したのは、出願して一年ほどたってからでした。
 詩題が「献始興公」となっているのは、張九齢が開元二十三年(七三五)に始興県伯に任ぜられたからです。
 県伯というのは爵位であって、中書令の職に変わりはありませんので、張九齢は王維を自分の部下に採用したことになります。
 この詩には「時に右拾遺を拝す」という題注がついていますので、任官の謝礼として献じたものです。はじめに自己の生活信条を述べて、職務に清廉な良吏であることの覚悟を述べています。

側聞大君子   側ほのかに聞く 大いなる君子くんし
安問党与讎   党と讎しゅうとを安問あんもん
所不売公器   公器こうきを売らざる所
動為蒼生謀   動けば蒼生そうせいの為に謀はかるのみと
賎子跪自陳   賎子せんしひざまずいて自ら陳
可為帳下不   帳下ちょうかと為る可しや不いなやと
感激有公議   感激す 公議こうぎ有るに
曲私非所求   曲私きょくしは求むる所に非あら
聞くところによれば 閣下は大いなる君子で
考えの相違に関係なく 安らかな態度でお尋ねになる
おおやけの地位を 私利に用いず
行いはすべて民のためになさるとか
私は跪いて 閣下に申し上げました
部下として 使っていただけるかどうかと
いま公議によって召し出され 感激にたえません
もとより私曲を図るようなことは絶対にいたしません

 右拾遺うじゅういという職は品階は高くありませんが、常に天子の側近にあって朝政の欠をおぎなう職務であり、進士に及第した者の誰もがなりたがる清官せいかんです。王維は感激して私曲を図るようなことは絶対にいたしませんと誓っています。被推薦者に非違があると、推薦者も罰せられますので、「帳下」としての約束をしたのです。
 こうして三十七歳の王維の新しい官途がはじまります。

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