酒病偶作 酒病偶作 皮日休
鬱林歩障昼遮明 鬱林の歩障 昼も明を遮る
一炷濃香養病酲 一炷 濃香にして病酲を養う
何事晩来還欲飲 何事ぞ晩来還た飲まんと欲す
隔牆聞売蛤蜊声 牆を隔てて聞く蛤蜊を売る声
鬱林の幔幕のようだ 昼なお暗い
一灯のあかり 二日酔いにまた誘惑が寄せてくる
何たることだ 日暮れになると飲みたくなり
塀の向こうから 貝売りの声が聞こえてきた
晩唐の詩はあまり知られていませんが、詩の技巧は複雑になります。皮日休の七言絶句を再度取り上げました。
「鬱林歩障」は茂った林に幕を張り巡らせて貴人の歩行を隠すもので、晋の富豪の遊び方です。
故事を踏まえて当時の官吏の汚職を風喩するものでしょう。
そうは言いながらも、自分は二日酔いでまた酒が飲みたくなった。
酒の肴のハマグリやアサリを売る声が聞こえてきたと、誘惑に弱い自分を自嘲している詩と思われます。
長途酒醒臘春寒 長途酒醒めて臘春寒し
嫩蘂香英撲馬鞍 嫩蘂 香英 馬鞍を撲つ
不上寿陽公主面 寿陽公主の面に上らず
憐君開得却無端 憐れむ君が開き得て却って端無きを
旅の途中で酔いも醒め 臘梅の春はまだ寒い
みれば軟らかな蘂 いい香りが馬上にただよう
花弁は公主の額に落ち 梅花妝とならなければ
せっかく咲いても 無駄咲きというものだ
羅隠は文宗の大和七年(八三三)に江南で生まれ、節度使の幕吏などをして哀帝の天祐二年(九〇五)に七十三歳で死にました。
唐滅亡の二年前です。もともと「横」という名前でしたが、十回も進士に落第したため、名を「隠」と改めたといいます。
詩は毎年冬十一月にある貢挙の試験が中止になり、正月はじめに帰郷するときの歌で、「人日」は正月七日を意味します。
「新安」は洛陽の近くで、「臘春」は臘梅の咲くころの意味です。
「寿陽公主」は南朝宋の皇女で、額に梅の花びらが落ちたことから、額に花びらの形の紅をほどこす「梅花妝」ばいかしょうという化粧がはじまったとされています。つまり、男も進士に合格してエリートの印をつけてもらわなければ、無駄咲きだと嘆いているのです。
偶 興 偶 興 羅 隠
逐隊随行二十春 隊を逐い行に随う 二十春
曲江池畔避車塵 曲江池畔 車塵を避く
如今贏得将衰老 如今贏 ち得たり 衰老を将て
閒看人間得意人閒 に看る 人間 得意の人
貢挙にいどんで二十年 落ちては新しい列にならび
曲江の池の畔の祝宴に 集う車の埃を避けた
得意になって 春を楽しむ人々を
老いていま のんびり眺める境地になった
貢挙(科挙のことを唐代では貢挙といいます)に十回も落第した羅隠の晩年の心境でしょう。進士になった者は「曲江池畔」で天子の祝宴にあずかるのが習わしでした。娘の婿さがしに集まる貴人も多く、長安の街はそうした車でごったかえすのです。そんな車を見るのも嫌でしたが、いまはのんびり眺める境地になったというのです。
「人間」は「じんかん」と読み、世間のことです。